「脱炭素と中東エネルギー地政学研究会」
中間報告
脱炭素で中東をはじめ世界のエネルギー地政学がどう変わりどのような影響が生じるのかhttps://cigs.canon/article/20231010_7687.html
『2023年10月
1.はじめに
1)問題意識
近年、特にCOP21におけるパリ協定合意後、脱炭素への動きが世界的に加速している。
これは進行する地球の平均気温上昇への危機感の裏返しでもある。一口に脱炭素、クリ
ーンエネルギー^のシフトと言っても、その内容は複雑で多岐に亘り、エネルギー分野
を優に超える社会の様々な仕組みや人々の生活のあり方にも影響を及ぼすことが予測
されている。しかしながら、世界が脱炭素へとシフトする過程で、その影響の大きさや
広がり、変化の速度などについては、いくつかの先駆的な研究はあるものの、未だその
全容について十分には明らかにされていない。
「脱炭素と中東エネルギー地政学研究会」では、クリーンエネルギー^のシフトにより
特に大きな影響を受けると予想される石油•ガスの一大産出地域であるペルシャ湾岸地
域を中心とする中東の変容を通して、脱炭素化の現状について理解を深めるとともに、
中東のエネルギー変革が世界のエネルギー地政学にどのような影響を与えるのか検討
1
しようとするものである。また、脱炭素への動きに関して起こりうる変化、特に中東に
おける変化が日本にどのような影響を及ぼすのかについても検討を継続する。一つには、
資源エネルギー庁によれば、本年6月の原油輸入についてみると中東依存度は97.3%
に上昇している七本来供給源を多様化することは安定供給の要諦であり、この数字自
身をいかに低下させていくのか、あるいは、再生可能エネルギーの導入を一層加速する
ことでエネルギーミックスの中における原油の占める割合を相対的に小さくしていく
など、対策を講じていくこと自身大きな課題である。その一環で、外交等を通じて日本
が中東の安定化に貢献することによって「リスク」を実質的に小さくしていくこともー
つの方策であろう。日本中東双方のお互いに対する関心が高まり、関係を強化すること
も大切だ。これらを踏まえつつ、グローバルな脱炭素の流れの中で、日本の外交、経済
やビジネスにどのような影響があり、そのために、日本はどのような「準備」をするべ
きなのかについても提言を行う予定である。
こうした目的を踏まえつつ、中間報告としての本稿は、今後の検討の基礎として、まず
脱炭素の影響について、広くその外縁を明らかにしようしている。中東地域のみならず
全世界への脱炭素が及ぼす影響なども視野に入れ、エネルギー分野を超えた国際関係、
外交、経済、ビジネスなど広いスコープを持って論じることをその趣旨としている。ま
1経済産業省「石油統計速報 令和5年6月分」資源エネルギー庁、2023年7月31日。
2
たこうした作業を通じて、脱炭素の過程や将来の世界の姿について知見を積み上げ、最
終的には、脱炭素に関する日本における官民の問題意識を高め、未来への道筋をより明
らかにすること、同時に、これまで築いてきた日本と中東との関係を将来においても意
味のあるものとして継続することを企図している。
2)脱炭素社会への潮流
地球温暖化対策として、1988年、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が設立され、
19 9 2年には国連地球サミットにおいてこの問題に関する国際協力の枠組みを定め
た国連気候変動枠組み条約(UNFCCC)が採択された。19 9 7年には先進国の温室
効果ガス(GHG)排出削減の数値目標を盛り込んだ京都議定書が採択され、2 0 0 5
年に発効した。2015年には、世界のほぼすべての国(合計195か国)がパリ協定に合
意し、その目標である地球表面平均気温上昇を産業革命前のレベルから2°C未満に抑え
ること(1.5°C未満であればなお理想的)を目標とした2。
先述の通り、こうした国際的な枠組みを背景に、脱炭素への動きは世界的な潮流となり、
温暖化や地球環境の悪化を食い止めようとする政府の政策や企業、市民社会の行動がグ
ローバルに広がって、現在世界中でエネルギーをはじめ様々な分野で大きな変化が起き
2 United Nations Climate Change, “The Paris Agreement. What is the Paris Agreement?’\
3
ている。またそれを可能にしている主要な背景の一つとして、再生可能エネルギーのコ
ストが急速かつ大幅に低下するなど関係する技術分野でイノベーションが進展したこ
とがある。その結果、化石燃料からのクリーンエネルギーへの転換が世界的な規模で進
むようになったのである。エネルギーシステムは複雑で、今後どのように変容していく
かは依然不透明であるが、再生可能エネルギーは成長ペースの最も速いエネルギー源で
あり、この変革の主たるけん引役となっている。
こうした再生可能エルギーを中心とする変革は、これまでの化石燃料を中心とした地政
学や既存のシステムを別の形の地政学への移行を促すことになるだろう。同時に、この
エネルギー変革は、エネルギー分野を超え、従来の地政学のあり方に加えて従来の社会
経済、技術、産業から外交•安全保障のあり方にも大きな影響を与え、多くの分野を根
本から大きく変えていくこととなろう。言うまでもなく、その影響は世界のすべての国
と地域、ひいては国家間、先進国と途上国の関係にまで及ぶであろう。
2.脱炭素と中東湾岸産油国
1)概観
UNFCCCが採択され、国際社会における地球温暖化への意識が高まった1992年当初、
中東諸国、特に湾岸産油国は、これを石油需要の減少の動きととらえ反発する動きを見
せた。一方、2000年代になると、湾岸産油国はリーダー層の世代交代等と相俟って、
4
「ビジョン」を発表し、脱石油依存経済、経済の多角化などを柱とした新しい社会建設
やエネルギー安全保障を求めてきた。このような流れを受けて、2010年代に入り,太
陽光など再生可能エネルギーの急速なコスト低下などを背景に、本格的な再生可能エネ
ルギーの導入が始まっていく 3〇
もっとも湾岸産油国は、脱炭素を目指すずっと以前から脱石油依存経済に向けた数々の
試みを行ってきた経緯がある。にもかかわらず基本的には化石燃料からの収入に依存す
る経済構造から脱却できない状態が今日まで続いている。湾岸産油国が抱える主要な問
題の一つは、経済成長も実現したが、同時に過去40年の間に人口が増加し、それに伴
ってエネルギー消費も大きく増加し、CO2排出量も同様に増加してきたことである。
また、中東諸国は冷房と海水淡水化に大量の電力が必要で、構造上エネルギー多消費社
会でもある。化石燃料等に対するエネルギー補助金とも相俟って、化石燃料からのエネ
ルギーに大きく依存してきたのである。
2)温暖化の影響
ここで、中東地域が受ける地球温暖化の影響について概観する。
中東地域は北アフリカと並んで世界でも特に気候変動の影響を強く受ける地域と言わ
れている。1980年から2022年の間の気温上昇率は10年平均で0.46°C上昇しており、
3布施哲史「脱炭素のエネルギー転換時代に直面する中東産油国」、中東協力センターニュース、2022年8月。経
済産業省「石油統計速報 令和5年6月分」資源エネルギー庁、2023年7月31日。
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世界平均の〇•18°Cを大きく超えているんまた降水量も確実に減少し干ばっの被害が出
ている一方で、2022年にはUAE、イラン、サウジアラビア、カタール、オマーン、イ
エメンなどで洪水の被害も出ている5。特に海面上昇の問題は、南太平洋島[!(與国におい
て深刻だが、中東でもバハレーンやクウェートなどの小国で深刻化する恐れがある4 5 6 7 8〇
また、中東における気候変動と温暖化は、イスラーム教にも大きな影響を及ぼそうとし
ている。例えば、サウジアラビア西部のイスラーム教の聖地メッ力を訪れる大巡礼(ハ
ッジ)は、礼拝や断食などとともにイスラーム教徒の五つの義務(五行)の一つである。
2023年6月には180万人の巡礼者がメッカを訪れたといわれるが、こうした暑い時期
に屋外で祈りを捧げる場合に巡礼者の健康リスクを懸念する声が上がっている7。この
ような事情を背景として、新しく世界的な課題として浮上してきた地球温暖化について、
イスラームの世界でも地球環境の危機に対する関心が高まっている。そして宗教界でも
様々な議論が始まっている。例えば、イランでは2 010年以降環境問題が国家レベル
での議題となってきており、イスラームの視座に根ざした「環境言説」や政策が多角的
に展開している。最高指導者ハー メネイ師による環境問題に関する公開説法も行われ、
これもイスラーム的環境政策の一環として考えられる%
4 Jinsun Lim, Nadim Abillama & Chiara D’ Adamo, “Climate Resilience is Key to Energy Transitions in the
Middle East and North Africa”, IEA Commentary, July 3, 2023.
