



邦人救出、アフガンの教訓 台湾有事にも出遅れ懸念
政界Zoom
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA308IM0Q1A830C2000000/



『政府は8月31日、アフガニスタンから邦人や現地協力者を退避させるために派遣した自衛隊機に撤収命令を出した。各国が数百~十数万人を国外へ輸送したなかで自衛隊は15人どまり。法律や慣習の制約による出遅れは台湾海峡や朝鮮半島で起こり得る有事に備える教訓となる。
「わが国の組織で働く現地の従業員もファミリーだ」。岸信夫防衛相は23日、自衛隊に出動命令を出し、記者団にこう述べた。邦人だけでなく日本大使館などに勤務していたアフガン人協力者も救うのが任務だと強調した。
現地には数人の邦人と最大500人のアフガン人協力者が残る。イスラム主義組織タリバンがカブールを制圧し、外国人や協力者に危険が及ぶ恐れがある。希望者を国外へ避難させるのが国家としての使命だという判断があった。
実際に運べたのは邦人1人と米国のアフガン人協力者14人だけ。500人を25台ほどのバスに乗せて空港へ運ぶ予定だった26日、空港周辺で起きた自爆テロで計画が崩れた。米軍が撤収すると日本が輸送するすべはなくなった。
米国は12万人、英国は1万人以上を国外へ出すのに成功した。ドイツやフランスは数千人、韓国も390人で日本の少なさが際立つ。派遣を決めるのに時間がかかりテロの前に運べなかったのが響いた。日本以外の主要7カ国(G7)は15日前後に着手していた。
決定の遅れを招いた要因の一つは日本の法的な制約だった。自衛隊が邦人らを救うには2つの方法がある。一つは騒乱が起きた国の外へ連れ出す「輸送」。もう一つは場合によっては武器も使いながら救出にあたる「保護」だ。
今回は輸送だけの対応にとどめた。自衛隊法84条の4は「安全に実施できると認めるとき」に限ると規定する。絶対条件とされた空港の安全確認に時間がかかった。自衛隊の海外派遣はこれまで世論を二分してきた。外務省幹部は「首相官邸や与野党に大丈夫と言い切る根拠がなければ決断できなかった」と語る。
政府が現地と交渉して人々を空港に送る手段を探すのにも手間取った。空港外の活動は危険とみなされて任務から外れ、自衛隊は市街地に残る邦人や協力者を運ぶことができなかった。
救出を含む保護に関する自衛隊法84条の3を適用しなかったのはなぜか。保護のためなら任務遂行の妨害行為を排除するのに武器を使え、空港外で活動しやすくなる。
壁となったのは輸送よりも厳しい制約だ。84条の3が明記する①当該国の権限ある当局による秩序維持②当該国の同意③当該国当局との連携――の3要件を満たさなかった。
タリバンによる統治の見通しは不透明で、同意を取り付けるべき明確な相手が存在しない状態だったためだ。
治安が悪化した地域から日本の民間人を退避させることは自衛隊の重要な任務の一つとなる。日本周辺で想定される危機でも出遅れかねないとの見方がある。
朝鮮半島や台湾海峡での有事は、日本の存立が脅かされる「存立危機事態」とみなせば自衛隊の防衛出動による武力を使った邦人救出が可能になる。この場合も派遣先の国の同意が前提となる。
半島有事で自衛隊が邦人を保護する場合に想定する相手は韓国だ。韓国は植民地支配の記憶があり、自衛隊の受け入れに慎重になりがちだ。防衛省には「邦人保護の目的でもスムーズに派遣できるかわからない」との懸念がある。
中国が台湾を攻撃した場合はより複雑になる。中国大陸と台湾は1つの国に属するという「一つの中国」を日本は尊重する立場だ。防衛省幹部は「攻めてくる中国側の同意が必要という奇妙な状況に陥りかねない」と話す。
慶大の鶴岡路人准教授は「自衛隊機を出す決定が遅かったのは否定しようがない。どういうときにどういう対応を取るか政府内でリアルな準備をしておく必要がある」と指摘する。
<記者の目>「戦後の宿題」考えるとき
