中国SNSで「美女の避難を歓迎」投稿 ウクライナ人の対中感情悪化も
https://news.yahoo.co.jp/articles/9e42b88c98b49b3a4d69aa9ccd339441aa97172a
※ 「日本人」を名乗るのだけは、止めてもらいたい…。












『おっしゃる通り、AIがユーザーに代わってアプリを操作したり、旅行の予約や決済などの「タスクを実行(エージェン…
『ユーザーが検索リンクを踏まずにAIの要約だけで満足してしまう「ゼロクリック検索」への移行は、時代の潮流であり…
『アルファベット(Google)のビジネスモデルは、一言で言えば「圧倒的な無料サービスで世界中の『アテンション…
『フリーキャッシュフロー(FCF)とは、企業が事業活動で稼ぎ出したお金(営業キャッシュフロー)から、工場やデー…
『アルファベット(Googleの親会社)の直近の第3四半期決算において、株価急落(一時13%超の下落、時価総額…
中国SNSで「美女の避難を歓迎」投稿 ウクライナ人の対中感情悪化も
https://news.yahoo.co.jp/articles/9e42b88c98b49b3a4d69aa9ccd339441aa97172a
※ 「日本人」を名乗るのだけは、止めてもらいたい…。







ぼくらが「日本人死ね」を翻訳する理由
習近平氏を怒らせる「大翻訳運動」、中国の国内向け宣伝を外国語に
https://nordot.app/910075179333795840?c=39546741839462401
※ 天に唾すると、わが身に還ってくる…。
※ 別に、「陰謀」でもなんでも無い…。
※ 今日は、こんなところで…。


『日本で3月に強い地震が発生すると、中国のインターネット上で「日本人死ね」などと災いを望むかのようなコメントが相次いだ。そうした声を即座に日本語や英語に翻訳する集団が登場、知られざる中国の世論が世界に発信された―。
反米や反日感情をあおる中国当局の国内向けの宣伝などを外国語で紹介し、交流サイト(SNS)を通じて海外に知らしめる「大翻訳運動」と呼ばれる動きが中国の内外で広がっている。参加者は「中国共産党の世論工作の実態を暴き、世界に警鐘を鳴らす」と動機を説明。習近平指導部は「中国侮辱ウイルス」(中国メディア)と呼び、彼らを敵視する。(共同通信=大熊雄一郎)
▽翻訳の威力
「ロシアの合理的な懸念は理解できる」。2月下旬、中国政府がウクライナに侵攻したロシアに寄り添う姿勢を示すと、インターネットには「ウクライナの美女を引き取ろう」「ウクライナ瞬殺だ」などとサッカー観戦のようなノリでウクライナを小ばかにするやりとりが展開された。ロシアと緊密な関係を強調する中国政府の方針もこうした世論の背景にあった。
会談を前に言葉を交わす中国の習近平国家主席(右)とロシアのプーチン大統領=2月4日、北京(AP=共同)
そんな風潮に腹を立てた人たちが米国のSNS「レディット」のコミュニティーでこれらの投稿を自発的に英語に翻訳、海外に紹介したのが、大翻訳運動の始まりだった。翻訳した内容は、中国政府の対外宣伝に隠された“本音”として外国メディアの注目を集めた。
中国の世論は翻訳を介してウクライナにも伝わり、反中感情を刺激。また中国がロシアの侵攻を容認しているとの認識が国際社会に広がった。
「宣伝当局が築いた平和で友好的な中国イメージを突き崩した」。運動の参加者たちは翻訳の威力に手応えを感じた。
▽緩やかな組織
運動の拠点となっていたレディットのコミュニティーには5万人以上が参加していたが、「個人情報を漏らした」との理由で3月に閉鎖された。
活動の場をツイッターに移すと、党・政府の世論操作や強権的な統治に反感を持つ人が共鳴。「#大翻訳運動」「#TheGreatTranslationMovement」のハッシュタグ(検索目印)を付けて参加する人が増え、今ではフォロワーは15万人を超えている。
少数の有志による自然発生的な運動は緩やかに組織化された。米欧や日本への憎悪をあおり、ロシアの軍事行動を後押しする中国の宣伝や、それに迎合する世論を、英語や日本語、ドイツ語、フランス語、韓国語などで発信している。
▽「寝そべるな」と言われても
運動初期から参加する中国在住の20代男性が「絶対匿名」を条件に通信アプリを通じて取材に応じてくれた。仮に王さんと呼ぶ。
不況のあおりを受けて失業した王さんはベッドに横になりながらスマートフォンをいじる日々を送っていた。あるときニュースで耳にした当局者の言葉が聞き捨てならなかった。
