カテゴリー: 社会、関連
-
日本から「雑務」がなくならないのはなぜ? 震源地は“東京のど真ん中”
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2111/04/news048.html※ 今日は、こんなところで…。



『とにかくこの国は雑務が多い。「事務作業大国日本」と言っても過言ではないだろう。
何かにつけて書類を記入・提出させたり、紙やハンコ、製本などを求めたりするビジネス慣習や業務プロセス。それらのビジネス文書の作文が不適切なら差戻し(国語の授業ですか)。おまけに証書の切り貼りを求め(図工の授業ですか)、ご丁寧に「書留で送れ」などと指示してくるものだから、目も当てられない。
その依頼文書は行政機関や取引先から、ある日突然、郵送またはメールで送られてくる。添付ファイルはお約束のように「PPAP」(添付ファイルzip圧縮、パスワード別送)。もはや様式美である。
こうした雑務は全てコストだ。何の付加価値もキャッシュも生まない。ともすれば、相手(取引先や申請者など)にタダ働きを強いるだけの悪しき慣習である。国のGDPも生産性も下がる。
悪しき慣習、事務作業(提供:ゲッティイメージズ)
働き手のエンゲージメントを下げる雑務
最近、日本の組織の雑務の多さを指摘する記事を目にした。
日本人は「テレワークだと仕事がはかどらない」 7カ国調査で唯一
アドビが日本や米国など7カ国で行った働き方に関する調査を紹介する記事で、タイトルだけで日本の後進国っぷりが情けなく悲しくなるが、筆者が最も気になったのは最後のこのくだりである。「業務時間中に雑務にかける時間の割合を聞いたところ、日本が35.5%と7カ国中最多だった。来年転職したいかどうか尋ねたところ、日本では39%が転職を考えていた」
残念ながら、やはり日本の組織は雑務まみれの事務作業大国であると認めざるを得ないようだ。なおかつ、雑務は組織の生産性の足を引っ張るのはもちろん、専門性の高い人や成長意欲のある人のエンゲージメント(組織や仕事に対するロイヤリティーや帰属意識)を無駄に低くし、退職に誘う。
それにしても、なぜこの国はこんなにもひどい事務作業大国になってしまったのであろうか?』
『はびこる雑務、“震源地”は霞が関か
筆者は、350以上の企業・自治体などで「働き方改革」「DX」「組織変革」「ダイバーシティー推進」の支援をしてきた。これらを阻害する要因はなにか?
掘りまくって最終的に行き着く先は、必ず霞が関なのである。
政府や中央省庁の仕事の流儀や組織カルチャー、税制や法制度、「生真面目かつ思考停止している」官僚や担当者の気質。これらが、日本の働き方やビジネスモデルが変わらない、DXや破壊的イノベーションを阻害する元凶であるのは間違いない。
筆者は2020年、「深夜閉庁を求める国民の会」に共同発起人の一人として名を連ねた。ワーク・ライフバランス社の代表・小室淑恵氏の呼びかけで発足した会で、霞が関の旧態依然の働き方の改善を求めるものだ。
深夜にわたる議会運営や、そのためのアナログな資料作成などの補助業務が、官僚や関係者の過酷な労働を強制する。タクシー代など多大な税金の無駄使い、国全体のデジタル政策の遅れ、民間企業の雑務や残業の増大、国家を担う人材の流出・質の低下など──霞が関が「日本のブラック労働の震源地」であることを強く指摘し、政府に改善を要求する活動である。
これまで筆者は、本当に改革したい熱意ある方々の講演依頼を除き、霞が関にはなるべく関わらないようにしていた。変えるには相手が大きすぎ、かつ闇深すぎるし、なおかつ仕事として関わろうにも報酬が話にならないくらい低い。
その割に、超煩雑でアナログな事務手続き(タダ働き)が多すぎる。賽の河原の石積みのごとし。関われば関わるほど無駄にHPとMP(体力と精神力)を消耗する。それに耐える寛容さと余力がある人でなければ、とてもでないとやっていられない。
ある意味、ボランティア活動なのだ。だったら、民間企業相手に仕事をしていた方が健康的だ。
しかし、それではやはりこの国の働き方もデジタル後進国ぶりもいつまでたっても好転しない。よって、せめてこうして声を挙げる活動をしている次第である。
霞が関ゆえのお作法や旧態依然のルールは、関わる民間企業や個人の働き方改革の邪魔をする。いくつか例を挙げよう。』
『(1)IT企業に印刷や製本をさせる
例えばITシステムの開発業務。受託企業に、設計書・納品書・報告書などを製本して納品させる慣習が、IT企業や現場のエンジニアを無駄に苦しめている。その声の一部を紹介しよう。「私たちは印刷屋でも製本屋でもない。ITの仕事に専念したい」
「官公庁が指定する印刷および製本のために、SEが専従で7営業日60時間稼働する。本当にばかばかしい」
「紙の端からXミリ空いてること、など細かく指定がある。パンチはこのフロアのこの器具を使うこと、などのルールを聞いた時に、頭が真っ白になりそうだった」
「どうしてそんなに形や様式美にこだわるのか。頭が悪いとしか思えない」その背景には、会計検査院が監査の際に紙の納品物にこだわるなる話も聞く。DXや働き方改革の発想のかけらもまるでない。
ハードウェアからソフトウェアへ、ものづくりからサービス提供へ。世界的に、このビジネスモデル変革とパラダイムシフトが求められている。にもかかわらず、税務や監査の発想も、いまだに旧態依然の「ものづくり」主義、現物主義の呪縛から抜け切れていない。こうして、無駄な雑務が一向になくならない。
研究者やエンジニアが育たない日本。その一端は、処遇の低さのみならず、このような雑務をなくそうとしない(むしろ増やす)霞が関や大企業の姿勢やこだわりやわがままにもあると捉えている。
(2)議事録を受注者側にとらせて提出させる
この慣習も腑に落ちない。もちろん、受注者が「自分たちを守る」ために自己責任において議事録を取るのは合理的である。しかし、そもそも発注者が議事録を取らないのはいかがなものか? 発注者の管理責任を放棄しているとも受け取れる。こうして、システム開発業務を請け負ったIT企業のエンジニア、デザイン業務を請け負ったデザイナー、研修業務を請け負った人材育成企業の育成のプロなどが、議事録作成などの間接業務で時間と神経をすり減らす。
(3)注文請書の提出を求める
これまた悩ましい間接業務である。注文を受けた証跡として、注文請書の発行を義務付ける。しかも、紙とハンコなおかつ印紙まで求められることがあるから目も当てられない。紙を印刷して押印して、さらに印紙を貼って郵送する手間も発生させる。体力と事務リソースが豊富な大企業ならさておき、中小零細企業やフリーランスにとってはたまったものではない。メールなど電子的なやりとりで済ませればいいものを、平安時代の遺産のような雅な歴史的作業が無駄なコストと稼働を生む。
(4)補助金や助成金の申請
このコロナ禍においても、苦境に立たされた零細事業者や飲食店などを支援すべくさまざまな補助金や助成金が創設された。それ自体は素晴らしいことだが、申請承認のプロセスは大いに改善の余地がある。霞が関や行政特有の複雑怪奇な申請書類の数々に、多くの事業主は固まる。複雑怪奇で、記入方法が分からない。さらに、「あれも出せ」「これも出せ」とさまざまな書類や証跡を求められる。
「忙しくて、書類を書いたり証跡をかき集める暇がない」
「申請書類を作成するために、深夜労働や休日を返上しなければならない」
「申請するために役所に出頭しなければならない。平日日中時間帯に役所に行くヒマがあったら、1円でも本業の稼ぎを上げたい」霞が関で制度設計した官僚は、現場の人たちの悲痛な叫びを聞いたことがあるのだろうか? 提出書類を審査する行政職員にとってもたまったものではない。本来優秀なはずの公務員が、書類の抜け漏れチェックと差戻しで忙殺される。これこそリソースの無駄遣いである。』
『事務作業は「タダでやって当然」か?
