『「安倍さん、辞任するって!」 2007年9月。当時、自民党担当だった私は、騒然とした記者クラブ内の様子を今でもよく覚えている。それほど突然の辞任だった。(※ 第一次安倍政権の話し)
あれから12年。 なぜ、安倍政権は復活でき、しかも「最長」となったのか。 今回、その裏側を当事者の話で明らかにしたい。 (長谷川実)
こうして安倍は「復活」した 2007年、第1次安倍政権は1年で幕を閉じた。 その後、福田、麻生、鳩山、菅、野田と、どの政権も1年前後の短命で終わった。
なぜ、長きにわたる政治の混乱の、引き金を引いたような安倍政権が復活できたのか。
それを身近に見て、復活にも手を貸してきた「盟友」がいる。自民党税制調査会長を務める甘利明だ。
「2012年の総裁選挙は勝つべくして勝ったわけじゃない。3番手からスタートし、逆境を跳ね返した。その結束力が、政権の土台に根付いていることが1番だろうね」
甘利が「逆境」と表現するのも当然だろう。 2007年9月12日、安倍は辞意を表明し、翌日、病院に入院した。
安倍は、7月の参議院選挙で大敗しながらも続投を表明。 2日前に行った所信表明演説に対する代表質問に臨む、まさにその日の辞意表明だった。
政権を放り出した格好となり、与党内からも、「理解しがたい」「とまどいを通り越して、悲しみさえ覚える」などと、厳しい批判が浴びせられた。
2012年。安倍は、政権復帰直前の自民党総裁選に再び立候補した。
これには、永田町でも驚きの声があがった。
自民党の総裁経験者が再び総裁に就いた例はないうえ、5年前のあの時の辞め方だ。
はじめに菅が… なぜ、立候補したのか。その始まりは菅義偉だった、と甘利は語った。 総裁選挙の半年ほど前のことだ。
「菅さんが私のところに相談に来て、『安倍さんをどうしても、もう1回表舞台に引っ張り出し、この国の指揮を執ってもらいたい』と。わたしも、どん底まで落ちた人がまたトップになるのって痛快だな、これ以上の再チャレンジってないだろうなって」
承諾した甘利と菅は、連日、甘利の事務所で打ち合わせを重ねた。 その後、麻生が加わり、3人のチームが誕生する。しかし逆風は想像以上だった。
「ウチの秘書もけっこう怒鳴られたし、親しい県議会議員に頼んでも、『いやあ、今回は勘弁してくれ』などという話もあった。『何とか2番を取れ』と必死だった」
“内閣主導でいく” 9月の自民党総裁選挙。 5人が立候補し、1位は石破、安倍は2位。
いずれも過半数に届かず、決選投票の結果、安倍が逆転し、総裁に返り咲いた。
そして12月の衆議院選挙で圧勝し、自民党は政権を奪還した。喜びに沸く自民党の開票速報本部で、甘利は安倍から政権構想を明かされる。
「2人きりになった時、『人事どうします?』と聞いたら、ひと呼吸置いて、『甘利さん、閣内で経済の指揮を執ってくれ』と。『党はどうします?』と言ったら、『閣内に人材を集めたい。内閣主導でいきたい』という話だった」
安倍は、ことば通り、麻生、菅、甘利を、それぞれ副総理兼財務大臣、官房長官、経済再生担当大臣と、内閣の骨格ともいえる枢要なポジションに配した。
そのうえで、石原伸晃や林芳正ら総裁選で戦った相手も閣内に集めた。
そして内閣発足当日の夜、安倍は初閣議で緊急経済対策の策定と補正予算案の編成を指示。
年明けには、休眠状態だった経済財政諮問会議を再開させ、経済再生に向けた検討を始めるとともに、日銀と政策協定を結び、新たな金融緩和策が始まった。いわゆる、アベノミクスだ。
「3人組」 麻生、菅、甘利の3人は、結束を維持するため、菅の提案で2か月に1回程度、ひそかに食事をともにした。
甘利は、こう自負する。
「長期政権につながる人事配置は、はじめからできていた。つくづく思ったのは、『実力がそこそこあるやつが3人そろったら、政権って維持できるな』ということだね」
ところが、甘利の当時の秘書が建設会社から現金を受け取っていた問題が浮上。(最終的には不起訴処分)2016年1月、甘利は責任を取って辞任し、3人組の一角が崩れた。
「『トライアングル』というのは、それぞれ協力し合ったり、けん制し合ったりする良い距離が取れるけれども、麻生、菅、2人の関係がうまくいくといいなと。俺が間に入れなくなったんで、総理に2人の間に入る役までやらせてしまった…」
