※ 今日(5月16日)は、諸般の事情により、お休みする。
カテゴリー: Uncategorized
-
-
スペイン・カタルーニャ州議会選挙 独立派が敗北
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB130UC0T10C24A5000000/『2024年5月13日 9:42 (2024年5月13日 10:25更新)
【パリ=共同】スペイン・カタルーニャ自治州(州都バルセロナ)で12日、州議会(135議席)選挙が行われ、開票率約99%時点で、州の独立を目指す勢力が過半数割れする見通しとなった。反独立のカタルーニャ社会党(PSC)が得票率で1位。約10年間続いた独立派政権が維持できなくなる可能性が出てきた。
2017年10月にプチデモン元州首相率いる政府が独立を問う住民投票を強行してから州議選は3度目。国外に出国したプチデモン派の「カタルーニャのための連合(JXC)」や、アラゴネス州首相の「カタルーニャ共和左派(ERC)」など独立勢力は合計で61議席の確保にとどまり、過半数に及ばなかった。市民の独立機運が以前より下がっている可能性を示している。
PSCは42議席を獲得する見込みだが過半数には届かず、政権を得るには別の党の支持が必要となる。今後、連立協議が政権樹立の鍵を握るが、失敗すれば再選挙の可能性もある。
PSCの勝利は6月の欧州議会選を前に、同じ社会党系のサンチェス首相にとっても追い風となりそうだ。』 -
※ 今日(5月11日)は、諸般の事情によりお休みする。
※ 月曜日(5月13日)から、活動再開の予定です。
-
Category:ウィキペディアのデマ
https://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%81%AE%E3%83%87%E3%83%9E※ 今日は、こんな所で…。
※ 何事にも、デマ、勘違いはつきものだ…。
※ 「鵜吞み」にせずに、自分でいろいろと調べよう…。
『カテゴリ「ウィキペディアのデマ」にあるページ
このカテゴリには 5 ページが含まれており、そのうち以下の 5 ページを表示しています。
う嘘の嘘の新年
お
央端社
ひ
Wikipedia:ビコリム戦争
む
ムツゴールド
ゆ
有職読み
カテゴリ:
ウィキペディアにおける嘘 』
-
愛子さまと卒論テーマの式子内親王:和歌から学ばれた大切なこと
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g02403/『2024.05.09
皇室 文化 歴史 社会 2024.05.09
斉藤 勝久 【Profile】
大学を卒業して日本赤十字社勤務の社会人になられ、国民の注目度が一段と高まった天皇家の愛子さま。「大学における学業の集大成として書き上げた卒業論文」と述べた愛子さまは、テーマである鎌倉時代初期の式子(しょくし)内親王の和歌から何を学ばれたのか、国文学研究資料館長の渡部泰明氏に聞いた。渡部 泰明 WATANABE Yasuaki
国文学研究資料館長。東京大学名誉教授。1957年、東京都生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退。上智大学助教授などを経て2006年から東京大学大学院人文社会系研究科教授、21年に退官し、現職に。著書に『和歌とは何か』(岩波新書)、『中世和歌史論 様式と方法』(18年、角川源義賞受賞)など多数。23年、和歌文学研究の功績で紫綬褒章受章。
中世を代表する女流歌人
愛子さまは今年3月、学習院大学の卒業にあたり、宮内記者会への文書回答で卒論についてこう述べている。
「中世の和歌の授業を履修する中で、和歌の美しさや解釈の多様さに感銘を受けたことから、中世を代表する女流歌人の一人であった『式子内親王とその和歌の研究』という題で執筆を致しました」(要約)
式子内親王は平安末期の1149年、後白河天皇の第3皇女として生まれた。11歳の頃から10年間、葵祭(あおいまつり)で知られる賀茂神社(上賀茂神社と下鴨神社)に奉仕する未婚の皇女「斎院」を務めた。賀茂斎院は伊勢神宮の斎宮(斎王)と並ぶ皇女の重要な務めで、姉は伊勢斎宮となった。
平家が台頭した時代で、式子内親王が31歳の時、父の後白河院は平清盛によって幽閉され、翌年、弟の以仁王(もちひとおう)が平氏追討を源氏に促す命令書を発して挙兵したが、敗れて亡くなった。やがて平家は後白河院の孫にあたる安徳天皇とともに滅亡し、源氏の時代を迎える。42歳ごろに出家した式子内親王は、源平盛衰の動乱期を生き、1201年、53歳で亡くなった。
400首ほどの和歌が残されており、その3分の1以上は天皇や上皇が編さんを命じた勅撰集に入っている。特に後鳥羽上皇の勅命で、鎌倉時代を代表する歌人の藤原定家らによって編さんされた「新古今和歌集」には、女流歌人では最多の49首が収められている。歌人でもあった後鳥羽院は、伯母にあたる式子内親王の歌をとても賞賛していた。
1000年を超える伝統の継承愛子さまが約850年前の式子内親王の和歌を研究された意義は何だったのか。渡部泰明氏はこう話す。
「式子内親王は大変な勉強家で、約200年前の『源氏物語』や、『古今和歌集』(平安初期の最初の勅撰和歌集)など当時の古典も多数読み、十分な教養を身につけた一流の文化人でした。女性たちが集う文化的なサロンも主宰し、式子内親王の和歌の師である藤原俊成(定家の父)の娘も女房(侍女)だったので参加していた。源氏物語などの一節を詠み込んだ優れた歌をつくるなどして、新しい文化を創り出す原動力となったのが式子内親王なのです。源氏物語がその後、男性を含めた多くの人たちに読まれるようになったのは、式子内親王のおかげとも言えます」
「そんなずば抜けた皇族歌人を愛子さまは研究の対象にされた。私見ですが、愛子さまは伝統の継承に気付かれたのでしょう。和歌は歴代の天皇も自ら詠み、また勅撰和歌集に当時の優れた歌が収録されてきたので今日に伝わり、皇室と深いつながりを持っている。愛子さまは1000年の時を超える伝統のすばらしさに気付かれ、ご自分も和歌の精神を受け継ぎ、次の世代に受け渡すということを理解されたのだと思います」
今年1月の歌会始で愛子さまはこう詠まれた。
幾年の難き時代を乗り越えて和歌のことばは我に響きぬ
「この歌は和歌を学んだ方にしか詠めない歌です。愛子さまは『我に響きぬ』と若くして和歌の心を理解された聡明な方であることが、この歌からもよくわかります」(渡部氏)
代表歌の「忍ぶ恋」は本当の体験か百人一首の中で女性の天皇、皇族の歌は、持統天皇と式子内親王の2首だけだ。これは式子内親王の代表歌として知られる。
玉の緒(お)よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする (「玉の緒」は命のことで、私の命よ、絶えるなら絶えてしまえ、生き長らえていると自分の恋を秘めておくことができなくなるから、という意味)
式子内親王は前述したように少女期から賀茂斎院として神に仕え、恋することが許されない身分で独身生活を続けた。その一方で、この歌のように「忍ぶ恋」を多く詠んでいる。
このため、式子内親王の思い人は、邸に出入りしていた13歳年下の藤原定家であるとか、晩年に手紙のやり取りがあったとされる浄土宗の開祖、法然であったなどという諸説が入り乱れている。定家との関係を題材にした能の演目もある。しかし、式子内親王が実際に「忍ぶ恋」をしていたのか、真偽のほどは分からない。愛子さまも斎院、斎宮の恋愛に興味をお持ちなのか、3月に伊勢神宮を参拝した後に訪れた「斎宮歴史博物館」で説明者にこんな内容の質問をされた。
「斎王になった天皇の娘は、恋をしてもいいのでしょうか」
式子内親王を思い浮かべておられたのではないか。「斎王には恋愛は許されなかったから物語になった」という説明に、愛子さまは納得されたようだったという。
和歌から学ばれた「人を思いやる」こと
では、なぜ式子内親王は自分で体験したとは思えない歌を多く残したのか。渡部氏はこう解説する。
「式子内親王の時代である中世和歌の特色だが、『題詠』(だいえい)といい、与えられたテーマに沿って歌を詠むことが多かった。自分の体験なり、思いをそのまま詠むのではなく、他の人の身になって与えられたテーマを詠む、虚構の世界です。例えば『恋』というお題が与えられれば、その歌人は恋の始まりから、終わり、失恋、恨みまで、いくつもの歌を詠んだ。女流歌人が男性になりきって詠むことも珍しくなかった。その思いをきちんと定型に収めて表現するのが和歌です」
それでは、愛子さまは和歌の研究から何を学ばれたのだろうか。
「和歌は、あらゆる人の立場になれる、あらゆる人の身になって思いやることもできるのです。ここからは私の考えですが、愛子さまは和歌を研究して、あらゆる人の身になること、思いやることを学ばれたのではないでしょうか。このことは、これから成年皇族として国民を思い、寄り添っていかれる愛子さまにとって、とても大切なことです」(渡部氏)
愛子さまは4月初め、就職に際しての記者会への文書回答の中で、「皇室の役目の基本は『困難な道を歩まれている方々に心を寄せる』ことでもあると認識するに至りました」と述べている。心を寄せるとはどういうことか、愛子さまは和歌の研究でそれをしっかりと理解されたのであろう。
渡部氏は実を言うと、愛子さまの卒論を指導した中野貴文・学習院大学文学部教授が学生の時、中世和歌を講義で教えたことがある。また渡部氏自身、大学の卒論に式子内親王を取り上げようと準備したこともあったという。
「私の勝手な思い込みですが、愛子さまにご縁を感じております。愛子さまが和歌に興味を持たれたのは素晴らしいことで、これからも生涯を通して、たくさんの和歌を読み、またご自分も和歌を作り続けていただきたい。これから愛子さまにはいろいろなことがあるかと思いますが、和歌がお役に立つこともあるでしょう」
和歌の大先輩から、皇族の公務と日赤勤務の両立を目指して歩み出した“孫弟子”へのエールである。
バナー写真:日本赤十字社に初出勤された天皇、皇后両陛下の長女愛子さま(代表撮影、AFP時事)
この記事につけられたキーワード
愛子さま 和歌
斉藤 勝久SAITŌ Katsuhisa経歴・執筆一覧を見る
ジャーナリスト。1951年東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。読売新聞社の社会部で司法を担当したほか、86年から89年まで宮内庁担当として「昭和の最後の日」や平成への代替わりを取材。医療部にも在籍。2016年夏からフリーに。ニッポンドットコムで18年5月から「スパイ・ゾルゲ」の連載6回。同年9月から皇室の「2回のお代替わりを見つめて」を長期連載。主に近現代史の取材・執筆を続けている。』
-
Appleの取引先、中国企業が増加 米中対立下で綱渡り
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB262WC0W4A420C2000000/『2024年4月30日 16:00
【台北=鄭婷方、黎子荷】米アップルが部品調達や組み立てなどで中国企業との取引を増やしている。
最新のサプライヤー(供給業者)リストによると2023年の取引社数は52社と、前の年と比べて4社増えた。
先端技術を巡る米中対立が激しくなるなかでも中国依存度が高まっており、同社は政治リスクと経営合理化のバランスをとろうと腐心している。
アップルはほぼ毎年、全製品のサプライヤーリストを公表している。最新版では…
この記事は会員限定です。登録すると続きをお読みいただけます。』
『アップルはほぼ毎年、全製品のサプライヤーリストを公表している。最新版では187社が載っており、組み立てや部品、素材など調達額ベースで全体の98%を占める。国・地域別の比率でみると20年以降は中国企業が最も多い。
アップルは中国企業との取引を増やす一方、台湾や日本、米国、韓国からの調達を減らしている。中国にある製造・開発拠点は、同国企業と海外企業が所有する分を合わせて286カ所となった。22年と比べて10カ所増えた。
発光ダイオード(LED)や窒化ガリウム(GaN)を生産する三安光電、チタンやニッケルを供給する宝鶏タイ業といった中国企業が昨年初めてアップルの上位サプライヤーリストに入った。
ハイテク分野での米中対立が先鋭化していることもあり、アップルは東南アジアへのサプライチェーン(供給網)のシフトも加速させている。ベトナムの取引先は4割増の35社となり、タイは3割増の24社に上った。
一方、東南アジア企業からの調達増が中国への依存度低下につながるとは限らない。日経アジアの分析によるとベトナムのサプライヤー35社のうち、4割は中国と香港に本拠を置いていることが分かった。
アップルのワイヤレスイヤホン「AirPods(エアポッズ)」の生産に携わる立訊精密工業(ラックスシェア)や、タブレット端末「iPad(アイパッド)」の組み立てを手掛ける中国比亜迪(BYD)などが一例だ。両社はいずれもベトナムでの生産能力を上げている。
調達先を巡りアップルは米国内の同業と対照的な戦略をとっている。米デル・テクノロジーズは中国製の半導体や部品使用の全廃を目指している。米HPはサプライヤーに対して東南アジアやメキシコでの生産能力の増強を指示している。
(注)23年の調達データに基づく開示。本社所在地別の集計。出所はApple Supplier Lists, Nikkei Asia analysis
アップルのティム・クック最高経営責任者(CEO)は3月に中国を訪れ、主要サプライヤーの幹部や同国の高官らと会談した。上海での旗艦店の新規開業にも駆けつけ、同国での研究・開発部門を拡大すると発表した。
中国国営メディアによると、クック氏はアップルの成功に関わる中国の役割を強調し、「世界で中国ほど我々にとって重要なサプライチェーンはない」と語ったという。
専門家からは「アップルが中国市場で利益を確保し続けたいのであれば、同国のサプライヤーにもうまみを分け与える必要があるだろう」との声があがる。アップルが米中対立を甘受しつつ、今後も中国企業と協力を深めていくとの見方もある。
【関連記事】
・NY株ハイライト アップルに底入れ機運「バフェットのように買え」
・テスラとApple支える中国 日本企業したたかに活用を 』 -
ケビン・ラッド(再掲)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%93%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89※ 『※ いろいろと「物議」を醸すであろう記述もなされているんで、あえて引用しない。
※ 興味のある人は、自分で見て…。
※ しょせんは、wikiに過ぎない…(※ 誰が書いているのか、どの程度の信頼性があるのかも、定かではない)。』…。
※ として、引用しなかった…。
※ しかし、「著作物」を刊行したことだし、引用してもいいだろう…。
※ この「インターネット」のご時世、当然”wiki”の記述くらい取り上げられることは、承知の上だろう…。
※ 著作権フリーなんで、コパイロットなんかの生成AIの材料にされるだろうしな…。
『出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オーストラリアの旗 オーストラリアの政治家
ケビン・マイケル・ラッド
Kevin Michael Rudd
ポートレート(2007年撮影)
生年月日 1957年9月21日(66歳)
出生地 オーストラリアの旗 オーストラリア
クイーンズランド州の旗 クイーンズランド州 ナンボー
出身校 オーストラリア国立大学
所属政党 労働党
配偶者 テレイズ・レイン
オーストラリアの旗 第26代 オーストラリア連邦首相
在任期間 2007年12月3日 – 2010年6月24日
2013年6月27日 – 2013年9月18日
国王 エリザベス2世
総督 マイケル・ジェフリー
クエンティン・ブライス
テンプレートを表示ケビン・マイケル・ラッド(Kevin Michael Rudd、1957年9月21日 – )は、オーストラリアの政治家・外交官。2023年より駐米オーストラリア大使[1]。2007年から2010年までおよび2013年にオーストラリア連邦首相、2010年から2012年までオーストラリア外相、1998年から2013年まで連邦下院議員(クイーンズランド州ブリスベン南部のグリフィス選挙区選出)を務めた。漢字での名は「陸克文」(簡体字中国語: 陆克文)。
来歴ブリスベン北方のナンボーの農家に生まれる。父は国民党の前身の地方党員であったが11歳の時に死別、離農を余儀なくされる。実家は貧しかったが奨学金を得てキャンベラのオーストラリア国立大学へ進学。第一等(Honours)の成績でアジア研究専攻を卒業する。大学では中国語と中国史を専攻し流暢な北京語を話す。中国政府関係者と会談する時は北京語で話すこともある。漢字名「陸克文」の漢字は自ら選んだものである。
カトリック教徒であったがキリスト教学生会で知り合ったテレイズ・レインと1981年に結婚し妻の所属する聖公会の礼拝に出席するようになる。
外交官1981年にオーストラリア連邦政府外務貿易省に入省。1988年に退職するまで外交官として在スウェーデンオーストラリア大使館三等書記官、 在中華人民共和国オーストラリア大使館一等書記官として勤務した[2]。
クイーンズランド州政界1988年に、クイーンズランド州の労働党(当時野党)の党首、ウェイン・ゴスのスタッフとなる。1989年に労働党が同州の政権につくと、1992年まで州首相の首席補佐官となる。1992年には、州政府の内閣官房長官となる。この地位は州の官僚で最も実権のある地位とも言われる。連邦・州・特別地域首相会議 (COAG) でのアジア言語・文化の教育への導入に影響を与える。1995年にゴス政権が敗れると、ラッドは監査法人KPMGオーストラリアの中国コンサルタントに就任した。
連邦下院議員1996年、連邦下院選挙にグリフィス選挙区から出馬し落選。しかし1998年の連邦下院選挙に同じ選挙区から再出馬し当選を果たす。
その後、2001年から野党の外交スポークスマン(影の外相)を務める。2005年6月からは国際安全保障および貿易スポークスマンも兼任した。
2006年12月、当時の労働党党首キム・ビーズリーに党首選挙を申し入れ、同年12月4日、党連邦議員総会での党首選挙に勝利し、労働党の党首に就任する。
2010年6月、党首選挙への立候補を断念した。後任党首はジュリア・ギラード。
首相2007年12月3日、同年11月24日の連邦議会選挙勝利の結果、第26代オーストラリア首相に就任。
以下、ラッド政権の主要な実施事項を述べる。
2007年12月:京都議定書に調印。 2007年12月:イラク駐留のオーストラリア軍部隊を2008年6月までに撤収させる交渉を関係各国と開始。 2008年2月13日:連邦議会で先住民児童政策(「盗まれた世代」)への謝罪演説を行う。 2008年4月:北京大学で北京語で講演し「チベットには顕著な人権問題がある」と発言[3]。 2008年6月8日:首相として初めての来日。 2008年9月3日:豪キャンベラでラッド自身が今回発案し記念日制定した第2次世界大戦下での対日戦勝記念式に出席。 2010年6月24日: 首相職を辞任[4]。
首相としての政策
環境問題に大変関心が高く就任と同時に京都議定書を批准、温室効果ガスの排出削減を発展途上国にも徹底させる方針である。イラクから駐留豪軍を引き上げ、先住民族への公式謝罪も行った。「24時間、7日」と呼ばれる猛烈な働きぶりで、金融危機ではジョージ・W・ブッシュ米大統領を説得し、金融サミット実現に一役買った[要出典]。
金融危機が深刻化すると、追加経済対策として教育や医療の公共分野に151億豪ドルの拠出を決定[要出典]。
総じて就任1年目では野党からは経済政策で「バラマキ政策」との批判を受けながらも、前任のハワード政権との相違を国民に印象付け、就任後2年たった時点でも高い支持率を維持するのに成功した[5]。
就任1年目で最多の20ヶ国を歴訪。しかし、2008年4月の外遊時には日本が訪問先に含まれていなかったために日本軽視との批判を受けた。直後の同年6月に初めて日本を公式訪問する[6][7]。日本では最初に広島を訪れている[8]。また、この日本訪問時に「アジア太平洋共同体」構想を提唱している[9][10]。日豪関係については、捕鯨問題の外交問題化や、中国が反発する日米豪印対話や日豪共同宣言条約化の先送りといった問題が発生した[要出典]。
一方で、中国通であり西側で初めて中国語を話す首脳である[11]ことから、しばしば親中派と見なされ中国への傾斜が一層強まるとも見られていた。しかし、就任当初目玉に掲げていた中国とのFTAでは、2010年にも実施されることが予測された総選挙が近くなるにつれ態度を硬化させて交渉が停滞したほか、中国の軍備増強や中国企業の資源買収に警戒感を強めているとされた[12]。
さらに2009年7月5日には、リオ・ティントの社員4人が産業スパイ容疑で中国当局に身柄を拘束され[13]、その後スパイおよび贈賄の容疑で逮捕される事件が発生した[14]。その一方で、中国ウイグル自治区での騒乱から間もない7月30日、オーストラリア政府は世界ウイグル会議のラビア・カーディル議長に対してビザの発給に踏み切った[15]。これらの問題により、豪中関係は急速に悪化の一途を辿った[16]。
2010年に入ると、4月に目玉政策としていた温室効果ガスの排出権取引制度導入に失敗。さらに6月には鉄鉱石などを採掘する資源会社を対象とした「資源超過利潤税」の導入案が産業界の猛反発を買い、支持率が急落した[17]。
2010年6月24日に実施された党首選挙には出馬せず、副首相のジュリア・ギラードが無投票で後継に選出された[18]。
首相退任後
2011年7月、ボアオ・アジア・フォーラム理事長福田康夫(左)と2010年9月に発足した第2次ギラード内閣において外務大臣に就任した[19]。
2012年2月22日、訪問先のアメリカ・ワシントンで、外務大臣の辞任を表明。2月27日に行われた労働党党首選に立候補するも、31票獲得にとどまり、71票獲得した現党首のジュリア・ギラード首相に敗れた。その後、ギラードの政権運営のまずさなどから支持率は低迷。逆に前党首であるラッドの人気は高く、このため党内から2013年9月に予定されている総選挙を見据え、党首交代を求める声が高まった。2013年3月21日の下院本会議においてラッドに近い閣僚から党首選挙の早期実施を求められたギラードはその場で当日に党首選挙を行うことを表明。この奇襲作戦にラッドは準備不足を理由に出馬断念を表明せざるを得ず、唯一の立候補者であるギラードが無投票・満場一致で党首に再選された[20][21]。
首相再登板2013年6月26日に、オーストラリア労働党臨時議員総会で執行された党首選挙でギラードを下して党首に返り咲いた[22]。この結果を受けてギラードが首相を辞職したことにより[22]、2013年6月27日に再び首相に就任、第2次ラッド政権を発足させた[23]。しかし、ギラードとの内紛により労働党は国民の支持を失い、2013年9月7日に行われた総選挙では保守連合に敗北、6年ぶりの政権交代を許す結果となった[24]。2013年9月18日、首相を退任。
駐米大使2022年12月20日、アンソニー・アルバニージー首相から次期駐米大使に指名された[25][26]。2023年3月に就任[1]。
家族妻のテレイズ・レイン(夫婦別姓)は人材会社を経営するが、ラッドの党首就任時に首相候補夫人が当該国で会社を経営することの利益相反を問題視され事業売却を余儀なくされた。
二男一女の父親で一孫がいる。2007年5月に弁護士の長女(1984年生, グリフィス大学卒)が香港出身の中国系オーストラリア人男性と結婚し2012年に第1子(長女、ケビンにとっての孫娘)が誕生。2012年に弁護士の長男(1986年生, グリフィス大学卒)がマレーシア人弁護士と結婚。次男(1993年生)も兄・姉と同じくグリフィス大学へ進学し、兄と同じく中国学と法学を専攻する大学生である。
先祖の1人は、ドレスと下着各1枚を盗んだ罪で死刑を宣告されたロンドンの路上生活児で、曾々祖父は砂糖を盗んでオーストラリアに送られた流刑者[27]。
著書
『避けられる戦争――米中危機が招く破滅的な未来』(ケビン・ラッド 著、藤原朝子 訳、東京堂出版、2024年2月)
関連項目
プリカッソ - 似顔絵を描いたとされている
脚注
^ a b “HE the Hon Dr Kevin Rudd AC, Australia's Ambassador to the United States”. Embassy of Australia. 2024年3月7日閲覧。 ^ “オーストラリア総選挙は中国が争点、親中派のラッド党首が優勢に”. フランス通信社 (2007年10月31日). 2020年12月15日閲覧。 ^ “豪首相、北京大学で中国語のスピーチを披露”. フランス通信社 (2008年4月9日). 2020年12月15日閲覧。 ^ ギラード氏、豪首相に就任 初の女性 ^ “ラッド豪首相の支持率、過去最高近い64%に上昇=世論調査”. ロイター (2009年9月8日). 2009年9月8日閲覧。 ^ “ラッド豪首相、日本軽視批判のなか6月の訪日計画を発表”. ロイター (2008年4月2日). 2009年6月17日閲覧。 ^ 加治康男 (2008年7月21日). “メディアに軽視されたオーストラリアのケビン・ラッド新首相初訪日の深層”. MediaSabor. 2009年6月17日閲覧。 ^ “中国語自在の西側首脳”. 日本記者クラブ (2008年6月11日). 2009年8月24日閲覧。 ^ 「アジア・太平洋共同体」を提唱する(2008年6月11日) (PDF, 42KB) ^ “「アジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアローグ)講演」 ケビン・ラッド豪州首相”. Australia Web (2009年5月29日). 2009年11月1日閲覧。 ^ “中国、対オーストラリア関係の広大な発展性を確信”. 人民網日文版 (2007年11月28日). 2009年8月24日閲覧。 ^ “中国企業の資源買収に警戒感 豪首相「親中派」から転換”. 日本経済新聞. (2009年6月8日). p. 6 ^ “リオ・ティント社員「スパイ容疑」で拘束認める―中国政府”. サーチナ (2009年7月9日). 2009年7月30日閲覧。 ^ “リオ幹部ら4人を正式逮捕、産業スパイ・贈賄容疑で”. MSN産経ニュース (2009年8月12日). 2009年8月24日閲覧。 ^ “NEWS25時:オーストラリア カーディル議長にビザ”. 毎日新聞 (2009年8月1日). 2009年8月24日閲覧。 ^ “急速に悪化する「豪中関係」、両国で注目集まる―中国報道”. サーチナ (2009年8月24日). 2009年8月24日閲覧。 ^ 窮地の豪ラッド政権 初めて支持率逆転産経ニュース 2010年6月10日 ^ “豪州初の女性首相誕生へ=ラッド首相は党首選辞退-与党労働党” ((日本語)). 時事通信. (2010年6月24日) 2010年6月24日閲覧。 ^ “豪新内閣、週明けにも発足…ラッド前首相は外相” (日本語). 読売新聞. (2010年9月11日) 2010年9月11日閲覧。 ^ “党首選は本日!人気の前首相、不意突かれ不出馬”. 読売新聞. (2013年3月21日) 2013年3月23日閲覧。 ^ “ギラード豪首相が続投へ、党首選で対抗馬なく勝利”. ロイター (ロイター). (2013年3月21日) 2013年3月23日閲覧。 ^ a b ギラード首相が党首選で敗北、退陣表明 ラッド氏返り咲き 豪労働党 産経新聞 2013年6月26日閲覧 ^ ラッド氏が豪首相に就任 総選挙に勝てるか-党の信頼回復がカギ 産経新聞 2013年6月27日閲覧 ^ “オーストラリア下院選、野党保守連合が勝利 6年ぶり政権交代”. ロイター (ロイター). (2013年9月8日) 2013年9月8日閲覧。 ^ “豪、ラッド元首相を駐米大使に”. 時事ドットコム. (2022年12月20日) 2022年12月20日閲覧。 ^ “豪の駐米大使にラッド元首相 中国専門家で元外相”. ロイター. (2022年12月20日) 2022年12月20日閲覧。 ^ “首相の先祖は下着ドロ、豪で見直される流刑地としての過去”. AFP. (2008年8月1日) 2015年1月10日閲覧。
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、ケビン・ラッドに関連するメディアがあります。公式サイト Kevin Rudd - National Archives of Australia ケビン・ラッド - 下院 ケビン・ラッド - 労働党 Kevin Rudd (KRuddMP) - X(旧Twitter)
公職
先代
ジョン・ウィンストン・ハワード
ジュリア・ギラード オーストラリアの旗 オーストラリア連邦首相
第26代
2007 – 2010
2013 次代
ジュリア・ギラード
トニー・アボット
党職
先代
キム・ビーズリー オーストラリア労働党党首
第20代:2006 – 2010 次代
ジュリア・ギラード
先代
ジュリア・ギラード オーストラリア労働党党首
第22代:2013 次代
ビル・ショーテン(英語版)表話編歴
オーストラリアの旗オーストラリアの首相
典拠管理データベース ウィキデータを編集
カテゴリ:ケビン・ラッドオーストラリア労働党の政治家オーストラリアの首相オーストラリア国立大学オーストラリア勲章受章者オーストラリア国立大学出身の人物国立台湾師範大学出身の人物オーストラリアのキリスト教徒クイーンズランド州の人物ジュリア・ギラード1957年生存命人物 最終更新 2024年3月30日 (土) 03:07 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。 テキストはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスのもとで利用できます。追加の条件が適用される場合があります。詳細については利用規約を参照してください。』
-
J.K.ローリング『ハリー・ポッター』シリーズにおける死生観
一騎士道的価値観にみるハリーの「死」ー
130206川村茉由
http://katozemi.yokohama/wp-content/uploads/2017/02/67%EF%BD%9E105%E9%A0%81.pdf※ 今日は、こんな所で…。
※ 『二つ 二つ の場にて、早く死ぬ方に片付ばかり也。別に子細なし。』…。
※ 『別に子細なし。』…。
※ しかし、『ヴォルデモートを完全に倒すには分霊箱をすべて破壊することが必要不可欠であり、つまりハリーは、分霊箱である自分が生き残るべき存在ではないということに気づく』…。
※ ここら辺は、DVDを視ているだけでは、分からんかったな…。
※ さらに、「エクスカリバー」は、アーサー王の差料(さしりょう)だったのか…。
※ 『第2次世界大戦で日本軍が行っていた、航空機ごと敵艦に追突するカミカゼ特攻 隊も、自爆テロの一種とみなすことができるかもしれない。』…。※ こいつ、何言ってんだ…。
いつ、カミカゼ特攻が「民間人」を標的にした…。
察するに、「サムライ」「いくさにん」の子孫じゃ無いな…。※ 『二つ 二つ の場にて、早く死ぬ方に片付ばかり也。別に子細なし。』…。
※ 『別に子細なし。』…。
※ 『図に当たらぬは犬死などといふ事は、上方風の打ち上がりたる武道なるべし。』…。
※ 『毎朝毎夕、改めては死々、常住死身に成て居る時は、武道に自由を得、一生落度なく、家職を仕課すべき也。』…。
