『Chang Che 記者による2020-12-1記事「The Nazi Inspiring China’s Communists」。
中共の社会学系の大学教授たちは今、競ってカール・シュミットを読み、そこから、国家の安定のためには政府は法律なんか無視してもよいという御用論法を掬い出そうとしているそうだ。
中共御用学者界のカール・シュミット熱は、2000年代前半に訳書が刊行されたときに始まる。
たとえばある北京大の法学部教授は香港統治について、必要とあれば支那憲法の人権規定など無視してもよい、と、シュミットを引用して論じている。
熊プーは国家主義者である。そしてその淵源は1930年代の蒋介石にある。
ナチスを深く尊敬していた蒋はこう言った。ドイツとシナは、遅れて統一されたという点で似ているのだ、と。
1927に蒋はドイツの砲兵将校マックス・バウアーを顧問に迎えた。息子の蒋緯国は1938にドイツ国防軍に勤務している。
そもそも、政治は、敵か、味方かが大事なんだと強調した毛沢東も、シュミットの影響(パクリ)だろう。』

『来歴
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出典検索?: “カール・シュミット” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2020年9月)
1888年、ドイツ・ヴェストファーレン地方のプレッテンベルクでカトリックの家に生まれた。 ベルリン大学、ミュンヘン大学、ストラスブール大学などで学び、1916年、Der Wert des Staates und die Bedeutung des Einzelnen(『国家の価値と個人の意義』)で教授資格取得。同年、兵役につき、またセルビア人女性と結婚。
ボン大学、ベルリン商科大学、ケルン大学で教授を歴任した後、ナチス政権が成立した1933年から1945年まで、ベルリン大学教授。
独自の法学思想(後述)に依拠して、第一次大戦後のワイマール政権下、議会制民主主義、自由主義を批判した。また、ナチスが政権を獲得した1933年からナチスに協力し、ナチスの法学理論を支えることになる。しかし、ナチス政権成立前に、著書『合法性と正統性』において、共産主義者と国家社会主義者を内部の敵として批判したことや、ユダヤ人のフーゴー・プロイスを称賛したことが原因で、1936年に失脚する。第二次世界大戦後に逮捕され、ニュルンベルク裁判で尋問を受けたが、不起訴となる。
その後、故郷プレッテンベルクに隠棲し、著述活動をつづけた。また1950年代からは国際法を研究した。隠棲してからも多くの人が訪れ、朋友であったエルンスト・ユンガーはもちろん、ヤーコプ・タウベスやアレクサンドル・コジェーヴらと親交した。
優柔不断な政治的ロマン主義者が最終的に権威に屈従していく過程を観つつ、思想的状況に「決断」を下す独裁者を要請した。また、『政治的なものの概念』等で展開された「友-敵理論」(政治の本質を敵と味方の峻別と規定)や例外状態理論は名高い。
1962年にはフランコ政権下のスペインで講義を持ち、その一部はのち『パルチザンの理論』として出版された。そのなかでスペイン内戦を「国際共産主義に対抗する民族解放戦争」とみなした。』
『影響
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ヴァルター・ベンヤミン、レオ・シュトラウス、ジャック・デリダ、エティエンヌ・バリバール、ハンナ・アーレント、ジョルジョ・アガンベン、アントニオ・ネグリ、パオロ・ヴィルノ、スラヴォイ・ジジェク、アラン・バディウ、シャンタル・ムフ、ヤーコプ・タウベスらに影響を与えた。
とりわけアガンベン、デリダやムフらの読解によって、主権や例外状態といった諸概念は右派だけでなく左派の政治理論にも多大な影響を与えている。
新保守主義への影響
新保守主義(ネオコン)はレオ・シュトラウスを通じてシュミットから影響を受けているともされる。アルバート・ゴンザレスやジョン・ユーらの法学論文がその代表的なものであるが、カール・シュミットの論文を真似、テロとの戦いという繊細な政治的課題に「不法な戦闘員」といった定義を挿入することにより、大統領行政特権(Unitary executive theory)による執行の正当化を試みている[1]。これらの論は、 拷問禁止条約などジュネーブ条約の人権保護規定や、NSAのテロリスト調査計画(英語版)を排除しかねないと言われている[2]。
また、デヴィッド・ルーバン教授はシュミットに関する研究論文の数について、1980年から1990年までは5件のみであったところ、1990年から2000年までは114件、2000年以来は420件となっており、5年毎にほぼ2倍になっていることを指摘している[3]。』
『『カール・シュミット著作集』(慈学社(I・II)、2007年)
長尾龍一編、田中成明・樋口陽一・長尾龍一ほか訳
第I巻収録論文〔1922―1934〕
・政治神学(1922年、長尾龍一訳)
・現代議会主義の精神史的状況(1923年、樋口陽一訳)
・ローマカトリック教会と政治形態(1925年、小林公訳)
・議会主義と現代の大衆民主主義との対立(1926年、樋口陽一訳)
・国際連盟とヨーロッパ(1928年、長尾龍一訳)
・ライン地域の国際法的諸問題(1928年、長尾龍一訳)
・中立化と脱政治化の時代(1929年、長尾龍一訳)
・フーゴー・プロイス(1930年、上原行雄訳)
・政治的なものの概念(1932年、菅野喜八郎訳)
・現代帝国主義の国際法的諸形態(1932年、長尾龍一訳)
・ライヒ・国家・連邦(1933年、長尾龍一訳)
・法学的思惟の三種類(1934年、加藤新平・田中成明訳)
第II巻収録論文〔1936―1970〕
・「ドイツ法学におけるユダヤ人」学会への結語(1936年、長尾龍一訳)
・ホッブズと全体主義(1937年、長尾龍一訳)
・全面の敵・総力戦・全体国家(1937年、長尾龍一訳)
・レヴィアタン――その意義と挫折(1938年、長尾龍一訳)
・戦争概念と敵概念(1938年、長尾龍一訳)
・日本の「アジア・モンロー主義」(1939年、長尾龍一訳)
・ジャン・ボダンと近代国家の成立(1941年、長尾龍一訳)
・獄中記――故ヴィルヘルム・アールマン博士を追憶して(1950年、長尾龍一訳)
・価値による専制(1967年、森田寛二訳)
・政治神学Ⅱ――「あらゆる政治神学は一掃された」という伝説(1970年、新正幸・長尾龍一訳)』
※ これも、「永遠の課題」だろう…。
※ 「政治」とか、「国家」とかは、「諸勢力の妥協の産物」だ…。
※ ましてや、「人権尊重」「民主主義」となると、その「一定の意思決定」を導き出すまでの「経過」「時間」は、延々と膨大なものとなる…。
※ そうすると、「この非常時に、何をやっているんだ!」「つべこべ、吐かすな!」「グダグダ、議論してる場合じゃない!」という論が、幅を効かせてくる…。
※ そこを、どう「調整」するのか…。「処方箋」、「特効薬」は、無い…。
































































