日本に外国人の方は280万人以上います!私はこの国で生きる全てのあなた(外国籍)が差別を受けず、相談出来る所を作ったり、家族を呼べるようにしたりします!
https://twitter.com/8ueBd6tf29iYRpZ/status/1469638413234368515

※ オイオイ…。
※ 一体、どこの国の政党なんだ…。
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チャーチルと近衛・東条 明暗分けた組織力とスピード感 太平洋戦争開戦80年(下) 戸部良一・防衛大名誉教授に聞く
https://bizgate.nikkei.co.jp/article/DGXZQOLM071FF007122021000000/?n_cid=TPRN0016
※ 『「チャーチルが最初に手掛けたのが『国防大臣』を新設し、自らが就任したことです。国防省は存在しないので大臣というポストを設けただけです。政治優位の立場から政略と軍略を統合させる狙いでした」
「国防相の下には帝国(陸軍)参謀総長、海軍軍令部長、空軍参謀総長の3人から成る三軍幕僚長委員会を直属させました。この委員会は毎年400回以上開催しました。1日に2回開くこともあったわけです。特に42年には573回に達しました。下部スタッフ組織として作戦、情報、兵站(へいたん)と3つの三軍統合委員会も設けられていました。軍中央のトップのみならず中堅幕僚層でも統一化が進み、チャーチルを補佐したわけです」
「戦時内閣は首相を含む数人で構成しました。ただ英歴史家のA・J・Pテイラーは『戦時内閣がなにかを始めることはめったになく、チャーチルの意見を退けることはもっと稀(まれ)だった』と記しています。チャーチルは『討論による独裁者』とも言われました」』
※ 『 ――日本は軍事面での「統帥権」が政治権力から分離され、首相でも軍部を指揮することはできず、陸軍大臣でも参謀本部の作戦計画にはタッチできないシステムでした。
「日中戦争を戦う第1次近衛内閣(37~39年)は政・軍略統合の必要性を痛感していました。また以前から、内閣制度の改革が検討されてました。内閣を首相と陸海軍大臣を含む少数の国務大臣のみで構成し、内閣直属の新たなスタッフ機構で首相の指導力を強化しようという構想でした」
「この計画の実現には抜本的な法改正が必要になります。結局、近衛内閣では企画院と内閣情報部の新設だけで終わりました。非常時における組織改革の急所が、日英の認識は驚くほど似通っていました。しかし非常時だから今断行するのか、非常時だから事態が少し収まるのを待って改正するかで行動様式は全く違いました」』
※ こういうところにも、彼我の差異があったわけだ…。
※ そういうことの「反省」もあってか、「日本国憲法」においては、「大臣の横並び制」を止めて、「内閣総理大臣が、他の大臣の任免権を持つ」という制度に改めたわけだ…。
※ まあ、「組織」や「制度」を、「生かすも殺すも、人次第…。」ということだ…。


『太平洋戦争開戦から80年たった。米英と日本との格差は、軍事力や経済・産業力だけではなく、日本は組織力の点でも後れを取っていたとの研究が進んでいる。防衛大学校の戸部良一・名誉教授は「英国ではチャーチル首相の決定が、政治と軍事の統合を基盤とし政治優位でなされるようシステム化されていた。日本もそうした政軍統合の戦争指導体制が整備されていなかった」と指摘する。英チャーチルと同時期の近衛文麿、東条英機両首相との違いを追った。非常時にリーダーシップを機能的に発揮させるにはどういう組織が必要か。現代企業の組織運営にもヒントになりそうだ。
「討論による独裁者」チャーチル 政略と軍略を統合
戸部良一・防衛大名誉教授は「英国ではチャーチル首相が『国防大臣』を新設した」と指摘する。
――チャーチルが英国首相に就任したのは1940年5月でした。前年9月に勃発した第2次世界大戦はドイツ有利に展開し、英の同盟国であるフランスの降伏直前に、国のかじ取りを任されました。
「チャーチルが最初に手掛けたのが『国防大臣』を新設し、自らが就任したことです。国防省は存在しないので大臣というポストを設けただけです。政治優位の立場から政略と軍略を統合させる狙いでした」
「国防相の下には帝国(陸軍)参謀総長、海軍軍令部長、空軍参謀総長の3人から成る三軍幕僚長委員会を直属させました。この委員会は毎年400回以上開催しました。1日に2回開くこともあったわけです。特に42年には573回に達しました。下部スタッフ組織として作戦、情報、兵站(へいたん)と3つの三軍統合委員会も設けられていました。軍中央のトップのみならず中堅幕僚層でも統一化が進み、チャーチルを補佐したわけです」
「戦時内閣は首相を含む数人で構成しました。ただ英歴史家のA・J・Pテイラーは『戦時内閣がなにかを始めることはめったになく、チャーチルの意見を退けることはもっと稀(まれ)だった』と記しています。チャーチルは『討論による独裁者』とも言われました」
――チャーチルへの大変な権力集中です。成熟した多元的民主主義と評価される英国でよく可能でしたね。
