【速報】首相、防衛増税は「将来世代への責任」
https://www.47news.jp/politics/9160821.html
『岸田文雄首相は衆院本会議で、防衛財源確保のための増税措置について「今を生きるわれわれの将来世代への責任としてご協力をお願いしたい」と重ねて理解を求めた。』
【速報】首相、防衛増税は「将来世代への責任」
https://www.47news.jp/politics/9160821.html
『岸田文雄首相は衆院本会議で、防衛財源確保のための増税措置について「今を生きるわれわれの将来世代への責任としてご協力をお願いしたい」と重ねて理解を求めた。』
【速報】5年間で緊急的な防衛力強化が不可欠と首相
https://www.47news.jp/politics/9160741.html
『岸田文雄首相は6日の衆院本会議で防衛財源確保の特別措置法案に関して答弁し「戦後最も厳しく複雑な安全保障環境に直面しており、今後5年間で緊急的に防衛力を強化していくことが不可欠だ」と強調した。』
防衛費増額の財源法案が審議入り 税外収入4.6兆円を活用
https://www.47news.jp/politics/9160669.html
『防衛費増額の財源を確保するための特別措置法案が6日、衆院本会議で審議入りした。「防衛力強化資金」を創設し、2023年度予算に計上した4兆5919億円の税外収入を複数年度にわたって活用する措置を盛り込んだ。立憲民主、共産両党は法案に反対する方針。与野党には政府が年内の詳細決定を目指す防衛増税にも異論が強い。反撃能力(敵基地攻撃能力)の行使を可能とする安全保障政策の転換の是非とあわせ、激しい論戦が展開される見通しだ。
本会議には岸田文雄首相が出席。質疑に先立ち、鈴木俊一財務相が法案の趣旨説明を行い「わが国の防衛力の抜本的な強化や安定的な防衛力の維持に充てる」と述べた。
政府は昨年末、23~27年度の5年間で防衛力を抜本的に強化し、総額43兆円程度の防衛費を投じる方針を決めた。現行水準から増やす17兆円程度の財源は、歳出改革で3兆円強、決算剰余金で3兆5千億円程度、税外収入で4兆6千億円程度~5兆円強を捻出し、残りを増税や建設国債などで賄う方針だ。
共同通信 』
日本の民主主義は「外国産」なのか?:江戸時代の村に存在した“選挙”制度
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g02266/
※ 昔、「民主主義の基盤の考察」なる一文を書いたことがあり、ある人にメールで送った…。
※ その後、自分でも、その文章を読み返したくなり、「読み返したいので、オレに送信してくれ。」と頼んだことがある…。
※ しかし、返事は、「たぶん、消去してしまったので、送信はできん。スマンな。」というものだった…。
※ というのも、Windows7からWindows10への乗り換えで、愛用していたメーラーが使用できなくなり、その乗り換えのゴタゴタに伴って、旧データを随分と喪失してしまった…。
※ それで、旧メーラーで使っていた「メール・データ」も、随分と失ってしまったからだ…。
※ その時は、「まあ、いい…。元の文章は、オレの頭の中にある…。」とか、豪語した…。
※ しかし、その肝心の「オレの頭」が、最近は、さっぱり…、になって来ているものだから、話しにならんのだ…。
※ ただ、言えることは、「民主主義」は、「手段」の一つであって、「結果の妥当性」を、全く「保証するもの」では無い…、ということだ。
『政治・外交 2023.04.05
柿崎 明二 【Profile】
民主主義と権威主義のイデオロギー対立が国際社会で激化する中、筆者は「今こそ足元にある『自分たちの民主主義』を見つめなおすべきだと指摘する。実は鎖国体制にあった江戸時代、支配体制の末端にあった村で民主的な自治のシステムが生まれていた…。
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揺らぐ民主主義の正当性
普遍的な価値とされてきた民主主義の正統性が揺らいでいる。米国のトランプ大統領はじめデマゴギー(扇動)政権の相次ぐ誕生、「中国式の民主主義」を自任する習近平国家主席率いる権威主義国家中国の著しい台頭。日本でも国政選挙の投票率が5割近くをさまよい、政権交代の兆しもない。バイデン大統領が、中国、ロシアを念頭に唱える「民主主義によって権威主義に対抗する」というスローガン自体、欧米型民主主義が劣勢に陥りかねないことへの危機感の裏返しであろう。
深刻なのは、「自国を民主主義国家、他国を権威主義国家と定義すること自体が非民主的だ」という習氏の反論に対して説得力をもった再反論をできていないことだ。バイデン氏は、社会があくまでも寛容を守り続けるなら非寛容な人々によって社会が壊されてしまうという「寛容のパラドクス」を克服するつもりなのかもしれない。民主主義は権威主義に壊されないよう、非民主主義的な対応もとるべきだと。しかし、習氏の指摘に「そう、私たちは非民主主義的になった」と認めるわけにいかない。
そんな中、外交関係を断絶していたサウジアラビアとイランの外交正常化を中国が仲介した。今後、ウクライナ戦争の仲介に本格的に乗り出せば、「戦争や対立を終わらせるのは権威主義」という倒錯的な状態になる。
世界を、民主と権威だけに区分けすること自体に無理がある。スウェーデンの政府間組織「民主主義・選挙支援国際研究所(IDEA)は、民主主義と権威主義の間に「ハイブリッド」という類型を置く。2020年時点、民主主義国家に日米を、権威主義国家に中朝を、ハイブリッド国家にロシアやトルコを挙げている。「民主vs専制」は分かりやすいが、区分けの粗さが実態を見誤らせ、国際的な対立関係を悪化させかねない。
日本の「江戸の村型民主主義」
そもそも、民主主義自体もさまざまである。今必要なのは、各国で取り入れ方、制度設計、具体的な方法が千差万別な「民主主義」をそれぞれの国民が今一度、見つめなおし、欠点を修正し、長所を強化し、「私たちの民主主義」の強靭(きょうじん)化を図ることだ。それは、体制の欠点を認めない権威主義では難しい。この試みは習氏への説得力ある再反論になるだろう。
日本では、民主主義は「明治維新後、徐々に拡充され、太平洋戦争後の占領期に本格的に確立された」と解釈されている。つまり、「外国産」という認識が常識化している。であるがゆえに、日本人が民主主義について語る時、自嘲気味になるか、他国の民主主義化の歴史を引用した教科書的な言辞となりやすい。かくいう筆者もご多分に漏れず、である。
このような姿勢を脱するためにも、まずは日本の民主主義を見つめなおす必要がある。明治維新前、「江戸の村式民主主義」とも呼ぶべきシステムがあったことを知ることはその一助となるだろう。
「村掟の制定を始めとして、村の運営は村役人を中心に行われた。庄屋・年寄、あるいは名主・組頭などと名付けられる役職で構成される村役人の(略)人選はおおむね村の意向に任された。(略)村民の選挙によって選ぶ村も多かった」
日本歴史研究者の水本邦彦氏は『村 百姓たちの近世』(岩波新書、2015年)で、江戸時代の村の運営についてこう述べている。「村民の選挙」という部分に着目してほしい。江戸時代に選挙が行われていたということだ。
当時、選挙は「入札(いれふだ)」と称されていた。研究者間では常識で、1979年に刊行された『国史大辞典』(吉川弘文館)第一巻でも、「投票によって人選・売買・意思決定などをすること」「近世では入札によって村役人を選んだ例は多い」「選挙人と被選挙人の両方の名を記した場合と、被選挙人の名だけを記した場合がある」と説明している。
長野県立歴史館が資料によって長野地域の近世を活写した「信濃の風土と歴史④近世の信濃」(1998年)の中で、日本歴史研究家の青木歳幸氏は次のように記している。
「一七九四年(寛政六)、幕府領佐久郡北沢村(佐久市)では農民全員の入札(選挙)により高得点者が名主になっています」「一八〇九年(文化六)松代領の南長池村(長野市)では、小前とか帳下とよばれる下層農民も入札に参加して、彼らが推せんする人物が名主に当選するなど、選挙権も拡大していきました」「一八六三年(文久三)、佐久郡下海瀬村(佐久町)の名主と組頭の入札がおこなわれました。(略)まず台帳(有権者名簿)をつくり、人数分の札(投票用紙)を有権者に配ります。選挙会場で、その札に本人である確認の割り印を推した上で、候補者の名前を書いて札を入れます(投票)。その結果、最多の票数を得た候補者が当選しています」「入札帳には、宗太夫後家など三人の女性が有権者として登録されています。つまり江戸後期の村では女性も戸主であれば選挙権があり村政に参加できたのです」
方法が現在とほとんど同じであるだけではなく、女性まで含めた選挙権の拡大がすでに起きていた。英国で選挙権の拡大が始まったのは1832年からだ。さらに注目すべきは以下の記述だ。
「江戸時代の中ごろから、年貢や税の不公平なわりふりがあったりして、村役人たちと農民たちとの間に争いがおこってきました。これを村方騒動といいます」 「村方騒動は一八世紀後半から増加し、(略)村役人の選出方法が争点となりました」
欧米の民主化の情勢も知る由もない農民たちの戦いによって入札が導入されたのだ。日本独自の民主化の萌芽は入札にとどまらない。
民主主義の重要性認識を
「村の文書量がふえ、文書保管用の土蔵がない名主も出てきました。そこで、新しく文書保管庫が必要になってきました。一八一三年(文化一〇)、諏訪郡乙事村(富士見町)では、…文書保管のための郷蔵を建てました。…いわば村立の文書館といえます」
民主主義の重要な一要素とされる文書主義が進展していた。さらに驚くべき制度がある。村役人は名主(西国では庄屋)、組頭(同、年寄)、百姓代からなっていたが、百姓代の役割は、国史大辞典によれば「村政監査役」であり、「(近世)中期以後、村方騒動などをきっかけに登場する場合が多い。年貢や村入用の割付監査などに立ち会う(略)村方騒動の担い手となるケースも少なくなかった」とされている。チェックシステムを内蔵していたのだ。
確かにこれらの制度は幕藩という封建制度の枠内、それも「村」という最末端でしか機能していなかった。「普通選挙」など現代の選挙制度の原則を備えていなかった。そして総じて「個」より「共同体」を重視していることなど、今日から見れば極めて部分的で不完全である。しかし、それを日本人、それも統治される側が自治の中で生み出していたことも事実だ。
その有効性は、明治新政府が江戸時代の制度を否定しながら、明治元年(1968年)に発出した「政体書」で官吏の「入札」を定め、翌年には指導層を選出したこと、その10年後から本格化する地方制度整備のため江戸時代の自治などを調査した「郷村考」で、入札を参考例として挙げていることなどからも明らかだ。
「民主主義対権威主義」の是非という大テーマに目を向けるまでもなく、4月の統一地方選挙をめぐっても無投票、定員割れなど制度の機能停止が指摘されている。民主主義の基盤である選挙制度を機能停止させておいて「権威主義」に対抗できるのか。「民主主義は見放されている」という権威主義国家による認知戦に利用されかねない。機能停止はわれわれが民主主義制度の必要性を体感できないのが一因だろうが、数百年前の御先祖様たちが「公平に豊かに生きるため」に気が遠くなるような長い年月と、時には命をかけて数々の制度や権利を得た事実を知れば、その大事さを少しは認識できるのではないか。
バナー写真:第26回参院選の開票作業(東京都新宿区)=2022年7月10日(時事)
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選挙 江戸時代 民主主義 権威主義
柿崎 明二KAKIZAKI Meiji経歴・執筆一覧を見る
帝京大学法学部教授。1961年秋田県生まれ。早稲田大第一文学部卒。共同通信社政治部記者、編集委員、論説委員などを歴任。2020年10月から21年10月まで菅義偉内閣の首相補佐官を務めた。22年4月より現職。著書に『検証 安倍イズム~胎動する新国家主義』(岩波新書)などがある。』
報道と原発 記者クラブの虎の尾踏んだ小西議員と鉢呂経産相
https://tanakaryusaku.jp/2023/04/00028615
『小西ひろゆき議員が「サル発言」で参院憲法調査会の野党筆頭理事を更迭された件で、ジャーナリストのKEITARO(@keitarou1212)氏が、「既視感がある」とツイートしている。
既視感とは—
