2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会に
向けた国土交通省の取組
https://www.mlit.go.jp/common/001113047.pdf
※ 交通インフラ関連事業は、まあまあ進捗があったようだ…。


















『CPUの処理性能向上の歴史は、物理的な限界や熱との戦い、すなわち巨額の投資と天才たちのアイデアによる「苦闘の…
※ なるほど、自治体の長が「独善的になる要因」は、3つもあるわけだ…。 1、選出方法が、住民による「直接の」…
『内閣総理大臣(首相)と地方自治体の長(知事・市町村長)の選出方法や位置づけには、日本の政治制度における「議院…
日本国憲法 行政権 条文 日本国憲法 内閣総理大臣に関する 条文 『日本国憲法 第67条 内閣総理大臣は、国会…
『日本国憲法「第八章 地方自治」(第92条〜第95条)の条文は以下の通りです。 [1] (/goto?url=…
『日本の地方自治体の首長(知事や市町村長)によるハラスメント行為が後を絶たない背景には、個人の資質の問題だけで…
2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会に
向けた国土交通省の取組
https://www.mlit.go.jp/common/001113047.pdf
※ 交通インフラ関連事業は、まあまあ進捗があったようだ…。













ポテンシャルを生かし切れない5G、さらに踏み込んだ整備目標は必要か
https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00687/041500184/
※ 「超高速大容量・超低遅延・多数同時接続」という絵に描いた餅は、「絵に描いた餅」のままに、留まっているようだ…。
※ まあ、「東京2020」がコロナでポシャったのも、大きかった…。
※ 「超高速大容量・超低遅延・多数同時接続」なんてのは、スポーツのパブリック観戦にもってこいだからな…。
※ これに、「AR」絡めて、「夢体験」させる…、という目論見だったんだが…。
※ 結果は、ご存知のとおりだ…。
※ その「夢の残骸」の一つが、「晴海フラッグ」でもあるのだが…。
※ 「ふぁいぶじー 醜い大人の 夢の跡」(ジジイ)…。季語ねーから、川柳か…。




『5G(第5世代移動通信システム)サービスの提供が2020年3月に日本国内で始まってから4年超が経過した。総務省によると、5Gの契約数は2023年12月末時点で8651万件と順調に伸びている。ただ、5Gならではの良さを実感している利用者はほとんどいないのではないだろうか。
通信方式ごとの契約数の推移
(出所:総務省)
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5Gの説明によく用いられるうたい文句は、超高速大容量・超低遅延・多数同時接続の3つである。確かにこれらは一部で実現しているものの、4Gの交換機に5Gの基地局がぶら下がる現行のNSA(ノンスタンドアローン)方式は過渡期の提供形態に過ぎない。あくまで本命は5G単独で動作するSA(スタンドアローン)方式だが、本格展開には至っていない。携帯各社にそれぞれ400メガヘルツ幅の広帯域を割り当てたミリ波も有効活用できていない状況である。厳しい見方をすれば、5Gのポテンシャルを十分に生かし切れておらず、単なるトラフィック増加対策に終始してしまっているような現状がある。
総務省は5Gインフラの拡大を促進させるため、有識者会議で新たな整備目標を検討している。総務省の「デジタル田園都市国家インフラ整備計画」で掲げた「2023年度末までに5Gの人口カバー率を95%」の目標は2022年度末時点(96.6%)で達成済み。5Gの基地局数や、親局に相当する高度特定基地局の敷設状況に着目した「基盤展開率」といった指標も残っているが、恐らく達成するだろう。そこで今後は上記のような現状を踏まえ、サブ6(6ギガヘルツ未満の周波数帯)やミリ波、SAなどで、さらに踏み込んだ整備目標を設定したいと考えている。
目標設定がなじまないミリ波
当然、携帯各社の反応は悪い。周波数の割当時に申請した投資計画(開設計画)は守っており、そこからさらなる追加投資を余儀なくされるような目標を設定されたらたまったものではないからだ。有識者会議が2024年4月11日に実施したヒアリングでは「事業者側の整備自由度や裁量を確保してほしい」「必要以上に過度なインフラ整備は事業者の経営圧迫にとどまらず、エネルギー消費問題にも悪影響を与える副作用にもつながる」などと難色を示す意見が目立った。
反論の中で興味深かったのはNTTドコモの説明である。「低い周波数帯はカバレッジ対策、高い周波数帯はスポット対策」というのは業界の共通認識だが、各周波数帯における電波の伝搬距離を比率で出してきたことだ。プラチナバンドの700メガヘルツ帯を1とすると、ミリ波の28ギガヘルツ帯は0.03という。このように数値で示されると、ミリ波の面展開が難しくカバー率の目標設定がなじまないとの反論にも納得がいく。ミリ波より使いやすいサブ6の4.5ギガヘルツ帯は0.17、3.7ギガヘルツ帯は0.22。こちらはぎりぎり目標設定もありといえる範囲だろうか。
NTTドコモにおける周波数帯ごとの基地局展開方針
(出所:NTTドコモが総務省に提出した資料)
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普及しない「5G」の法人ソリューション、企業が求めるのは高性能ではなかった
https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00086/00313/
『2024.06.17
5G(第5世代移動通信システム)を活用した法人ソリューションの需要開拓が全く進んでいない。モバイル通信の需要は旺盛であるものの、高性能である5Gを有効活用する事例はとても少ない。
