第5回:時代や社会状況によって変容した天台宗

第5回:時代や社会状況によって変容した天台宗
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/b09405/

『文化 歴史 2023.02.21

佐々木 閑 【Profile】

平安時代以降、日本で「ブッダのまことの教え」として流布したのは、天台宗と真言宗という2種類の密教だった。第5回は、さまざまな状況に対する適応能力の高さから勢力を伸ばし、その後の日本仏教の基盤となった天台宗について解説する。

変化する可能性を持った天台宗の教え

9世紀(平安時代)以降、日本の仏教は、真言宗、天台宗という、異なる特性を持つ2種類の密教を中心にして展開していった。仏教史の立場から見れば、インドで最後に現れた密教が、日本では「ブッダのまことの教え」として最初に流布したのである。

これらのうち真言宗は、純然たる密教の教義をコアにしているため、その後の歴史の中でもほとんど変容することなく強固に教えを守り続けた。

一方、天台宗は、根本的に異なるさまざまな仏教思想を、独自の論理によってつなぎ合わせ、その全体を密教的雰囲気で覆うことによって生み出された複合的思想であったため、時代や社会状況によってさまざまに変化する可能性を含んでいた。日本仏教の本質を理解するためには、この天台宗が後世に与えた影響をしっかり押さえておかねばならない。

京都の近郊、比叡山を拠点とする天台宗が、その後の日本仏教に与えた影響は非常に大きく、しかも多岐にわたる。それを3つの項目に分けて解説しよう。

出家の儀式を廃止:あいまいになった僧侶と俗人の区分

前回までの記事で紹介したように、日本仏教は初めから、サンガ(ブッダの教えに従って暮らす僧侶の自治組織)のない特殊な仏教として出発したが、それでも「出家するための儀式」は明確に定められていた。

それは、鑑真が中国から持ってきた、仏教独自の法律集「律蔵」にのっとったもので、現在も全世界の仏教国で共通して執行されている儀式である。サンスクリット語では「ウパサンパダー」と呼び、漢字では「受戒」と訳す。

当時の奈良仏教の僧侶は一種の国家公務員であって、律蔵に基づいて運営されるサンガを持つことは許されなかった。しかし、律蔵の中のウパサンパダーだけはそのまま取り入れられ、僧侶と僧侶でない人を区別するための基準として用いられたのである。日本におけるウパサンパダーの位置づけは、国家公務員の認定試験のようなものであった。

国家権力直属の国家公務員認定試験であるなら、当然ながらそこには人数制限が課されることになる。ウパサンパダーを通過して正式な僧侶になることのできる人の数は、政府によって制限されていたのである。

日本の首都が平安遷都で奈良から京都へと移ってほどなく、9世初頭に京都近郊の比叡山を拠点とする新興勢力として出発した天台宗にとって、この「人数制限」はやっかいな問題であった。なぜならそれは、奈良を中心とした旧来の仏教・南都六宗にとって有利な既得権だったからである。

この障害を排除するため、天台宗は「ウパサンパダーを通過しなくても、人はそれぞれの心がけだけで出家することができる」といった新たな基準を設定した。

そして天台宗の勢力が拡大するにつれて、この潮流はほぼすべての仏教界に浸透していった。

天台宗のライバルであった真言宗でさえ、やがてこの流れを受け入れるようになった。ウパサンパダーが国家権力と結びついた儀式であった日本仏教にとって、ウパサンパダーの縛りから逃れることが、自由な宗教活動への必須要件だと考えられたのである。

しかし「ウパサンパダーの放棄」は、別の見方をすれば「誰もが勝手な方法で僧侶としての身分を手に入れることができる」ことでもある。そのため日本仏教は、出家した僧侶と、一般社会で暮らす俗人との間に明確な区分基準がなくなってしまった。

現在でも、出家のための儀式は宗派ごとにばらばらで、律蔵に基づいたウパサンパダーを、出家の儀式としている宗派はほとんどない。他の仏教国から見て、ウパサンパダーを通過していない人が僧侶として認定される日本仏教の状況は、極めて奇異に見えるが、そこにはこういう歴史的背景があるのである。

あるがままでよい:矛盾を受け入れる徹底した現状肯定

天台宗の思想は、釈迦牟尼(しゃかむに)以来の仏教の長い歴史の中で生み出されてきた無数の教えを全て包括しようとするものである。

もともと起源が異なる複数の思想を一つにまとめようとするのであるから、当然ながらそこには多くの矛盾が生じてくる。それでもそれを「一つの教義」として承認するためには、「矛盾は矛盾のままで置いておくのが正しい」という理論が必須となる。

こうして天台宗では、徹底した現実肯定の姿勢が主流となり「現前の状態が、そのまま悟りの状態である」「煩悩がそのまま悟りである」「有機物、無機物を問わず、この世のあらゆる存在はブッダとなる要素を含んでいる」といった、特異な思想を最澄(767〜822)の弟子たちは主張するようになった。

これは、「修行によって煩悩を除去した時に初めて我々は悟りの境地に到達することができる」とした釈迦本来の教えからははるかに隔たった思考である。

しかし、日本古来のアミニズムと親近性が高く、また、「全宇宙が神秘的エネルギーの現れであって、個々人がその宇宙エネルギーと合体していることを自覚するのが悟りだ」という密教本来の思想ともさほど違和感なく合致するものであった。

そのため、このような天台宗独自の極端な現実肯定思想もまた、ウパサンパダーの放棄と同じく、天台宗の勢力拡大とともに、日本仏教界全域に広がっていった。

この、「あるがままでよい」という教えは、現代の日本仏教界においても広く流布しており、日本人の思考形成にも大きな力を及ぼしている。

極端な肉体的修練:ブッダの世界に近づくためのハードル

さまざまな仏教思想の複合体である天台宗において、「出家した僧侶は、どのような修行をすれば悟りを開くことができるのか」といった問題に明確に答えることはできない。

しかしその一方で、全体を密教的雰囲気で覆っている以上、「ある特定のハードルを越えた人だけがブッダの世界に属するのであり、それ以外の者は、そうしたブッダの世界に属する特定の人の力にすがって幸福を願わねばならない」という密教独自の階層構造を設定せざるを得ない。

密教経典だけをベースにした修行方法では「仏教思想の複合体」としての天台宗の独自性を示すことはできず、かといって、「仏教思想の複合体」であることを重視すると具体的な修行方法が定まらないのである。

そのため天台宗では,自分たち独自の修行方法を新たに創設した。

その修行は、修行者がブッダの世界に近づいたことを、目に見える形で示すものでなければならない。

そのため、「常人では越えることができないが、ごくまれに越えることのできる人が現れる」といったレベルの厳しさで設定される必要があった。

この要請に応じて、天台宗では達成困難なさまざまな修行方法が案出され、それを通過した人は、ブッダの世界に近づいた聖人として、一般信者から大いにあがめられた。

このような極端な肉体的修練は、前述した極端な現実肯定、すなわち「あるがままでよい」という思考とは正反対の立場にあるが、そういった矛盾もまた、より高次の現実肯定によって解消されると考えた。

いかなる論理矛盾も「あるがままでよい」といった包括的肯定論によって説明可能になると言うのである。

このように複合的で、かつ変容性の高い天台宗が、当時の首都であった京都において勢力を伸ばしたことにより、この宗派を基点としてさまざまな仏教思想が生み出されていくことになる。

この点から見て、良しあしは別としても、天台宗を日本仏教の基盤と考えることは間違いではない。次回は、二大密教で成り立っていた日本仏教が、さまざまに分岐していく様を語る。

バナー画像=比叡山延暦寺の総本堂である根本中堂(PIXTA)

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佐々木 閑SASAKI Shizuka経歴・執筆一覧を見る

花園大学文学部特任教授。1956年福井県生まれ。京都大学工学部工業化学科・文学部哲学科を卒業。同大学院文学研究科博士課程満期退学。博士(文学)。カリフォルニア大学留学を経て花園大学教授に。定年退職後、現職。専門はインド仏教学。日本印度学仏教学会賞、鈴木学術財団特別賞受賞。著書に『出家とはなにか』(大蔵出版、1999年)、『インド仏教変移論』(同、2000年)、『犀の角たち』(同、2006年)、『般若心経』(NHK出版、2014年)、『大乗仏教』(同、2019年)、『仏教は宇宙をどう見たか』(化学同人、2021年)など。YouTubeチャンネルShizuka Sasakiで仏教解説の動画を配信中。』

シリーズ「日本の仏教」第7回:日本仏教の暴力性

シリーズ「日本の仏教」第7回:日本仏教の暴力性
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/b09407/

『文化 歴史 社会 2023.05.16

佐々木 閑 【Profile】

仏教本来の教えでは、暴力は完全に否定される。しかし釈迦(しゃか)が制定した戒律を収めた「律蔵」が機能しない日本の仏教界にあっては、暴力行使が容認された。こうした特異性が僧兵を生み、一向一揆を起こすことになり、第2次世界大戦では僧侶が戦争に協力することにつながっていった。

第5回の解説で、日本仏教にはサンガ(ブッダの教えに従って暮らす僧侶の自治組織)が存在せず、サンガを運営していくための法律である律蔵も機能していないことを明確化してきた。この状況は日本に仏教が導入されてから現代に至るまで、およそ1300年間にわたって変わることなく続いている。

律蔵が機能していないことにより、日本仏教の僧侶は、他の仏教世界では見られない独特の生活形態を取るようになった。出家する際にウパサンパダー(受戒)の儀式をおこなわない、酒を飲む、結婚して家族を持つといった行為は、律蔵によれば、すべて処罰の対象となる違法行為であるが、律蔵の存在が認知されていない日本仏教では、さほど問題とされない。せいぜいで「社会通念として好ましくない」といった批判がなされる程度である。そしてこういった日本仏教だけが持つ特性の中でも、最も重要かつ深刻な特性の1つが、「暴力の肯定」である。

律蔵では、僧侶が他者に暴力を振るうことは絶対に禁じられている。武器を手にして争うことはもちろん、たとえ教育上の必要性によって弟子を叱責(しっせき)する場合でも、暴力を用いることは決して許されない。僧侶が軍隊の行進を見ることさえも禁じられているのである。仏教以外の宗教の中には、「邪悪な暴力行為は禁じるが、自分たちの宗教を脅かす者を排除するための正義の暴力は許される」という考え方もあるが(いわゆる聖戦思想)、仏教はそれも許さない。いかなる暴力も、ブッダの教えに背く行為として非難されるのである。

律蔵がないために暴力を肯定

インドで釈迦(しゃか)が創始した本来の仏教は、このように暴力を絶対的に否定していたのだが、その後の長い歴史の中で、この基本原理は崩壊し、次第に暴力を肯定する傾向が強まっていった。僧侶が暴力を振るった事例は多くの仏教国で見られるし、僧侶自身が暴力を振るわなくても、僧侶としての権威を利用して権力者に暴力行為を促すといった事例は現在でも時として見られる。しかしながらそれでも、律蔵が機能している限り、そういった行為は「律蔵に背く非仏教的な行為」として法的処罰の対象となる。律蔵があるおかげで仏教の僧侶は、暴力を肯定したいという本能的欲求から身を守ることができるのである。

しかし日本仏教では、その律蔵が機能していない。その結果として、当然予想できることであるが、聖戦思想を利用した暴力が積極的に容認されるようになった。「仏教の教えを守るためならば僧侶が暴力を振るうことも許される」、あるいは「仏教の教えを守るために暴力的に戦うことは、進んでなすべき善い行いである」といった暴力肯定の姿勢が承認されるようになったのである。

問題は、ここで言う「守るべき仏教の教え」というのが、決して釈迦が説いた大本の仏教ではなく、個々の僧侶が所属している宗派や教団の教えを指しているという点である。つまり彼らは、自分たちの地位や権威や利得を守るために暴力を振るうことを、正当な仏教的行為だと考えるのである。

日本仏教の全体が律蔵のない状態で発展したのであるから、このような暴力肯定の姿勢は宗派を問わず、日本仏教界全域に広がっていった。仏教界が全体として「正義の」暴力を肯定し、仏教界を支える一般社会もその在り方に違和感を抱かない、という点にこそ、律蔵を持たない日本仏教の特異性が顕著に表れているのである。

僧侶の軍隊が乱暴狼藉(ろうぜき)

貴族社会と結びついて多くの既得権を得ていた奈良の仏教や真言宗や天台宗は、自分たちの立場を守るために暴力を利用した。代表的な事例が、「僧兵」と呼ばれる「僧侶の軍隊」である。奈良仏教の代表的寺院である東大寺や、天台宗の中心寺院である京都の延暦寺など、多くの寺院が僧兵を抱え、天皇でさえも統制不可能なほどの無法行為を繰り返したのである。

一方、天台宗を母胎としながら、その天台宗に反抗するかたちで登場した新興の仏教宗派は、新たに自分たちの勢力域を拡大するために暴力を用いた。代表は浄土真宗の一向一揆である。宗祖の親鸞は謙虚な人物で、暴力的な言動はまったくなかったが、跡を継いだ組織運営者たちは、自分たちの組織拡大を阻害する旧仏教の勢力や権力者たちに対して強大な軍隊を組織して立ち向かった。その軍事力は強大で、15世紀から16世紀にかけての約100年間、越前、加賀、三河、近畿などで広大な地域を完全に支配し続けるほどであった。こういった勢力拡大のための暴力性は浄土真宗に限ったものではない。当時の多くの新興仏教宗派において多かれ少なかれ見られる現象であり、僧侶が暴力行為に関わることが容認されたのである。

第2次世界大戦に協力した日本の仏教界

その後、権力の集中が進み、徳川幕府が日本全体を統治する江戸時代になると、すべての仏教宗派が幕府の政治体制の下で安定的に棲(す)み分けるようになったため、仏教の暴力性は影を潜めた。しかし、「僧侶はいかなるかたちでも暴力に関与してはならない」という律蔵の基本原則は理解されないままであったため、周囲の社会状況が変化すれば、直ちに暴力性が表に現れるという危険な状態での鎮静化であった。

江戸時代が終わって徳川幕府が消滅し、明治時代になると、新政府は神道の国教化を進めた。新たに発布された「神仏分離令」により、それまでは一体化したものとして扱われていた神道と仏教が切り離され、仏教は神道よりも下位に位置づけられたのである。こうして日本は天皇を中心とした神道国家になったが、その時日本の仏教界は、その新たに登場した天皇中心の神道勢力と協力体制を取った。その一番の理由は、今後外国から流入してくるキリスト教の力を恐れ、国家権力との共同戦線でこれを防ごうとしたところにある。キリスト教を排除する、という共通の目的のもとに宗教界は一体化し、日本仏教は天皇中心の国家権力の支援団体になったのである。

やがて日本が中国や欧米諸国との戦争に突入すると、それまで影を潜めていた日本仏教の暴力性が、「天皇がアジアを統一することによって、日本中心の平和な世界を実現する」という大義名分のもとで再び姿を現すことになった。この時代に、日本仏教がどういったかたちで第2次世界大戦に協力し、僧侶自身がどれくらい戦闘に参加したかという点は、戦争が終わった後も長く曖昧にされたままであったが、最近、その実情を明らかにする研究も現れて来ている。

戦時中、仏教界が戦争に加担することを強く批判する人たちもいたが、大方の宗派は、そのトップからして、積極的に戦争遂行に協力した。信者たちに、戦争に行くよう檄(げき)を飛ばし、武器製造のために布施を集め、天皇とブッダを同一視するような教説を広めたのである。「自分たちの正義を守るための暴力は許される」という古来の理屈がよみがえったのである。

日本が戦争に負けて、天皇が「自分を中心として成り立っていた日本の宗教世界は崩壊した」と自分自身で宣言したことにより、日本の宗教構造は一夜にして消滅し、驚くべき速度で民主主義国家へと変貌した。この変化の中で日本仏教の暴力性も再び影を潜め、現在の日本仏教には一片の暴力性も見られない(禅宗の修行場内では今も暴力を肯定する人が存在するが)。しかし「僧侶はいかなるかたちでも暴力に関与してはならない」という基本原則はいまだ浸透していない。律蔵を持たない日本仏教が克服すべき将来の課題である。

バナー写真=毎年6月に京都市左京区の鞍馬寺で行われる「竹伐り会式(たけきりえしき)」。僧兵に扮(ふん)した僧侶が大蛇に見立てた青竹を山刀で断ち切り、五穀豊穣(ほうじょう)を願う(共同)

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佐々木 閑SASAKI Shizuka経歴・執筆一覧を見る

花園大学文学部特任教授。1956年福井県生まれ。京都大学工学部工業化学科・文学部哲学科を卒業。同大学院文学研究科博士課程満期退学。博士(文学)。カリフォルニア大学留学を経て花園大学教授に。定年退職後、現職。専門はインド仏教学。日本印度学仏教学会賞、鈴木学術財団特別賞受賞。著書に『出家とはなにか』(大蔵出版、1999年)、『インド仏教変移論』(同、2000年)、『犀の角たち』(同、2006年)、『般若心経』(NHK出版、2014年)、『大乗仏教』(同、2019年)、『仏教は宇宙をどう見たか』(化学同人、2021年)など。YouTubeチャンネルShizuka Sasakiで仏教解説の動画を配信中。』

パキスタンのダス水力工事で,中国企業責任者が逮捕,イスラム冒涜

パキスタンのダス水力工事で,中国企業責任者が逮捕,イスラム冒涜
http://blog.livedoor.jp/adachihayao/archives/2030692.html

『【日刊 アジアのエネルギー最前線】 パキスタンのダス水力工事で,中国企業責任者が逮捕,イスラム冒涜
http://www.adachihayao.net

2023年4月22日 土曜日 晴れ

昨日は新宝塚オープンで失礼,米寿を直前に控えて,決して他人の打つ前方には立たないとか,新名神でトラックが追いかけてくると急遽退避するとか,何とか努力して生き延びた,さて先日も話題にしたパキスタン西北部のダス水力だが,工事を進める中国企業が,イスラム教冒涜の罪で拘束された

