シーア派の中東での分布

【地図と解説】シーア派の中東での分布
http://ikeuchisatoshi.com/i-1135/

 ※ パキスタンのイスラムは、スンニ派だったよな…、と思って分布を調べた…。

『(2014年6月18日作成者 池内 恵 カテゴリー 地図で見る中東情勢, 『シーア派とスンニ派』)

「地図で見る中東情勢」の第4回。

イランによるイラクへの介入が、予想通りというか予想よりもさらに早く進んでいます。

また、米国がイラクをめぐってイランと同盟しかねない勢いというのも、あくまでも「理論的にはそういう可能性も」と話していたのですが、すでに現実味にあふれたものになっています。

イランのイラクへの影響力という際に常に挙げられるのが、シーア派のつながりです。

この地図は、中東諸国でシーア派が多数派の国、規模の大きな少数派を形成している国を緑色と濃い緑色で示してあります。
Lines in the sand_Shia from Iran to Syria
出典:Global Times

シーア派はイスラーム世界全体では少数派ですが、それは人口の多い東南アジアやインドがほとんどスンナ派であるというせいもあります。中東ではスンナとシーア派の人口は全体ではかなり拮抗しており、シーア派は一部の国では多数派になっています。

過半数となっているイランとイラクのほかに、レバノンでは過半数ではありませんが最大の宗派になっています。シリアではアラウィ―派をシーア派とみなして加えれば15-20%。あまり知られていませんが、イエメンでも北部にシーア派の一派ザイド派がいます。そしてアラブの湾岸諸国でもクウェートではかなりの大きな少数派、バハレーンでは人口では多数派だが王家・支配階級はスンナ派。

しかしこの地図だと国単位で一色に塗ってあるので、国の中での地域ごとの宗派の分布がわかりませんね。

次の地図を見てみると、もっと詳細な分布がわかります。

Shiite_simple.jpg
出典:NPR, Vali Nasr, The Shia Revival

パキスタンにもいるんですね。ただしシーア派の中でもイスマーイール派などで、イランの12イマーム派とは宗派が違います。

もっと詳細な、宗派分布の地図は下記のものです。クリックするとより広域が表示されます。

Sectarian-Divide.png
出典:Financial Times

サウジアラビアについて、アラビア半島中央部のネジュド地方、つまりサウジアラビアの王家・支配部族の本拠地についてはワッハーブ派で緑に塗られていて、それに対してエジプトやヨルダンに近い紅海沿岸のヒジャーズ地方は「普通の」スンナ派でパープルグレーに塗り分けられています。このことも今後の展開によっては意味を持ってくるかもしれません。

さて、このような中東一円でのシーア派の広がりの中でイラクの宗派・民族構成を詳細に見てみると、こんな感じです。クルド人はスンナ派ですが、アラブ人と言語・民族を異にする別のエスニシティを形成しています。シーア派はアラブ人でスンナ派と同じですが、宗派の違いから異なるエスニシティ意識を強めているのが現状です。

Iraq_ISIS_WP_Izady Columbia U
出典:ニューヨーク・タイムズ

人があまり住んでいないところは白っぽくしてあるところもいいですね。アンバール県をISISの支配領域としてべたっと塗ると、見た印象は広大な領域を支配しているように見えますが、可住・可耕面積はほとんどありません。

ISISの侵攻は北部から中部にかけてのスンナ派が多数を占める地帯では一気に進んだことがわかります。しかしバグダード以南に浸透するのはかなり難しそうです。またその際は激しい戦闘になり流血の惨事となるでしょう。

ただしイラクのシーア派とスンナ派は共存していた時期も長いので、常に宗派が違えば争うわけでもありません。国内・国際的な政治情勢の中でエスニシティの構成要素は変わり、帰属意識は強まったり弱まったり融合したりします。ですので、宗派紛争は必然ではないのです。近い将来は紛争が不可避にも見えますが・・・

そもそも、これらの地図で模式的に示されるほど画然と宗派ごとに分かれて住んでいるわけではありません。

次の地図では、複数のエスニシティ(宗派+民族)が混住しているエリアを斜め線で示してくれています。

Iraq_Sect_ratio.jpg
出典:ワシントン・ポスト

さらにこんな地図もありました。シーア派、スンナ派、クルド人の多数を占める地域の間に混住地帯を色分けしています。さらに、特定の都市や地域に少数ながら存在するトルクメン人、キリスト教アッシリア教徒(ネストリウス派)やカルデア派、ゾロアスター教系でイスラーム教やキリスト教が混淆したヤズィーディー教徒などの居住する都市を表示しています。これらの少数派も明確なエスニシティ意識を持っており、戦乱期にはしばしば迫害を受けます。

欧米の市民社会はキリスト教のルーツに近い由緒正しい中東のキリスト教少数教派の迫害には敏感に反応しますし、トルクメン人はチュルク系の同系民族としてトルコが庇護する姿勢を見せています。これらの少数派を巻き込む内戦は、必然的に外国勢力を巻き込む国際的なものとなります。

Iraq_Sect_Ethno_ratio.jpg
出典:globalsecurity.org

特に危惧されるのはバグダード近辺などの大都市で宗派が複雑に入り組んで混住しているエリアです。

信頼性は私は判定できませんが、下の最後の地図は、バグダードの2005年と2007年のスンナ派とシーア派の居住区を色分けしたこのような地図があります。細かく入り組んでおり、しかも2006年から2007年に多発した宗派間の紛争の影響もあり、住民が移動している様子が示されています。赤い点は10以上が死んだ爆破の生じた地点です。
Baghdad_quarters_sectarian.jpg
出典:Vox, BBC

このような場所で宗派コミュニティ間での暴力の応酬が広がったり、エスニック・クレンジング的な強制退去などが行われたりすると内戦の激化が生じます。また、シリアで起こったように、街区ごとに武装集団が浸透して支配地域を広げていくような、虫食い状の陣取り合戦が展開されると、内戦は長期化し、都市は荒廃を極めるでしょう。

そのようなことにならないようにイラク内外の諸勢力がなんとかしてくれればいいのですが。』

『笑ゥせぇるすまん』が描いた「不愉快な真実」とひとびとが求める「公正世界信念」

『笑ゥせぇるすまん』が描いた「不愉快な真実」とひとびとが求める「公正世界信念」
【橘玲の日々刻々】
https://diamond.jp/articles/-/302362

 ※ 『因果応報は「善行は正当に評価され、悪行は報いを受ける」ことで、これも「公正さ」の重要な要素です。仏教(正しくはヒンドゥー教)の輪廻とは、いちどの人生で因果応報が達成されない矛盾を解消するために、時間軸を過去と未来に引き延ばしたものです。』…。

 ※ なーる、鋭い視点だ…。

 ※ 逆に、キリスト教なんかの「一神教」における、「終末思想」は、この世の不公正を、あの世で「正してくれる」という、「救済思想」というわけだ…。

 ※ ニーチェなんかは、そこを突いて、「神は、死んだ!」「あの世での救済に、問題を先送りするのでは無く、今現在のこの世を”力強く”生きることを、考えるべきだ!」と獅子吼したというわけだ…。

 ※ 『なぜここまでして「公正さ」にこだわるかというと、「不公正な世界」がものすごく不安だからです。悪がはびこり、どれほど正しい行ないをしても裏切られるだけなら、そんな社会は苦しくて誰も生きていくことはできないでしょう。――これは社会心理学で「公正世界信念」と呼ばれます。』…。

 ※ なるほど…。そして、その「公正世界信念」「公正世界神話」が崩れると、社会は、一気に「不安定化」する…、というわけだな…。

『漫画家の藤子不二雄A(本名・安孫子素雄)さんが88歳でお亡くなりになりました。

『笑ゥせぇるすまん』(当時は『黒ィせぇるすまん』)を知ったのは高校生のときで、クラスの友人が持っていたものを読んで衝撃を受けました。登場人物はサラリーマン、学生、老人などさまざまですが、共通するのは小さなこころの「きず」を抱えていることで、それを喪黒福造がグロテスクなまでに拡大し、(ほとんどの場合)破滅へと追い込まれていきます。

 10代の頃は理解できませんでしたが、いまなら「どんなに幸福に見えても、ひとはみな転落の縁を歩いている」という「不愉快」な事実が、このダークなキャラクターが長く愛された理由であることがわかります。「人間はこんなにこわれやすいんだよ」というメッセージに、逆に安心感を覚えた読者も多かったでしょう。

 もうひとつ、初期の作品を読み返して気づいたのは、その巧妙な設定です。

 わたしたちは無意識のうちに、世界は「公正」であるべきだと思っています。「悪は滅び、最後には正義(善)が勝つ」ことは、神話・宗教からハリウッド映画まですべての物語の本質で、もちろんマンガも例外ではありません。

 因果応報は「善行は正当に評価され、悪行は報いを受ける」ことで、これも「公正さ」の重要な要素です。仏教(正しくはヒンドゥー教)の輪廻とは、いちどの人生で因果応報が達成されない矛盾を解消するために、時間軸を過去と未来に引き延ばしたものです。

 なぜここまでして「公正さ」にこだわるかというと、「不公正な世界」がものすごく不安だからです。悪がはびこり、どれほど正しい行ないをしても裏切られるだけなら、そんな社会は苦しくて誰も生きていくことはできないでしょう。――これは社会心理学で「公正世界信念」と呼ばれます。

『笑ゥせぇるすまん』のなかにも、因果応報の話はたくさんあります。競馬で一発当てて借金を返そうとしたり、売れはじめた役者が水商売の女と縁を切ろうとしたり、そんな弱さを喪黒福造は見逃しません。

 しかしより印象に残るのは、こうした因果応報では説明できない物語です。

 最初期の「ともだち屋」では、内気で人見知りのため彼女はもちろん友だちさえないない22歳の独身サラリーマンが、喪黒福造に絶世の美女の写真を見せられ、彼女とつき合えるかもしれないという希望に胸をふくらませます。「化けた男」では、29歳の妻子のいる真面目なサラリーマンが、通勤電車で読む週刊誌の記事でちょっとした非日常(アバンチュール)を空想し、息抜きにしています。

 どちらも本人になんの非もありませんが、それでも喪黒福造の「いたずら」によって闇へと堕ちてしまいます。「人生は不条理で、世界は公正につくられているわけではない」のです。

 誰もが夢を求めていた1960年代に、マンガでこの「真実」を描いたのは途方もない慧眼でした。ご冥福をお祈りいたします。

『週刊プレイボーイ』2022年4月18日発売号に掲載

橘 玲(たちばな あきら)
橘玲のメルマガ 世の中の仕組みと人生のデザイン 配信中

作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)、『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)、『橘玲の中国私論』の改訂文庫本『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)、『もっと言ってはいけない』(新潮新書) など。最新刊は、『裏道を行け ディストピア世界をHACKする』 (小学館新書)。

●橘玲『世の中の仕組みと人生のデザイン』を毎週木曜日に配信中!(20日間無料体験中)  http://zai.diamond.jp/dpm/tachibana?utm_source=tachibana&utm_medium=article_banner&utm_campaign=DPM&cpm=ta0025 

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「火葬希望者の葬儀は行わない」 ギリシャ正教会が方針

「火葬希望者の葬儀は行わない」 ギリシャ正教会が方針
2014年11月2日 15:23 発信地:アテネ/ギリシャ [ ヨーロッパ ギリシャ ]
https://www.afpbb.com/articles/-/3030635

 ※ こういう話しもあるんで、要注意だ。

 ※ ロシアは、「ロシア正教」で、東ローマの、「正教(Orthodox)」の流れをくむ。原則は「土葬」だ(「死後の裁き」と、「キリスト同様の復活」が信仰の柱なんで)。