原発事故から間もない福島県を視察した鉢呂吉雄経産相が記者会見で「死の街のようだった」と表現したことが、問題発言として書き立てられ、辞任に追い込まれた。
ところが、福島の知人に聞くと「鉢呂さんはよく言ってくれた。実際人が住めなくなっているのだから」。マスコミ報道とはウラハラに鉢呂氏のコメントを評価していた。2011年8月のことだ。
鉢呂経産相の辞任記者会見に行くと、記者クラブは勝ち誇った雰囲気だった。田中は、ヤクザ言葉で鉢呂氏を攻め立てた時事通信の記者を、ドヤシつけた。
当時のもようは音声と画像も残っているので御覧頂きたい。
電力会社から多額の広告料をもらい、慰安旅行にまで連れて行ってもらっているマスコミにとって、原発に慎重な鉢呂大臣は追い落とさねばならない存在だったのだ。
辞任会見する鉢呂経産相。無念なのだろうか。表情はうつろだった。=2011年9月、経産省記者会見室 撮影:田中龍作=
小西議員は、安倍政権時に放送局に圧力をかけることを可能にする企てがあったことを示す総務省文書の存在を暴露した。
官邸による報道機関への圧力を白日の下に晒したのだが、新聞テレビにとっては有難迷惑だった。
新聞社は軽減税率の適用で政府に助けてもらい、テレビ局は超格安の電波使用料と新規参入の阻止で、政府の庇護下にある。
政府にオンブにダッコされている新聞テレビが政府を批判できる訳がないのだ。
圧力の中心にいた高市元総務相に対して及び腰だったマスコミは、サル発言を機に小西議員を攻め立てるようになった。今やメディアスクラム状態となっている。
鉢呂経産相(当時)と小西議員は、記者クラブメディアの虎の尾を踏んだのである。
~終わり~ 』
矢野顕子
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E9%87%8E%E9%A1%95%E5%AD%90
『出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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出典検索?: “矢野顕子” ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2014年9月)
矢野 顕子
出生名 鈴木 顕子
別名 鈴木晶子(ペンネーム)
生誕 1955年2月13日(68歳)
日本の旗 日本・東京都
出身地 日本の旗 日本・青森県青森市
学歴 青山学院高等部中退
ジャンル ジャズ
ポップ
テクノポップ
職業 シンガーソングライター
エッセイスト
担当楽器 ボーカル
ピアノ
キーボード
活動期間 1974年 –
レーベル 日本フォノグラム(1976年 – 1979年)
ジャパンレコード(1980年 – 1983年)
徳間ジャパン(1983年 – 1985年)
MIDI(1986年 – 1989年)
Epic/Sony Records(1991年 – 2003年)
ヤマハミュージックコミュニケーションズ(2004年 – 2013年)
SPEEDSTAR RECORDS(2013年 – )
事務所 ニューフレンズ
ソニー・ミュージックアーティスツ
共同作業者 ザリバ(1974年)
オリエンタル・エクスプレス(1976年 – 1977年)
KYLYN(1979年)
YMO(1979年 – 1980年)
矢野顕子グループ(アンソニー・ジャクソン、クリフ・アーモンド)(1996年 – 2007年)
THE HAMMONDS(1997年)
矢野顕子×上原ひろみ(2004年 – )
yanokami(2007年 – )
矢野顕子トリオ(ウィル・リー、クリストファー・パーカー)(2009年 – )
やもり(2010年 – )
公式サイト https://www.akikoyano.com/
矢野 顕子(やの あきこ、女性、1955年〈昭和30年〉2月13日 – )は、日本のシンガーソングライター。
アメリカ合衆国ニューヨーク州在住。
経歴
東京都に生まれる。幼少期を青森県で過ごす。青山学院高等部中退。
矢野は幅広い音楽性と鋭い感性を持ち、独創的な唄い手・演奏家・作・編曲家でもあるために、その音楽は奇矯な印象を与えることもあるが、老若男女問わず幅広い支持を集めている。
自身も世代やジャンルにこだわらない幅広い趣向を見せUNICORNの「すばらしい日々」や、ELLEGARDENの「右手」をカバーしたり、The Smashing Pumpkinsのファンで自身のライブにて同バンドの曲をピアノで演奏するなどしている。山下達郎は矢野を「歌詞に最も食べ物が良く出てくる作詞家である」と評した。
アメリカ合衆国在住であり、日本国外のミュージシャンとのセッションも多くこなしている。とりわけ、アンソニー・ジャクソン(ベース)、クリフ・アーモンド(ドラムス)とは、1996年以来キーボード・トリオである、通称「さとがえるトリオ」または「矢野顕子グループ」を組み定期的に活動しているほか(現在は中断)、「akiko」レコーディング・メンバーのマーク・リーボウ(ギター)、および「矢野顕子トリオ」としてウィル・リー(ベース)、クリストファー・パーカー(ドラムス)とも、日米で共演を重ねている。そのほか、マンハッタン・トランスファーのメンバー、ジャニス・シーゲルとの交流が深い。トーマス・ドルビーとはレコーディングを見学中に気にいられて急きょコーラスとして参加、後にリリースされた曲では歌詞の中でも登場することとなった。「She Blinded Me With Science 」(1982年)の歌詞で、”Good heavens Miss Sakamoto – you’re beautiful!”と歌われているのがそれである。2008年にリリースしたアルバム、「akiko」のプロデューサーは、2009年にグラミー賞を獲得したT・ボーン・バーネット。
デビューのきっかけになった青山ロブロイのオーナーの遠藤瓔子には厳しくしつけられたと語っている。1980年代後半から1990年代前半に、月刊カドカワで「月刊アッコちゃん」を連載していた。さまざまなインタビューにおいて「日本の若い音楽家はもっと技術を磨くべきだ」という信条を披露している。
人物
「矢野」の姓はデビュー当時に矢野誠と婚姻関係にあったため、当時の本名を芸名に使い、それが世に知れ渡ったために離婚後も使っている。
2人の子供の母親。前夫との間にできた長男は客室乗務員。歌手の坂本美雨は再婚相手の坂本龍一との間に生まれた長女。歌手としてデビューした坂本美雨について、「(iTunes Storeのダウンロード数では)絶対負けたくない」としている。
医師であった母方の祖父は、ロシア人の父親と日本人の母親との間に生まれた人物で、三陸沖地震や関東大震災の際の医療活動にも従事したという[1]。
2015年7月に、娘の美雨が長女を出産した際、前年秋に長男に第1子が誕生していたことを公表した。
エピソード
ホンネなのか、辛辣なのか、1981年4月の雑誌インタビューで、1979年のYMOの世界ツアー参加に対して、「毎日おんなじ人たちばっかり顔を合わせて、毎日おんなじことしなくちゃいけない。もうスケジュール表見ただけで疲れそう。旅自体キライだから、ウチでゴロゴロしている方がいいです」等と[2]、長い不遇の後、1981年にようやく「春咲小紅」が大ヒットすると、口も滑らかになり、「”私はあの人に恋したけどダメでした”とか”今日はメシがまずくてどーのこーの”とか歌われるとね、別にオマエの繰り言なんかどうでもいいヨって言いたくなるよね。でも繰り言ばかりでできちゃうスタイルもあるのよね。吉田拓郎みたいにさ。でも私はあれはやりたくない。なぜなら聴きたくないからだってのがあるからね。吉田拓郎はその点において一流だと思うのね。そういう繰り言をアピールする点で、たいへんな才能だと思う。中島みゆきサンみたいにさ、トロトロ自分の中のいろんな姿を歌の中に織り込んでいって、人の共感を得るってのも、すばらしい才能なのね。特に男と女とかさ。でも私は、あんなの作れたらいいナと思うけど、別に歌いたくないナって思う。じゃあ自分で歌いたい歌ってどういうのかっていうとさ、”今日は暑い、涼しくなりたい”とかさ、”水が飲みたい”とか、それがいいと思うのね。だからやってるだけ。ラブソングだったら思いっきりラブソングがいいと思うのね。いつかやろうと思うけどさ、もっとうまい人がいっぱいいるからね。だったらユーミン聴いてるほうがいい、大貫妙子さん聴いてるほうがいいって思うじゃない。それは自分に向いてないと、自分を見てるわけよ。オフコースすてきだナと思っても、オフコースと同じことは、私できないもんね。『ごはんができたよ』も現実みたいだけど、ホントは夢なんですよ」等と同業者を批判した[2]。
略歴
出生 – 1955年
1955年、東京生まれ。
医師である父の開業に伴い、3歳で青森に転居。中学まで青森市で過ごす。青森明の星高等学校付属ピアノ教室でピアノを習い始める。鍵盤にカミソリを立てて演奏するという厳しいレッスンだったという。
既にこの頃から「その日起きた楽しかったこと」などを、即興のピアノと歌で表現していたほか、発表会では既定の曲を即興でアレンジすることもあったという。
ザ・ゴールデン・カップスのファンになり、しばしば当時居住していた青森から、彼らがデビュー以来出演していた横浜市本牧のバー「ゴールデン・カップ」まで見物に行っていたという。
中学生のころから父親に連れられてジャズ喫茶に通う。独学でジャズを弾くようになる[3]。
1971年 - 軽音楽部に憧れて単身上京し青山学院高等部に入学。
ジャズをやるため軽音楽部に入部したものの、部ではロックばかりだったので落胆する。このとき組んでいたバンドのメンバーには、後に作曲家となる渡辺俊幸がいた[4][5]。この軽音楽部の先輩の紹介でレストランのピアノ演奏の仕事を始める。帰宅が深夜になるため高校を中退。心配した父親が知人である安部譲二の家に居候させる。ピアノ弾きとして売れっ子になり、安部と当時の妻であった遠藤瓔子が経営するジャズクラブ「青山ロブロイ」にも出演する[3]。これが業界人の間で評判になり、筒美京平らに声をかけられる。
1973年 - ファースト・アルバム発売を前提に、細野晴臣、林立夫らキャラメル・ママ(のちティン・パン・アレー)の主要メンバーと共にスタジオ録音を行う。結局アルバムは発売されず、一部の録音がアルバム『JAPANESE GIRL』、『いろはにこんぺいとう』、および1996年発売のベスト・アルバム『ひとつだけ/the very best of 矢野顕子』に収録された。この頃からスタジオ・ミュージシャン(キーボード・コーラス)として、アグネス・チャン、荒井由実、吉田美奈子などさまざまなアーティストのレコーディングに参加。
1974年 - バンド「ザリバ」名義で、トリオレコードよりシングル『或る日』をリリース。筒美京平が作曲、矢野誠がアレンジを担当。
デビュー当時18歳。レコード会社は矢野にしか興味が無かったので、シングル1枚を発売しただけですぐに解散となる。
長男の妊娠を機に矢野誠と結婚。当時19歳。
1975年 - 小坂忠に対し、「鈴木晶子」名義で楽曲提供[注釈 1]。
1976年 - デビュー・アルバム『JAPANESE GIRL』を発表。
デビュー作ではA面で米国のバンド、リトル・フィートをバックに迎え、B面であがた森魚、細野晴臣、鈴木茂、駒沢裕城、ムーンライダーズの面々と共演。自作曲のほか、故郷青森の民謡と歌謡曲を矢野顕子流にアレンジしている。アメリカ録音では、リトル・フィートのリーダー、ローウェル・ジョージは矢野の音楽のレベルに対して自分達が十分サポートしきれなかったことをプロデューサーに泣きながら詫び、ギャラを受け取らなかった[6]。
1977年
4月より1年間、NHKのAMラジオ番組「若いこだま」のラジオパーソナリティを担当。
8月発売のセカンド・アルバム『いろはにこんぺいとう』において、シンセサイザー・プログラマーに松武秀樹が参加。
翌年には次作『ト・キ・メ・キ』でも松武が参加し、さらに矢野、松武ともどもイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)にサポート・メンバーとして参加することになる。
矢野はその後坂本龍一、ジェフ・ボヴァ、レイ・ハラカミらと電子音楽に傾倒していく。
1978年
9月26日、「ト・キ・メ・キ」ツアーにYMOのメンバー3人が参加。YMOメンバーとの共同作業を開始する。
1979年
矢野誠と離婚。
ライブ・アルバム『東京は夜の7時』発表。ジャケット写真は長男の風太(当時4歳)である。アルバム収録曲「カタルン・カララン」の作詞は、矢野・菊地まみ・風太の3名の共作となっている。
