EU 記事は誰がどこで書いているのか?
---読売・朝日・日経を事例として---
福井 英次郎
https://www.kwansei.ac.jp/cms/kwansei/pdf/educational/industry/0000090966.pdf










EU 記事は誰がどこで書いているのか?
---読売・朝日・日経を事例として---
福井 英次郎
https://www.kwansei.ac.jp/cms/kwansei/pdf/educational/industry/0000090966.pdf










英国の混乱、日本に教訓 財制審で異例の他国政策討議
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA1335Q0T11C22A0000000/
『英国のトラス政権の経済対策に端を発した市場の混乱が収まらない。やみくもな大規模減税は財政と経済成長を損ないかねないと市場は警鐘を鳴らした。財政制度等審議会(財務相の諮問機関)が13日の分科会で英国の状況を議論するなど日本の当局も異例の関心を寄せる。大規模の財政出動が慢性化する日本にとって対岸の火事ではない。
「経済対策を撤回するつもりはないのか」。12日、英議会での党首討論。野党労働党のスターマー党首はトラス首相を激しく追及した。トラス氏が「正しく財政資金を使うことで経済成長する」と応じ、見直さない考えを示すと、やじが飛び交い騒然となった。
英政府は9月23日、年450億?(約7.4兆円)の大減税や半年で600億?の家庭・企業向けエネルギー対策を柱とする経済対策を発表。対策の資金は当面借り入れに頼るとし、国債発行計画を大幅に上積みした。
インフレが進む金利上昇局面での財政悪化を政府が制御できなくなり、経済成長の土台も崩壊しかねない。そう見た市場は債券・通貨・株の「トリプル安」で反応した。その後、英政府は高所得者向けの減税を撤回した。ただ、経済対策の大部分は維持されているため市場の警戒は続く。
日本の財政当局も動向を注視している。13日の財制審では急きょ、英国に関する資料を追加。市場や国際機関の反応などを細かく記載した。他国の状況について討議するのは異例だ。財務省幹部は「先進国でも、ふとしたことがきっかけで財政への市場の信認が損なわれれば、通貨や国民経済に大きな影響が出うることを示した」と話す。
終了後に記者会見した増田寛也分科会長代理は「財政運営への信認が低下しないよう対応していく必要がある」と話した。
インフレ率など前提条件は異なるが、英国の危機から引き出せる教訓は小さくない。
インフレ率が10%もの英国で物価高対策などへの一定の財政支出の必要性は否定されるものではない。
市場の不信を招いたのは、目的や対象を絞らず、やみくもだった点だ。減税策では所得税や印紙税の引き下げ、法人増税凍結などあらゆるメニューが並んだ。英国では労働需給は逼迫しており、減税でさらに需要を刺激すればインフレの助長につながりかねない。
国際通貨基金(IMF)は「対象を限定しない大規模の財政パッケージを推奨しない」と批判。高所得者減税や法人増税の凍結は不平等助長の懸念があるとも指摘した。インフレ抑制のために金利引き上げを進めていた金融政策と財政政策の方向のズレも懸念を大きくさせた。
日本政府は新型コロナウイルス禍以降、大規模の経済対策を繰り返し、金融緩和を続ける日銀と今のところ足並みはそろっている。ただ、財政政策が必要な部分に絞られているかという点で英国と同様に問題を抱える。
足元で検討が進む総合経済対策は、電気代の直接支援などが盛り込まれ、巨額の財政支援から抜け出せなくなる恐れがある。一方、コロナ対策である雇用調整助成金の特例の縮小・終了は与党側が慎重で調整が進まない。成長分野への労働移動を妨げるなど中長期で成長率を下げかねないメリハリのない財政出動が慢性化している。
SMBC日興証券の丸山義正氏は「財政拡張策が経済成長の基盤や規律を著しく損なうと市場から判断されたときには日本売りという形で円安が一段と進むリスクがある」と話す。
世界経済の先行きに警戒感が強まる中、各国にとって財政出動の誘惑は大きく、役割も大きい。だが「賢くない」とみなされた政策の代償がどれだけ怖いかも明らかになった。
(税財政エディター 小滝麻理子)』
トヨタ、販売店の資金3兆円一括調達 金利交渉有利に
【イブニングスクープ】
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFD299KC0Z20C22A8000000/
※ 『地銀などは伝統的に地元のトヨタ販売店を取引相手としてきたが、今後はTFCとの取引をする必要に迫られる。スケールメリットを生かしてTFCは今後、それぞれの金融機関と金利など借り入れ条件の交渉に入るとみられる。』…。
※ ということで、ワリを喰うのは、各地方の地銀…、のようだ…。

『トヨタ自動車は2023年4月に全国に約5000店ある販売店の資金調達を集約する。販売店が車の割賦販売のために調達していた資金約3兆円をトヨタ子会社がまとめて調達する。これまでは販売店がそれぞれ全国の地方銀行などから借り入れていた。海外で金利が急上昇するなど金融市場の不透明感が増しており、金融機関と資金調達の交渉を有利に進められる体制を整える。
現在はトヨタ系の販売店を各地で運営している約250社が地銀や大手銀行から必要な資金を借り入れ、トヨタから仕入れる車の代金などに充てている。車を割賦販売する際、トヨタ子会社のトヨタファイナンス(TFC、名古屋市)が消費者から分割払いの金額を回収し、販売店に毎月送金している。ただ、少額の資金が毎月入ってくるだけで、販売店は全額を回収するのに時間がかかっていた。
新たにTFCが金融機関からまとめて資金を調達した上で、割賦販売による販売店の債権を買い取る方式に改める。販売店は自ら借り入れる必要がなくなり、すぐに債権を売却して車の販売代金を素早く回収できる。経理業務の負担も減らせるという。金利上昇局面で経営規模の小さい販売店が資金調達の交渉で不利になったり、資金繰りのリスクが高まったりすることに備える。
新たな手法は23年4月以降に割賦で販売した際から適用される。車の販売にともなって5~6年ですべての割賦契約が旧来のやり方から置き換わる見通しだ。販売店が安定的に受け取れる金利収入は変わらず得られるもよう。TFCではクレジットカード事業などで現在1.5兆円ほどの資金を金融機関から借り入れているが、新制度に変わるとこの調達額が将来的には5兆円規模に膨らむ見込みだ。
地銀などは伝統的に地元のトヨタ販売店を取引相手としてきたが、今後はTFCとの取引をする必要に迫られる。スケールメリットを生かしてTFCは今後、それぞれの金融機関と金利など借り入れ条件の交渉に入るとみられる。
TFCはトヨタの国内向けの販売金融を手がけ、世界各地を束ねるトヨタの子会社、トヨタファイナンシャルサービスの子会社。
イブニングスクープ
翌日の朝刊に掲載するホットな独自ニュースやコラムを平日の午後6時頃に配信します。
【関連記事】
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小平龍四郎
日本経済新聞社 上級論説委員/編集委員
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分析・考察
トヨタは部品サプライヤーに対して値下げ要請を見送ったりエネルギー費用の支援を検討したりと、「仲間」を援助する姿勢を強めています。今回の販売店の資金調達を一括肩代わりする施策も金利の援助とみることができます。温情主義や家族主義と捉える向きもあるでしょうが、サプライチェーンの競争力を維持、向上させる戦術と考えるべきではないでしょうか。今や企業価値を左右するネットゼロの取り組みも、サプライヤーを含めた「スコープ3」が問われます。資本の面から見た連結対象や持ち分法適用会社を越えた「新連結経営」を競う時代なのかもしれません。
2022年10月13日 19:00 』
茂田宏
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%82%E7%94%B0%E5%AE%8F
『茂田 宏(しげた ひろし、1942年(昭和17年)6月13日[1] – )は、日本の外交官。1999年から2002年までイスラエル駐箚特命全権大使。 』
『経歴・人物
