Windows 95の移植においては、NECはアメリカのマイクロソフト本社に技術者を約20人常駐させてPC-98版の開発を進めていた[45]。
Windows 3.1および95の時代にはFMRシリーズ / FM TOWNSなど他社独自アーキテクチャ機も存在していたのに対し、Windows 98の時代にはPC-98以外はほぼPC/AT互換アーキテクチャに収斂したため、NECにはWindowsや各種ドライバの移植コストが重くのしかかることとなった。このようにして、独自アーキテクチャの維持に次第に限界が見えてきた。
このため、その後も一部機種を継続販売していたが、2003年(平成15年)9月30日をもって受注終了、2010年(平成22年)10月末にサポート終了となった。最終モデルは「PC-9821Ra43」「PC-9821Nr300」。FC-9800シリーズも2004年1月に販売終了、2010年(平成22年)1月に保守が終了した。最終モデルは「FC-9821Ka model 1/2」。
^ “PC-9800シリーズ受注終了のお知らせ”. 日本電気株式会社 (2003年8月7日). 2016年6月7日閲覧。
^ a b c d e f 『月刊アスキー別冊 蘇るPC-9801伝説』pp. 114-120、「PC-9800シリーズの生みの親が語る「日本標準機」の誕生秘話 : NEC 小澤昇インタビュー」
^ 現在はNECパーソナルコンピュータに分社
^ “伝説のパソコン:98FELLOW物語(4)ー国民機を支えたPC98開発&生産組織”. シニア・ネクスト (2019年5月14日). 2022年10月11日閲覧。
^ “用語解説辞典【キューハチ】”. NTTPCコミュニケーションズ. 2015年6月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月24日閲覧。
^ 情報処理学会、「情報処理技術遺産」の認定式を開催、PC Watch、2009年3月2日
^ 情報処理技術遺産 2008年度、情報処理学会 コンピュータ博物館
^ 重要科学技術史資料一覧
^ PC-9801などが「重要科学技術史資料(未来技術遺産)」に登録
^ a b c 木村登志男 (2010年2月16日). “セイコーエプソン・国内市場エプソンブランド完成品躍進の端緒” (PDF). WORKING PAPER SERIES No.82. 法政大学イノベーション・マネジメント研究センター. pp. ビジネスケース 資料 No.3. 2010年6月27日閲覧。
^ NEC「PC-9800シリーズ」ついに受注打ち切り - ITmedia 2003年8月7日
^ 大河原, 克行 (2008年1月24日). “日本発の世界標準「ノートPC」の24年史|【Tech総研】”. リクナビNEXT. 2021年3月12日閲覧。
^ a b c d e 小高, 輝真 (1997年9月26日). “小高輝真の「いまどきの98」 : PC-9800からPC98-NXへ”. Impress PC Watch. 2019年3月16日閲覧。
^ 高橋, 清美 (2018). “コンピュータ企業における国際化と国際競争力(1950年代~1990年代まで) -IBMと富士通のメインフレーム事業を中心に-”. 明治大学 博士論文 (明治大学) (32682乙第537号): 91. NAID 500001075138 2019年6月23日閲覧。.
^ a b c d e f g h 富田, 倫生 (1995年). “パソコン創世記”. ボイジャー. 2021年3月12日閲覧。
^ 『月刊アスキー別冊 蘇るPC-9801伝説』pp. 98–103、「秋葉原ビットイン誕生秘話 : 渡邊和也氏インタビュー」
^ 『パソコン大図鑑 最新・人気パソコン目的別全カタログ』講談社、1981年、30-31頁。ISBN 4-06-141673-1。
^ a b c 『日本電気株式会社百年史』 p.654
^ a b c d e 服部, 雅幸「PC-9800はどこへ行く 第2部 緩やかに進化したベストセラー機」『日経パソコン』、日経BP、1989年5月1日、180–190頁、ISSN 0287-9506。
^ a b c 神永 裕人『100万人の謎を解く ザ・PCの系譜』pp. 94–105、「NECのハード開発戦略 ユーザーをとらえた「互換性と継承性の追求」優先の製品開発」
^ 浅野 1983, p. 51.
