外務省 海外安全ホームページ|海外安全ホームページを使いこなそう! 感染症危険情報とは?
https://www.anzen.mofa.go.jp/masters/kansen_risk.html
※ 海外に観光に出かけるのは、勝手だが、事前にこういうものもキチンと、読んでおいた方がいいぞ…。
※ 今日は、こんなところで…。






外務省 海外安全ホームページ|海外安全ホームページを使いこなそう! 感染症危険情報とは?
https://www.anzen.mofa.go.jp/masters/kansen_risk.html
※ 海外に観光に出かけるのは、勝手だが、事前にこういうものもキチンと、読んでおいた方がいいぞ…。
※ 今日は、こんなところで…。






何に使うの?突如掲げた脱炭素への新国債20兆円
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/26966
『脱炭素社会の実現に向けた産業振興のため、岸田文雄首相が新たな国債「GX(グリーントランスフォーメーション)経済移行債(仮称)」を発行する方針を表明した。20兆円規模の資金を確保して民間資金を呼び込むとしているが、GX推進を話し合う委員からは「全く議論されていない数字」という声も聞こえてくる。実際、GXとは何で、いかなる事業に多額な予算がつぎ込まれるのか。経済産業省のグリーントランスフォーメーション推進小委員会の資料や新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画(案)を基に紐解いてみたい。
(metamorworks/gettyimages)
突如出てきた「20兆円」という数字
政府は、脱炭素社会を進めるために今後10年間で官民合わせて150兆円の投資が必要であると試算。これに対し、岸田首相は5月19日に首相官邸で開かれた「クリーンエネルギー戦略」に関する有識者懇談会で「20兆円ともいわれている必要な政府資金をGX経済公債、これは仮称ではありますが、これを先行して調達し、速やかに投資支援に回していくことと一体で検討してまいります」と明らかにした。
脱炭素に移行するための投資といった使い道を限定する国債を発行し、必要とされる150兆円の一部を補填するとともに、民間投資の呼び水としている。今年夏にGX実行会議を設置し、議論を深めていく方針という。
官民一体となって脱炭素という目標にまい進していくものと見えるが、この20兆円という数字について経済産業省のグリーントランスフォーメーション推進小委員会の1人は「議論してできあがった数字のように発表されているが、委員会では議論すらされていない。20兆円という数字を見て驚いた」と話す。実際、同じタイミングでまとめられた「クリーンエネルギー戦略 中間整理」では、10年間で150兆円の投資が必要であることは盛り込まれているものの、「脱炭素投資の一部を支援」と記載してあるのみで、「20兆円」いう数字は見られない。
(出所)クリーンエネルギー戦略 中間整理 写真を拡大』
『岸田首相がGX経済移行債を発表する2日前、日本経済団体連合会(経団連)が提言書「グリーントランスフォーメーション(GX)に向けて」を発表し、「政府は、民間の継続的な投資を促すため、自ら中長期の財政支出にコミットすべきである」と指摘。欧米の投資事例を紹介し、「日本で必要となる政府負担額を、世界に占める各国の二酸化炭素(CO²)排出量割合(米国=約 14%、欧州連合(EU)=約9%、日本=約3%)に基づき機械的に計算すると、年平均で約2兆円程度となる」とし、「財源については、カーボンニュートラル(CN)に向けたトランジション及びイノベーションに関する技術の開発・社会実装に使途を限定した国債「GXボンド」の発行等で賄うべきである」と述べている。この一致を不思議に思うのは筆者だけではないだろう。
そもそもGXって?
委員会で議論がなされていないのならば、何のための20兆円だかが見えてなくなってしまう。
たしかに、世界各国では、脱炭素に向けた投資がなされている。「クリーンエネルギー戦略 中間整理」によると、米国が超党派のインフラ法案の中で5年間に約70兆円、EUが10年間に官民協調で約136兆円、ドイツが約7兆円のグリーン分野の景気刺激策、英国が2030年までに政府支出約4.2兆円と誘発民間投資約14.6兆円、韓国が5年間でグリーン分野に約4.3兆円の公共投資、をそれぞれ掲げている。
こうした世界の動きは国債の発行の根拠となり得るが、他がやっているからと言って進めるべきということにはならないだろうし、世界で巨額の資金が動いているからこそ日本として何をやるか示さないといけないのではないだろうか。それがいつか返さないといけない国の借金を使うとならばなおさらだ。
そもそもGXとは、何をすることなのだろうか。「トランスフォーメーション」は「変化、変換」といった意味なのだが、クリーンエネルギー戦略の中間整理ではGXという転換について「産業革命以来の化石燃料中心の経済・社会、産業構造をクリーンエネルギー中心に移行させるもの。また、この大転換に向け、世界規模で、先に新しい市場・ルールを作ったところが勝ち残る先行投資者優位の大競争が既に始まっている」と位置付けている。
実は、このGXは、岸田首相が掲げる「新しい資本主義」にも大きく関わる。5月末に発表した「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画(案)」では、重点投資の対象として、「人への投資と分配」「科学技術・イノベーションへの重点的投資」「スタートアップの起業加速及びオープンイノベーションの推進」に並ぶものとして、「GX及びDX(デジタル・トランスフォーメーション)への投資」が挙げられている。』
『手段のみしか見えてこない戦略