※ 『毎朝毎夕、改めては死々、常住死身に成て居る時』ということが、できるのかどうなのかというだけの話しだ…。
『序章
J.K・ローリングの『ハリー・ポッター』シリーズといえば、2001年から公開されたワーナ
ーブラザーズによる映画化作品が記憶に新しい。映画最終作である2011年のディビッド・
イエーツ監督による『ハリー ・ポッターと死の秘宝PART2』は、全世界第8位の歴代興行
収入を記録する大ヒット作品となった。本論文で扱うJ.K・ローリングによる原作小説は、全7巻で構成され、1997年から10年間にわたってロンドンのブルームズベリー社から出
版された。ストーリーは、悪の魔法使いヴォルデモートによって両親を殺され、意地悪な叔母一家に育てられた孤児の少年ハリー・ポッターが、自分が魔法使いであることを知るところから始まる。そしてホグワーツ魔法魔術学校に入学したハリーは、仲間たちととも
に宿敵ヴォルデモートに立ち向かっていく。作者のJ.K・ ロ ーリングは、1965年にイギリス、グロスタシャー州のチッピング・ソドベリーに生まれた女性作家である。エクセター大学に進学して古典とフランス語を学んだ彼女は卒業後、ロンドンに拠点を置く人権擁護団体であるアムネスティ・インターナショナルなどでの仕事を経て、ポルトガルで英語教師の職を得る。
現地の男性と結婚した彼女は長女ジェシカを出産するが、すぐに離婚する。
イギリスに帰国した彼女が赤ん坊を連れて
生活保護を受けるほどの貧窮の中執筆した処女作が、シリーズ第1作目『ハリー・ポッターと賢者の石』であった。『ハリー ・ポッター』シリーズの主軸は、やはりハリーと宿敵ヴォルテモートの戦いである。
その勝敗に強く影響を与えたのが、登場人物たちの死生観であると考える。
本シリー
ズには、全7巻を通していたるところに「死」というキーワードがちりばめられているよ
うに思われる。両親の「死」という犠牲の上で生きる運命を背負わされる主人公ハリー、「死」
を恐れそれに抗ううちに人間らしさを失っていった宿敵ヴォルデモートというように登場人物たちはそれぞれに「死」に直面し、最終的には「死」とどう向き合って生きるかという点がハリーとヴォルデモートの明暗を分けたと言っても過言ではない。「死」とは何か、
「生」とは何かという問題が本作品の中で最も重要なテーマとして提示されているのである。それでは、本シリーズの中でよしとされる死生観、つまり「死」との向き合い方、「生」との向き合い方とは、いったいどのようなものであるのだろうか。
『ハリー・ポッター』シリーズを通して美徳として挙げられるのが勇気、自己犠牲、慈悲の心、弱者への気遣いなどであり、これらは騎士道の行動規範に通じるものである。
また、
それにふさわしい者だけが手にすることができる剣や騎士団という騎士道的なモチーフが- 67 –
物語の鍵を握っていることからも、作品と騎士道精神のつながりを否定することはできない。
本論文のテーマとなる死生観についても、そのつながりは確かなものであるといえる
だろう。忠誠を誓ったものや守りたいもののために戦い、そのために「死」を受け入れる
騎士たちの姿勢は、『ハリー・ポッター』シリーズの中にも見受けられるものであり、両者には共通点が見られる。そのことをふまえ、『ハリー・ポッター』シリーズにおける死生観
を論じるに際して、騎士道的価値観を基準としていく。騎士道とは、中世ヨーロッパにおける騎士階級が従うべきとされた行動規範であるが、その詳しい定義については、第1章
第1節で述べることにする。今回、騎士道を理解するためのひとつの基準として、トマス・
マロリー卿によって著されイギリス最初の出版業者ウィリアム・キャクストンによって著者の死後出版された『アーサー王の死』の中の騎士たちの「死」との向き合い方について考察していく。現代の大ヒットファンタジー小説『ハリー・ポッター』シリーズと中世ヨー
ロッパに由来する騎士道精神のつながりを死生観という観点から探究することによって、現代にも騎士道精神の価値が生き続け、評価され続けているということを検証することによって、単なる娯楽作品ではない『ハリー・ポッター』シリーズの新たな価値を発見することが、本論文の目的である。まず第1章では、騎士道精神や騎士道文学の歴史、アーサー王物語やその中でもトマス・
マロリーの『アーサー王の死』の成り立ち、マロリーの『アーサー王の死』において描かれる死生観について検証する。第2章では、宿敵ヴォルデモート、そして主人公ハリー •ポ
ッターの「死」、作品中に登場する童話集『吟遊詩人ビードルの物語』という観点から『ハリー ・ポッター』シリーズにおける死生観に焦点を当てる。最後に第3章では、両者の共通
点から『ハリー・ポッター』シリーズの中に込められた騎士道的死生観とその価値、またその問題点について考察することで、『ハリー ・ポッター』シリーズの中に騎士道精神が息づいていることから、本作品に新たな価値が発見できるということを結論づける。
一 68 一1.騎士道精神とアーサー王物語
本章では、『ハリー・ポッター』シリーズを考察するための尺度として用いる騎士道精神とアーサー王物語、その中でも特にトマス・マロリーの『アーサー王の死』に関する歴史的
背景を参照しながら、それらの中に見られる死生観について考察する。
1一1.騎士道精神と騎士道文学本節では、中世ヨーロッパにおける騎士の行動規範である騎士道精神と、それを文学作
品として描いた騎士道文学について述べる。文学者の草地伸圭によると、中世ヨーロッパとは一般的に10世紀から16世紀の間の時代を指し、「ゲルマン民族の大移動が終着し定住化が進み、キリスト教の定着に伴う封建社会の成立から始まり、王権が強化され絶対王政が成立し、封建制度が崩壊するまで」1のことを指す。そうした歴史的背景の中で発達した
騎士道とは、『西洋中世史事典』によれば、「軍武に従事する貴族が守るべき世俗的徳性についての捷」2のことを指す。すなわち、馬に乗り鎧を着て敵と戦う騎士身分の行動規範なのである。フランスの騎士道文学者のレオン・ゴーティエによって提唱された、騎士の行動
を支える十戒は次のようなものである。- 不動の信仰と教会の教えへの服従。
- 教会擁護の気がまえ。
- 弱い者への敬意と憐れみ、また彼らを擁護する確固たる気がまえ。
4 .愛国心。
5.敵前からの退却の拒否。
6 .異教徒に対する休みなき、また慈悲なき戦い。
- 封主に対する厳格な服従。ただし、封主に対して負う義務が神に対する義務と
争わない限り。 - 真実と誓言に忠実であること。
9 .惜しみなく与えること。
10.悪の力に対抗して、いついかなる時も、どんな場所でも、正義を守ること。3
騎士道が発展の途を辿った中世はローマ教皇の権力、すなわち教皇権が最高潮の時代であったこともあり、中世における騎士たちは、キリスト教への忠誠を示すような項目も多く含むこれらの規範を目指すべき騎士の姿として戦ったのである。
では、騎士道とはどのように成立していったのだろうか。草地は、騎士の定義について、「いくつかの文献から読み取れる中世における騎士の定義とは、「重武装を装備して馬に乗
って戦う重装騎兵」」4であると述べている。中世初期の1〇世紀、ヨーロッパではマジャー
!草地伸圭,p.243
2 ロイン,p.151
3 オーデン,pp.54-55
4 草地,p.243
-69 –
ル人やバイキングが勢力を広げ、キリスト教の聖地エルサレムが北上してきたイスラーム勢力に占領されるなど、ヨーロッパのキリスト教徒が戦うべき相手の多い時代だったといえる。そんな中誕生したのが外敵と戦うことを職業とする騎士であった。このことについ
て草地は、「それまでは争いを否定していたキリスト教が、平和を求める戦いを神聖なもの
とみなした」5と述べている。ゴーティエによる十戒に「不動の信仰と教会の教えへの服従」
などと並んで「異教徒に対する休みなき、また慈悲なき戦い」が含まれていることからも、
騎士道におけるキリスト教的価値観の影響の大きさと異教徒に対する排他的な姿勢が読み取れる。やがて騎士は、高価な装備や馬を買い揃えることのできる経済的に豊かな人々に
しか務まらない特別な存在となったために、必然的に騎士の世襲化、騎士という階級の成立が進んだのである。ローマ教皇ウルバヌス2世の呼びかけにより行われ、聖地エルサレ
ム奪還を目指して騎士たちが遠征した第1回十字軍の成功をきっかけに、人々の騎士階級
への憧れは募っていった。実際の騎士階級は前述のゴーティエの十戒で謳われているような高潔な存在ではなく戦場での略奪や暴力は日常茶飯事だったが、人々が思い描いていた騎士への理想の姿はその後吟遊詩人によって騎士道文学として歌い継がれていくこととなる。元々は荒れ果てた中世初期のヨーロッパの社会状況や外敵との戦いを余儀なくされて
誕生した騎士という階級、そして騎士道であったが、騎士道精神はその後実際の騎士とは切り離された、中世の人々の理想の騎士の姿として吟遊詩人たちによって語られていったのである。次に、騎士道精神の発展から派生して生まれた騎士道文学について述べる。騎士道文学
とは、ちょうど騎士階級が世襲化され始め、また教皇権が過去最高に強かったインノケンティウス3世の時代とほぼ同じ時期、13世紀ごろに最も流行したとされる。キリスト教の
力が頂点にあった時代に、キリスト教から多大なる影響を受けて成立した騎士道文学も盛
んになったのである。前述のように当時のヨーロッパ、つまりキリスト教文化圏では、イ
スラーム勢力から聖地奪還をすることを目的として派遣された十字軍に注目が集まってい
た。十字軍は全部で8回にわたって派遣され、キリスト教の聖地を悪しき異教の手から守
るための戦いとして人々の注目を集めた。それに伴い、人々の騎士への憧れやその武勇伝
を歌った叙事詩の需要が高まったことが、騎士道文学が発展した背景である。騎士道文学
は、その名の通り騎士の武勲を語った文学作品であり、吟遊詩人によって歌われたものか
ら発展していった。そのような騎十道文学の機運が高まっている時代の中で、アーサー王
物語のような今ではイギリスの子供から大人まで誰もが知っている伝説が成立することと
なった。アメリカの作家で神話研究でも知られるトマス•ブルフィンチは、次のように述べている。騎士道が世界の崇拝を集めてゐた時代、そして、その騎士道のあらゆる努力が異教
の敵に向けられてゐた時代に、文學がそれに刺戟され、騎士たちにとって不の張
り合となるやうな勇氣や敬虔の典型が、歴史だの傳統だのの間に熱心に求められた
5 同上,p.245
-70 –
ことは、不思議ではない。アーサー王とシャールマーニュの二人は、この目的のた
めに選ばれた英雄であった。アーサー王の取り柄は、彼が必ずしも常勝の戰士では
なかったけれども、常に勇敢な戰士であったといふ黑占である。6このように、騎士道は異国の敵を打倒するための騎士の理想の姿として発展した。それら
の流行が文学の世界をも刺激し、吟遊詩人にとって人気の題材となっていた英雄譚が文学
作品としても地位を得たのである。騎士道文学は十字軍などの中世当時の社会状況を受け、
発展するべくして発展し、民衆に広まるべくして広まったものの1つなのであろう。騎士
道文学の中でも本論文で焦点を当てる「アーサー王物語」は、耳にしたことのない人は日
本人でもいないほどの非常に有名な作品である。次節では、そのような作品が生まれた中
世における、人々の「死」の捉え方に焦点を当てていく。1-2.中世における「死」
前節で述べたように、中世は現代に比べてキリスト教の影響が強く、人々の信仰心も強
い時代であった。したがって、「死」という超自然、誰も見たことのない世界に関する思想
にもその信仰心の影響が色濃く表れていると考えられる。中世にかけて発展した騎士道物
語の1つであるアーサー王物語を考察するにあたって、それが書かれた時代の人々の死生
観がどのようなものであったのかを探究していく。中世の時代は、現代よりも「死」が身近なものであった。疫病の流行、十字軍をはじめ
とする戦争、斬首、溺殺、生き埋め、車裂きなどの恐ろしい手法をもってなされる処刑など、人々が「死」を目の当たりにする機会の多さは現代とは比べ物にならないだろう。中世ヨーロッパで猛威を振るった疫病といえば、1348年から1440年にかけて数十年間流行したペストが真つ先に思い浮かぶ。しかしその他にも、コレラ、インフルエンザ、天然痘
など、様々な疫病が人命を奪った。また、前節でも述べたように中世は戦争の時代でもあ
り、兵士として駆り出された人々の多くは、出征先で戦死もしくは病死した。また、為政者は神やキリストの代理人として民を支配し、平和を維持するために必要とあらば悪人の
命を奪うことも躊躇わなかった。そんな「死」と常に隣り合わせでキリスト教の影響力の
強かった中世時代を生きた人々に、「死」そのものや死後の世界について教授したのは、キリスト教であった。中世英文学者の多ケ谷有子は、「中世の人々にとって、四終、つまり、
死、審判、天国、地獄、の教えは、絵空事でもお伽噺でもなかった」7と述べている。現代
に生きる我々にとっては絵空事であり架空のものである死後の世界などに関する思想や伝
承は、彼らにとっては現実そのものであった。したがって彼らの「死」に対する恐怖は肉
体を離れることを怖がるのみでなく、「死」の先にある地獄の苦しみそのものへの恐怖も含
まれているのである。それでは、彼らにとっての「死」、そしてあるべき「生」とはどんな
ものだったのだろうか。
6ブルフィンチ,p.23
7多ケ谷,p.26
-71-前述のように、彼らの死生観に多大なる影響力を与えていたのは、キリスト教の存在で
あった。キリスト教では、人は死後審判を受け、生前の行いによって善人は天国、悪人は
地獄へと向かうと考えられている。天国とは、『キリスト教辞典』によれば、「神の愛と至
福直観から成る彼岸世界の超自然的幸福の場と状態、およびキリストが昇天した栄光の座」
8とされ、生前の行いがよかった者が行くことができる。対して地獄とは、「聖書の中で現世
から遮断された別世界を表す語のうち、陰府<分離された場所>を意味し、神との交渉を
絶たれた孤独な魂が捨て置かれる嘆きの境遇を表す」9とされる。仏教のそれと違うのは、
仏教のそれは六道の1つであり長い時間をそこで過ごすとしてもやがては脱出できるもの
であるのに対し、キリスト教の地獄は永遠の罰であるという点である。「教義的にいえば、
中世時代では、悔俊をせずに大罪を犯したままの状態でこの世を去った魂が永遠の罰を受ける場所」10と捉えられていたのであり、永遠の罰であるからこそキリスト教文化圏の人々
は地獄を大いに恐れた。旧約聖書の時代にまでさかのぼれば、死者は“sheol”という場所に向かうとされていた。
しかし、紀元前597年のバビロン捕囚を経て、死後の行き先は善人と悪人で異なるという
思想が生まれ、それが新約聖書やキリスト教にも受け継がれた。死者の善悪を判断する審
判は、死後すぐに行われる私審判と世の終末に行われる公審判に分けられた。終末は間も
なく訪れると考えられていた初代教会の時代、予想とは裏腹になかなか終末が訪れないこ
とに気づいた人々は、清められれば天国に行くことが可能になる程度の悪人のために、死
後、公審判で最終的な審判が下されるまでの間に自らの罪を軽減できる救いの場所として、
煉獄を作り出した。『キリスト教辞典』によれば、煉獄とは「死者の小罪のある霊魂もしく
は罪の償いを果たさなかった霊魂が、天国に入る前に、現世で犯した罪に応じた罰を受け、
清められる場所」とされ、「生者はミサ、祈り、信心業などによって煉獄の魂の苦しみを和
らげたり、短くしたりすることができる」と言われる口。この煉獄によって人々は死後の世
界に、生前に悔い改めをしていなくても魂が救われる可能性があるという救いを見出した。死後の魂の浄化を信じたのである。煉獄という概念は1274年の第2回リョン公会議で正式
に教理化され、その出来事は、「最悪でも罪を悔いて死にさえすれば、煉獄で償いをすませ
てから天国に行くことができるという現実的な救済ルートを生み出した」・のである。また中世の人々は、「死」と「眠り」を結びつけて考えた。
キリスト教以前の古代世界か
ら、「死」を「眠り」の兄弟とする思想は広く信じられ、例えば古代ギリシアの詩人である
ヘシオドスは、「死」と「眠り」は「夜」を母にもつ兄弟であるとした。英語も含めた複数
の言語で、「死んだ」ことを「眠りについた」と娩曲的に表現することからも、「眠り」と
「死」が文化的に結び付けられていることが見て取れる。このように、「死」を「眠り」と
して捉えるのは、「死」をもって死者の魂の機能がすべて終了するわけではないということ
8 大貫,p.779
9 大貫,p.466
1°多ケ谷,p.23
11大貫,p.1226
曹松田,p.224- 72 –
を表している。
死者は眠りについたというイメージは、死者はいつか目を覚ます、いっか
復活するという蘇りのイメージとなり、遺された者たちを慰めた。歴史学者のノルベルト•
オーラーは、このことについて、「しばしの休息の後再び気力体力充実して目覚めることを
確信して日々眠りにつくように、ある一定の期間が過ぎるとよみがえりの日が来て、新たに永遠の生を授かると期待しながら」13人は死んでゆくと述べている。この復活のポジティ
ブなイメージがイエス•キリストの復活のエピソードに影響を受けていることは明らかで
あろう。「死」とは「生」の終わりではなく現世での暮らしにひと段落つけることを意味し
ているだけで、つまり「生命は奪われるのではなく、死へと変容される」14のである。これまでに考察してきたことから、中世の人々は、死後の魂の浄化、「生」の終わりではない生命の通過点としての「死」を信仰していたことが分かる。
それらはキリスト教の価
値観からくる思想であり、次節で述べる「アーサー王物語」、特にマロリーの『アーサー王
の死』などの騎士道物語もまた、キリスト教の影響下で発展してきた作品であることは否定できない。アーサー王の伝説自体はキリスト教に由来しないものであっても、騎士とい
う階級はキリスト教の聖地を守るための十字軍から派生したものであり、騎士の武勲を語るために生まれた物語として『アーサー王の死』がキリスト教的価値観を引き継いでいないとは考えにくい。また、中世の時代に読み物として『アーサー王の死』を楽しんだ人々
の感性に合わせて物語が作られていると考えられることからも、『アーサー王の死』はキリ
スト教的価値観を騎士道的価値観の中に込めているということが言えるだろう。1-3.アーサー王物語における死生観
本節では、トマス・マロリーの『アーサー王の死』において描かれる死生観について論
じていく。『アーサー王の死』とは、「アーサー王物語」をまとめた書物の1つである。
ヨ一ロッパで生まれ現代まで読み継がれてきた「アーサー王物語」とは、アーサー王や円卓
の騎士にまつわる伝説や物語のことである。特にイギリスでは、多くの人が子供の頃から
触れながら育った作品といえる。ここでは、第1節で述べた騎士道文学の中でも、本論文
で特に取り上げる「アーサー王物語」について述べる。まず「アーサー王物語」の成り立ちについて述べる。
イギリスの中世学者、伝承学者で
あるジョン•マシューズは、アーサー王物語の成り立ちについて、「アーサー王物語とは、6世紀のアーサーという指揮官を主軸に、古代神話に登場する、同名または似た名前の英雄
を組み入れた結果として生まれたものだというのが、ほぼ確実視されている」建と述べている。アーサーという人物が実在したかどうかは現在明らかとされていないのも事実だが、
聖ギルダスの『ブリタニア衰亡記』などの歴史書によると、アーサーという名のブリトン人の指揮官が6世紀に実在したとされ、実際に指揮官としてサクソン人の侵攻からブリテ
ンを守るなどの活躍を見せていたようである。彼の英雄譚が口伝で後世に伝えられていく
中で、イギリス各地に伝わる神話や伝説と融合し、膨らんでいった。その物語群は12世紀
13 オーラー,p.94
14 同上,p.94
15マシューズ,p.13
-73 –
に、ジェフリー・オブ・モンマスという人物によって『ブリテン列王史』という書物にまとめられた。この書物の内容が吟遊詩人たちによって歌われ、ヨーロッパにおいて広く知
られる人気の騎士道物語としての地位を確立していったのである。それに伴って「アーサ
一王物語」は一部のケルト神話のみならずヨーロッパ各地の英雄譚を吸収し、各地で英雄として語り継がれる存在であった騎士がアーサー王の臣下として「アーサー王物語」に登場するようになったのである。アーサー王のモデルとなったとされる6世紀の指揮官アーサーは、ブリテン島でお互い
に対立し合っていた異民族たちを結束させてサクソン人との戦いに挑んだとされている。
文学者の草地は、アーサーが異民族を集結させて外的の侵略に抗ったという歴史的事実を象徴するのが円卓という概念であると述べており、実際の歴史的英雄譚はこのようにさまざまな形で物語の中に反映されていることが分かるだろう16。長きにわたって語り継がれて
きたアーサー王の伝説だが、前節で述べた外敵の出現によって争いに積極的ではないキリスト教が教えや国を守るための戦いを容認したという背景も含めた需要から、その他の騎士道物語とともに発達し中世で人気を博したと言える。加えて、神話的歴史の中のアーサ
ーが外敵を拒みながらも同じブリテン島の中の異民族と力を合わせて戦ったことを受け、12世紀以降に騎士道物語として発展した「アーサー王物語」はヨーロッパ全土の異国の英雄譚を柔軟に受け入れ、いわば多国籍的な文学作品に成長したのだろう。その後、前述の
ように「アーサー王物語」はヨーロッパ全土で各地の英雄譚を吸収し、その結果ジェフリーの『ブリテン列王史』を基に各国の土着の物語が融合した1つの物語群を、15世紀末に
サー・トマス・マロリーが『アーサー王の死』として1冊の本にまとめ上げたのである。『アーサー王の死』がマロリーによって著されたのは1469年のことであり、2016年の
現在からは正に550年ほど遡る。『アーサー王の死』が著されてから現代に至るまでの文学
的なそれの立ち位置は、以下のとおりである。その初版完成の時期は、イギリスではテユ
ーダ一朝の創始者ヘンリ7世の時代であり、ヘンリ7世の祖先はアーサー王であるという
話が王権によって王権維持のために広められた。これが、「アーサー王物語」の人気が後押
しされた要因の1つとなる。しかし、その人気は1634年の重版のあとは低迷していく。
デカルト17の思想の広まりもあり、目に見えない神や伝説よりも人間そのものの価値が向上し
たことも要因の1つとして挙げられる。これに伴い、18世紀に入ると近代小説の人気が高
まる。先が読めるお決まりのロマンス、理由のない運命的な出来事によって物語が展開す
るおとぎ話よりも、登場人物の微妙な性格の違いによって物語が発展していく近代小説の方が好まれたのであった。その頃『アーサー王の死』は見向きもされなかったが、桂冠詩
人テニスンによる18世紀後半の詩集『国王牧歌』による人気の再燃を経て、19世紀後半のヴィクトリア朝時代には、皮肉なことにヴィクトリア朝的道徳観によって卑猥な場面を抜き取られるなどの改竄を繰り返されながら、再び日の目を見るようになる。そのような改
竄版や本文校訂、有名なビアズリーによる挿絵版など様々な版が登場し、『アーサー王の死』
迪草地,pp.244-245
17フランスの哲学者。一切を方法的に疑った後、疑いえぬ確実な心理として「考える自己」
を見出した。
-74 –
含む「アーサー王物語」は現在に読み継がれてきた。著者サー・トマス・マロリーは、1400年頃ウォリックシャーのニューボールド・シヴェ
ルに生まれた人物である。彼は、従軍、結婚、育児など当時のごく普通の人生を歩んでい
たが、40歳を過ぎた頃から謀殺未遂、ゆすり、窃盗、強姦、強奪などの犯罪に手を染め、何度も投獄されていたようである。彼は著作の中で自身について「牢獄の騎士」と記し、
1469年から1470年の間に獄中で『アーサー王の死』の一部あるいは全部を著したと言わ
れている。それをマロリーが作品を書き上げた15年後の1485年に印刷•出版したのがマ
ロリーと同時代のイギリス最初の印刷業者として知られるウィリアム・キャクストンであるが、1934年にイギリスのパブリックスクールであるウィンチェスター ・カレッジで、マ
ロリーのサイン入りの同作品の写本が発見されたことにより、マロリーによる『アーサー王の死』の原書にはキャクストンによる「キャクストン版」とウィンチェスターで発見された「ウィンチェスター版」の2種類が存在することとなった。同作品の散文が秀逸であ
ることや、スペンサーやスコット、モリスなどのルネッサンス以降の英文学やワグナーのオペラなどに大きな影響を与えたことからも、「キャクストン版」の文学史における存在は絶大なものであったと言える。『アーサー王の死』は騎士道物語であり、物語のプロットの中心となっているのはアー
サー王をはじめとする騎士たちの武勲である。その中で著されている避けて通ることができないテーマとして、騎士たちの「死」、そして「生」というものが挙げられる。英文学者
の福江千帆は、トマス・マロリーの『アーサー王の死』の中で描かれる「生」と「死」について、「アーサー王の物語に登場する騎士たちの生き方が、もっとも顕著に表れるのは彼らが死す時だ」脇と述べている。それぞれに課された試練や冒険の果てにある慰安に満ちた
天上世界へ至る点が人間の「死」であり、死す時にこそ彼らのそれまでの生き方が騎士という身分にふさわしかったかどうかを知るときなのである。つまり福江によれば、『アーサ
一王の死』の中で登場人物がどのように「死」を迎えたか、どのように「生」を全うしたかということが、その人物がいかに騎士として理想的な人物であったかを表す指標となっているのである。それでは理想的な騎士とはどのようなものであったのかという点について、騎士道研究
者のテレンス・マッカーシーは次のように述べている。Knights are devoted to adventure, to seeking the events that fortune will bring. They put
themselves at the mercy of chance: their lives are dedicated to risk not prudent domesticity,
fbr their readiness to face the unknown means flaunting prudence. Their devotion to action is
so total that they appear at times willful and unreasonable. Naive too, since a knight gives
himself wholeheartedly and instantly to the cause.19
18福江千帆,p.95
19 McCarthy, p.l〇
-75 –マッカーシーは、冒険や運命にその身を捧げ危険へと立ち向かう姿こそが、騎士の理想とする姿であると述べている。
そのために騎士が必要としたのが、「死」の克服であった。冒
険や運命のために自らの命を危険にさらすことになったとしても、それを受け入れ決して躊躇しないということが、騎士の美徳として騎士道物語の中の騎士たちによって体現されてきたのである。また、福江は、騎士として「死」の恐怖を乗り越えることによって、つまり「死」への
恐怖という枷をはずすことによって、「生」の輝きを得ることができると考えられていたの
ではないかと述べている2〇。「死」はたしかに悲劇ではあるけれども、それを受け入れるこ
とによって騎士たちは解放された「生」を生きることが可能になると考えられていたのである。それが、騎士道の観点から見て理想的な「死」の受け入れ方、それによる「生」の
変化なのである。「死」を恐れながら生きるのではなく、「死」から解放された「生」を生きることがよしとされたのである。また、作中では「死」は、「生」の終わりという悲劇ではなく、新世界への「船出」としても描かれている。
これには、マロリーによって物語が描かれた当時強大であったキリス
卜教の影響力が表れていると考えることができる。神に祈りを捧げた者、つまり現世でよ
しとされていた祈りを捧げるという行為に身を捧げた者は死後楽園で永久の祝福を受ける
ことができるというキリスト教の思想と切っても切り離せないものなのである。
もちろん『アーサー王の死』の世界には、「船出」ではなく悲劇としての死も存在するが、
両者の違いは、自ら「死」を迎え入れているかどうかということである。悲劇としての「死」
は、作中で処刑として描かれるものや、戦いを放棄していたのにも拘わらずもたらされた
予期せぬ「死」のことを指すと考えられる。作品を読んだ中世の人々はこれらの「死」を、
神による罰だと考え、望ましくないものとした。福江は、アーサー王たちの「死」はこれ
とは異なり、天から与えられた道を歩んだ果てにあるものであるために神からの罰などで
はありえないと述べている21。彼らの「死」は現実の中世の人々が恐れていたような無慈悲
な疫病や処刑によるものではない、「罰ではない死」として提示されているのである。マロ
リーによる『アーサー王の死』の中でよしとされる「死」は、自ら両手を広げて受け入れ
た「死」、「死」を自らの冒険の結果として潔く招き入れる行為なのである。
これらのことから、トマス・マロリー『アーサー王の死』の中で騎士として理想的とされ
ている「死」の特徴として、試練や運命の達成のために「死」を受容しながら生きること、
「死」は終わりではなく新しい「船出」と捉えられていること、そして「死」の恐怖を受
け入れる姿勢が重要視されていることが挙げられる。それでは、『ハリー ・ポッター』シリ
ーズにおいて、「死」や「生」はどのように描かれているのだろうか。次章では主人公ハリ
ー、宿敵ヴォルデモート、作中に登場する童話集『吟遊詩人ビードルの物語』という3つ
の観点から、『ハリー・ポッター』シリーズにおいて描かれる死生観を探究する。2〇 福江,p.97
21福江,p.99
-76 –2.『ハリー・ポッター』シリーズにおける死生観
序章でも述べたように、『ハリー・ポッター』シリーズの中には「死」や「生」というテーマがいたるところにちりばめられている。
登場人物たちはそれぞれに「死」や「生」と
向き合い、それらをどう受け入れるか、それとも受け入れずに抗うかという決断をしてい< 〇また、作中に登場する童話集には、「死」との向き合い方、正しい「生」の生き方など
の教訓を読み取ることができる。本章ではそういった登場人物たちや、童話集に見られる
死生観の描かれ方について考察していく。2-1.ヴォルデモートからみる死生観
ヴォルデモートとは、主人公ハリー・ポッターの宿敵である闇の魔法使いの名である。
魔
法界で恐れられるあまり人々は彼の名前を口に出すことさえ恐れ、「例のあの人」、「名前を
言ってはいけないあの人」、「闇の帝王」など様々な呼称が存在する。本節では、物語の中
でもひときわ特徴的な彼の死生観に焦点を当て、作中の死生観のあり方を探究していく。
『ハリー ・ポッター』シリーズの物語の発端は、彼が最強の闇の魔法使いとして名を馳
せていた頃に、赤ん坊だったハリーを殺そうとポッター家を襲撃したことである。彼がそ
のような行動を起こしたきっかけは、自分を打ち倒す力を持った者が近づいているといった内容の予言を耳にしたことであった。彼はそれがハリー・ポッターという生まれたばかり
の男の子であると推測し、赤ん坊のうちにハリーを殺してしまおうとポッター家襲撃を実行したのである。ところがハリーに向けられたヴォルデモートによる死の呪いは彼自身に
はね返ったためヴォルデモートは瀕死の重傷を負い、赤ん坊のハリーは生き残るという結果に終わった。そうして成長したハリーとよみがえったヴォルデモートは、運命の宿敵と
