※ 今日も、雑用に見舞われて、走り回った…。
※ こんなところで…。

※ 「私だけ伴侶がいると妻嘆く」は、ヒドかろう…。
※ 「女房から生前退位せまられる」もな…。
※ 個人における「生前退位」とは、一体何だろう…。
※ 今日も、雑用に見舞われて、走り回った…。
※ こんなところで…。

※ 「私だけ伴侶がいると妻嘆く」は、ヒドかろう…。
※ 「女房から生前退位せまられる」もな…。
※ 個人における「生前退位」とは、一体何だろう…。
※ いずれ、本も読めなくなるし、ディスプレイも見れなくなる…。
※ オレも、せいぜい励まんとな…。
※ ただ、「思考力」だけは、「鍛えれば、伸び続ける」らしい…。
※ 「脳の神経細胞」自体は、死滅していくが、「各神経細胞どうしの連結」は、死ぬまで「連結させること」ができるそうだ…。
※ それを信じて、頑張ろう…。

White Fragility
https://en-m-wikipedia-org.translate.goog/wiki/White_Fragility?_x_tr_sl=auto&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=nui,op
※ ちょっと、疲れてきたんで、今日は、こんなところで…。



アメリカ白人は「生まれる前から」レイシストであり、
死ぬまでレイシズムの原罪から逃れることはできない
【橘玲の日々刻々】
https://diamond.jp/articles/-/248160
※ いやいや、「衝撃的な」記事だ…。
※ インパクトという点では、今年読んだ記事の中での「ベスト」だろう…。
※ 丸々、紹介させていただきます…。
※ それにつけても、アメリカ人やって行くのは、大変だ…。
※ 白人だというだけで、「原罪」押し付けられたり、「内なる差別意識を直視し、真摯に向き合え!」と迫られるわけだ…。
※ うちは、仏教、それも「曹洞禅(道元禅師のな)」なんで、「なむしゃかむにぶーつ(南無釈迦牟尼仏)…。」とか唱えて、(頭の中で、座禅して)「悟りに向かって、日々修行」していればそれでよい…。
※ どーせ、坊主でもない一般人が、「悟りを開く」なんて、できっこ無い…。
※ それでも、誰からも「地獄に落ちるぞ!」とか「人として、不適格だ!」なんて糾弾されることも無い…。
※ 火葬なんで、「死後の復活」とか、「死後の裁き」とか、知ったこっちゃ無いしな…。
『アメリカでBLM(ブラック・ライヴズ・マター/黒人の生命も大切だ)の反人種差別デモが過激化の度合いを増している。その背景には、奴隷制廃止から150年、公民権運動から半世紀以上たっても、依然として黒人の地位が向上していない現実がある。
その結果、「人種問題」をめぐってアメリカの白人は2つのグループ(部族)に分断されることになった。ひとつは保守派で、「法律上は平等な権利を保証され、そのうえアファーマティブアクション(積極的差別是正措置)で優先枠までつくったのだから、現在の苦境は自己責任だ」とする。これについては代表的な保守派知識人の一人ヘザー・マクドナルドの“The War on Cops(警官との戦争)”を紹介した。
[参考記事]
●日本ではほとんど報道されない、BLM運動の嚆矢となった「ファーガソン事件」の真相と背景にある黒人の犯罪率の高さ
それに対して、アメリカ社会の「構造的な人種差別」を批判する左翼(レフト)はどのように考えているのだろうか。それを知りたくて、BLM運動以降、アメリカでベストセラーとなったロビン・ディアンジェロの“White Fragility: Why It’s So Hard for White People to Talk About Racism(白人の脆弱性:白人にとって人種主義について話すのはなぜこれほど難しいのか)”を読んでみた。
著者のディアンジェロは1956年生まれの「白人女性」で、「ホワイトネス(白人性)」の研究で博士号を取得し、大学で多文化教育を講じるかたわら、企業などにダイバーシティ・トレーニングを提供する活動を続けている。“White Fragility(白人の脆弱性)”はディアンジェロの造語で、これがなにを意味するかはおいおい説明しよう。
アメリカ白人は、「生まれる前から」レイシスト
“White Fragility”でディアンジェロは、批判的人種理論(Critical Race Theory)にもとづいてきわめて明快な主張をしているが、それは日本人(とりわけ「リベラル」)にとって容易には理解しがたいものだ。ここではできるだけ客観的に説明し、私の感想は最後に述べることにしよう。
ディアンジェロによれば、アメリカ社会は人種・性別・性的志向などによって階層化されており、その頂点に君臨するのは「白人、男性、異性愛者・健常者・中上流階級」という属性をもつグループだ。だが「白人女性」や「白人のLGBTQI(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、クィア、インターセックス)」だからといって「人種主義Racism」から逃れることはできない。
なぜならアメリカ社会の根底には、「white」と「people of color」の構造的な差別があるから。whiteは「白人」、people of colorは「有色人種」のことだが、raceを避けている用語に「人種」の訳語をあてるのは適切ではないだろう。直訳では「(肌の)色のあるひとたち」だが、これは日本語として違和感があるので、ここでは「ピープル・オブ・カラー」とカタカナで表記する。
この訳語にこだわるのは、ディアンジェロの世界観が「白人」と「ピープル・オブ・カラー」の二元論だからだ。「奴隷制」と「植民地主義」という負の歴史の上につくられたアメリカ社会では、この2つの集団間の「差別のシステム」があらゆるところに埋め込まれているのだ。
ピープル・オブ・カラーには黒人(アフリカ系)、ラティンクス/Latinx(ラテンアメリカ系)、アジア系、ネイティブアメリカンなどがいるし、人種間の結婚で生まれたひとたちもいるだろう。――中南米(ラテンアメリカ)に文化的・民族的アイデンティティをもつアメリカ人は「ヒスパニック」と呼ばれていたが、彼らは「スペイン語話者」でも「スペイン出身者」でもないため、「Latino(ラテン系男性)」や「Latina(ラテン系女性)」が好まれるようになり、近年はジェンダーフリーの呼称として「Latinx(ラテン系)」という新語が「PC=政治的に正しい」とされるようになったようだ。
白人にも同様に、アメリカ社会の主流派であるWASP(イギリス系プロテスタント)だけでなく、かつては黒人同様に扱われていたアイルランド系やイタリア系、ナチスの弾圧を逃れてアメリカに渡ったユダヤ系や、新興移民として奴隷制も公民権運動も知らないロシア・東欧系などさまざまなグループがあるし、白人とピープル・オブ・カラーの結婚も珍しくなくなった。
だがディアンジェロは、このように人種の多様性を強調することを否定する。「人種多様性」はピープル・オブ・カラーを分断し、白人に免罪符を与え、「白人VSピープル・オブ・カラー」という構図を曖昧にするだけだからだ。
この二元論からディアンジェロは、「アメリカでは人種主義(レイシズム)は白人だけのものである」というかなり思い切った主張をする。ピープル・オブ・カラーのなかにももちろん、他の人種に対して偏見をもつ人間はいくらでもいるだろう。だがそれは、定義上、(アメリカ社会では)レイシズムとはなり得ない。その一方で白人は、祖先の国籍や家系の歴史に関係なく、存在そのものが「レイシズム」だ。
これは、「白人は生まれながらにしてレイシスト」というだけではない。アメリカ白人は、「生まれる前から」レイシストなのだ。なぜなら白人というだけで、妊娠から出産までのあいだに、病院や保健センターなどでピープル・オブ・カラー(とりわけ黒人)とまったく異なる扱いを受けるのだから……。