ダス水力は,高さ242mを建設し216万KW2期合計432万KWの大規模水力で,中国企業が主体となって工事を進め,2024年には発電開始の予定で,工事を急いでいた,イスラム教のお祈りの時間に苦言を呈し工事の促進を促した,中国企業の責任者が逮捕され,死刑もあり得るという,

インドネシアは,パキスタンに比べてイスラム教は緩やかだが,我々も1980年代のダム工事で経験がある,工事を担当した企業の責任者が,ダマランの絶食中に信仰の落ちたトンネル工事で,昼食をとるよう促してビザを取り上げられ国外追放された,中国とパキスタンは友好国だが,問題が多い』

食料配給に殺到、12人死亡 経済危機下のパキスタン

食料配給に殺到、12人死亡 経済危機下のパキスタン
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023040100296&g=int

 ※ なるほど、イスラム教のラマダンも絡む話しなわけだ…。

『【ニューデリー時事】パキスタン南部カラチで31日、食料の配給を求めて人が殺到し、排水溝に落ちるなどして少なくとも12人が死亡した。地元メディアが伝えた。同国は深刻な経済危機下にあり、食料価格の高騰に見舞われている。

スリランカに3900億円 IMFが支援融資、向こう4年で

 地元テレビなどによると、イスラム教のラマダン(断食月)に合わせ、地元の染色工場が貧しい人向けの配給を実施したところ、400人以上が押し寄せた。犠牲者の多くは工場労働者の家族で、子供3人も含まれる。 』

現金配布の慈善活動に人が殺到 これまでに11人死亡 パキスタン

現金配布の慈善活動に人が殺到 これまでに11人死亡 パキスタン
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230401/k10014026301000.html

『 2023年4月1日 8時00分

経済が混乱し、物価の上昇が続くパキスタンで3月31日、現金を配る慈善活動に人が殺到し、倒れて人に踏まれるなどして、これまでに11人が死亡しました。

パキスタン南部の都市、カラチにある工場で、3月31日午後、イスラム教の断食月のラマダンにあわせて計画された貧しい人たちに現金を配る慈善活動に数百人が殺到しました。
現地の警察などによりますと、集まったのはこの工場で働く人の家族などで倒れてほかの人に踏まれるなどして、これまでに子ども3人を含む11人が死亡したほか、複数の人がけがをして病院に運ばれたということです。

警察は、事前に現金の配布を警察に届け出ず安全管理を怠ったなどとして、工場の従業員ら7人を拘束して詳しい状況を調べています。

パキスタンでは外貨の不足や通貨安など経済が混乱し、ことし2月の消費者物価指数は前の年の同じ月と比べて31.55%上昇するなど記録的なインフレとなっていて、人々の生活に深刻な影響が出ています。

食料品などの価格の上昇も続く中、現地メディアによりますと、政府が貧しい家庭を対象に行っている小麦粉の配給でも3月に各地で人が殺到して少なくとも5人が死亡しています。 』

トルコ 多くの被災者が避難生活する中ラマダン始まる

トルコ 多くの被災者が避難生活する中ラマダン始まる
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230324/k10014017791000.html

 ※ 大変な話しだな…。

 ※ 今日は、こんな所で…。

『イスラム教徒が日中の飲食などを断つ断食月のラマダンが、23日から中東など多くの国で始まりました。先月の大地震で甚大な被害を受けたトルコでは、多くの被災者がテントでの避難生活を余儀なくされる中、ラマダンを迎えています。

ラマダンはおよそ1か月にわたり日中の飲食などを断つイスラム教の重要な宗教行事で、中東などの多くの国では23日、ラマダンの初日を迎えました。

このうち、先月6日の大地震で、5万人以上が死亡し、甚大な被害を受けたトルコ南部の被災地でもテントでの暮らしを余儀なくされている多くの人が、断食をしながら、聖典コーランを読むなどして過ごしていました。

また、断食を終える日没になるとテントの前の食卓に炊き出しの羊肉の煮込み料理などを並べて家族と一緒に食べる人たちの姿も見られました。

避難所のテントで夫と2人の子どもと暮らす43歳の女性は「多くの人が亡くなり暗い気持ちだ。家でラマダンを迎えたかった。二度とこんな目にあわないよう神に祈りたい」と話していました。

最初の地震から1か月余りたったトルコでは、いまでも200万人がテントでの暮らしを余儀なくされているとも伝えられています。

トルコ政府は被災者向けの住宅の建設を本格的に始めたばかりで、被災者にとって今後の住まいをどのように確保するかが大きな課題となっています。』

エホバの証人の組織構造

エホバの証人の組織構造
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9B%E3%83%90%E3%81%AE%E8%A8%BC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E7%B5%84%E7%B9%94%E6%A7%8B%E9%80%A0

『この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。
出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2022年12月)
中立的な観点に基づく疑問が提出されています。(2011年9月)
独自研究が含まれているおそれがあります。(2011年9月)
独立記事作成の目安を満たしていないおそれがあります。(2018年10月)
広告・宣伝活動的であり、中立的な観点で書き直す必要があります。(2018年10月)
出典検索?: “エホバの証人の組織構造” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL』

『エホバの証人には他の宗教団体とは異なる特有の組織構造がある[1]。

統治体

統治体(Govering Body)はエホバの証人を監督する長老団であり、その成員は米国ニューヨーク州ウォーウィックにある世界本部に常駐している。統治体は、6つの委員会を通して世界中のエホバの証人の活動すべてを監督する。2013年に、統治体のみが、キリストが時に応じた食物を与えるために任命した「忠実で思慮深い奴隷」であるとされた[2]。「忠実で思慮深い奴隷」は、キリストの臨在が始まった1914年以降に現れた。この奴隷(統治体)は、将来天いくよう選ばれたクリスチャンの中からさらに絞り込まれた少人数のグループである。

2023年現在 統治体 メンバーは10名である(括弧の年は統治体に任命された年)

サミュエル・F・ハード 1934年 生 87歳 (1999-)

ゲリト・レシュ 1940年 81歳 (1998ー)

デービット・H・スプレーン 1944年 生  77歳(1999-)

スティーブン・レット 1949年生     72歳(1999-)

アンソニー・モリス3世 1950年 生    71歳(2005-)→2023年2月退任

ジェフリー・W・ジャクソン 1955年 生   66歳(2005-)

マーク・サンダーソン 1965年 4月2日生 56歳 (2012-)

ケニス・クック (2018-)[18] 情報無し

ゲージ・フリーグル(2023-)[3]

ジェフリー・ウィンダー(2023-)[4]

地帯区

地帯区はいくつかの支部事務所からなり、統治体から任命を受けた世界本部の代表者[5]によって奉仕される。その主な仕事は、「王国の良いたより」を宣べ伝える業を行う上で生じるさまざまな問題や疑問に関し、支部委員会を助けることである。また、支部事務所の運営を記録した記録類や、諸会衆の業がうまく機能しているかを調べる。

支部事務所

2016年現在、世界の主要な地域に85の支部事務所があり、240の国や地域の宣教活動を監督している。各支部では、3人から7人の長老が、統治体により支部委員に任命されて支部委員会を構成し、管轄内の国や地域に存在する諸会衆を監督する[6]。支部委員のうち1名は支部委員会の調整者に任命され、委員会の相互調整を担当する。一つの支部が複数の国々の業を管轄する場合、それぞれの国に国内委員会が設けられる。

支部委員会の監督下に実務部門が組織される。中枢となる奉仕部門は、各会衆に指示の手紙を送ったり、巡回監督・地域監督の業を監督したり、大会を計画したりする。支部の規模に応じて、翻訳部門、執筆部門、会計部門、法律部門、ホスピタル・インフォメーション・サービスなどを設ける。当該支部が書籍・雑誌・DVDなどの生産を担当する場合、大規模な印刷施設や工場も備える。なお、支部・本部事務所の見学が公式サイトjw.orgから申し込める。

支部事務所直轄の各種委員会も各地に置かれ、地元の資格ある長老たちが委員に任命される。

地区建設委員会(RBC=Regional Building Committee) - 地区における王国会館建設や大会ホール建設を指揮・監督
医療機関連絡委員会(HLC=Hospital Liaison Committee)- 無輸血治療を実施してくれる医療機関の開拓および信者への情報提供
大会委員会 - 大会監督・プログラム監督・宿舎監督からなり、各地の地域大会を監督
大会ホール委員会 - 各地の大会ホール(2018年現在、日本国内に8ヶ所(栃木、千葉、海老名、東海、兵庫、関西、広島、福岡))の運営・管理

巡回区

諸会衆は通常20の会衆でなる巡回区を形成する。彼らは年に2回、大会(一日大会)に集まり、年に2~3回、支部事務所を代表する長老、巡回監督の訪問を受ける。こうした訪問は通常火曜日~日曜日の6日間ほど続き、その間、巡回監督は会衆や一般聴衆に対し講演を行い、長老団・援助奉仕者・開拓者と会合し、家から家の「王国の良い知らせ」を伝える活動に参加する。

巡回監督は王国福音伝道者の学校卒業生で、訓練を受けた者が支部委員会によって統治体に推薦され、統治体によって任命される。退職は70歳。

巡回区には常任の大会要員(大会監督・大会監督補佐)が任命され、巡回監督の監督下で大会開催の実務を担う。

毎年、通常夏に、3日間の地区大会[7]が開かれる。地区大会は大会ホールで開かれることが多い。開催地は、公式サイトjw.org で検索できる[8]。

長老(監督)と援助奉仕者(奉仕の僕)

男性信者で、聖書のテモテ第一3章1-7節、テトス1章5-9節にある資格にかなう人は、長老たちの推薦を受け、支部事務所(2014年9月以降は巡回監督) から長老(別称:監督)として任命を受ける。各会衆には複数の長老から成る長老団がおり、支部事務所から受け取った指示に基づき、地元会衆の活動や福祉を決定する。彼らは演壇から教え、会衆の成員に対し気遣いの訪問(牧羊として知られる)を行い、宣教の業で主導をとることが求められる。長老団の指導下で、3人の長老が、長老団の調整者(旧・主宰監督。2009年1月に名称変更)・書記・奉仕監督からなる奉仕委員会を構成し、特定の務めを担う[9]。長老団の調整者は80歳で引退する。

男性信者で、聖書のテモテ第一3章8-13節の資格に適う人は長老たちの推薦を受け、支部事務所(2014年9月以降は巡回監督) から援助奉仕者(旧称:奉仕の僕。2019年4月に日本語でのみ名称変更)として任命を受ける。彼らは、王国会館や音響、マイク・システムの管理、本、雑誌、冊子、会衆の会計といった、会衆を教えることとは関係しない決められた仕事を行い、長老を補佐する。必要な状況が生じた場合、資格ある援助奉仕者が会衆を教えるプログラムを扱ったりグループの監督の任に就くこともある[10]。

女性信者は会衆に教えることには参加しない(コリント第一14章34節)が、ステージで援助奉仕者の仕事として取り上げた活動の大半を担うことがある。これは会衆が小さいとき、ないしは何らかの理由で能力や資格のある男性がいない場合である。ただしこの場合、司会の役を行う女性は本来は男性が行うことすることであると敬意を示し頭にスカーフ等かぶり物をつけ、演台には立たず全員着席で行う(コリント第一11:5-6)

長老や援助奉仕者には、インターネットを通して公式サイトjw.orgへログインし、権限に応じ協会からの手紙、公開講演の筋書き、用紙類、外国語の王国宣教など様々な物をダウンロードできるアカウントがある。

会衆

エホバの証人の会衆の規模はさまざまだが、通常50人から150人の伝道者で構成されている。彼らは週に2度王国会館で集まる[11]。会衆の集会は一般に成員の参加が求められる。会衆の聖書研究(旧・書籍研究)、ものみの塔研究という集会が、読まれる出版物から1節ずつ、印刷された質問が出され答えたり、引用聖句が読まれるという質問と答え形式で扱われる。神権宣教学校(現:クリスチャンとしての生活と奉仕の集会)では、順番で生徒が講話、聖書朗読、及び宣教奉仕等の一場面を実演形式で行う。この割り当ては、聖書通読、戸別訪問、再訪問、聖書レッスンという区分で行われ、一般的に聖書通読から生徒の話が行われる。(女性も生徒として練習を行う。戸別訪問、再訪問、聖書レッスンで扱われる。[12])週に1度、30分間の公開講演が開かれる。会衆と集会場所は、公式サイトjw.org で検索できる[13]。なお会衆の名称は、基本的には地元の地名を採用しており、他の宗教と関わりのある地名が会衆の名称になる場合がある[14]。

全時間の奉仕者

バプテスマを受けて少なくとも半年を経過したエホバの証人の中には、年に840時間(70時間/月)を証言活動に費やすと神に誓約する者もいる。彼らは正規開拓者と呼ばれる。その多くは専業主婦であったりパートタイムの仕事などで平日の時間を捻出している。また、特定の月(巡回訪問〈月またぎの場合は2か月連続も可能〉、記念式のある月)に30もしくは50時間費やす者もいて、彼らは補助開拓者として知られる。[15] いくつかの国では証人たちは宣教者や特別開拓者として指名を受ける。彼らは普通月130時間を費やすと誓約する。これまで宣教者奉仕に入るには世界本部事務所にある「ものみの塔ギレアデ聖書学校」に入校し、卒業しなければならなかったが、現在は王国福音伝道者の学校を卒業した人の中からも任命されることになった。[16]2023年3月より、特別開拓者は月100時間(40歳以上の女性は90時間)正規開拓者は600時間(50時間/月)、補助開拓者は30(巡回訪問、記念式のある月〈月またぎの場合は2か月連続も可能〉は15)時間に変更された。

また、下記にもあるが、ベテル奉仕者以外にも宣教者と特別開拓者、巡回監督は協会からの払戻金(実質かかった費用のみのであり貯金には回せない)で生活している。

また、19歳から35歳までのバプテスマを受けたエホバの証人で、支部事務所や世界本部で働きたい者は、会衆の書記の長老からベテル奉仕の申込書を受け取ることができる。(「ベテル」とはヘブライ語で「神の家」を指し、支部事務所や世界本部事務所を指す。)ただし、実際に申し込みを受理されるのは、会衆で模範的な信者だけである。)

近年、支部事務所や世界本部では、大々的な組織改編が行われ、正規開拓者で一時的に支部事務所や世界本部で無償で働く奉仕者(テンポラリーボランティア)が求められるようになった。

バプテスマ

伝道者が正式なエホバの証人となるにはバプテスマ(水の浸礼)を受けなくてはならない。 神へ祈りの中で献身し、献身の公の宣言であるバプテスマを受けるに先立ち、その願いを会衆の「長老団の調整者」(旧称:主宰監督)に知らせ、その後幾人かの長老と『エホバのご意志を行なうための組織』という本の付録の「バプテスマを受けるための質問」を討議して、聖書に対する基本的な知識を持っていることを示さなければならない。バプテスマは普通、年に3回開かれる大会で受ける。バプテスマを受けた正式なエホバの証人は、男性は「兄弟」、女性は「姉妹」と呼ばれる。[17]

伝道者

クリスチャンとしての生活と奉仕の生徒(必ずしも生徒でなくてもよい)で、伝道者(会衆の公の宣教奉仕に携わる)になりたい者は、研究司会者にその旨を伝え、エホバの証人が守るべき聖書の教えが書かれた『エホバのご意思を行なうための組織』という本に基づき、2人の長老とその資格にかなっているか話し合う。公の宣教に携わり、エホバの証人(信者)の一人として数えられるため、聖書の基準に沿った生活をしている必要がある。資格にかなっている者はバプテスマを受けていない伝道者となり、『エホバのご意思を行なうための組織』という本が与えられる。この伝道者数が公表されているエホバの証人の信者数となっているが、バプテスマを受けていない伝道者は正式な意味では信徒ではない [18]

クリスチャンとしての生活と奉仕(旧:神権宣教学校)の生徒

聖書レッスン(旧称:聖書研究)を行っている研究生で、クリスチャンとしての生活と奉仕に入校したい者はレッスンの司会者にその旨を伝え、会衆の長老とその資格について話し合う。資格にかなっている者はクリスチャンとしての生活と奉仕の生徒となり、『読むことと教えることに励む』と題する教科書が与えられる。クリスチャンとしての生活と奉仕の生徒には年に数回(入校者の人数により増減する)、聴衆の前で話をする機会が与えられる(信者はこれを通称「割り当て」と呼ぶ)。男性には主に聖書朗読や講話が割り当てられ、女性には二人一組での実演が割り当てられる。2015年以降、男性も二人一組での実演が割り当てられることもあるようになった。話が終わった後には、長老などから話の良かった点が言及される。この学校に入校しても伝道者にならない限り、会衆の成員の一人とは数えられない。

クリスチャンとしての生活と奉仕には卒業という概念はなく、ベテランの信者でも割り当てを行い、生徒であり続ける。 2016年より「クリスチャンとしての生活と奉仕の集会」に改称される。

排斥(除名)

バプテスマを受けた後、教義に関する重大な違反や、組織に対する反抗的な言動があったとみなされた場合、その態度を悔い改めない場合、もしくは悔い改めていても最大の罰として、組織から排斥(除名)という処分を受ける場合がある。審理委員会(最低3人)から排斥の処分を受けた者は、エホバの証人とはみなされなくなる。一般信者は、家族であっても、その者との付き合いや挨拶なども制限される。(夫婦や同居している家族、未成年である場合は別)

排斥まで至らなくとも、叱責(長老や監督の資格を剥奪されたり、集会での講話や注解が制限されたりといった処分。野外宣教と集会の出席の2つの基本的な権利は取り去られない。)が下されることもある。なお、自らの意思でエホバの証人から断絶(脱会)する旨を表明した者に対しては、信者は排斥された者と同じように扱わなければならない。

排斥された者が、再び会衆に復帰する場合もあるが、その場合は、再びバプテスマを受けるのではなく、排斥を決定した3人(3人もしくはそれ以上)の同じ審理委員会が一定期間の態度を観察して了承した場合に会衆のメンバーとして復帰することとなる。これは、エホバの証人の教義上、2度バプテスマを受けるということはできないからである。バプテスマを受けていた時点でふさわしくない事柄をしていた場合を除く。復帰しても、すぐにすべてのことができるわけではなく、通常援助がなされ、その後注解などから徐々に制限が解除されていく。

