グローバリゼーション・パラドクス ダニ・ロドリック著 政治経済学的手法による懐疑論(2014/2/17付)
https://www.nikkei.com/article/DGXDZO66890650V10C14A2MZA001/



※ 翻って、日本はどういう選択をしている、or するべきなんだ?
※ 3つのうちの2つしか選択できない…、というものでもないと思う…。現実には、その3者のうち、少しずつ「実現できたり」、「あきらめざるを得なかったり」して、まだら模様になるものなんだと思う…。
※ ただ、思考の整理として、考え方の「大枠」としては、有用な論だと思う…。
『著者は以前、『グローバリゼーションは行き過ぎか?』(1997年)を書いたが、出版の時期がくしくも東南アジアの金融危機と重なり、「グローバリゼーションを警戒せよ」というメッセージが注目を浴びた。しかし、著者自らが認めるように、当時は自由貿易が労働市場や社会政策に及ぼすマイナスの影響に焦点を当てており、「金融グローバリゼーション」までは射程に入れていなかった。だが、米国でサブプライム危機が起きたとき、金融グローバリゼーションが危機の核心にあることを本当の意味で理解したという。
(柴山桂太・大川良文訳、白水社・2200円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)
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もちろん、経済学者である以上、グローバリゼーションを全否定はしていない。だが、著者はグローバル経済を健全なものにするには、政府と市場経済の絶妙なバランスが必要であり、しかも資本主義は唯一無二のモデルで代表させることはできず多様性をもつと認識しているので、グローバリゼーションに対する態度も変化せざるを得ない。
著者は、世界経済の「政治的トリレンマ」(「民主主義」「国家主権」「グローバリゼーション」の3つを同時に追求することは不可能で、2つを選択せざるを得ないこと)を強調する。組み合わせはいくつかあるが、著者は、「グローバリゼーション」をある程度制限してでも「民主主義」と「国家主権」を守るべきだと主張する。世界は共通のルールによって押し込められるには多様性がありすぎるからである。著者が、第2次大戦後、世界経済の発展に寄与した「ブレトンウッズの妥協」を評価するのも、それが貿易制限を取り除きながらも、自由な資本移動と民主的な経済の安定とは両立しないという考えに基づいていたからだ。
著者の主張に対しては、欧州統合のように、「国家主権」をある程度放棄してでも新たな枠組みを構築しようとする立場からの反論が予想されるが、著者は「世界規模の民主的な統治制度」は少なくとも現時点では非現実的だと退けている。狭い意味での経済理論というよりは政治経済学的手法によるグローバリゼーション懐疑論として読むと示唆に富むだろう。
(京都大学教授 根井雅弘)』






