1942年(昭和17年)朝鮮生まれ。1965年(昭和40年)東京大学中退、外務省に入省する。ハーバード大学留学を経て、1967年度には、外務省在ソ連邦日本国大使館とソ連邦対外文化連絡国家委員会の合意に基づき、松井啓及び宮鍋幟らとモスクワ大学派遣研究員を務めた[2]。
外務省欧亜局ソヴィエト連邦課長、1992年(平成4年)駐露公使、1996年(平成8年)外務省国際情報局長、総理府国際平和協力本部事務局長を経て、1999年(平成11年)8月、駐イスラエル大使。2002年から2004年まで、テロ対策担当大使も務めた[3]。退官後は、東京大学、拓殖大学、同志社女子大学で客員教授として活動するかたわら、2006年(平成18年)7月、日本財団特別顧問、2007年(平成19年)10月1日から2013年(平成25年)まで、北方領土問題対策協会理事(非常勤)なども務めている[4]。
2017年(平成29年)秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章。
岡崎久彦亡き後の岡崎研究所の運営を引き受けている[5]。
同期
加藤良三(駐米大使・外務審議官・総合外交政策局長・アジア局長・プロ野球コミッショナー)
折田正樹(駐英大使・北米局長・条約局長)
津守滋(00年駐ミャンマー大使・98年駐クウェート大使)
田中克之(駐メキシコ大使・中南米局長)
木谷隆(駐ペルー大使)
小西正樹(駐マレーシア大使・国連大使)
佐藤裕美(駐コートジボワール大使)
佐々木高久(駐ナイジェリア大使)
朝海和夫(欧州連合大使・国際社会協力部長)
河村武和(欧州連合大使・儀典長)
内田富夫(00年駐スウェーデン大使・95年駐シリア大使)
松井啓(01年駐ナイジェリア大使・98年駐ブルガリア大使・93年初代駐カザフスタン大使)
竹中繁雄(03年査察担当大使・99年駐トルコ大使・97年法務省入国管理局長・93年駐バングラデシュ大使)
著作
編著
『日露(ソ連)基本文書・資料集』(ラヂオプレス/RPプリンティング、2003年4月、BB21007410) ISBN 978-4947638007
翻訳
『米ソ核軍縮交渉』(サイマル出版会、1990年4月) ISBN 978-4377308402
『ペンタゴン報告書:中華人民共和国の軍事力 2009年版』(国際情報センター、2009年7月) ISBN 978-4990474102
『インテリジェンス 機密から政策へ』(慶應義塾大学出版会、2011年5月) ISBN 978-4766418262
『戦後の誕生 テヘラン・ヤルタ・ポツダム会談全議事録』 ISBN 978-4120055096
(小西正樹・倉井高志・川端一郎共編訳、中央公論新社、2022年3月)
脚注
^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.192
^ 「国際文化交流の現状 」外務省
^ (日本語) “慶應義塾大学出版会”. 慶應義塾大学出版会. 2014年3月27日閲覧。
^ (日本語) “平成19年10月1日時点における役員名簿”. 北方領土問題対策協会. 2014年3月27日閲覧。
^ 所長紹介 NPO岡崎研究所
外部リンク
(日本語)強気のプーチンが涙したロシア大統領選 新政権の今後の課題、対日政策を読む(ダイアモンドオンライン特別リポート)』
岡崎久彦
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E5%B4%8E%E4%B9%85%E5%BD%A6
『岡崎 久彦(おかざき ひさひこ、1930年(昭和5年)4月8日[1] – 2014年(平成26年)10月26日[2])は、日本の外交官、評論家。サウジアラビアとタイ王国で特命全権大使を歴任し、また外務省で情報調査局長を務めた。祖父の岡崎邦輔は、陸奥宗光の従弟にあたる。 』
『人物
関東州・大連生まれ[1][2]。白金小学校、府立高等学校を経て、東京大学法学部に進んだ。東大法学部在学中に外交官試験合格する[3]。大学を中退し、外務省に入省[4]。八木秀次によれば、岡崎は卒業証書は小学校のものしか持っておらず、その後は大学まですべて「飛び級」だったという[5]。岡崎邦輔は祖父。
外務省ではケンブリッジ大学での英語研修を皮切りに、在外で在フィリピン大使館、在フランス大使館、在米国大使館、在韓国大使館に駐在し、本省では国際連合局に勤務する。課長就任後は、調査企画部の分析課長、調査課長、調査室長、さらに調査企画部長、情報調査局長と、情報部門の幹部を歴任する。駐タイ大使を経て1992年に退官。外交評論家として活動する。
外務省在職中から執筆活動を行い、外務省の論客として知られた。1977年、長坂覚[6]のペンネームで著した『隣の国で考えたこと』で日本エッセイストクラブ賞受賞。 1981年、『国家と情報』でサントリー学芸賞を受賞。1995年、第11回正論大賞受賞[7]。“アングロサクソンとの協調こそが日本の国益とアジアの平和につながる”と一貫して主張。また、自ら本を出すなど気功に傾倒していた。また、祖父が陸奥宗光の従弟にあたる政党政治家ということから「陸奥宗光」などでは戦前デモクラシーに関しても多く取り上げている。
イラク戦争では、開戦前の2003年2月19日に採択した日本国際フォーラムの「イラク問題について米国の立場と行動を支持する声明」に名を連ねていた。3月19日の開戦後、米国をいち早く支持した小泉首相を絶賛し、「日本が唯一指針とすべき事は、評論家的な善悪是非の論ではなく、日本の国家と国民の安全と繁栄である。」と主張した[8]。また、著書の中で「極東軍事裁判以来、歴史を論じる時には歴史的事件の当事者の善悪、責任を論じるのが習慣のようになっているが、そんなことばかりしていると是非の論争にこだわって歴史の真実を見失ってしまう恐れがある。歴史は流れであり、その流れの中で戦争も平和も起こる」と述べている[9]。
安保騒動後に全日本学生自治会総連合(全学連)で反対運動をしていた人間と話した際「お前たちのような教育のある人間がどうしてああいうことをするんだ。大学に行っているインテリがどうして安保反対など言うんだ」と聞いて「あの時の雰囲気がわからない人に話してもわかりませんよ」と返され「雰囲気とは何だ。お前インテリだろう。雰囲気だけで動くのか」と問い詰めたことがあるという[10]。
新しい歴史教科書をつくる会賛同者(のち日本教育再生機構顧問)、日本李登輝友の会副会長、歴史事実委員会会員を務める等の政治運動でも知られた。
「何十年の経験を誇るプロでも、一年間情勢の変化から目をそらしていると、その一年情勢をフォローしてきた駆け出しの現場の人間より判断が劣ることがある。」[11]とする一方で、米英などのイラク戦争を支持した東大教授の田中明彦、北岡伸一の発言を受けて、「昔は重大な国際的国内的政治問題が起こると、新聞は社会面に東大の政治学の教授の意見を掲載し、国民は「ああ、そういうことなのか」と啓発されたものである。その後、東大法学部は長い間左傾して権威を失墜して、誰もその発言を顧みなくなっていたが、そういう時代も終わっている。本来なら、この二教授の発言でこの論争は決着している」[12]とも述べている。
2012年秋の叙勲で瑞宝重光章受章[13]。同年9月に行われた自由民主党総裁選挙の際は、「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」発起人に名を連ねた[14]。
核拡散防止条約調印後の1969年2月に、外務省の課長級(当時分析課長だった本人、国際資料室の鈴木孝、調査課長村田良平)が西ドイツ外務省のエゴン・バール政策企画部長、ペア・フィッシャー参事官、クラウス・ブレヒ参事官を箱根の旅館に招いて、核保有の可能性を探る非公式会合に参加。
2014年10月26日、東京都内の病院で死去[2]。84歳没。死因は非公表。夫人によると敗血症から来る肺機能の低下が致命的だったという[15]。叙従三位[16]。岡崎が多く寄稿した産経新聞ではその訃報を10月28日付朝刊の一面に掲載し、五面掲載の評伝では文化部編集委員・桑原聡が「エレガントなサムライ」「教えを請いたくなるようなオーラがあった」と評した[17]。
略歴
岡崎久彦の遺著『国際情勢判断・半世紀』巻末に略年譜が収録されている。[4]
学歴
1930年 関東州・大連生まれ
1949年 府立高等学校卒業、東京大学法学部入学
1953年 ケンブリッジ大学経済学部入学
1954年 同卒業
1956年 同大学院経済学研究科修士課程修了
職歴
