普通の長射程ロケット弾が品切れになってしまったか…。
https://st2019.site/?p=19204
『本日、ロシア国防省は、「Bal」という沿岸防禦システムから、対艦巡航ミサイル「Kh-35U」(ハープーンのコピー)を、陸地に向けてつるべ射ちしている動画を公開した。
とうとう、普通の長射程ロケット弾が品切れになってしまったらしく見える。
このミサイルの弾頭重量は145kgである。飛行中の双方向通信はできない。射ちっ放しである。』





『(Copilot) これは近年の認知科学・教育学・AI研究でかなり議論されている重要な論点です。 結論から言…
『(Copilot) これはまさにダニエル・カーネマンの『ファスト&スロー』で説明できるテーマです。 テスタ氏…
『(Copilot) テスタ氏の発言は、単に「知識不足の人が騙される」という意味ではありません。 むしろ興味深…
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB282GF0Y6A021C200…
『(Copilot) この記事が注目されたのは、「強権体制なのになぜ学生運動が勝てたのか」という点です。 従来…
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD263XQ0W6A021C200…
普通の長射程ロケット弾が品切れになってしまったか…。
https://st2019.site/?p=19204
『本日、ロシア国防省は、「Bal」という沿岸防禦システムから、対艦巡航ミサイル「Kh-35U」(ハープーンのコピー)を、陸地に向けてつるべ射ちしている動画を公開した。
とうとう、普通の長射程ロケット弾が品切れになってしまったらしく見える。
このミサイルの弾頭重量は145kgである。飛行中の双方向通信はできない。射ちっ放しである。』
政府「非難は当たらない」 防護マスク提供でロシア反発に
2022年4月20日 水曜 午後0:24
https://www.fnn.jp/articles/-/349490
『日本政府がウクライナに防護マスクなどを提供することに対して、ロシア下院の副議長が「ウクライナに化学的な攻撃を準備する機会を与えている」などと批判していることについて、磯崎官房副長官は20日の記者会見で「非難は当たらない」と述べた。
ロシアメディアなどによると、日本政府がウクライナに化学兵器用の防護マスクなど提供することを決定したことについて、ロシア下院のヤロワヤ副議長が「ウクライナに化学的または細菌学的な攻撃を準備する機会を与える」と批判している。
さらに「日本軍の731部隊が生物兵器を使って人体実験をしていた」と指摘して、平和と安全に対する脅威だと主張している。
これについて磯崎副長官は20日、「日本の支援を非難していることは承知しているが、ウクライナによる自国の防衛を支援するものであり、非難は当たらない」と述べた。
また磯崎副長官は「日本は今後も困難に直面したウクライナ人に寄り添った支援を実施していく」と強調した。』
日本の「防護マスク」提供にロシア反発“ウクライナに攻撃機会与える”
https://www.fnn.jp/articles/-/349442

『 ロシア下院の副議長が、防護マスクなどを提供する日本政府のウクライナ支援に反発した。
ロシアメディアなどによると、ロシア下院のヤロワヤ副議長は、日本政府が化学兵器用の防護マスクなどを提供することを決定したことについて、「ウクライナに化学的、または細菌学的な攻撃を準備する機会を与える」と批判した。
そのうえで、「日本軍の731部隊が生物兵器を使って人体実験をしていた」と指摘し、平和と安全に対する脅威だとして、日本に説明を求める考えを示した。』
ウクライナに防護マスク提供へ 状況監視にドローンも―岸防衛相
https://www.jiji.com/jc/article?k=2022041900280&g=pol
『2022年04月19日12時08分
岸信夫防衛相は19日の記者会見で、ロシアの侵攻を受けるウクライナの要請を受け、防護マスクと防護衣、小型無人機(ドローン)を提供すると発表した。ロシアによる化学兵器使用の可能性が指摘されていることなどを踏まえた措置。近く、民間機を使い、周辺国経由で送る方向で調整している。
ロシアの化学兵器使用に厳戒 東部で戦闘激化へ―ウクライナ
岸氏は、「今後もウクライナに対してできる限りの支援を行っていく」と強調した。
ドローンは防衛省が使う市販品で、状況の監視など「ウクライナの防衛」を目的に渡すという。
自衛隊の装備品である防護マスクについては、「防護能力が明らかになる」(防衛省幹部)として、提供に慎重な意見があった。政府は今回、ウクライナ支援の姿勢を強く打ち出すため、提供に踏み切ることとしたとみられる。
提供は、自衛隊の任務に支障がない範囲で装備品を他国に渡すことを認める自衛隊法116条の3に基づく。
日本政府はこれまで、防弾チョッキ約1900着やヘルメット約6900個、カメラ約50台などを提供している。 』
Olha Povaliaieva 記者による2022-4-19記事「Occupiers Used Chemical Weapons in Kharkiv Region」
https://st2019.site/?p=19204
『Izyum市の前の助役だった人いわく。露軍が同市方面で化学兵器を使い始めたと。
被害住民は全員、テストを受けている。
この元助役さんの私的なネットワークにより、現地からの速報を得たという。
化学兵器は、ロシア軍装備である「Grad」多連装ロケットによって撒かれている。
それが着弾すると、地面にガスが広まるという。
症状は全員同じ。目が赤くなる。眩暈。痛みを伴う嘔吐。呼吸困難。そして意識喪失。
「Grad」のロケット弾には「9M23」および「9M21」という、ケミカル弾頭が用意されている。
被害者からは血液サンプルを採取したので証拠は確保されている。着衣も研究施設へ送られている。』
ウクライナ戦線への新兵補充ができなくなって、クレムリンは大困り…。
SOFREP の2022-4-19記事「Moscow Struggling To Find New Conscripts To Fight In Ukraine Says Ukrainian Defense Ministry」
『ウクライナ戦線への新兵補充ができなくなって、クレムリンは大困りのご様子。
ウクライナ情報部が解説しているところによると、ロシア参謀本部は当初、26万人の予備役を動員してドンバスに投入する心組みであったが、市井人である予備役が、赤紙が来ると、皆、夜逃げしてしまい、召集に応じてくれず、兵隊が足りないという。
ちなみにロシアでは、65歳までも、赤紙で充員召集される可能性がある。
「後方の道路の警備しかさせないから。最前線で戦闘しなくていいから」と必死で説得している模様だが、誰も信じていない。
とにかく田舎に住んでいると召集されるので、モスクワかサンクトペテルスブルグに引っ越すのが、徴兵逃れの常套手段になるという。また、家が金持ちならば、医師に偽診断書を造ってもらい、重病人ということにして、堂々と、徴兵を逃れられるという。
ロシアでは、新兵(現役兵)の徴兵は4月1日から7月15日までおこなわれる。18歳から27歳までの男子が対象になる。
ロシアは20年前のチェチェンにも、未訓練の新兵を投入して大損害を受けている。そして口先では、新兵は送らないと約束し続ける。同じことを繰り返している。
塹壕の中で団子のように蝟集して3人が斃れている写真を見れば分かる。こいつらが戦闘訓練をロクに受けてないことは自明なのだ。』
北京NOW 第35号 2017.03.06発行
by 江原 規由
http://www.21ccs.jp/china_watching/BeijingNowB_EBARA/Beijing_nowB_35.html




『伙伴関係を軸とする一帯一路FTAの機は熟した <目次>へ戻る
本稿は、本誌前号「伙伴関係(パートナーシップ)と一帯一路戦略の行方」(北京NOW 第34号2016.08.03発行)の続編であり、そちらを参考にしつつご一読いただければ何よりである。
トランプ米大統領が、選挙公約通り、環太平洋連携協定(TPP)からの正式離脱 に関する大統領令に署名したことで、アジア太平洋地域(以後、ア太地域)におけるメガFTAは、東アジア地域包括的経済連携(RCEP)の構築からアジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)の構築へ至るルートが注目されている。
米大統領選の結果が判明した直後の11月20日、ペルーのリマで開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議に出席した習近平国家主席(以下、習主席)は、重要講話で「我々は揺るぎなく経済のグローバル化を先導し、あらゆる形態の保護主義に反対し、FTAAPを早期に構築する必要がある」と明言した。
FTAAPの早期実現のための北京ロードマップは、2014年11月に北京で開催されたAPEC首脳会談において習主席が提案したものである。
そのFTAAPへのつなぎ役として、RCEPかTPPか、あるいは、両者の融合かが期待されていたが、“TPPが終わる”となると、RCEPが残ったことになる。
TPPとRCEPはア太地域におけるメガ FTAの、いわば2枚看板であったが、TPPの先行きに不透明感が漂う中、RCEPの存在が急浮上したとみる向きが少なくない。
RCEPの構築への関心が高まったということは、その中心的メンバー国である中国が、RCEPの構築でどうリーダーシップを発揮するのかといった関心の高まりと同一線上にあるといっても過言ではない。
ポストTPPは一帯一路FTA
果して、中国はRCEPの構築を強力推進し、リーダーシップを握ろうとするのであろうか。その答えは、ある状況が出現しない限り、『否』であると考えられる。
RCEPに対する中国の姿勢についてであるが、中国商務部(日本の経産省に相当)は、2016年12月2日の定例記者会見で、「RCEPは実質的な交渉の段階に入った。ASEANはRCEPの軸であり主導的存在だ。中国はRCEPの積極的な推進者として、ASEANの核心的地位を十分に尊重した上で、各国と力を合わせ協力し、一日も早い交渉の終了を目指す」(人民網2016年12月5日)と表明している。
中国は、2015年12月31日にASEAN経済共同体を発足させたASEANをRCEPの軸(ASEAN ファースト)としているのである。中国は、RCEPの構築でリーダーシップを握ろうとする強力な第3国が出てこない限り、当面これに深入りせず、一帯一路戦略の推進で、関係各国からコンセンサスと支持をとりつけつつ、一帯一路FTA(下記参照)構築の道を探ることに尽力するものとみられる。
TPPからの米国の離脱は、中国に一帯一路FTA構築への時間的余裕と機会を提供したといえる。
一帯一路FTAについて
2015年12月、中国国務院は中国のFTA戦略のバイブルというべき「FTA戦略の実施を速めることに関する若干の意見」(以下、『FTA意見』)を公布している。その中で、一帯一路FTAについて、次のとおり、明記している。
○ 「一帯一路」と国家の対外戦略を密接に結びつけ~中略~周辺国・地区(関係国、以下同じ)に足場を築き、一帯一路に輻射する高水準のFTAネットワークを早急に形成させる(『FTA意見』の指導思想のところで言及)。
○ FTAなど各種区域貿易協力に全面的に参与し、周辺国・地区、一帯一路沿線国・地区~中略~地域経済集団とのFTAを重点的に構築する(基本原則のところで及)。
○ 中長期:隣国・地区、一帯一路沿線国家および5大陸重要国家を含むグローバルなFTAネットワークを構築する(目標任務のところで言及)。
○ 「一帯一路」FTAを積極推進する。周辺のFTA建設と連携させ~中略~積極的に一帯一路沿線国家とのFTAの構築を図り、一帯一路大市場を形成させ、一帯一路を「自由通行の道」、「ビジネス・交易の道」、「開放の道」とする。
『FTA意見』によれば、中国のFTA戦略は一帯一路FTAを核心としていることになる注1。