「多くの外国軍は『やってはいけないこと』を法律で定めている。自衛隊は『やっていいこと』だけを法律に書いている」。防衛省でよく聞く言葉だ。活動に制約が多く迅速に対応しにくいという問題意識がある。
自衛隊は戦争の反省や憲法9条を踏まえて活動に枠をはめてきた。1995年の阪神大震災では自主的に動きにくく救助活動が遅れた。この教訓を基に出動要件を簡略化したように時代に合わせた法律や運用の見直しはあってしかるべきだろう。
世界各地でテロや紛争が頻発し、邦人の犠牲者が出る事例も相次ぐ。危機に直面してからでは間に合わない。自衛隊にどこまでの活動を任せるべきか。政府や与野党だけでなく社会全体で「戦後の宿題」を考えるときが来ている。(安全保障エディター 甲原潤之介 』
アフガン退避、2度の計画断念 幻に終わった救出劇
想定外の早期陥落、テロで移動困難
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA31BR20R30C21A8000000/
※ 相当に「裏話」にまで、踏み込んだ記事だ…。
※ これが、現状だ…。
※ 「カントリー・リスク」ある地域に進出する民間企業は、そういう現状を覚悟で現地に行く必要がある…。
※ 「イザと言う時には、どこからも”援助”は来ない…。」「日本の自衛隊は、手足を縛られていて、活動できない。」という覚悟で…。


『アフガニスタンから邦人や日本大使館の現地職員らを退避させる政府の作戦が8月31日に終わった。結果は邦人1人と米政府の協力者であるアフガン人14人の移送にとどまった。最大500人の救出を想定し、外務省が練った2度のプランは想定外の事態に断念を迫られた。
「早期退避を検討してください」。イスラム主義組織タリバンが支配地域を着々と広げていた8月上旬、アフガニスタンの日本大使館は在留邦人に警戒を呼びかけていた。多くの人は従ったが、仕事や家族など様々な事情から出国を留保する人もいた。
東京では外務省が4日から水面下で、邦人と大使館の現地職員を含むアフガン人協力者の退避を検討し始めた。10日前後には「90日以内にタリバンが首都カブールを制圧する」との米情報機関の分析をメディアが報じた。
民間チャーター機を手配し、18日にカブール空港から飛び立つ――。外務省は14日、1度目の救出計画を立てたが、翌15日、カブールは想定外の早さで陥落した。空港への民間機の離着陸は不可能になった。第1の計画は失敗に終わった。
外務省は大使館の邦人職員12人の退避に忙殺され、アフガン人職員ら協力者への対応は後回しになった。市街地では刑務所から囚人が逃げ、銃撃戦も始まった。
米国からは大使館の撤収を促す連絡が入った。米軍からは「退避が遅れたら安全を保証できない」と迫られた。大使館は米軍と覚書を結び、撤収への協力を要請した。
大使館員は空港を目指したが、移動もままならなかった。森健良外務次官はシャーマン米国務副長官に電話し、米軍ヘリによる車両の保護を求めた。出国には英国の軍用機の力も得て17日、ドバイに逃れた。
まだアフガンに残る500人ほどのアフガン人協力者をどう救出するか。「救出を引き受けてくれないか」。外務省は翌18日からアフガンにすでに軍を展開していた米欧各国に打診した。19日まで続けたものの、各国とも自国の協力者の救助が精いっぱいで確約は得られなかった。
万策尽きた外務省が防衛省に自衛隊派遣を打診したのは20日朝。防衛省は1日で作戦をまとめ、岸信夫防衛相が21日に部隊出動を決断した。菅義偉首相の了承を得て、23日、自衛隊に派遣命令を出した。
外務省には「自衛隊の派遣は最後の手段」という考え方が根強い。過去の派遣で野党などの追及を受けてきたからだ。争乱状態のアフガンに自衛隊を送ることへの懸念から判断が遅れた。
外務省は2度目の救出プランを練った。大使館職員らが第三国からアフガンに戻って25台ほどのバスを手配し、希望者を乗せて検問をくぐり抜ける計画だ。タリバン幹部へ退避対象者リストを渡して検問通過の合意に見込みをつけると、26日に希望者を集めてバスに乗り込んだ。