その当局者は最近の若者が努力もせず、無気力だとして「寝そべり主義」と批判した。好きで寝そべっているわけじゃない―。王さんは身を起こし、自分が無職となった背景を熟考した。
都市封鎖され高速道路の通行が制限された中国上海市=3月28日(ロイター=共同)
中国当局はここ数年、市場の安定を掲げてIT企業やネット通販、金融業界、学習塾などへの規制を強化した。活力を奪われた民間企業は大規模な解雇を余儀なくされ、さらに新型コロナウイルスの感染を徹底的に封じ込める「ゼロコロナ」政策の下で都市封鎖が繰り返され、経済活動は停滞。多くの失業者が行き場を失っている。
「政府は失政の責任を若者に押しつけ、世論の目をそらすために米欧や日本への憎悪をあおっている」。王さんの目に、経済が失速する中で対外危機をあおりウクライナに侵攻したロシアと、自国の姿が重なった。
王さんは「中国が台湾に侵攻すれば国民の生活は破綻する。自分たちを守るために大翻訳運動に参加した」と説明。他国に攻撃的な愛国心を育て、軍備増強に走る党・政府の実態を対外発信することで、「暴走を食い止めたい」という。
▽うろつくネズミ
一方、中国当局は翻訳が武器になり得るということに気づき、強い危機感を抱いた。
党機関紙、人民日報系の環球時報は4月、「(中国に)汚名を着せる翻訳問題が大規模化、システム化している」と懸念する専門家の論評を掲載した。「中国の国際イメージづくりと国際的な発言力の向上に深刻な影響を及ぼす」と指摘し、「中国に関する概念の翻訳の主導権」を握るべきだと訴えた。
習指導部は「愛される中国のイメージ」形成を唱えており、大翻訳運動がそれに水を差す動きとみて神経をとがらせている。宣伝当局は米欧などの反中勢力が背後にいると主張している。
中国海南省を視察する習近平国家主席(右から2人目)=4月(新華社=共同)
しかし王さんによると、運動参加者の大部分は中国語を母国語とし、中国政府の統治下で暮らしたことがある人たち。中国人のほか、世界各地の華僑や外国人が加わっているという。中国当局の摘発対象とならないよう、リーダーを明確にしない戦略を取っている。
党・政府系メディアは運動参加者を「ウイルス」「うろつくネズミ」などと罵倒し、米欧主導の情報戦と見なして攻撃する。しかし参加者の主力が中国人である可能性には目を伏せているようにも見える。
▽専制の土壌は国民にも
大翻訳運動が中国内の反日的言論を海外に紹介する理由について、王さんは「中国政府が反日感情を植え付けた結果、どれぐらい危険な世論が形成されているかを明らかにするため」と説明する。中国が日本の脅威を口実に軍拡に突き進むことへの危機感がある。
日本の地震を祝うコメントが翻訳され、海外で反響が広がると、これらの投稿の大半は削除されたという。運動メンバーはこれを“成果”と考えている。
日本の地震に関する中国のネット世論を日本語で紹介する大翻訳運動のツイッター画面
ただ運動の目的は必ずしも党を脅かすことではない。「ウクライナ美女」や「日本人死ね」を書き込んでいる人の大半は普通の庶民だ。
王さんは「中国人の根っこには中央集権への崇拝があり、党の統治がもたらした結果に一定の責任がある」と指摘する。
専制を受け入れ、人権を軽視する民族心理への深い反省を促すことこそが狙いなのだという。「中国当局が憎悪に満ちた宣伝を停止し、中国のネット民が侵略を支持するような愚かな言論をやめない限り、大翻訳運動は終わらない」
スマートフォンを使う若者ら=2021年6月、北京(共同)』
東ティモール
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%AB













『東ティモール民主共和国(ひがしティモールみんしゅきょうわこく)、通称東ティモールは、アジア(東南アジア)地域に位置する共和制国家。首都はディリ。
島国であり、小スンダ列島にあるティモール島の東半分とアタウロ島、ジャコ島、飛地オエクシで構成されている。南方には、ティモール海を挟んでオーストラリアがあり、それ以外はインドネシア領東ヌサ・トゥンガラ州(西ティモールを含む)である。
1999年8月30日に国連の主導で独立についての住民投票を実施。インドネシアの占領から2002年5月20日に独立した[1](国際法上はポルトガルから独立)。21世紀最初の独立国である。ポルトガル語諸国共同体加盟国。 』
『歴史
詳細は「東ティモールの歴史(英語版、ポルトガル語版)」を参照
ポータル 歴史学/東洋史 ポータル 歴史学/東洋史
成立
