中国「新品買え」運動の愚 伝説の企業家が残した遺訓
編集委員 中沢克二
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD251KU0V20C24A2000000/
『「古いものに換えて、新しいものを買おう」。中国共産党総書記(国家主席)の習近平(シー・ジンピン、70)が出席した23日の党中央財経委員会の重要会議では「新品を買え」という命令めいた文句が目立った。
一般庶民、中小の民間企業関係者の間で戸惑いの声が広がったのは当然だった。目下、中国は歴史的な不況下にある。いきなり上意下達式でこんな指示を聞かされても、先立つもの、設備更新に充てるべき投資資金はどこに…
この記事は会員限定です。登録すると続きをお読みいただけます。』
『その伝説の民営企業家の名前は、宗慶後(79歳で死去)。中国でその名を知らない人はいない飲料大手、杭州娃哈哈(ワハハ)集団の創業者である。笑い声である「ワッハッハ」からとったユニークな社名のインパクトは絶大だった。』
『ワハハは従業員が農民工を含めて150人近くに増え、売り上げも急上昇した段階で一躍、全国的に名をはせる。30年以上もの歴史がある正式従業員2200人の国営企業「杭州缶詰工場」を買収したからである。
改革開放の後、盛んになった都市部の自由市場などに新鮮な果物がどんどん増えていた。市場原理の導入の成果だった。この結果、お世辞にもおいしいとは言えない国営工場が製造する果物缶詰の在庫は増える一方だった。国営企業は「親方日の丸」的な経営手法もあだになって損失が拡大。給与を支払えないほどの火の車だった。
この買収劇は、民営の「小」が、国営の「大」をのみ込む典型だっただけに、全国に衝撃を与えた。改革開放の申し子といえる新進気鋭のワハハは、その後も順調に成長し、日本円換算で1兆円超の売り上げを誇る大企業になった。』
『民営企業の故郷から出たワハハとアリババ
ちなみに世界に進出している中国電子商取引(EC)最大手、アリババ集団が、同じ浙江省杭州で創業したのは、この杭州での宗慶後インタビューの翌年である99年のことだ。中国インターネット時代の寵児(ちょうじ)である創業者の馬雲(ジャック・マー)は、「浙江商人」としては第2世代である。
世代が違ってもワハハの宗慶後と、アリババの馬雲に共通するのは、市場志向。マーケットのニーズを鋭く見抜く民営企業家としての嗅覚である。自由な市場の拡大こそが、中国を世界第2の経済大国に押し上げた原動力だった。』
『翻って今はどうか。長年にわたる国有企業重視という習政権の政策もあって、中小民間企業の経営が悪化している。一部では、国から手厚い保護を受けてきた国有企業の側が、民間企業を買収、吸収合併する事態になっている。1990年代から21世紀初頭にかけてのワハハの動きと全く逆である。
消費が振るわないにもかかわらず、生産はいまだ大幅な過剰。在庫が積み上がるばかりだ。コストを度外視した安値輸出という従来手法も長くは続かない。極め付きは、外資の対中投資の激減である。
中国経済の根幹を支える中小の民間企業の経営者が、将来に自信を持てないなか、設備更新に踏み切るのは難しい。一方で社員らの給与は上がらないどころか、下がっている。年収減少は、浙江省杭州などの地方公務員も同じだ。
多くの企業が人員整理・リストラに踏み切り、民営企業の故郷とされる浙江省の優良企業の会社員でさえ、「自分が解雇される番になるのは、いつになるのか」とおびえる日々だという。』
『今、習政権が叫ぶ「古いものを捨て去り、新しく買え」という運動。過去にも似た掛け声が鳴り響いたことがある。トランプが米大統領だった時代、激しかった米中貿易戦争。習はその頃、毛沢東時代を思い起こさせる「自力更生」を自ら奨励した。
その場所は黒竜江省チチハルの中央国有企業、第一重型機械集団の工場。2018年秋のことだ。「国際的に先進技術、カギを握る技術は獲得しにくくなっている。孤立主義、保護貿易主義が高まり、我々に自力更生の道を歩むよう迫っている。これは悪いことではない。中国は最後はやはり自分に頼るしかない」
最近、習は「自力更生」にこそ触れていない。だが、政策が機能せず、深刻な消費不振と供給過剰に陥った市場を救おうと、上意下達で新品購入という指示を出すのは、改革開放前の感覚だ。』
『そして今、かつて見た風景がよみがえろうとしている。11月の米大統領選の共和党候補として先頭を走るトランプが、中国からの輸入品に60%以上の関税を課す可能性に言及しているのだ。まさに「デジャブ」。既視感である。習が、この最悪の事態に備えなければいけないという事情は理解できる。
市場原理に逆らう「上意下達」
とはいえ中国国内の経済浮揚に向けて重要なのは、上意下達の指示ではない。まず、国有企業を偏重する姿勢を改め、市場が自律的に機能するよう民間企業の自由な活動を保障すべきだ。
少なくとも、中国が考える「国家安全」を重視するあまり、民間企業、非政府組織、一般国民の活動を制限し、外国企業や外国の企業人にも、これまでなかった様々な足かせをはめるのは、方向性が間違っている。
これでは、外資の対中投資はますます落ち込むばかり。まず、世界の誰もが理解できる抜本的な政策転換を打ち出すのが先ではないか。その時、思い起こすべきなのは、「市場のなかにこそ企業発展のチャンスがある」と訴えた伝説の浙江民営企業家、宗慶後の遺訓だろう。(敬称略)
中沢克二(なかざわ・かつじ)
1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。』