では、どのように実現するのかという部分だが、クリーンエネルギー戦略の中間整理は「5本の柱」を示している。それは、①予算措置、②規制・制度的措置、③金融パッケージ、④GXリーグの段階的発展、⑤グローバル戦略(アジア・ゼロエミ共同体構想等)である。④のGXリーグとは、経産省が旗振り役となり、日本を代表する企業が手を取り合い未来像や市場の創造、ルールメイクを議論しながらCO₂の削減などを進めていくもの。したがって、5本の柱はすべて、〝手段〟でしかなく、中身が見えていないのだ。
新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画においても、この「5本の柱」が掲げられている。具体的な取り組み例として、「水素・アンモニア」「洋上風力等の再生可能エネルギー」「CCS(CO₂回収・貯留)」「カーボンリサイクル」「自動車」「住宅・建築物」「省電力性能に優れた半導体」「蓄電池」「その他産業部門の脱炭素化」「地域・くらしの脱炭素化」と多岐にわたっているが、ここにも国としての方針は示されていない。
投資するという場合には、「目的のために必要なものは何で、それをするためにはこれだけのお金がかかるが、達成できれば投資額以上のメリットを出せる」という考えを持ち、検討するのが正しいやり方ではないのだろうか。金額とやり方だけをまず決めるというのは疑問でしかない。これが新しい資本主義の目玉の一つとなっているのならば、「数合わせの議論」にだけはなって欲しくない。』
https://note.com/wedge_op/m/me1dfc8d145ee

京阪神「バレー」構築 京大など41機関、起業数2倍狙う
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF232W50T20C22A5000000/


『京阪神エリアの産学官が一丸となり、スタートアップの創出に弾みをつける。京都大や関西経済連合会、関西広域連合など41機関が参画する支援組織は9月にも、経営候補人材と大学の研究者をマッチングする新たな枠組みを本格稼働させる。京都のバイオや大阪のものづくり、神戸の医療機器といった各地域の強みを生かし、スタートアップが集積する新たな「バレー」の構築を目指す。
起業支援組織「京阪神スタートアップアカデミア・コアリション(KSAC)」が旗振り役を担う。主要な大学や経済団体、自治体、金融機関などが集まり、2021年秋に立ち上がった。20~24年度の5年間に、大学発スタートアップで従来の約2倍となる214社の創出を狙う。
活動の目玉の一つとして4月、起業を志望する人材と大学の研究者を仲介する枠組み「ECP-KANSAI」を立ち上げた。従来の人材マッチングは起業志望者が「起業のタネ」になる研究成果を探すことが多い。ECP-KANSAIでは各大学が音頭を取って研究者からも研究成果を売り込んでもらい、双方向のやり取りを起業につなげる点が特徴だ。
【関連記事】
・起業家教育の狙い 課題を発見する力育む
・AIスタートアップ有望100社 よりニッチな分野へ
・神戸企業のパートナーを市がマッチング 革新へ全国から
KSACは経営候補者として500人程度に登録してもらう構想で、メーカーや金融機関などを行脚している。早ければ9月に、人材獲得のために活用されるストックオプション(株式購入権)の制度設計などを伝える研修も始める。現在は研修を手掛ける人材会社の選定を進めている。
機運醸成が課題
KSACが参考にしたのは京大系ベンチャーキャピタル(VC)、京都大学イノベーションキャピタル(京都iCAP、京都市)の取り組みだ。17年に双方向型の仲介プラットフォームを設立、京大発の技術をビジネスに結び付けてきた。
これまでの約5年間で18社の起業を実現した。核融合発電の世界的な研究者である京大の小西哲之特任教授らが設立した京都フュージョニアリング(京都府宇治市)もその一社だ。
京都iCAPに限らず、経済団体や自治体はそれぞれに起業支援に取り組んできた。産学官が集まった「関西イノベーションイニシアティブ」という支援組織もある。その中でKSACは企業の「創出」に重点を置き、京阪神全域で大規模に連携する動きになる。
京阪神にとって起業都市としての地位向上は喫緊の課題だ。20年7月、東京と愛知、福岡の3都市圏とともに、国がスタートアップを重点支援する「グローバル拠点都市」に選ばれた。だが、日本貿易振興機構(ジェトロ)の調査では、京阪神のスタートアップの7割が制度や支援内容を「知らない」などと回答。機運醸成は盛り上がりを欠いてきた。
都市間競争も激しさを増している。スタートアップ情報データベースのイニシャルによると、京阪神のスタートアップの資金調達額は21年に計350億円。首位の東京(6531億円)の18分の1ほどの規模だ。大阪(前年比12%増の139億円)は4年ぶりに福岡(同43%増の144億円)に逆転された。
各地の強みを生かす
巻き返しのためには各地の特徴を生かすことがカギになる。京都はiPS細胞を中心とするバイオ系に強く、町工場が集まる大阪はものづくりスタートアップを下支えする環境が整う。人工島・ポートアイランドで医療産業都市をうたう神戸は医療機器開発を後押しする制度が充実している。
仮想現実(VR)を活用したストレスチェック技術を開発する大阪大発のニューラルポートは兵庫県西宮市に本社を構え、神戸市の支援プログラムを受けている。将来的には神戸市に移転したい考えだ。
島藤安奈社長は「ヘルスケア事業の支援が手厚く、医療機器の薬事承認を得る際の後押しも受けられる」と理由を説明する。製品の実用化に向け、神戸市から企業の紹介を受けるなど結び付きは強まっている。
優れた技術に京阪神それぞれの強みを組み合わせてスタートアップを創出し、その企業が地域に根付いて大きなビジネスを展開する。この循環がうまく回り出せば、新たな「バレー」の完成像が見えてくる。
(田村匠)』
財務相「急速な円安を憂慮」 必要なら「適切に対応」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA1419U0U2A610C2000000/