KYLYN BAND(渡辺香津美主宰)やカクトウギ・セッション(坂本龍一主宰)、YMOの第1回ワールドツアーに参加。
1980年 – 1989年
1980年
3月から産休に入り、5月に長女美雨誕生。7月には加藤和彦のレコーディングのためベルリンに行く。YMOの国内ツアーには参加せず、10月からの第2回ワールドツアーに帯同する。
10月発売のアルバム『ごはんができたよ』からジャパンレコード(現・徳間ジャパンコミュニケーションズ)に移籍。このアルバムは、YMOのメンバーが全面的にバッキングしたLP2枚組の大作である。
1981年 - カネボウ化粧品のCMソングに起用されたシングル『春咲小紅』が、オリコンシングルチャート最高5位となるヒット。
矢野の作品はシングルヒットとは殆ど無縁で、この曲以後、1990年にドラマ『やっぱり猫が好き』のオープニングテーマだった「David」が発売されるまでは、オリコンシングルチャートに登場することはなかった。
1982年
坂本龍一と正式に結婚。
糸井重里の発案で、中断期をはさみながらピアノ1台あればどこへでもライヴに赴くという「出前コンサート」をスタートする。時期により形態は異なるが、スタッフはマネジメントとサウンドエンジニアのみ、個人でも招聘することができ、若年者と高齢者は入場料が無料となったこともある。
5月、「ヘンタイよいこバンド」のライブで、忌野清志郎と共演。
1983年
4-5月、「わたしのにゃんこ」が、NHK「みんなのうた」で放映される。
ムーンライダーズのドラマー、かしぶち哲郎のアルバム『リラのホテル』を共同制作。かしぶちのツアーにも参加。
1984年 - アルバム『オーエス オーエス』発売。収録曲の「ラーメンたべたい」が、1994年に詩の教材として高校国語の教科書に掲載される。
1985年 - 高橋悠治のピアノによるクラシック歌曲集『BROOCH』を自主制作盤として発売。
1986年
レコード・デビュー10周年。
2月発売のアルバム『峠のわが家』より、自らも設立に関与したレコード会社、ミディに移籍。
5月より、雑誌「月刊カドカワ」において、コラム「月刊アッコちゃん」の連載を開始(- 1997年)。
1987年 - 「グラノーラ・ツアー」を最後に、「矢野顕子解散宣言」にて音楽活動を一旦終了し、翌年より1年間の育児休暇に入る。
1989年 - パット・メセニーらニューヨークのジャズ・ミュージシャンとのコラボレーションを機に活動を再開し、アルバム『WELCOME BACK』を発売。
1990年 – 1999年
1990年 - 一家でアメリカニューヨーク州へ移住し、活動の拠点とする。
1991年 - アルバム『LOVE LIFE』よりEpic/Sonyへ移籍。
1992年 - アルバム『SUPER FOLK SONG』発売。弾き語りシリーズの第一弾。これに伴い、ドキュメンタリーフィルム『SUPER FOLK SONG - ピアノが愛した女。』上映。坂本龍一との別居が報じられる。
1994年
アサヒ飲料烏龍茶CMに出演。小林薫と共演。
ネスレ「ブライト」のCMに宮沢和史とともに出演。使用楽曲は『二人のハーモニー』。
1995年 - アルバム『Piano Nightly』制作のため、ウィーン郊外の城にピアノを持ち込みレコーディング。「ピアノ・ナイトリィ・ツアー」では託児所つきコンサートを行った。
1996年
レコード・デビュー20周年。
年末の「さとがえるコンサート」をスタート。アンソニー・ジャクソン、クリフ・アーモンドと通称「さとがえるトリオ」または「矢野顕子グループ」(Blue Note東京公演での名称)結成。
映画『モスラ』の挿入曲の作曲を担当[4]。小林恵、山口紗弥加が歌唱。映画への書き下ろし作品提供は初。音楽担当は、高校時代にバンドを組んでいた渡辺俊幸であった[4]。
1997年 - ジェフ・ボヴァとのユニット「THE HAMMONDS」結成。日米でアルバムを発表。
1998年 - 「出前コンサート」再開。
1999年 - スタジオジブリの映画『ホーホケキョ となりの山田くん』の音楽を手がけ、藤原先生役で声を担当。- 織部賞を受賞。
2000年 – 2009年
2000年 - 大貫妙子・鈴木慶一・宮沢和史・奥田民生と「Beautiful Songs」コンサートを全国8カ所で行う。ライブ・アルバム『LIVE Beautiful Songs』も発売。
2002年
NHK「みんなのうた」にて、坂本美雨と『くまんばちがとんできた』を共演。
「FUJI ROCK FESTIVAL」「RISING SUN ROCK FESTIVAL」に、忌野清志郎との共演で初出演。
2003年
アニメ映画『あたしンち』の主題歌を担当。
この年から、ブルーノート東京での出演を開始。
2004年
アルバム『ホントのきもち』よりヤマハミュージックコミュニケーションズに移籍。同アルバムにてくるりの岸田繁やレイ・ハラカミとのコラボレーションによる楽曲なども発表。
2005年
デビュー以来初のオフィシャルファンクラブ「The gathering」を開設。会報などの紙媒体の発行は行っておらず、インターネット上でのファンクラブであり、矢野が毎月ニューヨークの名所を映像で紹介するコーナーや、月2回のコンサートのストリーム配信等を行っている。
映画『誰がために』の劇中音楽全てを担当。また、花王の消臭剤「リセッシュ」のCMソングの歌唱を担当。
11月23日 - 銀座のApple Store で ライブイベントを開き、話題となった。ARENAmac.ASCII24
そのほか、マイラ・カルマン作の絵本『しょうぼうていハーヴィ ニューヨークをまもる』を翻訳。
ジブリ美術館で上映されている映画『やどさがし』、『水グモもんもん』で声優として出演。
2006年
レコード・デビュー30周年。「さとがえるコンサート」10周年。ベスト・アルバム『いままでのやのあきこ』をリリース。
アルバム『はじめてのやのあきこ』にて槇原敬之・小田和正・YUKI・井上陽水・忌野清志郎・上原ひろみと共演。
レイ・ハラカミと共演で「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」に初出演。「FUJI ROCK FESTIVAL」「RISING SUN ROCK FESTIVAL」に再出演。
8月 - 坂本龍一と14年に亘る別居の末、協議離婚が成立。
8月 - 病床に伏したレコーディング・エンジニア、吉野金次のために「吉野金次の復帰を願う緊急コンサート」を細野晴臣らと共に実施。のちにDVD『音楽のちから』も発売。
2007年
レイ・ハラカミとのユニット、yanokamiとしての本格始動開始。デビュー・アルバム『yanokami』を、8月8日ヤマハミュージックコミュニケーションズからリリース。
2008年
yanokamiとしてのデビュー・アルバムの英語版、『yanokamick』を3月12日にリリース。 yanokamiとしてシンガポールのMosaic Music Festivalに出演。
3月21日、デビュー・アルバム『JAPANESE GIRL』のリメイクをライブにて敢行。のちにiTunes配信の形で発売。
8月1日から3日の間、ギタリスト、マーク・リーボウと一緒に、ブルーノート東京に出演。15日には「RISING SUN ROCK FESTIVAL」に再出演した。
10月にはT・ボーン・バーネットのプロデュースによるアルバム、『akiko』をリリース。
河口湖ステラシアターでは、森山良子と共演を果たす。
映画『崖の上のポニョ』では、声優として「ポニョの妹」を担当。
2009年
大阪サンケイホールブリーゼにて、岡林信康、細美武士、清水ミチコをゲストに迎えたリサイタルを開催。
7月12日には、上原ひろみとのデュオで、North Sea Jazz Festival(オランダ・ロッテルダム)に初出演。
8月にはブルーノート東京にて、ウィル・リー、クリス・パーカーとのトリオで出演。
9月4日には、東京JAZZフェスティバルにも、「矢野顕子 x 上原ひろみ」として出演。
9月22日に開催される、くるりのイベント、「京都音博2009」に出演。
2010年 – 2019年
2010年
約10年ぶりとなる弾き語りアルバム『音楽堂』を発売。
森山良子とユニット「やもり」を結成。アルバム『あなたと歌おう』発売。
2011年
3月27日、ニューヨーク市内で行われた、ジョン・ゾーンの呼び掛けによる東日本大震災被災者の支援を訴えるチャリティ・コンサートに、オノ・ヨーコらと共に参加。5月17日にはウィル・リー主催のものにも参加。
6月4日 - 矢野が歌を担当した揖保乃糸CM放送開始。
9月公開の映画『監督失格』(平野勝之監督)において、主題歌『しあわせなバカタレ』など6曲を担当。
9月3日・4日、東京芸術大学の学生とのコラボレーション企画、「やの屋」実施。
9月9日、上原ひろみと東京・昭和女子大学人見記念講堂にてレコーディング・ライブを実施、11月にライブ・アルバム『Get Together ?LIVE IN TOKYO?』発売。12月の「さとがえるコンサート」でも上原と共演。
2012年
5月3日・4日 - フリーライブイベント「TOKYO M.A.P.S」(六本木ヒルズ)のオーガナイザーを務める。
12月 - 「さとがえるコンサート」にて、清水ミチコと共演。
2013年
8月 - シングル『リラックマのわたし』よりSPEEDSTAR RECORDSに移籍。
2014年
4月 - レーベル移籍後初となるアルバム『飛ばしていくよ』を発表。
2015年
12月 - 「さとがえるコンサート」にて、TIN PAN(細野晴臣、鈴木茂、林立夫)と共演。
2016年
3月-4月 - 活動40周年記念「第1弾“ふたりでジャンボリー”」として、石川さゆり、上妻宏光、清水ミチコ、奥田民生、森山良子、大貫妙子と共演。
2019年
上妻宏光とのコラボユニット「やのとあがつま」を始動[7][8]。
2020年 –
2020年
3月4日 - 「やのとあがつま」のアルバム『Asteroid and Butterfly』をリリース[7][8]。
3月6日 - テレビアニメ『大家さんと僕』(3月2日 - 6日放送、NHK総合)の主題歌を担当。同タイトルの書き下ろし楽曲を配信[9][10]。
ディスコグラフィ
シングル
発売日 タイトル 規格品番 チャート 備考
オリコン
[11]
日本フォノグラム
1st 1977年 いろはにこんぺいとう FW-2004 (7inch) – –
2nd 1977年 行け柳田 FW-2005 (7inch) – –
ジャパンレコード→徳間ジャパン
3rd 1980年 ごはんができたよ JAS-3 (7inch) – –
4th 1981年2月1日 春咲小紅 JAS-2001 (7inch) 5位 2004年江崎グリコの企画でCD発売 (AR-G205)
5th 1981年6月1日 ただいま JAS-2008 (7inch) – –
6th 1981年11月25日 あしたこそ、あなた JAS-2018 (7inch) – –
キャニオンレコード
7th 1982年 ごめんなさい Oh Yeah 6G0014 (7inch) – –
徳間ジャパン
8th 1983年 わたしのにゃんこ JAS-2042 (7inch) – –
9th 1984年8月5日 ラーメンたべたい JAS-14 (7inch) – –
MIDI
10th 1985年 愛がたりない MIS-14 (7inch) – –
11th 1987年11月21日 花のように MIS-21 (7inch) – –
12th 1990年10月21日 David MDDS-52 (8cmCD) 88位 –
Epic Records
13th 1992年1月22日 BAKABON ESDB-3262 (8cmCD) – –
14th 1992年6月1日 SUPER FOLK SONG ESDB-3308 (8cmCD) – –
15th 1993年5月1日 CHILDREN IN THE SUMMER ESDB-3376 (8cmCD) – –
16th 1994年5月1日 すばらしい日々 ESDB-3469 (8cmCD) 79位 –
17th 1994年7月1日 夢のヒヨコ ESDB-3492 (8cmCD) – –
18th 1994年9月7日 愛があれば? [LOVE CAN’T BE BLIND] ESDB-3516 (8cmCD) – –