ポルトガルの植民地になるはるか昔、紀元前2000年ごろパプア系語族が島の東部へ移住していき、ずっと時代が下って紀元10世紀ごろオーストロネシア語族が流入してきたと伝えられている。さらに紀元前3000年ごろと同2000年ごろの 2度にわたって、インド=マレー系エスニックグループが移住してきたとの説もある[7]。
ポルトガル植民地
ポルトガル領ティモールの国章
詳細は「ポルトガル領ティモール」を参照
ティモール島は16世紀にポルトガルによって植民地化された。その後オランダが進出し、一時はポルトガルがこれを撃退したが、1859年に西ティモールとソロール島をオランダに割譲したことで、ティモール島は東西に分割された(リスボン条約(ドイツ語版))。この境界については1893年にポルトガルとオランダ間で細部の改正が行われ、1904年にポルトガル=オランダ条約(1908年批准)で国境を直線的分断し、1913年[8](または1914年[9])に確定した。
1911年から翌年にかけて、収奪の厳しさに耐えかねてリウライ(マヌファヒ小国王)のドン・ドンボアベントゥラが反乱を起こした。戦死者3,424人、負傷者1万2,567人を出した。さらに、1959年にピケケ県知事誘拐・蜂起事件が亡命インドネシア人と東ティモール人らによって引き起こされた。150人の死者が出たとの説もある[10]。
ポルトガルが中立を守った第二次世界大戦時には、当初は1941年にオランダ軍とオーストラリア軍が保護占領し、ティモール島の戦い(英語版)のあとオランダ領東インド地域と合わせて1942年に日本軍が占領したが、1945年の日本の敗戦によりオーストラリア軍の進駐を経てポルトガル総督府の支配が復活し、1949年にインドネシアの一部として西ティモールの独立が確定したあともポルトガルによる支配が継続した。これに対し、人口の中で圧倒的多数を占める地元住民は独立志向を強めたが、アントニオ・サラザール首相などの「エスタド・ノヴォ体制」により抑圧された。
1974年にポルトガルで左派を中心としたカーネーション革命が起こり、植民地の維持を強く主張した従来の保守独裁体制が崩壊すると、東ティモールでも政治活動が自由化される。まずポルトガルとの関係維持を掲げるティモール民主同盟(UDT)[注釈 1]が発足し、続いて左派・反植民地主義のティモール社会民主協会(ASDT、9月に東ティモール独立革命戦線FRETILIN(フレティリン)と改称)が即時完全独立を要求[注釈 2]、遅れてインドネシアとの統合を主張するティモール民主人民協会(APODETI、アポデティ)[注釈 3]が立ちあげられ、主要3政党として旗揚げした[11][12][13]。
東ティモールでは、1974年9月にUDTが独立支持へ方針転換し1975年初頭からフレティリンと共同戦線を張っていたが、相互不信や同盟指導部の人事問題で決裂していた。1975年8月11日、UDTはポルトガル総督府を相手にクーデターを行う。これに対してフレティリンは軍事部門「東ティモール民族解放軍FALINTIL(ファリンティル)」を組織し、撤退したポルトガル軍の武器を回収して武装化、UDT側と内戦を開始した[14][15]。状況を制御できなくなったポルトガル側はディリを放棄し8月下旬にアタウロ島へ退避、10月初めにはポルトガル本国から派遣された軍艦で本国へと帰還した。
これらの動きは、東ティモールの領有権を主張し反共主義を国是とするインドネシアのスハルト政権にとっては容認できず、アポデティやUDT内の反共派など、反フレティリンの右派勢力を通じた介入を強化した。
インドネシアによる占領
詳細は「インドネシア占領下の東ティモール(英語版)」を参照
インドネシアからの独立デモ
1975年11月28日、右派勢力と連携したインドネシア軍特殊部隊が西ティモールから侵攻を開始する中、フレティリンが首都ディリで東ティモール民主共和国の独立宣言を行う。翌29日、インドネシア軍が東ティモール全土を制圧し、30日にはアポデティ指導層などからなる親インドネシア派が併合を承認する「バリボ宣言」を出した(国連はこれを認めず)。12月7日、インドネシアは東ティモールに対する全面侵攻「スロジャ作戦」を開始。12月12日、国連安全保障理事会総会が、インドネシアの即時撤退を求める決議可決。1976年7月17日、インドネシアが27番目の州として併合宣言を行った。国連総会ではこの侵攻と占領を非難する決議がただちに採択されたが、日・欧・米・豪など西側の有力諸国は反共の立場をとるインドネシアとの関係を重視し、併合を事実上黙認した。