『鈴木俊一財務相は14日の閣議後の記者会見で、円相場について「急速な円安の進行が見られ、憂慮している」と述べた。「過度な変動や無秩序な動きは経済や金融に悪影響を与え得る」という主要7カ国(G7)の合意に言及したうえで「必要な場合には適切な対応を取りたい」と語った。
外国為替市場で円相場は13日に一時1ドル=135円台前半と1998年以来の円安・ドル高水準に下落した。鈴木氏は「日銀と緊密に連携しつつ、為替市場の動向や経済・物価などへの影響を一層の緊張感を持って注視する」と強調した。
【関連記事】
・あるか、米不支持でも円安阻止介入 「弾薬切れ」懸念も
・円安、98年危機以来の一時135円台前半 競争力低下映す 』
あるか円安阻止介入 米が不支持でも
編集委員 清水功哉
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD1409U0U2A610C2000000/



『急速な円安が進む中、日本の当局による円買い為替介入の有無に関心が強まってきた。米国は日本のドル売りを支持しない姿勢を示唆しており、実施するなら同国の理解を得ない状況での行動になりそうだ。米国に支持されない介入は2011年にも前例があるが、これは円売りだった。円買いの場合、「弾薬」が尽きる懸念が効果をそぐかもしれない。
介入への関心が強まったきっかけは、10日に財務省、金融庁、日銀が開いた「3者会合」。最近の急速な円安を「憂慮」する声明をまとめ、「各国通貨当局と緊密な意思疎通を図りつつ、必要な場合には適切な対応をとる」とした。介入の示唆だ。
背景には、家計や企業を苦しめる輸入物価上昇の原因として、円安を軽視できなくなっている事情がありそうだ。3者会合開催の前に発表された5月輸入物価指数は前年同月比43.3%上昇。うちエネルギー・原材料などの価格自体の上昇を反映する契約通貨建ての上昇率は26.3%だった。両者の差の17%が円安に起因する部分と考えられ、全体の4割近い。この比率は徐々に上がってきており、参院選を控え政権も円売りを放置しにくくなっているようだ。
13日には円相場が一時1ドル=135円台前半に下落。約24年ぶりの安値をつけた。介入に対する注目が一段と集まる状況だが、問題は米国の反応だ。3者会合開催の後、米財務省は為替政策報告書を公表。介入は「極めて例外的な状況」に限られるべきで、「事前の適切な協議」も必要とした。
従来、米国は日本の輸出競争力引き上げにつながる円売りには批判的だが、円買い介入は容認するとの見方もあった。しかし、高インフレに直面する今の米国は、物価上昇圧力を強めるドル売りも望ましくないと考えているとみられる。
ちなみに、日本の有力通貨当局OBによれば、米国が言う「極めて例外的な状況」とは11年3月に起きた東日本大震災の後のような市場混乱を指すという。実際、当時米国は円高防止の介入に協調した。
米国の支持を得ない状況下で日本が動いた前例もないわけではない。例えば日本にとっての最後の介入となった11年夏~秋の円売りだ。米財務省は為替政策報告書に「支持しなかった」と明記した。
ただし、米国に批判的な空気がある介入は市場に与える印象が良くなく、効果を上げるには規模を膨らませる必要がある。11年夏~秋もたった6日間に13兆円超に相当するドルを買った。同年の日本の経常黒字を超える規模のドルを一気に買い上げ、80円を上回る水準で推移していた円の急騰阻止に努めた。
もっとも、円売りだったから大胆に動けた面もある。自国通貨を元手とするので限界をあまり気にしなくていいからだ。一方、円買いの場合、外貨準備(5月末時点で約1.3兆ドル=約175兆円)が事実上の上限。そう簡単には限界に達しないだろうが、「弾薬切れ」の懸念を市場が意識するだけでも、効果は減殺されるかもしれない。
やはり、円滑な介入には米国の理解や支持が意味を持つ。「国際協調を見込めないもとで財務省が容易に動けるとは考えにくい」(SMBC日興証券の丸山義正氏)。それでも、今後円の急落が続くなら、財務省が賭けに出る展開にも注意が必要になってくる。
【関連記事】
・財務相「急速な円安を憂慮」 必要なら「適切に対応」
・円安、98年危機以来の一時135円台前半 競争力低下映す
・日銀総裁、円安容認発言に変化 「失言」も影響か
・弱る輸出、届かぬ円安効果 世界シェア98年比半減 』
円安、98年危機以来の一時135円台前半 競争力低下映す
金融政策・市場エディター 大塚節雄
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB130OO0T10C22A6000000/

『13日の外国為替市場で円相場が一時、1ドル=135円台前半まで下落した。金融不安で「日本売り」に見舞われていた1998年以来、約24年ぶりの円安・ドル高水準に逆戻りした。円安を招く構図は当時と様変わりした。浮かび上がるのは産業競争力を底上げしてこなかった日本経済のもろさだ。
円相場は対ドルで一時1ドル=135円22銭近辺まで下落した。今年の円の下落率は1割強に達し、世界の主要通貨で最も価値を下げた。
米欧でインフレが加速し、米連邦準備理事会(FRB)や欧州中央銀行(ECB)が金融引き締めを急ぐ一方、金融緩和を続ける日銀との差が一段と鮮明になっている。海外と日本の金利差がさらに広がるとの見方から海外ヘッジファンドなどの円売りが勢いづいた。
円は2002年1月の安値を下回り、1998年10月以来の円安水準をつけた。当時は日本長期信用銀行が破綻し、金融危機下の日本売りが激しかったころだ。97年ごろから相次いだ金融機関の破綻の連鎖はなお止まらず、経済がデフレ局面の入り口に立ち、企業は投資を絞り、賃金抑制も始まりつつあった。
旧大蔵省(現財務省)は98年4~6月に計3兆円を超す円買い・ドル売り介入で異例の通貨防衛に動いた。それでも円は8月に一時147円台まで売られた。