1952年 外交官試験に合格して外務省入省(欧米局第三課)
1953年 英語研修(ケンブリッジ大学)
1956年 国際協力局第一課
1958年 国際連合局政治課
1960年 在フィリピン大使館三等書記官
1962年 在フランス日本国大使館二等書記官
1965年 国際連合局政治課
1966年 大臣官房国際資料部資料課長
1967年 同分析課長
1969年 同調査課長
1971年 在米国大使館参事官
1973年 在大韓民国日本国大使館参事官
1976年 中近東アフリカ局外務参事官
1978年 防衛庁参事官(国際関係担当)
1981年 在アメリカ合衆国日本国大使館公使(ハーバード大学研究員)
1982年 調査企画部長
1984年 情報調査局長(初代)、駐サウジアラビア日本国特命全権大使(10月-)
1988年 駐タイ日本国特命大使
1992年 外務省退官
2002年 岡崎研究所創設
2007年 安倍晋三首相の日本の集団的自衛権保持の可能性について考える私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」有識者委員(4月- 会は2008年6月24日の最終報告書提出で解散するが2013年の第二次安倍内閣で再結成、この時も委員に就任[18])
同期
村田良平(駐独大使、駐米大使、外務事務次官)
大木浩(環境大臣、環境庁長官、自民党参議院議員、ホノルル総領事)
松村正義(帝京大学教授、ニューヨーク領事)
退官後の主な役職
博報堂特別顧問
千代田化工建設特別顧問
松下政経塾顧問
防衛法学会顧問
日本教育再生機構顧問
上野学園理事
國語問題協議會理事
国際経済政策調査会理事
日本財団評議員
博報児童教育振興会評議員
中東調査会評議員
日本国際フォーラム評議員
日本戦略研究フォーラム副理事長
国際生命情報科学会特別顧問
平河総合戦略研究所相談役
歴史認識
靖国神社
遊就館
2006年8月24日の産経新聞朝刊「正論」欄に「遊就館から未熟な反米史観を廃せ」と題した記事を掲載[19]。この記事で、遊就館の展示説明の論理性を求めている。主張の内容は遊就館の展示中にある、「アメリカが不況の脱却のために資源の乏しい日本を経済制裁により戦争に追い込み、これによりアメリカ経済は回復した」という旨の主張が不適切だというものである。また、この発言の影響から靖国神社は反米的な展示物の多数を一掃し、日本兵の手紙などに展示物を置き換えた。アメリカに関する記述以外(日中戦争・韓国・台湾植民地支配等)については記述内容を訂正しなかった(ただし、2012年の著書「二十一世紀をいかに生き抜くか」P162では、「支那事変の原因としてコミンテルンの反日工作しか記述がなかったので日本の北支工作を追加した」「たった四文字の追加ではあったが歴史の正しい認識に寄与したとひそかに自負している」と述べている)。
2006年8月25日の産経新聞記事によると、遊就館は同年4月より展示の当該部分の修正を検討し、7月から内容の見直し作業に入ったとしている[20]。この動きについて岡崎は、「早急に良心的な対応をしていただき感動している」とコメントしている[20]。
アメリカ下院国際関係委員会委員長であるヘンリー・ハイド(英語版)共和党議員も2006年9月14日の同委員会公聴会で遊就館の展示内容を日本を西洋帝国主義からの解放者のように教えるものとして批判している[21]。ラントス筆頭委員は、日本国首相による靖国神社参拝の中止を求めた[22]。同下院委員会(ハイド委員長)は前日の2006年9月13日にも、慰安婦問題対日決議を採択している[23]。
西尾幹二は、委員長発言を「岡崎久彦が「正論」コラムで先走って書いたテーマとぴったり一致している。やっぱりアメリカの悪意ある対日非難に彼が口裏を合わせ、同一歩調をとっていたというのはただの憶測ではなく、ほぼ事実であったことがあらためて確認されたといってよいだろう[24]」と「媚米反日[24]」として批判している。
「富田メモ」
富田メモについて、「本物であるはずがない」「昭和史の基礎的な知識があれば(富田メモに)信憑性があると考えるはずがない」と主張している。[25]死後に出版された回顧録では、1.昭和天皇は「ですます」調の言葉は使わない、2.昭和63年頃の証言だけで、その前の証言が何十年、一切ないのも不自然、3.千代の富士が連勝を続けていた昭和63年の七月場所か九月場所の頃、(相撲が大好きな昭和天皇が)「もう相撲はご覧になっていない」と宮内庁の人間に聞いたことから、あの頃の証言の記録は少し怪しい、ことを根拠として挙げている。[26]
慰安婦
慰安婦問題に関するアメリカ下院での決議案に異を唱えている。慰安婦は売春婦であったが、性奴隷・性的搾取などは事実でないと考え、歴史事実委員会名義でワシントン・ポストに掲載された反論のための全面広告「THE FACTS」にも賛同者として名を連ねた。
2007年5月14日の産経新聞朝刊「正論」欄への寄稿において、「慰安婦制度が女性の尊厳を傷つける人権違反の行為であったことに謝罪するのが正しいというのが昨今の道徳的基準である」と述べた[27]。
歴史教科書
西尾幹二が『新しい歴史教科書』に記したアメリカ批判の文章を当人に無断で削り、親米色に替えたことはつとに知られる。『中央公論』『Voice』で岡崎は第二版で完成の域に達したのは自分の削除のおかげだ、というような自画自賛のことばを、海外にまで伝わるように列ねた[28]。
小林よしのりは、岡崎の第二版『新しい歴史教科書』書きかえを厳しく批判し、その中でも、原爆投下が「日本のせい」というアメリカの言い分に近づけた内容に変質していることを指摘している[29]。
西尾幹二は初版と第二版を対照し、岡崎の記述が「不自然なまでにアメリカの立場に立っている」という。
語録
古来、軍事バランスなくして戦略はあり得ません。相手の方が明らかに強い時、同じ位で戦ってみなければどっちが勝つかわからない時、相手の方が明らかに弱い時、それぞれの場合で戦略戦術が異なってくるのは、子供でもわかる話です[30]。
国際情勢判断というものは、客観的な事実の認識であって、そんなに伸び縮みがきくものではない[31]。
日本をとりまく国際情勢の力関係を考えれば、ソ連と米国という二つの強大な力を持つ国の間にあって、しかも戦略的に高い重要性を有する日本のような国にとっては、生存と平和を維持するためだけでも、どちらかの力と協力し、他の力を抑止する以外に方法がない[32]。
アメリカの世論というものは二十世紀の国際政治における与件と考えるべきものです[33]。
私の戦略論は、日本が置かれている客観的な状況の中で、いかにして日本民族の安全と繁栄を維持するかということであって、それを考える側の個人的な経験や主観は、これとは全く無関係な話[34]。
戦略が良ければ、戦術の失敗は挽回できますが、戦略が悪いと戦術的に成功すればするほど傷が深くなります[35]。
全ての戦略の基礎には、良質の情報と正確な情勢判断があります[35]。
米国と協力しようとしまいと、それは日本が自然権を行使できる自然体の国家となれば、自分で国益に基づいて判断することです。そして結論は日米同盟の維持となることは十分想定できます。それなのに、自分で自分の手を縛っておきながら、自らを責めず、よその国-日本の重要な同盟国-に恨み言を言い、楯ついてみせて主体性を求めるという惨めなことになっているのが現状です[35]。
1980年という年を採って、この段階で、中国、韓国、日本のメディアをみても、現在のような歴史認識問題や過去の謝罪問題など出てきてはいない[36]。
日米は一体となって交渉に当たるべきだ。(北朝鮮について)[37]。
著書
単著
『緊張緩和外交』(日本国際問題研究所、1971年)
『隣の国で考えたこと』(長坂覚名義、日本経済新聞社、1977年/中公文庫、1983年)
改題新版『なぜ、日本人は韓国人が嫌いなのか』(ワック、2006年)
『国家と情報――日本の外交戦略を求めて』(文藝春秋、1980年、新版2000年/文春文庫、1984年)
『戦略的思考とは何か』(中央公論社〈中公新書〉、1983年、改版2019年)
『情報・戦略論ノート』(PHP研究所、1984年/PHP文庫、1988年)
『米・中・ソの戦略構想と日本の羅針盤』(野田経済研究所、1985年)
『陸奥宗光 (上・下)』(PHP研究所、1987~1988年/PHP文庫、1990年)
『歴史と戦略について――情報・戦略論ノートPart2』(PHP研究所、1990年)