インドネシアが併合した時点の状況は、主食のコメやトウモロコシの大半はインドネシア国内からの移入に頼っていた。インドネシア自体も米不足で輸入に頼っていた状況であり、1978年以降、西部のマリアナ一帯で灌漑事業が進められるなど食料自給体制の向上が進められた。また、文盲率が93%と高率であったため、インドネシア側から教師が派遣され[16]、結果的に文化面の同一化も進んだ。
1977年、インドネシア軍が包囲殲滅作戦を展開。スハルト政権は東ティモールの抵抗に対して激しい弾圧を加えたため、特に占領直後から1980年代までに多くの人々が殺戮や飢餓により命を落とした。インドネシア占領下で命を失った東ティモール人は20万人にのぼると言われている。1991年、平和的なデモ隊にインドネシア軍が無差別発砲し、400人近くを殺したサンタクルス事件は、住民の大量殺戮事件として世界的に知られることになった。また、官吏や教員などを派遣して徹底した「インドネシア化」も推進した。フレティリンの軍事部門であるファリンテルは民族抵抗革命評議会(CRRN)の主要メンバーとなり、シャナナ・グスマンが議長になったが、インドネシア政府はグスマンを逮捕し、抵抗運動を抑え込んだ。1996年12月、ノーベル平和賞が現地カトリック教会のベロ司教および独立運動家のジョゼ・ラモス=オルタに贈られた。
1998年にインドネシアでの民主化運動でスハルト政権が崩壊すると、後任のハビビ大統領は東ティモールに関し特別自治権の付与を問う住民投票を実施することで旧宗主国のポルトガルと同意した。
国連の暫定統治
詳細は「東ティモールの国連の暫定統治(英語版)」を参照
1999年5月、インドネシア、ポルトガルと国連、東ティモールの住民投票実施の枠組みに関する合意文書に調印(ニューヨーク合意)。6月、国際連合東ティモール・ミッション(UNAMET)が派遣される。8月30日、独立に関する住民投票が行われた(投票率98.6%)。9月4日に発表された投票結果では、自治拒否78.5%で、特別自治権提案が拒否されたことで独立が事実上決定。9月7日、インドネシア治安当局は東ティモールに非常事態宣言を発令し、国軍5,500人を増兵しインドネシア併合維持派の武装勢力(民兵)を使って破壊と虐殺を行う。9月12日、インドネシアが国連平和維持軍の受け入れを容認し、オーストラリア軍を主力とする多国籍軍(東ティモール国際軍、INTERFET)が派遣された(東ティモール紛争)。その結果、暴力行為は収拾したが、多くの難民が西ティモールに逃れ、あるいは強制的に連れ去られたりした。10月には、国際連合東ティモール暫定行政機構(UNTAET)が設立、2002年の独立まで率いた。
独立後の平和構築活動
その後の制憲議会選挙ではフレティリンが圧勝し、大統領にはシャナナ・グスマン、首相にはマリ・アルカティリが選出され、2002年5月20日に独立式典を行った。独立後、国連は国際連合東ティモール支援団(UNMISET)を設立、独立後の国造りの支援を行った。この中で、日本の自衛隊も国連平和維持活動(PKO)として派遣され、国連と協力して活動を行った。2005年には、国連の平和構築ミッション、UNOTIL(国連東ティモール事務所)が設立された。
独立後の混乱
詳細は「2008年の東ティモール暗殺未遂事件(英語版)」を参照
2006年4月、西部出身の軍人約600人が昇級や給料で東部出身者との間で差別があるとして待遇改善と差別の廃止を求め抗議し、ストライキを起こしたが、政府はストライキ参加者全員を解雇した[注釈 4]。国軍内部の問題として、将兵の多くが旧ファリンティル構成員からなっており、政治的信頼性によって新しい国軍での階級に差がつけられたこと、および西部出身者は独立運動において相対的に消極的であり、一部はインドネシア国軍から移籍してきていたことなどが背景にあった[注釈 5][17][18]。
これを不服とした参加者側が5月下旬に蜂起、国軍との間で戦闘が勃発した。ところが、鎮圧に赴いた警察や国軍の一部がスト参加者に同調して反旗を翻し、警察署を襲撃して死者が出たため、怯えた警察官が職務放棄。また若者を中心に暴徒化してディリは混乱した。治安維持が不可能となった政府は5月24日にオーストラリア・マレーシア・ニュージーランド・ポルトガルに治安維持軍の派遣を要請し、翌日には東ティモールへの利権を確保することを意図したオーストラリア軍が早速展開し、その後4か国による治安維持が行われた。
事件全体の背景として、東部住民と西部住民の軋轢や若者の失業率の高さが挙げられている。また、アルカティリ首相の独善的姿勢や国連の活動終了が早すぎた可能性も指摘されている。