「英国には第1次世界大戦の前半を担当したアスキス内閣(08~16年)時の苦い教訓がありました。問題に直面するたびにそれを担当する委員会を立ち上げたため、会議が多くなりすぎてスピード感ある決定・実行ができなかったのです。チャーチルは独裁的な権力を手中にしましたが、戦時のみとの暗黙の了解がありました」
「チャーチルは軍人と議論するとき、英議会でのディベート方式を持ち込み、とことん軍幹部を質問攻めにしました。最後は音を上げて恨み言を記した将軍の日記も残されています。ただチャーチルは納得すれば、問い詰めた軍人の意見を採用します。また『Action this day』がチャーチルの原則でした。英国の機能的な戦争指導体制を実見して、米国も後に取り入れました。統合参謀長会議を設立し、その下部組織に三軍統合委員会のシステムを作り上げました」』
『「陸海軍共同作戦の最高指導部」 日本は実現できず
――日本は軍事面での「統帥権」が政治権力から分離され、首相でも軍部を指揮することはできず、陸軍大臣でも参謀本部の作戦計画にはタッチできないシステムでした。
「日中戦争を戦う第1次近衛内閣(37~39年)は政・軍略統合の必要性を痛感していました。また以前から、内閣制度の改革が検討されてました。内閣を首相と陸海軍大臣を含む少数の国務大臣のみで構成し、内閣直属の新たなスタッフ機構で首相の指導力を強化しようという構想でした」
「この計画の実現には抜本的な法改正が必要になります。結局、近衛内閣では企画院と内閣情報部の新設だけで終わりました。非常時における組織改革の急所が、日英の認識は驚くほど似通っていました。しかし非常時だから今断行するのか、非常時だから事態が少し収まるのを待って改正するかで行動様式は全く違いました」
「37年に近衛内閣は、日露戦争後初めての『大本営』を設置しました。英国の三軍幕僚長委員会と三軍統合委員会に相当します。しかし文民の首相は入れません。日常業務は陸海軍ともそれぞれの役所でこなし、大本営の会議は大部分が報告で終わったとされます。山本五十六・海軍次官(当時)が期待した『陸海軍共同作戦の最高指導部』は最後まで実現しませんでした。軍と政府との情報交換の場として、大本営政府連絡会議が設けられましたが、政略と軍事戦略の統合はなされませんでした」
「40年の第2次近衛内閣(~41年)発足とともに、休眠状態だった大本営政府連絡会議(当初は連絡懇談会)が復活します。週1回以上のペースで開かれ、対米外交の調整、独ソ戦への対応、インドシナ南部への進駐などが政府と軍部の間で討議されました。それでも軍首脳を上から指揮するチャーチルのリーダーシップとは大変な差がありました」
「続く東条首相兼陸相(41~44年)は、内閣の成立直後から、ほぼ毎日のように連絡会議を開き、開戦から退陣までにも約120回行いました。世界情勢の分析から国内の戦争指導要綱、東南アジア諸地域への独立指導など多岐にわたりました。他方、船舶の徴用と補塡、油槽船の陸海軍への配分、造船計画をどうするかといった議題も頻出し、東条ですら陸海軍の作戦計画を指導できたわけではありません。最後は権力集中の批判を覚悟で参謀総長まで兼務しましたが、政府と軍部の事務作業が効率的に改善された程度で終わりました」
近衛・東条に欠けていたもの
――日本のリーダーは組織上のルールに縛られてリーダーシップを発揮できなかったのでしょうか。
「ひとつの組織をどう運営するかは、トップのリーダーシップの資質・覚悟にかかっていたと言えます。近衛は『首相になりたくなかった』リーダーでした。五摂家筆頭の名門出身で、常に首相候補に挙がりながら天皇から就任を要請されながら辞退した時もありました。昭和期の首相としてトップクラスの知性の持ち主で、稀に見る聞き上手でもありました。多くの優秀なブレーンが周囲に集まりましたが、近衛本人には権力を維持、活用する意思に欠けた面がありました」
「東条は『首相になる準備がなかった』リーダーでした。軍事官僚としては優秀で昭和天皇への忠誠心も篤(あつ)く、天皇にも信頼されました。しかし自分を育て支えてくれた旧来型の組織システムを変革することはできませんでした」』
『多元的な権威主義の日本 独裁を許さず
――チャーチルも数々の政治的失敗を繰り返しました。第1次世界大戦の海相としてガリポリ攻略戦で惨敗し、後の財務相で金本位制復帰のタイミングに失敗しました。「王冠を賭けた恋」ではエドワード8世を支持し世論の反発を招きました。若手時代には将来の首相候補ナンバーワンだったチャーチルも30年代後半には「終わった政治家」とみられていました。
「ただ権力への意欲は失いませんでした。プライベートでは絵描きで玄人はだし、レンガ積みも職人組合に加盟していたほどの腕前だったとされます。政治の世界で挫折したとき、そうした政治以外の世界を持っていたことがチャーチルを支えたとも言われています」
――現在の「働き方改革」のヒントにもなりそうです。ただチャーチルは戦後体制を決める米英ソのポツダム会談中(45年)の総選挙で大敗しました。
「多元的な権威主義の日本は独裁を許しませんでした。一方、多元的な民主主義体制の英国は期限付きの独裁を許容しました。歴史の皮肉のようなものを感じさせられます」
(聞き手は松本治人)』
「『指導力がない』と言われるけど、こんなに指導力のある総理はいないだろう」