たとえ排斥された者であっても、王国会館での集会はすべての人に開かれたものであるため、集会を妨害するなどの行為がない限り、王国会館で開かれる集会に出席すること自体は自由である。 そして、復帰したい者は、集会に出席し続ける事が必須である。

他の宗教に改宗した場合、プロボクサーになった場合等(エクササイズの一環でジムに通うのは、別問題)は、その時点で脱会したものとみなされる。

これらは聖書のコリント第一6章9-13節;ヨハネ第二の手紙10,11節などに基づく

法的機関

Watchtower Bible and Tract Society of New York(ニューヨーク法人 ものみの塔聖書冊子協会)は、エホバの証人が用いる数ある法人の1つで、関連法人を代表している。他の法人として Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania(ペンシルベニア州のものみの塔聖書冊子協会)、Christian Congregation of Jehovah’s Witnesses(エホバの証人のクリスチャン会衆)、そして英国ロンドンにあるInternational Bible Students Association(国際聖書研究者協会)がある。世界の他の主だった国々では、地元法人が組織の業を促進するために設立されている[19]。

日本においては、ものみの塔聖書冊子協会(神奈川県海老名市)が用いられている。

脚注
[脚注の使い方]

^ 『エホバのご意志を行なうための組織』(エホバの証人、2005年)
^ 「ものみの塔2013年7月15日号」
^ ニュース速報 | 統治体に2人の新しい成員 - エホバの証人の公式サイト
^ ニュース速報 | 統治体に2人の新しい成員 - エホバの証人の公式サイト
^ 「地帯監督」の新しい名称。
^ 『今の時代にだれがエホバのご意志を行なっていますか』第22課—エホバの証人、2012年発行
^ 2014年度までは「地域大会」。
^ 2020年 - 2022年は、新型コロナウイルス感染症の世界的流行により、外部会場ではなく、アメリカの世界本部で事前収録されたプログラムが配信され、それを各自がダウンロードし、決められた日に各家庭で視聴する形態が採られた。
^ 『今の時代にだれがエホバのご意志を行なっていますか』第15課—エホバの証人、2012年発行
^ 『今の時代にだれがエホバのご意志を行なっていますか』第16課—エホバの証人、2012年発行
^ 2020年以降世界的な流行を見るようになった新型コロナウイルス感染症の影響により、大人数での集会が禁じられているため、ウェブ会議アプリ「ZOOM」を用いて、集会を開いている
^ 2015年より、戸別訪問、再訪問、聖書レッスン共に男性が男性を相手にまたは、夫婦で行う話が導入された。
^ かつて巡回監督による訪問がある週は、週3回であったが、2015年度より、週3回から週2回に変更された。集会の予定は、初回:クリスチャンとしての生活と奉仕の集会、奉仕の話①、2回目:公開聖書講演会、ものみの塔研究(朗読なし)、奉仕の話②。会衆の聖書研究は、個人で行うようになった。
^ 例:奈良県天理市天理会衆、愛知県名古屋市覚王山会衆など。なお天理会衆の場合、「エホバの証人の天理会衆」という宗教法人の登録もなされている。
^ 『今の時代にだれがエホバのご意志を行なっていますか』第13課—エホバの証人、2012年発行
^ 『今の時代にだれがエホバのご意志を行なっていますか』第14課—エホバの証人、2012年発行
^ 集会や伝道の場など、エホバの証人だけで居る場合は、そうする方がよいが、それ以外は、可能な限りその呼称を用いないで、「○○さん」と呼ぶ方が望ましい。
^ 「ものみの塔」 2004年7月1日号30ページ 読者からの質問—ものみの塔オンライン・ライブラリ
^ 「ものみの塔」2001年1月15日号28-31ページ—ものみの塔オンライン・ライブラリ

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エホバの証人

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エホバの証人

エホバの証人
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9B%E3%83%90%E3%81%AE%E8%A8%BC%E4%BA%BA

『エホバの証人(エホバのしょうにん、英: Jehovah’s Witnesses)は、19世紀にアメリカ合衆国でチャールズ・テイズ・ラッセルを中心に発足したキリスト教系の新宗教である。世界本部をニューヨーク州ウォーウィックに置き、ほぼ全世界でものみの塔聖書冊子協会などの法人名で活動している。

沿革

1870年 - チャールズ・テイズ・ラッセルは聖書研究のグループを作り、彼らは聖書の系統的な研究を始める。
1879年 -「シオンのものみの塔およびキリストの臨在の告知者」(現・ものみの塔誌)創刊。
1884年 - シオンのものみの塔冊子協会(現「ペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会」)が米国ペンシルベニア州で宗教法人として認可。初代会長はラッセル。
1900年 - 最初の支部事務所が英国ロンドンに開設される。宣教活動が28の国や地域で行われる。
1909年 - 世界本部をニューヨーク州ブルックリン区へ移転する。
1910年 - 国際聖書研究者協会(I.B.S.A.)という名称を使い始める。
1919年 -「黄金時代」誌(現・目ざめよ!誌)創刊。
1931年 -「エホバの証人」という名称が採択される。
1933年 - ドイツのナチス政権下で布教活動が禁止され、第二次世界大戦終結まで多数の信者が強制収容所に収監される。(「エホバの証人とホロコースト」参照)
1950年 - 新世界訳聖書英語版「クリスチャン・ギリシャ語聖書」が完成。
1961年 - 新世界訳聖書英語版が全巻完成。
1982年 - 新世界訳聖書日本語版が全巻完成。
1984年 - 新世界訳聖書英語改訂版が発表される。
1985年 - 新世界訳聖書日本語改訂版が発表される。
2013年 - 新世界訳聖書英語改訂版が発表される。
2014年 - JW Broadcasting[証人 2]が開始される。
2016年 - 世界本部を米国ニューヨーク州ウォーウィックに移転する。
2019年 - 新世界訳聖書日本語改訂版が発表される。

組織

「エホバの証人の組織構造」も参照

組織の活動は、戸別訪問等による聖書教育活動から、聖書講演会の開催、インターネットテレビ局による動画配信、災害救援ボランティア、刑務所の受刑者への更正支援、博物館の運営、また、考古学の研究調査に至るまで多岐に渡り、それらを運営していくうえでの拠点が存在する。

統治体、地帯区、支部、巡回区、各会衆という構造になっており、各々に監督や長老といった管理監督責任を担う信者が存在する。

施設については、前述の世界本部のほか、ものみの塔教育センターを米国ニューヨーク州パットナム郡パタソンに、ものみの塔農場を米国ニューヨーク州アルスター郡ウォールキルに有する[証人 3]。また、世界4カ所で博物館を運営していおり、古代の聖書写本の現物やレプリカなどが展示されている[2][3]。

ブカレスト(ルーマニア)

また、世界96か所に支部事務所が、239の国や地域に約11万の会衆が存在する。

米国ニューヨーク州に、インターネットテレビ局(JWBroadcasting)、映画製作スタジオを有する。

平均伝道者数, 1945年〜2005年

2020年[注 1]の公表値によると、エホバの証人の全世界での伝道者数は約869万人である[証人 1]。 最多国アメリカ合衆国での信者数は約120万人ほどいるとされている。

日本においては2020年度の最高伝道者数は212,683人であり、アジア諸国ではフィリピンに次いで多い[証人 4]。

教義

聖書の教義を以下のように説明する。

全てのものには創造者(神)がいる(インテリジェント・デザイン論を支持している)。神は唯一神エホバ(ヤハウェ)である。キリストは神の子であって神そのものではない[4]。天使長ミカエルと同一である[証人 5]。当初、神はアダムとイブに地上で永遠に生きられる命を与えた[証人 6]。二人が神に反逆し、天使サタン(「サタン」は「反逆者」という意味)に従ったため、二人とその子孫である人類は永遠の命の権利を失った[証人 7]。それ以来、世界と人類はサタンの支配下にあるが[証人 8]、聖書予言は今が世界の終わりの時であることを示しており[証人 9]、間もなくキリスト率いる神の軍団が大戦争(ハルマゲドン)によりサタンによる支配を終わらせ、地球にパラダイスと神の名誉を回復させる。その時、神に従う人間はイエス・キリストが地上に来て捧げた贖いの犠牲により、アダムから受け継いだ罪が許され、死んだ人たちも復活させられて神の教育を受け、神に従うことを選ぶなら永遠に生きる機会を得る [証人 10][証人 11]。 
神の名

「ヤハウェ」も参照

聖書にみられる唯一神エホバ(ヤハウェ)を崇拝の対象とする。 原文に近い聖書写本には、神の固有の名としてテトラグラマトンの四文字語יהוהと記述されており、YHWHもしくはJHVHに相当する。 もっとも、神の名をどう発音するかではなく、神の名を敬意を込めて用いることが重要である。

神の概念

三位一体を否定する立場をとっている。[証人 12][5]。
神の名はヤハウェ、エホバである。
イエス・キリストは神の子であるが神ではなく、エホバに最初に創造された者である[6]。
天使長ミカエルがキリストであるとする[6][証人 5]。
キリストは処刑後、人間としてではなく霊の体として復活し昇天した。終わりの日に神の王国の王として再臨し、将来全人類を裁く。
聖霊は神ではない。「非人格的」な「神の活動力」である[6]。

神の王国

「神の王国」および「ハルマゲドン」も参照

神の王国は、イエス・キリストの宣教における中心的な概念で、『新約聖書』所収の4つの『福音書』に合計50回以上現れる用語である。エホバの証人のいう神の王国は主に千年王国説(至福千年説)に依っている。千年王国説は、旧約聖書の終末論に由来し、新約聖書の『ヨハネ黙示録』第20章「千年間の支配」「サタンの敗北」「最後の裁き」[7]がその主な根拠になっている[8]。

エホバの証人は神の王国について次のように説明している。ダニエル4章の預言に基づく年代計算から、神の王国は1914年に、天でイエス・キリストを王として設立されたことが分かる[証人 13] 。そのキリストの再臨は「しるし」であり目には見えないが、予告された社会現象により識別できる(マタイによる福音書24章3節から25章46節およびルカによる福音書21章5節から36節参照)[証人 14]。新しい社会を実現する政府である[証人 15]。ハルマゲドン後、地上は千年の時を経てかつて創世記に記述されているような楽園に回復される[証人 16][証人 17]。楽園を回復する作業を行うのは、ハルマゲドンを生き残った者と復活させられた者たちである。

活動

各国の信者らが集まる国際大会の様子

年間行事

毎年3月または4月にキリストの死の記念式典を行う。(主の晩餐に相当)
週に2回、集会を行う。(週末:公開聖書講演会・「ものみの塔」研究、週中:クリスチャンとしての生活と奉仕の集会)
上記以外に地区大会(年1回)、巡回大会(年2回)が催される。
毎回の大会において、認められた人に対しバプテスマが行われる。

聖書教育活動

韓国大成里駅の前に伝道のため置かれたエホバの証人のパンフレット据置台。世界各地の駅前でパンフレットを掲げるスタイルの伝道を行っている。

エホバの証人は街頭、駅前、戸別の家庭訪問などの熱心な伝道を世界各地で行っている。 直接尋ねるか、公式サイトJW.ORGより、無料の聖書レッスンを申し込める。毎週オンラインや電話でレッスンを行い聖書を学べる[証人 18]。また、刑務所に収監されている受刑者、及び出所者への社会復帰支援活動を行っており、アメリカ合衆国をはじめとする欧米を中心に刑務所内での講演や聖書教育活動が行われている[9]。またイタリアのボラーテ刑務所では、政府の認可により、敷地内に教団施設(王国会館)が誘致されている[10]。
災害救援

長年にわたり、災害時の救援活動を「神聖な奉仕」と位置づけており、地震や台風などの大規模な自然災害が発生すると、医療従事者や建設技術者等の信者を中心に組織された災害救援委員会(DRC)が編成され、被災した信者はもとより、一般市民への救援を行う[11]。これには、家屋の修復や、行方不明者の捜索、医療専門家による臨時診療所の開設、食料や物資の配布などが含まれ、これらは原則無償で行われる。

主な行動様式

特筆すべき点として、教団としての細かな規則や細則というのは存在せず、聖書中に具体的に明記されているもの(偶像崇拝や淫行や殺人等)以外については、聖書の原則を元に、組織のガイドライン(提案)を参考にしつつ、信者各自、または各家庭において、それぞれの良心に基づき慎重に決定すべきであり、且つ他人の決定を尊重すべきとされている[12][13]。主な行動様式を下記に掲げる。

キリスト教徒が重視する十字架や正教会が重視するイコンなども偶像とみなし崇拝の対象としない。
政治への参加(選挙への立候補および投票など)は行わず、政治的に中立である。
「敵を愛せよ」「人を殺してはならない」という聖書の教えに従い戦争に参加せず兵役につかない(良心的兵役拒否)。人を傷つける格闘技を行わない。
国旗敬礼、国歌斉唱に加わらない。国旗への敬礼、国歌斉唱は、国家崇拝に該当すると判断している。また国旗・国歌は偶像であり、これへの敬礼は偶像崇拝であるとする。ただ、国旗に対する毀損行為、国旗掲揚や国歌斉唱への妨害行為は行わない。
信者間を称号で呼ぶことはなく、互いを兄弟または姉妹と呼ぶ。
他の宗教の冠婚葬祭に出席するか否かは「個人の良心」として各信者に委ねられているが、宗教行為には参加しない。一時退席し、その様な行為の関係しない場には参加する事もある[証人 19]。
次のような行事は反聖書的・異教由来とみなして祝わない。誕生日の祝い、クリスマス、昇天祭、ハヌカー、贖罪の日の行事、ラマダンの断食、ハローウィン、感謝祭、聖人の日の祝い、聖霊降臨祭、新年の祝い、七夕、節分、ひな祭り、各国のナショナル・デー(建国記念日や独立記念日、革命記念日の祝い)、政党の記念日の行事、戦勝記念日や停戦記念日、終戦記念日の行事など。
宗教系の保育所や福祉施設・病院などの利用については、信者個々の良心上の問題とされている。
淫行、姦淫、マスターベーションなどを汚れた行為と見なしている。
喫煙、医療目的外の麻薬・薬物使用は汚れとして禁じられている。
適度の飲酒は個人の自由であるが、泥酔は禁じている。
原則として信者以外とは結婚しない[証人 20]。
原則、離婚およびそれに伴う再婚は禁止。ただし、配偶者の不倫による離婚、配偶者との死別による再婚は認められている。なお、身に危険が及ぶ暴力行為がある場合は別居することがある。
教義に著しく反し、かつ悔い改めが認められない場合は、除名や破門に相当する排斥措置が執られる。
生物の起源について、一般のキリスト教同様に唯一神、万物の創造者を信仰しているため、進化論ではなく創造論を支持している。
親が子どもをしつける際にお尻をたたいていたという児童への体罰を指摘する書籍[14][15][16]もあるが、日本基督教団の川島堅二 (2019) は"こうした行為は「正統」とされる教会でも起こっているから、この団体固有の問題とは言えない"と指摘する。エホバの証人の資料では、聖書における「むち棒」の語は"懲罰のために用いる文字通りのむち棒を含めたあらゆる形態の懲らしめを象徴して"おり"親は実際、このむち棒を行使して子供を監督する責任を神のみ前で負ってい"るとする一方で[証人 21]、その語を"もっぱら体罰を意味するとみなす必要は"なく、言葉などを含む"矯正の手段を意味している"としている[証人 22]。

JW Library

統合電子メディア閲覧アプリ「JW Library」が一般公開されており、各種スマートフォン、タブレット端末、パソコンなどにインストールし、誰でも利用することができる。聖書(英語版は欽定訳聖書・アメリカ標準版聖書含む)、各種資料、音楽、動画、王国会館(教会)の場所、集会の開催時間などが閲覧できる。
JW.ORG(公式サイト)

2021年12月時点で、手話の100言語を含めて1,046言語に翻訳され、世界で最も多くの言語に翻訳されたサイトである[17]。

特筆的な事柄

輸血拒否と無輸血治療

エホバの証人は輸血を拒否し、代替療法として無輸血治療を選択する。

詳しくは、
「輸血拒否」および「エホバの証人輸血拒否事件」も参照

輸血拒否

エホバの証人が輸血を拒否する根拠は、[18]聖書中の、

いかなる生き物の血も、決して食べてはならない。すべての生き物の命は、その血だからである。それを食べる者は断たれる。
— レビ記17章14節(新共同訳)抜粋

といった「血を避けるべき」とするいくつかの記述[19][20][21][22][23]である[証人 23][24]。エホバの証人はこれらの記述について、輸血により血を身体に入れることを禁じるものと解釈し[証人 23][24]、反すれば”神との関係において霊的生命とみなすものが損なわれ、無意味な生活、死よりも悪いものがもたらされる”と考えている[25]。こういった立場は1945年に協会により示されたものである[24]。なお、自己輸血や血液分画の使用については、各信者の良心に基づく判断に委ねられている[26][25]。

集団として輸血を拒否するというこのような立場は、国家やマジョリティの立場、あるいは医療者の倫理観と衝突することもある[24][27]。事実輸血拒否は1980年代以降各国で問題として表面化しており、エホバの証人側も問題に対応すべく1988年にホスピタル・インフォメーション・サービスという専門部局を立ち上げ、情報収集・分析・対応策の検討を行うとともに、同部局の指示のもと地域で実際的な活動をする医療機関連絡委員会を展開している[26]。日本の司法においては、後述のエホバの証人信者の両親による輸血委任仮処分申請事件についての大分地裁判決(1985年)や東大医科研病院事件についての最高裁判決(2000年)を通じて、患者の自己決定権を是認する方向で、一応の判断基準が示されてきた[28]。もっとも医療現場ではほとんどの場合、(可能なかぎり無輸血で治療を進めた上で)救命のためにやむを得ない場合には輸血をおこなうという同意書への署名がなされない場合は治療をおこなわないという方針をとっており、事実上エホバの証人の患者を締め出すための方策となってしまっている[29]。