19th 1995年10月21日 想い出の散歩道 ESDB-3625 (8cmCD) – –
20th 1996年7月21日 春咲小紅/ひとつだけ ESDB-3700/1 (8cmCD×2) – –
21st 1997年5月1日 クリームシチュー [The Stew] ESDB-3752 (8cmCD) – –
1997年10月1日 ESDB-3789 (8cmCD) – –
MIDI
22nd 1998年3月25日 Home Sweet Home MDDS-72 (8cmCD) – –
徳間ジャパン
23rd 1998年4月22日 丘を越えて TKDA-71363 (8cmCD) – –
Epic Records
24th 1999年5月21日 GIRLFRIENDS FOREVER ESCB-1982 (CD) – –
25th 1999年7月1日 ひとりぼっちはやめた ESDB-3914 (8cmCD) 92位 –
26th 2002年3月5日 Dreaming Girl ESCL-2297 (CD) – –
27th 2003年12月3日 あたしンち ESCL-2468 (CCCD) – –
ヤマハミュージックコミュニケーションズ
28th 2006年2月1日 PRESTO YCCW-30006 (CD+DVD) 99位 –
非売品ソノシート
『赤ちゃんのおしり』(1983年、日本プロクターアンドギャンブル、規格番号E-6879)
当時パンパースを2箱買うともらえた『赤ちゃんの絵本』に付いていたソノシート収録。パンパースCMソング。作詞:糸井重里/作曲:坂本龍一。1989年発売の『On the Air』で初CD化。1995年の『愛がたりない』にも収録。作曲した坂本龍一の「Works I-TV/CM』や『Works II-TV/Inst.』※にも収録。※インストバージョンで収録。
参加楽曲
ザリバ
或る日(1974年、トリオレコード)B面 / こわれた時計のように
ソロデビュー前に活動していたバンド唯一のシングル。バンドはシングル発売直後に解散した。
THE BOOM&矢野顕子
それだけでうれしい(1992年5月2日、Sony Records)
矢野顕子&宮沢和史
二人のハーモニー (1995年5月1日、Epic)c/w カラオケ3バージョン ※オリコン25位
二人のハーモニー (2020年6月3日、MHKL-28、GT) B面:カラオケ~お二人で~※7インチ再発盤
矢野顕子&坂本美雨
くまんばちがとんできた(2002年11月20日、Epic)c/w (instrumental)
矢野顕子&大貫妙子
横顔(2018年7月4日)
配信限定シングル。大貫が以前発売したアルバム「ミニヨン (mignonne)」に収録されていた楽曲。アサヒビール「アサヒグランマイルド」のCMソングに起用された。
アルバム
オリジナル・アルバム
発売日 タイトル 規格品番 チャート 備考
オリコン
[12]
日本フォノグラム
1st 1976年7月25日 JAPANESE GIRL FW-5012 (LP) 35位 1977年LP再発 (S-7034)
1988年10月25日CD再発 (25JC-342)
1992年12月21日CD再発 (TKCA-30754)
1994年5月25日CD再発 (TKCA-70371)
1998年5月13日LP再発 (TKJA-10026)
2002年10月23日CD再発 (TKCA-72459)
2011年11月23日CD再発 (MDCL-1518)
2nd 1977年8月5日 いろはにこんぺいとう S-7019 (LP) 35位 1992年12月21日CD再発 (TKCA-30756)
1994年5月25日CD再発 (TKCA-70373)
1998年5月13日LP再発 (TKCA-10028)
2002年10月23日CD再発 (TKCA-72461)
2011年11月23日CD再発 (MDCL-1520)
3rd 1978年9月5日 ト・キ・メ・キ S-7049 (LP) 46位 1994年5月25日CD再発 (TKCA-70374)
1998年5月13日LP再発 (TKJA-10029)
2002年10月23日CD再発 (TKCA-72462)
2011年11月23日CD再発 (MDCL-1521)
徳間ジャパン
4th 1980年10月1日 ごはんができたよ JAL-1001/2 (2LP) 31位 1982年CD発売 (35JC-1)
1986年CD再発 (MDCZ-1134)
1986年CD再発 (MID-3001)
1986年LP再発 (MIL-3001/2)
1989年11月12日CD再発 (MD32-1057)
1993年9月21日CD再発 (MDCL-1250)
2015年11月25日SHM-CD発売 (MDCL-5039)
40J-1 (CT)
5th 1981年5月1日 ただいま。 JAL-7 (LP) 20位 1985年CD発売 (35JC-118)
1986年LP再発 (MDCZ-1132)
1986年9月5日CD再発 (MID-2005)
1991年8月21日CD再発 (MDC7-1074)
1993年9月21日CD再発 (MDCL-1251)
2016年4月6日SHM-CD発売 (MDCL-5040)
28J-6 (CT)
6th 1982年6月25日 愛がなくちゃね。 JAL-1801 (LP) 29位 1985年CD発売 (35JC-127)
1986年CD再発 (MDCZ-1133)
1986年CD再発 (MID-2006)
1986年LP再発 (MIL-2006)
1988年CD再発 (MDC7-1075)
1991年8月21日CD再発 (MDC7-1075)
1993年9月21日CD再発 (MDCL-1252)
2016年4月6日SHM-CD発売 (MDCL-5041)
20J-2 (CT)
7th 1984年6月25日 オーエス オーエス 28JAL-10 (LP)
28JALS-10 (7inch) 23位 1986年CD再発 (MID-2007)
1986年LP再発 (MIL-2007)
1991年8月21日CD再発 (MDC7-1076)
1993年9月21日CD再発 (MDCL-1253)
2016年9月7日SHM-CD発売 (MDCL-5042)
2019年11月27日LP発売(MHJL-120)(ソニー)
28J-105 (CT)
38JC-101 (CD)
やのミュージック
8th 1985年6月 BROOCH MDR-1/4 (4×7inch) 57位 シングル4枚組形態の自主制作盤
1986年9月5日LP発売 (MIL-1018)
1991年3月21日CD発売 (MDC7-1018)
1991年9月21日CD発売 (MDCL-1255)
2016年9月7日SHM-CD発売 (MDCL-5043)
MIDI
9th 1986年2月21日 峠のわが家 MIL-1011 (LP) 20位 1986年CD再発 (MDCZ-1135)
1988年CD再発 (MDC7-1011)
1990年12月21日CD再発 (MDC7-1011)
1993年9月21日CD再発 (MDCL-1254)
2013年12月25日SHM-CD発売 (MDCL-5019/20)
2019年11月27日LP発売(MHJL-121)(ソニー)
MIT-1011 (CT)
35MD-1011 (CD)
10th 1987年11月21日 GRANOLA MIL-1034 (LP) 36位 1991年3月21日CD再発 (MDC7-1034)
1993年CD再発 (MDCZ-1231)
1993年9月21日CD再発 (MDCL-1256)
2013年12月25日SHM-CD発売 (MDCL-5024)
MIT-1034 (CT)
35MD-1034 (CD)
11th 1989年4月21日 WELCOME BACK MIT-1048 (CT) 27位 1993年9月21日CD再発 (MDCL-1258)
2015年5月27日SHM-CD発売 (MDCL-5038)
32MD-1048 (CD)
Epic Records
12th 1991年10月25日 LOVE LIFE ESCB-1255 (CD) 21位 2013年4月10日Blu-spec CD発売 (MHCL-30074)
13th 1992年6月1日 SUPER FOLK SONG ESCB-1294 (CD) 10位 ピアノ弾き語り作品
2013年4月10日Blu-spec CD発売 (MHCL-30075) 2019年11月20日LP発売(MHJL-14)
14th 1993年6月2日 LOVE IS HERE ESCB-1403 (CD) 12位 2013年4月10日Blu-spec CD発売 (MHCL-30077)
15th 1994年10月1日 ELEPHANT HOTEL ESCB-1523 (CD) 16位 2013年4月10日Blu-spec CD発売 (MHCL-30079)
16th 1995年10月21日 Piano Nightly ESCB-1677 (CD) 21位 ピアノ弾き語り作品
2013年4月10日Blu-spec CD発売 (MHCL-30078)
17th 1997年7月1日 Oui Oui ESCB-1816 (CD) 21位 2013年4月10日Blu-spec CD発売 (MHCL-30079)
18th 1999年8月4日 Go Girl ESCB-2006 (CD) – 2013年4月10日Blu-spec CD発売 (MHCL-30080)
19th 2000年11月1日 Home Girl Journey ESCB-2181 (CD) – ピアノ弾き語り作品
2013年4月10日Blu-spec CD発売 (MHCL-30081)
ESGB-302 (SACD)
20th 2002年3月20日 reverb ESCL-2302 (CD) – 2013年4月10日Blu-spec CD発売 (MHCL-30082)
ESGL-308 (SACD)
ヤマハミュージックコミュニケーションズ
21st 2004年10月27日 ホントのきもち YCCW-10009 (CD) – 2015年11月25日LP発売 (YCJW-10006)
YCCW-10011 (SACD)
22nd 2008年10月22日 akiko YCCW-10089 (CD) 28位 2015年11月25日LP発売 (YCJW-10007)
23rd 2010年2月10日 音楽堂 YCCW-10108 (CD) 30位 ピアノ弾き語り作品
2015年11月25日LP発売 (YCJW-10004)
SPEEDSTAR RECORDS (Victor Entertainment)
24th 2014年3月26日 飛ばしていくよ VICL-64141 (CD) 34位 2014年8月15日LP発売 (JSLP-038)
25th 2015年9月16日 Welcome to Jupiter VICL-64413 (CD) 28位 2015年9月16日LP発売 (HRLP-010)
VIZL-873 (2CD)
26th 2017年11月29日 Soft Landing VIZL-1280 (CD+DVD) ピアノ弾き語り作品
VICL-64817 (CD)
27th 2018年11月28日 ふたりぼっちで行こう VIZL-1435 (CD+DVD+BOOK)
VICL-65046 (CD)
28th 2021年8月25日 音楽はおくりもの VIZL-1833(CD+DVD) 2021年8月25日LP発売(VIJL-60245)
VICL-65453 (CD)
ライブ・アルバム
発売日 タイトル 規格品番 チャート 備考
オリコン
[12]
日本フォノグラム
1st 1976年12月5日 長月 神無月 S-7001 (LP) 60位 1992年12月21日CD発売 (TKCA-30755)
1994年5月25日CD再発 (TKCA-70372)
1998年5月13日LP再発 (TKJA-10027)
2002年10月23日CD再発 (TKCA-72460)
2011年11月23日SHM-CD発売 (MDCL-1519)
2nd 1979年4月25日 東京は夜の7時 S-7081 (LP) – 1994年5月25日CD発売 (TKCA-70375)
1998年5月13日LP発売 (TKJA-10030)
2002年10月23日CD再発 (TKCA-72463)
2011年11月23日SHM-CD発売 (MDCL-1522)