なぜ企業は5Gに魅力を感じていないのだろうか。
企業の5G活用は今なおPoC止まり
5Gのサービス開始当初、法人向けソリューションの利用が大きく拡大すると期待されていた。高速大容量通信や低遅延といった5Gの高い性能を生かし、企業のデジタル化に向けたニーズが開拓されていくと予想され、多くの法人向けソリューションの事例や実証実験の様子などが披露されていた。
だがそれから4年が経過してもなお、企業向けの5Gソリューションは普及が進んでいるとはとても言い難い状況が続いている。様々な取材を通じて話を聞いても、その大半は依然としてPoC(概念実証)や実証実験の段階にとどまっている。企業が全面的に5Gを取り入れて活用している事例はごくごく少数のようだ。
一例を挙げよう。NTTドコモの子会社で法人事業を担っているNTTコミュニケーションズは2024年4月19日、新しい法人向けの5Gサービス「5Gワイド」の説明会を実施した。説明会では、同社が5G関連のビジネスソリューションを2000件以上受注したと明らかにした。
だがその内容を聞くと、大規模な工場を建設した際に工場内や周辺に5Gのネットワークを構築したり、スポーツイベントなどで臨時の5Gエリアを構築したりした案件も、その件数に含まれるという。
NTTコミュニケーションズは5G関連のビジネスソリューションを2000件以上受注したというが、その中には工場のネットワーク整備なども含まれていた。写真は2024年4月19日に同社が実施した「5Gワイド」の説明会から
(写真:佐野 正弘)
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5Gの大容量通信を生かした電車内の監視カメラでの活用など、5Gのネットワークを活用した本格的なソリューションの事例もいくつか示していた。だがその数はあまり多くないようだった。実証実験から先の具体的なビジネスにはあまり進んでいないようだ。
では、携帯電話会社以外が自営の5Gネットワークを構築できる「ローカル5G」の活用はどうか。2024年5月29日から実施されていた無線技術やソリューションの展示会「ワイヤレスジャパン2024×ワイヤレス・テクノロジー・パーク2024」で、ローカル5Gを扱うシステムインテグレーターや商社に話を聞いてみた。その回答は芳しくないというのが正直なところだった。
各社の話で共通していたのは、PoCのためローカル5Gを導入するケースはいくつか出てきているものの、それ以上の導入拡大が進んでいないということだった。PoCの延長線上の取り組みとして、企業の一部でローカル5Gが使われ続けるケースはあるようだが、やはり本格的な拡大には至らず停滞が続いているようだ。
「ワイヤレスジャパン2024×ワイヤレス・テクノロジー・パーク2024」の京セラみらいエンビジョンのブース。ローカル5Gのネットワークをブース内に構築するなど展示に力を入れていたが、実際の導入事例はまだPoC段階のものがほとんどとのことだった。写真は2024年5月29日、同ブースにて
(写真:佐野 正弘)
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』
OECD、タイと加盟協議を開始 東南アジア2カ国目
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGS18DXX0Y4A610C2000000/
『【バンコク=井上航介】経済協力開発機構(OECD)は18日、タイと加盟に向けた協議を始めると発表した。東南アジアでは5月に加盟審査が始まったインドネシアに続く2カ国目の候補国となる。現加盟国は米欧の国々が多いが、国際的に影響力を強める新興国に接近している。
マティアス・コーマン事務総長は18日付の声明で「東南アジアは世界で最もダイナミックな成長地域の一つだ」と強調。タイとの協議開始は「我々が戦略…
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マレーシア、BRICS加盟の意向 東南アジア2カ国目
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB18DBD0Y4A610C2000000/
『2024年6月18日 22:13
【クアラルンプール=共同】マレーシアのアンワル首相が中国メディアとのインタビューで、中国、ロシアやインドなど主要新興国でつくる「BRICS」に近く参加する意向を表明した。地元メディアが18日、伝えた。東南アジアで加盟意向を示したのはタイに続いて2カ国目となる。
中国の投資誘致や新興国の経済成長を取り込む狙い。
BRICS加盟を巡っては東南アジア諸国連合(ASEAN)間で対応が分かれるとみられ、アジア太平洋の地域的な枠組みの中心となってきたASEANの求心力に陰りが出る可能性がある。
アンワル氏はインタビューで、BRICS加盟の可能性を問われ「われわれは適切な判断を取る。近く正式な手続きに入る」と答えた。新興国や途上国からなるグローバルサウスの枠組みについては、最大限協力する考えを示した。
アンワル氏は「時代は変わった。かつては西側を選択しなければ、罰せられたかもしれないと恐れていた」と指摘し、双方の陣営と関係を維持する意向を表明した。
一方、中国の李強(リー・チャン)首相はニュージーランド、オーストラリアを歴訪後、18日にマレーシアを訪問。マレーシア外務省や関係筋によると、李氏とアンワル氏は巨大経済圏構想「一帯一路」の主要プロジェクト、マレーシア東海岸鉄道の建設現場を視察するほか、複数の経済や投資協力について覚書を結ぶという。
【関連記事】
・タイ、BRICS加盟申請へ 承認なら東南アジア初
・ロシア外相、中国との連携強調 BRICS外相会議で会談
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日ニュージーランド首脳、情報保護協定の締結で合意へ
