https://www.nikkei.com/article/DGXMZO63687730Q0A910C2000000/
『テック企業を巡る米中摩擦が激しさを増しています。米国は華為技術(ファーウェイ)に対し、米国の技術を使った半導体の供給を15日から事実上禁じます。安全保障の観点から、米国は中国を排除する強い姿勢を示し、実行に移し始めました。












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https://www.nikkei.com/article/DGXMZO63687730Q0A910C2000000/
『テック企業を巡る米中摩擦が激しさを増しています。米国は華為技術(ファーウェイ)に対し、米国の技術を使った半導体の供給を15日から事実上禁じます。安全保障の観点から、米国は中国を排除する強い姿勢を示し、実行に移し始めました。







https://www.nikkei.com/article/DGXMZO63734060R10C20A9K14600/




『日本の上場企業で国際会計基準(IFRS)の採用が増えている。トヨタ自動車(7203)が2021年3月期から国際会計基準(IFRS)へと移行するなど、グローバルにビジネスを展開する企業で、会計基準の「国際化」が進んでいるかたち。国内の時価総額ランキング上位20社のうち13社がIFRS企業になるなど大企業で採用が進むが、日本基準や米国会計基準とは違いもある。IFRSの特徴を把握して、銘柄選びなどに役立てたい。
日本の上場企業の9割が日本基準を採用するが、時価総額ベースで考えると、IFRS採用企業の比率は2019年度で3割超となり、5年前に比べ3倍近く増えた。20年度に入ってからもトヨタや日本航空(9201)、東レ(3402)など移行が相次いでいる。
IFRSは欧州やアジアで採用が進んでいる。グローバル企業にとっては、各国に散らばる子会社と会計基準を合わせることで、財務情報を素早く把握できるというメリットがある。
投資家にとっては海外の競合企業と日本企業の会計基準がそろうことで、業績の比較がしやすくなるというメリットがある。21年3月期からIFRSに移行するトヨタは「資本市場での財務情報の国際的な比較可能性の向上などが目的」としている。
IFRSが広がる背景には、世界的な基準統一の流れがある。会計基準の違いによって経営判断や投資家への開示が遅れる懸念を払拭するためだ。09年に金融庁の企業会計審議会が「15年にも上場企業にIFRS適用を義務付ける」可能性を示したが、経済界などの反対を受けて11年に強制適用の延期を表明した経緯があり、現在は任意採用にとどまる。
IFRSと日本基準の違いで最も注目されるのは「のれん」の定期償却がないことだ。大型のM&A(合併・買収)を実施した企業にとっては、のれんの定期償却が原因で数年にわたり利益を下押しすることを避けられる。事業を早期に「黒字化」することもできるので、企業のIFRS移行を事実上、後押ししているようだ。
米国会計基準の制度変更もIFRS移行を後押ししている。新たな米国基準では、持ち合い株の評価損益を損益計算書に反映しなくてはならなくなった。実際に、20年3月期にソニー(6758)とトヨタはいずれも200億円を超える損失を計上した。IFRSでは持ち合い株の価格変動を損益計算書には計上せず、貸借対照表だけに反映させることができるため、利益の下押し要因にはならない。株価の上下が業績の変動につながることを避けられる。
のれんも定期償却がないとはいえ、減損テストを行わなくてはならず、IFRSに移行することで企業としては判断することが増えるのも事実だ。ひな型が決まっている日本基準と異なり、細かい注記を記述しなくてはいけない。
一方で、細かい注記は投資家にとっては利点でもある。あずさ監査法人の長谷川義晃・IFRSアドバイザリー室長は「例えば重要なのれんについて、見積もり方法など、どのように減損テストをしたか詳細に説明する必要があり、投資家にとっては開示情報が充実する面もある」と話す。
■のれん計上に大きな違い
国際会計基準(IFRS)と日本基準の大きな違いは、貸借対照表に計上される「のれん」の取り扱いだ。のれんはM&A(合併・買収)の際に、対象企業の純資産を上回って支払った額のことを指す。日本基準では最大20年かけて償却され、損益計算書に償却費を計上する。IFRSではのれんの定期償却が不要なかわりに、M&Aによって得た収益力が落ちていないかどうかを確かめる「減損テスト」を毎年実施する必要がある。結果次第で突然巨額の減損損失が計上されることがあるのには注意が必要だ。
日本企業による最大のM&Aとなった武田薬品工業(4502)によるアイルランド製薬大手シャイアーの買収。新薬候補の獲得により一段の成長をもくろむ一方、6.2兆円の買収によって新たに3.1兆円ののれんが生じた。武田の貸借対照表ののれんは6月末時点で総額4.0兆円にのぼり、4.7兆円ある武田の資本に匹敵する規模だ。同社は有価証券報告書の「事業等のリスク」の項目で、シャイアーの買収に際しては慎重にリスクを分析したうえ、統合後のシナジーも最大限発揮する仕組みを構築したとする。一方でM&Aで得た新薬による成長や統合によるコスト削減などシナジーが想定通り出せない場合には、のれんや無形資産の減損損失が生じ業績・財務に影響を与える可能性があるとしている。
ソフトバンクグループ(9984)の英半導体設計大手、アーム・ホールディングスの買収でも、3兆円超ののれんが生じた。巨額買収の増加で、のれんの額は大きくなってきている。
各会計基準は基準間の差異を埋める取り組みを進めており、のれんの定期償却をIFRSに導入することも議論されている。結論が出るには時間がかかるとみられるが、仮に定期償却が導入されれば、IFRSを採用して巨額のM&Aを実行した企業の最終損益は押し下げられることになる。
■「営業利益」にも違い 同業比較も難しく
国際会計基準(IFRS)の大きな特徴の1つが企業が開示する利益などの項目を独自に決めることができる点だ。共通で開示が義務付けられているのは、最終的なもうけである純利益に限られ、途中段階の項目は企業が独自の判断で、自社の業績を示すのに最適な指標を選んで開示できる。自由度が高い反面、統一された定義がなく同業他社との業績の比較がしにくいなどの課題がある。
表示方法のばらつきが目立つのが本業のもうけを指す、日本基準や米国基準で「営業利益」にあたる項目だ。日本や米国基準の営業利益は同じ会計基準に沿った開示になるが、IFRS採用企業では「事業利益」や「コア事業利益」など様々な定義の利益が開示されている。
企業が独自に開示する利益項目を決めると、収益力の比較がしにくいなどの問題が出てくる。典型的なのはNTTドコモとKDDI、ソフトバンクの携帯大手3社だ。同じIFRSを採用していても、ドコモとソフトバンクが開示する「営業利益」は日本基準と同様に、売り上げから原価や販管費を差し引き、その他損益までを含めて表示する。本業である通信事業の損益に絞って営業利益としている。
一方でKDDIの「営業利益」には持ち分法による投資損益も含まれる。持ち分法適用企業はカカクコムやauカブコム証券など40社で、2020年3月期では32億円の投資利益が営業利益に含まれる。KDDIは「営業活動と関連の深い投資先で、営業利益に含めることが適切と判断した」とする。ただ、本業の利益水準を大きく見せる余地も生じかねない。