5 Ibid. J. Lim, N. Abillama & C. D’ Adamo, 2023.
6ダルウィッシュ•ホサム「中東北アフリカ地域と気候変動:水不測と食料不足問題」、
アジア経済研究所(IDE JETRO)、2021年3月31日。
7リスク対策•com「メッカ大巡礼が最高潮= 180万人超参加一サウジ」、2023年6月28日。
8阿部哲「イランの環境問題をめぐるイスラーム議論」象教とと会Religion and Society vol. 25, p. 224-225, 2019.
6
3)中東地域における脱炭素の可能性
中東諸国は、再生可能エネルギーに関する地理的・自然的な条件に恵まれている。とり
わけ世界的なサンベルトの中心に位置する湾岸諸国は,世界で最も高い日光の当たる場
所に位置しており,豊富な自然のエネルギー源を持っている。総じて平坦な国土と豊富
な日射量は、太陽光•太陽熱や風力による発電に適している。また中東地域は天然ガス
の世界の埋蔵量の5分の1を有し、水素やアンモニアといった新しいエネルギーの供
給地としても高い潜在力を有している。
脱炭素社会へと移行という視点から中東地域のエネルギー事情を見てみよう。
① まず、化石燃料からクリーンエネルギーに移行する過程において、化石燃料の需要
が急速に低減するというわけではない。また、石油についてはおそらくは数年以内に需
要はピークを打ちその後減少することになるが、豊富な資源量に支えられたコスト競争
力により、中東地域は世界へのエネルギー供給の最後の皆となる可能性が高い。つまり
エネルギー転換の過渡期においても、中東産油国は世界の最後の需要を当てにできる可
能性が高い。
② さらに、天然ガスは、石油・石炭よりCO2排出量が少ないことで、脱炭素への転
換期にも適したエネルギーとされている。特に、国際的なエネルギー情勢が大きく変動
する中で、気候変動対策のみならず、エネルギー安全保障の観点からもその重要性が再
7
認識されている9〇
③ 脱炭素の時代における新しい再生可能エネルギーとして注目される水素とアンモ
二アに関しても中東は高いポテンシャルを有している。水素は宇宙で最も小さい分子で
あるが、世界的なエネルギー転換を実現するクリーン燃料としての計り知れない可能性
を秘めている。水素は、エンジンで燃焼したり、燃料電池に使用することにより、車両
に動力を供給したり、発電したり、熱を供給したりすることができる気体であるが、重
要な点は、水素は二酸化炭素を排出することなく、化石燃料に代わりこれらすべての目
的を果たすことができるという点にある。この水素を運ぶキャリアーとして、また直接
の燃料としてアンモニアも注目されている。
水素を作るには2つの方法があり、そのうちの1つは水を電気で分解する方法である。
この電気分解に再生可能エネルギーを利用してできる水素は「グリーン水素」と呼ばれ
る。太陽光•太陽熱や風力、水資源といった再生可能エネルギーが存在し、また大量に
水素を生産•輸出する能力があれば、水素により非常に大きな経済効果が期待できるこ
とになるだろう1°。水素を作る2つ目の方法は化石燃料から取り出す方法であるが、同
時に生じる炭素を地中に埋めるという処理を行う。こうしてできる水素をブルー水素と
呼ぶ。湾岸産油国には、水素の原料となる炭化水素、および排出されたCO2を
9資源エネルギー庁「世界的権威が語る、エネルギー問題の今とこれから(前編)」、2023年1月27日。
10日本貿易振興機構(JETRO•ジェトロ)「新たな輸出産業としてのグリーンエネルギー開発(中東)」、2022年10月
31日。
8
CCS/CCUS (「二酸化炭素回収•貯留」技術)で地下に貯蔵する場所が豊富に存在する。
その場所とは炭素がもともとあった油田や天然ガス田のことで、これらの空洞に埋める
(戻す)ことができる利点がある。
このように、中東産油国は、グリーン水素やブルー水素の産出国としても大きなポテン
シャルを持っており、脱炭素の時代に見合った新しいエネルギーの一大供給地になる可
能性が高いといえる。現在湾岸産油国では、ブルー及びグリーン水素•アンモニアプロ
ジェクトが多く立ち上ろうとしており、東アジア及び欧州を市場として大きなシェアを
得ようとする動きが加速化している。
その一例として、オマーンは化石燃料産出国であるが、石油•天然ガスともに生産量で
は周辺国ほどではない。このような事情からグリーン水素やアンモニアの生産に活路を
見出しているといわれている。豊富な日射量を太陽光•太陽熱発電に最大限に利用し、
インド洋に面しているため風力が強く風力発電にも適していることから、再生可能エネ
ルギーを大量に生産できる可能性がある。オマーンでは、2050年までに温室効果ガス
(GHG)排出量ネットゼロを目指し、そのための脱炭素戦略において、水素をその柱と位
置付けている”°
このように中東湾岸地域では、水素やアンモニアを化石燃料に代わる輸出産業として、
11日本貿易振興機構(JETRO•ジェトロ)「2030年までにグリーン水素100万トンの生産目指す(オマーン)」、2023年
6月9日。
9
積極的に開発を進めている。以下、エネルギーシフトに向けて大きく舵を切りつつある
サウジアラビアとアラブ首長国連邦(UAE)を概観する。
①サウジアラビア
サウジアラビアは、石油に依存しない国家の実現に向けた改革「ビジョン2030」を2016
年に発表し、補助金の削減、アラムコ社株式を上場して得た資金を基礎として2兆ドル
規模の投資ファンドを設けるなど民間部門の育成や経済の開放を進めている。また、
2021年春に Saudi Green Initiative と Middle East Green Initiative を立ち上げている。
前者は再生可能エネルギーへの転換などを通して脱炭素を目指すプロジェクトであり、
後者は中東地域全体で6億7,000万トンのCO2に相当するGHGの排出削減、500億
本の植林や、土壌が劣化した2億ヘクタール相当の土地の再生に取り組むというもので
あるく中東地域の炭素排出削減への取り組みの一環として、投資ファンドとクリーン
エネルギー事業向けに約104億ドルの確保を目指し、うちサウジアラビアが15%拠出、
残りの資金調達やプロジェクトは、他の中東諸国や開発基金が協力するとことになって
いる。
また2010年4月1?日に発令された 国王令により、原子力発電導入などを検討する政
府機関アブドラ国王原子力•再生可能エネルギー都市(K.A.CARE)が創設された。「ビ
12近藤重人「サウジアラビアの気候変動外交一産油国としての利益と皇太子としての思惑」、日本エネルギー経済研
究所中東研究センター中東情勢報告会、2021年5月26日。
10
ジョン2030」に照らしてK.A.CAREが作成した「サウジ国家原子力K.A.CAREエネル
ギー計画」によれば、化石燃料消費の低減、国家経済の多様性、エネルギーの安定供給、
技術の国産化などを目的とし、2 0 3 0年までに16基の原子炉を建設する計画がある
その一方、サウジアラビアは天然ガスと再生可能エネルギーを主力とするエネルギー戦
略を採用し、発電向けの石油使用を減らし、2030年までに国内用の石油100万バレル
/日を輸出に向ける計画を持っている。すなわち、再生可能エネルギーの導入は、サウ
ジアラビアにとって石油輸出量増加の目的も持っていると言える。石油輸出を活用して
経済の多角化を図り、輸出収入は、金融、医療、観光、教育だけでなく、再生可能エネ
ルギー及びエネルギー効率化技術にも投資される。
また、サウジアラビアは、豊富な再生可能エネルギー資源を生かし、世界最大のグリー
ン水素輸出国となることを目指している。未来都市NEOMでは、米国のAir Products
との共同事業の下、再生可能エネルギーを利用した発電容量4GWを利用して、2 0 2
6年から年間2 4万トンのグリーン水素、12 0万トンのグリーンアンモニアの生産を
予定している。
13日本原子力産業協会(JAIF)rサウジアラビアの原子力」、JAIF情報•コミュニケーション部、2020年6月。
11
②アラブ首長国連邦(UAE)