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA1826N0Y4A610C2000000/

『2024年6月19日 9:34
岸田文雄首相は19日、首相官邸でニュージーランド(NZ)のラクソン首相と会談する。部隊の運用計画やテロ情勢といった機密情報を共有しやすくする「情報保護協定」の締結で合意する見通し。中国の海洋進出などを念頭に、インド太平洋地域で安全保障協力を強化する。
岸田首相とラクソン氏の会談は初めて。ラクソン氏は2023年10月の総選挙で中道右派の国民党を率いて当時の与党・労働党に勝利し、首相に就いたばかりだ。両首脳は会談後に共同記者発表を開き、成果をまとめた文書の発出を予定する。
締結で合意予定の情報保護協定は、相手国から提供された軍事機密などを、事前の承認なく第三国に提供することや目的外に使用することを禁止する。2国間で安保に関する機密情報の交換を円滑にする狙いがある。
日本はこれまで米国、オーストラリア、インド、韓国、北大西洋条約機構(NATO)など、9カ国・機関と情報保護協定を締結している。ウクライナとも今年2月に交渉開始で合意しており、2国間の協力を深めるための基盤となる。
NZは英語圏5カ国による機密情報共有の枠組み「ファイブ・アイズ」に参加している。日本は同枠組みのなかで、米国、豪州、英国との間で情報保護協定を発効済みで、カナダとも交渉を進めている。NZとも合意に至れば、ファイブ・アイズとより緊密な連携をとれるようになる。
情報保護協定をもとに、中国のサイバー攻撃に関する情報や、インド太平洋での中国軍の動きなどの情報を共有するとみられる。NZは23年に同国で初の国家安全保障戦略を策定し、国防力を強化すると記した。「中国がますます強硬になり、既存の国際規範に意欲的に挑戦するようになった」と指摘した。
ラクソン氏は日本訪問に先立ち、13日にNZで中国の李強(リー・チャン)首相と会談した。李氏はNZが米英豪の安保枠組み「AUKUS(オーカス)」への参加を検討していることに懸念を表明したという。
首脳会談では経済関係でも意見を交わす。サプライチェーン(供給網)の維持・強化に向けた連携も確かめる。ラクソン政権は左派の前労働党政権の政策から転換し、ビジネス重視の姿勢を鮮明にしている。
NZにとって日本は中国、豪州、米国に次ぐ第4位の貿易相手国で、乳製品やアルミニウム、果実類を輸出している。日本からは自動車など輸送用機器や鉱物性燃料を輸入している。ともに包括的・先進的環太平洋経済連携協定(CPTPP)の加盟国だ。
7月に東京で開催する予定の日本と太平洋の島しょ国・地域による「第10回太平洋・島サミット」に向けた協調も確認する。NZは歴史的に密接な関係を築いてきた太平洋島しょ国での、中国の台頭に懸念を持つ。』
イスラエルのネタニヤフ首相、米の弾薬供与制限を批判
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM192A40Z10C24A6000000/
『2024年6月19日 10:53
【エルサレム、ワシントン=共同】イスラエルのネタニヤフ首相は18日の動画声明で、バイデン米政権が一部弾薬のイスラエルへの供与を停止していることについて「あり得ない」と批判した。ブリンケン米国務長官との先週の会談でこうした意見を伝え、ブリンケン氏は「米政権は制限解除に向けて取り組んでいる」と明言したという。
米政権はパレスチナ自治区ガザ最南部ラファへのイスラエル軍の地上侵攻計画に反対し、5月に一部弾薬の輸送を停止した。ブリンケン氏は18日、ワシントンでの記者会見で、ネタニヤフ氏に制限解除を明言したかどうかについて回答を避けた。』
ユニリーバ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%90
『出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ユニリーバ
Unilever plc
ロンドンの本社「ユニリーバ=ハウス」(上)と
ロッテルダムの旧オランダ本社(下)
種類 株式会社
市場情報 Euronext: UNA
LSE: ULVR
NYSE: UL
本社所在地 イギリスの旗 イギリス
Unilever House, 100 Victoria Embankment, ロンドン
設立 1930年 (94年前)
業種 日用消費財
事業内容 生活用品製造及び販売
売上高 約507億2400万ユーロ(2020年)
営業利益 約83億300万ユーロ(2020年)
純利益 約60億7300万ユーロ(2020年)
総資産 約676.5億5900万ユーロ(2020年)
従業員数 15万5000人(2021年)
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ユニリーバ(Unilever plc)は、イギリス・ロンドンに本拠を置く世界有数の一般消費財メーカー。
食品・洗剤・ヘアケア・トイレタリーなどの家庭用品を製造・販売する多国籍企業。
戦後から世界進出に積極的であり、現在世界180ヵ国以上に支店網を擁する。
前史
イギリスの石鹸会社「リーバ・ブラザーズ(Lever Brothers)」と、オランダのマーガリン会社「マーガリン・ユニ(Margarine Unie)」が、1930年「ユニリーバ」として経営統合した[1]。
リーバ・ブラザーズ
食品卸を営んでいたウィリアム・ヘスケス・リーバ(英語版)が、1885年にウォリントンの工場を買収し、パーム油を原料とした石鹸製造を始めたのが起源とされる。
リーバ・ブラザーズはイギリス領西アフリカやベルギー領コンゴで原料のパーム油を調達していたが、暫くするとドイツ帝国とアメリカ合衆国が太平洋諸島への植民を推進し、1900年代初頭にはパーム油が不足する事態となった。