ディアンジェロは次のように述べる。
「私はアメリカで育った白人アメリカ人だ。私は白人の考える枠組みと白人の世界観をもち、白人の経験する世界を生きてきた。私の経験は普遍的な人類の経験ではない。それは人種が重要な意味をもつ社会、人種によって深く分断された不公平な社会のなかで、とりわけ白人が経験するものだ」
アメリカで、あるいは西欧による植民地の歴史をもつすべての文化で、白人がレイシズムと無関係に生きることは原理的に不可能なのだ。』
『ディアンジェロは生物学的な人種概念を否定する
「すべての白人はレイシストである」という前提に立つ以上、当然のことだが、ディアンジェロはトランプ支持の「白人至上主義者」だけを批判したりはしない。こうした「可視化された人種主義」はこれまでさんざん俎上にあげられてきており、それにもかかわらず人種主義はなくならないばかりか、黒人の苦境はますます強まっている。
ここで白人のリベラルは、「それはレイシズムへの批判が足りないからだ」としてBLM運動への支持を表明するかもしれない。だがディアンジェロは、こうした態度自体が「レイシズム」だとする。“White Fragility”は、「進歩的」で「寛容」なリベラル白人の「不可視のレイシズム」への糾弾の書だ。
従来のリベラリズムは、個人を「黒人」や「女性」などのマイノリティにグループ分けし、ステレオタイプを押しつけることを「差別」だとしてきた。それを乗り越える方策が「カラーブラインド」や「ジェンダーブラインド」で、差別をなくすためのもっとも重要な心構えだとされている。――colorblindは色盲のことで、そこから「肌の色のちがいを見えなくする」の意味に使われるようになった。
だがディアンジェロは、アメリカ社会でポリティカルコレクトネス(政治的正しさ)の中核にあるカラーブラインドを否定する。
アメリカ社会はずっと、カラーブラインドによって人種差別を克服しようとしてきたが、ディアンジェロからすればこれは「人種のちがいがないように振る舞えばレイシズムはなくなる」という虚偽以外のなにものでもない。「人種」を見えなくするカラーブラインドによって、誰ひとり自分をレイシストだといわなくなったとしても、レイシズムは厳然と存在するのだ。
日本でも「女だから」とか「国籍がちがうから」などの理由で個人を評価することは差別と見なされるようになってきた。「個人をグループとしてではなく、一人ひとりの個性や能力で評価する」というIndividualism(個人主義)はリベラルの大原則で、ほとんどのひとが当然だと思うだろうが、ディアンジェロはこれも否定する。「彼/彼女が黒人であることは採用・昇進になんの関係もない。なぜなら人種ではなく“個人”を評価しているから」というのは、リベラルな白人が自らのレイシズムを隠蔽・正当化するときの典型的な手段にすぎない。――さらには、「客観的な評価によってバイアスから自由になれる」という「客観主義」も否定される。バイアス(偏見)は人間の本性で、どのようなことをしてもそこからフリー(自由)になることはできないのだ。
この「カラーブラインド」と「個人主義」の全否定は、「リベラル」にとっては驚天動地の話だろう。だがこれは、考えてみれば当然でもある。アファーマティブアクションは「人種」というグループで優遇するかどうか決めているのだから(ディアンジェロは「資格のある特定のマイノリティに白人と同等の機会を与えること」と定義する)、カラーブラインドと個人主義を徹底すればその根拠はなくなってしまう。「差別されたマイノリティ」を制度によって救済しようとするなら、「人種」という概念を認めるほかない。その意味では、ディアンジェロの一見過激な主張の方が筋が通っているともいえる。
ディアンジェロはもちろん、生物学的な人種概念を否定する。近年の遺伝人類学や行動遺伝学では「ヒト集団」のちがいが大きな論争になっており、イギリスのリベラルな科学ジャーナリスト、アンジェラ・サイニーは『科学の人種主義とたたかう 人種概念の起源から最新のゲノム科学まで』(作品社)でこのテーマと格闘しているが、ディアンジェロは論文1本を根拠に「肌の下に真の生物学的な人種はない」と一蹴している。
[参考記事]
●アメリカでリベラルと「レフト」が衝突する「人種主義Racism」。「人種」概念の否定と遺伝的な「ヒト集団」が混乱を起こしている
生物学的な「人種」は虚構で、「人種」概念は社会的につくられたというのが「社会構築主義」だが、その立場からすると、リベラルのカラーブラインドや個人主義は、社会的な構築物である「人種」を否定し、アメリカ社会の根底にある「構造的レイシズム」を容認することなのだ。
ここまでくれば、ディアンジェロが「リベラル」ではなく「左翼(レフト)」である理由がわかるだろう。その批判の刃は、頑迷なトランプ支持の「白人至上主義者」よりも、彼らを口先だけで批判する「エリートの白人リベラル」に向けられているのだ。
だがこの論理を、自分のことを「レイシズムとは無縁なリベラル」だと思っている白人は容易に理解することができない。そこでディアンジェロは、企業のダイバーシティ・トレーニングで(黒人のコーディネーターといっしょに)、白人の従業員に対して「レイシストとはあなた自身のことだ」という“事実”を伝える。すると白人たちはこの“攻撃”に驚き狼狽し、怒ったり、言い訳したり、無言になったり、席を立ったりする。こうした反応が“White Fragility(白人の脆弱性)”なのだ。
ディアンジェロは「リベラル」な白人の偽善を徹底的に批判する
左翼(レフト)であるディアンジェロは、「リベラル」な白人の偽善を徹底的に批判する。それが、「よい白人」と「悪い白人」の二元論だ。
リベラルを自称する白人にとって、「悪い白人」のステレオタイプは「無知、田舎者、偏見、意地悪、年寄り、南部人」で、「よい白人」のステレオタイプは「進歩的、高学歴、寛容、良心的、若者、北部人」だ。そして、トランプ支持の白人至上主義者に「悪い白人」のレッテルを押しつけることで、自らを「よい白人」に分類して安全圏に逃げ込んでいるとされる。
ディアンジェロが述べているわけではないものの、こうした視点は映画『スキン』を見たときの違和感をうまく説明する。
ガイ・ナティーヴ(イスラエル出身のユダヤ人)監督のこの映画では、カルト的な白人至上主義団体で育ち、顔面を含め全身に無数の刺青(タトゥー)をしたレイシストの若者が、シングルマザーとその子どもたちに出会ったことで人生をやり直したいと願い、組織と対決する。
これは実話を元にしていて、映画としてもよくできているが(主役は『リトル・ダンサー』の少年)、ここまで白人至上主義者を悪魔化してしまうと、映画を見たほとんどの白人は、自分にはなんの関係もないことだと思うのではないだろうか。白人至上主義のカルト団体に所属する全身刺青のレイシストなど、アメリカじゅうでせいぜい数百人しかいないだろうから。
ディアンジェロにとっては、リベラルが好む「頑迷固陋な白人至上主義者」は、白人エリートの自己正当化にすぎない。「悪い白人」を自分とまったくちがう異形の存在にしてしまえば、「よい白人である私」は人種差別とはなんの関係もなくなるのだ。
“White Fragility”では、会社のダイバーシティ・トレーニングで白人従業員が、自分はレイシズムとは無縁だと主張するときに使う科白がたくさん紹介されている。
・あなたがピンクだろうが、紫だろうか、水玉模様だろうが私は気にしない。
・あなたがたまたま黒人だったとしても、私があなたについて語ることとはなんの関係もない。
・人種を問題にすることはわたしたちを分断する。
・もしひとびとが私をリスペクトするのなら、人種にかかわらず、私もそのひとたちをリスペクトする。
・私はレイシストではない。なぜならカナダから来たから。
・私は貧しい家庭に育った(白人特権の恩恵など受けていない)。