タイミング悪く26日午後に空港周辺での自爆テロが起きた。混乱から検問所は100台に及ぶバスの列ができ、検問でのタリバンの規制は急激に厳しくなった。テロの再発のリスクも考慮し出発を断念した。
自国民の保護すら危ぶまれる事態を受け、茂木敏充外相は23日に会談したばかりのカタールのムハンマド副首相兼外相に急きょ接触。カタールは求めにこたえ、渋滞でも動きやすい10人乗りの小型バスを用意した。
テロで態度を硬化したタリバンが「外国人」の出国のみを認める方針に転換し状況はさらに悪くなった。外務省は残る数人の邦人に出国の意向を最終確認し、希望した共同通信の通信員1人のみが空自輸送機「C130」でカブールを脱出した。
自爆テロの前日の25日、韓国は300人超の退避に成功した。成否を分けたのは「1日」だった。政府高官は「自衛隊出動があと1日、早ければ……」と悔やむ。
災害やテロ、戦争など有事のオペレーションは判断の遅れが成否を分ける。さらに協力者を救出できなかったことはこれからの日本の外交力にも影響を与えかねない。
「今回のオペレーションの最大の目標は邦人保護だった。そういう意味では良かった」。首相は1日、首相官邸で記者団の質問に笑顔なく答えた。 』
自衛隊派遣、後手批判に反論 アフガン人退避できず「残念」―茂木外相
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021083100800&g=pol
※ 退避した「たった一人の邦人」は、「共同通信社通信員」か…。
※ しかも、名前からすると、「女性」のようだな…。
※ 別の情報によると、「退避したのは現地で事業を営みながら共同通信カブール通信員を務める安井浩美さん(57)」だそうだ…。
※ 『安井/浩美
1963年、大阪で生まれる。京都の聖母女学院短期大学を卒業後、アパレル会社勤務。約1年間のシルクロードの旅を経て写真の道へ。1993年、フリーのフォトグラファーとしてアフガニスタンを取材し、戦争取材とともにアフガン遊牧民の記録をライフワークとする。2001年の米同時多発テロをきっかけにアフガン入り。現在、共同通信社のカブール支局で通信員として働くかたわら、アフガン難民の子供たちの教育に関わる。アフガニスタンの外国人ジャーナリストの中で、最も長い滞在者のひとり(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)』こういう経歴にも、ヒットした…。


『茂木敏充外相は31日の記者会見で、アフガニスタンからの邦人退避などをめぐり、自衛隊機派遣が遅れたとの批判に対し、「決して遅かったとは思わない。十分退避に間に合うタイミングで行き、輸送手段も確保した」と反論した。自爆テロの影響で空港への移動が困難になったと指摘。アフガン人の現地スタッフらが「まだ退避できない状況は残念だ」と語った。
EU、難民危機阻止急ぐ アフガン周辺国支援に軸足
一方、与野党有志による「人権外交を超党派で考える議員連盟」は同日、衆院議員会館で総会を開き、アフガン人やその家族の出国に向け、タリバン側と交渉を続けるよう政府に求めた。自民党の中谷元・元防衛相は記者団に対し、今回の政府対応を問題視。「検証が必要だ」と強調した。
総会には、自衛隊機で退避した共同通信社通信員の安井浩美さんもオンラインで出席した。』
自衛隊、退避作戦に法的制約 安全確保できず、空港くぎ付け―アフガン
2021年08月29日08時41分
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021082800467&g=pol
※ これで、「どーしろと…。」、…。

『日本政府によるアフガニスタンからの邦人や大使館の現地スタッフの退避作戦は、事実上の活動期限である27日を過ぎ、継続は困難な状況となってきた。自爆テロによる治安悪化などの影響で、最大500人と想定する退避希望者の多くはアフガン国内に残されたまま。派遣の根拠である自衛隊法に活動を制約され、自衛官は首都カブールの空港から一歩も外に出られなかった。