『繁栄と衰退と――オランダ史に日本が見える』(文藝春秋、1991年/文春文庫、1999年/土曜社、2016年)
『新しいアジアへの大戦略――日本発展のビジョン』(読売新聞社、1993年)
『国際情勢の見方』(新潮社、1994年)
『悔恨の世紀から希望の世紀へ』(PHP研究所、1994年)
『国際情勢判断――歴史の教訓・戦略の哲学』(PHP研究所、1996年)
『国家は誰が守るのか』(徳間書店、1997年)
『なぜ気功は効くのか』(海竜社、2000年/PHP文庫、2003年)
シリーズ『外交官とその時代』(PHP研究所、1998~2002年/PHP文庫、2003年)
小村壽太郎 新装版2009年
陸奥宗光 新装版2010年
幣原喜重郎
重光葵・東郷茂徳
吉田茂
『岡崎久彦自選集(1)アジアの中の日本』(徳間文庫 教養シリーズ、1998年)
『―(2)新「戦略的思考」 アングロ・サクソンとロシアの狭間で』(徳間文庫 教養シリーズ、1998年)
『自分の国を愛するということ――21世紀の日本の戦略的進路』(海竜社、1999年)
『情勢判断の鉄則――21世紀の世界と日本の選択』(PHP研究所、1999年)
『日本外交の分水嶺――日米韓体制が築くアジアの平和』(PHP研究所、2000年)
『日本は希望の新世紀を迎えられるか――悔恨の20世紀を越えて』(廣済堂出版、2000年)
『アジアにも半世紀の平和を――情報戦略論ノート1999‐2000』(PHP研究所、2001年)
『岡崎久彦の情報戦略のすべて』(PHP研究所、2002年)
『百年の遺産――日本の近代外交史73話』(産経新聞ニュースサービス、2002年/扶桑社文庫、2005年)
『日本外交の情報戦略』(PHP新書、2003年)
『どこで日本人の歴史観は歪んだのか』(海竜社、2003年)
『教養のすすめ――明治の知の巨人に学ぶ』(青春出版社、2005年)
『国家戦略からみた靖国問題――日本外交の正念場』(PHP新書、2005年)
『この国を守るための外交戦略』(PHP新書、2007年)
『台湾問題は日本問題』(海竜社、2008年)
『真の保守とは何か』(PHP新書、2010年)
『明治の外交力――陸奥宗光の『蹇蹇録』に学ぶ』(海竜社、2011年)
『二十一世紀をいかに生き抜くか――近代国際政治の潮流と日本』(PHP研究所、2012年)
『国際情勢判断 半世紀』(岡崎研究所編、育鵬社、2015年)。遺著
共著
(佐藤誠三郎・西村繁樹)『日米同盟と日本の戦略――アメリカを見誤ってはならない』(PHP研究所、1991年)ISBN 978-4569532295
(藤井昭彦・横田順子)『クーデターの政治学――政治の天才の国タイ』(中央公論社[中公新書]、1993年)ISBN 978-4121011497
(中嶋嶺雄)『日本にアジア戦略はあるのか――幻想の中国・有事の極東』(PHP研究所、1996年)ISBN 978-4569554181
(渡部昇一)『賢者は歴史に学ぶ――日本が「尊敬される国」となるために』(クレスト社、1997年/ザ・マサダ、2000年9月)ISBN 978-4877120528/ISBN 978-4883970353
『尊敬される国民 品格ある国家』(ワック、2002年)ISBN 978-4898315101
(西岡力・渡辺利夫・小島朋之・田久保忠衛/取材構成・稲垣武)
『アジアは油断大敵!-北朝鮮、香港、中国…動乱のシナリオを読む』(PHP研究所、1997年9月)ISBN 978-4569556796
(青木盛久)『人質-ペルー日本大使公邸の126日』(クレスト社、1997年9月)ISBN 978-4877120597
(長谷川慶太郎)『中国発の危機と日本――見えてきた中国の危うい未来』(徳間書店, 1998年)ISBN 978-4198608385
(ウィリアム・ペリー・小此木政夫・アレクサンドル・パノフ・朱建栄・康仁徳・ゴードン・フレーク)
『北朝鮮とペリー報告-暴発は止められるか』(読売新聞社、1999年11月)ISBN 978-4643990461
(佐藤誠三郎)『日本の失敗と成功――近代160年の教訓』(扶桑社、2000年/扶桑社文庫、2003年)ISBN 978-4594029173/ISBN 978-4594041168
(渡部昇一)『国のつくり方――明治維新人物学』(致知出版社、2000年)ISBN 978-4884745929
(渡辺利夫・江畑謙介・中嶋嶺雄・小島朋之)
『「台湾問題」の先にある日本の危機――緊急提言田中真紀子外相に捧ぐ』(ビジネス社、2001年)ISBN 978-4828409276
(渡部昇一・猪木正道・唐津一・西尾幹二・竹村健一・三浦朱門・西部邁・堺屋太一・加藤寛・田久保忠衛・曽野綾子・小堀桂一郎・石原慎太郎・上坂冬子)
『日本の正論-21世紀日本人への伝言』(産経新聞ニュースサービス、2001年7月)ISBN 978-4594032166
(長谷川慶太郎・野口雅昭・達増拓也・柿沢弘治)『外務省の掟-徹底検証!外務省なんていらない』(ビジネス社、2001年10月)ISBN 978-4828409504
(阿川尚之)『対論・日本とアメリカ』(廣済堂出版、2002年)ISBN 978-4331508367
(古森義久)『アメリカン・ショック――日本に残された時間は、あと2年!』(ビジネス社、2002年)ISBN 978-4828409962
(安倍晋三)『この国を守る決意』(扶桑社、2004年)ISBN 978-4594043315
(渡部昇一)『明治の教訓 日本の気骨-明治維新人物学』(致知出版社、2005年7月)ISBN 978-4884747213
(上坂冬子・半藤一利・坂本多加雄・中西輝政・秦郁彦・伊原吉之助・御厨貴・松本健一・櫻田淳・小堀桂一郎・三浦朱門・入江隆則)
『運命の十年-柳条湖から真珠湾へ』(産経新聞ニュースサービス、2002年/扶桑社文庫、2005年)ISBN 978-4594034948/ISBN 978-4594050337
(船井幸雄)『気の力』(海竜社、2006年)ISBN 978-4759309331
(屋山太郎)『靖国問題と中国』(海竜社、2006年)ISBN 978-4759309386
(堺屋太一・渡部昇一・松田尚士)『こんな日本に誰がした』(2006年12月)ISBN 978-4594052850
(中西輝政)『国家の叡智――決断できないリーダーが国を過つ』(ビジネス社、2007年)ISBN 978-4828413655
(長谷川三千子)『【激論】日本の民主主義に将来はあるか』(海竜社、2012年)
(岡崎久彦・蔡焜燦・遠藤浩一・藍川由美・福田逸・高島俊男・桶谷秀昭・稲田朋美・鷲尾英一郎・小堀桂一郎・笹原宏之・松本徹・市村真一・早川聞多・土田龍太郎)
『今昔秀歌百撰』(特定非営利活動法人文字文化協會、2012年)
(北岡伸一・坂本多加雄)『日本人の歴史観――黒船来航から集団的自衛権まで』(文春新書、2015年9月)
編著
『歴史の教訓――日本外交・失敗の本質と21世紀の国家戦略』(PHP研究所、2005年)ISBN 978-4569643113
共編著
(猪口孝・粕谷一希・小島明)『文明としてのアメリカ(5)「アメリカの世紀」の盛衰』(日本経済新聞社、1984年)ISBN 978-4532093556
訳書
ハミルトン・フィッシュ『日米・開戦の悲劇――誰が第二次大戦を招いたのか』(PHP研究所、1985年/PHP文庫、1992年)ISBN 978-4569214870/ISBN 978-4569565163
ヘンリー・A・キッシンジャー『外交 (上・下)』(監訳・解説、日本経済新聞社、1996年)ISBN 978-4532161897/ISBN 978-4532161903 』
認定特定非営利活動法人 岡崎研究所
http://okazaki-institute.org/%e7%a0%94%e7%a9%b6%e6%89%80%e6%a6%82%e8%a6%81
『 研究所の沿革
岡崎研究所は平成14年(2002年)岡崎久彦大使が設立した研究所です。
岡崎大使 岡崎 久彦
設立者の岡崎大使は東京大学法学部在学中に外交官試験に合格し、東京大学を中退、外務省に入省しました。その後、ケンブリッジ大学に留学、経済学部で学士号、修士号を取得しました。
外務本省では情報調査局長を務めたあと、駐サウジアラビア大使、駐タイ大使を務められました。大使として任国の要路との関係をよく培われ、外交官として立派な業績を挙げられました。