MIDI
3rd 1988年5月21日 グッド・イーブニング・トウキョウ MIL-1039 (LP) 30位 1993年3月1日CD再発 (MDCL-1039)
1993年9月21日CD再発 (MDCL-1257)
32MD-1039 (CD)
4th 1994年7月21日 出前コンサート MDCL-1280 (CD) – –
Epic Records
5th 2000年6月21日 TWILIGHT
?the“LIVE”best of Akiko Yano? ESCB-2139 (CD) 84位 –
ヤマハミュージックコミュニケーションズ
6th 2008年9月24日 JAPANESE GIRL
-Piano Solo Live 2008- 配信限定 – 2014年11月26日CD発売 (YCCW-10244)
7th 2012年8月8日 荒野の呼び声 -東京録音- YCCW-10175 (CD) 79位 –
SPEEDSTAR RECORDS(JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)
8th 2015年8月26日 飛ばしていくよ Piano Solo Live 2015 配信限定 – –
ベスト/コンピレーション
発売日 タイトル 規格品番 チャート 備考
オリコン
[12]
徳間ジャパン
1982年 FROM JAPAN TO JAPAN JAL-1802 (LP) – 1999年6月9日CD発売 (MDCL-1347)
やのミュージック
1988年 HOME MUSIC MCD-6 (CD) – 通販限定[13]
1988年 やのミュージック – 初期アルバム5枚+特典1枚のボックスセット
MIDI
1989年1月1日 HOME MUSIC II MIT-1045 (CT) 90位 1993年3月1日CD発売 (MDCL-1045)
徳間ジャパン
1989年7月25日 あそこのアッコちゃん 25JC-410 – –
1990年11月25日 コレクション1(1976~79) TKCA-30168 (5CD) – 初期アルバム5枚のボックスセット[14]
MIDI
1990年12月1日 矢野顕子コレクション MDCZ-1131/8 (8CD) – アルバム8枚のボックスセット[15]
1992年9月21日 On the Air MDC8-1185 (CD) 88位 –
1993年5月21日 矢野顕子コレクション(1980~1989) MDCZ-1225/34 (10CD) – 1980年-1989年のアルバム9枚+ボーナスCDのボックスセット[16][17]
1995年1月21日 愛がたりない MDCL-1286 (CD) – アルバム未収録曲のコンピレーション(『矢野顕子コレクション(1980~1989)』のボーナスCDを単品発売したもの)[18][19]
Consipio Records
1995年 YOHJI YAMAMOTO COLLECTION
MUSIC THE SHOW Vol.3 COCD-9210 (CD) – –
Epic Records
1996年9月23日 ひとつだけ
the very best of 矢野顕子 ESCB-1776 (CD) 7位 –
2003年10月1日 ピヤノアキコ。
?the best of solo piano songs? ESCL-10004 (SACD) – –
Sony Music Direct
2006年8月23日 いままでのやのあきこ MHCL-874/6 (CD+DVD) 97位 –
SPEEDSTAR RECORDS (Victor Entertainment)
2016年11月30日 矢野山脈 VICL-64624/6(3CD) 24位 –
VIZL-1035 (4CD+DVD)
その他アルバム
発売日 タイトル 規格品番 チャート 備考
オリコン
[12]
徳間ジャパン
サントラ 1999年7月1日 ホーホケキョとなりの山田くん
スペシャル・サウンドトラック
?よし、ジブリと一緒に作るぞ!? TKCA-71639 (CD) – –
ホーホケキョとなりの山田くん
オリジナル・フル・サウンドトラック
?家内安全は、世界の願い。? TKCA-71635 (2CD) – –
ジェネオン
サントラ 2005年10月13日 誰がために
オリジナルサウンドトラック GNCL-7002 (CD) – –
ヤマハミュージックコミュニケーションズ
ミニ 2006年3月8日 はじめてのやのあきこ YCCW-10021 (CD) 42位 2015年7月29日にLP発売 (YCJW-10002)
カバー 2013年2月6日 矢野顕子、忌野清志郎を歌う YCCW-10192 (CD) 34位 2015年7月29日にLP発売 (YCJW-10002)
参加アルバム
発売日 タイトル 規格品番 チャート 備考
オリコン
[12]
DENON
カバー 1979年 QUEEN SONGS SX-7031 (LP) – 「矢野誠 featuring 矢野顕子」名義
1993年8月21日CD発売 (MDCL-1238)
東芝EMI
朗読 1993年2月3日 雪のひとひら TOCT-6917/8 (2CD) – 矢野とピーター・ガブリエルによる朗読作品
1998年11月6日CD再発 (TOCT-10522/3)
Epic Records
ミニ 1997年7月1日 life behind TV (JAPANESE VERSION) ESCB-1824 (CD) – Jeff Bovaとのユニット「THE HAMMONDS」名義
life behind TV (ENGLISH VERSION) ESCB-1823 (CD) –
東芝EMI
ライブ 2000年10月18日 LIVE Beautiful Songs TOCT-24456/7 (2CD) – 矢野、大貫妙子、奥田民生、鈴木慶一、宮沢和史によるアルバム
ヤマハミュージックコミュニケーションズ
オリジナル 2007年8月8日 yanokami YCCW-10034 (CD) 24位 レイ・ハラカミとのユニット「yanokami」名義
2008年3月12日 yanokamick
-yanokami English version- YCCW-10045 (CD) 234位 「yanokami」名義
2010年7月14日 あなたと歌おう YCCW-10116 (CD) 83位 森山良子とのユニット「やもり」名義
Universal Music Classic
ライブ 2011年11月23日 Get Together ?LIVE IN TOKYO? UCCT-1233 (CD) 22位 「矢野顕子×上原ひろみ」名義
UCCT-9022 (SHMCD+DVD)
ヤマハミュージックコミュニケーションズ
オリジナル 2011年12月14日 遠くは近い YCCW-10163 (CD) 58位 「yanokami」名義
インスト 遠くは近い -reprise- YCCW-10164 (CD) 134位
SPEEDSTAR RECORDS (Victor Entertainment)
ライブ 2015年3月18日 さとがえるコンサート VICL-64318/9 (2CD) 32位 「矢野顕子+TIN PAN」名義
VIZL-803 (2CD+BD)
2016年4月6日 矢野顕子+TIN PAN PART II
さとがえるコンサート VICL-64561/2 (2CD) 27位 「矢野顕子+TIN PAN」名義
VIZL-954 (2CD+BD)
Universal Music Classic
ライブ 2017年3月8日 ラーメンな女たち -LIVE IN TOKYO- UCCO-1171 (SHM-CD) 17位 「矢野顕子×上原ひろみ」名義
UCCO-8011 (SHM-CD+DVD)
収録アルバム
三浦光紀の仕事(2012年12月5日、ベルウッド・レコード) - 三浦光紀のプロデュースしたレコードからのコンピレーション。矢野については『JAPANESE GIRL』等からの選曲。Disc 4は矢野顕子によるカバー集。
海外盤
AKIKO YANO(1990年、NONESUCH)
ROBERT HURWITZとJOHN ZORNの選曲によるコンピレーション
LOVE LIFE(1993年、NONESUCH)
PIANO NIGHTLY(1996年、NONESUCH)
映像作品
yano akiko 1984 オーエス オーエス Live(1984年、やのミュージック)
BROOCH(1986年、ソニー)
出前コンサート(1987年、やのミュージック)
WELCOME BACK(1990年12月1日、MIDI)8枚組ボックスセット「矢野顕子コレクション」の特典ビデオ
SUPER FOLK SONG ?ピアノが愛した女?(1992年、坂西伊作監督)
アルバム「SUPER FOLK SONG」のレコーディングを追ったドキュメンタリー映画
矢野顕子S席コンサート(1994年、Epic)
TWILIGHT ?the“LIVE”best of Akiko Yano?(2000年6月21日、Epic)
ライブ・ピヤノアキコ。(2003年10月1日、Epic)
音楽のちから ?吉野金次の復帰を願う緊急コンサート(2007年4月25日、グリーンドア)
細野晴臣&東京シャイネス・オールスターズ、ゆず、友部正人、大貫妙子、佐野元春との共同名義。
akiko -Live 2008-(2009年10月21日、YMC)
Two Jupiters(2016年4月6日、ビクターエンタテインメント)
映画
出演作
TOKYO MELODY(1984年、エリザベス・レナード監督)坂本龍一のドキュメンタリーに出演。
SUPER FOLK SONG ?ピアノが愛した女?(1992年、坂西伊作監督)自身のドキュメンタリー。
ホーホケキョとなりの山田くん(1999年、高畑勲監督)声優として出演。
ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム(2004年、サン・マー・メン監督)ドキュメンタリー。インタビュー出演。
やどさがし(2006年、宮崎駿監督) 三鷹の森ジブリ美術館用短編アニメ。声優として出演。
崖の上のポニョ(2008年、宮崎駿監督) 声優として出演。
忌野清志郎 ナニワ・サリバン・ショー?感度サイコー!!!? (2011年、鈴木剛[要曖昧さ回避]監督) 忌野清志郎のドキュメンタリーに出演。
やの屋 - 藝大生×矢野顕子 希望の作り方 (2011年、平野勝之監督) 自ら参画したイベントのドキュメンタリー。
音楽担当作
悶絶!!どんでん返し(1977年、神代辰巳監督)劇中で「あんたがたどこさ」「金太郎」が使用される
モスラ(1996年、米田興弘監督)挿入歌「祈りの歌」「モスラレオ」の作曲
大安に仏滅!?(1998年、和泉聖治監督)主題歌に「Home Sweet Home」が採用
卓球温泉(1998年、山川元監督)主題歌に「丘を越えて」が採用
ホーホケキョとなりの山田くん(1999年、高畑勲監督)音楽監督
あたしンち(2003年、やすみ哲夫監督)主題歌「あたしンち」を担当
誰がために(2005年、日向寺太郎監督)音楽監督
監督失格(2011年、平野勝之監督)音楽監督
しあわせのパン(2012年、三島有紀子監督)主題歌に「ひとつだけ」(『はじめてのやのあきこ』収録の、忌野清志郎とのデュエット・バージョン)が採用
すーちゃん まいちゃん さわ子さん(2013年、御法川修監督)劇中歌に「PRAYER」が採用
体脂肪計タニタの社員食堂(2013年、李闘士男監督)主題歌「さあ、召しあがれ」を担当
ワイド!スクランブル(テレビ朝日系)2014年4月1日 - 2018年3月30日の4年間、番組テーマ曲に「ごはんとおかず」を起用
テレビ番組
新NY者(新ニューヨーカー)#28矢野顕子 アッコちゃんと5台のピアノ(1989年5月31日、CX)
ピアノ・ナイトリィ?矢野顕子とピアノの3夜(1996年7月29日 - 31日、NHK BS2)
SONGS(2008年11月5日、2010年9月22日、NHK)
佐野元春のザ・ソングライターズ(2009年9月5日、12日、NHK教育)
旅のチカラ「"私のピアノ”が生まれた町へ?矢野顕子 ドイツ・ハンブルク?」(2013年3月1日、NHK BSプレミアム)
書籍
家庭版 アッコちゃん(1989年4月 角川書店)ISBN 4-04-883235-2
アッコちゃんスタイルブック(1991年11月 角川書店)ISBN 4-04-883306-5
