新「100ルーブル」札を、ロシアのATMから引き出せないという。西側の機械メンテ会社がすでに撤退しているので。
https://st2019.site/?p=19875
(※ そういう情報だけ。)





『「企業におけるAI化」とそれを支える「人材育成」の時間軸を検証すると、現在のパラダイムシフトは過去のあらゆる…
『みずほ銀行の勘定系システム「MINORI」の変遷と、現在の「AI化」のトレンドを掛け合わせた洞察は、まさに今…
『ビッグテックによるFDE(フォワード・デプロイド・エンジニア)の常駐が「ビッグテックのSIer化」と評される…
『米マイクロソフトが2026年7月に立ち上げた「Microsoft Frontier Company」をはじめ…
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC210DC0R21C26A000…
新「100ルーブル」札を、ロシアのATMから引き出せないという。西側の機械メンテ会社がすでに撤退しているので。
https://st2019.site/?p=19875
(※ そういう情報だけ。)
ドイツの3つの研究機関が自国の森林地帯での地熱開発のための調査に入る。
https://st2019.site/?p=19870
『022-6-30記事「GeoLaB: Future with geothermal energy」。
ドイツの3つの研究機関が自国の森林地帯での地熱開発のための調査に入る。
地熱は昼夜も晴雨も関係がないのでエネルギーのベースロードとして適当なのである。
ドイツは地熱で発電しようというのではなく、暖房用の天然ガスの「三分の一」を代置したい。
ライン川上流域は「地下水攻」すると人工地震が生じ得るので不適。結晶質の岩盤があるところを探す。
調査は岩盤に水平にボーリングをぶっ刺す。これで断層を避けられる』
ポルトガル海軍が、無人機母艦を新造する。その計画案がイラスト付きで公表された。
https://st2019.site/?p=19870
『Naval News の 2022-6-30記事「Portuguese Navy Unveils New Drone Mothership Project」。
ポルトガル海軍が、無人機母艦を新造する。その計画案がイラスト付きで公表された。
※バイラクタルTB2が陸上ではどうしても敵SAMからの奇襲を回避できないとわかって4月にオデッサに集中され、黒海ではまだ1機しか艦載SAMにはやられていないようだ(噂による)。
陸地と違い、海上では、敵はSAMの居場所を秘匿できない。こっちはESMで、遠くからほぼ完全に特定艦のレーダーの有無を把握し、そのあとは民間衛星でプラットフォームの動静を追えるから(特に黒海では)。既知の脅威プラットフォームを避けて遠巻きに飛べばTB2は撃墜されないのだ。
つまりTB2以上の大きさの非ステルスUAVは、今後、陸上よりもむしろ海上を飛行させることで、多彩な活躍ができると信じられる。「グレイイーグル」もドンバス付近の陸上で飛ばしたら最後、バタバタとSAMの餌食になるだけだろう。
米国にはまだその「学習」ができていない。敵SAMよりも高額にならないサイズのUAVを、無人機母艦からスウォームで放てば、おそらく敵空母は三舎を避けるしかない。トルコとポルトガルの実験に注目だ!』
露軍は、蛇島からの転進作戦にあたり、ドネツから戦闘攻撃機×20機が発進してエアカバーした。
https://st2019.site/?p=19870
『Defense Express の 2022-7-1記事「Dozens of Fighter Jets Covered the Escape of Russian Troops From Snake Island」。
露軍は、蛇島からの転進作戦にあたり、ドネツから戦闘攻撃機×20機が発進してエアカバーした。そのさい3機の「A-50U」AWACSがクリミア上空でレーダー監視した。
撤収に使われたのは『ラプトル』型のボート×2隻、タグボート×2隻、9機のヘリ(ミル8およびカモフ27)であった。
※2014からのチップ飢饉で製造がとっくに止まっているAWACSを3機も飛ばせられる状態で保存していたとは偉い。機能していたのかどうかは分からないが。』
ウクライナの「モトル・シツ」社は、中共の「J-15」艦上戦闘機用の軍用ジェットエンジン「AI-222」の輸出を継続している。6月だけでも、6基の実績。
https://st2019.site/?p=19870
『雑報による。「J-15」は中共の空母搭載機のもっかの主力。ロシアが「スホイ33」を売ってくれなかったので、ウクライナから原型機の「T-10K-3」を1機手に入れて、リバースエンジニアリングした。それ以来の腐れ縁が、まだ続いているようだ。
とうぜん日本政府は、文句をウクライナに付けるよね? 「どういうつもりなんだ?」と。』
【経済】日本の長期的な戦略は? ソレイマニ司令官殺害から見る中東力学【フィスコ世界経済・金融シナリオ分析会議】
https://kabutan.jp/news/marketnews/?b=n202001140744
『(2020年01月14日16時56分)
基本的に、日本は長期的な国家戦略として、どのような未来・運命を求めるかによって対応が変わると推測する。日本とイランの関係は歴史的にみても悪いものではないが、日本が自分自身の未来をどう定めたいかによってこの関係性のニュアンスも変化する。
アメリカと完全に組む場合は、イランの政権転覆に積極的に手を貸して、次の政権候補と仲良くしながら、アメリカにも恩を売って双方からおこぼれを貰うのが選択肢の一つ。
アメリカとは組むが、イランとの関係を考慮しながらあまり深入りしない場合は、これまで同様のこうもり外交を続けることになろう。一応アメリカとイランを結ぶものとして、日本の存在価値を高めることを期待するという方針が主な外交カードだと見られる。石油価格の高騰もあり、より積極的なこうもり外交の選択肢として、イランから安く輸入できるというカードでアメリカに譲歩を迫り、逆にアメリカが何らかの便宜を図ってくれるのならイランに価格の更なる譲歩を求めるということが考えられる。
