なんと!社員約700人なのに1800人が出席?凄いスクープだな
https://x.com/himuro398/status/1804498139430490336

去年の衆院補選千葉5区で自民党議員が挙って応援した英利アルフィヤってニトリの執行役員英利アブライティの娘だったんですね。
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https://x.com/kkk07572207/status/1804821153254424746






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『日本国憲法「第八章 地方自治」(第92条〜第95条)の条文は以下の通りです。 [1] (/goto?url=…
『日本の地方自治体の首長(知事や市町村長)によるハラスメント行為が後を絶たない背景には、個人の資質の問題だけで…
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台湾の自立意識 – 風来庵風流記
https://blog.goo.ne.jp/mitakawind/e/d9fd921d7e4457a2258bbd19b0186207
『台湾で頼清徳氏が新総統に就任することに決まってから、どんな就任演説をするか注目された。
前総統の蔡英文さんは、就任演説で「中台関係」や「中国」を表現する際、「両岸関係」や「対岸」など、今から思えば穏やかな言葉を使ったが、頼清徳氏は「中国」で通したそうだ。中台が「一つの中国」原則を確認したと中国が主張する「1992年コンセンサス」には全く言及せず、この5000字余りの演説の中で、「中華民国」という呼び名を9回、「中華民国台湾」を3回繰り返したそうだ。さすが筋金入りの独立派で、確信犯である。
これを息を殺して見ていた中国が面白かろうはずはない。早速、人民解放軍を派遣して威圧して見せる、いつもの嫌がらせをした。
全体として、「独立」そのものは封印したものの、台湾における台湾アイデンティティの高まりを捉えて現状維持を主張するという、彼としては抑制気味ながらも、彼自身のアイデンティティを支持する人にもぎりぎり応える内容だったように思う。その上で、頼氏は「中国からの様々な威嚇や浸透工作」に対処するため、国防力を強化し、経済安全保障を構築して、「世界の民主主義国家」と連携を進める考えを示した。
ウクライナ情勢は、ユーラシア大陸の東端の台湾にも影を落とす。ウクライナ制圧というプーチンの妄動を易々と許すならば、習近平をも台湾制圧へと駆り立てると言われて来た。ロシアと地続きのウクライナと違って、台湾島を軍事制圧するのはそれほど簡単ではなさそうで、余程の覚悟が要りそうだが、やや手垢に塗れたと言えるかもしれないハイブリッド戦ならお手軽で、既に始まっている。そして、プーチンの非道に立ち向かうウクライナ国民を、NATOを始めとする自由民主主義諸国が支える構図に乗じて、頼清徳氏も自由民主主義諸国への働きかけを強めて行く。
話は変わるが、最近、宋美麗の伝記を読んだ。悪名高い?宋三姉妹の三女で、蒋介石に嫁いだ。因みに次女は孫文に嫁ぎ、長女は財閥に嫁いだ(長女の旦那は中華民国の行政院長(NO.2)にも就いた)。20世紀前半の中国で栄華を極め、中国の運命を左右したと言われるファミリーである。混乱を極めた当時、10%をピンハネするだけでも莫大である。1949年に大陸を追い出された蒋介石に対してアメリカが冷たかったのは腐敗が酷かったからだと言われるのも分かる気がする。習近平は権力闘争で反腐敗を旗印にしたが、このあたりは東洋的専制の体質だろう。
それはともかく、宋美麗はアメリカ留学経験があり、南部訛りの流暢な英語を操り、蒋介石が軍人あがりで、さばけた人ではなかったので、彼女が蒋介石の通訳をしたり、アメリカ・メディアのインタビューを受けたり、寄稿したりして、アメリカ世論に多大な影響を与えたと言われる。ルーズベルト大統領夫人に取り入り、米国史上、議会演説した外国人女性としてはオランダ女王に次ぐ二人目で、全米にラジオ放送され、また、タイム誌の表紙には、1927年に蒋介石と結婚した時の顔写真が掲載されて以来、1955年までの28年間に、二人の写真が実に11回、宋美麗単独では4回も掲載されたらしい(譚璐美著『宋美麗秘録』より)。日本はついぞ大陸の戦闘で中国に負けたことはなかったが、世論戦で負けたとも言える。
今も東アジアで行われているのは、世論戦を含む認知戦である。GDP比2%の軍事費も重要だが、私たちに認知戦への備えは出来ているだろうか。』
中国EV、カナダも追加関税へ 低価格車の大量流入警戒
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN21EKI0R20C24A6000000/
『2024年6月22日 6:34
【ワシントン=八十島綾平、ニューヨーク=川上梓】欧米各国が、中国製の安価な電気自動車(EV)への警戒を強めている。米国と欧州連合(EU)に続き、カナダも追加関税を課す検討に入ったと報じられた。中国政府は過去15年間で少なくとも2308億ドル(約37兆円)もの支援をEV育成に投じてきたともされており、巨額支援のもとで競争力を高めた車の流入を防ぐ動きは、今後も広がる可能性が高い。
ブルームバーグ通信…
この記事は会員限定です。登録すると続きをお読みいただけます。』
米財務省、中国向け投資規制の細則公表 AIなど先端分野
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN21ER80R20C24A6000000/
『2024年6月22日 5:30
【ワシントン=高見浩輔】米財務省は21日、人工知能(AI)など先端分野で導入する中国向けの投資規制について細則を公表した。取引を禁止したり、米財務省への届け出を求めたりする品目などを整理した。今後、幅広く意見を聴取して最終決定する。
バイデン政権は2023年8月に対中投資規制を導入すると表明した。AIのほか、半導体と量子技術が対象となる。米財務省高官は同日、記者団に「国家安全保障に関わる分野に的…
この記事は会員限定です。登録すると続きをお読みいただけます。』
研究室紹介OPAL-RING 庄野 研究室
https://www.uec.ac.jp/research/information/opal-ring/0005365.html




※ 今日は、こんな所で…。
『ベイズ推定を使った画像修復とCT画像のパターン認識
所属 大学院情報理工学研究科
総合情報学専攻
メンバー 庄野 逸 教授
所属学会 電子情報通信学会、日本神経回路学会、日本物理学会、情報処理学会、IEEE
研究室HP http://daemon.inf.uec.ac.jp/ja/
印刷用PDF
庄野研究室(PDF:849KB)
掲載情報は2015年8月現在
庄野 逸
Hayaru SHOUNO
キーワード
ベイズ推定、PET画像、ベイズ定理、画像修復、画像認識、ニューラルネット、ディープラーニング
研究概要
PET画像が抱えるジレンマを解決するための研究
昨今では、体の異常を調べるために、CT(コンピュータ断層撮影)やPETスキャナが使われるようになった。これにより、病巣を発見する技術や予防医学などが急速に発展し、医療業界に大きな変革を与えた。
ただし、これらのスキャナはレントゲンと同様に放射線を使い、体の内部を輪切りにした断層画像を撮影し表示する装置であるため、画像を撮るために被曝するといった短所がある。つまり、きれいな画像を得るためには放射線源を強める必要があるが、被曝の度合いが増えるので、線量をある程度制限しながらも、できるだけきれいな画像を表示しなければというジレンマを抱えているのだ。
ベイズ推定の確率論的手法による画像修復技術
当研究室では、数理手法を使った画像修復技術で、このジレンマを解消するための研究を行っている。(既存のPETやX線CTは、投影データから分布(構造)を画像として再構成する。この投影データはラドン変換で記述される。)
その際に、当研究室が研究している画像修復の手法を使って本物の画像らしさの要素を加えることで、よりクリアな画像を実現した。画像修復とは本物が持っている画像らしさを確率モデルで表したもので、当研究室ではベイズ推定の確率論的手法を使ってこれを実現している。
画像らしさの一つの例として、「隣り合っているピクセルが似ている」という知識を導入し、観測データとのバランスを取るところで、ベイズ推定を利用した。
この方法を使うことで、おおよそ確からしい画像を作り出すことができる。
ただし、観測したデータと画像らしさのバランスはきちんと設定する必要があるので、数理的にバランスを調整する手法を採用している。
従来の方法では、ノイズが増えるとざらついた感じになってしまい、画像の認識が難しくなる。
当研究室は、ベイズ推定の確立方式を使って、本当の画像らしさの要素をブレンドすることにより、ノイズが増えることで画質は悪くなるものの、画像認識においては従来方法に比べてかなりの成果を得ることができた。
難治性肺疾患発見のための人体の画像認識の研究
画像修復の他にも、画像認識の研究も行っている。
これは、CTでスキャンした画像からシステマティックに病気の箇所を見つけ出すというものだ。
当研究室がターゲットにしているのは、びまん性肺疾患という難治性の病気だ。
この病気は肺炎や肺がんのような系統だったクラス分けができておらず、病変領域を拡大させないことが重要とされている。
医師としては病変領域の早期発見が重要視されているので、撮り貯めたCT画像の中から病巣を見つけ出し、病変の診断を行う必要がある。
そこで、パターン認識を使ってCT画像の中からびまん性肺疾患のクラスを導き出す作業を行っている。
ベイズ画像再構成法と従来手法との比較。ベイズ画像再構成法が原画像に近い再構成を行うことができる。(PET ファントムデータは,東京都健康長寿医療センター提供による)
具体的には、CT画像から特徴を抽出する作業とパターン認識器を組み合わせることだ。
認識器は確率方式を組み合わせた手法を使った。
通常は人間の視覚に合わせて特徴量を作ってやることで認識することができるのだが、この場合は普段見慣れないパターンなので、特徴量をディープラーニングといったニューラルネットワークの技法で算出している。
人体の画像認識は簡単ではない。
2次元の画像だと単なる丸として扱われるものが、3次元で見ると実は血管であったということも起こりうるのだ。
このように、人体の画像認識は3次元的に行うのが正しい。
当研究室で開発した特殊なパターン認識を導入することで、現在では8〜9割程度は解析できるようになった。
アドバンテージ
ベイズ推定の大量の計算を効率良く行うアルゴリズム開発
まず、ベイズ推定に関しては、かなりのアドバンテージがあると自負している。
当研究室が利用した方式だと、隣のピクセルと似ているといった知識を入れ、ベイズ推定の膨大な計算を効率良く求めることを可能にした。この点で、他の研究室をリードしていると言えるだろう。
ベイズ推定は大量の計算を行わなくてはならない計算手法だ。
例えば16×16(=256)ピクセルの白黒画像という小さな画像を処理する場合でも、全ての取り得る画像を勘案すると2の256乗の場合を考えなくてはならない。
そのため、昔からベイズ推定が良いことは分かっていたが、計算量が膨大になってしまうことで、実際はあまり使われていなかったのだ。
パターン認識の難しい人体画像を扱っている強み
また、普通でない画像を扱っていることが、当研究室のもう1つの大きなアドバンテージだと言える。
人体のパターン認識を行うことは非常に難しい。
2次元の画像であっても、常に立体を意識しなければならない。これは一朝一夕に確立できるものではない。
このような認識の難しい画像に対してディープラーニングなどの技術を活かし、あまり馴染みのない特徴の抽出し、3次元模様の再構築、さらには時間的な要素を加えた4次元データへの活用を提案していきたい。
今後の展開
医師の負担を軽減する診断支援の手法を研究したい
X線CT撮影装置と再構成画
当研究室の研究が、医師の手助けになればと思っている。
セカンドオピニオン制度が設けられ、1人の医師がより多くの患者を診るようになった。
さらに、撮像デバイスの進化は著しく、最近では1回のスキャンで1人の患者に対して500枚以上の画像情報が得られるようになり、この画像の中から病気を見つけるのは非常に手間のかかる作業となっている。医師の負担は増すばかりだ。
そこで、従来医師の経験でしか得られなかった技術・ノウハウを、当研究室の研究による機械診断支援でシステマティックに提供することで、医師の負担を少しでも軽減できればと考えている。
動いている人間を撮りたい
ICP-RIE
さらに、心臓の動きなど、動いているものを撮りたいというニーズがある。
しかしながら、現状の設備では放射線が強すぎて人間にはまだ使えない。
そこで、当研究室の定理を使うことで、被曝量を少なくして利用できるのではないだろうか? このように、当研究室の研究をさまざまなものに応用していきたい。
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脳が行なっているような画像処理 AI を作ってみよう
http://blsc.xsrv.jp/blsc-uec/wp-content/uploads/2019/03/2018-SpringSchoolText1.pdf
※ 今日は、「データサイエンスの技術 ニューラルネットワーク概論」「第4回 深層学習へのアプローチ(2)」というものを視聴した。
※ 講義担当は、庄野逸(はやる)先生だ。当時の肩書は、「電気通信大学大学院情報処理工学科教授」というものだった。
※ 「マッハバンド錯視」が、「側抑制」モデルに基づく、「畳み込み演算」の計算式で、「数理的に」説明できるんだと…。
※ これを聞いたときは、ちょっと「感動した」…。
※ 長らく「心理学」で扱って来た、「人間の脳」が作り出したであろう「錯視現象」が、数理的に説明可能な「世の中」になって来てるんだな…。
※ それで、ネットで探して、大体該当するものを、探して見つけたんで、紹介しておく…。






















アラビア語
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%93%E3%82%A2%E8%AA%9E















『出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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アラビア語
????? ???????