親権者が子供に対する輸血を拒否することについては、異文化尊重の立場から子供のみを切り離して考えるべきではないとする見解[30]がある一方で、親権の濫用であるとの見解[31]もある[注 2]。アメリカやイギリス、ドイツにおいては、司法手続きを通じて子供に対する輸血をおこなったという事案がある[33]。日本では、2008年に日本輸血・細胞治療学会ら5学会からなる合同委員会が交付した「宗教的輸血拒否に関するガイドライン」において、医療側の努力によっても同意が得られなかった場合は、”児童相談所に虐待通告し、児童相談所で一時保護の上、児童相談所から親権喪失を申し立て、あわせて親権者の職務停止の処分を受け、親権代行者の同意により輸血を行う”ことが定められ、実際に緊急輸血を必要とした幼児が病院、児童相談所、家庭裁判所の連携により救命された例がある[34][35]。

無輸血治療の選択

輸血拒否により多くの信者が死亡しているとの見解に対してエホバの証人側は、”複雑な外科的処置が無輸血で施されることは少なく”なく、”子どもを含め、輸血をしなかった患者の術後の経過は多くの場合、輸血をした人と変わらないか、それよりも良好で”あると回答している[証人 23]。Milligan & Bellamy (2004, pp. 36 & 39) は”イギリスでは輸血量を減らすための技術的経験が増加しつつあり”、輸血用血液の重大な不足が懸念される現状を踏まえると、”エホバの証人の患者への使用のために開発された多くの技術は、血液のストックを節約し輸血の必要性を減らすための努力において、来る数年のうちに標準的な実践となるだろう”としている。エホバの証人はこれを、”エホバの証人に対して用いるために開発された技術の多くは今後、標準的な手法となってゆくだろう”という形で引き、2010年のHeart, Lung and Circulation誌からの”“無輸血手術”は,エホバの証人に限るのではなく,通常の手術の際にも普通に用いるべきものである”との引用とともに、無輸血医療に対する否定的な見方は近年変わりつつあることの根拠として挙げている[証人 23]。エホバの証人は世界各国に約1700の「エホバの証人の医療機関連絡委員会」を設置しており、医療機関、司法関係者と連携している。信者が無輸血治療を必要としている場合は、連携している医療機関を紹介されることになる。また、ホスピタル・インフォメーション・サービス(内科・外科治療に関する情報を提供するための世界的なネットワーク)により、医学学会等への無輸血治療に関する情報提供を行っている。それには医学会議等での講演、ブースの設置、質疑応答などが含まれている[36]。

良心的兵役拒否

兵役を拒否する[証人 24]。徴兵制度の国々で軍隊から問題視されることがある。徴兵拒否でエホバの証人所属者らが投獄されたケースについて、エホバの証人は「信仰ゆえに投獄された」と主張している[証人 25]。

近年では、良心的兵役拒否が人権の一つとして認識されるようになってきたことから、社会奉仕活動への参加を義務付けることによって、兵役の義務の代替行為とする事例も増えている。

聖書

新世界訳聖書翻訳委員会により翻訳された新世界訳聖書を主に使用する。7000回以上の主に置き換えられていた神の名前の箇所を復元している。

かつてはキリスト教会と同様、一般に入手可能な聖書を使用していた。例えば、英語圏ではジェイムズ王欽定訳 (KJV) とアメリカ標準訳 (ASV) を、日本では舊新約聖書(日本聖書協会文語訳)(岩波書店版文語訳)などを使用していた。JW Libraryアプリでは、欽定訳聖書やアメリカ標準訳聖書を含め、283言語(2021年12月現在)の聖書をダウンロードできる。

主な解釈

キリストの磔刑について十字架の形状を否定し、「一本の杭(苦しみの杭)」であったとする[37]。
エホバの証人は失われた1世紀のクリスチャンの復興である。
キリストの使徒が死に絶えた後、初期キリスト教で背教が起こり、後にカトリックを始め多くの教派が生じた。背教したキリスト教会は悪魔の手先であり、偽りの宗教組織全体は黙示録に描かれた淫婦とする。
「血を避けるべき」という聖書の記述は、血液を食するだけでなく、体内に取り入れる行為(輸血も含む)を避けることも含まれる。
人は死ぬと存在しなくなる。死後の世界(不滅の魂、輪廻転生、地獄の火、その他の名称の異世界)は存在しない。
復活は「天への復活」(14万4千人)と「地上への復活」の2種類がある。
信仰を業により示す必要がある。その業の最高のものは布教活動である。

他教会の見解

キリスト教主流派が重要視する三位一体などの教義を否認していることから、カトリック・プロテスタント・正教会などから異教あるいは異端とされている。例として、以下が挙げられる。

全世界のカトリック教会を統率する組織であるローマ教皇庁は2008年の見解において、エホバの証人をカトリック教会に対して、サイエントロジー教会や旧統一教会(文鮮明)と同列の新宗教としている。

プロテスタント福音派の尾形守は著書において、エホバの証人などの異端とキリスト教の根本的な違いは「霊の違い」であり、異端は悪霊による惑わしの教えであるとする。

根拠として聖書の第一ヨハネ4:1-3、黙示録16:13、第一テモテ4:1を挙げている。「真理のみことば伝道協会」主宰のウィリアム・ウッド牧師も同様の見解を示している[4]。
アメリカ正教会は「正教会のキリスト教徒と異端者」という公式見解にて、エホバの証人を異端として取り上げている。

シェヌーダ3世 (コプト正教会アレクサンドリア総主教)は「異端・エホバの証人」という書籍を著している。

福音派の尾形守は、著書の見解においてエホバの証人は末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)・世界平和統一家庭連合(旧略称:統一教会)と共に「日本で顕著な活動をしている」とし、「三大異端」として取り上げている。またジャーナリストの伊藤正孝、作家の八木谷涼子も同3教団を「三大異端」と記している[38]。

『キリスト教大事典』1066頁(教文館、昭和63年8月10日 改訂新版第9版)では、エホバの証人は『いっさいの正統的教理と既成教会に反対(している)』と記されている[39]。

カルト・セクト指定

詳細は「政府の文書によってセクトと分類された団体一覧」を参照

いくつかの政府はカルトまたはセクトと分類しているケースがある。例として以下の政府・議会報告が挙げられる。

ベルギー議会調査委員会(1997) [40]
フランス国民議会委員会報告(1995)[41](フランス国家警察の情報機関総合情報局が、複数のカルト監視グループと編集)
フランス国民議会委員会報告(1999)[42](カルトと金銭に関するフランス議会報告、30数団体に注意を集中させ調査した)

裁判・法的規制
バーネット事件

米国ウェストバージニア州で、星条旗への忠誠の誓いを拒んだ信者が教育委員会を訴えた行政訴訟。第二次世界大戦中の1943年6月14日、米最高裁判所は「エホバの証人の子弟を放校する権利は教育委員会にはない」という判断を下し、信者の勝訴が確定した。
 
輸血拒否にかかる事案

詳細は「輸血拒否」を参照

1985年(昭和60年)6月6日、日本の小学生の男児(当時10歳)が神奈川県川崎市高津区で交通事故に遭い、両親が輸血拒否したことにより死亡したとされる事件では、男児の父親が新聞記者に「男児が病床で『生きたい』と語った」と証言したため(ただし現場を目撃した医療関係者は、これに否定的見解を示している)、「なぜ救うことができなかったのか」という批判がマスコミを中心として渦巻くことになった[43][44]。 その後1988年(昭和63年)、裁判所は「輸血をしても命は助からなかった」と判断、略式命令が下され児童の両親は無罪、運転手が業務上過失致死罪で起訴され罰金15万円の有罪となった(川崎簡略式 昭和63.8.20)。2000年(平成12年)2月19日には、エホバの証人輸血拒否事件について最高裁判所は「宗教上の理由で輸血を拒否する意思決定を行う権利は人格権の一内容として尊重される」と認め、「無断で輸血を行った医師と病院はこれを侵害した」として患者の遺族(患者は一審判決後に死去)に55万円の支払いを命じる判決を下した。 近年では、2023年(令和5年)2月27日「子供への輸血拒否は児童虐待にあたる可能性がある」とし、元信者などを支援する「エホバの証人問題支援弁護団」が厚生労働省へ情報提供を行った。

神戸高専剣道実技拒否事件
詳細は「神戸高専剣道実技拒否事件」を参照

神戸市立工業高等専門学校のエホバの証人の信者である学生が、「必須科目であった体育での剣道の科目を履行しなかったことで、退学または留年処分になったこと」の是非が争われたケースで、1996年(平成8年)3月8日、日本の最高裁判所は、学校側が主張する剣道の必須性を退け、「格闘技を拒否された場合の代替措置を用意しなかったことは、学校側の落ち度である」と指摘し、「退学または留年処分は不当である」との判決を下し、勝訴が確定した。

性的児童虐待に対する未通報問題

2012年6月13日、米国カリフォルニア州のアラメダ上級裁判所(一審裁判所)[45]で行われた裁判で、当協会は約800億円相当の協会の資産の凍結を命じられ、賠償金280万ドル(22億円)の40%を支払うように命じられた。判決によると、エホバの証人の男性信者が当時9歳だった少女に1年の間性的虐待を加えているという通報を知りながら、罪を立証するには2人ないし3人の証人が必要との教理(コリントの信徒二13:1)が結果的に警察へ通報を妨げることになり、長老たちが決定した組織的な隠蔽であり違法との判決に至った。その後、エホバの証人側は同州控訴裁判所(二審裁判所)に控訴の後、原告側と和解した[46]。なお同様の被害が、イギリスやオーストラリアで計1600人以上隠蔽されていたとの報告があり、国による調査や告訴が多数なされている[47][48][49][50][51]。

良心的兵役拒否への国家当局による処罰

兵役や国家に対する忠誠の拒否などで処罰された事例がある。

エホバの証人は「彼らはそのつるぎを打ちかえてすきとし、そのやりを打ちかえてかまとし、国は国にむかってつるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない」(イザヤ書2章4節)という聖書の記述に従っているためであるが、当該国の軍事当局から見れば従軍拒否などはあくまでも法令違反とされる場合がある。代表的な事例として、ナチス・ドイツにおいて兵役を拒否したためにより強制収容所に送致され多くが処刑された出来事などが挙げられる(「エホバの証人とホロコースト」参照)。

強制収容所で身に着けるよう要求された標章(通称パープルトライアングル)

2017年現在でも一部の国々で同様の事例が存在する[証人 26]。

韓国では、これまで良心的兵役拒否が認められていなかったため、兵役拒否は法に基づき処罰されてきた。この処罰を受けた人は、1954年から2018年まで約2万人に上った。その99.2%がエホバの証人の信徒とされる[52]。しかし、2018年11月1日、韓国の大法院(最高裁判所)は良心的兵役拒否が犯罪ではないとの判決を下し、合計65人のエホバの証人が釈放された。[証人 27]

ロシアでの活動禁止措置とヨーロッパ人権裁判所の判決

ロシアの法務省は、エホバの証人を「過激主義団体の一つである」と認定し、布教活動および集会を禁じる措置を行っている。エホバの証人が配布したある小冊子でロシア正教会の教理が「迷信で呪術的」であると作家レフ・トルストイの言葉を引用して主張している点を司法省が問題視したという[53]。法務省はこれに先立ち、同団体内での「過激主義的な行動」の兆候をつかんだと発表していた[54]。ロシア政府は「憎悪を煽り、市民の人間としての尊厳を軽んじている」と非難、訴状には「この団体は国家を尊重せず、あらゆる市民的な結びつきを弱らせ、国の安全を破壊する」と記されていた。エホバの証人側はロシア連邦最高裁判所に撤回を求める裁判を起こしたが、最高裁は法務省側の主張を支持し、2017年4月にエホバの証人によるロシア国内の活動を禁止した[証人 28]。この弾圧に対し、国際宗教自由委員会(USCIRF)の議長でイエズス会の司祭トーマス・J・リースは「ロシア政府の今回の措置は、同国内でのエホバの証人の法的存在を抹消することを目的としているようだ。USCIRFは、この平和的な宗教団体に対する弾圧を止めるよう、ロシア政府に要請する」[53]と声明を発表した。

ヨーロッパ人権裁判所は、ロシア当局が長年にわたってエホバの証人の崇拝の自由を不当に抑圧し、重大な人権侵害を犯してきたと判断している。この判決は,ロシア政府が2004年に無効にしたモスクワのエホバの証人の宗教組織を再登録し、多額の損害賠償を支払うようロシアに命じているが[55]、ロシアはこの判決に従っていない。

題材作品

小説

『説得―エホバの証人と輸血拒否事件』 - 1988年、大泉実成。1985年6月に神奈川県で実際にあった、出血多量で死んだ小学生の輸血拒否事件を基に、ある信者家族の信仰と生命の尊さを巡る葛藤を一人のルポライターが克明に綴ったノンフィクション小説[43]。1993年にTBSでドラマ化され話題になった。
『NHKにようこそ!』 - 2002年、滝本竜彦。ひきこもりの青年と、彼を立ち直らせようとする新興宗教の二世信者の少女を中心とした物語[56]。

ドラマ

『説得―エホバの証人と輸血拒否事件』 - 1993年、TBS。ビートたけし主演[44]、大谷直子・斉藤洋介他出演。

映画

『あかぼし』朴璐美主演。精神のバランスを崩し新興宗教にのめりこんでいく母親を、幼い息子の目を通して描く[57][58]。

書籍

船瀬俊介、内海聡 両著『血液の闇』((三五館 ISBN 978-4883206162、2014年)ーテレビドラマや小説の「説得」その他、昭和天皇崩御の際の輸血についても触れている。副題 輸血は受けてはいけない)。(船瀬俊介著(医療ジャーナリスト)、 内海 聡著(内科医、Tokyo DD Clinic院長) (2014年6月)

コミック

『よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話』いしいさや著。 - ヤングマガジンサード(講談社)にて2017年6月より連載開始した自伝漫画。いしいがツイッターで自主発表した8ページの本作が、わずか2日間で3万リツイートを超える大反響を呼んだ[59][60]。約半年後にあたる2017年12月20日にはKCデラックスより単行本第1巻(ISBN 978-4-06-510538-2)が発売されている。本書によれば、"この漫画は、作者自身の体験をもとに事実を再構成したもの"であり、主人公さやちゃんは少女時代のいしいであると思われる。帯の裏表紙側にはさやちゃんがエホバの証人の虐待を受ける場面が2カット引用されており、それぞれ衣服の一部または大部分を着けない状態で、衣料品のベルトでおしりを打たれる、友達のプレゼントであるかわいいお洋服の破棄を強いられるなどが描かれている。ただし、上記の記述にあるように日本基督教団の川島堅二は「こうした行為は「正統」とされる教会でも起こっているから、この団体固有の問題とは言えない」と指摘しており、個々の家庭の問題である部分もある。

『カルト宗教信じてました。 「エホバの証人2世」の私が25年間の信仰を捨てた理由』たもさん著。 - 10歳の時に母親に連れられてカルト宗教に入信。進学や夢、友人関係など、多くのものを宗教による制限のために諦めてきたが、結婚してやっと生まれたひとり息子が、「輸血」を必要とする病だったことをきっかけにカルト宗教への違和感を強め35歳の時に脱退。体験をコミックエッセイとして描いている。[32]

脚注・引用
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注釈

^ 2019年9月1日 - 2020年8月31日。エホバの証人の奉仕年度をアメリカの年度に合わせている為である。
^ 結婚してやっと生まれたひとり息子が輸血を必要とする病だったことをきっかけエホバの証人を脱退した元信者は、"エホバの証人は確かに子どもを殺していました。子どもの人権を侵害し、自由を奪い、教えに背くなら存在を否定し、輸血拒否で実際に命を……"と記している[32]。

出典

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エホバの証人の公式サイト・出版物など
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関連項目
ウィキメディア・コモンズには、エホバの証人に関連するカテゴリがあります。

ものみの塔聖書冊子協会
エホバの証人の組織構造
エホバの証人とホロコースト
レイモンド・フランズ
エホバの証人に関する論争
王国会館 (宗教施設)
原始キリスト教
新世界訳聖書
灯台社

表話編歴

新宗教
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外部リンク

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ドイツ北部ハンブルク、宗教施設で銃撃事件 7人死亡

ドイツ北部ハンブルク、宗教施設で銃撃事件 7人死亡
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR100DB0Q3A310C2000000/

『【ベルリン=南毅郎】ドイツ北部ハンブルクの宗教施設で9日夜(日本時間10日朝)、銃撃事件が発生した。独メディアによると、現場は宗教団体「エホバの証人」の施設で、少なくとも7人が死亡した。死者に容疑者が含まれている可能性がある。警察当局が犯行の動機などを調べている。

独メディアによると、事件は9日午後9時ごろに発生した。現場はハンブルク空港にほど近い地区。施設で集会を開催中に発砲事件が起きたとみられている。死傷者数はさらに増える恐れがある。

地元の警察当局は現場で容疑者の可能性がある死者を発見したとツイッターで明らかにした。協力した人物がいないかの確認も含めて、一帯の捜査を続けていると説明した。

ハンブルク市長もツイッターで、捜査当局が全力で背景の解明にあたっていると表明した。「犠牲者のご家族に深くお悔やみを申し上げる」と哀悼の意を示した。』

シリーズ「日本の仏教」 第5回:時代や社会状況によって変容した天台宗

シリーズ「日本の仏教」 第5回:時代や社会状況によって変容した天台宗
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/b09405/

 ※ 今日は、こんな所で…。

『平安時代以降、日本で「ブッダのまことの教え」として流布したのは、天台宗と真言宗という2種類の密教だった。第5回は、さまざまな状況に対する適応能力の高さから勢力を伸ばし、その後の日本仏教の基盤となった天台宗について解説する。

変化する可能性を持った天台宗の教え

9世紀(平安時代)以降、日本の仏教は、真言宗、天台宗という、異なる特性を持つ2種類の密教を中心にして展開していった。仏教史の立場から見れば、インドで最後に現れた密教が、日本では「ブッダのまことの教え」として最初に流布したのである。