・私はとても多様性のある職場で働いている。
・家族にピープル・オブ・カラーがいる(あるいは結婚している、子どもがいる)。
・60年代の公民権運動に参加した。
・中国から養子をもらった。
・日本に暮らしたことがあり、マイノリティがどういうものか知っている、などなど。
ダイバーシティ・トレーニングというのは、こうした「言い訳」を一つひとつつぶして、自らの「内なるレイシズム」に直面させることなのだ。
大企業で働く(恵まれた)白人が、白人特権(white privilege)をあっさり免責してしまうことを受け入れがたいマイノリティがいることは間違いないだろう。その意味で、ディアンジェロの主張に説得力を感じるところはあるものの、「白人女性の涙(White Women’s Tears)」という章を読むと複雑な気持ちにならざるを得ない。ここではダイバーシティ・トレーニングで、自らのレイシズムを指摘された白人女性が泣くことについて述べられている。
黒人などのマイノリティに共感していて、レイシズムに断固反対してきたと信じている白人女性が、「あなたのその態度がレイシズムだ」といわれて混乱し、泣き出すというのは想像できる光景だ。そんなとき、まずは同席していた白人女性や白人男性が泣いている女性をなぐさめようとし、ときにはそれに黒人男性が加わって、講師であるディアンジェロを批判するのだという。
これに対してディアンジェロは、「泣く」ということ自体が、自らの内なるレイシムズを直視することから逃げ、「女」を利用して周囲の同情を集めて自分を守ろうとする“White Fragility”の典型だとする。なぜなら「感情とは私たちのバイアスと信念、文化的なフレームワークによってつくられたもの」であり、「感情とは政治的なもの」だからだ。
そして、泣き出した白人女性をなぐさめることは、「交通事故が起きたとき、(犠牲者である)通行人が道に倒れているにもかかわらず、(事故を起こした)車の運転手に駆け寄るようなもの」だという。これを読んだときは、アメリカの白人はこんな仕打ちにも耐えなくてはならないのかと思わず同情した。』
『「現状維持」がレイシズムなら「現状を破壊する」行為はそれがどんなものであれ反レイシズム
ディアンジェロのダイバーシティ・トレーニングは、白人従業員にとってはかなり過酷な体験だ。だったらなぜ、企業はこんなことをさせるのか。
それは大企業の経営者が、いつ「人種差別的」と批判されBLM運動の標的になるかわからないと戦々恐々としているからであり、白人の従業員(とりわけ中間管理職)が黒人の部下や同僚とどのように接すれば「人種差別的」と見なされないかわからなくなっているからだろう。
そこで彼らは、藁にもすがる思いでダイバーシティ・トレーニングを受講する(自分たちはここまで努力しているという免罪符を手に入れたいというものあるのだろう)。ところがそうすると、「白人という存在そのものがレイシズムだ」といわれ、「脆弱性」をさらけ出すことになってしまうのだ。
私はアメリカで暮らしているわけでもないし、そもそも「ピープル・オブ・カラー」として、定義上、レイシストにはなり得ないのだから、複雑骨折したようなアメリカの「人種問題」についての論評は控えるべきかもしれない。
それでもひと言だけいわせてもらえば、ディアンジェロの論理は、キリスト教的な「原罪」とフロイト主義(精神分析)のグロテスクな組み合わせのように思える。アメリカの白人は「白さ(ホワイトネス)」という原罪を背負っているものの、それを無意識に抑圧し「白人特権」を守ろうとしている。とりわけリベラルな白人は、「悪い白人」を悪魔に見立てることで自分のなかの「悪」を外部化し、内なるレイシズムを否認・正当化しているのだ。
しかしそうなると、どのような説明・弁解・抗議をしても(あるいは謝罪しても)、すべてが「抑圧されたレイシズム」と見なされてしまう。このロジックは自己完結しているので、逃げ場はどこにもない。
ディアンジェロは、アメリカの(リベラルな)白人が求めているのは「status quo(現状維持)」だという。すべては、レイシズムを否認して「白人特権」という現状を守るための暗黙の策略なのだ。こうして、コリン・パウエル(ブッシュ政権の国務長官)やクラレンス・トーマス(最高裁判事)のような保守的な黒人の成功者はもちろん、バラク・オバマですら「現状維持を支え、(白人を)脅かすといういかなる意味でもじゅうぶんにレイシズムに挑戦しなかった」と批判されることになる。
ここから、一部のBLM運動の常軌を逸した(ように見える)ラディカリズムが理解できるのではないだろうか。「現状維持」がレイシズムなら、「現状を破壊する」行為は、それがどんなものであれ反レイシズムなのだ。
ディアンジェロのような白人知識人がこうした極端な思想をもち、それが一定の支持を集める背景には、アメリカのアカデミズの実態があるのかもしれない。ディアンジェロが認めるように、アメリカの大学教員の84%は白人で、それはまさに「構造的レイシズム」そのものだ。この事実を否認し正当化する必要があるからこそ、アメリカの白人知識人は、ごくふつうに暮らし働いている市井の白人に「レイシスト」のレッテルを押しつけようとするのではないだろうか。
こうしたラディカリズムは、いったいどこに向かうのか? ダイバーシティ・トレーニングの目的をディアンジェロは、「白人が引き起こしたレイシズムを直視する痛みに耐えるスタミナをつけること」だという。そして、「レイシズムを(ピープル・オブ・カラーと同様に)生と死の問題だと考え、あなたの宿題をすること」が重要だとする。
もちろん、白人であるディアンジェロ自身もレイシズムから自由になることはなく、学びが終わることもない。アメリカの白人は「生まれる前から」レイシストであり、死ぬまでレイシズムの原罪から逃れることはできないのだ。――そう考えれば、これは一種の「宗教運動」にちかい。
自らが「原罪」を背負っていると考える白人がなにをしようと自由だが、民主的な市民社会で、なんら法を侵すことなく暮らしているひとたちにこうした「罪」を負わせるのは酷だし、ひとは自分が「悪」であることを受け入れることなどできない。このラディカルな人種理論は「人種問題」の解決に役立たないばかりか、状況をさらに悪化させるだけではないだろうか。
橘 玲(たちばな あきら)
橘玲のメルマガ 世の中の仕組みと人生のデザイン 配信中
作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)、『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)、『橘玲の中国私論』の改訂文庫本『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)、『もっと言ってはいけない』(新潮新書) など。最新刊は『女と男 なぜわかりあえないのか』(文春新書)。』
子どもがいてもいなくても、世界について考えるのは難しくなってると思う。
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/
※ そーですか…。
※「世界のでき事」についての情報を、入手するのは、ちょっと前に比べると、はるかに簡単に、素早く、大量に手に入るようになったと思いますが…。
※ むしろ、問題は、そうやって「入手した情報」を、キチンと「位置付け、分析・解析、理解する」体制が、自分の中に構築されているのかだと思いますが…。
※ そういう情報の「位置付け・整理」のための「ツール(思考ツール)の構築」こそが、最重要だと考えますが…。



『リンク先の文章は、子どもを持たない大人が増えることで自分の代までしか考えない人も増え、世界の持続可能性が危機にさらされるのではないか、といった趣旨だ。「私の死んだ後のことなんかどうでもいい」と皆が考えるようになり、後々の世界に思いを馳せなくなったら、世界の持続可能性は怪しくなるだろう。欧米を中心に若い人たちが世界の持続可能性について大きな声をあげ、その槍玉に挙げられているのがそのような大人たちであることを思い出したりした。
セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史 (SB新書)
作者:前島 賢
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でもって、リンク先の筆者は「セカイ」というサブカルチャーの語彙を使って、そうした大人たちの世界観が自分を中心とした狭い範囲にとどまっていること、ために未来を志向しない自己中心的な死生観を持っていることを指摘している。親になる人が減るぶん、死後の未来について考える人も減るというのは、まあ、そうかもしれない。少なくとも人の親になり、まっとうに親を引き受けている人なら、子どもの代の未来まで考える動機が発生するからだ。
他方、それだけでもあるまいと思ったりもする。
なぜなら、人の親になるかならないかが世界の捉え方を全部決めてしまうわけではないからだ。たとえば輪廻をベースとした宗教を信じている人や、一族の先祖供養を行っている人、連綿と続く地域の葬祭行事に加わり続けている人などは、人の親になるかならないかに関わらず、自分が死んでも世界が続く世界観・死生観を生きている可能性は高い。自分の子どもという具体性の塊のような未来に比べると、これらは抽象的で、共同幻想に類するものではあるのだけれど、太古の葬祭の痕跡などが示しているように、案外そのようにできあがった世界観で生きていける・生きてしまうのが人間であるように思う。
なので、冒頭リンク先の主題であろう「自分の代のことしか考えない大人の増加」とは、(養子縁組も含めた)子育てに参加するしないの問題に加えて、過去から未来へとつらなるような世界を生きていない人が増えていること、死生観や世界観がそのように変わってしまっていることが大きいと私なら思う。で、冒頭リンク先の筆者が「(セカイ系に由来しているらしき)セカイ」という語彙をわざわざ選んでいるのも、そうした死生観や世界観も問題の一端であることを意識してのものだろう。
なら、そうした今しかない死生観や世界観が台頭し、過去から未来へと連なるような死生観や世界観が尻すぼみになっているのは何故なのか。
ここまでの話から、宗教の衰退や、イエ制度などと深くかかわりを持ってきた盆暮れ正月といった行事の衰退や形骸化を挙げることはたやすいし、実際、既存宗教はすごい勢いで衰退してもいる。それらが死生観や世界観に与える影響は無視できるものではないので、宗教の衰退や形骸化を、生涯未婚率の上昇と並ぶ「自分の代のことしか考えない大人の増加」の理由として挙げるのは簡単ではある。
でも私には、その既存宗教の衰退や形骸化も原因ではなく結果であるよう思えてならない。既存宗教が衰退したり形骸化したりしたのは、むしろ、そのような宗教と相性の良い死生観や世界観を持てない環境ができあがってしまったからのようにみえてしまう。
既存宗教と相性の良い死生観や世界観が持てない環境とは、どういったものなのか。
ちょっと切り口が異なるかもしれないが、アーカイブで一番これに近いことを書いたのは以下のブログ記事のものだ。
blog.tinect.jp
「老害製造装置」というタイトルがついてしまっているが、要旨としては、いまどきの生活環境では他人とコミュニケーションする必要がないし、それは団塊世代あたりから日本人が望んできたことだ、といったことが書いてある。
戦後からこのかた、日本人の生活空間はイエ的で集団的なものから、個人的でプライバシーのあるものへと変わってきた。同じく、日本人の生活時間もまた、家族や同郷集団と長い時間を過ごすものから、一人で過ごす時間の長いものへ、個人それぞれのスケジュールに従うものへと変わってきた。これらの変化が日本人の意識を、あるいは社会病理性の内実をも変えていったことは想像にかたくない。
日本人の意識も生活実態も、血縁集団や地縁集団といった単位からは離れていき、核家族や個人といった単位に基づいたものに変わっていった。もちろんこれは人々の意識だけが変わっていったのではなく、家屋や街並みといったアーキテクチャも平行して変わっていったこと、働き方や余暇の過ごし方が変わっていったこと、ウォークマンやスマホの普及といったエンタメが変わっていったなどととも、全部つながりあった変化とみるべきなのだろう。
なんにせよそうやって個人化が総合的に進んだ結果、いわゆるゲマインシャフト的なものが暮らしの時空間から排斥され、旧来の宗教観がそのままアプライできる状況が珍しくなり、「自分の代のことしか考えない大人の増加」に親和的な死生観や世界観がアプライできる状況が一般的になった。
想像してみて欲しい。アパートやマンションの自室で365日を過ごし、親世代や子世代とのコミュニケーションにも煩わされず、自分のやりたい仕事や趣味や人間関係にすべてを費やし、スケジュールも全部自分で決められる──そういう個人生活のなかで、過去から未来へと連なるような死生観や世界観を持つのは結構アクロバティックなことではないだろうか。
そういう個人でも、子育てをしているうちはそうした死生観や世界観を持っていられるかもしれない。しかし子育てをしなければそうした死生観や世界観を持つことは難しいし、たかだか20年かそこらの子育て期間を終え、親子が別々に暮らすような核家族的環境(または単身世帯的環境)に戻ってしまえば、やっぱりそのような死生観や世界観を維持するのは難しくなってしまう。
冒頭リンク先でid:Ta-nishiさんは、
このまま非婚率が天井知らずに上昇を続け、非婚者がマジョリティとなり、「私が死んだ後のことなんかどうでもいい」という「無敵の人」が多数派を占めるようになった未来が訪れたとして、そのときこの世界のサステナビリティはどうなってしまうのだろうか?
と締めくくっておられるが、思うに、少子化がここまで進行してしまう前の段階で(世界の、というより現在の日本国の、と訂正はしておくけど)サステナビリティは維持できなくなっていたように思える。つまり死生観や世界観の変化も、少子化も、全部ひっくるめての話として、ある程度以上にきわまった社会契約的-個人主義的社会はサステナビリティにもともと問題を抱えていて、たとえばアメリカが移民を集めたり、東京が田舎者を集めたりするように、外部からの人口流入をあてにできなければ成立しないもののように思えてならない。
最近、この、サステナビリティという言葉がほうぼうで使われているけれども、国や都市によってサステナビリティのための課題は結構違っていて、たとえばニューヨークのような街はどれほど社会契約的-個人主義的社会を突き詰めようとも人口流入があれば街そのもののサステナビリティに問題はない。ニューヨークは、地球温暖化さえ回避できれば持続可能な街にみえる。
一方、東京や大阪のような東アジアの街はニューヨークほどには人口流入をあてにできないし、移民制度を正当化するポリティカルコレクトネスも含めた人文科学上の建付けも甘いので、地球温暖化を回避しただけでは持続可能ではない。まして、日本の町村部ともなるとサステナビリティなど午睡の夢、地域社会が丸ごと山林に沈もうとしている。
最後に話が脱線した。が、こんな具合に私は、今の日本の生活環境で暮らしている限り、子どもがいてもいなくても世界について考えるのは結構難しいとみているし、自分自身を顧みても、どこまで考えているといえるのか、疑わずにいられなくなる。
この、高度に個人化され、他人と深く付き合うことなく暮らせてしまえる社会のなかで、それでも過去や未来に連なる想像力を持てる人というのは、逆にどうやってそういう想像力を涵養しているのだろうか? あるいは、どういう想像力を持ったことをもって過去や未来に連なる想像力が持てていると定義して構わないのだろうか?
