
※ まあ、こういう状況だ…。

※ まあ、こういう状況だ…。
中国が外貨準備の詳細を初めて公表、ドル依存度が低下
(中国)北京発 2019年08月13日
https://www.jetro.go.jp/biznews/2019/08/5803483f272125f4.html

『 中国国家外貨管理局は7月28日、「国家外貨管理局年報(2018年)」http://www.safe.gov.cn/safe/2019/0728/13720.html 外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます(以下、年報)を発表し、外貨準備の過去の運用実績、通貨構成などのデータを初めて明らかにするとともに、投資理念、リスク管理、運用体制などの状況を説明した。
中国金融先物取引所研究院の趙慶明首席エコノミストは「年報でより多くの情報を公開することで市場の誤解を減らし、中国の外貨準備運用をより総合的に評価することができる」と述べた(「金融時報」7月29日)。
外貨準備の運用実績、構成通貨比率を公表
年報によると、2005年から2014年までの外貨準備の平均収益率は3.68%だった。また、通貨構成をみると、ドルの比率が1995年の79.0%から2014年には58.0%まで低下し、ドル以外の通貨の比率が21.0%から42.0%まで拡大した(図参照)。
図 中国の外貨準備構成通貨の比率
この変化について、国家外貨管理局の王春英報道官は「中国の外貨準備の通貨構成はますます多様化し、世界の外貨準備の平均水準より分散している。これは、中国の対外経済貿易発展と国際決済のニーズにかなっているだけでなく、外貨準備の為替リスクを低下させるのにも役立つ」とコメントした。
対外債務は短期が約6割
年報によると、2018年の対外債務残高(以下、全て残高ベース)は1兆9,652億ドルだった。このうち、中長期の対外債務が6,936億ドルで全体の35.3%を占める一方、短期は1兆2,716億ドルで64.7%を占めた。2013年に中長期が21.6%、短期が78.4%だった状態と比べ、対外債務の構造は改善されているものの、短期債務が占める割合が依然として高い。
なお、2018年の外貨準備に占める短期対外債務の割合は41.4%となっている。年報では、「この比率は、一般的に警戒を要する水準とされる100%を下回っており、中国の対外債務のリスクは全体的にコントロール可能な状態にある」と説明している。
(趙薇)』
中国外貨準備、2カ月ぶり減少 ドル高で
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM07A2Z0X00C22A9000000/
※ 最初、どういうことか、ちょっと意味が分からなかった…。
※ ドル高で、外貨準備が減少とは、ドル以外の通貨での外貨準備が、けっこう大きいということだ…。
※ それで、調べた…。
『【北京=川手伊織】中国人民銀行(中央銀行)は7日、8月末の外貨準備が3兆549億ドル(約440兆円)で、前月末より492億ドル減ったと発表した。2カ月ぶりに減少した。海外の金融資産が値下がりしたほか、米国の金融引き締め観測を背景にドル高が進んだことがドル換算の評価額を押し下げた。
中国の外貨準備は2022年に入ってから減少傾向が続いている。8月末の水準は昨年末に比べて6%減った。各年同じ期間で比較すると、この減少率は7年ぶりの大きさだ。8月末の水準は18年10月以来の低さとなった。
米連邦準備理事会(FRB)によると、8月末時点のドルの主要通貨に対する指数は7月末から2.4%上がった。7月(0.6%上昇)よりドル高のピッチが速まった。中国国家外貨管理局の王春英報道官は「グローバル経済の下振れ圧力は増しており、国際金融市場は大きく変動している」と指摘した。』
[FT]中国、半導体の国産化を加速 米国の技術封鎖に対抗
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB071U60X00C22A9000000/
『米国が半導体技術の中国企業向けの輸出に新たな規制を課したことに対し、中国政府は強く反発した。だが中国は、うわべだけでなく本気で半導体の国内生産を強化するために、新たに多額の補助金を投じるとみられる。
半導体業界はグローバル化が進んでいるため、1国だけの競争力を高めることは困難との見方もある=ロイター
米政府は中国のハイテク業界に対して、最先端半導体の部品や製造装置の利用を制限する制裁を着実に強化してきた。最近では厳しいライセンス要件を導入したことで、米半導体大手のエヌビディアやアドバンスト・マイクロ・デバイス(AMD)が製造するハイエンドプロセッサーは輸出が阻止される公算が大きい。これらのプロセッサーは人工知能(AI)システムに使われる。
中国外務省は1日、米国は自らの技術的「覇権」を維持するために中国を「技術封鎖」しようとしており、国家安全保障の概念を拡大解釈していると非難した。一方、米国は自国の技術が中国に軍事利用されることへの懸念を表明している。
こうした「封鎖」を突破できないなかで、「輸出規制は中国が国産技術で代替する動きを加速させることになる」と中国半導体メーカーの幹部は指摘する。
中国政府はすでに多額の資金を半導体業界に投じており、国有投資ファンドは外国企業を代替すると約束する半導体スタートアップに重点的に投資してきた。だが、気前のよい資金投入はムダや腐敗、誤った経営判断のもとになったとの批判も浴びている。中国半導体大手、紫光集団は政府から数百億ドル規模の補助金を受けたにもかかわらず、2020年に社債の債務不履行(デフォルト)に陥った。
