ロシアの求人サイトが、塹壕掘りのアルバイトを募集している。
https://st2019.site/?p=20710
『2022-12-16記事「Russian Job Sites Recruit Trench Diggers for Occupied Ukraine, Border Areas」。
ロシアの求人サイトが、塹壕掘りのアルバイトを募集している。派遣場所は、ウクライナの占領地。
期間は1ヵ月から3ヵ月で、労賃は4000米ドルという。仕事内容は野戦築城。対戦車壕も掘る。』
ロシアの求人サイトが、塹壕掘りのアルバイトを募集している。
https://st2019.site/?p=20710
『2022-12-16記事「Russian Job Sites Recruit Trench Diggers for Occupied Ukraine, Border Areas」。
ロシアの求人サイトが、塹壕掘りのアルバイトを募集している。派遣場所は、ウクライナの占領地。
期間は1ヵ月から3ヵ月で、労賃は4000米ドルという。仕事内容は野戦築城。対戦車壕も掘る。』
ウクライナ軍総司令官、ロシア軍の動員計画は非常に上手くいっている
https://grandfleet.info/european-region/ukrainian-military-commander-says-russian-mobilization-plan-is-going-very-well/

『ウクライナ軍のザルジュニー総司令官はEconomist紙に対して「問題を抱えているにも関わらずロシア軍の動員計画は非常に上手くいっており、早ければ来年の2月までに動員した20万人の訓練が終わる」と明かし、ロシア軍による再攻勢を警告した。
参考:An interview with General Valery Zaluzhny, head of Ukraine’s armed forces
最も興味深い話は何かと馬鹿にされることが多いロシア軍の動員計画についてへの言及だ
ロシア軍は「インフラ攻撃によってウクライナ側を一時的な休戦に応じさせる努力」と「ウクライナ軍の再編成を阻止する努力」を同時並行で進めており、前者の努力は巡航ミサイルや無人機による攻撃、後者の努力はバフムートやマリンカなどを含む1,500kmに及ぶ前線での活発な戦闘で「戦略的な問題の解決にならないもののウクライナ軍を消耗させている」とザルジュニー総司令官は指摘しているが、最も興味深い話は何かと馬鹿にされることが多いロシア軍の動員計画についてへの言及だろう。
出典:管理人作成(クリックで拡大可能)
この動員計画は元々「一部の兵士を投入して前線のギャップをカバーする目的」と「大半の兵士=20万人以上を春までに訓練する目的」で構成され、ザルジュニー総司令官は「ロシア軍の計画は非常に上手くいっている。第二次大戦の教訓を活かして前線から遠く離れたウラル山脈の向こう側で必要な物資の準備も行っている」と明かしたが、用意されてる弾薬の質は「あまり良くない」と指摘して戦闘能力自体は低いと予測している。
要するにバフムートを巡る戦いで「砲弾の餌」と化している動員兵は端から「時間稼ぎ」が目的で、大半の動員兵は常識な訓練(約3ヶ月間)を受けているという意味だ。
出典:Mil.ru/CC BY 4.0
訓練を受けている動員兵は来年2月までに準備が整い「再びロシア軍が攻勢にでる。攻勢に出る場所はドンバスに限定されておらず連中がキーウ攻略に再挑戦するはまず間違いない」とザルジュニー総司令官は断言する一方で、ウクライナ軍には十分な兵士がいるものの武器や弾薬が足りないと主張し「あと戦車が300輌、歩兵戦闘車が600輌~700輌、榴弾砲が500門あれば2月23日のラインまで到達できる」と訴えており、この戦いはまだまだ終結に程遠い状況と言える。
因みにウクライナ国内でのザルジュニー総司令官人気はゼレンスキー大統領の人気を上回っており、ザルジュニー総司令官を解任して陸軍のアレクサンダー・シルスキー司令官に交代を画策する大統領府の動きを西側諸国が心配しているとEconomist紙は報じている。
追記:ロシア軍は16日に76発の巡航ミサイルをウクライナに撃ち込んだ。ウクライナ軍は60発のミサイルを迎撃することに成功したと主張(迎撃率83%)している。
関連記事:バフムートを巡る戦い、ロシア軍が市街地に侵入した可能性が濃厚
※アイキャッチ画像の出典:Головнокомандувач ЗС України
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投稿者: 航空万能論GF管理人 欧州関連 コメント: 22 』
米国とロシア「パトリオット」で駆け引き 長期関与巡り
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR15EK70V11C22A2000000/



『【ウィーン=田中孝幸】米国の長距離地対空ミサイル「パトリオット」を巡って、ウクライナへの提供を検討するバイデン米政権とロシアが駆け引きを強めている。ロシアは、ウクライナが求めてきたパトリオットの提供は「挑発行為」になると反発している。供与の有無は、米国のウクライナへの長期的な関与の意思を映すとみなされているためだ。