現在、金融システムは強さを保ち金融不安に根ざす日本売りはみられない。一方でエネルギー価格が急騰するなか円安は「輸入インフレ」に拍車をかけ、家計や企業を苦しめる。原油価格の国際指標のWTI(ウエスト・テキサス・インターミディエート)原油先物は足元で1バレル120ドル前後で推移し、24年前の8倍だ。日銀の黒田東彦総裁は13日、急激な円安を「経済にマイナスで望ましくない」と述べた。
根本的な問題は円安を生かすための産業競争力が失われている点にある。
内閣府によると、98年度に10%だった日本の製造業の海外生産比率は20年度に22%強と2倍になった。国内産業の空洞化が進み、コンピューター(周辺機器含む)は98年時点で輸出が輸入を7000億円強上回っていたが、21年に2兆円を超す輸入超過になった。人手不足が深刻になるなか、日本企業は国内産業の高度化に向けた設備投資も出遅れた。
新型コロナウイルスとウクライナ危機は国際的な供給網の再構築の必要性を浮かび上がらせた。今後も欧米との金利差拡大を意識した投資家の円売り圧力は強まる。円安を生かすためにも長期的な視点にたった産業強化策を急ぐべきだ。
(金融政策・市場エディター 大塚節雄)
【関連記事】
・円、一時「日本売り」以来の安値 投機筋狙い撃ち
・日銀総裁、急速な円安「経済にマイナス」 国会で発言
・円、24年ぶり安値 下値めどを市場関係者に聞く
この記事の英文をNikkei Asiaで読む
Nikkei Asia https://asia.nikkei.com/Business/Markets/Weak-yen-turns-from-boon-to-bane-for-Japanese-stocks?n_cid=DSBNNAR
多様な観点からニュースを考える
※掲載される投稿は投稿者個人の見解であり、日本経済新聞社の見解ではありません。
岩間陽子のアバター
岩間陽子
政策研究大学院大学 政策研究科 教授
コメントメニュー
ひとこと解説
人にも研究にも投資してこなかったので、当然と言えば当然の結果でしょう。短期に効果が出る策はありませんが、できるだけ早く、才能ある外国人が日本に来て働けるように、法制度も企業の在り方も大転換するくらいしかありません。外国人との共生のために、自治体サービスや教育制度も根本的に見直さなければなりません。日本に対するポジティブなイメージが少しでも残っている間にやらないと、幻滅が拡がってからでは遅すぎます。入管や難民認定制度も、国のイメージを左右するという視点で根本的改善が必要です。
2022年6月13日 23:39 』
前に出る経産省、企業と再接近 「官僚たちの夏」は遠く
藤岡昂
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA09AAU0Z00C22A5000000/
『「特にこの2~3年で大きく変わった」と経済産業省の中堅職員は話す。企業との関係のことだ。半導体関連団体の幹部も「少し前まえでは経産省とは距離があった。今はどんどん求心力が高まっている」という。
蓄電池の成長戦略をまとめる4月の会議での萩生田光一経産相の発言は象徴的だった。「これからは国も一歩前にでて、研究開発のみならず、その先の設備投資までしっかりと支援するなど取組を強化する必要がある」。積極投資で世界シェアを高める中国勢や韓国勢を念頭に「今回が最後のチャンスだ」とも述べた。
経済安全保障という考え方が広がり、重要物資や基幹産業を国として保護・育成することが改めて重要になっていることが背景にある。ロシアのウクライナ侵攻という危機も重なる。
半導体などを巡り、中国や欧州連合(EU)、米国なども巨額の財政支援に動く。国内自動車メーカー幹部も「日本だけ民間で戦えと言われても困る」と政策的な後押しが必要と訴える。
第2次世界大戦後、経済産業省の前身である通商産業省は石炭や鉄鋼などの特定産業に重点的にヒト・モノ・カネを投じた。通産省の存在感は絶大だった。
高度経済成長期の通産官僚の姿を描いた城山三郎の小説「官僚たちの夏」の主人公は国内産業の保護育成を優先する。官民が再接近する今の光景とどこか重なる面があるだけに、世相の違いも感じる。官僚を活写するような小説はこれから出てくるだろうか。』
宏池会
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8F%E6%B1%A0%E4%BC%9A










『宏池会(こうちかい)は、自由民主党の派閥。2021年12月現在において、自由民主党内で最古の派閥である。
通称は岸田派。宏池会は池田勇人が佐藤栄作と袂を分かって旗揚げしたのが始まりで、通称の変遷としては、池田派→前尾派→大平派→鈴木派→宮澤派→加藤派[注釈 1]→堀内派→古賀派→岸田派。 』
『概要
木曜研究会が前身の政策科学的機構としては、宏池政策研究会と定義される。吉田茂が率いた自由党の流れをくむ、現在の平成研究会と共に保守本流とされる(宏池会から分裂した志公会(麻生派)や有隣会(谷垣グループ)もこれに含まれる)。
吉田茂の直系の弟子である池田勇人によって創立されて以来[1]、大平正芳・鈴木善幸・宮澤喜一・岸田文雄と5人の内閣総理大臣・自民党総裁を輩出、野党時代にも河野洋平、谷垣禎一と2人の自民党総裁が出ており、自他共に名門派閥と見なされてきた。更に、宏池会に源流を持つ分派の麻生太郎や、かつて所属経験のある菅義偉も総理・総裁となっている。
元来、池田を取り巻く官僚出身の議員やスタッフを中心に形成されたという沿革もあり、今日に至るまで政策に通じた議員が多く在籍する。しかし、政策に明るいものの政争に暗いと評され、「公家集団」と揶揄されることもしばしばみられる[2][3]。
当初から離合集散を繰り返してきた自民党各派閥に比べて、各会長の下で一致結束して派閥を継続してきたとされ、自民党草創期の名称を今日まで維持している唯一の派閥でもある。しかし、後述のように派内抗争とも無縁ではなく、特に1993年の野党転落を機に派の主導権争いが激化してからは分派や合流を繰り返し、先述のように現在では宏池会、志公会(麻生派)や有隣会(谷垣グループ)と3つの集団に分かれている。
「大宏池会構想」も参照
出身地