半導体自給をあきらめない中国
アナリストは、米政府がさらなる締め付けにより中国のハイテク業界に対する包囲を強める限り、中国政府は有名企業の破綻が相次いだとしても半導体自給への追求をあきらめることはないと考えている。
米政府はエヌビディアとAMDの最先端半導体の供給を阻止する措置を導入した数週間前にも、ハイエンド半導体の設計に必要なEDA(電子設計自動化)ソフトの中国向け輸出を禁止した。これらの動きを受けて、中国企業は海外サプライヤーからの切り離しに備えて国内半導体メーカーへの切り替えを急ぐだろうと、上海市に拠点を置くHWASアセッツは短信で指摘した。
米議会は7月、米国での半導体工場の建設に総額527億ドル(約7兆5000億円)の補助金を支給することを盛り込んだ画期的な「CHIPS・科学法(半導体法)」を可決した。中国でのハイエンド半導体の生産に投資しないことに同意した企業が対象となる。
スイス金融大手クレディ・スイス・グループのアジア半導体業界調査担当責任者、ランディー・エイブラムズ氏は短信で、中国での先端半導体への投資が禁止されることで「中国は国内の半導体産業を強化するために海外から人材や投資を獲得することが一層制限される」との見方を示す。
以前は、韓国のサムスン電子や米インテル、台湾の聯華電子(UMC)が中国で稼働させる半導体工場が「国内の半導体産業を発展させたい中国にとって知的財産、人材、資源の優れた供給源となっていた」とエイブラムズ氏は解説する。
現在は米国製ツールがリード
米投資銀行ジェフリーズのアナリストによれば、エヌビディア製品の顧客の中で今週の事実上の禁輸措置で最も影響を受けるのはクラウドサービス、インターネット、AIの企業だという。ジェフリーズは国産のGPU(画像処理半導体)に切り替える動きが出ると予測するものの、「AIのための基本ソフト(OS)」とされるエヌビディアのソフトウエアツール「CUDA(クーダ)」が普及していることから互換性の問題が生じるとみられる。
中国半導体メーカー幹部は、中国が機能的に申し分のないEDAソフトを独自に開発するのは時間の問題だと語った。米国製のツールは「信じられないほど複雑で洗練されているため、一朝一夕に模倣することはできないが、十分な資金と創意工夫があれば近づくことは可能だ」と強調する。
中国が半導体の自給を達成できるという予想には否定的な見方もある。米情報技術イノベーション財団(ITIF)のディレクター、スティーブン・エゼル氏は、中国は「クローズドループ(閉ざされた輪)の半導体エコシステム」を構築しようとする取り組みに失敗してきたと語る。
「ハイテク産業の国が何でも自前でやろうとするのは自滅的だ」と同氏は述べた。
米政府が20年に中国通信機器大手の華為技術(ファーウェイ)に科した制裁がもたらした破壊的な影響は、世界的な半導体サプライチェーン(供給網)がもつ相互連結的な本質を浮き彫りにした。米国の技術を利用した半導体の輸入を禁止する措置により、ファーウェイのスマートフォン事業はまひさせられた。
かつては日本勢の優位を懸念し米半導体企業の連合体も
オランダも米政府の圧力に屈し、AIやブロックチェーン技術を動かす半導体の製造に必要なEUV(極端紫外線)露光装置の中国向け輸出を禁止した。中国半導体産業の専門家、ダグラス・フラー氏は「米国がオランダを追従させたが最後、中国はプレーヤーではなくなった」と説明する。
半導体業界の関係者は、中国による外国の半導体技術の利用を制限できたとしても、米政府が世界のサプライチェーン(供給網)から中国を完全に締め出すことは不可能ではないかと予想する。
米政府が対立国と競争しようとした前回の試みは、政治的な意欲の後退と資金の枯渇によって失敗したと、ある日本の業界でのベテランは話す。1980年代末、半導体での支配的な地位を日本に不当に奪われたという懸念を受け、米政府は半導体企業の連合体を立ち上げた。
「しばらくの間はおおむね成功していた。インテルをはじめとする大企業の強い支持があったことが大きい。しかし、政府の助成は変わりやすく、米政権が変われば干上がってしまう」とこのベテランは言う。
「半導体産業はグローバルだ。友好国や競争相手国に対して1つの国の競争力を高めようとする取り組みは困難だ」
By Eleanor Olcott and Anna Gross
(2022年9月4日付 英フィナンシャル・タイムズ電子版 https://www.ft.com/)
(c) The Financial Times Limited 2022. All Rights Reserved. The Nikkei Inc. is solely responsible for providing this translated content and The Financial Times Limited does not accept any liability for the accuracy or quality of the translation. 』
中ロ首脳、9月中旬に会談へ ウズベキスタンで
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR077YW0X00C22A9000000/