そのあたりが今の私にはなんだかよくわからない。たとえば地球温暖化についてニュースで見て、再生可能エネルギーを重視する企業の商品を買うよう心がける人がいるとして、それでもって過去や未来に連なる想像力を持てている人だと言って構わないものなのだろうか?
地球環境というマクロな視点を除外するなら、お盆や彼岸のたびに先祖の御霊をお迎えしているような、そういう生活環境で暮らしているのと比較すれば、私たちが過去や未来を肌で感じる機会と動機、いや、導線は少なくなっていると私は思わずにいられない。うまくわかってもらえるかわからないけれども、本当は、私は死生観や世界観を規定する第一要因はアーキテクチャとしての社会環境だと思っていて、宗教は、その後ろから追いかけてくるもの(またはアーキテクチャに沿って盛衰するもの)だとか思っている。死生観や世界観が変わるとしたら、それは第一にアーキテクチャが変わる時じゃあないだろうか。
長文になってしまったので今日はこのへんで。SNSが世界じゅうを繋ぐようになったからって、世界について考えるのが簡単になっているようには思えない。』
中国で芸能界の規制強化 なぜ?
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211109/k10013334371000.html?utm_int=news-international_contents_list-items_007
※ 雑用に見舞われたんで、今日は、こんなところで…。
※ 『芸能人やアイドルの「人気ランキング」やファンによる「投票行為」は、民主的な選挙を連想させ、中国共産党の一党支配に対する批判につながりかねないとして、警戒を強めているという指摘があります。』…。
※ 『理由については「若者のゲーム依存を防ぐため」などと説明していますが、ここにも、政府の統制のおよばないところで不特定多数の人が集まることへの警戒があるとみられています。』
※ なるほど…。そこか…。
※ 『取材に応じた中国のゲーム制作会社の担当者は、宗教をモチーフにしたゲームの制作を進めていましたが、ある日突然、当局からとみられる通知を受け取りました。
そこには「宗教を暗示させるようなものにしてはならず、宗教色をゼロにしなければならない」と書いてあったということです。
なぜ、宗教をモチーフにすることが禁止となったのか理由は明示されていませんでしたが、この担当者は急きょ、ゲームのストーリーやキャラクターの変更に追われているということです。』…。
※ これについては、ちょっと語っておこう…。
※ 共産主義、社会主義の重要な「理屈づけ」の一つに、「弁証法的唯物論」というものがある…。
※ 「弁証法」は、ギリシャ哲学の昔からある「論」だが、近年はヘーゲルのそれの方が有名だ…。
※ 前にも、語ったことがある…。(〔弁証法ーその2〕 https://http476386114.com/2020/08/24/%e3%80%94%e5%bc%81%e8%a8%bc%e6%b3%95%e3%83%bc%e3%81%9d%e3%81%ae%ef%bc%92%e3%80%95/ )

※ 例の、「正-反-合」というものだ…。
※ それだけでは、「変化の契機」「変化のメカニズム」を説いたもので、それほど大した話しとも思われない…。
※ しかし、これが「唯物論」と合体して、「弁証法的唯物論」となると、一転して、「剣呑なもの」となるんだよ…。
※ ( 「唯物論」なんかの話し…。 https://http476386114.com/2020/08/03/%e3%80%8c%e5%94%af%e7%89%a9%e8%ab%96%e3%80%8d%e3%81%aa%e3%82%93%e3%81%8b%e3%81%ae%e8%a9%b1%e3%81%97%e3%80%82/ )
※ 『※ 非常に「ザックリ」とした理解・説明を、語っておく…。ごくごく、サワリの話だし、極めて「常識的」な話だ…。細部は、各人で肉付けされたし…。
まず、もの事の「本質」を考察する場合、「物質的なもの」に重きをおくのか、「精神的なもの」に重きをおくのか…、という立場決定がある。
前者が「唯物論」であり、後者が「唯心論」だ…。
弁証法とは、もの事の「本質」に迫ろうとする方法論、あるいは、もの事の「本質」の説明のし方・やり方の一種だ…。「あるテーゼ」を立てたものに対して、それに反する「アンチ・テーゼ」をぶつけて、その両立しがたい両者の相克から、「新たなこと」(より高次の価値あるもの)が生じるものなんだ…、とする考え方だ。ヘーゲルが完成させたとされ、「正」「反」「合(正でも反でも無い、新たなもの)」という形で、説明される事が多い…。
「正」と「反」がぶつかって、「合」が生じることを、「アウフヘーベン(aufheben)」と称し、「止揚」と訳されている…。
唯物論に立ち、弁証法的方法論に立脚し、これを「歴史」の理解に適用したものが、「唯物史観」だ…。
歴史の展開、歴史の変遷は、「物質的なもの」を基盤として生じるもので、「正」「反」「合」のダイナミズムによって、理解できるのだ…、とか主張するわけだな…。
ここいら辺までは、もの事や歴史の「本質」を解明しようとする、思弁的・哲学的な「考察」にとどまっているので、そんなに「現実的な力(ちから)」は、持たない…。
しかし、世の中、そういう思弁的・哲学的な「考察」だけでは、済まないから、だんだん剣呑(けんのん)なものとなって行く…。』
※ 「科学的社会主義」という用語を、聞いたことがあるだろうか…。
※ 「資本主義から、社会主義への”移行””変化”は、科学的なものだ。」という主張だ…。
※ そういう論者によれば、「物理法則(水が高きから低きに流れる)と同等なほど、確かなこと。」なんだそうだ…。それを称して、「科学的」と言っている…。
※ そういう”主張”においては、この世界は、「唯物論」じゃ無いと困るんだよ…。
※ 「物理法則と同等なほど」と、言えなくなるからな…。
※ まあ、そーゆーこと…。








『中国政府が、芸能界やゲーム業界への規制を強化しています。
中でも標的となっているのが、アイドルなどのファンクラブです。
お気に入りのアイドルを支援する活動が、なぜ規制の対象となるのか。一見、政治には関係がないように見える業界まで神経をとがらせる習近平政権のねらいとは?
わかりやすく解説します。
(取材班 上海支局・柳原章人、小林崇、広州支局・高島浩、NW9・岡部陽介、国際部・建畠一勇)
芸能界への規制って、どんなことが行われるの?
ことし8月、中国政府によって禁止されたのが、芸能人やアイドルの「人気ランキング」や、ファンによるいわゆる“推し活”としての「投票行為」、それに未成年がアイドルにネット上でお金を送る、いわゆる「投げ銭」という行為などです。
また、テレビ局などに対しては、共産党や国家から心が離れている芸能人の起用を禁じたり、アイドル育成番組の放送を禁止したりしています。
なぜ、芸能界で規制が強化されているの?