 ※ しかし、未だに「モスクワ総主教」の公式見解とかは、出ていないはずだ…。「緊急事態の場合は、”火葬”を認める。」とかなんとかな…。

 ※ そうすると、どうしても、「葬儀」には、「遺体」が必要となる…。

 ※ 「遺体」がないと、「葬儀」もできないことになる…。その点、どうするんだろう…。

 ※ 大体、大量の死者が出てしまっては、その「遺体」をどう処置・保管しておくのか…、という問題が生じてしまう…。

 ※ そういう「頭の痛い」ことにも、なってしまうんだ…。

 ※ ベトナム戦争の時も、いろいろな「反戦運動」が生じたが、最終的な「大原因」となったのは、「5万体の遺体袋」だった…、と言われている…。

 ※ それの、「再来」となるのかどうか…。

『(※2014年)【11月2日 AFP】ギリシャ正教会は10月31日、火葬は人体を尊重しない弔い方だとして、火葬を希望する人の埋葬式(葬儀)は執り行わない方針を表明した。
 正教会は声明で「人体の焼却は、文化人類学的・神学的な観点から、正教会の伝統や行動様式に沿ったものとは考えられない」と説明している。

 ギリシャで火葬が合法化されたのは2006年で、国内にはまだ火葬を行える施設がない。だが正教会は、火葬の手順を定めた新法を「虚無主義」の象徴であり「宗教弾圧」と「人体に対する敬意の欠如」だと批判。火葬を希望する人は皆「正教会との別離を表明したことになり、したがって教会での儀式を受ける資格を失う」と述べている。

 ギリシャではアテネ(Athens)とテッサッロニキ(Thessaloniki)の市長が、墓所不足を理由に火葬場の建設許可を繰りかえし求めてきた。しかし、市民生活に宗教が深く根付いていることもあり、これまでのところギリシャ国内で火葬場の建設が承認された例はない。(c)AFP 』

「過激なイスラム」理解するには 池内恵氏

「過激なイスラム」理解するには 池内恵氏
東京大学先端科学技術研究センター教授(イスラム政治思想)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD237R60T21C21A2000000/

『アフガニスタンでの武装組織タリバンの復権や過激派組織「イスラム国」(IS)のテロなどで、イスラム教に対する脅威が世界で論じられるようになった。

イスラムと西欧思想では価値規範が異なり、イスラム法を適用すれば民主主義や自由主義に反する部分が出てくる。民主主義で決めた法を神の命令であるイスラム法に優先させることは受け入れ難いとする信徒が多いので、摩擦は必然的に起きる。欧州など自由主義の原則が強い国々でイスラム脅威論が台頭するのは当然と言える。

イスラム教徒は、神が法を啓示した集団であるウンマ(共同体)に帰属し、それを守る義務を負う。この帰属意識が再確認され、強まっていることが過激な政治運動につながる。欧米などで優勢な自由主義は、イスラム教徒にとってはイスラム法に反し、ウンマを支配・侵食するものと受け止められる傾向が強い。

そこで、イスラム法とウンマへの脅威に対する反撃が義務だと考える人が出てくる。それがたとえ全世界のイスラム教徒の1万人に1人であったとしても、全体としては巨大な数になってしまう。過激思想はインターネットやSNS(交流サイト)で広く拡散し、容易に検索できる。実際に行動に出る信者の割合は低くても、グローバルに見ると共通の宗教的規範を掲げたテロが頻発するので、一つの運動組織があるように見える。

イスラム教は、7世紀にアラビア半島で神から下されたと信じられている聖典コーランや預言者の言行録(ハディース)が今でもそのまま読まれている稀有(けう)な世界。19世紀まではもっぱら宗教指導者による口伝だったが、今やネットなどのメディアで一般信徒が自ら過去の権威のある解釈を探し出し発信することができる。

日本には神の言葉として示された明確な宗教的規範がなく、自由主義も強くないので、イスラム教と正面から対立しないで済み「異文化」としての関心にとどまっている。日本でイスラム教徒と共存するためには、信者は極力その信仰を内なる規範にとどめ、他者に強制する自由は認めない、という原則を確認する必要がある。国家の側も、内面の規範には立ち入らないことが重要だ。
当欄は投稿や寄稿を通じて読者の参考になる意見を紹介します。原則1000字程度で、住所、氏名、年齢、職業、電話番号を明記のうえ、ご応募ください。匿名での掲載希望はお受けできません。ご意見の趣旨を変えずに文章を編集することがあります。採用させていただく場合、日本経済新聞朝刊と電子版で紹介します。
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放蕩息子のたとえ話

放蕩息子のたとえ話
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E8%95%A9%E6%81%AF%E5%AD%90%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%81%A8%E3%81%88%E8%A9%B1

 ※ 今日は、こんなところで…。

 ※ 王毅外相は、あるいは、この話しを下敷きに、「西洋文化」に明るいところを示そうとしたものか…。

 ※ しかし、彼らはそもそもが、「史的唯物論」なんで、「宗教禁止」なんだが…。

『放蕩息子のたとえ話(ほうとうむすこのたとえばなし、英語: Parable of the Prodigal Son)は新約聖書ルカの福音書(15:11 – 32)に登場する、イエス・キリストが語った神のあわれみ深さに関するたとえ話である。

このたとえ話は、福音書に登場するたとえ話のうちで最もよく知られているもののひとつである。 』

『内容

ある人に二人の息子がいた。弟の方が親が健在なうちに、財産の分け前を請求した。そして、父は要求通りに与えた[1]。

そして、生前分与を受けた息子は遠い国に旅立ち、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した。大飢饉が起きて、その放蕩息子はユダヤ人が汚れているとしている豚の世話の仕事をして生計を立てる。豚のえささえも食べたいと思うくらいに飢えに苦しんだ。

父のところには食物のあり余っている雇人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。彼は我に帰った。帰るべきところは父のところだと思い立ち帰途に着く。彼は父に向かって言おうと心に決めていた。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」と。

ところが、父は帰ってきた息子を見ると、走りよってだきよせる。息子の悔い改めに先行して父の赦しがあった。

父親は、帰ってきた息子に一番良い服を着せ、足に履物を履かせ、盛大な祝宴を開いた。
それを見た兄は父親に不満をぶつけ、放蕩のかぎりを尽くして財産を無駄にした弟を軽蔑する。

しかし、父親は兄をたしなめて言った。「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」(口語訳新約聖書 ルカ 15:11-32) 』

『解説

この物語の主題は、神に逆らった罪人を迎え入れる神のあわれみ深さである。登場する「父親」は神またはキリストを、「弟」(放蕩息子)は神に背を向けた罪びとを、「兄」は律法に忠実な人を指しているといわれる。

放蕩息子であった弟が故郷に帰還し、父親に祝宴を開いて受け入れられるという物語を通して、神の深い憐れみの奥義が表現されている[2]。

一方、弟のために開かれた盛大な祝宴を喜ぶことができず、父親に不満をぶつける兄の姿は、律法に忠実な人が陥りやすいファリサイ派の精神、傲慢さを表していると読むこともできる。

この読み方によれば、兄をたしなめる父親のことばはファリサイ派のパン種(偽善・慢心)[3]に注意しなさいという、この兄のようないわゆる「善人」への警告を含んでいるとも読み取れる[4]。

マタイによる福音書(20章1-16節)でイエスは「ぶどう園で働く労働者のたとえ」を語っている。一番はじめに呼ばれた労働者は午前9時から働いた。そしてある人は12時から、ある人は午後3時から、またある人は午後5時からという具合にぶどう園で働いてもらい、最後に主人は最後に呼ばれた者から順番に同じ金額の報酬を与える。

このことに対し最初の労働者が主人に向かって不平を言った。放蕩息子の兄の不平はこの最初の労働者の不平と同じものと言えるのであろう。[5]。

また同時にこのたとえ話は、神の楽園から追い出されていった創世記のアダムとエバ[6]の子孫である人類に対して、神の楽園への帰還を呼びかけるという、壮大な救済の物語を象徴的に重ね合わせている[7]。 』

『文化的影響

ジェラール・ファン・ホントホルストの「放蕩息子」(1623年)
ポンペオ・バトーニ「放蕩息子の帰還」(1772年)

イエスのたとえ話の中でも、もっとも有名なもののひとつである「放蕩息子のたとえ話」は、多くの芸術作品のテーマとなった。レンブラントやホントホルストなど、北ヨーロッパのルネッサンスの多くの画家たちがこの主題を取り上げ描いた。

ジェームス・ティソ「放蕩息子の帰還」(1886-94年) ブルックリン美術館

また、15世紀と16世紀にはイギリスの道徳劇のサブジャンルともみなされるほどの人気であった[8]。シェイクスピアも「ベニスの商人」や「お気に召すまま」「冬物語」でも言及されている。

“Lost and Found”

「彼は失われていたが見いだされた」(Luke 15:11-32) という言葉は父の言葉としてルカの福音書のなかで二度使われているが、そこから遺失物取扱所、落とし物届、の意で使われるようになる。

また「失われていたが見いだされた」という言葉は、無条件の神の愛によって救われる罪深い人間の救済を表すメタファーとなり、奴隷貿易の商人から転じて牧師となったジョン・ニュートン作詞の賛美歌アメイジング・グレイスの歌詞にも使われている。』

伝統的価値観の国際比較

伝統的価値観の国際比較 : 日本、韓国、中国、米国における儒教的価値観
https://ci.nii.ac.jp/naid/120005674968

 ※ これは、すごーく参考になった…。

 ※ 漫然と、「こういうものだ…。」「こんな感じだな…。」と思ってきたことが、実は、それぞれ「仏教」「儒教」「神道」的な「世界観」に根ざすものだったとは…。

 ※ そういう「分析」「淵源」の基(もと)となる「視座(尺度=スケール)」を、手に入れた…。

 ※ ステップアップしたな…。

 ※ 「昨日の我」に、「今日は」ちょっと勝ったぞ…。

『表 1 日本の伝統的価値観尺度(JTVS)の領域別下位尺度(大渕・川嶋 , 2009a)

仏教

輪廻と法力
(11 項目)

宇宙は仏の治める多くの他方世界からなり、生命はそれらの間を
輪廻する。生命は仏の慈悲によって生成し、それは草木を含めす
べてに及ぶと(本覚思想)いった仏教的世界観。

修身と慈悲
(8 項目)

倫理と精進、慈悲と寛容、煩悩の除去などの仏教的道徳観。欲望
に負けず自らを慎むこと、感謝と思いやりの気持ちで人に接する
など、人としての正しい生き方を処方。

厭世主義
(6 項目)

人生は苦、諸行無常などの仏教的人生観。人生は苦悩に満ちてい
る、この世は絶え間なく変化するはかないものであるといった仏
教的厭世観を反映。

空と超俗
(4 項目)

この世は仮のもので空虚(諸法無我)といった世界観と、それ
故、富や名声など世間的なものに拘泥せず、清らかに生きること
を良しとする(煩悩の除去)仏教的処世観。』

儒教

忠孝と義務
(11 項目)

長幼の序、公益優先など、社会集団や人間関係の中で個人が果た
すべき責任と義務を強調する儒教的処世観。

天意・天命
(8 項目)

社会の在り方であれ、個人の成功・失敗であれ、すべては人間を
越えた天によって運命づけられ決定されている(天命思想)とす
る儒教的世界観。

恥と世間
(5 項目)

人の目を意識し、世間から非難されないよう行動すべきであると
いう集団主義的価値観、即ち、節度、集団優先、義務などを強調
する儒教的処世観。

賢君思想
(4 項目)

世の中は優れた資質の指導者によって治められてこそ意味がある
という儒教的人間観。』

神道

社会的調和
(5 項目)

対立や争いを避け「和をもって尊し」との調和優先的な神道的処
世観。

相対主義
(3 項目)

問題解決には絶対的原理に頼るのではなく、知恵を働かせ状況に
応じて柔軟な対応をするのがよいとする神道的処世観。

集団的功利主義
(3 項目)

ものごとの善悪は共同体に福利をもたらすか災厄をもたらすかとの
観点から判断されるべきであるとする神道的倫理観。

楽観主義
(2 項目)

世の中は自然に治まるべく治まっていくから、自然の流れに任せ
るのが一番であるとする神道的世界観に立脚した処世観。

歴史の内発性
(2 項目)

社会の動きは時勢というものによって決定され、人間の力の及ぶ
ものではない(超人為性)とする神道的世界観。

もののあわれ
(4 項目)

女性的で繊細な感受性が日本人の本来の心であるとする神道的人
間観。』

01創世記 1 Genesis

01創世記 1 Genesis
 WEB
http://seisyodeeigo.web.fc2.com/je01all.html

 ※ 今日は、こんなところで…。

 ※ 創世記の英文と翻訳文を上げておく…。

 ※ このサイトでは、翻訳の日本文と、その英文が、表形式で載っていた…。

 ※ 表形式でテキストを載せる機能は、WordPress.comには無いんで、抽出した日本文と対応する英文とを、載せておく…。

 ※ 『神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。』…。

 ※ そういうことで、「安息日」が生まれたわけだ…。

 ※ ユダヤ教は、土曜日。キリスト教は、日曜日。イスラム教は、金曜日がそれぞれ「安息日」だ…。

 ※ そして、前の記事のように、UAEが金曜日を「平日」にして、「グローバル・スタンダード」に合わせた…、という話しなわけだ…。

『 1:1はじめに神は天と地とを創造された。

1:1 In the beginning God created the heavens and the earth.

