マレーシア、ほふく前進で抜け出す「中所得国の罠」https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD08DBO0Y3A201C2000000/
『しばらく足が遠のくと、アジアのメガ都市は驚くほど姿が変わる。10月下旬、9年ぶりに訪れたクアラルンプールの発展ぶりに目を見張った。都市鉄道が縦横無尽に延び、見慣れぬショッピングモールがいくつも開業していた。
今年竣工した地上118階建ての「ムルデカ118」は新たなランドマークだ。多数の切子面で光を反射する、印象的な外観のてっぺんにそびえる尖塔(せんとう)は、1957年に初代首相ラーマンが独立を宣…
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『多数の切子面で光を反射する、印象的な外観のてっぺんにそびえる尖塔(せんとう)は、1957年に初代首相ラーマンが独立を宣言したときの挙手をイメージしているのだという。高さ678メートルと、中東ドバイの「ブルジュ・ハリファ」に次ぐ世界2位の超高層ビルは、マレーシアの豊かさを象徴する。
ここ数年、猫の目のように首相が交代した政治も、少しは落ち着きを取り戻した。12月5日、政権発足から1年を機に地元放送局のインタビューに応じたアンワル首相は「国の発展に力を入れるときが来た」と経済成長に重点を移す考えを強調した。
道しるべとなる政策を続々と公表した。7月に「MADANI(マダニ)経済10カ年計画」と「国家エネルギー移行ロードマップ」、9月に「第12次マレーシア計画中間報告」や「新産業マスタープラン2030」、そして10月には「水素経済・技術ロードマップ」。政府の計画好きに、日系企業の関係者は「相互の関連性がはっきりしない」と苦笑するが、マダニ計画で示した「年5.5%超の成長」が目標の柱といえるだろう。
クアラルンプールに今年竣工した「ムルデカ118」は世界2位の高さを誇る
昨年の国内総生産(GDP)伸び率は8.7%と22年ぶりの高水準を記録し、世界経済が減速する今年の見込みも4%と底堅い。人口は3300万人だが、平均年齢が30歳と若く、人口増に伴う内需拡大が望める。米中新冷戦下のサプライチェーン(供給網)見直しの受け皿となり、半導体を中心に対内直接投資が再点火しているのも好材料だ。
22年の1人あたり国民総所得(GNI)は1万1780ドル。通貨リンギと米ドルとの為替レート次第だが、年5.5%で成長できれば、2〜3年後には世界銀行が分類する中所得国を脱し、ついに高所得国へ仲間入りを果たす公算が大きい。
本当についに、である。デラサール大学(フィリピン)のジーザス・フェリペ教授がアジア開発銀行(ADB)在籍時の12年に著した報告書で、マレーシアが上位中所得国になったのは1996年。すでに27年がすぎた。15年以上かかる国は「中所得国の罠(わな)」に陥っている、と同氏は定義した。技術力の高い先進国と労働力の安い途上国の板挟みで成長が鈍る現象で、マレーシアはがっちり捕まってきたことになる。
その原因を探る前に、経済政策の変遷を振り返っておく必要がある。
マレーシアは人口増が続き、内需拡大が望める(クアラルンプールの大型商業施設)
マレーシアの原点は69年に首都で起きた暴動だ。人口の7割近くがマレー系なのに、経済は3割に満たない中華系が握るいびつな構図のひずみが噴出し、双方の衝突で200人の死者が出る惨事となった。
再発防止には民族間の格差是正が不可欠だ。そう考えた政府が71年に始めた「新経済政策」は、進学や就職、株式所有などあらゆる面でマレー系を優遇し、別名「ブミプトラ(土地の子)政策」と呼ばれた。
華人は商工業の才に秀でる。ある日系企業幹部が「いまでも能力だけで採用すれば、社員が華人ばかりになってしまう」と漏らすように、それを強引に是正してきたブミプトラ政策は非効率の温床のようにいわれる。
しかし日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア経済研究所の熊谷聡・経済地理研究グループ長は「農村のマレー人に初等・中等教育を与え、都市への移住や商工業部門への就業を国が強力に支援していなければ、経済発展の早い段階で深刻な労働力不足に陥っていただろう」と指摘する。分配と成長のバランスこそが同政策の本質といえる。
81年に第4代首相に就任したマハティール氏は、日本を手本に開発を進める「ルックイースト政策」や外資導入を加速し、より成長に軸足を移した。そして91年、新たな経済政策「ビジョン2020」で30年以内の高所得国入りを目標に掲げた。