どうもこの国の政治家や官僚は、事務作業や間接業務を「タダでやって当然」と思っている節があるような気がしてならない。体育会系の気合・根性論で乗り切れとでも言うつもりだろうか。あるいは、自分で事業を興して稼いだこともなければ、自分で事務作業をやったことがない、常に秘書や部下や家族に自分の知らないところで雑務を代行してもらえる身分だから、雑務の苦しさに気付かないのだろうか?
悪気なく、無駄な事務作業や雑務を増やす。あるいは改善せず放置する。それが日本の働き方をブラックにし、働き方改革やビジネスモデル変革の邪魔をしているのは間違いない。
また、これらの事務作業を事務方が設計するからタチが悪い。事務のプロが設計する事務作業は、悪気なく複雑怪奇である。玄人による玄人仕様の難解な事務手続き。分かりやすいはずがない。一方で、その作業をする申請者や実施者の多くは、一般ピープル(素人)や一見さんなのである。
「事務作業はタダでやって当たり前」
「事務作業くらいできて当然」このような、事務畑の人たちによる意味不明かつ一方的な常識が、事務が苦手な、あるいは「価値を出すところが、そこではない」プロフェッショナルの活躍を邪魔する。
研究者が、エンジニアが、クリエーターが、建築家が、芸術家が、料理人が、作家が──あらゆるプロが雑務や事務作業にカロリーを奪われて削られる。そんな社会が健全といえるだろうか? ダイバーシティー&インクルージョンって何でしたっけ?
中央省庁はいわば国のバックオフィスである。バックオフィスは最強のNo.2であるべきであり、No.1であろうとするから世の中がおかしなことになるのだ。プロが余計なことを考えず、プロの仕事にフルコミットするための環境を整える。制約条件を取り除く。それこそが、バックオフィスの役割であり価値であろう。
官僚や行政職員は、そのためのファシリテーターとして正しく活躍してほしい。その一歩が、雑務削減、事務作業など間接業務のスリム化である。なんちゃらナンバー制度や、なんちゃらボイス制度のような、特定の省庁の自己満足かつ、表向きのイメージを取り繕うために横文字を並べ無駄にイラっとさせる制度を乱発している場合ではない。
無駄なタダ働き、無駄な事務手続き、無駄な間接業務を国民や民間企業に強いる、筋悪な制度を増やすのはやめてもらえますか? 時代の空気を読んでくれともいいたくなるのである。
デジタル庁が発足した。しかし、私はデジタル庁以前に、「脱アナログ庁」や「事務作業撲滅庁」のほうがむしろ必要ではないかと思う。
事務作業大国日本。このままでは、アナログな事務作業や雑務で日本が沈む。』
仕事ごっこ ~その“あたりまえ”、いまどき必要ですか?
https://www.amazon.co.jp/dp/B07TNP45T3?tag=itmedia-business-22&linkCode=ogi&th=1&psc=1

-
中山元文科相、政界引退を表明
旧希望の党は「絶望の党」に
https://nordot.app/822800277204172800?c=39546741839462401『政治団体「希望の党」は解散したと説明。衆院議員を通算8期務めた政治生活を振り返り「選挙や後援会活動にエネルギーを費やさざるを得なかった。政策、政治をやりたかった」と述べた。』
※ ここが、「地盤・看板・カバン」を有する「世襲議員」との最大の違いだ…。
※ 彼らは、盤石の「当選基盤」を有し、粛々と当選回数を重ねることができる…。
※ そして、時間も経済的にも「余裕」があるから、「勉強時間」「学習時間」を持つこともできる…。
※ 「政策通」にもなるわけだよ…。
※ そして、議員の世界では「当選回数至上主義」だから、着々と「政務官」「副大臣」「大臣」のステップを、上って行く…。または、「党の重要ポスト」を経験して行く…。
※ 世の中、そーゆうことになっている…。
『中山成彬元文部科学相(78)は18日、宮崎市で記者会見し、19日公示の衆院選に立候補せず、政界を引退すると正式表明した。所属する希望の党が政党要件を失ったのを受け、発言機会が減ったことを理由に挙げた。小池百合子東京都知事らが設立した旧希望の党に関しては「自民党にものを申せる勢力をつくりたかったが、失速して『絶望の党』になってしまった」と残念がった。
政治団体「希望の党」は解散したと説明。衆院議員を通算8期務めた政治生活を振り返り「選挙や後援会活動にエネルギーを費やさざるを得なかった。政策、政治をやりたかった」と述べた。』
中山成彬の家族は?父親・母親や兄弟について
https://akasannbiz.com/2021/10/07/nakayamanariaki/『中山成彬さんの実家は、田畑合わせて一町三反の農家で、米・さつまいも・菜種・養蛮などを経営していました。
両親は朝早くから夕方まで働き詰めだったそうです。
中山成彬さんは、4人の弟妹の長男になります。
こちらは、母親の画像になります。
引用:http://nakayamanariaki.com/contents/wp-content/uploads/2014/11/shounen.pdf