『ロシアのプーチン大統領は7日、15~16日にウズベキスタンのサマルカンドで開く上海協力機構(SCO)首脳会議に合わせて中国の習近平(シー・ジンピン)国家主席と会談する計画だと明らかにした。両首脳の会談は2月の北京五輪開会式へのプーチン氏の出席時以来で、ウクライナ侵攻後は初めてとなる。
国際会議「東方経済フォーラム」を開いた極東ウラジオストクでプーチン氏が表明した。中ロとモンゴルの3カ国首脳会談も実施予定という。
カザフスタン外務省によると習氏は14日、SCO首脳会議出席に先立ち、カザフを訪れる予定だ。実現すれば習氏にとって新型コロナウイルス感染拡大後、初の外国訪問となる。カザフ訪問後、隣国のウズベクに移動するとみられる。
中ロ首脳会談では米国に対抗して両国の結束を訴える見通し。ロシアのデニソフ駐中国大使は「幅広いテーマが話し合われる」と述べ「完全な形での会談」になると指摘した。中ロは台湾問題やウクライナ侵攻で、それぞれ米欧との対立を深めている。
習指導部は10月の共産党大会を前に外交関係の立て直しに動いている。習氏側近で党序列3位の栗戦書(リー・ジャンシュー)全国人民代表大会(全人代)常務委員長(国会議長)はロシアを訪問、東方経済フォーラムに出席した。
11月にインドネシアで開く20カ国・地域首脳会議(G20サミット)で米中首脳会談を開く可能性があり、中国とロシアの連携を確認しておく意味もありそうだ。
ニューズレター https://regist.nikkei.com/ds/setup/briefing.do?n_cid=DSREA_newslettertop
多様な観点からニュースを考える
※掲載される投稿は投稿者個人の見解であり、日本経済新聞社の見解ではありません。
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川島真
東京大学大学院総合文化研究科 教授
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分析・考察
先進国は中露を一括りにするが、中露関係は依然単純ではない。東方経済フォーラムに参加した栗戦書は間も無く退任する存在だ。王毅は、7月にラブロフ外相と会談した際にウクライナ問題には触れなかったようだし、また同月のG20の会議で中国にとってはロシアもウクライナも共に友人と述べた。2月後半の中露首脳会談の際には、中国側が会議内容を公表した後に、北京のロシア大使館がそれを修正し、習近平主席がプーチン大統領を支持したと強調する一幕もあった。習近平主席としては、三期目に入る前に対露関係を再確認したいのだろうが、「核心的利益」を相互確認し、「新型大国関係」が実現していることを示す程度に止まるのではなかろうか。
2022年9月8日 5:25
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渡部恒雄
笹川平和財団 上席研究員
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分析・考察
8月に中国の駐露大使が、ロシアに対して度重なるNATOの拡大を行い、ウクライナがロシアよりも欧州連合に参加するように仕向けたとして、米国をウクライナ戦争の「扇動者」と呼び、米国に対抗する中露という文脈で発言をしています。一方で習近平体制が来年には異例の三期目を迎える中で、米国との関係も安定させたいはずで、バイデン米大統領も11月のバリ島でのG20に習近平主席が参加するなら会談を持ってもいいという意向を示しています。中国としては当面、ロシアとの関係を固めながらも、ウクライナ戦争への支援には深入りはせずに、米国および欧州との関係をこれ以上悪化させないという微妙なバランスをとるのではないでしょうか。
2022年9月8日 8:08
(2022年9月8日 8:09更新) 』
二・二八事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E3%83%BB%E4%BA%8C%E5%85%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6
※ 知らん人が殆んどだろうが、こういう歴史の一幕もあったんだ…。
※ 『非情城市』とか、レンタルビデオ屋から借りて来て、視た記憶がある…。
※ やたら、キレイな画像、美しい音楽だったな…。
























『二・二八事件(ににはちじけん, 拼音: Èr’èrbā shìjiàn)は、1947年2月28日に台湾の台北市で発生し、その後台湾全土に広がった、中国国民党政権(在台湾の中国人)による長期的な白色テロ、すなわち民衆(当時はまだ日本国籍を有していた台湾人と日本人)弾圧・虐殺の引き金となった事件[1]。
1947年2月27日、台北市でタバコを販売していた台湾人女性に対し、取締の役人が暴行を加える事件が起きた。これが発端となって、翌2月28日には台湾人による市庁舎への抗議デモが行われた。しかし、憲兵隊がこれに発砲、抗争はたちまち台湾全土に広がることとなった。台湾人は多くの地域で一時実権を掌握したが、国民党政府は中国から援軍を派遣し、武力によりこれを徹底的に鎮圧した。
背景
中国国民政府軍と官員を出迎える台湾の学生たち(1945年)
1945年に日本が敗戦した後の台湾では、カイロ宣言に基づき、連合国軍の委託を受けて、日本軍の武装解除を行うために、中国から蔣介石国民政府主席率いる中国国民党政府の官僚や軍人らが同地へ進駐し、失地回復という名目で台湾の行政を引き継いでいた。