総裁選直前の菅義偉が担当記者にこぼしていた“本音”
https://www.jiji.com/jc/bunshun?id=50263
※ 壮絶な話しだ…。
※ この人が、ワクチン接種の陣頭指揮に立たなかったら、今の日本の「コロナの落ち着き」も無かったろう…。
※ 「コロナ対策」「オリパラ対策」に、「使い捨て」にされた形だな…。
※ しかし、いかんせん「発信力」が弱点だった…。
※ 「選挙の顔」向きじゃ、無かった…。
※ 安部さんが「なんのかんの」言われながら、長期政権を維持できたのは、なんと言っても、「選挙に強かった」からだ…。
※ それを、支え続けたのが、この人だったんだが…。
※ まあ、このままでは「終わらない」だろう…。
※ 当分の間は、自民党の「政局」の行方を左右する、キーパーソンであり続けるだろう…。

『歴代最長の首相在任期間を誇った安倍晋三氏の突然の退陣を受け、その後釜となった菅義偉氏。就任当初は支持率も好調で、長年の官房長官経験から政策実行力にも期待が持たれていた同氏だったが、わずか1年ほどで菅政権は幕を閉じることとなった。彼はなぜこんなにも早く総理の座を追われることとなったのか。
ここでは、日本テレビで記者を務める柳沢高志氏の著書『孤独の宰相 菅義偉とは何者だったのか』(文藝春秋)の一部を抜粋。菅氏が総裁選不出馬を決意する直前の心持ち、そして、担当記者にだけ漏らしていた“本音”を紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
©文藝春秋
◆◆◆
オリンピック開催も新規感染者数増に弱音
7月23日、東京五輪がついに開幕する。新国立競技場の観覧席で、天皇陛下やIOCのバッハ会長と並んで開会式を見守っていた菅の様子が、何度となくテレビ中継で映し出されたが、その表情は明らかに疲れ切っていた。天皇陛下の開会宣言の際に、当初、菅が着席したままだったことも、ネット上などで非難された。確かに、菅にとっては、五輪を楽しむような心境には到底なれない状況だった。この前日、東京の新規感染者数は1979人となり、感染は急拡大を見せていたからだ。
この3日後、ある場所に現れた菅は、開口一番、こうこぼした。
「いやあ、疲れたよ」
この日、菅は、広島への原爆投下後に降った「黒い雨」を浴びて健康被害を受けたとして住民が起こした、いわゆる「黒い雨訴訟」で上告を断念する決断を下した。厚労省は、「今回の原告が、『黒い雨』により健康被害を受けた科学的根拠は乏しい」として上告すべきとの意見だったが、菅のトップダウンの判断で、上告断念となった。「あのままだと、裁判中に、原告で亡くなってしまう方も出てしまうからね。俺は最初から、こうしようと決めていたよ」
国民感覚を大切にする、菅らしい政治判断を久しぶりに見た気がした。
そして、東京五輪では、日本選手団のメダルラッシュが続いていた。
「総理は、オリンピックは見ているんですか?」
「柔道の阿部一二三・詩兄妹は安心して見ていられたね。ソフトボールも明日勝てば、金メダルか。俺、スケボーとか視察に行ってみたいんだけど、どう思う?」
「感染対策など、見に行かれるのは良いと思います」
「そうか、じゃあ、一回行ってみようかな」
「開会式は、いかがでしたか?」
「テレビで見ているのと違って、あの席では解説がないからよく分からないんだよね。パントマイムみたいなやつとか、すごい人気だったみたいだけど、会場ではよく分からなかった。ドローンはすごかったけどね」
視察は検討されたものの、世論の批判を恐れ、結局、見送りとなった。
「解散権が失われる」
五輪が盛り上がる一方で、感染は深刻さの度を増していく。7月28日には、東京で3177人、蔓延防止等重点措置の対象だった神奈川県で1051人、埼玉県で870人、千葉県で577人といずれも過去最多を更新し、翌日、3県知事は緊急事態宣言の発出を要請する。国会では、分科会の尾身会長が、「この1年半で、最も厳しい状況にある」との認識を示した上で、「国民に危機感が共有されていないことが最大の危機だ」と指摘した。
このとき、多くの地域で感染者数は急増していた一方で、重症化率や重症者用の病床使用率は、緊急事態宣言のレベルにまでは達していなかった。しかし、専門家は、首都圏や大阪府への緊急事態宣言発出が必要だと主張し始めていた。菅も悩みを深めていた。
「きょうも、東京は3865人だが、重症者数はそこまでは増えていないですね」
「そうなんだよ。でも、みんな新規感染者数だけに目を奪われてしまっている。今日も、大阪の松井(一郎)市長から連絡があったけど、大阪は重症者用の病床使用率が2割くらいだから、宣言は出してほしくないと言うんだよ」
「では、大阪には宣言は出さない?」
「いや、出さなければ、専門家はダメでしょう。難しいよね」
そして、国民へのメッセージを求める尾身について、不平を漏らした。「尾身先生は、ワクチンの効果の話を全然してくれないよね。重症化防止に効果がある抗体カクテル治療についても、まったく触れない。それで『メッセージを出せ』とばかり言うんだよ。でも、もうここまで来てしまったら、収束させるにはワクチンしかないんだよ」