アラブ首長国連邦(UAE)は、湾岸産油国で最初に2 0 5 0年までのカーボンニュー
トラルを宣言するなど気候変動対策に非常に積極的である。2006年 には再生可能エネ
ルギーによるゼロエミッションを標榜するマスダル(Masdar,アブダビ未来エネルギー
会社(Abu Dhabi Future Energy Company))を設立している。さらに2009年には、再
生可能エネルギー技術の移転を促進し、実用化や政策の知見を共有することを目的とし
て国際再生可能エネルギー機関(International Renewable Energy Agency (IRENA))の
本部をアブダビに誘致した。また同じころからクリーンエネルギープロジェクトへの投
資を開始し、これまでに400億米ドル以上の実績がある。現在の方針によれば、太陽光
や原子力などのクリーンエネルギー発電容量は、2030年に14GWに達すると予測され
ている。UAEは、世界のグリーンインフラやクリーンエネルギープロジェクトを支援
し、途上国を中心に既に70カ国約168億ドルの事業にも投資している。同国のエネル
ギー政策によれば、2050年までにクリーンエネルギーの割合を44%に、経済全体の
70%で脱炭素を実現するとしている。
また、UAEは、2023年に開催予定の国連気候変動枠組み条約第28回締約国会議
(COP28)の開催国となることが決定しており、前述のMasdrがホストとしての中心
的な役割を担っている。COP28の自国開催を前に、2022年9月には、2030年までの
GHG排出削減目標を従来の23.5%から31%へ引き上げることを発表している。この目
12
標を実現するために、UAEは再生可能エネルギー利用を推進すると同時に、原子力発
電も積極的に導入している。地政学上重要な中東地域における核拡散の懸念を打ち消す
ために、2009年に米国と「123協定」と呼ばれる原子力協定を結び、国内でウラン濃縮
と再処理を放棄する法的義務を規定した。その上で、韓国企業に発注してバラカ原子力
発電所が建設され、現在建設が予定されている原子力発電所は4基のうちすでに2基が
完成し稼働している生
UAEは、水素とアンモニアにも力を入れている。サウジアラビアと違って、天然ガス
由来のブルー水素を2050年に1400-2200万トン生産する目標を打ち出し、インド、日
本、韓国、ドイツといった世界の主要市場でそれぞれ25%のシェア獲得を目指してい
る。さらにUAEでは、年間アンモニア生産量が20-100万トンに上る国際協力プロジ
ェクトが、現在複数進行中である性
3.変わりゆく国際情勢:エネルギー危機と中東
1)概観
2022年2月に始まったロシアのウクライナ侵攻に起因する世界的なエネルギー危機は、
世界の石油・天然ガスの供給基地である湾岸産油国への関心を益々高めることとなった。
14日本原子力研究開発機構(JAEA)T米UAE(アラブ首長国連邦)原子力協力協定」、2009年5月。
15豊田耕平「中東諸国の脱炭素化政策と水素•アンモニア事業動向」、エネルギー•金属鉱物資源機構
(JOGMEC). 2021年12 月16 H〇
13
同時に、エネルギー価格の高騰により膨大な資金が域内に流れ込み、中東地域全体が大
きく変化している。ロシアのウクライナ侵攻は、エネルギー市場の混乱をもたらし、短
期的には脱炭素へのプロセスを遅らせる可能性がある一方で、IEAの予測などによれば、
中長期的には、エネルギー安全保障の観点から、脱化石燃料を加速する可能性も指摘さ
れている。
以下中東をめぐるエネルギー危機下の国際情勢について概観する。
2)中東と米国関係
過去15年程度、米国の中東地域に対する影響力は一貫して低下している。特に最近で
は、米国の外交政策はロシアのウクライナ侵攻とインド・太平洋地域での中国の野心の
高まりなどに焦点が移り、中東への関与は最小限にしたい思惑も伺える。その一方、イ
スラエル、サウジアラビアをはじめとする中東•アラブ諸国、イラン、トルコも以前ほ
どは米国を重視していない。しかし、グローバルにみると中東は依然重要であり、米国
が関与を小さくすれば、それだけ米国の世界的な影響力も低下することを意味する16〇
2018年米国は、シェール革命の結果、世界最大の石油•天然ガスの生産国になり、米
国にとって湾岸産油国の石油、天然ガスの戦略的価値は以前に比べて大きく減少した。
しかし、湾岸産油国の化石燃料資源が、世界経済に不可欠であり米国の同盟国や貿易相
16 W.R. Mead., “The Peril of Ignoring the Middle East”, in The Wai! Street Journal, 2023.
14
手にとっては欠かせないものという事実は変わらない。
したがって、湾岸産油国による
化石燃料の供給が滞れば、世界の経済システムは多大な影響を受けることになる。さら
に脱炭素の影響で、もともと不安定な中東がより流動的になり、中東地域、ひいては世
界の政治•経済を不安定化させる可能性も否定できない。
3) 中東地域と中国関係
急速な経済発展を続ける中国は、急増するエネルギー需要を賄うため、世界中で資源の
囲い込みに奔走している。エネルギー安全保障の観点から、また対中国への経済、軍事
協力、外交的な牽制に対抗する動きとして、特にこの20年中東への関与を著しく深め
ている。
現在は、中東から米国の影響力が低下するのに伴い、中国がその間隙を埋めている状況
である。例えば、2023年3月、中国の仲介により、断交関係にあったサウジアラビア
とイランの国交が回復したことは記憶に新しいが、現在の中国は、大国外交の実践とし
て、中東の歴史的な紛争問題の解決に取り組む姿勢も見せている勇。イランの核問題や
パレスチナ問題などがそれにあたるが、中東の地域秩序や世界の安全保障にも影響を与
える問題である。中国は、サウジアラビアとの関係を特に重要視しているように思われ
る。中国はサウジアラビアにとって、石油、石油製品の主な輸出先であるが、中国も中
17八塚正晃「習近平のサウジアラビア訪問に見る中国・中東関係の現段階」、日本国際問題研究所、2022年12月
23日。
15
国製品の輸出のみならず、インフラ、投資•貿易、金融、人的交流などの幅の広い分野
において2国間関係をつくり、ビジネス•企業活動や投資活動を広く展開するなど多く
の人員を送りこんでいる。モノだけではなく、技術、人材や資金といった分野でも中国
のプレゼンスがどんどん大きくなっているのである。また、2023年3月末、王毅外相
が、サウジアラビア、トルコ、イラン、オマーン、バーレーン、UAEなど6か国を相
次いで訪問したが吐 アメリカと親密なUAEやエジプト、イスラエルとも関係を深め
ていることは注目に値する。
さらに中国は、中東において2国間関係だけでなく、複数の多国間の枠組みを築いてき
ている。2022年12月に開催された中国アラブ連盟サミットの折には、習近平国家
主席がサウジアラビアを公式訪問したが、このサミットは2 0 0 4年から始まった中国
アラブ国家協力フォーラムでの対話の枠組みがその基礎となっている。また中国GCC
サミットは2 010年に発足した中国GCC戦略対話の枠組みを使っている。これまで
の中国の中東への関与は、特に一帯一路に紐づけて貿易や投資関係を強化することで石
油の安定供給を図る目的であったが、昨今は、そのスタンスから数歩飛躍して、深く幅
の広い外交を展開して、中東諸国とそれぞれの関係を築き、その存在感を中東内外にア
ピールしているように思われる。
このように、中国と中東諸国との関係が急速に深まっている中で、中国西部ウィグル自
18出川展恒「中国の接近 中東が変わる?」、NHK解説委員室、2021年4月6日。
16
治区のイスラーム教徒への弾圧に対して、中東諸国からの批判の声が小さくなっている
のも事実だ。特に、従来ウィグル人を支援し、中国批判の急先鋒であったトルコがその