パトリオットは航空機、巡航ミサイル、短距離弾道ミサイルを迎撃する機能を持つ。運用するには90人ともされる多数の要員が求められ、ミサイルや補修部品の補給体制も整えなければならない。複雑なミサイル防衛システムを運用するための訓練にも通常、数カ月が必要になる。
このため提供が決まっても、実戦で効果的に使われるのは来春以降になる可能性が高く、冬場の厳しい戦いには間に合わない。ロシア軍は10月以降、厳冬期を迎えるウクライナを困窮させるために同国のエネルギーインフラの破壊を目指しており、16日も各地の関連施設を数十発のミサイルで攻撃した。国営エネルギー会社ウクルエネルゴは同日、被害により同国の電力消費量が半減したと明らかにした。
運用が始まっても、十分に迎撃能力を発揮できるか不安は残る。すでに米国が提供して運用が始まったミサイル防衛システム「NASAMS」と比べ「パトリオットは機動性が低いうえ運用コストが高く、激戦地で戦うウクライナ軍のニーズに即していない」(欧州外交評議会のグスタフ・グレッセル上級政策フェロー)との見方も多い。
それでもウクライナがパトリオットの供与にこだわるのは、米国との同盟関係の構築を急いでいるためにほかならない。
これまで米国がパトリオットを提供したのは、北大西洋条約機構(NATO)加盟国や日本、サウジアラビア、イスラエルなど軍事同盟を結んでいる国が大半だった。万が一、敵対的な国の手に渡る事態になれば、自国の安全保障を脅かしかねないためだ。
このため、米国が初の供与に踏み切れば「ウクライナに対する長期的な信頼の証」(ウィーンの西側外交筋)とみなされる。米国とNATOを介した軍事同盟を結ぶことで安全保障を確保するというゼレンスキー政権の長期戦略を進める上で、大きな一歩になる。
ウクライナを自らの勢力圏におさめることを国家目標とするロシアは猛反発している。パトリオットの供与が決まれば「ロシア軍の正当な標的になる」(メドベージェフ前大統領)との威嚇を繰り返している。
米国防総省のライダー報道官は15日の記者会見で「米国の安全保障支援がロシアのコメントに左右されることはない」と強調。米軍によるウクライナ軍兵士への同国外での訓練を来年1月から拡大すると発表した。一方で、訓練内容は未供与の武器ではなくNASAMSなど配備済みの兵器の使用に重点が置かれると語った。
ロシアとの対立の先鋭化を避けるために、米国がパトリオットの供与を土壇場で見送るとの観測も消えていない。当面の迎撃能力の向上に向けて「パトリオットよりもNASAMSの供与や訓練の拡大に集中するのも有効な選択肢になる」(NATO関係者)との声も漏れる。
【関連記事】
・米国、ウクライナに「パトリオット」供与へ 最終調整
・ロシア外務省、パトリオット提供は「挑発」 米に警告
・ウクライナ各地にミサイル攻撃 電力50%喪失 』
※ 今日は、こんな所で…。
併合4州の統合推進指示 ロシア大統領、経済発展に自信
https://www.47news.jp/world/8696878.html
※ 『生活やインフラの水準をロシアの他地域と同じレベルに引き上げる社会経済発展計画を来年3月末までに策定するよう政府に指示』…。
※ 侵攻して来たロシア兵が、ウクライナの「生活水準」の高さに驚愕して、家電やパソコンなんかを略奪しまくった…、中には「5トンもの荷物を作った」兵士もいた…、という話しもあるんだが…。
※ 併合4州は、発展の遅れている地域なのか…。
『ロシアのプーチン大統領は15日、9月に併合を宣言したウクライナ東部・南部4州の生活やインフラの水準をロシアの他地域と同じレベルに引き上げる社会経済発展計画を来年3月末までに策定するよう政府に指示、併合地域の統合を進める決意を改めて表明した。非欧米諸国との関係強化で国際的孤立は回避できるとし、欧米の制裁下での経済発展に自信を示した。
ロシアによる4州併合を認めないウクライナの意向を無視した形で、欧米の反発は必至。』
EU、ボスニア・ヘルツェゴビナを加盟候補国に
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR160I80W2A211C2000000/



『【ブリュッセル=竹内康雄】欧州連合(EU)は15日の首脳会議で、バルカン半島のボスニア・ヘルツェゴビナに、将来のEU加盟の道を開く「加盟候補国」の地位を付与することを承認した。ロシアへの追加制裁やウクライナ支援の拡充でも合意した。
加盟候補国には、ウクライナとモルドバも6月に承認された。ロシアの脅威に直面するウクライナを早期に承認したことから、長年にわたってEU加盟を希望しているバルカン諸国の不満が高まっていた。
バルカン半島ではロシアや中国の影響力が増しており、EUはバルカン諸国に寄り添う姿勢を示すとともに、加盟交渉を加速させる考えだ。
一方、ロシアへの追加制裁でも合意した。合意内容は明らかになっていないが、欧州委員会は12月上旬にロシアへのドローン関連のエンジンの輸出禁止や、一部銀行への全面的な取引禁止などを提案していた。
ウクライナには2023年に180億ユーロ(約2兆6000億円)の財政支援を供与することを確認した。ウクライナのゼレンスキー大統領は首脳らの前でビデオ演説し、「次の6カ月はさらに努力する必要がある」として防空システムやインフラ整備といった支援を求めた。』
