「美しきカローラ」 アフガンで愛されるトヨタ車

「美しきカローラ」 アフガンで愛されるトヨタ車
https://www.afpbb.com/articles/-/3463969

 ※ 『ルームミラーの下では、「この移動手段をわれわれに仕えさせた者に栄光あれ」と書かれた護符が揺れていた。』…。

 ※ そこまで言われれば、「開発者冥利」に尽きるだろう…。

 ※ 『「この車は常に庶民のために存在してきた。これで移動すれば、どこにでも連れて行ってくれる」とAFPに語ったのは、自動車整備士のモハマド・アマンさん(50)。「カローラは速く、鋼板は頑丈でよく走る。(他の自動車は)紙のように薄っぺらだ」

 アフガンではどこでもカローラを目にする。山道を駆け上がる四輪駆動車が、速度を上げるカローラに追い越されることもあるだろう。

 アフガンの多くの人々は、「幸福、それはトヨタのフィーリング」「トヨタこそがスタンダード」「美しきカローラ」といった、英語のブランドメッセージが記されたステッカーを自分の車に貼っている。』…。

 ※ そういう感じで、世界中に「支持者」がいるんだろう…。

 ※ そういう人達が、「トヨタの屋台骨」を支えている…。

『【5月15日 AFP】軍隊の侵攻や撤退、政権の誕生や崩壊が繰り返されてきたアフガニスタンでは、確実と言えるものはほとんど存在しない。だが、信頼できるエンジンを持つトヨタ自動車(Toyota Motor)製の「カローラ(Corolla)」だけは、別格の扱いを受けている。

 つつましくも信頼性の高い小型車のカローラは、世界で最も人気のある乗用車とされ、1966年以降、5000万台以上が生産ラインから送り出されてきた。

 丈夫で簡素な構造を持ち、価格も手頃なカローラは、険しい地形を道路が走り、修理は脆弱(ぜいじゃく)な調達網に頼らざるを得ず、過酷な歴史から「間に合わせ」の精神が浸透しているアフガンに見事にマッチした。

「この車は常に庶民のために存在してきた。これで移動すれば、どこにでも連れて行ってくれる」とAFPに語ったのは、自動車整備士のモハマド・アマンさん(50)。「カローラは速く、鋼板は頑丈でよく走る。(他の自動車は)紙のように薄っぺらだ」

 アフガンではどこでもカローラを目にする。山道を駆け上がる四輪駆動車が、速度を上げるカローラに追い越されることもあるだろう。

 アフガンの多くの人々は、「幸福、それはトヨタのフィーリング」「トヨタこそがスタンダード」「美しきカローラ」といった、英語のブランドメッセージが記されたステッカーを自分の車に貼っている。

■「トヨタに特別熱狂的な人々」がいるアフガン

 かつてアフガンの市場をほぼ独占していたのは、旧ソ連の国営企業ラーダ(Lada)の車だった。1989年のソ連軍のアフガン撤退やその後のソ連崩壊を経て、カローラがアフガンを席巻するようになった。

 以後、カローラはアフガンの歴史の背景となってきた。2001年9月の米同時多発攻撃を受けて米軍がアフガン空爆を開始した際には、イスラム主義組織タリバン(Taliban)の元最高指導者オマル(Mullah Omar)師が南部カンダハル(Kandahar)の隠れ家から白いカローラに乗って逃走した。

 その車は同年地中に埋められたが、22年に掘り起こされた。これを発表したタリバン報道官は「良好な状態だ」と述べ、「重要な歴史的記念物」として展示すべきだと語った。

 20年に及んだタリバンの武装闘争で、自動車爆弾に用いる車両として選ばれやすかったのもカローラだった。安価で、しかも周囲に溶け込みやすかったからだ。

 アフガンの国内各地では、定員を超える大家族がカローラに乗り込んでいる光景が見られる。

 自動車ディーラーのアジズッラー・ナザリさん(39)は「他の国々では何でも作られた目的通りに使われるのだろうが、アフガンの人々はそうした基準にはあまりこだわらない」と話した。

 ナザリさんは輸入したカローラを、顧客の予算に合わせて1500〜1万4000ドル(約20万~190万円)で販売している。多くの車両は世界各国を経由してアフガンに輸入されてきた様子がうかがえる。

 カナダから輸入されたらしい真っ白なカローラは、韓国の新聞で内装が覆われ、ガーナのナンバープレートが付いていた。別のカローラには米国の大学のステッカーが貼られていた。