「アラビア語」と書いたアラビア語(ナスフ体)
発音 IPA: [al?u?atu?l?arabi?ja]
話される国 アラブ首長国連邦、アルジェリア、イエメン、イスラエル、イラク、イラン、エジプト、エリトリア、オマーン、カタール、ガンビア、クウェート、コモロ、サウジアラビア、西サハラ、シリア、スーダン、ソマリア(ソマリランド含む)、チャド、チュニジア、パレスチナ(ガザ地区・ヨルダン川西岸地区)、バーレーン、マリ、モーリタニア、モロッコ、ヨルダン、リビア、レバノン
地域 西アジア、アフリカ
話者数 約2億3500万人
言語系統
アフロ・アジア語族
セム語派
西方セム語
中央セム語
アラビア語
表記体系 アラビア文字
ギリシャ文字(キプロス)
シリア文字(シリア)
ラテン文字(キプロス)
公的地位
公用語 アラブ首長国連邦
アルジェリア
イエメン
イラク
エジプト
エリトリア
オマーン
カタール
クウェート
コモロ
サウジアラビア
西サハラ
シリア
スーダン、ソマリア
ソマリランド
チャド
チュニジア
パレスチナ国
バーレーン
モーリタニア
モロッコ
ヨルダン
リビア
レバノン
国際連合
アラブ連盟
イスラム協力機構
アフリカ連合
少数言語として
承認 イスラエルの旗 イスラエル
キプロスの旗 キプロス
セネガルの旗 セネガル
ニジェールの旗 ニジェール
フィリピンの旗 フィリピン
マリ共和国の旗 マリ
南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国
統制機関 エジプトの旗 アラビア語アカデミー
言語コード
ISO 639-1 ar
ISO 639-2 ara
ISO 639-3 ara ? マクロランゲージ
個別コード:
aao ? アラビア語アルジェリア・サハラ方言
abh ? アラビア語タジク方言
abv ? アラビア語バーレーン方言
acm ? アラビア語メソポタミア方言(英語版)
acq ? アラビア語タイズ=アデン方言
acw ? アラビア語ヒジャーズ方言
acx ? アラビア語オマーン方言
acy ? アラビア語キプロス方言
adf ? アラビア語ドファール方言
aeb ? アラビア語チュニジア方言
aec ? アラビア語サイード方言
afb ? アラビア語湾岸方言
apc ? アラビア語レバント方言(英語版)
apd ? アラビア語スーダン方言
arb ? 標準アラビア語(フスハー)
arq ? アラビア語アルジェリア方言
ars ? アラビア語ナジュド方言
ary ? アラビア語モロッコ方言
arz ? アラビア語エジプト方言
auz ? アラビア語ウズベク方言
avl ? アラビア語東エジプト・ベドウィン方言(英語版)
ayh ? アラビア語ハドラマウト方言
ayl ? アラビア語リビア方言
ayn ? アラビア語サナア方言(英語版)
ayp ? アラビア語北メソポタミア方言(英語版)
pga ? スーダン・クレオールアラビア語(英語版)
shu ? アラビア語チャド方言
ssh ? アラビア語シフフ方言
アラビア語が公用語の国・地域
緑:アラビア語が唯一の公用語
青:アラビア語がいくつかの公用語の一つ
水色:アラビア語が地域/マイノリティ言語
テンプレートを表示
アラビア語(アラビアご、亜剌比亜語、????? ???????, al-lughah al-?arab?yah, アッ=ルガ・アル=アラビーヤ, 実際の発音:アッ=ルガトゥ・ル=アラビーヤ、略称:????????????, al-al-lughah al-?arab?yah ?al?ara?bij.ja)は、アフロ・アジア語族のセム語派に属する言語の一つ。
もともとアラビア半島で話されていたが、現在では主に西アジアや北アフリカのアラブ世界で広く話されている。
世界で3番目に多くの国と地域で使用されている言語であり、27か国で公用語とされている。また、国連の公用語であり、国連発足後に追加された唯一の言語である。
フスハーとアーンミーヤ
現代のアラビア語は、次の2つに大きく分類されている。
フスハー(正則アラビア語・現代標準アラビア語・MSA[注釈 1]) :文章や公的な場面で用いられる。
アーンミーヤ:各地の方言。日常会話で用いられる。
言語学においてアラビア語は二言語使い分けの典型とされる。
同様の二言語使い分けには中世のカトリック教会地域におけるラテン語とロマンス諸語がある。
フスハー
フスハー(正則アラビア語)はアラブ諸国の共通語であり、アラビア文字で書かれる。
起源は西暦4世紀ごろのアラビア半島にさかのぼるといわれ、イスラーム文明の出現と拡大にともなって北アフリカにまで使用地域が広がり、現在まで言語として大きく変わらずに使われている。
イスラームの聖典であるクルアーンは古典アラビア語で書かれているが、これはムハンマドがいたヒジャーズ地方のアラビア語をかなり反映していると考えられる。
クルアーンの記述によれば、イスラームを伝えるために神が選んだのがアラビア語だったことから、ムスリムはこれを「アッラーの言葉」としてとらえている。
クルアーン(コーラン)はアラビア語で詠唱して音韻をふむように書かれ、またアラビア語原典がアッラーが人類に与えたオリジナル版とされるため、翻訳は教義上原則禁じられる[注釈 2]。
クルアーンの勉強や暗誦は敬虔なイスラム教徒の必須の義務とされるが、クルアーンを学ぶためには必然的にアラビア語を読めなくてはならず、アフリカからトルコ、インド、東南アジアにかけてのイスラム圏では、アラビア語がイスラム知識人層の共通語として通用している。
オスマン帝国時代までに書き言葉としてのフスハーは衰退したが、話し言葉としては続けて用いられていた。
近代になると書き言葉は簡単なものとして練り直され、近代以降の新しい概念に対応する新語が大量に追加されることで、現代において使用されている現代のフスハーが成立した[1]。
フスハーはアラビア語において公的な面を代表する言語であり、宗教関係のほかに、学術関係や書籍・雑誌・新聞などの文章はもちろん、公的な場での会話やテレビニュースなどの改まった場においても使用される[2]。
また、非ネイティブ向けのアラビア語教育もフスハーで行われる。
一方で、日常会話においてはフスハーが使用されることは少ない。
アーンミーヤ
アーンミーヤないし方言は日常会話で用いられる話し言葉であり、国・地域ごとに異なる。
正字法は無いが、私信や、大衆向けの小説や演劇、詩歌はアーンミーヤで書かれる。
湾岸方言、ヒジャーズ方言、イラク方言、シリア方言(英語版)、レバノン方言、パレスチナ方言、エジプト方言、スーダン方言、マグリブ方言(英語版)、ハッサニヤ方言などに大別され、それぞれの地域のなかでも違いがある。
地域によっては、宗派ごとに話される差異があるとされる。また、遊牧民・農村・都市といった生活形態によって、地域を越えた共通の特徴があるとされる。
エジプト方言、シリア方言、レバノン方言などはマスメディアで多用されるためアラブ世界各地で理解される一方、異なる地域の住民同士では会話に支障が出ることもある。
また、非ネイティブ向けのアラビア語教育は主にフスハーで行われるが、日常会話をスムーズに行うには現地のアーンミーヤを習得する必要がある。
アラビア語の特徴
多くの単語は、三つの子音を語根として分析することができる。そこに、母音や接頭辞、接尾辞、接中辞を付けて、語彙を派生したり、活用したりする。形態論的には屈折語である。
文字
詳細は「アラビア文字」を参照
アラビア語の表記には、通常はアラビア文字が用いられる。
フスハーはアラビア文字による正書法を持ち、アーンミーヤも文字化する際は一般にアラビア文字が用いられる。
ただし、マルタ語はラテン文字による正書法を持つ。
以下は、アラビア文字の主な特徴である。
文字一覧はアラビア文字の項を参照。それぞれの独立形が左右の文字と繋がっていく(ただし例外が6文字ある)。
右から左へと読む。数字は左から右に綴られる。
多くの書体が存在する。「イスラームの書法」を参照。
文語(フスハー)はもっぱらアラビア文字で表される。
アラビア文字のアブジャド(慣用名称:アルファベット)は従来のアブジャドにおける第1番目の子音であった声門閉鎖音(声門破裂音)としてのアリフ(後世にハムザ(?)として分離されたもの)と弱文字アリフ(?)を同時に1番目に置くか、弱文字アリフを??(ラーム・アリフ)として終盤に置くかで28文字と数えるか・29文字と数えるかの学説に分かれる。
大文字と小文字の区別はない。ラテン文字転写では人名などの語頭が大文字で書かれるが、転写の都合上によるもので、もとのアラビア語では固有名詞の語頭を何らかの違う形で書くということはされない。
口語(アーンミーヤ)には正書法がない。
アラビア文字には母音を示す文字は存在せず、アブジャドに含まれる子音字のみでつづられる。
長母音の一部は弱文字を表すためのアリフ(?)や弱文字と呼ばれる半母音のワーウ(?)ならびにヤー(?)を用いるがこれらは母音ではなく無母音の子音という扱いとなる。
母音の情報は読む側が補って読まなければならないが、不便が生じることからウマイヤ朝期に発音記号が開発された。
クルアーン(コーラン)や低年齢向け児童書籍には正確な発音を示すために母音符号などの符号(シャクル)が付記される。
書道作品においても、母音符号は装飾を兼ねて付記されることが多い。
まれに、成人対象の詩や小説であっても誤読を避けるため自著に母音符号を付記する作家もいる。
発音
詳細は「アラビア語の音韻」を参照
子音には喉の奥のほうで [k] や [?] などを発音するような独特の発音がある。
母音は音韻論的には /a/、/i/、/u/ の3つの短母音とその長母音、二重母音 (/ai/、/au/) を弁別する。
発音例 - アラビア語 曜日
文法
詳細は「アラビア語の文法」を参照
定冠詞、前置詞が存在し、名詞と形容詞(アラビア語では名詞に分類される)は格(主格・属格・対格)・性(男性・女性)・数(単数・双数・複数)によって変化する。
女性形、男性・女性複数形には基本となる規則形があるもののそれ以外にもとりうる形が無数に存在するため、個別に記憶しなければならないものが多い。