創設者の池田を始めとして広島県に圧倒的に強く、そのほか独立した派閥も含めると、領袖の出身地・地盤が京都府、福岡県、東北地方に偏っている[注釈 2]。
政策
政策面では、保守リベラル派に属し[4]、特に安全保障では日米関係を重視しながらも、ハト派的傾向が見られる。第1次小泉内閣以降、タカ派が主流化する中、宏池会再結集においてはリベラル派の再結集をアピールした。
名称について
「宏池会」の名は、後漢の学者・馬融の「高光の榭(うてな)に休息し、以て宏池に臨む」という一文(出典は『広成頌』)から、陽明学者安岡正篤が命名したものである。池田勇人の「池」の字、池田の出身地である広島の「ひろ」を「宏」に掛けているともいわれる。
事務所
創設以来、赤坂の日本自転車会館(のちの赤坂貿易会館、日本短波放送会館)1号館に事務所が置かれていたが、再開発によりビルの取り壊しが決定したため、永田町の全国町村会館に移った。
酒豪
底なしで知られた創設者の池田以降、前尾、宮澤、岸田ら伝統的に酒豪の揃った派閥として知られ、会合や宴席では部外者が唖然とする光景が繰り広げられている[注釈 3]。
沿革
結成
1957年6月[5]に池田勇人を中心に結成された。
池田は、旧自由党の吉田茂派(吉田学校)を同門の佐藤栄作(周山会)と分ける形で派閥を形成し、池田の下には前尾繁三郎・大平正芳・黒金泰美・鈴木善幸・宮澤喜一・小坂善太郎など官僚系を中心とした人材が結集した。また、派のブレーンにはやはり大蔵官僚出身の下村治・田村敏雄などが集まり政策を立案していった。
前尾派・大平派時代
大平正芳
池田の退陣・死去後は前尾繁三郎が主導権を握ったが、佐藤四選を許した前尾に飽き足りない田中六助・田沢吉郎・塩崎潤ら若手議員は大平正芳を担いで、前尾を会長から下ろした(大平クーデター)。
大平派においては、伊東正義・斎藤邦吉・佐々木義武が「大平派三羽烏」と呼ばれた。大平は総理総裁に就任すると椎名裁定以来の総幹分離の慣例を破って総裁派閥である斎藤邦吉を幹事長に起用し、大平―斎藤ラインで1979年衆院選を行い、自派閥衆議院議員を50名に増やした。
鈴木派・宮澤派時代
鈴木善幸
宮澤喜一
1980年衆院選の最中に大平が急逝、鈴木善幸が宏池会代表(のち会長)・首相となる。鈴木は元来、大平を総裁とすべく尽力してきた裏方の調整役であり、派閥を率いて総裁を目指す人物とはみなされていなかったが、反主流派の造反に端を発する総選挙の中での大平急逝という特異な状況下、党内融和を求める空気の中で、同じ宏池会の実力者でありキングメーカーの田中角栄とも関係が良好な鈴木に白羽の矢が立つことになった。
この時期の宏池会では、大平の後継を巡り宮澤喜一と田中六助の間に「一六戦争」と呼ばれる抗争が繰り広げられていたため、鈴木の代表就任は決着がつくまでの当面のつなぎという性格も強かった。
宮澤は早くから将来を嘱望される存在であったものの、人望と政治的手腕に欠け、一方の田中(六)は鈴木善幸の擁立や新自由クラブとの連立工作などで存在感を増してゆく。
背景には宮澤嫌いで知られる田中角栄と、宮澤を好んだ福田赳夫による「角福戦争」がある。
鈴木退陣後は中曽根康弘総裁の下で「半主流派」などと揶揄される。
二階堂擁立構想では、鈴木ら派幹部が主導的役割を演じた。
宮澤と田中(六)の後継争いは田中(六)の死去による宮澤の継承で落ち着いた。
宮澤は竹下登、安倍晋太郎とポスト中曽根を争うが、1987年の「中曽根裁定」により竹下に敗れた。
宮澤は1991年に竹下派の後押しもあって念願の総裁に就くが、その竹下派の分裂が引き金になり、自民党は野党に転落することになった。
野党転落後は宮澤が会長に留任したまま、宏池会の河野洋平が総裁となり、1994年に自社さ連立を実現させ、与党に復帰する。
しかし河野総裁の任期中から宮澤の後継争いも絡んで加藤紘一と河野との対立が深刻化し(「KK戦争」)、加藤が1995年の総裁選で橋本龍太郎を支持したこともあり、河野は総裁続投断念に追い込まれる。河野は総理に就任しない最初の総裁となった。
宮澤後継を巡る対立はその後も燻り続けたが、宮澤から加藤へ派閥の継承が決定的になると1998年12月に河野は派閥を離脱、派内の反加藤議員を結集して1999年1月に大勇会を結成した。長らく結束を保ってきた宏池会にとって最初の分裂だったが、翌年にはさらなる激震に見舞われることになる。
加藤の乱と派閥の分裂
2000年11月に野党から提出された森内閣不信任案に加藤は同調。しかし派閥全体を動かすことができずに尻すぼみに終わった(加藤の乱)。
結果、加藤を支持するグループと、反加藤グループ(堀内派)に分裂し、両派が互いに「宏池会」と名乗る異常な事態となった(加藤グループは、2年後に加藤が秘書のスキャンダルで議員辞職に追い込まれて小里貞利が継承。その後小里が政界引退し、2005年9月26日の派閥総会で谷垣禎一が会長に就任)。
宏池会分裂時の各派閥についての詳細は、以下の項目も参照。
宏池会 (古賀派)
宏池会 (谷垣派)
小泉政権
5年半の長期政権となった小泉政権においては、谷垣派は谷垣自身がほぼ一貫して重要閣僚を担っていたため事実上の主流派として政権を支える一方、堀内派は政権に対する距離が定まらず、2003年の総裁選などでも派内対立が激化した。
2005年のいわゆる郵政法案とその後の郵政解散を巡っては、堀内会長が反対票を投じて離党に追い込まれ、古賀も棄権票を投じたため誓約書を書かされた上でようやく公認を得るなど苦汁を舐めさせられている。
小泉の「脱派閥」方針で一貫して派閥の弱体化が進んだ時期だったが、相対的に小泉の出身派閥である清和会の存在感が増していくと、それに対する対抗の意味もあり、宏池会の再結集が語られるようになっていった。
宏池会結集構想
2006年に入ると、河野グループも含めた旧宮澤派の流れを汲む三派の再結集を目指す大宏池会構想が具体的に表面化した。
谷垣と河野グループ(当時)所属の麻生太郎がポスト小泉に名乗りを上げているため、2006年9月の自民党総裁選が終了した10月頃の合同で三派幹部の認識は一致しており、「大宏池会」への流れは加速していると見られてきた。