因みに、2016年12月現在、中国とFTA締結国との対外貿易は中国の対外貿易総額の38%を交渉 中の国家・組織とのFTA(昇級協議を含む)が締結されると同50%まで高まる。
表1 中国が締結・関係しているFTA関係国・地区・組織(2016年12月現在)
締結済
(15国・地区・組織) ASEAN、シンガポール、ニュージーランド、チリ、ペルー、コスタリカ、パキスタン、スイス、アイスランド、香港/マカオ(CEPA)、台湾(ECFA),韓国、オーストラリア、“ASEAN+1(ACFTA)”昇級版(グレード・アップ)
交渉中
(10国・組織) 日中韓、スリランカ、湾岸協力会議(GCC)、ノルウェー、RCEP、“パキスタン第二段階、モルディブ、ジョージア(旧グルジア)中国-ニュージーランドFTA昇級協議、中国‐チリFTA昇級協議
研究中(7国) インド、コロンビア、モルドバ、フィージー、ネパール、モーリシャス中国-ペルーFTA昇級協議
準備(筆者追加) EU、カナダ、BRICS、上海協力機構(SCO)、一帯一路(65ヵ国),16プラス1(16:中・東欧諸国 1:中国)等
各種資料から作成
蛇足ながら、中国は、一帯一路戦略を世界の公共財とか、朋友圏(友人の輪)などと呼ぶことが少なくない。中国は、発展途上国と共有できるFTAの構築を希求しており、この点で、一帯一路FTAは、TPP、RCEPなどのメガFTAとは一線を画しているといえる注2。
伙伴関係に基づく一帯一路FTAの構築
一帯一路FTAの構築は、中国が世界的規模で構築している伙伴関係の行方にカギがあると考えられる。
伙伴関係とは、中国とすでに一定の信頼関係を構築しており、重大な問題について、基本的には意見を異にしない関係を指すとされる。
その 特徴は、
①条約や協定でなく元首の共同声明をもって、2国間、多国間の協力・連携関係を構築・格上げする。首脳同士の信頼関係がベースとなっている。
②経済連携の用件となる内容が少なくない。例えば、地域経済一体化、一帯一路戦略と関係国との発展戦略を連携させるなど。
③伙伴関係の構築は、妥協と譲歩による交渉の成果として構築されるFTAとは一線を画している。入口を伙伴関係の構築、格上げとし、出口をFTAとすることも考えられる。
なお、伙伴関係の一覧は公式には発表されていない。
筆者がまとめたところでは、16種類(9文字<下記表赤字>の組み合わせ 詳細は本誌第34号参照)ある。中国との関係の進展などにより格上げされたり、新たに構築されたりする。
日中伙伴関係については、1998年、江澤民国家主席(当時)訪日した折、“平和・発展友好協力伙伴関係の構築を目指そうと宣言されているが、今なお、“伙伴関係”の構築にいたっていない(大公報 2014年8月18日、第一財経日報 2014年11月24日など)。
2008年訪日した胡錦濤国家主席と、福田総理(当時)との間で確認された日中「戦略的互恵関係」は、伙伴関係とされていない。
伙伴関係の構築・格上げを軸とする習外交路線の始動
2017年1月、今年初の外遊先となったスイスで、習近平国家主席は、国際連合ジュネーブ事務局を訪問し、講演(テーマ:人類運命共同体を共に構築しよう)したが、その中で、こう言っている。
“中国が、伙伴関係を構築するという決意は決して変わらない。中国は、独立自主外交政策を堅持し、平和5原則の基礎の上に、すべての国家と友好協力を発展させてゆく。
中国は、何よりも伙伴関係の構築を国家間交流の指導原則と定める。
現在、90余ヵ国・地区と伙伴関係を構築している。
中国は、世界規模の『朋友圏』(友人の輪)の輪を拡げて行く。
中国は全体的に安定、均衡発展の大国関係の『枠組み』を構築する。
米国とは新型大国関係を、ロシアとは全面戦略協作伙伴関係を、欧州とは平和・成長・改革・文明(全面戦略)伙伴関係を、BRICSとは発展・団結・協力の伙伴関係を積極的に構築する。
中国は引き続き正しい義利観を堅持し、発展途上国との実務協力を深化させ、呼吸と運命を共にし、共に発展することを堅持する。
中国は、親・誠・恵・容の理念に照らし、周辺国とウインウインの協力深化させ、アフリカ諸国の発展を共に謀り、中国とラテンアメリカの全面協力伙伴関係を推進し、新たな発展を実現する”。
習主席は、90余ヵ国・地区と伙伴関係を構築済としているが、国際組織(EU、AU<アフリカ連合>、ASEAN、 ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体など)との構築もあることから、こうした国際組織の加盟国を1国としてカウントすれば、中国は、日本、米国などごく一部の国を除く、ほぼ世界全域で伙伴関係を構築している。
また、習主席は、伙伴関係の構築を通じ、世界と“新たな発展を実現する”としているが、新たな発展とは、新たな国際経済秩序の構築、習主席がよく口にする発展途上国の参加する新たなグローバルガバナンスの構築を念頭に置いていると考えられる。
なお、筆者は、米国との伙伴関係は構築されていないとしたが、国際連合ジュネーブ事務局における講演で、真っ先に、既に伙伴関係にあるロシア、欧州(EU)、アフリカ(AU)、ラテンアメリカと同列で新型大国関係としていることから、中国は、同大国関係を特別な伙伴関係と見られる。
習主席の外遊時や外国首脳の訪中時の首脳会談では、一帯一路戦略と伙伴関係の構築・格上げに関わる案件が主要テーマとなってきているが、伙伴関係について、複数の国との伙伴関係に言及し、その意義を表明したことは、筆者の知るかぎり、国際連合ジュネーブ事務局訪問時の講演がはじめてであった。
習主席は、国際連合ジュネーブ事務局訪問時の講演で、“中国は、何よりも伙伴関係の構築を国家間交流の指導原則と定める”と明言している。
このことは、今後、一帯一路FTA構築や新たな国際経済秩序の構築、さらに、新たなグローバルガバナンスの構築に向け、伙伴関係の構築・格上げを軸とする習外交路線が本格始動しつつあることを意味しているといえよう。
なぜ、中国は一帯一路国際協力トップフォーラムを開催するのか
2017年1月にスイスのダボスで開催された世界経済フォーラム2017年度年次総会(ダボス会議)に、国家主席就任以来初めて出席した習国家主席は、その開幕式で、今年(2017年)5月に北京で、一帯一路国際協力トップ・フォーラム主催すると発表した。
同フォーラムでは、協力の①大計を協議し、②プラットフォームを構築し、③成果を共有し、現在世界と地域の経済が直面する問題の解決策を探り、各国の発展を実現のため、新たなエネルギーを注入し、一帯一路戦略で各国の人々がより良い幸福を得られるようにしたい、とした。
この習主席のスピーチの背後には、一帯一路戦略を、このところ中国が執拗に強調するようになったグローバルガバナンスの改革への『矛』とし、さらに、最近の反グローバリズム、保護主義の風潮に対する『盾』としようとしている姿勢が読み取れよう。
5月のフォーラムは、そこで習主席がどんな提案をし、参加国がこれにどう対応するか、一帯一路戦略の行方、一帯一路FTAの構築の可能性を見る試金石になるのではないだろうか。
注1 中国は関係している一帯一路沿線の主要な『協力の枠組み』は、以下のとおり。
カバーエリアでは、一帯一路がそのすべてを包括していることがわかる。これに、表1の「中国が締結・関係しているFTA関係国・地区・組織」を重ねると、中国が描く、FTA戦略の全体像が見えてくる。
注2 伙伴関係とは、パートナーシップのことである。この点、メガFTA とされるTPP、RCEP、TTIPの最後のP(Partnership〈パートナーシップ〉、経済連携協定)と同じである。
一帯一路FTAというより、一帯一路伙伴関係といった方が的を得ているともいえる。
蛇足ながら、一帯一路は、英文では、The One Belt & One RoadとかNew Silk Road とされるケースが多いことから、Belt と Road、あるいは、New Silk Roadの頭文字に、PartnershipのPを付け、TPP、RCEP、TTIPのように、一帯一路FTAのことを『BRP』とか『NSRP』とするのも一考かと考える。』
G20財務相会合、共同声明出せず 米英など途中退席
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN20EXR0Q2A420C2000000/
※ ロシアのウクライナ侵攻をきっかけに、「国際的な協調の枠組み」なるものが、どんどん「壊れて行っている」という事態が、加速している感じだな…。
※ 「国連」しかり、「G20」しかりだ…。
※ 「世界」は、どうなって行くんだろうか…。有力国の「合従連衡」の昔に戻る気配 だ…。
※ クアッド、オーカス(AUKUS)、みんなそういう「合従連衡」の枠組みだ…。ファイブ・アイズなんてのものな…。
※ 中国の「一帯一路」もそうだ…。
※ ベクトルは、「協調」ではなく、「陣営作り」「味方作り」「囲い込み」の方向へ変わったようだ…。
※ 「共同声明を出せなかったうえに、中国が融資取引の開示を拒んで停滞している途上国の債務問題でも具体策を打ち出すことができなかった。」ということなんで、「過剰債務問題」に対する「協調融資」なんかも、雲行きが怪しくなってきた…。
※ 「世界のお財布」だった日本国も、「経常赤字」になったんで、「とても、他国を 援助している余裕は、ございません…。」状態になりつつある…。
『20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議が20日、米ワシントンで閉幕した。ウクライナに侵攻したロシアを非難する声が相次ぎ、共同声明も出せずに終わった。米国を含めた一部の代表がロシア側の出席に反対して途中退席する異例の会合となった。
「戦争は正当化できず、国際法に違反するものだ」。予定より30分遅れて始まった議長国会見では、インドネシアのスリ・ムルヤニ財務相がロシアに飛んだ厳しい声を紹介した。途中退席について「驚きではない」とも話した。一部のメンバーは、米欧日の経済制裁による経済的影響に懸念を表明した。
会見では記者からG20の枠組みが実効性を持てるのか問う質問も出たが、スリ氏は「参加国の全員がG20での協調を続けるよう望んだ」と説明した。エネルギーと食品価格の高騰や中央銀行の利上げなど世界経済が直面する難題には国際的な協調を模索する枠組みが欠かせないためだと指摘した。
ロイター通信によると、イエレン米財務長官など米英とカナダの参加者は、ロシア側の発言が始まる前に席を立った。共同声明を出せなかったうえに、中国が融資取引の開示を拒んで停滞している途上国の債務問題でも具体策を打ち出すことができなかった。
(ワシントン=高見浩輔、江渕智弘)
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上野泰也
みずほ証券 チーフマーケットエコノミスト
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ひとこと解説
G20はいったい何を話し合う場なのだろうか。
先進国のみで構成されるG7では、時代が変わり、世界経済の問題を話し合うにはカバレッジが足りなくなったということで、経済パワーを増した新興国を取り込むなどしてG20は発足した。
本来は世界経済の問題を話し合う場という性格が濃い。
だが、国家レベルでの経済と政治の問題は、密接不可分である。
ロシアのウクライナ侵攻による米欧とロシアの政治対立の先鋭化をうけて、G20という国際協調の場は今回の会議で完全に行き詰まったことが露呈した。
国連も、ロシアと中国を含む安全保障理事会の常任理事国が拒否権を持っていることからうまく機能してくれない。難しい時代に突入した感が強い。
2022年4月21日 7:33
白井さゆりのアバター
白井さゆり
慶應義塾大学総合政策学部 教授
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ひとこと解説
コロナからの景気回復途上でインフレ率が上昇し、とくに新興国でインフレ率が大きく上昇し予想外の速さで金融緩和の正常化を行っている。