海外でも同じような指摘が多く、国際会計基準審議会(IASB)は営業利益の基準を統一する方針を打ち出している。IFRSの持ち味だった柔軟性と、統一された基準の両立が今後の課題になりそうだ。
(福井環、南畑竜太、坂部能生)』
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO63021560V20C20A8000000
※ 引用、転載に問題がある場合は、Word Press.comの方に連絡してください。




『火星と木星の間の小惑星帯にある準惑星ケレスは、その小さな天体の中に大きな秘密を隠し持っていた。米航空宇宙局(NASA)の無人探査機「ドーン」がもたらした数々のデータを分析した結果、ケレスには氷の火山と古代の海があり、今も地質活動が続いていることを示唆するさらなる証拠が見つかった。
ドーン探査機が2017年末から18年末までケレスを周回して得た約1年分のデータは、ケレスの地表に塩水が浸出していることを示していた。また、約2000万年前にケレスに天体が衝突した後、氷が解けて再び凍りついたときにできた小さな山や丘も発見された。
直径が月の3分の1もないケレスには、これまで液体の水は存在しないとされてきたが、人類は今、それを間近で観測し、小さな氷の準惑星が地質学的に活発であることを明らかにした。
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まだ存在が確認されていない第9惑星の想像図。新たに発見された2015 TG387を含む小さな天体の軌道に影響を与えていると想定されている(ILLUSTRATION BY CARNEGIE INSTITUTION FOR SCIENCE, DTM, ROBERTO MOLAR CANDANOSA/SCOTT SHEPPARD)
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ケレスにおける最も大きな謎は、天体の衝突によってできた直径92キロのオッカトル・クレーターだ。このクレーターの中に、塩でできたいくつもの明るい点がある。これは、つい120万年前まで、冷たい塩水が地下からオッカトルの表面へ浸出して堆積したものだと、最新の論文は示唆している。
山や丘の存在は、ケレスに氷の火山活動があることを示している。氷火山は、溶岩ではなく、塩水を含んだ泥や半解けの氷を噴出させる。ドーン探査機は、オッカトル・クレーターの内側に、過去数十年以内に氷火山から塩水がちょろちょろと流れ出ていたと思われる箇所を発見した。
「ケレスで今も地質活動が続いていることを示す有力な証拠が見つかりました。たとえ現在ではなくても、かなり最近まで活動していたと言えるでしょう」と話すのは、米カリフォルニア州パサデナにあるNASAジェット推進研究所の小天体プログラムの責任者で、ドーン探査機の主任調査員であるキャロル・レイモンド氏だ。
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また、ケレスは誕生から現在に至るまでのある一定期間に、生命の存在に必要な条件を全て備えていたことも、最新の研究で明らかになった。その条件とは、液体の水、エネルギー、炭素を持つ有機分子で、これらすべてがそろっていたとされる天体の数は、日に日に増えている。ケレスは、天体の衝突によって生じた熱のおかげで、短期間、生命が存在できる星になっていたかもしれないと、科学者たちは考えている。ただし、実際に生命がいたかどうかはまた別の話だ。
最接近
ドーン探査機は、15年から18年までケレスを周回した。その最後の1年間で収集したデータの分析結果をまとめた7本の論文が、20年8月10日付で3つの学術誌「Nature Astronomy」「Nature Communications」「Nature Geoscience」に発表された。探査計画のグランドフィナーレとして、ドーンはケレスの地表から35キロの距離まで接近して、1ピクセルにつき3メートルという高解像度で地表を撮影した。これは、400メートル以上先にあるゴルフボールを撮影できるほどの鮮明さだ。
15年にドーンが発見したオッカトル・クレーターの明るい点は、その後間もなく塩でできていることが判明した。地中から塩水が浸出して堆積したものと思われたが、その塩水がどこから来たのかは謎だった。
オッカトル・クレーターは、およそ2000万年前に天体が衝突してできたと考えられている。その衝撃で大量の熱が発生し、氷の世界は沸き立つ塩水風呂と化した。だが、コンピューターシミュレーションによると、衝撃の熱は500万年のうちにほとんどが失われたという。
2018年7月26日に、ドーン探査機が高度152キロから撮影したオッカトル・クレーターの中の亀裂(IMAGE BY NASA/JPL-CALTECH/UCLA/MPS/DLR/IDA)
今ある塩の堆積物の一部は、過去400万年以内に形成されていることから、衝撃によってできたのではなく、はるか昔から地下に存在していた液体の塩水が外に出てきた可能性が高い。
今回、ケレスの重力調査によってその塩水の出所が判明した。惑星の重力は、場所によって変化する。これは、地形や地殻の厚さの違いによるものだ。この変化を、研究者たちはドーンの飛行速度の微妙な変化を計測することによって明らかにした。
このデータをケレスの地形に重ね合わせてみると、オッカトルの地下が周囲の地殻と比較して薄くなっていることがわかった。クレーターの下に、巨大なマーブルチョコレートのような形の大小2つの塩水貯留層が存在しているようだった。大きな方は直径420キロで、クレーターの真下、深さ48キロの地殻の底にあり、小さい方は直径193キロで、クレーターの南西、深さ約20キロの地下にある。
「ドリルで穴を掘れば、帯水層に到達し、非常に冷たい塩水が湧き出すかもしれません」と、米セントルイス・ワシントン大学の惑星科学者ビル・マッキノン氏は言う。同氏は、今回の研究には関わっていない。
古代の海の名残
地下にある塩水の貯留層は、過去にケレスに存在していた、より大きな海の名残であると、チームは結論付けた。ケレス全体が海で覆われていた可能性もある。凍結防止のために道路にまかれる塩を見れば分かるように、水に溶けた塩は水の凍結する温度を下げて、液体の状態を保つことができる。ケレスの塩水はマイナス30度と推測されているが、この温度で液体の状態を保つには、大量の塩と、粒子が細かく泥状になった鉱物を必要とする。
ケレスの塩水は「ダイビングに適していないことは確かです。おそらく、泥の深い沼のような状態でしょう」と、ジェット推進研究所の惑星科学者で、ドーンのチームメンバーとして今回の論文を共同執筆したジュリー・カスティーヨ・ロジェス氏は語る。
ケレスに衝突したものが何であれ、それによって氷火山の活動が活発になり、塩水が地表に湧き出たと思われる。地球上の火山と違って、ケレスの氷火山は地殻の水が凍って膨張し、地下の貯留槽に圧力がかかることで生まれる。
オッカトルの衝撃でケレスの地殻に亀裂が入り、その割れ目を通じて地下の塩水が地表へあふれ出た。外へ出た水は蒸発し、写真に見られる塩の堆積物だけがあとに残された。
ケレスの活動が今も続いていることを示唆する観測結果もある。7本の論文のうちの1本を執筆したイタリア国立天体物理学研究所の惑星科学者マリア・クリスティーナ・デ・サンクティス氏の研究チームは、オッカトルの明るい部分に、水和した塩化ナトリウムが含まれている証拠を発見した。この塩水の水分は、地表へ出てから100年以内に蒸発するはずだと、研究者たちは言う。だが、今はまだ水分が残っている。つまり、ケレスの氷の火山は今も活動している可能性がある。