中国から来た国民党政府の官僚や軍人らを港で歓迎したが、やがて彼らの汚職の凄まじさに驚き、失望した。中国から来た軍人・官僚は、当時の国共内戦の影響で質が悪く、強姦・強盗・殺人を犯す者も多かったが、犯人が処罰されぬことがしばしばあった。
“Chinese Exploit Formosa Worse Than Japs Did”(ザ・ワシントン・デイリーニュース)
もし罰せられる場合でも、犯人の籍をマスコミ等で報じることは厳しく禁じられた。また、台湾の資材が中国人官僚らによって接収・横領され、中国上海市の国際市場で競売にかけられるに到り、物資不足に陥った台湾では、相対的に物価は高騰、インフレーションによって企業の倒産が相次ぎ、失業も深刻化した。
日本統治時代の台湾では、皇民化教育政策などはあったが、不正は少なく、帝国大学も創設され、インフラストラクチャも整備した台湾の経済は、日本内地の地方都市を超えて東京市と同じ水準だった[2]。日本の統治を体験した台湾人にとって、治安の悪化や役人の著しい汚職、軍人・兵士などの狼藉、さらに経済の混乱は到底受け入れがたいものであり、人々の不満は高まっていった。
経緯
専売局台北分局前に集まった群衆(1947年2月28日)
台北市民に焼き討ちされた専売局台北分局
当時の弾圧を描いた木版画
台湾省警備総司令部のビラ(中国語とともに日本語も併記している)
戦後の台湾では、日本統治時代の専売制度を引き継ぎ酒・タバコ・砂糖・塩等は全て中華民国によって専売された。しかし、中国ではタバコは自由販売が許されていたため、多くの台湾人がこの措置を差別的と考え、不満を持っていた。
1947年2月27日、台北市でタバコを販売していた女性(林江邁、40歳、2人の子持ち寡婦)を、中華民国の官憲(台湾専売局台北支局密売取締員6名と警察官4名)が摘発した。女性は土下座して許しを懇願したが、取締官は女性を銃剣の柄で殴打し、商品および所持金を没収した。タバコ売りの女性に同情して、多くの台湾人が集まった。すると取締官は今度は民衆に威嚇発砲したが、まったく無関係な台湾人である陳文渓に被弾・死亡させてしまい、逃亡した。
この事件をきっかけとし、民衆の中華民国への怒りが爆発した。翌28日には抗議のデモ隊が省行政長官兼警備総司令陳儀の公舎に大挙して押しかけたが、庁舎を守備する衛兵は屋上から機関銃で銃弾を浴びせかけ、多くの市民が死傷した[3][4]。
激怒した台湾人民衆は国民政府の諸施設を襲撃し、中国人商店を焼いた[3]。日本語や台湾語で話しかけ、答えられない者を中国人と認めると暴行するなどの反抗手段を行った。台湾住民の中には日本語が話せないグループもいたが、「君が代」は国歌として全ての台湾人が歌えたため、台湾人たちは全台湾人共通の合言葉として「君が代」を歌い、歌えない者(中国人)を排除しつつ行進した。また、台湾人側はラジオ放送局を占拠。軍艦マーチと共に日本語で「台湾人よ立ち上がれ!」と全島に呼びかけた[5]。
3月1日からは各主要都市で民衆が蜂起して官庁や警察を占拠し、中国人を殴打した[3]。台南では台南飛行場が占拠され、旧日本軍の飛行機で東京に飛んでマッカーサー元帥に陳情してGHQの占領下に組み入れてもらおうとする者もいた(機体の部品が欠損していたため果たせず)[5]。高雄では要塞司令の彭孟緝がこれに対し武力掃討を行い、多くの死者を出している[4]。
3月4日には台湾人による秩序維持と食糧確保のための全島処理委員会が成立。事態の収拾に向けて、知識人や地方名士からなる二・二八事件処理委員会も台湾各地に組織され、台北の同委員会は3月7日に貪官汚吏の一掃・省自治の実施・政府各機関への台湾人の登用などの改革を陳儀に要求した[3][4]。
劣勢を悟った中華民国の長官府は、一時台湾人側に対して対話の姿勢を示したが、裏では中国の国民党政府に密かに援軍を要請していた。陳は「政治的な野望を持っている台湾人が大台湾主義を唱え、台湾人による台湾自治を訴えている」「台湾人が反乱を起こした」「組織的な反乱」「独立を企てた反逆行為」「奸黨亂徒(奸党乱徒)に対し、武力をもって殲滅すべし」との電報を蔣介石に送っている。
国民政府主席蔣介石は陳儀の書簡の内容を鵜呑みにし[注釈 1]、3月8日に中国から援軍として派遣された第21師団や憲兵隊が到着した。これと連動して、陳儀の部隊も一斉に反撃を開始した。裁判官・医師・役人をはじめ日本統治時代に高等教育を受けたエリート層が次々と逮捕・投獄・拷問され、その多くは殺害された。また、国民党軍の一部は一般市民にも無差別的な発砲を行っている。基隆では街頭にて検問所を設け、市民に対し、北京語を上手く話せない台湾人を全て逮捕し、針金を台湾人の手に刺し込んで縛って束ね、「粽(チマキ)」と称し、トラックに載せ、そのまま基隆港に投げ込んだという。台湾籍の旧日本軍人や学生の一部は、旧日本軍の軍服や装備を身に付けて、国府軍部隊を迎え撃ち、戦った(「独立自衛隊」、「学生隊」等 )。しかし、最後はこれらも制圧され、台湾全土が国府軍の支配下に収まった。
嘉義市の議員で民衆側に立った陳澄波(中国語版)が市中引き回しのうえで嘉義駅前で銃殺されたのをはじめ[4]、この事件によって多くの台湾人が殺害・処刑され、彼らの財産や研究成果の多くが接収されたと言われている。犠牲者数については800人〜10万人まで様々な説があり[7]、正確な犠牲者数を確定しようとする試みは、いまも政府・民間双方の間で行なわれている。1992年、台湾の行政院は、事件の犠牲者数を1万8千〜2万8千人とする推計を公表している[8]。