ところが、総裁候補を有しない丹羽・古賀派内部では若手議員を中心に安倍待望論が根強く、丹羽雄哉・古賀誠も事実上の安倍支持を表明、さらに丹羽・古賀派のベテランである柳澤伯夫が安倍陣営の選対本部長に就任(後に厚生労働大臣)。安倍が勝利した総裁選後の人事では丹羽・古賀派からは丹羽が総務会長に就任したのに加え、4人を閣僚に送り込み、河野グループ(2006年12月以降、麻生派)でも麻生外相が留任するなど主流派となったのと対照的に、谷垣派は完全に要職から外れた。さらに総裁選後は丹羽・古賀派の古賀系の議員による丹羽外しの動きが見られた。
2007年、安倍退陣後の総裁選においては総裁選の過程で早くから谷垣・古賀が派として福田康夫支持を打ち出し、対立候補の麻生を一転劣勢に追い込んだため「麻生包囲網」などと言われた。
福田政権においては古賀・谷垣自ら三役入りする一方で、麻生は入閣を拒否し反主流派に回った。かつての盟友である麻生・古賀の関係が冷え込んだのもこの時期である。
このように三派の関係や各派内部においても溝が生じたため、総裁選を過ぎた後は、大宏池会としての合流は困難な情勢となった。
古賀派・谷垣派の再合流
他方、上述の総裁選をきっかけに谷垣・古賀両派の関係は緊密化し、2007年末になって麻生派抜きの「中宏池会」として古賀派と谷垣派が2008年5月にも再合流することで両派閥が合意。これに伴い「宏池会」の名称で2つの派閥が並立する状態は7年ぶりに収束することになった。
その後、再合流は通常国会前が望ましいとの観点から2008年5月13日に前倒しされ、古賀が派閥会長に、谷垣が代表世話人に、堀内光雄が名誉会長に、逢沢一郎が事務総長に、それぞれ就任した。
中宏池会の成立により宏池会(2008年10月15日現在[6]、61人)は、清和政策研究会(2008年6月20日現在[7]、玉澤徳一郎含めて89名)、平成研究会(2008年2月13日現在[8]、69人)に次ぐ第3派閥となり、ハト派勢力として党内に影響を与えると見られた。
詳細は「中宏池会」を参照
総裁派閥に
谷垣禎一
自民党が野党に転落した第45回衆議院議員総選挙では宏池会も所属衆議院議員を25人と半減させたが、第1派閥の清和会、第2派閥の平成研がそれぞれ1/3に議席数を減らしたため、衆議院では第1派閥となった。
麻生総裁退任を受けた2009年9月の自民党総裁選では、谷垣禎一が勝利。
自派も含めて幅広く支持を集めての圧勝だったが、小野寺五典が自ら立候補を模索した上河野太郎支持に回ったほか、菅義偉も派閥を退会して河野を積極的に支持するなど、総裁選は派閥単位の動きよりは世代対立の様相を呈した。
宏池会が総裁派閥となるのは、皮肉にも前回の野党転落時の河野洋平以来14年ぶりだが、就任後もしばらくは離党者が相次ぐなど、厳しい党運営が続いた。
谷垣と菅は同じ日本海側出身として関係が深く、第174回国会の予算委では菅が民主党鳩山由紀夫・小沢一郎の金の問題を徹底的に追求した。
古賀派から岸田派へ
岸田文雄
しかし翌年の第22回参議院議員通常選挙で与党を過半数割れに追い込むと、各種地方選や2011年の統一地方選挙などでも勝利を重ね、総裁としての谷垣は一定の評価を得るようになっていった。
総裁再選を目指し、2012年自由民主党総裁選挙への立候補に意欲を示す谷垣は、出身派閥の領袖である古賀へ支援を要請した。
しかし古賀は「若い人へバトンタッチするべき」と述べて、谷垣への支援を拒否した。
派内の旧谷垣派議員らが反発する中、古賀は参議院議員の林芳正擁立に乗り出した。
出身派閥の支援を得られなくなった谷垣は脱派閥を打ち出し、党内最大勢力となった無派閥議員の支持を得ようとするも、幹事長の石原伸晃の立候補もあって推薦人の確保すらままならなくなり、執行部内の候補一本化を理由に最後は立候補の断念に追い込まれた。
次期総選挙における自民党の政権奪還が有力視される中、谷垣は総理の座を目前で逃すことになったが、こうした展開は皮肉にも、やはり宏池会出身の総裁であった河野洋平のケースと酷似したものだった[9]。
こうした状況に派内では対立が激化。
事態の収拾のため、古賀は会長職の辞任を表明した。
後任には谷垣側近の逢沢一郎を充て、派内の融和を図ろうとするも、谷垣系の反発は収まらず、逢沢や川崎二郎などの約10人の旧谷垣派出身議員が退会届を提出した。
逢沢らは、総裁退任後に宏池会への復帰を見送った谷垣や、谷垣の再選を支持した議員らと共に、「有隣会」を旗揚げし、宏池会は再び分裂した。
結局、新会長には古賀に近い岸田文雄(元沖縄・北方対策担当相)が就任し、ナンバー2の座長には林芳正が、名誉会長には古賀が就くこととなった。
これを受け、以後マスメディアなどでは岸田派と呼ばれるようになる。
総裁選での支援候補の敗北や、派閥の分裂で、求心力が大幅に低下した古賀は、第46回衆議院議員総選挙に立候補せず、政界を引退した。
岸田派
総選挙後に誕生した第2次安倍内閣では岸田(外務大臣)、林(農林水産大臣)、小野寺五典(防衛大臣)、根本匠(復興大臣)の4人が入閣した。
2014年9月3日に発足した第2次安倍改造内閣では林、小野寺、根本が閣外へ去り、岸田が留任、塩崎恭久(厚生労働大臣)、事務総長の望月義夫(環境大臣)が新たに入閣。後任の事務総長に宮腰光寛が就任した。
その後辞任した閣僚の後任として上川陽子、宮澤洋一、林がそれぞれ法務大臣、経済産業大臣、農林水産大臣として入閣し、合計6人となった。
その後は塩崎が退会したほか、2015年10月に発足した第3次安倍第1次改造内閣では岸田が留任したのみで、1名の入閣にとどまった[10]。
2016年は「加藤の乱」前後の派閥の長だった堀内光雄、加藤紘一、小里貞利が相次いで他界した。
2017年8月3日に発足した第3次安倍第3次改造内閣では上川が法務大臣、小野寺が防衛大臣再任、林が文部科学大臣、松山政司が内閣府特命担当大臣の4名が入閣し派閥最多。岸田は党の政務調査会長に就任した。
2019年7月21日、第25回参議院通常選挙では溝手顕正、中泉松司、大沼瑞穂、二之湯武史が落選した[11]。