岡崎大使は外交官であると同時に、大変優れた外交史家でしたし、著述家でもありました。いろいろな分野での著作がありますが、外交史、国際情勢判断についての主要著作としては、次のようなものがあります。
隣の国で考えたこと(ペンネーム:長坂覚)(日本経済新聞社 1977年)日本エッセイストクラブ賞受賞
戦略的思考とは何か (中央公論社 1983年)サントリー学芸賞受賞
陸奥宗光(上・下) (PHP研究所 1987年)
陸奥宗光とその時代 (PHP研究所 1999年)
小村寿太郎とその時代(PHP研究所 1998年)
幣原喜重郎とその時代(PHP研究所 2000年)
東郷・重光とその時代(PHP研究所 2001年)
吉田茂とその時代 (PHP研究所 2002年)
この「外交官とその時代」シリーズは出版文化産業振興財団から野田牧人氏の翻訳により、2018年-2019年、英語に翻訳され、英語版が出版されています。
岡崎大使は次の翻訳本も出されています。
ハミルトン・フィッシュ著:日米開戦の悲劇―誰が第2次大戦を招いたのか(PHP研究所 1992年)
ヘンリー・キッシンジャー著:外交(上下巻)(日本経済新聞社 1996年)
また産経新聞の正論の寄稿者であり、1995年第11回正論大賞を受賞されています。
岡崎大使は2014年10月26日病気でなくなられるまで、岡崎研究所の理事長、所長を務められました。
岡崎大使は入院中見舞いに行った茂田宏(現理事長)に対しまだ大丈夫だと思うが、万が一の場合、太田大使とともに研究所を引き続きやってほしいとの意向を示されました。
岡崎大使逝去後、2014年11月10日に研究所の理事会を開き、理事長に太田博理事を選び、茂田宏が副理事長になり、岡崎研究所を継続することにしました。
太田理事長も外交官で、岡崎大使と一緒に情報分析の仕事をした経験があり、また岡崎大使と同じく駐サウジアラビア大使、駐タイ大使を務められました。岡崎研究所の理事長として適任でした。岡崎大使が亡くなった中で、岡崎研究所の過渡期を上手く乗り切ってくれたと思います。
太田理事長の経歴は次の通りです。
太田大使 太田 博
1959年外交官試験に合格し、1960年外務省に入省しました。
在外研修は米国アンティオーク大学、フレッチャースクール大学院に1年ずつで、修士号を獲得しました。
外務本省では経済局、経済協力局などに勤務したのち科学技術担当審議官を務め、在外では、駐韓国特命全権公使、駐サウジアラビア大使、駐タイ大使を務めました。
退職後は三菱重工顧問、近畿大学教授などを務めました。
2017年6月、太田大使より後進に道を譲るということで理事長を辞任したいとの申し出があり、2017年6月26日に開催された理事会で理事長に茂田宏が就任しました。
茂田大使 茂田 宏
1964年東京大学在学中に外交官試験に合格、東京大学を中退し、外務省に入省しました。
在外研修としてハーバード大学に2年、モスクワ大学に1年留学した後、在外と東京において勤務しました。
東京では、外務省国際情報局長、総理府PKO事務局長、外務省テロ担当大使、在外では在韓国特命全権公使、イスラエル大使を務めました。
退官後は、東京大学、拓殖大学、同志社女子大学で客員教授を勤めるほか、三井住友海上顧問、日本財団特別顧問、北方領土対策協会理事などを務めました。
かねてより都庁に特定NPO法人から認定NPO法人になることを申請をしていましたが、2017年9月7日、都庁より認定NPO法人として認定されました。これは岡崎研究所が適切に運営されていることが都庁から認められたことであり、その結果、岡崎研究所への寄付金は免税になることになりました。
これが簡単な岡崎研究所の沿革です。
岡崎研究所設立年月日:平成14年10月9日登記
認定特定非営利活動法人取得:平成30年9月7日認定 』
習近平三期目と岸田首相の長男要職抜擢から見える日中の国力と国家戦略の差
https://news.yahoo.co.jp/byline/endohomare/20221012-00319275
『習米中覇権競争の最中、習近平三期目が世界的に注目されているが、日本では支持率暴落の岸田首相が長男を首相秘書官に起用した。外圧の有無や、派閥と世襲がもたらす国力の差に関して考察する。
◆支持率低迷中の岸田首相が長男を起用する日本の怪
10月4日、岸田首相は公設秘書で長男の翔太郎氏を、政務担当の首相秘書官に抜擢した。松野官房長官は「人事は適材適所の考え方で行なっている」と答弁し、岸田首相も同様の弁明とともに、参院本会議の代表質問で「休日深夜を問わず発生する危機管理」や「SNS発信能力」も勘案したと述べている。
長男が「休日深夜を問わない危機管理」を担うということは、「聞く力」を持つ岸田首相は、長男のアドバイスを「聞く力」を持っていくことになろうか。
日本では、総理経験者が自分の息子や親族を議員にするケースが多い。ウィキペディアで申しわけないが、たとえば内閣総理大臣秘書官に関して、自分の息子を首相秘書官にしたケースは、戦後では「福田赳夫氏が福田康夫氏を(1977年)」や「福田康夫氏が福田達夫氏を(2007年)」などがあるらしい。たしかに福田赳夫氏は首相だったし、その息子・福田康夫も首相になっている。福田達夫氏は現在、自由民主党筆頭副幹事長を務めている。
このたびの岸田首相による長男抜擢人事は、どうやら側近にもあまり相談せず、発表後に自民党内部からも「なぜ支持率暴落中に、あえて明らかに支持率を下げるような行動に出たのか」という疑問が出ており、誰が見ても「日本の怪」としか言いようがない。
◆岸田首相長男抜擢に関する中国ネットのコメント
中国のネットではその「非民主性」に首をかしげるコメントが散見される。「選挙を経ずに政府中央に肉親を抜擢して、やがて選挙に出馬させて政治家に持って行くという、封建時代並みの日本」というトーンのコメントが多い。
たとえばハンドルネーム「無為客pra」さんは以下のように書いている。
――日本の岸田文雄首相は就任1年後に、政治経験の全くない自分の息子翔太朗を首相秘書官に抜擢し、自分の首相官邸で政務の業務を担当させ、政治資本を蓄えさせようとしている。福田康夫も自分の息子を首相秘書に起用したことがある。日本では、この種の任命は大っぴらになされており、他の行政部門ならまだ話はわかるが、直接首相官邸に配置されるとは。だから「日本は表面上、資本主義民主を掲げているが、実際は封建的世襲が慣例になっている」という人たちがいるのは、もっともなことだ。問題を見る時は、表面だけを見てはならない。
もう一つ、例をお示ししよう。
ハンドルネーム「黑哥在日本」さん。
――最近、日本の岸田文雄首相は自分の長男、岸田翔太郎を首相秘書官に任命した。このことは日本の国民の間に「公私混同ではないか!」という激しい不満を招いている。岸田首相の子供に関する資料を探してみたら、2年前、岸田文雄が初めて首相の座を狙ったときに、ある記者が岸田の家に取材に行った時、彼は3人の息子と一緒に生活しているというインタビュー記録を見つけた。自分の息子に、この道を歩ませようとして育てているのは、一日やそこらの計算ではなさそうだということがわかる。
アメリカの友人からは、「とんでもない話だ。あのバイデンでさえ、自分の息子を大統領秘書官にさせようとはしていないよ」というメールが来た。
◆中国共産党政権においては、世襲はない
中国共産党政権には言論弾圧などさまざまな問題があるにせよ、こういった世襲のような問題はなく、毛沢東は複数いる自分の息子を後継者に考えたことはなく、一人は朝鮮戦争に参戦させて北朝鮮で戦死しているくらいだ。鄧小平も息子が文化大革命で身障者になったので、身障者を優遇する政策や身障者関係の団体の長などにはさせているが、後継者に考えたことはない。
江沢民の息子となると、半導体関係や中国科学院関係などでさまざま謀をしているが、党の指導者とか後継者にするとか、そういうことはやっていない。胡錦涛に至っては、いたって潔白だ。
習近平は娘しかいないが、娘の連絡先などが分からないように、徹底してプライバシーを重視し、政治の場に微塵も登場させていない。
このように中国共産党政権においては、世襲は皆無と言っていいだろう。
中共中央のトップに立つためには基本的に少年先鋒隊隊員(2010年データで約1.3億人)、共青団(共産主義青年団)の団員(2021年12月31日データで約7371.5万人)を経て、中国共産党党員の党員(2022年6月データで9671.2万人)になる。
ここに至るまでに20年間ほどの思想的あるいは実践的な訓練を受け、優秀な共産党員であれば、党大会に参加するための全国的で長期にわたる選挙を経て、ようやく「代表」になれる(今年は代表者数約2300人)。