オーストラリア軍は反乱軍を指揮する少佐と接触し、少佐の武装解除命令によって6月半ばに蜂起は終結したが、暴徒の方は反政府デモとなり、グスマン大統領の忠告によって、アルカティリ首相は辞任に追い込まれた。ディリは半ば戦場と化し、住民のほとんどは難民となって郊外へ脱出した。治安維持軍によって年内に暴動は鎮圧されたが、オーストラリア政府の支援による警察の再建など、治安の回復には時間がかかると思われる。
暴動を受け、同年8月には国際連合東ティモール統合ミッション(UN Integrated Mission in Timor-Leste:UNMIT)が設立。平和構築ミッションから、再び平和維持活動へと逆戻りした。
2007年1月13日、フランスとともに東南アジア友好協力条約(TAC))に締結した。この条約は東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟と東アジアサミット参加への条件とされており、締結国間の主権尊重と内政不干渉、紛争の平和的解決を謳うものである。東ティモールは2007年内のASEAN加盟を目指していたが、国内事情の混乱もあって実現しなかった。その後、2011年にASEAN加盟を申請し、2017年時点でも交渉中である[19]。
2007年8月8日、与党フレティリンが下野し、グスマン連立政権発足の前後より、フレティリンの熱狂的な支持者が暴徒化し、首都ディリなどで民家などへの放火や投石が多発している。また8月10日には、東部のバウカウ県で国連平和維持活動に携わる国連警察の車列が発砲を受け、車両1台が燃やされた。ビケケ県では子ども1人が暴動に巻き込まれ死亡、数日の間に100名以上の逮捕者が出た。バウカウ・ビケケ両県は、フレティリン支持者が多い。8月12日には、国連警察、東ティモール警察、多国籍治安部隊(おもに豪軍)、東ティモール国軍により暴動は沈静化した。
2008年2月11日、ラモス=オルタ大統領やグスマン首相が2006年の国軍反乱以降に反政府勢力となったアルフレド・レイナド(英語版)少佐指揮の武装集団に襲撃された。この際にレイナドは死亡し、ラモス=オルタは重傷を負ったがオーストラリアの病院での治療により一命を取り留めた。ラモス=オルタ大統領は4月17日に職務に復帰し、襲撃事件に伴う非常事態令も5月8日に解除された。国連によるUNMITは2009年も延長されたが、同年3月には国家警察への権限移譲が開始され、混乱は徐々に収束しつつある[20]。
この一連の独立に至る記録が、2013年にユネスコ記憶遺産に登録された[21]。』
(※ 以下、省略。)
東ティモールの新ガス田「産業創出の場に」 党首が意欲
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM307CS0Q2A530C2000000/

『東南アジアの小国、東ティモールの近海で進む液化天然ガス(LNG)の開発を巡り、同国の有力政党党首は日本経済新聞の取材で「雇用の創出だけでなく新産業をつくる多様な効果がある」と述べた。同ガス田から自国にパイプラインを引く方針を堅持する方針を示した。共同開発するオーストラリアとの交渉を進め、2030年までの稼働をめざす。
LNGの生産・輸出に向けて開発するガス田は「グレーター・サンライズ」で、ティモール海の東ティモールと豪州との共同開発区域にあたる。1974年に発見され、埋蔵量はガスが約5兆1300億立方フィート、コンデンセート油(超軽質原油)が約2億2600万バレルと推測される。権益の配分は豪エネルギー大手のウッドサイドが33.44%、東ティモール国営石油のティモール・ギャップが56.56%、大阪ガスが10%。豪との管轄海域にまたがるため開発が難航し、関連施設を両国のどちらに設置するかも折り合っていない。
東ティモールの有力政党「東ティモール再建国民会議(CNRT)」のシャナナ・グスマン党首は日本経済新聞の取材に応じ、ガス田から自国へのパイプライン敷設をめざす考えを改めて示したうえで、雇用や財政の面でも大きな利点があることを訴えた。
東ティモールはガス田からパイプラインを同国南部に引き、プラントなどの関連施設を設けることで、開発が遅れる南部の振興につなげたい構えだ。一方で、豪州はガス田の迅速な稼働に向け、同国北部のダーウィンにある既存施設の活用を主張している。折衷案として洋上浮体式のプラントを建設する案などが浮上したが、東ティモール側が同国陸上案にこだわり、合意に至っていない。