2020年9月1日、同年9月14日に行われる自民党総裁選挙に岸田が立候補を表明した[12]。結果は内閣官房長官の菅義偉に敗れ、2位に終わった[13]。
2021年8月26日、菅の任期満了に伴い同年9月29日に行われる自民党総裁選挙に、昨年に引き続き岸田が立候補を表明した[14]。
1回目の投票で得票数は岸田がトップであったがいずれの候補者も過半数に届かなかったため決選投票の結果、河野太郎を破り、第27代総裁に選出され[15]、更に10月4日に第100代内閣総理大臣に選出された。宏池会所属の総裁は谷垣以来、総理は宮沢喜一以来となった。
なお、近年の自民党の総理大臣は在任中派閥を離れることが多かったが、岸田は総理就任後も宏池会会長にとどまっている[16]。
歴代会長
代 会長 派閥呼称 期間
1 池田勇人 池田派 1957年 – 1965年
2 前尾繁三郎 前尾派 1965年 – 1971年
3 大平正芳 大平派 1971年 – 1980年
4 鈴木善幸 鈴木派 1980年 – 1986年
5 宮澤喜一 宮澤派 1986年 – 1998年
6 加藤紘一 加藤派 1998年 – 2001年
※1 加藤の乱をきっかけに、加藤派と堀内派に分裂
※2 谷垣派が古賀派に合流
※3 太字は首相(総裁)経験者
※4 代数、期間は宏池会公式HPに拠る
現在の構成
2021年12月現在。
役員
会長 会長代行 座長 副会長 事務総長 事務総長代行 事務局長 政策委員長 最高顧問
岸田文雄 根本匠 林芳正 (竹本直一)
(宮腰光寛)
(山本幸三) 根本匠 小野寺五典
松山政司
木原誠二 宮沢洋一 金子原二郎
※根本匠は会長代行と事務総長を兼任
衆議院議員
岸田文雄
(10回、広島1区) 根本匠
(9回、福島2区) 石田真敏
(8回、和歌山2区) 小野寺五典
(8回、宮城6区)
金子恭之
(8回、熊本4区) 北村誠吾
(8回、長崎4区) 平井卓也
(8回、比例四国・香川1区) 上川陽子
(7回、静岡1区)
寺田稔
(6回、広島5区) 葉梨康弘
(6回、茨城3区) 石原宏高
(5回、比例東京・東京3区) 木原誠二
(5回、東京20区)
盛山正仁
(5回、比例近畿・兵庫1区) 岩田和親
(4回、比例九州・佐賀1区) 古賀篤
(4回、福岡3区) 國場幸之助
(4回、比例九州・沖縄1区)
小島敏文
(4回、比例中国・広島6区) 小林史明
(4回、広島7区) 武井俊輔
(4回、比例九州・宮崎1区) 辻清人
(4回、東京2区)
藤丸敏
(4回、福岡7区) 堀内詔子
(4回、山梨2区) 村井英樹
(4回、埼玉1区) 渡辺孝一
(4回、比例北海道)
西田昭二
(2回、石川3区) 深澤陽一
(2回、静岡4区) 林芳正
(1回・参院5回、山口3区) 石橋林太郎
(1回、比例中国)
神田潤一
(1回、青森2区)
(計29名)
参議院議員
松山政司
(4回、福岡県) 藤井基之
(3回、比例区) 水落敏栄
(3回、比例区) 金子原二郎
(2回・衆院5回、長崎県) 宮澤洋一
(2回・衆院3回、広島県)
磯﨑仁彦
(2回、香川県) 古賀友一郎
(2回、長崎県) 馬場成志
(2回、熊本県) 森屋宏
(2回、山梨県) 足立敏之
(1回、比例区)
小鑓隆史
(1回、滋賀県) 藤木眞也
(1回、比例区[17])
(計12名[18])
逸話
参議院議員の田中直紀(参2回・衆3回、新潟県)は、古賀派を経て中宏池会結成(2008年5月13日)にも参加していたが、無所属で民主党会派の衆議院議員・田中眞紀子の夫という立場でもあるため、2008年9月26日、「地元の事情」を理由に自由民主党に離党届を提出した。離党届が幹事長・細田博之預かりとなった後、10月15日に党本部から正式に離党を受理承認され、田中直紀は無所属となり、2009年8月に妻の田中真紀子と共に民主党に入党した。これは夫人からの選挙応援に差し障りがないようにするためと見られた[6][19][20]。』
「新しい資本主義」 市場に配慮、かすむ岸田色
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA0650T0W2A600C2000000/
※ そういう「内政事情」ばかり言っていて、大丈夫なのか…。
※ 「国際情勢」は、「激変中」だと思うのだが…。
※ まあ、参院選終わるまでは、そういう感じで行くんだろうな…。
『岸田文雄首相が掲げる「新しい資本主義」の実行計画が7日に決まった。自ら率いる岸田派の議員と5年前から練り続けた構想を結実させた。公共や公益、格差是正、分配を重視する姿勢と、成長や市場への目配りの狭間(はざま)で計画づくりは難航した。
柱が固まったのは5月5日、英国・ロンドンの金融街シティーでの講演だ。首相は「マーケットの声、現場の声をよく聞き政策を進めていく」と宣言した。
原稿は木原誠二官房副長官が書いた。2021年秋の政権発足前から長く岸田氏の政策や演説をつくってきた最側近だ。木原氏は事前に野村証券やJPモルガン証券、みずほ証券で講演し、金融所得課税の強化について質問を受け「考えていません」と答えていた。
金融所得課税は20年の岸田氏の著書の第1章冒頭、21年秋の自民党総裁選公約のそれぞれに記載している。格差是正に力点を置く岸田氏の「一丁目一番地」とみられていた。
投資家や市場は嫌がる政策だった。政権発足後は日経平均が下がり「岸田ショック」と呼ばれた。ウクライナ侵攻や物価高も重なり、その後も相場は力強さを欠く。夏は参院選だ。その前に市場の不安を解消したい。切迫感がシティー講演につながった。
「新しい資本主義」の原点は17年、宏池会(岸田派)創設60周年のイベントにさかのぼる。政策パンフレット「K-WISH」を公表した。「kindな政治、 warmな経済、inclusive(包括的)な社会……」と続く標語の頭文字からとった。ほぼ岸田、木原両氏でつくった。
その場には渋沢健・コモンズ投信会長も招いた。高祖父・渋沢栄一の合本主義をひき、社会全体の利益を重視するステークホルダー資本主義を唱える人物だ。今回の実行計画をつくった政府の会議にも入っている。