甘利が去って以降、麻生と菅は、衆議院の解散戦略などをめぐって、たびたび意見を異にし、永田町では2人の不協和音がささやかれることになった――
情報は「制服組」から 安倍が「最も信頼する自衛官」がいたことをご存知だろうか。
河野克俊。2014年に自衛隊トップの統合幕僚長に就任し、3度も定年を延長。安倍と歩みを同じくするように、「歴代最長」となるおよそ5年の任期を務めた。
河野は、ある分野での情報共有のシステム化が、政権の安定に寄与した、と語る。 「外交・防衛が一緒のテーブルに着くシステムを作ったのは非常にいい。これまでそういう機会はなかったから」
どういうことか? 総理大臣の1日の動きをまとめた記事「総理動静」には、週に1回程度、外務省、防衛省、自衛隊の幹部の名前がそろって登場する。
外務省総合外交政策局長、防衛省防衛政策局長、そして自衛隊の統合幕僚長だ。 「ブリーフィング」と呼ばれる会合で、外交・安全保障に関する最新の動向を総理大臣に説明するものだ。
こうした仕組みができたのは、実は、第2次安倍政権からだという。 それまでは、いわゆる「制服組」と呼ばれる自衛官が、総理大臣に接する機会は限られていた。
「戦前の軍の二の舞を避けるため、自衛隊を極力、政治から遠ざけてきた。それがシビリアンコントロールだと」
「でもわたしの報告があるので、安倍総理は、自衛隊の動きが頭に入っている。そういう総理は初めてだと思う。日本もその意味では、諸外国並みになってきたと思いますね」
イラン情勢が緊迫する中、政府はことし10月、中東地域への自衛隊派遣を検討することを決定した。 政府内では、ホルムズ海峡の中で活動すべきだという意見もあったが、活動範囲はホルムズ海峡外側のオマーン湾やイエメン沖などを中心にするとした。関係者は、安倍が、イランとの関係を考慮しただけでなく、自衛隊の運用や現場部隊に及ぶリスクまで把握したうえで行った判断だと話す。
また別の関係者は、自衛隊や各国の軍事動向を把握することが、首脳会談の際、通訳だけを同席させるいわゆる「テタテ」や夕食会など、用意されたペーパーを読むことが難しい場面で役立つと語る。例えば、ヨーロッパの首脳に対し、地中海付近での中国軍艦船の動向を教えると驚かれることもあったという。
官邸の「意思決定」は誰が 安倍政権以降の政治状況は、「官邸主導」「政高党低」などと言われる。
官邸内の意思決定はどのように行われているのか。 ことし9月の内閣改造で就任した官房副長官、西村明宏に尋ねた。
第2次政権の発足以降、衆議院議員では4人目となる副長官だ。
官邸では、秘書官などを交えた闊達な議論が行われていると説明する。
「政権が長いから、秘書官の皆さんも気心が知れていて、総理に言いたいことをけっこう言っている。非常に自由な議論が行われ、その中で総理が決断するプロセスがある。みんなで同じ方向を向けるのが、政権の強さの源ではないか」
このうち政務担当の今井秘書官は、第1次政権でも事務秘書官を務めた。経済産業省の出身だ。
さらに下の写真、安倍の向かって左に控えるは、やはり経済産業省出身の佐伯秘書官。第1次政権では秘書官付きの事務官だった。安倍の右につくのは外務省出身の鈴木秘書官。第2次安倍政権の発足以降、一貫して務めている。
安倍、菅、3人の官房副長官と秘書官は、原則として、毎日1回、一堂に会し、食事などを取っている。いわば「チーム安倍」ともいえる存在だ。
しかし、安倍の周辺だけで政策を決め、自民党全体での議論が乏しいのではないか。
「党側と官邸はきちんと意思疎通をしている。ただ、その意思疎通が記者団に見えないから、国民には分かりづらいかもしれない。実際、私も党の方と毎日行き来しながら話しているから」
与党も野党も…「しかし次は」 因縁の相手にも聞いてみた。小沢一郎だ。
安倍が総理就任後、初めて臨んだ国政選挙だった12年前、2007年の参議院選挙。 小沢は当時の民主党代表として対決し、自民党を歴史的な大敗に追い込んだ。
自民党は、結党以来初めて参議院の第1党の座を失い、国会は「ねじれ状態」となった。 安倍の退陣につながっただけでなく、のちの民主党への政権交代にもつながる大きな転換点だった。
長期政権の理由として、何よりもまず野党が結集できていないことを挙げた。 「政局的に言えば、1つは、野党が結集できていないことが大きい。2007年は党が基本的に1つだった。共産党などはいたけども、リベラル・中道は1つになっていたから。その違いだ」