例えば、????????? (mudarrisun, 先生) の複数形は規則形であり、語尾に -?na を付けて、???????????? (mudarris?na) になるが、???????(?ad?qun, 友人)の複数は不規則形であるため、?????????? (?ad?q?na) とはならず、??????????? (‘a?diq?’u) になる。
動詞は3人称男性単数完了形を原形とし、語根順配列の辞典では、その形で引くことになる。
原型を基本型、第一型ともいう。
これに加えて、第二型から第十五型までの派生型が存在するが、現代アラビア語は原則として第十型まで用い、第十一型以降は色の変化などといった限られた場合にしか用いられず、第九型は原則として色彩や人体の障害に関する意味を持つ単語である(ただし、派生型は西欧の学者が考案した学習概念であり、アラビア語を母語とする者は用いない)。
ハンス・ヴェーアによる『現代文語アラビア語辞典』をはじめとして、多くの辞書は語根順に語が配列されているため、派生型の動詞を辞書で参照するには、動詞からその語根すなわち原形を抽出しなければならず、これが、アラビア語を母語としない初学者にとっての辞書引きを困難にしている。
方言
「en:Varieties of Arabic」も参照
アラビア語諸方言の分布図
Arabic, Ancient North†【xna】?古代北アラビア語†
Arabic, Andalusian†【xaa】?アル・アンダルス=アラビア語
Arabic, Algerian Saharan【aao】?アラビア語サハラ方言
Arabic,Central Asian 【[1]】 -アラビア語中央アジア方言
Arabic, Tajiki【abh】?アラビア語タジク方言
Arabic, Baharna【abv】?アラビア語バーレーン方言
Arabic, Mesopotamian【acm】?アラビア語イラク方言
Arabic, Ta'izzi-Adeni【acq】?アラビア語南イエメン方言
Arabic, Hijazi【acw】?アラビア語ヒジャーズ方言
Arabic, Omani【acx】?アラビア語オマーン方言
Arabic, Dhofari【adf】?アラビア語ドファール方言
Arabic, Tunisian【aeb】?アラビア語チュニジア方言
Arabic, Saidi【aec】?アラビア語サイード方言
Arabic, Gulf【afb】?アラビア語湾岸方言
アラビア語レヴァント方言(英語版)
Arabic, South Levantine【ajp】?アラビア語南レヴァント方言
アラビア語レバノン方言
アラビア語ヨルダン方言
アラビア語パレスチナ方言
アラビア語シリア方言(英語版)
Arabic, North Levantine【apc】?アラビア語北レヴァント方言
アラビア語北シリア方言(英語版)
Arabic, Cypriot【acy】?アラビア語キプロス方言
Arabic, Eastern Egyptian Bedawi【avl】?アラビア語東部エジプト・ベダウィ方言(英語版)
Arabic, Sudanese【apd】?アラビア語スーダン方言
Arabic, Standard【arb】?標準アラビア語
Arabic, Algerian【arq】?アラビア語アルジェリア方言
Arabic, Najdi【ars】?アラビア語ナジュド方言
Arabic, Moroccan【ary】?アラビア語モロッコ方言
Arabic, Egyptian【arz】?アラビア語エジプト方言
Arabic, Uzbeki【auz】?アラビア語ウズベク方言
Arabic, Hadrami【ayh】?アラビア語ハドラマウト方言
Arabic, Libyan【ayl】?アラビア語リビア方言
Arabic, Sanaani【ayn】?アラビア語北イエメン方言
Arabic, North Mesopotamian【ayp】?アラビア語北メソポタミア方言
Hassaniyya【mey】?アラビア語ハッサニア方言
Maltese【mlt】?マルタ語
Arabic, Chadian【shu】?アラビア語チャド方言〔Shuwa Arabic:シュワー・アラビア語〕
Arabic, Shihhi【ssh】?アラビア語シフフ方言
Arabic, Siculo†【sqr】?アラビア語シチリア方言†
Judeo-Arabic【jrb】?ユダヤ=アラビア語
Arabic, Judeo-Iraqi【yhd】?ユダヤ=イラク・アラビア語
Arabic, Judeo-Moroccan【aju】?ユダヤ=モロッコ・アラビア語
Arabic, Judeo-Tripolitanian【yud】?ユダヤ=トリポリタニア・アラビア語
Arabic, Judeo-Tunisian【ajt】?ユダヤ=チュニジア・アラビア語
Arabic, Judeo-Yemeni【jye】?ユダヤ=イエメン・アラビア語
言語分布
アラビア語話者の分布。濃い緑はアラビア語話者が多数を占める地域、薄い緑は少数のアラビア語話者が居住する地域を指す
現代標準アラビア語を公用語とする国家
アジア
アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦 – イエメンの旗 イエメン共和国 – イラクの旗 イラク共和国 -オマーンの旗 オマーン国 –
カタールの旗 カタール国 – クウェートの旗 クウェート国 – サウジアラビアの旗 サウジアラビア王国 – シリアの旗 シリア・アラブ共和国 –
バーレーンの旗 バーレーン王国 – パレスチナの旗 パレスチナ国 – ヨルダンの旗 ヨルダン・ハシミテ王国 – レバノンの旗 レバノン共和国
アフリカ
アルジェリアの旗 アルジェリア民主人民共和国 – エジプトの旗 エジプト・アラブ共和国 – エリトリアの旗 エリトリア国 – コモロの旗 コモロ連合 –
西サハラの旗 西サハラ – ジブチの旗 ジブチ共和国 – スーダンの旗 スーダン共和国 – ソマリアの旗 ソマリア – ソマリランドの旗 ソマリランド – チャドの旗 チャド共和国 – チュニジアの旗 チュニジア共和国 –
モーリタニアの旗 モーリタニア・イスラム共和国 – モロッコの旗 モロッコ王国 – リビアの旗 リビア国
アラビア語を公用語としている国家のうち、アラブ首長国連邦、イエメン、オマーン、カタール、クウェート、サウジアラビア、シリア、バーレーン、パレスチナ、ヨルダン、レバノン、エジプト、リビア、チュニジアにおいては国民のほとんどがアラブ人で構成されており、公用語としてのフスハーと日常語としてのアーンミーヤのみを使用している。
これはイスラム教徒以外のアラブ人も同様で、たとえばレバノンにはマロン派などのキリスト教徒も多数存在するが、民族的にはアラブ人であるためそのほとんどはフスハーとアラビア語レバノン方言を話す。
アルジェリアにおいては国民の大半がアラビア語を話すものの、カビール語などのベルベル語諸語話者も存在する。
レバノン、アルジェリアでは旧宗主国語のフランス語も通じる。
ただし同国の公用語はアラビア語のみとなっている[3]。
アラブ人多数の上でベルベル人がかなりの数存在するのは隣国のモロッコにおいても同様であるが、モロッコでは公用語はアラビア語とベルベル語の2言語体制となっている[4]。
モロッコと領有権を争っている西サハラではアラビア語と共にスペイン語も使われる。
イラクにおいては北部にクルド人が居住しているためにクルド語も公用語となっているが、アラビア語話者は多数派を占めている[5]。
モーリタニアはアラビア語を使用するムーア人が多数を占め、アラビア語が公用語となっているが、南部を中心にアラビア語を使用しない黒人も多く、また旧フランス領だったためフランス語の影響力も強い。
スーダンもアラブ系が多数を占めるものの、西部のフール人などのようにアラビア語を使用しない民族も多く存在し、紛争が絶えない。公用語はアラビア語と英語の二言語使用となっている。
こうしたアラブ人が多数を占める国家に対し、住民のほとんどがソマリ語を話すソマリ人であるソマリアや、同じくアファル人とイッサ人が多数を占めるジブチ、スワヒリ語に近いコモロ語を主に使用するコモロなどのような、日常語としてアラビア語をほとんど使用しない地域においてもアラビア語が公用語とされることがある。
これはこれら諸国がアラブ諸国との経済的・文化的結びつきが強く、またイスラム教徒がほとんどであるため典礼用言語であるフスハーを理解できるものが多く存在するためである。
アラビア語を公用語としている国家は増加傾向にある。
これは、かつてイギリスやフランスの植民地だったアラブ人国家が独立後、公用語を英語やフランス語からアラビア語に変更する傾向が強いためである。
特にアフリカにおいては、アラビア語圏以外のほとんどの新独立国が旧宗主国の公用語の使用を継続していることと明確な対比をなしている。
こうした公用語の切り替えはアラブ人国家すべてで行われたものの、その深度や速度には国によって違いがみられた。
旧英領諸国ではほとんどの国で公用語のアラビア語切り替えが実施されたものの、旧フランス領諸国ではモロッコやモーリタニアのように公用語をフランス語とアラビア語の2言語とする国家がいくつか存在し、アルジェリアのように積極的に言語切り替えが行われた国との差異が目立った。
またアルジェリアにおいても、教育課程のアラビア語化は進んだものの官僚など政府の指導層がフランス語話者によって占有されている状況を打破することはできなかった[6]。
アラビア語教育によって大衆のアラビア語化は進んだものの、エリート層はフランス語話者のままだったため、この二言語の話者間に階層的な対立が生じた[7]。
さらにアルジェリアにおけるアラビア語化はイスラム主義と結びついていたために、イスラム主義の台頭を招き[8]、1990年代のアルジェリア内戦へとつながっていくこととなった。
現代口語アラビア語を公用語とする国
マルタ共和国のマルタ語は、現代アラビア語口語の一変種である。語彙などの面でヨーロッパ諸語、特にイタリア語からの借用が多く、またラテン文字で綴られる[9]。現代アラビア語口語諸語の中で国家の公用語となっているのはマルタ・アラビア語のみである。
イスラエルにおけるアラビア語の状況
イスラエルにおけるアラビア語自治体の分布
英国委任統治領時代のパレスチナにおいては、英語、アラビア語、ならびにヘブライ語の3か国語が公用語とされた。