非常に綺麗な方ですね。中学3年時に校長先生から「この子をラサール高から東大に行かせて同郷の森永貞一郎さんの様に大蔵省を目指せ」と父親が強く勧められて、中山成彬さんはラサール高校に進学されます。
父親は高校2年生の時に、破傷病に似たウイルス氏病という風土病に掛かり、1週間で43歳で亡くなりました。
「期末テストの筈だから知らせるな」と父親が言われてたので、父親の死に目には遭えなかったそうです。
その時、母親は38歳だったそうです。
そして、一番下の兄弟は7歳と幼く、長男として帰って農家を継ぐ事を決めますが、担任の「授業料、寮費を免除し、奨学金も支給する」と言う言葉や「親父があんなに将来を楽しみにしていたのだから、家のことはみんなで加勢するから」と言う親戚中の励ましもあり、学業を続けられたそうです。』
-
付加価値生む人材乏しく 博士号取得、欧米の半分以下
データが問う衆院選の争点
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC118D70R11C21A0000000/


『人口減少の制約を超えて成長を続けるにはイノベーションにつながる発想が欠かせない。日本は高い付加価値を生み出せる人材の育成で世界に後れを取る。博士号の取得者は欧米の半分以下の水準にとどまる。未来への投資を怠れば停滞は避けられない。国の成長の礎となる教育・研究の針路を探り直す必要がある。
「日本の教育をどう改善するか、考えてほしい」。2021年のノーベル物理学賞を受賞する米プリンストン大学の真鍋淑郎上席研究員。授与決定後の5日の記者会見で表情を引き締める場面があった。日本の研究環境について問われ、好奇心に基づく研究が減っているとも指摘した。
自然科学の世界で日本の地盤沈下は顕著だ。研究者の間で引用される回数が上位1%の「トップ論文」のシェアはわずか2%(17~19年平均)。国別の順位は20年前の4位から9位に下がった。
産業界でもイノベーションを担える先端人材が乏しい。付加価値をもたらす働き手が増えなければ生産性や賃金を押し上げる力は高まらず、成長の道筋はかすむ。
経済産業省によると、IT(情報技術)でも特に付加価値の高い人工知能(AI)などを専門とする人材は30年に27万人以上不足する見通しだ。科学や数学など「STEM」と総称される分野の教育を受けた人がそもそも少ない問題もある。
米国は大学院で最先端のテクノロジーを学んだ若者の力をビジネスにいかす太い流れができている。米スタンフォード大学の報告書によると、19年に北米でAI研究の博士号を取得した人の66%は産業界に進んだ。割合は10年時点の44%から急上昇した。
世界ではデジタル時代の次の扉を開く「量子革命」の競争が激化している。原理的にスーパーコンピューターをはるかにしのぐ計算能力を持つ量子コンピューターや、安全性の極めて高い量子暗号通信などが主戦場だ。米国では関連の新興企業の上場や資金調達のニュースが相次ぐ。
横浜国立大学の堀切智之准教授は量子暗号通信のスタートアップ、LQUOM(ルクオム、横浜市)を20年に立ち上げ、テクニカルアドバイザーの立場に就いた。「人材を育てるところから始める必要がある」と危機感を隠さない。
国内では大学院の博士号の取得者が06年度をピークに減っている。直近の18年度は人口100万人当たり120人(人文・社会科学系を含む)と米英独の半分以下。優れた頭脳の育成を競う世界の潮流に逆行してきた。
若手研究者の多くは不安定な任期付きポストに就く。限られた期間で成果を求められ、大胆な研究に挑戦する気風は失われた。閉塞感が強まり、野心的な研究を志す若者が減る。悪循環がとまらない。
経済的な後押しも乏しい。内閣府が20年にまとめた調査結果によると、米国では博士課程の学生の9割が大学や国からの支援を受けていた。日本は4割弱にとどまる。年間の平均受給額も米国の270万円強に対し、日本は約78万円だった。
日本の教育に対する財政支出は国内総生産(GDP)比で3.0%にとどまる。経済協力開発機構(OECD)加盟国平均の4.4%を下回り、比較可能な38カ国で最も低い。初等・中等教育向け、高等教育向けのいずれも大きく見劣りする。
13年に安倍晋三政権で始まった教育再生実行会議は9月に廃止が決まった。入試改革が頓挫するなど、教育・研究の環境整備は迷走も目立つのが実情だ。
岸田文雄首相は8日の所信表明演説で「成長戦略の第一の柱は科学技術立国の実現」と訴えた。立憲民主党も政策集に「研究開発のあり方を質量ともに変革」と盛り込んだ。しかし具体論も含む政策論争には発展していない。国の基盤となる人材育成の骨太な戦略は見えないままだ。
(AI量子エディター 生川暁、マクロ経済エディター 松尾洋平)
【関連記事】
・DX担い手、米の1割 AIに必須「STEM」人材へ投資急務 ・衆院選「地盤・看板・カバン」の壁 世襲候補は8割当選 ・「衆院選は体制選択」自民、野党共闘批判 立民は政権交代訴え
衆院選2021 https://www.nikkei.com/special/shuin2021?n_cid=DSREA_shuinsen202109』
-
「思考停止語」を活性化させる、シンプルな方法とは?