このためリーバ・ブラザーズは原料確保のためにトラスト化を推進、同業のピアーズ石鹸(Pears)やBOCM(British Oil and Cake Mills Ltd.)のみならず、アイスクリームやソーセージ・ミートパイを製造していたウォールズ(英語版)も買収し食品製造にも進出。
第一次世界大戦でドイツからの貿易がストップすると政府の要請でマーガリン製造を請負い、オランダ製のマーガリンと激しく競争することになる。
マーガリン・ユニ
1867 年にアントニウス・ヨハンネス・ユルゲンス(オランダ語版)が創業した油脂会社が淵源であり、1871 年にイポリット・メージュ=ムーリエ(フランス語版)のマーガリンの特許と権利を取得してマーガリン製造を開始した。
やがて同業のサミュエル・ヴァン=デン=バーグ(オランダ語版)とカルテルを組み、1927年にはこれまた同業のシヒトとセントラをも統合してマーガリン・ユニを創立。
オランダに於けるマーガリン・石鹸・硬化油の製造販売に於ける独占的な地位を築いた。
これに加えてピーナツバターを製造していたカルヴェ(オランダ語版)も統合に加わった。[2]
経営統合
リーバ・ブラザーズとマーガリン・ユニは世界恐慌に直面して結局はユニリーバという大同団結を果し[注 1]、恐慌対策委員会を立ち上げてがんばるのだが、溝は埋まらなかった。
慢性的に英蘭各法人の収益割合が1対2であった。
そこで1937年、イギリス法人のクーパー(D’Arcy Cooper)が、オランダ法人へリーバー・ブラザーズUSなどの海外資産を売却のうえ企業再編を実現した。[2]
1939年、国際決済銀行総裁ヨハン・バイエン(Johan Beyen)がユニリーバの重役となった[3]。
同年4月、ドイツ・ユニリーバの社長としてBIS・ライヒスバンク勤務暦のあるカール・ブレッシング(Karl Blessing)が招かれている[4]。
実際、ユニリーバはドイツに多くの大工場をもちナチス・ドイツの経済に対応していた。
1941年7月、クーパーは準男爵(Cooper Baronetcy of Singleton in the County of Sussex)となった。
技術の渉猟と経営の拡大
第二次世界大戦によってユニリーバのエンジニアが不足していることが明らかになり、プロクター・アンド・ギャンブルと終戦後に合成洗剤開発を提携するという応急措置がとられた。
ユニリーバはこれをきっかけに化学工業へ進出した。
初期の製品は河川の汚染をもたらしたが、1965年までに対策が行われた無害な製品を販売するようになった。
ポート・サンライトは化学製品と木材(なめし剤になる。フォレスタルを参照)の研究センターとしてリニューアルされた。
コルワース・ハウス(Colworth House)でも、保存料・歯磨き・シャンプーなどの研究が行われた。
研究所は欧米とインドの各地にも設置された。
そしてバターの代替品という地位からマーガリンを昇華させるべく、オランダのフラールディンゲン研究所は大豆油脂を精製する技術に磨きをかけた。[2]
研究を支えるために経営も拡大した。
1961年、アイスクリームのグッド・ユーモア(Good Humor)を買収(同年、ドメストも買収)。
1969年にブルウェリーズ同盟(Allied Breweries)を当局の認可も得て合併しかけたが、自社株の価格下落により失敗した。
気を取り直して1971年にリプトンを買収。
1978年にはナショナル・スターチ(National Starch and Chemical[5])を買収した。
ナショナル・スターチはトウモロコシやジャガイモを製粉するところからスタートして、糊などの有機化学製品を売るようになった多国籍企業であった。
そのあとユニリーバは流通部門(包装・輸送・広告)を売り払い、1984年から1989年にかけてブルックボンド(Brooke Bond)を皮切りに80社ほどを次々と買収した。
1984年はユニリーバにとって記念的であった。
自社洗剤のウィスク(Wisk)がプロクター・アンド・ギャンブルのチア(Cheer)を(世界シェアで)上回ったのであった。
1986年、クエスト・インターナショナル(Quest International、現・ジボダン)の子会社ナールデン(Naarden International)を買収、同年ポンズも社史最大規模で買収した。
1989年、シェリング・プラウのヨーロッパ香水事業と、ファベルジュ(Fabergé)を買収した。[2][注 2]
ABB出身の会長
ベルリンの壁崩壊の翌年、ユニリーバは旧東ドイツでマーガリンをつくりはじめた。
1991年、買収によりポーランドへ進出した。
欧州連合発足まで域内事業を一大化学トラストへ再編する一方、ユニリーバの経営は世界へ拡大し、アジアへ堰を切ったように展開された。
1996年9月、英蘭両法人を1929年から統括してきた三人の特別委員会が、収益性の高い部門からも代表を招いて七人で構成されることになった。
そしてキャタピラー重機のイギリス支店を売却するなどのリストラに手をつけた。
翌年、ナショナル・スターチやクエストをふくむ化学部門をインペリアル・ケミカル・インダストリーズに80億ドルで売却した。
この取引は46億ドルの純益となり、その一部はユニリーバの28億ドルにおよぶ社債を償還した。
1998年、PBICをモンサントに売却した[6]。
ユニリーバは同年、自社が保有する各ブランドの収益を分析し、翌年に総収益の九割を稼ぎ出す強力なブランド以外を売却してゆく方針を明らかにした。
エリザベス・アーデン、ユニパス(Unipath)などが売られ、ユニリーバは2004年末までに急速なスリム化を達成した。[2][注 3]
2004年9月、イギリス法人のトップがピアソン出身のパトリック(Patrick Cescau)というフランス人に交代した。
翌年春からパトリックはグループ全体の社長としてリーバ・ハウスから指令を出すようになった。
2005年7月、ユニリーバはカルバン・クラインやヴェラ・ウォンの香水ブランドをフランスのコチ(Coty, Inc.)へ売却した。
翌年11月には欧州の冷凍食品事業をまとめてプライベート・エクイティ・ファンド(Permira)に売却した。