^ a b 「LOAD TEST: PC-9801F / E」『ASCII』第8巻第3号、アスキー、1984年、174–190頁、ISSN 0386-5428。
^ a b 田中 繁廣『100万人の謎を解く ザ・PCの系譜』pp. 76–89、「ドキュメント・NECのPC戦略―市場制覇への道を切り拓いた戦士達 その決断と挑戦の歴史」
^ a b 小林 紀興『100万人の謎を解く ザ・PCの系譜』pp. 58–59、「NECがパソコン王国になった理由」
^ a b c 内田 保廣『100万人の謎を解く ザ・PCの系譜』pp. 128–129、「一番"遊戯性"の高いPCをユーザーは選択した」
^ a b 「PC-9801VM/VF徹底研究」『ASCII』第9巻第9号、アスキー、1985年、249-256頁。
^ 「日電ビジネス用パソコン好調―単一モデル1年で21万台出荷。」『日経産業新聞』 1986年8月18日、7面。
^ a b 服部, 雅幸「トピック・レポート ソフト:機能不足が表面化,老兵「MS-DOS2.11」」『日経パソコン』第136巻、日経BP、1991年1月21日、178–182頁、ISSN 0287-9506。
^ a b Edward Warner (1986年9月8日). “Lotus Perseveres to Unveil Japanese Version of 1-2-3” (英語). InfoWorld. pp. 9 2016年5月2日閲覧。
^ a b 小林, 紀興「試作機を公開し、ソフトハウスを味方にして勝ったNEC」『インテル・マイクロソフト ウィンテル神話の嘘 世界支配の陰謀と死角』光文社、1997年9月30日、116-121頁。ISBN 4-334-00599-3。
^ 松岡, 資明、中川, 貴雄、礒田, 温之、西村, 裕「調査:パソコン・シェア 企業はPS/55、家庭はPC-9800」『日経パソコン』、日経BP、1989年4月10日、280–281頁、ISSN 0287-9506。
^ a b c d 松尾 博志『100万人の謎を解く ザ・PCの系譜』pp. 130–137、「パソコン産業"互換機元年" 真の「ユーザー利益」は、「企業利益」追求の互換機ビジネスから」
^ 小林, 紀興『東芝の奇襲で日本電気が受けた深傷』光文社、1990年4月25日、168頁。ISBN 4-334-01250-7。
^ 関口, 和一「8. 挑戦者たち : 東芝ショック」『パソコン革命の旗手たち』日本経済新聞社、2000年、210-212頁。ISBN 4-532-16331-5。
^ 大河原, 克行 (2007年9月28日). “業界タイムマシン19XX--Trip11:セイコーエプソン vs. NEC PC-98互換機騒動”. ZDNet Japan. 2019年3月30日閲覧。
^ 「PRODUCT SHOWCASE : 低価格386マシン&ソフトも一新 PC-9801RAシリーズ」『ASCII』第12巻第9号、アスキー、1988年、189-193頁、ISSN 0386-5428。
^ a b 「特集 : 追う98、追われる98」『日経パソコン』、日経BP、1993年3月15日、130–145頁、ISSN 0287-9506。
^ 日本電子工業振興協会『パソコン白書94-95』コンピュータ・エージ社、1995年、31頁。ISBN 4875661479。
^ 阿部 広樹『月刊アスキー別冊 蘇るPC-9801伝説』pp. 121–125、「PC-9801 魂の名作ゲームの旅」
^ 鎌田, 剛 (2019年1月10日). “激動の平成デジタルガジェット史 第2回:平成4~6年(1992~1994年)”. 価格.comマガジン. 価格コム. 2019年3月18日閲覧。
^ a b c 「パソコンユーザー実態調査 第1部 個人編 他機種を引き離すPC-98」『日経パソコン』、日経BP、1993年6月21日、132–137頁、ISSN 0287-9506。