月刊アッコちゃん〈峠のわが家編〉角川文庫(1994年1月 角川書店)
月刊アッコちゃん〈2〉愛をつれて会いに行こう 角川文庫(1994年7月 角川書店)
愛は海山越えて―月刊アッコちゃん〈3〉角川文庫(1994年11月 角川書店)
きょうも一日楽しかった 角川文庫(1996年7月 角川書店)
街を歩けばいいことに当たる 角川文庫(1997年8月 角川書店)
愛について考える毎日 角川文庫(1998年5月 角川書店)
しょうぼうていハーヴィ ニューヨークをまもる(翻訳、マイラ・カルマン原著、2004年12月 リトル・ドッグ・プレス)
えがおのつくりかた all about 矢野顕子(2006年11月 オレンジページ)ISBN 978-4-87303-474-4
せかいでいちばんあたまのいいいぬ ピートがっこうへいく(翻訳、マイラ・カルマン原著、2007年10月 リトル・ドッグ・プレス)
「ユリイカ 詩と批評 臨時増刊号-総特集 矢野顕子-ピアノが愛した女。…矢野顕子の40年」2017年2月号、青土社。作品論
関連書籍
創作あーちすと NON(のん、2017年3月太田出版)- 対談相手の一人
参加作品
小坂忠 -「つるべ糸」- アルバム『ほうろう』収録(1975年)、作詞・作曲、キーボード。鈴木晶子名義。
あがた森魚 - アルバム『日本少年』(1976年)、コーラス・ピアノ。
鈴木慶一とムーンライダース -「地中海地方の天気予報」- アルバム『火の玉ボーイ』収録(1976年)、作詞・ピアノ。
茶坊主 -「カララン カラタケ 知っている」- アルバム『トゥリー・オブ・ライフ』収録(1976年)、作曲・ボーカル。
渡辺香津美 -「Water Ways Flow Backward Again」- アルバム『KYLYN』(1979年)収録、作曲・ピアノ。
渡辺香津美 -「在広東少年」(作詞・作曲・歌唱・ピアノ)「The River Must Flow」(歌唱・ピアノ)「I'll Be There」(作詞・歌唱・ピアノ)- ライブアルバム『KYLYN LIVE』(1979年)収録。
坂本龍一とカクトウギ・セッション -「スリープ・オン・マイ・ベイビー」- アルバム『サマー・ナーヴス』(1979年)収録、作詞・作曲・歌唱。
イエロー・マジック・オーケストラ - ライブ・アルバム『パブリック・プレッシャー』(1980年)、キーボード・コーラス。
イエロー・マジック・オーケストラ -「KANG TONG BOY」(在広東少年)- ライブ。アルバム『フェイカー・ホリック』(1979年録音、1991年発売)、『ライヴ・アット・武道館1980』(1980年録音、1993年発売)、『ワールド・ツアー1980』(1980年録音、1996年発売)収録。作詞・作曲・キーボード・ボーカル。他の演目についてもキーボード、コーラス。
加藤和彦 - アルバム『うたかたのオペラ』(1980年)、ピアノ・ザイロフォン。
糸井重里 -「SUPER FOLK SONG」「SLEEPING DUCK」- アルバム『ペンギニズム』収録(1980年)、作曲・ピアノ。
坂本龍一 -「かちゃくちゃねえ」「Tell'em to me」- アルバム『左うでの夢』収録(1981年)、作詞・コーラス。
大村憲司 -「Under Heavy Hands And Hammers」(ピアノ)「Far East Man」(コーラス)-『春がいっぱい』(1981年)収録。
加藤和彦 - アルバム『ベル・エキセントリック』(1981年)、ピアノ。
トーマス・ドルビー「Radio Silence」- アルバム『The Golden Age of Wireless 』収録(1982年)、コーラス。
郷ひろみ -「毎日僕を愛して」「独身貴族」- アルバム『比呂魅卿の犯罪』収録(1983年)、作曲・コーラス。
加藤和彦 - アルバム『あの頃、マリー・ローランサン』(1983年)、ピアノ。
かしぶち哲郎 - アルバム『リラのホテル』(1983年)、編曲・歌唱・ピアノ。
かしぶち哲郎 -「ダイアログ」- アルバム『彼女の時』収録(1985年)、デュオ・ボーカル。
高中正義 -「CHINA」(1985年)- アルバム『TRAUMATIC 極東探偵団』収録(1985年)、コーラス。
坂本龍一 -「ステッピン・イントゥ・エイジア」(1986年)、作詞・コーラス。
あがた森魚 -「パール・デコレーションの庭」-『バンドネオンの豹』収録(1987年)作曲・編曲・ボーカル。
小原礼 -『PICARESQUE』(1988年)、ピアノ。
大貫妙子 -「或る晴れた日」- アルバム『PURISSIMA』収録(1988年)、ピアノ。
井上陽水 -「Pi Po Pa」- アルバム『ハンサムボーイ』収録(1990年)、コーラス。
THE BOOM -「釣りに行こう」- シングル(1990年)、編曲・ボーカル。
パット・メセニー -「As a flower blossoms (I am running to you)」- アルバム『Secret Story』収録(1991年)、ゲスト・ボーカル。
佐野元春 - シングル「また明日…」- アルバム『Sweet16』収録(1992年)、コーラス。
トニーニョ・オルタ -「Akiko's Song」- アルバム『FOOT ON THE ROAD』収録(1994年)、ゲスト・ボーカル。
ムーンライダーズ -「ニットキャップマン」- アルバム『Bizzare Music For You』収録(1996年)、ボーカル。
村上秀一 -「青い山脈」- アルバム『Welcome to my Life』収録(1998年)、ボーカル・ピアノ。
テイ・トウワ -「Higher」- アルバム『Sound Museum』収録(1998年)、ボーカル。
チーフタンズ - 「Sake in the Jar」 - アルバム『Tears of Stone』収録(1999年)、ゲスト・ボーカル。
渡辺香津美 - 「Water Ways Flow Backward Again」- アルバム『ONE FOR ALL』(1999年)収録、作曲・ピアノ。
坂本美雨 - 「ひとつだけ」作詞・作曲・歌唱、「DAWN」作詞・作曲 - アルバム『DAWN PINK』(1999年)収録。
ORIGINAL LOVE - 「美貌の都」 - アルバム『踊る太陽』収録(2003年)、ピアノ。
森山良子 -「さとうきび畑」- シングル『涙そうそう』収録(2003年)、ピアノ。
大村憲司 -「Leaving Home」- アルバム『Leaving Home best live tracks II』収録(2003年)、ピアノ。
平井堅 -「大きな古時計」- アルバム『Ken's Bar』収録(2003年)、ピアノ。
くるり - 「Tonight Is The Night」 - アルバム『NIKKI』収録(2005年)、ピアノ。
上原ひろみ -「Green Tea Farm」- アルバム『プレイス・トゥ・ビー』日本盤収録(2009年)、歌唱。
くるり -「Baby I love you」- アルバム『くるり鶏びゅ?と』収録(2009年)、歌唱・ピアノ。
清水ミチコ -「いもむしごろごろ」- アルバム『バッタもん』収録(2009年)、ボーカル・ピアノ。
あがた森魚 - ライブアルバム『あがた森魚とZIPANG BOYZ號の一夜』(2009年)、ボーカル・ピアノ。
ムーンライダーズ - ライブアルバム『moonriders LIVE at MIELPARQUE TOKYO HALL 2011.05.05“火の玉ボーイ コンサート”』(2012年)、ボーカル。
大橋トリオ -「窓」- アルバム『White』収録(2012年)、作詞・ボーカル。
奥田民生 -「野ばら」- アルバム『奥田民生・カバーズ2』収録(2013年)、ボーカル・ピアノ。
ウィル・リー -「1,2,3」- アルバム『Love, Gratitude and Other Distractions』収録(2013年)、ボーカル・ピアノ。
LINDBERG -「GLORY DAYS」- アルバム『LINDBERG TRIBUTE~みんなのリンドバーグ~』 収録(2014年)。
楽曲提供
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吉田美奈子 -「かたおもい」- アルバム『FLAPPER』収録(1976年)、作詞・作曲。
石川セリ -「昨日はもう」- アルバム『気まぐれ』収録(1977年)、作曲。
佐藤奈々子 -「パウダー・ゲーム」- アルバム『Kissing Fish』収録(1979年)、作曲。
アグネス・チャン -「ひとつだけ」- アルバム『美しい日々』収録(1979年)、作詞・作曲。
ラジ -「わたしはすてき」- アルバム『Quatre』収録(1979年)、作詞。
MANNA -「Gotanda」- アルバム『Chabako Trick』収録(1979年)、作詞・作曲。
ラジ -「みどりの声」- アルバム『真昼の歩道』収録(1980年)、作詞・作曲。
糸井重里 - 「SUPER FOLK SONG」- 『ペンギニズム』収録(1980年)、作曲。
桜田淳子 -「MY DEAR」ほか - アルバム『MY DEAR』収録(1981年)、作曲。
伊藤つかさ -「私 I Love You」「ともだちへ」- アルバム『さよなら こんにちわ』収録(1982年)、作詞・作曲。
山田邦子 -「借りものの海辺」- アルバム『贅沢者』収録(1982年)、作曲。
松田聖子 -「そよ風のフェイント」- アルバム『Windy Shadow』(1984年)収録、 作曲。
坂本龍一 -「森の人」- アルバム『音楽図鑑』(1984年)収録、作詞。
松田聖子 -「両手の中の海」- アルバム『The 9th Wave』収録(1985年)、作詞・作曲。
高見知佳 -「怒濤の恋愛」(1985年)、作曲。
高橋幸宏 -「仕事を終えたぼくたちは」- アルバム『Once A Fool,...』(1985年)収録、作詞。
小泉今日子 -「マッスル・ピーチ」- アルバム『Flapper』(1985年)収録、作曲。
坂本龍一 -「Ballet Mechanique」「G.T.」- アルバム『未来派野郎』(1986年)収録、作詞。
杉浦幸 -「花のように」- シングル(1987年)、作詞・作曲。
山瀬まみ -「ヒント」- アルバム『親指姫』(1989年)収録、作曲。
巻上公一 -「平成じゃらん節」シングル『平成じゃらん節』収録(1990年)作曲。
薬師丸ひろ子 -「星の王子さま」(1991年)、作曲。
エリアス姉妹(小林恵・山口紗弥加)-「祈りの歌」「モスラレオ」-『モスラ/オリジナルサウンドトラック』(1996年)収録、作曲。
THE BOOM -「夢を見た」- アルバム『TROPICALISM -0°』(1996年)収録、作詞。
松田聖子 -「上海ラヴソング」- シングル(2000年)、作詞。
KinKi Kids -「勇敢な君に」 - アルバム『L album』収録(2013年)、作詞・作曲。
のん -「わたしはベイベー」- アルバム『スーパーヒーローズ』収録(2018年)、作詞・作曲。
MISIA -「希望のうた」(2022年)、作詞・作曲。
CM出演
ネスレ日本 ブライト - 宮沢和史と共演
トヨタ自動車 カローラフィールダーハイブリッド「丘を越えて Aパターン篇」- 木村拓哉(SMAP)、OKAMOTO'S、清水翔太、PUFFYらと共演
タマホーム
さっぽろ地下街 - 「さっぽろ地下街ポイントクラブの歌」提供[20]
脚注
[脚注の使い方]
注釈
^ 「つるべ糸」。アルバム『ほうろう』収録。のちに「やませ(東風)」として自らも収録。
出典
^ 平岡正明『タモリだよ』p.165
^ a b 今井智子「追っかけインタビュー 矢野顕子 『春咲小紅』が大ヒット!いよいよアッコちゃんの時代到来か!?」『シティロード』1981年4月号、エコー企画、9頁。
^ a b “10代、ジャズミュージシャンをひたすら目指して 矢野顕子(前編)”. 朝日新聞デジタル&w (2016年11月24日). 2019年9月30日閲覧。
^ a b c 「インタビュー 渡辺俊幸」 『モスラ』東宝〈東宝SF特撮映画シリーズVOL.11〉、1996年12月21日、43-44頁。ISBN 4-924609-66-8。
^ 「スーパー戦隊制作の裏舞台 渡辺俊幸」 『スーパー戦隊OfficialMook 20世紀 1999 救急戦隊ゴーゴーファイブ』講談社〈講談社シリーズMOOK〉、2018年6月9日、32頁。ISBN 978-4-06-509611-6。