米、空港から撤収開始 新たなテロに最大級の警戒―アフガン
政府は当初、退避希望者の空港までの移動手段について、「各自で確保していただくしか仕方ない」(岸信夫防衛相)としていた。しかし、イスラム主義組織タリバンが24日にアフガン人の出国を認めない考えを表明したことを受け、方針を転換。26日には空港へ向かうバスを20台以上用意したものの、空港ゲート付近で自爆テロが発生したため、移動を断念した。
今回、自衛隊員の任務は自衛隊法84条の4に基づく「輸送」で、空港内での邦人らの誘導と空自機による退避が中心。同法は輸送を「安全に実施することができると認めるとき」に限定しており、米軍が安全をコントロールできる空港内でのみ活動することとした。自衛官が市中に退避希望者を迎えに行き、警護して連れてくることはできなかった。
2016年施行の安全保障関連法で、新たに在外邦人らの救出や警護を認める「保護」(自衛隊法84条の3)が可能となり、より強い武器使用権限も与えられた。しかし、派遣先となる受け入れ国の同意や現地の治安が維持されていることが要件で、タリバンが支配するアフガンでの適用は見送った。
要件をめぐっては、24日の自民党国防部会などの合同会議で「安定していないからこそ(保護の)ニーズがある」として、緩和を求める声が上がった。防衛省内からも「今回の件をきっかけに議論を始めてほしい」と法改正に期待する声も出ている。』
茂木外相 アフガンの大使館機能ドーハに移す方針 米軍撤退で
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210831/k10013234561000.html?utm_int=detail_contents_news-related_001

『茂木外務大臣は閣議のあとの記者会見で、アメリカ軍のアフガニスタンからの撤退が完了したことなどを受けて、一時閉鎖した日本大使館の機能を、タリバンとのパイプを持つ、カタールのドーハに移す方針を明らかにしました。
この中で茂木外務大臣は、アメリカ軍のアフガニスタンからの撤退が完了したことについて「軍を中心にした退避オペレーションというフェーズから、新たなフェーズに入っていくと考えている。出国を希望される方々の安全な退避のために、どういう手段がとり得るのか考えていきたい」と述べました。
そのうえで茂木大臣は、一時閉鎖したアフガニスタンの大使館について「仮の事務所をトルコのイスタンブールに置いているが、今後はおそらくタリバンが政治事務所を置いているカタールで、いろいろなコミュニケーションが行われることになる」と述べ、大使館機能をカタールのドーハに移す方針を明らかにしました。
また、茂木大臣は、記者団が、自衛隊機を派遣したタイミングが適切だったか質問したのに対し「状況が刻々と変化するなか、日本として取り得る手段を考え、派遣も決して遅かったとは思わない。空港近くで自爆テロが起こったことによって、退避を希望していた方々が、まだ退避できない状況にいることは残念だ」と述べました。』
アフガニスタンからの退避 派遣の自衛隊機の撤収決定 岸防衛相
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210831/k10013234941000.html

『アフガニスタン情勢の悪化を受け、岸防衛大臣は、日本人などを国外に退避させるために派遣していた自衛隊機について、輸送の終結を命じ、撤収させることを決めました。』
「邦人保護」口実に海外派兵訓練
防衛省に塩川・梅村両議員が中止求める(2016年12月13日(火))
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-12-13/2016121314_01_1.html
※ 既に、この時から議論はされていた…。