7月30日、政府は、首都圏の3県と大阪府に対し、緊急事態宣言を8月2日から31 日まで発出し、さらに東京と沖縄への宣言を31日まで延長することを決定する。菅は記者会見で、「今回の宣言が最後となる覚悟で対策を講じる」と語った。この日の記者会見では、いつも以上に声はか細く、悲壮感を漂わせていた。
この宣言の延長について、菅の側近は失望の色を顔に浮かべた。
「総理の頭の中の“日程”が狂ってしまう。このままでは、解散権を失うことになる」
実は、7月の都議選以後、菅が頭の中で描いていた極秘の政治日程があった。それは、まず東京オリンピックが閉会する8月8日からパラリンピック開幕の8月24日までの間に、自民党役員人事と内閣改造に踏み切り、人事を刷新する。そして、五輪での世論の盛り上がりと新しい人事への期待感を追い風に、パラリンピックが閉会する9月5日の直後に衆議院を解散。衆院選で勝利をした上で、自民党総裁選挙で無投票再選を勝ち取る、というシナリオだった。
しかし、感染拡大が続く中で、8月中に人事を断行することは不可能となった。そして、菅はかねてから「解散よりもコロナ対策を優先する」と繰り返し公言してきたため、次に宣言を延長すれば、パラリンピック直後の解散も難しくなってしまうのだった。
総裁選をやるべきか
8月に入ると、自民党総裁選に向けた動きが出始める。前総務大臣の高市早苗は、8月10日発売の月刊「文藝春秋」に寄稿し、総裁選への出馬の意欲を示した。さらに、政調会長の下村博文も、周辺に対し総裁選に立候補する意向を伝えた。この頃、菅側近は、総裁選を総選挙後に延期できないかと模索をしていて、「いろいろ調べたが、中曾根(康弘)総理のときに総裁の任期を1年延長したことがある。だから、延期することも可能だけど、そのためには両院議員総会をやらなければいけない」などとシミュレーションをしていた。
そして、菅にとって痛いミスが重なる。8月6日、広島市で開かれた平和記念式典で、挨拶の一部を読み飛ばしてしまったのだ。冒頭から、「原爆死没者」と言うべきところを、「原発」と読み間違えるなど、言葉がおぼつかない様子だった。そして、読み飛ばしが起きたのは、演説で最も重要な箇所だった。読み上げるべき原稿は、事前に報道陣にも配られていた。
「私の総理就任から間もなく開催された国連総会の場で、『ヒロシマ、ナガサキが繰り返されてはならない。この決意を胸に、日本は非核三原則を堅持しつつ、核兵器のない世界の実現に向けて力を尽くします』と世界に発信しました。我が国は、核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国であり、『核兵器のない世界』の実現に向けた努力を着実に積み重ねていくことが重要です。近年の国際的な安全保障環境は厳しく、核軍縮の進め方をめぐっては、各国の立場に隔たりがあります」
しかし、菅は、次のように読んでしまう。「私の総理就任から間もなく開催された国連総会の場で、ヒロシマ、ナガサキが繰り返されてはならない。この決意を胸に、日本は非核三原則を堅持しつつ、核兵器のない、核軍縮の進め方をめぐっては、各国の立場に隔たりがあります」
まったく意味の通らない文章だった。菅は、直後の記者会見で読み飛ばしを認め、陳謝した。秘書官は「原稿を蛇腹状に糊で貼り付けた際に、ページがくっついてしまった」と悔やんだ。この広島訪問は、直前に菅が「黒い雨訴訟」の上告断念を決断したこともあり、原告団との面会も準備され、本来は菅にとってはアピールの場になるはずだった。
そして、今度は8月9日、長崎市で行われた平和祈念式典に、1分間遅刻したのだ。総理の一行は、式典の会場には4分前に到着していた。駐車場に到着すると、警護官から「ここで時間調整をさせてください」と言われたため、菅は「では、トイレに行かせてください」と手洗いに向かった。しかし、警護官の想定よりトイレの場所が遠く、式典に遅れてしまったのだ。車に同乗していた秘書官は「申し訳ありません」と頭を下げたが、菅は「俺が悪いから」とかばった。そして、翌日、報道陣に対し、遅刻についても謝罪することとなった。
自民党議員からは、「ただでさえ、総理の人気が落ちているのに、この人で大丈夫なのかという空気が一気に広がっている。これは致命的なミスだ」との声が上がった。
「ワクチンだって、俺がやらなければ一日100万回なんてできなかった」
この3日後、2週間ぶりに会った菅は、額に深い皺を寄せ、目の下は薄黒く窪んでいた。
「お疲れじゃないですか」
弱々しい笑みを浮かべた。
「疲れているよ」
「暑いし、夜も寝付けないのでは?」
「そうなんだよな」
この日、東京の新規感染者数は4989人に上っていた。新たな変異株、デルタ株は、これまでのウイルスとは桁違いのスピードで感染を広げていた。
「感染がなかなか落ち着きませんね」
「今はお盆で帰省前に検査をする人が多いから、来週になれば減ってくるんじゃないか。ワクチンも8月末で1回接種を終える人が6割になる。そうなると、今のアメリカ並みになるし、9月末にはイギリス並みになる。そうすれば落ち着くでしょう」
振り返ってみれば、ここからの2週間が第5波のピークだったのだが、当時は、どこまで感染が増えるのか、天井が見えない状態で、国民の不安も限界に達していた。
「それでも、欧米のようには減らないかもしれないのでは?」