して何度も戦っていくことになる。まず、ヴォルデモートの生い立ちと、そこから読み取ることができる彼の死生観につい
て考察する。ヴォルデモートは、元々はトム・マールヴォロ •リドルという名の男の子であ
った。トム・リドルという彼の本名は彼の父親と同一であるため、ここからはヴォルデモ
ートとなる以前の彼をトム・リドル・ジュニア、彼の父をトム・リドル・シニアと呼ぶ。
彼の母で魔女のメローピー・ゴーントは、主人公ハリーたちが通うホグワーツ魔法魔術学校の創設に関わった1人であるサラザール・スリザリンの末裔であった。スリザリンは純血
主義の魔法使いとして知られるが、ここで言う純血主義とは、魔法力のない人間であるマグルを蔑視し、家系にマグルの血が混じっていないことを誇りに思う魔法使いの思想を指す。メローピーは純血主義の父親マールヴォロ ・ゴーントと兄モーフィンとともに暮らして
いたが、近所に住むマグルのトム•リドル・シニアに恋をする。次の引用には、娘メローピ
ーが汚らわしいマグルの男に恋をしていると知ったときの、父ゴーントの怒りょうが表れている。「本当か?」
ゴーントは恐ろしい声でそう言うと、怯えている娘にー、二歩詰め寄った。
「おれの娘が-サラザール・スリザリンの純血の末裔が 穢れた泥の血のマグ
-77 –
ルに焦がれているのか?」[……]「このいやらしいスクイブめ!血を裏切る汚らわしいやつめ!」
ゴーントは吠え哮り、抑制がきかなくなって娘の首を両手で絞める。22 23 24
ゴーントは怒りのあまり、「スクイブ」という魔法族に生まれながら魔法力に劣る人間を蔑
む呼び方で娘を罵っている。ここまでマグルを毛嫌いしている家庭で育ったメ ローピーが
堂々とマグルであるトム・リドル•シニアへの恋心を示すことができるはずもなく、彼女
は彼に魔法をかけて自分に恋をしているように思わせ、駆け落ちに持ち込んだ。メローピ
一はやがて男の子を身ごもるが、愛するトムを魔法で素案従させることに罪悪感を抱いて彼にかけた魔法を解くと、トムはメローピーの元を去ってしまう。魔法で作り出した2人の
関係には愛はなかったのである。魔法を用いても愛を作り出すことはできないという言及
は作中を通してされているため、このような価値観は物語において重要な要素であると捉えることができる。1人取り残されたメローピーは、貧困の中出産を待った。彼女は大晦日の夜に孤児院で
男の子を出産すると、その子にトム・マールヴォロ •リドルと名前をつけ、亡くなった。
第6巻『ハリー ・ポッターと謎のプリンス』において、この頃のメローピーについてハリー
の師であるダンブルドアは、メ ローピーが愛する夫に捨てられた悲しみから気力を失い、
生まれてくる息子のために生き延びようとしなかったと語っている。メローピーは、自身
の子供のために傷ついた自分を奮い立たせようとする勇気を持ち合わせておらず、自ら死を選んだのである。ここで生まれてくる息子が後のヴォルデモート卿、トム・マールヴォロ ・リドルであるが、
この生い立ちが後の彼の信条に大きく影響を与えたと考えることができる。次の引用は、
孤児院で育ったりドル少年のもとをダンブルドアが訪れ、少年が魔法使いであることを伝えホグワーツへの入学を勧めた場面のものである。「僕の父さんは魔法使いだったの?その人もトム・リドルだったって、みんなが教え
てくれた」「残念ながら、私は知らない」ダンブルドアは穏やかな声で答える。
「母さんは魔法が使えたはずがない。使えたら、死ななかったはずだ」
ダンブルドアにというよりはむしろ自分に向かって、リドルが言った。23
この引用から読み取れるように、トム・リドル•ジュニアは母の死と魔法力の有無を結び
つけて考えており、魔法力がない者とは生きる能力のない弱い者であると解釈するようになったと考えられる。「人間の恥ずべき弱みである『死』に屈した女」混として母親を軽蔑
するようになったリドル少年は、次に自分の父方のルーツにたどり着く。父親が汚らわし
22 j.k・ローリング『ハリー•ポッターと謎のプリンス』n,p.3i
23 J.K・ ロ ーリング『ハリー ・ポッターと謎のプリンス』π, p.133
24 同上,p.278
-78 一
いマグルで、高貴な血筋の魔女であった母親を見捨てて死に追いやったという事実が判明すると、彼は父親を見つけ出して殺害した。ダンブルドアはトム•リドル•ジュニアの行
動について、「自分にふさわしくないリドルの家系の最後の人々をこのようにして抹殺する
と同時に、自分を望むことがなかった父親に復讐した」25のだと推測している。これらのこ
とから彼は、魔法力があるにも拘らず自分のために生きようとせずに亡くなった母親の存在を受けて、極端に死を拒み生に執着するようになった。そして母親を死に追いやり自分
を見捨てたマグルの父親の存在を受けて、自分も魔女とマグルのハーフでありながらマグルを憎むようになっていったということが分かるだろう。父であるトム・リドル•シニアが汚らわしいマグルであると悟ったときから、彼は父から
受け継いだリドルという名前を捨て、ヴォルデモート卿と名乗り始める。そして自らを「死」
に屈しない存在へと高めるために、分霊箱を作ることを決めるのである。分霊箱とは、魂
の一部を隠す入れ物を指す。下記の引用は、ホグワーツ在学中のリドル少年、後のヴォル
デモート卿が、スラグホーン教授に分霊箱について質問している場面である。リドルは「死」
に屈しない存在になるための手段を模索した結果、自身の魂を殺人によって分断して分霊箱を作るという闇の魔術にたどり着く。そして彼は結果的に7つの分霊箱を作ることを目
指し、蛇、日記などの7つの容器に自身の魂のかけらを封じ込めることに成功する。7つもの分霊箱を作れば、他人は彼を簡単には殺すことができなくなる。常人よりも死に難いのは確かであるが、作品の中では、分断された魂の状態は決していいものではないということが示されている。「……トム、それを望む者はめったにおるまい。めったにはな。死のほうが望まし
いだろう」しかし、リドルはいまや欲望をむき出しにしていた。渇望を隠し切れず、貪欲な表
情になっている。「どうやって魂を分断するのですか?」[……]
「魂は完全な一体であるはずだということを理解しなければならない。分断するの
は暴力行為であり、自然に逆らう」26スラグホーンは、魂の分割をしてまで「生」にしがみつくよりは「死のほうが望ましい」と発言している。
「魂は完全な一体」でなければならないにも拘らず、それを殺人という邪
悪な行為で引き裂くというタブーを犯したヴォルデモートの末路が、次に示す引用に表れている。死の呪いが自身にはね返り、分霊箱のおかげで死には至らなかったものの生死の
境をさまよって苦しんだときのことを語る彼の言葉である。「[……]痛みを超えた痛み、朋輩よ、これほどの苦しみとは思わなかった。俺様は肉
25 同上,p.284
26 J.K・ ロ ーリング『ハリー •ポッターと謎のプリンス』m, pp.128-129
-79 –
体から引き裂かれ、霊魂にも満たない、ゴーストの端くれにも劣るものになった…
••・しかし、俺様はまだ生きていた。それをなんと呼ぶか、俺様にもわからぬ……」27先の引用の中のスラグホーンの言葉からも、魂を分割することとは、死の方が望ましいと言われるほどの邪悪な魔法であることがわかる。
そのような魔法を使ってまでも、ヴォル
デモートは頑なに「死」を拒み、「生」に執着したのである。「死」によって母を失い、「死」
こそが人間の一番の弱み、そして絶対に屈してはいけない敵だと見なすようになったヴォルデモートにとっての「死」の克服とは、文字通り死なない存在、生き続ける存在となることだったと解釈できる。ヴォルデモートが「死」を受け入れる勇気を持つことができな
かったということが、物語の展開にどのような影響をもたらしたのか、主人公ハリーの死生観と対比しながら、次節でも引き続き考察していく。2 — 2 .ハリー・ポッターからみる死生観
前節で確認したように、ヴォルデモートは分霊箱を作って自身の魂を7つにも分断する
という邪悪な魔法を行使し、何があっても死なない存在を目指すことで「死」を克服しょうとした。主人公でありヴォルデモートと敵対するハリーも「死」を克服しようとしたことには間違いないが、2人の違いはどこにあったのだろうか。「死」を恐れ、頑なに「生」
に執着したヴォルデモートに対し、ハリーはどのように「死」や「生」を見つめたのだろうか。ハリーと宿敵ヴォルデモートにはいくつもの共通点が見受けられるが、その中でも特に
重要であると思われるのが、両者ともに孤児であるという点である。前節でも述べたとお
り、ヴォルデモートの母は愛する相手に魔法をかけて心を操っていたため、真実の愛で結ばれていない2人は魔法が解けたときに別れてしまう。妊娠していた彼女は孤児院でヴォ
ルデモートを生むとすぐに亡くなり、ヴォルデモートは両親を知らずに孤児院で育った。
一方でハリーは、赤ん坊のころにヴォルデモートに両親を殺され、同じく親の顔を知らずに育つ。両者とも両親を知らずに育っているが、それぞれの母親と自身のつながりが、両
者の違いを生み出したのではないだろうか。ヴォルデモートの母メローピーは、自分を必
要とする息子がいるにも拘らず愛する人に捨てられたショックから死を選んだ。ヴォルデ
モートは母の愛を感じることができなかったのである。ではハリーの場合はどうだろうか。
ハリーの母、リリ—ポッターは、赤ん坊であるハリーを守ろうとし、ヴォルデモートの
手にかかって死んだ。親が子を守るという一見当たり前のように思える行動だが、息子を
愛する気持ちからの自己犠牲という彼女の行動は、後にハリーを守る力になっていった。
そのことについて、ダンブルドアは次のようにハリーに諭した。きみの母上は、きみを守るために死んだ。ヴォルデモートに理解できないことがあ
るとすれば、それは愛じや。きみの母上の愛情が、その愛の印を君に残していくほ
27 J.K・ ロ ーリング『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』HI, p.252
-80 –
ど強いものだったことに、彼は気づかなかった。傷跡のことではないぞ。目に見え
る印ではない・•••••それほどまでに深く愛を注いだということが、たとえ愛したその
人がいなくなっても、永久に愛されたものを守る力になるのじや。28 29 30ハリーは、両親の死は彼への愛情からくるものだったということ、そしてその愛が彼を守
る強いカとなることを知る。実際に第1巻『ハリー・ポッターと賢者の石』でヴォルデモー
卜に加担してハリーに襲いかかってきたクイレル教授のような「憎しみや欲望、野望に満
ちた者、ヴォルデモートと魂を分け合うような者」29は、ハリーを守る母リリーの愛の力ゆえに、ハリーに手出しができなかった。また、このような物理的な意味だけでなく、精神
的な意味でもハリーは愛の力によって守られている。次の引用は、第6巻『ハリー ・ポッタ
一と謎のプリンス』におけるダンブルドアのハリーに対する個人授業の一場面である。「きみがこのことを理解するのが肝心なのじや!」
[……]「[……]きみは一度たりとも闇の魔術に誘惑されたことがない。けっして、一瞬たり
とも、ヴォルデモートの従者になりたいという願望を、露ほども見せたことがな
い! J「当然です!」ハリーは憤る。「あいつは僕の父さんと母さんを殺した!」
「つまり、きみは、愛する力によって護られておるのじや!」3〇母リリーがハリーに与えた守りだけでなく、両親が自分のために犠牲になったという経験そのものがハリーを闇の魔術の誘惑から守る精神的な盾となっている。
ヴォルデモートに
は母親の自分に対する愛を感じた経験がないゆえに、母親の死を弱さと結びつけ、彼女のように「死」に屈しまいとした。一方でハリーは、母リリーの犠牲は自分を守るための尊
いものであると理解しているために、「死」とは必ずしも拒むべきものではなく、「死」に
向かう姿勢が重要であることに気づいていくのではないだろうか。先の引用に続く場面で
は、ハリーがダンブルドアとの激しい議論を経て「死」の受け入れ方を悟っていることが分かるー文がある。ハリーはやっと、ダンブルドアが自分に言わんとしていることがわかった。
死に直
面する戦いの場に引きずり込まれるか、頭を高く上げてその場に歩み入るかのちが
いなのだ。その二つの道の間には、選択の余地はほとんどないという人も、おそら
くいるだろう。しかし、ダンブルドアは知っている——僕も知っている。そう思う
と、誇らしさが一気に込み上げてくる。そして、僕の両親も知っていた——その二
28 J.K・ ロ ーリング『ハリ—ポッター <と賢者の石』II, p.231
29 同上,p.231
30 J.K. ロ ーリング『ハリー •ポッターと謎のプリンス』m, p.150
一 81一
つの間は、天と地ほどにちがうのだということを。31つまり、ヴォルデモートは「死」に直面することそのものを避けるために分霊箱を作るという手段を講じたのに対し、ハリーや彼の両親は「死」に直面することから逃げず、場合によってはそれを快く受け入れる勇気を持っていた。
その点が両者の最大の相違点だとい
うことが述べられているのである。そして最終巻『ハリー ・ポッターと死の秘宝』の中で、実際にハリーの「死」を受け入れ
る勇気が試される。ホグワーツでの最終決戦のさなかハリーは、自分がヴォルデモートも
予期せず作ってしまった7つ目の分霊箱であることを知る。赤ん坊のハリーがいるポッタ
一家をヴォルデモートが襲撃したあの夜、自らによる死の呪いがはね返って砕けたヴォルデモートの魂のかけらの1つが、近くにいた生きた魂、つまりハリーの魂に付着していた
のである。ヴォルデモートを完全に倒すには分霊箱をすべて破壊することが必要不可欠で
あり、つまりハリーは、分霊箱である自分が生き残るべき存在ではないということに気づ<〇恐怖が、床に横たわるハリーを波のように襲い、体の中で葬送の太鼓が打ち鳴らさ
れる。死ぬのは苦しいだろうか?何度も死ぬような目にあい、そのたびに逃れては
きたものの、ハリーは死そのものについて真正面から考えたことはない。どんなと
きでも、死への恐れより生きる意志のほうがずっと強かった。しかし、いまはもう
逃げようとは思わない。ヴォルデモートから逃れようとは思わない。すべてが終わ
った。ハリーにはそれがわかっている。残されているのはただ一つ。死ぬことだけ。
32
この引用からは、ハリーは自分が「死」を受け入れるべき時機が来たことを冷静に受け入
れていることが分かる。ハリーは、「死」の恐怖やそれに伴う心臓の音などを強く感じなが
らも、ヴォルデモートのように「死」から逃げようとせずに冷静に受け入れているのであ
る。ヴォルデモートの息の根を止めるという使命のために、自分の命をなげうつことを躊
躇してはいない。自分の使命に向き合って孤独に死にに行く勇気が、ハリーには備わって
いたのである。そしてハリーは、ヴォルデモートの待つ森へと向かう。これまでハリーの
ために死んでいった仲間たちや友人たちを想い、心の支えにしながら、ヴォルデモートの
死の呪文を受ける。
ヴォルデモートの呪文に倒れたハリーは、真つ白な空間で目を覚ます。そこは生死の境
目のような場所であると考えられ、第6巻で落命したダンブルドアがハリーの前に現れる。
ダンブルドアは両手を広げて、「死」に立ち向かったハリーを「勇敢な男」と賞賛する。 * *
31J.K・ローリング『ハリー ・ポッターと謎のプリンス』HI,p.153
32 J.K・ ロ ーリング『ハリー ・ポッターと死の秘宝』HI, p.276
一 82 一
「でも……」ハリーは反射的に、稲妻形の傷痕に手を持っていくが、そこに傷痕は
なかった。「でも、僕は死んだはずだ——僕は防がなかった!あいつに殺されるつも
りだった!」
「それじやよ」ダンブルドアが言う。「それが、たぶん、大きなちがいをもたらすこ
とになったのじや」33 34
ダンブルドアは、ハリーが「死」を迎え入れ、その運命を受け入れたことが、ヴォルデモ
ートとの違いを生んだとハリーに説く。第4巻『ハリー•ポッターと炎のゴブレット』でヴ
ォルデモートとハリーが対決したシーンについても、ダンブルドアは次のように述べてい
る。
あの夜、ハリーよ、あの者のほうが、きみよりももっと恐れていたのじや。きみは
死ぬかもしれぬということを受け入れ、むしろ積極的に受け入れた。ヴォルデモー
卜卿には決してできぬことじや。きみの勇気が勝った。34
ハリーには、「死」という運命に立ち向かうための勇気が備わっており、それはヴォルデモ
ートには見られないものであるということが分かる。「死」を頑なに拒否し、魂を分割する
という間違った方法で自らを不死の存在にしようとしたヴォルデモートに対し、ハリーは
「死」を、受け入れるべきものとして捉えた。「頭を高く上げてその場に歩み入」ったので
ある。一度「死」を受け入れたハリーが現世に戻ってくることが可能になったのは、一度
死ぬことで自身の中にあるヴォルデモートの魂のかけらを消滅させ、その上で未だ生きて
いるヴォルデモートの中に流れる自身の血によって現世とのつながりが保たれていたから
である。もし仮にヴォルデモートがハリーより先に「死」を受け入れていれば逆のことが
起こったと考えられることからも、「死」を受け入れる勇気を持ち一旦は自らの「死」を受
け入れたからこそ、ヴォルデモートに勝つことが可能になったと考えることができるだろ
う。一方でヴォルデモートは、「人間の恥ずべき弱み」に屈しないために自分の魂を分割ま
でしたにも拘らず、つまり、誰よりも「死」を拒否する姿勢が強く見られるにも拘らず、
皮肉にもその「死」を拒否する強い想いが要因となってハリーに敗北したと考えることが
できる。
前節から考察してきたヴォルデモートの死生観とハリーの死生観を比較すると、両者の
「死」の捉え方に大きな相違が見られることが分かる。ヴォルデモートは、魔法力を持つ
ていたにも拘らず「生」を諦めて死んだ自身の母親に関する経験から、死ぬことは弱さを
意味するとし、「死」を絶対的に拒否している。対するハリーは、両親が自分のために「死」
を選んだことを知っており、そのような選択をした両親を尊敬してさえいる。そのような
両親への尊敬の想いから、彼は「死」を人間の弱点であるとは考えず、そのために最終的
33 同上,p.299
34 J.K・ ロ ーリング『ハリー ・ポッターと死の秘宝』m, p.304
-83 一
には自身の「死」を受け入れることができたのである。そして、前述のように、「死」を受
け入れることができるか否かに、両者の明暗を分ける要素があった。「死」を拒否する者が
負け、それを受け入れることができる者が勝つという物語の結末からは、物語に暗喩された「死」の正しい見つめ方を読み取ることができる。2-3.『吟遊詩人ビードルの物語』からみる死生観
本節では、作中に登場する童話集、『吟遊詩人ビードルの物語』について考察し、物語の
鍵を握るこの童話集における死生観、また、第1節で考察した分霊箱に関連し、人間の克
服することのできない弱みとの理想的な向き合い方の描かれ方を探求する。最終巻『ハリ
一・ポッターと死の秘宝』において重要な役割を果たすのが、『吟遊詩人ビードルの物語』
である。『吟遊詩人ビードルの物語』とは、魔法界に伝わる童話集であり、魔法界のほとん
どの子供はこの中のおとぎ話を聞いて育っている。これは『ハリー・ポッター』シリーズの
番外編のような形で実際に2008年に出版されているが、その中で作者J.K・ ロ ーリングは吟
遊詩人ビードルについて語っている。そこでは、ビードルは15世紀のヨークシャー生まれ
の魔法使いであるとされる。35その生涯は謎に包まれているが、童話集の中の「物語が作者
の考え方をそのまま反映しているとすれば、ビードルはマグルのことを、悪ではなく無知なものとみなしていたようで、そんなマグルにむしろ好意を抱いていた」36とJ.K• ロ ーリン
グは記している。一方でビードルは、「闇の魔術には不信感を持ち、そのような行きすぎた
魔法行為は、残忍さ、無関心、または傲慢さによる能力の濫用といった、過度にマグル的特徴に根ざしている」37という。
J.K・ローリングによれば、『ハリー・ポッター』シリーズに登場する魔法使いの中で最もビ
ードルに近い思想を持っているのが、ホグワーツの校長でありハリーを導く師でもあるアルバス・ダンブルドアである38。ダンブルドアがこの童話集を形見としてハリーの友人であ
るハーマイオニー・グレンジャーに遺し、その内容が最終巻でのヴォルデモートとの対決に大いに役に立ったことからも、この童話集の内容から『ハリー •ポッター』シリーズにお
いてよしとされる思想、特に「死」や「生」についての思想を考察することができると考えられる。5つ収められた童話の中から、シリーズの本筋にも共通する「死」についての思
想が表象されているものとして「三人兄弟の物語」、「毛だらけ心臓の魔法戦士」の2つを
取り上げ、その中に見える死生観について検証する。まずは、「三人兄弟の物語」について考察していく。
この物語は、シリーズ最終巻のタイ
トルにもなっている「死の秘宝」の探究と非常に関わりが深い。簡単にあらすじを説明す
る。なお、この童話の中では「死」という概念が擬人化されているため、登場人物としての「死」を『死』、「死」という概念そのものを示す際は「死」と記す。昔、三人の兄弟が『死』に出会う。『死』は狡猾で、三人を自分のものにしよう、つまり
35 J.K・ ロ ーリング『吟遊詩人ビードルの物語』,p.14
36 同上,pp.14-15
37 同上,p.15
38 同上,p.15
-84 –
死なせようと考え、三人に贈り物をやろうと持ちかける。戦闘好きな一番上の兄は、『死』
の克服者にふさわしいこの世で最強の杖を欲しがり、『死』はニワトコの木の枝から1本の
杖を作って彼に与える。傲慢な二番目の兄は『死』をよりはずかしめてやろうと、人々を
『死』から呼び戻す力を要求し、死者を呼び戻す力を持つ石を与えられる。兄弟の中で最
も謙虚で賢く、『死』を信用していなかった一番下の弟は、『死』に跡をつけられずに先に
進むことができるものを要求する。『死』はしぶしぶ、自分の持ち物である『透明マント』
を一番下の弟に与える。『死』と別れた三人は、それぞれ目的地へと向かった。
一番上の兄
は、『ニワトコの杖』で殺人を犯し、大声で人々に自分の杖を自慢する。その結果、彼は杖
を狙う人物に襲われ、命を落とす。二番目の兄は、『蘇りの石』を使って、今は亡き愛する
女性を呼び出す。しかし、死者である彼女は現世になじめず、二番目の兄はかなわぬ思慕
に苦しみ自ら命を絶った。三番目の弟は、長年『死』に見つかることはなかった。そして
高齢になったときに『透明マント』を脱ぎ、息子に与えた。彼は、『死』を古い友人として
迎え、喜んで『死』とともにこの世を去っていくのである。この物語の中では、「死」とどう向き合うべきかという問題が提起されている。
ダンブル
ドアによるこの物語の解説では、「三人は一度は辛くも「死」の手を逃れはしたものの、そ
れとてせいぜい、次に死に出会う機会をできるだけ先延ばしにすることでしかない」39のだ
ということが述べられている。一番上の兄は最強の『ニワトコの杖』を欲しがったが、そ
れは最強の杖であると同時に、権力や強さを求める者たちの争い事をひきつける厄介なものであることも、一番上の兄の顛末から想像できる。一番上の兄は、戦いに負けないとい
うことによって自らを『死』から守ろうとしたが、争い事をひきつける杖を用いて勝ち続けるというその手段は、永遠に戦い続けるということに他ならない。解説の言葉を借りれ
ば、それは永遠に「次に死に出会う機会を先延ばしにし」続けているにすぎず、「死」はい
っか誰にでも訪れるものであるという概念の欠落が、一番上の兄の敗因であったと言うことができる。二番目の兄は『蘇りの石』を欲したが、死者である愛する女性を呼び戻し、この世にな
じむことのできない彼女を目にすることで、皮肉にも本当の意味での死者の復活などありえないということに気づく。「生」と「死」は往復可能なものではなく、つまり「生」から
「死」への移動はあってもその逆はありえないのである。欧米の墓石には“R.I.P.”と刻まれ
ていることが多いが、これは英語の”Rest in Peace”、またはラテン語の”Requiescat in
Pace”の頭文字であり、「安らかに眠れ」という意味である。このことからもキリスト教文
化圏では、死者は生きている者の都合で呼び覚まされてよい存在ではなく、「死」を迎えた者は安らかに眠ってほしいという思想がその根底にあることは明らかである。残された者
は死者の「死」を受け入れ、死者の眠りを見守るべきなのである。一番上の兄は間違った
方法で自らの「死」を拒否しようとしたが、『蘇りの石』を使用した二番目の兄は、他人の
「死」を拒否しようとしたという点で過ちを犯したのであろう。そのような兄2人に対して一番下の弟は、最初に『死』に出会った時から、いっかは『死』
39 同上,p.137
-85 一
を受け入れなければならないということを承知していた点が兄たちとは異なり、それが勝因となった。死してこの世を離れることは悲しいことではあるが、それを当たり前のこと
と認める勇気があったことが、この一番下の弟の特徴であると言うことができる。「生」に
おいていずれ来る「死」は拒むべきものではないということに気づいていたのである。「死」
を拒否しなかった一番下の弟だからこそ、最後は自分のタイミングで『死』を友人として迎え入れることができたのであろう。童話の中で一番下の弟が『透明マント』を要求した
際、『死』はしぶしぶ彼に『マント』を与えた。『マント』を使って『死』から隠れるとい
う行為は、兄たちのような「死」を拒否し認めない姿勢とは異なる。一番下の弟は、つま
り「死」を受け入れた「生」を表していると考えることができるのだ。彼を自分の手中に
収めたい『死』の、『マント』はできれば渡したくないという逡巡の様子からも、弟の選択
した道は『死』による支配からの脱却を意味するということが読み取れる。兄たちのよう
に「死」を拒否しているうちは「死」の恐怖の支配から逃れられないということも、この物語から読み取れる教訓の1つなのである。つまり、三人兄弟は全員が最終的に「死」を
迎えることに相違はないが、はじめの段階でいっかは「死」を受け入れざるを得ないということを知っていた一番下の弟だけが、最も望ましい形で「死」を迎えることが可能になったのである。この物語に関連して、死の秘宝の存在がある。
最終巻『ハリー •ポッターと死の秘宝』
において、『ニワトコの杖』、『蘇りの石』、『透明マント』の3つの品を集めることに成功し
た者は、「死を制する者」となれるという伝説が登場するのである。ハリーは最終的に、3
つの秘宝を所有することに成功する。『ニワトコの杖』は、図らずしてハリーのものとなり、
『蘇りの石』は、ダンブルドアがハリーに形見として遺した物品の中に隠されていた。『透
明マント』は第1巻でハリーが父ジェームズから受け継いだため、元々ハリーに帰属する
ものである。つまり、ハリーがヴォルデモートに殺される覚悟を決めた時、ハリーは3つ
の秘宝を所有している。そこで、ハリーが「死を制する者」となったことが暗喩されているのである。最終巻の中では秘宝の効力を肯定するような描写やエピソードは登場せず、
「死」の克服は「死」を受け入れる勇気によってのみされるということはこれまでに述べてきたとおりであるが、「死」の直前のハリーが秘宝を全て所有していることは偶然とは言えない。3つの秘宝の所有と「死」を受け入れる勇気を持っていたことによって、二重の
意味でハリーが「死」の克服者であることが暗喩されていると解釈することができるだろう。次に、「毛だらけ心臓の魔法戦士」という童話について考察する。
あらすじは次の通りで
ある。昔、人間の弱みである恋になど落ちまいと闇の魔術を使った魔法戦士がいた。
恋心
を感じない彼は、そんな自分の無関心さと賢明さを誇ったが、恋を知らない彼を嘲笑する召使の話を耳にしてプライドが傷つけられ、結婚を決意する。魔法戦士は、魔法族の血筋
で裕福な絶世の美女を妻としようと決意し、条件どおりの乙女を見つけ出した。彼はさっ
そく乙女を口説き始めたが、乙女は彼の甘い言葉の裏の冷たいものを感じ取り、「あなた様
は、お口がお上手です。あなた様に心がおありになるのでしたら、お心をひきましたこと
-86 一
をうれしく思うことができますのに!」4〇と言った。すると魔法戦士は、乙女を彼の城の地
下牢に案内した。そこには、脈打つ魔法戦士の心臓が、クリスタルの箱に安置されていた。昔彼が行った闇の魔術とは、恋心を封じるために、心臓を身体から抜き取る行為だったの
である。長い間身体から切り離されていた心臓は、美しいものや心地よいものに触れる感
覚を忘れ、縮んで長く黒い毛で覆われていた。それを見た乙女は恐ろしくなり、魔法戦士
に心臓を胸に戻させた。乙女は「さあ、あなた様はこれで癒されました。本当の愛とは何
かがおわかりになるでしょう!」41と言って魔法戦士を抱きしめた。彼女の香りや息遣い、
感触に衝撃を受けた彼の心臓は、長い間身体と切り離されていたために分別を失っていた。人々が2人を探して地下牢に下りてきてみると、乙女は胸を切り開かれて息絶えていた。
そばには気のふれた魔法戦士がおり、乙女のなめらかな心臓を自分の毛の生えた心臓と取り換えようとしていた。しかし獰猛な彼の心臓は胸を離れようとはせず、彼は「自分の心
臓に支配されてなるものか」42と自分の心臓に短剣を突き刺し、息絶えた。童話集の中の解説では、J.K・ローリングはダンブルドアのロを借りて、「この物語の若い
魔法戦士は、恋に落ちることが自分の快適さと安全を損なうと決めつけ」、「すなわち、恋
は屈辱であり、弱みであり、個人の感情的•物質的エネルギーの浪費だと考えた」43と述べ
ている。魔法戦士から見れば何とも無駄で滑稽なその弱みを封じるために、彼は身体と心
臓という「分かつべきではないものを分割した」44のである。この点において、魔法戦士が
用いた闇の魔術は、第1節で述べた「分霊箱」と類似する。ハリーの宿敵ヴォルデモート
が用いた「分霊箱」とは、魂を2つ以上に分割することによって自らを「死」から遠ざけ
る魔法である。魔法戦士は恋心を人間の弱みと考えたがヴォルデモートは「死」を人間の
弱みと考え、魔法戦士は身体と心臓を、ヴォルデモートは魂を分割したのである。魔法戦
士は、自らを「人間を超える者」にしようとした結果、自らを「非人間的な存在」に貶めることとなったのである。45獣に成り下がった彼は、「もはや自分には手の届かぬ存在にな
ってしまったもの——人間の心——を取り戻そうとする無駄なあがきの中で死」46んでいく。
人間らしさを失っていく様は、ヴォルデモートにも共通して見られる特徴であった。魂を
7つにも分割したヴォルデモートは、鼻孔だけの鼻を持ち、縦に切り込みを入れたような
瞳孔の目を持つ、いわば「獣」になったのである。第6巻『ハリー ・ポッターと謎のプリ
ンス』でも言われているように、魂を分割してまで「生」に執着するよりは「死」の方が望ましく、「獣」として人間らしさを失って生きていくことはもはや人間の「生」ではない
というのが、J.K・ ロ ーリングの見解なのではないだろうか。そして、闇の魔術を使用して「人
間を超える者」になろうとする行為は、人間として生きることからリタイアすることを意
40 J.K・ ロ ーリング『吟遊詩人ビードルの物語』,p.71
41同上,p.73
42 同上,p.76
43 同上,p.81
44 同上,p.81
45 J.K・ ロ ーリング『吟遊詩人ビードルの物語』,p.82
46 同上,p.82
-87 –
味すると解釈できる。そこから人間らしさを取り戻す行為は並大抵の行為ではないという
教訓を、この物語は示しているのだろう。ここまでで述べてきたように、「三人兄弟の物語」では「死」から永遠に逃げることはできないという教訓、「毛だらけ心臓の魔法戦士」では恋心を人間の弱みとした魔法戦士の行
動の否定、人間らしさを守り抜くことの肯定が教訓として述べられている。つまり、ビー