[FT]「ロシアは戦争目的を果たせず」 英国軍参謀総長
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB1626G0W2A211C2000000/
『ウクライナ戦争ではロシアの敗勢が強まり、自由世界は勝利を収めつつある。ロシア軍は弾薬が不足するなどの困難に陥っている――。英国軍の制服組トップが14日、こう語った。
英国のトニー・ラダキン国防参謀総長=ロイター
トニー・ラダキン国防参謀総長はロンドンで講演し、「ロシアは戦争の目的を何一つ達成できておらず、今後も実現できない」と述べ、ウクライナ侵攻は「ロシアにとって不利になる一方だ」と強調した。
ロシア軍の弾薬庫は底を突きつつある
ラダキン氏はロシアの弾薬庫を「空っぽだ」と表現した。50カ国以上の同盟国、友好国が「政治的決意をもってウクライナに資金や弾薬、兵器を支援している」のに対し、ロシア軍の弾薬庫は底を突きつつあり、地上攻撃作戦の遂行能力が「低下している」と指摘した。
ロシア軍は数カ月にわたってウクライナ軍の最前線を集中砲撃してきた。ここにきて攻撃の勢いが止まったのは弾薬不足が原因とみられるものの、在庫がすぐに払底すると考える軍事アナリストはほとんどいない。
エストニア軍の情報機関による最新の推計では、ロシア軍は年初時点で1700万発あった砲弾のうち、これまでに1000万発を使い果たした。
英王立防衛安全保障研究所(RUSI)での講演は全体的に悲観的な内容が多かった中で、ラダキン氏のコメントはとりわけ楽観的だった。数々の世界的脅威を取り上げ、それらの問題を「将来の世界秩序構築に向けた同世代人の闘争」と表現した。
イランが攻撃用ドローン(無人機)をロシアに供給し、北朝鮮が「平時なら世界を仰天させたであろう」60発以上もの弾道ミサイルを発射し、中国はますます権威主義に傾いているとして、ラダキン氏は「今や並外れて危険な時代になった」との認識を示した。
「いずれの問題もそれぞれが無関係に存在しているわけではない。世界の安全を保障し、生涯にわたる広範な繁栄と機会を享受してきたルールに対し、それぞれの問題が試練を課している」
さらなる国防支出が必要
ロシアの脅威に対し西側が共同で対応したのは朗報だったと同氏は指摘した。これにより「真の勝利が手の届くところまできた」とし、他の権威主義国家に対する強力なメッセージにもなったと述べた。一方悪い知らせとして、こうした脅威に立ち向かうためにさらなる投資が必要な点を挙げた。
英政府はウクライナ戦争が始まる前の2021年にまとめた外交・安全保障政策の方針「統合レビュー」の改定作業を進めている。ラダキン氏はそのさなかで国防支出の増加を訴えた。
英政府は国防費を国内総生産(GDP)比2%にするという北大西洋条約機構(NATO)の目標の達成を確約しているが、ウクライナ戦争を受けて同3%へ引き上げるとしたトラス前首相の公約とは距離を置いている。
「弱体化したとはいえ報復の手を緩めないロシアに長期的にどう対処するのか。我々が今後も世界の平和と繁栄に貢献し続けるとすれば、どれだけの追加投資が必要なのか」。ラダキン氏はこう問いかけ、「統合レビューの改定作業でその答えが明らかになるだろう」と述べた。
By John Paul Rathbone
(2022年12月15日付 英フィナンシャル・タイムズ電子版 https://www.ft.com/)
(c) The Financial Times Limited 2022. All Rights Reserved. The Nikkei Inc. is solely responsible for providing this translated content and The Financial Times Limited does not accept any liability for the accuracy or quality of the translation.』
米国、政府当局者を台湾に2年派遣へ 対中国連携を加速
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN040S30U2A201C2000000/
『米国のバイデン政権と議会は2023年秋から政府当局者を台湾に長期派遣する方向で調整に入った。複数の関係者が日本経済新聞の取材で明らかにした。台湾統一を目指す中国が台湾に圧力を強めており、安全保障や経済政策について当局者の連携を深める土台を整える。
米議会は23会計年度(22年10月から23年9月)の国防予算の大枠を定める国防権限法案に政府当局者の台湾派遣の枠組みを盛り込んだ。1人あたりの派遣期間は最大2年間とし、1年目は中国語の習得に当て、2年目は台湾の行政機関や立法院(国会)で職務にあたる。派遣は毎年実施する。
派遣プログラムの運営に関わる見通しのNPO、米ウエスタン・パシフィック・フェローシップ・プロジェクトのリチャード・ピアソン事務局長は取材で、12月中に法案が成立すれば23年初めに希望者を募って9月に派遣を始める計画だと話した。
米政府当局者の派遣は年10人を想定し、当初は数人から始める。ピアソン氏によると、経済や安保に関わる幅広い省庁から募集し米軍制服組も対象とする。情報機関からは応募できないという。ピアソン氏は11月末から12月初めにかけて派遣計画について台湾の行政当局や立法院の関係者と協議したと述べた。