態度を変化させ「軟化」している19。
4) 中東地域とロシア関係
ロシアの地政学的な基本戦略は、ロシアが併合や連携などの手段を使って、ユーラシア
大陸における影響力を再構築していくということである。そのための具体的な構想のう
ち、中東にかかわる部分は、モスクワ・テヘラン枢軸と呼ばれる。したがって、中東に
向けた政策においては、イランとの関係が最も重要になる。これを基軸に、ユーラシア
大陸版ロシア・イスラーム同盟を形成することが重要とされている。
プーチン大統領の外交は、旧ソ連地域を勢力圏として堅持しつつ、欧米への対抗力を高
めるために、中東を含めた歴史的に縁のある地域や欧米のお膝元などの戦略的意義の高
い地域への影響力を強めていくことである。ロシアは、アメリカによるー極的世界に反
発し、中国とタッグを組みつつ多極的世界を実現し、自らもその一極を担うことを基本
戦略としてきた。つまりロシアにとっての多極的世界の実現は、自国の勢力圏の維持が
あってこそ成り立つというものである。多極的世界とは、中国、インド、ブラジルなど
の新興諸国(BRICS)やイラン、キューバ、北朝鮮などの伝統的友好国をロシアが中心
19柿崎正樹「コロナ禍とトルコ•中国関係:トルコの「変節」は本当か」、日本国際問題研究所、2021年9月15日。
17
になって連帯させ、米国の優位性に挑戦しようとするものである2〇。
そして、中東でもロシアは地政学的な影響力を強める動きを示してきた。シリアには、
旧ソ連時代から唯一残っているロシアの海外基地があり、2 015年以降シリア紛争に
介入し続ける理由の1つとなっている。また中東に親露国を多く維持するとの観点から、
イラン、イラク、トルコなどと連携しつつ、他方、イスラエルとも密接な関係を保持し
ている。最近は、エネルギー危機が続く中、サウジアラビアとロシアの関係がOPEC
プラスの原油価格を決定する経済的パートナーとして、メディアなどでよく取り上げら
れている。さらに、ロシアのウクライナ侵攻を受けて、イランからロシアへの武器供与
の問題や、ウクライナへの軍事侵攻が長引くにつれて、ロシアが中国にさらに接近する
様子も伺える。ロシア国内には、中国はロシアのユーラシア大陸における勢力圏を構築
するうえで、地政学的利益の脅威とする考え方もあり、中国は中国で国際社会の動向を
注意深く見ながら、ロシアと付き合っていくという微妙な均衡性を保持し、両国ともに
互いをけん制しながら、しかし、対西側先進国との亀裂をさらに深めているようにも見
える。世界は一極集中の時代から、ロシアの戦略的な目的の一つである多極化の時代へ
と、徐々に移行しているように見える。
5)中東地域と欧州(EU)関係
20廣瀬陽子「プーチンのグランド・ストラテジーと『狭間の政治学』」、『新しい地政学』、pp. 256-306、2020年2月。
18
ロシアのウクライナ侵攻は、ロシアからの化石燃料、とりわけ天然ガスに依存してきた
欧州のエネルギー状況を一変させた。ロシアは,原油生産量世界第3位、天然ガス生産
量世界第2位の資源エネルギー大国であり、侵攻前の欧州諸国は天然ガス輸入の4害!|,
石油輸入の3割をロシアに依存していた。特にドイツのロシア産天然カ、、ス輸入割合は5
割に達していた。
侵攻後、欧州理事会(EU27か国の首脳)は、2 0 2 2年3月にEU
のロシア製化石燃料の輸入依存度を段階的に解消していくことに合意し、5月には、化
石燃料への依存度の低減、エネルギー供給の多様化、欧州の水素市場のさらなる発展、
再生可能エネルギー開発の加速などを盛り込んだREPowerEUを発表した。
これは脱炭
素を目指す基本的な政策パッケージであるFit for 55を補完するものとして構成され、
エネルギーインフラとシステムを構築するための財政的・法的措置に裏打ちされている
この一環として、EUの対外エネルギー戦略を更新し、欧州のガス供給量を増加させる
ため、世界中の天然ガス生産者との交渉を開始し、米国そして中東地域との関係を強化
している。米国とは、2022年3月に液化天然ガス(LNG)の大幅な追加供給で合
意した。2022年に15 0億立方メ ートル分のLNGを、そののちは2030年ま
で少なくとも年間500億立方メートル分がEU向けに追加供給される予定であ
る。また、中東のガス輸出国のカタールは、2022年5月にドイツとLNG輸出
21 G.W. Pedersen. “The European Union’s Strive for Decarbonisation: Advancing the green transition in 27 diverse
19
を含む両国のエネルギー関係の強化に向けた文書を交換し、11月に年間最大
200万トンのLNGをドイツに供給する長期契約を2件締結した22。さらにカタ
ールは、2022年10月にチェコとLNGの輸出のための経済協力協定に調印し
ている23。
また、上述のLNG輸出大国として存在感を増しているカタールや米国に加え、
欧州がロシアに代わるガス供給源として注目しているのは、北アフリカやノル
ウェーといった欧州にとって地理的に近い産ガス国や地域で、その中でも特に、
東地中海に位置するイスラエル・エジプト・キプロスの沖合ガス田である24。
原油に関しては、欧州がロシアから主に輸入していたウラル原油は、硫黄分が
少ないスイート原油と硫黄分の多いサワー原油がブレンドされたものであっ
たが、侵攻後は中東ではサウジアラビアの原油の品質が最も近いため、これま
でアジアに輸出していた一部が欧州向けに振り向けられている25。
6) 中東地域内
米国の影響力の低下を受けて、中東内では、これまでの対立や反目しあっていた国々の
22日本貿易振興機構(JETRO•ジェトロ)「カタール・エナジーと米コノコフィリップス、ドイツ向けLNGの長期供給で
合意」、2022年12月7日。
23野口洋佑「ウクライナ侵攻により脚光を浴びるカタールのLNG」、エネルギー・金属鉱物資源機構(JOGMEC),
2022年8月16日。
24豊田耕平「東地中海ガス田の行方一欧州向けガス輸出ルートの可能性と課題」、エネルギー・金属鉱物資源機構
(JOGMEC), 2022 年 9 月 2 日。
25エドワルド・カンパネッラ「『脱ロシア』で復活する中東のエネルギー覇権」、東洋経済オンライン、2023年5月11
日。
20
間で「歩み寄り」の動きが目立ってきている。これは、中東の主要国が「アメリカ後」
を展望し始めて、これまでの主要対立軸であった「親米対反米」や「親イスラエル対反
イスラエル」といった代理戦争的な構図が根本的に変化していく可能性を示唆している。
GCC諸国間では、2 017年にカタールをボイコットしたが、2 0 21年1月、a1—
Ula合意によってカタールを招き入れGCCの分裂を修復している26。
サウジアラビアとイランは、2016年1月に国交を断絶したが、2023年3月、中
国の仲介で劇的な国交回復を果たした。
これを契機にサウジアラビアは、イエメンの内
戦終結に向けた動きを始めている。
さらに同年5月には、サウジアラビアは同国の人権
問題で、20 18年より断交していたカナダと外交関係を確立し、これまで不在であっ
た双方の大使を新たに任命することで合意した。
またかねてより宗教的、経済的な活動
を展開しているアフリカでは、紛争が続くスーダンでの仲介役を買って出ている。
さら
に、ウクライナのゼレンスキー大統領が、広島で開催されたG7サミットへ向かう途中、
サウジアラビアを訪問したことは記憶に新しい。
アラブ連盟首脳会議に出席することが
その目的だが、5月にロシアとウクライナの戦闘を仲介する意志を表明したサウジァラ
ビアと、2月に同戦闘の和平案を発表した習近平国家主席の意図を反映したものと言わ
れている。
ロシアへの経済制裁に加わらず、中立の立場を取るアラブ諸国の前で、ウク
ライナへの支援を訴えたゼレンスキー大統領だが、エネルギー危機下の主要アクターと