ドルの思想においては、人間は「死」を拒否せず受け入れるべきであり、それを拒んだ結果人間らしさを失うことは取り返しのつかない愚行であるとされる。この2つの物語には、
『ハリー ・ポッター』シリーズ本編にもつながる「死」や「生」に関わる要素が込められている。J.K・ローリングによるこの童話集の前書きにあるように、この童話集を著した吟遊
詩人ビードルはダンブルドアと似通った思想を持っている。ダンブルドアは最後までハリ
ーを教え導く存在であり、J.K・ ロ ーリングの思想の代弁者とも解釈できることからも、この
童話集から読み取れることは本編の死生観の検証に役立つものであると言える。これまで、ヴォルデモート、ハリー・ポッター、『吟遊詩人ビードルの物語』という3つ
の観点から『ハリー•ポッター』シリーズにおいて描かれる死生観について考察を行ってきた。それらの考察から明らかになった『ハリー・ポッター』シリーズにおいてよしとされる
死生観の共通点として、「死」を受け入れるか否かという「死」に対する姿勢が挙げられる。ヴォルデモートは「死」を絶対的に拒否し、ハリーはそれに対して「死」を受け入れる勇気を持っていたことが、2人の明暗を分けた。
『吟遊詩人ビードルの物語』から取り上げた
2つの童話では、「死」をいつかは受け入れるべきものとして捉えることの尊さと、人間の
弱みを克服するために人間らしさを失うことの愚かさを読み取ることができた。3つに共
通して、「死」をいつかは受け入れなければならないものと認めることが望ましい「死」の
克服方法であり、これを拒否することは人間らしさの放棄を意味するという、シリーズを
通しての死生観が明らかになった。次章では、『ハリー•ポッター』シリーズと、前章で考
察した騎士道的死生観を照らし合わせ、両者における死生観の共通点を探究する。
-88 一3.『ハリー・ポッター』シリーズの中の騎士道的死生観
本章では、前章までで考察した騎士道精神や騎士道文学における「死」、『ハリー•ポッ
ター』シリーズにおける「死」の描かれ方などをふまえ、『ハリー・ポッター』シリーズにおける「死」と騎士道的価値観との関連性について考察していく。前章で挙げたマロ
リーの『アーサー王の死』における騎士の「死」の特徴、試練の達成としての「死」、「船出」としての「死」という観点から、『ハリー・ポッター』シリーズにおける「死」の騎士道性を探求していく。3-1.試練の達成としての「死」
トマス・マロリーの『アーサー王の死』における「死」と、『ハリー•ポッター』シリー
ズにおける「死」の特徴的な共通点として、試練の達成としての「死」が挙げられる。『アーサー王の死』においてはアーサー王が、『ハリー・ポッター』シリーズにおいてはハリーが、試練の達成としての「死」を遂げるのである。
まず、アーサー王の例から見ていこう。
アーサー王の「死」の原因となるのが、モードレッドという名の騎士である。
彼は、
アーサー王の実の息子であった。アーサー王はかってロット王の妃である美しい婦人に
激しい恋心を抱いてしまい、彼女が自分の姉であるということに気づかず床を共にして
男の子を生ませるという近親相姦の罪を犯してしまった。そのときに生まれた男の子が
モードレッドであり、その男の子に関して、魔術師のマーリンは次のような予言をアー
サー王に告げる。あなたさまは最近、神のお怒りをかうようなことをなさったのです。というのは
あなたの姉君と床を共にして、姉君のお腹に子を宿させましたが、その子がのち
に、あなたとあなたの王国のすべての騎士を破滅させるのです。47マーリンはさらに、「アーサー王とその領土を滅ぼす者は、五月一日に生まれた者である」
48とアーサーに告げる。そのためアーサー王は、五月に生まれた子供をすべて集め、集め
た子供たちを全員船に乗せて海に流した。その中には当然モードレッドも含まれていた
が、彼だけは船が大破した際にも命を落とさず、岸に打ち上げられて善良な男に14歳ま
で育てられ、その後アーサー王の臣下となっていたのであった。数年後、アーサー王は、妻グイネヴィアと関係を持った罪で臣下であるラーンスロッ
卜卿に戦いを挑み、海外へ遠征した。彼が留守のその間に、摂政を務めていたモードレ
ッドは謀反を起こす。その知らせを聞いたアーサー王は、帰国してモードレッドと刃を
交えるのである。アーサー王とモードレッドの2人は、最後の一騎打ちの中でお互いに
致命傷を与え、モードレッドは即死し、アーサー王も程なくして命を落とし、貴婦人た
47マロリー『アーサー王の死』I , p.77
48 同上,p.95
-89 一
ちと共に湖へと「船出」するのである。アーサー王の「船出」については、次節で詳し
く述べる。アーサー王は、マーリンの予言で息子と戦って自らが命を落とすことを知っているに
も拘らず、戦いを避けようとはせずにその運命を甘んじて受け入れる。その運命のため
に命を惜しむことなく戦いに挑んでいると解釈することができる。このことは何年も前
から知らされていたアーサー王の運命、近親相姦の罪を犯したことに端を発する彼の使
命であり、彼はそれを全うすることによってもたらされる「死」の存在を知りながら拒
むことがなかった。さらに、アーサー王は「死」の直前、自身の剣「エクスカリバー」
を「湖の貴婦人」に返却する。この剣「エクスカリバー」は、福江によると「彼の王権
の存続、つまりアーサーが王位に在り続ける権利」49の象徴であり、その剣を湖に返した後に死に行くアーサーは、自分の現世での王としての統治の使命、近親相姦の罪を購う
という人としての使命を全うして「死」に向かっていることが読み取れるのである。一方で、『ハリー ・ポッター』シリーズにおける主人公ハリーの「死」はどのように描
かれているのだろうか。第1章でも述べたように、シリーズ最終巻『ハリー ・ポッターと
死の秘宝』の最後に、ハリーは自分が死すべき運命にあることを知る。自分が宿敵ヴォ
ルデモートの魂のかけらを意図せずして預けられていることを知り、自分が生きている
限りはヴォルデモートも生き続けることになるために、ヴォルデモートによって命を奪
われなければならないということを悟るのである。それまでにダンブルドアによって与えられたハリーの使命は、ヴォルデモートの魂が
隠された6つの分霊箱を探し出して破壊し、ヴォルデモートの生命の絆、不死の要因を
なくしてヴォルデモートを死なせることであった。しかし、前述のようにハリー自身が
ヴォルデモートが予期せず作った7つ目の分霊箱であり、つまりヴォルデモートを死す
べき存在へと戻すためにはハリーが自分の命を投げ出すことが必要不可欠であるという
ことが明らかになる。ハリー自身が「死」を選ぶことで使命が全うされるということを
知ったとき、ハリーはそれを拒まないのであった。ヴォルデモートの死の呪いに倒れたハリーは、1年前に死んだハリーの師、ダンブル
ドアの待つ真つ白な空間で目覚める。ダンブルドアは「死」を受け入れ逃げなかった八
リーを「勇敢な男」50と賞賛し、ハリーの使命の達成を喜ぶ。「生」と「死」の狭間にあ
ると思われる真つ白な空間で目覚めたハリーの額には、赤ん坊のころヴォルデモートに
よる死の呪いを受けてできた稲妻形の傷がない。これは、ハリーがヴォルデモートとの
因縁の対決に立ち向かい、その運命を受け入れたことによるある種の「解放」を表して
いるのではないだろうか。このように、ハリーもアーサー王と同じく、自らの現世での使命を達成し、自分が死
すべきことで達成される使命にも勇気を持って立ち向かっていく姿勢が見て取れる。加えて両者とも、「死」を迎えたときにアーサー王は剣「エクスカリバー」、ハリーは稲妻
49 福江,p.81
5〇 J.K・ ロ ーリング『ハリー ・ポッターと死の秘宝』HI, p.298
一 90 –
形の傷跡という、現世で背負ってきた自分の逃げられない運命を象徴するもの、いわば
十字架を失ったことによって、現世での辛い試練や運命から解放されたことが示されて
いるのではないだろうか。十字架とは、元々はキリストが民衆の罪を背負って磔刑に処
されたときにキリストが拘束された十字に組み合わされた木のことを指し、転じて罪の
象徴とされる。アーサー王はエクスカリバー、つまり王権という責任の十字架、ハリー
は最恐の闇の魔法使いヴォルデモートとの対決を運命付けることとなった額の稲妻形の
傷という十字架を背負い、最終的に試練を達成して「生」を全うしたということが、十
字架の有無、すなわち剣の返却や傷の消滅によって暗喩されているのではないだろうか。
つまり、アーサー王とハリーの両者は、試練の達成としての「死」に成功しているとい
うことができる。3-2.「船出」としての「死」
前章で述べたように、J.K. ロ ーリングによる『ハリー ・ポッター』シリーズとトマス・マ□
リーによる『アーサー王の死』の中で描かれる「死」の在り方の共通点として、必ずしも
「生」の終わりと同義ではない「死」というものも挙げられる。つまり、「死」の先にはさ
らに進むべき道が伸びているのだとする考え方である。『アーサー王の死』では、アーサー王は死に際して実際に文字通り「死」という「船出」
を迎えたことが描かれている。前節で述べたようにアーサーは、近親相姦でもうけた息子
モードレッドとの戦いの末瀕死の重傷を負い、死の直前に水の中に自らの剣「エクスカリ
バー」を投げ込む。すると、水際のアーサー王とそばについているべディヴィア卿の元に
一隻の船が向かってくるのであった。船には黒い頭巾をかぶったたくさんの美しい貴婦人
が乗っており、アーサー王を迎え入れる。「さあ、あの船に私を乗せてくれ」と王は言った。
ベディヴィア卿がしずかにその船に乗せると、三人の王妃がひどく嘆きながら王を
横たわらせ、そのうちの一人がアーサー王の頭を抱きしめた。その王妃は言った。「ああ、愛する弟よ、なぜこんなに長く待たせたのですか?あ
あ、この頭の傷はもうすっかり冷たくなっているわ」。そして皆は岸を離れて漕ぎ出し、ベディヴィア卿は王と貴婦人たちが自分から離
れていくのがわかった。それでベディヴィア卿はこう叫んだ。「ああ、わがアーサー王よ、わたしから離れ
て行かれるのですか?わたし一人を、敵の中に置き去りにするなんて、わたしはい
ったいどうなるんでしょうか?」「元気を出してくれ」と王は言った。「そしてうまくやってほしいのだ。私にはもう
頼りになるような力はない。私はこの傷を治すため、アヴァロンの島に行くのだ。
私のことを聞かなくなったなら、私の魂のために祈ってほしい」。5151トマス・マロリー『アーサー王の死』v, pp.237-238
一 91一アーサーは岸に残ったべディヴィア卿にこのように告げ、貴婦人たちとともに船で旅立つ
ていった。翌朝、ベディヴィア卿は森の中で礼拝堂と隠者の庵を発見し、そこに埋葬され
ているアーサー王を発見するのである。そして、アーサー王の死後、人々は「アーサー王
は死んだのではない、主イエスの御心によって違うところに連れて行かれたのだ」52と信じた。この部分は語り手が作者マロリーとして語っている部分であり、また中世ではおとぎ
話や神話が史実と同じように扱われていたという背景があることから、現実に中世の時代
を生きていた人々も、アーサー王のアヴァロンからの帰還を信じていたのだろうと推測できる。引用の中でアーサー王が向かうとされている「アヴァロン」とは、ブリテン島にあると
される伝説の島で、美しいリンゴで名高い楽園であったとされる場所である。アーサー王
のようにこの世での試練を見事に達成して「生」を終えた者が楽園に向かうという思想は、
人は死後に最後の審判によって裁かれ、善人は天国で永久に幸福に暮らし、悪人は地獄に
落ちて苦しむというキリスト教の思想とつながりは深いと考えられる。本作を含む騎士道
物語が発展した背景に同時代のキリスト教の絶大な影響力も関係していることからも、そのことが言えるだろう。一般的に、人間の「死」は『アーサー王の死』の中に限らず「生」の終わりとして捉え
られることがほとんどであるが、アーサー王のそれはまるでまだ続きのある旅の途中であるかのように描かれ、「生」の終わりというイメージは感じられない。アーサー王は死後も
主イエスによって連れて行かれた別のどこかで、戦いで負った傷を癒しながら暮らしているとされているのであり、人々によって「いつの日にかまた帰って来る」53とすら信じられている。それどころか、マロリーは「王はこの世での生を、別の世界のものに変えた」54の
であると述べている。つまり作中ではアーサー王の死は、「生」の終わりとしての「死」で
はなく、むしろ新しい「生」の始まりとして描かれているのである。「エクスカリバー」と
いう剣を水の中に投げ入れ、貴婦人とともに旅立っていくといった描写がなされたアーサ一王の「死」は、名実ともに新しい世界への「船出」という認識がされたのであろう。それでは、『ハリー •ポッター』シリーズに描かれる「船出」としての「死」とは、どのようなものだろうか。
人間の「死」というものがどう捉えられるべきかという問題につい
て、ホグワーツのダンブルドア校長は次のように述べている。きみのように若い者にはわからんじやろうが、ニコラスとペレネレにとって、死と
は長い一日の終わりに眠りにつくようなものなのじや。結局、きちんと整理された
心を持つ者にとっては、死は次の大いなる冒険にすぎないのじや。よいか、『石』はそんなにすばらしいものではないのじゃ。
欲しいだけのお金と命だなんぞ!
おおかたの人間が何よりもまずこの二つを選んでしまうじやろう……困ったことに、どう
52 同上,p.241
53 同上,p.241
54 同上,p.241- 92 –
いうわけか人間は、自らにとって最悪のものを欲しがるくせがあるようじや55
引用冒頭のニコラスとペレネレとは、第1巻『ハリー •ポッターと賢者の石』において、
人を不老不死とする力を持つ賢者の石を作り出したニコラス・フラメルとその妻である。
ダンブルドアは、「死」とは「生」の終わりではなく、次なる冒険の始まりにすぎないと解釈していることが分かる。「きちんと整理された心を持つ者」にとっては「死」は恐れるに
足らないものであるということ、そのような「きちんと整理された心を持つ者」になることこそが望ましいとしている。そして、そのような望ましい心構えの者にとっての「死」
とは、新しい世界への出発に他ならないのである。『ハリー ・ポッター』シリーズの中で新しい世界への出発、すなわち「船出」としての
「死」が表れている箇所が、他にもある。それは最終巻『ハリー •ポッターと死の秘宝』
に見られる、主人公ハリーの「死」においてである。繰り返しになるが、ハリーはホグワ
ーツにおける最終決戦で、自分が死ぬことが宿敵ヴォルデモートを打倒することにつながると知り、自らヴォルデモートに殺されるために出向いてゆく。そこでヴォルデモートの
死の呪いを受けて倒れたハリーは、「生」と「死」の狭間とも解釈できる真つ白い空間で目を覚ます。そこには1年前に亡くなったはずの恩師アルバス・ダンブルドアと、ハリーの
中に生きていた宿敵ヴォルデモートの魂のかけらがいた。その場所での対話で、ハリーは
ダンブルドアに質問をする。「きみは、ここがどこだと思うかね?」
ダンブルドアに聞かれるまで、ハリーにはわかっていなかった。しかし、いまは
すぐに答えられることに気づく。「なんだか」ハリーは考えながら答える。
「キングズ•クロス駅みたいだ。でも、ずっときれいだしだれもいないし、それに、
僕の見るかぎりでは、汽車が一台もない」「キングズ・クロス駅!」ダンブルドアは、遠慮なく くすくす笑った。「なんとまあ、
そうかね?」「じゃあ、先生はどこだと思われるんですか?」
ハリーは少しむきになって聞いた。「ハリーよ、わしにはさっぱりわからぬ。これは、いわば、きみの晴れ舞台じゃ」56
ハリーは、今いる真つ白な空間がどこであるかと聞かれ、キングズ•クロス駅のようだと
答えている。キングズ•クロス駅とはロンドンに実際に存在する鉄道の駅だが、作中では
毎年9月1日にその9と3/4番線から、新学期に向かう生徒たちを乗せたホグワーツへの列
車が発車するという設定になっている。11歳になるまで自分が魔法使いだとも強大な闇の
55 J.K・ ロ ーリング『ハリー •ポッターと賢者の石』U, p.228
56 J.K・ ロ ーリング『ハリー •ポッターと死の秘宝』IH, pp.306-307
一 93 一
魔法使いと因縁の対決をする宿命にあるとも露ほども知らずに育ったハリーにとって、キングズ・クロス駅は魔法使いとしてのスタート地点であり、冒険が始まった場所と解釈できるのではないだろうか。ヴォルデモートの呪文を受けて、自身にとって冒険の始まりの
場所であるキングズ・クロス駅にいるということは、「死」とは新しい冒険の始まりであり、
どこか知らない場所に旅立つことのできる分岐点であるということを表しているのではないだろうか。「僕は、帰らなければならないのですね?」
「きみ次第じゃ」「選べるのですか?」
「おお、そうじやとも」ダンブルドアがハリーにほほえみかける。「ここはキングズ・
クロス駅だと言うのじやろう?もしきみが帰らぬと決めた場合には、たぶん……そ
うじやな……乗車できるじやろう」「それで、汽車は、僕をどこに連れていくのですか?」
「先へ」ダンブルドアは、それだけしか言わなかった。57
ハリーは、ヴォルデモートの死の呪いを受けて「生」と「死」の境目に来ているが、「生」
の世界に帰ろうと思えば帰ることができると聞かされる。逆に帰らないと決めた場合、つ
まりこのまま「死」を選ぶと決めた場合には、汽車に「乗車」し、「先へ」進むこともでき
るという。このことから、この場面でも「死」は文字通り「先」、新しい世界への出発と捉
えられていると言うことができる。アーサー王のような船を使った水路の旅ではないが、
新しい世界への旅立ちという側面からは、「船出」と言い表すことができるのである。これまでに見てきたように、『アーサー王の死』でも『ハリー ・ポッター』シリーズでも、
死者は何らかの形で旅立ちとして「死」を経験し、別の世界へと旅立ってゆく様子が読み取れる。現世の生身の身体を離れた魂は、『アーサー王の死』で言うアヴァロンに相当する
ような楽園のような場所へと運ばれてゆくと解釈されているのだろう。一方で、両方の作
品において、死して現世を離れた人々の魂が旅立ってしまった後も現世に残された人々に影響を与え続ける死者の存在も表象されている。マロリーの『アーサー王の死』においてその例として挙げられるのは、死してなおアー
サー王の夢の中に現れてアーサー王を助けようとするガーウェインの存在だろう。ガーウ
エインは、命を落としてもなお、アーサー王のモードレッドとの戦いにおいてアーサー王に助言しようとアーサー王の前に現れるのである。こんな状態だった王に、また幻が浮かんできた。
ガーウェイン卿が美しい婦人を
たくさん従えて王の前に現れたので、王はこう話しかけた。「もう死んでしまったと
思っていたのに、よく来てくれたな、姉上の息子よ。このようにそなたに生きて会
57 同上,p.323
-94 –
えるなんて、全能の神イエスさまの思し召しなのか。[……]j「王よ」ガーウェイン卿は言った。「[……]わたしはすべて正義のために戦ったので
した。それでこの方々ゆえに戦ったのだからと、神はこれらの人々の熱心な祈りを
聞き届けられ、これらの婦人たちがわたしを、次のように警告するようにと、わた
しが来ることをお許しくださったのです。[……]ですから全能の神イエスさまの王へ
のご慈悲と広いお心により、また王と戦死することになる多くの善良な兵士を哀れ
んで、神は特別のご慈悲を垂れさせたまい、わたしを王の許に遣わしたのです。[•••
…]j 58ガーウェイン卿はこのように、死してもなお君主アーサー王に助言するため、幻となって現れる。
死者であるガーウェイン卿が、遺されたアーサー王に影響を与えている例である。
一方で『ハリー ・ポッター』シリーズでも、そのような例が見られる。
主人公ハリーは、
最終巻『ハリー •ポッターと死の秘宝』で自らの死する運命を受け入れなければならないという状況に直面した際、「蘇りの石」という死者を現世に呼び戻すことができる道具を使用して死した仲間たちに助けを求める。ハリーが幼い頃に亡くなったハリーの両親、ジェ
ームズとリリーを含めた死者たちが、「死」という残酷な運命に立ち向かうハリーを勇気づける。「あなたは、とても勇敢だったわ」
ハリーは、声が出なかった。リリーの顔を見ているだけで幸せだった。その場に
たたずんで、いつまでもその顔を見ていたかった。それだけで満足だった。「おまえはもうほとんどやり遂げた」ジェームズが言う。「もうすぐだ……父さんた
ちは鼻が高いよ」
「苦しいの?」子供っぽい質問が、思わず口を衝いて出ていた。「死ぬことが?いいや」シリウスが答えた。「眠りにつくよりすばやく、簡単だ」
[……]森の中心から吹いてくると思われる冷たい風が、ハリーの額にかかる髪をかき揚
げる。この人たちのほうから、ハリーに行けとは言わない。ハリーは知っている。
決めるのは、ハリーでなければならない。「一緒にいてくれる?」
「最後の最後まで」* 59ハリーは残されたハリーのことを想う死者たちに励まされ、「死」という運命を受け入れる
勇気を奮い立たせることができたのである。ここで描かれる死者は物理的に現世に手出し
することはできないが、残された人、つまり死者にとっては遺してきた愛する人に寄り添
58マロリー『アーサー王の死』V, pp.227-228
59 J.K・ ロ ーリング『ハリー •ポッターと死の秘宝』HI, pp.287-288
■ 95 ■
うことで現世に影響を与えることが可能になるのである。2016年11月に公開された『ハ
リー ・ポッター』シリーズのスピンオフ映画、『ファンタスティツク・ビーストと魔法使い
の旅』でも、死刑囚の愛する故人に関する記憶を利用して死刑囚に「死」を受容させる死
刑制度が描かれている。そのような手段で死刑囚に「死」を受け入れさせることは、死刑
そのものを正当化する都合のいい口実であり卑劣であるが、共通した世界観を持つ前作『ハ
リー ・ポッター』シリーズと共通する、死者の力を借りた「死」の受容や愛する人の存在
や記憶の影響の大きさを裏付ける描写として解釈することができるだろう。このように両方の作品で共通して描かれる死者の魂は、「死」を迎えることで消滅するの
ではなく、「死」を新しい冒険の始まり、新しい世界への「船出」として捉えているという
ことが分かる。しかし、魂の「船出」によって生きている者と死した者が分断されてしま
うのではなく、生きている者の死した者への想いがあれば、生きている者の心の支えとな
って現世に影響を及ぼすことも可能であるという点が『アーサー王の死』と『ハリー ・ポ
ッター』シリーズにおける「死」の先にあるものの捉え方として共通している点であると
言える。死した者からの手助けというモチーフはファンタジー的なものであり現実世界で
期待できるものではないが、遺された者があくまで主体的に死した者を思えば、彼らのカを借りるという形式で自らを救うことができるという教訓も込められている。「死」を「生」の終わりと見なさない点は、前章で述べたキリストの復活のイメージと
も重ねることができる。死後もいつか戻ってくる死者というイメージは、アヴァロンから
の帰還が信じられているアーサー王や死の呪いに倒れたあとに復活したハリー以外にも、C.S・ルイスの『ナルニア国物語』のアスランの復活などイギリスで人気を博した文学作品に浸透しているものであると言うこともできるだろう。そのような思想や文学作品は、読者に英雄の復活という希望を与えるものであり、そのようなモチーフや思想は、死者にとつての死後の世界の真実を示すものではなく、生きている者にとっての希望に満ちた死後の世界を示すものであると解釈できる。3 — 3 .「死」の克服 一中世から現代へー
本章第1節、第2節では、トマス・マロリー『アーサー王の死』とJ.K・ ロ ーリング『ハリ
—ポッター』シリーズにおける「死」の描かれ方において共通する点を、試練の達成によ
る縛られた「生」からの開放、また新しい世界への「船出」という観点から考察してきた。本節では、これまでに挙げた『アーサー王の死』と『ハリー•ポッター』シリーズに見られ
る共通点をふまえ、中世において隆盛を極めた騎士道精神の現代社会における意義や問題点などに着目し、現代に生きる騎士道精神の価値を探求する。まず試練の達成に関しては、アーサー王とハリーを例に挙げ、それぞれが現世で生きて
背負った罪や試練、すなわち十字架をなくすことで、試練を追いかけることや罪から開放
されたより質の高い「生」を生きることが可能になるという点について考察した。また、「船
出」に関しては、両作品で「死」は新しい世界への「船出」として捉えられることから、
第2章で挙げた中世における「眠り」としての「死」と同様に、「生」の終わりとしてでは
なく魂の通過点としての「死」という捉え方が肯定されている点について考察した。これ
一 96 一
らの点や、『ハリー・ポッター』シリーズの作中には騎士団や剣など騎士を考窮とさせるモ
チーフが多く登場することからも、『ハリー・ポッター』シリーズの中に騎士道精神的価値
観が息づいていることは否定できない。『アーサー王の死』がマロリーによって描かれた
1469年と2016年の現在の間の550年ほどのタイムラグがあるにも拘らず、両作品の間に
つながりが見られ、現代に描かれた『ハリー・ポッター』シリーズが世界中でこれほどまで
に人気を博しているということもまた、共通する価値観である騎士道の価値を裏付けるものであるだろう。しかし第2章で述べたように、中世に生きた人々と現代に生きる我々のもつ「死」に対
する意識には、無視することのできない大きな相違点があることは確かである。共通する
点があるのは確かであるが、戦うことを生業としていた騎士に求められた「死」に対する
価値観をそのまま我々にあてがうことには、大きな危険が潜んでいると考えられるだろう。騎士たちのように、試練の達成のため、大儀のために「死」を甘んじて受け入れることを
肯定することは、ともすれば現代の自爆テロを肯定していると捉えられることも考えられ
る。自爆テロとは、その名のとおりテロリストが自らの命も巻き添えにしたテロ行為を指
し、有名なものでは2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件の中で起きたテロの1
つで、航空機がテロリストの操縦によりニューヨークの世界貿易センタービルに衝突し、テロリストも含めた乗客全員が死亡したものがある。第2次世界大戦で日本軍が行ってい
た、航空機ごと敵艦に追突するカミカゼ特攻隊も、自爆テロの一種とみなすことができるかもしれない。これらの自爆テロにおいては、自らの思想の正しさや、戦争に勝っためと
いう大義名分のために1人の命を犠牲にする、戦争のロジックがはたらいている。そのよ
うな「死」を尊いものとして崇める行為と、『アーサー王の死』や『ハリー・ポッター』シ
リーズでよしとされている騎士道的「死」とは、果たして同じものだろうか。ここで注目すべきなのは、それぞれの「死」の動機となる部分である。前述のように、
自爆テロにおけるテロリストは、自らの属するグループの思想を広めるという大義名分の
ために命をなげうつ。これは、新約聖書の中で人民の安全のためにイエスの落命を仕方の
ないものと考えた大司祭の名前から、「カイアファの原理」と呼ぶことができると、ドイツ
の神学者Nikolaus Wandingerは述べている。1人の命よりもその大義名分や助かる命の数量
の大きさの方に価値があると考え、1人1人の命の重さを軽視しているのである。それに対して『ハリー・ポッター』シリーズにおける騎士道的「死」は、その原理によつてなされるものではない。
そのことを検証するための具体例として、シリーズ第6巻『ハ
リー・ポッターと謎のプリンス』におけるダンブルドア校長の「死」について考察する。
ダ
ンブルドアは、作中で最も偉大な魔法使いと言われるほど人徳のある人物で、シリーズを通して主人公ハリーを導く存在であった。ダンブルドアは第6巻で、ヴォルデモートの僕
でありダンブルドアの密偵でもあるスネイプの手によって命を落とす。それは、スネイプ
とダンブルドアの間であらかじめ計画されていたことであった。ヴォルデモートにダンブ
ルドアを殺すように命じられたハリーの同級生ドラコ•マルフォイの、失敗したら殺される
という恐怖や苦悩を巻全体において目の当たりにしてきた読者は、そのようなダンブルドアの「死」に、気の毒なマルフォイ少年のため、もしくはヴォルデモートへの勝利のため- 97 –
の「死」という印象を持つだろう。
Wandingerはそれについて、”Dumbledore is willing to be
the one man dying in order to minimize the danger of being killed for others’*°、 つまりダンブノレド
アは殺人の数量を最小限に抑えるために、自分1人の命を犠牲にしたと述べているが本当
にそうだろうか。ダンブルドアは、殺害される1年ほど前、ヴォルデモートによる呪いで、1年以内に命
を落とすであろうことが判明する。ここからダンブルドアの「死」は、いずれにしても不
可避であったことが分かる。加えてダンブルドアは、マルフォイ少年がヴォルデモートか
ら、自分を殺すよう命じられたことを知る。ここで避けることのできない「死」に直面したダンブルドアは、この機に乗じて自らの死に方を選んだと解釈することができる。ヴォ
ルデモートの呪いや彼の下僕によって殺害されることは、前章で引用した作中の言葉を用
いれば「死に直面する戦いの場に引きずり込まれる」ことを意味する。またマルフォイ少
年に自分を殺させることは、まだ殺人を犯したことのない少年の無垢な魂を穢すことにな
ると作中で言及される。スネイプとの間で計画された「死」であれば、スネイプに殺され
る前にダンブルドア本人がその「死」を受け入れているため、「頭を高く上げてその場に歩
み入る」「死」が実現することとなる。ダンブルドアの「死」は、他人のためではなく、彼
自身のための「死」と解釈できるのである。最終巻におけるハリーの「死」も同様に、ハリー自身のための「死」であると言うこと
ができる。あの場で一度命を落とすことによってハリーの魂を浄化するための「死」であ
ったのである。真実を知ったハリーは、一度はダンブルドアがその事実を知りながら隠していたことに衝撃を受けるが、その考えこそが「カイアファの原理」である。この疑いを抱いているときのハリーは、その「死」が自分のためにどう作用するかを考えず、打倒ヴォルデモートという大義名分のために自分は犠牲にならなくてはいけないのだと考える。
しかしそうではなく、ハリーは「死」を受け入れることで穢れのない魂を取り戻すことができるのである。そのことに気づいたハリーは、自らのためにすすんで「死」に向かって
歩いていく。これらのダンブルドアとハリーの「死」の例から、『ハリ—ポッター』シリ
ーズにおける騎士道的「死」においては、「死」とは当事者のためのものであるという解釈が可能であることが分かる。「カイアファの原理」的な命の軽視においては、大義名分というものの背景に複数の人
間の存在がある。その複数の人間のために1人が死ぬことは、グループからすれば大した
犠牲ではないという意識が、自爆テロを引き起こすと言える。つまり自爆テロとは、テロの実行者の気持ちがどうであれ、人間で構成されるグループが、その中の1人を犠牲とし
て切るというグループの問題ということができるだろう。騎士道的「死」が当事者だけの
問題であるのに対し、自爆テロ的「死」がグループの問題である違いは、戦いは一騎打ちが主流であった騎士の世界と団体戦が主流である現代の戦争の相違、すなわち中世的戦争観と近代的戦争観の相違であると解釈することができる。自爆テロという現代の「死」や「生」との関わりが深い問題を例にとって考察したが、