そして、1948年のイスラエル建国後は、アラビア語とヘブライ語のみがイスラエルの公用語とされ[10]、英語は公用語ではなくなった。
しかしながら、ユダヤ系イスラエル人の児童や生徒を対象とした初等教育ならびに中等教育機関においては、公用語であるアラビア語よりも公用語ではない英語の教育を重視している。
アラブ系イスラエル人の児童や生徒を対象とした初等教育ならびに中等教育機関においては、ユダヤ系イスラエル人よりもアラビア語やアラブ文学などに割り当てられる時間数が多い。
また、イスラエルにおける雇用条件において、多くの場合は「ヘブライ語と英語が話せること」が語学的な条件として課されており、公用語であるアラビア語は全く理解できなくても、イスラエル社会においては特に問題視されない。
それ故、イスラエルにおけるアラビア語は、公式には公用語であるにもかかわらず、事実上はアラブ系イスラエル人というマイノリティのみが用いる言語になっている。
イスラエルのアラブ人のかなりが、アラビア語のほかにヘブライ語も使用することができる[11]。
また、現在のイスラエルにおける通貨や切手などは、ヘブライ語、アラビア語、ならびに、英語の3か国語で記載される。
このような状況は建国以来70年近く続いてきたが、ベンヤミン・ネタニヤフ政権は2017年5月7日にアラビア語を公用語から外して国語へと格下げし、ヘブライ語のみを公用語とする閣議決定を行った。
この閣議決定に対し、同国のアラブ人政党からは強い反発が起こった[12]。
その他諸国におけるアラビア語
トルコ各県におけるアラビア語を母語とする住民の割合(1965年統計)
イラン各州におけるアラビア語を母語とする住民の割合(2010年統計)
イスラム教においてアラビア語は典礼用言語となっており、アラビア語のもの以外はクルアーンとして扱われないため、礼拝においては必ずアラビア語によってクルアーンを唱えることとなる。
ただしクルアーンが翻訳されたものが注釈書として多くの言語圏において出版されているため、イスラム教徒にとってアラビア語は礼拝において必要であっても、内容の理解までは必ずしも必要ではない。
このためアラビア語ができないイスラム教徒も非常に多く存在する。
ただしクルアーンの内容を詳しく知るためにはアラビア語の知識は不可欠であり、このためイスラム教諸国においては熱心な信徒を中心に薄く広くアラビア語話者が存在する。
このほか、少数民族としてアラブ人が居住している地域においてもアラビア語は使用されている。
トルコ南東部のハタイ県、マルディン県、スィイルト県、シャンルウルファ県、イランの南西部にあるフーゼスターン州にはアラブ人が多く住み、アラビア語が多く話されている[13]。
アラビア語を公用語とする国際機関
アラビア語は世界で4番目の話者人口を持ち、さらにその話者が一地方に集住しているため、言語として大きな影響力を持つ。
このため、アラビア語は多くの国際機関において公用語とされている。
なかでもアラブ連盟はアラブ人国家の地域協力機構であるため、アラビア語は唯一の公用語となっている。
イスラム協力機構も、イスラム教の典礼用言語がアラビア語でありイスラム教圏のほとんどにアラビア語が広まっているためにアラビア語の影響力は大きく、英語、フランス語とともに公用語の一つとなっている。
アフリカ連合においても、大陸北部を中心にアラビア語諸国は一大勢力を保っているため、英語、フランス語、ポルトガル語、スワヒリ語とともに公用語とされている。
アラビア語使用諸国は数も多くひとつの文明圏を形成しているため、国際連合においても1973年にアラビア語は公用語に追加され[14]、英語、フランス語、ロシア語、中国語、スペイン語とともに6つの公用語のひとつとされている。
他言語への影響
アラビア語を起源とする語彙
「Category:アラビア語の語句」も参照
トタン、じょうろ、コーヒー、ラケット、シロップ、アルコール、アルカリ、ソーダ、シャーベット、チェス、チェック(小切手)、ソファー、モンスーン、アベレージ(平均値)、ジャケット、ゼロ(零)、タリフ(関税率) 、リスク、アルゴリズム、アドベ、タマリンド、コットン、サフラン、アドミラル、センナ、シュガー(砂糖)、キャメル(ラクダ)、カラット、ガーゼ、カンフル(樟脳)、ギプスなど。
科学用語にはアラビア語起源の用語が多く、とりわけ化学に多い。これは中世から近世にかけてのアラビア語圏が科学分野において発展しており、当時の欧州が積極的にその知識と語彙を取り入れたためである。
星の名前
アルタイル(「飛ぶ鷲」という熟語の「飛ぶ」という部分。単独では「鳥」という意味)
アルデバラン(従うもの、後に続くもの。プレアデス星団に続いて地平線より昇ることから)
アルゴル(「グールの頭」という熟語の「グールの」という部分)
アルビレオ(「雌鳥のくちばし」の意味の語が西洋人の誤訳と誤解を経て)
ヴェガ(「降り立つ鷲」という熟語の「降り立つ」という部分)
デネブ(「鶏の尾」という熟語の「尾」という部分)
フォーマルハウト(大魚の口)
ベテルギウス(巨人の腋の下)
リゲル(脚)
その他
ゼロ
アシッド
グール
「アル」で始まる言葉が多いのは、al- が定冠詞だからである。
「アラビア語の冠詞」も参照
影響を受けた諸言語
アラビア語から大きな影響を受けた言語は多く存在する。
特に北アフリカや西アフリカ、東アフリカの海岸部においては、それまで文字を持っていなかった言語がイスラム教およびその典礼用言語であるアラビア語の影響を受けて語法を整備し、文字を導入したケースが多く存在する。
ハウサ語、ソマリ語などはこうした言語であり、現代では表記法はラテン文字に改められたものの、アラビア語からの借用語は非常に多く存在している。
インド洋の季節風交易によってアラブ人商人が多く訪れた東アフリカの海岸部においては、バントゥー諸語の語幹に語彙の35%から40%にものぼる大量のアラビア語からの借用語を取り入れたスワヒリ語が16世紀ごろまでには成立し、地域の商業言語として広く使用されるようになった。
このほか、ペルシア語、トルコ語を含むテュルク諸語、スペイン語、ヒンドゥスターニー語、マレー語などの言語は古くから独自の文字を持っていたが、イスラム教の伝播によってアラビア文字を使用するようになり、同時に大量の語彙がアラビア語から流入した。
これらの言語は現代でもアラビア語からの借用語が多い。
ただしペルシア語を除き、現在はそれぞれ別の文字で表記されている。
統制機関
アラビア語の統制機関としては、最も古いダマスカス・アラビア語アカデミー(1919年創立)[15]や、カイロにあるアラブ語学院(1932年創立)[15]をはじめ、いくつかの国家に設けられたアラビア語アカデミーがその役割を担っている。
こうした統制機関は科学分野を除いて外国語からの借用語をできるだけ制限し、新たな概念に対しては単語の意味の拡張などアラビア語内の対応によって処理する傾向が強い[16]。
脚注
[脚注の使い方]
注釈
^ Modern Standard Arabic
^ 関連する記事にタフスィールがある。
出典
^ 「イスラーム世界のことばと文化」(世界のことばと文化シリーズ)p84-85 佐藤次高・岡田恵美子編著 早稲田大学国際言語文化研究所 成文堂 2008年3月31日初版第1刷
^ 「イスラーム世界のことばと文化」(世界のことばと文化シリーズ)p85-86 佐藤次高・岡田恵美子編著 早稲田大学国際言語文化研究所 成文堂 2008年3月31日初版第1刷
^ https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/algeria/data.html#section1 「アルジェリア基礎データ」日本国外務省 2017年6月21日閲覧
^ https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/morocco/data.html 「モロッコ基礎データ」日本国外務省 2017年6月21日閲覧
^ https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/iraq/data.html#section1 「イラク基礎データ」日本国外務省 2017年6月21日閲覧
^ 「アルジェリアを知るための62章」p357 私市正年編著 明石書店 2009年4月30日初版第1刷
^ 「アルジェリアを知るための62章」p153 私市正年編著 明石書店 2009年4月30日初版第1刷
^ 「アルジェリアを知るための62章」p358 私市正年編著 明石書店 2009年4月30日初版第1刷
^ 「アラビア語の世界 歴史と現在」p415-416 ケース・フェルステーヘ著 長渡陽一訳 三省堂 2015年9月20日第1刷
^ http://mfa.gov.il/MFA_Graphics/MFA%20Gallery/Documents%20languages/FactsJapanese08.pdf 「イスラエルの情報」p142 イスラエル外務省 2017年6月21日閲覧
^ 「イスラエルを知るための60章」p342 立山良司編著 明石書店 2012年7月31日初版第1刷
^ https://www.afpbb.com/articles/-/3127540 「イスラエル、アラビア語を公用語から外す法案を閣議決定」AFPBB 2017年05月08日 2017年6月21日閲覧
^ 『イランを知るための65章』 岡田久美子・北原圭一、鈴木珠里編著 明石書店 2009年11月20日 p.74 ISBN 9784750319803
^ http://www.unic.or.jp/info/un/charter/membership_language/ 「加盟国と公用語」 国際連合広報センター 2017年6月21日閲覧
^ a b 「アラビア語の世界 歴史と現在」p345 ケース・フェルステーヘ著 長渡陽一訳 三省堂 2015年9月20日第1刷
^ 「アラビア語の世界 歴史と現在」p348-354 ケース・フェルステーヘ著 長渡陽一訳 三省堂 2015年9月20日第1刷
参考文献
『現代アラビア語入門』黒柳恒男、飯森嘉助(大学書林)
『アラビア語入門』池田修(岩波書店、絶版)
関連項目
ポータル 言語学
ネイティブスピーカーの数が多い言語の一覧
国際連合安全保障理事会決議528