事件当時地区ごとに度々発令された戒厳令は台湾省政府の成立をもって一旦は解除された。しかしその後、1949年5月19日に改めて発令された戒厳令は38年後[9] の1987年まで継続し、白色テロと呼ばれる恐怖政治によって、多くの台湾人が投獄、処刑される根源となった。また、内外の批判によって国民党政府が漸く戒厳令を解除した後も、国家安全法によって言論の自由が制限されていた。今日の台湾に近い形の「民主化」が実現するのは、李登輝総統が1992年に刑法を改正し、言論の自由が認められてからのことである。
その後
二二八和平公園の慰霊塔(台北市)
二二八和平記念碑の碑文(台北市)
二・二八紀念館(二二八和平公園内。建物は旧台湾放送協会 (THK) 台北支局)。
旧台湾放送協会台北支局(1931年)
二二八紀念碑(嘉義市)
事件後、関係者の多くは処刑されるか身を隠すか、あるいは国外逃亡を企てた。
後に中華民国総統を務めた李登輝は留学経験者という知識分子であったため処刑を恐れて知人宅に潜伏し、ほとぼりの冷めるのをまった。外国人初の直木賞受賞作家であり実業家の邱永漢は学生運動のリーダーであったが、当局の眼を掻い潜って出航。香港を経由して日本に逃亡した。亡命者の中には反国民党を掲げたものもあったが、当時は東西冷戦の時代であり、反国民党=親共産党とみなされて、日米ではその主張は理解されなかった。
中国国民党政府は、事件後、戒厳令を38年の間施行した[10]。戒厳令下の台湾では政治活動や言論の自由は厳しく制限され、白色テロと呼ばれる人権抑圧が行われた[11]。
事件は台湾人と中国人の間に亀裂をもたらし、事件について語ることは長年タブーとなっていた[12]。
しかし時が経つにつれ、これを話題にすることができる状況も生まれてくる。当初、国民党は台湾人に高等教育を与えると反乱の元になる、と考えていたが、経済建設を進めるに当たって専門家の必要性が明白となり、方針を転換して大学の建設を認めた。
戒厳令解除後の1989年に公開された侯孝賢監督の映画『悲情城市』は二・二八事件を直接的に描いた初めての劇映画で、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞した。[12]
李登輝体制下で事件の再調査が行われ、1992年に長大な調査報告書が作成された。
同年の1992年、史上初の『二・二八メモリアルコンサート』が、台湾の西洋オペラの父、自由と民主の戦士の音楽家としても知られる曾道雄(指揮)らによって実現された。曲目はモーツァルト作曲『レクイエム』とブラームス作曲『運命の歌』。当時『二・二八事件』はタブー視されていた用語でありコンサートを開催すること自体、前代未聞であった。これら音楽家の決意を評価した李登輝総統は、このコンサートに参加し謝罪スピーチまで行った。国民党内での自身の政治的基盤が未だ完全に確立していない事を承知の上、政治的リスクを負ってまで参加した李総統の勇気に文芸界と犠牲者家族から高い評価と敬意が向けられた。
1995年2月には台北新公園(現・二二八和平公園)に二・二八事件記念碑が建てられ、李自らが除幕式で公式な謝罪の意を表明した[3]。同公園内の台北二二八紀念館や台北市内の二二八国家記念館で、事件の資料が展示されている。
なお、二・二八事件については、当時台湾共産党が中国共産党の指令を受けて、国民党政権を倒すべく民衆の蜂起を煽ったとの説もあるが、これに対し、それは蔣介石が台湾人を虐殺するための口実だったという反論もある。[要出典]
2006年には、二・二八事件の最大の責任者は蔣介石だとする研究結果が発表された[13]。
外国人犠牲者への対応
二・二八事件が発生した当時、基隆市の社寮島(現・和平島)に約30人の琉球人漁民が残ったが、中国語が分からなかったため処刑された。2011年に訪台した沖縄県議員・當間盛夫らの要請により、「琉球漁民銅像記念碑」が設立された[14][15][16][17]。
2016年2月17日、台北高等行政法院は外国人犠牲者へ初めて賠償を認める判決を下し、二二八事件記念基金会(中華民国政府から委託を受け事件処理を行う基金)に対して犠牲になった与論島出身の日本人遺族の一人に600万台湾元(約2050万円)の支払いを命じた[1]。また、これ以外にも日本人1人を含む外国人2人が犠牲者として認定を受けた。一方、事件前に与那国島から台湾へ渡ってそのまま失踪した2人は2017年7月と2018年3月に外国人犠牲者の認定申請が却下された[18]。
関連作品
映画
『悲情城市』 侯孝賢監督、1989年台湾作品。主な出演者:李天祿(リー・ティエンルー)、陳松勇(チェン・ソンユン)、高捷(ジャック・カオ)、梁朝偉(トニー・レオン)、辛樹芬(シン・シューフェン)
『好男好女』 侯孝賢監督、1995年台湾・日本合作作品。主な出演者:伊能静、林強(リン・チャン)、高捷(ジャック・カオ)
『天馬茶房』 林正盛監督、1999年台湾作品。主な出演者:林強(リン・チャン)、蕭淑慎(シァウ・シュウシェン)、龍紹華(ロン・シァウファー)、陳淑芳(チェン・シュウファン)
『傷痕228』 鄭文堂(中国語版)監督、セミ・ドキュメンタリー(一部再現ドラマ)、2005年台湾作品。
『台湾人生』 酒井充子監督。日本統治時代と戒厳令を乗り越えて、今を生きる人々の声に耳を傾けたドキュメンタリー。2009年日本作品。
Taiwan 228 Massacre 60 Years On: 1947-2007 (紀念康阿裕) - 二・二八事件で蔣介石の中国国民党の軍隊から拷問を受けた康阿裕の証言。