2007年5月、オランダ代表を務めていたユニリーバ会長が元アトラスコプコ・エレクトロラックス社長ABBグループ現重役のミハエル(Michael Treschow)に交代した。
社史で初めてのアウトサイダーである彼は、就任から4年以上かけて欧州を中心とした20億ユーロほどの事業整理を通して2万人をリストラした。
整理の対象となった事業には思い出深いウィスクもあった。世界金融危機はユニリーバを中印とロシアへ駆り立て、欧米の事業整理を促した。[2][7]
2010年、サラ・リー(Sara Lee Corporation)から世界のボディケア事業とヨーロッパの洗剤事業を買収した。
2011年4月、プロクターやヘンケルとカルテルを結んでいたとして欧州委員会から1.04億ユーロの制裁金を課された。
2013年と2014年に3%の収益減を記録した。
2017年2月にクラフト・ハインツからレバレッジド・バイアウトをしかけられたが、ユニリーバは買収提案を拒否し、クラフト・ハインツは発表後2日で提案を撤回した[8]。
この事件はイギリス首相のテリーザ・メイが精査を命じていた。
これを切っ掛けとして祖業の一つだったマーガリン・ペースト部門をコールバーグ・クラビス・ロバーツ出資によるアップフィールド社(オランダ語版)としてスピンオフした。
2020年11月30日、1930年以来の2本社制を放棄し、本社機能をロンドンに一本化した[注 4]。
2020年には消費者の嗜好の変化により売上が伸び悩んでいたリプトンなどの紅茶事業の売却の検討を開始し[9]、2021年にエカテラ(現:リプトン・ティーアンドインフュージョン)として分社化した。
同年11月にエカテラをCVC キャピタル・パートナーズに45億ユーロで売却することで合意し、2022年7月に取引を完了させた。
なお、インド・インドネシア・ネパールの紅茶事業およびペプシコとの合弁事業であるリプトンブランドのペットボトル飲料事業は売却の対象外となっている[10][11]。
世界各国の支社
日本では、ユニリーバPLCが100%出資しているユニリーバ・ジャパン株式会社(旧・日本リーバ)を拠点に事業展開しており、9割以上が化粧品主体というスタンスを取っている。
それ以外の国では洗剤関連においては基本的に積極的な姿勢をとっている。
アメリカ合衆国法人は、リーバ・ハウスを拠点として1960年代にエド・サリヴァン・ショーのスポンサーとなり、リプトン紅茶や、当時は化粧乳液配合の化粧石鹸として展開していたラックスなどのコマーシャルを放送していた。
インドネシアでは、製品原料であるパームオイルの生産加工工場を稼働させている。
北スマトラ州シマングン県セイ・マンケイ経済特区でパームヤシ資源の要地である。
広告も世界展開しており、ユニリーバはサッカーオランダ代表とバレーボールオランダ女子代表のオフィシャルスポンサーとなっているほか、2023 FIFA女子ワールドカップと2026 FIFAワールドカップの大会公式スポンサー契約を締結[12]。
日本では2023年12月までテゲバジャーロ宮崎の本拠地の命名権(ユニリーバスタジアム新富)も取得していた。
ユニリーバが展開する主なブランド
☆印はユニリーバ・ジャパンで取扱されているブランド[13]。
近年では、選択と集中[注 5] を推進するなどブランドマネジメントに積極的に取り組んでおり、収益を堅調に伸ばしている[14]。
食品
ウォールズ・アイスクリーム:アイスクリーム
ポットヌードル:カップラーメン
ビエネッタ:アイスクリーム
ポプシクル:アイスクリーム
ベン&ジェリーズ:アイスクリーム
マーマイト:食品
クノール:食品 - ユニリーバに買収される以前に味の素と提携、同社が発売(グループ会社・クノール食品に生産委託)。
パーソナルケア用品
Axe(アックス):男性用化粧品 ☆
LUX(ラックス):石鹸をはじめとするトイレタリー ☆
Dove(ダヴ):スキンケア、ヘアケア製品 ☆
CLEAR(クレア):シャンプー☆
モッズ・ヘア:ヘアケア製品 ☆
ポンズ:スキンケア製品 ☆
レセナ:デオドラント製品 ☆
ヴァセリン:スキンケア製品 ☆
ティモテ:ヘアケア製品
シグナル(Signal):歯磨剤
綿棒 : Q-Tipsという商品名で知られる
トニーアンドガイ:ヘアケア製品
ホームケア用品
ジフ:クレンザー ☆
ドメスト(Domestos):除菌クリーナー ☆
その他
2020年6月26日、ユニリーバはアメリカで「二極化された選挙(2020年アメリカ合衆国大統領選挙の)期間」が続くことを考慮し、年末までSNSへのインターネット広告の出稿を取りやめることを発表した[15]。
脚注
[脚注の使い方]
注釈
^ 蘭英両本社の取締役会を同一人物で構成。
^ ファベルジュはピーター・カール・ファベルジェのころから同族経営であったが、1951年にブランドが売却されていた。
^ オールレッドラインの再構築により、系列から外れた企業もある程度コントロールできる時代が到来していた。
^ “Completion of Unilever’s Unification” (英語). ユニリーバ (2020年11月30日). 2020年12月1日閲覧。 2020年11月まで、ロッテルダムのユニリーバNV、ロンドンのユニリーバPLCの2本社制であった。NVがユーロネクスト・アムステルダムとニューヨーク証券取引所(ティッカーUN)に、PLCがロンドン証券取引所とニューヨーク証券取引所(ティッカーUL)に株式を上場していたが、本社機能の一本化に伴いユニリーバNVは上場廃止され、ユニリーバPLCがロンドンに加えアムステルダムとニューヨークに上場する形態に変更された。
^ ブランド数を絞り込んで資金の集中投下を図る戦略。他社の好例はダノン。
出典
^ “Our history” (英語). ユニリーバ. 2016年12月31日閲覧。
^ a b c d e f International Directory of Company Histories, Vol.178.