外部リンク
ウィクショナリーに関連の辞書項目があります。
アラビア語
ウィクショナリーにアラビア語に関するカテゴリがあります。
アラビア語版のウィキペディアがあります。
アラビア語エジプト方言版のウィキペディアがあります。
東京外国語大学アラビア語専攻公式ホームページ
NPO法人 日本アラビア語検定協会
アラビア語ちゃんねる
外国語広場:アラビア語
了解:日本語-アラビア語/アラビア語-日本語辞典 (アラビア語)
Glottolog - Arabic (英語)(マックス・プランク進化人類学研究所によるデーターベース)
Learn Arabic (with audio) (英語)
『アラビア語』 - コトバンク
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』
世界的な研究のためにキヤノンが取り入れるタバコ
https://cigs.canon/uploads/2024/06/24012E_t-okazaki.pdf
※ .pdfなんで、手持ちの変換ソフトでテキスト変換し、手持ちの機械翻訳ソフトに掛けた。
※ 原文は、英文。まず、テキスト変換が正確なのか自体が、怪しい…。
※ アルファベットの認識なんで、精度は高いだろうが…。
※ さらに、手持ち翻訳ソフトなんで、「訳文」は、相当に怪しい…。
※ 「タバコ」と訳されているが、「cigs」(キャノン・グローバル戦略研究所)を「タバコ」と訳したようだ…。
※ 調べると、「cigs」には、「葉巻」という意味もあるようだな…。
※ 機械翻訳ソフトなんて、その程度のもの…。
※ ただ、言っていることは、非常に参考になる…。
※ 「経済史」研究は、最初の頃は、「欧米の研究」の「直輸入」でとどまっていた…。
※ しかし、実は、その「研究」の元となる「経済資料」の蓄積の歴史は、日本の江戸時代にも多く存在し、研究に着手した時期も、「欧米の研究機関」に引けを取らない…。
※ そして、そういう「蓄積された資料」を使った「論文発表」が、逆に「欧米研究者」の注目を引いている状況に、なっている…。
※ まあ、そういうような話しのようだ…。
※ 「研究」や、「知の探究」の「深まり」の、見本のような話しだと思うんで、紹介しておく…。
『タバコがペーパーシリーズ No. 24-01の 2E をもたらします
日本の経済史の州
ユタカ・アリモト(メトリックスが(株)コンチェルトと一橋大学(客員学者)を働かせます)
トモコ Hashino (神戸大学)
Masaki ナカバヤシ(東京大学)
Tetsuji 岡崎(明治学院大学)
オサム・サイトウ(一橋大学)
Yoshihiro Sakane (広島修道大学)
カオル Sugihara (人類のための研究所とネイチャー)表明されたか、あるいはペーパーシリーズをもたらしているタバコで暗示された2024年6月20日の※意見は単に著者のものであって、そして必ずしもタバコあるいはそのスポンサーの光景を表しません。
仕事のペーパーシリーズがそうである※タバコが活発なディスカッションとコメントを促進するために循環しました。
※著作権がそれと異なる記載がない限りそれぞれのペーパーの著者に属します。
一般的な法人組織の財団
世界的な研究のためのキヤノン研究所
一般財団法人キャノングローバル戦略研究所
電話: + 81-3-6213-0550 https://cigs.canon/
日本の経済史の州
ユタカ・アリモト * 、トモコ Hashino ** 、 Masaki ナカバヤシ、 Tetsiyi 岡崎、オサム・サイトウ、 Yoshihiro Sakane とカオル Sugihara 要約
このペーパーは日本の経済史研究の変更を概観します。 最近の数十年で、研究の国際化は進行しました、そして経済学と計量経済学の影響力は増加して、そしてこれらの変更に関連していました、いっそう経済の歴史家が新しいアプローチを使って新しいトピックに取り組んでいます。
Japan5s 経済史研究が第二次世界大戦の前に、しかしただ日本の経済の歴史家が理論的な枠組み、西洋の文献からの概念と見地を「輸入しました」という意味でだけ国際化されました。
最近の数十年で、状況は変化しました。
経済学と計量経済学から分析的なツールの設備が整っている日本の経済の歴史家が生み出されて、そして「輸出された新しい洞察を持っています、^が国際的なアカデミックなコミュニティーへの(彼・それ)らを持っています。
日本の経済史研究が長い歴史を持っています。
Socio – 経済史協会、およそ1,300人のメンバーと一緒の Japan7s 最も大きいアカデミックな社会 fbr 経済史、は1930年に設立されました。
これは合衆国 (https://sehsjp.org/) で英連合王国で、そして10年前に経済史協会の基盤より4年経済史協会の土台より遅いです。
その基礎から、日本の Socio – 経済史協会は経済の歴史家による多くの研究を通して多数の洞察を作り出しました。
これらすべての研究を概観することが不可能であるから、我々は最近の数十年で経済史の新しい傾向に日本の研究を集中します。
特に、研究の国際化は進行しました、そして経済学と計量経済学の影響力は増加して、そしてこれらの変更に関連していました、いっそう経済の歴史家が新しいアプローチを使って新しいトピックに取り組んでいます。
第2節で、我々は、主要な経済史ジャーナルで出版記録を再検討することによって、国際化の進歩を強調します。
第3節は経済学と計量経済学の増加する影響を記述します。
第4節は新しいアプローチを使って新しいトピックに関して研究を概観します。
第5節は終わります。
2.国際化の進歩
最近の数十年の日本の経済史研究の主要な変更の1つは(今まで)国際的に熱心な経済の歴史家の出現でした。
1980年代に、日本における経済の歴史家による研究のための主要な出口は日本の経済史ジャーナルと本であったのに対して、屈服することと、英語で国際ジャーナルにペーパーを出版することは非常に例外的でした。
しかしながら、状況はそれの後に変化しました。 このセクションは日本の経済史研究の国際化のプロセスを再検討します。
国際化の進歩を思い描くために、我々は1980年代から2010年代まで国際ジャーナルで日本の経済の歴史家の出版物を調査します。
もっと特定すると、我々はすべてを調査しました、新聞が3冊の主要な経済史ジャーナル、経済史レビュー(EHR)、探究で日本人が著作する経済史(EEH)と経済史(JEH)の、そしてリストされるジャーナル(外国で出版の時点で傘下協会であった著者はリストから除外されます)で1を発表しました。
図4-1が(ただ今後「日本の学者」と呼ばれる)日本で働いている日本の学者によって発表されたペーパーの数の傾向を示します。
2000年代に加速した明確な増大する傾向があります。
1980年代に、たった5つのペーパーが10年、1年にすなわち、0.5のペーパーの上に出版されました。
1990年代に、出版物の数はかろうじて6に上がりました。
その時、中にいる
2000年代、2010年代に10に、そして最終的に18に増やされた数。
経済の歴史家の数という条件のもとで日本で出版物の数は2010年代に小さいです、しかしこれまでの20年における国際化の進歩は注目すべきです。 図4-2フィギュアのデータを分類します
1 ペーパーのリストは付録に現われます。
2
3冊のジャーナルの中に4-1。 我々は、 EHR と EEH での出版物が増大する傾向を引き起こすことに気付きます。
表4-1が団体によって出版物の数を示します。 もし論文の執筆者が傘下協会Aであったなら、これは協会Aのために1つの出版として扱われます。 もし論文が2時までにあったなら
AとB、これが両方の団体(それ故、テーブルの合計の数が図4-1で合計より大きい)のために1つの出版として勘定に入れる傘下協会であった日本の著者。
1980年代から2010年代まで出版物の合計の数を示している最初のコラムを見て、我々は、日本の主要な大学と、金と経済研究のための研究所で歴史の研究のためにセクションを持っている日本銀行がすべての少なくとも2冊の出版物を持っていることに気付きます。
同時に、他の16の団体の学者が同じく主要なジャーナルで論文を発表したことは注目に値します。
これは経済史研究の国際化が多数の団体を巻き込むことを意味します。 この傾向は日本で多分経済の歴史家の労働環境の国際化を反映します。
すなわち、たいていの経済の歴史家が大学の経済学科と協力関係にあります、そしてエコノミストのコミュニティーは国際化を受けました、そしてそこでトップの国際ジャーナルで論文を発表することは大いに価値があって、そしてそれ故学者の研究キャリアに欠くことができません。
エコノミスト共同体の文化は経済の歴史家コミュニティー、しばしば同じ部門で働く人を突き刺しました。
長い間に、団体による出版物の数の変更は同じく重要です。
そうするための修道院次長
出版物の数が急上昇した2000年代、大阪と神戸は主導的な団体であったのに対して、東京大学は記録された出版物を持っていませんでした。
しかしながら、2000年代と2010年代に、東京大学は出版物の増加を引き起こしました。
気付かれるように、1990年代まで、日本で最も経済の歴史家が国際ジャーナルに(彼・それ)らのペーパーを出版することに対しての興味を持っていませんでした、そして考えのこの様式は日本でアカデミックなコミュニティーで高名であった東京大学でいかにも学者らしかったです。
表4-2が問題となっているエリアによるペーパーを分類します。 全部で、日本の上のペーパーが56.4%を占めます
(22/39)すべての中で新聞と(彼・それ)らは出版物の数の増大する傾向を引き起こしました。
多くの日本の学者が単に日本の歴史に興味を持っているだけではありませんから、これは驚くべきではありません、しかし言語と材料へのアクセスを含めて、日本の研究を行なうことに種々の利点を持っていてください。
1990年代が経済成長と生活水準のような、広義でマクロ問題の上にあった、2000年代と2010年代のそれらがより広範囲の産業組織、労使関係、地域経済、戦争の経済と自然災害のような、銘柄に対処するまでたいていの新聞である間に、しっかりと日本の経済史についての新聞のトピックを見る.