初代大統領のグスマン氏は独立の英雄で政界に絶大な影響力を持つ。23年に予定する議会選の結果次第では首相への返り咲きもささやかれる。これまでにも計画・戦略投資相として豪州側との折衝にあたった経緯があり、同氏の発言は政府の交渉方針を左右するとみられる。
東ティモール政府は交渉を急ぐ必要がある。開発したガス田で豪州との共同開発区域内にある「バユ・ウンダン」が23年にも枯渇すると推測するためだ。石油収入の基金は潤沢にあるが、サンライズの稼働にめどをたてなければ国の財政運営がいずれ立ちゆかなくなる。
サンライズの計画に出資するティモール・ギャップのデ・ソウサ最高経営責任者(CEO)は稼働に関し「28年から30年」と語った。ロシアのウクライナ侵攻に伴う世界的な資源の逼迫が交渉を後押しするとの見方を示したと、ロイター通信が伝えた。
豪紙オーストラリアンによると、ウッドサイドのオニールCEOもこのほど、バユ・ウンダンの枯渇でサンライズを巡る交渉の加速に期待感を示した。東ティモールは交渉を有利に運ぶため、中国の支援を仰いで南部の開発を進め、パイプライン敷設の既成事実化を進めている。18年には中国企業が建設を担い南部を横断する高速道路の第1期工事が完了した。
投資環境の整備支援を
東ティモールがガス田「グレーター・サンライズ」を無事に稼働させても一件落着とは言いがたい。同国政府は周辺海域の石油・天然ガス資源は2030年代にも枯渇すると推測しているからだ。
国家歳入の9割を石油関連収入が占める経済構造からの脱却は喫緊の課題だが、議会では与野党が対立を繰り返し、国政が停滞している。5月20日に就任したホルタ大統領は代替産業の確立に取り組む。
世界銀行によると、20年の同国の1人あたりの国内総生産(GDP)は1442ドルと世界平均の10916ドルの1割強。アジアの最貧国の1つで産業の育成には各国から投資を呼び込む必要がある。
ネックは投資環境だ。金融、通信、法制度など民間企業が進出するうえで欠かせないビジネスの基盤が整っていない。若い人口構成や観光資源などの潜在性はあっても、企業は投資に及び腰になる。
官民一体の中国企業は、現地のビジネス事情はお構いなしに、次々と大型インフラ建設を受注し、本国から労働者を送り込む。中国浸透の末路は安全保障協定を結んだ太平洋のソロモン諸島かもしれない。
日本は安保上の観点からも米国やオーストラリアなどと連携して東ティモールに企業が進出しやすい環境が整うよう官民をあげて協力する必要がある。制度構築などソフトの支援は日本の得意分野だ。
(ジャカルタ=地曳航也)』
日韓豪NZ首脳会談を提案 政府、対中国で協力念頭
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM207980Q2A620C2000000/
『【ソウル=甲原潤之介】韓国大統領府は20日、日韓とオーストラリア、ニュージーランド(NZ)4カ国の首脳会談を日本政府が提案したと明らかにした。29~30日にスペインで開く北大西洋条約機構(NATO)首脳会議にあわせ調整する。中国の海洋進出を念頭に協力を深める。
韓国大統領府は開催を「検討中だ」と説明した。実現すれば米国と関係の深い4カ国が対中国で足並みをそろえる新たな枠組みになる。
岸田文雄首相は日本の首相として初めてのNATO首脳会議への出席を表明している。日本と同様にNATOに加盟していない韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領、豪州のアルバニージー首相、NZのアーダーン首相も招待を受けた。
東・南シナ海、太平洋で影響力を増す中国への対応が議題になる見通しだ。日本は同盟国の米国に加え、近年は「準同盟国」と位置づける豪州と安全保障協力を進めてきた。日豪の周辺国の韓国やNZを巻き込み抑止力の強化をめざす。』
サウジ皇太子、後継指名から5年 原油高で外交活発化
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR17CZT0X10C22A6000000/
『【ドバイ=福冨隼太郎】サウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン皇太子がサルマン現国王の後継として指名されてから21日で5年となった。経済改革を進める皇太子への権限委譲はサウジ指導層の若返りを印象づけた一方、2018年の記者殺害事件で国際的なイメージは悪化。ムハンマド皇太子は足元の原油高を背景に活発な外交を進め、影響力の拡大を図る。