米国が長期派遣を始めるのは、台湾をめぐる米国と中国の対立が長期に及ぶとみられるからだ。台湾の行政機関で勤務して意思決定プロセスや政策立案を熟知し、米台当局間の連携に役立てる。米国の上下両院議員の台湾訪問と併せて、当局者の交流も増やして台湾を支援する方針を打ち出す。
米議会関係者によると台湾への長期派遣は珍しく、これまで数カ月程度のプログラムがあったという。
バイデン政権はこれまでも米台当局の接触を促してきた。21年4月には連邦政府の建物で米台の実務者レベルの定期会合の開催を積極的に認める指針を公表した。米首都ワシントンにあり、事実上の台湾の在米大使館に相当する駐米台北経済文化代表処でも会合を開けるようにした。
米国は18年に台湾旅行法を制定し、閣僚を含むあらゆる地位の高官の往来を促進した。トランプ前政権下では当時のアザー厚生長官が台湾を訪れて中国が激しく反発した。
(中村亮)
【関連記事】
・台湾有事「起こる」中国人56%、日本人44% 世論調査
・[FT]「中国、24年までに台湾侵攻も」 米海軍トップ
・台湾有事に進出企業の半数が対応策 50社調査、備え拡大
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中林美恵子
早稲田大学 教授
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別の視点
趣旨は大分違うのだが、この米官僚の台湾長期派遣プログラム、どこか米マンスフィールド・フェローの日本研修の仕組みに似ている気がするのは、私だけだろうか。行政府・立法府での経験を促すことやフェローの募集対象など、マンスフィールド財団の好例を参考にしたのではないかと感じてしまった。バイデン大統領は、マンスフィールド元駐日大使の名前や、マンスフィールド・フェローの重要性について、日米首脳会談などでしばしば言及している。さすがにフェローの目的は大分違うし、もちろん時代背景も全く違うのだが、仕組みだけでも日台で似たようなプログラムが存在するようになるとしたら、それは非常に興味深いことだ。
2022年12月15日 23:53 』
米高官 英豪との軍事枠組み「日本と協力探る」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN160BD0W2A211C2000000/
『【ワシントン=坂口幸裕】米国防総省のライダー報道官は15日の記者会見で、米英豪の安全保障枠組み「AUKUS(オーカス)」をめぐり「日本を含む同盟国・パートナーと協力する機会を探る」と表明した。極超音速兵器や無人潜水機の開発など先端技術を使う分野で同盟国が結束し、インド太平洋地域で中国への抑止力を高める。
オーカスは2021年9月、米英によるオーストラリアの原子力潜水艦の量産支援を柱として発足した。インド太平洋で中国への抑止力を高めるのが主眼だ。22年4月には協力分野を拡大すると発表し、既存のミサイル防衛システムでは迎撃が難しいとされる極超音速兵器や量子技術、人工知能(AI)、サイバーなど8分野も対象に加えた。
日米は極超音速ミサイル技術の共同研究を検討することで合意しており、日本も協力できる分野に想定される。バイデン政権が重視する同盟国や友好国の能力を総動員する「統合抑止力」の一環で、英国や豪州とも安保で連携を深める日本に期待する声が米政府にある。
まずは特定の分野でオーカスとの協力を模索していくとみられる。一方、日本の情報の収集や保持の体制に不安が残る。14年に機密を漏らした人に厳罰を科す特定秘密保護法を施行したものの、機密や先端技術の取り扱いの資格(セキュリティー・クリアランス)制度などが整っていないためだ。』
米軍、ウクライナに「高度な訓練」実施 月500人対象
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN160BJ0W2A211C2000000/
『米国防総省のライダー報道官は15日の記者会見で、ウクライナ軍に高度な実践的訓練を提供すると発表した。米国製武器の使い方を中心に訓練してきたが、戦場での部隊間の連携を重視した訓練に着手する。2023年1月から始めて月500人を対象とする。
ライダー氏は「オースティン国防長官が言うように武器は重要だが、戦場で決定的な効果を発揮できるようにそれをどのように使うかも重要だ」と強調した。訓練は欧州で実施する。ライダー氏は新たな訓練のために在欧州米軍の規模を増やす考えはないと説明した。
米紙ニューヨーク・タイムズによると、米軍はこれまでに月300人程度のウクライナ兵を訓練しており、規模が大幅に増える。英国などもウクライナ軍への訓練を拡充してきた。ロシアは訓練の乏しい兵士を戦場に送っているとの見方があり、米欧の訓練拡充はウクライナ軍に追い風となる公算が大きい。』
薩英戦争
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%A9%E8%8B%B1%E6%88%A6%E4%BA%89