「どうなるかだね。ウイルスも季節性の面もあるんだよね。だから、力ずくではどうにもならないんだよ。増えたり減ったりを繰り返していく。それでも、抗体カクテル治療もどんどん広げているからね。もう少しで落ち着くよ」
そして、唇を歪めて、憮然とする。
「世論調査で『指導力がない』と言われるけど、こんなに指導力のある総理はいないだろう。ワクチンだって、俺がやらなければ一日100万回なんてできなかった。俺は退路を断ってやったんだから。それが達成したら、みんな当たり前のことになってしまった」
この日、どうしても踏み込まなければいけない話題があった。
「総裁選は、やりますかね?」
「どうするんだろう」
「新潟県連がいかなる状況下でも、党員・党友投票を含めた総裁選を予定通りやるべき、との要望書を出していましたね」
点滴を打ちながら公務を…130日以上続く激務で疲労困憊
この頃、自民党内からは総裁選を先送りしようという菅の思惑を牽制する動きが表面化していた。新潟県連会長の高鳥修一衆院議員は記者団に「我々としては総裁選を先にしていただきたい」と述べた。そして、「長老や派閥の領袖が談合して、総裁選の流れを決めるということは党のあり方としてマイナスだ」と、暗に菅を支援する二階幹事長らを批判し、「総裁選は開かれた形で正々堂々とやるべきだ」と強調した。衆院選が目前に迫る中、内閣支持率が低迷する菅政権のままでは、自民党が惨敗しかねないという危機感が、党内に蔓延し始めていた。
「やるなら、やればいいじゃん」
菅は、こうした動きについて、投げやりに言い放った。
「俺からしてみれば、こんなコロナの大変なときに、よくやるなと思うよ」
「誰が出てきますかね。下村さんは出ますかね?」
「出ないでしょ」
「高市さんを、安倍さんが支援するということは?」
「それはないでしょう」
「あとは岸田さん」
その名前を聞くと、「ふっ」と鼻で笑った。
「緊急事態宣言中は、やはり解散は難しい?」
「俺は、コロナ最優先と言ってきたからね。でも、8月末になれば、ワクチン接種状況はアメリカ並みだから、まだ分からないよ」
質問を畳みかける。
「解散をしなくても、総裁選を延期することはできないのでしょうか?」
「それは知らない。党のことだから、そこは党で決めてもらう」
そして、深くため息をつくと、悲しげに苦笑を漏らした。
「支持率が少しでも上がったら、自民党の議員たちも文句を言わないんだろうけどね。みんな自分の選挙に響くと思っているからね」
この2日前にNNNと読売新聞が発表した世論調査で、菅内閣の支持率は35%と政権発足以来、最低となった。閉会したばかりの東京五輪については、開催されてよかったと「思う」が64%、「思わない」が28%だった。日本選手の過去最高のメダルラッシュで世論は大いに盛り上がったが、それが政権の追い風にはつながらなかったのだ。
この頃、外部には伏せられていたが、菅は官邸の執務室で、疲労回復のための点滴を打ちながら公務をこなしていた。3月末以来、130日以上休日も取らずにコロナ対策などの激務を続け、さらに睡眠不足も重なり、疲労困憊は誰の目にも明らかだった。秘書官たちは「せめてお盆休みは、都内のホテルで静養してください」と懇願し、宿泊の予約を取った。しかし、前日になると、菅は予約をキャンセルしてしまう。そして、秘書官に優しく言い聞かせるように諭した。
「夜になると、宿舎にいても救急車のサイレンが聞こえてくるんだ。そうすると、もしかしたら搬送先がなくて、たらい回しになっているんじゃないかと不安で、眠れなくなってしまう。国民がそんな状況のときに、私だけホテルで休むなんてできないんだよ」
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「総理は頭がおかしくなったのか」「引きずり下ろさなければ」…菅政権“最後の10日間”に起きていた小泉進次郎の“暗躍”とは へ続く
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「傀儡と見られるのでは」新総裁・岸田文雄は“あの男”に似ている…めでたいはずの首相就任に感じる「悲劇の匂い」
菅政権の肝煎り政策は「誰かが言っていたもの」ばかり…背後にいた“謎の外国人”と“大物金融ブローカー”とは 』
【点描・永田町】「山口3区の乱」舞台裏の策謀
(2021年11月14日18時30分)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021111000280&g=pol
※ なんと、早や(はや)岸田さんは、来年の参院選で勝利したら、任期満了まで衆院を解散せずに」「退任する意向」まで語られている…。
※ また、安倍vs.林だけでなく、高村元副総裁の後継者までが参戦し、三つ巴の戦いとなっているらしい…。
※ ちゃんと、裏付けがあるんだろうな…。
※ いずれにせよ、激しい情報合戦、魑魅魍魎うごめく奇々怪々、一寸先は闇…、というのが「政界情勢」ということのようだ…。


『与野党が激突した10・31衆院選は、自民党が単独で絶対安定多数の261議席を獲得、公明党(32議席)を加えた与党合計でも公示前勢力(305議席)に迫る293議席と、事前の苦戦予想を覆して勝利した。国民の信任を受けた岸田文雄首相は、11月10日召集予定の特別国会冒頭での首相指名を受け、同日中に第2次岸田政権を発足させる。