熱心なファンによる活動が過熱していることが背景にあるようです。
ことし9月、韓国の男性アイドルグループBTSのジミンさんの誕生日を祝おうと、中国のファンが募金を募り、ジミンさんの顔写真を塗装した飛行機を飛ばす計画を呼びかけました。
多くのファンの賛同を得て、わずか1時間で日本円にしておよそ4000万円の募金が集まりました。
しかし、ネット上では批判的な意見も相次ぎ、炎上する事態となったため、当局が中国版ツイッターのファンのアカウントを一時停止しました。
人気アイドルにまつわる炎上はほかにも起きています。
中国の人気オーディション番組では、応援したいアイドルへの投票権が得られる乳製品をファンが大量に購入。
中身を飲まずに排水溝に廃棄する動画がSNS上で拡散され、炎上する事態となりました。
今回打ち出された数々の規制は、こうしたファンの過熱ぶりを沈静化させるねらいがあったとみられます。
芸能界を、中国政府が標的にしているのはどうして?
芸能人やアイドルの「人気ランキング」やファンによる「投票行為」は、民主的な選挙を連想させ、中国共産党の一党支配に対する批判につながりかねないとして、警戒を強めているという指摘があります。
また、ファンクラブなどについては、政府の統制が行き届かないところに集団が形成され、そこで政府に批判的な声があがることを警戒しているとみられています。
ファンたちの受け止めは?
今回、アイドルファンの若者を取材したところ、情報交換のためにファンどうしが集うSNSサイトを見せてくれました。
そこには、アイドルを応援するメッセージだけでなく、政府や中国社会を批判する発言も散見されました。
中には
「まるで文化大革命だ。国は一つの声しか許さない」
「中国社会はとっくに終わっている。だれも庶民の声を聞かない」
といったものまでありました。
中国政府の思惑は?
東京大学大学院の阿古智子教授は「共通の関心がある人たちがどこからともなく集まってくると、それがグループになっていく。組織化すれば集団としてさまざまな行動を起こす人たちが出てくる。もしかしたら中国共産党の政策に反対するような声が大きくなるかもしれない。政府がコントロールできない傾向があれば、事前に芽を摘んでおきたいのだろう」と、規制の背景を分析しています。
ゲーム業界の規制はどうして?
芸能界と同じ理由だと思われます。
オンラインゲームについても、多くの若者たちがインターネット上でつながるという点で共通しています。
中国政府はことし8月、未成年を対象に規制を導入すると発表。
企業がサービスを提供できる日を金曜から日曜までと法定休日のみに限定し、時間も夜8時から9時までの1時間としました。
理由については「若者のゲーム依存を防ぐため」などと説明していますが、ここにも、政府の統制のおよばないところで不特定多数の人が集まることへの警戒があるとみられています。
規制強化を受けて、どんな影響が出ているの?
早速、ゲームを競技として競い合う「eスポーツ」の分野に影響が出ています。
中国はオンラインゲームの一大市場で、eスポーツの育成にも国をあげて取り組んできただけに、業界からは困惑の声も出ています。
NHKが取材したプロのゲームプレーヤーを育成する上海の専門学校では、以前は未成年を含むおよそ100人の若者が、寮生活をしながら連日12時間以上の授業を受けていました。
しかし、規制の導入で授業が成立しなくなり、およそ8割の生徒が退学したため、廃校せざるをえない状況だといいます。
ゲーム制作会社にも影響
ゲームの対象年齢や時間だけでなく、コンテンツにも影響が及び始めているようです。
取材に応じた中国のゲーム制作会社の担当者は、宗教をモチーフにしたゲームの制作を進めていましたが、ある日突然、当局からとみられる通知を受け取りました。
そこには「宗教を暗示させるようなものにしてはならず、宗教色をゼロにしなければならない」と書いてあったということです。
なぜ、宗教をモチーフにすることが禁止となったのか理由は明示されていませんでしたが、この担当者は急きょ、ゲームのストーリーやキャラクターの変更に追われているということです。
担当者は「表現の自由が厳しく管理されると、ゲーム本来の楽しさがなくなってしまう。こんなところまで政府が介入するのはおかしい」と困惑していました。
ゲーム産業が盛んな日本への影響は?
阿古教授は「中国当局は海外から入ってくる思想をすごく警戒するので、そうした中で日本に対する見方も厳しくなる可能性がある」として、今後はゲーム産業のみならず、文化交流全体にも影響が出かねないと指摘しています。 』
人生でのスキルアップはもういい
http://blog.livedoor.jp/nappi11/archives/5295916.html
※ nappi10さん、「悟りの境地」に入られたようだ…。




『多少は器用な方の人間だろうが、20代になっても目指したいものが見つからなかった。
そんな自分には、当時の日本の教育の在り方も社会も受け入れ難かった。何とか留学のチャンスをつかみ、自力で好きな学校に転校、在籍を繰り返し、その合間に一人旅を楽しみ、生きてく為に懸命に働いたし、必要から語学も学び、恋愛も、結婚も離婚も再婚も経験した。
何とか一人前の人間になろうと、初めて自発的にスキルアップに励んだ時期だった。
それでも目標は見つからず、帰国して、やみくもに働いた。結果的に、無駄だと思っていた、それまでに学んだり、経験していたことの断片が繋がり、自分の適性と、それを利用できる仕事が見えてきて、30代にやっと目標が定まり、以後、会社勤務、経営へと邁進した。
その時期は、次から次へと新たなイノベーションが出現し、コンピューターだ、携帯、SNSだ、GPSだと、それらを使いこなすためのスキルアップに必死だった。
人生でしてみたかった事をほぼやりつくし、60代には余生を迎える準備に入り、今に至っている。
もう、あくせくと、生きて行くために新たなスキルアップで時間をつぶしたくはない。
何かわくわくするものにだけに日々の時間を割き、晴耕雨読の毎日でいたい。
家の周りで、昆虫やカエルを観察したり、毎日来るキツネや、冬になると来てくれるキジへの餌の用意もそれで、最近揃えた3台のカメラで、彼らや季節の変化を記録するのも楽しく、楽しいから酷暑も酷寒も苦にならないし、負けない為に鍛練もしている。
しかし社会は、新世代のコンピューターや、カード決済を押し付け、情報や手続きにスマホが無いと困るような、さらなるスキルアップを求めてくる。
もういい加減放って置いてもらいたい。
今は懸命に、シンプルで質素な生き方が出来るように、それらと、なるべく距離を置く努力をしている。つまり、ゆっくりと逆行してアナログで生きて行きたいのだ。
倉庫に機械はあるが、時間はかかっても汗を流しながら草刈りはカマで行い、除雪はスコップだ。
これまでの人生、十分に忙しく楽しかったから、残りはマイペースで、スマホ等気にせず、空を見ながら過ごして行こうと思う。
動物たちの様に、、。
禅的生き方と言う人もいるが、筆者にその素養は無い。強いて言えば、今は亡き、九州佐賀出身で実業家で武道家でもあった祖父の影響だろう。
(写真:水はけが悪く、木々が立ち枯れしていた藪に排水溝を増設すると木々は蘇った。一本には、毎年ツタが絡まり、きれいな朱赤を見せてくれる。一番上は中庭、雪が積もる頃、キジが三角形のオンコの木の中に泊りに来る 撮影:2021/11/5)』
[FT]イラクのキングメーカー、ムクタダ・サドル師の素顔
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB185XE0Y1A011C2000000/
※ 「イスラム世界」については、全くの門外漢だ…。
※ しかし、分析の「軸」としては、「政教一致」というものがあるような気がする…。
※ オレらは、あまりに「政教分離」の思考パターンに慣れている…。
※ しかし、イスラム世界、それも「シーア派」においては、厳然として、「政教一致」の思考軸があるようだ…。