※ 『塩川氏は、同省が主要訓練事項に「在外邦人等の一時集合場所が暴徒に取り囲まれてしまった場合」「唯一の輸送経路がバリケードで通行妨害にあってしまった場合」の対処を含めていることに触れ「紛争状態にある国に行き、武器を使って邦人救出を行うものだ」と指摘。「自衛隊員が殺し殺されることを想定した訓練は認められない」と中止を求めました。』…。
※ まあ、いつもの話しだ…。
『日本共産党の塩川鉄也衆院議員は12日、航空自衛隊入間基地(埼玉県狭山市、入間市)、陸上自衛隊相馬原演習場(群馬県榛東村)などで同日から行われる「在外邦人等保護措置訓練」の詳細について防衛省の担当者から聞き取り、訓練の中止を求めました。
写真
(写真)在外邦人等保護訓練の中止を求める(右2人目から)梅村さえこ、塩川鉄也両衆院議員ら=12日、衆院第2議員会館
訓練は、自衛隊が海外在住の日本人を救出するために、武器を使用することも可能にした安保法制=戦争法に基づくもの。「保護」された在外邦人に見立てた隊員らは、相馬原演習場から入間基地へ、地雷などの攻撃に耐えるとされる輸送防護車「MRAP」などで公道を使い輸送されます。机上訓練は12日実施。実動訓練は14~16日です。
防衛省担当者は、参加部隊の詳細や訓練スケジュールの公表を拒否しました。
塩川氏は、同省が主要訓練事項に「在外邦人等の一時集合場所が暴徒に取り囲まれてしまった場合」「唯一の輸送経路がバリケードで通行妨害にあってしまった場合」の対処を含めていることに触れ「紛争状態にある国に行き、武器を使って邦人救出を行うものだ」と指摘。「自衛隊員が殺し殺されることを想定した訓練は認められない」と中止を求めました。
聞き取りには、梅村さえこ衆院議員、はせだ直之(群馬2区)、伊藤たつや(同5区)の両衆院候補、埼玉、群馬両県の平和団体のメンバーや地方議員らが同席しました。』
日本のアフガン退避難航 自衛隊派遣、初動の遅れ響く
邦人・協力者保護、薄い危機感
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA273SN0X20C21A8000000/


『日本政府によるアフガニスタンの邦人やアフガン人大使館職員らの退避が難航している。最大500人の希望者の移送を目指したが、実現しないまま27日の事実上の活動期限を迎えた。自衛隊機派遣の初動の遅れが一因だ。すでに退避作戦を終えた欧州などと比べ、自国民や協力者保護への危機感の薄さもにじむ。
政府が自衛隊機の派遣を決めたのは23日。15日のカブール陥落を受けてすぐに軍用機を現地に送った米欧から1週間ほど遅れた。その間、現地の状況は日に日に厳しさを増していった。
政府は17日までに日本人の大使館員や国際協力機構(JICA)職員、出国を望む邦人を第三国に退避させた。米軍と連携し、実際の移送では英国軍の協力を得た。このとき日本に過去20年間協力してきたアフガン人職員らは取り残された。
英国が駐アフガン大使を現地にとどめ、アフガン人への査証(ビザ)発給などの作業を続けたのと対照的だ。
日本の外務省は今回の救出対象の邦人は数人で、アフガン人職員とその家族を含む協力者は数百人と想定した。
政府が派遣した自衛隊の輸送機「C130」が拠点とするパキスタンのイスラマバードからカブールの空港に到着したのは26日になってからだ。出国希望者が空港まで来られず、複数回の輸送が空振りに終わった。27日に出国した邦人1人が最初の退避者だった。
欧州は着々と計画を進めた。ドイツやベルギー、オランダは自国民とアフガン人協力者の退避作戦を終了したと発表した。ドイツは5千人ほどを国外に脱出させた。
東大の鈴木一人教授は日本政府の危機意識の乏しさを指摘する。「大使館などで協力していたアフガン人の方針が決まらないまま、大使館員が先に脱出したのは拙速だった」と述べた。「日本は緊急事態対応の計画が十分でない」と説明した。
一連の経緯で他国との協力などソフト面の課題も浮かび上がった。