 どの車も「トヨタに特別熱狂的な人々」がいるアフガンにたどり着いたのだと、ナザリさんは言った。』

『■「世界最高の素晴らしい車」

 首都カブールの自動車修理工場が軒を連ねる地域で、前出のアマンさんは「シンプルに乗る人もいれば、装飾に情熱を燃やす人もいる」と説明する。
 
 あるカローラには「高速のトヨタ。世界最高の素晴らしい車。どんな状況にも対応可能」との文字が躍る。そばにある深緑色のカローラには「ドラマあふれるクラシックカー」と記されていた。

 カブールの午後の交通渋滞の中、タクシー運転手のナキブッラーさん(27)は、自分が生まれる3年前に製造されたカローラのハンドルを握り、乗客を探していた。

 ナキブッラーさんは、周囲を走る8割の自動車がカローラではないかと言った。

「トヨタのカローラ以外、あらゆる車が結果を出せていない」とナキブッラーさん。ルームミラーの下では、「この移動手段をわれわれに仕えさせた者に栄光あれ」と書かれた護符が揺れていた。

 映像は4月24、25日撮影。(c)AFP/Joe STENSON and Qubad WALI 』

マイナンバーカード 印鑑登録証明書でも全国で11件の不具合

マイナンバーカード 印鑑登録証明書でも全国で11件の不具合
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230516/k10014068841000.html

 ※ 諸般の事情により、今日はこんな所で…。

 ※ 『内訳は熊本市で5件、新潟市とさいたま市で、それぞれ3件だとしています。』…。

 ※ 熊本市、新潟市、さいたま市…。ほう…。

 ※ 『いずれも、別人の証明書が発行される不具合が起きたものと同じシステムを使っていたということで、それぞれの自治体は、システムの運営会社と連絡を取って、原因の究明と改修を進めています。』ほう…。

『マイナンバーカードを使ってコンビニエンスストアで証明書を交付する際に不具合が相次いでいる問題で、登録を抹消した印鑑登録証明書が誤って発行される不具合が、全国で11件起きていたことが新たにわかりました。

マイナンバーカードを使って、コンビニで住民票の写しや戸籍証明書などを交付するサービスをめぐっては、ことし3月以降、別人の証明書が発行される不具合が相次いでいます。
総務省は16日の衆議院総務委員会で、新たに、すでに登録を抹消した印鑑登録証明書が誤って発行される不具合が、全国で合わせて11件確認されたことを明らかにしました。

内訳は熊本市で5件、新潟市とさいたま市で、それぞれ3件だとしています。

いずれも、別人の証明書が発行される不具合が起きたものと同じシステムを使っていたということで、それぞれの自治体は、システムの運営会社と連絡を取って、原因の究明と改修を進めています。

松本総務大臣は、「事案が立て続けに発生したことは誠に遺憾だ。総務省としてもシステム運営会社から直接、原因や再発防止を確認し、システムの総点検や改善の検討を進めている」と述べました。』

第5回:時代や社会状況によって変容した天台宗

第5回:時代や社会状況によって変容した天台宗
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/b09405/

『文化 歴史 2023.02.21

佐々木 閑 【Profile】

平安時代以降、日本で「ブッダのまことの教え」として流布したのは、天台宗と真言宗という2種類の密教だった。第5回は、さまざまな状況に対する適応能力の高さから勢力を伸ばし、その後の日本仏教の基盤となった天台宗について解説する。

変化する可能性を持った天台宗の教え

9世紀(平安時代)以降、日本の仏教は、真言宗、天台宗という、異なる特性を持つ2種類の密教を中心にして展開していった。仏教史の立場から見れば、インドで最後に現れた密教が、日本では「ブッダのまことの教え」として最初に流布したのである。

これらのうち真言宗は、純然たる密教の教義をコアにしているため、その後の歴史の中でもほとんど変容することなく強固に教えを守り続けた。

一方、天台宗は、根本的に異なるさまざまな仏教思想を、独自の論理によってつなぎ合わせ、その全体を密教的雰囲気で覆うことによって生み出された複合的思想であったため、時代や社会状況によってさまざまに変化する可能性を含んでいた。日本仏教の本質を理解するためには、この天台宗が後世に与えた影響をしっかり押さえておかねばならない。