そこにロシアのウクライナ侵攻により一段とインフレとなり引き締めを急がざるを得なくなっている。
ウクライナ問題がなければ、化石燃料価格の高騰と気候変動対応、国内の格差と先進国と途上国の間の格差などが議論の中心になったとみられる。
しかしウクライナ問題で西側による激しい制裁とロシアによる対抗制裁への見方や国連人権理事会のロシアの理事国ポストをめぐる採決での意見のばらつきが明確になっており、ワンボイスにはなりにくい。
ただできるだけ国際的な対話の場は維持したほうがよいと思います。
2022年4月21日 7:18
柯 隆のアバター
柯 隆
東京財団政策研究所 主席研究員
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ひとこと解説
これは国際社会の縮図といえる。
みんなが集まって、国際社会の問題を解決するための話し合いをするためだが、話し合いにはならない。
ロシアと日米欧が対立するなかで、間にはギョフの利を得ようとする国々が言葉を濁す。
肝心のウクライナが出てこない。G20の役割はもう終わったと言って過言ではない
2022年4月21日 7:11 』
おくのほそ道:名句がちりばめられたフィクション紀行文
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g02067/
※ 今日は、こんなところで…。
※ 『曽良が残した日記によって旅の様子が分かるが、『おくのほそ道』には実際と違う記述が多数含まれている。芭蕉は、現実の旅の体験をベースにしながら、独自の趣向を組み込んで紀行文を創作したのである。その意味ではほとんど空想上の旅の記録とも言え、古典文学の紀行文の中では特異な作品となった。』…。
※ なーる…、奥の細道は「紀行文」の形態を借りた「フィクション」か…。
※ 『いずれも写本であって、芭蕉には最後まで『おくのほそ道』を出版しようという意志はなかったと見られる。芭蕉が同書を写本でのみ残した意味は何か。当時は美しく仕立てられた一点物の写本の方が出版物よりも高級なものと意識されていたが、それも理由の一つかもしれない。さまざまな見方ができるが、芭蕉にとってそれは未完成の作品であって、さらに推敲を重ねるつもりだったのではないだろうか。』…。
※ 「未完の大作」だったわけだ…。
※ 『3. 旅人を西行の追随者とする
語り手は「予(よ)」と自称するが、芭蕉本人であるとはどこにも書かれていない。 芭蕉は「予」を、西行を慕いその行動に追随する旅人として造形している。』…。
※ ここも、薄っすらと聞いたことがあるような気もするが、あまり記憶に無い…。
※ 今回、改めて再認識した…。
※ 『こうした発見によって、『おくのほそ道』研究は20世紀半ば以降大きく進み、現在もなお深化の途上にある。』…。
※ そういうことで、まだまだ「解明されていない部分」が、あるようだ…。




『 西行五百年忌の年に旅立ち、その足跡を辿る
1689(元禄2)年旧暦3月末、数え年46歳の松尾芭蕉は4月から9月までに陸奥(みちのく)から出羽、そして北陸を旅した。主要な地名によってその道筋を示せば、江戸の深川をたち、日光・白河・福島・仙台・松島・平泉・尾花沢・出羽三山・象潟・新潟・高田・金沢・山中温泉・福井・敦賀・大垣へと至る旅であった。
江戸から山中温泉までは門人の河西曽良が、金沢から福井の手前までは金沢の俳人・立花北枝が同道した。各地の歌枕や古戦場などの史跡を訪ねることと、訪れた地の俳人と会って連句を興行し芭蕉流の俳諧を伝えることが主な目的だった。その年が西行の五百年忌に当たることも、旅の大きな動機の一つと考えられる。西行も陸奥平泉への歌枕を訪ねながら旅をしている。本文中随所に芭蕉が西行の存在を強く意識していたことが伺われる。そして、芭蕉が紀行文『おくのほそ道』を編集したのは、旅の3年後の1692(元禄5)年から1694(元禄7)年の没年までの2年間と推測される。
曽良が残した日記によって旅の様子が分かるが、『おくのほそ道』には実際と違う記述が多数含まれている。芭蕉は、現実の旅の体験をベースにしながら、独自の趣向を組み込んで紀行文を創作したのである。その意味ではほとんど空想上の旅の記録とも言え、古典文学の紀行文の中では特異な作品となった。同書に芭蕉が組み込んだ趣向は、大きくまとめて以下の3つである。
全体は春の末から秋の末までの旅だが、その間の季節の推移や年中行事に非常にこだわっている。また、はるか昔の遺物・史跡・風俗を目の当たりにして時の流れに感慨を催すことが多い。
能にはシテ(主役)の亡霊がワキ(脇役)の夢に現れて思いを語る「夢幻能」の形式がある。『おくのほそ道』にもこの世の者ではない人物との対話を意識した書きぶりがあちこちに見られる。
語り手は「予(よ)」と自称するが、芭蕉本人であるとはどこにも書かれていない。芭蕉は「予」を、西行を慕いその行動に追随する旅人として造形している。
与謝蕪村《奥の細道図屏風(びょうぶ)》 『おくのほそ道』の本文といくつかの場面の絵が、芭蕉を敬慕する蕪村の筆によって描かれている。1779年 紙本墨画淡彩 重要文化財(山形美術館・(山)長谷川コレクション)
「時」とともに旅する語り手
ではまず、冒頭部分から見てみよう。
月日は百代(はくたい)の過客(かかく)にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老(おい)を迎ふる者は、日々旅にして旅を住みかとす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず。海浜にさすらへ、
(月日のように時間というものは永遠の旅人であって、次々に交代する年のような時間もまた、旅人である。そうした旅人に似た人間を挙げるとすれば、舟の上で一生を過ごす舟人や馬の口の手綱を引きながら老いる馬子たちで、毎日が旅であり旅をすみかとしている。彼らは旅の中で死んでゆくが、詩歌に名を残した古人にも旅の途中で死んだ人々がたくさんいる。私も旅に死ぬことを予期しつつ、いつの年からか、ちぎれ雲のように風に誘われて漂泊したい思いが抑えきれなくなり、海浜をさまよい歩き…)
ここには、1の「時間」への意識が顕著に表れている。抽象的な「時間」の概念を「旅人」になぞらえ、「予」が「時間」と道連れで旅をするかのように表現している。
具体的には「予」はこの後に、夏や秋の始まりや、端午や七夕や、盂蘭盆会(うらぼんえ)、中秋の名月といった暦の上の特定の日付にこだわりながら旅をする。
また、兄の源頼朝に追われ陸奥平泉まで逃げた源義経主従の遺物に接したり、古代の歌枕である壺碑(つぼのいしぶみ)や中尊寺金色堂などの古跡を訪ねたりしては、遠い過去に触れたことに心打たれて涙を落とすのである。
古戦場での亡霊たちへの弔い
続いて挙げるのは平泉の高館(たかだち)の箇所の後半である。高館は義経主従が討たれた古戦場。なお、義経が平泉に匿われていた時に西行もこの地を訪れている(※ それは、知らんかった…)。
偖(さて)も義臣すぐつてこの城(じょう)にこもり、功名一時(いちじ)の草むらとなる。「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と、笠(かさ)うち敷きて、時のうつるまで泪(なみだ)を落しはべりぬ。
夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡
卯(う)の花に兼房(かねふさ)みゆる白毛(しらが)かな 曽良
(さてさて、義経えりすぐりの忠義の家臣らがこの高館に籠城し武功の名を挙げたが、それもわずかな一時のこと、今そこは草むらとなっている。「国破れて山河あり城春にして」「草青みたり」といった詩を吟じながら、笠を尻に敷いて時のたつのを忘れ、しばし涙を落とした。
夏草が茂っていた、私が義経家臣の武者どもの夢を見たその跡は。
白い卯の花に、義経に最後まで付き従っていた白髪の兼房の面影が見えるようだ。曽良の句)
この句文には、前述2の「夢幻能」の趣向が生かされている。
語り手「予」は義経と家臣らが滅んだ高館の古戦場で昔をしのび「時のうつるまで」泣くのであるが、そのあいだ「兵ども」の亡霊が「夢」に出て戦のありさまを語り、「予」が目を覚ますとその夢の跡はただ夏草ばかりだった、と読み取れるように趣向を立てている。
曽良にも、夢に白髪の老武者「兼房」を見たと詠ませている。
曽良の旅日記に「卯の花に」の句は記録されておらず、芭蕉がこの場面に後から付け加えた句らしい。能の役割で言えば「予」がワキからの、曽良がワキツレ(脇役の同伴者)からの、戦死者への手向けの句をささげているのである。
歌人であり仏道修行者である西行への追慕
前述3の、語り手「予」を西行の追随者とする趣向は『おくのほそ道』の随所に見いだされる。特にそれが強く打ち出されるのは、次の箇所である。
越前の境、吉崎の入江を舟に棹(さおさ)して、汐越(しおこし)の松を尋ぬ。
終宵(よもすがら)嵐に波をは運ばせて
月を垂れたる汐越(しほごし)の松 西行
この一首にて数景(すけい)尽きたり。もし一弁を加ふるものは、無用の指を立つるがごとし。
(加賀と越前の国境・吉崎の入り江に行き、舟に棹(さお)を差して汐越の松を訪ねた。
夜もすがらの強風のために汐を浴び、雫(しずく)ごとに月が光って月を垂れたように見える、汐越の松。西行の歌
この一首によって汐越の松の数々の景は表し尽くされている。もし一言でも加えるならば、5本の指にもう1本、指を加えるようなものだ)
「終宵」の歌は蓮如上人の詠と伝えられており、作者名を西行としたのは芭蕉の創意であろう。
「真如の月」の成語があるように「月」は悟りの象徴とされる。つまり『おくのほそ道』において芭蕉は、西行の仏道修行の達成を「月」によって示して「予」の西行への賛嘆の心を表すために、この歌を利用したのである。
さらに推敲(すいこう)されたかもしれない未完の作品
芭蕉が1694(元禄7)年に亡くなるまでに直接関与した『おくのほそ道』のテキストには、まず自筆稿本の中尾本(現在の所有者による呼称)がある。
それを忠実に書写したものが曽良本(曽良の家に伝えられたことによる呼称、筆者は未詳)で、書写後さらなる修正・推敲が加えられている。
そして、書家の柏木素龍(そりょう)が芭蕉の依頼によって曽良本を基に清書した本が西村本(所有者による呼称)である。素龍の清書本には柿衞本(かきもりぼん、柿衞文庫蔵)もある。
いずれも写本であって、芭蕉には最後まで『おくのほそ道』を出版しようという意志はなかったと見られる。
芭蕉が同書を写本でのみ残した意味は何か。当時は美しく仕立てられた一点物の写本の方が出版物よりも高級なものと意識されていたが、それも理由の一つかもしれない。
さまざまな見方ができるが、芭蕉にとってそれは未完成の作品であって、さらに推敲を重ねるつもりだったのではないだろうか。
生涯を終える年、芭蕉は西村本を携えて故郷の伊賀に帰り、兄の松尾半左衛門に贈った。
門人の向井去来がそれを譲り受けて、芭蕉が亡くなってから8年後の1702(元禄15)年に京の書肆(しょし)の井筒屋から刊行した。その後『おくのほそ道』は井筒屋版を基に繰り返し刊行された。
そうした経緯で長らく井筒屋版の本文のみが世に知られていたのであるが、1943年に西村本原本が、1951年に曽良本が、1959年に柿衞本が、1996年に中尾本が見つかった。
また、1943年には曽良の旅日記の存在も明らかになった。こうした発見によって、『おくのほそ道』研究は20世紀半ば以降大きく進み、現在もなお深化の途上にある。
バナー写真=与謝蕪村筆《奥の細道画巻より旅立(千住)》。芭蕉を慕った蕪村が『おくのほそ道』の本文に俳画と呼ばれる挿画を描き添えた画巻。紙本淡彩。1778年。重要文化財(公益財団法人阪急文化財団 逸翁美術館蔵)』
【詳しく】100年前の恨み?プーチン大統領演説 全文・分析
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220419/k10013587101000.html










『ロシア軍がウクライナに侵攻して、およそ1か月半。
プーチン大統領はいったい、いつになったら戦闘をやめるのか。
侵攻のねらいはなんなのか?