1:2地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。

1:2 Now the earth was formless and empty. Darkness was on the surface of the deep. God’s Spirit was hovering over the surface of the waters.

1:3神は「光あれ」と言われた。すると光があった。

1:3 God said, “Let there be light,” and there was light.

1:4神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。

1:4 God saw the light, and saw that it was good. God divided the light from the darkness.

1:5神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。

1:5 God called the light “day,” and the darkness he called “night.” There was evening and there was morning, one day.

1:6神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。

1:6 God said, “Let there be an expanse in the middle of the waters, and let it divide the waters from the waters.”

1:7そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。

1:7 God made the expanse, and divided the waters which were under the expanse from the waters which were above the expanse; and it was so.

1:8神はそのおおぞらを天と名づけられた。夕となり、また朝となった。第二日である。
1:8 God called the expanse “sky.” There was evening and there was morning, a second day.

1:9神はまた言われた、「天の下の水は一つ所に集まり、かわいた地が現れよ」。そのようになった。

1:9 God said, “Let the waters under the sky be gathered together to one place, and let the dry land appear”; and it was so.

1:10神はそのかわいた地を陸と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神は見て、良しとされた。

1:10 God called the dry land “earth,” and the gathering together of the waters he called “seas.” God saw that it was good.

1:11神はまた言われた、「地は青草と、種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ果樹とを地の上にはえさせよ」。そのようになった。

1:11 God said, “Let the earth yield grass, herbs yielding seed, and fruit trees bearing fruit after their kind, with its seed in it, on the earth”; and it was so.

1:12地は青草と、種類にしたがって種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ木とをはえさせた。神は見て、良しとされた。

1:12 The earth yielded grass, herbs yielding seed after their kind, and trees bearing fruit, with its seed in it, after their kind; and God saw that it was good.

1:13夕となり、また朝となった。第三日である。

1:13 There was evening and there was morning, a third day.

1:14神はまた言われた、「天のおおぞらに光があって昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため、年のためになり、

1:14 God said, “Let there be lights in the expanse of sky to divide the day from the night; and let them be for signs, and for seasons, and for days and years;

1:15天のおおぞらにあって地を照らす光となれ」。
そのようになった。

1:15 and let them be for lights in the expanse of sky to give light on the earth”; and it was so.

1:16神は二つの大きな光を造り、大きい光に昼をつかさどらせ、小さい光に夜をつかさどらせ、また星を造られた。

1:16 God made the two great lights: the greater light to rule the day, and the lesser light to rule the night. He also made the stars.

1:17神はこれらを天のおおぞらに置いて地を照らさせ、

1:17 God set them in the expanse of sky to give light to the earth,

1:18昼と夜とをつかさどらせ、光とやみとを分けさせられた。神は見て、良しとされた。
1:18 and to rule over the day and over the night, and to divide the light from the darkness. God saw that it was good.

1:19夕となり、また朝となった。第四日である。
1:19 There was evening and there was morning, a fourth day.

1:20神はまた言われた、「水は生き物の群れで満ち、鳥は地の上、天のおおぞらを飛べ」。

1:20 God said, “Let the waters swarm with swarms of living creatures, and let birds fly above the earth in the open expanse of sky.”

1:21神は海の大いなる獣と、水に群がるすべての動く生き物とを、種類にしたがって創造し、また翼のあるすべての鳥を、種類にしたがって創造された。神は見て、良しとされた。

1:21 God created the large sea creatures, and every living creature that moves, with which the waters swarmed, after their kind, and every winged bird after its kind. God saw that it was good.

1:22神はこれらを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、海の水に満ちよ、また鳥は地にふえよ」。

1:22 God blessed them, saying, “Be fruitful, and multiply, and fill the waters in the seas, and let birds multiply on the earth.”

1:23夕となり、また朝となった。第五日である。
1:23 There was evening and there was morning, a fifth day.

1:24神はまた言われた、「地は生き物を種類にしたがっていだせ。家畜と、這うものと、地の獣とを種類にしたがっていだせ」。そのようになった。

1:24 God said, “Let the earth produce living creatures after their kind, livestock, creeping things, and animals of the earth after their kind”; and it was so.

1:25神は地の獣を種類にしたがい、家畜を種類にしたがい、また地に這うすべての物を種類にしたがって造られた。神は見て、良しとされた。
1:25 God made the animals of the earth after their kind, and the livestock after their kind, and everything that creeps on the ground after its kind. God saw that it was good.

1:26神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。

1:26 God said, “Let us make man in our image, after our likeness: and let them have dominion over the fish of the sea, and over the birds of the sky, and over the livestock, and over all the earth, and over every creeping thing that creeps on the earth.”

1:27神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。

1:27 God created man in his own image. In God’s image he created him; male and female he created them.

1:28神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。

1:28 God blessed them. God said to them, “Be fruitful, multiply, fill the earth, and subdue it. Have dominion over the fish of the sea, over the birds of the sky, and over every living thing that moves on the earth.”

1:29神はまた言われた、「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。
1:29 God said, “Behold, I have given you every herb yielding seed, which is on the surface of all the earth, and every tree, which bears fruit yielding seed. It will be your food.

1:30また地のすべての獣、空のすべての鳥、地を這うすべてのもの、すなわち命あるものには、食物としてすべての青草を与える」。そのようになった。

1:30 To every animal of the earth, and to every bird of the sky, and to everything that creeps on the earth, in which there is life, I have given every green herb for food”; and it was so.

1:31神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。

1:31 God saw everything that he had made, and, behold, it was very good. There was evening and there was morning, a sixth day.

2:1こうして天と地と、その万象とが完成した。

2:1 The heavens and the earth were finished, and all their vast array.

2:2神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。

2:2 On the seventh day God finished his work which he had made; and he rested on the seventh day from all his work which he had made.

2:3神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。

2:3 God blessed the seventh day, and made it holy, because he rested in it from all his work which he had created and made.

創世記

創世記
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E4%B8%96%E8%A8%98

『『創世記』(、ヘブライ語:בראשית、ギリシア語:Γένεσις)は、古代ヘブライ語によって記された、ユダヤ教、キリスト教の聖典でキリスト教の啓典である聖書(旧約聖書)の最初の書であり、正典の一つである。写本が現存しており、モーセが著述したとされている。いわゆるモーセ五書は、ユダヤ教においてはトーラーと呼ばれている。

『創世記』はヘブライ語では冒頭の言葉を取ってבראשית‎(ベレシート)と呼ばれており、これは「はじめに」を意味する。また、ギリシア語の七十人訳では、2章4節[注 1]からとってΓένεσις(ゲネシス)と呼ばれており[3]。「起源、誕生、創生、原因、開始、始まり、根源」の意である[4]。 』

『主な内容

内容は、「天地創造と原初の人類」、「イスラエルの太祖たち」、「ヨセフ物語」の大きく3つに分けることができる。

天地創造と原初の人類
    天地創造 1章
    アダムとエバ、失楽園 2章 - 3章
    カインとアベル 4章
    ノアの方舟 5章 - 11章
    バベルの塔 11章

太祖たちの物語
    アブラハムの生涯 12章 - 25章
        ソドムとゴモラの滅亡 18章 - 19章
        イサクをささげようとするアブラハム 22章
    イサクの生涯 26章 - 27章
    イスラエルと呼ばれたヤコブの生涯 27章 - 36章

ヨセフの物語
    夢見るヨセフ 37章 - 38章
    エジプトでのヨセフ 38章 - 41章
    ヨセフと兄弟たち 42章 - 45章
    その後のヨセフ 46章 - 50章

ユダヤ人の歴史の物語は、聖書で『創世記』の次に置かれている『出エジプト記』へ続いていく。 』

『ヘブライ語聖書における創世記の成立・編集について

神話風の原初史、父祖の物語、ヨセフ物語の三つの部分から成るが、これらはもともとは別の物語であり、成立過程の異なった物語を、連続する物語としても読めるように編集したものである[5]。創世記を含むモーセ五書が現在の形に編集された時期は、紀元前550年前後のバビロニア捕囚期とされる[6]。

原初史に見られる大きな特徴としては、叙述の重複として、同じことについて2度、それも違ったことが語られている箇所が多くみられることである。

このことに言及した解説では、その例として、ノアの箱舟に乗り込む命令が2回なされるところ[7]では、動物の数を種類ごとに分けて入れよという命令と、種類の区別なく入れよという命令が2回なされていることがあげられている[8][9][10]。

これは、現在の形に編集するときに、内容の似た別個の二つの話があり、それらを組み合わせてひとつの話に編集したためであるとされている[11]。

また、神の呼称にもヤハウェとエロヒム(神)の二つがあり、それらが理由もなく交替して現れてくることも、内容の似た別個の二つの話を組み合わせてひとつの話に編集したためであるとされている[12]。

ヤハウェの呼称を用いる文書については、古いものでは前10世紀に成立したと考えられている[13][注 2]。 』

安息日

安息日
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E6%81%AF%E6%97%A5

『安息日(あんそくじつ、あんそくにち、あんそくび〈日本語での読み方を参照〉、ヘブライ語: שבת‎、英語: Sabbath)は、アブラハムの宗教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)において、何もしてはならない日と定められた日である。ツァドク暦の一週間の7日目。』

『概要

旧約聖書の『創世記』で啓典の神が天地創造の7日目に休息を取ったことに由来し、何も行ってはならないと定められた日とされている。週の7日目と定められており、土曜日にあたる。旧約聖書の1日は、基本的に日没で区切るので、「土曜日」というのは深夜を一日の始まりとする現代の時法でいえば金曜日の日没から土曜日の日没までの間を言う。バビロニアの七曜制や他言語の土曜日を表す単語がシャバットに似ていることにも類似性がみられる。

ユダヤ教では、安息日は聖なる日であり、戒律としていかなる労働も行わないことを求められる。キリスト教では、それは厳密に求められることはない。なお、キリスト教の大部分では教会に集まって礼拝を行う日は、基本的に日曜日になっている。

「労働をしてはならない」の範囲は宗教によりかなり差異があり、ユダヤ教では基本的に厳格であり、家事を含め日中は一切の労働を行わない。人命の救助など緊急の場合には安息日でも労働を行ってよいとされているが、タルムードに厳格な人々からは非難され救急車に投石されることもある。以前国際大会でボクシングの選手がたまたま試合の日が安息日になってしまったため、棄権したようなこともあった。キリスト教では歴史的には安息日の休日が重視されたが、一部の教派を除きそれほど強い禁止はない。ピューリタン(改革派)の教派では、娯楽などもつつしみ神の崇拝に専念する日とする考え方がみられるが、キリスト教全般の傾向からすれば、むしろ例外に属する。 』

『各宗教での扱い
ユダヤ教

ユダヤ教の暦の中で、安息日は一番大切な日である。それは『出エジプト記』20章と『申命記』5章に記されている十戒の中で守ることを教えられている日であるからである。安息日(ヘブライ語: שבת‎ シャバット)は、救世主の時代の前兆である。