政府はアフガンの日本大使館に防衛駐在官を置いていたが、17日に他の大使館員とともに退避した。自衛隊機の派遣のため、防衛省が現地に先遣隊を向かわせたのは22日。この間、現地に自衛隊員は不在だった。
米欧各国はカブール陥落後も現地で軍関係者が情報交換を続けており、ここでも出遅れた。
その後、いったん周辺国に出た大使館職員らがアフガンに戻り、派遣された自衛官とともにカブールで退避希望者の支援にあたっていた。
日本の今回の退避オペレーションには①首都カブールの空港までの移動②本人確認③アフガンからの脱出④日本への輸送⑤日本への入国――という関門がある。
最大の問題は邦人やアフガン人らの空港への移動だ。米国や欧州の一部の国は軍用ヘリコプターを市街地に飛ばし、脱出を進めた。
自衛隊の場合、自衛隊法の制約で米軍によって安全が保たれている空港を出ると活動できず、空港までの安全な移動を手助けできない。
岸信夫防衛相は23日、空港までの移動手段は「各自で確保していただくしかない」と述べた。
今回の出動は外国での騒乱時に邦人らを輸送できると定める自衛隊法「84条の4」に基づく。同条項に「安全に実施できると認めるとき」との要件がある。
政府はカブールの空港内は米軍により安全が保たれていると判断し活動を認めた。空港外の市街地については米軍のコントロールが及ばず、治安が悪化しているため活動範囲に含めなかった。
より強い武器使用権限を付与する「84条の3」を根拠とすれば、自衛隊が外国で生命の危険がある邦人らを保護できる。この条項は相手国の同意を厳格に求めている。タリバンが制圧した現在のアフガンで適用するのは現実的でなかった。
政府は憲法で自衛隊に自衛のための必要最小限度の武力行使しか認められていないと解釈しており、自衛隊法も活動範囲を厳しく制限する。特に今回のような部隊の撤退時は軍事上リスクの高い場面だ。自衛隊の対処にもおのずと限界はある。
海外での本格的な活動は現地で他国軍の手厚い支援を得ながら進めている。外国からの退避など同盟国にも余力がない場合、日本にはどこまで独自の行動ができるのか。
これまでもイラクへの派遣など自衛隊の海外活動を巡って、現実と制度上の制約とのギャップを憲法解釈で乗り切ってきた。今回は国家の役割そのものに関わる自国民保護という問題に直面し、そうした矛盾が改めて浮き彫りになっている。
【関連記事】邦人1人が空自機で退避 アフガン人職員らなお現地に
この記事の英文をNikkei Asiaで読む 』
アフガニスタンからの邦人退避で自衛隊機派遣表明 官房長官
(※URL、省略)

※ C130。

※ C2。
『アフガニスタン情勢の悪化を受け、加藤官房長官は、記者会見で、出国を希望する現地の邦人などを迅速、安全に退避させるため、自衛隊機を現地に派遣し、調整が整い次第、輸送活動を始めることを明らかにしました。
この中で、加藤官房長官は、アフガニスタン情勢が流動化している中、出国を希望する人たちの安全な退避が国際社会にとって喫緊の課題になっていると指摘しました。
そのうえで、出国を希望する現地の邦人などを迅速、安全に退避させるため、自衛隊機を現地に派遣し、調整が整い次第、輸送活動を始めるとして、第1陣として、23日夕方、輸送機1機が出発し、最終的には、C130輸送機2機とC2輸送機1機が任務に当たる予定だと明らかにしました。
そして、加藤官房長官は「現在、カブール空港では、アメリカ軍が空港内と周辺の安全確保や、周辺区域での航空管制を行い、航空機の離着陸が正常に行われている。タリバンについても、カブール空港からの人員輸送を妨害する動きは見られていない」と述べ、現地での輸送の安全は確保されているという認識を示しました。
また「政府としては、運用上も国際法上も問題が生じないよう、関係しうる当事者の同意を得るための意思疎通を図っている。ただ、緊急的措置として人道上の必要性から安全が確保されている状況で自国民などの退避のために輸送を行うものであり、仮に明確な同意がとれていないとしても、国際法上、問題ないと考えている」と述べました。