高まる期待
ドーンや、15年に冥王星のフライバイ(接近通過)に成功したNASAのニューホライズンズ探査機のおかげで、小さな氷の天体がこれまで考えられていたよりもはるかに活動的であることが示された。これを見た科学者たちは、他の天体についても大きく想像を膨らませた。
ケレスで発見された明るい点のように、「どの惑星も、何か特別なものを持っているようです」と、ニューホライズンズの研究員も務めたマッキノン氏は言う。「共通点はあっても、どれもみな全く同じというわけではありません」
カスティーヨ・ロジェス氏の率いるチームは、ケレスへのサンプルリターン計画をNASAへ提案している。計画の承認、探査機の設計、建設に何年もかかるため、打ち上げは31年以降になるが、オッカトルから100グラムの鉱物を採取して、地球へ送り返す計画だ。
100グラムと聞くと大した量ではないように思えるが、ケレスのサンプルは過去に研究されたどんな鉱物よりも原始のままの状態であるはずだと、レイモンド氏は言う。「その研究が実現すれば、私たちは膨大な知識を得ることでしょう」
(文 MICHAEL GRESHKO、訳 ルーバー荒井ハンナ、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック ニュース 2020年8月21日付]』
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO59077960U0A510C2000000?channel=DF260120166526
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『1347年のある日、地中海の港に停泊した大型帆船から、歴史上最も危険な疫病の1つが解き放たれた。「黒死病」だ。
積荷や乗客に紛れて上陸したネズミたちには、病原菌をもつノミが付いていた。同じことがヨーロッパじゅうの港で繰り返された結果、1347年から1351年にかけてヨーロッパを襲った黒死病のパンデミック(世界的な大流行)は史上最悪の規模となり、ヨーロッパの人口の3分の1が命を落としたとされる。
黒死病の正体がアジアとヨーロッパで周期的に流行する腺ペストだったことに、ほとんどの歴史学者が同意している。腺ペストはペスト菌が引き起こす疾患で、6世紀にビザンチン帝国(東ローマ帝国)で大流行して2500万人の命を奪った「ユスティニアヌスの疫病」も同じものだった。
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ドイツの医院で医師たちが手術前に手を洗う。手洗いは、19世紀後半になるまで一般的ではなかった(PHOTOGRAPH BY JOKER, DAVID AUSSERHOFER/ULLSTEIN BILD/GETTY)
手洗い唱えた医師 100年後の名誉回復
猛スピードで広がり、膨大な死者をもたらした
14世紀の黒死病の後も大勢のヨーロッパ人がペストによって命を落とし、1665年の英国ロンドンでの流行は特に規模が大きかった。最後となる三度目のパンデミックは19世紀半ばに始まり、20世紀まで続いた。
中世ヨーロッパでは、赤痢、インフルエンザ、麻疹、そして非常に恐れられたハンセン病など、多くの伝染病が流行した。けれども人々の心に最も恐怖を与えたのは黒死病だった。ピーク時の数年間、黒死病は後にも先にもない速さで広がり、膨大な数の死をもたらしたのだ。
天使と聖ロクスの像(16世紀)。聖ロクスはペストからの守護聖人として崇められてきた(PHOTOGRAPH BY ERICH LESSING/ALBUM)
黒死病は、生き延びた人々の生活や意識を一変させた。農民も王子も同じように黒死病に倒れたことから、当時の文献には、黒死病の前では身分の差などなんの意味もないという思想が繰り返し登場する。
黒死病の原因についてはいくつもの説が提案されたが、そのほとんどが宗教や迷信を前提にしていた。占星術的な現象が黒死病の原因だとする人々もいたし、火山の噴火や地震などの自然現象により有毒ガスが発生したとする説もあった。科学的真実に最も近かったのは古代ギリシャ医学の「瘴気(しょうき)」に基づく説明だった。瘴気は、腐ってゆく物質から発生するという目に見えない「悪い空気」で、呼吸や接触により体内に取り込んでしまうと病気になるとされた。
ペスト菌の発見
こうした迷信的な説が完全に否定されたのは、三度目のパンデミックが起きたときだった。その頃には研究者は病原体を特定できるようになっていて、1894年に日本の北里柴三郎とフランスのアレクサンドル・イェルサンという2人の細菌学者が同時期にペスト菌を発見した。
のちにエルシニア・ペスティスと命名されたこの細菌は、ネズミなどの小型げっ歯類に寄生するノミによって媒介される。ノミの体内で増殖したペスト菌は、ノミが噛みついた際に相手の体内に送り込まれる。通常、ペスト菌はノミとげっ歯類の間を行き来するだけだが、一定の条件下では、ノミの宿主であるげっ歯類を皆殺しにしてしまい、ノミは別の宿主を探さざるをえなくなる。それが人間だ。ペストは動物から人間に伝染する動物由来感染症(ズーノーシス)なのである。
ヨーロッパでは膨大な人が黒死病で死亡したが、王族の犠牲者は比較的少なかった。1348年にアラゴン王ペドロ4世の妃レオノールが、1350年にはカスティーリャ王アルフォンソ11世がジブラルタル攻略中にペストの犠牲となった(PHOTOGRAPH BY ORONOZ/ALBUM)
ペストが容易に広がってしまうのは、ネズミが人間の生活に引き付けられるからである。特に、納屋、製粉場、家庭にストックされている食料は、ネズミにとって魅力的だった。
ペスト菌が人々の家庭に忍び込むと、16~23日後になってようやく最初の症状が出る。症状が出て3~5日後には患者は死亡する。コミュニティーが危険に気づくのはさらに1週間後で、その頃にはもう手遅れだ。ペスト菌は患者のリンパ節に移行し、腫れ上がらせる。患者は嘔吐し、頭痛に苦しみ、高熱によりガタガタと震え、せん妄状態になる。
ペスト患者の首を締める死神。プラハの14世紀の写本より(W. FORMAN/SCALA, FLORENCE
リンパ節が腫れ上がるペストは「腺ペスト」と呼ばれる。しかし、これはペストの3つの病型のなかの最も一般的なものにすぎない。第2の病型である敗血症性ペストはペスト菌が血液中に入ったもので、皮膚の下に黒い斑点が現れ、おそらく「黒死病(Black Death)」という名前の由来となった。肺ペストでは呼吸器系がおかされ、患者は激しく咳き込むので、飛沫感染しやすい。中世には敗血症性ペストと肺ペストの致死率は100%だったと言われる。
「すぐに逃げろ」が拡散を助長
黒死病がヨーロッパのすみずみまで広がったきっかけは地中海沿岸の港と考えられているが、最初の大流行は黒海沿岸のクリミア半島の港町だった可能性がある。ジェノバの植民都市だったカッファ(現在のフェオドシヤ)だ。カッファは1346年にモンゴル軍に包囲されたが、当時、モンゴル軍の内部では黒死病が広まっていた。
カッファで流行したのは、モンゴル軍が黒死病で死んだ兵士の遺体をカッファの城壁内に投げ込んだためという言い伝えがある。実際には、モンゴル軍の戦列の間をうろちょろするネズミにたかっていたノミが市内にペスト菌を持ち込んだ可能性のほうが高い。市内に疫病が入ったことに気づいたジェノバの商人たちは大慌てでイタリアに逃げ帰ったが、一緒に疫病も持ち帰ってしまった。