^ 木瀬, 裕次「第2特集 : 浸透する台湾パソコン(前編)」『日経パソコン』、日経BP、1995年3月13日、182–187頁、ISSN 0287-9506。
^ a b 「NPCレポート なぜ広がらない98互換機ビジネス 「幻の98互換機」があった」『日経パソコン』、日経BP、1992年2月3日、110-115頁。
^ SOFTBANK BOOKS、PC-98パワーアップ道場、ISBN 9784797305777 p.248
^ 本間, 健司「NECはWin 95で98らしさをだせたか―ほとんどなくなった98とDOS/Vの違い」『日経パソコン』、日経BP、1996年2月12日、160–164頁、ISSN 0287-9506。
^ 98Baseシリーズ(アーカイブ)
^ iNHERITOR(インヘリター)(2011年8月9日時点のアーカイブ)
^ iNHERITOR II、iNHERITOR II-A(2017年7月6日時点のアーカイブ)
^ ハイブリッドバスコントローラ(2008年12月1日時点のアーカイブ)、株式会社インタフェース
^ 98ボードコンピュータ(386) AZI-1191(2012年9月4日時点のアーカイブ)、株式会社インタフェース
^ FreeBSD 9.0-RELEASE Announcement
^ “名機PC-98いまだ現役 在庫1000台専門店に迫る”. 朝日新聞 (2020年7月14日). 2020年7月14日閲覧。
^ 元麻生春男、1998年、「国産銘機列伝 : 達人コラム「PC-9801はPC/XTだった!?」」、『ASCII』22巻8号、アスキー p. 381
^ “μPB8288 CPU SYSTEM BUS CONTROLLER”. 2023年3月1日閲覧。
^ 浅野 1983, p. 20.
^ Hormby, Tom (2006年8月12日). “Origin of the IBM PC”. Low End Mac. 2016年10月31日閲覧。
^ 『月刊アスキー別冊 蘇るPC-9801伝説』pp. 10–16、「PC-9801の誕生で私たちが関わったこと : 古川 享」
^ 戸塚, 正康『日本IBMのパソコン新戦略』日本工業新聞社、1991年12月18日、95-111頁。ISBN 4-8191-0856-5。
^ 『改訂版 PC-9800シリーズ テクニカルデータブック HARDWARE編』pp. 273-342、「第3部 外部インターフェイス仕様 第1章 拡張用スロットバス」
^ 「特別企画 : 98とともに歩く、これからの10年」『Oh!PC』第12巻第8号、ソフトバンク、1993年9月15日、64–164頁、ISSN 0910-7606。
^ a b c d 『月刊アスキー別冊 蘇るPC-9801伝説』pp. 169-173、「復刊 - 月刊アスキー1983年4月号 LOAD TEST PC-9801」
^ a b 小高輝真、1998年、「国産銘機列伝 : 達人インタビュー「情報公開が98をあそこまで持ち上げた」」、『ASCII』22巻7号、アスキー p. 403
^ 戸塚, 正康「扉と窓の違い」『日本IBMのパソコン新戦略』日本工業新聞社、1991年12月18日、71-72頁。ISBN 4-8191-0856-5。
^ 1984年、「第5章 応用プログラム集」、『PC-9801・E/F/Mグラフィクス解析マニュアル』、秀和システムトレーディング株式会社 p. 207
^ 「特別企画 : 98とともに歩く、これからの10年」『Oh!PC』第12巻第8号、ソフトバンク、1993年9月15日、64–164頁、ISSN 0910-7606。
^ a b 『改訂版 PC-9800シリーズ テクニカルデータブック HARDWARE編』pp. 157-202、「第2部 ハードウェア 第7章 CRTディスプレイ」