たとえば6歳から14歳を対象とした少年先鋒隊は「紅領巾(ホンリンジン)」と言って、紅いネクタイを首に巻くのだが、これに入隊するだけでも厳しい審査があり、拙著『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』第七章(天津の灯はさまよう)に書いたように、筆者は少年先鋒隊に推薦されたが日本人であるがゆえに許可が下りなかったという経験を持っている。1950年代初期のころのことではあるものの、クラスで紅いネクタイを首に巻けるのは、40人ほどのクラスで2、3名しかいなかった。共青団、党員となると、もっと審査が厳しくなる。
日本のようにタレントで人気があったから議員に立候補するなどという生易しいものではない。
何十年もかけて選び抜かれた党員の中の一部が党大会に集まるのだ。
党大会では、その中から中国共産党中央委員会委員約200人が選ばれるが、岸田首相長男のような首相秘書官に相当する職位の人物は、この中央委員会委員の中から選挙で選ばれるのであって、岸田首相のように、ほぼ一存で「息子だから」という理由で選ぶなどということは絶対に許されないのである。
◆中国共産党政権における「聞く力」
習近平政権は以下の図表に示したように、チャイナ・セブンの一人一人がトップになって、それぞれ数多くのワーキンググループを担当している。
中共中央ワーキンググループ
筆者作成
このワーキンググループがシンクタンクの役割を果たして行政省庁の現状と意見を取りまとめて協議し、その結果をチャイナ・セブン(中共中央政治局常務委員)会議に報告して審議し、国家戦略を決定していく。
◆日中の国力と戦略性の差
三期目を目指すという意味での独裁性は否めないものの、その背景には拙著『習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』に書いた執念があるのと、米中覇権争いの真っただ中という一歩も引けないタイミングもある。また、独裁だけでは正しい国家戦略を決定することができず、こうして、「聞く力」を実にシステマティックに形成した組織を通して発揮し、初めて方針が決定するのが中国共産党の統治の仕方だ。
言論弾圧をする共産党統治には絶対に反対だが、しかし日本の世襲的&封建的民主主義が良いのかと言ったら、必ずしもそうではないだろう。
「聞く力」が、選挙を応援してくれる旧統一教会の意向や、常にそばにいる長男の危機判断では、国家戦略など無いに等しく、日本という国家の行く末が危ぶまれる。
民主主義体制の脆弱さを見せつけられる思いであり、中国の大規模な戦略性と、日本の戦略の無さをまざまざと見せつけられる思いだ。特に、世襲までが入り込むこの「聞く力」の差異は、そのまま国力の差異に直結するのではないかと憂う。
遠藤誉
中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』、『「中国製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』、『中国がシリコンバレーとつながるとき』など多数。』
益尾知佐子
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%8A%E5%B0%BE%E7%9F%A5%E4%BD%90%E5%AD%90
『益尾 知佐子(ますお ちさこ、1974年[1] − )は、日本にベースを置く国際政治学者。専門は、中国をめぐる国際関係・中国の政治外交。学位は、博士(学術)。九州大学准教授。 』
『経歴
学歴
1993年 東京大学 教養学部 文科II類入学
1998年 東京大学教養学部教養学科第三国際関係論コース卒業[2]
2000年 東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学 修士課程修了
2005年 東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学 博士課程単位取得満期退学
2008年 東京大学より博士(学術)授与(博士論文:「中国における『独立自主の対外政策』の形成 ――毛沢東時代から改革開放へ」)
研究歴
2000年 日本学術振興会特別研究員(DC1、東京大学)
2003年 日本国際問題研究所研究員(中国・朝鮮半島担当)
2004年 ハーバード大学名誉教授エズラ・F・ヴォーゲル研究助手
2005年 日本学術振興会海外特別研究員(ハーバード大学)
2007年 日本学術振興会特別研究員(PD、早稲田大学)
2007年 早稲田大学アジア研究機構現代中国研究所講師(兼・人間文化研究機構地域研究推進センター研究員)
2008年 九州大学比較社会文化研究院准教授
2014年 ハーバード大学イエンチン研究所 協働研究学者
2019年 中国社会科学院亜太与全球戦略研究院訪問学者
2019年 外交学院(中国)訪問学者
受賞歴
2003年 第1回優秀論文賞(アジア政経学会)
2010年 東京大学出版会刊行助成賞(現・東京大学南原繁記念出版賞)
2021年 中曽根康弘賞(中曽根康弘世界平和研究所)[3]
著作
単著
『中国政治外交の転換点 ――改革開放と「独立自主の対外政策」』東京大学出版会、2010年
『中国の行動原理:国内潮流が決める国際関係』中公新書、2019年
共著
『中国外交の世界戦略 ――日・米・アジアとの攻防30年』明石書店、2011年(趙宏偉・青山瑠妙・三船恵美と)
『中国外交史』東京大学出版会、2017年(青山瑠妙・三船恵美・趙宏偉と)
翻訳
エズラ・F・ヴォーゲル『日中関係史 ――1500年の交流から読むアジアの未来』日本経済新聞出版社、2019年
エズラ・F・ヴォーゲル『現代中国の父 鄧小平』上下巻、日本経済新聞出版社、2013年(杉本孝との共訳)
連載
「天遠地方」『国際貿易』(日本国際貿易促進協会) 2018年−
「中国動態」『週刊東京経済』2020年−
出演
深層NEWS (BS日テレ)[4]』
日本財団
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%B2%A1%E5%9B%A3
尾形武寿 プロフィール
https://www.hmv.co.jp/artist_%E5%B0%BE%E5%BD%A2%E6%AD%A6%E5%AF%BF_000000000821201/biography/
『1944年11月宮城県生まれ。東京農業大学農学部卒。日本舶用機械輸出振興会に入会し、ロッテルダム事務所所長等を歴任。80年に日本財団(当時、日本船舶振興会)入会。国際交流を推進する笹川平和財団を立ち上げ、総務部長として組織運営に携わる。97年日本財団常務理事。2005年から理事長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

『世道人心に質す! 「日本財団」理事長の活動記録』より 』
『公益財団法人日本財団(にっぽんざいだん、英: The Nippon Foundation)は、公営競技の1つである競艇(ボートレース)の収益金をもとに、海洋船舶関連事業の支援や公益・福祉事業、国際協力事業を主に行っている公益財団法人。1962年(昭和37年)、笹川良一によって創立された。現会長は笹川陽平。
2011年3月31日までの名称は、財団法人日本船舶振興会(にっぽんせんぱくしんこうかい、英: SASAKAWA Foundation)。
総資産額は3000億円近くにのぼり[1]、日本最大規模の財団であるが、系列である笹川平和財団の方が日本最大の公益財団法人を標榜している[2]。 』
『概要
旧称日本船舶振興会時代の2010年(平成22年)決算時点で、資産総額2661億円。年間助成額226億円であり、当時日本全体の助成金およそ600億の内、3分の1以上を占めている日本最大の財団とされる。ただし、2010年(平成22年)時点で、特殊法人の側面が強かったために、助成財団センターが作成した「日本の上位20財団資産総額ランキング」からは掲載を除外されている[3]。
海事科学の普及を目的として、日本海事科学振興財団(船の科学館)、青少年の健全育成のためにブルーシー・アンド・グリーンランド財団(B&G財団)、海洋分野におけるシンクタンクである海洋政策研究財団など、多くの公益法人を設立してきた。日本のハンセン病問題の解決など、ハンセン病の世界的な差別撲滅活動に長年取り組んでいる。