黒死病がこれほど速く、広大な領域に広まったのはなぜか、歴史学者も科学者も不思議に思っていた。「これだけ速く広まったのは飛沫感染したからであり、主な病型は腺ペストではなく肺ペストだった」と主張する研究者もいる。しかし、肺ペストはむしろゆっくり広がる。患者はすぐ死に至り、多くの人に広めるほど生きられないからだ。
大半の証拠は、黒死病の主な病型は腺ペストであること、ノミだらけのネズミや旅人が船に乗ることで遠くまで広めたことを示している。海上貿易が拡大していったこの時代、食料や日用品は、国から国へと、どんどん長い距離を運ばれるようになっていた。これらと一緒に、ネズミや細菌も1日に38キロのペースで広まっていった。
交易路を介して、最初に感染が広まったのは大きな商業都市だった。そこから近隣の町や村へと放散し、さらに田舎へと広がった。中世の主な巡礼路も黒死病を運び、各地の聖地は、地域内、国内、国家間の伝染の中心地になった。
非常に寒冷で乾燥した地域では拡大はゆっくりになり、ついには足を止めた。おかげでアイスランドとフィンランドはほとんど影響を受けなかった。
プラハはボヘミア王国の首都だった。ボヘミア王国は南のバイエルン公国から広がってきた黒死病に苦しめられた(PHOTOGRAPH BY RAINER MIRAU/AGE FOTOSTOCK)
当時の町では「すぐに逃げろ、急いで遠くに行け、戻るのはあとにするほどよい」と言われていた。この助言にしたがって避難する余裕がある人々の多くが田舎に逃げたため、悲惨な結果になった。避難した人々もすでに感染していたり、感染者と一緒に旅をしたりしたため、自分たちが助からなかったばかりか、それまで感染者がいなかった遠隔地の村に病気を持ち込むことになってしまったのだ。
各地で社会が崩壊、そして
黒死病の犠牲者は膨大な数に上ったと推定されているが、具体的な数字については論争がある。パンデミック前のヨーロッパの人口は約7500万人だったが、1347年から1351年までの間に激減して5000万人になったと見積もられている。死亡率はもっと高かったと見る研究者もいる。
人口が激減したのは、黒死病に罹患した人々が死亡しただけでなく、畑や家畜や家族の世話をする人がいなくなり、広い範囲で社会が崩壊したからである。中世のパンデミックが終わったあとも小規模な流行は続き、ヨーロッパの人口はなかなか回復しなかった。人口増加が軌道にのってきたのは16世紀頃である。
大災害の影響は生活のあらゆる領域に及んだ。パンデミック後の数十年間は労働力不足により賃金が高騰した。かつての肥沃な農地の多くが牧場になり、村が丸ごと打ち捨てられることもあった。英国だけで1000近い村が消えた。地方から都市に向かって大規模な移住が起きたため、都市は比較的速やかに回復し、商業は活気を取り戻した。田舎に残った農民は遊休地を手に入れ、土地を持つ農民の権力が増し、農村経済が活性化した。
実際、歴史学者たちは、黒死病から新しい機会や創造性や富が生まれ、そこからルネサンスの芸術や文化や概念が開花し、近代ヨーロッパが始まったと主張している。
次ページでも、当時の欧州に暮らした人々が、どうこの疫病と向き合ったのかがうかがえる絵画をご覧いただきたい。
ピサの壁画『最後の審判』は、ペストの流行前に描かれた。その後、黒死病がピサの街に壊滅的な被害をもたらしたことを考えると、その鮮やかさがいっそう胸に響いてくる(PHOTOGRAPH BY ERICH LESSING / ALBUM)
15世紀の絵画の中で、黒死病に罪人(写真外)を狙わせる天使(PHOTOGRAPH BY PRISMA/ALBUM)
1348年5月14日、バルセロナのキリスト教徒が行っていた行進は、ユダヤ人居住区域の襲撃に変わった。虐殺のきっかけは、司祭がユダヤ人を非難し、水と食物に毒を混入して黒死病を引き起こしたと主張したことだった。ペストを口実に、ヨーロッパ各地のユダヤ人はしばしば激しい迫害を受けた(PHOTOGRAPH BY AKG/ALBUM)
地獄の業火に永遠に焼かれることを恐れ、多くの人が教会に寄付をするようになった。神の怒りを和らげようとする人々のおかげで教会の金庫は大いに潤った。また、黒死病からの守護聖人とされる聖ロクスや聖セバスティアヌスが崇拝されるようになった(PHOTOGRAPH BY AKG/ALBUM)
英国などで羊毛の取引がさかんになったのは、黒死病による被害のためである。労働力が不足し、生き延びた人々はより高額の支払いを求めるようになり、ヨーロッパの封建制度を脅かした(PHOTOGRAPH BY ORONOZ/ALBUM)
(文 ANTONI VIRGILI、訳 三枝小夜子、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2020年5月4日付の記事を再構成]』
「菅内閣」組閣全容! 官房長官に河野氏、進次郎氏ら浮上 岸田、石破両氏どうなる? 人事失敗なら“菅降ろし”も
https://www.zakzak.co.jp/soc/news/200912/pol2009120004-n1.html
※ 基本骨格は、「派閥均衡人事」になるだろう…、というのが常識的な見方だろう…。
ただし、それだと、任期満了後の「本格政権」への「浮揚力」が着かないので、「派閥均衡」+α(アルファー)…、となる可能性が高い(女性閣僚とか、目玉人事とか)…。
後は、菅さんが今回の人事で、持ち札をすべて繰り出すのか…、それとも、ある程度手札を温存して、次回に取っておくのか…、そこら辺の持ち札の切り方で、今後の政局をどう見ているのか…、ということが、ある程度占える…。
そういう辺りも、見どころだ…。
まあ、どの程度当たるものなのか、野次馬的に見ていたらいい…。

※ 甘利財務相説があるのは、ちょっと意外だ…。麻生派つながりでか…。
※ やはり、岸田さんの処遇が悩ましい…。2位だったんで、ないがしろにするわけにはいかない…。さりとて、あまり力をつけさせると、自分の次期政権が食われてしまう…。そこいら辺のさじ加減が、難しい…。
※ 石破さんは、3位だったんで、徹底的に干されるだろう…。側近すら、手を突っ込まれて、「閣僚ポスト」と引き換えに「一本釣り」される可能性もある…。次の目が無いくらい、徹底的にやられる可能性が高い…。それがまた、岸田さんとの「阿吽の呼吸」となる…。
※ やはり、一番の注目は、官房長官か…。菅さん自身が、首相兼官房長官的なんだから、「補佐役」でいいんでは…。案外、萩生田さんあたりが適任では…。官房副長官も、経験してるしな…。

※ 下段の左は、岸さんだ…。あまり知られていないが、安倍晋三さんの「実弟」だ…。安倍家と岸家の「密約」により、「岸家」に養子として出されている…。この人の処遇も、ちょっと注目だ…。「党役員」の方で処遇する可能性が高いと、見ているが…。
『安倍晋三首相(65)の後継を選ぶ自民党総裁選(14日投開票)は、大本命の菅義偉官房長官(71、無派閥)が、国会議員票の7割以上を固めるなど、岸田文雄政調会長(63、岸田派)と、石破茂元幹事長(63、石破派)を大きくリードしている。このまま菅氏が勝利すれば、来週16日には「菅義偉内閣」が発足する。新型コロナウイルスの感染拡大と、日本経済の回復という喫緊の課題を抱えて、どんな顔ぶれになりそうか。最新の永田町情報を探ると、国民的人気の高い、河野太郎防衛相(57、麻生派)や、小泉進次郎環境相(39、無派閥)らの名前も浮上している。
自民党