長州戦争、残る遺恨 党本部裁定、程遠い「円満決着」―山口3区
そうした中、衆院山口3区では参院からくら替えした自民党の林芳正元文部科学相が圧勝し、「次回以降の総裁選への挑戦権を手に入れた」(自民幹部)として注目された。当初は、くら替え出馬への党内の賛否が入り乱れ、当選10回で現職だった河村建夫元官房長官との激しい公認争いは「山口3区の乱」と呼ばれた。しかし、衆院選公示直前に河村氏が不出馬・政界引退を表明したことで、表向きは“円満決着”の形となった。ただ、対立と迷走を繰り返した公認争いの舞台裏は、党内の権力闘争に加え、次期衆院選やポスト岸田も絡めた「策謀が渦巻く政争」(自民長老)だったのが実態だ。
そもそも、林氏は岸田派ナンバー2の座長で、河村氏は二階派の会長代行だった。このため、公認争いは「岸田VS二階」の代理戦争となったが、幹事長だった二階俊博氏が総裁選での岸田氏勝利を受けて「自民最高実力者」の座を失ったことで、それまでの「現職優先」方針が覆り、後ろ盾を失った河村氏が涙をのむ結果となった。
加えて、河村氏の後継者の長男・建一氏は、当選確実な比例中国ブロック単独候補としての上位登載がかなわず、縁もゆかりもない同北関東ブロックでの32位に追いやられ、次点で落選した。しかも、この党本部決定につながったのは、山口県連会長の岸信夫防衛相らが提出した「(建一氏は)県連と何ら関わりのない候補」とする抗議文書。岸氏は安倍晋三元首相の実弟で、党内では「山口のドンの安倍さんが河村家を地元から追い出すための陰謀」との臆測が飛び交う。
◇次期衆院選とポスト岸田で思惑
というのも、次期衆院選では山口県の小選挙区がこれまでの4から3に減る予定で、現職の安倍(4区)と岸(2区)の両氏、高村正大氏(1区)、林氏のうちの3人が小選挙区公認候補となる。高村氏の父・正彦元副総裁は安倍氏と極めて親しい関係だが、林氏は安倍家と肩を並べる山口の名門政治家一家の4代目。安倍氏の父・晋太郎元外相(故人)と林氏の父・義郎元蔵相(同)は、中選挙区時代に「安倍家VS林家」の激しい覇権争いを展開しただけに、「次は高村氏がはじき出される」とのうわさもささやかれている。
さらに事情を複雑にしているのは、すでに林氏が岸田派(宏池会)の次期総裁候補として、ポスト岸田での総裁選出馬を目指していることだ。林氏は近い将来、首相の後継者として岸田派を林派に衣替えするとみられている。しかも、来夏の参院選での与党勝利で首相が3年の任期を全うできる状況となれば、「任期満了まで解散せずに退陣する意向」(側近)だとされる。
もちろん、安倍氏周辺はこうした動きに不快感を隠さない。山口の自民党参院議員を見れば、10月24日の参院山口補選で当選した北村経夫氏や来夏参院選で改選予定の江島潔氏も安倍氏側近で、「林氏の総裁選出馬など許さない雰囲気」(安倍氏側近)とされる。しかし、林氏は10月発売の月刊誌で「次の総理はこの私」と宣言し、首相も今後、同氏を党・内閣の要職に起用する構えだ。このため、3年間は首相を輩出してきた山口県の覇権をめぐる「安倍・林戦争」が激化することは、間違いなさそうだ【政治ジャーナリスト・泉 宏/「地方行政」11月8日号より】。 』
カンボジア36年間統治のフン・セン首相が世襲宣言…「日本にも安倍王朝ある…」言及https://japanese.joins.com/JArticle/285397
※ 中央日報日本語版の記事だ…。
※ なるほど、「安部王朝」への言及か…。
※ 対外的には、鳩山、福田よりも、「安部さん」の方がインパクトが強いと見える…。
※ 鳩山、福田が「王朝」呼ばわりされないのは、なぜなんだろう…。
※ どこに、その「線引き」があるのか…。ちょっと、分からんな…。
※ やはり、「三代くらい続かないと、ダメ」なのか…。しかし、福田家は、達夫氏で三代目だろう…。鳩山家は、由紀夫氏の長男は、確かモスクワ在住じゃなかったか…。邦夫氏の息子は、相当”アレ”(選挙が、からっきし)らしい…。
※ 大体、安部さんは「子ども」がいないんで(アッキーと、随分話し合ったようだが、「私は、養子はムリ。」だったらしい…)、「お家断絶」は、もう確定なんだが…。
※ なお、例の「頭が割れて、血を流すだろう!」脅しへの返しは、「一国会議員たる私の発言に注目してくれて、名誉に思う。」だったらしい…。かっけーな…。
『カンボジアを36年間統治してきたフン・セン首相(69)が事実上の権力世襲を宣言した。長男のフン・マネット軍参謀次長(44)を自身の後任として支持すると明らかにしながらだ。
3日のロイター通信など海外メディアによると、フン・セン首相は前日、南部シアヌークビルで演説し、「息子が後任首相になることを支持する」とし「しかしこれは選挙を通さなければいけない」と述べた。
特に、日本の安倍首相の家系に言及しながら自身の世襲宣言を正当化したりもした。フン・セン首相は「日本にも安倍前首相一家のような『王朝』がある」とし「彼の祖父は首相を、父は外相を務めた」と話した。