『出エジプト記』20章では、神が天地創造において7日目に休まれて、この日を祝福し聖であると宣言したゆえに、安息日を覚えて聖なる日とし、労働してはいけないことを教える。また『申命記』5章では、神がユダヤ人をエジプトの奴隷状態から連れ出して休みを与えたゆえに、安息日を覚えて聖別し、労働してはいけないことを教える。

したがって、ユダヤ教で安息日は、神が天地を創造したことを覚えるとともに、神がユダヤ人の歴史を救い、ユダヤ人が神の民であることを覚える記念日でもある。この日は捕囚期以後、シナゴーグにつどい、神を礼拝する日となった。

イスラエルでは、シェバト(シャバット)には機械の操作や火を扱うことができない(『出エジプト記』35章3節)とされている。このため、厳格なユダヤ教徒は金曜日の日没前までに食事の支度をし、安息日である土曜日は調理を行わない。安息日の食事として、金曜日の日没前に煮立たせてから燠火にかけて一晩中低温調理するチョレントや、金曜日の日没前に調理して冷めたものを食べるゲフィルテ・フィッシュが生まれたのはこのためである。

また、イスラエル国内ではユダヤ・アラブ間における「共存」を目指しているとされているハイファ、ならびにアラブ系イスラエル人の都市や村落などを除きバスや鉄道など公共交通機関はすべて運休するうえ、国営航空会社もすべての航空便の運航を停止する(ただし、「シェルート〈שרות〉」という乗り合いタクシーは、上述のハイファだけではなく、テルアビブやベングリオン国際空港などにおいても運行されている)。スポーツ界では、国際大会に出場予定だった選手が、競技の日程が安息日と重なったとして欠場したケースもある。シャバトになるとエレベーターが各階停止の全自動運転になるところがある。これは「ボタンを押す」ことによって電気スイッチ内に火花が飛び「灯火する」ことを避けるためである。また同じ理由から電話番号を音声認識する「コーシェル・フォン(シャバットフォン)」なる電話機も存在する。それ故、ユダヤ教徒は安息日である金曜日の日没から土曜日の日没までは、本来は宗教的な観点から禁煙をしなければならない。しかし、ユダヤ教徒であるユダヤ系イスラエル人が安息日に喫煙を行うことは、宗教的にみればタブー視されるが成人であるならばイスラエルの法律に対する違法行為ではない(ただし、イスラエルにおいては、路上における喫煙行為は、民族や宗教に関わりなく2007年11月からは非合法とされている)。また、ユダヤ教とはいえどもあまり厳格でない宗派も改革派を中心に存在し、普通の家庭生活を送っているユダヤ教徒もいる。 』

『キリスト教

旧約聖書によると安息日は土曜日であったが、キリスト教における重要な事項である「イエス・キリストの復活[1]」「復活したキリストが弟子たちに現れた日[2]」「聖霊降臨(ペンテコステ)[3]」が起こった日は、すべて「週の初めの日」すなわち日曜日である。このためヨハネの黙示録1章10節の「主の日」に基づき、キリストの復活を記念し、復活の日である日曜日を「主日」(または「主の日」「聖日」)と呼び、礼拝を行うようになった。また、主日を特に記念して聖餐式を行ったのはキリスト教のごく初期からのことである[4]。

その後ローマ帝国において321年3月7日、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世が日曜休業令を発布して安息日を取消し、日曜日を礼拝日とした[5]。

ヘンリー・シーセン著『組織神学』p397では「宗教改革者のジョン・ノックス、マルティン・ルター、ジャン・カルヴァンらは、主日(日曜礼拝)は旧約聖書の安息日と、同一視されてはならない、と言った」と指摘している[6]。さらに同書p557においてシーセンはDM Canright の見解を紹介し、使徒たちはユダヤ人なのであるから、エデンの園で与えられ以後長きにわたって守られてきた契約のしるし(安息日)を、セブンスデー・アドベンチスト教会が主張するような「異教徒のローマ人によって」「キリストの死後数百年経ってから」変更したなどと考えるのは実に愚かであるとし、主日(日曜礼拝)の起源は「使徒によって」「キリストの復活を記念し」「主の承認のもとに日を変えた」という根拠に立って始めて十分に説明できるとしている。

ジャン・カルヴァンは著書『信仰の手引き』において、主日(日曜礼拝)と安息日について次のように述べている[7]。

『従ってこの日(安息日)を迷信的に遵守することは、キリスト者から遠ざけられねばならない。』
『旧約の安息日は廃止された』
『ユダヤ人によって守られた日は捨てられた。(それが迷信を駆逐する良策だったからである。)その代わりに、この用のために他の一日が制定されたのである。つまりこれは、教会の秩序と平和とを守り保つために必要である。』

またその歴史の中で主日=安息日と考え、それを極度に厳守すべきであると主張する「安息日厳守主義」も現れた。この起源はバウンド(Nicholas Bound)の著作[8]にあると言われる。ピューリタン達はこの主張を強く持った[4]。

こういった歴史的背景の中で日曜日ではなく土曜(安息日)礼拝を主張するセブンスデー・バプテスト教団やセブンスデー・アドベンチスト教会、真イエス教会、イエス之御霊教会などのキリスト教系団体(主にプロテスタントやキリスト教系の新宗教)も存在する[9]。

一方、正教会など東方教会では主日(日曜礼拝)を守り、土曜日を安息日とする。正教会に属する日本ハリストス正教会では安息日を「スボタ」と呼ぶ。この語は直接にはロシア語に由来している。正教会においてはスボタは神の創造の業を記憶する喜びの日であり、大斎にあっても平日には禁止されるオリーブ油および酒の摂取が許される。ユダヤ的要素が色濃く残るエチオピア正教会などでは安息日もまた日曜日と同じように礼拝日として厳守される。また、西方教会のうちカトリック教会においても、日曜日は「主日」として安息日とは明確に区別されるとしている[10]。 』

『イスラム教
イスラム教ではムハンマドがメッカを脱出した金曜日を安息日としている。厳密には安息日とはユダヤ教のものであり、この場合の安息日とは、休日という意味である。イスラム教は、毎日が礼拝であり、特に金曜日には合同礼拝(集団礼拝、金曜礼拝)が行われる。神はムハンマドに合同礼拝についての啓示を下しており(大天使ガブリエルが仲介している)、アル・クルアーンのスーラに「アル・ジュムア」がある。アル・ジュムア(アラビア語: الجمعة‎)は金曜日という意味。金曜日が休日のイスラム社会もあれば、休日でないイスラム社会もある。また、イスラム教で土曜日は安息日ではないけれども、アラビア語で「土曜日」は「ヤウム・アッ=サブト(يوم السبت)」というが、その「サブト(سبت)」はヘブライ語で「土曜日」や「安息日」を意味する「シャバット(שבת)」が語源である。』

『ヘブライ語の「シャバット」に由来する語が「土曜日」の名称となっている言語では、「安息日」というとそれはユダヤ教の安息日である土曜日のことを指し、キリスト教の主日である日曜日やイスラム教の安息日である金曜日のことは表さない。ギリシア語をはじめ、カトリック圏のロマンス諸語でも「安息日」という語が「土曜日」、「主日」が「日曜日」という曜日名になっている。また、ギリシア語では金曜日を「準備の日」と呼ぶ。』

『日本語での読み方

日本語の「安息日」には「あんそくじつ」「あんそくにち」「あんそくび」の3つの読み方がある。キリスト教関係者の間でも読み方が分かれているが、NHKでは「あんそくび」と読んでいる[11]。

文語訳聖書、口語訳聖書、新改訳聖書では「あんそくにち」、新共同訳聖書、聖書協会共同訳聖書では「あんそくび」、フランシスコ会訳聖書では「あんそくじつ」と振り仮名が振られている。 』

[FT]UAEが金曜「平日」へ 外資誘致でサウジをリード

[FT]UAEが金曜「平日」へ 外資誘致でサウジをリード
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB154AR0V11C21A2000000/

『「今日が金曜日だって知らないの?」。湾岸諸国を初めて訪れた人が現地の文化を知るためのガイドブックのタイトルだ。イスラムの安息日は金曜日だ。礼拝し、家族が集う休日。(そんな事情に疎い)本国の上司からの連絡にいらだつ駐在員の気持ちを表現している。
ドバイ万博の会場で、UAE独立50年を祝い、外国人と一緒に自撮りする男性(2日)=AP

この本は、日曜日に英国の都市郊外の自宅で、ベッドに入ったままで朝食をとっている上司に、駐在員が仕返しの電話をするマンガを載せている。「金曜日に自宅へ連絡していただいた件ですが、調べてきましたよ!」

このジョークはもう通用しなくなったのかもしれない。アラブ首長国連邦(UAE)は2022年1月から、米欧諸国と同じく、土曜日と日曜日を休日にすると発表したのだ。グローバル市場に合わせ、「ワークライフバランス」を高めるためだという。

国際会計事務所グラントソントンUAEのヒシャム・ファルーク最高経営責任者(CEO)は「グローバルな世界への参加は合理的な態度だ。この国は金融のハブ(中核)だが、現状では切り離された1日の間に多大な利益を失っている」と話す。「アジアと米欧を結ぶ玄関口になるには、ほかとは異なる休日を続けていてはいけない」

休日の変更は、現代社会にあわせて経済の仕組みを発展させ、外国人にとっての魅力を一段と高めようとするUAEの取り組みの一環なのだ。
就業は月曜日から金曜日の午前まで

新年から、公共部門の就業時間は月曜日から金曜日の正午までに変わる。政府機関だけでなく資本市場、学校も同様で、民間もこれに従うとみられている。シャルジ首長国はUAE(を構成する7首長国)で最も保守的だとされるが、さらに踏み込んで就業日を週4日とする。金曜日から日曜日までの3日間が休日になる。

ファルーク氏は、グラントソントンUAEのような民間企業が、公共部門の新たな働き方にどう対応するのか検討していると明かした。

一方、宗教の伝統を重視する人たちは変更に抵抗を感じる。UAE市民の一人は「それでも、金曜日は一緒に昼食をとり、信仰と家庭を大事にするのが人々の習わしだ」と話す。

一部の多国籍企業の幹部にとって日曜日は、くつろいで仕事ができる日だった。ほかの国の同僚たちは休んでいるので、UAEでは本来の業務でない活動もできた。

ドバイ首長国に拠点を置くコンサルティング会社ケストレル・グローバルのトム・ハドソン社長は「日曜日の朝に開いてきたゴルフ場での会合を別の日に変更しなければならないという話も聞くが、それを別にすれば、もろ手を挙げて歓迎されている決定だと思う」と証言する。「(UAEの)指導部は外資の関心を集め、(ビジネスの)障害や煩雑な手続きをなくそうと努力している」

コンサルティング会社デノボ・コーポレート・アドバイザーズの創業者メイ・ナスルッラーフ氏は、中東で事業を展開する企業は、意図せずに週6日勤務になってしまわないようにすべきだと指摘する。近隣の湾岸諸国の競合企業は、日曜日に仕事を始める現状が続くからだ。「来年は間違いなく、調整に費やされることになる」

世俗化を進めるUAEの改革には、現地パートナーや定住ビザを持たない外国人の企業所有の容認、エリートの在住外国人への国籍の付与も含む。今後の課題として、コモンロー(英米などの判例法)の導入、英語を使う法廷の設置、ギャンブルの解禁、同性愛の容認などが俎上(そじょう)にあげられている。

改革のペースが上がっている背景にはサウジアラビアの最近の変革がある。サウジはUAEが数十年かけて取り込んできたビジネスの一部を奪いたいと考えている。

サウジは湾岸諸国からの輸入品に新たな関税を課し、UAEで活動する多くのメーカーの輸出に打撃を与えた。多国籍企業は中東の地域拠点をドバイに置くケースが多いが、サウジは同国の首都リヤドに移さなければ利幅の大きな同国の政府調達から外すかもしれないと揺さぶっている。
民間部門への就業を妨げる可能性

ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)のステフェン・ヘルトグ准教授(比較政治学)はUAEの休日変更が「中東のビジネス拠点の地位を守るための争いにおいて、サウジに対する優位を保つ試みの一つだ」と話す。「(イスラム保守派の影響力が強い)サウジが(UAEの)後を追ってイスラムの安息日(金曜日)を半休にするのは困難なので、賢いやり方だ」

ヘルトグ氏はくぎも刺した。公務員はいまでも民間より高い給与と福利厚生に恵まれており、労働時間が短くなれば、民間部門への労働力の移動を妨げる要因になりかねないという。UAEには政府の仕事をしたいと考えている国民が多いからだ。経済の多角化で脱石油を目指すUAEは、就業者を公的部門から民間部門へ移動させたいと考えている。「要するに、外資獲得を巡る争いという政策課題が、(外国人のかわりに)民間部門で働く自国民を増やそうという政策課題に優先したようにみえる」と同氏は付け加えた。

人口の9割を外国人が占めるUAEの改革の狙いは、外国人が暮らしやすい環境を整え、専門技能を持つ人々を呼び込み、出稼ぎではなく定住してもらうことだ。

外国人とその習慣の一部を温かく受け入れようというUAEの姿勢は、外国人に厳しい愛国主義が強まっているクウェートなど、ほかの湾岸諸国とは異なる。

「以前は私たちの文化を守ることを重視していたが、いまではUAEに住む外国人をはるかに尊重するようになった」と、UAEの当局者の一人は話した。「私たちは中東に一つのモデルを示そうとしている。世界は逆行せず、私たちは前進している」

By Simeon Kerr

(2021年12月10日付 英フィナンシャル・タイムズ電子版 https://www.ft.com/)

(c) The Financial Times Limited 2021. All Rights Reserved. The Nikkei Inc. is solely responsible for providing this translated content and The Financial Times Limited does not accept any liability for the accuracy or quality of the translation.
英フィナンシャル・タイムズ(FT)と日経新聞の記者が、アジアのテクノロジー業界の「いま」を読み解くニュースレター「#techAsia」の日本語版をお届けします。配信は原則、毎週金曜。登録はこちら。
https://regist.nikkei.com/ds/setup/briefing.do?me=B009&n_cid=BREFT053 』

「この貴重な銀の燭台を使って、正しい人間となるのです」

司教「この貴重な銀の燭台を使って、正しい人間となるのです」
https://www.eiga-square.jp/title/les_miserables/quotes/1

『妹の飢えた子どものためにパンを盗み、19年に渡り徒刑場に入れられていたジャン。仮釈放となったジャンだが、世間の風当たりは強く、食べるものにも困っていた。そんなジャンに、司教が食べ物と宿を提供してくれる。だが、ジャンは司教の厚意を裏切り、銀食器を盗んで逃げ出す。警察に捕まって司教の前に連れ出されたジャンを許した上に、司教はさらに銀の燭台も渡す。司教の温かい心に触れたジャンは改心する。』

『重要な部分に触れている場合があります。

司教「だが、忘れないように、兄弟よ。神の御心です。この貴重な銀の燭台を使って、正しい人間となるのです。殉教者たちの証言と、イエスの苦難と血によって、神はあなたを暗闇から連れ出してくれます。私は神のためにあなたの魂を救うのです」

Bishop: But remember this, my brother. See in this some higher plan. You must use this precious silver to become an honest man. By the witness of the martyrs, by the passion and the blood, God has raised you out of darkness. I have saved your soul for God. 』

ジャン・バルジャンの真の改心~ミュージカルでは語られないプチ・ジェルヴェ事件
https://shakuryukou.com/2021/06/12/dostoyevsky369/

老化は治療できる病 その為には、、

老化は治療できる病 その為には、、
http://blog.livedoor.jp/nappi11/archives/5303497.html

 ※ nappi10さん、いよいよ「悟りの境地」に向かわれるようだ…。

 ※ 『1日、基本的に2食で、満腹になってはいけない、美味しいものを食べたいと思う欲求を持たない事をモットーにして、腹8分目で、2分は食べたと思って施す事。これは、祖母が常に子供の筆者に言っていた事でもあり、それが今の、筆者が毎日しているキツネや鳥たちへの餌やりの原点で、早目に仕事から離れる人生設計を立てたのも、毎日の過剰なストレスから自分を早く解放する為だった。今では長寿で居たいという欲も無いが、それが社会に負担を掛けないという結果を招くという道理であれば、長生きはすべきで、良い事なのだろう。常にもう少し食べたいという欲求を我慢する事で、自分の体に負荷をかけ、筋肉痛にならない程度の運動を毎日して、筋肉や心臓にも少しの負荷を掛ける。慣れないときついが、年中、真冬でも靴下を履かない事やうつ伏せで寝る事でも体に負荷をかけ、健康で有りたい欲求を満たしている。一方、知的な欲求はブログを毎日書くことで十分満たされている。』

 ※ 『こう書くと、どこか坊さんの修行にも似てくるが、坊さんの修行も、最期を自分の力で終えるための体力、気力を維持する行いなのかもしれない。、、、暖冬の中、まだ排水溝の中で泳ぐ小さなカエルに「まだ冬眠しないのか?」と声をかける。そんな時、平和な自然の中に居られることに感謝する。』…。

 ※ 殆んど、「禅僧の修行の日々」に似ている生活をしておられるようだ…。

『老化の研究や理解はまだ黎明期とはいえ、ひと昔前と比較すると劇的な進歩をとげている。30年前から老化研究に心血を注いできた米ハーバード大学医学大学院遺伝学教授デビッド・シンクレア(David A. Sinclair)氏は、「老化の多くは遺伝子ではなく、いかに生きるかである」という。
すべての人が実践できるアドバイスがあるとすれば、食べる回数を減らすことです。一日3食も必要ありません。身体を「complacency(現状満足状態)」から脱出させないといけません。医学用語では「hormesis(ホルメシス:毒物が毒にならない程度の濃度で刺激効果を示すこと)」と言いますが、身体は殺さない程度に刺激すると強くなります。階段を歩いて上ったり、デスクの前で立って仕事をしたり、食事を抑えたりすることで、身体はサバイバルに対する脅威を覚えます。それと戦う要素が、老化や病気から私たちを守ってくれるのです。老化を減速させれば、心臓病、がん、糖尿病、アルツハイマー病など、あらゆる疾病の進行を遅らせることができます。われわれのアプローチの目的は、健康寿命を延ばし、その後、病気になったとしても数週間で死んでいく、そんな人生です。
心を落ち着かせて、ストレスをためないことです。脳をひどく興奮させると、老化を加速させます。瞑想をして精神を整えることや、記憶力を鍛えることも、老化防止につながります。

現在の医療のように、病気になってから治療を施すのでは遅すぎます。高齢になって病気になり、誰かの世話が必要になってくると、社会が機能しなくなってしまう。健康寿命を延ばすことで、高齢者がコミュニティに貢献し、若い世代に知恵を伝授することが大切です。

国民の多くが健康になれば、国全体が裕福になる。そのためには、研究費の増加や法整備の充実といった政府の後押しも不可欠です。老化を防止することは、人類が月に行くことよりも重要だと思います。参照記事より抜粋

、、、、手前味噌になるが、まさしく筆者が長年想い、実践している事と一致する。1日、基本的に2食で、満腹になってはいけない、美味しいものを食べたいと思う欲求を持たない事をモットーにして、腹8分目で、2分は食べたと思って施す事。これは、祖母が常に子供の筆者に言っていた事でもあり、それが今の、筆者が毎日しているキツネや鳥たちへの餌やりの原点で、早目に仕事から離れる人生設計を立てたのも、毎日の過剰なストレスから自分を早く解放する為だった。今では長寿で居たいという欲も無いが、それが社会に負担を掛けないという結果を招くという道理であれば、長生きはすべきで、良い事なのだろう。常にもう少し食べたいという欲求を我慢する事で、自分の体に負荷をかけ、筋肉痛にならない程度の運動を毎日して、筋肉や心臓にも少しの負荷を掛ける。慣れないときついが、年中、真冬でも靴下を履かない事やうつ伏せで寝る事でも体に負荷をかけ、健康で有りたい欲求を満たしている。一方、知的な欲求はブログを毎日書くことで十分満たされている。

こう書くと、どこか坊さんの修行にも似てくるが、坊さんの修行も、最期を自分の力で終えるための体力、気力を維持する行いなのかもしれない。、、、暖冬の中、まだ排水溝の中で泳ぐ小さなカエルに「まだ冬眠しないのか?」と声をかける。そんな時、平和な自然の中に居られることに感謝する。』

アメリカ白人は「生まれる前から」レイシスト

アメリカ白人は「生まれる前から」レイシストであり、
死ぬまでレイシズムの原罪から逃れることはできない
【橘玲の日々刻々】
https://diamond.jp/articles/-/248160

 ※ いやいや、「衝撃的な」記事だ…。

 ※ インパクトという点では、今年読んだ記事の中での「ベスト」だろう…。

 ※ 丸々、紹介させていただきます…。

 ※ それにつけても、アメリカ人やって行くのは、大変だ…。

 ※ 白人だというだけで、「原罪」押し付けられたり、「内なる差別意識を直視し、真摯に向き合え!」と迫られるわけだ…。

 ※ うちは、仏教、それも「曹洞禅(道元禅師のな)」なんで、「なむしゃかむにぶーつ(南無釈迦牟尼仏)…。」とか唱えて、(頭の中で、座禅して)「悟りに向かって、日々修行」していればそれでよい…。

 ※ どーせ、坊主でもない一般人が、「悟りを開く」なんて、できっこ無い…。

 ※ それでも、誰からも「地獄に落ちるぞ!」とか「人として、不適格だ!」なんて糾弾されることも無い…。

 ※ 火葬なんで、「死後の復活」とか、「死後の裁き」とか、知ったこっちゃ無いしな…。

『アメリカでBLM(ブラック・ライヴズ・マター/黒人の生命も大切だ)の反人種差別デモが過激化の度合いを増している。その背景には、奴隷制廃止から150年、公民権運動から半世紀以上たっても、依然として黒人の地位が向上していない現実がある。

 その結果、「人種問題」をめぐってアメリカの白人は2つのグループ(部族)に分断されることになった。ひとつは保守派で、「法律上は平等な権利を保証され、そのうえアファーマティブアクション(積極的差別是正措置)で優先枠までつくったのだから、現在の苦境は自己責任だ」とする。これについては代表的な保守派知識人の一人ヘザー・マクドナルドの“The War on Cops(警官との戦争)”を紹介した。

[参考記事]
●日本ではほとんど報道されない、BLM運動の嚆矢となった「ファーガソン事件」の真相と背景にある黒人の犯罪率の高さ

 それに対して、アメリカ社会の「構造的な人種差別」を批判する左翼(レフト)はどのように考えているのだろうか。それを知りたくて、BLM運動以降、アメリカでベストセラーとなったロビン・ディアンジェロの“White Fragility: Why It’s So Hard for White People to Talk About Racism(白人の脆弱性:白人にとって人種主義について話すのはなぜこれほど難しいのか)”を読んでみた。

 著者のディアンジェロは1956年生まれの「白人女性」で、「ホワイトネス(白人性)」の研究で博士号を取得し、大学で多文化教育を講じるかたわら、企業などにダイバーシティ・トレーニングを提供する活動を続けている。“White Fragility(白人の脆弱性)”はディアンジェロの造語で、これがなにを意味するかはおいおい説明しよう。
アメリカ白人は、「生まれる前から」レイシスト

“White Fragility”でディアンジェロは、批判的人種理論(Critical Race Theory)にもとづいてきわめて明快な主張をしているが、それは日本人(とりわけ「リベラル」)にとって容易には理解しがたいものだ。ここではできるだけ客観的に説明し、私の感想は最後に述べることにしよう。

 ディアンジェロによれば、アメリカ社会は人種・性別・性的志向などによって階層化されており、その頂点に君臨するのは「白人、男性、異性愛者・健常者・中上流階級」という属性をもつグループだ。だが「白人女性」や「白人のLGBTQI(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、クィア、インターセックス)」だからといって「人種主義Racism」から逃れることはできない。