https://diamond.jp/articles/-/284937※ 世の中には、「思考停止語」というものもあるらしい…。
※ ・『反論のしようのない言葉』
・「お客さま第一」「一歩踏み込む」とか…。・『形容詞だけで話をすること』
・「高い」「安い」「良い」「悪い」とか…。
・「もう少し価格が安ければ売れるはずだ」と答えた時。その「もう少し」の使い方・『上司が成績不振の部下にかける「頑張れ」という励ましの言葉』とか…。
※ まあ、「御説ごもっとも。」な話しではある…。
※ 「論理性」に欠ける「語」ではあるが、人間関係を回して行く「潤滑油」の働きは、するんだろうよ…。
※ 人は、「論理」にて生きるのみにあらずだ…。
※ たっぷり、感情や「情緒的な側面」をも有する「生きもの」だ…。
※ そういう「両面」を、わきまえて、場面に応じて使い分けしていかんとな…。
-
真鍋淑郎、「世界で最もぜいたくにコンピュータを使った男」の知られざる研究半生
真鍋淑郎 2021年ノーベル物理学賞受賞者インタビュー【中】
https://diamond.jp/articles/-/284204※ はぁ…。この人、フォン・ノイマンの「孫弟子」だったんだな…。
※ フォン・ノイマン―ジョセフ・スマゴリンスキー―真鍋淑郎…、という「系譜」か…。
※ 『「コンピュータの父」ともいわれるフォン・ノイマンが、コンピュータを応用する最適な分野として気象予測を選び、プリンストン高等研究所に世界中から優秀な若手研究者を呼び集めていた。』…。
※ ある意味、フォン・ノイマンの「慧眼」が取らせた「ノーベル賞」という側面もあるな…。
※ 『大ざっぱな計算だが、40年間の滞米生活で気象研究のために使った研究費はざっと150億円。このうち約半分をスーパーコンピュータの使用料が占め、年間当り平均で2億円近くをコンピュータ代に使ってきた勘定になる。これだけ膨大な資金を、日本からやってきた一人の気象学者に注ぎ込むアメリカの研究体制――真鍋はつくづく、この国の持つ多様性というか、懐の深さを痛感せずにはいられない。』…。
※ 『給料も天国だった。日本の中央気象台の大卒初任給が8200円だったのに対し、米国気象局の給与は月額600ドル。当時の為替レート(1ドル=360円)で換算すると21万6000円に相当し、日本に比べてなんと26倍の高給を食んでいたことになる。』…。
※ 「ノーベル賞(人類の進歩と幸福に貢献したと評価できる研究に与えられる)」なんてものは、そういう中から、生まれるんだな…。
※ もちろん、「気候モデル」における「大気の3次元柱モデル」の計算処理と、スパコン(それも、ベクター型)の潤沢な使用が、ピッタリとマッチした(スパコンの潤沢な使用≒ノーベル賞級の研究成果の叩き出し…、というものでは無い)という側面があるのだろうが…。
※ 一方、「日本型研究システム」とは、『 97年9月末に赴任して以来、地球フロンティア研究システムでの研究は4年になろうとしているが、自由闊達な雰囲気とはほど遠い何かを感じざるをえない日々を過ごした。それはスマゴリンスキーのような名伯楽がいるいないという単純な理由ではなく、日本の社会システム全体にどっかりと根を下ろす『見えざる壁』ともいえる存在によるものだった。
真鍋自身の経験に照らして、理由はいくつか挙げられる。まず、国の科学研究費配分の問題がある。日本では官僚が予算を取って、能力や業績に関係なく悪平等で研究費を配分する。大御所といわれる先生のもとには多くのカネがつき、気に入られた子分だけにカネが流れる仕組みだ。
そこには、米国流のピア・レビューが働かない。日本では相手を批判すると面子をつぶすのではないかと恐れ、研究で最も重要な建設的批判が起こらない。お互いに批判を水際で止めて曖昧にしてしまうため、そこそこの研究成果で満足し、大きなブレークスルーにつながる芽を摘んでしまっている。』…、というようなシロモノらしい…。
※ まあ、「ノーベル賞級」の「頭脳」を招聘したとしても、「システム」がこれじゃあ、「ノーベル賞級の研究成果」は、生まれないだろう…。

『戦後の就職難で渡米、最高の上司と研究環境との出会いで
1~2年の滞在予定が40年に延びた「世界で最もぜいたくにコンピュータを使った男」――地球フロンティア研究システムの真鍋淑郎・地球温暖化予測研究領域長の研究者人生を振り返るとき、これほど的を射た表現はほかに見当たらない。
大ざっぱな計算だが、40年間の滞米生活で気象研究のために使った研究費はざっと150億円。このうち約半分をスーパーコンピュータの使用料が占め、年間当り平均で2億円近くをコンピュータ代に使ってきた勘定になる。これだけ膨大な資金を、日本からやってきた一人の気象学者に注ぎ込むアメリカの研究体制――真鍋はつくづく、この国の持つ多様性というか、懐の深さを痛感せずにはいられない。
愛媛県新宮村に生まれた真鍋は代々医者の家系に育った。祖父も父も兄も医者という家庭環境のなかで、当然自分も医者になるものと小さいころから思い込んでいた。旧制三島中学(現県立三島高校)4年修了時に大阪市立医大に合格し、入学手続きをとって医者になるための勉強をスタートした。
ところが、どうもこの世界が自分の性分に合わないことに気づき始めた。まず日本の医学教育が暗記中心の学問であることに幻滅を感じた。それに医者は緊急事態に対して冷静で的確な判断を求められるが、そういう状況になればなるほど平静でいられなくなる自分を意識した。
本人の言葉を借りれば、「記憶力は悪いし手先は不器用だし、いざとなると頭にカッと血が上って何をしていいかわからなくなる性分」が、入学早々から心の内で医者への道を断念させていた。ほとんど「腰掛け状態」だった医大生活の1年後、たまたま大学が旧制から新制に切り替わる時期に当たり、この機会をとらえて自分に合った学問の分野に進路変更しようと決心した。
「とにかく自分の性格から考えて、時間を十分にかけ、じっくり問題に取り組める研究者の道が一番合っていると思った。データに基づいて自然現象の謎を解くことには子どものころから興味があり、これらの条件を満たせるのは物理学の世界ではないかと考えた」
新制に替わった東京大学の試験に受かり、1949年春、第一期生として入学した。その際の喜びとは裏腹に、真鍋が有能な医者になることだけを楽しみにしていた父親のがっかりした顔が、脳裏に残っていまだに忘れることができないという。
専門課程に進む際、真鍋には理論物理学に進むか、地球物理学に進むか二つの選択肢があった。東大に入学した年、湯川秀樹博士が日本人初のノーベル物理学賞に輝き、理論物理学が脚光を浴びている時期でもあった。しかし、「数学のできる優秀な人でないと理論物理学は無理」とあきらめて、地球物理学を最終的な専攻科目に選んだ。』
『大学院時代に米国気象局からスカウト
日本に職が無く「1~2年の予定」で渡米