『薩英戦争(さつえいせんそう、文久3年7月2日 ? 4日〈新暦: 1863年8月15日 ? 17日〉)は、薩摩藩と大英帝国[注釈 3] (イギリス)の間で起こった戦闘。文久2年8月21日(1862年9月14日)に武蔵国橘樹郡生麦村で発生した生麦事件の解決と補償を艦隊の力を背景に迫るイギリスと、主権統治権のもとに兵制の近代化で培った実力でこの要求を拒否し防衛しようとする薩摩藩兵が、鹿児島湾で激突した。
薩摩方は鹿児島城下の約1割を焼失したほか砲台や弾薬庫に損害を受けたが、イギリス軍も旗艦「ユーライアラス」の艦長や副長の戦死や軍艦の大破・中破など大きな損害を被った。この戦闘を通じて薩摩とイギリスの双方に相手方のことをより詳しく知ろうとする機運が生まれ、これが以後両者が一転して接近していく契機となった。
鹿児島では城下町付近の海浜が「前の浜」と呼ばれていたため、まえんはまいっさ(前の浜戦)と呼ばれる[9]。 』
『生麦事件
詳細は「生麦事件」を参照
文久2年8月21日(1862年9月14日)、生麦事件が発生する。横浜港付近の武蔵国橘樹郡生麦村で、薩摩藩主の父・島津久光の行列を乱したとされるイギリス人4名のうち3名を島津家家来の奈良原喜左衛門、海江田信義らが殺傷する(死者が1名、負傷者が2名)。
この種の事件は、不平等条約を強制された国々で発生せざるを得ない特徴的な事件である。居留地にいる条約締結国国民は治外法権で保護されている。居留地外では当該国の法に従う事になる。そして、居留地に居住する外国人は遊歩区域が認められている。横浜では「神奈川 六郷川筋を限として其他は各方へ凡十里」とされていた。このグレーゾーンでは、正統性が両国の力関係で決定される。このような紛争を介して欧米列強は、どの国においても「内地自由通行権」の獲得に力を注ぐことになる[10]。
交渉
イギリス公使代理ジョン・ニール
交渉までの経緯については、備考を参照のこと。
文久3年5月9日(1863年6月24日)、イギリス公使代理のジョン・ニールは幕府から生麦事件の賠償金10万ポンドを受け取った。
6月22日(8月6日)、ニールは薩摩との直接交渉のため、7隻の艦隊(旗艦「ユーライアラス」(艦長・司令J・ジョスリング一等海佐 (Captain)[注釈 5])、コルベット「パール」(艦長J・ボーレイス一等海佐 (Captain)[注釈 5])、同「パーシュース」(艦長A・キングストン海尉 (Lieutenant-Commander)[注釈 6])、同「アーガス」(艦長L・ムーア海尉 (Lieutenant-Commander)[注釈 6])、砲艦「レースホース」(艦長C・ボクサー海尉 (Lieutenant-Commander)[注釈 6])、同「コケット」(艦長J・アレキサンダー海尉 (Lieutenant-Commander)[注釈 6])、同「ハボック」(艦長G・プール海尉 (Lieutenant)[注釈 6])、指揮官:イギリス東インド艦隊司令長官オーガスタス・レオポルド・キューパー海軍少将)と共に横浜を出港。6月27日(8月11日)にイギリス艦隊は鹿児島湾に到着し鹿児島城下の南約7kmの谷山郷沖に投錨した。薩摩は総動員体制に入り、寺田屋騒動関係者の謹慎も解かれた。
6月28日(8月12日)、イギリス艦隊はさらに前進し、鹿児島城下前之浜約1km沖に投錨した。艦隊を訪れた薩摩の使者に対しイギリス側は国書を提出。生麦事件犯人の逮捕と処罰、および遺族への「妻子養育料」として2万5000ポンドを要求した。島津家は回答を留保し翌日に鹿児島城内で会談を行う事を提案している。
6月29日(8月13日)、イギリス側は城内での会談を拒否、早急な回答を求める。
島津家は「生麦事件に関して責任はない」とする返答書をイギリス艦隊に提出し、イギリス側の要求を拒否した。イギリス艦隊は桜島の横山村・小池村沖に移動した。
一方、奈良原喜左衛門らはイギリス艦が薪水・食料を求めたのに対して奇襲を計画し、海江田信義、黒田清隆、大山巌らが国書に対する答使と果物・スイカ売りに変装し艦隊に接近した(西瓜売り決死隊)。使者を装った一部は乗艦に成功したが、艦隊側に警戒されてほとんどの者が乗船を拒まれたため、奇襲作戦は中止され、奈良原らは退去した。
7月1日(8月14日)、ニール代理公使は島津家の使者に対し、要求が受け入れられない場合は武力行使に出ることを通告した。島津家は開戦を覚悟し、当主・島津茂久と後見役・島津久光は、鹿児島城が英艦隊の艦砲の射程内と判断されていたため、新たに本営と定めた鹿児島近在西田村(現・鹿児島市常盤)の千眼寺に移った。
戦闘について
イギリス艦隊の旗艦には、幕府から得た賠償金が積まれていたが、イギリス側は島津家との賠償金の交渉を有利にするために薩摩汽船3隻を掠奪した[11]。これに激発した薩摩方の砲台との間で戦闘が開始された。
戦闘詳報
イギリス艦隊と薩摩砲台の戦闘
7月2日(8月15日) – 夜明け前、「パール」、「アーガス」、「レースホース」、「コケット」、「ハボック」の艦隊5隻は、薩摩の蒸気船の天佑丸 (England)、白鳳丸 (Contest)、青鷹丸 (Sir George Grey) を重富の脇元浦(現在の姶良市脇元付近)において、これら3隻の舷側に接舷するとイギリス艦から50, 60人の兵が乱入した[12]。薩摩蒸気船の乗組員が抵抗すると、銃剣で殺傷するなどして3隻の乗組員を強制的に陸上へ排除して船を奪取した[13]。このとき、天佑丸の船奉行添役五代才助(五代友厚)や青鷹丸の船長松木弘庵(寺島宗則)も捕虜として拘禁された[14]。