26池内恵「中東の地域大国間秩序:米国の後に」、脱炭素と中東エネルギー研究会、202I年10月26日。
21
も言うべきサウジアラビアが代表を務めるアラブ連盟の、現在の国際社会における重要
性を象徴する出来事であった。
先述のとおり、中東に対する米国の関心は低下しつつあ
り、その間隙を縫って中国の影響力が増大しているが、サウジアラビアもロシアのウク
ライナ侵攻により生じた国際関係の変化を踏まえて、現実的•中立的に対応している。
一方、イランは、米国による制裁下でも経済発展を実現するべく、経済外交に注力する
として、ライースイー大統領が2023年5月にインドネシアを訪問し、6月には米国に
よる制裁下の中南米3か国、ベネズエラ、ニカラグア、そしてキューバを訪問した27。
こうした訪問がどこまでの経済効果を生むかはまだ不明だが、米国の経済制裁に対抗す
る動きとしては新しいものであり、今後の動向が注目される。
さらに、イランは中東地
域を不安定にさせる要素の一っとして懸念される。
特に日本は、石油の輸入の9 7.3%
を中東地域に依存しており、そのほとんどがホルムズ海峡を通過することから、中東地
域が不安定になって石油供給に影響が生じるような事態が発生した場合、国民生活や経
済活動への影響は甚大なものになることは明らかである。
とりわけ、イランの核問題は
大きな課題である。イランと主要6か国の間で締結された「包括的共同行動計画(J C
P〇A)J (2015年7月)は、イランが核開発を制限する見返りに国際社会が制裁を解
除する取り決めであった。しかし、2018年米国のトランプ前政権が一方的に離脱する
と、イランは対抗して核開発を加速させ、合意そのものが機能不全となった。交渉は行
2? ロイター編集「イラン大統領、来週中南米3カ国歴訪 協力拡大へ=国営メディア」、Reuters、2023年6月8日。
22
き詰まりJ CPOAが崩壊の危機を迎える中、イランの核開発の歯止めが今後利かなくな
っていくことが懸念される28。
イランの核開発が核兵器開発を目的としたものか、同国
が主張するように平和利用のためのものかはともかく、イランの核開発を危険視してい
るイスラエルの今後の出方に注意するべきであろう。
イスラエルはイランを「実存的脅
威」と捉えており、イランの核開発プログラムが継続されるなら、軍事攻撃も辞さない
構えである29。
もし仮にこうした手段に訴えた場合、ホルムズ海峡が事実上閉鎖となる
可能性も否定できない。
そうすると日本のみならず世界経済が大きな打撃を受けること
になる。
また、2024年11月に予定されている米国の大統領選挙の結果次第では、イラ
ンをめぐるリスクがさらに高まることも考えられる。
中東地域はイランの核問題以外でも多くの不安材料を抱えている。
例えば、サウジァラ
ビアとイランの関係が国交回復後どのように展開していくのかいまだ予断は許さない。
OPEC最大の産油国サウジアラビアと主要な産油国であるイランの覇権争いは、過去
60年ペルシャ湾岸地域の基本的構造である。
この対立の構図は、イラン、すなわちペ
ルシャの台頭を抑えるというアラブ諸国の基本的な利益にかかる問題として、またスン
二対シーアという歴史的なイスラームの教義の対立として、さらに上述のように「親米
対反米」など多くの側面を持っている。
3月の国交回復後、このサウジアラビアとイラ
28市川とみ子「イランの核問題一現在を覆う過去の影」、日本国際問題研究所、2022年11月7日。
29立山良司「イスラエルのイラン核開発問題への対応ー『実存的脅威』と曖昧政策の矛盾」、イラン情勢研究会報
告書,pp.85-98.国際問題研究所、2010年3月。
23
ンがどのように関係を発展させるのか、今後の中東地域の安定を占う一つの重要な指標
となるであろう。
4.エネルギー安全保障とエネルギー分野を超える影響
1) エネルギー安全保障
①概観
現在、世界人口の約8 0 %が化石燃料の純輸入国に居住している。
脱炭素、すなわち脱
化石燃料へとエネルギー変革が進む今、とりわけエネルギー危機の下でエネルギー安全
保障が世界の重要な戦略課題となっている。エネルギー資源の観点からは、経済性のあ
る何等かの再生可能エネルギーは世界のほぼどこにでも存在するため、エネルギー源を
化石燃料に依存する国も、再生可能エネルギーを利用して、戦略的•経済的恩恵を得る
ことが可能である。
一方で、再生可能エネルギーを活用するためには、相応の技術力、資本力、インフラ整
備などが必要であり、また、リチウム、コバルト、ニッケルなどの希少金属の確保も必
要である。
さらに、このようなエネルギー変革のためには、新しい国内政策や国家間の
新しい貿易の制度や取り決め、格差の是正など、これまでのシステムに代わる新たなシ
ステムの構築を行っていかなければならない。
自国の自給率を上げるためには、再生可能エネルギーや原子力を開発し活用するなどの
24
手段がある。
また、再生可能エネルギーの時代には、従来の化石燃料の時代とは異なる
エネルギーの協力関係を構築し、協力する分野を広げていくことも求められる。
以下、
再生可能エネルギーとエネルギー安全保障にかかわる課題を整理する。
② 再生可能エネルギーとエネルギー安全保障
再生可能エネルギー、特に太陽光と風力は自然界のものであり、天候如何によって安定
供給が左右される。これを克服するためには、エネルギーの貯蔵・備蓄や電力グリッド
の拡大、バックアップ体制の構築などが求められる。さらに、こうしたソフト面を含め
たインフラを構築するための総合的な技術力、サプライチェーン、希少金属の確保、物
流システムなども必要である。また再生可能エネルギーを拡大していくためには、補助
制度、カーボンプライシング、規制•規則など、諸々の政策も必要になることは言うま
でもない。
石油を運ぶタンカーやパイプラインと同じように重要なのは、電力グリッドの管理であ
る。電力グリッドの管理、そして国や企業など複数のアクターがこれにどう関与するの
かといった問題についても考える必要がある。また、電力グリッドが国境を超える場合、
パイプラインと同じように、電力の買い手と売り手の関係性の問題だけではなく、通過
する国との交渉も必要となる。つまり、エネルギーミックスにおいて再生可能エネルギ
ーが中心となる時代のエネルギー安全保障とは、いかにエネルギーにアクセスするかだ
25
けでなく、必要な電力インフラをいかに戦略的に有効に管理して安定供給を実現できる
かということにかかってくることになる3〇。
2) 脱炭素時代の新たなエネルギー地政学を考える上で考慮すべきポイント
再生可能エネルギーへの移行に伴って、新しい時代のエネルギー安全保障のあり方に深
く関係し、相互に影響を受けるのがエネルギー地政学である。ここでは、脱炭素の時代
の地政学を考察するにあたって重要なポイントを挙げてみたい。
①自然条件
エネルギー資源を供給する側から見た場合、化石燃料は資源の存在自体が重要であった
が、再生可能エネルギー、とりわけ太陽光と風力は世界のほぼどこにも存在するため、
その存在自身はそれほど影響力を持たない。
また、特定の地理的条件を備えた地域に集
中する化石燃料とは異なるため、世界的な原油供給にとって重要で、例えばホルムズ海
峡のような広く利用されている海路上における非常に狭い海峡、といった現在のエネル
ギー輸送の難所の重要性が低下する。
さらに、エネルギーの形態として、ほとんどの再
生可能エネルギーはフロー型だが、化石燃料はストック型である。ストック型のエネル
ギーは貯蔵できて使いやすいが一度きりであるのに対し、フロー型のエネルギーは貯蔵
30 J. Bordoff., & M.L. O’Sullivan. “The Age of Energy Insecurity: How the Fight for Resources is Upending Geopolitics’\
Foreign Affairs, 2023.