日本がより強く自主独立路線を突き進む場合は、アメリカの求めることとは違い、より強くイランとの関係を深めるか、関係国の思惑を完全に外し、第三極としてふるまい、日本の影響力がより強く行使される団体を支援することが考えられるが、「日本のより強い自主独立路線」の現実性に対してはコメントしづらいのが現状である。
地経学アナリスト 宮城宏豪
幼少期からの主にイギリスを中心として海外滞在をした後、大学進学のため帰国。卒業論文はアフリカのローデシア(現ジンバブエ)における経済発展と軍事支出の関係とその周辺の要因についての分析。大学卒業後は国内大手信託銀行に入社。現在、実業之日本社に転職し、経営企画と編集(マンガを含む)も担当している。歴史趣味の延長で、日々国内外のオープンソース情報を読み解いている。』
戦間期ポーランドから見る地政学的な定石【フィスコ世界経済・金融シナリオ分析会議】https://jp.reuters.com/article/idJP00093300_20200714_00220200714
『(2020年7月14日9:32 午前Updated 2年前)
1918年から1939年の間に存在したポーランド第二共和国は、その地理的な特性上、2つの潜在的でかつ伝統的な敵であるドイツとロシアに挟まれていた。これに対抗するために、ポーランドが行った2つの戦略構想について見てみようと思う。
■インテルマリウム/ミェンズィモジェ(海洋間)構想
ここで言う海洋間は、バルト海から黒海までを指す。この構想では、この海洋間を跨ぐ、なるべく1つの連合体を作り、これでドイツやロシア(ソ連)に対抗する軸とするという構想である。
海洋間の連合体が想定する領域はもともとポーランド・リトアニア共和国という、ポーランドにとっての黄金期における領土を概ねカバーしている。ロシア帝国がポーランドのほとんどを支配下においていたときに、ロシアの外務大臣を務めたことがあるチャルトリスキが19世紀半ばにおいて、ポーランドの再独立のためにその時代にあわせたポーランド・リトアニアを再興しようとしたことがインテルマリウム構想の元祖とも言える。
ポーランドが再独立を果たした後、ユゼフ・ピウスツキ(ポーランドの初代国家元首、元帥など非常に重要な立ち位置にあった)は上記の大連合を構築しようと努力する。しかし、リトアニア自身がポーランドの支配下になる可能性を危惧、ウクライナも同様に思い、ベラルーシあたりの地域ではそもそも独立国を作ろうとする運動が弱かった。また、ポーランドは自らの国境画定のための紛争を数回周辺国と起こしたことも、ポーランドを軸とした連合体の実現可能性を低めた。ポーランド内からも「ポーランド民族」のみの国家を望む勢力から反対に会った。ピウスツキが途中から事実上の独裁者になったことで、「民主主義的な価値観」に基づくはずだった連合体に対する懸念がさらに増した。
「独立したウクライナなくして独立したポーランドはない」という考えが、この戦略では重要な位置を占める。これは、同盟を結んでいると共に、重要な緩衝地帯としての独立国が必要であることを示している。しかし、他方では国家の本能をそのまま遂行するかのように、なるべく自らの国境をより東におきたいという意味でもある。そこにいる民族ポーランド人を併合するために、友好関係にあることが重要であるウクライナに対しても紛争を起こしてしまってもいる。民族統一と「真の独立」を志す感情が、長期戦略の合理性を上回ってしまったと見ていいかもしれない。
1920年から1921年の間でおきたポーランド・ソ連戦争において、ポーランドが事実上勝利したのにも関わらず、同盟していたウクライナがソ連に飲み込まれたことによって、連合体構想が事実上瓦解した。これの代わりに、バルトからバルカンまで、よってチェコスロバキア、ハンガリー、北欧諸国、バルト三国、イタリア、ルーマニア、ブルガリア、ユーゴスラヴィア、ギリシアまでを一つの大同盟にする戦略が考えられた。しかし、チェコスロバキアやリトアニアと国境紛争を起こしたことでポーランドが信用されてないこと、構成の候補国間の関係が必ずしも良好ではなかったことから、各国の都合に合わせた個別の小さい同盟が作られるのみにとどまった。この中で、ポーランドはルーマニアと同盟を結び、ピウスツキが1935年に死去した後に、これを拡大してポーランド、ハンガリー、ルーマニアを軸とした「第三の欧州」という構想も練られたが、これは進まなかった。
ポーランドがドイツとソ連に侵攻され、亡命政府が立てられると、それまでの同盟構想があった国々の亡命政府との交流、中東欧における連合体を作ることに関する話し合いが進められた。亡命政府の存在で、とりあえずポーランドの生存に向けての今までの基礎戦略が受け継がれたことになる。
ソ連崩壊後に伴って、ワルシャワ条約機構がなくなった。これにより、上記に述べた構想の候補国が徐々にNATOや欧州連合に加盟すること、いわゆるヴィシュグラード・グループなどを作り、大同盟によって大国に対抗するという構想が現代になって事実上達成されたともみられる。
■プロメテウス主義
プロメテウス主義は、インテルマリウム構想と並行して行われた戦略的構想である。プロメテウスと名付けたのは、ゼウス(大国)の意思に反して人類に火(民族自決、自由)を授けたという神話からとったもので、特にロシア帝国及びその後継国家であるソ連に対して、内部の民族主義を刺激することで弱体化することを目的とした。
プロメテウス主義の歴史としては、ピウスツキが日露戦争中の1904年、日本政府に対して、ロシア内の少数民族らを支援することが日本の戦争遂行を助けるとともに、各国の自由をもたらすため、それを支援すべきというメッセージを送ったことがはじめとみられる。