^ Lionel Robbins and James Meade, The Wartime Diaries of Lionel Robbins and James Meade, 1943–45, Springer, 1990, p.170, bottom
^ Adam LeBor, Tower of Basel: The Shadowy History of the Secret Bank that Runs the World, PublicAffairs, 2014, p.183.(アダムレボー 『BIS国際決済銀行 隠された歴史』 成甲書房 2016年)
^ International Directory of Company Histories, Vol. 49. St. James Press, 2003.
^ PBIC: Plant Breeding International Cambridge
^ ミハエルの出身について、ABBグループ重役であったことを示すPDF: Profile ABB
^ “クラフト・ハインツ、ユニリーバへの買収提案を撤回”. ロイター (2017年2月20日). 2018年3月17日閲覧。
^ “「リプトン」売却も、ユニリーバが紅茶人気衰退で検討”. Bloomberg (Bloomberg L.P.). (2020年1月31日) 2024年6月11日閲覧。
^ “ユニリーバ、「リプトン」など紅茶事業売却 5800億円で”. 日本経済新聞 (株式会社日本経済新聞社). (2021年11月19日) 2024年6月11日閲覧。
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^ “Unilever personal care brands unveiled as Official Sponsors of FIFA Women’s World Cup 2023™”. FIFA. 2023年5月12日
^ “Our brands” (英語). ユニリーバ. 2016年12月31日閲覧。
^ “Acquisitions& disposals” (英語). ユニリーバ. 2016年12月31日閲覧。
^ “ユニリーバ、FBなど3大SNSで広告停止 米国で年末まで”. AFP (2020年6月27日). 2020年6月21日閲覧。
外部リンク
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マルク・ルッテ
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『出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オランダの旗 オランダの政治家
マルク・ルッテ
Mark Rutte
2023年
生年月日 1967年2月14日(57歳)
出生地 オランダの旗 オランダ デン・ハーグ
出身校 ライデン大学
前職 政治家
公務員
教員
所属政党 自由民主国民党
称号 文学修士
サイン
公式サイト [2]
オランダの旗 オランダ
第50代首相
在任期間 2010年10月14日 – 現職
国王 ベアトリクス
ウィレム=アレクサンダー
オランダの旗 オランダ
教育・文化・科学政務次官
在任期間 2004年6月17日 – 2006年6月27日
国王
首相 ベアトリクス
ヤン・ペーター・バルケネンデ
オランダの旗 オランダ
社会問題・雇用政務次官
在任期間 2002年7月22日 – 2004年6月17日
国王
首相 ベアトリクス
ヤン・ペーター・バルケネンデ
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マルク・ルッテ(オランダ語:Mark Rutte、1967年2月14日 – )は、オランダの政治家。
自由民主国民党 (VVD)所属。
同国第50代首相。社会問題・雇用政務次官、教育・文化・科学政務次官を歴任した。
2006年5月31日には党首に選出され、第二院の会派代表となるべく教育・文化・科学政務次官を辞任した。
概説
2006年の総選挙で自由民主国民党の比例名簿筆頭候補者(lijsttrekker) となった。
2010年の総選挙でも比例名簿筆頭候補者となり、この選挙では自由民主国民党が第1党となった。
2010年10月8日、ルッテは組閣担当者 (Formateur)、すなわち次期首相に指名された。
キリスト教民主主義系政党や労働党以外の政治家の首相就任は、1913年から1918年のピーター・コルト・ファン・デル・リンデン以来となった[1]。
経歴
政界入りまで
1967年2月14日にデン・ハーグに誕生する。
ルッテはヒムナシウムに通い、1979年から1985年までの間に特に芸術を専攻した。
元々音楽学部へ進学してコンサート・ピアニストを志していたが、実際には1992年までライデン大学で歴史学を学んだ。
その傍らでルッテは自由民主国民党の青年団体である「自由と民主主義」の役員を務め、1988年から1991年にかけては代表を務めた。
大学を卒業後は就職し、ユニリーバに勤務した。
1997年までユニリーバで人事に携わり、組織再編では主導的な役割を果たした。
その一方で1993年から1997年まで自由民主国民党の全国委員会の委員を務めた。
1997年から2000年まではユニリーバの子会社で人事部長を務める。
2000年にはコーポレート人事グループに入る。
2002年からはユニリーバの別の子会社で人事担当取締役に就任する。この時同時に同年の総選挙に備えて自由民主国民党の候補者委員会の委員も務めた。
政歴
2002年にルッテは第1次バルケネンデ政権で社会問題・雇用政務次官に任命され、2003年の総選挙後も同職に再び任命された。
在職中にルッテは地方自治体における福祉・労働安全・衛生に携わった。
2003年の総選挙で立候補し、1月30日から5月27日までの短期間ながらも第二院の議員となった。
