生き残ったタイ首相、待ち受ける混乱の「時限発火装置」
編集委員 高橋徹
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD092Y00Z01C22A0000000/
『5週間ぶりに復帰した最高権力者を待っていたのは、いきなりの危機対応だった。
在任期間が憲法の規定を超えたとの野党の申し立てを受け、8月24日から職務を一時停止していたタイのプラユット首相に対し、憲法裁判所は9月30日、続投を容認する判断を下した。
執務室の席を温める暇もなく、首相は例年よりひどい雨期の終盤に起きた洪水被害について報告を求め、東北地方へ救援活動の視察に赴いた。同じく東北部のノンブアランプー県の託児施設で6日、銃や刃物により幼児を含む多数が殺傷される痛ましい事件が起きると、閣僚を伴って現地入りし、遺族らを弔問した。
職務に復帰したプラユット首相は、直後に起きた無差別殺人事件の遺族らの弔問に駆けつけた(7日、東北部のノンブアランプー県)=ロイター
バンコクでは続投への抗議集会も開かれているが、どこか盛り上がりを欠くのは、災害や事件の影に隠れたせいばかりではない。いまの下院任期は来年3月で切れる。議長国を務める今年11月半ばのアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議が終われば、タイ国内は遅くとも来年5月までに行われる総選挙一色になるだろう。
現憲法は首相任期を最長8年と定める。憲法裁がプラユット氏の続投を認めたのは、任期の起算を憲法が施行された2017年4月とし、現時点の在任がまだ5年半だとみなしたからだ。野党が主張したように、クーデターを経て旧軍事政権の暫定首相に就いた14年8月を起点に、下院の任期満了まで務めれば、在任は実質8年7カ月に達する。1980~88年に長期政権を担ったプレム・ティンスーラノン元首相の8年5カ月を抜き、歴代首相で3位に躍り出る。
タイが「アジアの工場」として高度成長する礎を築いたプレム政権は、政治面では「半分の民主主義」と呼ばれた。元陸軍司令官の非民選首相だったが、多党連立の与党と密に連携し、内部対立で行き詰まったときは必ず内閣改造や解散・総選挙の手続きを踏むなど、議会制の原則を尊重した。
「軍のクーデター未遂が2度起きたように、権力基盤は盤石ではなかった。連立内に引き留めるため、副大臣のポストを増やし、各党に均等に回るよう組み合わせをしょっちゅう変えるなど、議会運営に苦労した」と筑波大の外山文子准教授が解説する。
元陸軍司令官の非民選首相、そして20党連立という寄せ木細工のプラユット政権は、プレム時代に酷似する。が、決定的な違いがひとつある。後者になくて前者にあるのが、国軍の傀儡(かいらい)政党としての国民国家の力党(PPRP)の存在だ。
チュラロンコン大のシリパン・ノックスアンサワディー准教授は「かつての政権はプレム将軍が去ると終焉(しゅうえん)した。いまはプラユット将軍がいなくなっても、別の誰かが政権を引き継ぐ。軍は過去の経験から学び、自分たちがより長く権力を保持できるよう制度的な枠組みを適応させた」と指摘する。
憲法裁判決の結果、プラユット氏が在任可能なのは最長で25年4月までだ。各政党は首相候補を明示して総選挙に臨むが、次の下院任期半ばでの交代が不可避となったことで、プラユット氏では求心力を保つのが難しくなった。PPRPが別の首相候補を擁立するとの観測も浮上している。
内紛もあって退潮が指摘されるものの、次の首相はまたPPRPが出す公算が大きい。理由は国会での首相指名選挙にある。民選の下院議員(500人)に任命の上院議員(250人)を加えた両院合同会議で実施する。上院議員は国軍が事実上指名した顔ぶれだ。PPRPが推す候補は最初から250票のゲタを履くのも同然。単独か連立で下院の126議席を確保すれば両院合計の過半を死守でき、与党に居座ることは難しくない。
ただ、この仕組みこそ、次の政情混乱への「時限発火装置」となりかねない。
実は17年憲法は、首相指名選挙に上院が加わる仕組みを、5年間の経過規定としている。こちらの起算日は前回の総選挙後に国会が初招集された19年5月24日。つまり5年後の24年5月には、下院議員のみで首相選出が可能になる。