民間シンクタンク、ベイト・アル・アマナのアブドラ・ラザク創立取締役は「彼の最大の功績は、高所得国入りという旗を立て、やればできると国民のマインドセットを変えたこと」と話す。
だが97年のアジア通貨危機が転換点となった。
直前の10年間に年10%近い成長を続けていた経済は、危機後にはおおむね5〜6%へ減速した。
マダニ経済計画を発表した際、アンワル氏は「通貨危機以降、高コスト、低賃金、低利益、競争力欠如の悪循環に陥っている」と語った。当時、副首相兼財務相だったアンワル氏は、危機対応を巡ってマハティール氏と対立し、失脚した。マダニ計画とは、宿敵が果たせなかった高所得国入りを、自らの在任中に実現するための進路図といえる。
マレーシアの足踏みはなぜ起きたか。近隣の台湾、韓国と比べれば鮮明になる。
現在の人口は台湾が2300万人、韓国も5100万人と大差ない。マハティール氏が首相に就いた81年時点の1人あたりGDPも、マレーシアの1920ドルに対して台湾は2691ドル、韓国も1883ドルとほぼ横並びだった。
ところがフェリペ氏の報告書によると台湾は86年、韓国は88年に上位中所得国となり、それぞれ93年、95年に高所得国へ駆け上がった。要した年数はわずか7年。「罠」には陥らなかった。
昨年はマレーシアの1万2465ドルに対して台湾は3万2687ドル、韓国は3万2418ドルで、差は2.6倍まで開いた。何が違ったのか。
第一に、台・韓には複雑な民族問題はなく、マレーシアのブミプトラ政策のように、アクセルとブレーキを同時に踏むような施策は不要だった。
第二に、台・韓は天然資源に恵まれなかった。石油や天然ガス、パーム油などが豊富なマレーシアと違い、工業化しか生きる道がなかった。
第三に、台湾は国民党の1党独裁、韓国は軍部独裁だったが、前者は86年、後者は87年に民主化した。
89年に東西冷戦が終わり、グローバル化とIT(情報技術)化の波が押し寄せると、国家管理から個人の創意工夫を解き放った台・韓はその波に乗った。
一方のマレーシアは独立時から形式上の民主選挙こそあったものの、実態は経済発展を優先して国民の政治的自由を抑える「開発独裁」の典型で、初めての政権交代は2018年まで待たねばならなかった。
第四に、台湾は台湾積体電路製造(TSMC)、韓国は現代自動車やサムスン電子といった世界企業が生まれ、成長をけん引した。
マレーシアは政府系企業が主役。自動車や電気・電子は外資頼みを抜け出せず、国際競争力を持つ民間企業が育っていない。
東南アジア全域で配車サービスを中心に「メガアプリ」を展開するグラブはマレーシア発祥だが、資金調達などを理由に、早くにシンガポールへ本社を移した。
総じて言うなら、台湾や韓国に比べて、経済のダイナミズムでマレーシアが見劣りしたことが、成長曲線の差となって表れたように思える。
ただし、天然資源に恵まれてはいたが、それに頼って工業化が進まないという、いわゆる「資源国の罠」には必ずしも陥らなかった。
マレーシアの最大の輸出品は4割を占める電気・電子製品。なかでも半導体関連の輸出額は米国や日本より上位にある。
大産油国のサウジアラビアは、16年に国家戦略「ビジョン2030」を策定し、資源依存からの脱却を図る途上にあるが「サウジが目指す工業化を、マレーシアは40年も前に成功させた」(高橋克彦・駐マレーシア日本大使)。
熊谷氏は「日本や台・韓のような東アジアのエリート国、都市国家のシンガポールや香港、中東の産油国など特殊な背景を持つ国と違い、マレーシアは『普通の国』として初めて高所得国入りする事例となりそうだ」と評する。
もちろん課題は山積する。半導体関連ではベトナムやインドの追い上げが見込まれ、より付加価値の高い前工程への投資を取り込んでいくことが急務だ。脱炭素の流れが加速するなか、将来の化石燃料の需要減にも備えていかなければならない。
それでも多民族国家として成長と安定の二兎(にと)を追う宿命を背負いながら、工業化を果たし、長い年月を要した末、ようやく中所得国の罠を抜け出そうとするマレーシア。ほふく前進といえるほどゆっくりと、しかし着実に発展の階段を上ってきた足取りは、「グローバルサウス」と総称される新興国・途上国にとって、ひとつのモデルケースと位置づけていいだろう。
=随時掲載
高橋徹(たかはし・とおる) 1992年日本経済新聞社入社。自動車や通信、ゼネコン・不動産、エネルギー、商社、電機などの産業取材を担当した後、2010年から15年はバンコク支局長、19年から22年3月まではアジア総局長としてタイに計8年間駐在した。論説委員を兼務している。著書「タイ 混迷からの脱出」で16年度の大平正芳記念特別賞受賞。
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