^ 音楽プロデューサー、三浦光紀による発言。映画『SUPER FOLK SONG ピアノが愛した女。』(坂西伊作監督、1992年)
^ a b “やのとあがつま”. 2022年5月2日閲覧。
^ a b “やのとあがつま”. SPEEDSTAR RECORDS. 2022年5月2日閲覧。
^ “総合テレビでアニメ化決定!大家さんと僕”. NHK_PR (2020年2月21日). 2020年2月21日閲覧。
^ “矢野顕子 アニメ「大家さんと僕」主題歌を担当、3/6配信”. Musicman (2020年2月21日). 2020年2月21日閲覧。
^ 矢野顕子のシングル作品 オリコン
^ a b c d e 矢野顕子のアルバム作品 オリコン
^ 矢野顕子『きょうも一日楽しかった』角川書店(角川文庫)、1996年、119頁。ISBN 4-04-192504-5。
^ “矢野顕子 / コレクション1(1976~79) [5CD] [限定]”. CDJournal. 2020年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月26日閲覧。
^ “矢野顕子コレクション [8CD] [限定]”. CDJournal. 2020年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月26日閲覧。
^ “ディスコグラフィー 矢野顕子コレクション”. Akiko Yano official website. 2006年10月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月26日閲覧。
^ “矢野顕子 / 矢野顕子コレクション(1980~1989) [10CD] [限定]”. CDJournal. 2020年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月26日閲覧。
^ “ディスコグラフィー 愛がたりない”. Akiko Yano official website. 2006年10月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月26日閲覧。
^ “矢野顕子 / 愛がたりない”. CDJournal. 2020年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月26日閲覧。
^ 2021年(令和3年)12月26日(日曜日) 北海道新聞 朝刊『日曜ナビ』 1面・2面「五感紀行」
関連項目
あがた森魚 - アルバム「JAPANESE GIRL」はあがたの「日本少年」へのアンサーアルバムであるとされるなど、初期の矢野が影響を受けた。
イエロー・マジック・オーケストラ - 矢野が1979年から1980年にかけて、ワールドツアー等でサポートメンバーとして参加した。また矢野のアルバムにおいてはバックバンドを務める。
糸井重里 - 「春咲小紅」以来、矢野作品の多くで作詞を担当するほか、対談なども継続的に行っている。
忌野清志郎 - ライブで共演するなど親交が深かった。「きよしちゃん」(「音楽堂」所収)は忌野へのリスペクト。
ウィル・リー - Will Lee 1970年代より矢野の録音に参加し、2010年代も「ブルーノート」(東京)を拠点に矢野とトリオを組むベーシスト。
エハラマサヒロ - 矢野のモノマネをしている芸人。
大貫妙子 - 1970年代以来の友人であり、互いの作品に参加、楽曲のカヴァーを行う関係である。
大村憲司 - 1970年代末に六本木PIT INN等で共演して以来、矢野のアルバム、ライブに参加したギタリスト。
くるり - アルバム「ホントのきもち」を共同制作したほか、矢野はくるりの曲のカバーを積極的に行っている。
清水ミチコ - 矢野のモノマネをしている芸人。清水自身矢野のファンを自認しており、テレビ・コンサートで共演することもある。
立花ハジメ - 1980年代中盤より、舞台・パッケージのデザインを手掛けるデザイナー。
細野晴臣 - ティン・パン・アレーの時代から親交も深い。「終りの季節」「恋は桃色」などをカバー。
槇原敬之 - NHK-FM「坂本龍一サウンドストリート」のデモテープ特集で矢野が推薦して取り上げて以来、親交も深い。
三浦光紀 - デビューから初期にかけて、矢野を発掘し売り出したエグゼクティブ・プロデューサー。
ムーンライダーズ - 「JAPANESE GIRL」でメンバーがバックバンドを務めて以来の親交がある。
森山良子 - 2010年よりユニット「やもり」結成。
吉野金次 -「JAPANESE GIRL」の頃より矢野の録音に携わる録音技術者。弾き語り作品は吉野の録音が不可欠であるとされる。
レイ・ハラカミ - 2007年よりユニット「yanokami」として活動するエレクトロニカのアーティスト。
上妻宏光 - 2019年よりユニット「やのとあがつま」として活動する津軽三味線奏者。
外部リンク
公式ウェブサイト
矢野顕子所属レコード会社(スピードスター・レコーズ)
旧矢野顕子所属レコード会社(ヤマハミュージックコミュニケーションズ)
旧矢野顕子オフィシャルサイト(ソニーミュージック)
yanokami公式サイト
やもり公式サイト
やのコレ
ほぼ日刊イトイ新聞 『音楽堂』ができるまで。
ほぼ日刊イトイ新聞 矢野顕子について、アッコちゃんと話そう。
ほぼ日刊イトイ新聞 どうぶつの話を、矢野さんと。
ほぼ日刊イトイ新聞 矢野顕子は糸井重里の言葉をどうやって歌にするのか
ほぼ日刊イトイ新聞 私でありすべてである音楽よ、ありがとう。大貫妙子?矢野顕子(2021年)
ほぼ日刊イトイ新聞 矢野顕子さんの 「音楽のみなもと」の話。 (2022年)
矢野顕子 (piyano.akiko) - Facebook
矢野顕子 Akiko Yano (@Yano_Akiko) - Twitter
矢野顕子 - NHK人物録
表話編歴
矢野顕子
表話編歴
坂本龍一
表話編歴
イエロー・マジック・オーケストラ
表話編歴
忌野清志郎
表話編歴
Sony Music Artists
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テキストはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスの下で利用可能です。追加の条件が適用される場合があります。詳細は利用規約を参照してください。 』
「交流に情熱」坂本龍一さん追悼 中国外務省
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023040301015&g=int
『2023年04月03日19時01分
【北京時事】中国外務省の毛寧副報道局長は3日の記者会見で、「中日間の人文交流に情熱を傾けてくれた」と坂本龍一さんを追悼した。中国では世代を問わず、坂本さんの知名度は高い。
【写真特集】音楽家 坂本龍一さん~死去71歳、「YMO」~
坂本さんは映画「ラストエンペラー」の音楽に、中国の楽器「二胡」を取り入れている。毛氏は「中国の要素を含む優秀な音楽作品をたくさん創作し、実際の行動で両国の友好的交流に貢献した」と強調。さらに多くの両国の有識者が坂本さんに続き、友好事業に加わってほしいと述べた。 』
日銀短観 大企業製造業の景気判断 5期連続で悪化
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230403/k10014027401000.html


『日銀は3日、短観=企業短期経済観測調査を発表し、大企業の製造業の景気判断を示す指数はプラス1ポイントと前回を6ポイント下回り、5期連続で悪化しました。
日銀の短観は、国内の企業およそ9200社に3か月ごとに景気の現状などを尋ねる調査で、景気が「良い」と答えた企業の割合から「悪い」と答えた企業の割合を差し引いた指数で景気を判断します。
今回の調査はことし2月27日から3月31日にかけて行われ、大企業の製造業の指数はプラス1ポイントと、前回・12月の調査を6ポイント下回り、5期連続で悪化しました。
海外経済の減速への懸念や半導体の需要の落ち込みで、「電気機械」や「鉄鋼」などの業種が悪化したほか、原材料価格の高止まりによる仕入れコストの増加で、「紙・パルプ」や「非鉄金属」なども悪化しました。
一方、大企業の非製造業の景気判断は、プラス20ポイントと、前回を1ポイント上回り、4期連続で改善し、コロナ禍前の2019年12月の水準と並びました。
新型コロナの影響の緩和や外国人観光客の増加によって、「小売」やレジャー施設などの「対個人サービス」が改善しました。
3か月後の見通しについては、大企業の製造業では自動車の生産が回復するほか、「繊維」や「紙・パルプ」、それに「非鉄金属」など、幅広い業種で原材料価格の高騰の影響が一服するとの見方が出ていることから、2ポイントの改善となっています。
一方、大企業の非製造業では、「建設」や「不動産」などで原材料価格の高騰への懸念があるほか人手不足が続くとの見方もあって、5ポイントの悪化が見込まれています。』
坂本一亀
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E6%9C%AC%E4%B8%80%E4%BA%80
『出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ポータル 文学
坂本 一亀(さかもと かずき、1921年12月8日 – 2002年9月28日[1])は、日本の編集者。
来歴・人物
福岡県甘木市(現:朝倉市)生まれ。愛称は「ワンカメさん」。
1943年に学徒出陣により、日本大学法文学部国文学科を繰上卒業し入隊。佐賀と満洲の通信隊にいたとされる。敗戦3ヵ月後に復員。故郷に帰り、文学書に読み耽りながら小さな同人誌をやっていたところ、元河出書房社員の眼にとまったのがきっかけとなり、1947年1月に河出書房に入社[1]。1947年7月、待望の編集部に移り、『ドストエフスキー全集』の訳者米川正夫の担当となる。同月、伊藤整、瀬沼茂樹、平野謙の三人を揃えて文芸評論全集を企画。
以後、野間宏『真空地帯』、椎名麟三『赤い孤独者』、三島由紀夫『仮面の告白』、島尾敏雄『贋学生』、高橋和巳『悲の器』など戦後文学の名作を次々と手がけ、純文学編集者として名を馳せた[1]。
1957年、河出は1度目の倒産を経験し、坂本は残務整理にあたる再建要員として残され、河出書房新社が再出発、1962年から1964年まで雑誌『文藝』の編集長。1978年に退社。構想社を設立し、2005年頃まで出版活動を行った。
2002年9月28日に死去[2]。80歳没。
実業家の下村彌一は岳父。音楽家の坂本龍一は長男(一人っ子)で、父のことをインタビュー等で度々語っている(下記の評伝も龍一の発案)。孫の坂本美雨も歌手として活動している。
評伝
田邊園子 『伝説の編集者 坂本一亀とその時代』 作品社、2003年6月/河出文庫、2018年4月』
植田日銀総裁誕生の裏に“権力の興亡” 本命・雨宮副総裁が漏らしていた“本音”とはhttps://www.dailyshincho.jp/article/2023/04030558/?all=1
『10年にも及んだ異次元緩和を主導した黒田東彦日銀総裁に代わり、新たに中央銀行を統べるは経済学者の植田和男氏(71)。難題山積の中、異例の学者総裁にかじ取りを任せるのはなぜか。日銀、財務省、そして官邸の間で繰り広げられた「権力の興亡」、その内幕に迫る。【軽部謙介/ジャーナリスト・帝京大学教授】
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【写真を見る】キャッシュで億ションを購入したという日銀・黒田総裁
10年ぶりに日本銀行の総裁が交代する。4月以降は、総裁・植田和男(東大名誉教授)、副総裁・氷見野良三(前金融庁長官)、同・内田眞一(日銀理事)という体制に金融政策のかじ取りが委ねられるが、人選の過程を検証していくと「日本の権力構造」に潜む問題点が浮き上がってくる。そしてそれは、日銀総裁とは、誰が、どのように、何を基準にして選ぶべきなのかという問いにつながっていく。
雨宮の言い分
元首相の安倍晋三が撃たれた2022年の夏も終わろうとしていた。