この意味合いは重大だ。現在の比較第1党で、次期総選挙でも優勢が見込まれるタクシン元首相派の野党・タイ貢献党が意中の首相を送り込み、単独で政権を奪取するには、現在は下院の4分の3超の376議席が必要だ。国政選挙で5連勝中のタクシン派といえども現実的ではない。ところが経過規定の失効後は、そのハードルが過半の251議席に下がる。前々回の11年総選挙で265議席を奪った同党には十分に手が届く。
そのとき何が起きるのか。タクシン派ら反軍の革新勢力は、下院だけで首相を選び直すため、即時の内閣総辞職や解散・総選挙を要求するだろう。対する親軍の保守勢力は、改憲で経過規定の延長を画策するかもしれない。タイは議会政治より「街頭政治」がまかり通るお国柄だ。大規模な反政府デモが再燃する恐れは強い。
軍出身の非民選ながら、議会制を尊重した故プレム氏の首相時代は「半分の民主主義」と呼ばれた(2014年8月、バンコク)
ところで素朴な疑問を挙げるなら、旧軍政下で起草した憲法で、上院の首相指名選挙への参加をなぜ5年に限定したのか、である。
4年の下院任期を考えれば、経過措置下で軍の意中の首相を少なくとも2回は選出できる。任期満了までの計8年は、軍主導で政治・経済を立て直し、民心を味方につけ、選挙でタクシン派を退けるには十分な時間だと踏んだのか。だとすれば、自らの政権担当能力への過信を含めて、あまりに見通しが甘すぎたといわざるを得ない。
と同時に、経過規定の背景には「失敗に終わった過去の成功体験」もあるようだ。日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア経済研究所の青木まき研究員は「タイで年配の識者と話すと、1997年憲法を起草した時代を懐かしむ声が多い。民主主義の体裁を整えたがるのはその名残だろう」とみる。
戦後の憲法が一字一句変わっていない日本と違い、過去にクーデターが頻発し、そのたびに憲法を廃止してきたタイは、恒久憲法が13回も制定されてきた(「恒久」という表現に矛盾があるが)。
その中で「最も民主的」との評価が定着しているのが、11番目の97年憲法だ。プレム時代の半分の民主主義から、完全な民主主義を目指して議会制の強化に主眼を置いた。下院に死票の少ない小選挙区制、上院にも下院と同じ民選制を導入する画期的な内容だった。
軍の政治介入を防ぎ、安定政権下で政策遂行力を高める「大政党と強い首相」を企図した97年憲法のもとで、2001年の総選挙に圧勝したのがタクシン氏率いるタイ愛国党(現タイ貢献党)だった。ところが憲法起草者の想定を超えて「強すぎる首相」になった同氏は、強引な政権運営や金権体質も目立った。06年と14年に起きたクーデターが象徴するように、21世紀のタイ政治は、選挙では連戦連勝のタクシン派を軍を筆頭とする保守勢力がいかに押さえ込むか、を軸に動いてきた。
軍政下で制定したその後の憲法は、民主的な要素が薄れ、任命制に戻した上院を首相指名選挙に動員する「禁じ手」まで持ち込んだ。ただし17年憲法の起草にかかわった識者の多くは、97年憲法の議論にも参加していた人たちである。恒久化や10年、20年でなく、5年間の時限措置は、郷愁や後ろめたさをない交ぜにした産物といえようか。
半分の民主主義が通底するプレム政権とプラユット政権だが、国軍主導の「開発独裁」から民主化へ向かう過渡期に国政を担った前者に対し、後者は一時は「アジアの民主化優等生」とも称された段階からの後退局面で登場した点でベクトルが逆だ。
長く険しい回り道はあったものの、再び民主化へ歩みを進めるのか。それともこのままずるずると後退が続くのか。次期総選挙の結果以上に、再来年に期限が切れる非民主的な憲法規定の取り扱いが、タイ民主主義の大きな分岐点となるように思える。
=随時掲載
高橋徹(たかはし・とおる) 1992年日本経済新聞社入社。自動車や通信、ゼネコン・不動産、エネルギー、商社、電機などの産業取材を担当した後、2010年から15年はバンコク支局長、19年から22年3月まではアジア総局長としてタイに計8年間駐在した。論説委員を兼務している。著書「タイ 混迷からの脱出」で16年度の大平正芳記念特別賞受賞。』