60 Wandinger.
一 98 一
やはりその考察の中で生まれる解釈の違いやそれが内包する危険性は、中世と現代の時代
的ギャップから生み出されていると考えられる。騎士は戦うことが仕事であったが、その
価値観を現代にあてがおうとするときに現代の戦争をひきあいに出すことは、先ほど考察
したように危険性を孕む。『アーサー王の死』を印刷、出版したウィリアム•キャクストン
は、まえがきで次のように述べている。そして私がその写本について印刷した目的は、騎士道の華やかな技や当時の騎士
たちが手本とした有徳な行動に関する物語をお読みになり、学ばれるようにという
ことである。[……]
この書物には心楽しい物語も沢山あるし、道徳的な有徳な騎士道的な事績もある。
またあるものは、いわば高貴な騎士道、礼儀、慈悲、友愛、勇気、愛情、友情、
そしてまた臆病、殺人、憎悪など、徳と罪である。どうか善を見習い悪を遠ざけて下され。そうすれば必ずや皆様は、よい評判と名
声を手に入れるはずである。61このまえがきからは、キャクストンがマロリーの著したこの書物に、教育的効果を期待し
たことが読み取れる。この書物を読むことで善を見習い、悪を遠ざけてほしいとキャクス
トンは述べている。この書物にこめられた騎士道的教訓には、本論文で扱ってきた「死」
や「生」に関するものに限らず現代でも変わらぬ普遍的なものが多く含まれている。その
ことから、騎士道の価値観は現代につながる価値の高いものであることが明らかになった。また、本論文での騎士道精神に関する『ハリ ポッター』シリーズの分析を通して、世
界中で大ヒットを記録した児童文学作品としての『ハリー ・ポッター』シリーズの他に、読
者に「死」について考える機会を与える作品としての『ハリー ・ポッター』シリーズという
作品の新たな側面も発見することができた。『ハリー ・ポッター』シリーズは、児童文学作
品という枠に留まらない、多義的な作品であると言うことができる。61マロリー『アーサー王の死』I ,pp.12-13
一 99 一終章
本論文では映画、原作ともに世界中で愛されているJ.K・ ロ ーリングの『ハリー ・ポッター』
シリーズにおける死生観について、騎士道文学であるトマス・マロリーの『アーサー王の死』
を参考に騎士道的価値観から考察を行った。第1章では騎士道精神とはどういうものか、その中に描かれる「死」や「生」にはどの
ような特徴が見られるかという点を考察した。まず騎士道精神と騎士道文学とは、どのよ
うなものかをその歴史から考察した。騎士道とは騎士階級の行動規範を指し、中世ヨーロ
ッパにおける十字軍など外敵との戦いが必要とされた時代に、騎士という身分が階級の1
っとして成立したということがわかった。そしてキリスト教文化圏の思想を守るために戦
いに出向く騎士の姿は人々の憧れの対象となり、彼らの武勲をたたえるために吟遊詩人た
ちによって歌われるようになったのが、騎士道文学であった。それらはやがて騎士たちの
真実を伝えるものというよりは、騎士たちの理想の姿を語り継ぐものとして伝わっていっ
た。次にそのような騎士階級の人々や騎士道文学を楽しんだ中世の人々にとって、「死」と
はどのように捉えられていたのかを考察した。中世はキリスト教の教理として、煉獄とい
う概念が正式に生まれた時代であった。煉獄とは死後地獄に入る前に滞在して罪の責め苦
を負うことで、永遠の罰である地獄に行く前に罪を浄化することができる救いの場である。
人々は、魂の浄化という概念を信じたのである。また人々は、「死」と「眠り」を非常に近
いものと考えた。永遠の別れのように感じられる「死」を「眠り」と捉えることは、死者
の復活を想起させるポジティブなイメージであり、また復活する死者、戻ってくる死者と
いうイメージは、本論文で扱うアーサー王や現代のファンタジー作品であるc.s•ルイスの
『ナルニア国物語』にまで登場する、人々に希望を与える文学的イメージとしても表象さ
れていると言うことができる。
そして次に本論文で考察するアーサー王物語、トマス・マロリーの『アーサー王物語』の
歴史と、その中に表象される「死」や「生」について考察した。アーサー王物語とはイギ
リスに古くから伝わるアーサー王という人物にまつわる伝説であり、アーサー王のモデル
となったのは6世紀のアーサーというブリトン人の指揮官であるとされる。彼の武勲はや
がて神話化され、中世までにヨーロッパ各地の英雄の武勲を吸収した。それらは、前述の
ように十字軍などによる騎士への憧れの高揚によって騎士道物語となり、15世紀になると
トマス・マロリーによって『アーサー王の死』として書物化され、ウィリアム・キャクスト
ンによって印刷、出版されたのであった。それらの中には、アーサー王をはじめ、ラーン
スロット卿やガーウェイン卿など騎士たちの武勇伝や聖杯探求伝説など、さまざまなエピ
ソードが含まれている。登場人物たちはそれぞれに騎士としてあるべき姿を胸に冒険に立
ち向かっていくが、それぞれの登場人物が騎士としてふさわしい人物であるかどうかを見
極める1つの指標となるのが、それぞれの騎士の「死」の瞬間であるといえる。彼らが「死」
の恐怖を断ち切ることで「生」の輝きを開放できているかどうかが、彼らが「死」を克服
できているかを見極める際の争点となるということを読み取ることができた。
第2章では『ハリー ・ポッター』シリーズにおいて、「死」や「生」の問題がどのように
描かれているのかを、宿敵ヴォルデモート、主人公ハリ—ポッター、そして物語に登場す
-100 –
る童話集『吟遊詩人ビードルの物語』という3つの観点から考察した。まず宿敵ヴォルデ
モートは、両親からの愛を感じることができずに独り孤児院で育ち、母はかって父に捨て
られたショツクで息子1人を遺して死んでいったという真実を少年時代に知ることになる。
そのような生い立ちから、幼きヴォルデモートは、母が屈することになった「死」こそ人
間の恥ずべき弱み、克服すべき点であり、「死」に屈するのは弱者であると考えるようにな
った。その結果彼は自らの「死」を避けるために自らの魂を7つに分裂させて不死の存在
を目指すという闇の魔術を用い、自らを人間らしさを失った獣へと貶めたことが、最終的
な彼の敗因となった。「死」を、やがて訪れる避けることのできない受け入れるべきもので
あると認めることができなかったことが、彼の敗因となったのである。対して主人公ハリ
一は、宿敵ヴォルデモートと同じく両親を早くに亡くし、親の顔を知らずに育つ。しかし
彼は、両親が自分のために命を落としたということ、つまり自分が愛されていたことを知
っていたという点が、ヴォルデモートとの違いを生み出した。ヴォルデモートが「死」に
よって母を亡くしたことから「死」にネガティブな感情を持つことになったのに対し、ハ
リーは母が自分を守るために「死」を受け入れたことから、「死」は必ずしも否定的に捉え
られるものではないと考えることができたのである。そして童話集『吟遊詩人ビードルの物語』における死生観の考察では、「三人兄弟の物語」
と「毛だらけ心臓の魔法戦士」という2つの童話を取り上げた。「三人兄弟の物語」では、
一番上の兄や二番目の兄のように腕力などで「死」を先延ばしにするのではなく、一番下
の弟のように「死」からは逃れられないと認めることで、「死」に屈さずに「死」を迎えら
れるということが読み取れた。また「毛だらけ心臓の魔法戦士」においては、肉体と心臓
という分かつべきではないものを闇の魔術によって切り分けた魔法戦士が描かれた。彼の
闇の魔術は、シリーズ本編の中でヴォルデモートが用いた分霊箱と類似しており、「死」と
いう拒否すべきではないものを拒否するために自分を傷つけることの愚かしさを読み取る
ことができる。これらの3つの観点から『ハリー ・ポッター』シリーズにおける死生観をま
とめると、「死」は拒否すべきものではなく、それを受け入れる勇気を持つことが美徳であ
るということが描かれていることが明らかになった。第3章ではJ.K・ ロ ーリング『ハリー・ポッター』シリーズとトマス・マロリーの『アーサ
一王の死』の両作品における死生観において、共通点として挙げることができる点につい
て考察した。まず試練の達成としての「死」を肯定していることが共通点として挙げられ
る。両作品にはどちらも、それまで「死」を迎える覚悟で試練の達成を追い求めていると
いう姿勢が見られた。試練の達成のために自発的に「死」を選ぶという点を賛美している
のではなく、「死」を恐れずに試練に立ち向かうという試練に対する姿勢がよしとされてい
るのである。次に、「船出」としての「死」という「死」の捉え方に共通点を見出した。ど
ちらの作品も、「死」は「生」の終わりではなく次の世界の入り口であり、新たなる冒険へ
の出発という解釈がなされていた。『アーサー王の死』ではアーサー王は文字通り死に際し
て「船出」をしている様子が描かれる上、『ハリー ・ポッター』シリーズでも「生」と「死」
の境目である場所は列車の駅を思い起こさせるものであった。これらのことから、『アーサ
一王の死』と『ハリ—ポッター』シリーズにおける「死」や「生」の捉え方に共通点があ
-101-
ることは、否定できないものであるという結論に達した。『アーサー王の死』をはじめとする騎士の武勲を含む伝説、騎士道物語は、描かれた時
代と現代の間には無視することのできないタイムラグがある。しかし、この間の600年余
りの期間読み継がれてきた作品の価値観が現代にも生き、『ハリー•ポッター』シリーズに
見られるような世紀の大ヒットとなっていることは、我々は騎士道精神の価値観を時代錯
誤なものと見るべきではないことの証拠ともなると考えられる。加えて、『ハリー・ポッタ
ー』シリーズにおける騎士道的死生観について考察したことによって、「死」について読者
に考えさせる役割を持つという『ハリー•ポッター』シリーズの別の側面が明らかになった。
医療技術が未発達で人々の信仰心が強かった中世ほどではないにしても、「死」とは今日で
も人間と切り離すことのできない問題である。それどころか、テロや尊厳死など、人がど
う「死」と向き合うかという問いと直結する問題が今日には数多く存在する。『ハリー・ポ
ッター』シリーズは、そのような現代社会を生きる人々が「死」との関係性のあり方を模
索するのに、非常に役立つ作品であると言うことができるだろう。-102 –
参考文献
Deavel, Catherine Jack and David Paul Deavel.Character, Choice, and Harry Potter.”
Logos: A Journal of Catholic Thought and Culture. 5(2002):49_64.
McCarthy, Terence. An Introduction to Malory. Woodbridge: D.S. Brewer, 1988.
Rowling, J. K. Harry Potter and the Philosopher s Stone. London: Bloomsbury, 1997.
—-.Harry Potter and the Chamber of Secrets. London: Bloomsbury, 1998.
—-.Harry Potter and the Prisoner of Azkaban. London: Bloomsbury, 1999.
—-.Harry Potter and the Goblet of Fire. London: Bloomsbury, 2000.
—-.Harry Potter and the Order of the Phoenix. London: Bloomsbury, 2003.
—-.Harry Potter and the Half-Blood Prince. London: Bloomsbury, 2005.
—-.Harry Potter and the Dea thly Harrows. London: Bloomsbury, 2007.
Wandinger, Nikolaus. ‘”‘Sacrifice” in the Harry Potter Series from a Girardian
Perspective.” Contagion: Journal of Violence, Mimesis, and Culture. 17(2〇l〇):27-51.
Westman, Karin E. “”The Weapon We Have Is Love.””, Children’s Literature Association
Quarterly. 33.2(2008):193-199.
WILKES, HANNAH MELENEY. ” ALL WAS WELL”: HARRY POTTER IN THE
MEDIEVALIST TRADITION. Diss. The University of Alabama TUSCALOOSA,
2011.
太田耕軌「「ハリー・ポッター」に見る偏見と差別」『天理大学人権問題研究室紀要』9号,2006
年.123-131.
太田実佐「『ハリー・ポッター』における仲間の絆と愛」『Otsuma review』48巻,2015年.
155-162.
大貫隆、名取四郎、宮本久雄、百瀬文晃『岩波キリスト教辞典』岩波書店、2002年。
グラント・オーデン『西洋騎士道事典』堀越孝一訳,原書房,1991年•
ノルベルト•オーラー『中世の死 生と死の境界から死後の世界まで』一條麻美子訳,法政
大学出版局,2005年。
河原将人「「アーサー王物語」から見た騎士と騎士道」Oliva(6), 1999年,129-151.
木梨由利「戦いの終わり—–『ハリー ・ポッター』物語にみる「愛」の意味」『金沢学院大
学紀要 文学•美術•社会学編』6号,2008年.31-41.
草地伸圭「中世における騎士という存在——人々の「理想」としてのアーサー王——J『北
星学園大学大学院論集』4号,2013年,243-256.
高宮利行『アーサー王物語の魅力:ケルトから漱石へ』秀文インターナショナル、1999年。
—-.「中世騎士物語——『ハリー •ポッター』『指輪物語』まで」『P hilharmony』74
巻,2002 年,40-43.
多ケ谷有子『王と英雄の剣:アーサー王•ベーオウルフ・ヤマトタケル古代中世文学におけ
る勲と志』北星堂書店、2008年。
—-.「中世キリスト教と仏教における地獄の恐怖——死後の魂の救いの可能性をさぐる
——J『関東学院大学文学部紀要』128号,2013年,21-41.
-103 –
竹田伸一「ハリー •ポッターの世界とキリスト教」『金城学院大学論集』193号,2001年•
49-110.
—•「現代ファンタジーの宗教性と歴史観の枠組み——『指輪物語』、「ナルニア国物語」、
「ハリー •ポッター」から」『金城学院大学論集 人文科学編』1巻,2005年.127-140.
—•「ハリー ・ポッターと不死鳥の騎士団——予言と死の問題」『金城学院大学論集 人
文科学編』3号,2006年.59-65.
中村圭志『徹底分析!ハリー ・ポッター』サンガ,2014年.
長谷川千春「『アーサー王の死』における騎士道精神——騎士道の美徳と不徳」『鶴見英語
英米文学研究』11号、2010年.111-129.
服部慶子「『ハリー •ポッター』考察——愛が勝つ」『大阪大谷大学短期大学部紀要』50号,
2007 年.58-73.
福江千帆「トーマス•マロリーにみる死の受容 一剣と杯から読み解くアーサー王物語一」
『神奈>> 11大学大学院 言語と文化論集』10号,2003年,75-106.
ジョン・マシューズ『アーサー王と中世騎士団』本村凌二訳、原書房、2007年。
松田隆美「中世ヨーロッパは超自然をどうとらえたか:12世紀イングランドの死後世界と
ヴィジョン」『藝文研究』104号,2013年,112-125.
トマス・マロリー『アーサー王物語I』井村君江訳、筑摩書房、2004年。
—・『アーサー王物語!I』井村君江訳、筑摩書房、2005年。
—・『アーサー王物語DI』井村君江訳、筑摩書房、2005年。
—.『アーサー王物語!V』井村君江訳、筑摩書房、2006年。
—.『アーサー王物語V』井村君江訳、筑摩書房、2007年。
溝口悟「Sir Thomas MaloryのLe Morte D’arthurにおけるランスロットとガウェイン:
それぞれが求める騎士道精神」Oliva(ll), 2011年,101-132.
トレヴァー •レゲット『紳士道と武士道』大藏雄之助訳、麗澤大学出版会、2003年。
ヘンリー.R・ ロイン『西洋中世史事典』魚住昌良訳,東洋書林,1993年.
J. K. ローリング『ハリー •ポッターと賢者の石』I • π,松岡佑子訳,静山社,2012年.
—.『ハリー ・ポッターと秘密の部屋』I •!!,松岡佑子訳,静山社,2012年.
—•『ハリー •ポッターとアズカバンの囚人』1・!!,松岡佑子訳,静山社,2012年.
—.『ハリー ・ポッターと炎のゴブレット』松岡佑子訳,静山社,2012年.
—.『ハリー ・ポッターと不死鳥の騎士団』I -n-IH-IV,松岡佑子訳,静山社,2012年.
—.『ハリー ・ポッターと謎のプリンス』松岡佑子訳,静山社,2013年.
—.『ハリー ・ポッターと死の秘宝』I・「m,松岡佑子訳,静山社,2013年.
—•『吟遊詩人ビードルの物語』松岡佑子訳,静山社,2013年.
—.『クイディッチ今昔』松岡佑子訳,静山社ペガサス文庫,2014年.
—.『幻の生物とその生息地』松岡佑子訳,静山社ペガサス文庫,2014年.
J. K. ローリング,L・フレーザ『ハリー ・ポッター裏話』松岡佑子訳,静山社,2009年•
Harry Potter and the Philosopher’s Stone. Dir. Chris Columbus. Perf. Daniel Radcliffe,
Rupert Grint, and Emma Watson. Warner Bros. Pictures, 2001. Film.
-104 –
Harry Potter and the Chamber of Secrets. Dir. Chris Columbus. Perf. Daniel Radcliffe,
Rupert Grint, and Emma Watson. Warner Bros. Pictures, 2002. Film.
Harry Potter and the Prisoner of Azkaban. Dir. Alfonso Cuaron. Perf. Daniel Radcliffe,
Rupert Grint, and Emma Watson. Warner Bros. Pictures, 2004. Film.
Harry Potter and the Goblet of Fire. Dir. Mike Newell. Perf. Daniel Radcliffe, Rupert
Grint, and Emma Watson. Warner Bros. Pictures, 2005. Film.
Harry Potter and the Order of the Phoenix. Dir. David Yates. Perf. Daniel Radcliffe,
Rupert Grint, and Emma Watson. Warner Bros. Pictures, 2007. Film.
Harry Potter and the Half-Blood Prince. Dir. David Yates. Perf. Daniel Radcliffe, Rupert
Grint, Emma Watson. Warner Bros. Pictures, 2009. Film.
Harry Potter and the Deathly Harrows 一 Part 1.Dir. David Yates. Perf. Daniel Radcliffe,
Rupert Grint, and Emma Watson. Warner Bros. Pictures, 2010. Film.
Harry Potter and the Deathly Harrows 一 Part 2. Dir. David Yates. Perf. Daniel Radcliffe,
Rupert Grint, and Emma Watson. Warner Bros. Pictures, 2011. Film.
Fantastic Beasts and Where to Find Them. Dir. David Yates. Perf. Eddie Redmayne,
Katherine Waterston, and Dan Fogler. Warner Bros. Pictures. 2016. Film.