京都の近郊、比叡山を拠点とする天台宗が、その後の日本仏教に与えた影響は非常に大きく、しかも多岐にわたる。それを3つの項目に分けて解説しよう。

出家の儀式を廃止:あいまいになった僧侶と俗人の区分

前回までの記事で紹介したように、日本仏教は初めから、サンガ(ブッダの教えに従って暮らす僧侶の自治組織)のない特殊な仏教として出発したが、それでも「出家するための儀式」は明確に定められていた。

それは、鑑真が中国から持ってきた、仏教独自の法律集「律蔵」にのっとったもので、現在も全世界の仏教国で共通して執行されている儀式である。サンスクリット語では「ウパサンパダー」と呼び、漢字では「受戒」と訳す。

当時の奈良仏教の僧侶は一種の国家公務員であって、律蔵に基づいて運営されるサンガを持つことは許されなかった。しかし、律蔵の中のウパサンパダーだけはそのまま取り入れられ、僧侶と僧侶でない人を区別するための基準として用いられたのである。日本におけるウパサンパダーの位置づけは、国家公務員の認定試験のようなものであった。

国家権力直属の国家公務員認定試験であるなら、当然ながらそこには人数制限が課されることになる。ウパサンパダーを通過して正式な僧侶になることのできる人の数は、政府によって制限されていたのである。

日本の首都が平安遷都で奈良から京都へと移ってほどなく、9世初頭に京都近郊の比叡山を拠点とする新興勢力として出発した天台宗にとって、この「人数制限」はやっかいな問題であった。なぜならそれは、奈良を中心とした旧来の仏教・南都六宗にとって有利な既得権だったからである。

この障害を排除するため、天台宗は「ウパサンパダーを通過しなくても、人はそれぞれの心がけだけで出家することができる」といった新たな基準を設定した。

そして天台宗の勢力が拡大するにつれて、この潮流はほぼすべての仏教界に浸透していった。

天台宗のライバルであった真言宗でさえ、やがてこの流れを受け入れるようになった。ウパサンパダーが国家権力と結びついた儀式であった日本仏教にとって、ウパサンパダーの縛りから逃れることが、自由な宗教活動への必須要件だと考えられたのである。

しかし「ウパサンパダーの放棄」は、別の見方をすれば「誰もが勝手な方法で僧侶としての身分を手に入れることができる」ことでもある。そのため日本仏教は、出家した僧侶と、一般社会で暮らす俗人との間に明確な区分基準がなくなってしまった。

現在でも、出家のための儀式は宗派ごとにばらばらで、律蔵に基づいたウパサンパダーを、出家の儀式としている宗派はほとんどない。他の仏教国から見て、ウパサンパダーを通過していない人が僧侶として認定される日本仏教の状況は、極めて奇異に見えるが、そこにはこういう歴史的背景があるのである。

あるがままでよい:矛盾を受け入れる徹底した現状肯定

天台宗の思想は、釈迦牟尼(しゃかむに)以来の仏教の長い歴史の中で生み出されてきた無数の教えを全て包括しようとするものである。

もともと起源が異なる複数の思想を一つにまとめようとするのであるから、当然ながらそこには多くの矛盾が生じてくる。それでもそれを「一つの教義」として承認するためには、「矛盾は矛盾のままで置いておくのが正しい」という理論が必須となる。

こうして天台宗では、徹底した現実肯定の姿勢が主流となり「現前の状態が、そのまま悟りの状態である」「煩悩がそのまま悟りである」「有機物、無機物を問わず、この世のあらゆる存在はブッダとなる要素を含んでいる」といった、特異な思想を最澄(767〜822)の弟子たちは主張するようになった。

これは、「修行によって煩悩を除去した時に初めて我々は悟りの境地に到達することができる」とした釈迦本来の教えからははるかに隔たった思考である。

しかし、日本古来のアミニズムと親近性が高く、また、「全宇宙が神秘的エネルギーの現れであって、個々人がその宇宙エネルギーと合体していることを自覚するのが悟りだ」という密教本来の思想ともさほど違和感なく合致するものであった。