実際に第一次世界大戦後にポーランドが独立した後、ポーランドが旧ロシア帝国内の民族自決に向けて積極的な支援を行おうとした。しかし、ロシア帝国をこれ以上弱体化したくなかった西洋諸国と、ロシアの反共白軍の抵抗にあったため、ロシア内戦の混乱中に独立した国は長続きしなかった。別途、ドイツ主導による「ウクライナ国」の建国もあったが、第一次世界大戦でのドイツ敗北によってこれも消滅した。
ポーランドのプロメテウス主義は第一次世界大戦直後において、バルト三国やフィンランドの独立を早い段階での承認をし始め、ウクライナ、ジョージア、アゼルバイジャン、各コサック自治体、コーカサス地域の民族自決を目指す集団に対する支援も行った。特に重要なのが(途中、国境をめぐる紛争もあったが)ウクライナ人民共和国に対する支援である。プロメテウス主義の一環として、クリミア半島をポーランドの保護国にすることが国際連盟でも提案された。
前述のポーランド・ソ連戦争でウクライナの独立がなくなってからは、ウクライナや黒海沿岸国の「正統」政府の亡命を推進させることなどを行い、この時期から積極的に外務省と参謀本部にプロメテウス主義を担う人員が固まり始めた。しかし、ピウスツキが1923年から1926年まで一時期、権力の座から降りた際、スターリンがソ連内での民族自治体制度で独立の機運を低くすることに成功してきたこともあり、ポーランド政府もプロメテウス主義をスケールバックした。だが、ピウスツキが1926年のクーデターで政権を掌握すると、外務省と参謀本部にプロメテウス主義を推進する部局が正式に設立され、各民族自決を目指す組織に対しての積極的な支援が開始された。
しかし、1932年に締結されたソ連・ポーランド不可侵条約、世界経済情勢悪化による予算の低下、ピウスツキ含むプロメテウス主義を推進していた重要人物らの相次ぐ死、そしてナチスドイツの影響下にある民族主義団体の設立や別チャンネルからの支援によるポーランド影響力の低下もあり、全般的にプロメテウス主義の推進が困難となった。中東欧における各民族自決のプロセスにポーランドが中心的な役割を果たせなくなったことはポーランドの影響力低下を招き、最終的にポーランドがその独立を失った理由の一つであると、プロメテウス主義推進に携わっていた情報将校は分析する。
■戦間期ポーランドの戦略はどこでも見られる?
このように、自国の影響力やその主権を守るためには、大同盟のようなものを作ることによって一国だけで対処が難しい国に対抗するというやり方が一つ。そして、できるのなら相手国の内部の不安要因を煽ることによって、良ければ緩衝地帯にする、一番悪くても相手国を弱体化させて自国への脅威を減らすという動き。この二つは様々な強度で世界の国々が行っていると考えられるため、ポーランドという非常に難しい立場にあった国が取らざる得ない積極的な行動という前提に立てば、全般的に国家の本能的な行動パターンがある程度見えてくると考えられる。
地経学アナリスト 宮城宏豪
幼少期から主にイギリスを中心として海外滞在をした後、英国での工学修士課程半ばで帰国。日本では経済学部へ転じ、卒業論文はアフリカのローデシア(現ジンバブエ)の軍事支出と経済発展の関係性について分析。大学卒業後は国内大手信託銀行に入社。実業之日本社に転職後、経営企画と編集(マンガを含む)を担当している。これまで積み上げてきた知識をもとに、日々国内外のオープンソース情報を読み解き、実業之日本社やフィスコなどが共同で開催している「フィスコ世界金融経済シナリオ分析会議」では、地経学アナリストとしても活躍している。
《SI》
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ミェンズィモジェ(※ ラテン語で「海洋間の」という意味のインテルマリウム(羅: Intermarium)という名前でも呼ばれている。 )
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%82%A3%E3%83%A2%E3%82%B8%E3%82%A7










『ミェンズィモジェ(波: Międzymorze、ウクライナ語: Міжмор’я、ベラルーシ語: Міжмор’е)は、かつてのポーランド=リトアニア共和国構成国の政治家によって何度も提言されてきた地理的計画のことであり、提唱者の中には、かつての構成国ではなかった周辺の国家をも包括するという考え方もされている。提唱された多国政体はその領域をバルト海から黒海にまで広げることになるため、ラテン語で「海洋間の」という意味のインテルマリウム(羅: Intermarium)という名前でも呼ばれている。
概要
ミェンズィモジェは、中欧・東欧の連合が形成されることを見越して[1][2][3][4][5]、当時のポーランド指導者でロシア帝国時代に政治犯であったユゼフ・ピウスツキによって追求され、その中でバルト三国(エストニア・ラトビア・リトアニア)やフィンランド[6]・ウクライナやベラルーシ・ハンガリー・ルーマニア・ユーゴスラビア・チェコスロバキアの勧誘を模索していた[7][8]。ポーランド名である “Międzymorze” は、ラテン語の “Intermarium” を直訳したものである[9]。
ミェンズィモジェ構想は、ポーランド王国とリトアニア大公国の合同によって成立し、16世紀末から18世紀末まで存在したポーランド=リトアニア共和国を見習い、その領域をバルト海から黒海にまで伸ばすことを標榜とし、同時にピウスツキはミェンズィモジェを、彼が目指していたロシア帝国領土の分割およびロシア帝国領から生じる収益の固有化などの方針(これはプロメテイズム(英語版)、またはプロメテアニズムと呼ばれている)を補完するものと位置付けた[10][11][12][13]。