-105 – - 67 –
-
J・K・ローリング
https://ja.wikipedia.org/wiki/J%E3%83%BBK%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0※ 『翌1991年に、ポルトガルの英語教師としての職を得た。』…。
※ なるほど、ここで「サラザール」との縁が生じたわけか…。
※ 『政府の生活保護により離婚後の生活苦をしのいだ経緯から、労働党を支持している。』…。ここら辺も、興味深い…。
※ いずれ、「シェンゲン協定」による、域内広域移動・居住が生み出した「賜物」といった感じだな…。
※ ヨーロッパ全域で、ヒットしたのも、宜(むべ)なる哉だ…。
※ 『1997年7月26日、『ハリー・ポッターと賢者の石』がハードカバーとペーパーバックの両方で出版された。ハードカバー版の刷り数は500部だった。1巻が発売されても派手な宣伝を行う予算はなく、米国の出版権に入札できないほどだった[8]。
発売されてから3日後、米国の出版権をめぐるオークションではどんどん値がつり上がっていき10万ドルで落札された。米国版の初刷りは5万部だった。』…。
※ 英国で「刷り数は500部」だったのに対して、「米国版の初刷りは5万部だった」とはな…。
※ 米国出版界の「慧眼」、極まれりだ…。
『出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この記事で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。ご存知の方は加筆をお願いします。(2018年10月)
この記事は英語版の対応するページを翻訳することにより充実させることができます。(2020年12月)
翻訳前に重要な指示を読むには右にある[表示]をクリックしてください。
J・K・ローリング
J. K. Rowling
CH OBE HonFRSE FRCPE FRSL
2010年、ホワイトハウスでのローリング
誕生 ジョアン・ローリング
Joanne Rowling
1965年7月31日(58歳)
イングランドの旗 イングランド グロスタシャー州 イェイト(英語版)
職業 児童文学作家兼脚本家
国籍 イギリスの旗 イギリス主題 ファンタジー
代表作 『ハリー・ポッター』シリーズ
主な受賞歴 ネスレ・スマーティーズ賞(英語版)
ブリティッシュ・ブック・アウォーズ(英語版)
アストゥリアス皇太子賞平和部門
アンデルセン文学賞
デビュー作 『ハリー・ポッターと賢者の石』
パートナー ニール・マレー
子供 3人(息子1人、娘2人)
署名
公式サイト http://www.jkrowling.com
テンプレートを表示J・K・ローリング(英: J. K. Rowling)こと、ジョアン・ローリング(英: Joanne Rowling CH, OBE, HonFRSE, FRCPE, FRSL, [ˈroʊlɪŋ] ROH-ling;[1]、1965年7月31日 – )は、イギリスの作家、慈善家、映画プロデューサー、脚本家。ハリー・ポッターシリーズの原作者として知られる。
25歳までに小説2作品を書き上げたが全く日の目を見なかった。27歳の頃から生活保護と住宅手当を受け、この間小説のアイデアを書き続けていた。29歳で貧困と心労のため深いうつ病になり、自殺も考えていた。同年、公立学校教員免許状取得のための求職者支援制度を活用し、スコットランド教育産業局から補助金を受け取った[2]。30歳で「ハリー・ポッター」シリーズの原稿を完成させた。このシリーズは世界中で反響を呼び幾多の賞を獲得した他4億部以上出版されている[3]。これは史上最も売れたシリーズ作品であり[4]、また映画化シリーズは世界歴代12位の興行収入をあげた[5]。また、「ハリーポッター」シリーズのスピンオフ映画『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』(2016年)では脚本家としてデビューし、シリーズの脚本を務めている。また、ロバート・ガルブレイス(英: Robert Galbraith)というペンネームで犯罪小説を書いている。
ペンネーム
現在のペンネーム「 J・K・ローリング」は、本のターゲットとなる男の子が女性作家の作品だと知りたくないだろうと心配した出版社が、イニシャルを用いるように求めたためにつけられたものである。ローリングはミドルネームを持っていなかったので、祖母のキャスリーン(Kathleen)にちなみ、ペンネームをJ・K・ローリングとした[6]。ハリー・ポッターシリーズが終わっても作家業を続け、作家名も変えないと発言していたが、2013年になり、ロバート・ガルブレイス(英: Robert Galbraith)という男性名で探偵小説を出版していたことがわかった。
なお、本人がジョアン(英: Joanne)でなく、その略称であるジョー(英: Jo)と称するのを好むのは、子供の時、ジョアンと呼ばれるのは怒られる時だけだったためで[7]、ペンネームではない。
経歴
作家になるまで
タッツヒルのチャーチ・コテージ。左に見えるのは教会で、さらに左に教会付属の墓地が広がる。
イギリス南西部ブリストルの北東約15キロ、グロスタシャー州にあるイェイト(英語版)に住むロールスロイスの航空機のエンジニアであるピーター・ジェームズ・ローリングとアン・ローリング夫妻の長女として生まれた[8]。生まれた病院は、隣町のチッピング・ソドベリー(英語版)にある。2年後に妹が生まれ、本人が4歳の時に家族はグロスタシャーのウィンターボーン(英語版)に移り、さらに9歳の時にタッツヒル(英語版)へと引っ越し、「チャーチ・コテージ」と呼ばれる19世紀半ばに建てられたゴシック風の建物で、美しい庭に囲まれて成長した[9]。近くには、自然豊かなディーンの森があった[注釈 1]。この様々な民間伝承をもつ神秘的な森は彼女の想像力をかき立てた[8]。
子供時代から物語を書くことが好きで、初めて書いたのは『Rabbit』という名前のウサギの話で、6歳の時である[2]。ワイディーン・コンプリヘンシヴ・スクール(総合制中等学校)時代にはすでに想像力に富んだ作品で国語の教師たちに強い印象を与えていた。サバイバルを主題にしたエッセイ『私の無人島生活(My Desert Island)』はA+をとった。しかしこの頃はガリ勉といじめられたり因縁をつけられ喧嘩をふっかけられたりと不愉快な思いも経験していた。また15歳のころ母アンが多発性硬化症と診断が下される。陽気で活力にあふれた母が徐々に病魔に侵されていくのを見ているのは胸が引き裂かれるほど辛いことだったとローリングは語っている。ローリングは最終学年でヘッドガールに選ばれるなど明るく社交的な人気者になっていた[8]。
本人は文学方面に進みたかったが、両親の希望の母国語(英語)の教員となるためにエクセター大学でフランス語と古典英語(古英語、中英語、初期近代英語)を学んだ。1年間の留学期間が必須科目だったのでパリに留学し、パートタイムで英語講師として英語を教えた。在学中も多くの小説を書いたが完成までは進まず、むしろ読む方に時間を費やし、ジェーン・オースティンなどの作品を読んだ。最終学年を迎えた1987年、自ら志願して年に1回マーティン・ソレルの指導で上演されるフランス語の劇に協力した。フランスの劇作家オバルディアの『農場の宇宙飛行士』という哲学的なファンタジー喜劇で衣装係に任命された。
1987年夏卒業。この頃母アンの病状はかなり悪化しており車いすや歩行器が必要となっていた。卒業後はロンドン南西部のクラパムにあるフラットに引っ越した。ロンドンのアムネスティ・インターナショナルで秘書として働いたが、仕事にはあまり興味を見出せなかった[10]。この時は大人向けの小説を書き始めていた。一度だけ出版社で働いたこともあり、原稿の断り状を送る作業をしていた。この頃、タイプをかなりのスピードで打つことが出来るようになっていた。ローリングは25歳を迎えるまでに2つの小説を書いたが日の目を見なかった。その頃からカフェやバーでメモや短い文書を書きなぐる習慣ができた[8]。
ハリー・ポッター着想と困窮ハリー・ポッター第1巻を執筆した、エディンバラのカフェ「エレファントハウス」
1990年6月、エクセター大学時代の恋人がマンチェスターに移り住んでいたのでそこに一緒に暮らそうと考えていた。週末を使ってマンチェスターでフラット探しをしたが見つからず、延々と続く英国の田園風景を眺めながら4時間かけてロンドンへ戻る列車に座っていた。自分と同じように寂しげな黒と白のフリーシアン種の牛たちをじっと見つめているうちに、突然アイディアが浮かんできた。何がきっかけだったのかはわからないが、目の前に「ハリーや魔法学校のイメージ」がはっきり浮かんできた。この男の子は自分が何者なのか知らず、魔法学校への入学許可証をもらうまで自分が魔法使いだと知らないという設定がパッとひらめいた。一つのアイディアに夢中になったのは初めてだった[11]。 ペンも紙もなかったため、これらを頭の中ですべて思い浮かべていった。主人公のこと、通う学校、そこで出会う人々――。ロンドンに着く頃にはロン・ウィーズリーとハグリットを思いついていた。この段階では名前はついておらず、後から情報を集めて思いついて行った。もっとも時間をかけて考えたのが学校そのものと、その雰囲気だ。場所はスコットランドを舞台に選んだ。ローリングは自分の部屋へ戻ってから、列車で考えていたことを思い出しては、安物の薄っぺらいノートに一心不乱に書き留めていった。これがハリー・ポッターの最初の草案となった[8]。
仕事はマンチェスター商工会議所で派遣秘書の職が見つかり、その年が終わる頃にはロンドンから引っ越してくることができた。ハリーとの出会いは退屈な暮らしに喜ばしい変化が訪れ、ローリングが彼の冒険物語について書いたメモはすぐに靴箱いっぱいになった。この頃から7巻のシリーズにすることを決めていた。
1990年12月30日に母アンが45歳で亡くなる。10年に及ぶ闘病生活だった。その死はローリングの心に深刻な影響をもたらし、執筆中だった本の方向性にも及んだ。打ちひしがれてマンチェスターに戻ってもそこには行き場のない人生が待っているだけであった。しかも恋人との間にも険悪な空気が漂い始め、派手な喧嘩をしたあと、部屋を飛び出して郊外のディズバリーの小さなホテルに1人で泊まった。そこで思いついたのがクィディッチだった[8]。
翌1991年に、ポルトガルの英語教師としての職を得た。日中はコーヒーバーに居座って原稿を書いていた。ポルト在住中5ヶ月目バーで出会った男性と同棲する。その後すぐに妊娠するが流産となる。1992年に27歳で結婚。しかしその前にはすでに二人の関係には亀裂が入っていた。それから数週間後再び妊娠する。妊娠期間中はそれまでになくハリー・ポッター執筆に時間を費やすようになった。
1993年7月、長女ジェシカを出産したが、その4ヶ月後に離婚した。この時父ピーターは再婚していたため、妹のダイが住むエディンバラに娘とともに移り住んだ。ダイはこの時完成していた第3章までの原稿を読み夢中になった。
1993年12月社会保障局で生活保護と住宅手当を申請し、69ポンドの手当を得た。友人に600ポンドの借金もした。幅木のネズミの音に耐えられず新しいアパートを見つけようとしたが住宅手当を理由に次々と断られた。最終的にサウス・ローン・プレイス七番地に引っ越した。この家のキッチンテーブルで『賢者の石』を書き上げることになる[8]。
1994年頃から貧困と心労のため深いうつ病になり、「自殺も考えた」ことがあると英北部エディンバラ大学の学生誌に明かした。この時の経験が、ハリー・ポッターシリーズに登場するディメンターのもととなった。ローリングは義理の弟が買い取ったサウス・ブリッジとロイヤル・マイルの交差点にあるカフェ、ニコルソンズでコーヒーをすすりながら原稿を書き進めていった。
1994年の暮れには秘書の仕事を見つけたが、15ポンド以上収入があると手当から控除されてしまうためそれ以上稼げなかった。この頃スコットランドで教職を得るため、現代語の公立学校教員免許状(PGCE)取得のためのコースを受けた。1995年の夏にはスコットランド教育産業局から補助金を受け取ることができた[2]。
ハリー・ポッターの大ヒット
1995年、完成した原稿を著作権エージェンシーに送った。1件目はそっけない断りの手紙とともに送り返されてきた。2件目のクリストファー・リトルが経営するChristopher Little Literary Agencyで契約を結んだ。原稿は12の出版社に提出されたが、あまりに長編で、出版する会社は現れなかった。新人による子供向け書籍の出版に取り組んでいたブルームズベリー出版社(英語版)が出版することとなったのは、受け取った原稿を、編集者が自分で読む前に8歳の子供アリス・ニュートンに手渡して反応を見たからである。1時間後に部屋から出てきたアリスは、「パパ、これは他のどんなものよりもずっと素敵だ」と話した[12]。契約金は1500ポンドだった。
契約後もマリー・ハウスでの厳しい教育実習を続け1996年7月に教職課程を終了した。ローリングはスコットランドのゼネラル・ティーチング・カウンシルに登録した。またハリー・ポッターシリーズ2巻の執筆にも取り掛かっていた。カウンシルの作家のための奨励金制度で8000ポンドを得ることができた。
1997年7月26日、『ハリー・ポッターと賢者の石』がハードカバーとペーパーバックの両方で出版された。ハードカバー版の刷り数は500部だった。1巻が発売されても派手な宣伝を行う予算はなく、米国の出版権に入札できないほどだった[8]。
発売されてから3日後、米国の出版権をめぐるオークションではどんどん値がつり上がっていき10万ドルで落札された。米国版の初刷りは5万部だった。『賢者の石』出版から2週間後、2作目の原稿を出版社に送った。『ハリー・ポッターと秘密の部屋』の出版から6日後、児童書として初となる英国のベストセラーリストの1位を飾った。「ネスレ・スマーティーズ賞(英語版)」を受賞。「ブリティッシュ・ブック・アウォーズ(英語版)」など多くの文学賞を受賞するなど、新人作家としては異例の扱いを受け児童文学として高く評価されるとともに、多数の外国語に訳される世界的ベストセラーとなり、子供のみならず広範な大人の読者をも獲得した。
1999年6月末、ローリングが4度目に受け取った印税は7桁の金額になっていて、ローリングは正真正銘の億万長者になった。プラチナカード会員のクレジットカードを持ち、15%~20%の印税を受け取るようになっていた。
1999年が終わりを迎える頃、デヴィッド・ハイマンとワーナー・ブラザースとの映画化権の契約が完了した。契約金は100万ドルで、ローリングは起こったことに対する発言権を維持し、脚本に意見をいう権利を持ち、特に英国における特定の種類の商品化に対して拒否権を行使できるようにした。代わりにワーナーは世界中で商標としての「ハリー・ポッター」を管理する権利を得た。
第4巻の発売が決まった頃には、既刊の3巻の売上は英国で800万部、米国で2400万部に達した。4巻の英国での初版部数は100万部を越え、英国・カナダ・オーストラリア・米国の4カ国の総初版部数は530万部にのぼった。この時点でローリングの収入は700万ポンドに上ると見込まれた。
35歳になる2週間前、母校のエクセター大学から名誉博士号を授与された。卒業式ではスピーチを披露した。
2001年、オーサー・オブ・ザ・イヤーに加えて、児童文学への貢献を評価され、女王の公式誕生日の叙勲で英国勲功章(OBE)を受章した。「サンデー・タイムズ」の長者番付では所得額は6500万ポンドだった[8]。
2001年には医師のニール・マレーと再婚し、2003年に男の子、2005年には女の子を出産している。
2007年7月21日、シリーズ最終巻となる『ハリー・ポッターと死の秘宝』が発売された。以後も公式サイトや、映画シリーズの製作等で、同シリーズに関わる。
政府の生活保護により離婚後の生活苦をしのいだ経緯から、労働党を支持している。
また紙媒体での本の重要性を説いており、電子書籍による自著の販売に反対していたが、オフィシャルストア「ポッターモア」でのアンケートなどを経て、2012年からハリー・ポッターシリーズ の電子書籍版を販売している。
2012年には、初の大人向け長編小説 『カジュアル・ベイカンシー 突然の空席』(The Casual Vacancy) を発表した。
2016年公開のハリー・ポッターシリーズのスピンオフとなる映画『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』(Fantastic Beasts and Where to Find Them) では、脚本を担当する。ロバート・ガルブレイス名義
2013年、ロバート・ガルブレイス(英: Robert Galbraith)という男性のペンネームで『カッコウの呼び声』という探偵小説を出版していたことが、サンデー・タイムズの調査により発覚した[13]。本人は「もう少し長く秘密にしておきたかった」と語った[13]。
ロバート・ガルブレイスは2003年から民間の警備保障会社に勤務している英軍警察の元隊員だと説明していたが、初めて書いたにしては出来が良すぎるのではないかと疑問を抱いたサンデー・タイムズ紙が、正体について調査した[14]。
資産
年収約1億2500万ポンド(日本円で約182億円)は、「歴史上最も多くの報酬を得た作家」とされている (Rags to riches)。
2003年5月、イギリスのお金持ちリストが発表され、ローリングがハリー・ポッターの本、映画、その他関連商品から手にした金額が560億円だったことがわかった。この金額はエリザベス女王よりも多く、イギリス国内では上から122番目の富豪になるという[15]。
2007年1月、経済誌フォーブス誌がエンターテイメント界で活躍する女性で資産の多い女性トップ20を発表し、総資産1210億円で2位にランクインした。
2008年The Sunday Times Rich Listでは資産は5億6000万ポンドで、イギリス人女性の12位にランクインした[16]。
2010年1月、英大衆紙ザ・サンによると、スコットランドに260万ポンド(日本円で約3億7500万円)で5軒目となる新たな豪邸を購入したという。この豪邸は31部屋もある大邸宅であるが、ローリングは2、3部屋を見ただけで購入を即決したという。担当をした不動産屋は「彼女は2、3部屋を見ただけで即決しました。所有者が『2階は見なくてもいいですか?』と聞くまでは2階も特に見ようとはしていなかったです」と明かしている。さらにローリングは2010年のクリスマスは家族とこの家で過ごしたいと熱望し、現在の所有者がクリスマスまでに出ていくのであれば30万ポンド(日本円で約4500万円)を購入金額に上乗せして支払ってもいいと言っているという。総資産が5億6000万ポンド(日本円で約840億円)もあるローリングは今回の豪邸以外にもスコットランドに3軒、ロンドンに1軒の豪邸を所有しているという[17]。
影響を受けた作品
本にまつわる一番古い記憶は『たのしい川べ』を父親に読んでもらったことである。また、幼い頃はリチャード・スカーリーの作品に夢中になった。 『宝さがしの子供たち』などを書いたイーディス・ネズビットに大きな影響を受け、他にもスーザン・クーリッジの『すてきなケティ』やエニッド・ブライトンの作品、C・S・ルイスの『ナルニア国物語』シリーズをよく読み、特にジェーン・オースティンの『エマ』は20回以上読んだ。また、ジェームズ・ボンドも好きになった[8]。 ジェシカ・ミットフォード(ミットフォード姉妹の五女)の自伝『令嬢ジェシカの反逆」を読んで、ジェシカの勇敢で理想に燃える人物像に憧れを抱いた[8]。 中学時代にはウィリアム・ゴールディングの『蝿の王』、J・V・マーシャルの『美しき冒険旅行』を読んでいた。 学校の行事で『リア王』を観に行ったことで演劇にも興味をもつようになる。その影響でウィリアム・シェイクスピアを好きになり、『冬物語』に出てくる「ハーマイオニ」という名前を自分の作品の登場人物の名前につけた[8]。 パリの留学中には、日曜日は一日中部屋に篭ってチャールズ・ディケンズの『二都物語』を読んでいた。 大学在学中に『指輪物語』を読み、この壮大な物語の熱烈なファンとなった。全巻で1000ページに及ぶこの本は、長年の間繰り返し読まれたせいですっかりくたびれてしまった。 ローリングはエリザベス・グージの『まぼろしの白馬』こそ「ハリー・ポッター」に一番の影響を与えた本だと語っている。 クラシック音楽もかなり好きで、特にベートーヴェンの『熱情ソナタ』を好んだ。 キャラクターの名前は地名辞典や『ブルーワー英語故事成語大辞典』を利用して考えた[8]。
慈善活動
ロンドンに本部を置くシングルペアレント・ファミリーのための全国協会への50万ポンドの寄付をした。2000年9月には同協会の慈善大使を務めることになった。「ザ・サン」へのイギリスの官僚主義的な福祉についての寄稿も行った[8]。
エディンバラの地元ではガン患者とその家族に対してするカウンセリングや支援を行っているマギーズ・センターズに援助した。スコットランド各地で朗読会を開催してグラスゴーとダンディーに新しい支援センターを開設するための資金集めを行った[8]。
母の闘病生活を通じて関わりを持つようになったスコットランド多発性硬化症協会の後援者になった。「スコットランド・オン・サンデー」に特別寄稿をした。これは後に「オブザーバー」でも取り上げられた[8]。
堅いイメージの慈善事業をお祭り感覚で演出しているコミック・リリーフ(Comic Relief)に2冊の本を書き下ろした。いずれも〈ホグワーツ校指定教科書〉でタイトルは『幻の動物とその生息地』と『クィディッチ今昔』。少なくとも一冊に付き2ポンドの印税がコミック・リリーフに寄付された[8]。
トランスジェンダリズムおよび女性の権利擁護運動との関わり
女性の権利擁護運動に積極的にかかわってきたことで評価されていたが、男性器のある女性自認者の女性専用スペース使用の合法化、女性自認者のDV被害女性保護施設利用などの「トランスジェンダー改革」へ疑問を表明すると、強い批判を受けるようになった[18][19]。
ローリングは、トランスジェンダーの権利保障が進むことで、女性だと主張すれば誰でもトイレや更衣室などの女性専用のスペースに入れるようになり、性的暴行などの危険性が増すのだと持論を展開している[20]。しかし、その主張は誤解に基づくものだと複数の専門家らが次のように指摘している[20]。犯罪行為を目的に女性専用スペースに侵入した人物は、たとえ心が女性だと言おうとも、いかなる場合でも罪に問われることになる[20]。トランス女性と犯罪の脅威を安直に結びつけて女性専用スペースから排除しようとすることは、差別にあたると言わざるを得ないと複数の専門家らが指摘している[20]。
トランスジェンダーに関する発言
ローリングは2010年代後半頃からトランスジェンダーに対して自身の意見を展開し発言を行っている。
2018年にローリングは、トランスジェンダー女性に対して「ドレスを着た男性」「トランス女性は単なる女装した男性」などと中傷したツイートに「いいね」を押した[21][22]。
マヤ・フォーステーターという税務専門家が2019年に、「生物学的性別は2つしかない」「人は性別を変えられない。男性・女性という性別は生物学的な事実であり不変のもの」「性別は生まれつきでなく性の自認で決まるという考えの“セルフID”を中心に性別変更を可能にすると、女性の権利が守られなくなる」「好きな代名詞を使って、全ての人の人間性と表現を受け入れることには全面的に賛成です。トランスジェンダーの女性はトランスジェンダーの女性。それでいい。でも、トランスジェンダーの女性は女性であるというドグマ(独断的な意見)を押し付けるのは、全体主義的じゃないか」「男性が化粧をしても、ヒールを履いても、着飾っても、女性にはならない。でも気持ちを傷つけないというために、(女性であると理解しているように)装うのが規範らしい」「(自身を黒人と偽っていた)レイチェル・ドレザルが自分を黒人だと思っていたことと、男性が自分を(成人の)女性だと思っていることの違いが、正直わからない。どちらも、物質的な根拠はない」などといったツイートや主張をして、勤務していたシンクタンクに契約の更新を拒否された[21][23][24][25][26]。フォーステーターはそれを不服として裁判所で争っていたが、裁判所はフォーステーターにトランスジェンダーの人々の権限や「性別を不正確に説明することによる大きな痛み」を無視する権利はないとして、シンクタンクの決断を支持する判決を下した[21]。その判決に対しローリングは、「好きな服を着ればいい。自分を好きなように呼べばいい。合意を得た大人の相手となら寝ればいい。最高の人生を平和と安全と共に生きてほしい。でも、性別は疑問の余地がないと言ったことで、女性を解雇するの?」とツイートし、#IStandWithMaya(私はマヤを支持する)というハッシュタグも付けた[21]。このローリングの行動に対し批判が殺到した[23][24][25]。2020年6月7日、自身のTwitterで「生理のある人」との見出しの付いた記事を引用し、その表現は身体女性に対し侮辱的だと非難した[27]。また同日には「もし生物学的性別が本物でなければ同性愛は存在しない。もし生物学的性別が存在しなければ世界中の女性達の生きた存在が消されてしまう。真実を話すことは差別ではない」とし、「生物学的性別(sex)より性自認(gender identity)を尊重する」姿勢に対して抗議を示した[28]。
ローリングによれば、かつて自身が性暴力の被害者となった経験から、女性達の安全を保護するためにも生物学的性別での区別が必要だと考えるようになったとしている[29]。
2020年6月10日、彼女は自身のサイトで多数のトランスジェンダーの活動家から誹謗中傷や殺害予告などの脅迫を受け取っていると訴え、また「女性は衣装ではない。女性は男性の頭の中の考えではない。女性を『生理のある人』や『陰部を持つ人』と呼ぶ言葉は多くの女性を非人間的で卑劣な物に貶めている」「生物学的性が存在しないのなら、同性に魅かれることはない。生物学的性が存在しないのなら、世界中で女性が経験している現実が消し去られてしまう」「私は、政治的、生物学的階級としての女性を侵食し、捕食者に隠れミノを提供することで明らかな害を及ぼしている運動に、屈服することを拒否する」などという内容の2万字超のエッセイを表明した[30]。
この一連の発言は主にSNS上で多数の非難を受けている。その中には自著の映画に出演している俳優たちも含まれる。ダニエル・ラドクリフは「トランスジェンダーの女性は女性だ。これに反する発言はすべて、彼らの尊厳を傷付けている」と批判[29]。また『リリーのすべて』でトランスジェンダーを演じたエディ・レッドメインやエマ・ワトソンもこれに続いてローリングを批判した[29]。
『フォーブス』誌は「彼女のアカウントは突然“TERF”を批判する言葉であふれた」と報じた[31]。「TERF(ターフ)」とは「trans-exclusionary radical feminist(トランスジェンダーを排除するラディカル・フェミニスト)」の略で、特に「トランス女性は男女平等のための闘いや女性専用のスペースに参加すべきではない」と主張する人々のことを指す[31]。ターフは、トランス排除の理由を「トランス女性は完全な女性ではないためだ」としていますが、LGBTコミュニティからは「トランスフォビアだ」として広く非難されている[31]。ローリングは、自分はターフではないとしていますが、主張していることの内容はターフと同じである[31]。
なお、この2020年6月10日のエッセイの内容には多くの誤りが指摘されている[32]。
ローリングはエッセイにて、「ジェンダー移行を望む若い女性が激増する一方で、後になって後悔し、ジェンダー再移行を行なう人も増えている」ということを問題点として挙げている[30]。しかし、これについては意図的に真実を曲解しているとの批判の声が多い。2015年にアメリカで2万8,000人のトランスジェンダーを対象に行なわれた調査によると、8%がジェンダー移行後に再移行したと回答した。これだけを読むと10%近くもの人がジェンダー移行を後悔しているように見えるが、実際にジェンダー移行をやめて再移行したと回答した人のうち、62%はあくまで一時的な再移行だった[32]。そして、ジェンダー再移行する理由で最も多かったのが、親から再移行するようプレッシャーを受けたからだった[32]。そのほかには、ジェンダー移行後に受けたハラスメントに耐えられたなかったことや、仕事が見つけられなかったことが挙げられた[32]。実際に再移行をした人のうち、ジェンダー移行は自分にとって正しいアクションではなかったと答えた人は全体の0.4%だった[32]。ローリングはこのデータの一部を切り取って、“ジェンダー移行がトレンドとして激増しており、そのなかで誤ってジェンダー移行してしまう若者が増えている”とする、反トランスジェンダー主義者のあいだで訴えられている主張をしており、そのため、ジェンダー移行/性別適合手術によって命や人生が救われている多くのトランスジェンダーの人々の差別や偏見につながっていると批判されている[32]。
他にも、ローリングはエッセイの中で、「社会的伝染(social contagion)」という言葉を使い、思春期の若者のあいだでジェンダー移行したいという感情が“伝染”してしまっているいう説に触れている[30]。エッセイの中では、ブラウン大学のリサ・リットマンが発表した、若い女性が性自認ではなく社会的なプレッシャーが原因の感情によってジェンダーに違和感を覚えているとするROGD(=性別違和感の急激な発生)という論文に触れている[32]。しかしこの論文はのちに、当事者であるトランスジェンダーのティーンではなくその親の証言を元にしていたことがわかった[32]。当然、子供のジェンダー移行に賛同していない親はROGDを理由に挙げる可能性が出てくるため、論文が掲載されたサイトが訂正版を公開する結果となった[32]。
また、ローリングはエッセイにおいて、「10年前、反対の性にジェンダー移行をしたい人の大半は男性でした。この比率は今や逆転しています」としている[30]。しかし2019年のイギリス政府の発表によると、これは事実ではない[32]。イギリス政府の調査では、トランスジェンダー女性は人口の3.5%で、トランスジェンダー男性は2.9%。ジェンダー移行をしているのは、生まれた時に割り当てられた性別が男性の方が上回っていることがわかっている[32]。
2020年7月5日、ローリングは「多くの医療の専門家達が、メンタルヘルスの問題を抱える若者たちが、本来はそれが最善の方法では無いのにもかかわらず、(ジェンダー移行のための)ホルモン治療や手術という脇道へと誘導されていることを憂慮しています」「私を含む多くの人々は、若い同性愛者たちが、結果として生殖力や生殖機能を失うことになるかもしれない、医療化という生涯にわたる道へと向かわされるという、新種のコンバージョン・セラピーを目撃しています」「これまでにも何度も言った通り、ジェンダー移行は一部の人々にとっては正解かもしれません。しかし、その一方で、そうではない可能性もあるのです。ジェンダー移行後、元に戻ろうとした人々の話に目を向けてください」「異性のホルモンによる長期的な健康リスクは、ずいぶん長い間記録されてきています。トランス活動家たちは、それらの副作用について、最小化され否定していますが」とツイートした[33]。「コンバージョン・セラピー」とは、別名“同性愛の矯正治療”とも呼ばれる、おもに同性愛者を異性愛者に“矯正”または“転換”させるために行う一連の行為のことを指すが、医学的・科学的に誤りであることが実証されており、”治療”に当たる人の多くは医師免許やカウンセラーの免許を持っていない[33][34]。コンバージョン・セラピーには、カウンセラーと話しながら進めていく会話療法や、不快な感情やイメージを植えることで問題行動を抑制する嫌悪療法、電気ショック療法、同性愛者の指向を薬物や酒の依存症と同じような問題として扱う手法などが用いられるが、自分自身に対して憎しみや嫌悪感を抱かせる治療が主であることから、治療の過程で心身を病んでしまい、自殺を図る若者が後を絶たないため、欧米では非常に問題視されている[33]。ローリングは、“多くの若者がメンタルヘルスの問題と性別違和(生まれ持った心と体の性が異なる)を混同しており、不必要な性別適合治療や手術へと促されている”、“安易に性別適合手術やホルモン治療を行なうことは、新種のコンバージョン・セラピーである”と主張しているということである[33]。これに対し、トランスジェンダー俳優のスコット・ターナー・スコフィールドは、ローリングは「被害者であることを武器化して、科学的に誤りであることがすでに暴かれているセオリーを拡散し、トランスジェンダーに差別的なヘイトスピーチをあたかも正当かのように見せている。社会の隅に追いやられた、弱い立場にある少数派に対する組織的な政治運動に加担している」と批判した[33]。トランス活動家でモデルのマンロー・バーグドルフは「ローリング氏は、自分の言動がトランスジェンダーの若者たちの精神におよぼす悪影響について考えたことは一度も無いんでしょうね。たとえ若者たちのジェンダー移行を支持しなくたって、彼らがトランスであることを止められるわけじゃない。もし、彼らに自認とは違う性別として生きることを強制するなら、それこそがコンバージョン・セラピーだよ」と、ローリング氏を呆れた口調で非難した[33]。
2020年9月に出版された「私立探偵コーモラン・ストライク」の新刊「Troubled Blood」では、犯人が女装をトリックとして用い変装して犯行に及んだという描写を取り入れたことがトランスジェンダーに対して差別的だとして非難された[35][36]。ただしこのキャラクター自体は作中でトランスジェンダーとして描かれているわけではなく、ミステリー小説において犯人がトリックで異性装を用いたという描写は実際に珍しい物ではない。
2020年9月22日、ローリングは「時には、Tシャツが話しかけてくれることがある」という文言と共に、「This WiTCH DOESN’T BURN(この魔女は燃えない)」というメッセージが描かれたTシャツを着た写真をツイートした[37]。ローリング氏はこのTシャツを購入したTシャツを購入したサイト「Wild Womyn Workshop」のリンクも投稿していたが、このサイトで販売されていた一部のバッジには、「トランス女性は男性です(TransWomen are Men)」「あんたの代名詞なんか知るか(F*ck Your Pronouns)」「トランス男性は私のシスター(Transmen are my sisters)」といったトランスジェンダーに理解を示さない文言がデザインされていた[37]。
2021年11月、Twitterで3人のトランスジェンダー活動家により自宅の住所を写真で晒されたことを明らかにし、家族にも危害を及ぼしかねない悪質な嫌がらせだとして抗議した[38]。また一連の批判と因果関係は不明だが、2022年1月にHBO Maxが制作した特別番組『ハリー・ポッター20周年記念:リターン・トゥ・ホグワーツ』には、映画版の歴代キャストやスタッフが集結したが、原作者であるローリングは出演しなかった[39]。これに関してはネット上でキャンセル・カルチャーだとして番組の制作側に批判の声が集まった。
2022年3月25日、ロシア連邦大統領のウラジーミル・プーチンはビデオ会議の中でロシアによるウクライナ侵攻に反発した西側諸国のキャンセル・カルチャーに触れた際、プーチンはローリングのトランスジェンダー発言によるキャンセル・カルチャーの事例を引き合いに出した上で「世界中で何百万部も売り上げた本の作家であるJ・K・ローリングは、いわゆる『ジェンダーの自由』支持者の気に障ったがためにキャンセルされている」と彼女を擁護した[40][41]以前からチャリティー団体などを通してウクライナ政府と連携し、自身も100万ユーロ[注釈 2]をウクライナへ寄付してきた[42]ローリングはプーチンの発言に強く抗議し「#IStandWithUkraine」のハッシュタグを添付したツイートをTwitterに投稿してウクライナ支持の意思を表示した[40][41][43]。また、2022年4月8日には、ローリングの意向により、ロシア国内で流通しているハリー・ポッターシリーズの電子書籍販売を停止することが同月6日に同国メディアから報じられた[44]。
2023年2月16日にニューヨークタイムズは「In Defense of J.K. Rowling」という論説(Opinion)の投稿を掲載し、ローリングに対する「トランス嫌悪」「トランス差別主義者」という罵倒、著書の撤去、住所晒し、性暴力や殺害の予告を含んだ脅迫行為をおこなう「過激派」を批判し、ローリングへの支持を表明した[19]。ローリングはDVシェルターや女性刑務所など女性専用スペースを持つ権利、法的性別の決定にセルフIDでは不適切だと言っているだけであり、性別不合(旧:性同一性障害)の存在へ異議を唱えたり、証拠に基づく医療的な手術(性別適合手術)を受けた者への性別移行の法的容認(手術済トランス女性の法的性別変更)へ反対したことは一度もない。ニューヨークタイムズは、「トランス差別」の本来の定義に沿った発言をしていないローリングに対するアンチキャンペーンは馬鹿げているだけでなく、サルマン・ラシュディへの刺傷事件のように、作家が悪魔化されたときに起こり得る危険性があると報道している[19]。ただし実際には、前述のように「人は性別を変えられない。男性・女性という性別は生物学的な事実であり不変のもの」と主張したマヤ・フォーステーターをローリングは支持している。
2023年10月23日、ローリングはX(旧ツイッター)に「あとについて繰り返して。トランス女性は女性です」という画像を投稿、それに「ノー」とコメントを添えた[22]。
略歴