フン・セン首相の息子マネット氏は1999年に米陸軍士官学校ウェストポイントを卒業し、英ブリストル大学で経済学博士学位を取得した。現在はカンボジア軍副司令官を務める。2018年12月には執権カンボジア人民党(CPP)の最高意思決定機構である中央委員会の常任委員に選出され、国際社会は権力継承の本格化を予想してきた。
フン・セン首相は昨年6月にも「カンボジア人民党が一世紀の間は執権するだろう」と述べ、強い権力意志を表した。カンボジア人民党は79年から執権してきた。
85年に就任してカンボジアを統治してきたフン・セン首相は、93年5月の総選挙ではシアヌーク国王の息子ラナリット氏の超党派政党フンシンペックに敗れ、連立政権を構成して第2首相になったこともある。
しかし98年の総選挙でカンボジア人民党を率いて勝利し、また全権を握った。2017年11月には全体125議席のうち55議席の第1野党カンボジア救国党(CNRP)を反逆容疑で強制解散させ、翌年の総選挙では全体125議席を占めて事実上の「一党独裁」体制を構築した。 』
衆院格差2.096倍に 区割り「10増10減」が確定―20年国勢調査
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021113001089&g=pol
衆議院小選挙区
「10増10減」が確定
https://www.nhk.or.jp/politics/articles/lastweek/73035.html


※ 「一票の格差是正」のために、人口減少地区の議員定数を減らして、人口増加地域の議員定数を増やす…、という話しなわけだ…。
※ しかし、上記画像で明らかなとおり、減少される山口、愛媛、岡山、滋賀の各県は、「自民党の独占地域」なわけだ…。
※ 減員となれば、「誰かを、公認から外す。」という話しになる…。
※ まあ、揉めるだろう…。「小選挙区から、比例区に回る。」とか、「コスタリカ方式(今回は、小選挙区だが、次回は比例区に回る。それを、交互に行う方式)」とかの話しも、出てくるだろう…。
※ その「先駆け」が、林現外相の「参院から、衆院への鞍替え」だ…。川村健夫議員は、引退に追い込まれた(息子の、公認確約とのバーター…、との噂がある)…。安部vs.林の激突となるわけだ…。
安倍元首相が怒り心頭! “天敵”林芳正氏の外相起用で「選挙区争奪戦」への危機感露わ
https://news.yahoo.co.jp/articles/a89cd966463caca5914b60a305afad642f21daa8
『「山口県内では“林総理”への期待が強く、安倍さんは“過去の人”になりつつあります。今回の選挙でも、安倍さんは地元に張りついてガムシャラに選挙運動をやったのに前回から2万票も減らしている。ややこしいのは、次期衆院選から山口県の選挙区は定数4から定数3に1減になることです。恐らく、林さんの山口3区と安倍さんの山口4区が統合され“新3区”になるはず。安倍VS林の公認争いが勃発するのは間違いない。もし、2人とも無所属になってガチンコで戦ったら林さんの方が強いと思う。次回、安倍さんは選挙区を手放さざるを得なくなる可能性があります」(政界関係者)』
立民新代表に泉氏 党役員半数、女性を登用―共産との合意「存在せず」
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021113000740&g=pol


『立憲民主党代表選は30日、東京都内で開かれた臨時党大会で投開票され、決選投票の結果、泉健太政調会長(47)が逢坂誠二元首相補佐官(62)を破り、新代表に選出された。泉氏は直ちに党役員人事に着手。週内に骨格を固める。代表選で戦った3候補を起用するとともに、半数は女性とする方針だ。任期は2024年9月末まで。
立憲民主党、最大の弱点は「政策」にあり
泉氏は、衆院京都3区選出で当選8回。旧国民民主党出身で国対委員長や政調会長を歴任。昨年9月の代表選で枝野幸男前代表と戦った。泉氏は先の衆院選敗北を受けた党勢の立て直し、来年夏の参院選への対応など、野党第1党の党首として重責を担う。
泉氏は記者会見で、先の衆院選で共産党と合意した「限定的な閣外協力」に関し、「単に継続ではなく、党として総括しなければならない」と指摘。「衆院選に向けて交わしたもので現時点で何かが存在しているということでない」と述べた。参院選での野党共闘については「塊をつくるところを目指していく」と述べるにとどめた。
これに先立つ代表選の演説で、参院選対策本部を設置する考えを表明。先の衆院選で惜敗した候補を年内に1次公認する方針を示した。
泉氏はこの後のBS―TBS番組で、代表選の3候補を幹事長に起用するかを問われ、「可能性はある」と言及。世代交代に向け、若手を党役員に積極登用する考えも示した。
代表選は、泉、逢坂両氏、小川淳也元総務政務官(50)、西村智奈美元厚生労働副大臣(54)の4氏によるポイント制で争われた。泉氏は1回目の投票でトップとなったが過半数に届かず、2位の逢坂氏との決選投票となった。 』
共産「赤旗」100万割れ 異例の“告白” 財政悪化で支援訴え
(2019.9.5)
https://special.sankei.com/a/politics/article/20190905/0003.html
※ 共産党の「党勢」は、こういうものだ…。