当時、木原氏らは総裁選のキャッチフレーズを岸田氏に提案した。「合本資本主義、公益・公共資本主義、持続可能な資本主義、誰一人取り残さない資本主義」と列挙した。
「特定の考え方を正解と押しつけるのは良くない。新しい資本主義がいいな」。こう話したのは岸田氏自身だ。多様な概念を包摂するために「新しい」と冠をつけた判断が後々まで響く。
20年の総裁選はベテランも含む派閥全体で「分断から協調へ」を掲げて戦った。政策がみえにくい言葉は菅義偉氏が訴えた「アベノミクスの継承」に敗れた。
永田町も霞が関も「首相の目は乏しい」とみるようになった。起死回生を期す岸田氏は側近を頼みにし、独自色を前面に出す戦略を選んだ。
木原氏のほかに加わったのはいま首相補佐官の村井英樹、デジタル副大臣の小林史明の両氏だ。21年総裁選は「岸田色」を追求して「新しい資本主義」を前面に出して勝利した。
木原、村井両氏は元財務官僚で小林氏はNTTドコモ出身だ。木原氏は1999~2001年に英大蔵省に出向し、ブレア英首相の「第三の道」に触れた。「市場重視の新自由主義」と「国家による福祉充実」の対立を越える構想は岸田政権につながる。
難題もあった。「新しい資本主義」は従来の資本主義の否定にも映る。12~20年の安倍晋三首相が進めたアベノミクスも乗り越える対象かとも受け止められる。
「新しい資本主義は『分配』のメッセージが多過ぎだった。市場から『社会主義じゃないか』と批判があった」。安倍氏も7日、周囲にこう漏らしている。
党の実力者・安倍氏を否定すれば支持は限定される。大規模な金融緩和・財政出動で潤った市場も警戒する。アベノミクスの継承や市場の声との狭間で悩んだ結果がシティー講演になった。
計画をまとめる会議は渋沢氏のほか、柳川範之東大教授、経団連や連合のトップが入った。霞が関では新原浩朗内閣審議官らが動いた。
新原氏らはノーベル経済学賞のジャン・ティロール氏ら人的資本やステークホルダーの重要性を説く学者を参考にした。成長路線にもつながる「人への投資」は目玉になった。
「新しい資本主義はもちろん資本主義である」。実行計画にはわざわざこんな文言が入った。最後まで市場や世間の懸念にとらわれた証しだ。
「新しい資本主義」は当初「市場の機能や競争が過剰なことの弊害」を強調する側面が目立った。経済界などからは「規制緩和や競争が十分でない弊害が大きい」と真逆の見方がでている。
首相はひとまず軌道修正した。それでも「分配偏重になるのでは」「本当に雇用改革をするのか」と疑念は残る。市場や経済界は注視し続けている。
【関連記事】
・欧米を拙速だと笑えるか
・言葉遊びより改革断行を 「骨太の方針」決定
・成長へ投資促す改革 「新しい資本主義」案、人・技術重点
多様な観点からニュースを考える
※掲載される投稿は投稿者個人の見解であり、日本経済新聞社の見解ではありません。
竹中治堅のアバター
竹中治堅
政策研究大学院大学 教授
コメントメニュー
分析・考察
「新しい資本主義」のもとで岸田政権は規制緩和による競争促進よりも、国家が科学技術開発投資を主導することや、経済安全保障を確保することを重視する。背景には日本の所得水準や科学技術力の低下への政権の強い危機感がある。「規制緩和や競争が十分でない弊害が大きい」」という見方が経済界にはあるという。これに対し、政権は経済界に対し投資も賃金も十分増やさず内部留保だけを増やしてきた考えているのが実情だ。一連の政策には政治的要素もあるだろう。宏池会は、小泉政権が展開した新自由主義的政策のもとで、2005年の総選挙で派閥会長が自民党を追い出されるという憂き目にあっていることにも留意する必要がある。
2022年6月12日 2:09 (2022年6月12日 2:13更新) 』
日刊 アジアのエネルギー最前線 : 電力危機,こんな電力に誰がした,発送電分離の発想を推し進めた経済屋さんのせい – livedoor Blog(ブログ)
http://blog.livedoor.jp/adachihayao/archives/2021478.html
※ 何事も、「プライオリティ」というものがある…。
※ 世の中の、ほぼ全ての「事がら」は、「あちら立てれば、こちら立たず。」という関係にある…。
※ 「電力の安定供給を、重視すれば、コストは犠牲になる。」…。
※ 「コストを重視すれば、電力の安定供給は犠牲になる。」…。
※ そういう中で、「この局面で」「何を重視し、何を捨てて行くのか」…。
※ それを決めて行くのが、「プライオリティ」の決定だ…。
※ むろん、国家政策において、一般論としては、「最大多数(国民)の、最大幸福」ということを目標とすべきだ…。
※ しかし、現実の策としては、「どの方面の国民も、そんなに酷いことにならない線」に落ち着くことが多いだろう…。
『【日刊 アジアのエネルギー最前線】 電力危機,こんな電力に誰がした,発送電分離の発想を推し進めた経済屋さんのせい
http://www.adachihayao.net
2022年6月11日 土曜日 曇かな
今年の夏の電力需給逼迫が懸念され,更に今冬には,関東エリアで需給が破綻することへの現実的な問題が話題となっている,誰がこんな電力にしたのか,池田信夫氏の議論であるが,池田氏は経済学者であり,私達から見れば,経済屋さんが電力のデリバティブ化を目指して自由化を推し進めた,と
池田氏が言っておられるように,電力自由化の本質は発送電分離で,その制度の下では誰でも発電を作ることが出来る,太陽光と共に拡大してきたこの制度は,今問題となっている上海電力の参入も防ぐことは出来なかったわけであるが,この発送電分離の結果,電力会社には,供給責任がなくなった
国も手を出せなかった東京電力が,原発事故の影響もあって,少なくとも長期の需給計画には全く手が出せなくなった,池田氏は将来の需給計画,即ち中長期の電源開発は一体誰が考えているのか,と私達と同じ質問を発しているが,発送電分離の前に分かっていた,経済屋さんの発想が危機を生んだ』