午前10時、捕獲された3隻は[15]、「コケット」、「アーガス」、「レースホース」の各艦の舷側に1隻毎に結わえられて牽引され、桜島の小池沖まで曳航された[16][3]。これをイギリス艦隊の盗賊行為と受け取った薩摩方は7箇所の砲台(台場)に追討の令を出す[3]。
当時の新聞による戦況図
正午、湾内各所に設置した砲台の中で薩摩本営に最も近い天保山砲台 (Battery Point) へ追討令の急使として大久保一藏が差し向けられ、到着する間もなく旗艦「ユーライアラス」に向けて砲撃が開始された。一方、対岸の桜島側の袴腰砲台(桜島横山)は城下側での発砲を知ると、眼下のイギリス艦「パーシュース」に対して砲撃を開始した。この砲台の存在を知らなかった「パーシュース」の艦長は、砲台からの命中弾に慌てふためき錨の切断を下令すると艦はその場から逃走した[17][3]。
不意を突かれたキューパー提督は艦隊の戦列を整えるために、桜島小池沖の艦隊5隻へ「ハボック」一艦のみを残し、薩摩船3隻の焼却命令を信号により発令した[17]。イギリス側の乗組員は天佑丸、白鳳丸、青鷹丸から貴重品を略奪すると、砲撃を行った上でこれらの蒸気船3隻に放火し「ハボック」が焼却・沈没を見届けた。
薩英戦争の図(冨山房「大日本読史地図」)
その後イギリス艦隊は戦列を整え、「ユーライアラス」を先頭に単縦陣で、第8台場(祇園之洲砲台)、第7台場(新波戸砲台)、第5台場(辨天波戸砲台)に向けて両舷側の自在砲(110ポンドアームストロング砲)を用いて発砲(戦況図参照)。艦隊の107門の砲は21門が最新式の40ポンド・110ポンドアームストロング砲であり、これを用いて陸上砲台(沿岸防備砲・台場)に接近しての砲撃を行った。これに対して薩摩の砲台・台場からの応戦による大砲の発砲は数百発に及び、接近する艦隊に小銃隊も砲撃の合間を縫って狙撃を行った[3]。
イギリス艦隊の第8台場(祇園之洲砲台)、第7台場(新波戸砲台)、第5台場(辨天波戸砲台)への攻撃では、精確な射撃により薩摩側の大砲8門を破壊した。薩摩側は、暴雨風の影響による砲台への浸水や、イギリス艦隊の砲に比べると備砲の射程距離が短いなど性能が劣っているという不利な点もあったが、薩摩砲台に接近する艦隊は午前からの荒天や機関故障により操艦を誤り、薩摩側への有利な戦闘展開となった。薩摩側も、敵艦への突撃・追撃用に上荷船の船首に18斤単銅砲や24斤単銅砲を1門備えた11人乗り小型艇数艘(総数12艘)の水軍隊が辨天波戸から出動し砲撃を試みたが、荒天のため船内への浸水などで退却した。
午後3時前、辨天波戸砲台の29拇臼砲(ボンベン砲)の弾丸1発が「ユーライアラス」の甲板に落下[18]、軍議室(艦橋)で破裂・爆発、居合わせた艦長・司令 (Captain Josling) や副長 (Commander Wilmot) などの士官が戦死[3][5]。キューパー提督(司令官)は艦長や指揮官などと居合わせたが、その場から撃ち倒されて共に転落するも左腕に傷を負ったのみで助かった[19]。
午後3時10分、祇園之洲砲台に接近して砲撃中の「レースホース」は、折からの強い波浪や機関故障により吹き流され、砲台手前の200ヤードで座礁・擱坐すると大きく傾き、大砲の発砲が出来なくなり小銃で砲台への攻撃を行った[20][21]。しかし、既に祇園之洲砲台の大砲のほとんどが破壊されており、この砲台からの大砲による応戦は行われなかった。また、薩摩側はイギリス艦の座礁とは想定せず、艦から端艇が下ろされたことにより、陸戦は必定と上陸に備えて台場の陰で敵の襲来を待ち構えた。
午後4時頃、イギリス艦隊の3隻(コケット、アーガス、ハボック)は僚艦「レースホース」の救出・援護のために祇園之洲砲台に砲撃を加えながら僚艦の離礁を試みた。これに対して新波戸砲台がイギリス艦隊に盛んに砲撃を加え、「アーガス」に3発の命中弾を浴びせたが、「レースホース」は他の僚艦により曳航され、5時半頃には救出され離礁した[22]。
午後7時頃、砲撃戦に不参戦の「ハボック」は単独で砲台のない磯に移動し、停泊中の琉球船3隻と日向国那珂郡の赤江船2隻を襲い焼却する。その後、僚艦「パーシュース」も加わり、大砲やロケット弾(火箭)を用いて、近代工場群を備えた藩営集成館の一帯を攻撃し、ことごとく破壊した。攻撃後、2艦は艦隊の停泊する桜島横山村・小池村沖に戻った。なお、この時「ハボック」が砲撃した琉球船には、たまたま薩摩へ琉球使節として赴いていた琉球国の王子・与那城朝紀が乗船していた。「ハボック」の砲撃によって被災した際、薩摩の伝馬船に乗って王子は命からがら逃げ出している。
午後8時頃、上町方面の城下では先の「パーシュース」のロケット弾などによる艦砲射撃で火災が迫り、民家(350余戸)、侍屋敷(160余戸)、寺社(浄光明寺、不断光院、興国寺、般若院)などの多くが焼失した[23]。