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「(新総裁・新首相に選ばれた場合の)人事は適材適所でやるものだ。どのような点を重視するかは、改革意欲のある人を、まず優先して考えたい。専門的立場の人も優先した方がいいだろう」
菅氏は8日、党本部での共同記者会見で、こう語った。党内7派閥のうち5派閥の支持を得て、終始優勢に選挙戦を進めており、永田町の関心は人事に移っている。
組閣をめぐる最新の永田町情報は別表の通りだ。
安倍首相が、持病の潰瘍性大腸炎の悪化を受けて任期途中で辞任表明したうえ、新型コロナ禍という緊急事態もあり、麻生太郎副総理兼財務相(79、麻生派)や、茂木敏充外相(64、竹下派)、新型コロナ対応にあたる西村康稔経済再生相(57、細田派)、1年延期された東京五輪・パラリンピックを担当する橋本聖子五輪相(55、細田派)らは留任とみられる。安倍首相や麻生氏の信頼が厚い甘利明税調会長(71、麻生派)を財務相にという声もある。
政治評論家の小林吉弥氏は「安倍首相の路線継承が前面に出ると、世論は『代わり映えしない』とそっぽを向く。支持率も上がらない。そこで骨格以外は大胆に入れ替え、新鮮味を出すはずだ」と分析する。
最大の注目は、「菅首相」の女房役である官房長官ポストだ。
現時点で、菅氏の推薦人に名前を連ねた河野氏や、菅氏が環境相起用を後押しした進次郎氏、二階俊博幹事長(81、二階派)との「二階-森山ライン」で安倍政権を支えてきた森山裕国対委員長(75、石原派)、菅氏が「政治の師」と仰ぐ梶山静六元官房長官の長男、梶山弘志経産相(64、無派閥)らの名前が浮上している。
小林氏は「森山氏が適任ではないか。派手さはないが、会見をやれば丁寧に答えられる。菅氏とも呼吸が合う」と語る。
河野氏は、防衛相留任や、経産相へのスライドも取り沙汰されている。
進次郎氏については、「将来の宰相候補」として、首相の外遊同行などで経験を積ませる観点から、官房副長官が現実的だと予想する声がある。
総裁選で激突した、岸田、石破両氏の処遇もポイントだ。
岸田氏は、党政調会長の続投か防衛相への起用が指摘される。石破氏は農水相か1億総活躍相という声もあるが、菅氏が仕切った安倍官邸とは距離を置いてきただけに、入閣要請があっても拒否するとみられる。
■人事失敗なら“菅降ろし”
別表にはないが、安倍首相の実弟である岸信夫氏(61、細田派)の閣僚起用を推す声もある。
女性では、行政手腕が手堅い高市早苗総務相(59、無派閥)や、小渕優子元経産相(46、竹下派)、渡嘉敷奈緒美衆院議員(58、竹下派)、三原じゅん子参院議員(55、無派閥)らの名前も上がる。
「菅官邸」の地味なイメージを払拭するため、歴代内閣で女性閣僚が5人と最多だった第1次小泉純一郎内閣(2001年4月発足)に並ぶか、超える女性を抜擢(ばってき)する案もある。
一方、自民党役員人事では、いち早く菅氏支持を表明した二階氏の続投が確実視されている。二階氏は8日に幹事長の通算在職日数が田中角栄元首相を抜き、歴代最長となったばかりだ。
人事には、リーダーの理念や情熱が反映される。これまで軍師的立場だった菅氏は、どんな布陣を敷くのか。
小林氏は「菅氏は表向き、『派閥の要望は聞かない』と言うが、自身が無派閥だけに、安倍首相の出身派閥で最大派閥の細田派や、二階氏率いる二階派など、各派閥の意向を含んで人事構想を練るほかない。派閥均衡型でなければ、いずれ、じんわりと『菅降ろし』が始まる。難しい人事になるだろう」と分析している。』
https://r.nikkei.com/topics/topic_DF_TA_20090800
『安倍晋三首相の後継を決める自民党総裁選は都内のホテルで投開票し、新総裁に菅義偉官房長官を選出しました。2位は岸田文雄政調会長で、石破茂元幹事長は3位でした。
新総裁となった菅氏は直ちに党役員・閣僚人事に着手します。16日に衆参両院の首相指名選挙で新首相に指名され、同日中にも新内閣が発足する見通しです。』
※ ちょっと意外なことに、石破さんは3位だった…。次回があるのか、微妙になったな…。
14日 15:21
菅氏377票、岸田氏89票、石破氏68票
『総裁選は菅義偉官房長官が377票、岸田文雄政調会長が89票、石破茂元幹事長が68票でした。2位争いは岸田氏が制しました。総裁選は国会議員票394票と地方票141票の計535票で争われ、菅氏が全体の7割を超える圧勝になりました。』
https://comemo.nikkei.com/n/n6f7fdc44798d





『“オレのときはこうだった”と上司に説教されるのがうるさい。同僚が酒を誘ってくるのがうるさい。満員電車の隣に立ってスマホゲームをしている若者がうるさい。おじいさんおばあさんがスポーツクラブの施設を占拠してうるさい。家に帰ったら親に質問攻めされるのがうるさい。デパートのエレベーターに乗ったら中国人観光客の集団がいて、大音響につつまれてうるさい。日本人は「うるさい」がきらい。煩いは煩(わずら)わしいとも読むが、煩(うるさ)いとも読む。うるさいはめんどくさい、わずらわしいとつながる。「煩(うるさ)い」も日本人を理解するキーワード。
煩(うるさ)いとはなに?
①音が大きい
外国人、とりわけ中国人は日本に来られると、駅から商業施設から街の静寂ぶりにびっくりする。こんなに人が多いのに、どうして静かなんだろうと感じるという。日本人の印象は「物静か」。本当は日本人は静かが好きなのではなく、「うるさい」のがキライなだけ。外国人の日本人解釈は、「内向的で自信がないから無口」と映る。中国人は日本の街なかを大きな声で喋りながら歩くが、日本人の声は殆どきこえない。日本人からすると、中国人は“うるさい”と感じる。しかし中国人からすれば、日本人は“暗いなぁ”と感じる。中国人は日本人のいう“うるさい”という状態を悪いとは思っていない。“普通”だと思っている。東南アジアに行っても同じく“うるさい”。街は喧騒に包まれている。この「うるさい」が日本人と外国人を分けるコンセプトのひとつである。音が大きいことを嫌がる、うるさいというのが日本人の特徴。
②ひつこい
“何回も何回もうるさいなぁ” ねぇねぇお父さん…と声をかけられると“うるさいなぁ”と感じる。ひつこい状態が“うるさい”。日本人はひつこいことを嫌がるのに対して、欧米人は相手がわかるまで何度でも言う。日本人は「推して知るべし」であり、“推し量ればわかるはずだ、なんども言わせないでよ、うるさいことを言わないで”であり、ひつこいことを嫌う。なぜなのか ― 理由はなにか。“日本人だから”としか言いようがない。ハエがうるさい〔五月蠅い〕、 お母さんがうるさい、何度も何度も言ってくるからうるさいな、わかっているよ ― とにかく日本人はうるさいのがキライ。
③いちいち文句を言う
小さいことにいちいち文句をつける。そんなこと、どうでもいいんとちがう?うるさいヤツだなぁ…の「うるさい」
④手間がかかって、やっかい
髪の毛が目にかかってうるさい。役所の手続きがうるさくて…、手間がかかってめんどくさい。
⑤高い要求水準、こだわり、見識
あの人は味にうるさい。うるさいというのは「要求水準」が高いこと
このように「うるさい」のバリエーションがある。この「うるさい」を英語にあてはめると、別々の英語となる。イザナギ・イザナミ時代のイザナギは黄泉(よみ)がえりしたときに、「煩い」を脱ぎ捨てた時の「煩い=うるさい」こそが日本人の根源的な特性であり、世界にはない(前回書いた、日本の「患者」と英語の「patient」に見られる病気への考え方の違いにもつながる)。さらに外国人の声が大きいのは、大きく言わないと伝わらないから大きな声を出しているのであって、みんなが大きな声を出すから全体として音が大きくなるのは当たり前。ひつこくないと引き下がる(=負ける)ことになるから、伝わるまで、分かってもらうまで何度も何度も言う。日本人は何度もいわれると、うるさいと思う。