注目すべきことに、これらのペーパーの大部分が経済史研究の世界的な傾向と矛盾しないミクロレベルでデータを利用します。
ヨーロッパと北アメリカの経済史についてのペーパーが日本の経済史の上にまもなくそれらの後に続きました。
日本の経済の歴史家は長い間(今まで)経済の、そして社会の開発に関して日本より先に起こった西洋、特にヨーロッパ、の経済史に興味を持っていました。
西洋の研究のこの専門エリアで、論文の大部分が(すでに)日本語3ジャーナルで発表されていました。
もし、国際ジャーナルで(彼・それ)らの論文を発表した学者の、すべてでないなら、多くが日本でアカデミックなコミュニティーにそれらとは違う動機づけを持っているように思われます。
(彼・それ)らは合衆国で合衆国と大恐慌で日本の移民のために労働市場のような問題に対処します。
アジアの上のペーパーは、日本を除外して、西洋に人たちの後に続きました。
5つのペーパーの3つが日本によって植民地建設の期間に韓国に焦点を合わせます、そしてすべて1人の学者によって2000の前の期間に出版されたことは注目に値します。
彼は2000年前の日本で少数の国際的に熱心な経済の歴史家の1人でした。
しかしながら、新世紀の到来時から、世界的な、そして比較の経済史についてのペーパーの数は増加しました;これらの大部分が、驚くまでのこともなく、素晴らしい Divergence 討論によって動機付けを与えられます。
3.このセクションで経済学と計量経済学の影響力を増やして、我々は日本の経済史研究の歴史を再検討します、そしてそれは経済学と econometrics2 の増加する影響によって特徴づけられます。
アリモト(2022年)は日本と西側諸国の間の経済史研究における相違を強調します。
彼は日本の経済史研究がさらに多くであると強く主張するそれが記述を強調するそれで方向づけられている歴史「何が起きたか、そしていかにですかそれ、対照、西側諸国の経済史研究の、 happened.5 が説明しようと努める」それが起きた理由 / 因果関係の厳密な身元確認(アリモト2022年、ページ24)を強調している5.
換言すれば、彼は日本の経済史研究がたいてい記述的であって、そして因果関係を識別しようと試みる西側諸国の研究とは違うと主張します。
日本の早い経済史研究のこの特徴はそれが(まだ)まだ、西側諸国の経済史研究と異なり、経済学と計量経済学の方法によって影響を与えられていなかったということを示します。
本当に、近年国際経済史ジャーナルで発表されたたいていの論文が経済学で、そして/あるいは計量経済学指向です。
例えば、経済史の分野の3冊の主要なジャーナル(JEH 、 EEH と EHR)で発表された論文の大部分が経済学と計量経済学の方法を使います、そして応用経済学でジャーナルで発表されることができました。 同じことが賛成で本当です
オーストラリアの経済史レビュー(今アジア太平洋経済史レビュー)とスカンジナビアの経済史レビューと同様、評判と品質に関してこれらの3冊の主要なジャーナルに接近する Cliometrica と経済史のヨーロッパの再調査。
経済史での多くの国際ジャーナルが経済学で、そして/あるいは計量経済学指向である間に、経済学と計量経済学の影響は日本の経済の歴史家の間で最近になってやっと始まりました。 山本(2018年)は日本の経済の歴史家の間の経済学と計量経済学の「数量化」あるいは影響の度が国際歴史家の間でよりずっと少ないと論じます。
彼は、 EHR で発表された論文と Shakai Keizai Shigaku (社会経済学の歴史)、日本の経済史ジャーナルの1冊を比較することによって、これを示します。 Socioeconomic での数量化
歴史は JEH より少ない「quantified5」である EHR あるいは EEH (山本2018年)でよりずっと低いです。
2 このセクションで、さもなければ気付かれないなら、我々は Hashino (今度の2024)に依存します。
4
EHR で定量分析を使っている新聞の割合が2013-17の46.9%であったのに対して、それは2013-18に社会経済学の歴史のたった4.4%であった(山本2018年ページ. 72-73)。 もっと多くの最近の号の
分析的な方法の多様化がいくぶん持っている社会経済学の歴史ショーが進行しました、しかしヨーロッパの国と合衆国の傾向と比較して、経済学と計量経済学の影響力は日本で十分にもっと少なかったです。
日本の経済史研究のこの特徴の起源はサイトウ(2016、2017)、経済史の出現と進展と日本の社会経済学の歴史研究の詳細な説明を提供する山本(2018年)と中村およびその他(2021)によって調べられました。
日本の経済史研究は歴史と経済学の間に境界において伝統的に置かれていました、そしてそれぞれの経済の歴史家が2つの修行のいずれかの彼女 / 彼の研究を始めて、そして後に(彼・それ)らのキャリア(中村 et al.2021 、ページ27)で他の自制を習得しました。 加えるに、(彼・それ)らが頼った経済理論は主にドイツの歴史の学校とマルクス経済学のものでした。
ベルリンの壁崩壊から1989年に、マルクス経済学の影響力は急速に弱まっていきました、そして日本の経済史研究が経済理論から離れていて、そしていっそう歴史志向になりました。
一方、若干の経済的な歴史家によって紹介された比較の制度上の分析と(彼・それ)らの経済史研究の中への組織の経済的側面、それが経済学 / 計量経済学と経済史の間の相互作用の復活に寄付されます(中村およびその他。 2021、ページ34)。
結果として、その影響が現在のところ大きくないけれども、経済史研究の厳しい変更がセクション3と4で記述されるように、出現しました。
この最近の変更が重要な先史を持つことは指摘されるべきです。
サイトウ(2016年)は数量化^^の「静かな革命が1960年代後期に日本の経済史研究で行なわれたことを指摘します。 この静かな革命の1つの注目すべき例が徳川幕府の下で編集された村人口記録を利用したアキラ Hayami による人口統計学の研究でした。 彼は人口統計学の概念、法案と方法をそれらのミクロデータ(サイトウ2016年、ページ202)に適用しました。
経済の歴史家とエコノミストが、 Hayami を含めて、大学をまたがる研究組織として量的な経済史グループ(QEH グループ)を設立しました。
一橋大学で経済研究(IER)の研究所の歴史的な国民のアカウントの分野で働いているエコノミストが group5s 歴史家に合流しました。
経済発展が長期の歴史の事象として考え出されるべきであるという認識に基づいて、グループメンバー、エコノミストと歴史家両方、は量的な経済史研究を行ないました、他方 IER は1988年に長期の経済データ(LTES)シリーズの間仕事を最終的にまとめ上げました。
その時から、共に日本の、そして国外の多数の経済の歴史家、14巻の LTES を提供されましたそしてその1巻の英語の出版物(Ohkawa およびその他。 1965-88と Ohkawa と Shinohara 1979)。
QEH グループの活動は8巻の日本の経済Hな如づ(Umemuraetal. eds. 、1988-1990)(サイトウ2016年、ページ202)で成就に来ました。
日本経済(6巻)の歴史、 Fukao およびその他(2017)編集に最近 hvanami シリーズを出版しました、日本の経済史の出版から更新を含んで、そして経済学の適用を強調する新しいシリーズ5ですそして計量経済学(中村およびその他、2021ページ. 4011) .Indeed 、日本経済の経歴の上の lyvanami シリーズの著者は歴史家と経済の歴史家だけではなくエコノミストも含みます、そしてそれは、歴史的なソースと資料に基づいて注意深い経験的な研究の伝統を高く評価する間に、経済の歴史家をエコノミスト / econometricians との対話に加わらせる試みです。
気付かれるように、経済学と計量経済学の方法は日本の経済史研究の中で(今まで)次第に放散していました。
このような状況で、日本の経済史の外国の研究者が我々に(彼・それ)らが積極的にこのような方法論を導入して、そして多分日本の経済史の新しい錯覚のような何かの新しいイメージを始めていることを知らせることはいくぶん皮肉です。
日本はその経済発展の早い段階から(今まで)リソースとデータを蓄積していました、
そして行政機関によって提供される量的なデータの多くがオンラインで今アクセス可能です。
換言すれば、「参入障壁は低いです」外国の研究者が日本の経済史の研究に着手するために(Kumon 2020)。
結果として、国際ジャーナルに日本の経済史の上に外国の研究者出版ペーパーの数に増加がありました。
もちろん、外国の研究者が日本の経済史に興味を持ったことは有益です。
しかしながら、ある場合には、それらのペーパーは、ただ(彼・それ)らが日本語に主に書かれる日本の経済史についての残存している文学の知識を取り入れないということが一部の理由で、欠点を持っています。
これは日本と日本の経済史に興味を持っている国外の研究者に経済の歴史家の間に相互作用の臨界の必要があることを意味します。
4.新しいトピックと新しいアプローチ
18世紀の素晴らしい Divergence 討論がかなりの注意(Pomeranz 、2000)を引き付けた、ヨーロッパとアジアでの「小さい相違」が同じく重要な主題であるけれども粗野な国産品と住民の4-1の見積もり。
これらは18世紀(Broadberry およびその他、2018)にヨーロッパの北西部のヨーロッパの経済性の間にそしてアジアで日本と中国の間に1人当たりのGDPに関して相違を意味します。
高島(2017)そして
Bassino およびその他(2019)が日本の生産性の改良が加速したのに対して、日本の1人当たりのGDPが18世紀にその歴史で初めて中国のを上回るように、中国が18世紀によどんで、そして19世紀中頃にポルトガルとポーランドのような非中心的なヨーロッパの経済のものに追いついたことを明示します。
前近代の日本と前近代の中国の1人当たりのGDPの見積もりがマディソンプロジェクトデータベース (https://www.rug.nl/ggdc/historicaldevelopment/maddison/) の2023年のバージョンに現われて、そして Broadberry およびその他(2018)と Bassino およびその他(2019)に基づいています。
見積もりが Bassino およびその他(2019)によってナカバヤシおよびその他(2020)によって修正されて、そして拡張されました、誰が、1150年間 Midorikawa のそばの農業生産の見積もり(2019)を使って、GDP見積もりを修正して、そしてそれに応じてその年の間1人当たりのGDPを修正しましたか。
6
ナカバヤシおよびその他(2020)が同じく、 Bassino およびその他(2019)から年度のシリーズまで1651から1841まで1600、1721、1804、と1846でポイント年4つの見積もりを使っているGDP見積もりを初期の現代のために延長します。 (彼・それ)らは中世で非農業アウトプットを見積もる記述的な、そして逸話の証拠を使います。
現代のGDPの見積もりが、マディソン Projecfs データベースが依存している Fukao およびその他(2015)によってアップデートされました。 Fukao およびその他(2020)と Fukao とポール(2021年)はさらに現代の生産性の改良の源を詳述します。
生産性を改善した1つの要因が中世の日本で14日から16世紀(Nishitani 、2017年)まで大規模な農業から集約農業まで連続的に土地と労働生産性の改良を追った転換でした。
この転換は同じく日本の社会の深遠な変化を暗示しました。
同じ農家が農地の同じ陰謀を養って、第一位にいた村に本拠地がある地域共同体が(それ・そこ)で14世紀から集約農業への移行でできた非常に密集している「日本人」は経済的に地域を発展させました、そして16世紀から発展が遅れている地域(小山と Mieda 、2018)で。