財団法人ではあるが、モーターボート競走法(昭和26年法律第242号)第22条の2の規定によって設置された関係上、特殊法人の性格をも併せ持っていたが、2007年(平成19年)の競走法の改正により、完全な民間の財団法人になる。
モーターボート競走法は「国土交通大臣は、モーターボートその他の船舶、船舶用機関及び船舶用品の製造に関する事業並びに海難防止に関する事業その他の海事に関する事業の振興に寄与することにより海に囲まれた我が国の発展に資し、あわせて観光に関する事業及び体育事業その他の公益の増進を目的とする事業の振興に資することを目的とする一般財団法人であつて」「船舶等振興業務」に関し「基準に適合すると認められるものを、その申請により、全国に一を限つて、船舶等振興機関として指定することができる」(第44条)としており、当財団は、国土交通大臣より「船舶等振興機関」として指定を受ける唯一の団体である。同法の規定により、船舶等振興業務規程、役員、事業計画、収支予算等について、国土交通省の認可を受けなければならない。財源には、競走法の規定によって、競艇の売上金の約2.6%(2007年(平成19年)3月、モーターボート競走法の改正がされる前は約3.3%)が充当されており、競艇と密接に結びついている。
1962年(昭和37年)に創立以来、長らく設立者かつ初代会長の良一の指導力により、特殊法人の枠を超えた独自性のある活動を行ってきた。日本国政府全額出資の特殊法人である競馬(日本中央競馬会 = JRA)や、かつては社団法人が担当した競輪・オートレース(特殊法人日本自転車振興会・日本小型自動車振興会を経て現在は公益財団法人JKA)などの他の公営競技とは違って、民間の運営する財団法人であることから、所管官庁(当時は運輸省、現国土交通省)の干渉や天下りを受けない、独立的な傾向が強かった。
振興会が事業を実施するには所管の官庁である国土交通大臣(省庁再編前は運輸大臣)の許認可を得る必要があり、その意味では金銭の使途は制限されていた。また、良一や陽平が規則や規定により財団では支援することができない活動に対して財団の事業とは別に自らの財産を寄付することもある。
1995年(平成7年)の良一死去後は、笹川色を薄める意見が出たため、財団の非常勤理事であった曽野綾子を2代目会長として迎え入れた。1996年(平成8年)から現在の正式名である「日本財団」を愛称として用いるようになった。2005年(平成17年)、第三代会長に笹川良一の三男・笹川陽平が就任。陽平の意向もあり、ハンセン病の世界制圧と彼らに対する差別撤廃と人権回復、ミャンマー政府と少数民族武装勢力との和解の実現にも注力している[4]。
2003年(平成15年)には、日本財団、海上保安庁の支援の下、海事、漁業関係者が一同に参加した民間沿岸監視団体「海守」が創設された。海守は主に密漁、密航対策を目的としている[5][6]。なお、海守の事務局業務は海上保安庁の外郭団体である海上保安協会が行っている[7]。
2011年(平成23年)4月1日に、公益財団法人になると共に、正式名も「日本財団」になった。これにより、国土交通省は所管官庁ではなくなった(ただし、モーターボート競走法上の監督は引き続き受けている)。
2016年(平成28年)4月16日に発生した平成28年熊本地震の影響を受け、同年4月19日に都内で緊急支援策第1弾発表会見を開き、日本三大名城「熊本城」再建支援金30億円など、計93億円の支援金を用意したことを発表した[8]。
2020年(令和2年)には、新型コロナウイルス感染症拡大に伴う支援を発表したほか、「災害危機サポートセンターの設置」、「救急医療施設・医療従事者への総額50億円規模の緊急支援の実施」、「タクシーを利用した医療従事者等の移動支援」を表明した[9]。
事業概要
海洋・船舶支援事業、造船関係資金貸付
公益・福祉・ボランティア支援関係
海外協力援助事業
沿革
1949年(昭和24年) - 笹川良一がモーターボート競走法制定について働きかけを開始。
1951年(昭和26年) - モーターボート競走法成立
1953年(昭和28年) - (社)全国モーターボート競走会連合会(全モ連)設立。
1962年(昭和37年) - (財)日本船舶振興会設立。初代会長は笹川良一。
1967年(昭和42年) - (財)日本海事科学振興財団設立。(財)航空振興財団設立。
1972年(昭和47年) - (財)ブルーシー・アンド・グリーンランド財団設立
1974年(昭和49年) - (財)笹川記念保健協力財団設立
1975年(昭和50年) - (財)日本造船振興財団(現海洋政策研究財団)設立
1980年(昭和55年) - 米日財団設立
1986年(昭和61年) - (財)笹川平和財団設立
1990年(平成2年) - (財)笹川スポーツ財団設立
1996年(平成8年)1月1日 - 一般呼称を「日本財団」に改称。
1997年(平成9年) - (財)東京財団設立
2007年(平成19年) - (特非)CANPANセンター設立
2011年(平成23年)4月1日 - 公益法人認定により、正式名称を「公益財団法人日本財団」に改称。[10]
2012年(平成24年)10月1日 - 設立50周年を機に、本財団設立以来親しまれたシェアマークを生かした新ロゴマークに変更。クリエイティブディレクターは佐藤可士和[11]。
2015年(平成27年) - 日本財団パラリンピックサポートセンター設立を支援。(一財)日本財団学生ボランティアセンター(Gakuvo)設立。
2017年(平成29年) - (一財)日本財団ボランティアサポートセンター設立を支援。
歴代会長
財団法人日本船舶振興会
初代:笹川良一(1962年10月1日 - 1995年7月18日)
2代目:曽野綾子(1995年12月11日 - 1995年12月31日)
日本財団
初代:曽野綾子(1996年1月1日 - 2005年7月)
2代目:笹川陽平(2005年7月 - 現在)
テレビCM
日本船舶振興会時代は、当財団の広報活動として、当時の会長の笹川良一自らが出演したテレビCMが盛んに放映された。笹川が子供たちとともに「一日一善」と喚呼するものや、笹川が慈善活動で海外訪問する様子を撮影したものが有名だった。各民放テレビ系列キー局の番組スポンサー(スポンサー自粛のものも含む)としてCMが流れることもあったが、主に各民放テレビ系列キー局の番組終了直後にヒッチハイクCMとして流れることが多かった。特に全国ネットのテレビ番組ではパーティシペーション扱いでスポンサーに付く番組も多数あった(特にテレビ朝日系が一番多かった)。またラジオCMでは、当財団の取り組んでいる活動内容について、笹川に直接話を聞く内容だった。
CMの最後には、「日本船舶振興会は、モーターボート競走の収益金を○○のために役立てています」(モーターボート競走の収益金は、○○のために役立てられています)というセリフで締めくくる。テレビCMの最後でこのセリフが出る時には、競艇シーンの映像が流れ、「ファンのみなさま ありがとうございます 日本船舶振興会」というテロップを出していた(CMによっては、「(財)日本船舶振興会」と表記されることもあった)。90年代になると、CMの最後に流れていた前述のセリフや競艇シーンの映像、テロップがなくなり、後述のイメージソングがBGMで流れるようになったほか、高齢者福祉を取り上げたCMが流れるようになった。
笹川死去後、近年は、財団が取り組んでいる身体障害者・高齢者福祉、聴覚障害者のための大学「ギャローデット大学」の支援、アフリカの飢餓救済、船舶航行の安全確保関連などの国内・国際援助活動事業など援助事業の風景を取り上げている。
1970年代後半?1980年代
火の用心編
火の用心を呼びかけるCMでは、子供たちや、太鼓を叩く高見山、CMソング「火の用心のうた」の作曲も担当して、威勢良く纏(まとい)を振り上げる山本直純、チンパンジーたちとともに、笹川が出演した。曜日別のバージョンが制作され、放送された。例えば月曜日なら「街をきれいにしよう!一日一善!」と言い、日章旗掲揚や競艇のレース映像(これは後述の作品の末尾の映像も同じ)を交えつつ、「モーターボート競走の収益金は、防犯・防火のために役立てられています。」という中村正のナレーションと拍子木の音で締めくくられる。
このCMは多くのテレビ局がスポットCMでも頻繁に放送していた。
