https://wedge.ismedia.jp/articles/-/40817
『2026年7月10日
岡崎研究所
Foreign Policy誌のコラムニストでジョージタウン大学教授のローザ・ブルックスが、6月15日付けの論説で、いまや主要国の国家指導者は国際法を遵守する「振り」さえしなくなったとして、これは「制度化された国際道徳」たる国際法の終焉を意味する、と結論づけている。主要点は次の通り。
(Alexander Sikov/Getty Images・ロイター/新華社/AP/アフロ)
(国際法を無視する指導者たち)
国家はしばしば国際法を無視したが、それを完全に否定することは避けていた。ところが近年、主要国は国際法遵守という行為そのものを放棄する傾向が強まっている。トランプ大統領は、自身の権力に対する唯一の抑制力は自身の道徳心であるとして、「私を止められるのはそれだけだ。…国際法など必要ない」と語った。
ロシアでは、プーチンが昨年、「遠く離れた誰かが定めたルールに従う用意のある者は誰もいない」と宣言した。
習近平は2019年、「台湾統一は、いかなる勢力も、いかなる人物も阻止できない」と宣言し、中国外務省は、常設仲裁裁判所による自国に不利な判決を「ただの紙切れ」と嘲笑した。
(国際法に最も破壊的打撃を与えたのはその支持者自身)
ただし、プーチンとトランプに責任を押し付けたくなる気持ちもわかるが、国際法に最も破壊的な打撃を与えたのはむしろ、その最大の支持者を自称していた人々だ。国際法は何十年にもわたって致命的な傷を負っており、プーチンとトランプはとどめを刺したに過ぎない。
ホロコーストと二度の世界大戦の凄惨な惨劇の後、国際法制定事業はかつてないほどの切迫感、理想主義、そして野心を帯びるようになった。
国連憲章、世界人権宣言、そしてジュネーブ条約は、いずれも主権国家が一定の自由を犠牲にしてより大きな安全保障を求め、より公正で公平な世界というビジョンを受け入れるという賭けであった。
20世紀後半には、国家間の武力紛争が急激に減少した。冷戦による停滞期を経て、1990年代の出来事は、戦後の大胆な賭けが正しかったことを一時的に証明したかに見えた。
しかし、国際法と国際機関の急速な拡大は、国際システムの内部矛盾、特に国家主権への国際法上のコミットメントと基本的人権へのコミットメントとの間の深刻な乖離を増幅させた。
(ある程度の偽善はシステムの一部として容認された)
ある程度の偽善は、このシステムの一部として容認されるようになった。冷戦時代の列強は、とてつもない偽善者であった。』
『 ソ連はハンガリーの労働者蜂起を鎮圧しながら、労働者階級を解放していると主張した。米国はベトナムを荒廃させながら、自由を守っていると主張した。
冷戦終結後、偽善はさらに加速した。
1999年、北大西洋条約機構(NATO)は、当時セルビアの半自治州であったコソボに、緊急の人道的必要性を理由に軍事介入したが、ほとんどの評論家は、他国の主権領域内への介入には法的根拠がないという点で一致していた。その後も米国指導部による偽善は続いた。
(国際法を信じる振りさえしなくなった時、国際法は死滅する)
道徳的に正しい法制度は、ある程度の悪徳には耐えられる。
しかし、偽善が蔓延し常態化すると法は正当性を失い、行為者は偽善的な振る舞いさえしなくなる。
国家が国際法を信じる振りさえしなくなった時、国際法は死滅する。
しかし、その終焉を祝うのは間違いだろう。たとえ偏っていたとしても、国際法は、無秩序な世界において紛争を解決し、予測不可能性を低減するためのメカニズムを提供してきた。
国際法は、予測不可能性を低減する焦点を提供し、国家の行動をより明確にし、危機をより制御しやすくした。
国際法の衰退は道徳的な損失ではなく、構造的な大惨事である。そしてそれは、私たちが直面する集団行動の問題が、今失われつつある調整メカニズムを緊急に必要としているまさにその時に起こっているのだ。
* * *
力だけで秩序は維持されない
論説の著者のブルックスによれば、今日の状況は、トランプやプーチン、習近平に代表されるように、単に国際法が遵守されなくなっただけではなく、「振り」をする形での「敬意」さえ払われなくなっており、それは国際法の背後にある「道徳規範」に対する「敬意」の喪失を意味する。
これこそが今日の国際秩序に対する最も深刻な危機であるとするもので、かなり単純化されているが、その中核となる主張には全面的に賛同する。
ただし異論もある。
特に、「国際法の終焉(=道徳の終焉)」という今日の事態が、国際法の「支持者」を自認する多くの人々の長きにわたる恣意的解釈あるいはダブルスタンダードによる運用の結果、形成されてきたものであって、トランプやプーチンなどは単に「とどめを刺した」に過ぎない、という部分だ。
確かにこれまでも国際法は、「正義」や「人権擁護」といった美名のもとに侵略行為などを正当化する道具として使われることが少なくなかったし、かつ人々はそのような「偽善」をシステムに内在するものとして結果的に受け入れてきたとも言える。
しかしながら、このような行為の積み重ねの単純な延長上に、今日のトランプやプーチンなどの「とどめを刺す」行為があるのではない。国際法を遵守する「振り」をすることと、これを全く無視することとの間には、質的な隔たりがある。』
『 トランプやプーチン、そして習近平の発想の根本には、世界秩序を形成するのは結局のところ「力」であり、従って最終的には力の強い者が決めていくという信念がある。このこと自体は決して間違っていない。
歴史は常に力の強い者によって形成され、修正され、破壊され、また新たな秩序が生み出されてきた。
しかし国際秩序は、決して力のみによって維持されてきた訳ではない。
多くの国や人々が、それを受け容れる価値観、ソフトパワーがあったからこそ持続性をもってきた。国際法遵守の「振り」だけで、秩序を維持することはできない。
軽視されてはいけないソフトパワー
少なくとも第二次世界大戦後の国際社会において、米欧諸国の「力」による秩序の形成は、同時にそれを受け容れることを良しとするソフトパワーを伴っていた。
多くの人々は、これが欧米各国自身の利益にも叶う秩序であって、必ずしも博愛主義に基づくものではないことを承知の上で、彼らの形成する秩序を受け容れてきた。
これに対し、今日のロシアや中国の「力」による秩序形成の動きは、ほぼ軍事力、経済力のみに依存し、かつ彼ら自身の利益のみによる秩序という側面が余りに強い。
残念なのは、これまで世界秩序の最大の担い手の一つであった米国が、トランプ政権になってそのソフトパワーを失いつつあることだ。
また今日のトランプ政権は、国際法遵守の「振り」さえしないという点では、プーチン、習近平以上に断固たるものがある。
ただロシアや中国と異なり、米国には国民の自由な意思が反映される選挙制度があり、その違いを無視すべきではない。
賛成できないもう一つの点は、「国際道徳規範の終焉」だ。「国際道徳規範」が完全に消滅した、あるいは終焉しつつあるとは思われない。「道徳の終焉」という事態を作り出しているのは、まだ少数の国に限られている。
大多数の国々は、国際法の「最大の支持者を自認」し、国際法遵守の「振り」をする国々であるが、同時に、「制度化された国際道徳規範」に敬意を払う国々であり、共通の価値観とソフトパワーの存在に、国際協調による問題解決の基礎を見出そうとする意志を失っていない国々だ。これらの国々の力を結集させることの影響力を軽く見る必要はない。』