学部から大学院に進み、天気予報の精度を高める研究に没頭しながら博士号取得に向けたいくつかの論文をまとめた。そうした博士課程修了直前の58年初め、米国海洋大気庁(NOAA)の前身である米国気象局のジョセフ・スマゴリンスキー博士から招待状が届いた。真鍋が55年に発表した論文が彼の目にとまり、「アメリカでいっしょに仕事をする気はないか」という渡米を勧める誘いの手紙だった。
当時の日本は、まだ敗戦の爪痕も生々しい戦後の混乱期で、大学を出てもほとんど職がないのが実情だった。まして専門が気象予測となると就職先も限られ、中央気象台(気象庁の前身)に入るか、大学に残って学者の道を歩むか、選択肢がきわめて限られていた。
ところが、最も大きな受皿になるはずの中央気象台は、陸軍や海軍の気象部に在籍していた『残党』を抱え込み、ほかに行き場のない職員であふれ返っていた。仮に真鍋がそこに入っても、「10年後、20年後もペーペーのまま」の可能性が高く、とても就職しようという気持ちが起きなかった。
真鍋淑郎、「世界で最もぜいたくにコンピュータを使った男」の知られざる研究半生2001年9月29日号誌面
一方、この時期のアメリカは「スプートニク・ショック」の真っただなかにあった。旧ソ連に人工衛星の打上げで先を越され、国を挙げて追いつき、追い越せと、科学技術予算が湯水のように付いた時代だった。61年にはケネディ大統領が「アメリカは今後10年以内に人類を月に送る」と宣言し、自然科学の分野は研究予算も研究レベルも黄金時代を迎えようとしていた。
加えて、コンピュータも日進月歩の発展を遂げるスタートラインにあった。「コンピュータの父」ともいわれるフォン・ノイマンが、コンピュータを応用する最適な分野として気象予測を選び、プリンストン高等研究所に世界中から優秀な若手研究者を呼び集めていた。「今思うと研究者には夢のような時代」に、一大学院生だった真鍋にも正式にお呼びがかかったのである。
招待状を送ってくれたスマゴリンスキーはノイマンの最も若い弟子に当たり、そのころすでに米国気象局で、数値データに基づいた長期予報の研究に携わっていた。日本で職がないことを考えると、この誘いは真鍋に魅力的なものと映り、とりあえず「1~2年のつもり」で招きに応じる決意をした。』
『背水の陣で渡ったアメリカに
理想の研究環境があった
いざ現地に赴いてみると、そこは『天国』のようであった。日本だけでなく、ヨーロッパやインドなどからやってきた若い研究者にものびのびと研究させ、競争心を刺激し合う自由闊達な研究風土にあふれていたからだ。
給料も天国だった。日本の中央気象台の大卒初任給が8200円だったのに対し、米国気象局の給与は月額600ドル。当時の為替レート(1ドル=360円)で換算すると21万6000円に相当し、日本に比べてなんと26倍の高給を食んでいたことになる。
渡米した当時の心境を、真鍋は今こう振り返る。
「あの招待状は、今からみればたいへんすばらしいチャンスのように思えるが、本人の気持ちはそんな浮ついたものではなかった。むしろ日本に職がなく、背水の陣でアメリカに渡ったというのが正直なところだった。でも実際に行ってみると、外国から来た青二才の若者に好きなように研究させてくれた。多額の研究費も出て、研究一筋の毎日を送ることができた。20代後半にあの環境で研究できたことが今の自分につながっていると思う」
コンピュータの発達と歩調を合わせるように、真鍋の気象研究は未開拓の分野を切り開いていった。気象局、そして地球流体力学研究所(GFDL)で、常に世界最高速のスーパーコンピュータを使い続け、それまでどちらかというと考古学的な学問だった気候変動の研究を、理論に基づいて数値モデル化する「大気科学」の土俵に乗せていく『先兵』の役割を果たした。
そうした地道な研究の成果が、やがて67年の温暖化予測の先駆けとなる記念碑的な論文に結びつき、さらに69年の大気・海洋結合モデルへと発展していった。初め1~2年つもりで始めた米国生活は、研究三昧の日々が続くうちに10年、20年……と積み重なり、いつしか40年の長きに及んだわけである。
もちろん、それは真鍋が「生涯の恩人」と仰ぐスマゴリンスキーの陰の支えがあったからこそ可能だったともいえる。GFDL初代所長で真鍋より7歳年上のこの気象学者は、今もプリンストン近郊で悠々自適の毎日を送っているが、この恩人を語る時の真鍋の表情はいつにも増して輝いて見える。
「こんな上司に仕えたら最高と思わせる典型的な人物だ。いい研究をすると徹底的にほめてくれるし、成果が上がらなくても決して『クビだ』などと批判的なことは言わない。しかも、部下に対して『雑用はしなくていい。それはオレ一人でたくさんだから、ともかく君たちは研究に没頭するように』と口癖のように言っている人だった。」
最高の上司との出会いでスピード出世
36歳で『大統領任命対象公務員』に昇格
真鍋は渡米してから昼夜兼行で、ひたすら研究三昧の日々を送ったが、最初の8年間ほどはこれといった論文も書けず、精神的に不安定な状態が続いた。米国気象局は1年ごとの契約更新だっただけに、「今年中にほかの仕事を探して出ていくしかないかもしれない」と思い詰めた時期が何回かあったが、スマゴリンスキーは「いい研究をやっている」とほめるばかりで、叱責することは皆無といってよかった。』
『実際の研究でも、雑用のすべてを彼1人でこなしてくれた。特に真鍋らが感謝してやまなかったのは、他の研究所との争奪戦を繰り広げながら、常に最新鋭のコンピュータを導入してくれるその類い稀な力量にあった。
「数値モデルの計算に、その時々の最高速のスーパーコンピュータを使い放題使えたのは、本当に研究者冥利に尽きる喜びがあった。しかも、アメリカは専門家による相互評価(ピア・レビュー)が厳しい国だから、研究の提案書作成はたいへんな仕事だが、それも彼が一手に引き受けてくれた。GFDLで獲得した研究費の3分の1を私のグループに配分してくれて、やりたい研究が好きなだけできて、いい結果が出るとほめてくれる、こんなすばらしい上司がいますか?」
もちろん真鍋が「成果が上がらないと居づらくなる無言の圧力があった」と述懐するように、真鍋自身の実力や努力が認められたからこそ、クビにならず研究生活を続けられたのだろう。スマゴリンスキーの軍団は、彼がトップを務めていた30年間というもの、80数人の少数精鋭主義を貫いており、そこからはずされなかった真鍋も優秀な研究者だったことは間違いあるまい。
運も実力のうちというが、優れた上司に巡り合えた真鍋は自らの能力とも相まって、トントン拍子で出世の階段を上った。「日本人だからといって差別待遇を受けることは一度もない」まま昇級に昇級を重ね、36歳までの10年間で公務員としての職階であるガバメント・サービス・グレード(GSG)の11から16までを一気に駆け上がった。
アメリカの公務員制度では、GSG16以上はポリティカル・アポインティ(大統領任命の対象)になる。真鍋は最速で『スーパーグレード』とも呼ばれる16に到達したわけだ。