 なぜならアメリカ社会の根底には、「white」と「people of color」の構造的な差別があるから。whiteは「白人」、people of colorは「有色人種」のことだが、raceを避けている用語に「人種」の訳語をあてるのは適切ではないだろう。直訳では「(肌の)色のあるひとたち」だが、これは日本語として違和感があるので、ここでは「ピープル・オブ・カラー」とカタカナで表記する。

 この訳語にこだわるのは、ディアンジェロの世界観が「白人」と「ピープル・オブ・カラー」の二元論だからだ。「奴隷制」と「植民地主義」という負の歴史の上につくられたアメリカ社会では、この2つの集団間の「差別のシステム」があらゆるところに埋め込まれているのだ。

 ピープル・オブ・カラーには黒人(アフリカ系)、ラティンクス/Latinx(ラテンアメリカ系)、アジア系、ネイティブアメリカンなどがいるし、人種間の結婚で生まれたひとたちもいるだろう。――中南米(ラテンアメリカ)に文化的・民族的アイデンティティをもつアメリカ人は「ヒスパニック」と呼ばれていたが、彼らは「スペイン語話者」でも「スペイン出身者」でもないため、「Latino(ラテン系男性)」や「Latina(ラテン系女性)」が好まれるようになり、近年はジェンダーフリーの呼称として「Latinx(ラテン系)」という新語が「PC=政治的に正しい」とされるようになったようだ。

 白人にも同様に、アメリカ社会の主流派であるWASP(イギリス系プロテスタント)だけでなく、かつては黒人同様に扱われていたアイルランド系やイタリア系、ナチスの弾圧を逃れてアメリカに渡ったユダヤ系や、新興移民として奴隷制も公民権運動も知らないロシア・東欧系などさまざまなグループがあるし、白人とピープル・オブ・カラーの結婚も珍しくなくなった。

 だがディアンジェロは、このように人種の多様性を強調することを否定する。「人種多様性」はピープル・オブ・カラーを分断し、白人に免罪符を与え、「白人VSピープル・オブ・カラー」という構図を曖昧にするだけだからだ。

 この二元論からディアンジェロは、「アメリカでは人種主義(レイシズム)は白人だけのものである」というかなり思い切った主張をする。ピープル・オブ・カラーのなかにももちろん、他の人種に対して偏見をもつ人間はいくらでもいるだろう。だがそれは、定義上、(アメリカ社会では)レイシズムとはなり得ない。その一方で白人は、祖先の国籍や家系の歴史に関係なく、存在そのものが「レイシズム」だ。

 これは、「白人は生まれながらにしてレイシスト」というだけではない。アメリカ白人は、「生まれる前から」レイシストなのだ。なぜなら白人というだけで、妊娠から出産までのあいだに、病院や保健センターなどでピープル・オブ・カラー(とりわけ黒人)とまったく異なる扱いを受けるのだから……。

 ディアンジェロは次のように述べる。

「私はアメリカで育った白人アメリカ人だ。私は白人の考える枠組みと白人の世界観をもち、白人の経験する世界を生きてきた。私の経験は普遍的な人類の経験ではない。それは人種が重要な意味をもつ社会、人種によって深く分断された不公平な社会のなかで、とりわけ白人が経験するものだ」

 アメリカで、あるいは西欧による植民地の歴史をもつすべての文化で、白人がレイシズムと無関係に生きることは原理的に不可能なのだ。』

『ディアンジェロは生物学的な人種概念を否定する

「すべての白人はレイシストである」という前提に立つ以上、当然のことだが、ディアンジェロはトランプ支持の「白人至上主義者」だけを批判したりはしない。こうした「可視化された人種主義」はこれまでさんざん俎上にあげられてきており、それにもかかわらず人種主義はなくならないばかりか、黒人の苦境はますます強まっている。

 ここで白人のリベラルは、「それはレイシズムへの批判が足りないからだ」としてBLM運動への支持を表明するかもしれない。だがディアンジェロは、こうした態度自体が「レイシズム」だとする。“White Fragility”は、「進歩的」で「寛容」なリベラル白人の「不可視のレイシズム」への糾弾の書だ。

 従来のリベラリズムは、個人を「黒人」や「女性」などのマイノリティにグループ分けし、ステレオタイプを押しつけることを「差別」だとしてきた。それを乗り越える方策が「カラーブラインド」や「ジェンダーブラインド」で、差別をなくすためのもっとも重要な心構えだとされている。――colorblindは色盲のことで、そこから「肌の色のちがいを見えなくする」の意味に使われるようになった。

 だがディアンジェロは、アメリカ社会でポリティカルコレクトネス(政治的正しさ)の中核にあるカラーブラインドを否定する。

 アメリカ社会はずっと、カラーブラインドによって人種差別を克服しようとしてきたが、ディアンジェロからすればこれは「人種のちがいがないように振る舞えばレイシズムはなくなる」という虚偽以外のなにものでもない。「人種」を見えなくするカラーブラインドによって、誰ひとり自分をレイシストだといわなくなったとしても、レイシズムは厳然と存在するのだ。

 日本でも「女だから」とか「国籍がちがうから」などの理由で個人を評価することは差別と見なされるようになってきた。「個人をグループとしてではなく、一人ひとりの個性や能力で評価する」というIndividualism(個人主義)はリベラルの大原則で、ほとんどのひとが当然だと思うだろうが、ディアンジェロはこれも否定する。「彼/彼女が黒人であることは採用・昇進になんの関係もない。なぜなら人種ではなく“個人”を評価しているから」というのは、リベラルな白人が自らのレイシズムを隠蔽・正当化するときの典型的な手段にすぎない。――さらには、「客観的な評価によってバイアスから自由になれる」という「客観主義」も否定される。バイアス(偏見)は人間の本性で、どのようなことをしてもそこからフリー(自由)になることはできないのだ。

 この「カラーブラインド」と「個人主義」の全否定は、「リベラル」にとっては驚天動地の話だろう。だがこれは、考えてみれば当然でもある。アファーマティブアクションは「人種」というグループで優遇するかどうか決めているのだから(ディアンジェロは「資格のある特定のマイノリティに白人と同等の機会を与えること」と定義する)、カラーブラインドと個人主義を徹底すればその根拠はなくなってしまう。「差別されたマイノリティ」を制度によって救済しようとするなら、「人種」という概念を認めるほかない。その意味では、ディアンジェロの一見過激な主張の方が筋が通っているともいえる。

 ディアンジェロはもちろん、生物学的な人種概念を否定する。近年の遺伝人類学や行動遺伝学では「ヒト集団」のちがいが大きな論争になっており、イギリスのリベラルな科学ジャーナリスト、アンジェラ・サイニーは『科学の人種主義とたたかう 人種概念の起源から最新のゲノム科学まで』(作品社)でこのテーマと格闘しているが、ディアンジェロは論文1本を根拠に「肌の下に真の生物学的な人種はない」と一蹴している。

[参考記事]
●アメリカでリベラルと「レフト」が衝突する「人種主義Racism」。「人種」概念の否定と遺伝的な「ヒト集団」が混乱を起こしている

 生物学的な「人種」は虚構で、「人種」概念は社会的につくられたというのが「社会構築主義」だが、その立場からすると、リベラルのカラーブラインドや個人主義は、社会的な構築物である「人種」を否定し、アメリカ社会の根底にある「構造的レイシズム」を容認することなのだ。

 ここまでくれば、ディアンジェロが「リベラル」ではなく「左翼(レフト)」である理由がわかるだろう。その批判の刃は、頑迷なトランプ支持の「白人至上主義者」よりも、彼らを口先だけで批判する「エリートの白人リベラル」に向けられているのだ。

 だがこの論理を、自分のことを「レイシズムとは無縁なリベラル」だと思っている白人は容易に理解することができない。そこでディアンジェロは、企業のダイバーシティ・トレーニングで(黒人のコーディネーターといっしょに)、白人の従業員に対して「レイシストとはあなた自身のことだ」という“事実”を伝える。すると白人たちはこの“攻撃”に驚き狼狽し、怒ったり、言い訳したり、無言になったり、席を立ったりする。こうした反応が“White Fragility(白人の脆弱性)”なのだ。
ディアンジェロは「リベラル」な白人の偽善を徹底的に批判する

 左翼(レフト)であるディアンジェロは、「リベラル」な白人の偽善を徹底的に批判する。それが、「よい白人」と「悪い白人」の二元論だ。

 リベラルを自称する白人にとって、「悪い白人」のステレオタイプは「無知、田舎者、偏見、意地悪、年寄り、南部人」で、「よい白人」のステレオタイプは「進歩的、高学歴、寛容、良心的、若者、北部人」だ。そして、トランプ支持の白人至上主義者に「悪い白人」のレッテルを押しつけることで、自らを「よい白人」に分類して安全圏に逃げ込んでいるとされる。

 ディアンジェロが述べているわけではないものの、こうした視点は映画『スキン』を見たときの違和感をうまく説明する。

 ガイ・ナティーヴ(イスラエル出身のユダヤ人)監督のこの映画では、カルト的な白人至上主義団体で育ち、顔面を含め全身に無数の刺青(タトゥー)をしたレイシストの若者が、シングルマザーとその子どもたちに出会ったことで人生をやり直したいと願い、組織と対決する。

 これは実話を元にしていて、映画としてもよくできているが(主役は『リトル・ダンサー』の少年)、ここまで白人至上主義者を悪魔化してしまうと、映画を見たほとんどの白人は、自分にはなんの関係もないことだと思うのではないだろうか。白人至上主義のカルト団体に所属する全身刺青のレイシストなど、アメリカじゅうでせいぜい数百人しかいないだろうから。

 ディアンジェロにとっては、リベラルが好む「頑迷固陋な白人至上主義者」は、白人エリートの自己正当化にすぎない。「悪い白人」を自分とまったくちがう異形の存在にしてしまえば、「よい白人である私」は人種差別とはなんの関係もなくなるのだ。

“White Fragility”では、会社のダイバーシティ・トレーニングで白人従業員が、自分はレイシズムとは無縁だと主張するときに使う科白がたくさん紹介されている。

・あなたがピンクだろうが、紫だろうか、水玉模様だろうが私は気にしない。
・あなたがたまたま黒人だったとしても、私があなたについて語ることとはなんの関係もない。
・人種を問題にすることはわたしたちを分断する。
・もしひとびとが私をリスペクトするのなら、人種にかかわらず、私もそのひとたちをリスペクトする。
・私はレイシストではない。なぜならカナダから来たから。
・私は貧しい家庭に育った(白人特権の恩恵など受けていない)。
・私はとても多様性のある職場で働いている。
・家族にピープル・オブ・カラーがいる(あるいは結婚している、子どもがいる)。
・60年代の公民権運動に参加した。
・中国から養子をもらった。
・日本に暮らしたことがあり、マイノリティがどういうものか知っている、などなど。

 ダイバーシティ・トレーニングというのは、こうした「言い訳」を一つひとつつぶして、自らの「内なるレイシズム」に直面させることなのだ。

 大企業で働く(恵まれた)白人が、白人特権(white privilege)をあっさり免責してしまうことを受け入れがたいマイノリティがいることは間違いないだろう。その意味で、ディアンジェロの主張に説得力を感じるところはあるものの、「白人女性の涙(White Women’s Tears)」という章を読むと複雑な気持ちにならざるを得ない。ここではダイバーシティ・トレーニングで、自らのレイシズムを指摘された白人女性が泣くことについて述べられている。

 黒人などのマイノリティに共感していて、レイシズムに断固反対してきたと信じている白人女性が、「あなたのその態度がレイシズムだ」といわれて混乱し、泣き出すというのは想像できる光景だ。そんなとき、まずは同席していた白人女性や白人男性が泣いている女性をなぐさめようとし、ときにはそれに黒人男性が加わって、講師であるディアンジェロを批判するのだという。

 これに対してディアンジェロは、「泣く」ということ自体が、自らの内なるレイシムズを直視することから逃げ、「女」を利用して周囲の同情を集めて自分を守ろうとする“White Fragility”の典型だとする。なぜなら「感情とは私たちのバイアスと信念、文化的なフレームワークによってつくられたもの」であり、「感情とは政治的なもの」だからだ。