ところが、ミェンズィモジェ構想はリトアニア人にとって「ようやく手に入れた独立に対する脅威」であるとされ、またウクライナ人にも「自分たちの独立願望を阻害する脅威」と認知された[14][15][16]。その一方でフランスはこれらの活動を支援したが、ロシア帝国やその他の西欧諸国はこの運動に反対していた[17][18][19]。ピウスツキの計画が失敗に終わって20年が経った頃には、彼が編入を試みたほぼすべての国家がソヴィエト連邦やナチス・ドイツに編入されてしまった(フィンランドはソヴィエト連邦との冬戦争にて幾分かの領土を失ったものの、国家の編入へと至ることはなかった)。
始まり
ポーランド=リトアニア共和国
詳細は「ポーランド・リトアニア共和国」および「ハーデャチ条約」を参照
ポーランド=リトアニア共和国の最大版図
ポーランドとリトアニアによる合同と軍事同盟の締結は、ドイツ騎士団やジョチ・ウルス、モスクワ大公国などの両国共通の脅威に対する相互援助を実現させた。この同盟は1385年に初めて締結され、ポーランド女王ヤドヴィガとリトアニア大公国のゲディミナス朝大公ヨガイラの婚姻が行われた。リトアニア大公のヨガイラは、後にヴワディスワフ2世としてポーランド国王に就任することとなった。
この連合はポーランド=リトアニア共和国として長く続くことになり、18世紀末のポーランド分割までその名を地図に刻むことになった。
共和国の下で、この計画は「ポーランド=リトアニア=モスクワ共和国」と呼ばれる国家の樹立を標榜するまでに至ったが、ついに計画が実現することはなかった。
チャルトリスキの計画
一月蜂起にて掲げられたポーランド=リトアニア=モスクワ共和国の紋章。ポーランド王国の白い鷲、リトアニア大公国の騎士、モスクワ大公国の大天使ミカエルと各国の紋章のモチーフが描かれている。
1832年11月から1863年の一月蜂起にかけて、ポーランド=リトアニア共和国を復活させるという考えが、当時パリに亡命中であったポーランド王国の貴族アダム・イエジィ・チャルトリスキによって提唱された[20]。
アダム・イエジィ・チャルトリスキ
チャルトリスキは、1792年のポーランド=ロシア戦争にてロシア帝国と戦い、1794年のコシューシコ蜂起にも参加をするつもりだった(彼はその道中のブリュッセルにて逮捕されたため参加できなかった)。その後、1795年に彼と弟はロシア帝国陸軍への加入を果たした。当時の国王エカチェリーナ2世は彼らをとても気に入り、彼らから没収していた土地の一部を回復させてやるほどであった。チャルトリスキは、ロシア皇帝パーヴェル1世とアレクサンドル1世の下で外交官や外務大臣に務め、ナポレオン戦争の最中には対仏大同盟の結成にも寄与した。彼は1830年11月に発生したポーランド蜂起の指導者の一人でもあり、ロシア帝国による蜂起の鎮圧後には死刑を宣告されるも、最終的にフランスへの亡命を許された。
1827年に完成し1830年にのみ出版された彼の著書 ”Essai sur la diplomatie” (外交論)において、チャルトリスキは「国家の支配域を南や西へと拡大し、東や北からの到達不可能な自然の摂理によって、ロシアはヨーロッパの継続的な脅威になる」と気付き、また「奴隷よりも友人」と関係を築きながらは上手くやっていくだろうと述べた。また彼はプロイセンによる将来的な脅威を突き止め、東プロイセンのポーランドへの編入を力説した[21]。
チャルトリスキの外交努力はピウスツキのプロメテイズム計画、特にポーランド独立を他のヨーロッパの被支配諸国の運動(その中にはコーカサス山脈に位置するジョージアまで含まれていた)から見抜いていた[22]。
チャルトリスキは、フランスやイギリスやオスマン帝国のサポートによってポーランド=リトアニア共和国が復活することを何より切望しており、その共和国にはチェコ人・スロバキア人・ハンガリー人・ルーマニア人・そして後にユーゴスラビアを形成する南スラヴ人が含まれていた。彼の構想では、ポーランドがハンガリー人とスラヴ人・ルーマニア人との闘争の調停を行えるように出来ていた[23]。この構想は1848年革命が発生する中で到達できると考えられていた[23]が、西欧諸国からの支援が得られなかったこと、ハンガリーとチェコ・スロヴァキア・ルーマニアとの間で妥協が取れなかったこと、ドイツ民族主義が勃興していたことが合わさり失敗に終わった[23]。
それにもかかわらず、ポーランドの歴史研究家マリアン・カミル・ジエヴァノフスキ(英語版)は「王子の努力は16世紀のヤゲヴォ朝政権とユゼフ・ピウスツキのプロメテイズム連合体計画とを繋ぐ重要な考えである」と結論付けている[23]。
ピウスツキとミェンズィモジェ
ピウスツキの最初のポーランド=リトアニア共和国『復興』計画
ユゼフ・ピウスツキの戦略的な目標は、強化された準民主的なポーランド=リトアニア共和国を復活させることであった一方、ロシア帝国や後続のソヴィエト連邦を民族構成を利用して崩壊させるように活動していた[24](特にソヴィエト連邦の崩壊は彼のプロメテイズム計画の一つであった[24])。ピウスツキはミェンズィモジェによって誕生する連合をロシアやドイツの帝国主義に対抗する平衡力と見ていた[25][26]。
ジエヴァノフスキによると、ピウスツキのミェンズィモジェ構想は計画的に実施されることはなく、彼自身の実用本位的な直感に依存していたという[27]。また、ブリストル大学の学者ジョージ・サンフォード(英語版)によると、1920年のポーランド=ソヴィエト戦争の頃にはピウスツキもこの計画が実行できないことは理解していたという[28]。
対立
ユゼフ・ピウスツキ
ピウスツキの計画は、事実上全方面からの反対に遭った。ミェンズィモジェ構想によって自身の勢力圏が直接的に脅かされていたソヴィエト連邦は、ミェンズィモジェ協議の妨害工作を行った[18]。また、連合国はボルシェヴィズムが一時的脅威であるとしか認識せず、勢力均衡の観点から事態を荒立てることでロシアとの歴史的繋がりを失うことは望んでいなかった。
その為、ピウスツキがロシア白軍の支援を断ったことに対して連合国は激怒。ピウスツキや彼のミェンズィモジェ構想を疑問視し、ポーランドに対して「自身の民族圏に引きこもっていればよい」と主張するまでに至った[29][30][31]。