26
が難しいのに対して尽きることがなく供給は中断しにくい31。
再生可能エネルギーは、地球上の位置、緯度と気候に左右されるので、地域によってそ
の生産コストが変化してくる。低コストの生産者が地政学的に有利に立つ可能性がある
が、生産拠点を国内のみならず国外にも配分することが必要かもしれない。
②鉱物資源
再生可能エネルギーの生産に必要な資源、つまり太陽光パネルや電池に必要な希少金
属•クリティカルミネラルであるが、石油よりさらに地理的に集中している。
リチウム
は、オーストラリアが世界の供給率の50%を占め、コバルトはコンゴ、レアアースは
中国が、それぞれ世界の供給量の70%を占めている。
石油産油国の供給率は、米国、サ
ウジアラビア、ロシア、いずれも10-15%なので、その集中率は希少金属の方が格段に
高い。
さらに、この希少金属を製錬、製造、加工処理するサービスは、60-90%が中国
に集中している。電気自動車のバッテリーや太陽光エネルギーに必要な部品製造の4分
の3がやはり中国に集中している32。
理論上は、再生可能エネルギーの供給に必要な鉱物の埋蔵量の多い地域が、エネルギー
変革から恩恵を受けることになる。
しかし、技術力や資本、経済力なども必要であり、
資源の存在だけでは恩恵を受けることは難しい。
また資源を豊富に持っている国は、環
31小山雅典「中東と再生可能エネルギー」、脱炭素と中東地政学エネルギー研究会、202I年10月29日。
32 Ibid.J. Bordoff., & M.L. O’Sullivan, 2023.
27
境破壊が進む可能性や、それが原因で起こる内紛、紛争のリスクも高くなるので、採掘
の基準を打ち立てることが急務である。
この国際的な取り組みの一環として、いわゆる紛争鉱物について、グローバル・サプラ
イチェーンの透明性を高め、説明責任を高めて問題を解決する仕組み作りが行われてい
る。公正に規制され、透明性の高い鉱床の開発は、これらの国々の経済発展に大いに貢
献する。
また、このような取り組みは、化石燃料資源をめぐる第二次世界大戦以降のグ
ロ ーバル・システムや国際政治を見直し、新しいシステム構築へのきっかけとなる可能
性があるだろう。
③加速的電化
再生可能エネルギーへの移行が進めば、電気がエネルギー分野の主役になることは明ら
かである。しかもこの電化は急速に進んでいる。同時にこのことは、これまでの貿易の
在り方やそのプレーヤー、また地政学的な意味合いも変わってくることを意味している。
まず、石油や天然ガスがグローバルに取引されているのとは対照的に、電気は基本的に
比較的限定された地域内で取引される商品である。さらに、電力取引は、石油•天然カ、’
ス取引と比べて相互作用的な傾向がある。石油や天然ガスは輸出国から輸入国へと一方
向に向かうが、国家間の電力取引は双方向である。太陽光エネルギーで発電する国が雨
天の場合、隣国からエネルギーを輸入し、逆に晴天では輸出する可能性がある。このた
28
め、再生可能エネルギー輸出入は常に複雑な相互依存性ネットワークの中で行われるこ
とになる。
また、電気は一般に貯蔵が困難と言われているが、イノベーションにより送電技術や送
電形態が進歩し、またEVの世界的な普及などによって電気の利用形態の重点が変化し
ていくことで、例えば電気を熱や情報など他の形で蓄えたり、EVを活用することで交
通網が実質的に電力グリッドの役割を果たすようなことも考えられるかもしれない33。
④ 分散化
再生可能エネルギーは規模にかかわらず導入することが可能であり、生産•消費ともに
分散化した形態をとりやすい。分散化された地方のエネルギー生産形態は、集中型の電
気系統と比べて家計や地域社会に多くの自主性を与える。また、分散化された再生可能
エネルギーは、エネルギー源の選択権と経済的便益の分け前を消費者に与える。これは
同時に、再生可能エネルギー投資の社会的受容を進める結果になる。つまり、こうした
分散化が生み出す新しい効果は、再生可能エネルギーがもたらす、より民主的なエネル
ギー供給にプラスの効果を与えるだろう。
⑤ 貿易・通商への影響
再生可能エネルギーは、単に国家間のパワーバランスに影響を及ぼすだけでなく、貿易
の流れを再構築し、電力系統をめぐる新たな相互依存関係を生む。再生可能エネルギー
33岡本浩「カーボンニュートラルかつレジリエントな電力による豊かな地域の実現に向けて:電脳・電動•電熱がもた
らす産業革命」、脱炭素と中東エネルギー地政学研究会、2023年7月4日。
29
は、化石燃料に比べて、地理的偏在性がはるかに少ないため、再生可能エネルギーの取
引においては、技術や相対的な価格、輸送コストといった要素などが考慮された比較優
位のある特定分野に注力されることとなろう。
また、国家間の協力による再生可能エネ
ルギーの取引の構築に大きな障害となるのが、分断化された国際システムや、大国間の
反目•競争と言えるだろう。
脱炭素を目指す社会における国際貿易分野での新しい規制として、EUは国境炭素調整
措置(CBAM)を2021年に発表した34。EUによるCBAM提案の背景は、EU域外に
は環境•気候関連の規制がEUにおけるレベルよりも緩やかな国が多いため、現状のま
まだとEU域内に拠点を置く企業が製造拠点を域外に移転したり、EU市場において域
内で生産した製品が域外からの輸入品に価格競争で敗れるなど、カーボン•リーケージ
のリスクがあると懸念したことにある。CBAMは、このようにGHGの排出源となる
製造施設が域外へと移転すれば、世界的な気候変動対策への取り組みを弱体化させる可
能性があるとして、EU域外の一層のGHG排出削減を促進するために、EUと同等の
炭素価格を課すことを目指したものである。具体的には、CBAMは、EUの国際約束に
対応した制度として提案されており、対象製品の輸入事業者に、域内で製造された同
等の製品に課されるEUのルールに基づく炭素価格を支払うことを求めるものである。
34 Council of the European Union, “EU Climate Action: Provisional agreement reached on Carbon Border Adjustment
Mechanism (CBAM)〃,13 December 2022.