※ ここは、不思議なことに、「政党助成金」をもらっていない…。
※ キチンと「収支報告書」を、国に提出する必要があるわけなんだが…。
※ 何か、表には出せない「収入」があるのでは…、と勘繰られている…。
※ 共産党としては、立民に「抱きついて」、あわよくば「資金援助」を受けたいと考えているんだろう…。

『共産党の財政を支える機関紙「しんぶん赤旗」の読者数減少に歯止めがかからない。8月29日付紙面で、読者数がピーク時の3割程度となる100万を割ったことを報告し「『しんぶん赤旗』と党の財政を守るために」と危機感を訴えた。党費を支払う党員も減ってきており、3年後に結党100年を迎える老舗政党の足元を揺るがしつつある。(内藤慎二)』
自民党石破派、グループ化へ
所属議員が減少、掛け持ち容認
https://nordot.app/838002447481995264?c=39546741839462401
※ 今日は、こんなところで…。
※ 結局、この人、最後まで「評論家」臭から脱却できなかったな…。
※ 最後は、メンバーが「12人」まで減ったようだ…。
※ 大将が、「人を動かそう」とせず、ご高説垂れたり、禅問答ばっかりやってるようでは、天下は取れまいよ…。
※ 後継者問題だが、子供は娘が二人のようだ…。
※ どっちかの娘婿に、後を継がせるというパターンか…。
※ 長女は、東電に就職で、次女はエーザイの薬剤師では(フジテレビという説もある)という「噂」のようだ…。

『自民党石破派(水月会、12人)顧問の石破茂元幹事長は、同派の組織形態を「派閥」から「グループ」に変更する方針を固めた。メンバー減少を受け、他派閥との掛け持ち所属を容認する。12月2日の臨時総会で、石破氏が表明する見通し。複数の関係者が29日、明らかにした。
党内第6派閥の石破派のグループ化により、派閥は7から6に減る。党内には同種のグループとして谷垣グループ(有隣会)がある。
石破派は11日に開催した衆院選後初の会合で、今後の派閥の在り方を協議。石破氏に対応を一任し、12月6日召集の臨時国会までに結論を出すとしていた。』
水月会
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%9C%88%E4%BC%9A
『派閥の名称は、知人の臨済宗全生庵の住職に依頼して付けられたもので[3][4]、「水月道場に坐す」という禅語に由来しており、「水も月も無心に映すように、無私、無欲の高い境地から務めていく」、「無心で時代の要請に応える」という想いを込めたという[4][5]。
なお、水月とは軍陣で、水と月が相対するように、両軍が接近してにらみ合うことの意味もある。』
※ どこに接近して、にらみ合うつもりだったものやら…。
首相「調査チームをジブチに派遣」 エチオピア対応で
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA270WJ0X21C21A1000000/

『岸田文雄首相は27日、紛争が激化するエチオピアへの対応で「(26日に)外務省と防衛省からなる調査チームを(隣国の)ジブチに派遣した」と表明した。「予断を許さないエチオピア情勢を踏まえ情報収集を強化するため」だと説明した。自衛隊機で現地に住む日本人を退避させる場合に備える。
陸上自衛隊朝霞駐屯地(東京・練馬など)で開いた観閲式の訓示で話した。現地では反政府勢力による首都アディスアベバへの進攻が間近との情報も伝えられ、米欧各国は自国民の退避を呼びかけている。』
小池知事、体調万全を強調 重病との一部報道を否定
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC266D60W1A121C2000000/
※ FACTAとスポニチは、「飛ばし」だったくさいな…。
※ まさか、日経が「裏取ってない」ということは、無かろう…。
※ ただ、日経も、某国が絡むと、途端にオカシくなる…。
※ 一時の「礼賛記事」は、酷かった…。メディアなんて、そんなモン…。しょせんは、営利企業に過ぎない…。利益が出なければ、会社は潰れ、記者は路頭に迷う…。
※ しかし、「火のない所に煙は立たない」…。小池知事のケースでも、何らかの「噂」程度のものは、あったんだろう…。
※ ネットで「流通」している「情報」は、鵜吞みにするので無く、ちゃんと「そのメディアの素性」も調べよう…。特に、過去の「前科」「不祥事」を押さえることは、必須と言える…。
『東京都の小池百合子知事は26日の記者会見で、重病ではないかとする一部の報道に対し、「重病とか、いいかげんなこと言うなよ、と思っている」と真っ向から否定した。「元気に戻ってきたことが何よりの証拠」と強調し、体調は万全であることをアピールした。
小池氏は10月27日に過度の疲労で入院。11月2日の退院後は自宅療養を経てテレワークで公務をこなし、21日に都庁での公務を再開した。26日の会見では、静養中に様々な書籍を読んだとし、「体を休めると同時に、頭へのインプットができた」と話した。
会見では新型コロナウイルス対策にも言及。第6波を起こさないよう、年末年始は重要な時期だとして、慎重に経済活動を再開し、都内経済の回復につなげていく考えを示した。』