 そして、泣き出した白人女性をなぐさめることは、「交通事故が起きたとき、(犠牲者である)通行人が道に倒れているにもかかわらず、(事故を起こした)車の運転手に駆け寄るようなもの」だという。これを読んだときは、アメリカの白人はこんな仕打ちにも耐えなくてはならないのかと思わず同情した。』

『「現状維持」がレイシズムなら「現状を破壊する」行為はそれがどんなものであれ反レイシズム

 ディアンジェロのダイバーシティ・トレーニングは、白人従業員にとってはかなり過酷な体験だ。だったらなぜ、企業はこんなことをさせるのか。

 それは大企業の経営者が、いつ「人種差別的」と批判されBLM運動の標的になるかわからないと戦々恐々としているからであり、白人の従業員(とりわけ中間管理職)が黒人の部下や同僚とどのように接すれば「人種差別的」と見なされないかわからなくなっているからだろう。

 そこで彼らは、藁にもすがる思いでダイバーシティ・トレーニングを受講する(自分たちはここまで努力しているという免罪符を手に入れたいというものあるのだろう)。ところがそうすると、「白人という存在そのものがレイシズムだ」といわれ、「脆弱性」をさらけ出すことになってしまうのだ。

 私はアメリカで暮らしているわけでもないし、そもそも「ピープル・オブ・カラー」として、定義上、レイシストにはなり得ないのだから、複雑骨折したようなアメリカの「人種問題」についての論評は控えるべきかもしれない。

 それでもひと言だけいわせてもらえば、ディアンジェロの論理は、キリスト教的な「原罪」とフロイト主義(精神分析)のグロテスクな組み合わせのように思える。アメリカの白人は「白さ(ホワイトネス)」という原罪を背負っているものの、それを無意識に抑圧し「白人特権」を守ろうとしている。とりわけリベラルな白人は、「悪い白人」を悪魔に見立てることで自分のなかの「悪」を外部化し、内なるレイシズムを否認・正当化しているのだ。

 しかしそうなると、どのような説明・弁解・抗議をしても(あるいは謝罪しても)、すべてが「抑圧されたレイシズム」と見なされてしまう。このロジックは自己完結しているので、逃げ場はどこにもない。

 ディアンジェロは、アメリカの(リベラルな)白人が求めているのは「status quo(現状維持)」だという。すべては、レイシズムを否認して「白人特権」という現状を守るための暗黙の策略なのだ。こうして、コリン・パウエル(ブッシュ政権の国務長官)やクラレンス・トーマス(最高裁判事)のような保守的な黒人の成功者はもちろん、バラク・オバマですら「現状維持を支え、(白人を)脅かすといういかなる意味でもじゅうぶんにレイシズムに挑戦しなかった」と批判されることになる。

 ここから、一部のBLM運動の常軌を逸した(ように見える)ラディカリズムが理解できるのではないだろうか。「現状維持」がレイシズムなら、「現状を破壊する」行為は、それがどんなものであれ反レイシズムなのだ。

 ディアンジェロのような白人知識人がこうした極端な思想をもち、それが一定の支持を集める背景には、アメリカのアカデミズの実態があるのかもしれない。ディアンジェロが認めるように、アメリカの大学教員の84%は白人で、それはまさに「構造的レイシズム」そのものだ。この事実を否認し正当化する必要があるからこそ、アメリカの白人知識人は、ごくふつうに暮らし働いている市井の白人に「レイシスト」のレッテルを押しつけようとするのではないだろうか。

 こうしたラディカリズムは、いったいどこに向かうのか? ダイバーシティ・トレーニングの目的をディアンジェロは、「白人が引き起こしたレイシズムを直視する痛みに耐えるスタミナをつけること」だという。そして、「レイシズムを(ピープル・オブ・カラーと同様に)生と死の問題だと考え、あなたの宿題をすること」が重要だとする。

 もちろん、白人であるディアンジェロ自身もレイシズムから自由になることはなく、学びが終わることもない。アメリカの白人は「生まれる前から」レイシストであり、死ぬまでレイシズムの原罪から逃れることはできないのだ。――そう考えれば、これは一種の「宗教運動」にちかい。

 自らが「原罪」を背負っていると考える白人がなにをしようと自由だが、民主的な市民社会で、なんら法を侵すことなく暮らしているひとたちにこうした「罪」を負わせるのは酷だし、ひとは自分が「悪」であることを受け入れることなどできない。このラディカルな人種理論は「人種問題」の解決に役立たないばかりか、状況をさらに悪化させるだけではないだろうか。

橘 玲(たちばな あきら)
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作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)、『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)、『橘玲の中国私論』の改訂文庫本『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)、『もっと言ってはいけない』(新潮新書) など。最新刊は『女と男 なぜわかりあえないのか』(文春新書)。』

[FT]イラクのキングメーカー、ムクタダ・サドル師の素顔

[FT]イラクのキングメーカー、ムクタダ・サドル師の素顔
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB185XE0Y1A011C2000000/

 ※ 「イスラム世界」については、全くの門外漢だ…。

 ※ しかし、分析の「軸」としては、「政教一致」というものがあるような気がする…。
 ※ オレらは、あまりに「政教分離」の思考パターンに慣れている…。

 ※ しかし、イスラム世界、それも「シーア派」においては、厳然として、「政教一致」の思考軸があるようだ…。

 ※ イラン―イラク―アフガンのタリバン…、みんな「政教一致」の分析軸で括れるような気がする…。

 ※ そうでなければ、そもそも、「シーア派の最高位法学者の一族の御曹司」なんてものが、成立するはずも無い…。

『10月10日、ムクタダ・サドル師は黒いマスクをつけ、古びた銀色の三菱車に乗り込んだ。武装組織を率い、イスラム教シーア派の法学者でもあるサドル師は、イラクの議会選で投票に向かうところだった。それから丸2日もたたないうちに、イラク議会(国会)の最大勢力を指揮することが決まった。
イラクの新政権はサドル師の政党連合を軸に構成される可能性が高い(11日、イラク中部のシーア派聖地ナジャフでの勝利宣言)=ロイター

今回の議会選は、イラクの政治指導者のなかで最も選挙に強いサドル師の力を見せつける結果となった。サドル師の政党連合は獲得議席を、2018年の前回議会選の54議席から73議席(定数329)に伸ばした。11日の勝利宣言では、宗教とナショナリズムを、同師の支持者が望む政治体制の一新を絡めて論じてみせた。

「今後、イラクの政府と政党は資金や資源をコントロールしない。いずれも国民のものだからだ」。03年の米軍主導の「有志連合」軍によるフセイン政権打倒後、政治家の多くは石油輸出国機構(OPEC)で2番目の産油国である同国の資源が生む富を収奪したと見なされている。こうした国民の幻滅を意識し、サドル師は上記のように語った。イラク国民が同師からこうした約束を聞いたのは、これが初めてではない。

武闘派で、虐げられた人たちの擁護者を自称するサドル師は変わり身が早い。キングメーカーであり、イラクの多数派であるシーア派の名門法学者一族の御曹司だが、これまでに何度も自分のイメージを変えてきた。47歳となり、ひげが白くなったサドル師の姿はいまや、04年に英米が軸の占領軍への反乱を率い、その後は宗派間の血みどろの争いの前線に加わった当時の若者の面影を残していない。

父はシーア派の最高位法学者、配下に民兵組織

サドル師はなお、政府の支援を受けた武装勢力だと同師の支持者が主張する民兵組織「サラヤ・サラム(平和旅団)」を率いている。だが、先日「占領やテロ、あるいは人を誘拐し、恐怖に陥れ、国家の役割を損なう武装組織を排除して市民が平和に暮らす時が訪れた」と、厳かに宣言した。

サドル師が率いる国民運動「サドル潮流」の主要人物ディアア・アサディ氏は20代のころ、サドル師の父に仕えていた時、初めて同師に会った。(シーア派法学者で最高位の)グランドアヤトラとしてイラクで最も尊敬されたシーア派法学者の一人だとされたムハンマド・サーディク・サドル師がサドル師の父だ。ムハンマド・サーディク・サドル師はシーア派の教えと社会正義を混合した宗教復興運動を起こし、シーア派を抑圧していたサダム・フセイン大統領(当時)を公然と批判した。フセイン氏は広範なネットワークでつながるムハンマド・サーディク・サドル師の信奉者らを警戒し、1999年には同師の殺害を命じた。ムハンマド・サーディク・サドル師は、サドル師とは別の息子2人とともに三菱車で移動中に暗殺された。その車は、サドル師が10日、投票所に向かった際に利用した三菱車と同じモデルだった。

アサディ氏はサドル師を「非常にまじめだ」と評した。サドル師は性格がやや軽く、かつてはサドル潮流の活動をサッカーの試合になぞらえたこともあるが、人前にはあまり出ず、質素な暮らしを送ってきた。

サドル師はシーア派法学者として父親にかなわないが、2003年の米国主導の有志連合軍によるイラク侵攻後にサドル潮流を引き継いだ。その前のフセイン政権下で、ほかのシーア派の野党政治家と異なり、イラクにとどまった。サドル潮流の軸は首都バグダッドにあるシーア派のスラム街だ。ここはかつて「サダムシティー」と呼ばれていたが、フセイン政権崩壊後は「サドルシティー」に改められた。

米軍主導でイラクが占領されていた時代、サドル師と何回か会ったことのある研究者の一人は、シーア派の労働者階級の人気が高い同師を「予測不能で反抗的、さらに気分屋で自制心を欠く」と説明した。それでも「主に父親ののこした名声のおかげでアラブ世界の指導者がほぼ誰も成し遂げられなかったようなカルト的な支持層」を形成できたと指摘する。
米軍と衝突、すべての外国の介入排除を主張

有志連合軍がフセイン政権の転覆を果たし、サドル師は当初、これを支持したが、すぐに米軍主体の占領軍と衝突した。占領軍は、親米欧のシーア派法学者が03年に殺害された件に関与した疑いでサドル師の「殺害もしくは捕獲」を命じた。04年になると、サドル師は反撃を始めた。反米蜂起は血みどろの内戦状態につながった。戦闘はスンニ派とシーア派のそれぞれの過激派組織、イラク国軍、外国の駐留軍の間で繰り広げられた。サドル師に関する著書があるパトリック・コックバーン氏によると、同師の武装組織「マハディ軍」はイランの支援を得て「スンニ派に対するシーア派の軍事攻撃の最前線」にいた。
イラク中部のシーア派聖地ナジャフで、サドル師の政党連合の勝利を喜ぶ支持者ら(11日)=ロイター

米国の支援を受けたイラク政府が大規模な攻撃を仕掛けると、サドル師はマハディ軍を解散した。その後、サドル師とイラン政府との関係は曖昧になり、すべての外国の介入に反対するナショナリストの立場を取りながら、何度もイランにあるシーア派聖地コムに身を隠し、イスラム法を学んだ。

政治活動を開始した際、サドル師は自らが虐げられた人々の擁護者に映るよう演出した。イラクの市民が国を食い物にする政治家に幻滅するようになると、街頭に配下の戦闘員を送り、反汚職を訴える抗議デモを主導した。16年にはサドル師の支持者たちが「グリーンゾーン」(各国大使館やイラク議会があるバグダッド中心部の1マイル四方を壁で囲った米軍管理区域)に侵入し、議員たちに暴力を振るった。サドル師の影響力はだんだんと強まり、注目されるようになった。17年には、同様に若きポピュリスト(大衆迎合主義者)であるサウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン皇太子がサドル師をサウジに招いた。

サドル師にはアウトサイダーのイメージがあるが、同師の支持者はイラク政府の一翼を担うようになった。18年の前回議会選でサドル師の政党連合は第1党となり、いくつかの省庁を掌握した。ポストと恩恵を支持者に分配できるようになった。19年に反エスタブリッシュメント(支配層)を掲げる市民らの広範なデモが起きると、サドル師は当初、これを支持した。だが、その後、態度を変えたため、デモに参加した若年層はサドル潮流に対し不信感を抱くようになった。