そのため、このような天台宗独自の極端な現実肯定思想もまた、ウパサンパダーの放棄と同じく、天台宗の勢力拡大とともに、日本仏教界全域に広がっていった。

この、「あるがままでよい」という教えは、現代の日本仏教界においても広く流布しており、日本人の思考形成にも大きな力を及ぼしている。

極端な肉体的修練:ブッダの世界に近づくためのハードル

さまざまな仏教思想の複合体である天台宗において、「出家した僧侶は、どのような修行をすれば悟りを開くことができるのか」といった問題に明確に答えることはできない。

しかしその一方で、全体を密教的雰囲気で覆っている以上、「ある特定のハードルを越えた人だけがブッダの世界に属するのであり、それ以外の者は、そうしたブッダの世界に属する特定の人の力にすがって幸福を願わねばならない」という密教独自の階層構造を設定せざるを得ない。

密教経典だけをベースにした修行方法では「仏教思想の複合体」としての天台宗の独自性を示すことはできず、かといって、「仏教思想の複合体」であることを重視すると具体的な修行方法が定まらないのである。

そのため天台宗では,自分たち独自の修行方法を新たに創設した。

その修行は、修行者がブッダの世界に近づいたことを、目に見える形で示すものでなければならない。

そのため、「常人では越えることができないが、ごくまれに越えることのできる人が現れる」といったレベルの厳しさで設定される必要があった。

この要請に応じて、天台宗では達成困難なさまざまな修行方法が案出され、それを通過した人は、ブッダの世界に近づいた聖人として、一般信者から大いにあがめられた。

このような極端な肉体的修練は、前述した極端な現実肯定、すなわち「あるがままでよい」という思考とは正反対の立場にあるが、そういった矛盾もまた、より高次の現実肯定によって解消されると考えた。

いかなる論理矛盾も「あるがままでよい」といった包括的肯定論によって説明可能になると言うのである。

このように複合的で、かつ変容性の高い天台宗が、当時の首都であった京都において勢力を伸ばしたことにより、この宗派を基点としてさまざまな仏教思想が生み出されていくことになる。

この点から見て、良しあしは別としても、天台宗を日本仏教の基盤と考えることは間違いではない。次回は、二大密教で成り立っていた日本仏教が、さまざまに分岐していく様を語る。

バナー画像=比叡山延暦寺の総本堂である根本中堂(PIXTA)

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中国 歴史 宗教 仏教 空海 最澄 密教 シリーズ日本の仏教

佐々木 閑SASAKI Shizuka経歴・執筆一覧を見る

花園大学文学部特任教授。1956年福井県生まれ。京都大学工学部工業化学科・文学部哲学科を卒業。同大学院文学研究科博士課程満期退学。博士(文学)。カリフォルニア大学留学を経て花園大学教授に。定年退職後、現職。専門はインド仏教学。日本印度学仏教学会賞、鈴木学術財団特別賞受賞。著書に『出家とはなにか』(大蔵出版、1999年)、『インド仏教変移論』(同、2000年)、『犀の角たち』(同、2006年)、『般若心経』(NHK出版、2014年)、『大乗仏教』(同、2019年)、『仏教は宇宙をどう見たか』(化学同人、2021年)など。YouTubeチャンネルShizuka Sasakiで仏教解説の動画を配信中。』

シリーズ「日本の仏教」第7回:日本仏教の暴力性

シリーズ「日本の仏教」第7回:日本仏教の暴力性
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/b09407/

『文化 歴史 社会 2023.05.16

佐々木 閑 【Profile】

仏教本来の教えでは、暴力は完全に否定される。しかし釈迦(しゃか)が制定した戒律を収めた「律蔵」が機能しない日本の仏教界にあっては、暴力行使が容認された。こうした特異性が僧兵を生み、一向一揆を起こすことになり、第2次世界大戦では僧侶が戦争に協力することにつながっていった。

第5回の解説で、日本仏教にはサンガ(ブッダの教えに従って暮らす僧侶の自治組織)が存在せず、サンガを運営していくための法律である律蔵も機能していないことを明確化してきた。この状況は日本に仏教が導入されてから現代に至るまで、およそ1300年間にわたって変わることなく続いている。

律蔵が機能していないことにより、日本仏教の僧侶は、他の仏教世界では見られない独特の生活形態を取るようになった。出家する際にウパサンパダー(受戒)の儀式をおこなわない、酒を飲む、結婚して家族を持つといった行為は、律蔵によれば、すべて処罰の対象となる違法行為であるが、律蔵の存在が認知されていない日本仏教では、さほど問題とされない。せいぜいで「社会通念として好ましくない」といった批判がなされる程度である。そしてこういった日本仏教だけが持つ特性の中でも、最も重要かつ深刻な特性の1つが、「暴力の肯定」である。