ビザも最初は短期就労(H1)ビザに始まり、次に一時雇用の公務員としてグリーンカード(永住権)を取得した。さらに70年代半ばには、「アメリカの市民権がないとグレードが上がらない」とのアドバイスを受け、実際に市民権を取って国籍を日本からアメリカに移してしまった。
真鍋はスマゴリンスキーがGFDL所長を辞任したとき、後任に立候補しようとしたことがある。結果的に立候補を断念したが、それは日本人ゆえに差別待遇を受けたためではなく、「(所長の)公募に打って出ると言ったら、家族全員に反対された」からで、日本人に門戸が閉ざされているわけではなかった。』
『日本に帰って感じた
アメリカとの大きな違い
「自由闊達」という言葉がふさわしい40年間の滞米生活を総括して、真鍋はこんな感想を語る。
「スマゴリンスキーの管理能力がすばらしかったから研究所が有名になり、研究費も潤沢について好きな研究を好きなだけやれた。10年先、20年先を見据えた長期的な気候変動を研究テーマに選んだ彼の炯眼(けいがん)にも支えられ、初めのうちは数こそ少なかったが、独創性の高い論文を書くことができた。最初の10年間で数値モデルをつくり、それ以降はモデルを適用してさまざまな切り口を見つけ出していった。やはり駆け出しのころの彼の処遇のおかげで今日があり、その点は感謝しようにもし尽くせないものがある」
こうした40年間の満ち足りた米国での研究生活と、現在の地球温暖化予測研究領域長の立場を重ね合わせながら、真鍋は「40年前の気象局の雰囲気と、地球フロンティア研究システムの今とが似ている」と、一瞬の夢から覚めたような表情でポツリとつぶやいた。ある種、草創期の張り詰めた緊張のようなものを感じるらしいが、じつはそれが似て非なるものであることを真鍋は知悉(ちしつ)している。
97年9月末に赴任して以来、地球フロンティア研究システムでの研究は4年になろうとしているが、自由闊達な雰囲気とはほど遠い何かを感じざるをえない日々を過ごした。それはスマゴリンスキーのような名伯楽がいるいないという単純な理由ではなく、日本の社会システム全体にどっかりと根を下ろす『見えざる壁』ともいえる存在によるものだった。
真鍋自身の経験に照らして、理由はいくつか挙げられる。まず、国の科学研究費配分の問題がある。日本では官僚が予算を取って、能力や業績に関係なく悪平等で研究費を配分する。大御所といわれる先生のもとには多くのカネがつき、気に入られた子分だけにカネが流れる仕組みだ。
そこには、米国流のピア・レビューが働かない。日本では相手を批判すると面子をつぶすのではないかと恐れ、研究で最も重要な建設的批判が起こらない。お互いに批判を水際で止めて曖昧にしてしまうため、そこそこの研究成果で満足し、大きなブレークスルーにつながる芽を摘んでしまっている。
真鍋にしてみれば日本の現状がなんとも歯痒くて仕方がないようだ。
「私が若い日にアメリカに渡り、自由にのびのび研究ができたような環境が日本にもできないものか。私が行ったころは、アメリカでクビになったら研究者としてのキャリアは終わり、もう食えないという背水の陣でやっていた。アメリカに渡る今のインド人や中国人の留学生のほうが背水の陣で必死にやっている。今や日本のほうが給料は高いし、無理にアメリカに行くこともないが、アメリカの環境は研究者にとって最も適したものだと思わざるをえない。その原点は、外国から来た人間を差別なく受け入れ、同じ土俵で才能の違った人間を徹底的に競わせる『多様性』の文化にあるのかもしれない」
若き日への憧憬と現状への不満との狭間で、やはり真鍋の思いは40年の長きを過ごしたアメリカに向かうようである。(文中敬称略)
きし・のぶひと/1973年東京外国語大学卒業、読売新聞社入社。横浜支局を経て経済部に勤務、大蔵省、通商産業省、日本銀行、経団連機械、重工クラブなどを担当。91年読売新聞社を退社、知的財産権などをテーマに執筆。』 -
首相動静(10月6日)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021100600220&g=pol※ 各「宮邸」回って、就任の「ご挨拶のご記帳」とかもするんだな…。
※ これも、知らんかったわ…。
※ 皇居周辺に居住しないといけないわけだ…。
※ 江戸時代に「江戸城」周辺に大名屋敷があったのと、同じ「構図」だ…。
※ 大体、「各宮邸」自体が、「大名屋敷跡」じゃなかったか…。
※ 「皇居」や「各宮邸」がある限り、「東京一極集中」は是正されない「構造」になっているわけだ…。
※ まあ、京都の人は未だに、「天子様は、いつ「都(みやこ)」に、お帰りになられるのか?」と言っているらしいが…。
『午前8時現在、東京・赤坂の衆院議員宿舎。
午前9時8分、同議員宿舎発。
午前9時22分、東京・三番町の宮内庁分庁舎着。就任の記帳。
午前9時28分、同所発。
午前9時39分、東京・元赤坂の赤坂御用地着。三笠宮東邸、三笠宮邸、高円宮邸で就任の記帳。
午前9時54分、同所発。
午前10時10分、東京・東の常陸宮邸着。就任の記帳。
午前10時15分、同所発。
午前10時27分、官邸着。同28分から同31分まで、報道各社のインタビュー。
午前10時32分から同48分まで、尾崎哲駐リトアニア大使、浅利秀樹駐ウルグアイ大使、中原淳駐ホンジュラス大使らの新任あいさつ。同49分から同11時15分まで、甘利明自民党幹事長。
午前11時20分から午後0時10分まで、遠藤利明同党選対委員長。
午後2時2分から同9分まで、臨時閣議。同10分から同11分まで、茂木敏充外相。
午後3時16分、官邸発。
午後3時24分、皇居着。内奏、副大臣認証式。
午後5時38分、皇居発。
午後5時47分、官邸着。
午後6時19分から同20分まで、副大臣と記念撮影。同28分から同35分まで、副大臣会議。
午後7時13分から同25分まで、政務官に辞令交付。同32分から同33分まで、政務官と記念撮影。同38分から同45分まで、政務官会合。
午後8時3分、官邸発。
午後8時8分、東京・赤坂の衆院議員宿舎着。
午後10時現在、同議員宿舎。 』江戸東京散策用大名屋敷現住所一覧(第一次資料、修正中)
http://zacfc2.blog20.fc2.com/blog-entry-8479.html?sp



-
-
『無理ゲー社会』橘玲に聞く 「自分らしく生きる」が生んだ絶望
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00290/091500019/?n_cid=nbpnb_mled_mre※ 残念ながら、読んでも「課題解決」「問題解決」には、あまり役立たない…。
※ 「問題提起」「課題提起」本だな…。
※ それと、「覆面作家」ということだから、「一人で書いている」とは限らないよな…。「橘玲」という「チーム」かもしれない…。
※ 特に、こういう「社会派もの」「社会問題提起もの」は、チームによる「役割分担」になじみやすい…。