財務省の有力OB二人と日銀副総裁の雨宮正佳が都内の鮨屋でネタをつまみながら杯を交わしていた。アルコールがダメな雨宮も旧知の顔ぶれを相手に、よもやま話に花を咲かせた。
佳境に入り黒田東彦(はるひこ)・日銀総裁の後任人事に話が及んだ。このとき、後継の最有力候補といわれていた雨宮は二人にこういう趣旨の話をした。
――新総裁は、黒田体制の10年だけでなく1998年の新日銀法施行以降の「非伝統的」と呼ばれた金融政策全般を対象に点検・検証するべきだ。しかし、自分はそれを主宰する任にはふさわしくない。なぜならその大半に関与しているからだ――。
確かに、雨宮は2000年代以降の量的緩和開始、異次元緩和実施、長短金利を操作するイールドカーブ・コントロール(YCC)導入など非伝統的金融政策に深く関わった。その張本人が問題点を含めた検証を行ったら正当性が確保できないという言い分には一理あった。
各国の中央銀行総裁の多くは学者
もう一つ、雨宮が強調したポイントがあった。それは「学者の起用に道を開く」ということだ。副総裁就任後、各国の中央銀行総裁が集まる会合に代理出席する機会も多くなった雨宮は、トップたちが部下の助けも借りずに難解なテーマを自分たちの言葉で議論している現場を目の当たりにしてきた。
彼らの多くは経済学の博士号を取得している。ノーベル経済学賞を受賞したベン・バーナンキ(元米連邦準備制度理事会=FRB=議長)、ジャネット・イエレン(前FRB議長)、スタンレー・フィッシャー(元イスラエル中銀総裁)、ラグラム・ラジャン(元インド中銀総裁)らは世界的に名の通った学者でもある。中国や韓国でも中銀のトップは学者が務めている。
しかも、中央銀行の国際的な連携は、リーマンショックを契機に、事務当局者同士が下で詰めて上に上げていくというやり方から、トップが電話で協議するというやり方に変わっている。問題は日本がそのコミュニティーに入っていけるかだ。経済・金融理論に対する深い知識や語学力など、日銀総裁には従来と異なる資質も求められる。
「優秀な学者が中央銀行トップになるという国際標準を、日本でも実現するべきではないか」
雨宮はこう言っていた。』
『雨宮の真意
財務省は日銀の所管官庁として総裁選びにも深く関与する。実は先のOBだけでなく、このころ日銀人事を準備する過程で雨宮と接触した現役官僚も同じ趣旨の話を聞かされていた。
財務省の関係者たちには意外な感じがした。日銀総裁レースの大本命は雨宮だ。望んでもなれないそのポストは、1979年の入行以来日銀一筋で生きてきたこの男にとっても悲願のはず。「本当はやりたいと思っているが、最初は「自分には無理だ」などと言って一歩下がる常識的な対応」という見方も強かった。
雨宮の言っていることは本心なのだろうか。それとも一種の目くらまし戦術なのか――。
財務省は最後まで雨宮の真意を測りかねた。
そもそも彼らは今回の人事をこう位置付けていた。
「うちの番ではない」
この意味は歴代総裁の出自をたどればよくわかる。財務省が大蔵省だった時代から、日銀・財務の出身者が中央銀行トップの座をほぼ独占しており、両者が交代で就任するたすき掛け人事、いわゆる「交代ルール」が暗黙の了解だったのだ(掲載の表参照)。今回は財務省出身の黒田が2期10年務めた後で、「日銀の番」となるのが順当だった。
交代ルールを外れた人事
それでも、この役所は早くから正副総裁についていくつかの組み合わせを想定していた。最有力とみられたのは雨宮を頂点とし、副総裁の一人に財務省関係者、もう一人を学者にする案だ。
副総裁候補には財務官経験者ら何人かの名前が挙がった。しかし、ここで年次が問題になる。雨宮は79年の日銀入行。入省年次が同期もしくはそれよりも上の場合は対象から外された。そこで浮上してきたのが氷見野だった。金融庁長官を務めたが、もともとは83年の大蔵省入省だ。氷見野の副総裁就任は、財務省が「雨宮総裁」を予想していたことの裏返しだったわけだ。
そして、もう一人の学者としては、雨宮より年齢が上の植田ではなく、日銀出身の東大教授である渡辺努などの名前が挙がっていた。
しかし、結果的に総裁に選ばれたのは、交代ルールを外れるばかりか、21代宇佐美洵(まこと)以来、戦後2人目となる「民間」出身者の植田だった。
関係者によると、雨宮から固辞の理由を聞かされていた首相の岸田文雄は、深く共鳴するところがあったようで、総裁の条件を問われた国会質疑で「主要国中央銀行トップとの緊密な連携、質の高い発信力、受信力が格段に重要になっている」と説明している。雨宮の主張にそっくりだ。
そして、大本命の雨宮の辞意が固いとみた岸田官邸は、かねてから目をつけていた植田への傾斜を強めていく。最終的に正副総裁三人の人選が固まったのは年末から年始にかけてだったといわれる。』
『知らされなかった財務省
しかし、財務省は最後までこの人選を知らされなかった。彼らが「植田総裁」という情報を得たのは、メディアで一斉に報じられた2月10日の数日前だったのだという。過去に日銀を従えて総裁の人選に深く関与してきた財務省は「死んだふり」をしているのか。それとも本当に死んでしまったのかは判然としない。
財務省・日銀出身者の交代ルールが崩れたことに加えて、今回の総裁人事にはもう一つ特徴があった。それは2代続けてのポリティカル・アポインティー(政治任用)化だ。
後述する98年の新日銀法施行以前も、以降も、総裁選びは所管官庁である財務省(以前は大蔵省)と日銀が官邸とあうんの呼吸で詰めていくのが流儀だった。この二つの組織が交代ルールを参考にしながら有力として推す候補者に決着できるよう根回しも万全だった。
特定の金融政策を実施するために選ばれた総裁
しかし、10年前このプロセスは大きく変化した。12年12月の総選挙に勝利し政権に復帰した安倍は「大胆な金融政策」を柱とする経済政策、「アベノミクス」を掲げていた。そのため、13年4月に迫っていた日銀総裁人事は政権の行方を占う上でも間違いの許されない非常に重要な政治イベントになっていた。
前任の白川方明が日銀出身だったため、交代ルールに従えば自分たちの番だったこともあり、財務省は08年の総裁レースで国会承認の獲得に失敗した次官OBの武藤敏郎を強く推していた。しかし、安倍は彼らの意向を無視。財務省本流とは異なり「デフレは貨幣的現象なので金融政策だけで対処できる」とリフレ派的な主張を繰り返した黒田を最有力候補として位置付け、総裁就任を要請した。
この行為は政治家による内閣人事権を行使した「一本釣り」ともいえる。しかも、リフレであれ何であれ、特定の金融政策を実施するために総裁が決められるのは初めてだった。
安倍はさらに、日銀と財務省が予定調和的に決めていた副総裁や審議委員の人事も政治的に利用。黒田の補佐役として「リフレ派の教祖」と言われた学習院大学教授の岩田規久男を副総裁に抜てきしただけではなく、その後も若田部昌澄、原田泰、片岡剛士らリフレ派の面々を副総裁や審議委員に起用することで日銀をコントロールしようと試みた。
「内閣人事権の活用と政策を結び付けろ」と提唱していたのは21年11月に86歳で亡くなった中原伸之だ。東燃の社長を務め日銀の審議委員も経験した中原は財界応援団を組織し安倍をサポートしていたが、第2次政権以前から何度も「金融政策を変更したいなら、内閣や国会は審議委員の人選で考えればいい」という持論を安倍に伝えていたのだという。』
『政治任用の意図
日銀・財務から推薦を受けた候補を粛々と指名していくという過去のやり方ではないという意味で、今回の植田総裁誕生も岸田による政治任用といえる。ただ、安倍が「リフレ政策の実現」という特定の方向性を求めて黒田を指名したのとは異なり、岸田が何か政策的な意図を持っているのかははっきりとしない。
人事の決め方は98年施行の新日銀法で「総裁及び副総裁は、両議院の同意を得て、内閣が任命する」(23条)と規定されたが、政治任用の可能性を残すこの内閣人事権は当初甘く見られていた。
96年の夏。日銀の幹部たちは連日朝早く日本橋本石町の本店会議室に招集された。「夏合宿」と称されたこの会議は日銀法改正に向けて自らのポジションを固めるためのものだった。この時の日銀法(旧法)は、議院の同意を必要としない、文字通りの内閣人事権はもちろん、「総裁の解任権」や「一般的な業務指揮権」などが政府に認められており、日本の中央銀行は所在地をもじって「大蔵省本石町出張所」などと揶揄される組織だった。
「政府からの独立」はバブル崩壊後のさまざまな不祥事から始まった大蔵省改革の一環として議論されていた。ただ、実際に改正となれば、何を、どう法文化していくのか決めるのはそう簡単でない。
「内閣には人事権があるのだから…」
合宿の場に企画局からこんなペーパーが提示された。
「政策の内容からいって独立性と中立性が要求され、他方で、任命権を通じた政策委員に対する内閣のコントロール手段が確保されていれば、準備率の設定・変更・廃止についての権限を政策委員会が有することとしても、直ちに違憲というわけではない」(情報公開法で入手した96年7月10日付「日銀法改正の論点検討」)
民間金融機関は、受け入れている預金等のうち一定比率以上を日銀の当座預金に預けておかねばならず、この比率を準備率という。政策委員とは正副総裁を含めた審議委員のことだ。
当時、準備率の変更には大蔵大臣の認可が必要だった。準備率の変更は金融政策としても活用されていただけに、日銀としてはこの問題で大蔵の認可は必要ないということを言っていたのだ。そして、その根拠として「任命権を通じた政策委員に対する内閣のコントロール」を挙げていた。つまり「内閣には人事権があるのだからほかのことは自由にやらせろ」というわけだ。
「中央銀行に完全な独立性などあり得ない」という主張も強い中、日銀は「人事権よりも金融政策を含む一般的な業務での独立性を獲得する方が大事」と考えていたので、こんな主張をしていたのだ。しかも陰りが見え始めたとはいえ、当時官僚の力はまだ強く、総裁人事にも大きな影響力を持っていた。まさか、財務・日銀の交代ルールまでほごにされ、挙句、政治任用で総裁が決まる日が来るなどとは思っていなかっただろう。』
『総裁にふさわしいか
それから四半世紀経った2022年。夏の終わりに財務省OBに披瀝した問題意識を、雨宮は各方面に広く伝えていた。そしてそれは、結果的に、これまで財務・日銀に支配されていた「総裁選び」の構造に真正面から挑むものになった。特に財務省だ。
政治任用だった黒田を除き、総裁を務めた大蔵省出身者は全員が事務次官経験者だ。このポストは昔、「大蔵次官にとっての天下り先ナンバーワン」と言われたように事務次官経験者の中でも最も格が高いという位置付けだった。
次官に上り詰める財務官僚は主計局長からの昇格が大半を占める。主計局長になるには、多くの場合、局内で課長や主計官のポストを歴任する。財政を担当するセクションは政治との折衝に忙殺される。
しかし、大物といわれる次官OBだとしても、そのような経歴が日銀総裁にふさわしいかは別問題というのが岸田や雨宮の考え方のようだ。特にグローバル化の進展に合わせ中銀トップの間での情報交換が密になればなるほど、そのコミュニティーに入っていく重要性は増す。雨宮は周辺にこう漏らしたことがある。
「事務次官をなさった方は皆それなりの人なんだけど、その方が総裁というのは少し違うんじゃないか」
もし経済運営に失敗すれば…
日銀総裁人事をめぐるうごめきは収束した。これからはYCCをどのように「手じまい」するのか、異次元緩和の出口をどのように潜(くぐ)るのか、さまざまな副作用にどう対処するのかなど、当面の課題処理に焦点が移る。
岸田や雨宮の意図がどこにあれ、結果的に2代続けて日銀総裁が政治任用となったことは、戦後続いてきた旧態依然たる交代ルールに終止符が打たれたことを意味する。財務次官経験者だからといって安易に総裁になれる時代ではないことも明確になった。
しかし、もし今後5年間で日銀が経済運営に失敗したら、「旧来の秩序に戻すべきではないか」との声が強まる可能性は大きいだろう。マクロ政策の象徴的存在である日銀総裁の人事は、誰が、何を基準に決めるべきなのか――。
「統治の仕方」がどうなっていくのかという観点からも、植田体制の責任は重い。
(文中敬称略)
軽部謙介(かるべけんすけ)
ジャーナリスト・帝京大学教授。1955年生まれ。早稲田大学卒業後、79年に時事通信社入社。経済部次長、ニューヨーク総局長、解説委員長などを歴任。2020年より現職。近著に『アフター・アベノミクス 異形の経済政策はいかに変質したのか』(岩波新書)。
週刊新潮 2023年3月30日号掲載
特別読物「異例の学者抜擢 誰がどう選ぶのか 『植田日銀』誕生の裏に“権力の興亡”」より 』