西暦1600年の間十分に上方に1千2百万(Hayami 、2010年)のヘイ ami 5見積もりから1千7百万までサイトウ(2018)再推計人口。
1150で、ナカバヤシおよびその他(2020)がファリス(2006、2009)によって十分に下方へ Midorikawa のそばの農業生産の見積もり(2019)に基づいて見積もりを修正しました。
全部で、中世の人口増加が悲惨な古代の期間の後に前に見積もられるよりいっそう敏速であったと思われます。
このような更新は我々に完全に日本の経済史、 Fukao およびその他によって始められたプロセスを再検討するように要求します。
日本の経済史についての研究における他の開発で進んでいて、(2017a 、b、c、 2018a 、b)。
家庭が農民の財産権の詳細な地籍の調査(ナカバヤシ、2020、2021)
.The 保護を使って耕した農地の初期の近代的な日本人がプロットに関して財産権を農家に提供したと述べる伝統的な日本の社会の上の4-2の比較の歴史の制度上の分析が必然的に、(彼・それ)らが借金することを約束し、そしてそれ故農民がさもなければよりいっそう安く借金することができたとき、農民に、国家によって保護された不動産が安全な collaterals の役をするであろうから、より大きい危険をとるよう奨励します。
所有者農民があまりに多くのリスクをとるのを阻止するために、幕府は、農地(Mandai とナカバヤシ、2018)を約束することによって、農地と資金調達の取引を規制しました。
幕府は同じく一つの遺伝を促進しました、そして血族であるとき、息子たちはランニングの家族のビジネス、もっと多くの人材の養子が不可能であると考えられました。
この規則は増大と安定性の間のバランスを達成しました。
幕府は1868年に崩壊しました、そして農地売上高と農地 – 抵当のローンの規制緩和が実行された1873年の時点で、小作地比率はただ農地(Furushima 、1958、ページ332)の27%であると推定されました。
ナカバヤシおよびその他(2020)が、すべてを考慮に入れて、初期の近代の日本が生産性と社会的安定のあまり大きくない成長を経験したことを指摘します。
smallholders7 不動産の保護が割込み可能初期の近代の日本で「州の能力」であると呼ばれる高い課税レート(ナカバヤシ、2012、 Sng と Moriguchi 、2014、 Koyama およびその他、2018、ナカバヤシ、2021)が中国、トルコとスペインのような他のマージ力と比較した7を受け入れるその一般人をまっすぐにします。
より高い州のキャパシティ、あるいはより高い課税レート、は1868の明治維新の後に軍についてを含めて、近代化に対する出費の余地を届けました。
所有者 – 農家の割込み可能所有者農民の、緩慢な季節に家族労働力を使って非農業生産を拡大している間に、農場で働き続ける安定性。
それで、分業は、中間でではなく、中で深くなりました、初期の近代の日本の農家(サイトウ、2009)。
結局のところ、
徳川日本は比較的平等な社会(サイトウ、 2015b)を維持しました。
安定した統治下である
徳川幕府療法が同じく飢饉と世界的大流行の頻度を減らしました、そしてそれは長期(サイトウ、 2015a)にわたって生産性向上を引き起こして、そしてきれいに整えました。
しかしながら、維持された普通株はコストを受けました。
農地取引と遺伝での幕府の規則が小自作農クラスを守ることに成功した間に、(彼・それ)らはリソース配分(今度の Kumon)の改良を妨げました。
明治維新の後に、農地売上高と農地 – 抵当のローンが完全に規制を緩和されました。
改革は1900年頃に45%への小作地の比率の増加をもたらしました(Furushima 、1958、ページ332)。 landownership の合併にもかかわらず、農法がほとんど変化しませんでした。 前の小自作農が借家人農民として(彼・それ)らの前の不動産を耕し続けました。 それで、借用契約のゴールは面積の合併から技術的な利益以外の何かでした。
本当に、
明治維新が家主と借家人農民の間に均衡であった後、アリモト(2005年)とアリモトおよびその他(2010)が家主によってその危険負担を実演します。
明治維新の前の幕府と貴族が土地税の一時的な縮小を通して農民と天気リスクを共有した間に、明治政府はこのようなリスク態度に反抗しました。 Landlordism は危険態度の役割をコントロールしました。
早いモデム時間の危険態度に対する家庭のより大きい責任は長い影を投げかけました。
ナカバヤシ(2019年)は家族安全管理へのもっと素晴らしい依存がより大きい福祉国家を経済成長を維持することがそれほど可能でないようにしたと論じます。 日本と大陸のヨーロッパの国のような家父長制の社会の経験はそれで適度に(彼・それ)らの激しい福祉国家を説明します。
5.結了
この章で、我々は手短かに日本の経済史研究の変更を概観しました。
日本の経済史研究は第二次世界大戦の前に、しかしただ日本の経済の歴史家が理論的な枠組み、西洋の文献からの概念と見地を「輸入しました」という意味でだけ国際化されました。
最近の数十年で、状況は変化しました。
経済学と計量経済学から分析的なツールの設備が整っている日本の経済の歴史家が新しい洞察を生み出して、そして国際的なアカデミックなコミュニティーに(彼・それ)らを「輸出しました」。
それが基本的に日本の経済史研究に焦点を合わせるという点で、この章で取り扱われた題材は限定されています。
日本のこの研究フィールドの1つの際立った特徴が西洋の、そしてアジアの経済史の上に8人の学者の貢献です;しかしながら、このような仕事の再調査が現在の章の範囲を越えてあります。
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15
主要な3冊の経済史ジャーナルの日本の学者の出版物の図1数
ジャーナルによっての出版物の図2数
出版物の数
9
8
7
6
5
4
3
2
1
0
EHR
EEH
JEH
表1 団体によっての多くの出版物
合計 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代
合計 46 5 6 11 24
東京大学 12 0 0 5 7
一橋大学 6 1 0 1 4
大阪大学 4 2 1 0 1
神戸大学 4 0 2 0 2
日本銀行 3 0 0 0 3
慶応義塾大学 2 0 0 1 1
野村総合研究所 1 1 0 0 0
トウヨウ\大学 1 1 0 0 0
法政大学 1 0 1 0 0
関西大 1 0 1 0 0
大阪 Gakuin 大学 1 0 1 0 0
財務省 1 0 0 1 0
名古屋市大学 1 0 0 1 0
名古屋 Gakuin 大学 1 0 0 1 0
創価大学 1 0 0 1 0
政策研究大学院大学 1 0 0 0 1つの日本大学 1 0 0 0 1
大阪 Sangyo 大学 1 0 0 0 1
埼玉大学 1 0 0 0 1
東京工業大学 1 0 0 0 1
東京理科大学 1 0 0 0 1
横浜の国立大学 1 0 0 0 1
メモ:日本で異なった団体で並列の著者によって書かれた共同の仕事の場合に備えて、数は数えられて二重です。
表2 オブジェクトエリアのそばの多くの出版物
完全な 日本 アジア ヨーロッパと北アメリカの世界的で、比較の合計 39 22 5 8 4
1980年代 5 3 1 1 0
1990年代 6 1 3 2 0
2000年代 10 7 0 2 1
2010年代 18 11 1 3 3
CIGS The Canon Institute for Global Studies
CIGS Working Paper Series No. 24-01 2E
The State of Economic History in Japan
Yutaka Arimoto (Metrics Work Consultants Inc. and Hitotsubashi University
(Visiting scholar))
Tomoko Hashino (Kobe University)
Masaki Nakabayashi (The University of Tokyo)
Tetsuji Okazaki (Meiji Gakuin University)
Osamu Saito (Hitotsubashi University)
Yoshihiro Sakane (Hiroshima Shudo University)
Kaoru Sugihara (Research Institute for Humanity and Nature)
June 20, 2024
※Opinions expressed or implied in the CIGS Working Paper Series are solely those of the
author, and do not necessarily represent the views of the CIGS or its sponsor.
※CIGS Working Paper Series is circulated in order to stimulate lively discussion and comments.
※Copyright belongs to the author(s) of each paper unless stated otherwise.
General Incorporated Foundation
The Canon Institute for Global Studies
一般財団法人キャノングローバル戦略研究所
Phone: +81-3-6213-0550 https://cigs.canon/
The State of Economic History in Japan
Yutaka Arimoto, Tomoko Hashino*, Masaki Nakabayashi,Tetsiyi Okazaki ,
Osamu Saito ,Yoshihiro Sakane , and Kaoru Sugihara
Abstract
This paper surveys the changes in economic history research in Japan. In recent decades, the
internationalization of research has progressed and the influence of economics and econometrics has
increased, and related to these changes, more economic historians are working on new topics using
new approaches. Japan5s economic history research was internationalized prior to World War II, but
only in the sense that economic historians in Japan “imported” theoretical frameworks, concepts, and
perspectives from the Western literature. In recent decades, the situation has changed. Economic
historians in Japan, equipped with analytical tools from economics and econometrics, have generated
new insights and “exported,^ them to the international academic community.