1995年、エディンバラのカフェ The Elephant House で『ハリー・ポッターと賢者の石』を書き上げた。 1996年、同書がブルームスベリー出版社から出版されることが決まる 1997年、同書がイギリスで発売され、ベストセラーとなる。 1998年、『ハリー・ポッターと秘密の部屋』出版。 1999年、『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』出版。 2000年、『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』出版。児童文学への貢献を評価されて英国勲功章 (OBE) を受章。 2003年、『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』出版。 2005年、『ハリー・ポッターと謎のプリンス』出版。 2007年、『ハリー・ポッターと死の秘宝』出版。 2012年、『カジュアル・ベイカンシー 突然の空席』出版。 2013年、『カッコウの呼び声 私立探偵コーモラン・ストライク』出版。(以下、ロバート・ガルブレイス名義) 2014年、『カイコの紡ぐ嘘 私立探偵コーモラン・ストライク)』出版。 2015年、『Career of Evil(原題)』出版(『コーモラン・ストライク』シリーズ第三作)。
作品リスト
ハリー・ポッターシリーズ 巻 タイトル 原題 発売日 日本発売日
1 ハリー・ポッターと賢者の石 Harry Potter and the Philosopher’s Stone 1997.6.26 1999.12.1
2 ハリー・ポッターと秘密の部屋 Harry Potter and the Chamber of Secrets 1998.7.2 2000.9.1
3 ハリー・ポッターとアズカバンの囚人 Harry Potter and the Prisoner of Azkaban 1999.7.8 2001.7.18
4 ハリー・ポッターと炎のゴブレット Harry Potter and the Goblet of Fire 2000.7.8 2002.10.23
5 ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団 Harry Potter and the Order of the Phoenix 2003.6.21 2004.9.1
6 ハリー・ポッターと謎のプリンス Harry Potter and the Half-Blood Prince 2005.7.16 2006.5.17
7 ハリー・ポッターと死の秘宝[注釈 3] Harry Potter and the Deathly Hallows 2007.7.21 2008.7.23
映像化『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1』Harry Potter and the Deathly Hallows Part1(2010年)- 原作・製作 『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』Harry Potter and the Deathly Hallows Part1(2011年)- 原作・製作 『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』Fantastic Beasts and Where to Find Them(2016年)- 原作・脚本・製作 『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』Fantastic Beasts The Crimes of Grindelwald(2018年)- 原作・脚本・製作 『ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密』Fantastic Beasts The Secrets of Dumbledore(2022年)- 原作・脚本原案・共同脚本・製作 『私立探偵ストライク』Strike(2017年-)- 原作・製作総指揮
関連
幻の動物とその生息地 Fantastic Beasts and Where to Find Them(2001.3.1) クィディッチ今昔 Quidditch Through the Ages(2001.3.1) 吟遊詩人ビードルの物語 The Tales of Beedle the Bard(2008.12.4) ハリー・ポッターと呪いの子 Harry Potter and the Cursed Child(2016.7.31)ストーリーコンセプト(脚本ジャック・ソーン)
短編
ハリー・ポッター前日談Harry Potter prequel(2008.7)
大人向け
『カジュアル・ベイカンシー 突然の空席』(The Casual Vacancy)2012.9.27(テレビドラマ化)
※イギリス郊外の町を舞台とした、作者初の大人向け長編小説。原書は2012年9月27日に刊行。独占翻訳権は講談社が取得した[45][46]。
『私立探偵コーモラン・ストライク』シリーズ
「私立探偵コーモラン・ストライク」も参照『カッコウの呼び声 私立探偵コーモラン・ストライク』(The Cuckoo's Calling)2013.4.18 『カイコの紡ぐ嘘 私立探偵コーモラン・ストライク』(en:The Silkworm)2014.6.19 『(邦題未定)』(en:Career of Evil)2015.10.20(未出版) 『(邦題未定)』(en:Lethal White)2018.9.18(未出版) 『(邦題未定)』(en:Troubled Blood)2020.9.15(未出版) 『(邦題未定)』(en:The Ink Black Heart)2022.8.30(未出版) 『(邦題未定)』(en:The Running Grave)2023.9.26(未出版)
※ロバート・ガルブレイス名義での出版。日本では講談社が出版。
その他
ノンフィクションMcNeil, Gil and Brown, Sarah, editors (2002). Foreword to the anthology Magic. Bloomsbury. ブラウン、ゴードン Brown, Gordon (2006). Introduction to "Ending Child Poverty" in Moving Britain Forward. Selected Speeches 1997–2006. Bloomsbury. Sussman, Peter Y., editor (2006.7.26). "The First It Girl: J. K. Rowling reviews Decca: the Letters by Jessica Mitford". The Daily Telegraph. Anelli, Melissa (2008). Foreword to Harry, A History. Pocket Books. Rowling, J. K. (2008.6.5). "The Fringe Benefits of Failure, and the Importance of Imagination". Harvard Magazine. J. K. Rowling, Very Good Lives: The Fringe Benefits of Failure and Importance of Imagination, illustrated by Joel Holland, Sphere, 14 April 2015, 80 pages (ISBN 978-1-4087-0678-7). Rowling, J. K. (2009.4.30). "Gordon Brown – The 2009 Time 100". Time magazine. Rowling, J. K. (2010.4.14). "The Single Mother's Manifesto". The Times. Rowling, J. K. (2012.12.30). "I feel duped and angry at David Cameron's reaction to Leveson". The Guardian. Rowling, J. K. (2014.23.17). Isn’t it time we left orphanages to fairytales? The Guardian. Rowling, J. K. (guest editor) (2014.4.28). "Woman's Hour Takeover". Woman's Hour, BBC Radio 4.[47]
賞・学位
ローリングはセント・アンドルーズ大学、エディンバラ大学、エディンバラネーピア大学、エクセター大学、アバディーン大学、ハーバード大学から名誉学位を受けている。ハーバード大では2008年卒業式でスピーチを行った。2009年フランス大統領ニコラ・サルコジからレジオンドヌール勲章を授与された。
その他賞:
1997 Nestlé Smarties Book Prize金賞『賢者の石』 1998 Nestlé Smarties Book Prize金賞『秘密の部屋』 1998 British Children's Book of the Year『賢者の石』 1999 Nestlé Smarties Book Prize金賞『アズカバンの囚人』 1999 National Book Awards Children's Book of the Year『秘密の部屋』 1999 ウィットブレッド賞『アズカバンの囚人』 2000 British Book Awards 2000 大英帝国勲章 2000 ローカス賞『アズカバンの囚人』 2001 ヒューゴー賞『炎のゴブレット』 2003 アストゥリアス皇太子賞 2003 ブラム・ストーカー賞『不死鳥の騎士団』 2006 British Book of the Year『謎のプリンス』 2007 ブルーピーター・バッジ 金賞 2007 バーバラ・ウォルターズ Most Fascinating Person of the Year 2008 British Book Awards 2010 アンデルセン文学賞 2011 英国アカデミー賞 2012 ロンドン名誉市民
その他
2014年スコットランド独立住民投票では、スコットランドは、油田とガス田が乏しくなりつつあり独立すれば経済的にダメージを受けるとして独立に反対し独立反対運動に100万ポンド(約1億7300万円)を寄付した。 ラグビーワールドカップ2015日本対南アフリカはラグビー史上、類を見ない番狂わせとして知られるが[48]、試合後に「こんな話は書けない…」とTwitterで述べた[49][50]。 2016年のイギリスのEU離脱の国民投票では残留を支持した。 ドナルド・トランプを批判している。 日本人のファンによる、「ハリー・ポッター」シリーズの主人公から、「ファンタスティック・ビースト」の主人公にバトンタッチしている様子を描いたイラストにTwitterで感謝を示した[51]。
注釈
^ ディーンの森は、ハリー・ポッターシリーズ7巻前半で、スネイプの守護霊によってハリーがグリフィンドールの剣を見つけ、ロンと再会する場所である。 ^ 日本円で約1億3500万円。 ^ 映画版では製作にも携わる
出典
^ Rowling, J.K. (16 February 2007). "The Not Especially Fascinating Life So Far of J.K. Rowling" Archived 30 April 2008 at the Wayback Machine.. Accio Quote (accio-quote.org). Retrieved 28 April 2008. ^ a b c BBC放送インタビュー、2001年12月28日 ^ Flood, Alison (2008年6月17日). “Potter tops 400 million sales”. The Bookseller. 2008年9月12日閲覧。 ^ “Record for best-selling book series”. Guinness World Records. 2012年10月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年4月18日閲覧。 ^ “Movie Franchises and Brands Index”. Box Office Mojo. 2012年12月19日閲覧。 ^ Transcript of Oprah Interview". hpthedailyprophet.com. 2010. Retrieved 18 November 2010. ^ CBC Interview #1, 26 October 2000 ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『J.K.ローリング その魔法と真実』ショーン・スミス著 鈴木彩織訳 2001年 ^ 竹内エミコ (2011年7月17日). “ハリポタ構想の原点はここに?原作者J・K・ローリングが子供時代を過ごした家が売りに出される”. シネマトゥデイ 2013年7月15日閲覧。 ^ ワシントンポスト紙、1999年10月20日 ^ All about Harry Potterボストン・グローブ紙、1999年10月18日 ^ “The eight-year-old girl who saved Harry Potter” (英語). The New Zealand Herald紙(2005年7月3日). 2012年5月19日閲覧。 ^ a b 共同「チャイム」『産経新聞』2013年7月15日付け、東京本社発行15版、23面。 ^ “「ハリポタ」のローリング氏、新人名義で探偵小説を出していた”. (2013年7月15日) 2013年7月17日閲覧。 ^ “J・K・ローリング、女王陛下よりお金持ち?”. シネマトゥデイ. (2003年5月1日) 2013年7月15日閲覧。 ^ “Joanne Rowling”. The Sunday Times. (2008年4月27日). オリジナルの2011年6月12日時点におけるアーカイブ。 2015年1月6日閲覧。 ^ “4億円近い家をチラ見でお買い上げ!「ハリポタ」J・K・ローリング5軒目の家”. シネマトゥデイ. (2010年1月18日) 2013年7月15日閲覧。 ^ “「性別変更簡易化」スコットランドで強姦犯が女性に性別変更 (2/2)”. Newsweek日本版 (2023年2月9日). 2023年2月26日閲覧。 ^ a b c Paul, Pamela (2023年2月16日). “In Defense of J.K. Rowling” (英語). The New York Times. ISSN 0362-4331 2023年2月20日閲覧。 ^ a b c d “エマ・ワトソンも苦言。トランス差別発言で物議をかもすJ・K・ローリングに、ハリポタ俳優の反応は | CINRA”. www.cinra.net. 2024年4月16日閲覧。 ^ a b c d “J・K ・ローリング トランスジェンダーへの発言に批判集まる”. ハフポスト (2019年12月20日). 2024年4月16日閲覧。 ^ a b “『ハリー・ポッター』のJ・K・ローリング、トランス差別発言で「刑務所に入ってもいい」とツイート ファンに衝撃”. ELLEgirl (2023年10月23日). 2024年4月16日閲覧。 ^ a b “『ハリー・ポッター』J.K.ローリング、「一件のツイート」が大きな非難を浴びた背景 - フロントロウ | グローカルなメディア”. front-row.jp. 2024年4月16日閲覧。 ^ a b Hall, Ellie (2019年12月23日). “J. K. ローリングが、トランスジェンダーへの反対意見を支持 ファンからは悲しみの声”. BuzzFeed. 2024年4月16日閲覧。 ^ a b “『ハリー・ポッター』のJ.K.ローリング、反トランスジェンダーを支持して大炎上”. ELLE (2019年12月19日). 2024年4月16日閲覧。 ^ “ハリポタ作者「性別は生物学的事実であり自由に変えられない」の差別発言を擁護し炎上”. ユルクヤル、外国人から見た世界 (2019年12月23日). 2024年4月16日閲覧。 ^ “J.K.Rowling Twitter”. 2020年6月7日閲覧。 ^ “J.K.Rowling Twitter”. 2020年6月7日閲覧。 ^ a b c “BBC NEWS”. 2020年6月11日閲覧。 ^ a b c d “J.K.Rowling.com”. 2020年6月10日閲覧。 ^ a b c d “『ハリポタ』作者J.K.ローリングのトランスジェンダー差別発言に対し、映画に主演したダニエル・ラドクリフらがトランスジェンダーを擁護する声明を発表” (jp). www.outjapan.co.jp. 2024年4月16日閲覧。 ^ a b c d e f g h i j k “J.K.ローリングの“ジェンダー移行を後悔する人が増えている”発言が与える大きな誤解 - フロントロウ | グローカルなメディア”. front-row.jp. 2024年4月16日閲覧。 ^ a b c d e f “『ハリポタ』作者、「差別的」と大炎上の持論にさらに“上乗せ”しファン落胆 - フロントロウ | グローカルなメディア”. front-row.jp. 2024年4月16日閲覧。 ^ “コンバージョン・セラピー” (jp). www.outjapan.co.jp. 2024年4月16日閲覧。 ^ “「#RIPJKRowling」がトレンド入り! 『ハリー・ポッター』作者に非難の声が噴出している理由”. BUSINESS INSIDER. (2020年8月18日) 2020年10月6日閲覧。 ^ “「ハリポタ作者死亡」匂わせるハッシュタグがトレンド入りの理由とは?【#RIPJKRowling】”. FRONTROW. (2020年9月15日) 2020年10月6日閲覧。 ^ a b “『ハリポタ』作者がまたも物議、トランス差別グッズを販売するサイトを宣伝 - フロントロウ | グローカルなメディア”. front-row.jp. 2024年4月16日閲覧。 ^ “Trans activists will not be charged over picture of JK Rowling’s home”. The Guardian (2022年1月17日). 2022年3月21日閲覧。 ^ “FRONT ROW”. 2022年1月17日閲覧。 ^ a b “ハリポタ作者、プーチン大統領に擁護され反発 「キャンセル・カルチャー」めぐり”. BBCNEWS JAPAN. (2022年3月26日) 2022年3月28日閲覧。 ^ a b “ハリポタ作者のローリング氏、プーチン氏に抗議のツイート キャンセルカルチャー批判で引き合いに出され”. CNN.co.jp (2022年3月26日). 2022年3月28日閲覧。 ^ “JK Rowling: Harry Potter author pledges to match funding for emergency Ukrainian orphanages appeal”. Edinburgh News. (2022年3月7日) 2022年4月4日閲覧。 ^ “「ハリポタ」作者をプーチン大統領が擁護→「収監し毒を盛る人間が...」本人はウクライナへ連帯表明”. ハフポスト (2022年3月28日). 2022年3月28日閲覧。 ^ “ハリポタもロシア撤退 英作家、プーチン氏に反発”. 時事通信 (2022年4月7日). 2022年4月7日閲覧。 ^ 講談社はJ.K.ローリング氏(『ハリー・ポッター』シリーズ著者)の最新作の独占翻訳権を取得しましたのでお知らせいたします。 [リンク切れ] ^ J.K.ローリング最新作、独占翻訳権を講談社が獲得! ^ Alison Flood (2014年4月10日). “JK Rowling to become Woman's Hour first guest editor for 60 years”. The Guardian 2014年5月7日閲覧。 ^ “Rugby World Cup 2015: greatest upsets of all time”. The Telegraph. (2015年9月19日) ^ J.K. Rowling (20 September 2015). "You couldn't write this..." (英語). Twitter. 2022年2月28日閲覧。 ^ “ハリポタ作者「こんな話書けない」、日本代表に各国称賛”. 朝日新聞デジタル (2015年9月20日). 2022年3月12日閲覧。 ^ “「本当に感動した」ハリポタ作者が日本のファンが描いたイラストを絶賛”. (2016年11月30日) 2016年12月8日閲覧。
外部リンク
J.K.Rowling Official Site - Harry Potter and more - 公式サイト(英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語・イタリア語・日本語・ポルトガル語) Pottermore.com - 電子書籍やオーディオブックを購入できるオフィシャルストア。 J.K. Rowling (@jk_rowling) - X(旧Twitter) 表話編歴
ハリー・ポッターシリーズ
表話編歴
100名の最も偉大な英国人
典拠管理データベース ウィキデータを編集
カテゴリ:21世紀イングランドの小説家イングランドの女性児童文学作家イングランドのファンタジー作家SFとファンタジーの女性著作家ヒューゴー賞作家ローカス賞作家ネスレ・スマーティーズ賞の受賞者ブラム・ストーカー賞の受賞者アストゥリアス皇太子賞受賞者アンソニー賞の受賞者アンドレ・ノートン賞の受賞者アンデルセン文学賞の受賞者ハリー・ポッターシリーズ大英帝国勲章受章者イングランドの慈善家エディンバラ王立協会フェローエクセター大学出身の人物サウス・グロスタシャー出身の人物スコットランド系イングランド人1965年生存命人物コンパニオン・オブ・オナー勲章 最終更新 2024年4月24日 (水) 10:14 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。 テキストはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスのもとで利用できます。追加の条件が適用される場合があります。詳細については利用規約を参照してください。
』
-
生命主義とキリスト教
ー米国の中絶論争に学ぶー
田島靖貝|」・
https://core.ac.uk/download/pdf/228944441.pdf『I抄録
日本では一般に,「人命は地球より重い」という生命主義的価値観があると信じられてい
る。一方で,人工妊娠中絶には大いに寛容であり,「中絶天国」などという自嘲的な評価さえ存在する。一方米国では,人工妊娠中絶を巡る論争,いわゆる プロライフープロチョイ
ス論争」は国を二分する大議論となって久しい。特に,米国の倫理的価値判断に強い影響力をもつキリスト教会における議論のゆくえには,大いに興味をそそられる。本論文において
は,特に「全米プロライフ宗教協議会J ( National Pro4ife Religious Council)と,|_産児選
択宗教連合」(The Religious Coalition for Reproductive Choice)に属するキリスト者たち
の主張に耳を傾ける。同じキリスト教信仰に立ちながらも,両陣営に分かれて議論を戦わせ
る彼らの意見に傾聴し,人工妊娠中絶という苦渋の選択をなそうとする女性と,生まれ出よ
うとする胎児,その両者の隣人となるための方法を考える。Key words:人工妊娠中絶 生命主義 プロライフープロチョイス
全米プロライフ宗教協議会 産児選択宗教連合
~序~「人命は地球より重い」。これは,1977年に勃発
した日本赤軍によるダッカ日航機ハイジャック事
件の際に,福田赳夫首相が発した言葉である。以来,我が国における生命主義的思考をリードする
スローガンとなってきた観がある。「人命救助はあ
らゆる事柄に優先する」。これは,古来より我が国
に存在した至上的な価値観であるとは言い難い。わざわざ文献を紐解いてみるまでもなく,誰もが
「姥捨て」や「間引き」について聞き知っているこ- T ajima, Yasunori
九州ルーテル学院大学助教授
とだろう。
また極めて不快な表現であるが,「中絶
天国」などという自嘲的な言葉さえ囁かれている。もしも,「人命は地球より重い」というのであれ
ば,その根拠が示されて然るべきであろう。日本
国憲法は第13条において,国民の「生命,自由,
幸福の追求」についての権利を最大限尊重すると
謳っているが,明確に「国民」としての認知を受
けられない「人命」については沈黙を守っている。具体的にいえば,胎児については未だ「国民」と
認知されるには至らない存在であるから,「地球よ
り重い人命」を持つとはみなされていない。いうまでもないことであるが,人格をともなっ
た生命がいつどの時点で誕生したと認められるの
19
ルーテル学院研究紀要No.40 2006
かについては,万国共通の基準というものは存在
しない。「生命」が「人命」へと変化する瞬間を,
だれもが特定できるわけではない。また,そもそ
も「人命」ではないヒトの「生命」などありえな
いとする主張も少なからず存在する。その代表格
は,ローマ・カトリック教会が主張する「霊魂の
即時賦与説」であり,「人格」と「生命」の分離を
許容しない「生命主義」の主張である。我が国では現在ほとんど議論にすらならない人
エ妊娠中絶の是非の問題も,米国においては国論
を二分する大議論となって久しい。いわゆる「プ
ロライフープロチョイス論争」である。文部科学省は1997年の神戸連続児童殺傷事件以
来,「命を大切にする教育」に積極的に取り組む姿
勢を見せてきたが,その効果が上がっていないこ
とは,親殺し子殺しが頻発する昨今の情勢を見て
も明らかである。「命の大切さ」を自明のこととし
て語る従来の方法は,どこか上滑りで説得力に欠
けるのである。米国(75プロライフープロチョイス論争」は,遠
くから冷めた目で眺める限り,そのなりふり構わ
ぬところがどうかすると滑稽にすら映る。しかし,
「人命」をめぐる問題で大の大人が口角泡を飛ばし
て議論する姿こそ,現在の日本に決定的に欠けて
いるものではないだろうか。子供たちは,大人の
語る「命の大切さ」が単なるお題目に成り下がっ
ていることを敏感に感じ取っている。我が国が
陥ってしまった人命軽視の現状から抜け出すヒン
卜が,米国で熱く繰り広げられる「プロライフー
プロチョイス論争」にあると私は考えているので
ある。I米国の中絶論争
1-1ロウ対ウェイド判決
いわゆる「プロライフープロチョイス論争」は,
単純化して語ればr生命主義」の陣営と,r人間の
選択の自由」を「女性の権利」という視点で主張
する「自律主義」陣営との戦いである。論争の発端は,よく知られた1973年の米国連邦
最高裁における「ロウ対ウェイド判決」にある。
1970年,テキサス州ダラス在住の独身女性ジェー
ン•ロウ(仮名)が,当時すべての中絶を禁じて
いたテキサス州法を違憲であるとし,有能な資格
者である医師の手によって,安全に,しかも医療
設備の整った病院で合法的に中絶手術を受ける権
利を主張した。彼女は当時妊娠中であった。(Baird
and Rosenbaum, 2001,63)これは意外なことかもしれないが,米国では
1865年より1970年まで,すべての州で人工妊娠中
絶は非合法とされていた。そのために素人の手に
よって秘密裏に行われる中絶行為が横行し,多く
の女性が犠牲となり命を落としてきたという経緯
があった。1970年にハワイ州が中絶を合法化した
のを皮切りに,「ロウ対ウェイド判決」が下される
までの間にも,実に18の州が次々と中絶を合法化
していった。「ロウ対ウェイド判決」によって,米国における
全面的な中絶禁止は,憲法の定めるプライバシー
権行使の不当な制限にあたると認められ,違憲と
された。ただしその際,妊娠の中断について女性
の権利が無制限に認められたのではない。連邦最
高裁は胎児の人権についての,いわゆる「妊娠期
間の三期説(trimester system)」を提示し,胎児
の母体外における「生存可能性(viability) J確立
とともに胎児の人権確立の可能性も高くなるとし
た。そこで具体的に裁判所が提示した「生存可能
性」確立の時期は,妊娠24〜28週であった。(Pence,
2000,173)1-2「プロライフ派」の主張
1987年に公表されたローマ・カトリツク教会の
『生命のはじまりに関する教書』は,奇しくも現在
のローマ教皇ベネディクト16世が,教皇庁教理省
長官時代に手がけた文書である。その第一章では,
「人間は,その存在の最初の瞬間から人間として尊
重されるべきである」と宣言され,第二バチカン
公会議の決定である『現代世界憲章』にある文言,
「生命は受胎されたときから最高の配慮をもって守
らなければならない。人工中絶や赤子殺しはもっ
20
生命主義とキリスト教
とも恐ろしい犯罪である」を引用し,いわゆる受
精時における「霊魂の即時賦与」について繰り返
し述べている。また同時に,生命倫理における主
要な議論の一つである,「人格の獲得時期」につい
ての議論に加えて,「生存可能性」についての議論
そのものをもはっきりと否定している。(教皇庁教
理省,1987)一方,特に米国において,教義上はローマ・カ
トリック教会から遠いとみられるプロテスタント
諸教会に属する「プロライフ派」の人々は,こと
人工妊娠中絶に関しては,神学上の相違を飛び越
えてローマ・カトリツク教会の主張と軌を一にし
ているように見える。「プロライフ派」の超教派団
体である「全米プロライフ宗教協議会」(National
Pro4ife Religious Council)には,米国福音ルーテ
ル教会,ミズーリ派ルーテル教会をはじめ,米国
長老派教会,ユナイテッド・メソジスト教会,ユ
ナイテッド・チャーチ・オブ・クライスト,そし
てローマ・カトリツク教会などの教職有志・信徒
有志が加盟している。このNPRCの呼びかけに
よって作られた「プロライフ説教集」である“ The
Right Choice”から,彼らの主張を拾ってみたい。ユニオン神学校 ヴァージニア州リッチモンド)
で助教授として聖書学,説教学を教えるエリザベ
ス・アクティマイアT Elizabeth Achtemeier)は,
中絶問題を,自殺帯助や安楽死,高齢者への医療
制限などと同列に論じている。また,自分が「プ
ロライフ」であることの聖書的根拠は,まず出エ
ジプト記20章3節にある十戒の「殺してはならな
い」にあると述べる。加えて胎児の遺伝的固有性
にも触れ,胎児の創造が神の業であることを主張
する。詩編24編1節「地とそこに満ちるもの,世
界とそこに住むものは,主のもの。」によって,
我々の命は我々自身の所有ではないと述べている。さらに創世記4章9節のカインの言葉にある「弟
の番人」(brother’s keeper)を引用し,我々はお
互い支え合う存在であるから,たとえば15オの少
女の妊娠も,もはや彼女の個人的な問題ではなく,
キリストの愛においてそれは「我々の問題」とな
り,また「教会の問題」となるという。そこで有
名なマザーテレサの言葉,「もしあなたに子供は
要らないなら,私にください。私は要ります。」を
引用し,これを実行に移すべきだと主張する。つまり,女性が中絶を選択するのは,誰の助けも得
られないからであり,教会の「問題のある妊娠委
員会」は,胎児の祝福式をし,ベビー服を用意し,
医療的経済的サポートをなし,職業訓練,教育,力
ウンセリング,住居の提供,そして望まれるなら
ば養子縁組の手配をすることができるというわけ
である。最後に彼女は,友人の牧師から聞いた話
として,ある一人の中絶常習者となってしまった
女性のエピソードを紹介している。その女性はカ
ウンセリング・センターや友人たちから助けを得
たいと思っていたが,得られたのは彼女の行為に
ついての言い訳ばかりで,彼女は一向に安心でき
ないでいた。最後に彼女は近所の教会へ行き,牧
師にすべてを打ち明けた。牧師が彼女に,「あなた
は誤ったことをした。」と言うと,彼女は,|’その
言葉を聞きたかったのです!」と答えたという。そこではじめてこの女性には悔い改めが生まれ,
そして彼女は福音の赦しを受け取ったというので
ある。アクティマイアーはすべての牧師に,少な
くとも1年に1回は日曜日の礼拝で「生命の神聖
主日」(Sanctity of Life Sunday)の説教をする
ことを勧めている。(Stallsworth, 1997, 19-27)ユナイテッド・メソジスト教会のコニー・
ロ ーランド・アルト牧師(Connie Roland AIt)
は,1993年1月の礼拝説教において,子宮内に
ある「赤ちゃん」は人格を持った人間ではない
と判断することを,「嘘」であると断じている。また,金の亡者でその収入が絶たれることを恐
れる中絶医師たちによって,女性たちは「襲わ
れている」と手厳しい批判を展開する。最後に
彼女は,インドのマハトマ,ガンディーの言葉
「非暴力と真実とは分離できない,それぞれ一方
のみで存在することはありえない」を引用し,
中絶をなくし,傷ついた女性たちを受け入れよ
うと勧めている。(Stallsworth, 1997, 29-33)
ユナイテッド・チャーチ・オブ・クライストの
ジョン・ブラウン牧師(John B. Brown)は,1989
21
ルーテル学院研究紀要No.402006
年1月の礼拝説教において,「我々はすべて,男も
女も,老いも若きも,神の恵みを必要としている」
と述べている。私はここに,反セクシズム,反エ
イジズムの主張を読み取っている。すなわち,中
絶は胎児に対する年齢による差別に他ならないと
いう主張である。加えてブラウンは,この社会に「霊的道徳的
オンチ」とでもいうべき男女が増えているとい
う。そして,「責任を欠いた自由」を求める欲望
を持つ人が多くなっていると警告する。さらに
「プロチョイス」の語彙には,「子宮を一掃する」
「妊娠の終局」,生まれる前の子供を「胎児」と
呼ぶこと,「廃棄物]パラサイトI懐胎の産物」
「原形質の塊」「人間になる前の組織体」などの
「女宛曲語法」に満ちていると指摘する。彼の主張
によれば,どのような呼ばれ方にせよ,とにか
くすべての人間存在は尊厳と価値を持つという
こ <とである。(Stallsw orth,1997, 35- 41)ミズーリ派ルーテル教会のポール・クラーク牧
師(PaulM. Clark)は,1995年1月の礼拝説教に
おいて,エレミヤ書1章5節T「わたしはあなたを
母の胎内に造る前からあなたを知っていた。母の
胎から生まれる前にわたしはあなたを聖別し諸国
民の預言者として立てた。」に言及し,尊厳
(dignity)の意味について語っている。原語である
ラテン語のdignitasには,「仕事」!_功績」といった
意味があることに着目し,人間は神のT仕事」によ
り存在するゆえに尊厳を持つと説明する。尊厳の
根拠は,我々が何をするカXできるか)ということ
とは無関係であるという極めてルター派的な説明
がなされている。しかし同時に,「もし生命が,変
化の連続の中におかれているどろどろした太古の
海から進化論的に発生したのなら,人命を守るこ
とは重要ではないだろう」という聖書原理主義的
主張が顔をのぞかせる。(Stallsworth, 1997, 43-48)同じくミズーリ派ルーテル教会のエドワード・
フェスケンス牧師(Edward Fehskens)は,1994
年11月のLutherans for Life全国集会の礼拝で,
「毎年11〇万人の子供が婚外妊娠によって生まれて
いる,これは全出生数の30%に近い」「1991年に,
白人の子供の22%,黒人の子供の67%がシングル
マザーのもとに生まれている」「全出生数のうち
26%が非嫡出子である」「毎年100万人の子供が,
両親の離婚・別離を経験している」「1990年代に生
まれた子供のうち約60%が子供時代に父親不在で
あった『今日,50%の子供が片親だけと暮らした
経験をもつ」などの統計を示し,男が神から与え
られた使命を放棄していることで,女性と子供が
苦しんでいるという主張を展開している。加えて
「もし女性には中絶を選ぶ権利があるというなら
ば,胎児の父親には何の権利もないということに
なる」といって「プロチョイス」の立場を牽制す
る。(Stallsworth, 1997, 49-56)彼の主張を貫い
ているのは,1990年代に全米で大きな運動を展開
した「プロミス・キーパーズ」の価値観,すなわ
ち「父性の復権」である。ユナイテッド・メソジスト教会牧師であり,メ
リーランド州ボルティモアにあるセントメアリー
大学・神学校の新約学教授であるマイケル・ゴー
マン(Michael J. Gorman)は,1994年!.月の主日
説教において,ル力による福音書io章にある「良
いサマリヤ人のたとえ」を用いて,|・誰が強盗に襲
われた人の隣人になったのか?」というイエスの
問いが,隣人の!’基準j( criteria)を問うているの
ではなく,その人の!_品性J( character)を問うて
いるのだと指摘する。正しい問いかけは,「隣人と
して存在すること」についてなのであって「隣人
を定義すること」についてではなかったことに着
目する。そこから導き出されることは,「胎児は厳
密な意味で人間といえるのか?」という問いは間
違っており,むしる どうしたら我々・教会は,困
難な妊娠によって中絶を考えざるを得ない女性や
少年やその家族の隣人となることができるか?」
という問いこそ正しいということである。「良いサ
マリヤ人」としての教会は,女性と子供の両者を
隣人として認識することを学ぶべきであり,その
両方の隣人となるべきであるという持論を展開す
る。(Stallsworth, 1997, 57- 60)ローマ・カトリック教会司祭であるリチャード・
ジョン・ニューハウス(Richard John Neuhaus)
22
生命主義とキリスト教
は,1993年6月に行われた「全米いのちの権利大
会」において,「プロライフ運動のゴールは,政治
的にも文化的にも,胎児への最大限の法的擁護が
支持されることである」と述べている。「ロウ対ウ
エイド判決」は「プライバシー」を,「家族計画連
盟対ケイシー判決」(1992年連邦最高裁判決505 U.