^ 「新機種緊急レポート : PC-9801VX」『ASCII』第10巻第12号、アスキー、1986年、130–133頁、ISSN 0386-5428。
^ a b 『月刊アスキー別冊 蘇るPC-9801伝説』pp. 87–92、「「一太郎」が知っているPC-9801シリーズの軌跡」
^ a b SOFT BANK BOOKS PC-98パワーアップ道場 (1998)、pp35-36。
^ SOFT BANK BOOKS PC-98パワーアップ道場 (1998)、p106
^ a b c d e 松原, 敦「特集 SCSI、IDEのディスク増設再点検:第1部 SCSI 98用HDも領域の再確保で別ベンダのボードにつながる」『日経バイト』第118巻、日経BP、1993年、104-129頁、ISSN 0289-6508。
^ 「特別企画 : 98とともに歩く、これからの10年」『Oh!PC』第12巻第8号、ソフトバンク、1993年9月15日、64–164頁、ISSN 0910-7606。
^ 『改訂版 PC-9800シリーズ テクニカルデータブック HARDWARE編』pp. 139-155、「第2部 ハードウェア 第6章 キーボード」
^ 1991年、「付録D キーセンス」、『N88-日本語BASIC(86)(Ver6.2) ユーザーズマニュアル N:PC-9801-BU06』、日本電気 pp. 347-348
^ a b 「使用レポート : PC-98XA&PC-9801U2」『ASCII』第9巻第7号、アスキー、1985年、ISSN 0386-5428。
^ 『日本電気株式会社百年史』 p.777
^ 「新製品テスト」『ASCII』第17巻第4号、アスキー、1993年、218–248頁、ISSN 0386-5428。
^ 関口, 和一「6. 小さな頭脳 : 3.5インチフロッピーディスク」『パソコン革命の旗手たち』日本経済新聞社、2000年、169-173頁。ISBN 4-532-16331-5。
^ a b 『月刊アスキー別冊 蘇るPC-9801伝説 第2弾』pp. 166–167、「PC-9801めくるめく音源ボードの世界」
^ 「一太郎累計出荷本数」『マイコン』第16巻第2号、電波新聞社、1992年、159頁、ISSN 0387-9593。
^ “ロータス、「1-2-3」強化版を発売。”. 日経産業新聞 (日本経済新聞社): p. 5. (1991年7月6日)
^ セイコーエプソン98/Vキット発売[リンク切れ]、BCN This Week 1995年1月16日 vol.581
^ DOS/Vパソコン上で98用DOSアプリケーションソフトの動作を可能にするプラットフォーム・エミュレータ「98/V」Windows95に対応した新バージョン(Ver2.10)を新発売、EPSON公式サイト、1996年5月21日(2000年1月15日時点のアーカイブ)
^ トムキャットコンピュータ 会社案内
^ “【模倣の善/悪|自由市場の競争|PC-9800vsEPSON互換機・SOTECvsiMac】”. みずほ中央法律事務所 (2014年12月30日). 2021年3月3日閲覧。
^ インターフェース1月 1995, p. 231.
^ インターフェース1月 1995, p. 42.
^ a b SOFT BANK BOOKS PC-98パワーアップ道場 (1998)、pp103-104。
^ 加藤泰志 「日本電気のSCSIボード」『トランジスタ技術』通巻373(1995年10月号)、p283。
^ Freiberger, Paul (1982-11-08). “West tries to meet East: Chinese characters on HP 3000” (英語). InfoWorld 4 (44): 22 2020年10月19日閲覧。.