旧ソビエト時代から長年にわたってロシアを取材してきたNHKの石川一洋解説委員に、プーチン大統領の演説や発言を分析してもらいました。
今回の分析からは
1.100年前の恨み?
2.側近の偏り
というキーワードが浮かび上がってきました。
(演説全文は記事の後半にあります)
今回、注目した演説は?
少しさかのぼりますが、2月21日の緊急安全保障会議の後の国民に向けたテレビ演説です。24日、ウクライナに侵攻する直前のものです。
緊急安全保障会議のあと、プーチン大統領は、ウクライナの東部2州のうち、親ロシア派が事実上支配している地域について、独立国家として一方的に承認する大統領令に署名。
このあとに行われたこの演説ではロシア国民だけでなく、「ウクライナの同胞たち」にも呼びかけるということばで始まりました。
演説では何を?
100年前からのロシアとウクライナの歴史です。
演説の中で、プーチン大統領は、旧ソビエト時代のロシアとウクライナの境界の決め方について、恨み、つらみをぶちまけています。
今のウクライナの国境は、ソビエト共産党の創設者で指導者のレーニンがロシアから本来の領土を取り上げて、作り上げたものだと述べたのです。
今のウクライナの人にとっては言いがかりのようなものですね。
境界の決め方とは?
その前に、少しロシアの歴史についてお話しします。
1917年第1次世界大戦のさなか、2月革命でロシア帝国が崩壊し、社会主義革命、10月革命を経てロシアではレーニン率いるボルシェビキ共産党が権力を握ります。
それから5年後、ちょうど今から100年前の1922年にソビエト社会主義共和国連邦が建国します。
ソビエト連邦と略称で呼ばれた国で、世界で最初の社会主義の国家です。
ソビエト連邦は、ロシアやウクライナという社会主義の国を束ねた連邦国家という形をとっていました。
ロシア、ウクライナ、ベラルーシなどが自由に参加した社会主義の連邦という形を建て前としてとっていました。
ただ実質は、ソビエト共産党と秘密警察KGBが支配する独裁国家でした。
これらのことについて、プーチン大統領は演説の中で次のように話しています。
(プーチン大統領演説より)
「現代のウクライナはすべてロシアによって、正確にはボルシェビキ、共産主義のロシアによって作られたということから始めたい。
このプロセスは、1917年の革命のほぼ直後に始まった。ちなみにレーニンとその仲間たちは、ロシア自身にとってかなり手荒なやり方で、すなわち、ロシアの歴史的領土の一部を分離、切断することによってそれを行った。その土地に住んでいた何百万人もの人々の意見など、当然、誰も何も聞くことはしなかった。
その後、大祖国戦争(※ ナチス・ドイツとの戦い)の前後で、スターリンはすでに、それまでポーランド、ルーマニア、ハンガリーの領土だったいくつかの土地をソビエト連邦に併合し、ウクライナに引き渡した。
その際、スターリンは、一種の補償として、もともとドイツ領だった土地の一部をポーランドに割譲した。1954年にはフルシチョフがなぜかロシアからクリミアを取り上げ、ウクライナに与えた。実のところ、このようにしてソビエトのウクライナ領は形成されたのだ」
恨みつらみとは?
これはつまり、ウクライナは、ロシアの土地をソビエト共産党の創設者で指導者のレーニンが奪い取って、つくられた国だと語っているのです。
そして、ここからが恐ろしい部分です。
(プーチン大統領演説より)
「実際、すでに述べたように、ボルシェビキの政策によって生じたのがソビエトのウクライナであり、現在も『ウラジーミル・イリイチ・レーニンのウクライナ』と呼ばれるにふさわしい。彼はその作者であり設計者である。このことは、ウクライナに文字どおり押し込められたドンバスに対するレーニンの厳しい指令などの古文書によって、完全に裏付けられている。
それなのに今、『恩を感じている子孫たち』はウクライナにあるレーニン像を取り壊した。
彼らはこれを非共産化と呼んでいる。
あなた方は、非共産化を望んでいるのか。
まあ、それもいいだろう。
しかし、よく言われるように、中途半端で終わってはならない。ウクライナにとって真の非共産化が何を意味するのか、あなた方に見せる準備はできている」
どう恐ろしいの?
プーチン大統領の主張はこうです。
ウクライナでは、脱レーニン、非共産化のプロセスが続いているのだろう。
では、われわれが本当の意味での脱レーニンということがどういうことか教えてあげましょう。
と、言っているのです。
つまり、レーニンがあげたものをすべて、われわれに返してくださいねと、この演説では言っているのです。
これを知るためには、ウクライナのロシアへの感情を理解する必要があります。
実はウクライナは共産主義のソビエト体制への恨みが骨の髄までしみこんでいます。
例えばウクライナ西部はナチス・ヒトラーとスターリンの密約によって第2次世界大戦開始直後に、旧ソビエトが占領し、自国領、旧ソビエトの中のウクライナに加えた土地です。
そのソビエト化の中ですさまじい弾圧が行われました。
特にウクライナ西部にあるリビウという街は、歴史的に反ロシアの感情がある地域で、ソビエト体制への反発が強いところです。
私も取材しましたが、ソビエト崩壊直前の1990年4月ごろには、街中のすべてのレーニン像が倒されていました。
ほかにもスターリン時代の富農撲滅・農業集団化に伴う大飢きんなど、さまざまな弾圧があり、プーチン大統領にウクライナは旧ソビエトによってつくられたと言われたら、ウクライナの人たちは反発しかないでしょう。
ウクライナの人たちはどう思う?
これはウクライナの人たちにとってはたまらないですよね。
100年前のことを持ちだされても。
歴史的にどこがロシアでどこがウクライナなのか、それぞれの領土を大陸国家で主張しあったら、至る所で領土紛争が起きてしまいます。
それは止めましょうというのが国際秩序の原則で、それを一方的に破ったのがプーチン大統領です。
しかもプーチン大統領は最近30年間のウクライナとロシアの歴史を完全に無視しています。
歴史を無視とは?
ウクライナとロシアの間では、30年前に、こんな約束が結ばれています。
1991年12月、ロシアのエリツィン大統領とウクライナのクラフチュク大統領そしてベラルーシのシュシケビッチ議長が調印したベロベーシの合意、ソビエト連邦崩壊と独立国家共同体創設の合意です。
その第5条で「加盟国の領土の一体性と国境の不可侵を共同体の枠内で承認し、尊重する」と書いています。
つまりエリツィン・クラフチュク両大統領は、いろいろ不満があっても領土問題を持ち出せば戦争になりかねないという危険性を認識し、ソビエト崩壊の時に「国境線を動かさない」という最も重要な原則で合意したのです。
その時も私は取材をしていましたが、領土問題を持ち出せば戦争になりかねないとの危険を感じていました。
それを避けるための首脳間の英知だったのです。
その後ロシアとウクライナは2国間の条約の形で何度も陸上部分の国境については合意しています。
こうした最近の30年間の歴史をプーチン大統領は無視しているのです。
ほかにも恨みつらみが?
演説では、ソビエト崩壊後も、ロシアがどれほどウクライナを支援してきたのか忘れてはならないということにも触れています。
つまり、ソビエト崩壊後、ロシアがどれだけの善意をウクライナに示し、与えてきたかと強調しています。
(プーチン大統領演説より)
「わが国民は、まさに国民は、ソビエト連邦崩壊後に現れた新しい地政学的現実を受け入れ、新たな独立国家を認めた。認めただけではない。ロシア自身、当時、非常に困難な状況にありながらも、ウクライナを含むCIS諸国のパートナーたちを支援した。こうした国々からは、独立を宣言した直後から、数多くの物資支援の依頼が舞い込んできた。そしてわが国は、ウクライナの尊厳と主権を尊重しながら、そうした支援を実施した。
ロシアがウクライナに提供したエネルギー資源の価格、優遇的な融資、経済・貿易における特恵的な待遇などを算出した専門家らの試算によると、1991年から2013年までにウクライナの国庫が受けた利益の総額は、約2500億ドルだった」
「パートナーシップの代わりに、依存関係がはびこり、それは時としてウクライナ政権側からのまったく厚かましい性格を帯びるようになった。エネルギー輸送分野における絶え間ない恐喝と、いつものガスの盗用を思い出せば十分だ」
プーチン大統領の侵攻のねらいは?
この演説の3日後に、実際にプーチン大統領はウクライナに侵攻します。
私は、この演説を聞くまでは、軍事侵攻の可能性は認識しても、まさかそんな無謀なことはしないだろうと思い、期待していました。
しかしこの演説を聞いた時、軍事侵攻は東部のドンバスだけでなく、おそらくウクライナへの全面侵攻になると確信しました。
プーチン大統領が100年前の歴史までさかのぼり、ウクライナ国家の正統性をロシア目線で否定したからです。
プーチン大統領に異変?