律蔵では、僧侶が他者に暴力を振るうことは絶対に禁じられている。武器を手にして争うことはもちろん、たとえ教育上の必要性によって弟子を叱責(しっせき)する場合でも、暴力を用いることは決して許されない。僧侶が軍隊の行進を見ることさえも禁じられているのである。仏教以外の宗教の中には、「邪悪な暴力行為は禁じるが、自分たちの宗教を脅かす者を排除するための正義の暴力は許される」という考え方もあるが(いわゆる聖戦思想)、仏教はそれも許さない。いかなる暴力も、ブッダの教えに背く行為として非難されるのである。

律蔵がないために暴力を肯定

インドで釈迦(しゃか)が創始した本来の仏教は、このように暴力を絶対的に否定していたのだが、その後の長い歴史の中で、この基本原理は崩壊し、次第に暴力を肯定する傾向が強まっていった。僧侶が暴力を振るった事例は多くの仏教国で見られるし、僧侶自身が暴力を振るわなくても、僧侶としての権威を利用して権力者に暴力行為を促すといった事例は現在でも時として見られる。しかしながらそれでも、律蔵が機能している限り、そういった行為は「律蔵に背く非仏教的な行為」として法的処罰の対象となる。律蔵があるおかげで仏教の僧侶は、暴力を肯定したいという本能的欲求から身を守ることができるのである。

しかし日本仏教では、その律蔵が機能していない。その結果として、当然予想できることであるが、聖戦思想を利用した暴力が積極的に容認されるようになった。「仏教の教えを守るためならば僧侶が暴力を振るうことも許される」、あるいは「仏教の教えを守るために暴力的に戦うことは、進んでなすべき善い行いである」といった暴力肯定の姿勢が承認されるようになったのである。

問題は、ここで言う「守るべき仏教の教え」というのが、決して釈迦が説いた大本の仏教ではなく、個々の僧侶が所属している宗派や教団の教えを指しているという点である。つまり彼らは、自分たちの地位や権威や利得を守るために暴力を振るうことを、正当な仏教的行為だと考えるのである。

日本仏教の全体が律蔵のない状態で発展したのであるから、このような暴力肯定の姿勢は宗派を問わず、日本仏教界全域に広がっていった。仏教界が全体として「正義の」暴力を肯定し、仏教界を支える一般社会もその在り方に違和感を抱かない、という点にこそ、律蔵を持たない日本仏教の特異性が顕著に表れているのである。

僧侶の軍隊が乱暴狼藉(ろうぜき)

貴族社会と結びついて多くの既得権を得ていた奈良の仏教や真言宗や天台宗は、自分たちの立場を守るために暴力を利用した。代表的な事例が、「僧兵」と呼ばれる「僧侶の軍隊」である。奈良仏教の代表的寺院である東大寺や、天台宗の中心寺院である京都の延暦寺など、多くの寺院が僧兵を抱え、天皇でさえも統制不可能なほどの無法行為を繰り返したのである。

一方、天台宗を母胎としながら、その天台宗に反抗するかたちで登場した新興の仏教宗派は、新たに自分たちの勢力域を拡大するために暴力を用いた。代表は浄土真宗の一向一揆である。宗祖の親鸞は謙虚な人物で、暴力的な言動はまったくなかったが、跡を継いだ組織運営者たちは、自分たちの組織拡大を阻害する旧仏教の勢力や権力者たちに対して強大な軍隊を組織して立ち向かった。その軍事力は強大で、15世紀から16世紀にかけての約100年間、越前、加賀、三河、近畿などで広大な地域を完全に支配し続けるほどであった。こういった勢力拡大のための暴力性は浄土真宗に限ったものではない。当時の多くの新興仏教宗派において多かれ少なかれ見られる現象であり、僧侶が暴力行為に関わることが容認されたのである。

第2次世界大戦に協力した日本の仏教界

その後、権力の集中が進み、徳川幕府が日本全体を統治する江戸時代になると、すべての仏教宗派が幕府の政治体制の下で安定的に棲(す)み分けるようになったため、仏教の暴力性は影を潜めた。しかし、「僧侶はいかなるかたちでも暴力に関与してはならない」という律蔵の基本原則は理解されないままであったため、周囲の社会状況が変化すれば、直ちに暴力性が表に現れるという危険な状態での鎮静化であった。