1918年に独立を勝ち取ったリトアニア[30][32]はミェンズィモジェへの加入に消極的になり、独立を模索していたウクライナ[19]は再びポーランドへ編入されることを恐れた[30]。
当時まだ民族意識が小さかった白ロシア(ベラルーシ)の人々は、独立することにもピウスツキによって連合に組み入れられることにも興味が無かった[30]。結局ピウスツキの計画は、第一次世界大戦とその後に引き続いて発生した幾度もの領土を巡った国境紛争(ポーランド=ソヴィエト戦争、ポーランド=リトアニア戦争(英語版)、ポーランド=ウクライナ戦争、チェコスロヴァキアとの国境紛争)によって、実現の機会を失ってしまったのだった。
また、ピウスツキの構想は国内からも反発の声が上がった。特に、ポーランド国民民主党(英語版)の党首ロマン・ドゥモフスキ(英語版)は非ポーランド人をポーランド国民化することによって民族的に同質なポーランドを建国することについて疑問を呈した[4][33][34]。ドゥモフスキを始めとするポーランドの政治家の多くは多文化的な連邦国家の形成に反対し、ポーランド人による単一の国民国家の形成をより望んだ[4]。サンフォードは1926年のクーデタにて再び権力を掌握したピウスツキの政策について、それまでと同じように東部のスラヴ民族の同化や権力の集中化に努めたと語った[28]。
幾人かの学者が、ピウスツキが自身の連合構想で語った選挙君主制に額面的に賛成していた[35]一方で、ほかの学者達は選挙君主制に対して懐疑的であり、1926年クーデタ以降にピウスツキが独裁的な権力を握っているという見方が強かった[13][36]。特筆すべきことにの構想に対してほとんどのウクライナ人歴史家が否定的な見方を示しており、例えばオレクサンドル・デルハチョフは「ミェンズィモジェ連合は、ポーランド人以外(殊にウクライナ人)への興味が薄い大ポーランドを形成することになっただろう」と述べている[15]。
ピウスツキは「ウクライナの独立無くして、ポーランドの独立はない」と主張していた。このことに関して幾人かの歴史研究家は、ピウスツキはウクライナの繁栄を確かなものとするためにロシアからウクライナを独立させることに関心があったのではないか、と考えている[37]。しかし、彼はガリツィアやヴォルィーニ(両地域ともウクライナに編入されていた地域である)獲得の為にウクライナと戦争を起こすことに躊躇しなかった上、独立した西ウクライナ人民共和国を滅ぼして係争地であったブク川以東にポーランド陸軍を進駐させた[38](ルヴフのようなポーランド人が大多数を占めていた都市は、その周囲がウクライナ人が多数住む地域にあったのだった)。
ポーランドの将来的な国境について、ピウスツキは「協商国に頼りながら西方で獲得できる地は皆ドイツに奪われた」と語った一方で、東方については「開閉可能なドアは多くあるし、それらは誰かが無理やり開けさせることでしか開かない」と語った[39]。東欧の混沌に際して、ポーランドは可能な限りの領土拡張に乗り出し、その一方でロシア内戦への西欧諸国の介入[38]やその行く末には関心を示さなかった。
失敗
ピウスツキの二番目のミェンズィモジェ構想
ポーランド=ソヴィエト戦争の余波によって、ピウスツキが計画してきたポーランドとウクライナの合同を礎とする中東欧連合は、遂に実現の機会を失った[40]。
ピウスツキは新たにバルト三国やバルカン諸国との連合や同盟を構想し始めた。この計画は中央ヨーロッパ連合体の形成を目指してポーランド・チェコスロヴァキア・ハンガリー・スカンディナヴィア諸国(スウェーデン・デンマーク・ノルウェー・フィンランド)・バルト三国(エストニア・ラトヴィア・リトアニア)・イタリア・ルーマニア・ブルガリア・ユーゴスラヴィア・ギリシアの参加が予定された。つまり、ミェンズィモジェはその領域をバルト海から黒海だけではなく、北極海から地中海にまで広げたということだ[40]。
しかし、この計画もまた失敗に終わった。ポーランドがチェコスロヴァキア・リトアニアから信頼されていなかったのであった。他の国々とは良好な関係が築けていたのだが、これらの両国はポーランドと国境を接しており、全ての参加国が互いに協力し合う関係を築かねばならないような巨大な中欧国家を建設することは事実上不可能だったのだ。結局、この計画は1921年にポーランド=ルーマニア同盟(英語版)が締結されるのみに終わり[41]、チェコスロヴァキアは対照的にフランスの支援の下で、ルーマニア・ユーゴスラヴィアと共に小協商を設立することに成功したのだった。
ユゼフ・ベックの「第三のヨーロッパ」構想。ポーランド、ハンガリー、ルーマニアから構成されている。
ピウスツキは1935年に死亡。二番目に考案されたミェンズィモジェ構想は、戦間期にポーランド外務大臣でピウスツキの子分でもあったユゼフ・ベックの下で「第三のヨーロッパ」構想として1930年代後半に実現が試みられることとなった[40]。
1932年に結ばれていたポーランド=ソヴィエト不可侵条約があるにも関わらず、ソヴィエト連邦はナチス・ドイツとの合同を許諾、中欧と東欧をそれぞれの支配下に置くことを承認した[42]。幾人かの歴史研究家は、ピウスツキのミェンズィモジェ構想のように、ドイツやソヴィエト連邦との平衡力を作ることに失敗したのは、第二次世界大戦における被支配国の運命だったのではないだろうか、と語っている[25][26][43]。
第二次世界大戦とその後
ヴワディスワフ・シコルスキ
バルト海・黒海・アドリア海およびエーゲ海にまたがって広がる地理的自主独立体を結成するという「中央ヨーロッパ連合」構想は、第二次世界大戦期にポーランド亡命政府のヴワディスワフ・シコルスキによって復活することになった。
1942年にその第一歩としてギリシア・チェコスロヴァキア・ポーランド・ユーゴスラヴィアの4亡命政府による会談が実施され、ギリシア=ユーゴスラヴィア連合(英語版)とポーランド=チェコスロヴァキア連合の将来的な結成が決定した。