フリーのジャーナリストで、ロシア政治の内情に非常に詳しいミハイル・ズガリ氏は、プーチン大統領は、経済など今のロシアに興味がなく、歴史にしか関心がないと言います。
また、側近の意見も聞かなくなっていると言っています。
私もその考えは間違っていないと思います。
実は、プーチン大統領の側近には、かつては、いろいろなタイプの人たちがいました。経済政策担当には、非常にリベラルな経済学者が多くいました。
プーチン大統領自身、会合で、いろいろな人を集めて、議論して決めるというタイプの人でした。
それが、ウクライナ侵攻直前ごろから、演説でも、非常に偏ったというか、1つの見方に執着するような傾向がみられます。
それが特異な歴史認識で隣国への異常な執着です。
大統領が個人として、そうした歴史認識を持つことはあるでしょうが、その考え方に基づいて隣国との政策を決定する、実際に軍事侵攻までするというのは驚きです。
プーチン大統領は、今は、新型コロナの中で側近との接触も少なくなり、大統領に直言できる側近がいなくなったのかもしれません。
【全文】2月21日 プーチン大統領 テレビ演説
親愛なるロシア国民の皆様、親愛なる友人の皆様。
この演説のテーマは、ウクライナの情勢であり、それがなぜ私たちにとって、ロシアにとって重要なのかということだ。
もちろん、これはウクライナの同胞たちに呼びかけるものでもある。
じっくりと、詳しく話す必要がある。
問題は非常に深刻だ。
ドンバスの情勢は、再び、危機的で深刻になっている。
そしてきょう、あなたがたに直接呼びかけるのは、現状を評価するためだけでなく、どのような決定が下されているのか、この方向性で今後どのような展開になり得るかについて、皆さんにお知らせするためでもある。
改めて強調しておく。
ウクライナは、私たちにとって単なる隣国ではない。
それは、私たちの独自の歴史、文化、精神世界から切り離すことのできない一部分だ。
同僚や友人、かつての戦友だけでなく、親戚、血縁や家族の絆でつながっている人々など、私たちの同志であり、親族でもあるのだ。
歴史的なロシアの土地の南西部に住む人々は、ずっと昔から、自分たちのことをロシア人であり正教徒であると称してきた。
17世紀にこれらの土地の一部がロシア国家に再統合された前も後も、そうだった。
このことは、基本的に皆が知っており、周知の事実であると私たちは思っている。
しかし、現在起きていることを理解し、ロシアの行動の動機と私たちが追求する目標について説明するためには、少なくともこの問題の歴史にひと言触れておく必要がある。
まず、現代のウクライナはすべてロシアによって、正確にはボルシェビキ、共産主義のロシアによって作られたということから始めたい。
このプロセスは、1917年の革命のほぼ直後に始まった。
ちなみにレーニンとその仲間たちは、ロシア自身にとってかなり手荒なやり方で、すなわち、ロシアの歴史的領土の一部を分離、切断することによってそれを行った。
その土地に住んでいた何百万人もの人々の意見など、当然、誰も何も聞くことはしなかった。
その後、大祖国戦争の前後で、スターリンはすでに、それまでポーランド、ルーマニア、ハンガリーの領土だったいくつかの土地をソビエト連邦に併合し、ウクライナに引き渡した。
その際、スターリンは、一種の補償として、もともとドイツ領だった土地の一部をポーランドに割譲した。
1954年にはフルシチョフがなぜかロシアからクリミアを取り上げ、ウクライナに与えた。
実のところ、このようにしてソビエトのウクライナ領は形成されたのだ。
しかし、ここで特に注目したいのは、ソビエト連邦が誕生して間もない時期である。
それは私たちにとって極めて重要であると考える。
いわば、遠回りする必要があるのだ。
1917年の10月革命とそれに続く内戦の後、ボルシェビキが新しい国造りに着手したが、その際、彼らの間にかなりの意見の相違があったことを思い出してほしい。
1922年にロシア共産党中央委員会書記長と民族問題人民委員を兼任したスターリンは、自治の原則に基づく国づくりを提案した。
つまり、将来の行政・領土単位である共和国に対し、統一国家に編入する際に広範な権限を付与するというものだった。
レーニンはこの計画を批判し、彼が当時「無党派層」と呼んでいた民族主義者らに譲歩することを提案した。
まさにこの、本質的に連邦制の国家体制を作るべきというレーニンの構想と、分離までをも含む民族自決の権利についてのスローガンが、ソビエト国家の基盤となった。
まず1922年にソビエト連邦樹立宣言に明記され、その後、レーニンの死後、1924年のソビエト連邦憲法にも明記された。
ここですぐに多くの疑問が生じる。
そのうちの1つ目、実際最も重要なものは、なぜ旧帝国の周辺地域で絶え間なく高まっていく民族主義者たちの野心を満たしてやる必要があったのか、ということである。
しばしば恣意的に形成された新たな行政単位である連邦共和国に、広大で、しばしば何の関係もない領土を譲渡する必要があったのか。
繰り返すが、歴史的なロシアの人口も一緒に引き渡したのだ。
しかも、事実上、これらの行政単位には国民国家の地位と形態が与えられていた。
改めて考えてみると、なぜそのような、最も熱烈な民族主義者たちでさえそれまで夢に見ることもしなかったような気前のよい贈り物をし、しかも統一国家から離脱する権利を共和国に無条件で与える必要があったのだろうか。
一見、これは全く理解不能な、狂気の沙汰のようだ。
しかしそれは一見したところだけの話で、説明はつくのだ。
革命後、ボルシェビキの重要課題は、どんな代償を払ってでも権力に踏みとどまるということだった。
まさにどんな代償を払ってでも。
そのために彼らはなんでもやった。
カイザーのドイツとその同盟国が軍事的にも経済的にも極めて苦しい状況にあり、第一次世界大戦の結果はほぼ決まっていた時期に、ブレスト=リトフスク条約の屈辱的な条件を受け入れたし、国内の民族主義者たちからのあらゆる要求、要望に応えようともしていた。
ロシアの国家と国民の歴史的運命の観点から見れば、国家形成におけるレーニンの原則は、単なる過ちだっただけでなく、俗に言う、過ちよりもはるかに悪かった、ということだ。
1991年にソビエト連邦が崩壊したあと、そのことが完全に明らかになった。
もちろん、過去の出来事を変えることはできない。
しかし、私たちは少なくとも、それについて率直に誠実に、何の条件もつけず、政治色を加えることなく語らなくてはならない。
私から付け加えることができるのは、どんな政治的な考察も、ある時期に、いかにそれが華々しく有利に見えたとしても、それを国家体制の基本的原則の基礎にすることは、どんな状況においてもあってはならないし、ありえない、ということだけだ。
今、誰かを責めようとしているわけではない。
内戦後、そしてその前夜の国内の状況は、信じ難いほどに複雑で危機的だった。
きょう言いたいのは、何もかもがまさにそのような状況だったということだけだ。
それは歴史的事実だ。
実際、すでに述べたように、ボルシェビキの政策によって生じたのがソビエトのウクライナであり、現在も「ウラジーミル・イリイチ・レーニンのウクライナ」と呼ばれるにふさわしい。
彼はその作者であり設計者である。
このことは、ウクライナに文字どおり押し込められたドンバスに対するレーニンの厳しい指令などの古文書によって、完全に裏付けられている。
それなのに今、「恩を感じている子孫たち」はウクライナにあるレーニン像を取り壊した。
彼らはこれを非共産化と呼んでいる。
あなた方は、非共産化を望んでいるのか。
まあ、それもいいだろう。
しかし、よく言われるように、中途半端で終わってはならない。
ウクライナにとって真の非共産化が何を意味するのか、あなた方に見せる準備はできている。
この問題の歴史に話を戻すと、繰り返しになるが、1922年、旧ロシア帝国の空間にソビエト連邦が誕生した。
しかしすぐに現実は、これだけ広大で複雑な領土を維持することも、形のない事実上連邦制の原則に基づいて領土を統治することも、とにかく不可能であるということを示した。
現実からも歴史的伝統からも全くかけ離れていたのだ。
赤色テロとスターリンの独裁への急速な移行、共産主義イデオロギーの支配と共産党による権力の独占、国有化と国家計画経済。
これらすべてが、形式的には提唱されたものの機能しない国家の原則を、単なる宣言に変えてしまったのは当然だ。
現実では、連邦共和国には何の主権も生まれることなく、存在すらしなかった。
実際には、極めて中央集権的な、完全なる単一国家が誕生したのだ。
スターリンは、事実、レーニンではなく、自分自身の国家機構についての考えを完全に実践で実現した。
しかし、基本的な文書や憲法に相応の修正を加えることはしなかった。
宣言されたソビエト連邦樹立のレーニンの原則を正式に改訂することもしなかった。
確かに、おそらく、そのような必要はなかったのだろう。
全体主義体制のもとですべてが機能し、外見的には美しく、魅力的で、超民主主義的にさえ見えた。
それにしても残念だ。
革命に触発された忌まわしいユートピア的な空想が、これはまともな国にとって極めて破滅的なものだが、それが、わが国全体の基本的で正式な法的基礎から速やかに一掃されなかったことは、非常に残念だ。
以前からわが国ではよくあったことだが、誰も将来のことを考えなかった。
共産党の指導者たちは、強固な統治体制を形成することができた、自分たちの政策によって民族問題も完全に解決することができたと確信していたようだ。
しかし、改ざん、概念のすり替え、世論の操作、欺まんなどは高くつく。
民族主義者の野心のバチルスが消えてなくなったわけではなかったし、民族主義の感染に対する国家の免疫力を弱めるために埋められていた地雷は、まさに爆発しようとしていた。
繰り返すが、その地雷とは、ソビエト連邦から分離独立する権利だった。
1980年代半ば、社会経済問題が深刻化していき、計画経済が明らかに危機にひんしていた中、民族問題はますます先鋭化していった。
問題の本質は国民の期待や満たされない願望というよりもむしろ、地方のエリートたちの増大する欲求であった。
しかしソビエト共産党の指導部は、状況を深く分析し、まず経済において適切な処置を講じ、また、段階的に熟慮を重ねて計画的に政治体制や国家機構を変革していく代わりに、民族自決のレーニンの原則を復活させるという露骨な言い回しに終始した。
さらに、共産党内で権力闘争が展開される中、対立する各派が支持基盤を拡大しようと、民族主義的な機運を軽率に刺激し助長してそれを利用するようになり、潜在的な支持者らが望むものはなんでも約束するようになった。
民主主義や、市場経済か計画経済を基礎とした輝かしい未来について、うわべだけの大衆迎合的なむだ話が行われる中、その一方で人々が現実の貧困と全体的なモノ不足にあえぐ中、権力者の誰一人として、国にとって悲劇的な結末は避けられないであろうと考えた者はいなかった。
その後、自分たちの党内で育まれた民族主義エリートたちの野心を満足させるという、ソビエト連邦の黎明期に確立された道を行くこととなった。
彼らは、ソビエト共産党の手中には(幸いなことだが)国家テロやスターリンのような独裁者といった、権力および国そのものを維持するための手段がもう無いということを忘れていた。
党の悪名高い指導的役割さえ、まるで朝霧のように跡形もなく目の前から消え去ろうとしていたのに。
そして1989年9月のソビエト共産党中央委員会の総会で、運命的な文書が採択された。
それは、現状における党の民族政策と呼ばれる、ソビエト共産党の綱領だった。
その内容は、引用すると次のようなものだった。