7月3日(8月16日)、前日の戦闘で戦死した旗艦艦長や副長などの11名を錦江湾で水葬にする[24]。艦隊は戦列を立て直し、市街地と両岸の台場を砲撃して市街地および島津屋敷を延焼させた(島津屋敷は誤認であり、実際には寺院[25])。また、砲撃により第11台場(赤水台場)および突出台場(天保山砲台)の火薬庫が爆発して、天保山砲台(砂揚場)より反撃があったが、その後台場からの反撃は収まり、沖小島台場からの砲撃に応戦しながら湾内を南下、谷山沖に停泊し艦の修復を行う。 この時、薩摩方により沖小島と桜島(燃崎)の間付近に、集成館で島津斉彬の時代に製造した電気点火装置の水中爆弾3基(地上から遠隔操作)を仕掛けて待ち伏せしていたが、沖小島台場の砲撃によりイギリス艦隊は進路を変更したため近寄らず失敗した。
7月4日(8月17日)、艦隊は弾薬や石炭燃料が消耗し多数の死傷者を出し、薩摩を撤退した。その中の一艦(レースホース[8])は艦隊からとも綱を外し、損壊も甚だしく、小根占の洋上に停泊して修理を行っていたが、7月6日(8月19日)夜に他の艦が来て曳航されて行った[3]。
7月11日(8月24日)、全艦隊が横浜に帰着。
戦闘の結果
薩摩側の砲台によるイギリス艦隊の損害は、大破1隻・中破2隻の他、死傷者は63人(旗艦「ユーライアラス」の艦長ジョンスリングや副長ウィルモットの戦死を含む死者13人、負傷者50人内7人死亡[26])に及んだ。
一方、薩摩側の人的損害は祇園之洲砲台では税所清太郎(篤風)[3]のみが戦死し、同砲台の諸砲台総物主(部隊長)の川上龍衛や他に守備兵6名が負傷した[27]。他の砲台では沖小島砲台で2名の砲手などが負傷した[28]。市街地では7月2日に流れ弾に当たった守衛兵が3人死亡、5人が負傷した。7月3日も流れ弾に当たった守衛兵1名が死亡した。物的損害は台場の大砲8門、火薬庫の他に、鹿児島城内の櫓、門等損壊、集成館、鋳銭局、寺社、民家350余戸、藩士屋敷160余戸、藩汽船3隻、琉球船3隻、赤江船2隻が焼失と軍事的な施設以外への被害は甚大であり、艦砲射撃による火災の焼失規模は城下市街地の「10分の1」になる。
朝廷は島津家の攘夷実行を称えて褒賞を下した。横浜に帰ったイギリス艦隊内では、戦闘を中止して撤退したことへの不満が兵士の間で募っていた[29]。
本国のイギリス議会や国際世論は、戦闘が始まる以前にイギリス側が幕府から多額の賠償金を得ているうえに、鹿児島城下の民家への艦砲射撃は必要以上の攻撃であったとして、キューパー提督を非難している。
イギリス艦艇一覧
1863年8月15日、鹿児島攻撃時の戦闘隊列でのイギリス艦隊を一覧で表す。死傷者の無かったハボック (Havock) は砲撃戦に参加せず、琉球船 (Loochoo I. Junks) 3隻と赤江船2隻を襲う。
艦名 艦種 建造年 トン数 乗員
[30] 出力 備砲 損害
[5][8]
ユーライアス
Euryalus フリゲート
蒸気スクリュー 1853年
(改造) 積載量2371トン(bmトン)
排水量3125英トン 600
[30]
540 400NHP 110ポンドアームストロング砲x5
40ポンドアームストロング砲x8
その他22門
鹿児島砲撃時にカロネード砲x16を追加 戦死10名
負傷21名
パール
Pearl コルベット
蒸気スクリュー 1855年 積載量1469トン(bmトン)
排水量2187英トン 245
[30]
400 400NHP 68ポンド砲x1
10インチ砲x20 負傷7名
コケット
Coquette 砲艦
蒸気スクリュー 1855年 積載量677トン(bmトン) 78
[30]
90 200NHP 110ポンドアームストロング砲x1
10インチ砲x1
32ポンド砲x1
20ポンド砲x2 戦死2名
負傷4名
アーガス
Argus スループ
蒸気外輪 1852年 積載量981トン(bmトン)
排水量1630英トン 170
[30]
175 300NHP 110ポンドアームストロング砲x1
10インチ砲x1
32ポンド砲x4 負傷6名
パーシュース
Perseus スループ
蒸気スクリュー 1861年 積載量955トン(bmトン)
排水量1365英トン 172
[30]
175 200NHP 40ポンドアームストロング砲x5
32ポンド砲x12 戦死1名
負傷9名
内死亡4人
レースホース
Racehorse 砲艦
蒸気スクリュー 1860年 積載量695トン(bmトン)
排水量877英トン 103
[30]
90 200NHP 110ポンドアームストロング砲x1
10インチ砲x1
32ポンド砲x1
20ポンド砲x2 艦体大破
負傷3名
ハボック
Havock ガンボート
蒸気スクリュー 1856年 積載量232トン(bmトン) 50
[30]
37 60NHP 68ポンド砲x2 なし
戦争の処理
交渉にあたった薩摩側の藩士たち
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出典検索?:?”薩英戦争”???ニュース?・ 書籍?・ スカラー?・ CiNii?・ J-STAGE?・ NDL?・ dlib.jp?・ ジャパンサーチ?・ TWL(2021年6月)
9月28日(11月11日) – 第1回和睦の談判、横浜の英国公使館の応接室にて島津家の重野厚之丞(安繹)が主導、補佐として同岩下左次右衛門、佐土原島津家の家老の樺山久舒(舎人)、能勢二郎左衛門(直陳)などが同席。代理公使ニール大佐との談判では、薩摩側はイギリス艦が薩摩汽船を掠奪した件を追及し、イギリス側は生麦事件を挙げて紛糾・決裂したが、幕府側の仲裁で次回談判を取り決めた。重野らと同行した高崎猪太郎は一橋卿の内命にて京都に居たため同席しなかった。