しかし、この合意に対してチェコ人の反発や連合国の反感を招いたうえ、最終的にこの計画はソヴィエト連邦の反対によって失敗に終わった[40]。同時期にポーランド地下国家(英語版)の樹立が宣言されると、どんな単一の国家にも支配されない中央ヨーロッパの連合国家の建設を叫ぶ声が高まっていった[44][45]。
20世紀の末から21世紀にかけても様々な形でミェンズィモジェ構想は継続して考えられており、中にはポーランド主導ではないような地域安全保障協定などもある。しかし、ポーランドの近隣国は変わらず、そういった数々の提案を帝国主義的であると見ている[46]。
1991年にワルシャワ条約機構が解体。その後1999年にチェコ・ハンガリー・ポーランドの三国は北大西洋条約機構に加盟し、他の旧社会主義国家へNATO加盟への足掛かりを作った[42]。
事実、2004年にはスロベニア・スロバキア・ブルガリア・ルーマニア・バルト三国の七か国がNATOへと加盟した。ウクライナもヴィクトル・ユシチェンコ大統領がNATOへの加盟に関心を示した[47]が、次代のヴィクトル・ヤヌコーヴィチは一切関心を示さなかった[48]。
その後欧州連合にも、2004年にポーランド・スロベニア・スロバキア・チェコ・ハンガリー・バルト三国が、2007年にルーマニアとブルガリアが、2013年にはクロアチアが加盟している。
2011年5月12日、ヴィシェグラード・グループに参加する四か国(ポーランド・スロバキア・チェコ・ハンガリー)は、ポーランドを最高司令とする任務部隊の結成を宣言した。
2016年までに各国から独立した部隊として結成が予定され、NATOの指揮下には入らないことも同時に宣言された。さらに、2013年からヴィシェグラード・グループの四か国はNATO即応部隊の援助のもとで合同演習を実施することも決定した。研究者の中には、この一連の動きが中央ヨーロッパの統合を進める第一歩となるとする者もいる[49]。
また2015年8月6日、ポーランド大統領のアンジェイ・ドゥダは就任演説において、ミェンズィモジェをモデルにしたと考えられる中央ヨーロッパ連合の構想を発表した[50][51][52]。この構想に似たものとして、三海洋イニシアティブの第一回サミットが2016年にクロアチアのドゥブロニクにて開催されている[53]。
影響
ポーランドのミェンズィモジェ連合という概念は、世界中の様々な地域においても似たように確認できる。
19世紀初頭に、エルサルバドル・ニカラグア・ホンジュラス・グアテマラ・コスタリカといった中央アメリカの諸国において、イギリス帝国やメキシコ帝国、大コロンビアといった強国に対抗するために中央アメリカ連邦共和国という国家を樹立しようとする試みがなされた[54]。しかし、この連邦共和国は内紛によって短命に終わった[55]。
また20世紀末には、カンボジア=ベトナム戦争や中越戦争によって引き起こされた反ベトナム感情(英語版)の影響によって、ベトナム国内ではインドシナ半島を中心とした東南アジアに、中国などに対抗するための共産主義ミェンズィモジェを設立する構想が高まりを見せた[56]。しかし、ベトナムの帝国主義的発想や「中国・カンボジア・タイへの侵攻計画」に対して批判が殺到し、実現することはなかった。 』
ふたつの世界大戦を挟んだ時期、中欧で計画されたインテルマリウム復活の意味 | 《櫻井ジャーナル》 – 楽天ブログ
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『ラトビアのリガで6月20から「三海洋イニシアチブ」の首脳会議が開かれ、ウクライナの加盟が事実上決まったようだ。名称に含まれる「三海洋」とはバルト海、アドリア海、黒海を指す。
この集まりは2015年にポーランドとクロアチアが主導して組織され、現在加盟している国はオーストリア、ブルガリア、クロアチア、チェコ、エストニア、ハンガリー、ラトビア、リトアニア、ポーランド、ルーマニア、スロバキア、スロベニア。そこにウクライナが加わるわけだが、その上にはアメリカとイギリスが存在している。
ウォロディミル・ゼレンスキーが大統領を務めているウクライナの現体制は2013年11月から14年2月にかけてバラク・オバマ政権が仕掛けてクーデターによって作り出された。ウクライナの東部や南部、つまりロシア語を話し、ロシア正教の影響下にある地域を支持基盤にしていたビクトル・ヤヌコビッチ大統領を暴力的に排除したのだ。
東部や南部の人びとはクーデター政権を拒否、南部のクリミアでは住民投票を経て人びとはロシアとの統合を選んだ。東部のドネツクでは自治を、ルガンスクは独立をそれぞれ住民投票で決めたが、クーデター政権が送り込んだ部隊と戦闘になり、戦争が続いている。オデッサではネオ・ナチの集団が反クーデター派の住民を虐殺、制圧してしまった。
ゼレンスキー政権はドネツクとルガンスク、つまりドンバスを制圧してロシア語系住民を「浄化」する作戦を3月から開始する予定だったことを示す文書がロシア軍によって回収されているが、このプランは成功しそうにない。
ある時期までドンバスを占領してきたウクライナ内務省の親衛隊は住宅地域に攻撃拠点を築き、住民を人質にしてロシア軍に対抗していたものの、戦況は圧倒的に不利だった。ここにきてウクライナ兵の離脱が目立っている。
ドイツの情報機関「BND(連邦情報局)」が分析しているように、このまま進むと、ゼレンスキー政権が送り込んだ部隊は7月いっぱいで抵抗を終えざるをえなくなり、ロシア軍は8月にドンバス全域を制圧できると見られている。
ジョージ・ソロスやネオコンはウクライナに対し、ロシア軍と戦い続けろと言っているが、ヘンリー・キッシンジャーはスイスのダボスで開かれたWEF(世界経済フォーラム)の年次総会で、平和を実現するためにドンバスやクリミアを割譲するべきだと語っている。