「連邦共和国は、主権的な社会主義国家としての地位に相応するすべての権利を有する」
もう1つはこうだ。
「連邦共和国の最高代表機関は、その領土において、連邦政府の決議や命令を不服とし、その効力を停止することができる」
そして最後にこれだ。
「各連邦共和国は、独自の市民権を有し、その市民権をすべての住民に適用させることができる」
このような考え方や決定が何をもたらすかは、明らかだったのではないだろうか。
今ここは、国の法律や憲法の問題に踏み込んだり、市民権の概念自体を定義したりする時間でも場所でもない。
それにしてもやはり疑問が生じる。
ただでさえ厳しい状況の中で、なぜこれほどまでに国を揺るがす必要があったのだろうか。
しかし事実は事実だ。
ソビエト連邦が崩壊する2年前の時点で、その運命は実質決まっていた。
今、過激派や民族主義者が、どこよりもまずウクライナにいるそうした者たちが、独立を獲得したのは自分たちの手柄だと言っている。
お分かりのように、それは全く違う。
私たちの統一国家が崩壊したのは、ボルシェビキの指導者たち、ソビエト共産党の指導部が、国づくりや経済政策、民族政策において、その時々で歴史的・戦略的な過ちを犯してきたからだ。
ソビエト連邦という歴史的なロシアの崩壊は、彼らの責任である。
あらゆるロシアの不正、欺まん、あからさまな略奪にもかかわらず、わが国民は、まさに国民は、ソビエト連邦崩壊後に現れた新しい地政学的現実を受け入れ、新たな独立国家を認めた。
認めただけではない。
ロシア自身、当時、非常に困難な状況にありながらも、ウクライナを含むCIS諸国のパートナーたちを支援した。
こうした国々からは、独立を宣言した直後から、数多くの物資支援の依頼が舞い込んできた。
そしてわが国は、ウクライナの尊厳と主権を尊重しながら、そうした支援を実施した。
ロシアがウクライナに提供したエネルギー資源の価格、優遇的な融資、経済・貿易における特恵的な待遇などを算出した専門家らの試算によると、1991年から2013年までにウクライナの国庫が受けた利益の総額は、約2500億ドルだった。
しかしそれだけではない。
1991年末には、ソビエト連邦の外国や国際基金に対する債務は、約1000億ドルに達していた。
当初、これらの債務は、すべての旧ソビエト諸国が連帯して、それぞれの経済力に応じて返済することになっていた。
しかし、ロシアはソビエトの債務返済をすべて引き受け、完済した。
2017年にこのプロセスを完了した。
その代わりに、新たに独立した国々は、ソビエトの対外資産を放棄することになった。
ウクライナとは、そのような合意が1994年12月に成立した。
しかしキエフはこの合意を批准せず、あとになって履行することを拒否し、ダイヤモンド基金や金準備金、その他の旧ソビエトの対外資産などを要求した。
よく知られたこれらの問題にもかかわらず、ロシアは常にウクライナとオープンに誠実に、そして繰り返すが、その国益を尊重しながら協力してきた。
私たちの関係は幅広い分野において発展していった。
このようにして2011年には、二国間の貿易高は、500億ドルを超えた。
言っておくが、2019年のウクライナのEU諸国全体との貿易高は、つまりパンデミック以前であっても、この指標には及ばなかった。
それと同時に、ウクライナ政権が、ロシアとの関係においてあらゆる権利と利点を持ちながら、いかなる義務も負わないように行動することを好んだことは特記すべきである。
パートナーシップの代わりに、依存関係がはびこり、それは時としてウクライナ政権側からのまったく厚かましい性格を帯びるようになった。
エネルギー輸送分野における絶え間ない恐喝と、いつものガスの盗用を思い出せば十分だ。
それに加え、キエフはロシアとの対話を、西側との駆け引き材料に使おうとしていた。
モスクワに接近すると脅して優遇措置を求めた。
そうでなければ、ウクライナに対するロシアの影響力が増すと言って。
ウクライナ政権は当初から、ここを強調しておきたいのだが、まさに最初の段階から、私たちを結び付けているあらゆるものを否定することによって自国を築こうとし、ウクライナに住む全世代の数百万人もの人々の意識と歴史的記憶をゆがめようとした。
ウクライナ社会が、攻撃的なロシア恐怖症とネオナチズムという形をとって台頭した極端な民族主義に直面したのは当然の結果だ。
このせいで、ウクライナの民族主義者とネオナチが北コーカサスのテロリスト集団に関与し、ロシアに対して領土を要求する声がさらに強まった。
外部勢力も一翼を担った。
それらはNPOや治安機関の幅広いネットワークを使って、ウクライナで顧客を開拓し、その代表らを権力の座に押し上げた。
ウクライナは、本質的に、真の国家としての確固たる伝統を有したことが一度もない、ということも理解しておく必要がある。
1991年以来、歴史からもウクライナの現実からも切り離された、よそのモデルを機械的に模倣するという道を歩んできた。
国の政治機構は、急速に台頭してきた勢力にとって有利になるよう、彼らの打算的な私利私欲に合わせるよう、常に作り変えられてきた。
それはウクライナ国民の全体的な利益とは何も関係なかった。
ウクライナのオリガルヒ政権がいわゆる親欧米の文明的な選択をした意義は、国民の幸福のためによりよい条件を作り出すことではなく、ロシアの地政学的ライバルに隷属的に便宜を図ることで、オルガルヒがウクライナの人々から盗み取って西側の銀行口座に隠し持っている数十億ドルを守ることにあったし、今もまたそうである。
一部の産業金融グループや、その傘下にある政党や政治家たちは、最初から民族主義者や過激派に依存していた。
また、ロシアとの良好な関係や、文化や言語の多様性を唱え、そのような志向を心から支持する南東部の数百万人の住民を含めた国民からの票を得て、権力の座についた者もいた。
しかし就任したとたん、彼らは有権者を裏切り、みずからの公約を放棄し、実際の政策は過激派の言うとおりに実施し、時にはきのうまでの仲間である、バイリンガル主義やロシアとの協力を支持していた社会団体を弾圧したりもした。
彼らは、自分の支持者たちは、原則として法律を順守し、穏健な立場で、権力を信頼することに慣れており、過激派とは違って攻撃的になることもないし、違法行為に走ることもないということを利用したのだ。
一方、過激派は厚かましくなっていき、年を追うごとに彼らの要求は増大していった。
彼らは、弱い政権に対し、自分たちの意志を繰り返し押しつけることが容易であることを知った。
政権は民族主義と汚職のウイルスに侵されており、国民の真の文化的、経済的、社会的利益や、真のウクライナの主権を、さまざまな民族主義的な思惑や外形的な民族学的属性に、巧みにすり替えた。
ウクライナでは安定した国家が成立したことはなく、政治や選挙の手続きは、さまざまなオリガルヒの間で権力と財産を再分配するためのカモフラージュ、隠れみのにすぎない。
汚職は、疑いようもなく、ロシアを含め、多くの国にとって課題であり問題となっているが、ウクライナではすでに特殊な性質を帯びるようになっている。
それは文字どおり、ウクライナの国家、体制全体、あらゆる権力の枝葉にまで浸透し、むしばんでいる。
過激派は、人々の正当な不満を利用して抗議活動を触発し、2014年にはマイダンをクーデターへと導いた。
その時、彼らは外国から直接援助を受けていた。
入手した情報によると、キエフの独立広場にあったいわゆる抗議キャンプにアメリカ大使館が行った資金面での支援は、1日100万ドルにのぼった。
それに加え、かなりの大金が、反体制派の指導者たちの銀行口座に直接、臆面もなく振り込まれていた。
数千万ドルという額だ。
実際にけがを負った人々、キエフやその他の都市の路上や広場で誘発された衝突で亡くなった人々の遺族は、結局いくら受け取っただろうか。
これについては聞かないほうがいいだろう。
権力を掌握した過激派は、憲法に違反した行動に反対の意を唱えた人々に対し、弾圧、まさに恐怖政治を行った。
政治家、ジャーナリスト、社会活動家らを虐げ、公然と侮辱した。
ウクライナの都市には、集団虐殺と暴力の波が押し寄せ、大胆で野放しの殺人が数多く起きた。
平和的な抗議活動の参加者が残忍に殺害され、労働組合会館で生きたまま焼かれるというオデッサの恐ろしい悲劇の記憶に、戦慄を覚えずにはいられない。
この悪事を働いた犯罪者は罰せられてもいないし、誰も彼らのことを探してもいない。
しかし私たちは彼らの名前を知っており、彼らを罰し、捜し出して裁判にかけるために、できるかぎりのことをやるつもりだ。
マイダンによって、ウクライナが民主主義と進歩に近づくことはなかった。
クーデーターを起こした民族主義者や、彼らを支持した政治勢力は、完全に事態を行き詰まらせ、ウクライナを内戦という奈落に突き落とした。
あれから8年がたち、国は分裂している。
ウクライナは厳しい社会経済危機にある。
国際機関の情報によると、2019年、およそ600万人のウクライナ人が、言っておくがこれは労働人口ではなく、全人口の15%に相当するのだが、そうした人々が職を求めて国外に出ることを余儀なくされた。
しかも、多くの場合、原則として、日雇いの単純労働の仕事だ。
次のような事実も特徴的だ。
すなわち、パンデミックのもと、2020年以降、6万人余りの医師や医療従事者が国を去った。
2014年以降、水道代は3割近く、電気代は数倍、ガス代は数十倍値上がりした。
光熱費を支払うお金のない人々がたくさんいる。
彼らは文字どおり、生き延びることに必死なのだ。
何が起きたのか。
なぜこんなことになったのか。
答えは明白だ。
ソビエト時代だけでなく、ロシア帝国からも受け継いだ遺産を、浪費し、盗んだからだ。
ロシアとの緊密な協力もあったおかげで、人々に安定した収入を与え、国庫に税金をもたらしていた数万、数十万という雇用が失われた。
機械製造、機器製作、電子産業、造船、航空機製造などの分野は、低迷しているか、もしくはすっかり崩壊してしまった。
かつては、ウクライナだけでなく、ソビエト連邦全体の誇りであったのに。
2021年には、エカテリーナ2世の時代に初めて造船所が建設された、ニコラエフの黒海造船所が解体された。
有名なメーカーである「アントノフ」は2016年以降、1機も航空機を生産していないし、ミサイルや宇宙機器の生産に特化した工場「ユジマシュ」は倒産寸前だ。
クレメンチュグ製鋼所もそうだ。
この悲しいリストはまだまだ続けることができる。
ソビエト連邦全土が建設したガス輸送システムについて言えば、運用には大きなリスクを伴い、環境コストがかさんでしまうほどにまで老朽化した。
ここで疑問が生じる。
貧困、窮地、産業・技術力の損失。
これが、何百万人もの人々に楽園を約束しながら、長年にわたって彼らをだましてきた、あの、親欧米の文明的な選択なのだろうかと。
実際は、ウクライナ経済が崩壊したことで国民から臆面もなく略奪する行為が生じ、ウクライナ自体は外部からの管理下に追いやられるという結果になった。
これは、西側諸国からの指示だけでなく、ウクライナに展開する、外国人アドバイザーやNPO、その他の機構などのネットワーク全体を通じて、現地で直接行われている。
彼らは、あらゆる主要な人事決定や、中央から地方まですべての権力の枝葉に、また、「ナフトガズ」「ウクルエネルゴ」、ウクライナ鉄道、「ウクルオボロンプロム」「ウクルポーチタ」、ウクライナ海港管理局などの主要な国営企業や公社にも、直接的な影響力を持っている。
独立した裁判所はウクライナには存在しない。
西側の要求に応じて、ウクライナ政権は、最高司法機関である司法評議会と高等裁判官選考委員会のメンバーを選出する優先権を、国際機関の代表らに与えた。