2004年6月17日、ルッテはアンネッテ・ナイスの後任として教育・科学政務次官に任命された。
教育・科学政務次官就任を要請されたとき、ルッテには選択の余地がほとんどなかった。
ルッテは次第に自由民主国民党の指導部で頭角を現していき、2006年の地方選挙では選挙責任者となった。
在任中にルッテは高等教育制度をより国際的に競争力を持たせようと力を入れ、教育市場における消費者としての学生の地位を向上しようとするなど、教育制度をより市場志向に変えようとした。
2006年党首選挙
2006年の地方選挙で自由民主国民党が敗北し、ヨジアス・ファン・アールトセンが党首を辞任したことで党内では比例名簿筆頭候補者、すなわち党首を選挙することとなり、ルッテはリタ・フェルドンク、イェレケ・フェーネンダールとその座を争った。
2006年5月31日、ルッテは党員の51.5パーセントの支持を得て当選した。
このときルッテには党指導部やフランク・ドゥ・グラフェ元防衛相、ロッテルダムのイヴォ・オプステルテン市長、フリースラント州のエド・ナイペルス州知事ら有力政治家が支援した。
また自らが代表を務める青年団体「自由と民主主義」もルッテを支持した。
この選挙期間中にルッテは「党をみんなのものにする。エリートだけの党にしない」と約束した。ルッテの若さを前面に出した姿は労働党のワウテル・ボス元党首の姿に重ねられた。
比例名簿筆頭候補者となると、ルッテは党の雰囲気を「特権的な少数」ではなく誰もが快適なものと感じられるように変えていきたいということを前面に打ち出した。
また労働党の社会保障制度は保守的すぎるとして、次の総選挙後には連立を組まないとも述べた。
このころルッテは当時連立を組んでいたキリスト教民主アピールについて、「自由民主国民党とうまくやっていける党」としていた。
2006年6月28日、ルッテは教育・科学政務次官を辞任し、自由民主国民党の議会会派代表として議員に復帰した。
2006年総選挙
2006年の総選挙で自由民主国民党はルッテをリーダーに掲げる戦略を打ち出したが、これは出だしでつまずくこととなった。
このときルッテに対して、党内から選挙戦略について批判が起こったのである[2]。
ルッテはリタ・フェルドンクやヘリット・ ザルムといった党の議員から、ワウテル・ボスやヤン・ペーター・バルケネンデといった次期首相候補と比べると見劣りがすると言われたのであった。
11月27日に開票の結果が明らかとなり、ルッテが553,200票を得たのに対してフェルドンクは620,555票を得たことがわかった[2]。
その後、フェルドンクの党に対する批判が繰り返され、2007年9月14日、ルッテはフェルドンクを議会会派から除名した。
首相時代
2010年の総選挙でルッテは、ふたたび自由民主国民党の比例名簿筆頭候補者となった。
自由民主国民党はこの選挙で勝利し、31議席を得て院内最大会派となった[1]。
総選挙の結果を受けて4カ月近くにわたって連立協議が続けられ、21議席を得たキリスト教民主アピールと少数連立政権を発足させることで合意した。
この連立政権は、24議席を得た自由党の閣外協力を受けることになった。
規程では2015年5月までルッテ政権は続く予定であったが、経済政策を巡って自由党と折り合いがつかなかった。
緊縮財政を巡って自由党党首のヘルト・ウィルダースが交渉の席を蹴ったため2012年4月23日、ルッテは内閣総辞職を発表し政権は崩壊した[3]。
2012年9月12日に総選挙が行われ、自由民主国民党が第1党を維持[4]。第2次ルッテ政権が発足した。
2017年3月15日投開票の総選挙では自由党のウィルダースと首相の座をかけて争い、ルッテが率いる中道連合が勝利を収めた[5]。
だが、連立交渉は難航し、4党による連立政権樹立がまとまったのは選挙から7カ月を経た10月10日のことであった[6]。
こうして発足した第3次内閣は2018年後半より数々の試練に見舞われたが、その中でも育児補助金を不正に受給したとして数千人が誤って告発され、補助金を国庫へ返還するよう命じられるという事件は大問題となり、政権の命取りとなった。
2021年1月15日、ルッテはウィレム=アレクサンダー国王に内閣総辞職を表明[7]。
3月15-17日の総選挙では自由民主国民党が第1党を維持し、連立政権全体でも過半数を維持した[8]もののルッテの連立交渉が批判を浴びるなど組閣は難航[9]し、選挙から271日間という史上最長の時間をかけて、12月13日になりようやく第3次内閣を構成した4党が連立政権樹立で合意した[10]。
2023年7月7日、難民流入抑制策を巡る与党間の協議が決裂したことを受け、ルッテは内閣総辞職を表明した。
戦争を逃れオランダに滞在する難民の子の入国を制限し、家族の合流まで最低2年間待たせるとのルッテの提案への支持を、連立政権の4党のうち2党が拒否したことによるもの[11]。
同月10日、ルッテは議会での演説で「選挙後に新内閣が発足すれば私は政界を去ることになる」と述べ、政界を引退する考えを表明した[12]。
8月14日にディラン・イェスィルギョズ=ゼヘリウス(英語版)司法相が後任の自由民主国民党党首に就任し、ルッテは17年間務めた党首から退いた[13]。
選挙責任者のステフ・ブロークと総選挙の勝利を祝う(2010年6月10日)
選挙責任者のステフ・ブロークと総選挙の勝利を祝う(2010年6月10日)
左からエストニアのアンドルス・アンシプ首相、デンマークのヘレ・トーニング=シュミット首相、ドイツのアンゲラ・メルケル首相、ルッテ(2012年2月13日)
左からエストニアのアンドルス・アンシプ首相、デンマークのヘレ・トーニング=シュミット首相、ドイツのアンゲラ・メルケル首相、ルッテ(2012年2月13日)
北京を訪問(2013年11月16日)
北京を訪問(2013年11月16日)
左からルッテ、ウォプケ・フックストラ副首相、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領(2022年2月2日)