前回、古事記の話で、煩(わざわ)いは外からまとわりついて、体に棲(す)みついてくるので、禊(みそぎ)によって脱ぎ捨てた服から煩(わざわ)いの神がうまれたことに触れた。神は今もなお日本人の身の回りにいて、何かあると外からまとわりついてくる、外患として取り憑(つ)く。とにかく日本人はうるさい事柄を嫌がる。手間がかかることを外国人が嫌がるのは「合理的ではない」からであって、日本人はただ「うるさい」から嫌がる、めんどくさいなぁ、うるさいなぁと。外国人はそうではない、必要な事だったら、細かいことだってやる。日本人はうるさいというだけで、嫌がる、拒否する。“それは無理”と、詳しく調べも聴かずに受け入れない。
「うるさい」事柄がどんどん増えつづけている。なぜ増えているかというと、外からやってくる「うるさいこと」が増えているのではなく、自分の側から“これ、うるさい、めんどくさい” “これ、無理、イヤ”といって、「うるさい」を増やしている。
近くの保育所で遊ぶ子供の声がうるさい。
新しくできた保育所ではなく、その保育所は昔からあって昔と同じように子どもは遊んでいるのに、うるさいという。このように、そもそもあったことでさえ、うるさいといいだした。自分からどんどんうるさいものを見つけ出し、それを脱ぎ捨てよう、切り捨てようとする。自分にまとわりつく「煩(わずら)い」として、どこからか「煩(うるさ)い」ものをみつけだして、拒否する。
近所の「うるさい」おやじが減った。
昔、“ここでこれしたらあかん、こうせなあかん”と言う口やかましいおやじがいたものだが、近所、街のなかの「うるさい」おやじをみんなが「うるさい」と言って排除していったから、いなくなった。しかも排除するだけでなく、社会システムのプロセスを複雑化させた。昔の社会プロセス、人と人との関係・手順はもっと単純であったが、「うるさい」のボルテージがあがり、いろいろな事柄の手順を複雑にさせた。うるさいことを言う人が増えれば増えるほど、マニュアルが分厚くなる。こういう時はこうする、そんな時はこうすると、めんどうである。やはり、めんどうな日本である。
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人はそもそもめんどくさいし、うるさい。
そのうるさい人がだれかと関わらざるを得ない。それが「煩(わざわ)い」となる。人と人との関係がめんどくさくなるという煩(わざわ)い。あなたが「うるさい」と思っているが、相手からすればあなたが「うるさい」と思う。このように、社会はめんどくさい。
太古の昔から人は社会を形成するにあたって、うるささにどのように対処するかの知恵をしぼった。それが社会のルールとなり、モラルとなった。社会に暗黙のコードがあった。うるさいものに対して、何らかのルールなり暗黙のコードで、「うるさいもの」と調和・バランスさせる社会をつくってきた。だから赤ちゃんが電車の中で泣いたって、“まぁ、赤ちゃんは泣くものだ”と、みんな、うるささに対応していた。それが今の社会では、対応できなくなっている。“めんどくさいなぁ、うるさいなぁ”と、赤ちゃんをあやす親に文句をいう。ちょっと前まであったルール・暗黙のコードが現代社会で通じにくくなりつつある。「暗号表」が共有できなくなり、「うるさい」が増えつづけている。』
https://comemo.nikkei.com/n/n403616283037




『“いちいちめんどくさい、ああめんどくさい、なんかめんどくさいな”―テレビでも学校生活でも会社でも毎日飛びかう。なんでもかんでも、めんどくさい。最近とみに、この“めんどくさい”が増えている。日本人はとかく“めんどくさい”ことがキライ。実はめんどくさいは“日本社会・文化とはなにか”を考える極めて大切なキーワード。
“めんどくさい”に込めている意味は人それぞれちがっている。ニュアンス言葉である。もともとの意味から変形して、人によって、様々な「めんどくさい」が使われる。しかしめんどくさいには、体裁が悪い、厄介だ、うるさい、わずらわしい…といろいろな意味があるが、日本古来より使われる「わずらわしい」がベースにあると考えられる。その「わずらわしい」とはなにか。
病気になることを「患(わずら)い」という。罹患・患病・患者と、病には「患」という漢字があてられる。日本語の「患者」は、病気を患うこと。患いが普通の状態(健康体)にまとわりついて病となる。だから自らにまとわりついた患(わずら)い=病を振り払うのが日本人。英語では患者のことをペイシェント(patient)といい、耐えるという意味となる。英語圏の患者は、病気に耐える、耐えてじっと待つ、耐えて忍ぶのに対して、日本語圏の「患者」は自分の意志で、患(わずら)い=病を振り払おうとする。わずらいは振り払えるものだと考える。このように病気に対する英語圏の人と日本人とでは考え方が大きく違っている。だから本来医療の考え方は日本と西洋とはちがっていた。ではこの「わずらい」はどこから生まれたのか。実は古事記に登場する。
古事記と日本書記に、「男神イザナギ・女神イザナミ」の夫婦神が登場する。夫婦神は国づくりをおこなうが、女神イザナミが大火傷を負って死ぬ。嘆き悲しんだ男神イザナギは、死者の国「黄泉(よみ)」の国に死んだイザナミに一目会いたくて訪ねる。黄泉の国でイザナギが見たイザナミは、変わり果てた姿だった。イザナミは喜んで会いに来てくれたイザナギに抱きつこうとするが、イザナギは異臭のする腐敗した、むごたらしいイザナミを振り払って、逃げ帰ってしまう。私がこんな姿になってしまったら愛してくれないのかとイザナミは恨みを持つ。黄泉の国から帰ってきた(「よみがえる」の語源)イザナギは、イザナミに抱きつかれて付いた汚れや臭いを振り払おうと、着ていた服を脱ぐ。これが「けがれ」を受けた人間がそれを振り払う「みぞぎ」の始まりである。そして黄泉の国でイザナミに抱きつかれ、汚れ脱ぎ捨てた衣服、杖や帯、袋、帽子から、12の神様が生まれた。そのなかで脱ぎ捨てた服から生まれたのが「和豆良比能宇新能神(わずらいのうしのかみ)」(日本書記では「煩神(わずらいのかみ)」)という神様だった。古事記・日本書記の時代に、日本人・日本社会を特徴づける「煩い」「けがれ」「みそぎ」という文字がうまれた。日本人の煩いは、このように古代からつづいている。
イザナギはわずらわしいもの、うるさいものを脱ぎ捨てた。だから日本人はみそぎをして身を清めたり、結界を張る。外からわずらわしいものが内に入ってこないようにする。ここで日本人の「内と外、ウチとソト」の概念がうまれる。 自分にくっついてくるのはわずらわしく、うるさい。うるさいものは外からやってきて、まとわりつこうとする。病にかかったり、変になるのは自分がおかしいのではなく、外からわずらいがとりつくからなのだ。だからわずらわしいものが外から入って来ないようにする。入ってきてとりついてしまったら、振り払う。そのために、おはらい、みそぎをする。そもそも入ってこないよう、盛り塩、しめ縄、神社の鳥居、川などの「結界」を張る。たとえば伊勢神宮の参拝はなんども川を渡るが、それが結界であり、外から「うるさいもの」「わずらわしいもの」が入ってこないような空間構造をデザインしたり、日本住居には縁側や中庭のようなウチでもないソトでもない中間ゾーンを日本人はつくってきたのである。