音楽
蕭泰然『1947序曲(中国語版)』(1994年)- 曲中歌われる『台灣翠青(中国語版)』は台湾独立運動の一環である「台湾共和国」の「国歌」とされている。
ChthoniC 『十殿(英語版)』(2009年)
』
中国、日台に「離間の計」か 日本統治下に60万人殺害説
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM269QE0W2A820C2000000/
『中国が再び日本に接近している。台湾有事で日本が米軍や台湾の本格支援に回る事態を警戒し、日本の世論が中国から離れないように緊張緩和を探っている。一方で日本がかつて「60万人以上」の台湾の人を殺害したとの情報戦を展開。日台間の連携を阻止するべく「離間の計」を進めている。
8月中旬まで中国では日本を巡る悪い話で持ちきりだった。8月10日に中国江蘇省蘇州市で、浴衣を着て写真撮影しようとしていた女性が警察から、「(中国人にもかかわらず)和服を着ている」と詰め寄られて一時拘束された。日本の夏祭りをイメージしたイベント「夏日祭」も、次々と中止に追い込まれた。
反日から一転、日本に秋波
風向きが変わったのは17日だ。中国側の求めで、秋葉剛男国家安全保障局長と中国の外交担当トップの楊潔篪(ヤン・ジエチー)共産党政治局員が中国・天津で会談した。日中間の「建設的で安定的な関係」を実現するため、対話を継続すると一致した。
9月29日の日中国交正常化50年に合わせて岸田文雄首相と習近平(シー・ジンピン)国家主席が電話協議をする案も浮上している。
8月22日に習氏は新型コロナウイルスに感染した岸田氏にお見舞いの電報を送り「国交50年」の重要性に触れた。
きっかけは8月上中旬に開かれたとされる「北戴河会議」とみて間違いないだろう。北戴河は首都・北京から近い河北省の避暑地で、党幹部や引退した長老らが別荘に集まり、党の重要政策や人事を話し合う場とされる。
会談前にペロシ米下院議長(左)と握手をする岸田首相(8月5日、首相公邸)
8月上旬にペロシ米下院議長が台湾を訪問し、日本にも足を運んだ。岸田首相は公邸に招いてもてなしており、北戴河会議で台湾情勢を巡る日米の連携が議題に上ったとみるのが自然だ。習氏が異例の3期目を確実にしようとしている秋の党大会を前に、日本が台湾問題に関与を深めようとしているのは大きな痛手といえる。
中国は台湾有事で日本の自衛隊が米軍支援にどの程度回るかを注視している。それを左右する日本の世論が「反中」で固まり、米軍と台湾への支援で一致する事態への警戒が高まっている。今後も首脳協議や政府高官らの対話の機会を増やし、あの手この手で日本を”懐柔”していくとみられる。
8月中下旬に中国共産党の党外交を推進する中央対外連絡部が主催する形で、北京の日本大使館や日系企業、政府系機関の関係者らが参加する雲南省の視察が実施された。現地では雲南省ナンバー2の副書記が現れ、あまりの「熱烈歓迎」ぶりに戸惑う関係者もいた。
中国、日本懐柔の一方で情報戦
一方で、中国は台湾向けに情報戦を仕掛けている。8月8日、中国外務省の汪文斌副報道局長が日本の台湾統治期間中に「60万人以上」を殺害したと主張した。15日付の中国共産党の機関紙、人民日報の重要コラム「鐘声」でも「日本は60万人以上の台湾同胞を殺害し、書き尽くせぬほどの犯罪を犯した」と強調している。
中国側が数字の具体的な根拠を示していないことなどから、日本ではほとんど取り上げられていない。日本統治下の台湾で抗日運動が起こり、日本側が弾圧した事実はあるが、当時の台湾の人口は最大600万人超で、その約1割以上が殺害されたというのは、単なる主張としても無理のある数字だ。日本経済新聞は8月17日に中国外務省に60万人の数字の根拠を書面で質問したが、9月1日時点で回答はない。
だが、すでに中国のブログなどでこの「60万人」の数字が転載され、独り歩きを始めている。同じ中国語圏の台湾では日本の無関心を見越した情報戦が始まりやすいとみられる。日本が気づかぬうちに台湾へ広がり、将来、日台間で思わぬトラブルに発展する懸念をはらむ。
日中間で政府・民間を問わずにパイプを増やし、意思疎通を強化するのはお互いに利点がある。だが、中国のほほ笑み外交の裏で新たな「歴史戦」が始まる可能性があることには注意が必要だ。
(北京=羽田野主)
[日経ヴェリタス2022年9月4日号掲載]
日経ヴェリタス https://www.nikkei.com/theme/?dw=20062208 』
フランス上院議員団、7日に台湾訪問 副総統と会談へ
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM06B5P0W2A900C2000000/
『【台北=中村裕】シリル・ペルバ氏ら5人のフランス上院議員団が7日、台湾を訪問する。台湾外交部(外務省)が6日発表した。12日まで滞在し、台湾ナンバー2の頼清徳副総統らと会談する予定だ。インド太平洋地域の平和と安定などについて意見交換し、関係を強化する。中国の反発は必至だ。
台湾外交部は「心から歓迎する」とコメント。「(フランスからは)過去1年間で4回目の訪問となり、台湾とフランスの友好関係が示された」などと指摘した。
欧州連合(EU)加盟国からは仏議員の台湾訪問が目立つ。2021年10月に上院議員団、同12月は下院議員団が訪台。6月にも上院議員団が台湾を訪れた。いずれも蔡英文(ツァイ・インウェン)総統と会談した。』
ロシアのガスプロム、中国向けガス輸出決済を両国通貨に