そして、自民党内の状況も要因だと指摘した。 「もう1つ、自民党内の活力が全くなくなっていることもある。つまり与野党ともに、官邸権力に対抗するだけの力がなくなっている。もう政治家の資質の問題だな。自民党も、陰でぶつくさ言っているけど、表向きは、安倍を公然と批判する議員はほとんどいない。大きく言えば日本社会全体に言えることで、絞って言えば、政治家の資質の問題だ」
野党がまとまれば、与党に勝利できると主張する小沢。 この7年間で、与党に警戒感を抱かせた瞬間があった。 2年前、2017年衆議院選挙の「希望の党」設立だ。
「希望の党」が発足する前、小沢は、野党結集に向け、水面下で小池知事や当時、民進党の代表を務めていた前原誠司と会談を重ねていた。
小沢は、野党勢力を幅広く結集させることを望んだが、果たせなかった。 「ひとときのドラマみたいなものだった。でも、あれは小池が本気になったら十分勝てたよ。小池が衆議院選挙に出て、各党が1つになって、『排除』なんてバカなことを言わなければ」
小沢が、もっと勝てる可能性を感じていた選挙がある。 さらに1年さかのぼる2016年の参議院選挙だ。
小沢は、当時、民主党の代表だった岡田克也に対し、野党の結集を呼びかけていた。
小沢が、各党の比例代表候補の名簿を統一する方法を提案したのに対し、岡田も真剣に検討したという。 しかし岡田は、「統一名簿方式」は、各党ごとの復活当選がある衆議院選挙では適用できないことなどから、小沢の提案を最終的に断念。
結果的に野党の結集はかなわず、与党が勝利した。
「3年前の参院選は本当に残念だった。もう少しだったんだよ。統一名簿方式で連合もオッケーのところまでいったんだよ。岡田君だけが反対してダメになった。絶対勝てたはずだ」
次の選挙、野党がまとまる見通しは? 「100%まとまる」
“小泉流”からの脱却 第1次政権と第2次政権との違いとして、“小泉流”からの脱却があると言うのは、一橋大学大学院教授の中北浩爾だ。
「小泉さんは派閥を否定したけれども、安倍さんは派閥をうまく使って党を掌握しています。かつての自民党の統治システムに、一連の政治改革で強化された総理・総裁の主導権をミックスしていて、非常に強固な安倍総理のトップダウンが実現していると考えていいと思います」
甘利が長期政権の要因に挙げた、「チーム安倍」の結束力を中北も指摘した。
「安倍さんは、非常に固い結束力を持つチームを作っているのが最大の強味で、第1次政権で失敗し、第2次政権で復活するプロセスの中で、さらに強固に再編された。これをつくれる政治家はしばらく出ないんじゃないでしょうか」
しかし、長期にわたる政権運営の中で驕(おご)りや緩みも出ているのも確かだ。
総理主催の「桜を見る会」をめぐっては、参加者や予算が年々増え、総理や官房長官、与党などに招待者の推薦枠があり、後援会関係者や知人も招待されていた。
また「加計学園」をめぐる問題では、当時の「チーム安倍」の一員だった総理大臣秘書官が、学園や自治体の関係者と事前に会っていたにもかかわらず、国会で「記憶の限り会ったことはない」などと否定し、安倍に近い人への優遇が疑われた。
中北も、政権の規律が失われている面があると指摘する。
「安倍政権は強固に安定しているから、それに対するチェックが効かない。権力の驕りも出れば緩みも出る。これは善し悪しだが、『悪し』の部分が目立つのも事実じゃないか」
長期政権の「驕り」は 麻生・菅・甘利の3人、秘書官らで構成する官邸の「チーム安倍」、そして制服組などからの情報網。政権維持の「骨格」はこうして形づくられた。
そして安倍は、消費税率引き上げの先送りなど、大きな決断を行う際には衆議院を解散して信を問い、勝利することで求心力を高めてきた。
一方で、政権から規律が失われつつあるのだとすれば、意外と早く崩れていく可能性もある。
安倍の自民党総裁としての任期は残り2年弱。 歴代最長任期を更新した11月20日、安倍は、「薄氷を踏む思いで、緊張感を持って歩みを始めた初心を忘れずに政策課題に取り組んでいきたい」と述べた。
安倍が驕りや緩みをそのままに政権を去るのか、緊張感を取り戻し、経済再生や拉致問題など残された重要課題に道筋をつけるのか、厳しい目が注がれている。
(文中敬称略)』