「2国間の関係をより高いレベルに引き上げる話し合いの場にする」。トルコのエルドアン大統領は17日にこう述べ、22日にムハンマド皇太子が首都アンカラを訪れると発表した。両者は4月末にサウジで会談したばかり。ロイター通信などによると、ムハンマド皇太子はトルコ訪問に先立ち20日夜にエジプトを訪問した。ヨルダンも訪れる計画だ。
7月には米バイデン大統領をサウジに招いて初会談する。原油増産などについて話し合う見通しだ。バイデン氏は湾岸協力会議(GCC)諸国の首脳会議にも出席する予定で、「アラブの盟主」としてのサウジの立場を誇示する場にもなりそうだ。
18年にトルコ・イスタンブールのサウジ総領事館で起きた在米サウジ人のジャマル・カショギ記者殺害事件を巡っては、バイデン政権発足後の21年2月に米国家情報長官室が「ムハンマド皇太子が記者殺害を承認した」とする報告書を発表。米サウジ関係は冷え込んだ。
だが、ロシアのウクライナ侵攻などによる足元の歴史的な原油高で環境は一変した。原油の国際相場の安定には、世界有数の産油国であるサウジの協力が欠かせない。人権を重視する米バイデン政権としても、ガソリン高で市民の不満が募るなかでは、記者殺害事件の真相究明を「棚上げ」してサウジに原油増産を頼まざるを得ない。
事件の舞台となったトルコでも殺害直後にサウジへの批判が強まったが、22年4月にはトルコの裁判所が政府の意向を反映するかたちで事件の審理を停止しサウジ側に移管すると決めた。通貨リラの下落やインフレが進行するトルコには、経済が好調なサウジとの経済協力の強化を引き出すねらいがあるようだ。
サウジが原油高や好調な経済状況をテコに国際的な影響力の向上を図るのは、外資誘致という理由もある。
同国は中長期の目標として石油収入に依存する経済体質からの脱却を掲げているが、実現には多国籍企業のマネーや技術を積極的に取り込む必要がある。殺害事件後、人権を重視する多国籍企業はなおサウジと距離を置いている。米国や周辺国との関係修復を通じて負のイメージの払拭に努めることで、投資先としての魅力を高めようとしている。
ムハンマド皇太子はサウジで遅れていた女性の社会進出や、映画館での映画上映の解禁などの社会改革も進めてきた。海外からの観光客受け入れも広げ、「閉ざされた国」という印象の刷新に努めている。』
イスラエル、国会解散・総選挙へ ラピド氏が首相に
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR20CWF0Q2A620C2000000/
『【カイロ=久門武史】イスラエルのベネット首相は20日、連立政権を組むラピド外相と国会(定数120)の解散を来週採決することで合意した。可決されれば2019年4月以降、5回目の総選挙になる。ベネット氏は退任し、ラピド氏が首相として選挙管理内閣を率いる。8党による連立政権の維持が困難と判断した。
現地報道によると総選挙は10月に実施される見通し。最大野党の右派リクードを率いるネタニヤフ前首相の政権復帰につながる可能性がある。
ベネット政権は21年6月、左右両派にアラブ系まで加えた8党の連立で発足し、ネタニヤフ氏の長期政権に終止符を打った。まずベネット氏が首相を務め、23年にラピド氏に交代する首相ポストの輪番制で合意していた。
連立政権は特にパレスチナ問題を巡る不一致が大きく、当初から寄り合い所帯の危うさが指摘された。国会では今月6日、イスラエルが占領するヨルダン川西岸地区のユダヤ人入植者へのイスラエル法適用を延長する法案が与党議員の造反で否決され、政権内の亀裂があらわになっていた。
4月にはベネット氏の率いる右派与党ヤミナの議員1人が政権を離脱し、与党8党は国会でかろうじて握っていた過半数の61議席を60議席に減らしていた。ネタニヤフ氏が切り崩し工作などで政権の足並みの乱れを誘ったとの見方が強い。
バイデン米大統領は7月に中東を歴訪しイスラエルやサウジアラビアを訪れる計画だが、首相交代で変更するとの情報はなく、ラピド氏がベネット氏に代わり対米関係の強化をうたうとみられる。アラブ諸国との融和や、敵対するイランへの厳しい姿勢にも変化はなさそうだ。国交のないサウジと水面下で接触を重ねていると伝えられるなか、内政の混乱が長期化すれば外交が停滞する懸念はある。
【関連記事】
・復権狙うネタニヤフ前首相 イスラエル連立、過半数割れ
・米大統領、7月中旬にサウジ訪問へ 原油増産働きかけ
多様な観点からニュースを考える
※掲載される投稿は投稿者個人の見解であり、日本経済新聞社の見解ではありません。
渡部恒雄のアバター
渡部恒雄
笹川平和財団 上席研究員
コメントメニュー
ひとこと解説