江戸時代が終わって徳川幕府が消滅し、明治時代になると、新政府は神道の国教化を進めた。新たに発布された「神仏分離令」により、それまでは一体化したものとして扱われていた神道と仏教が切り離され、仏教は神道よりも下位に位置づけられたのである。こうして日本は天皇を中心とした神道国家になったが、その時日本の仏教界は、その新たに登場した天皇中心の神道勢力と協力体制を取った。その一番の理由は、今後外国から流入してくるキリスト教の力を恐れ、国家権力との共同戦線でこれを防ごうとしたところにある。キリスト教を排除する、という共通の目的のもとに宗教界は一体化し、日本仏教は天皇中心の国家権力の支援団体になったのである。

やがて日本が中国や欧米諸国との戦争に突入すると、それまで影を潜めていた日本仏教の暴力性が、「天皇がアジアを統一することによって、日本中心の平和な世界を実現する」という大義名分のもとで再び姿を現すことになった。この時代に、日本仏教がどういったかたちで第2次世界大戦に協力し、僧侶自身がどれくらい戦闘に参加したかという点は、戦争が終わった後も長く曖昧にされたままであったが、最近、その実情を明らかにする研究も現れて来ている。

戦時中、仏教界が戦争に加担することを強く批判する人たちもいたが、大方の宗派は、そのトップからして、積極的に戦争遂行に協力した。信者たちに、戦争に行くよう檄(げき)を飛ばし、武器製造のために布施を集め、天皇とブッダを同一視するような教説を広めたのである。「自分たちの正義を守るための暴力は許される」という古来の理屈がよみがえったのである。

日本が戦争に負けて、天皇が「自分を中心として成り立っていた日本の宗教世界は崩壊した」と自分自身で宣言したことにより、日本の宗教構造は一夜にして消滅し、驚くべき速度で民主主義国家へと変貌した。この変化の中で日本仏教の暴力性も再び影を潜め、現在の日本仏教には一片の暴力性も見られない(禅宗の修行場内では今も暴力を肯定する人が存在するが)。しかし「僧侶はいかなるかたちでも暴力に関与してはならない」という基本原則はいまだ浸透していない。律蔵を持たない日本仏教が克服すべき将来の課題である。

バナー写真=毎年6月に京都市左京区の鞍馬寺で行われる「竹伐り会式(たけきりえしき)」。僧兵に扮(ふん)した僧侶が大蛇に見立てた青竹を山刀で断ち切り、五穀豊穣(ほうじょう)を願う(共同)

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花園大学文学部特任教授。1956年福井県生まれ。京都大学工学部工業化学科・文学部哲学科を卒業。同大学院文学研究科博士課程満期退学。博士(文学)。カリフォルニア大学留学を経て花園大学教授に。定年退職後、現職。専門はインド仏教学。日本印度学仏教学会賞、鈴木学術財団特別賞受賞。著書に『出家とはなにか』(大蔵出版、1999年)、『インド仏教変移論』(同、2000年)、『犀の角たち』(同、2006年)、『般若心経』(NHK出版、2014年)、『大乗仏教』(同、2019年)、『仏教は宇宙をどう見たか』(化学同人、2021年)など。YouTubeチャンネルShizuka Sasakiで仏教解説の動画を配信中。』

タイ総選挙、王室・軍改革掲げる革新野党大勝

タイ総選挙、王室・軍改革掲げる革新野党大勝
https://newsclip.be/archives/3828

 ※ 見出しは、「野党大勝」とある…。

 ※ しかし、『ただ、総選挙後の首相指名選挙にはプラユット軍事政権(2014~2019年)が議員を選任した非民選の議会上院(定数250、任期5年)も投票するため、野党陣営は下院で375議席以上を確保できなければ、政権を奪取できない可能性がある。』ということのようだ…。

 ※ よって、どうも、実態は「プラユット政権」に揺らぎなし…、ということらしい…。

『 2023/5/15
ニュース, 政治

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【タイ】タイ字紙タイラットなどによると、14日投開票のタイ議会下院(定数500)選挙で、リベラル系のガウクライ党(ムーブフォワード党)とタクシン元首相派のプアタイ党の野党陣営が勝利した。