サドル師が呼びかける相手はいま、筋金入りの支持層に限られる。アナリストのハリス・ハサン氏によると、サドル師の集票マシンは「新しい選挙制度を巧みに利用し、その投票パワーをフルに発揮した」。議会の第1党を維持したが、(単独で過半数には達しなかったため)サドル師は新内閣の発足に向け、ほかの勢力と交渉しなければならない。相手の勢力の一部は武装しており、選挙結果を認めないケースもある。(サドル師の支持者以外の)多くのイラク国民はサドル派も腐敗していると訴えている。「腐敗した人はみな責任を問われる」というサドル師の姿勢が試される。

By Chloe Cornish

(2021年10月16日付 英フィナンシャル・タイムズ電子版 https://www.ft.com/)

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【お寺の掲示板の深い言葉 1】「おまえも死ぬぞ」

【お寺の掲示板の深い言葉 1】「おまえも死ぬぞ」
そんな言葉をお釈迦さまは本当に口にしたの!?
https://diamond.jp/articles/-/180435

『スティーブ・ジョブズはこう語った

 ツイッターでこの写真を目にした方も多いかもしれません。投稿した方は「ここまで衝撃を受けたのは初めて」とコメントしています。いいね!とリツイート併せてすでに15万件。書き込みには共感の声が多いようです。

 自分もいつかは死すべき存在である、ということを日頃私たちは忘れてしまいがちな世の中です。「釈尊」つまりお釈迦さまは、本当にこう口にされたのでしょうか。

 釈尊の教えを伝えるとされる原始仏典『サンユッタニカーヤ』の中では、「生まれたものが死なないということはあり得ない」(中村元訳『ブッダ悪魔との対話』より)と記されています。この文言を書かれた住職はそれを直接的な物言いにしたのだと思われます。
 アップル社の共同設立者の一人、スティーブ・ジョブズさんが、亡くなる2011年の6年前にスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチは有名です。若いときから、座禅を行い、仏教に関心を抱いていたジョブズさんは、このときすでに癌に侵されていました。卒業式の壇上で、17歳のとき目にした本の言葉を紹介しています。

「毎日、これが人生最後の日と思って生きてみなさい。そうすればいつかそれが正しいとわかる日がくるだろう」 

【お寺の掲示板の深い言葉 1】「おまえも死ぬぞ」超覚寺(広島) 投稿者:@chokakuji [9月16日]

樹木希林の死生観

 5年半前、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞受賞のスピーチで、癌が全身転移したことを公表した女優の樹木希林さん。今年9月15日に亡くなるまでの間、『そして父になる』『神宮希林 わたしの神様』『うまれる ずっと、いっしょ。』『あん』『海街diary』『海よりもまだ深く』『モリのいる場所』『万引き家族』、そして10月中旬公開予定の『日日是好日』など、実に数多くの作品に出演されました。

 ちなみに、「日日是好日(にちにちこれこうじつ)」は禅語の1つで、どんな日であっても、とらわれを離れてありのままに生きれば、毎日は新鮮で最高にいい日だという意味です。希林さんは、全身に痛みが走ることもあったでしょうが、自然体のまま最後まで仕事を全うされました。彼女が雑誌「AERA」で語った死生観にはとても仏教的な考え方が詰まっていると思います。

――「死をどう思いますか」なんて聞かれたって、死んだことないからわからないのよ。
――死はいつか来るものではなくいつでも来るものなの。

 私たちは、自分が死ぬことを自覚したとき、初めて自分の本当にやりたいことが見えてくるのかもしれません。いつ死ぬかは分からない。だからこそ、毎日を大切に生きましょう。

(解説/浄土真宗本願寺派僧侶 江田智昭)』

【お寺の掲示板91】自分の敵はどこにいる?

【お寺の掲示板91】自分の敵はどこにいる?
“宇宙兄弟”の兄が気付いた真実
https://diamond.jp/articles/-/284266?utm_source=daily_dol&utm_medium=email&utm_campaign=20211018

『戦争が始まる前、国民を鼓舞するため、憎むべき「敵」の姿が浮かび上がってくるものです。その「敵」は、本当はどこにいるのでしょうか。今回は、心の中の「邪魔」なもの、煩悩について考えてみます。(解説/僧侶 江田智昭)
自分の足を引っ張り続けていたのは

 これは、小山宙哉氏が青年漫画誌に連載している『宇宙兄弟』(講談社)第11巻に出てくる主人公“宇宙兄弟”の兄である南波六太[なんば・むった]の言葉です。作品の中では「俺の敵はだいたい俺です。自分の“宇宙へ行きたい”って夢をさんざん邪魔して、足を引っ張り続けたのは結局俺でした」と言葉が続きます。

 セリフの中に「邪魔」という言葉が出て来ます。この言葉は、お釈迦さまが悟りを開くことを妨害するために現れた悪魔マーラに由来していると言われています。心の中の煩悩の化身であるマーラは、美しい女性3人を送り込んで誘惑するなど、さまざまな妨害行為を繰り広げますが、お釈迦さまは全く動じません。そして、35歳の時に悟りを開かれました。結局のところ、悟りを開く上での最大の敵(邪魔)は、他者ではなく、自分自身の心の中にあったのです。

 私たちは外部に「邪魔」なものや「敵」を勝手に作り出し、それらに対してイライラしたり、憎しみを抱いたりします。しかし、「邪魔」なものは決して自分の外にあるものではありません。それはあくまで自分の心の中に存在しています。勝手に外部の存在に「邪魔」というレッテルを貼ってしまう自分自身の心の在り方が問題なのです。

 仏教の教えに真剣に触れることは、自分自身の心の中の「邪魔(煩悩)」を深くのぞくこととつながっています。だから、それは、決して楽しい作業ではありません。仏教の教えは心地良いものばかりではなく、己の心を突き刺してくるようなものも中にはたくさん含まれています。仏法に触れて、自分自身の心の闇の深さが分かれば分かるほど、「自分の敵が自分である」という事実に気付くことができるのです。

 宗教学者で僧侶の釈徹宗師が、「仏法は邪魔になるまで聞け」という言葉を紹介していました。これはつまり、仏教によって自分自身の煩悩の大きさが知らされ、その結果、「仏教の教えは自分にとって邪魔だ」と思えるほどに教えを聞きなさいということです。

 なぜそこまでしなきゃいけないのだろう、と思う方もいるかもしれませんが、そのようなプロセスを経ることによって、宗教者にとって最も大切な「生かされている」という感覚が体の底から身に付くのだと思います。ですから、「生涯聞法[もんぽう]」(生涯仏教の教えを聞き続ける)という姿勢が、仏教(特に浄土真宗)では非常に重要とされているのです。

「輝け!お寺の掲示板大賞2021」では10月20日まで皆さんのご応募を受け付けています。
この連載をまとめた第2弾となる書籍『お寺の掲示板 諸法無我』が現在発売中です。是非お手に取ってみてください。』

〔ポーランド、ハンガリーの宗教状況…。〕

歴史を踏まえたヨーロッパの統合
https://www.teikokushoin.co.jp/journals/geography/pdf/201002gs/05_hsggbl2010_02gs_p10_12.pdf

 ※ この.pdfが、参考になった…。

 ※ 画像も、大体そこからキャプチャした…。

※ ポーランドは、9割近くがカトリックだ…。

※ ハンガリーは、円グラフを探したが、見つけられんかった…。上記によると、4割くらいがカトリックのようだ…。

※ そもそもの「ヨーロッパの宗教分布」が、こんな感じ…。

※ いわゆる「西欧」は、カトリックvs.プロテスタントだ…。

※ それが、中・東欧になると、正教会(ギリシャ正教)が多くなってくる…。東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の支配下だったからな…。

※ さらに、バルカン半島・オリエント寄りになると、イスラム教徒が多くなってくる…。オスマン帝国の支配下だったからな…。

※ 9世紀頃は、こんな感じ…。

※ こういう状況から、ルターやカルヴァンなんかが出て来て、「宗教改革」により、「プロテスタント」が登場するわけだ…。

※ オレらは遠いし、あまりよく知らないから、「ヨーロッパ」「西洋人」などと一括りにしがちだが、実は、喋っている言語も、相当に異なる…。

※ 系統的には、上記のようなものだ…。

※ だから、宗教分布も、こういう状況になる…。

※ 言語分布も、こういう感じで様々・区々だ…。

※ 経済的にも、けっこうな「格差」がある…。

※ それでは「いかん」ということで、「統合して、”大市場”を作ろう!」という話しになった…。

※ それで、加盟国は徐々に拡大した…。まあ、日本の「市町村合併」みたいな話しだろう…。

※ 確かに、「経済」「市場」は、「統合」したり、「共通ルール」で運営したりすることは可能だろう…。

※ しかし、「宗教」「長年の慣習」「人々の意識・頭の中」は、そうはいかない…。

※ 根強く、「社会」に残り続けることになる…。

※ そして、そういうものが、折に触れて表面に出てくることになる…。

イスラム教大巡礼が開始 メッカで、6万人に制限

イスラム教大巡礼が開始 メッカで、6万人に制限
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR15F0S0V10C21A7000000/

 ※ ソーシャル・ディスタンス取っての、「ハッジ」だな…。それも、2年目だ…。

 ※ 国外からの参加者は、禁止か…。

 ※ なにせ、「イスラム教徒の5大義務」の一つだからな…。

 ※ 巨額の「外貨収入」も、もたらしていたわけだ…。

『【イスタンブール=木寺もも子】新型コロナウイルス下で2年目となるイスラム教徒の大巡礼(ハッジ)が18日までに始まった。聖地メッカを管理するサウジアラビアは2回のワクチン接種完了を条件とした上、スマートフォンのアプリを活用して行動を管理し、感染拡大防止を図る。

聖地メッカで行うハッジはイスラム教徒に健康や経済状況が許せば一生に1度は参加が求められる儀式だ。例年は国内外から200万人超が集まり、ハッジの時期以外に行う小巡礼(ウムラ)と合わせ、サウジに外貨収入をもたらし、イスラム教聖地の守護者としての権威の源になっている。

サウジは昨年に続き、参加者を国内からに限った。昨年は数千人程度だったが、今年は6万人に認める。ワクチン接種の完了や持病がないことなどが条件で、感染拡大防止のため、参加者20人につき1人の健康管理者が付く。

今年は新たに、「ハッジ・スマートカード」と呼ばれるアプリを導入した。登録された参加者はダウンロードが求められ、ホテルや交通機関の利用、食事の提供を受ける際などにQRコードの提示が必要となる。参加者の所在や健康情報を管理する。

人口約3000万人のサウジでは足元の1日あたり新規感染者数は1000人程度で、人口の半数が少なくとも1度のワクチン接種を受けた。サウジは外国からの入国に際して指定施設での隔離を義務付けるほか、観光ビザを認めないなど慎重な入国措置を継続している。』

イスラム教徒に課された五つの義務
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/15/431842/032300001/

〔ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の関係、違い…。〕

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の関係、違いを分かりやすく
https://kokopelli-hopi.com/geopolitics-religion/

 ※ その成り立ち、経典の位置付け、「予言者」の理解の違い…、なんてことが、ザックリと解説してあって、参考になった…。

 ※ キリスト教の場合は、これにカトリックvs.プロテスタント、ローマカトリックvs.ギリシャ正教の対立が加わる…。イギリス国教会なんてものも、あるしな…。

 ※ イスラム教では、スンニ派vs.シーア派の対立がある…。

 ※ そして、どの宗派でも「厳格順守派vs.世俗派」の対立がある…。

 ※ さらには、さまざまな「分派」が発生する…。

 ※ そして、その時々の「政権」が、時に「弾圧」し、時に「取り込み」をはかる…。

 ※ 「ローマ法王」「スルタン」なんてものも、その一つだ…。

 ※ そういう「錯綜」の理解の出発点の参考に、なるだろう…。

※ まず、「イスラム教徒の5大義務」を見ておこう…。