^ a b 『月刊アスキー別冊 蘇るPC-9801伝説』pp. 17-21、「PC業界キーパーソンが語る 思い出のPC-9801」
^ 広 一蘭『100万人の謎を解く ザ・PCの系譜』pp. 124–127、「IBM大型機の影響が見えるNECのパソコン開発戦略」
^ 堀川, 明美「ハード最前線:日本電気PC-9800VX01/21/41/41WN 互換機巻き返しは高速化マシンで」『日経パソコン』、日経マグロウヒル、1987年8月10日、77–81頁、ISSN 0287-9506。
参考文献
川村 清、1983年6月30日、『PC-9801解析マニュアル[第0巻]』、秀和システムトレーディング株式会社
浅野泰之、壁谷正洋、金磯善博、桑野雅彦、1983年12月1日、『PC-9801システム解析(下)』、アスキー ISBN 4-87148-715-6
コンピュータ・ニュース社 編『100万人の謎を解く ザ・PCの系譜』コンピュータ・ニュース社、1988年。ISBN 4-8061-0316-0。
アスキーテクライト(編)、1993年10月25日、『改訂版 PC-9800シリーズ テクニカルデータブック HARDWARE編』、アスキー
1995年10月10日、『NECパーソナルコンピュータ PCシリーズ 総合プロダクトガイド 1995-Autumn』、発行:日本電気 / 発売:新紀元社 ISBN 4-88317-046-2
日本電気社史編纂室『日本電気株式会社百年史』日本電気、2001年12月25日。
2004年4月1日、『月刊アスキー別冊 蘇るPC-9801伝説』、アスキー(現アスキー・メディアワークス) ISBN 4-7561-4419-5
2007年4月9日、『月刊アスキー別冊 蘇るPC-9801伝説 第2弾』、アスキー(現アスキー・メディアワークス) ISBN 978-4-7561-4883-4
SE編集部(編)、2010年5月28日、『僕らのパソコン30年史 - ニッポン パソコンクロニクル』、翔永社 ISBN 978-4-7981-2189-5
『インターフェース』CQ株式会社、1995年1月1日。
DOS/V IBM DOS J4.0/Vのスクリーンショット 開発者 IBM、マイクロソフト OSの系統 IBM PC DOS、MS-DOS 開発状況 歴史上のオペレーティングシステム ソースモデル クローズドソース 初版 1990年10月 (33年前)[1] 最終版 PC DOS 2000日本語版 / 1998年 ライセンス プロプライエタリ テンプレートを表示
DOS/Vが成功した背景には、当時のPC/AT互換機の内外価格差(80486-33MHz搭載で日本の半額以下など)、各社SVGAなど高速・高解像度なビデオカードの普及、Microsoft Windows 3.xの普及時期、日本IBMのオープン路線(他社PC/AT互換機への対応、OADG設立など)、IBM版と互換性の高いマイクロソフト版DOS/Vの出荷、NEC以外の国産各社の動向(独自でのPC-9800シリーズへの巻き返し困難、独自仕様マシンの今後のWindowsサポート不安[注 2]、内外二重投資の回避)などが重なった事が挙げられる。
そして、当時、最低限表示出来なければならなかった漢字はJIS第一水準の2965文字とJIS第二水準3388文字で、これらを合わせても漢字フォントのサイズは(16dotフォントの場合)高々215KBである。この程度のサイズであればPC DOS 4.0では積極的に利用されていないプロテクトメモリを漢字ROMの代替に用いることは容易である。
IBM DOS/V Extensionでは更なる変更が追加され、ディスプレイだけではなく、プリンタにも日本語印刷のための機能が装備され、当時は当然視されていた日本語フォント搭載のプリンタでなくとも、ドライバさえ有れば日本語でのテキスト印刷が可能になっていた。 V-Text用の主なドライバーには以下のフリーウェアや製品がある。
leptonによるFONTX、DISPV、DISPS3 [17]
DOS/Vスーパードライバーズ (C.F.Computing)[16] - 多数のビデオチップに対応し高速化
DOS/Vスーパードライバーズ32 (C.F.Computing)[18] - 対応チップ追加、横倒しモード(縦書き)などの機能追加
IBM DOS/V Extension (Ver.1/Ver.2) [19] (日本IBM)- 複数フォントサイズやXGA/XGA2、日本独自の「PS/55日本語表示アダプター」(画面解像度は1024x768だがXGAとは別規格で8514/Aと技術的な連続性がある)に対応