 世論調査や政治アナリストはプアタイ党が第1党になると予想したが、革新的な政策を掲げるガウクライ党がプアタイ党をしのぐ勢い。両党の獲得議席は300議席に迫る。

 与党側は財閥、政治閥の集合体のプームジャイタイ党が60議席以上、プラユット首相兼国防相(元タイ陸軍司令官、69)が事実上の党首の王党派新党ルワムタイサーンチャート党、プラユット首相の陸軍時代の上官であるプラウィット副首相(元タイ陸軍司令官、77)が党首で与党第1党のパランプラチャーラット党がそれぞれ40議席前後となる見通し。与党第3党でタイ最古の政党である民主党は20議席程度と壊滅的な敗北を喫したもよう。

 ガウクライ党は国王批判を禁じた不敬罪の改正、軍の縮小と徴兵制の廃止、県知事の公選制(現在はバンコクを除き中央から派遣される官僚が知事を務める)導入などを掲げ、タイの実権を握る王党派特権階級に正面から挑戦した。ガウクライ党の予想外の大勝は、特権階級、軍に対する国民の強い不満を反映したものといえる。

 ただ、総選挙後の首相指名選挙にはプラユット軍事政権(2014~2019年)が議員を選任した非民選の議会上院(定数250、任期5年)も投票するため、野党陣営は下院で375議席以上を確保できなければ、政権を奪取できない可能性がある。そこで鍵となるのは、プームジャイ党だ。同党は利益誘導型でイデオロギー色が薄い。目玉政策である大麻解禁でガウクライ・プアタイ陣営と妥協できれば、野党陣営に鞍替えする可能性がある。

■党首はスーパーエリート、革新ガウクライ党

 ガウクライ党のピター・リムジャルーンラット党首(42)は成績優秀で奨学金を得て米ハーバード大学の経営学と公共政策の修士号を取得した。実家の食品関連の企業を経営するなど実業家の経験もある。女優と結婚して女児を設けるが、その後、離婚した。華々しい経歴に加え、甘いマスクで女性人気が高い。』

野村証券福井支店が閉店、74年の歴史に幕

野村証券福井支店が閉店、74年の歴史に幕 業務提携の福井銀行へ50人出向、共同で金融商品販売
https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1783748

 ※ たぶん、こういう動きは、「全国規模」で展開されると思われる…。

 ※ 日銀の政策は、植田総裁体制になっても、「緩和基調」は続くと思われ、「利ザヤを稼ぐ」環境は、厳しいままと考えられるからだ…。

 ※ 銀行(特に、地銀)の経営環境としては…。

 ※ そうすると、「債券、証券販売」とかで稼ぐ他なく、記事にある通り、「信託・証券部門を分社化」して、証券会社と(部分)合体するのが、「解の一つ」となるからだ…。

 ※ 証券会社側も、地銀が保有している「富裕層のリスト」を利用できることになるので、ウインウインとなる…。

 ※ ただし、顧客は「リスク資産」に手を出すことになるので、その分「トラブル」も増えると思われる…。

 ※ 福井銀行の昔からの顧客が、「AT1債」の知識とか、あるのかな…。

『2023年5月13日 午後5時00分

野村証券の福井支店(福井県福井市)が5月12日、福井銀行との業務提携のため閉店した。15日からは支店社員の約50人が福井銀に出向し、共同で金融商品の勧誘や販売を行う。74年の歴史ある支店を閉じて関係を深める背景には、両社が互いの強みを生かし、「貯蓄から投資へ」のニーズを呼び込みたい思惑がある。

 野村と地銀との提携は北陸で初めて。福井銀は、会社分割の手法で投資信託や公共債などの口座を野村に承継。野村の社員を受け入れ、県内4カ所に設ける「コンサルティングプラザ」を拠点に、野村の金融商品を仲介し、勧誘からアフターフォローまでを担う。野村は、法人向け一部業務については福井市に新設する「福井法人部」に移管する。

⇒福井銀行が金融商品販売のグループ設置 組織改編と人事異動発表

 野村の福井支店開設は、東証で戦後の取引が始まった1949年(当時は福井営業所)にさかのぼる。現存する110支店のうち27番目に古く、昨年7月の会見で奥田健太郎社長は「福井県は創業者の母の出身地で、大切な地域」と思いを打ち明けた。大切な地域の看板を外して提携したのは、福井銀が抱える顧客にアクセスできる利点があったためだ。

 福井銀の2023年3月末時点の預金残高は2兆8623億円。政府が「資産所得倍増」「貯蓄から投資へ」の旗印を掲げる中、福井銀の顧客と預金は経営強化の源泉となる。野村は営業拠点が福井支店1店舗だったが、提携で4カ所に増えるメリットもある。