これらのうち真言宗は、純然たる密教の教義をコアにしているため、その後の歴史の中でもほとんど変容することなく強固に教えを守り続けた。一方、天台宗は、根本的に異なるさまざまな仏教思想を、独自の論理によってつなぎ合わせ、その全体を密教的雰囲気で覆うことによって生み出された複合的思想であったため、時代や社会状況によってさまざまに変化する可能性を含んでいた。日本仏教の本質を理解するためには、この天台宗が後世に与えた影響をしっかり押さえておかねばならない。

京都の近郊、比叡山を拠点とする天台宗が、その後の日本仏教に与えた影響は非常に大きく、しかも多岐にわたる。それを3つの項目に分けて解説しよう。

出家の儀式を廃止:あいまいになった僧侶と俗人の区分

前回までの記事で紹介したように、日本仏教は初めから、サンガ(ブッダの教えに従って暮らす僧侶の自治組織)のない特殊な仏教として出発したが、それでも「出家するための儀式」は明確に定められていた。それは、鑑真が中国から持ってきた、仏教独自の法律集「律蔵」にのっとったもので、現在も全世界の仏教国で共通して執行されている儀式である。サンスクリット語では「ウパサンパダー」と呼び、漢字では「受戒」と訳す。

日本仏教の僧侶は一種の国家公務員であって、律蔵に基づいて運営されるサンガを持つことは許されなかった。しかし、律蔵の中のウパサンパダーだけはそのまま取り入れられ、僧侶と僧侶でない人を区別するための基準として用いられたのである。日本におけるウパサンパダーの位置づけは、国家公務員の認定試験のようなものであった。

国家権力直属の国家公務員認定試験であるなら、当然ながらそこには人数制限が課されることになる。ウパサンパダーを通過して正式な僧侶になることのできる人の数は、政府によって制限されていたのである。

日本の首都が平安遷都で奈良から京都へと移ってから10年ほど、9世初頭に京都近郊の比叡山を拠点とする新興勢力として出発した天台宗にとって、この「人数制限」はやっかいな問題であった。なぜならそれは、奈良を中心とした旧来の仏教・南都六宗にとって有利な既得権だったからである。

この障害を排除するため、天台宗は「ウパサンパダーを通過しなくても、人はそれぞれの心がけだけで出家することができる」といった新たな基準を設定した。そして天台宗の勢力が拡大するにつれて、この潮流はほぼすべての仏教界に浸透していった。天台宗のライバルであった真言宗でさえ、やがてこの流れを受け入れるようになった。ウパサンパダーが国家権力と結びついた儀式であった日本仏教にとって、ウパサンパダーの縛りから逃れることが、自由な宗教活動への必須要件だと考えられたのである。

しかし「ウパサンパダーの放棄」は、別の見方をすれば「誰もが勝手な方法で僧侶としての身分を手に入れることができる」ことでもある。そのため日本仏教は、出家した僧侶と、一般社会で暮らす俗人との間に明確な区分基準がなくなってしまった。

現在でも、出家のための儀式は宗派ごとにばらばらで、律蔵に基づいたウパサンパダーを、出家の儀式としている宗派はほとんどない。他の仏教国から見て、ウパサンパダーを通過していない人が僧侶として認定される日本仏教の状況は、極めて奇異に見えるが、そこにはこういう歴史的背景があるのである。
あるがままでよい:矛盾を受け入れる徹底した現状肯定

天台宗の思想は、釈迦牟尼(しゃかむに)以来の仏教の長い歴史の中で生み出されてきた無数の教えを全て包括しようとするものである。もともと起源が異なる複数の思想を一つにまとめようとするのであるから、当然ながらそこには多くの矛盾が生じてくる。それでもそれを「一つの教義」として承認するためには、「矛盾は矛盾のままで置いておくのが正しい」という理論が必須となる。

こうして天台宗では、徹底した現実肯定の姿勢が主流となり「現前の状態が、そのまま悟りの状態である」「煩悩がそのまま悟りである」「有機物、無機物を問わず、この世のあらゆる存在はブッダとなる要素を含んでいる」といった、特異な思想を最澄(767〜822)の弟子たちは主張するようになった。

これは、「修行によって煩悩を除去した時に初めて我々は悟りの境地に到達することができる」とした釈迦本来の教えからははるかに隔たった思考である。しかし、日本古来のアミニズムと親近性が高く、また、「全宇宙が神秘的エネルギーの現れであって、個々人がその宇宙エネルギーと合体していることを自覚するのが悟りだ」という密教本来の思想ともさほど違和感なく合致するものであった。

そのため、このような天台宗独自の極端な現実肯定思想もまた、ウパサンパダーの放棄と同じく、天台宗の勢力拡大とともに、日本仏教界全域に広がっていった。この、「あるがままでよい」という教えは、現代の日本仏教界においても広く流布しており、日本人の思考形成にも大きな力を及ぼしている。

極端な肉体的修練:ブッダの世界に近づくためのハードル

さまざまな仏教思想の複合体である天台宗において、「出家した僧侶は、どのような修行をすれば悟りを開くことができるのか」といった問題に明確に答えることはできない。しかしその一方で、全体を密教的雰囲気で覆っている以上、「ある特定のハードルを越えた人だけがブッダの世界に属するのであり、それ以外の者は、そうしたブッダの世界に属する特定の人の力にすがって幸福を願わねばならない」という密教独自の階層構造を設定せざるを得ない。密教経典だけをベースにした修行方法では「仏教思想の複合体」としての天台宗の独自性を示すことはできず、かといって、「仏教思想の複合体」であることを重視すると具体的な修行方法が定まらないのである。そのため天台宗では,自分たち独自の修行方法を新たに創設した。

その修行は、修行者がブッダの世界に近づいたことを、目に見える形で示すものでなければならない。そのため、「常人では越えることができないが、ごくまれに越えることのできる人が現れる」といったレベルの厳しさで設定される必要があった。この要請に応じて、天台宗では達成困難なさまざまな修行方法が案出され、それを通過した人は、ブッダの世界に近づいた聖人として、一般信者から大いにあがめられた。このような極端な肉体的修練は、前述した極端な現実肯定、すなわち「あるがままでよい」という思考とは正反対の立場にあるが、そういった矛盾もまた、より高次の現実肯定によって解消されると考えた。いかなる論理矛盾も「あるがままでよい」といった包括的肯定論によって説明可能になると言うのである。

このように複合的で、かつ変容性の高い天台宗が、当時の首都であった京都において勢力を伸ばしたことにより、この宗派を基点としてさまざまな仏教思想が生み出されていくことになる。この点から見て、良しあしは別としても、天台宗を日本仏教の基盤と考えることは間違いではない。次回は、二大密教で成り立っていた日本仏教が、さまざまに分岐していく様を語る。

バナー画像=比叡山延暦寺の総本堂である根本中堂(PIXTA)

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中国 歴史 宗教 仏教 空海 最澄 密教 シリーズ日本の仏教

佐々木 閑SASAKI Shizuka経歴・執筆一覧を見る

花園大学文学部特任教授。1956年福井県生まれ。京都大学工学部工業化学科・文学部哲学科を卒業。同大学院文学研究科博士課程満期退学。博士(文学)。カリフォルニア大学留学を経て花園大学教授に。定年退職後、現職。専門はインド仏教学。日本印度学仏教学会賞、鈴木学術財団特別賞受賞。著書に『出家とはなにか』(大蔵出版、1999年)、『インド仏教変移論』(同、2000年)、『犀の角たち』(同、2006年)、『般若心経』(NHK出版、2014年)、『大乗仏教』(同、2019年)、『仏教は宇宙をどう見たか』(化学同人、2021年)など。YouTubeチャンネルShizuka Sasakiで仏教解説の動画を配信中。』

パキスタン政府のメディア規制部局は、2月6日から「ウィキペディア」をブロックした。

パキスタン政府のメディア規制部局は、2月6日から「ウィキペディア」をブロックした。
https://st2019.site/?p=20856

『MUNIR AHMED 記者による2023-2-6記事「Pakistan blocks Wikipedia, says it hurts Muslim sentiments」。

   パキスタン政府のメディア規制部局は、2月6日から「ウィキペディア」をブロックした。すなわち同国内からは閲覧できなくした。禁止の理由は、イスラム感情を傷つけるからだと。

 パキスタンには宗教不敬法という国内法があり、イスラム教を冒涜すると最高刑は死刑になる。

 ※雑報によると、ロシア政府は2-28から「ユーチューブ」をブロックすると宣言している。』

シリーズ「日本の仏教」第4回:権力と結びついた日本の密教

シリーズ「日本の仏教」
第4回:権力と結びついた日本の密教
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/b09404/

 ※ 今日は、こんな所で…。

『佐々木 閑SASAKI Shizuka経歴・執筆一覧を見る

花園大学文学部特任教授。1956年福井県生まれ。京都大学工学部工業化学科・文学部哲学科を卒業。同大学院文学研究科博士課程満期退学。博士(文学)。カリフォルニア大学留学を経て花園大学教授に。定年退職後、現職。専門はインド仏教学。日本印度学仏教学会賞、鈴木学術財団特別賞受賞。著書に『出家とはなにか』(大蔵出版、1999年)、『インド仏教変移論』(同、2000年)、『犀の角たち』(同、2006年)、『般若心経』(NHK出版、2014年)、『大乗仏教』(同、2019年)、『仏教は宇宙をどう見たか』(化学同人、2021年)など。YouTubeチャンネルShizuka Sasakiで仏教解説の動画を配信中。』

『8世紀末から9世紀初頭、中国から日本に密教がもたらされた。それ以降、天台宗と真言宗の二大密教が貴族社会の権力構造の下で対立しながら併存していくことになる。第4回は、日本の密教について解説する。』

『仏教全体を統合する思想体系の欠如

8世紀中頃(奈良時代)、日本は仏像、経典、修行のための組織であるサンガという三要素、すなわち仏法僧(ぶっぽうそう)を形式上導入することに成功し、正式な仏教国になった。しかしそれは、釈迦牟尼(しゃかむに)が創成した本来の仏教が日本に取り入れられたという意味ではない。大乗仏教で生み出された多くのブッダたちは、日本の在来の神々と同じような神秘的呪力(じゅりょく)を持った崇拝の対象であり、僧侶はそういったブッダたちの威力を引き出すための呪術儀礼執行者として重んじられていたのである。そこには、自己の煩悩を断ちきるために、サンガの中で修行に励む本来の僧侶の姿は見られない。

奈良の朝廷は、国家鎮護に効力を発揮する、仏教の呪術的な力を広く世にアピールするために、学問の場を設け、僧侶たちに仏教を学ばせた。そこでは、さまざまな仏教哲学や戒律などが6分野の宗派に分けてそれぞれ個別に教授され、それらの難解な教義を学ぶことが、僧侶としての特殊能力を保持する証しになると考えられたのである。6分野とは三論(さんろん)、成実(じょうじつ)、法相(ほっそう)、倶舎(くしゃ)、華厳(けごん)、律であり,後にこれらは「南都六宗」と総称されるようになった。

しかしそれらはあくまで国家が認定する資格取得カリキュラムのようなものであって,仏教全体を包括的に理解できるような総合的教育システムではなかった。この時期日本には,仏教全体を俯瞰(ふかん)し,その全体を一挙に把握できるような思想体系は存在していなかったのである。

法華経(ほけきょう)を頂点にあらゆる経典を階層化

このような状況が続く中、8世紀末から9世紀初頭、日本の首都が奈良から京都へと移ったちょうどその時期、仏教の核心を表す(と当時受け取られた)2種類の仏教思想が同時に中国から日本にもたらされた。1つは最澄(767〜822)が持ち帰った天台宗の教え、もう1つは空海(774〜835)が持ち帰った真言宗の教えである。この2種類の教えが、その後の日本仏教の基盤となる。

天台宗は中国で生まれた、当時最先端の宗派である。紀元後1世紀以来、インドから次々と中国にもたらされた多種多様な仏教思想を全て受け入れながら、それらの間に複雑な論理的関係性を設定して、広大な仏教世界を一括して理解しようとする宗派である。もちろんそういった多様な仏教思想は本来、インドで異なる時代に異なる人々が個別に生み出してきたものであるから、1つに統括すべきものではない。しかし天台宗はそれらを、さまざまな理論を駆使して1つにまとめようとするのである。そしてその頂点に『法華経』を置く。すなわち天台宗は、『法華経』を最上位に置き、あらゆる経典を階層的に位置づける作業によって生み出された中国独自の宗派なのである。

最澄によってこの宗派が本格的に紹介されると、日本の仏教界はこれを大いに歓迎した。今まで断片的にしか見えていなかった仏教が、1つの体系として理解できるようになったからである。

最高位の思想としての魅力

ところがその直後、空海によって真言宗の教えがもたらされた。これは天台宗のような異なる教えの集積ではなく、インドにおける仏教の変遷過程の最終段階として現れた、「密教」と呼ばれる単一の教えであった。「先に存在している思想を踏まえた上で、それを包含する、より上位の思想を案出する」という活動の繰り返しによって発展してきた仏教史の、最終段階として生み出された密教は、それまでのあらゆる仏教思想の頂点に立つべき、最高位の神秘力を持つ仏教だという自負を持っていた。

外部に救済者のいないこの世界で、自己の努力によって自己改革を目指した釈迦の教えは、その後の大乗仏教において次第に神秘性を帯びるようになり、最終段階の密教において、「宇宙的エネルギーとのつながりを自覚し、それと一体化することで仏陀になる」という、ほぼヒンズー教の教えと変わらないところにまで変貌したのである。この密教の奥義は、特定の限られた人にだけ伝授される神秘主義的な教えであり、宇宙エネルギーとの一体化の体験も、言葉で広く伝えることはできないとされた。

空海はそうした密教を、確固とした一つの体系として丸ごと日本に持ち帰ってきた。仏教を神秘的な呪術宗教として取り入れていた日本の仏教界にとって、空海の密教は最も深淵(しんえん)で効力のあるものであり、さまざまな教えを理論的につないで一体化して見せる天台宗よりも、強固で、揺るぎないものに見えた。最澄の弟子たちもそのことは十分理解していたので、自分たち天台宗の教義にも、最新の密教の教えを上乗せして、全体を密教的な色合いで覆っていったのである。

こうして日本には、異なる教えの集合体を密教的感覚で薄く覆った天台宗と、仏教史の最終段階としての密教をそのまま単一で伝える真言宗の、2つの異なる密教が並び立つことになったのである。

宗祖 総本山 教え

天台宗
最澄 比叡山延暦寺(京都市・滋賀県大津市) 法華経を最高位に置き、あらゆる経典を階層的に位置づける

真言宗
空海 高野山金剛峯寺(和歌山県) 仏教の変遷過程の最終段階。宇宙的エネルギーとのつながりを自覚
崇高な少数と一般大衆の二極構造

ここで注意しておかねばならないのは、この時代の日本人に「仏教思想は時代とともに変容してきた」という認識はなかったという点である。中国から伝えられる仏教経典は全てブッダの言葉であるから、その全てが正統なる仏教の教えであることは間違いないのだが、しかしそこには深浅の違いがあると日本人は考えた。「どれもブッダの言葉ではあるが、その中で本当にブッダがわれわれに言いたかったのはどれか」との問いに対して、天台宗は(密教的に解釈した)『法華経』であると言い、真言宗は『大日経』や『金剛頂経(こんごうちょうぎょう)』などの密教経典そのものであると言ったのである。「長い仏教史の最終段階で現れた、最も新しい思想が密教だ」などという歴史的視点がなかったことはくれぐれも留意しておく必要がある。

密教が持つ特徴の一つは「権威重視の傾向」である。誰もが根源的宇宙エネルギーとの一体化によってブッダになることができるとは言っても、その「根源的宇宙エネルギーとの一体化」は、特殊な資質を持つ者や、人並み外れた修行を積んだ者だけに許される特別な活動であった。それゆえ一般民衆は、その特別な人たちにお願いして、現世的な利益(りやく)を与えてもらわねばならない。密教によれば、この世には「生き仏」とも言うべき崇高な少数の人たち=宇宙エネルギーとの一体化を果たした修行者と、その崇高な人たちにお願いして幸福を与えてもらう一般民衆の2種類の人間がいるという、階層構造の上に成り立っているのである。この独特の構造は、宗教的身分制(カースト制)を認めるヒンズー教の影響を受けて成立したことからすると当然のことである。

その後に多様化する日本の仏教宗派も、皆多かれ少なかれ、密教の持つこうした特殊な様相の影響を受けていく。そのためどの宗派も、「特別な資質、資格を持つ人(あるいはそういう人たちの系譜)」と、「そういった人たちからの利益を期待して信奉する一般人」といった構造を含むようになった。第2次世界大戦中、日本の仏教諸派がこぞって天皇にブッダと同等の権威を認め、戦争遂行に協力した事実は、そういった仏教観が表現された典型的な例である。

貴族社会を支えた二大密教

8世紀以降、日本の仏教界は、天台宗と真言宗の2派を中心にして動いていく。どちらも権威性を重んじるという特性を持っていたので、当然ながら天皇を中心とした国家権力とのつながりに重点を置いた。言ってみれば、天台宗と真言宗が、天皇を引き込むための綱引きを続けたのである。その際,旧来の奈良仏教の多くは,京都に拠点を置く天台宗が奈良の仏教を軽視したことに反発して、真言宗側についた。

こうして日本の仏教は、天台宗と真言宗の二大密教が、天皇を中心とした貴族制社会の権力構造の下で対立しながら併存する状況になった。この段階の仏教の要点は以下のとおり。

律蔵にもとづいて運営されるサンガは存在せず、僧侶の生活を厳密に規定する規則は存在しなかった。これは現代に至るまで続いている特性である。
思想的には大乗仏教を継承しているが、特別な資質、資格を持つ人(あるいはそういう人たちの系譜)と、そうでない一般人との間に差別を認める、密教の構造が基本となっていた。
権力との結びつきを指向した。