※ 全体の構成考える「企画・立案班」、足で稼ぐ「取材班」、それを統括して一本にまとめる「文章作成班」…。ざっと考えても、この程度は思いつく…。
※ 「田中角栄研究 その金脈と人脈」で名高い「立花隆」さんも、「チーム」を編成していた…、という情報を最近見た…。
※ 大体、世の中そういうもの…、と思っておいた方がいい…。
※ 参考になったのは、『『幸福の「資本」論』(ダイヤモンド社)に書いたのですが、人生の土台には「金融資本(お金)」「人的資本(働いて労働市場からお金を手に入れるための資本)」「社会資本(人間関係)」の3つの資本があると考えています。この3つの資本を持っていれば、人生はある程度うまくやっていくことができる。
3つの資本の中で、最もシンプルなのは金融資本です。攻略は難しいけれど、理屈は単純で理解しやすい。その次が人的資本(働き方)で、最も難しいのが社会資本です。著作で扱う内容も、その3つの資本の区分に沿って、だんだん難易度が高いところへと進んできたわけです。 』という部分が一つ…。
※ 『しかし、皆が気づいていない本当の問題は、次にやってくる「評判格差社会」です。国家はイーロン・マスクから税を徴収できますが、6000万人のTwitterのフォロワーを移転することはできない。「お金は分配できても評判を分配することはできない」という問題に対して、これまで解を出せた人はいません。』という部分が、もう一つ…。
※ これを言ってる人に、初めてお目にかかった…。
※ しかし、もっと「根源的な問い」を問うて、思索するべきなのでは…。
※ 「そもそも、人の”幸福”って何?」…。
※ 「”評判”って、Twitterのフォロワー数で測れるものなの?」…、とかな…。




-
『アングロ・サクソン人(アングロ・サクソンじん、Anglo-Saxons)は、5世紀頃、現在のドイツ北岸からグレートブリテン島南部に侵入してきたアングル人、ジュート人、サクソン人のゲルマン系の3つの部族の総称である[1]。この中でアングル人が、イングランド人としてイングランドの基礎を築いたため、現在も英米などの英語圏白人をアングロ・サクソン人と呼ぶ[2]。このようにドイツ起源の民族であるが、現在のドイツ圏の国民をアングロ・サクソン人と呼ぶことは原則ない。ただし、ザクセン王国は20世紀初頭までドイツ帝国内に存続しており、現在も州名などに残っているため、ドイツの地域住民としてのザクセン人(サクソン人)という名称は今も用いられる。』
『歴史
409年にローマ帝国がブリタニアを放棄した後、現在のデンマーク、北部ドイツ周辺にいたゲルマン人が、グレートブリテン島に渡ってきた。彼らは先住のケルト系ブリトン人を支配し、ケルト文化を駆逐した。これが英国における最初のアングロ・サクソン人である。彼らの言葉が英語の基礎となった。
彼らはイングランドの各地に小王国を築いていった。7世紀頃には、イングランドは7つの王国(七王国)にまとまっていったが、9世紀初めには、ウェセックス王エグバートのもとで、サクソン人のウェセックス王国が強大となって、イングランド全域を支配した。それ以降、一時期はデーン人に支配され、デンマーク王の下にあった。
アングロ・サクソン人はその後また、イングランドを支配した。これは1066年、ギヨーム2世(=ウィリアム1世)によるノルマン・コンクエストまで続いた。』
『アングロ・サクソン諸国
西暦400年代のユトランド半島からブリテン諸島への移住。
Jutes: ジュート人
Angles:アングル人
Saxons: サクソン人

英語を国語・公用語とする白人主流派の先進国であるイギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどをアングロ・サクソン諸国と呼ぶ[4][5]。しかし言語がアングロ・サクソン人に由来しているだけで、歴史的なアングロ・サクソン人と現代のアングロ・サクソン諸国には血統的な関係が薄い(フランク人とフランス人の違いと同じ)。アングロ・サクソン人の故地と見なされるイングランドでさえ、ユトランド半島やスカンディナビア半島などのバルト海沿岸地域にルーツを持つデーン人やノルマン人、グレートブリテン島の原住民であるブリトン人(ケルト人)などの多様な民族が入り混じって形成された国家である。当のアングロ・サクソン諸国では一般にあまり用いられておらず、自分たちがアングロ・サクソン人であるという意識も乏しい。なお、イングランドに先立つ故地であるドイツでは、アングル人という呼び方は現在殆ど行われておらず、サクソン人(ザクセン人)という呼び方は残っているものの、少なくともアングロ・サクソンと繋げて呼んだ場合、ドイツ人とは別個の集団と考えるのが通常であり、ほぼ語源発祥の地というにとどまる。』
『用法
主に大陸ヨーロッパや日本で用いられることが多い。アングロ・サクソン諸国は独特の経済や社会を形成しており、古くから研究の対象となってきた(プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神等)。また、グローバル資本主義の進展とその反発により、アングロ・サクソン諸国を「特殊」な国々と規定するために、様々な比較考証が行われてきた。以下はその代表的なものである。
◎法体系におけるコモン・ロー
※ これは、前に考察した…。※ 英米法における「コモンロー」は、ゲルマン法とローマ法の「すき間」を解釈で埋める仕掛けだった…。
※ それがまた、「判例法」重視の法体系へと、つながって行く…。
◎政党制における二大政党制
※ 英国の保守党⇔労働党、米国の共和党⇔民主党…、に典型的に見られるものだな…。
※ 日本の自民党+公明党⇔野党…は、それの一変形と言えなくもない…。
『ジョヴァンニ・サルトーリの指摘では、二大政党制はイギリスや、イギリスから独立したアメリカ合衆国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどのアングロサクソン諸国で多く見られる。
二大政党制の背景には、主要な二大政党以外からは大量当選が困難な選挙制度である小選挙区制や、国民のイデオロギーや支持層が「保守と革新」など2種類または2方向に大別できること、更に両政党が比較的穏健かつ民主的であり現実的な政権交代を相互に許容できること、などが挙げられる。
二大政党制の利点には、二大政党による政策論争が国民にわかりやすく、二大政党への参加や支持が容易で、現実的な政権交代が容易なため国民に実質的な選択の余地があり、長期政権に発生しがちな腐敗防止や、政権獲得時に国民の支持を背景にした大胆な政策転換を行いやすいこと、などが挙げられる。また、中間層の有権者の支持を得る為に二つの政党の政策が似たものとなる傾向があり、少数派の意見をくみ取る政党がなくなるという問題があるが、ジョヴァンニ・サルトーリの主張ではイデオロギーの差異が小さいことは良い政治であり、この点を利点とする立場もある。