⇒福井銀2年ぶり増益、貸出金利息が増加 3月期決算、新幹線向け挑戦支援

 一方の福井銀は、コロナ禍もあり足元で預金が急増。銀行は預金などで集めた資金で融資を行い、利ざや(貸し出しと預金の金利差)を稼ぐのが本業。2023年3月末の貸出金利回りは15年ぶりに上昇したが、超低金利で経営を取り巻く環境が厳しい状態は依然として続いている。

 顧客が預金を投資に振り向ければ販売手数料が期待できるが「豊富な金融商品をそろえ、販売のノウハウも豊かな証券会社に地銀はかなわない。これから専門社員を育成するより、野村と手を組んで仲介手数料を受け取る形の方がいい」(関係者)というのが本音だ。

 12日の決算会見で、長谷川英一福井銀頭取は「証券会社は顧客の預金残高などが分からない中での営業だったが、銀行は重要な情報も営業拠点もある。お客さまにしっかりとした情報と商品を提供し、資産所得の倍増につなげていくのがわれわれの責務だ」と力を込めた。福井銀は2社合計の投資信託、個人向け国債、株式などの県内預かり資産残高(預金除く)を現状の約3600億円から5年後に5千億円へ引き上げる目標を立てている。』

中国、韓国サッカー選手を拘束 遼寧省の公安当局が調査

中国、韓国サッカー選手を拘束 遼寧省の公安当局が調査
https://www.47news.jp/9325728.html

『【北京共同】韓国の聯合ニュースは15日、中国を拠点とする韓国のサッカー選手、孫準浩氏が中国当局に拘束されたと伝えた。在中国・韓国大使館が明らかにした。具体的な拘束理由は不明だが、遼寧省の公安当局の調査を受けているという。

 聯合によると、孫氏は中国スーパーリーグのクラブに所属。ワールドカップ(W杯)カタール大会では韓国代表としてプレーした。

 中国のサッカー界では最近、関係者への調査や摘発が相次いでいる。』

中国、165年ぶりにウラジオストク港の使用権を取り戻す

中国、165年ぶりにウラジオストク港の使用権を取り戻す
https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2023/05/16/2023051680007.html

『記事入力 : 2023/05/16 10:16

中国が165年ぶりにロシアのウラジオストク港の使用権を取り戻した。中国とロシアの関係がこれまで以上に強固になるのはもちろん、物流網の改善により経済成長の効果も期待できそうだ。

 香港明報など中国メディアは15日、中国東北部の吉林省と黒竜江省が来月1日からウラジオストク港を中国国内の港と同じように使用することが可能になったと報じた。

 これは中国海関総署(関税庁)が今月4日にホームページに掲載した2023年の第44号公告を引用したものだ。海関総署は「東北部の老朽化した工業基地の振興戦略を実現し、国内の貿易商品の国境間運送協力を遂行する海外港湾の使用を促進するため、吉林省から国内貿易商品の国境間運送事業範囲をさらに拡大することを決めた」と説明した。

 これに伴い中国東北部の各都市は物流に要する時間と費用を大きく削減できる。これらの都市はこれまで陸路で約1000キロ運送し、遼寧省の営口や大連港などで貨物を積み替え、船舶を利用してきた。中国経済メディアの財新は「費用の削減に加え、中国北京に近い山海関貨物鉄道の混雑も緩和できる」と伝えた。

 ウラジオストクはかつて中国の領土だったが、1858年に当時の清朝と帝政ロシアの間で締結された不平等条約のアイグン条約でロシア領となった。つまり165年ぶりにウラジオストク港の使用権を取り戻したことになる。

 ウラジオストクはかつての中国領で、清の時代には「海参蔵」と呼ばれていた。ところが1858年に清と当時の帝政ロシアによるアイグン条約でロシアに割譲され、その後は「東方の征服」を意味するウラジオストクへと名称が変わった。

 中国は国連の対北朝鮮制裁で北朝鮮の羅津港が使えなくなったため、これに代えてウラジオストクに目をつけたとの見方もある。中国は北朝鮮の羅津港につながる約48キロの道路を建設したが、これは今も使用できない状態が続いている。

北京=イ・ユンジョン特派員

チョソン・ドットコム/朝鮮日報日本語版 』