S.833)では「自由」を産児調整のコンセプトとし
ているが,どちらも結果は同じであり,胎児,昏
睡状態の人,認知症の人,老衰状態の人などは選
択の自由」がないことは明らかであるという。宗
教は究極的関心,すなわち存在の概念,意味の概
念,宇宙の概念,人命の神秘についての概念など
を専門として取り扱うが,連邦最高裁は「自己絶
対化の宗教」を創り出してしまったと批判する。胎児は疑いなく独自の遺伝子構造を持つ生命に他
ならないという主張を展開している。(Stallsworth,
1997, 61-68)同じく ローマ・カトリック教会のニューヨーク
大司教であるジョン・オコナー(John Cardinal0′
Connor)は,1993年1月の礼拝説教において,中
絶に関して問題となるのは「恐れ」であると述べ
ている。すなわち,中絶に直面している女性たち
の恐れとは,「子供の面倒は見られないという恐
れ]子供を養い手助けすることはできないという
恐れ」「子供の父親が去っていくという恐れ」「子
供が身体障害知的障害かもしれないという恐れ」
「大学で学べなくなるという恐れ」「仕事を失うと
いう恐れ」!’それほど重大ではないにもかかわら
ず,重要だと思える事柄への恐れj体形が崩れる
という恐れ]男の子が欲しかったのに女の子を妊
娠したという恐れ」またはその逆のケースなどで
ある。恐れは暴力を生み,それが胎児の死を招く
というのである。(Stallsworth, 1997, 69-76)ローマ・カトリック教会司祭であるフランク・
ペイボーン(Frank A. Pavone)は1995年に行っ
た礼拝説教において,中絶の決断は女性の自由な
決定として作用しているのではなく,その女性の
子宮にいる子供の「生か死か」の決断として作用
しているのであると述べる。我々の兄弟姉妹のま
さにその命が,中絶の決断で危うくされていると
いう主張である。これがどうして「プライバシー
の問題」だと言えるだろうかと述べている。
(Stallsw orth, 1997, 77-80)長老派教会牧師であるテリー・シュロスバーグ
(Terry Schlossberg)は,1995年に行った礼拝説
教において,中絶を巡る論争は,「この宇宙には目
的と意味がある」という主張と,「この宇宙にはカ
オスのみがある」という主張との衝突であると述
ベている。つまりそれは,信仰と不信仰,希望と
絶望,愛と愛の欠如との車L株だというわけである。そこで,中絶しないという選択肢を提供するため
に,十代で未婚の少女を教会員の家庭に迎え入れ,
妊娠期間に必要な場所を提供することを勧めるの
である。(Stallsworth, 1997, 81-87)長老派教会牧師であるベンジャミン・シェルド
ン(Benjamin E. Sheldon)は,1989年1月の礼拝
説教において,メアリー・プライド(Mary Pride)
の言葉を引用して,「家族計画が出現した50年代
には,女性の母性に疑問が投げかけられるように
なった。60年代には,中絶の権利が主張された。
70年代には,中絶は合法化され,母性は人生の選択
肢の一つになった。そして今日,母性というもの
は単なる趣味ということになってしまった。」と述
ベ,現代社会には「反子供J( anti-child)の先入観
が蔓延していることを憂慮する。すべての子供は,
生まれた後も生まれる前も神によって創造され,
愛され,神のためにケアを受ける存在であると述
ベ,詩編139編13節の「あなたは,わたしの内臓
を造り,母の胎内にわたしを組み立ててくださっ
た。」とエレミヤ書1章5節の「わたしはあなたを
母の胎内に造る前からあなたを知っていた。母の
胎から生まれる前にわたしはあなたを聖別し諸国
民の預言者として立てた。」を引用し,すべての人
ば 胎児も含めて),固有の人格をもち,神によつ
て知られる独立した存在なのだと述べている。
(Stallsw orth, 1997, 89-94)ローマ・カトリツク教会の修道女マザー・テレ
サ(Mother Teresa)は,1994年2月3日にワシ
ントンD.C.で行われた朝祷会において,「どの子供
も神の姿に似せて創造され,愛するため,愛され
23
ルーテル学院研究紀要No.40 2006
るために生まれます」と述べている。また,「拒絶
され,望まれず,愛されず,恐ろしがられている
と感じている人々,社会から締め出されている
人々,こういった人々の霊的貧困こそもっとも克
服困難なものです。そして避妊,中絶といった行
為は,人々に霊的貧困をもたらします。これこそ
最悪の,もっとも克服困難な貧困なのです。」と述
べている。そしてイザヤ書49章15節をパラフレー
ズして, 「 たとえ母親が子宮の中の子供を忘れるこ
とがあったとしても,そんなことはあり得ないで
しょうが,たとえ母親が忘れるとしても,『私は決
してあなたを忘れない』と書いてあります」と
語っている。(Stallsworth, 1997,101-109)ミズーリ派ルーテル教会のチャールズ・ホワイ
テッド Jr•牧師(Charles E. Whited, Jr.)は,1995
年1月に行った礼拝説教において,現代の状況は
初代キリスト教会時代にコリントの教会が陥った
状況と似ていると述べ,我々の社会は「性的不道
徳」を受け入れ,また大目に見ていると厳しく指
摘している。つまり中絶の容認は,「性的不道徳」
の容認と同一視されているのである。(Stallsw orth,
1997, 111- 116)1-3プロチョイス派の主張
米国において,我が国の厚生労働省に相当する
機関である Department of Health and Hum an
Servicesにて家族計画局の責任者を務めるゲイ
リー・クラム(Gary Crum)は,自らプロライフ
を標榜する生命倫理学者であるが,彼によればプ
ロチョイス派が中絶容認のために掲げる理由は,
以下の8点に分類できる。(Crum, 1992, 11-23)1)中絶は,結果的に社会福祉政策のコスト削減
につながる。2 )中絶は,被虐待児童の数を減らし,苦しみを
減少させる。3 )中絶は,貧困家庭の数を減らし,苦しみを減
少させる。4 )(妊娠によって)死の危機に瀕している女性か
ら胎児を取り出して妊娠を中止することが許
されるなら,中絶もまた許されるべきである。5 )強姦の犠牲となって妊娠した女性から,不必
要な苦しみを取り除くために中絶は容認され
る。6 )近親相姦の犠牲となった女性から,不必要な
苦しみを取り除き,遺伝的家族的混乱を避け
るために中絶は容認される。7 )胎児が障害をもって生まれることが予想され
る場合,母親の心理的健康を損ない,家族に
緊張関係が生まれ,子供の低質な生活が予想
されるならば中絶は容認されるべきである。8 )母親が子供の性別を選びたいと望む場合,あ
るいは胎児の身体組織が病気に悩む人々の苦
しみを取り除くために必要とされるような場
合,中絶は容認されるべきである。ゲイリー・クラムはこの8点について,ひとつ
ひとつ丁寧に反論を試みているが,ここではその
内容には触れないこことしたい。さて,プロチョイス派の陣営にあってひときわ
異彩を放っているのがRCRC,すなわち「産児選
択宗教連合」(The Religious Coalition for Repro-
ductive Choice)であろう。このRCRCのモツトー
は,”Pro 于’aith, Pro 于’amily, Pro~Choice”であり,
「我々は信仰においてプロチョイス」,「祈りの姿勢
のプロチョイス」,「中絶は,道徳的,倫理的,宗
教的な責任ある決断であり得る」と謳っている。
(Gorman, 2003, 3 )このRCRCは,プロチョイスとしての6つの
テーマを掲げている。1)神が与えた性と出産にまつわる絶対的自由に
は,中絶の権利も含まれている。2 )孤立する女性たちゃ十代の少年たちは,それ
ぞれが道徳的主権的存在である。3 )出生前の人命の道徳的位置づけは,卑小化さ
れる。4 )産児調整としての中絶の正当性
5 )中絶の神聖性
6 )聖書によって立証されるプロチョイスの神は,
24
生命主義とキリスト教
すべての選択を祝福する。特に衝撃的なのは,「人工妊娠中絶」と「神聖さ」
が結びつけられている点であろう。マイケル・
ゴーマン(Michael J. Gorman)とアン•ブルック
ス(Ann Loar Brooks)が,RCRCへの批判を記
した論文に”Holy Abortion?’,というタイトノレを
付けたのももっともなことである。興味深いこと
にゴーマンとブルックスは,RCRCの中絶に対す
る態度は,キリスト教の歴史に見る戦争の取り扱
いとのアナロジーにおいてよく理解されると指摘
する。(Gorman, 2003, 30)H 完壁主義¢ perfectionism)とプラグマ
ナズム(pragmatism)2-1r正しい戰争」と「聖戰」
マイケル・ゴーマン(Michael J. Gorman)とア
ン・ブルックス(Ann Loar Brooks)は,中絶論
争を平和主義論争との類比において説明を試みて
いることは前述の通りである。彼らは現代の主流
派キリスト教倫理における選択肢として,「絶対平
和主義」と「正しい戦争」を挙げている。「正しい戦争」思想においては,致死的暴力は,
厳しい倫理的道徳的ガイドラインに照らして,た
だ最終手段としてのみ承認される。戦争とは,あ
らゆる手段を講じて避けるべき,祝福されざるも
のとして認識される。理論上,戦争は謙虚に改懐
の情をもって告発されるべきものである。敵は人
間として取り扱われるべきであり,非戦闘員は標
的とはされない。神の意志による戦争,あるいは
神に祝福された戦争というものは否定される。悪
に満ちた世界では,戦争は状況に応じて人間の行
動として道徳的に正当化される。しかしそれは決
して!_聖なるもの」ではありえない。(Gorm an,
2003, 31)ここで注目すべきは,「正しい戦争」とは,いわ
ゆる「聖戦」とは区別されるということである。「聖戦」とは,彼らが前述の文中で否定している
「神の意志による戦争,あるいは神に祝福された戦
争」のことである。現代の主流派キリスト教会のなかで,正面切っ
て十字軍的「聖戦」を肯定する教派はない。しか
しr聖戦」ではなく , r正しい戦争」を否定しない
教会は少なからず存在する。そのひとつがルーテ
ル教会である。ルーテル教会の信仰告白文書であ
魏アウグスブルグ信仰告白』の第16条において,
「正しい戦争」に従事することは正当であると謳わ
れている。しかしここで再度確認されるべきは,
肯定されている「正しい戦争」においては,ゴー
マンとブルックスが定義するように,「敵は人間と
して取り扱われるべきであり,非戦闘員は標的と
はされない。」のであって,ときに胎児を「人格を
持たぬ存在」とし,無抵抗である胎児の命を奪
うことを是とする中絶容認の立場は,「正しい戦
争」のアナロジーとしてはふさわしくないと言わ
なければならない。2-2プロチョイス陣営の混乱
もし「プロライフープロチョイス論争」を平和
主義論争の文脈で言い換えるならば,ライホンル
ド・ニーバー(Reinhold Niebuhr)が暴力容認の
是非について語る際に用いた用語を採用すべきで
あろう。すなわち,「プロライフープロチョイス論
争」は,「完璧主義ープラグマチズム論争」である。
(Niebuhr, 1935,114)もちろん,これでもまだ不
十分なアナロジーに止まることは承知の上である。「プロライフ」の「絶対平和主義」「完璧主義」へ
の言い換えには,ほとんど異論がないものと思う。一方「プロチョイス」を「正しい戦争」「プラグマ
チズム」とすることには,先の指摘にもあるよう
に各方面からの異論が予想される。まず第一に,プロチョイス陣営は決して一枚岩
ではない。中絶ぜ女性の当然の権利」とする人々
にとっては,中絶は必ずしも「苦渋の選択」では
ない。ましてや「中絶の神聖性」を主張する人々
にとっては,中絶は「回避すべき選択肢」ですら
ないのである。しかしプロチョイス陣営に留まる
25
ルーテル学院研究紀要No.40 2006人々の中には,「苦渋の選択」としての中絶の容認
を求める者も多く,その場合は「必要悪」として
中絶は容認されているに過ぎない。この立場であ
れば「正しい戦争」のアナロジーは一部有効とな
る。さらにプロチョイス陣営の混乱を深くしている
のが,「胎児は人格を持った人間か否か?」につい
ての認識である。プロライフ陣営はこの点につい
ては完全な一枚岩である。彼らの主張によれば,
胎児はどの段階においても人格を持った完全な人
間であり,|_人間か否か?」という問いかけ自体が
ナンセンスなのだ。しかしプロチョイス陣営のみならず,そもそも
生命倫理学的にも,胎児の人格発生時期について
の統一された見解というようなものはないので
あって,あるのはただ「胎児の生存可能性確立時
期」と「母胎の危機を避けるための基準」のみで
あり,「ロウ対ウェイド判決」が,「それ以降の中
絶禁止を法制化できる」としたのも後者の理由を
根拠としているのである。キリスト教倫理学の最左翼ともいうべきジョー
ゼフ・フレッチャー(Joseph Fletcher)の見解は
以下の通りである。最低限の理性と精神性を欠く存在は,たとえ身
体器官が機能しており,自発的生の過程にあると
しても,それは人間とはいえない。もしも事故や
病気で大脳を失い,中脳と脳幹が自発的に機能し
ているとしても,それはモノであってヒトではな
い• • •脳のない生物体は人間ではないのである。
(Fletcher, 1979,135)フレッチャーのように,理性や精神性をもって
人格の基準とする生命倫理学者は少なくない。ただその理性・精神性の確立時期については,自己
認識の確立後であるとか,言語能力の獲得後であ
るとか様々な見解がある。しかしこれらの立場に
共通していることは,出生前に人格が確立すると
は考えられないという点にある。またこれとは別に,胎児はまだ人間ではないけ
れども,しかし将来人間となる「可能性」をもつ
「いのち」であるから,やはり人格を持った人間と
同じように取り扱われるべきであるという主張が
ある。しかしこのような「可能性論者」に対して,
フレッチャーは皮肉を込めて以下のように言い放
つのである。反中絶論者はしばしばこのように言う。「とにか
く,胎児には人間となる可能性がある。たとえば,
形態上未発達だが精神の基礎となる身体組織は,
8カ月目には発生する。」と。これは,事実として
胎児は人間ではないということを認めているのと
同じである。この「可能性」イコールT現実性」で
あるという議論は,「どんぐりは樫の木である」,
「約束は履行である」あるいは「青写真は家であ
る」と主張するようなものである。(Fletcher,
1979,135)この人格の確立時期についての議論に深入りし
ても,それがいわゆる「神学論争」に終始するで
あろうことは容易に予想がっく。「神学論争」と
は,皮肉でそう言っているわけではない。「いのち」の始まりと終わりについての議論は,どうし
ても「神学論争」にとならざるを得ないのであっ
て,そこでは自然科学の定義は用をなさないので
ある。何をもって「人」とするかは,自然科学の
命題ではなく,むしろ人文科学の命題であり,神
学の命題である。以上のような概観から導き出される「プロライ
フープロチョイス論争」のアナロジーには,やは
りニーバーの言う「完璧主義ープラグマチズム論
争」がふさわしいようである。プラグマチズムは,
単純な真偽の二分法を否定する。つまり,プロ
チョイス陣営に身を置きつつ,胎児の人格性を問
題とする人々にとって,どの時点での中絶は正で
あり,どの時点で誤となるのかを確定することは
困難であり,もしそれが多種多様な社会的•文化
的コンテクストを抜きにして論じられるのであれ
ば,実効性を伴った中絶の議論は成立しないとい
うことである。
26
生命主義とキリスト教mキリスト教会としての対応
3 一1RCRC加盟教会の場合
前述の「産児選択宗教連合」(The Religious
Coalition for Reproductive Choice)には,現在4
つの主流派プロテスタント教会,すなわちユナイ
テッド・メソジスト教会,米国長老派教会,米国
聖公会,ユナイテッド・チャーチ・オブ・クライ
ストが加盟している。しかし少なくとも,その4つの主流派教会のう
ちの3つについては,中絶は悲劇的な最終手段」
であって,通常は避けるべき事柄であり,容易に
許されることではないという考えを明らかにして
いる。(Gorm an, 2003, 33)RCRCが掲げるプロチョイスの6つのテーマに
ついては既に触れたが,「中絶の神聖性」を含むす
ベての項目について,加盟団体が一致して賛意を
表しているわけではないということには留意すべ
きであろう。前述の4つの主流派教会のうちで,
唯一RCRCの基本方針に最も近い態度を表明して
いるのがユナイテッド・チャーチ・オブ・クライ
スト(UCC)である。UCCは1987年の総会にて,
「中絶は『社会正義』の問題であり,(最終手段と
して)家族計画・産児調整の正当な手段であるこ
とを意味する」との決議を行っている。しかしそ
こでは同時に,「予期せぬ妊娠に直面している人
は,中絶する前に,出産して子供を育てるか,子
供を養子に出すかを考えるべきである」と勧めて
いる。(Gorm an, 2003, 42)ゴーマンとブルックスの分類によれば,前述の
4つの主流派教会の中絶にまつわる公式見解は,
以下の4点に集約される。(Gorman, 2003, 34)1)婚姻関係内における,契約的な責任あるセッ
クス2 )キリスト者の共同体における意志決定
3) 出生前の人命の神聖さ
4) 産児調整のためでなく,苦渋の選択としての
み許される中絶3-2米国福音ルーテル教会の場合
米国福音ルーテル教会(The Evangelical
Lutheran Church in America)は,かつて一度も
RCRCの加盟教会であったことはない。1995年の
ELCA総会における「教会としてのRCRCへの協
カ」をめぐる決議は,778対101で否決されている。
(Gorman, 2003, 44) ELCAの教会としての公式
見解は,プロチョイスの立場表明は行わないとい
うことであり,中絶に関しては明確に「正しい戦
争」のアナロジーにおける「苦渋の選択」の立場
を表明している。確かに全体教会としては,RCRCに賛同しない
ELCAであるが,もちろんそれはプロライフ陣営
への無条件の賛同をも意味するものではない。そ
のことは,ELCA内の組織であるルーテル女性会
派(The Lutheran Women’s Caucus)が RCRC
の正式加盟団体となっていることを見ても明らか
である。1991年にELCAの総会において表明され
た「中絶についての社会的声明」は以下の通りで
ある。子宮内で成長しつつある命は,生まれ出るため
の絶対的権利を持つわけではない。同様に妊娠中
の女性は,妊娠を中断するための絶対的権利を持
っわけではない。女性と,女性の子宮内で成長し
つつある命の両者への関心は,共通の生命への責
任として表明される••・我々は神が命の創造主であ
ると信じる。ゆえに数多く行われている中絶行為
は,本教会にとっての深い憂慮の源となっている。我々は神が造られた命が失われることを悼む。
キリスト者として強く望まれることは,命を守り保
っことである。中絶は,ただ選択の最終手段とし
てのみあるべきである。(し
ELCAの社会的声明には,中絶をめぐる議論に
おいては,一般論としての「プロライフープロ
チョイス」という立場を超えた視点が求められる
ということが記されている。ELCAは,既に述べ
たとおり「全米プロライフ宗教協議会= NPRC」へ
の賛同者も,「産児選択宗教連合=RCRCJへの賛
27
ルーテル学院研究紀要No.40 2006
同者も内包する教会組織である。このような対立
の一致については,妥協や諦念とは違ういわば
「信仰における一致」を目指す寛容さが求められる
のであろう。~結語〜
プロライフ陣営に属する牧師•司祭の主張には,
それなりに首肯できる部分もある。中絶を回避す
るために,女性を教会においてあらゆる方法で支
援するという主張は頼もしい。しかし,現実に望
まない妊娠を続ける女性を,出産まで,あるいは
出産後も,時間的・空間的・財政的・精神的に支
援し続けることは容易なことではない。プロチョ
イス陣営のある研究者の言葉を借りて言えば,「中
絶をやめて養子縁組させるべきだ」というお手軽
な勧めは,中絶をめぐる議論においては,誰にで
も思いつく「バンパー・ステッカー・レベル」の
発想でしかないということになる。点)中絶を法律で禁じたところで,何も良い結果が
生まれないことは,「ロウ対ウェイド判決」以前の
米国の状況を見れば明らかである。性教育の徹底
はもちろんのことであるが,つまるところ我々の
社会が,どこに向かって何を目指そうとするのか
という社会的なコンセンサスが得られない状況で
は,技術論的な性教育は無力である。また一方で,「中絶は神に祝された行為である」
ということににわかに賛同することもできない。「正しい戦争」を「聖戦」に昇格させることは,「物
言わぬ生命の軽視」という恐ろしい弊害をもたら
すに違いない。さて,最後に我が国日本に目を転じてみたい。
この国は揶揄されているように「中絶天国」なの
であろうか?米国ペンシルバニア大学で日本思想
を講じるウィリアム・ラフルーア(William R.
LaFleur)は,その著書において日本固有のT水子
供養」の普及に着目し,日本人が中絶をどのよう
に合理化してきたかについて解明を試みている。ラフルーアによれば,初期仏教の戒律においては,
殺生の禁止は胎児の中絶にも及ぶものであったは
ずだが,中絶は胎児を神仏の世界に一時的に「カ
エス」ことによってやがて「黄泉がえる」という
考え方が普及したために,間引きを殺人と同一視
することはなくなったという説を紹介している。ただ,このことによって日本人は中絶について全
<良心の呵責を感じなくなったのかといえば,そ
うではないとラフルーアは言う。事実,中絶経験
者の多くが水子供養を望み,水子儀式を引き受け
る寺院に奉納される絵馬の多くには,水子への謝
罪の言葉が書き連ねられており,そこには日本人
の深い罪意識が反映されているとラフルーアは指
摘する。このことは,『菊と刀』を記したルース・
ベネディクト(Ruth Benedict)の「恥の文化」説
を否定する証拠であるとまで言うのである。ラフ
ルーアの目下の関心は,水子供養が日本のキリス
卜教にどのように取り入れられるのかという点に
あるという。(LaFleur,1992)「人命は地球より重い」という言葉は,いつどこ
ででも通用するわけではない。ジョーゼフ・フ
レッチャT Joseph Fletcher)の言葉を借りれば,
もしいついかなる時も「人命が地球より重い」の
であれば,英雄的行為や殉教,正当防衛における
殺傷などの行為には,倫理的根拠を提供すること
はできないということになる。(Fletcher,1988)人工妊娠中絶は,よく言われるように「神を演じ
ること」なのだろうか?それとも,神の委託によ
る責務なのだろうか?私はこの点については後者
を支持する。しかしこのことによって,生命の神
聖性が帳消しになるということは許されるべきで
はない。人工妊娠中絶はあくまで苦渋の選択」と
してのみ成立するのであって,そこには 慰め」は
あるが「祝福」はない。キリスト者の立場で言え
ば,「神の委託による責務」こそ,地球より重いと
知るべきであろう。我々は,神に無断でそうして
いるのではなく,神の委託を受けた管理者
(steward)として判断し行動するのである。人間は,いつ人格を獲得するのか?人間を人間
としているものは一体何なのか?いわゆる生命主
義の優れた点は,その立場上「弱者」と目される
存在の権利を保障できるという点にある。しかし,
28
生命主義とキリスト教
その生命主義があたかも機械論的・決定論的に例
外なく主張されるのであれば,私たちが「神の委
託に忠実であろう」とする自由意志そのものが無
意味であるということにもなりかねない。20世紀
のいわゆる生気論論争は,あらゆる生命現象は物
理的・化学的法則によって説明可能であるという
機械論側の圧倒的勝利に終わった。しかしその結
果が,昨今の風潮である「いのちの軽視」という
形で現れていることを,誰が否定できるだろう
か?聖書原理主義の発想から,進化論を否定する
ような知的創造論を持ち出したいとは思わない。しかし,生命の神聖性(Sanctity of Life)は,生
命の質(Quality of Life)と同様に重視されるべき
ものである。もし世の中の様々な価値観が中絶を選ばせるな
らば,そのような価値観を覆すために心血を注ぐ
べきである。可能な限りの支援にもかかわらず,
それでも中絶を選ばざるを得なかった者には,心
からの慰めを祈るべきである。現実的には,現在の我々に決定的に欠けている
ものは,人命尊重の倫理・道徳的規範などではな
い。欠けているのは,中絶を選ぼうとする人たち
に実現可能な他の選択肢を用意するための努力で
ある。苦渋の選択をなそうとする女性と,生まれ
出ようとする胎児。その両者の隣人となることこ
そ,我々の最終目標である。参考文献
Baird, Robert, M. and Rosenbaum, Stuart, E. eds.( 2001)
The Ethics of Abortion, New York: Prometheus
Books.
Crum, Gary, and McCormack, Thelma,(1992) Abortion:
Pro-Choice or Prolife?, The American Univer-
sity Press.
Fletcher, Joseph¢ 1979) Humanhood: Essays in Biomedi-
cal Ethics. New York: Prometheus Books.
Fletcher, Joseph¢ 1988) The Ethics of Genetic Control.
New York: Prometheus Books.
Gorman, Michael, J. and Brooks, Ann, Loar,( 2003) Holy
Abortion?: A Theological Critique of the RCRC.
Eugene, Oregon: Wipf and Stock Publishers.
教皇庁教理省(1987l生命のはじまりに関する教書』カ
トリック中央協議会
LaFleur, William, R.(1992) Liquid Life: Abortion and
Buddhism in Japan. Princeton University Press.
(二2006,ウィリアム・R・ラフルーア著 森下直貴
ほか訳『水子』青木書店)
Niebuhr, Reinhold/ 1935) An Interpretation of Chris-
tian Ethics. San Francisco: Harper & Row .
Pence, Gregory, E.( 2000) Classic Cases in Medical Eth-
ics, New York: McGraw Hill Companies, Inc.( =
2000,宮坂道夫・長岡成夫訳T医療倫理1』みすず
書房)
Stallsworth, Paul,T. ed.(1997) The Right Choice,
Nashville: Abingdon Press.
註
(1) Second biennial Churchwide Assembly of the
Evangelical Lutheran Church in America, 1991,
A Social Statement on Abortion;
www .elca.org/socialstatem ents/abortion
(2 ) Maguire, Daniel,C. A Catholic Theologian at an
Abortion Clinic, Baird, Robert, M. and Rosenbaum,
Stuart, E. eds( 2001)The Ethics of Abortion, New
York: Prom etheus Books. 201
29
ルーテル学院研究紀要No.40 2006
Vitalism and Christianity:
一 Learning from the Pro-Life and Pro-Choice Arguments in the United States 一
Tajima, Yasunori
In Japan, it is believed that there is a vitalistic view of value, expressed in the phrase “human life is heavier
than the earth.^^ On the other hand, we have a generous tolerance toward abortion. Therefore this country has
been labeled dishonorably as “an abortion paradise.” In the United States, the abortion issue, framed between
the pro-life and pro-choice arguments has been a significant conflict that has divided the country into two
parts. Christianity, which exerts an important influence on the judgment of ethical values in the U.S., continues
to debate with interesting responses. In this article, we will listen to Christian people who belong the National
Pro-life Religious Council and the Religious Coalition for Reproductive Choice. These different opinions,
which are held within the same Christian faith, contemplate what it means to be a neighbor for both women and
fetuses.
Key Words : Abortion, Vitalism, Pro-life vs. pro-choice, National Pro-life Religious Council, Religious Coa-
lition for Reproductive Choice
30 - T ajima, Yasunori