二大政党制の欠点には、二大政党の思想や政策が離れている場合にはイデオロギー的あるいは感情的な対立になりやすく、政権交代の発生時には大幅な政策変更により政治の不安定化を招く場合があること、逆に二大政党の思想や政策が接近している場合には国民に選択の余地が狭く多様な意見や思想を反映しにくいこと、同じ政党・政策・支持勢力などが長期間存続しがちなため政党内の新陳代謝や政策転換が進みにくいこと、特に二大政党間で談合や汚職などが常態化した場合には致命的な政治不信を引き起こしやすいこと、あるいは二大政党制へ誘導するための小選挙区制では大量の死票が発生すること、などが挙げられる。アーレンド・レイプハルトの合意形成型民主主義の考え方に立てば、二大政党制を基盤とする多数決型民主主義においては多党制を基盤とする合意形成型民主主義より、少数意見の代表性が相対的に低いとされる[3]。』
『ジョヴァンニ・サルトーリの指摘するアングロサクソン諸国
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国:典型的な二大政党体制。現代では共和党と民主党が二大政党である。合衆国議会および各州の議会の会派は「多数派」と「少数派」の二会派とされることが通例であり、それぞれ共和党、民主党いずれかの議員のみか、あるいはそれに若干の無所属または地域政党所属議員を加えて構成される。全国規模の少数政党も存在するが、二大政党の指名を受けない候補が大統領に当選した例は19世紀以降なく、議会の議員もほとんどが二大政党に属する。
詳細は「アメリカの政党」を参照イギリスの旗 イギリス:1800年代以降のトーリー党(後の保守党)とホイッグ党(後の自由党)。1920年代以降は保守党と労働党。第一次世界大戦、大恐慌を挟む戦間期、第二次世界大戦の際には大連立が行われた。1980年代以降は第3勢力の自由民主党(自由党の後継政党)や、スコットランドの地域政党であるスコットランド国民党などの得票率が拡大しているが、議席数は二大政党と大差がある。1990~2000年代にはトニー・ブレアが率いる労働党が総選挙での地滑り的勝利で保守党の約2.5倍の議席を獲得した時期があり、2010年代には連立政権や少数与党政権があったものの、政権首班と「女王陛下の野党」をそれぞれ保守党と労働党が担当する構図に変わりはなかった。
カナダの旗 カナダ:1993年まではカナダ進歩保守党とカナダ自由党の二大政党制。1993年の総選挙で進歩保守党が壊滅的な大敗を喫して二大政党制が崩れたが、進歩保守党を引き継ぐカナダ保守党が2004年の総選挙で第2党となり、2006年の総選挙で政権に就いて自由党との二大政党制となった。2011年の総選挙ではそれまで第3党だった新民主党が第2党に浮上し、従来の保守・自由の二大政党制が崩れたが、2015年の総選挙では自由党が議会の第1党の座を奪回する一方、新民主党が第3党に後退したため再び自由・保守の二大政党制に回帰した。ほかにブロック・ケベコワなどが存在する。
Flag of Australia (converted).svg オーストラリア:保守連合と労働党。保守連合は自由党とオーストラリア国民党の連合だが、選挙協力と連立協定が長期化しているため、二大政党制とも呼ばれる。なお、2010年の総選挙で、労働党も保守連合も、過半数を取れなかったが、労働党が、オーストラリア緑の党などの閣外協力を得て、政権続行をした。
ニュージーランドの旗 ニュージーランド:ニュージーランド国民党と労働党。ただし 1993年の選挙制度の小選挙区比例代表併用制への変更後は多党化した。』
◎アーレンド・レイプハルトの研究による多数決型民主主義
※ ここで「多数決型民主主義」とは、一般には「議院内閣制」と言われているものだ…。特に「行政府」が、国会の「過半数(多数決)」の支持に立脚していることに、注目しての用語のようだ…。
『レイプハルトの業績は、
分裂社会における多極共存型民主主義モデル
比較選挙制度論
比較民主主義体制論に大別できる。
二大政党制、小選挙区制によって特徴づけられる多数決型民主主義(majoritarian democracy)もしくはウェストミンスター型民主主義のモデルに対して、コンセンサス型、多極共存型民主主義モデルを対峙させた、自由民主主義政治体制の比較研究を主張。』
『ウェストミンスター・システム(多数決型民主主義)
議会で過半数の議席を持つ政党の党首が首相として内閣を組織する(多数決型民主主義)。過半数をもつ政党が存在せず、複数の政党により内閣が運営されるコンセンサス・システム(多極共存型民主主義)に対比する。』
◎レギュラシオン学派における市場ベース型資本主義
※ 様々な「資本主義」のタイプのうち、特に「市場の役割・機能」を重視し、なるべく「自由な市場」を肯定する考えのようだ…。
◎福祉レジーム論における自由主義型福祉国家論
※ 「福祉国家」も、様々な形態があるようだが、その中でも、「国民の自立」を重視し、企業の「自由な活動」を広く認める考えのようだ…。
※ 典型的には、「自助・公助・共助」の標語で表現される…。これも、散々聞いた話しだな…。
※「新自由主義」だ!と、叩く向きも多い…。
◎イギリス経験論とそれを元にしたプラグマティズム
※ これは、そもそもの「ものの考え方(哲学)』の根底にあるものだ…。
※ これも、演繹法⇔帰納法…で、検討した…。
後世へも影響を与えたデカルトの演繹法的思考(帰納法との違い)
https://http476386114.com/2021/02/23/%e5%be%8c%e4%b8%96%e3%81%b8%e3%82%82%e5%bd%b1%e9%9f%bf%e3%82%92%e4%b8%8e%e3%81%88%e3%81%9f%e3%83%87%e3%82%ab%e3%83%ab%e3%83%88%e3%81%ae%e6%bc%94%e7%b9%b9%e6%b3%95%e7%9a%84%e6%80%9d%e8%80%83%ef%bc%88/※ ということで、アングロサクソンの社会制度は、けっして「グローバル・スタンダード」というわけのものでも無く、「彼らの社会に根ざした」、相当に特殊な制度という側面があるようだ…。
※ しかし、それがまた逆に、「英米流」の特殊性で、結束する「力(ちから)」にもなって行く…。
※ ファイブ・アイズとか、今般のAUKUSとか、原潜技術の提供とかの「世界情勢」にも、そういうものが色濃く影を落としている…。
※ しかし、「アングロサクソン流だ!」とか、「英米由来の制度だ!」とか、「グローバル・スタンダードだ!」とか言われても、そこで「思考停止」しないようにしないとな…。
※ 何事も、「自分の頭で、考えること」が大切だ…。
※ そういう事情も踏まえながら、「日本国の生き残り戦略」を立てていく必要がある…。



