300年間はこうした状況が続くが、その後、権力基盤が貴族から武士、あるいは一般民衆へと移り変わるのにつれて、この構造も次第に変化し、多様な仏教世界が生み出されていくことになる。それは次回以降に述べることにする。

バナー画像=空海の銅像(PIXTA) 』

このシリーズの他の記事

第1回:目覚めた人ブッダの誕生
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/b09401/

第2回:大乗仏教の登場
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/b09402/

第3回:国家運営の任務を帯びた日本の初期仏教
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/b09403/

金峯山(※ きんぷせん)寺について

金峯山(※ きんぷせん)寺について
https://www.kinpusen.or.jp/about/

『吉野山から山上ヶ岳にかけての一帯は、古くから金の御岳(かねのみたけ)、金峯山(きんぷせん)と称され、古代から世に広く知られた聖域とされました。

白鳳時代に役行者が金峯山の山頂にあたる山上ヶ岳で、一千日間の参籠修行された結果、金剛蔵王大権現を感得せられ、修験道のご本尊とされました。

役行者は、そのお姿をヤマザクラの木に刻まれて、山上ヶ岳の頂上と山下にあたる吉野山にお祀りしたことが金峯山寺の開創と伝えられています。

以来、金峯山寺は、皇族貴族から一般民衆に至るまでの数多の人々から崇敬をうけ、修験道の根本道場として大いに栄えることとなりました。

明治初年の神仏分離廃仏毀釈の大法難によって、一時期、廃寺の憂き目を見たこともありましたが、篤い信仰に支えられ、仏寺に復興して、現在では金峯山修験本宗の総本山として全国の修験者・山伏が集う修験道の中心寺院となっています。』

司教任命権で合意再延長 バチカンと中国、協調継続

司教任命権で合意再延長 バチカンと中国、協調継続
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB223AR0S2A021C2000000/

『【ローマ=共同】キリスト教カトリックの総本山バチカン(ローマ教皇庁)は22日、司教任命権を巡る中国との暫定合意を2年間延長すると発表した。国交のない両国は長年対立してきたが、2018年に暫定合意を結び歴史的和解を果たした。延長は20年に続き2度目。本合意への切り替えは見送ったが、引き続き協調することを決めた。

暫定合意の詳細な内容は明らかでないが、バチカン公式メディアなどによると暫定合意が発効して以降の4年間で、中国では双方の同意の下、6人の司教が新たに任命された。暫定合意を結ぶまで、中国は国内の司教を独自に任命し、司教任命権はバチカン元首のローマ教皇にあるとするバチカンと対立していた。

教皇フランシスコは早々に暫定合意延長の意向を示し、今年9月には改めて「中国に行く用意は常にある」と発言するなど歩み寄りの姿勢を鮮明にしていた。暫定合意は今月22日が期限だった。

バチカンは欧州で唯一、台湾と外交関係を持つが、近年は中国に接近。国交樹立となれば台湾との断交を迫られるのは必至で、台湾は警戒を強めている。』


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AC%B2

『欲(よく、慾、希: ἐπιθυμία, 羅: cupio, 英: desire)とは、何かを欲しいと思う心[1]。欲望、欲求などともいう。

人間(ヒト)、動物が、それを満たすために何らかの行動・手段を取りたいと思わせ、それが満たされたときには快を感じる感覚のことである。生理的(本能的)なレベルのものから、社会的・愛他的な高次なものまで含まれる。心の働きや行動を決定する際に重要な役割をもつと考えられている。

仏教などでいう「欲」は、概ね生理的(本能的)なレベルのものを指しており、精神にとって心をよくしていくもの、愛情を育てるもの、抑制するべきものとして説かれている。 』

『欲求段階説

マズローの提唱する、欲求の階層をピラミッドで表現し原始的欲求に近づくほど底辺に書いた図。

アブラハム・マズローは「欲求階層論」を唱えた。

これは、人間は、ある欲求が満たされると、より高次の欲求を満たそうとする、とするものである。

人間の欲求は、「生理的欲求」「安全への欲求」「社会的欲求」「自我欲求」「自己実現欲求」の、低次元から高次元までの、5つの階層をなしている、とし、低次元の欲求が満たされて初めて高次元の欲求へと移行する、とした。

また、生理的欲求や安全への欲求を「欠乏欲求」と呼び、自己実現を求める欲求は「成長欲求」と呼んだ。

欲求を低次なものと、より高次なものに分類した。いずれにせよ、欲求が満たされると脳内で「報酬系」が活動し快の感覚を感じる。不快を感じさせないようにする。
詳細は「自己実現理論」を参照

生理的・本能的な欲求

生物が生命を維持し子孫を残すために必要な欲求である。外界からの刺激や体内の状態に直接結びついた、短期的な欲求である。

主に身体内部の情報に基づいた欲求

呼吸:呼吸中枢が血中のO2濃度低下を感知すると、呼吸回数を変えたり気道を通じさせようとしたり、別の場所に移動したりしたくなるような欲求が生じる。

食欲:視床下部の血糖値センサーが血糖値低下を感知すると、個体に「空腹感」を感じさせ、摂食行動を促す。

飲水:視床下部の浸透圧センサーが、血清の濃度上昇を感知すると、個体に「口渇感」を感じさせ、飲水行動を促す。

排便・排尿:大腸や膀胱からの情報により、排泄したいという欲求が生じる。

睡眠欲

体温調整:体温調整中枢にて設定された温度と比較して、体温が上昇/下降した場合、涼しい/暖かい場所に移動したいと感じたり、汗をかかせたり、筋の振戦を起こさせたりして体温を調整する。

性欲:性的パートナーを見つけ、性行為を行いたいと感じる性的欲求。

主に身体の外部からの情報に基づいた欲求

逃避:不安や危機を感じた場合に逃げ出したいという欲求を生じる。

闘争:逆に、戦うことで生存しようとする欲求。

困難な状況になると、宗教に関わらず祈りや念仏等を唱えてしまう行為(「あーっ、神様、仏様、ご先祖様、キリスト様…」)等、対象がはっきりしていなくても、助けを求め、すがりたくなる感情を、生存への欲(生存欲)の一部としてとらえ、その中で、最も認知されず、研究されてもいない欲として、祈り欲という単語を提唱する人もいる。

心理・社会的な欲求

ヒトは群居性の動物であり、また高度な思考力を持つために、社会的に認められたい、知識を満足させたい、他者を満足させたい、というより高次な欲求がある。

また、欲求の内容は、後天的に身につくものであり、社会や文化の影響が大きいという特徴が見られる。

マレー(Murray)の質問紙検査・臨床心理検査・面接調査を行った調査によれば以下のような欲求が多くの人間に認められる。[2]

獲得:財物を得ようとする欲求。

保存:財物を収集し、修理し、補完する欲求。

秩序:整理整頓、系統化、片付けを行う欲求。

保持:財物を持ち続ける、貯蔵する、消費を最小化する欲求。

構成:組織化し、構築する欲求。

優越:優位に立つ欲求。達成と承認の合成。

達成:困難を効果的・効率的・速やかに成し遂げる欲求。

承認:賞賛されたい、尊敬を得たい、社会的に認められたい欲求。

顕示:自己演出・扇動を行う、はらはらさせる欲求。

保身:社会的な評判・自尊心を維持する欲求。

劣等感の回避:屈辱・嘲笑・非難を回避する欲求。

防衛:非難・軽視から自己を守る、また自己正当化を行う欲求。

反発:二度目の困難に対して再び努力し、克服・報復する欲求。

支配:他人を統率する欲求。

恭順:進んで他人(優越な人間)に積極的に従う欲求。

模倣:他人の行動やあり方を真似する欲求。

自律:他人の影響・支配に抵抗し、独立する欲求。

対立:他人と異なる行動・反対の行動をとる欲求。

攻撃:他人に対して軽視・嘲笑・傷害・攻撃する欲求。

屈従:罪悪の承服・自己卑下の欲求。

非難の回避:処罰・非難を恐れて法・規範に進んで従う欲求。

親和:他人と仲良くなる欲求。

拒絶:他人を差別・無視・排斥する欲求。

養護:他人を守り、助ける欲求。

救援:他人に同情を求め、依存する欲求。

遊戯:娯楽などで楽しみ、緊張を解す欲求。

求知:好奇心を満たす欲求。

解明:事柄を解釈・説明・講釈する欲求。

知識・名誉・地位等を得ることによる満足感や他者から認知されたいといった欲求、ストレス発散行為を欲する動き、より美味しいもの・より良いものを求める動き、見栄・所有欲等がある。

子供の養育は、生殖欲求の一種でもあるが、ヒトの場合は「思いやりのある子に育って欲しい」など、高次な欲求にも基づいている。

ただし人間の欲求は非常に複雑な相互作用が起こるために単純に上記の欲求に行動を還元することはできない。

生理的な欲求が満たされれば、高次な欲求の方が、行動や心の動きを決める上で重要となってくると考えられる。

適応機制

発生した欲求を解消するために起こす行動(適応機制,Adjustment Mechanism)は、下記のように分類することができる。

欲求と適応機制

葛藤

接近と接近 - ラーメンも食べたいけど、ハンバーグも食べたい。

回避と回避 - 塾にいくのは嫌だし、かといって家に帰っても親に叱られる。

接近と回避 - 試験に受かりたいけど、勉強はしたくない。

障壁

物理的障壁(天候・時間・距離など) 例 - 運動したいが、外が雨でできない。

社会的障壁(法律・評判・習慣など) 例 - バイクに乗りたいが、まだ16歳以上でないので免許が取得できない。

個人的障壁(能力・容姿・思想など) 例 - 試合に出たいが、それだけの能力がない。
経済的障壁(お金・物資など)     例 - ブランド品を買いたいが、お金がない。

脳科学と欲 

科学的根拠については十分とは言えないものの、欲求を脳科学の見地から解明する研究も進められていて、低次な欲求ほど主に大脳辺縁系などの旧皮質の影響を受け、高次な欲求ほど主に前頭連合野などの新皮質の影響を受けやすいとされている。主な欲求を分類すると以下のようになる。

生理的欲求

安全安心の欲求

愛情や所属の欲求(集団欲・序列欲)

人から認められたいといった欲求

理想とする自分になりたいという自己実現の欲求

これらの多様な欲求を段階的・並行的に過不足なく(場合によっては適度な過不足状態を前提にしつつ)満たしていくことが心身の健康を維持する上では、大切である。

こういった欲求レベルには、個人差がありその基本的な欲求が強いほどそれに相応した理性的能力(大脳新皮質の前頭連合野など)も発達しやすい傾向があり、また向上心や進歩の原動力となりうるものでもある。

低次の欲求をコントロールしたりする理性に関わる前頭連合野は、最初は空っぽのハードウェアのようなものであり、しつけ・社会のルール・教育などの後天的な学習作用によって脳神経細胞(ニューロン)のネットワークを形成し理性的コントロール能力をつけていく。

また、より低次元な欲求が上手く満たされずに過剰な欲求不満状態(ストレス)となった場合に、前頭連合野における理性的コントロール能力を超えてしまい、神経症や犯罪・いじめ等の問題行動を引き起こしやすい状態となることも知られている。

哲学における欲望

「人間の欲望は他者の欲望である」(ジャック・ラカン、『精神分析の四基本概念』)
「他者が欲望するものを欲望する」(ルネ・ジラール、『欲望の現象学』)

社会と欲

社会的には、過剰な欲は犯罪の要因となることから制度を設けて制限を加えているが、経済活動の需要を喚起する必要から適度な欲を必要としている。

宗教において

仏教

比丘たちよ、この舟から水を汲み出せ。
汝が水を汲み出したならば、舟足軽やかに進むであろう。
このように貪欲と瞋恚とを断ったならば、汝は涅槃に達するだろう。
パーリ仏典, ダンマパダ, 369, Sri Lanka Tripitaka Project

海水は飲めば飲むほど喉が渇く。[3]

パーリ語において「欲」を意味する言葉には複数存在する[4]。

ローバ(lobha)、ラーガ(rāga) :貪 [4]
カーマ (Kāma) [4]
タンハー (Taṇhā) : トリシュナー [4]
ラティ (rati) [4]

仏教では、眼・耳・鼻・舌・身・意(げん・に・び・ぜつ・しん・い)の六根から欲を生ずるとする[5]。

また三界(無色界・色界・欲界)といい、このようなさまざまな欲へ執着している者が住む世界として欲界(よくかい)があり、現実世界の人間や天部の一部の神々などがこの欲界に含まれる存在であるとする。

仏教では、欲そのものは人間に本能的に具わっているものとして、諸悪の根源とは捉えないが、無欲を善として推奨し、修行や諸活動を通じて無欲に近づくことを求めており[3]、自制ではなく欲からの解放を求めている。

原始仏教では、出家者は少欲知足(しょうよくちそく)といい、わずかな物で満足することを基本とした [6]。南方に伝わった上座部仏教は、この少欲知足を基本とする[6]。

なお唯識仏教では、欲は別境(べつきょう、すべて心の状況に応じて起こすもの)で、そのはたらきに善・悪・無記(善と悪のどちらでもない)という3つの性(三性)を求めるとする。

善欲は精進して仏道を求める心であり、悪欲は貪(とん、むさぼり)として根本的に具わっている煩悩の1つとする。

しかし、大乗仏教の思想が発展すると、人間我・自我という欲に対し、如来我・仏性を得るという(つまり成仏すること)という大欲(たいよく)を持つことが重要視されるようになり、煩悩や欲があるからこそ菩提も生まれるという、煩悩即菩提という考えが形成された。したがって大乗仏教の中には欲そのものを全否定せず、一部肯定する考えもある。
少欲知足

「吾れ唯だ足ることを知る」(知足)

少欲之人無求無欲則無此患。 (中略) 有少欲者則有涅槃。是名少欲
(中略) 若欲脱諸苦惱。當觀知足。知足之法即是富樂安隱之處。

少欲の人は求むること無く、欲無ければ、すなわちこのうれい無し。 (中略) 少欲ある者はすなわち涅槃あり、これを少欲と名づく。
(中略) もし諸々の苦悩を脱せんと欲すれば、まさに知足を観ずべし。知足の法は、すなわち是れ富楽安穏の処なり。
—  大正新脩大蔵経, 涅槃部, 仏垂般涅槃略説教誡経[7] 

小欲(Appicchatā)はパーリ語で「ニーズが少ない」との意であり、転じて必要十分な量であることをさす[6]。知足(Santuṭṭhi)はパーリ語で「喜んでいる」との意であり、転じて満足から得られた喜びをさす[6]。』

アルメニア使徒教会

アルメニア使徒教会
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%82%A2%E4%BD%BF%E5%BE%92%E6%95%99%E4%BC%9A

『アルメニア使徒教会(アルメニアしときょうかい、アルメニア語: Հայ Առաքելական Եկեղեցի, ラテン文字転写: Hay Aṙak’elakan Yekeghetsi, 英語: Armenian Apostolic Church)は、アルメニア、ならびに世界各地にあるアルメニア人コミュニティで信仰されているキリスト教・非カルケドン派正教会に分類される教会。約500万人の信者を擁する。「使徒教会」という名は、伝承に十二使徒がアルメニアにキリスト教を伝えたとあることに由来する。アルメニア正教会(Armenian Orthodox Church)、あるいは単にアルメニア教会とも呼ばれる。なお、東方典礼カトリック教会であるアルメニア典礼カトリック教会(英語版)とは別組織である。

アルメニア使徒教会の長はカトリコスと呼ばれ、現在では他教会の総主教に相当する。現在の全アルメニアのカトリコスはガレギン2世。エレバンの西郊のエチミアジンにカトリコス座・エチミアジン大聖堂(英語版)がある。次席のカトリコスとしてキリキアのカトリコス・アラム1世がいる。また、イスラエル・パレスチナを中心とした中東を管轄するアルメニア・エルサレム総主教庁、およびトルコ共和国内を管轄するアルメニア・コンスタンティノープル総主教庁(英語版)が、正教会(ギリシャ正教)の総主教庁と並立する形で存在する。 』

『歴史

ガルニ(Garni)にある初期アルメニア使徒教会の聖堂。

アルメニアにキリスト教がもたらされ、浸透した歴史は非常に古い。301年、アルメニア王国が世界に先駆けてキリスト教を初めて公認し、キリスト教を国教と定めている。これは313年のミラノ勅令よりもさらに10年以上前の出来事であった。伝承によれば、イエス・キリストの使徒タダイとバルトロマイ両人により、アルメニアに初めてキリスト教がもたらされたとされるが、現存するアルメニアのキリスト教に関する最古の記述は、それから200年後の2世紀以降からである。3世紀末から4世紀前半に活動した啓蒙者グレゴリオス(英語版)はアルメニア王ティリダテス3世に洗礼を授け、ヴァガルシャパト(現在のエチミアジン)に教会を建てた。これが現在のアルメニア使徒教会カトリコス座である。
イラン北西部西アーザルバーイジャーン州カラ・ケリーサ(Qara kelisa)にあるアルメニア使徒教会の聖タデウス修道院。

5世紀にはメスロプによりアルメニア語のためのアルファベット(アルメニア文字)が作られ、新約聖書と箴言の翻訳が行われた。また、ギリシア語とシリア語が混在していた典礼用語も整理され、ビザンティン典礼の影響下に典礼が整備された。教会組織が整備され、教会の長にカトリコスの名称が使われるようになったのもこの時代である(元来は世俗における「高位の財政事務官」の称号)。しかし当時のアルメニアは、地理的に東ローマ帝国とサーサーン朝ペルシアという2大勢力のちょうど緩衝地帯に位置していたため、両勢力の狭間の中、隣国からの分割を2度にわたり余儀なくされた。そして428年、王制の廃止とともに滅亡した。