PC DOS 7、PC DOS 2000 (日本IBM) - IBM DOS/V Extension 2.0 が標準搭載された
OS/2のDOS/V互換環境 - 後にIBM DOS/V Extension 2.0相当の機能が標準搭載された
日本IBM (IBM PC DOS 日本語版)
IBM DOS J4.0/V (マイナーバージョンは「IBM DOS J4.05/V」~「IBM DOS J4.07/V」が存在した)
IBM DOS J5.0/V (マイナーバージョンの「IBM DOS J5.02/V」が存在した)
PC DOS J6.1/V (J6.0は存在しない。DOS/V Extension 1.0の成果を一部取り込んだ。)
PC DOS J6.3/V (J6.2は存在しない)
PC DOS J7.0/V (アップグレードCD-ROM版ではDOS/V Extension 2.0を標準搭載した。)
PC DOS 2000 (製品名称に「/V」は付かないが、日本語版はDOS/Vが含まれている。IBMの最終バージョン。)
マイクロソフト
MS-DOS 5.0/V
MS-DOS 6.0/V
MS-DOS 6.2/V (6.1は存在しない。マイクロソフトの最終バージョン。)
デジタルリサーチ(Novell)
DR DOS 6.0/V (DR-DOSのDOS/V版。後継の Novell DOS 7 にはDOS/V版は存在しない。)
上記の他、当初はコンパック版や、AX規格のキーボードやJEGAボードに対するドライバが追加されたソニー版のDOS/Vもあった。またPS/55専用の「IBM DOS J5.0」(「/V」が付かない、通称JDOS)も、5.0以降ではDOS/Vモジュールを含み切り替えて使う事ができたが、インストールはPS/55専用の「日本語ディスプレイアダプタ」を必要とした。
また、PC DOS J6.1/VとMS-DOS 6.2/Vの開発で日本IBMとマイクロソフトは別々に改良作業を行い、ユーティリティやV-Textへの対応などに違いが見られる。
例えば、MS-DOS 6.2/VではISO 9660規格で先頭に「$」が使えないという理由で、ディスプレイドライバのファイル名が「$DISP.SYS」から「JDISP.SYS」に変更されている[20]。 PC DOS 2000は、いわゆる2000年問題の対応版だが、これがMS-DOSおよびPC DOS全体の最終版となり、2002年にはサポートも終了した。各バージョン間の相違はMS-DOSを参照。
IBM DOS J5.02/Vのディスク
IBM DOS J5.02/Vのディスク
MS-DOS 6.2/Vのディスク
MS-DOS 6.2/Vのディスク
MS-DOS 6.2/V マニュアル
MS-DOS 6.2/V マニュアル
まあこれは、ツッコミを入れられる知識を持った人々が、FAQサイトを訪れる人の中にいないだけかもしれないが、見方を変えれば、「DOS/V POWER REPORT」という雑誌名を見ても、そうした人達にはそもそも何の雑誌なのか伝わっていなかった可能性がある。そう考えるとちょっと怖い。
いずれにしても、現在はDOS/Vという単語自体がほぼ死語になりつつあり、その最後の砦となっていたのが、今回の「DOS/V POWER REPORT」だった可能性は高いということだ。後世になってPC史をひもといた時、「DOS/V」という単語はこの2023年を境にパタリと観測されなくなった、そうなる確率は高いと言えそうだ。
「DOS/V POWER REPORT」最終号の表紙下に掲載されている、SNSキャンペーンのハッシュタグ「#ありがとう自作PCこれからも自作PC」。「#ありがとうDOSVこれからもDOSV」でないのがある意味で象徴的だ 』
VAXは「VMS」というOSを組み合わせると、本当に4レベルの特権をフルに使うのだ(図5)。 【図5】出典はDECが出版していたVAX VMS 5.2 IDS(Internals and Data Structures)。厚さ5cm、重量約2.2Kgの本。殴られても死にはしないだろうが、かなり痛い。ちなみに古本なら米国Amazonでまだ入手できる
そこで高速増殖炉を推進していた勢力は日本に目をつけた。ジャーナリストのジョセフ・トレントによると、推進派のリチャード・T・ケネディー陸軍大佐はクリンチ・リバー計画の技術を格安の値段で日本の電力会社へ売ることにしたのだ。(Joseph Trento, “United States Circumvented Laws To Help Japan Accumulate Tons of Plutonium”)