習慣で「非認知能力」は磨かれる
人生100年こわくない・マネー賢者を目指そう(熊野英生)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB12BHJ0S4A610C2000000/
※ 今日は、こんな所で…。
※ 「愚者は、経験から学び、賢者は歴史から学ぶ。」…。
※ しかし、「文献」ばかり読み漁っていても、頭でっかちになるだけで、前には進めない…。
※ 結局は、「実践したモン勝ち。」であることも、付加しておこう…。

『2024年6月21日 4:00
前回の本コラム(5月12日号)で、経営や投資の成果を上げるには、非認知能力を高めることが重要だと説いた。読者からそれなりに反響をいただいた中で、「それってどうすればいいの?」と疑問が残ったという感想もあった。今回は続編として実践法を解説する。
よく経営者や管理職は「成果を出せ」とはっぱをかけて、KPI(重要業績評価指標)の数字を振りかざす。あまり賢いように見えない。ソリューションは各自で考えろ、…
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『ソリューションは各自で考えろ、と丸投げすると人はついてこない。自分ができないことを他人に押し付けても、心は離れるばかりになる。ソリューションのところまで経営者が降りて行かないから、従業員の心に響かないのだ。
成果を上げるためには「習慣をつくること」が大切だ。過去、多くの賢者たちが「習慣が人をつくる」と語っている。まず、英国詩人のジョン・トライデンは「はじめは人が習慣をつくり、それから習慣が人をつくる」と述べている。人のところを「成果」に替えて、「習慣が成果をつくる」にしても成り立つ。
「習慣が経営をつくる」「習慣が運用収益をつくる」「習慣が投資スキルをつくる」――。どれでも何となく筋が通る。
ルーティンで磨かれる
では習慣とは何を指すのか。英語にすると普通はハビット(habit)なのだが、ルーティン(routine)、オーダー(order)、ルール(rule)でもよい気がする。
毎日、決まった仕事の型を愚直に繰り返すと、いつの日にか卓越した能力を習得できる。
キャリアというものはルーティンの中で磨かれる。日々の多種多様な仕事の中で、何を自分のルーティンに定めるかで、最終的にそこで得られる能力が変わる。
習慣とは暗黙のうちに選択と集中が行われた結果なのだ。
現場では、能力のある人とそうでない人に見ていて分けられる。
能力がない人を見ると、無駄な作業に時間を費やしているケースがある。感情の赴くままに仕事を選んだり、保身のための活動をしたりしていると、集中できていないことになる。
これは組織のミッションが現場で意識されていないときに起こる。経営の失敗だ。ルーティンは、仕事の優先順位で決まる。
孔子は「習慣を深く身に付けると、生まれつき持っている天性のようになる(習慣は自然の如し)」と残した。
工場で作業をしている人の中には時々、効率的に動く姿が神々しく見える人がいる。おそらく長い期間、工程に工夫を重ねて、今の状態に行き着いたのだろう。同じ工程を繰り返しているうちに、能力が結晶化してその人の個性に化けてしまう。
人格そして運命が変わる
プラグマティズム(実用主義)で知られる哲学者ウィリアム・ジェームズはこう述べている。
「心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる」
この中で「習慣が変われば人格が変わる」という話は、ここまで述べてきたことだ。
「人格=パーソナリティー(personality)=個性」である。いつも習慣づけている行動が、その人の性格にもにじみ出してくるということだ。
例えば筆者は家計簿を35年近くつけている。この話だけで何となく筆者のパーソナリティーが伝わってくると思う。
ジェームズの言葉の最後は「人格が変われば運命が変わる」というフレーズで締められている。
一読して心に刺さるのだが、頭を冷やして考えると、この部分だけ意味不明だ。自分の才能が際立つほどに鮮やかに輝くと、それで自然と運命が切り開かれるというのか。ちょっと論理的飛躍がある。
私見を述べると、人格を変えてもそれだけで運命は変えられない。
社会活動の中では、自分が持っている卓越した才能が誰かに見いだされ、より大きな役割を与えられることで、小さな才能が大きな才能へと脱皮していく。例えば経営者や上司があなたの才能に気付いて、次に飛躍できるポストに異動させてくれると、会社の中であなたは昇進していける。
残念ながら、発見されずに埋もれる人材の方が多い。
ならば、閉じた世界で活動するのではなく、オープンな人間関係で他人から才能を再発見してもらう方がよい。あなたがどのような人間関係に身を置くかで運命は変わることも付け加えたい。
成果を上げるためには、「非認知能力=顕在化しにくいスキル」を鍛え上げなくてはならず、その能力なくして継続的成功はない。
しかも、非認知能力を向上させることには再現性がなく、身に付かずに終わる人も多い。
それでもあえて、成果を上げるためには「習慣」こそが近道になると言いたい。
ヴェリタスの読者ならば、人生100年のスパンで投資利益を稼ぎ続けることを成果とするだろう。そのために何を「習慣」に設定すればよいかを考えてほしい。
教育と経験の役割
読者には成果を上げるために「習慣だけでよいのか」と、筆者の問題設定を疑ってほしい。疑うことで思考が深まる。
アリストテレスは「ニコマコス倫理学」の中で、習慣のほかに教育、経験を挙げている。
卓越性には倫理的なものと知性的なものがあり、それらは生来の本性として宿るものではなく、後天的に獲得されると述べている。まさしく非認知能力と同じものを指している。
ここではアリストテレスが倫理的卓越性(徳)を非認知能力に絡めたことに注目したい。おそらく人格という言葉にはこの倫理的卓越性が含められている。
現在でも多くの米国人が尊敬する人物に挙げるのが、100ドル札の肖像、ベンジャミン・フランクリンである。「フランクリン自伝」を読むと、人生で幾度も成功を手にしたフランクリンが禁欲的生活に徹し、それが成功につながったことがよくわかる。
反対に身を持ち崩して去っていた仕事仲間たちのエピソードも数多く登場する。彼らは倫理観を備えていなかったゆえに没落してしまったのだ。
この倫理観は、マックス・ウェーバーが「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で繰り返し説いている禁欲的職業倫理(労働エートス)と共通するものだ。
デューイとウェーバーの著書
次に知的卓越性についてもみていきたい。
アリストテレスはそこで教育の役割を重視する。アリストテレスの言う教育とは決して学校教育だけではない。独学も教育の一形態だ。
他者からの教示のことを教育と言っているようだ。成果を上げるために他者の教えに従い内省してみると、自分の知性が飛躍する。
筆者は成長のため教えを請うことが、レバレッジ(てこ)にも似た効果を持つと考える。
言うまでもなく集団で学校で学ぶことの役割もまた重要である。
ジェームズと並び米国のプラグマティズムを代表するジョン・デューイの「学校と社会」をみてみよう。
デューイは学校とは小型の社会だと述べていて、生徒は学校の中で狭い功利性から解放されて活動し、人間の精神の可能性を高めるトレーニングを積むと指摘する。
デューイの唱える学校の役割は戦後日本の教育改革に強い影響を与え、日本の初等教育が倫理性を重視する基礎を作ったことは有名だ。
学校生活が人格形成の場だと言えば、デューイの考え方は納得しやすいと思う。
最後に、なぜ教育が成果の飛躍的向上を生むのだろうか。習慣を通じて習得した能力と違っている点はどこにあるのか。
教育の種類を区分すると、①専門教育②一般教育の2つがある。
専門教育が能力を飛躍させることは説明を要しないだろう。
議論を深める意味があるのは、一般教育がどうして飛躍に通じるのかという点だ。
この点は、「一般教育=実用目的から離れた教養=リベラルアーツ」の意義を問い直すことで分かってくる。リベラルアーツを特に重視したのは古代ギリシャ人たちだ。教養主義とも呼ばれる。
もし自分が経験したことだけから知性を得ているのならば、それは偏狭な知性でしかない。
多くの人は経験していないことでも知識を得て知覚できる世界を広げていける。
この知覚能力は優れた文学、文化、芸術に触れると徐々に養われていく。
学問の世界ではこの知覚能力を応用し、経験していないことでも深く理解することが可能になる。特に数学のように抽象化により理解を広げるトレーニングでは能力を飛躍させやすい。
以上が、顕在化していない非認知能力を高めるために、筆者が実践すべきだと考えることの要点である。
熊野英生(くまの・ひでお)
第一生命経済研究所首席エコノミスト。1990年横浜国大経卒、日銀入行。調査統計局や情報サービス局を経て、2000年に第一生命経済研究所入社。11年より現職。日本ファイナンシャル・プランナーズ協会常務理事。山口県出身。近著に「インフレ課税と闘う!」(集英社)。
[日経ヴェリタス2024年6月16日号]』
第2回コラム 詐欺に遭ってしまう人の脳ではどんなことが起きている?
https://www.shiruporuto.jp/public/document/container/nochokin_100/column_002.html

『子どもや孫のふりをしたオレオレ詐欺、住居の不備などを騙(かた)って偽工事を勧める詐欺、恋愛系の詐欺などにだまされる人は相変わらず多いようです。
コロナ禍が始まって以降、ことに増えているとの話も……。
それはなぜでしょう。
思考系の鈍化が原因。記憶系を生かし冷静な判断を
だまされやすい人とは、前頭葉の思考系脳番地が衰えて、客観的な思考・判断力が弱っている状態にある人です。
相手をしっかり判断する思考回路ができていない、ともいえるでしょう。
前頭葉が衰えると、人の話を中途半端に聞いて拙速な判断をしがちです。
また、自分で複数の情報を集めて比較検討することもしなくなります。
いわば人まかせ。聞いた情報だけを信用してしまうのです。
とくに孤立した状況では、やさしく声をかけてくれる人をつい信頼してしまいます。
そこに多大な金銭の要求があっても、信用した自分の判断をなかなか否定できません。
そこで記憶系脳番地の発動です。
長く会えない肉親や友人を思えば、相手が好きな料理をコロナが落ち着いたら届けよう、などと想像できます。
そして、そんな親しい人たちに相談もせず、電話で話しただけ、訪ねてきただけの見ず知らずの人間に大金を渡すなどおかしいことに気づくはずです。
詐欺師は狙った相手に考える余裕を持たせずにお金を出させるプロです。
だからこそ、すぐに決断せず、なにか変かもという感覚を大切に、調べたり、人に相談したりして視野を広げましょう。』
『本コンテンツは、金融広報中央委員会発行の広報誌「くらし塾 きんゆう塾」Vol.62 2022年秋号(2022年(令和4年)10月発刊)から転載しています。
広報誌「くらし塾 きんゆう塾」目次 』