左からルッテ、ウォプケ・フックストラ副首相、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領(2022年2月2日)
主張
近年に高まる反多文化主義により、自身をオランダに移民を増やしている元凶として批判することで人気を増やしているウィルダースに対抗するため、ルッテは移民男性がオランダの習慣を拒否したため採用されなかったとして企業が差別的として批判されていたことに触れ、『もしオランダに住んでいて不満があるなら方法がある。出ていくがよい!オランダにいる必要はない!』とオランダ社会に移民が価値観を押し付けることを批判した[14]。
脚注
^ a b “The Netherlands shifts to the right” (英語). nrc.nl (2010年6月10日). 2010年10月1日閲覧。
^ a b “Onvrede binnen VVD over Rutte” (オランダ語). Algemeen Dagblad (2006年10月31日). 2010年10月1日閲覧。
^ “オランダで内閣総辞職、財政緊縮策めぐり政党間協議決裂”. AFPBB News. (2012年4月24日)
^ “オランダ総選挙、ルッテ首相が勝利宣言 他党との連立交渉に入る” (日本語). 産経新聞. (2012年9月13日) 2013年2月13日閲覧。
^ 「オランダのトランプ」敗北宣言 「愛国主義止まらぬ」『朝日新聞』2017年3月16日閲覧。
^ “オランダ4党が連立で合意、総選挙から7カ月経て”. ロイター (ロイター). (2017年10月11日) 2017年10月14日閲覧。
^ “Rutte confirms Cabinet resignation; Says covid crisis management won’t change”. NL Times. (2021年1月15日) 2021年1月16日閲覧。
^ “オランダ総選挙、連立与党が過半数か ルッテ政権続投へ”. 朝日新聞. (2021年3月18日) 2021年12月17日閲覧。
^ “オランダの組閣作業が難航、議会が首相の非難決議採択”. ロイター. (2021年4月2日) 2021年12月17日閲覧。
^ “オランダ4党、ようやく連立合意 選挙から271日、最長記録更新”. 47NEWS. 共同通信社. (2021年12月14日) 2021年12月17日閲覧。
^ “オランダ内閣総辞職へ 難民抑制策巡る協議決裂”. 産経ニュース. 産業経済新聞社. (2023年7月8日) 2023年7月8日閲覧。
^ “オランダ首相が引退表明 難民政策巡り政権崩壊”. 産経新聞. (2023年7月10日) 2023年7月10日閲覧。
^ “Dutch Justice Minister Becomes New Leader of Rutte’s VVD Party”. bloomberg.co.jp. ブルームバーグ. (2023年8月14日) 2023年11月25日閲覧。
^ [1]「「いやなら出ていけ」 オランダ首相が意見広告 反移民ムード背景か」,BBC,2017年01月24日.
外部リンク
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Mark Rutte(オランダ語) - 自由民主国民党による
Rutte, M.(オランダ語) - 第二院による
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公職
先代
ヤン・ペーター・バルケネンデ オランダの旗 オランダ首相
第50代:2010年10月14日 – 現職
オランダの旗 オランダ総務大臣
2010年10月14日 –
先代
アンネッテ・ナイス オランダの旗 オランダ
教育・文化・科学政務次官
2004年6月17日 – 2006年6月27日 次代
ブルノ・ブラインス
先代
ハンス・ホーヘルフォルスト (en) オランダの旗 オランダ
社会問題・雇用政務次官
2002年7月22日 – 2004年6月17日 次代
ヘンク・ファン・ホーフ
党職
先代
ヨジアス・ファン・アールトセン(英語版) 自由民主国民党党首
2006年5月31日 – 2023年8月14日 次代
ディラン・イェスィルギョズ=ゼヘリウス(英語版)
自由民主国民党第二院院内会派代表
2006年6月28日 – 2010年10月8日 次代
ステフ・ブローク (en)
表話編歴
オランダの旗 オランダの首相
表話編歴
欧州連合の旗 欧州理事会
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オランダの首相オランダの歴史学者オーストラリア勲章受章者ユニリーバの人物オランダのLGBT人権活動家ハーグ出身の人物ライデン大学出身の人物1967年生存命人物
最終更新 2024年6月1日 (土) 15:45 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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』
次期NATO事務総長、オランダのルッテ首相が「有力」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR31C320R30C24A5000000/
『2024年6月19日 2:55
【ブリュッセル=辻隆史】北大西洋条約機構(NATO)のストルテンベルグ事務総長は18日、訪問先のワシントンで記者会見し、オランダのルッテ首相が自身の後任の「有力候補だ」と明言した。2010年からオランダ首相を務めるルッテ氏の豊富な外交経験を評価した。
ストルテンベルグ氏の任期は10月1日までで、後任の決定には32の全加盟国の同意が必要となる。ストルテンベルグ氏はルッテ氏を充てる人事について「加盟…
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