また、アメリカ大使館は、国家汚職防止庁、国家汚職防止局、汚職防止専門検察庁、汚職防止最高裁判所を、直接支配している。
これはすべて、汚職との戦いをより効果的なものにするためという、もっともらしい口実のもとに行われている。
それはよいとして、その結果はどこにあるのか。
汚職の花は咲き乱れ、今、かつてよりもさらに咲き誇っている。
ウクライナの人々はこのように支配されていることを知っているのだろうか。
自分たちの国が政治的・経済的な保護下にすらなく、傀儡政権による植民地と化してしまっていることに気付いているのだろうか。
国家の私物化によって、「愛国者の力」を自称する政権は、国家としての性格を失い、一貫して完全に主権を失う方向へと向かっている。
非ロシア化、強制的な同化政策が続けられている。
ウクライナ最高議会は絶え間なく新たな差別的法令を生み出している。
いわゆる先住民族に関する法律もすでに施行されている。
自分のことをロシア人だと考え、自分のアイデンティティ、言語、文化を守っていきたいと考えている人々は、ウクライナではよそ者であるということを思い知らされたのだ。
教育法や国語としてのウクライナ語の機能に関する法律により、ロシア語は、学校から一般の商店に至るまで、あらゆる公共の場から追放された。
いわゆる「権力の浄化」に関する法律によって、望ましくない公務員を処分することができるようになった。
ウクライナの治安機関に、表現の自由や異なる見解を厳しく抑えこみ、反体制派を弾圧するための根拠を与えるような法令がどんどん生まれている。
世界では、他国や外国の個人、法人に対して、一方的に非合法な制裁を科すという悲しむべき慣習が広く知られている。
ウクライナは、西側の監督者を出し抜き、自国の国民、企業、テレビ局、その他のメディア、さらには議会議員に対して制裁を科すという手段を考えついた。
キエフは、モスクワ総主教庁系ウクライナ正教会にも制裁を加える準備を続けている。
これは感情的な評価ではなく、具体的な決定と文書が示していることだ。
教会分裂の悲劇を、ウクライナ政権は、皮肉にも政治の道具に変えてしまった。
現在の国の指導部は、聖職者の権利を侵害するような法律を廃止してほしいというウクライナ国民の要望に応えようとしない。
さらに、モスクワ総主教庁系ウクライナ正教会の聖職者や数百万人の信徒に対する新たな法案が最高議会に登録されている。
クリミアについてひと言述べたい。
半島の住民は、自由な選択として、ロシアと共にあることを選んだ。
このはっきりとした明確な人々の意志に、ウクライナ政権は何の意義も唱えることはできない。
だから、攻撃的な行動を起こし、イスラム過激主義組織を含む過激派グループを活性化し、重要インフラにテロ攻撃をしかけたりロシア人を誘拐するための破壊工作グループを投入することに重きを置いているのだ。
このような攻撃的な行動が、外国の特殊部隊の支援を受けて行われていることの直接的な証拠を私たちは持っている。
2021年3月、ウクライナは新たな軍事戦略を採択した。
この文書は実質、全体的にロシアとの対立がテーマとなっており、わが国との対立に外国を引きずり込むことを目標として掲げている。
この戦略は、ロシアのクリミアと、ドンバスの領土で、テロリストの地下組織を作ることを提案している。
また、想定される戦争の輪郭も描いており、今のキエフの戦略家たちは、次のように終結するはずだと考えているようだ。
以下、引用する。
「国際社会の協力のもと、ウクライナに有利な条件で」
さらに、現在キエフでどのように表現されているか、これについても引用するので、よく注意して聞いてほしい。
「ロシア連邦との地政学的対立において国際社会からの軍事的支援を受けて」
要するに、これは、わが国ロシアに対する軍事行動に向けた準備にほかならない。
われわれはまた、ウクライナが独自の核兵器を製造しようとしているとの声明がすでに出ていることを知っている。
それは虚勢ではない。
実際、ウクライナはソビエトの核技術とその運搬手段をまだ保有している。
航空機や、ソビエトの設計による射程距離100キロを超える戦術ミサイル「トーチカU」などだ。
しかしそれよりもっと多くのものを作るだろう。
これは時間の問題だ。
ソビエト時代からの下地があるのだ。
このように、ウクライナにとって戦術核兵器を持つことは、どこの国かここで名指しはしないが、そのような開発を進めているほかのいくつかの国よりもはるかに容易であろう。
特に外国からの技術的支援があった場合は。
私たちはこのようなことも排除すべきではない。
ウクライナに大量破壊兵器が現れるようなことになれば、世界、ヨーロッパ、特に私たちロシアにとって、状況は激変するだろう。
この真の危険に対応しないわけにはいかない。
とりわけ西側の後援者たちが、わが国に対する新たな脅威を作り出すために、ウクライナにそのような兵器が出現するのを助長する可能性があるのだから。
ウクライナ政権の武器供与が執ように進められていることを私たちは知っている。
アメリカだけでも、2014年以降、武器や装備の調達、専門家の養成などに数十億ドルを費やしている。
ここ数か月間で、西側の兵器が次々と、これみよがしに世界中の人々の目に触れる形で、ウクライナへと送り込まれている。
ウクライナの軍と特殊部隊の活動は、外国のアドバイザーが指揮している。
私たちはそのことをよく知っている。
ここ数年、演習という口実のもとに、ウクライナ国内にはほぼ常時、NATO軍の部隊が駐留してきた。
ウクライナ軍の指揮統制システムはすでにNATOのそれに統合されている。
それはつまり、ウクライナ軍は個々の部隊や支隊であっても、NATO本部から直接指令を受けることができるということだ。
アメリカとNATOは、起こりうる軍事活動の舞台としてウクライナ領土を厚かましく開発し始めた。
定期的な合同演習は、明らかに反ロシア的なものだ。
去年だけで、2万3000人余りの軍人と1000を越える兵器が演習に参加した。
2022年、多国間演習に参加するため他国の軍がウクライナに入国することを認める法律が採択されている。
それが主にNATO軍のことを示しているのは分かりきったことだ。
そしてことしは、少なくとも合同演習が10回予定されている。
このようなイベントが、NATO軍の部隊を素早くウクライナ国内で増強するためのカモフラージュになっていることは明らかだ。
しかも、アメリカの援助によって近代化された、ボリスポリ、イワノ・フランコフスク、チュグエフ、オデッサなどの各空港のネットワークは、最短期間で部隊を移動させることを可能にしている。
ウクライナの領空は、アメリカの戦略偵察用航空機やロシア領土を監視するために使われるドローンの飛行に開放されている。
さらに言っておくが、アメリカによって設立されたオチャコフの海上作戦センターは、高精度の武器をロシア黒海艦隊や黒海沿岸のインフラに対して使用するといったNATO艦船の活動を可能にしている。
アメリカは一時期、同様の施設をクリミアにも作ろうとしていた。
しかし、クリミアとセバストポリの人々はこの計画を阻止した。
私たちはこのことをずっと覚えている。
繰り返すが、現在、このようなセンターは展開されており、すでにオチャコフに配置されている。
18世紀、アレクサンドル・スヴォーロフの兵士たちがこの都市のために戦ったことを思い出してほしい。
彼らの勇敢さのおかげで、この都市はロシアの一部となった。
18世紀当時、オスマン帝国との戦いの結果、ロシアに編入された黒海沿岸の土地は、ノヴォロシアと呼ばれた。
今、この歴史の重要な節目が、ロシア帝国の軍人の名前とともに忘れ去られようとしている。
彼らの働きなくしては、現代のウクライナの主要都市の多く、また黒海へのアクセスさえ存在し得なかっただろうに。
最近、ポルタワで、アレクサンドル・スヴォーロフの像が撤去された。
それで何を言いたいのか。
あなたたちは自身の過去を否定するのか。
ロシア帝国のいわゆる植民地時代の遺産を?
それならば筋を通してほしい。
次に行こう。
ウクライナ憲法第17条は、外国の軍事基地の自国領土への配備を認めていないということを指摘しておきたい。
しかし、これは簡単に回避できる慣習にすぎないことが判明した。
ウクライナでは、NATO諸国の養成訓練ミッションが展開している。
これは、実質、外国の軍事基地である。
単に基地のことをミッションと呼んでごまかしているだけだ。
キエフでは以前からNATOの加盟を目指す戦略的方針を打ち出している。
確かに、当然ながら、どの国にも、自分の安全保障体制を選択し、軍事同盟を結ぶ権利がある。
1つの「しかし」を除けば、まさにそうであるように思われる。
国際文書には対等かつ不可分の安全保障の原則が明記されている。
そこには、よく知られているように、他国の安全保障を犠牲にして自国の安全保障を強化しないという義務が含まれている。
これについて、1999年にイスタンブールで採択された欧州安全保障憲章や、2010年のOSCEアスタナ宣言を例に挙げることができる。
言いかえれば、安全保障の手段の選択が、他国にとっての脅威を作り出してはならないということだ。
ウクライナのNATO加盟は、ロシアの安全保障にとって直接的な脅威である。
2008年4月、NATOのブカレストサミットで、アメリカが、ウクライナを、ちなみにグルジアも、NATOのメンバーにするという決定を強く推したことを思い出してほしい。
ヨーロッパの同盟国の多くは、当時すでに、そのような見通しに伴うあらゆるリスクについて承知していた。
しかし、彼らはシニアパートナーの意思を受け入れざるを得なかった。
アメリカは、明確な反ロシア政策を推し進めるために、彼らをただ利用したのだ。
NATO加盟国には、ウクライナの加盟にまだ懐疑的な国も少なくない。
同時に、こうしたヨーロッパ諸国から、私たちは「何を懸念しているのか。文字どおり明日に起きるというわけではない」というシグナルを受け取っている。
実は、アメリカも同じようなことを言っている。
それに対し私たちはこう答える。
「いいだろう。明日でなければ、あさってだ。歴史的に見てそれで何か変わるのか。実質、何も変わらない」と。
さらに、もしウクライナがNATOの基準を満たし、汚職問題を克服することができれば、ウクライナ東部における活発な戦闘行為は、この国のNATO加盟の可能性を排除するものではないという、アメリカ指導部の立場や発言も私たちは承知している。
しかし彼らは、NATOは平和的で純粋に防衛的な同盟であると、私たちを何度も説得しようとしてきた。
ロシアに対する脅威などないと言いながら。
ここでもまた、ことばを信じろと言うのだ。
しかし、そのようなことばの本当の価値を私たちはよく知っている。
1990年、ドイツ統一の問題が議論されたとき、ソビエトの指導部に対しアメリカ側は、NATOの管轄や軍事的プレゼンスを1インチも東へ拡大しないと約束した。
そして、ドイツの統一は、NATOの東方拡大にはつながらないと。
これは引用だ。
さんざんしゃべり、口約束を繰り返したが、すべては無に帰した。
のちに、中・東欧諸国のNATO加盟は、モスクワとの関係を改善し、これらの国々を重苦しい歴史的遺産の恐怖から解放し、ロシアに友好的な国々のベルト地帯を作ることになると、ロシアを説得するようになっていった。
すべては全く逆の状況になった。
いくつかの東欧諸国の政権は、ロシア恐怖症を駆け引きに使いながら、自分たちの劣等感やロシアの脅威に関するステレオタイプをNATOに持ち込み、主にロシアに対して展開されるべき集団的防衛力を増強すべきだと主張した。