そうした状況の中、ゼレンスキー大統領は「三海洋イニシアチブ」へ参加する意思を示し、事実上認められたわけだ。軍事的な抵抗をやめざるをえなくなることを見通しての布石だろう。
このイニシアティブは第1次世界大戦の後に始まった運動「インテルマリウム」の焼き直しである。バルト海と黒海にはさまれた地域ということでこのように名づけられたようだ。
これはポーランドで反ロシア運動を指揮していたユゼフ・ピウスツキが中心になって始められ、そのピウスツキは日露戦争が勃発した1904年に来日し、彼の運動に協力するよう、日本側を説得している。
ポーランドでは1925年に「プロメテウス同盟」という地下組織が編成され、ウクライナのナショナリストも参加したのだが、ポーランド主導の運動だったことから離反するウクライナの若者が増え、OUN(ウクライナ民族主義者機構)が組織された。
中央ヨーロッパには16世紀から18世紀にかけて「ポーランド・リトアニア連邦」が存在していたが、その領土が最大だった1600年当時の連邦をピウスツキは復活させようとしていたようだ。この地域はカトリックの信徒が多く、ローマ教皇庁の内部には中央ヨーロッパをカトリックで統一しようという動きがあり、インテルマリウムと一体化していく。
中央ヨーロッパを統一しようという動きでは、ブリュッセルを拠点としたPEU(汎ヨーロッパ連合)も関係してくる。この組織はオットー・フォン・ハプスブルクやリヒャルト・フォン・クーデンホーフ-カレルギーらによって1922年に創設され、メンバーにはウィンストン・チャーチルも含まれていた。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)
チャーチルはイギリスの貴族を父に、アメリカの富豪を母に持つ人物で、ロスチャイルド家の強い影響下にあった。そのイギリスは19世紀にロシアを制圧するプロジェクトを始めている。いわゆる「グレート・ゲーム」だ。
そうした戦略をまとめ、1904年に「歴史における地理的要件」というタイトルで発表したハルフォード・マッキンダーは地政学の父と呼ばれている。その後、アメリカやイギリスの戦略家はマッキンダーの戦略を踏襲してきた。その中にはジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」もマッキンダーの理論に基づいている。インテルマリウムはマッキンダーの戦略に合致し、ロシアを制圧する上で重要な意味を持つ。
マッキンダーの理論はユーラシア大陸の周辺部を海軍力で支配、内陸部を締め上げ、最終的にはロシアを制圧するというもの。この戦略を成立するためにスエズ運河が大きな意味を持つことは言うまでもない。
この運河は1869年に完成、75年からイギリス系の会社が所有している。そのスエズ運河会社の支援を受け、1928年に創設されたのがムスリム同胞団だ。後にイギリスはイスラエルとサウジアラビアを建国、日本で薩摩や長州を支援して「明治維新」を成功させているが、これもイギリスの戦略に合致している。
インテルマリウムはポーランド人ナショナリストの妄想から始まったが、カトリック教会の思惑やイギリスやアメリカの戦略にも合う。米英にとって西ヨーロッパ、特にドイツ、フランス、イタリアは潜在的なライバル。20世紀にあったふたつの世界大戦はこの3カ国をライバルから潜在的ライバルへ引き摺り下ろすことになったが、復活する可能性はある。
第1次世界大戦が始まる直前、帝政ロシアでは支配層の内部が割れていた。帝国は大地主と産業資本家に支えられていたが、対立が生じていた。大地主がドイツとの戦争に反対していたのに対し、産業資本家は賛成していたのだ。
大地主側の象徴がグリゴリー・ラスプーチンであり、産業資本家側には有力貴族のフェリックス・ユスポフがいた。ユスポフ家はロマノフ家を上回る財力があるとも言われる貴族で、イギリス人を家庭教師として雇っていた。
その家庭教師の息子で、ユスポフ家の邸宅で生まれたステファン・アリーは成人してからイギリスの情報機関MI6のオフィサーになった。またフェリックスは後にイギリスのオックスフォード大学へ留学、そこで親友になったオズワルド・レイナーもMI6のオフィサーになる。
ラスプーチンが暗殺未遂事件で入院したこともあり、ロシアは参戦するが、ラスプーチンは戦争反対の意見を変えない。そうした中、イギリスはMI6のチームをロシアへ送り込んだが、その中心メンバーはアリーとレイナーだった。ラスプーチンを射殺したのはユスポフだと一般的には言われているが、殺害に使われた銃の口径などからレイナーが真犯人だとする説もある。
1917年3月の「二月革命」でロマノフ朝は崩壊、産業資本家を中心とする体制ができあがり、戦争は継続されることになった。それを嫌ったドイツは即時停戦を主張していた亡命中のウラジミル・レーニンに注目し、ボルシェビキの指導者を列車でモスクワへ運び、同年11月の「十月革命」につながる。こうした経緯があるため、ナチスが実権を握るまでソ連とドイツの関係は良好だった。米英の巨大金融資本がナチスのスポンサーだったということは本ブログで指摘してきた通りだ。
ソ連/ロシアとドイツが手を組むことを米英の支配層は嫌う。アメリカのジョー・バイデン政権が行っているロシアに対する「制裁」で最も大きなダメージを受けるのは西ヨーロッパだ。
ソ連/ロシアと西ヨーロッパを分断するインテルマリウムは米英の戦略に合致すると言える。インテルマリムに「三海洋イニシアチブ」という新しいタグをつけて復活させた意味は言うまでもないだろう。』
日本が従う米国は露国や中国と戦争状態にあり、サハリン2の問題は序の口 | 《櫻井ジャーナル》 – 楽天ブログ
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『ウラジミル・プーチン露大統領が6月30日に署名した大統領令によって、ロシアのサハリンで石油や天然ガスを開発するプロジェクト「サハリン2」の事業主体をロシア政府が新たに設立する企業に変更、その資産を新会社に無償で譲渡することになったようだ。アメリカのジョー・バイデン政権が始めたロシアに対する経済戦争に対する反撃のひとつだと言えるだろう。