日本防火協会(現・日本防火・防災協会)の名義で制作・放映されているものもある。大半はこの名義だった。笹川が1975年に当協会の会長に就任後、在任期間とほぼ同じ翌1976年から1994年まで放映されていた。
マラソン編
まずは木漏れ日が映る。そして「わっしょい!わっしょい!」と言いながら、柔道着姿の笹川と子供達が走る。そして「お年寄りや体の不自由な人をいたわりましょう。お父さん・お母さんを大切にしましょう。」と笹川のナレーションが流れる。その後子供達(胴着姿のグループ・海洋少年団の制服姿のグループなど個別に)が大声で「礼儀正しくしよう」、「お父さん・お母さんを大切にしよう」、「交通ルールを守ろう」と唱和する。最後に「正しい心と強い体を育てるために、モーターボート競走の収益金は大きく役立っています。」という広川太一郎のナレーションが流れて締めくくられる。このCMは大半が全国モーターボート競走会連合会の名義で制作・放映されていた。
また、柔道・剣道・空手と3つの別バージョンもある。内容構成は「マラソン編」と同じ。
怪獣ヒデゴンス編
幼稚園のセットでの撮影。まずは怪獣ヒデゴンス(手袋人形)が「おれは怪獣ヒデゴンス。火事が大好き、何でも食べちゃうぞ。」と言う。これに対して火消しのヒケシマンが「そうはさせないぞ!!寝たばこ、やーめよう!!」、「くわえたばこ、やーめよう!!」、「火遊び、やーめよう!!」と言い、笹川と子供達がこれに続いて唱和する。すると怪獣ヒデゴンスが、「ペコ、まいった!」と降参して、笹川と子供達が「戸締り用心、火の用心!」と歌い、毎度の文句が流れて終わる。これは日本船舶振興会名義で制作・放映されている。
その他
他にも、エドワード・ジェンナーの種痘の逸話などを取り扱ったCMもあった。この場合は最後に「ファンのみなさま ありがとうございます 日本船舶振興会」(この場合は日章旗はなく、モーターボートの映像をバックにしたもの)というスーパーが出ている。
1990年代
子守唄編(1990年4月2日?1994年9月30日)
「♪おやすみママ おやすみパパ もう眠たくて お休みのキッスもできないよ」という歌いだしで、子供の子守唄が流れる。そして「でも、待てよ。そうだ!戸締りと火の始末、確かめてなかった!」「戸締り用心・火の用心!」のセリフで締めくくられる。これは日本防火協会(現・日本防火・防災協会)の名義で制作・放映されていた。また競艇シーンが一切出されていない。最後の方に笹川が、子供と絵本を読んでいるシーンのみ出演している。
TOGETHER TO TOMORROW(トゥギャザー・トゥー・トゥモロー)編
日本財団に一般呼称が変わる前後(1995年前期頃)まで放送されていたもので、高齢者福祉活動やオーバーブルック盲学校などを紹介。高齢者福祉活動編では老人ホームでの福祉活動の映像を映し、「私達は、高齢者時代を考え、老人福祉活動を支援します。」とPR(ナレーター・窪田等)し、最後に笹川会長を中心に老人達の笑顔を映したというものであった。
その他
その他にも薬物乱用防止キャンペーン「ダメ。ゼッタイ。」に協賛したCMがオンエアされている。この時は笹川色はなく、最後のところで「協力:日本船舶振興会」と小さく出ていただけである。
日本財団改名以後
呼称が日本財団になってからは、前述の通りギャローデット大学(「世界一うるさい大学かもしれない」というPR)、車椅子で生活する若者などのショートドキュメント映像、篠原涼子の手紙の朗読などが放送されている。
CMソング
『火の用心のうた』(1970年代後半-80年代に放映) 作詞・武本宏一 作曲・編曲・山本直純 演奏・新室内楽協会 歌唱・荒川少年少女合唱隊
日本財団図書館(電子図書館)にて楽譜と歌詞が公開されている[12][13][14]。
RCAビクターからシングルレコード化された(規格品番:JRT-1452)。B面は「ファイアーマン・マーチ」(インストゥルメンタル)。
歌詞は曜日別に7番まであるが、CMではその中から特定の曜日の歌詞のみが流れた。
日本船舶振興会'90キャンペーンソング『TOGETHER TO TOMORROW(トゥギャザー・トゥー・トゥモロー)』 作詞・スージー・K・キム 作曲・三井誠 歌唱・MFQ
1990年3月21日、ポニーキャニオンからシングルCDが発売(規格品番:PCDY-33)。
提供番組
世界一受けたい授業(日本テレビ、2017年10月 - ) 60秒
10億円会議 supported by 日本財団(AbemaTV、2019年1月 - )
過去の提供番組
にじいろジーン(関西テレビ制作)複数者提供
少年徳川家康(NETテレビ(現・テレビ朝日)系列)…一社提供
一休さん(NETテレビ(現・テレビ朝日)系列)…一社提供・末期はハウス食品が提供
おはようスタジオ(テレビ東京系列)
宗谷物語(テレビ東京系列)[15][注釈 1]
ドキュメンタリー人間劇場(テレビ東京系列)…一社提供
剣勇伝説YAIBA(テレビ東京系列)…メイン提供
まんが水戸黄門(テレビ東京系列)…メイン提供
ドラえもん(テレビ朝日系列)…提供番組(過去)・クレジット無し
藤子不二雄ワイド(テレビ朝日系列)…提供番組・クレジット無し
ハイスクール!奇面組(フジテレビ系列)…提供番組・クレジット無し
メタルヒーローシリーズ『巨獣特捜ジャスピオン』?『特救指令ソルブレイン』(テレビ朝日系列)…クレジット無し
水曜洋画劇場(サンテレビ)
月曜ドラマ・イン(テレビ朝日系列)
ステーションEYE(テレビ朝日系列)…隔日提供
NNN JUST NEWS→NNN6:30きょうのニュース→NNNライブオンネットワーク(日本テレビ系列)…ヒッチハイク
ジパングあさ6(NNNニュースジパングのコーナーのみ、日本テレビ系列)…提供番組・クレジット無し
ザ・サンデー(日本テレビ系列)…提供番組(過去)
JNNニュースコープ(TBS系列)…スポット提供(一時的)・クレジット無し
おはようクジラ(TBS系列)…隔日提供
クレヨンしんちゃん(テレビ朝日系列)…提供番組(過去)・クレジット無し
競艇SG中継
平日12時台の番組(テレビ朝日系列)…ヒッチハイク(時差ネットの局も必ず流れていた、過去)
ヒッチハイクCM(主に戸締り用心・火の用心シリーズ、海外の慈善活動報告シリーズ)に関して、民放キー局では特に、テレビ朝日(NET時代も含む)と日本テレビが比較的多く、逆にTBSとフジテレビは少なかった。多かった放映時間帯はいずれかの曜日の19時台~21時台の番組終了直後。
関連団体
笹川記念保健協力財団
笹川スポーツ財団
笹川平和財団
米国笹川平和財団
東京財団政策研究所
日中医学協会
日本音楽財団
日本海事科学振興財団
船の科学館
日本科学協会
日本吟剣詩舞振興会
日本ゲートボール連合
日本財団電話リレーサービス
ブルーシー・アンド・グリーンランド財団
米日財団
東京ビー・エム・シー
社会貢献支援財団
世界海事大学
話題となった問題
蘭州大学奨学金焦げ付き
2005年4月に、中華人民共和国の甘粛省にある国立蘭州大学に1992年に設立した奨学基金の原資100万ドルについて、大学側が勝手に現地の投資信託会社で運用して失敗し回収不能に陥っている、と発表した。大学側は「高利の投資信託に移し奨学金を充実させたかった」と謝罪しているが、財団は大学に対し、投資信託会社から資金を取り戻して奨学制度を正常に復帰させるように求めている。
財団側の説明によると、1992年3月に大学が持つ中国銀行の口座に100万ドルを振り込み、その利息で大学院生向けに奨学金を支給することを規定。しかし大学側は、財団に基金の運用機関を変更する届け出をしないまま1993年10月、当時高利息だった甘粛省投資信託公司へ移し替えた。事態を重くみた財団は2004年12月、中華人民共和国政府に対し原状回復への協力を要請し、2006年11月に中華人民共和国の王毅駐日大使から「全額、元に戻すことが確認された」との連絡があり、本問題は解決をみた。
参考図書
佐藤誠三郎『笹川良一研究 異次元からの使者』 中央公論社 1998年 ISBN 4120028178
曽野綾子『日本財団9年半の日々』 徳間書店 2005年 ISBN 4198620326 』
公益財団法人ニッポンドットコム
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宮 一穂 元『中央公論』編集長
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(五十音順)
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