※ イラン―イラク―アフガンのタリバン…、みんな「政教一致」の分析軸で括れるような気がする…。
※ そうでなければ、そもそも、「シーア派の最高位法学者の一族の御曹司」なんてものが、成立するはずも無い…。


『10月10日、ムクタダ・サドル師は黒いマスクをつけ、古びた銀色の三菱車に乗り込んだ。武装組織を率い、イスラム教シーア派の法学者でもあるサドル師は、イラクの議会選で投票に向かうところだった。それから丸2日もたたないうちに、イラク議会(国会)の最大勢力を指揮することが決まった。
イラクの新政権はサドル師の政党連合を軸に構成される可能性が高い(11日、イラク中部のシーア派聖地ナジャフでの勝利宣言)=ロイター
今回の議会選は、イラクの政治指導者のなかで最も選挙に強いサドル師の力を見せつける結果となった。サドル師の政党連合は獲得議席を、2018年の前回議会選の54議席から73議席(定数329)に伸ばした。11日の勝利宣言では、宗教とナショナリズムを、同師の支持者が望む政治体制の一新を絡めて論じてみせた。
「今後、イラクの政府と政党は資金や資源をコントロールしない。いずれも国民のものだからだ」。03年の米軍主導の「有志連合」軍によるフセイン政権打倒後、政治家の多くは石油輸出国機構(OPEC)で2番目の産油国である同国の資源が生む富を収奪したと見なされている。こうした国民の幻滅を意識し、サドル師は上記のように語った。イラク国民が同師からこうした約束を聞いたのは、これが初めてではない。
武闘派で、虐げられた人たちの擁護者を自称するサドル師は変わり身が早い。キングメーカーであり、イラクの多数派であるシーア派の名門法学者一族の御曹司だが、これまでに何度も自分のイメージを変えてきた。47歳となり、ひげが白くなったサドル師の姿はいまや、04年に英米が軸の占領軍への反乱を率い、その後は宗派間の血みどろの争いの前線に加わった当時の若者の面影を残していない。
父はシーア派の最高位法学者、配下に民兵組織
サドル師はなお、政府の支援を受けた武装勢力だと同師の支持者が主張する民兵組織「サラヤ・サラム(平和旅団)」を率いている。だが、先日「占領やテロ、あるいは人を誘拐し、恐怖に陥れ、国家の役割を損なう武装組織を排除して市民が平和に暮らす時が訪れた」と、厳かに宣言した。
サドル師が率いる国民運動「サドル潮流」の主要人物ディアア・アサディ氏は20代のころ、サドル師の父に仕えていた時、初めて同師に会った。(シーア派法学者で最高位の)グランドアヤトラとしてイラクで最も尊敬されたシーア派法学者の一人だとされたムハンマド・サーディク・サドル師がサドル師の父だ。ムハンマド・サーディク・サドル師はシーア派の教えと社会正義を混合した宗教復興運動を起こし、シーア派を抑圧していたサダム・フセイン大統領(当時)を公然と批判した。フセイン氏は広範なネットワークでつながるムハンマド・サーディク・サドル師の信奉者らを警戒し、1999年には同師の殺害を命じた。ムハンマド・サーディク・サドル師は、サドル師とは別の息子2人とともに三菱車で移動中に暗殺された。その車は、サドル師が10日、投票所に向かった際に利用した三菱車と同じモデルだった。
アサディ氏はサドル師を「非常にまじめだ」と評した。サドル師は性格がやや軽く、かつてはサドル潮流の活動をサッカーの試合になぞらえたこともあるが、人前にはあまり出ず、質素な暮らしを送ってきた。
サドル師はシーア派法学者として父親にかなわないが、2003年の米国主導の有志連合軍によるイラク侵攻後にサドル潮流を引き継いだ。その前のフセイン政権下で、ほかのシーア派の野党政治家と異なり、イラクにとどまった。サドル潮流の軸は首都バグダッドにあるシーア派のスラム街だ。ここはかつて「サダムシティー」と呼ばれていたが、フセイン政権崩壊後は「サドルシティー」に改められた。
米軍主導でイラクが占領されていた時代、サドル師と何回か会ったことのある研究者の一人は、シーア派の労働者階級の人気が高い同師を「予測不能で反抗的、さらに気分屋で自制心を欠く」と説明した。それでも「主に父親ののこした名声のおかげでアラブ世界の指導者がほぼ誰も成し遂げられなかったようなカルト的な支持層」を形成できたと指摘する。
米軍と衝突、すべての外国の介入排除を主張
有志連合軍がフセイン政権の転覆を果たし、サドル師は当初、これを支持したが、すぐに米軍主体の占領軍と衝突した。占領軍は、親米欧のシーア派法学者が03年に殺害された件に関与した疑いでサドル師の「殺害もしくは捕獲」を命じた。04年になると、サドル師は反撃を始めた。反米蜂起は血みどろの内戦状態につながった。戦闘はスンニ派とシーア派のそれぞれの過激派組織、イラク国軍、外国の駐留軍の間で繰り広げられた。サドル師に関する著書があるパトリック・コックバーン氏によると、同師の武装組織「マハディ軍」はイランの支援を得て「スンニ派に対するシーア派の軍事攻撃の最前線」にいた。
イラク中部のシーア派聖地ナジャフで、サドル師の政党連合の勝利を喜ぶ支持者ら(11日)=ロイター
米国の支援を受けたイラク政府が大規模な攻撃を仕掛けると、サドル師はマハディ軍を解散した。その後、サドル師とイラン政府との関係は曖昧になり、すべての外国の介入に反対するナショナリストの立場を取りながら、何度もイランにあるシーア派聖地コムに身を隠し、イスラム法を学んだ。
政治活動を開始した際、サドル師は自らが虐げられた人々の擁護者に映るよう演出した。イラクの市民が国を食い物にする政治家に幻滅するようになると、街頭に配下の戦闘員を送り、反汚職を訴える抗議デモを主導した。16年にはサドル師の支持者たちが「グリーンゾーン」(各国大使館やイラク議会があるバグダッド中心部の1マイル四方を壁で囲った米軍管理区域)に侵入し、議員たちに暴力を振るった。サドル師の影響力はだんだんと強まり、注目されるようになった。17年には、同様に若きポピュリスト(大衆迎合主義者)であるサウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン皇太子がサドル師をサウジに招いた。
サドル師にはアウトサイダーのイメージがあるが、同師の支持者はイラク政府の一翼を担うようになった。18年の前回議会選でサドル師の政党連合は第1党となり、いくつかの省庁を掌握した。ポストと恩恵を支持者に分配できるようになった。19年に反エスタブリッシュメント(支配層)を掲げる市民らの広範なデモが起きると、サドル師は当初、これを支持した。だが、その後、態度を変えたため、デモに参加した若年層はサドル潮流に対し不信感を抱くようになった。
サドル師が呼びかける相手はいま、筋金入りの支持層に限られる。アナリストのハリス・ハサン氏によると、サドル師の集票マシンは「新しい選挙制度を巧みに利用し、その投票パワーをフルに発揮した」。議会の第1党を維持したが、(単独で過半数には達しなかったため)サドル師は新内閣の発足に向け、ほかの勢力と交渉しなければならない。相手の勢力の一部は武装しており、選挙結果を認めないケースもある。(サドル師の支持者以外の)多くのイラク国民はサドル派も腐敗していると訴えている。「腐敗した人はみな責任を問われる」というサドル師の姿勢が試される。
By Chloe Cornish
(2021年10月16日付 英フィナンシャル・タイムズ電子版 https://www.ft.com/)
(c) The Financial Times Limited 2021. All Rights Reserved. The Nikkei Inc. is solely responsible for providing this translated content and The Financial Times Limited does not accept any liability for the accuracy or quality of the translation.