アメリカ政府は影響下にあるロシアの金や外貨を凍結、エネルギー資源をはじめとする貿易を制限し、SWIFT(国際銀行間通信協会)からのロシア排除も決めた。この経済戦争で日本やEUはアメリカに加担、ロシア政府から「非友好国」と見做されるようになった。
この経済戦争は短期的に見ると、2013年11月から14年2月にかけてバラク・オバマ政権がネオ・ナチを利用して行ったクーデターから始まっている。このクーデターでウクライナの東部や南部を支持基盤とするビクトル・ヤヌコビッチ大統領を排除、ヤヌコビッチを支持していた国民はクーデター政権を拒否した。
クーデターの背後にアメリカが存在していることからクリミアの住民は住民投票を経てロシアとの統合を選んだ。ドネツクは自治を、ルガンスクは独立をそれぞれ住民投票で決めたのだが、クーデター政権が送り込んだ部隊と戦闘になる。この時にロシアは目立った動きをせず、ドンバス(ドネツクとルガンスク)で戦争が続くことになった。
その後、アメリカ/NATOはクーデター体制に兵器を供給、兵士に対する軍事訓練を続けてきた。特殊部隊が実際の戦闘にも参加しているとみられている。
そして今年2月19日、ウクライナの政治家であるオレグ・ツァロフは緊急アピール「大虐殺が準備されている」を出し、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領がごく近い将来、ドンバスで軍事作戦を開始すると警鐘を鳴らした。
そのアピールによると、キエフ政権の軍や親衛隊はこの地域を制圧しようとしているとされていた。ドンバスを制圧し、キエフ体制に従わない住民(ロシア語系住民)を「浄化」、SBU(ウクライナ保安庁)はネオ・ナチと共同で「親ロシア派」の粛清を実行することにもなっていたという。
後にロシア軍が回収した文書によると、ゼレンスキーが1月18日に出した指示に基づいて親衛隊のニコライ・バラン上級大将が1月22日に攻撃の指令書へ署名、ドンバスを攻撃する準備が始まった。2月中に準備を終え、3月に作戦を実行することになっていたとしている。この情報が正しいなら、その直前にロシア軍がウクライナを攻撃し始めたことになる。その反撃を口実にして、バイデン政権はロシアに対する「制裁」を始めたわけだ。
日本はアメリカの経済戦争に参加しているが、それだけでなく軍事的な同盟関係を強化している。アメリカ軍は2018年5月に「太平洋軍」を「インド・太平洋軍」へ作り替え、日本を太平洋側の拠点、インドを太平洋側の拠点、そしてインドネシアを両海域をつなぐ場所だとしたものの、インドとインドネシアはアメリカと一線を画している。明確に従属しているのは日本だけ。
日本はアメリカ、オーストラリア、そしてインドと「クアッド」と呼ばれる軍事同盟を結んだが、インドは腰が引けているので、アメリカとしては信頼できないだろう。そこでアメリカ、イギリス、オーストラリのアングロ・サクソン系3カ国は2021年9月に「AUKUS」という軍事同盟を結んだ。この同盟に日本は接近、その日本の総理大臣である岸田文雄は6月29日から30日にかけてスペインで開かれる予定のNATO(北大西洋条約機構)首脳会議に出席した。
アメリカ国防総省系のシンクタンク「RANDコーポレーション」は今年、アメリカのGBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲する戦略について分析している。
インド・太平洋地域でそうしたミサイルの配備はオーストラリアも嫌がっているようで、結局、ミサイル配備を容認する国は日本しかないという結論に達したようだ。その日本には「専守防衛」の建前と憲法第9条の制約があるため、アメリカはASCM(地上配備の対艦巡航ミサイル)の開発や配備に協力するという案をRANDは提示している。
その提案を先取りする形で日本の自衛隊は南西諸島に基地を建設してきた。2016年に与那国島、奄美大島、宮古島に施設を建設、23年には石垣島にも建設する予定だ。
こうした日米の軍事的な連携は1995年2月に「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」が発表されてから強化されている。この報告の基盤になったのが1992年2月に国防総省で「DPG草案」という形で作成された世界制覇プランだ。このプランがポール・ウォフロウィッツ国防次官を中心に書き上げられたことから「ウォフロウィッツ・ドクトン」とも呼ばれている。国連中心主義を掲げていた細川護熙政権にナイ・レポートは突きつけられた。アメリカに従えば良いという通告でもある。
この時、最初に動いたのはマイケル・グリーンとパトリック・クローニンのふたり。カート・キャンベルを説得して国防次官補だったジョセイフ・ナイに接触し、ナイは1995年2月に報告を発表したのだ。現在、キャンベルはアメリカの東アジア政策を指揮している。
ウクライナだけでなく、東アジアもネオコンに支配されていると言えるだろうが、駐日アメリカ大使を見てもそれは推測できる。昨年12月に就任、3月に着任したラーム・エマニュエルは筋金入りのネオコン/シオニストで、「ランボー」と呼ばれるほどの人物だ。イスラエル軍の軍人だったことがあるともいう。日本は中国やロシアに対して敵対的な姿勢を維持するよう、アメリカに強いられているはずだ。日本の政治家や官僚もエマニュエルに脅されている可能性がある。
すでにアングロ・サクソンは中露と戦争状態にある。プーチンは穏やかに収束させようとしていたが、米英を増長させただけだった。こうした状態の中、アメリカへの従属を隠していない日本はロシアから「非友好国」だと見做されている。サハリン2の問題は序の口だろう。』
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