ちなみにこれは、私たちの開放性と好意のおかげで、ロシアと西側の関係が最も高いレベルにあった1990年代から2000年代初頭にかけて起きたことだ。
ロシアは自分の義務はすべて果たした。
ドイツや中・東欧諸国から部隊を撤退させ、冷戦の遺産を克服するために多大な貢献をした。
私たちは一貫して、ロシア・NATO理事会やOSCEの枠組みなどを含む、さまざまな協力のあり方を提案した。
さらにここで、これまで一度も公に言ったことのないことを言っておきたい。
初めて述べることだ。
2000年、退任するアメリカのビル・クリントン大統領がモスクワを訪問した際、私は彼にこう尋ねた。
「NATOがロシアを受け入れることについて、アメリカはどう思うだろうか」と。
この会話の詳細を明かすことはしないが、私の質問に対する反応は、外面的には、言ってみればかなり抑制されたものだった。
しかし、この可能性についてアメリカが本当のところどう思ったかは、わが国に対して彼らが実際にとった行動を見ればほぼ分かることだ。
それは北コーカサスのテロリストへの公然たる支援、NATO拡大における安全保障上の私たちの要求と懸念に対する無関心、ABM条約からの脱退などだ。
こう問いかけたくなる。
「なぜなのか。これらすべては一体何のためなのか」と。
私たちを友人や同盟国として見たくないのはまだいいとしても、なぜ敵に回す必要があるのか。
答えはたった一つ。
私たちの政治体制がどうのこうのという問題ではない。
ロシアのような自立した大国が必要ないだけなのだ。
すべての質問の答えはここにある。
これこそがアメリカの伝統的な対ロシア政策の源流だ。
安全保障分野における私たちのあらゆる提案への対応もここから来ている。
現在、NATOを東方に拡大させないとの約束を西側諸国がいかに「守ってきた」かは、地図を一目見るだけで分かる。
あっさりとだましたのだ。
私たちは、次から次へとNATO拡大の波を5回も受けてきた。
1999年、ポーランド、チェコ、ハンガリーがNATOに加盟した。
2004年にはブルガリア、エストニア、ラトビア、リトアニア、ルーマニア、スロバキア、スロベニア、2009年にはアルバニアとクロアチア、2017年にはモンテネグロ、2020年には北マケドニアだ。
その結果、同盟とその軍事インフラは、じかにロシア国境にまで進出してくることとなった。
これこそが、ヨーロッパ安全保障の危機の主要な原因の1つとなり、国際関係のシステム全体に非常に悪い影響を及ぼし、相互信頼の喪失をもたらした。
状況は、戦略的分野においても悪化し続けている。
ルーマニアとポーランドでは、世界的なミサイル防衛システムを作ろうとするアメリカのプロジェクトの一環として、迎撃ミサイル設備の配備が進んでいる。
そこにある発射装置から、攻撃システムである巡航ミサイル「トマホーク」を使用できるということは広く知られている。
また、アメリカでは、万能型ミサイル「スタンダード6」の開発も行われている。
防空・ミサイル防衛に加え、地上や洋上のターゲットを破壊することもできるものだ。
つまり、防御的であるはずのアメリカのミサイル防衛システムが拡大し、新たな攻撃力が生まれているのだ。
私たちが得た情報は、ウクライナのNATO加盟と、それに伴うウクライナ国内へのNATOの設備展開はすでに決まったことであり、時間の問題だと考える根拠を十分に示している。
そのように事が進めば、ロシアに対する軍事脅威のレベルは何倍にも飛躍的に高まるであろうことを、私たちはよく理解している。
わが国への奇襲攻撃の危険性が何倍にも増すであろうことに特に注意してほしい。
はっきりさせておくが、アメリカの戦略計画の文書には、敵のミサイル施設へのいわゆる先制攻撃の可能性が明記されている。
そして、アメリカとNATOの主要敵国が誰なのかも、私たちは知っている。
それはロシアだ。
NATOの文書には、わが国は、ヨーロッパ大西洋地域の安全保障に対する主要な脅威であると公式に書かれている。
そしてそのような攻撃の拠点となるのがウクライナだ。
もし私たちの祖先がこれを聞いたら、おそらく彼らは信じないだろう。
今の私たちも信じたくはないが、事実そうなのだ。
このことをロシアでもウクライナでも理解してほしい。
多くのウクライナの空港が、わが国の国境の近くにある。
そこに配備されたNATOの戦術機、それには高精度な兵器の運搬手段も含まれるが、それらはわが国の領土の奥深く、ボルゴグラード、カザン、サマラ、アストラハンを結ぶ範囲まで攻撃することができる。
ウクライナ国内にレーダー偵察設備を展開することで、NATOはロシアのウラルまでの領空をきっちりと管理することができるようになる。
そして最後に、アメリカが中距離核戦力全廃条約を破棄したあと、ペンタゴンはすでに、多くの地上配備型兵器の開発を公然と進めている。
その中には、最大射程距離5500キロの巡航ミサイルも含まれている。
このようなシステムがウクライナに配備されれば、彼らは、ロシアのヨーロッパ地域全体の標的を、そしてウラルを超えた向こうにあるものまでも、破壊することができるようになる。
巡航ミサイル「トマホーク」のモスクワまでの飛行時間は35秒弱だ。
ハリコフからの弾道ミサイルは7-8分、極超音速兵器であれば4-5分だ。
これはまさに、いわゆる「のど元にナイフを突きつけられている」状態だ。
そして、彼らはその計画を実現しようとしていると、私は確信している。
過去に何度もNATOを東方へ拡大し、軍事インフラと兵器をロシア国境へと押し出し、私たちの懸念、抗議、警告を完全に無視してきたように。
それらに唾を吐き、自分のやりたいこと、必要だと思うことをやってきた。
そしてもちろん、「犬はほえるが、キャラバンは進む」という有名なことわざにあるように、今後も同じように行動するつもりなのだ。
断っておくが、私たちはそれに同意しなかったし、今後同意することも決していない。
ロシアは常に、最も困難な問題を政治的、外交的手段で、交渉のテーブルについて解決すべきだと言ってきたし、今もそう言っている。
私たちには、地域および世界の安定に対する大きな責任があることをよく理解している。
2008年、ロシアは欧州安全保障条約を締結するためのイニシアチブを提唱した。
その主旨は、ヨーロッパ大西洋地域にあるどんな国も、どんな国際機関も、みずからの安全保障を強化するために他者の安全保障を犠牲にしてはならない、ということだった。
しかし、ロシアがNATOの活動を制限することは許されないと言われ、私たちの提案は門前払いされた。
さらに、法的拘束力のある安全保障を得ることができるのはNATO加盟国だけだと、はっきり言われた。
去年12月、私たちは、ロシアとアメリカの安全保障に関する条約案と、ロシアとNATO加盟国との安全保障措置に関する協定案を、西側のパートナーたちに渡した。
アメリカとNATOからの回答の多くはありきたりな内容だった。
合理的な箇所も少しばかりあったが、それらはすべて副次的な事案に関するもので、話をそらそうとしているように見えた。
私たちは相応の対応をし、交渉の準備はできているが、すべての問題を、ロシアの基本的な提案事項から切り離すことなく、一括で検討することが条件であると強調した。
そこには3つの重要なポイントがある。
一つ目は、NATOのさらなる拡大を阻止すること。
二つ目は、NATOがロシア国境に攻撃兵器を配備するのをやめること。
そして最後は、NATOの軍事力とインフラを、ロシア・NATO基本議定書が署名された1997年当時の状態にまで戻すことだ。
まさにこうした私たちの基本的な提案は無視された。
西側のパートーナーたちは、またもや、どんな国も、自国の安全保障の手段を自由に選ぶ権利と、いかなる軍事連合や同盟にも加盟する権利を有しているという紋切り型の答えを繰り返した。
つまり、彼らの立場は何も変わらず、NATOの悪名高い「門戸開放」政策を引用しただけだった。
さらに私たちを再び脅そうとしている。
制裁によって再び脅かしている。
ちなみにこれらの制裁は、ロシアの主権が強まり、わが国の軍事力が増していくに従って、いずれにせよ導入されるのだ。
次の制裁攻撃の口実は、どんな時も見つかるし、簡単にでっちあげることもできる。
しかもウクライナ情勢とは関係なく。
目的は1つ、ロシアの発展を妨げることだ。
彼らは、これまでもそうしてきたように、形式的な口実すらなくても今後もそれを実施するだろう。
私たちがみずからの主権、国益、自国の価値観を決して譲らないというだけの理由で。
はっきりと言っておきたい。
原則的な問題について対等な対話を求める私たちの提案が、事実上アメリカとNATOから無視され、わが国に対する脅威のレベルが顕著に高まっている状況下では、ロシアには自国の安全を確保するために対抗措置を取る権利がある。
そして、まさにそうするつもりだ。
ドンバスの情勢については、ウクライナ政権は、紛争解決のためのミンスク合意を履行する意思はなく、平和的解決には興味がないということを常に公言している。
それどころか、2014年と2015年にやったように、ドンバスで再び電撃戦をやろうとしている。
こうした冒険的行為がどのような結末を迎えたか、私たちは覚えている。
現在、実際、1日たりともドンバスの住宅地で銃撃が鳴りやむことはない。
大規模な部隊が絶え間なく攻撃ドローンや大型兵器、ミサイル、大砲、ロケット砲などを使っている。
民間人の殺害、封鎖、子どもや女性、高齢者らへの虐待は今も止まることがない。
俗に言う、終わりの見えない状況だ。
いわゆる文明世界、その唯一の代表者であると西側諸国は自称しているが、その世界はこれに気付かないふりをしている。
まるで、この悪夢、400万人もの人々が受けているジェノサイドなど存在しないかのように。
これらの人々が、2014年に西側が支援したウクライナのクーデターに賛同せず、原始的で攻撃的な民族主義やネオナチズムへと向かっていく国家の高揚感に異議を唱えたというだけの理由で。
彼らは、自分たちの土地に暮らし、自分たちの言語を話すという基本的な権利のため、自分たちの文化と伝統を守るために戦っている。
この悲劇はいつまで続くのだろうか。
あとどれくらい我慢できるだろうか。
ロシアは、ウクライナの領土保全のために、あらゆることをやってきた。
ドンバス情勢を解決するための2015年2月12日のミンスク合意について明記した、2015年2月17日の国連安保理決議2202を履行するために、この数年間ずっと、粘り強く忍耐強く戦ってきた。
すべてはむだに終わった。
大統領や議員が変わっても、ウクライナの権力を掌握している体制自身の攻撃的で民族主義的な性質の本質は変わらない。
これは完全に、2014年のクーデターの産物であり、当時、暴力、流血、無法の道を歩んだ者たちは、ドンバス問題を軍事的な方法以外で解決することを認めなかったし、今も認めないだろう。
これを鑑み、長い間待たれていた決定を下す必要があると考える。
それは速やかにドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国の独立と主権を認めることだ。
ロシア連邦議会には、この決定を支持してほしい。
そしてその後、両共和国との友好および相互援助に関する条約を批准してほしい。
この2つの文書は、速やかに作成し、署名するつもりだ。
キエフで権力を掌握し維持しようとしている者たちには、直ちに戦闘行為をやめるよう求める。
さもなければ、継続して起こりうる流血に対するすべての責任は、完全に、ウクライナを統治する政権の良心にかかることになる。
本日の決定を発表するにあたり、ロシア国民、および、すべての愛国的な勢力から支持を得られると確信している。
ご清聴に感謝する。』