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR06BVN0W2A900C2000000/
『ロシア国営ガスプロムは6日、中国に輸出する天然ガスの決済について、両国の通貨であるルーブル建てと人民元建てに移行すると決めたと発表した。ウクライナに侵攻したロシアに制裁を科す米欧に対抗する狙いだ。中ロ間のガスパイプラインの輸出先となる中国の中国石油天然気集団(CNPC)との長期契約で適用する。従来は米ドル建てで決済していたとみられる。
ガスプロムは「新しい決済の仕組みは、お互いにメリットがある」と説明した。
ロシアの有力銀行は制裁の一環として国際決済システムから除外された。ロシアはこれまで、欧州に供給するガスの代金決済でルーブル建てを求めていた。』
李首相が逆流阻止、習近平路線の無秩序増長に歯止め
編集委員 中沢克二
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK0331Q0T00C22A9000000/
※ 『「黄河と長江が逆流することはない」。』…。
※ 『古い黄土文明を捨て、青い外洋へ出よ――。古来、皇帝から庶民まで中華文化圏の中心で生きる人々が固執してきた黄土文明を捨てなければ、中国は衰退し、やがて「球籍」(地球上の戸籍)まで失うことになる。』…。
※ 『17年の党大会前には、若手のエース級で重慶市トップだった孫政才をあえて失脚に追い込み、誰にでもわかる形で「ポスト習」が自分であると示した。』…。
※ 『「長江は、後の波が前の波を推し進める」』…。
※ 分かりにくい「間接話法」、「比喩表現」で、読んでてちょっとイライラする…。
※ 特に、『17年の党大会前には、若手のエース級で重慶市トップだった孫政才をあえて失脚に追い込み、誰にでもわかる形で「ポスト習」が自分であると示した。』の一文だ。
※ これの解釈は、「習氏が、あえて孫政才氏を失脚に追い込み、誰にでもわかる形で「ポスト習」が自分(=習氏)であると示した。」ということで、いいのか…。
※ ともあれ、「国家の発展」を願い、そう仕向けようと画策・行動するのは勝手・自由だが、そういうことは、あくまでも「現実の制約」の中でしか、実現し得ないものだ…。
※ そして、「他国」は、別に「貴国」の発展・成長を手助けしなければならない立場に置かれているものでもない…。
※ 成長・発展したければ、ご自由に…。


『中国では指導部の世代交代問題、そして重大な政策を巡る路線問題を論じる際、必ずといってよいほど中国を代表する大河である黄河、長江が登場する。
黄河も長江もいにしえの時代から中華文明を育んできた河川であり、指導者らが自らの心境を仮託しやすい。言いにくい話を黄河と長江にかこつけて発信する。その意味では、極めて政治的な暗号として使われてきた。
黄河、長江の逆流なし
「黄河と長江が逆流することはない」。これは首相の李克強(リー・クォーチャン)が8月16、17両日、広東省深圳に入り、港湾を視察した際、青空の下、身ぶり、手ぶりを交えながら朗らかに語った言葉だ。中国メディアの報道によれば、前段は「改革・開放(政策)は引き続き前に進めなくてはならない」という内容だった。
広東省深圳の港を視察する李克強首相(中国国営中央テレビの映像)
李は10月16日開幕が発表された共産党大会を前に、政策路線問題に決着をつけるかのような発信をしたことになる。似た発言は3月にもしたが、今回は「北戴河会議」直後だけに注目度が高かった。とはいえ、反応が大きすぎたため、李が語る映像は中国内では既に見ることができない。
李発言と歩調が合う動きがあった。「(新時代の)新発展段階は、その歴史的な方向と奮闘の目標からみて、まだ社会主義初級段階の歴史の範疇(はんちゅう)を超越していない。この一点は必然的に明確だ」「新発展段階は、初級段階の外にある段階ではない」
中国共産党中央委員会傘下の理論誌「求是」9月1日号が掲載した一連の記事は示唆に富む
しつこく繰り返される解説は、共産党中央委員会が発行する理論誌「求是」の9月1日号に掲載された。ネットでの公開は8月31日で、党大会開幕日発表の翌日だった。筆者は、中央党史・文献研究院長の曲青山(党中央委員)である。
この雑誌は、まず2年前の中央委員会第 5回全体会議(5中全会)で国家主席の習近平(シー・ジンピン)が、新発展段階について語った演説を冒頭に置いている。2035年をめざす長期目標にも触れた習演説を、曲が解読する形式をとっている。
新発展段階は35年に目標を置く現代化の基本的実現、さらに49年の「第2の100年」(新中国建国100年) をめざす新たな段階を指す。習としては、「豊かさ」をめざした鄧小平時代を超越して、「強さ」をめざす自らの時代の新たな発展段階という雰囲気を醸し出したい。そうなれば政治上、極めて有利だ。
ところが、曲は、鄧小平理論の根幹を成す重要な構成部分である社会主義初級段階の中の一段階にすぎないと断じている。初級段階論は、1987年秋の第13回党大会で鄧が主導して系統的に説明された。当時、初級段階は、56年の社会主義改造の基本的な完成から、21世紀中葉の現代化の基本的実現まで延々と続くとしていた。
習は2017年党大会で現代化の基本的実現を約15年も前倒し、35年とした。これが習による新時代の最大の実績のはずだ。それでも初級段階は35年で終わらない。概念に大変化はなく、習が宣伝する新発展段階も初級段階という鄧小平由来の大枠の中に収められてしまった。