国としての自立を失ったアルメニアであったが、その後もキリスト教信仰を拠り所として、ゾロアスター教を信奉するペルシア側の過酷なキリスト教弾圧に対してたびたび抵抗した。451年のカルケドン公会議の際も、アルメニアでは宗教弾圧に対するペルシア側への大規模な叛乱が発生しており、アルメニアは代表を公会議に出席させるだけの余力を持っていない状況であった。そして506年、アルメニア使徒教会の全主教を招集した会議が開催され、カルケドン信条を採択しないことが決定した。[1]これが、カトリック、東方正教会などとは別にアルメニア独自の教派として発展する契機となった。なお、この叛乱によりアルメニア人キリスト教徒は宗教的自由をペルシア側に認めさせることに成功している。

7世紀に入ると、新興勢力であるイスラム帝国が台頭し、サーサーン朝が滅亡する。これにより、アルメニアも一時その勢力下に置かれるが、次第に自立を強め、9世紀末には独立を達成する。一方、この頃東ローマ帝国からの度重なる宗教的統合の要求があったにもかかわらず、アルメニアは独自の宗派であるアルメニア使徒教会の信仰を貫いた。これにより、隣国東ローマ帝国とその国教である東方正教会からの離別は決定的となった。

11世紀末、アルメニアはセルジューク朝支配下に入り、このとき東アルメニアから小アジアのキリキアに多くのアルメニア人が移住した。このことはアルメニア人にとって故郷からの離散をもたらす一方、アルメニア使徒教会の勢力拡大にもつながった。また、この時期にアルメニア使徒教会のカトリコス座は1058年、戦乱を避ける目的でアルメニアからキリキアへ遷った。その後、アルメニア人のディアスポラであるキリキア・アルメニア王国が成立し、マムルーク朝に滅ぼされる1375年まで続いた。1441年にエチミアジンが回復された後も、キリキアのカトリコス座は残った。

17世紀に造営されたイランのサファヴィー朝の古都、エスファハーンのヴァーンク教会。
16世紀以降、アルメニアは当時の2大勢力であるイランのサファヴィー朝とオスマン帝国により東西に国の分割を余儀なくされ、再び国としての自立を失った。これにより、各地域のアルメニア使徒教会は、キリキアとエチミアジンの指導下に属することになった。キリキアは独立を主張するようになるが、エチミアジンはこの主張を現在も認めていない。後にサファヴィー朝に支配されたアルメニア東部は、帝政ロシア領に編入されていった。
当時、アルメニア人の多くはオスマン帝国等のイスラム教徒支配の下に服しており、キリスト教徒は隷属民たるズィンミーとされた。その結果、厳しい差別を受けたものの、近隣のイスラム教徒から物理的迫害を受けることはなく、それなりに平和な共存が実現していた。

しかしながら18世紀以降、欧米列強諸国のオスマン帝国、中東への進出や、オスマン帝国領内に住むキリスト教徒の民族運動が台頭するにつれ、同じキリスト教徒のアルメニア使徒教会信者に対する敵意も日増に強まることとなった。

この結果、次第にイスラム教徒からのアルメニア人に対する突発的な迫害が激しくなり、当時のオスマン帝国領東アナトリアで発生したアルメニア人虐殺によりその頂点を迎える。特に1915年から1917年には、一説には数十万から数百万人ものアルメニア人が犠牲となる凄惨なものとなり、イスラム教徒との共存とともに歩んできた当時のアルメニア人共同体は完全に崩壊した。

アルメニア使徒教会パリ大聖堂。パリ第8区

現在、信者はアルメニア共和国を中心として、トルコ、イラン、アゼルバイジャン、イラク、シリア、レバノン、パレスチナのほか、19世紀以降の移民が多く住むフランス、アメリカ合衆国等、世界各地にコミュニティーを形成している。特にエルサレムやイスファハーンなどにはアルメニア人地区があり、現在も古式を守り、各地に点在する教会はアルメニア人の精神的な拠り所として機能している。 』

『教義と典礼

ニカイア・コンスタンティノポリス信条を告白するが、カルケドン信条を告白しないことから、俗には単性論教会とされるが、アルメニア使徒教会自身は「単性論教会」を自称せず、そうみなされることを不当としている。

カルケドン公会議で否定されたエウテュケスの教説(本来の単性論)を、アルメニア使徒教会もまた異端として否定しているからである。

アルメニア使徒教会の主張では、カルケドン信条を否定するのは、文章上の定式化に難点があるからであり、そのキリスト理解はむしろエルサレムのキュリロスの「ひとつの位格、ふたつの性格」に沿ったものであるとする。

ただし二つの性格は不可分に一体となっているというのがその主張である。これを合性論(en:Miaphysitis)という(伝統的には合性論は単性論の変種として解釈されてきた)。
詳細は「合性論」を参照

カルケドン公会議(第四全地公会議)を承認しないことで分離した教会であるため、より中立的な呼び名・カテゴライズとして非カルケドン派正教会がある。そして、教義を同じくする非カルケドン派のコプト正教会・シリア正教会・エチオピア正教会などとはフル・コミュニオン(完全相互領聖)の関係にある。

典礼は、だいたいにおいてシリア正教会やコプト正教会と類似する。典礼言語には古典アルメニア語を用いる。典礼は、荘重で保守的である。イコンの使用や、形式的には東方正教会との類似点を有するが、聖歌にパイプオルガン等の伴奏楽器を用いる教会も存在する。

教会暦には、1923年以来グレゴリオ暦を使用している。唯一の例外として、エルサレムのアルメニア総主教区ではユリウス暦が使用されている[2]。

アルメニア使徒教会では、教会暦上の1月6日に、イエスの洗礼を記念する神現祭と同時にイエスの降誕を記念する降誕祭を行う[3]。 』

シリーズ「日本の仏教」第1回:目覚めた人ブッダの誕生

シリーズ「日本の仏教」第1回:目覚めた人ブッダの誕生
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/b09401/

 ※ 今日は、こんなところで…。

 ※ こういうものを読むと、親鸞の「絶対他力」、『親鸞は名号を「疑いなく(至心)我をたのみ(信楽)我が国に生まれんと思え(欲生)」という阿弥陀仏からの呼びかけ(本願招喚の勅命)と理解し、この呼びかけを聞いて信じ順う心が発った時に往生が定まると説いた。』(仏教用語で、何と言うのか、知らん)…。

 ※ 『如来の本願によって与えられた名号「南無阿弥陀仏」をそのまま信受することによって、臨終をまたずにただちに浄土へ往生することが決定し、その後は報恩感謝の念仏の生活を営むものとする。このことは名号となってはたらく「如来の本願力」(他力)によるものであり、我々凡夫のはからい(自力)によるものではないとし、絶対他力を強調する[50][51]。なお、親鸞の著作において『絶対他力』という用語は一度も用いられていない[52]。 』…、ということだそうだ…。

 ※ 全然違う「教え」のように、思われるな…。

 ※ ブッダが説いた「教え」とは、トレーニングによって「生の苦しみ」から「解脱」し、「悟り」を開く方法論と、「その方法論のマニュアル化(≒経典)」「そういうトレーニング集団の体制及び体制維持のノウハウ」だったように思われる…。

『 佐々木 閑 【Profile】https://www.nippon.com/ja/japan-topics/b09401/#

仏教は2500年前にインドで生まれ、中国を経由して6世紀に日本に入ってきた。ただし日本では、創始者ブッダの唱えた初期仏教は広まらなかった。仏教の変容はいかにして起きたのか。「日本の仏教とは何か」を読み解くシリーズの第1回では、ブッダの教えとはどのようなものだったのかを紹介する。

瞑想(めいそう)によって苦しみから解脱

仏教は、約2500年前に歴史上の人物であるガウタマによって始められた。ガウタマは、現在のインドとネパールの国境地帯にあるカピラヴァストゥ王国の王子として生まれた。そのまま普通に成長すれば、国王になることのできる大変恵まれた環境の中にいた。しかし青年期になると、「生きることの苦しみ」を感じ取り、皇太子の身分を自分から投げ捨てて、たった1人で森の中に入り、宗教修行者となった。彼は次のように考えたのである。

この社会には、幸福な人もいれば不幸な人もいる。人の在り方はさまざまだが、全ての人が「老いと病気と死」に向かって生きねばならないといった点では、皆、平等に不幸である。人が生きることそのものが「苦しみ」なのだ。この根本的な苦しみは、財産や地位や身分によって消すことなどできない。その事実を知ってしまった者にとって、皇太子でいることなどなんの意味もない。生きることの苦しみから逃れて安らかな状態に至る道を探すことこそが、今の自分が進まなければならない唯一の道である。

こうして森の中に入ったガウタマは、森の中にいた瞑想の達人たちの下で最高の瞑想技術を学んだ後、単身での修行生活に入った。始めは肉体に苦痛を与え、それに耐えることで超人的パワーを手に入れて、人生の苦しみを除去しようとした。しかし修行を6年間続けても目的は達成できなかった。そこでガウタマは苦行を止めて、修行方法を瞑想だけに絞り込んだ。この方法によって、ついに彼は菩提樹(ぼだいじゅ)の根元で悟りを開くことができたのである。この時から彼は、「ブッダ」すなわち、「目覚めた人」と呼ばれることになった。彼は古代インドの一種族である釈迦(しゃか)族に属していたので、「釈迦牟尼(むに)」とも「釈尊」とも称される。

修行マニュアルで「煩悩」を克服

ブッダの悟りとは一体どのようなものだったのか。人の心の劇的な変容を他者が完全に理解することなど不可能であるから、それを正確にここで記すことはできない。それでも、ブッダの教えの内容を伝えている多くの経典によって、その概要を知ることはできる。

ブッダは、自分が感じている「生きる苦しみ」を取り除くことができるのは自分だけだと考えた。外部世界に、苦しみを消し去ってくれるような超人的存在はいないと確信したのである。瞑想の力を使って心の内側を精密に観察し、苦しみの根源がどこにあるかを見つけた。そして、ありもしない「自我」を想定し、その、自我に合わせて都合よく世界を見ていこうとする自己中心の世界観、それこそがわれわれに苦しみをもたらす根本原因だと見抜いた。この、私たちが本能的に持っている、誤った自我意識から生ずる、心のさまざまな悪い作用をまとめて「煩悩」と呼ぶ。

自己観察によって苦しみの根源を見極めたブッダは、それらの煩悩を絶ち切って、苦しみの海から自分自身を救い出すための実践方法を考案した。「仏道修行」と呼ばれる、仏教特有の精神的トレーニング方法である。仏道修行は2つの要素から成っている。1つは、ブッダが説いた修行マニュアルである「経」を学び、正しく理解すること。もう1つは、経によって学んだ修行方法を、先輩修行者のアドバイスを受けながら実践していくことである。

全く新しい教えであった仏教は、当時の人たちの心を魅了し、その周りには多くの弟子が集まった。ブッダは彼らに分け隔てなく、自分が体験で習得した修行方法を伝えた。80歳でブッダが亡くなった後も、その方法は弟子たちによって引き継がれ、2500年たった今も、多くの仏教国で実践されている。ブッダのリーダーシップの下に、彼を慕って集まり、その教えに従って修行の道を進む弟子たち。この修行者たちの集団が、仏教の中核を支えてきた。

優れた組織設計によって教団を維持

ブッダの教えが2500年にもわたって途切れることなく維持されてきた一番の理由は、ブッダが仏教という宗教を「組織」として設計したことにある。ブッダは自分の教えに共感して集まった弟子たちを、「サンガ」と呼ばれる1つの組織にまとめ、「律蔵」と称する厳密な法律によって運営させたのである。ブッダの死後も、弟子たちは律蔵を大切に守り、それに基づいて、サンガを「完全な法治主義による自治組織」として維持していった。

仏教がサンガを基盤にして成り立っていることには以下のような利点がある。

  1. 師弟関係の継続

サンガ内に、律蔵に基づく明確な師弟関係を設定することで、ブッダの教え、すなわち「経」を、師から弟子へと世代を超えて正確に伝えていくことが可能である。また、仏道修行の実践方法も、師から弟子へと、対面で確実に伝えていくことができる。サンガは極めて合理的な教育組織なのである。

  1. 相互扶助による生活保障

サンガ内に、法律に基づく相互扶助の制度を設定することで、師弟関係がそのまま、生活の相互扶助関係にもなる。これによって、世俗の暮らしを離れた修行者たちにも、病気、けが、老化などに対する生活保証が与えられる。サンガは信頼できる相互扶助組織でもある。

  1. 布施による組織の維持

修行者たちがサンガ=法治組織を形成し、律蔵に基づいた清廉な暮らしをしていることを世間に示すことで、サンガに対する世俗社会の尊敬を維持することができる。「仏教の修行者は、律蔵の規則を守って暮らす立派な人たちだ」との通念が流布し、サンガに布施をしようする人たちが大勢現れ、彼らの喜捨によってサンガは維持されてきたのである。

  1. 外部権力からの独立性

サンガが独自の法律を持つ組織として機能することにより、ある程度の自治権を獲得することができる。外部権力の影響を阻止して、修行のための静かな環境を維持するためには重要な要件である。サンガは、外部権力から独立した自治組織でもある。

これら4つの特性が、2500年間完璧に保持されてきたわけではない。長い歴史の流れの中で、こういった特性に反する出来事も数多く起こった。しかしそれでも、基本的理念として1〜4が始めから設定されていたことの意義は大きい。たとえサンガが社会情勢に左右されて迷走したとしても、戻るべき理念が定まっていれば、容易に正しい形態へと軌道修正できるからである。

ブッダの時代の特性とは異なる日本仏教

最初期の仏教の特性は、次の2点に集約できる。

1つ目は、活動の目的と修行方法である。仏教の目的は、外部に一切の救済者を想定することなく、自力で自分自身を観察し、分析し、そして自己改良していくことにある。そのための方法は、瞑想による日々のトレーニングである。

2つ目は、悟りへと至る道を完成させるための場として設定されたサンガの存在である。修行者たちが、一般社会に完全依存しながら修行に専念することを目的として制度設計されたサンガは、律蔵=法律によって合理的に運営されているのである。

これら2点は、仏教を他の宗教から際立たせる特性であるが、日本仏教ではその両方がかなり希薄になっており、「ほぼ消滅している」と言ってもおかしくない。ここに日本仏教を理解するための重要なポイントがある。最初期の仏教が持っていた、仏教特有の要素を手放した日本仏教は、代わりにどのような特性を持つようになったのか。このシリーズでは、中国を経由して日本に入ってきた仏教がいかに民衆に受け入れられ、時に権力と結びつき、時に弾圧を受けながら、日本独自の発展を遂げていったのかを読み解いていく。

バナー画像=インドのサールナート・ムルガンダ・クティ寺院にあるブッダの生涯を描いた壁画(アフロ)』

歎異抄

歎異抄
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8E%E7%95%B0%E6%8A%84

 ※ 今日は、こんなところで…。

 ※ 歎異抄が、親鸞の著作物で無いことは、知らんかった…。

 ※ てっきり、親鸞作だと、勘違いしていた…。

『この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2016年9月)』

『『歎異抄』(たんにしょう)は、鎌倉時代後期に書かれた日本の仏教書である。作者は、親鸞に師事した河和田の唯円とされる。書名は、親鸞滅後に浄土真宗の教団内に湧き上がった親鸞の真信に違う異義・異端を嘆いたものである。『歎異鈔』とも。 』

『作者について

作者については現在では唯円著作説を定説とされているが、他説として如信説・覚如説もある。本項は唯円の作によるものとして記述する。

如信説については、香月院深励が提唱。論拠は、覚如がまとめたとされる『口伝抄』などの書物に、親鸞より如信に口伝が行われ、更に覚如がそれを授けられたとあることによる。

唯円説については、主に妙音院了祥が提唱。論拠は、唯円の名が作中に出て、会話の表現があることや、本文の記述からして、親鸞在世中の弟子であること、東国門徒(関東の浄土真宗信者)であることなどによる。 』

『沿革

成立の背景

本書の内容は、「善鸞事件」の後に作者が親鸞より直接聞いた話による。

善鸞事件

建長8年(1256年)5月、親鸞が実子である善鸞を勘当・破門した事件である。

事件から遡ること約20年の嘉禎2年(1236年)頃、親鸞が東国から京に帰った後の東国では様々な異義が生じ、異端を説く者が現れ、東国門徒が動揺するようになる。そのことに対し親鸞は、息子の善鸞を事態の収拾に送った。

しかし善鸞は、異端を説く者を説得しようと試みるも説得に応じなかったため、自分は親鸞より真に往生する道を伝授されたと称し、第十八願は「しぼめる花」であるとし、自らの教えが正しいと説いた。

善鸞が異端を説いていることを知った親鸞は、自分が秘事を伝授した事はないと東国門徒に伝え、善鸞に義絶状を送り、親子の縁を切り破門した。

その後、関東から上洛して親鸞に事を質したのが、唯円を含めた一行であった。

親鸞の死後も、法然から親鸞へと伝えられた真宗の教え(専修念仏)とは、異なる教義を説く者が後を絶たなかった。唯円は、それらの異義は親鸞の教えを無視したものであると嘆き、文をしたためたのである。

これに、唯円が覚如に親鸞の教えを教授したこと、覚如によると思われる『口伝抄』に『歎異抄』と類似した文が含まれることなどから、本書は覚如の要請によって書かれたのではないか、とされている。

編集された時期については、親鸞が死してより30年の後(鎌倉時代後期、西暦1300年前後)と考えられている。

再発見

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出典検索?: “歎異抄” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2014年8月)

本書は、成立から約200年の間ほとんど知られて来なかった。

しかし室町時代に蓮如が注目し書写。(今日、蓮如本が最古の写本である。)

江戸時代初期に東本願寺の学僧、圓智が『歎異抄私記』を著し、その後、香月院深励や妙音院了祥などの学僧によって研究が進められ、深励の『歎異鈔講林記』・了祥の『歎異鈔聞記』などの注釈書が書かれた。

近世以前に、確認できる写本が16本あり、その他の諸文献に記載されているものを合わせると28本あったとされる。

また、江戸時代には、板本5種が刊行された。

その後、明治時代になり、清澤満之らによって再度、評価され、近代の宗教学研究の手法で研究され、世間に周知されるようになった。

構成

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この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。
出典検索?: “歎異抄” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2015年9月)