英フィナンシャル・タイムズ(FT)と日経新聞の記者が、アジアのテクノロジー業界の「いま」を読み解くニュースレター「#techAsia」の日本語版をお届けします。配信は原則、毎週金曜。登録はこちら。
https://regist.nikkei.com/ds/setup/briefing.do?me=B009&n_cid=BREFT053 』
【お寺の掲示板の深い言葉 1】「おまえも死ぬぞ」
そんな言葉をお釈迦さまは本当に口にしたの!?
https://diamond.jp/articles/-/180435


『スティーブ・ジョブズはこう語った
ツイッターでこの写真を目にした方も多いかもしれません。投稿した方は「ここまで衝撃を受けたのは初めて」とコメントしています。いいね!とリツイート併せてすでに15万件。書き込みには共感の声が多いようです。
自分もいつかは死すべき存在である、ということを日頃私たちは忘れてしまいがちな世の中です。「釈尊」つまりお釈迦さまは、本当にこう口にされたのでしょうか。
釈尊の教えを伝えるとされる原始仏典『サンユッタニカーヤ』の中では、「生まれたものが死なないということはあり得ない」(中村元訳『ブッダ悪魔との対話』より)と記されています。この文言を書かれた住職はそれを直接的な物言いにしたのだと思われます。
アップル社の共同設立者の一人、スティーブ・ジョブズさんが、亡くなる2011年の6年前にスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチは有名です。若いときから、座禅を行い、仏教に関心を抱いていたジョブズさんは、このときすでに癌に侵されていました。卒業式の壇上で、17歳のとき目にした本の言葉を紹介しています。
「毎日、これが人生最後の日と思って生きてみなさい。そうすればいつかそれが正しいとわかる日がくるだろう」
【お寺の掲示板の深い言葉 1】「おまえも死ぬぞ」超覚寺(広島) 投稿者:@chokakuji [9月16日]
樹木希林の死生観
5年半前、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞受賞のスピーチで、癌が全身転移したことを公表した女優の樹木希林さん。今年9月15日に亡くなるまでの間、『そして父になる』『神宮希林 わたしの神様』『うまれる ずっと、いっしょ。』『あん』『海街diary』『海よりもまだ深く』『モリのいる場所』『万引き家族』、そして10月中旬公開予定の『日日是好日』など、実に数多くの作品に出演されました。
ちなみに、「日日是好日(にちにちこれこうじつ)」は禅語の1つで、どんな日であっても、とらわれを離れてありのままに生きれば、毎日は新鮮で最高にいい日だという意味です。希林さんは、全身に痛みが走ることもあったでしょうが、自然体のまま最後まで仕事を全うされました。彼女が雑誌「AERA」で語った死生観にはとても仏教的な考え方が詰まっていると思います。
――「死をどう思いますか」なんて聞かれたって、死んだことないからわからないのよ。
――死はいつか来るものではなくいつでも来るものなの。
私たちは、自分が死ぬことを自覚したとき、初めて自分の本当にやりたいことが見えてくるのかもしれません。いつ死ぬかは分からない。だからこそ、毎日を大切に生きましょう。
(解説/浄土真宗本願寺派僧侶 江田智昭)』
【お寺の掲示板91】自分の敵はどこにいる?
“宇宙兄弟”の兄が気付いた真実
https://diamond.jp/articles/-/284266?utm_source=daily_dol&utm_medium=email&utm_campaign=20211018

『戦争が始まる前、国民を鼓舞するため、憎むべき「敵」の姿が浮かび上がってくるものです。その「敵」は、本当はどこにいるのでしょうか。今回は、心の中の「邪魔」なもの、煩悩について考えてみます。(解説/僧侶 江田智昭)
自分の足を引っ張り続けていたのは
これは、小山宙哉氏が青年漫画誌に連載している『宇宙兄弟』(講談社)第11巻に出てくる主人公“宇宙兄弟”の兄である南波六太[なんば・むった]の言葉です。作品の中では「俺の敵はだいたい俺です。自分の“宇宙へ行きたい”って夢をさんざん邪魔して、足を引っ張り続けたのは結局俺でした」と言葉が続きます。
セリフの中に「邪魔」という言葉が出て来ます。この言葉は、お釈迦さまが悟りを開くことを妨害するために現れた悪魔マーラに由来していると言われています。心の中の煩悩の化身であるマーラは、美しい女性3人を送り込んで誘惑するなど、さまざまな妨害行為を繰り広げますが、お釈迦さまは全く動じません。そして、35歳の時に悟りを開かれました。結局のところ、悟りを開く上での最大の敵(邪魔)は、他者ではなく、自分自身の心の中にあったのです。
私たちは外部に「邪魔」なものや「敵」を勝手に作り出し、それらに対してイライラしたり、憎しみを抱いたりします。しかし、「邪魔」なものは決して自分の外にあるものではありません。それはあくまで自分の心の中に存在しています。勝手に外部の存在に「邪魔」というレッテルを貼ってしまう自分自身の心の在り方が問題なのです。
仏教の教えに真剣に触れることは、自分自身の心の中の「邪魔(煩悩)」を深くのぞくこととつながっています。だから、それは、決して楽しい作業ではありません。仏教の教えは心地良いものばかりではなく、己の心を突き刺してくるようなものも中にはたくさん含まれています。仏法に触れて、自分自身の心の闇の深さが分かれば分かるほど、「自分の敵が自分である」という事実に気付くことができるのです。
宗教学者で僧侶の釈徹宗師が、「仏法は邪魔になるまで聞け」という言葉を紹介していました。これはつまり、仏教によって自分自身の煩悩の大きさが知らされ、その結果、「仏教の教えは自分にとって邪魔だ」と思えるほどに教えを聞きなさいということです。
なぜそこまでしなきゃいけないのだろう、と思う方もいるかもしれませんが、そのようなプロセスを経ることによって、宗教者にとって最も大切な「生かされている」という感覚が体の底から身に付くのだと思います。ですから、「生涯聞法[もんぽう]」(生涯仏教の教えを聞き続ける)という姿勢が、仏教(特に浄土真宗)では非常に重要とされているのです。
「輝け!お寺の掲示板大賞2021」では10月20日まで皆さんのご応募を受け付けています。
この連載をまとめた第2弾となる書籍『お寺の掲示板 諸法無我』が現在発売中です。是非お手に取ってみてください。』