歴史をひもとき整合性を持たせる合理的な説明とはいえ、今、あえて強調するのは意味深である。経済急減速下での「北戴河会議」の結果を踏まえ、皆が納得できる総括を習自身の過去の言葉も引用しながら、少し複雑な形式で行った。そう考えるのは、うがち過ぎだろうか。
「社会主義初級段階にある以上、まずは改革・開放の継続でケーキを大きくすべきだ。初級段階を卒業した後の理想型であるケーキを均分する『共同富裕』(皆が豊かに)を拙速に実現しようとすべきではない」。そういうメッセージにもみえる。
鄧小平「社会主義初級段階論」という大枠
習による新時代は、18回党大会を開いた12年に始まったという時代認識区分は是としている。これは21年の「第3の歴史決議」に描かれた通りだ。だが、中国国民の生活を左右する経済政策路線の解釈は別である。
今なお鄧小平以来の社会主義初級段階から抜け出していない――。そうクギを刺した狙いは、経済を巡る習路線の無秩序な増長に歯止めをかけることにあった。党大会日程の発表文には、改革・開放という文字がなく、共同富裕にも触れている。だが権威ある党の理論誌の解説と合わせれば、バランスがとれる。鄧小平は今なお健在だ。
黄河を巡っては、社会主義初級段階論が公式提起された翌年の1988年、大きな文化的なうねりがあった。大論争を引き起こし、再放送禁止になった中国のテレビドキュメンタリー「河殤」(かしょう)の放映である。
中国のテレビドキュメンタリー「河殤」(かしょう)のシナリオ解説本
古い黄土文明を捨て、青い外洋へ出よ――。古来、皇帝から庶民まで中華文化圏の中心で生きる人々が固執してきた黄土文明を捨てなければ、中国は衰退し、やがて「球籍」(地球上の戸籍)まで失うことになる。
革新的で大胆な主張は衝撃を与えた。映像の視覚的な力で文明論をひもとき、知的好奇心に訴えた番組は、改革・開放へ人々を動かすアジテーションの役割を果す。理論的な支柱は、河殤の企画顧問も務めた中国経済学界の泰斗で北京大教授の厲以寧だ。李克強の恩師である。
「黄河と長江の逆流はない」という李発言の直後、党大会で党トップとして3選を狙う習の今後の政治権力の行方、指導部の世代交代問題などにも大きな影響があるのではないかという臆測が広がった。
とはいえ8月末、党大会開幕を10月半ばと発表した経緯は5年前と同様で、習主導で順調に準備が進む様子をうかがわせた。経済に不案内な習の「暴走」に歯止めがかけられたからといって、それが即、習の政治基盤を揺るがすわけではない。
一方、習は長期的な世代交代問題、未来を担う新しい指導層の育成に関して、長くだんまりを決め込んでいる。「ポスト習近平」論議は、再び封印され、闇の中にある。
17年の党大会前には、若手のエース級で重慶市トップだった孫政才をあえて失脚に追い込み、誰にでもわかる形で「ポスト習」が自分であると示した。同じ手は使えない。では党内に広がる「次世代を育成すべきだ」との声にどう対処するのか。
世代交代問題で注目された習発言は1年前にまで遡る。「第3の歴史決議」採択前の21年10月である。「国家の政治制度が民主的なのか、有効なのか、を評価するには、国家の指導層が秩序だった交代ができるかをまずみるべきだ」
一瞬、ドキッとするが、習は過去にも似た発言をしていた。ポイントは「国家」の指導層にだけ言及し、「党」や「中央」には触れないことだ。翌月の歴史決議では、さらに曖昧になった。「時代の重責に堪える後継者らを大量に育成する」。これは、党として次世代を集団として育成する重要性に触れた一般論にすぎない。
長江で世代交代に触れた江沢民氏
ここで過去の例をみてみよう。興味深いのは元国家主席、江沢民(ジアン・ズォーミン)による22年前の「公式」発言だ。
「長江は、後の波が前の波を推し進める」
2000年5月30日、中国を訪問していた当時の自民党幹事長、野中広務ら与党3党幹部と北京・中南海で会い、こう話している。「後の波が、前の波を推す」というのは、長江の流れのように、世の中は絶え間なく変化し、新しい世代が古い世代に取って代わることを意味する中国のことわざだ。
2019年10月、中国建国70年の記念式典に臨む習近平国家主席。左は胡錦濤氏、右は江沢民氏(北京)=共同
会談で江は、後継者とみなされていた当時の国家副主席、胡錦濤(フー・ジンタオ)の名に触れた。注目したいのは、それでも江がすんなり全権限を胡に譲ることはなかったという権力闘争の歴史である。
この発言の2年後、02年秋に開いた第16回党大会で、党トップの総書記職こそ胡に譲ったものの、党中央軍事委員会主席の座は手放さなかった。軍を動かせる点で実質的な権力の源泉であるポストから離れるなら、影響力が一気に衰えてしまう。江が党軍事委のトップから退いたのは、さらに2年後の04年秋だった。
陝西省に下放中の習近平主席(中央、梁家河の記念施設の展示)
時の権力者が、その権限の全てを若手にすんなり譲る例は極めてまれだ。習の場合も、10月党大会での3期目入りは既定にみえ、その後の権力委譲の形はまったくみえない。
黄河と縁が深い黄土高原。その真ん中にある陝西省延安付近で青少年期を過ごした習は、「黄色い大地の子」を自称する。かたや李克強は「古い黄土文明を捨てよ」と説いた「河殤」が象徴する改革・開放路線の申し子である。政治的には、なお「脱鄧小平」を志向する習が李をどう扱うのか、そして後継者の育成問題をどう処理するのか。答えは1カ月余り後に出る。(敬称略)
中沢克二(なかざわ・かつじ)
1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。』