高騰している世界のエネルギー価格を下げるためにも、エネルギーの脱ロシア依存をすすめるためにも、7月のバイデン大統領のサウジアラビア訪問は極めて重要な会談となります。それを調整してきたのはイスラエルですので、今回の首相交代は、想定内とはいえ、気になります。
2022年6月21日 12:16
松尾博文のアバター
松尾博文
日本経済新聞社 上級論説委員/編集委員
コメントメニュー
分析・考察
左右両派にアラブ系政党まで、「打倒ネタニヤフ」だけで集まった寄り合い所帯が、その目的を達成した後にたどる当然の帰結と言えます。全国1区の比例代表制で120人を選ぶイスラエル議会(クネセト)は、常に小党乱立となる宿命にありますが、3年半で5回の総選挙となるとさすがにまたかとの思いが拭えません。おまけにその後の首相にネタニヤフ氏の復帰となると、政治対立は簡単に収まらないでしょう。イスラエルはここ数年、UAEなどとの国交樹立などアラブとの関係を劇的に改善してきました。中東の安定にくわえ、ウクライナとロシア双方にパイプを持つイスラエルの立ち位置は重要です。内政が地域情勢に与える影響が気になります。
2022年6月21日 10:26』
ロシア外相、今週イラン訪問へ
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB20ANH0Q2A620C2000000/
『【テヘラン=共同】イラン外務省の報道官は20日の記者会見で、ロシアのラブロフ外相が今週、テヘランを訪問すると発表した。
外交筋によると、ラブロフ氏はアブドラヒアン外相らと会談し、ロシアのウクライナ侵攻やイラン核問題について協議。ロシアとイランは米国の制裁下にあるため、貿易強化など経済面での緊密な連携を確認する可能性がある。』
日本は核禁止条約会議に参加を ICAN事務局長が会見
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB200Y10Q2A620C2000000/
『【ウィーン=共同】「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)のベアトリス・フィン事務局長は19日、ウィーンで主催した市民フォーラムの閉会にあたって記者会見し、日本政府に「核兵器禁止条約の第1回締約国会議に参加し、リーダーシップを示してほしい」と呼びかけた。
21日開幕の締約国会議を巡りフィン氏は、ドイツやオーストラリアなど米国の同盟国でも世論の支持を受けて政治がオブザーバー参加を決めたと指摘。「日本でも条約に賛同する政治家や市民が努力し続けてほしい」と述べた。
同席した日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の木戸季市事務局長(82)は「条約は国家中心ではなく、人と人とがつながり自由な世界をつくる出発点だ」と語った。
会見後、ICANを構成する日本の非政府組織(NGO)「ピースボート」からフィン氏に、広島の被爆者が「ICAN」と名付けて育てたバラの写真が贈られた。フィン氏は「全世界の核廃絶運動の象徴にしたい」と喜んだ。』
ロシア音楽、出版物を禁止 ウクライナ議会
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB200UJ0Q2A620C2000000/
『【キーウ=共同】ウクライナ最高会議(議会)は19日、ロシアの音楽を放送したり、公共の場で流したりするのを禁じる法案を可決した。ロシアとベラルーシからの出版物の輸入や配布を禁じる法案も可決した。ステファンチュク議長らが交流サイトなどで明らかにした。
ラジオ自由欧州・ラジオ自由(RFE・RL)によると、ラジオやテレビではウクライナ語放送の割合を高める。議会は声明で、ロシアの音楽は同国への帰属意識を高め、ウクライナの弱体化につながりかねないと指摘した。』
| 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | ||||||
| 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
| 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
| 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
| 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 |
| 30 | ||||||