30
ただし、輸入された対象製品が製造段階で、すでに炭素価格を支払っていることを証明
できる場合は、輸入事業者はそのコストの全額を差し引くことができるとされる。
欧
州委員会(EC)は、まずカーボン・リーケージのリスクが大きい鉄鋼やセメント、肥料
を対象に導入し、2023年から輸入量と排出に関する報告制度の運用を開始し、2026年
から輸入者による炭素価格の支払いを開始する予定である。EUは北米とともに安定し
成熟した大きな市場であるが、EUは、このような市場をいわば取引材料として、域外
地域の各国に対して炭素価格制度の導入を通じた脱炭素政策の整備•充実を求めている
のである。
CBAMと国際貿易ルールとの整合性については多くの議論、論点があるが、その中心
的なものの一つが関税及び貿易に関する一般協定(GATT)の基礎的な概念である「同
種の産品(like products) J (GATT第一条等)の範囲•解釈である。すなわち、GATT
第三条第二項は、内国税を輸入品に課す場合には、「同種の国内製品」に対するものを
超えてはならないと規定しているが、性能や外見において同じだが、製造過程で炭素を
多く排出しそれに対する相応の税等の負担をしていない製品は、「同種の製品」ではな
いといえるのか、という問題である35。この「同種の製品」は一つの重要な例示にすぎ
ないが、EUは国際貿易ルールを提案することで、脱炭素時代の新たなルール設定につ
35川瀬剛志「WT0原則における無差別原則の明確化と変容」、経済産業研究所(RIETI)、2015年2月。
31
いての主導権を獲得しようとしている。
⑥ 産業構造•サプライチェーンの再編と経済的・社会的緊張
EUの「グリーンディール政策」や米国の「インフレ抑制法」は、脱炭素社会を担う産
業を域内に育成するために、国が巨額の資金支援を行うものである。このような公的支
援の下で、脱炭素に関連する産業の国際的な産業再編が進もうとしている。
しかしこのようなエネルギー産業の再編成が進むと、経済、産業、社会など、広範な分
野において重要な変容を促し、現在すでに存在する政治的な分断を加速させ、あるいは
新たな分断を生みだす可能性もある。
さらに、EUやA S E ANなどが再生可能エネルギーの安定供給 のために地域の相互
依存関係を構築し、不測の事態に備えようとしている。
米国は、ロシアのウクライナ侵
攻を契機に、「インフレ抑制法」を採択し、巨額の公的資金を投入して独自の産業編成
を作ろうとしているが、独立した自給自足体制を築くことは、エネルギー供給を他国に
依存するリスクや不確実性を回避することに繋がる一方で、こうしたやり方を追求すれ
ば、国際的な分業、それを支える地球大の貿易システムを結果として否定することにな
るリスクも包含することも忘れてはならない。
国際経済から孤立することで経済のダイ
ナミックな発展が阻害されるリスクがある。また、保護主義が広がり、その結果世界の
緊張を増すことで世界の安定にも悪影響を及ぼす可能性もはらんでいることを忘れて
はならない。
32
3) 新しいエネルギー安全保障体制の構築に向けて
従来のエネルギー安全保障では、自国のエネルギー自給率を、原子力や再生可能エネル
ギーを活用して上昇させつつ、同時に資源を持っている国との確固たる外交関係を構築
することが重要と考えられてきた。しかし、再生可能エネルギーの時代には、これらに
加えて第3の安全保障の柱を構築していくことが重要である。
これまで見てきたように、再生可能エネルギーの安定した供給は一国でなし得るもので
はなく、新たな国際協調の枠組みが必要となってくる。脱炭素時代のエネルギー供給や
エネルギー市場の枠組みの中には、従来とは異なる新しい企業など民間のアクターが参
加し国際的なサプライチェーンを作るなど多種多様なビジネスモデルが出現すること
が予想される。こうした新しい枠組みの一例として行われつつあるのが、国際電力網を
前提とした多国間の電力融通である。現在、欧州や北アメリカを中心に行われているが、
中東地域では、湾岸協力会議(GCC)の枠組み内で二国間、もしくは多数国家間で、国
際連携線を通じて電力の取引が行われている。
最近ではエジプトとサウジアラビアがこ
の連携線を初めて結び、日本の企業が大規模高圧直流送電(HVDC)システムの建設等で
貢献している36。
GCCは、地理的な条件が類似しているため、気象条件や電力の需要パ
ターンが似通っており、電力融通のメリットがどのくらいあるのかを吟味する必要があ
るが注目すべき動きである。GCCは欧州や北アフリカなど状況が異なる地域と近接し
36日立ABBパワーグリッド「日立ABBパワーグリッドがサウジアラビア・エジプト間初の大規模HVDCシステムを受
注」HITACHI、2021年10 月 6 日。
33
ていることから、長距離送電網(スーパーグリッド)を利用して、これらの地域との電
カ融通の可能性を探る研究も出てきている37。
4) グローバル・ガバナンス
上記で述べたような新しい国際的な枠組みを構築するために必要なのは、新たな国際関
係・地政学に立脚した革新的な相互依存関係が重要であるという認識である。
あらため
て言うまでもないが、地球温暖化はグローバルな課題であり一国のみでは対応できるも
のではない。
したがって、たとえ安全保障の面等様々な対立があるとしても、先進国や
途上国を問わずすべての国が参加し議論し合意しないと地球規模で有効な対策を実現
することは不可能である。
他方で、先に見てきたように、脱炭素の時代にグローバルな
地政学は変化してきている。
また、例えばエネルギー安全保障をめぐる関心は化石燃料
の時代とは異なるものとなっている。
このため、今や脱炭素の時代の国際関係•地政学
に基づいた現実を踏まえ、透明性の高い国際的な協力の枠組みを構築することが必要で
あろう。
この分野では、欧州連合(EU)が、国家間を繋ぐシステム構築の先駆者と言え
るかもしれない。
EUは加盟国間のエネルギー市場の統合と制度の調和を段階的に進め
ることで、エネルギー分野での域内市場の確立を基本政策としてきた。
また、ASEAN
でも集団的エネルギーガバナンスへの動きがある。再生可能エネルギーを短期間で大幅
37高嶋隆太他「中東•北アフリカ・欧州広域電力網の経済分析」、日本グローバル・インフラストラクチャー研究財団、
2022年4月。
34
に導入するには一国だけでは不可能で、ASEAN諸国はそれを見越して協調姿勢を取り、
多国間で地域内の安全保障と持続可能な発展を目指している。
こうした状況下、既存の国際機関の役割も重要である。既存の国際機関をどう利用し活
性化することが可能であるか国際社会で議論すべき問題である。
そして、脱炭素社会の
実現に向けて、新しいニーズに適合する新たな国際機関を国際協調の下で設立すること
も視野に入れるべきかもしれない。
4)人々に力を:新たな参入者市民、企業、都市
これまで見てきたように、進行中のエネルギー変革は電力の分散化と不可分の関係にあ
る。化石燃料経済は、中央集権と親和性が高く、両者は互いを支えあってきたともいえ
る。しかし、脱炭素•クリーンエネルギーの時代には、化石燃料の役割が小さくなり、
電化が進み、エネルギーが分散化されるが、このようなことが国家あるいは中央政府の
果たす役割にも重要な影響を与える可能性がある。
電力の分散化により、市民を含む電力需要者が太陽光や風力といった再生可能エネルギ
ーによる電力を生産する機会を得るが、こうした小規模の発電者も必要に応じて生産し
た電力を送電網に供給することになる。電力の送配電においてもこうした市民の参画を