一方、加藤官房長官は、輸送を行う対象について「今回は、邦人、大使館の職員などをはじめとした関係者や家族の輸送を念頭に進めている。実際、そうした皆さんが、どこまで空港に結集して来られるのか、不確実なところがある。また、場合によっては、他の国から、いろいろな意味での要請が来る場合もあるかと思う」と述べました。
また、輸送する人数については「機微な話なので、現時点ではコメントは差し控えたい」と述べるにとどめました。
海外での自衛隊による輸送 これまでに4回
今回のように、治安情勢が悪化した海外で日本人の安全を確保するため、自衛隊法に基づき、自衛隊が輸送を行ったケースは、これまでに4回あります。
初めて実施されたのは平成16年で、自衛隊が派遣されていたイラクで情勢が悪化したことから、現地で取材活動にあたっていた日本の報道関係者10人を航空自衛隊の輸送機で隣国のクウェートまで退避させました。
また、平成25年にアルジェリアで起きた人質事件の際には、政府専用機を派遣し、無事だった7人と、亡くなった9人を日本に運びました。
平成28年には7月に2度行われ、バングラデシュの首都、ダッカで起きた襲撃事件では、死亡した7人と家族を日本まで運んだほか、その翌週には、政府軍と反政府勢力の間の武力衝突で治安が悪化した南スーダンから、航空自衛隊の輸送機を使って大使館職員4人を退避させました。
“日本人の安全確保” 5年前の安保関連法施行で拡大
海外で自衛隊が行うことのできる日本人の安全を確保する任務は、5年前の安全保障関連法の施行によって拡大されましたが、今回の派遣は従来の自衛隊法に基づくもので新たに可能になった任務は行われません。
従来は、自衛隊法に基づいて部隊が行えるのは、国外退避のための日本人の「輸送」とされていました。
しかし、平成25年にアルジェリアで起きた日本人の人質事件を受けて、空港や港に航空機や艦艇を派遣して輸送する従来の任務に加え、車両による陸上での輸送ができるようになりました。
さらに、安全保障関連法の施行によって、輸送だけでなく、日本人の救出や警護も可能になりました。
これに伴って自衛隊の武器使用が認められる範囲も拡大され、自分の身を守る場合だけでなく妨害行為を排除するなど、「任務遂行のための武器使用」も可能になりました。
安全保障関連法に基づく救出や警護の任務は、これまでに実施されたことはなく、今回も行われません。
C130輸送機とは
C130輸送機は、※※県にある航空自衛隊の※※基地に16機配備されています。
全長はおよそ30メートル、主翼を含めた幅はおよそ40メートルで、乗員を除いて最大で92人を輸送できます。
また、5トンの人や荷物を載せた状態でおよそ4000キロ飛行する能力があるということです。
自衛隊がこれまで行ってきた国連のPKO=平和維持活動や、イラク派遣、それに国際緊急援助活動など、海外での任務にもたびたび派遣され、物資や人員の輸送にあたってきました。
また、自衛隊法に基づく海外での日本人輸送でも活用されていて、平成16年にはイラクから日本の報道関係者10人を隣国のクウェートまで退避させたほか、平成28年には、政府軍と反政府勢力の間の武力衝突で治安が悪化した南スーダンから、日本大使館の職員4人を輸送しました。
C2輸送機とは
C2輸送機は最新鋭の国産輸送機で、乗員を除いて最大で110人を輸送することができます。
現在、※※県にある航空自衛隊※※基地に10機、※※県にある航空自衛隊※※基地に1機の、合わせて11機が配備されているということです。
海外への部隊の派遣や物資の輸送といった任務に対応するため、従来の輸送機より大型化し、航続距離も長くなっていて、最大で36トンの人や荷物を載せられるほか、20トンを搭載した状態でおよそ7600キロ飛行することができます。
これまでに、UAE=アラブ首長国連邦やオーストラリアなど、海外への運航訓練を重ねてきたほか、去年6月には、海賊対策からの帰国中に不具合を起こした海上自衛隊の哨戒機の整備を支援するため、整備要員や機材をベトナムまで輸送しました。』