『非常に興味深い問いです。
まず結論から言うと、日本人が今日のように「失敗=能力や人格の欠陥」とみなし、「一度の失敗で社会的評価が長期間損なわれる」ような不寛容な文化を持つようになったのは、古代以来の農耕社会だけでは説明できません。
むしろ、
・江戸時代の身分秩序社会
・明治以降の官僚国家形成
・戦後の大企業中心社会
・バブル崩壊後の長期停滞
という4段階を経て形成された歴史的産物と考えたほうがよいでしょう。
むしろ戦国時代までは、現在よりかなり「失敗に寛容」だった可能性があります。
- 実は戦国武将は失敗しても何度もやり直している
現代人のイメージとは逆です。
例えば、
・徳川家康は三方ヶ原で壊滅
・武田信玄も上田原で敗北
・毛利元就も若い頃は弱小領主
・北条早雲も晩年まで下級武士
でした。
しかし誰も
「一度失敗したから二度と登用しない」
とはならない。
むしろ
「生き残った者が勝者」
でした。
失敗よりも、
忠誠
実力
人脈
が重視された。
現代企業のほうがむしろ一発退場的です。
- なぜ古代・中世は失敗に比較的寛容だったか
理由は簡単で、
資本不足社会だったから
です。
人間が最大資源だった。
例えば戦国大名は、
百姓を失うことを極端に嫌いました。
人がいないからです。
武士も同じ。
一度失敗した家臣でも、
有能なら再登用する。
欧州でも中国でも同様でした。
- 江戸時代に「失敗してはいけない文化」が発達
大きな転換点は江戸時代です。
ここで社会が
「競争社会」
から
「秩序社会」
へ変わります。
(戦国時代)
価値
強い
有能
勝つ
(江戸時代)
価値
規則を守る
波風を立てない
失敗しない
260年間も戦争が無い。
すると社会の目的は
挑戦
ではなく
維持
になります。
役人にとって重要なのは、
成果ではなく無事故
です。
この頃から
「前例主義」
が強くなります。
- 日本の稲作社会の特殊事情
ここであなたが触れた
「湿潤な農耕社会」
が出てきます。
これはかなり重要です。
水田農業は個人では成立しません。
用水路管理
堤防維持
共同作業
が必要。
つまり
「村落共同体」
が極めて強い。
ここでは、
失敗そのものより
共同体へ迷惑をかけること
が問題になります。
すると
挑戦より協調
が評価されやすい。
- 明治国家がそれを全国規模に拡張
明治政府は近代化のため、
官僚機構を構築しました。
そこで採用されたのが
試験
学歴
昇進ルート
です。
つまり
「一回の試験が人生を決定する」
構造。
ここでは失敗のコストが大きい。
江戸的な秩序文化と結び付き、
エリート選抜社会になります。
- 戦後高度成長が決定打
実は現在の日本文化の根幹はここです。
戦後の日本企業は、
終身雇用
を前提にしました。
すると企業側は
一度採用した人を40年抱える。
だから採用時に厳しく選別する。
結果として
受験 ↓ 就職 ↓ 昇進
が一本のレールになる。
そこで失敗すると、
列車から降ろされる感覚が生まれる。
- アメリカとの最大の違い
アメリカでも失敗は嫌われます。
しかし再挑戦市場があります。
例えば起業家。
シリコンバレーでは
「失敗経験」
がむしろ評価される場合もある。
なぜか。
労働市場が流動的だからです。
企業を変えられる。
町も変えられる。
職種も変えられる。
日本は歴史的に
共同体移動コスト
が高かった。
その違いです。
- 本当に不寛容化したのはバブル崩壊後
私はここが最も重要だと思います。
1980年代までの日本は実はかなり楽観的です。
失敗しても、
経済成長が吸収してくれる。
ところが1990年代以降、
成長停止。
席が増えなくなった。
すると社会は
「減点主義」
になります。
成長社会
挑戦を評価
停滞社会
失敗を罰する
これは歴史上よく見られる現象です。
ローマ帝国末期もそうでした。
清朝末期もそうでした。
- 日本人は本当に昔から失敗を嫌ったのか
実はそうでもありません。
近世以前の日本史を見ると、
下剋上
開墾
新田開発
商人の投機
廻船業
海外交易
など、かなりリスクテイクしています。
むしろ徳川後期や明治初期には、破産しても再起する商人は珍しくありませんでした。
現在の
「一回の就職」 「一回の受験」 「一回の起業失敗」
が人生を決めるという感覚は、歴史的にはむしろ新しいものです。
〔私の見方〕
あなたの問いに対して最も構造的に答えるなら、
日本の「失敗への不寛容」は、
豊かだったから生まれた
面があります。
貧しい開拓社会では、
失敗しても使える人材を捨てられません。
しかし江戸時代以降の日本は、
農業生産が安定
人口が高密度
官僚制が発達
社会秩序が成熟
したため、
「挑戦して成功する人」
より
「ミスをしない人」
を高く評価する社会になった。
そして戦後の終身雇用システムがその価値観を制度化し、バブル崩壊後の低成長がそれをさらに硬直化した。
つまり日本の不寛容文化は、単なる稲作文化ではなく、
「江戸的秩序社会」×「近代官僚制」×「終身雇用」×「低成長」
の掛け算によって形成されたものだと考えるのが、歴史的には最も説明力が高いと思います。
さらに進めると、「なぜ中国や韓国も似た傾向を持つのに、日本は特に『やり直し』が難しい社会になったのか」という東アジア比較まで視野を広げると、より面白い分析ができます。』