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わずらいが外から内に入ってくる。人にとりつこうとするわずらいはうるさいのだ。だから「戸は開けたままにしないで閉めなさい」と親は子どもにいってきたし、「この線のなかには入ってはいけない」というような行動様式が承継されてきた。結界が張られたら、その内には入らない日本人を外国人はとても不思議に思うが、日本人は今でも自然にそうする。目に見えようが目に見えまいが、「結界」を意識する。これが日本文化である。
日本人が内と外に執拗にこだわるのは、この「わずらい」の存在からである。外から来るのはわずらいであり、うるさいもの。内のことだったら内々(うちうち)で話し合えばなんとかなるが、外から入ってくるものは「わざわい=災い=禍=厄」であり、話が通じないかもしれずなんともならない。だから「内憂外患」という言葉も生まれた。内のことは憂いで、どうしようどうしようと悩めばすむが、“わずらわしいこと・うるさいこと”は外からやってきて、内が大変なことになる。だから内と外を分けてきた。外にいるわざわいが内と外の境界を突破し、自分にとり憑こうとするから、入らせないようにする。このわずらいこそ、日本人・日本社会の特性を規定するキーワードのひとつである。
親も妻も夫も子供すら煩わしい。“面倒くさい、うっとおしい、うざい、気持ち悪い…”というように、煩わしいの同義語が日本語にはいっぱいある。だから内と外の“結界”が大切だった。しかしながらこの内と外の境界、区切り、仕切り、中間、縁側、中庭が、限りなく薄くなり、減りつつある。分厚かった“界”がどんどん薄くなっている(第三の場所(サードプレイス)として日本人に受け入れられたスターバックスはこの文脈にある)。“界”は人の皮膚のすぐそばまで来ている。だから夫婦であっても、“これは私の流儀だ”“オレのやり方だ”と主張し、自分以外はみんな、“うるさい”“うざい”“面倒くさい” “わずらわしい”となった。これこそ、現代の日本社会を理解する重要なコンセプトである。
日本人は世界一「煩わしいこと=うるさいこと=面倒くさいこと」がキライなのだ。次回はこの“煩わしい、うるさい、面倒くさい”が日本社会・文化にどういう影響を与えているかを考える。』
https://comemo.nikkei.com/n/n8465adbe1aca



『熊や猫がのっかり、可愛らしく、もこもこした内履き・部屋履きスリッパに、世界は熱狂した。カワイイ履き物!と、日本のお土産として外国の人が買っていかれる。ぬいぐるみのスリッパが世界アイテムとなった。実は日本発なのだが、多くの日本人は気づいていない。
“ぬいぐるみを履く“という発想は、世界にはなかった。
どっちみちスリッパを履くならば、ふわふわしたほうがいい。ふかふかした生地を使うのならば可愛いほうがいい。で、熊、猫をつけた。しかしそのスリッパは“部屋履き”である機能ははずさない。フワフワで、気持ちよく、あったかく、それに動物の顔をくっつけてぬいぐるみみたいになって、なおかつスリッパ。
価値観とか精神性を外してしまうと、アイデアはただのアイデアで終わる。日本人はモノづくりをするときに、ウチとソトとか、人に対する礼など根源的な価値観・精神性を決して外さない。便利で、心地よく、多様性があるモノやコトを日本人が承継してきた精神性が支える。たとえばウチで履くモノと、ソトで履くモノの意味を分ける。“ウチとソト”という精神性を基軸にして、転じて、ものごとを多様化させる。多様化してできあがったものは、とても機能的で、洗練され、しかも日本的なミニマリズムの粋になっている。それが日本のモノづくりの基本である。
内履き・部屋履きスリッパは和洋折衷のシンボル。
建物が和洋折衷になっていくに伴い、内履き・部屋履きスリッパがうまれた。内履きスリッパを履いたり脱いだりして、和と洋が混在する家のなかを行き来する。その内履きスリッパが家から出て、「つっかけ」となった。
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ベランダや庭に出るときの履き物で勝手口から、“ちょっと買い物”と、外に出た。当初はゲタだったのでカランコロンと音がしたが、形状が工夫されて静かな「つっかけ」となった。さらに「つっかけ」は進化して、ファッションアイテムとなり、街のなかで堂々と履いて歩くようになった。
また着物時代の足袋がとびだして、「地下足袋」がうまれた。親指が一本出た地下足袋を、昔のマラソンなどの陸上選手は履いていた。実は日本人は力仕事をするとき、親指に力を入れて地面を蹴る。だから親指が分かれていないと、足に豆ができる。地下足袋はこの日本人の運動スタイルを踏まえた形状であり、ゲタや草履の「鼻緒」も日本人が発明した。
これらゲタ・草履・鼻緒・地下足袋が転じて、日本人は「ビーチサンダル」を発明した。とりわけ“履いていたら乾く”という誰も考えつかなかった機能をのっけた。石文化の西洋では、サンダルは足を痛めるので履かなかったが、日本人がこのような快適なサンダルを次々につくっていったので、“すばらしい、いいね”となって、世界中の人が履くようになった。
この流れから、「クロックス」がうまれた。日本のつっかけ・ビーチサンダルをベースに、かかとが外れないようにと、「ベルト」がつけられた。この「ベルト」こそ西洋人の矜持だが、クロックスのベルトをつけない日本人が多い。
これらスリッパの進化はたんに機能だけで展開されたのではない。「内(ウチ)と外(ソト)」という精神性が踏まえられている。家の外に出るものではなかったつっかけが、家(ウチ)と外(ソト)の結界を越えて、ファッション性をあげて、外に出ていった。
日本人は精神性をはずさず、機能性を満足させ、洗練させ、そのうえで可愛いくする。どんなに可愛いいスリッパといっても、スリッパの機能を満たしている。バッグが可愛いい、ハンカチが可愛いい、スマホのケースが可愛いいと、日常生活に「可愛いい」が広がっている。
普段使うものだったら、“どっちみちなら、可愛い方がいい”と考える。弁当箱なのに可愛いかったり、ふたを開けたら猫の顔が出てくる「キャラ弁当」も、決して「弁当箱」であることを外していない。
弁当の原型は江戸時代にある。
「メンパ」と呼ぶ木製の箱に、家で調理した食べ物をつめて、外での仕事や旅のためにメンパを外に持って出た。“外にいながら、内を感じられる” “内と外をつなぐ”という精神性を込めて、パーソナル用の「主食と菜(な)」をセットにして、持ちはこんでもこぼれない、しかも愛母弁当・愛妻弁当として想いが込められるという “弁当”を今も学校や職場に持って行き、食べている。江戸時代の流儀が今に続いている。その弁当が「BENTO」という世界語となり、「キャラ弁」としても発展し世界に広がっているが、日本人の多くの人はそのことに気がついていない。
日本人は与えられた「レギュレーションとルール」のなかで、なにができるかを徹底的に考えて、洗練させ、かつ多様化させるのが得意である。欧米の人は“スリッパならばこんなものだろう”と思うが、日本人はスリッパに”こだわり”つづける。スリッパというお題があれば、そのスリッパをもっと楽しいものにしよう、可愛いものにしよう、綺麗なものにしようと考えて、スリッパをいろいろに転じる。
精神性、機能、根本を変えない。
その範囲のなかで、どっちみちなら可愛く、どっちみちなら楽しくという発想で、物事を多様化していった。そのモノづくりが最近ズレてきている。ともすれば突拍子もない、思いつきのアイデアでモノをつくろうとする。基軸を外したものは、広がらない。