この短い書は以下のような構成からなる。

真名序

第一条から第十条まで - 親鸞の言葉

別序 - 第十一条以降の序文

第十一条から第十八条まで - 唯円の異義批判

後序

流罪にまつわる記録

十条において、親鸞の言葉は唯円による歎異の論拠へと進化している。

真名序

真名序は、この文が書かれることになった目的・由来が書かれている。すなわち、「先師の口伝の真信に異なることを歎」くのである。

そもそも関東の教団は善鸞の事件もあり、異義が発生しやすい土壌であった。親鸞の入滅によりますますその動きが加速した。主な異義としては以下があった。

どんな悪を犯しても助ける弥陀の本願だからと、少しも悪を恐れない者では往生できないとする異義。

経典を学ばない者では弥陀の浄土へ往生できないとする異義。

そこで、親鸞が唯円に語った言葉を副え、なぜそれが異義であるかを説明するのが本書であるとする。

また、この「先師ノ口傳」の「先師」を親鸞ではなく法然と捉える説もある。そこでは嘆きの主体は唯円ではなく、親鸞となる。

第一条 – 第十条

第一条から第十条は、親鸞が直接唯円に語ったとされる言葉が書かれている。

第一条では、「阿弥陀仏のすべての人々を救うという本願により、浄土に生まれさせて貰うために念仏をしようと思いたった時から阿弥陀仏の絶対に見捨てないとの利益に預かることができる。阿弥陀仏の本願は老少・善悪の人は関係なく、ただ信心(阿弥陀仏の本願に対し微塵の疑いもなくなった心)が要であると考えるべきである。なぜならば(阿弥陀仏の本願は)罪深く煩悩が盛んな人々を助けるためのものだからである。本願を信じる者には念仏以外の善は不要である。念仏に勝る善などないからである。またどんな悪も恐れることはない。阿弥陀仏の本願を妨げる悪などないからである。」と説かれている。

第二条は、善鸞などの異説について関東から上洛して親鸞に直接尋ねに来た同行・僧侶達への親鸞の回答を長文で記している。

明確な答えを期待していたであろう彼らに対し親鸞は「はるばる関東から命がけで京都にまでやってきたのは明確な回答がほしいからだろうがそれは間違いである。答えは奈良や比叡山にまします立派な学僧たちに聞いたらいいだろう。この親鸞がやっていることは『(罪悪深重の我々衆生が助かる道は)ただ念仏して弥陀の本願に救い取られる以外にない』という法然上人の教えに従って念仏している以外に何もない。

たとえ法然上人にだまされていて、念仏をして地獄に落ちたとしても何の後悔もない。もし、私がそれまでの念仏以外の修行を続けていたら仏になれたのに、念仏をしたおかげで地獄に落ちたというのなら後悔もあろうが、どんな修行も中途半端にしかできない私はどのみち地獄が定められた住み家だからである。

もし弥陀の本願は真実ならば、それ一つを教えている釈尊の説法も、善導の解釈も、法然の言葉も嘘であるはずがない。

だからそのことをそのまま伝えているこの親鸞の言うことも、そらごととは言えないのではなかろうか – 愚かな私の信心は、このようなものある。この上は念仏を信じるも捨てるも各々の勝手である」と、一見突き放すように答えている。

この親鸞の回答は「念仏称えたら地獄か極楽か、私は全く知らない」と文字通り言っているのではなく、同様に「弥陀の本願まことにおわしまさば…」という一節も「もし本願がまことであるとするならば」という仮定ではなく「弥陀の本願よりも確かなものはこの世にない」という親鸞の信心を言い表したものであると言う説がある。

第三条は、悪人正機説を明快に説いたものとして、「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」は現在でもよく引用されている。

「善人でさえも極楽往生できるのだから、ましてや悪人が往生できないわけがない。しかし世間の人は『悪人でさえも極楽往生できるのだから、ましてや善人が往生できないわけがない』では?と常に言う。

これは一応道理に聞こえるが、他力本願のおこころに背いている。」と説いている。

「自力で善を成そうとする人は阿弥陀仏を信じてお任せしようとする心(他力を頼む心)が欠けているから阿弥陀仏の本願の主対象ではなくなっている。でもそんな心を改めて、心から他力を頼めば本当の浄土に生まれることができる。」としている。

「煩悩まみれの我々はどんな修行をしたところで迷いの世界から抜け出ることはできない。そんな我々を哀れんで起こされた阿弥陀仏の本願の主目的は、悪人が成仏できるようにするためであるから、阿弥陀仏を信じてすべてをお任せできる悪人こそ、最も往生できる人である。」と説いている。

ここで言う「善人」「悪人」などの詳細は、悪人正機を参照のこと。

第四条は、聖道仏教と浄土仏教の慈悲の違いが説かれている。

聖道仏教の慈悲とは人間の頭で考える慈悲であり、それでいくら人々を救おうとしても限界がある。だから生きているうちに早く他力の信心を得て浄土に行って仏となり、仏の力によって人々を弥陀の浄土へと導くことこそが真の慈悲=浄土の慈悲である、と説かれている。

第五条では、「親鸞は一度も父母のために念仏したことがない」として、追善供養を否定している。

念仏は自分の善ではないからである。そんな形ばかりの追善供養をするより、生きているうちに早く他力の信心を得なさい。そうすれば浄土で仏となって自由自在に多くの縁者の救済ができるようになるのだから、と説いている。

第六条では、この親鸞には弟子など一人もいない。

表面上は親鸞の下で仏法を聞き念仏を称えるようになったように見えるかもしれないが、これも本当は全く弥陀のお力によるものである。

だから「この人達は俺の裁量で仏法聞くようになったのだ」などと考えるのは極めて極めて傲慢不遜であり、決してあってはならぬことだ。

だから人と人との複雑な因縁に拠って別の師の下で聞法し念仏を称えるようになった人は浄土へは行けないなどとは決して言うべきではない、と説かれている。

第七条では、ひとたび他力の信心を得た者=念仏者にとっては、悪魔・外道、図らずも造ってしまう悪業など、如何なるものも極楽往生の妨げにはならないと説かれている。

第八条では、他力の信心を得た者の称える念仏は自力(自分の計らい)で行うものではないので、行でも善でもないと説かれている。

第九条は、「念仏を称えても経文にあるような躍り上がるような喜びの心が起こらず、少しでも早く極楽浄土に行きたいという気持ちにならないのは何故でしょうか」という唯円の疑問に対しての生々しい問答を長文で記している。

恐らく破門をも覚悟で素直な質問をした唯円に対し、親鸞は「この親鸞も同じ疑問を持っていたが、唯円も同じ気持ちだったのだな。」と答えている。

そして「よく考えてみると躍り上がるほど喜ぶべきことを喜べないからこそますます極楽往生は間違いないと思える。」としている。

その理由を「喜ぶべきことを喜べないのは煩悩の仕業であり、阿弥陀仏はそんな煩悩で一杯の衆生を救うために本願を建てられた。こんな我々のための本願であると知らされるとますます頼もしく思える。」と答えている。

次に、早く極楽に行きたくないどころか、少しでも病気になると「死んでしまうのでは」と不安になるのも煩悩の仕業とし、「長い間輪廻を繰り返して滞在してきたこの苦悩に満ちた世界だが、それでも故郷のような愛着があり、行ったことがない極楽には早く行きたい気持ちも起こらない。これらも煩悩が盛んだからである。」

「阿弥陀仏は早く極楽往生したくないという我々を特に哀れに思っておられる。だからこそ阿弥陀仏の願いは益々頼もしく、極楽往生は間違いないと思われる。もし躍り上がるような喜びの心が起こり、極楽浄土に早く行きたいという気持が起こるなら、自分には煩悩がないのかと疑問に思ってしまうだろう」と説いている。

第十条は、他力不思議の念仏は言うことも説くことも想像すらもできない、一切の人智の計らいを超越したものである、と説かれている。

別序

親鸞の弟子から教えを聞き念仏する人々の中に、親鸞の仰せならざる異義が多くあるとする。

第十一条 – 第十八条

第十一条以降は、異義を1つ1つ採り上げ、それについて逐一異義である理由を述べている。

経典を読まず学問もしない者は往生できないという人々は、阿弥陀仏の本願を無視するものだと論じている。

また、どんな悪人でも助ける本願だからといってわざと好んで悪を作ることは、解毒剤があるからと好んで毒を食するようなもので邪執だと破った上で、悪は往生の障りではないことが説かれている。

後序

後序は、それまでの文章とは間を置いて執筆されている。

親鸞が法然から直接教え受けていた頃、「善信(親鸞)が信心も、聖人の御信心もひとつなり」(自らの信心と法然の信心は一つである)と言い、それに対し他の門弟が異義を唱えた。

それに対し法然は、「源空(法然)が信心も、如来よりたまわりたる信心なり。善信房の信心も如来よりたまわらせたまいたる信心なり。されば、ただひとつなり」(阿弥陀仏からたまわる信心であるから、親鸞の信心と私の信心は同一である)と答えた。

唯円は、上記のように法然在世中であっても異義が生まれ、誤った信心が後に伝わることを嘆き本書を記したと述べている。

流罪にまつわる記録

承元の法難に関する記録が述べられている。親鸞が「愚禿親鸞」と署名するようになった謂れが書かれている。

写本

写本としては、蓮如本・端の坊永正本などがある。2015年現在、原本は発見されていない。

蓮如本と永正本とには、助詞などの違いが見られるが、全体の内容として大きな違いは無い。最も原型的な古写本と考えられる蓮如本・永正本はともに「附録」と「蓮如の跋文」を備えているが、後代のものには、これらを欠く写本も存在する。[1]

上述のごとく、蓮如本と永正本には、蓮如の署名と次のような奥書が付されている。

右斯聖教者為当流大事聖教也 (右、かくの聖教は、当流大事の聖教と為すなり)
於無宿善機無左右不可許之者也 (宿善の機無きにおいては、左右無く[2]之を許すべからざるものなり)

 釈蓮如 御判

すなわち、本書は「当流大事の聖教」ではあるけれど、「宿善の機無き」者(仏縁の浅い、仏法をよく理解していない人達)にはいたずらに見せるべきではない、と蓮如は記している。

古来「カミソリ聖教」とも呼ばれてきたように、阿弥陀仏の本願に救われた人には汲めども尽くせぬ妙味があるが、初心者が読むと大変な誤解を招く恐れがあるのがこの歎異抄である。

このため長らく秘本とされ世に広く知られることはなかったとする向きもあるが、実際には江戸時代にも『歎異抄』は、真宗聖典の一部に編入されており、秘本の扱いではない。
明治に入ってから清澤満之・近角常観らによって再評価されるまで注目されなかった。また蓮如が著した『御文』(『御文章』)において、『歎異抄』の内容の引用が随所に見られる。

親鸞思想との相違点

歎異抄は書名が示すように、当時の真宗門徒たちの間で広がっていた様々な異説を正し、師である親鸞の教えを忠実に伝えようという意図の下で著されたものである。

しかしながら、親鸞の著作から知られる思想と、歎異抄のそれとの相違を指摘する学者も多い[3]。たとえば仏教学者の末木文美士は、唯円の思想はある種の造悪無碍の立場を取っているとし[4]、これは親鸞の立場とは異なるとする。

唯円は歎異抄において、阿弥陀仏の本願を盾に悪行をおこなう者に対して、忠告は行なっているが、彼らの往生は否定せず、かれらも確実に浄土に往生できるとする。

しかしながら、親鸞は書簡にも見られるように、どのような悪しき行いを為しても無条件に救済されるという考えは採っておらず、そのような念仏者の死後の往生については否定的な見解を述べている[5]。 』

お坊さんも悩んでいた 寺の掲示板に何を書く?国葬の日に

お坊さんも悩んでいた 寺の掲示板に何を書く?国葬の日に
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220927/k10013839121000.html

 ※ 今日は、こんなところで…。

『寺の掲示版が話題です。

「大丈夫。」

「仏の顔は何度でも」

「コロナよりも怖いのは人間だった」

心にスッと入り込み、じわっとくることばの数々。世相を反映することばも目立ちます。
では国葬の日に何を書くのか?

掲示板の中の寺の人たちも頭を悩ませていました。
(ネットワーク報道部 高杉北斗 鈴木彩里 名古屋局 三野啓介)

心にしみることば

寺の掲示板はネットでも話題です。

さまざまなことばを自由に書いて広く教えを伝える場とされ、「掲示伝道」と言われています。よく考えられた「じわっ」と来るものが多く、話題になるのです。

「大丈夫。」

新型コロナが広がった2年前から太く大きく書かれたこの文字を掲げているのは東京・八王子市にある延立寺。

読み取り方は人それぞれですが、コロナ禍の不安の中でも、前に進もうよと背中を押しているようにも感じます。

社会の動きをとらえて

そう、「仏教伝道協会」によると掲示板は明治時代にはあり、かつてはお経の一節や当時の天皇が詠んだとされることばなどを掲げるのが主流だったとされています。しかし最近は世相や社会の動きをとらえてことばを選ぶケースも結構あるのです。

エリザベス女王が亡くなった際に、女王が話したことばを掲げたのは東京・台東区の金嶺寺です。

「行動と熟考。そのあいだで上手くバランスを取らなくてはいけません」

住職を務める末廣正栄さんは、このことばが仏教の教えにも通じると思って選んだそうです。

住職 末廣正栄さん

仏教には対立する立場を離れ、どちらにも偏らない中道という考え方があります。対立や戦争がやまない時代、女王のことばがバランスを大事にする教えに通じると思えたんです。
国葬の日、掲示板は

そして、安倍元総理大臣の戦後2回目となる国葬が行われたきょう(27日)。

ふだん、世相をとらえたさまざまなことばを考える寺がどんなことばを掲載するのか。

熊本県湯前町にある明導寺は悩みました。

この寺が毎月2回、掲載することばの中には「輝け!お寺の掲示板大賞」(公益財団法人 仏教伝道協会主催)で賞をとったこともあり、ハッとさせられるものがあります。

自分の煩悩を見つめ直してほしいと、主催者が2020年の大賞に選んだのが明導寺の「コロナよりも怖いのは人間だった」。

ほかにも「真似をするときにはその形ではなくその心を真似するのがよい(渋沢栄一のことば)」などその時々に大事だと思ったことばを掲げています。

住職の藤岡教顕さんは国葬が行われるきょう、皆が共感できる新たなことばがないか、何か張り出せないか考えましたが、悩んだ末、掲載をやめたといいます。

国葬をめぐって賛否が分かれる中では、慎重にならざるを得なかったということです。

藤岡さん自身が、銃撃の事件の日に安倍元総理大臣の地元の山口県にいて、ショックを隠せない人の姿を見たことも理由のひとつといいます。

明導寺住職 藤岡教顕さん

住職 藤岡教顕さん

賛成の人も反対の人も、立場にかかわらず納得できることばを書きたいと思いました。

お経の中にもそうしたことばがないかと、探したのですが、なかなか難しいと感じて、今回は見送りました。

きょう何か掲載できることばはないか、考えを巡らせたものの、そのことばが見つからず新たな掲載をやめた寺は他にもありました。

毎日更新する寺は?

考えに考え抜いて、ことばを紡ぎ出した寺もあります。

広島市の中心部にある超覚寺。毎朝、新しいことばを張り出しているのは住職の和田隆恩さんです。

コロナ禍で、人と接する機会や直接、説法をする場も減る中、みずからの発信を増やそうと2年前の4月から週1回だった掲示板の更新を、増やしました。

「仏の顔は何度でも」

仏の顔も3度まで、ということわざがありますが、“仏の慈悲深さは限りない”との思いで書いたそうです。

和田さんはプロ野球・広島カープのファンで、今シーズンの交流戦で最下位となった時には「カープファンでいることは荒行です」とか、長く続くコロナ禍での生活についても「ウイルス止めるマスクでも、愚痴と文句は止められぬ」とウイットに富んだことばを載せていました。

さらに8月6日の原爆の日には「核兵器がある限り、人間は絶滅危惧種です」

筆が…進まない…

日々のできごとに関連したことばを書くことも多い和田さん。

世の中の流れを踏まえながら、新しいことばを張り出すことで、込められた思いが伝わりやすいと感じています。

国葬に関連したことばも書こうと筆を執りましたが、思うように進みません。世論も分かれています。

どんなことばを伝えればいいのか、考えあぐねました。

超覚寺住職 和田隆恩さん

住職 和田隆恩さん

いつも日曜日にまとめて1週間分書くのですが、今回、初めは国葬に触れないでいたんです。

考えたことばは

毎日、新しいことばを張り出してきた和田さん。

きのう(26日)、改めて筆を執り悩みながらしたためました。

「必要なものはもうあったのに。不要なものを欲してしまう」

ことし1月に父を亡くし、家族葬を執り行った際、思い出を語り合い、知ることのできなかった父の一面に触れ心が温かくなり、気持ちも穏やかになったそうです。

本来の葬儀はそうしたものだと改めて感じました。

その経験も踏まえ和田さんは賛否の立場ではなく、ひとりの宗教家として考えたことが掲示板のことばになったといいます。

住職 和田隆恩さん

一宗教家として、葬儀で必要なもの、それは故人を静かに温かく見送ることができることだと思っています。でもそうした状況になっていないように感じ、抱えている複雑な思いをことばにしたんです。

書けなかった人、考えあぐねて書いた人、掲示板の中の人たちもさまざまな思いが交差する1日でした。』

ウクライナに対する戦争で死んだロシア兵は、すべての罪を清められる…。

ウクライナに対する戦争で死んだロシア兵は、すべての罪を清められる…。
https://st2019.site/?p=20329

『ロイターの2022-9-26記事「Orthodox Church leader says Russian soldiers dying in Ukraine will be cleansed of sin」。

   ロシア正教会のいちばん偉い人「Patriarch Kirill」(75)いわく。
 ウクライナに対する戦争で死んだロシア兵は、すべての罪を清められる、と。

 すなわち、戦死するということは、他のすべての人のために自身を犠牲にするという行為なので、その行為によって生前の罪は水に流されるのである。

 かたやローマ・カトリックのフランシス教皇いわく。神は戦争を支持していない、と。』