促すシステムを新たに構築することが必要である。リアルタイムの価格付け、スマート
グリッドなどはこのための不可欠のインフラであるが、こういったことは消費者の動向
35
にも影響を与え、消費者も産出者になり、個人と地方政府そして国との関係も変えてい
く可能性もある。
また分散化された地域のエネルギー生産形態は、集中型の電力システムと比べて家計や
地域社会に多くの自主性を与えることを意味する。このようなパラダイムの変化により、
新たなビジネスが生まれ、そこに多くの新規参入者が台頭し発展する可能性も高い。
分散化された再生可能エネルギーは、電力の消費者にエネルギー源の選択権と経済的便益を与え、同時に、再生可能エネルギー投資の社会的受容を進めることになるだろう。
今後は、例えば鉄鋼や半導体などを生産している企業がクリーンなエネルギーを求めて
移動することで、人が動き、サプライチェーンが変わっていく可能性が高い。
例えば、
企業は太陽光が豊富な九州に、もしくは豊かな風力に恵まれた北海道に生産拠点を移動
させる、といったことが生まれてくる。
このようにエネルギーの需要サイドが供給サイ
ドを変革することで、産業構造全体の変化を促していくことになろう。
従来は、電力に
関しては国や電力会社などの供給側が主体であったが、脱炭素の時代は、需要側の役割
が大幅に拡大していく可能性が高い。
また通信 ケーブルによるデータ伝送が電力グリ
ッドより格段に安くなれば、データセンターは安い再生可能エネルギーを求めて国内の
みならず世界に展開することも可能だろう。さらに、分散化された再生可能エネルギー
は、自然災害に対する地方社会のレジリエンスも高める可能性がある。
36
5.日本への含意
ここでは、脱炭素に向けたエネルギー変革の時代における、日本と中東地域との新しい
協力関係について考察する。
ほとんど自国の資源を持たない日本にとって、中東諸国、特に湾岸産油国は重要な化石
燃料供給基地であり、日本と中東諸国はとりわけ石油ショック以降緊密で友好的な関係
を維持してきた。
ところが、両者の関係はここ近年激変している。中東諸国にとって、
日本という国への関心は、ここにきて明らかに低下している。
それは、昨今の中国や欧
州への中東諸国の投資額と、日本のそれを比較しても後者は確実に減少しており顕著で
ある。
のみならず、昨今の日本の中東諸国への関心も、全般的に言って益々低くなっているよ
うに見える。
これは、岸田首相の最近の中東歴訪やコロナ禍で外交活動の中断といった
事情を鑑みても言えることである。
しかしながら、日本は今中東諸国との関係を軽んじ
るわけにはいかない。これは、日本のホルムズ海峡依存度(日本のエネルギー源の37%
を占める原油のうちホルムズ海峡を通る割合)が過去最高の97.3%にまで増加してい
るという事実のみばかりでなく、脱炭素へ向かう過程で、日本を含むアジアは、中東地
域の化石燃料を含むエネルギーに今まで以上に依存することがわかっているからであ
る。
さらに、自国の資源を持たない日本は、将来的に太陽光や風力を本格的に活用する
ことが必要であるが、国土の制約からクリーンエネルギーの輸入にも頼らざるを得ない
37
と考えられる。
こうした事情に照らしてみると、中東地域は、化石燃料は言うに及ばず
将来的には水素やアンモニアなど脱炭素燃料の有力な供給地となる可能性が非常に高
い。
さらに中東の水素の生産コストは、世界の基準に比べても低い傾向にある。
したがって、日本は脱炭素の時代においても、中東諸国、特に湾岸産油国との将来を見据えた関係強化が非常に重要になる。
こうした現状を踏まえれば、日本と中東諸国との従来の関係を回復させ、さらに発展さ
せるために、日本はエネルギー安全保障等の観点からも中東諸国との間で日本ができる
こと、またなすべきことを国内で議論するべきだ。
この一環として、現在中東地域と日
本において進んでいる脱炭素に向けた取組みを踏まえ、化石燃料の貿易などを超えた日
本と中東の新しいプラットフォームを構築することが求められている。
このプラットフ
オームとして以下の可能性が挙げられる。
まず、脱炭素に向けた日本との協力分野として、ブルー水素とブルーアンモニアが挙げ
られる。
ここで必要になる水素輸送技術や二酸化炭素の分離地下貯蔵(CCS)におい
ても日本の技術 は優れたものがあるが、この分野の技術開発面で中東と日本企業との
連携が行われつつある。
水素は天然ガスなどの化石燃料から取り出したり、電力で水を
分解したりして製造されるが、化石燃料が豊富で、太陽光発電に適した自然条件に恵ま
れた中東地域は水素製造に適している。またこのような取り組みは、化石燃料製造施設
等の座礁資産化を避けるという新しい協力の在り方としても注目されている。
そしてそ
38
の延長線上には、アジア諸国と協力してそのブルー水素のサプライチェーンを構築する
ことも計画されている。
また、今後のさらなる協力の分野として原子力技術、特に高温ガス炉が挙げられる。こ
の炉は安全性が高く、発生する高い熱を利用して中東では特に水素の製造、発電、海水
の淡水化などに有効活用できる38〇ただし核兵器転用を防ぐための米国123協定やIAEA
による査察が必要である。
6.最後に
7月、岸田総理は、日本の総理としては3年半ぶりにサウジアラビア、UAE及びカタ
ールの中東3か国の歴訪を行った。
サウジアラビアでは、ムハンマド・ビン・サルマン
皇太子兼首相と首脳会談を行い、両国関係の強化、脱炭素化に向けた協力を多面的に進
めること、バランスの取れたグリーン・トランスフォーメーションの推進のために緊密
に協力していくことなどが確認された。今回の中東訪問には経済ミッションも同行して
いる。
政民のトップが中東をともに歴訪するのは、関心を高め将来の協力関係を構築す
るうえで重要なステップである。しかしながら、日本と中東との関係を考えると、イラ
ンや他の中東諸国との関係強化など課題は残っている。今後のさらなる展開を期待した
い。
38國富一彦「高温ガス炉の海外展開」、日本原子力研究開発機構高温ガス炉水素•熱利用研究センター、2016
年2月5日。
39
また、先述のとおり、本年後半にはUAEにおいてCOP 28が開催される。既にUAE
は温暖化対策について非常に積極的な姿勢を示しているが、国際的なリーダーシップも
とっていくとの意欲も感じられる。COP28を契機に、UAEのみならず中東全体の脱炭
素に向けた野心がさらに高まる可能性もある。
このように今後も脱炭素をめぐる中東の状況からは目を離せないし、エネルギーをめく、、
る環境や世界の政治状況も不透明である。一方で、日本と中東は、脱炭素の時代におい
ても、長期的で戦略的な関係を築くべき十分な理由がある。本研究会では、引き続き中
東、脱炭素、エネルギー地政学を3つのキーワードとして検討を進めていく。今後はよ
り中東に焦点を当てながら、日本との関係を中心に検討を深めていきたい。
(以上)
40
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«研究会メンバー»
笹川平和財団顧問 田中伸男(座長)
エネルギー経済研究所新エネルギーグループ 笹川亜紀子
東京大学東洋文化研究所 佐橋亮
立命館大学国際関係学部 末近 浩太
リゾナンシア合同会社 関口 美奈
東京大学未来ビジョン研究センター 向山 直祐
NHK出川展恒
元国連大使•国際連合大学西田恒夫
エネルギー経済研究所保坂修司
キャノングローバル戦略研究所 芳川 恒志
キャノングローバル戦略研究所 辰巳 雅世子
キャノングローバル戦略研究所段除軍
51』