日本の生きるもうひとつの道はこれではないだろうか。
そのモノ、そのコトの本質と価値観を外さず、そのうえで転じて、幅広く展開し、創意工夫し、多様化させる。あくまでスリッパはスリッパ、弁当は弁当でこだわったうえで、転じる。スリッパ・弁当以外にもある。傘なら傘の領域で、どこまで行っても傘にこだわり、綺麗な傘、可愛いい傘、折れない傘、折りたためる傘へと転じてきたが、どれも傘であることを外さない。
日本的なモノづくりは、「本質」「精神性」にこだわる。
ビーチサンダルしかり折りたたみ傘しかり、これまでやってきたことを活かす道はないのか、生き残る道はないのかと試行錯誤するなかで、いっぱいの失敗を経験して、“これ、いい” “みんな、喜ぶ”という価値あるモノやコトを生み出してきた。「試行錯誤」をめんどくさがってはいけない。 (了)』
https://comemo.nikkei.com/n/neeab7d720862




『“煩(わずら)いはまとわりつくもの。脱ぎすてることで禊(みそ)がれる”と日本人は古事記の時代から伝えつづけてきた。外(ソト)、他とかかわることで自分の身にふりかかる煩(わずら)いや穢(けが)れは、要所要所で脱ぎ捨てないといけない。煩いや穢れを脱ぎ捨てる場として結界がある。
「内(ウチ)と外(ソト)」という関係を日本人は意識する。煩わしいものを身にまとってしまう世界が外(ソト)。家のなかは内(ウチ)で、 内では煩いはまとわりつかない。玄関前の盛り塩、敷居、畳の縁は外の煩いを内に入れない「結界」の意味を込める。
江戸時代の旅人が旅籠に到着すると、玄関で外のよごれがついた草鞋を脱いで足を洗う。さらに手を洗って禊(みそ)いで、土間から上がる。“結界を越えた”からと旅籠の人は「気楽にしてください。どうぞ寛いでください」と声をかける。
家の内ではなにもまとわりついてこないから、お気安に。家の外の世界ではいろいろなものがふりかかってくる。“内の空間は結界で守られた世界だ”という精神性がいまも日本人の所作なり言葉として残っている。たとえば
「敷居は踏んではいけない」
家の玄関が“結界”のひとつ。玄関で靴を脱いで家のなかに入ると、“結界”によって、それぞれの部屋の性格が分けられる。ダイニングで外国人が座っていたら、(決して汚くはないのだが)「ダイニングでは座らないで」と注意される。つづくリビングと和室、廊下と和室を仕切る「敷居」は「踏んではいけません」と声をかけられる。敷居を越えて畳のうえに立っていると、「まぁ、すわってすわって」と声をかけられる。このように敷居を境に、がらっと意味が変わる。同じ家のなかでも、空間ごとに、生活スタイルを変える。
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かつて日本は草履文化だった。
草履のままでは、建物のなかには上がらなかった。上がらないといけない場面では白足袋を履いた。明治に入り、靴を履くようになって、日本人は白足袋をやめた。白足袋をやめたので靴を脱ぐと、”上は洋装で下は素足”というスタイルとなる。ここで明治の日本人は考えた。どのような恰好で家にあがればいいのだろうか?と。
靴を脱ぐ形から靴を脱がない形に、
日本の建物が変わっていく。明治維新までの建物は靴を脱いで上がる形式であったが、日本の住宅は明治維新からの混沌期を経て、洋式の住まいとなった世界、和を守った世界、和洋折衷の世界の3つに分かれた。
日本的なスタイルは、なんでも折衷しようとする
A と B を混ぜて、C をうむ
〔1+1=2 ではなく、 1+1=Xにも、1+1=Y にする〕
日本的なスタイルは、なんでも折衷しようとする。
「A+Bを混ぜて、Cをうむ」。単純に「1+1=2」ではなく、絶妙なバランス力で、「1十1」をXにもYにもした。
住まい方でも絶妙な和洋折衷がおこなわれた。従来の和式の住まい方と西洋式の住まい方を融合させようとするが、玄関で靴を脱いで、廊下を歩き、応接室やリビングに入って、そこで靴下や素足でソファ・テーブル・椅子に座るというのはどうもしっくりこない。ここで日本的な「スリッパ」が発明された。
実はスリッパはシャワーのあとの履き物であった。
ホテルのシャワールームにはガウンとスリッパが置いてある。欧米ではシャワーを浴びるまでは靴を履いているが、シャワーを浴びると足が濡れる。足が濡れたら靴は履きにくいので、シャワーを浴びたあと、白くてタオルのような生地のスリッパを履く。ガウンを着てスリッパを履いて、ベッドに移動する。
スリッパは靴から履きかえるモノ。
欧米系のホテルでは浴室にはスリッパが置いてある。シャワーを浴びて体を拭いたときに使ったタオルを足にくるんで歩いたことから、スリッパが生まれたという説がある。シャワールームに置いてあるようなタオルの生地にはそんな背景があるかもしれない。
ホテルのベッドの足元には、帯のような布が敷いてある。
日本人はこの布がなんのためのモノなのかを知らない人が多い。寝るときには、この帯のような布を取ってベッドに入るが、ベッドの上の帯のような布は靴をのせるためのものである。なぜならば欧米には靴を履いたまま、寝る人がいるからである。
ともあれ日本人のホテルの部屋での過ごし方は欧米人と違う。
日本人は部屋には入ったら、すぐに靴を脱ぐが、どうにも自分の家のようにはリラックスできない。なぜしっくりしないかというと、家とホテルの室内構造の違いに加え、ホテルと自分の家の内での過ごすスタイルが違っているためである。
日本人は自分の家でどのようにすごすのか。
玄関で内履きスリッパに履きかえて、廊下を歩いてリビングに入る。しかしお手洗いでは別のスリッパに履きかえる。水にぬれてもいいスリッパを履く。キッチンやリビングでは内履きスリッパを履くが、リビングのフローリングの上に絨毯が敷かれていたらスリッパを脱ぎ、絨毯の端に置いたりする。
外の世界から戻ると、玄関で靴を脱ぎ、内履きスリッパに履きかえるのは、玄関が重要な結界だから。家のなかに鴨居や鴨居など視覚的に結界を張っている場所と、目に見えないが意識の結界を張って、家のなかでウチとソトを分ける。
スリッパを履いたり脱いだりして、内と外、こっちとあっちを分ける。
スリッパを履いている場所では床に座らない。一方スリッパを脱いだあと、畳や絨毯のうえに座ったり、ごろっとしたりできる。空間的には切れていないが、家の内でスリッパを履く履かないで、絶妙に内と外を分けている。これこそ、「和洋折衷の粋(すい)」といえる。
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戦後になって、新しく建つ家での洋風ウエイトが高まり、古い家でも一部部屋を洋風にリフォームするなど室内構造を変えるに伴って、洋風になった室内と履き物との違和感がでてきた。こうして内履きスリッパが高度に進化する。しかし今も靴を脱いで靴下や素足で台所仕事をしたり、テーブルでご飯を食べたりすると、違和感がある。
日本人は玄関で内履きスリッパに履きかえ、そのスリッパでリビングですごすようになった。しかし畳の部屋では敷居・鴨居という結界を超えるから、スリッパを脱ぐ。このように「ウチとソト」という意識・精神性は今もつづく。この日本的価値観や精神性が内履きスリッパをうみだし、内履きスリッパの機能性を高め、かつデザイン性を高め、バリエーションあふれる内履きスリッパを世界に広げた。
次回の「スリッパ(下)」では、日本のモノづくりの可能性を、日本発世界商品となったスリッパと弁当で学んでいきたい。』