10月4日(11月14日) – 第2回和睦の談判、島津家の岩下、重野は前回と同じくイギリス側の非を責めるが、ニール公使も同様に全く自説を変える様子もなく談判は紛糾・決裂し、次回談判となった。
10月5日(11月15日) – 第3回和睦の談判、本家を憂慮する和睦派の佐土原島津家の樺山、能勢らは幕府側の説得を受け入れて薩摩側への和睦を促し、重野らはイギリスからの軍艦購入を条件に扶助料を出すべしと議を決した。イギリス側は軍艦購入の斡旋を承諾した。
島津家は2万5000ポンドに相当する6万300両を幕府から借用して支払ったが、これを幕府に返さなかった。また、講和条件の一つである生麦事件の加害者は「逃亡中」として処罰されなかった。
イギリスは講和交渉を通じて薩摩を高く評価するようになり、関係を深めていく(2年後には公使ハリー・パークスが薩摩を訪問しており、通訳官アーネスト・サトウは多くの薩摩藩士と個人的な関係を築く)。薩摩側も、欧米の文明と軍事力の優秀さを改めて理解し、イギリスとの友好関係を深めていった。
備考
交渉までの経緯
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生麦事件発生以前にも2度にわたるイギリス公使館襲撃(東禅寺事件)などでイギリス国内の対日感情が悪化している最中での生麦事件の発生にジョン・ラッセル外相は激怒し、ニール代理公使及び当時艦隊を率いて横浜港に停泊していた東インド・極東艦隊司令官のジェームズ・ホープ中将に対して対抗措置を指示していた。
実は2度目の東禅寺襲撃事件の直後からニールとホープは連絡を取り合い、更なる外国人襲撃が続いた場合には関門海峡・大坂湾・江戸湾などを艦隊で封鎖して日本商船の廻船航路を封鎖する制裁措置を検討していた。
当時、日本には砲台は存在していたが、それらの射程距離は外国艦隊の艦砲射撃の射程距離よりも遙かに短く、ホープはそれらの砲台さえ無力化できれば巨大な軍艦の無い江戸幕府や諸家にはもはや封鎖を解くことは不可能であると考えていた。
実際に文久2年11月20日(1863年1月9日)にヴィクトリア女王臨席で開かれた枢密院会議で対日海上封鎖を含めた武力制裁に関する勅令が可決されている。だが、ニールもホープもこの海上封鎖作戦を最後の手段であると考えていた。ニールは、ホープに代わって東インド・極東艦隊司令官となったキューパー少将を横浜に呼び寄せ、文久3年2月4日(3月22日)、幕府に生麦事件と東禅寺事件の賠償問題(合計11万ポンド)について最後通牒を突きつけたが、この際に日本を海上封鎖する可能性をわざわざ仄めかしている。
江戸幕府は、フランス公使デュシェーヌ・ド・ベルクールにイギリスとの仲介を依頼し、文久3年5月9日(6月24日)にニールと幕府代表の小笠原長行との間で賠償交渉がまとまった。このため、ニールとキューパーは日本に対する海上封鎖作戦を直前に中断した。幕府との交渉が決着したため、続いて実行犯である島津家との交渉のため、ニールとキューパーは薩摩に向かったが、この時点では戦闘の可能性は低いと考えていた。
なお、ホープは海上封鎖を行っても賠償に応じない場合を想定して陸軍と協議して京都・大坂・江戸を占領する計画をも検討していたが、仮に占領可能であったとしても天皇や将軍が山岳部に逃げ込んでゲリラ戦に持ち込まれた場合は不利であると結論しており、事実上断念している。また、当時の英国に十分な数の陸兵を日本に派遣する余裕はなかった。実際ニールは横浜防衛のために2000人の陸兵派遣要請をしたが、それすらも拒否されている。
その他、諸説など
アームストロング砲
当時の最新鋭兵器として期待されていたアームストロング砲は、この戦闘で暴発や不発(不発弾)が多い事が実戦で判明したため、イギリス海軍から全ての注文をキャンセルされた。さらに輸出制限も外されて海外へ輸出されるようになり、後に日本にも輸入される原因になったとされる[31]。
なお、当時の事件を伝える新聞(1863年8月26日鹿児島戦争之英文新聞紙翻訳)では[5]、イギリス艦隊側の負傷者氏名と傷の詳細や戦闘の様子が掲載され、その戦死者の負傷状況などからも破裂弾の着弾爆発による被害を物語っているなど、この新聞記事(従軍記者の記述)ではアームストロング砲の暴発については一切触れられていない。また、旗艦ユーライアラスには薩摩側の臼砲弾などが数発命中し、それらの破裂弾により艦隊全体の死傷者数の4割以上を一つの艦で占めるなど、ユーライアラスでの死傷者は31名に及んでおり[5]、その詳細な状況から砲の暴発があったとしても、被害は限られた範囲の事象と推定できる[注釈 16]。
アームストロング砲暴発の拡大解釈を招く事象として、薩摩側の10インチ砲弾によりユーライアラスの甲板に備えた第3番砲が直撃弾を受けており、その砲員らが一度に死傷している[32][33]。
異説
薩摩藩は処罰の対象を藩主だと認識していたため交渉は決裂したが、英国側の資料によれば、処罰を求めていたのは事件の現場にいた責任者である。(翻訳を担当した福澤諭吉が急いで原文を直訳した結果、事件の責任者と藩主の区別があいまいになったため)[34] 』