おくのほそ道:名句がちりばめられたフィクション紀行文

おくのほそ道:名句がちりばめられたフィクション紀行文
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g02067/

 ※ 今日は、こんなところで…。

 ※ 『曽良が残した日記によって旅の様子が分かるが、『おくのほそ道』には実際と違う記述が多数含まれている。芭蕉は、現実の旅の体験をベースにしながら、独自の趣向を組み込んで紀行文を創作したのである。その意味ではほとんど空想上の旅の記録とも言え、古典文学の紀行文の中では特異な作品となった。』…。

 ※ なーる…、奥の細道は「紀行文」の形態を借りた「フィクション」か…。

 ※ 『いずれも写本であって、芭蕉には最後まで『おくのほそ道』を出版しようという意志はなかったと見られる。芭蕉が同書を写本でのみ残した意味は何か。当時は美しく仕立てられた一点物の写本の方が出版物よりも高級なものと意識されていたが、それも理由の一つかもしれない。さまざまな見方ができるが、芭蕉にとってそれは未完成の作品であって、さらに推敲を重ねるつもりだったのではないだろうか。』…。

 ※ 「未完の大作」だったわけだ…。

 ※ 『3. 旅人を西行の追随者とする

  語り手は「予(よ)」と自称するが、芭蕉本人であるとはどこにも書かれていない。    芭蕉は「予」を、西行を慕いその行動に追随する旅人として造形している。』…。

 ※ ここも、薄っすらと聞いたことがあるような気もするが、あまり記憶に無い…。

 ※ 今回、改めて再認識した…。

 ※ 『こうした発見によって、『おくのほそ道』研究は20世紀半ば以降大きく進み、現在もなお深化の途上にある。』…。

 ※ そういうことで、まだまだ「解明されていない部分」が、あるようだ…。

『 西行五百年忌の年に旅立ち、その足跡を辿る

1689(元禄2)年旧暦3月末、数え年46歳の松尾芭蕉は4月から9月までに陸奥(みちのく)から出羽、そして北陸を旅した。主要な地名によってその道筋を示せば、江戸の深川をたち、日光・白河・福島・仙台・松島・平泉・尾花沢・出羽三山・象潟・新潟・高田・金沢・山中温泉・福井・敦賀・大垣へと至る旅であった。

江戸から山中温泉までは門人の河西曽良が、金沢から福井の手前までは金沢の俳人・立花北枝が同道した。各地の歌枕や古戦場などの史跡を訪ねることと、訪れた地の俳人と会って連句を興行し芭蕉流の俳諧を伝えることが主な目的だった。その年が西行の五百年忌に当たることも、旅の大きな動機の一つと考えられる。西行も陸奥平泉への歌枕を訪ねながら旅をしている。本文中随所に芭蕉が西行の存在を強く意識していたことが伺われる。そして、芭蕉が紀行文『おくのほそ道』を編集したのは、旅の3年後の1692(元禄5)年から1694(元禄7)年の没年までの2年間と推測される。

曽良が残した日記によって旅の様子が分かるが、『おくのほそ道』には実際と違う記述が多数含まれている。芭蕉は、現実の旅の体験をベースにしながら、独自の趣向を組み込んで紀行文を創作したのである。その意味ではほとんど空想上の旅の記録とも言え、古典文学の紀行文の中では特異な作品となった。同書に芭蕉が組み込んだ趣向は、大きくまとめて以下の3つである。

  1. 時間を意識する

全体は春の末から秋の末までの旅だが、その間の季節の推移や年中行事に非常にこだわっている。また、はるか昔の遺物・史跡・風俗を目の当たりにして時の流れに感慨を催すことが多い。

  1. 能の発想を取り入れる

能にはシテ(主役)の亡霊がワキ(脇役)の夢に現れて思いを語る「夢幻能」の形式がある。『おくのほそ道』にもこの世の者ではない人物との対話を意識した書きぶりがあちこちに見られる。

  1. 旅人を西行の追随者とする

語り手は「予(よ)」と自称するが、芭蕉本人であるとはどこにも書かれていない。芭蕉は「予」を、西行を慕いその行動に追随する旅人として造形している。

与謝蕪村《奥の細道図屏風(びょうぶ)》 『おくのほそ道』の本文といくつかの場面の絵が、芭蕉を敬慕する蕪村の筆によって描かれている。1779年 紙本墨画淡彩 重要文化財(山形美術館・(山)長谷川コレクション)

「時」とともに旅する語り手

ではまず、冒頭部分から見てみよう。

月日は百代(はくたい)の過客(かかく)にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老(おい)を迎ふる者は、日々旅にして旅を住みかとす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず。海浜にさすらへ、

(月日のように時間というものは永遠の旅人であって、次々に交代する年のような時間もまた、旅人である。そうした旅人に似た人間を挙げるとすれば、舟の上で一生を過ごす舟人や馬の口の手綱を引きながら老いる馬子たちで、毎日が旅であり旅をすみかとしている。彼らは旅の中で死んでゆくが、詩歌に名を残した古人にも旅の途中で死んだ人々がたくさんいる。私も旅に死ぬことを予期しつつ、いつの年からか、ちぎれ雲のように風に誘われて漂泊したい思いが抑えきれなくなり、海浜をさまよい歩き…)

ここには、1の「時間」への意識が顕著に表れている。抽象的な「時間」の概念を「旅人」になぞらえ、「予」が「時間」と道連れで旅をするかのように表現している。

具体的には「予」はこの後に、夏や秋の始まりや、端午や七夕や、盂蘭盆会(うらぼんえ)、中秋の名月といった暦の上の特定の日付にこだわりながら旅をする。

また、兄の源頼朝に追われ陸奥平泉まで逃げた源義経主従の遺物に接したり、古代の歌枕である壺碑(つぼのいしぶみ)や中尊寺金色堂などの古跡を訪ねたりしては、遠い過去に触れたことに心打たれて涙を落とすのである。

古戦場での亡霊たちへの弔い

続いて挙げるのは平泉の高館(たかだち)の箇所の後半である。高館は義経主従が討たれた古戦場。なお、義経が平泉に匿われていた時に西行もこの地を訪れている(※ それは、知らんかった…)。

偖(さて)も義臣すぐつてこの城(じょう)にこもり、功名一時(いちじ)の草むらとなる。「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と、笠(かさ)うち敷きて、時のうつるまで泪(なみだ)を落しはべりぬ。

夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡

卯(う)の花に兼房(かねふさ)みゆる白毛(しらが)かな 曽良

(さてさて、義経えりすぐりの忠義の家臣らがこの高館に籠城し武功の名を挙げたが、それもわずかな一時のこと、今そこは草むらとなっている。「国破れて山河あり城春にして」「草青みたり」といった詩を吟じながら、笠を尻に敷いて時のたつのを忘れ、しばし涙を落とした。

夏草が茂っていた、私が義経家臣の武者どもの夢を見たその跡は。

白い卯の花に、義経に最後まで付き従っていた白髪の兼房の面影が見えるようだ。曽良の句)

この句文には、前述2の「夢幻能」の趣向が生かされている。

語り手「予」は義経と家臣らが滅んだ高館の古戦場で昔をしのび「時のうつるまで」泣くのであるが、そのあいだ「兵ども」の亡霊が「夢」に出て戦のありさまを語り、「予」が目を覚ますとその夢の跡はただ夏草ばかりだった、と読み取れるように趣向を立てている。

曽良にも、夢に白髪の老武者「兼房」を見たと詠ませている。

曽良の旅日記に「卯の花に」の句は記録されておらず、芭蕉がこの場面に後から付け加えた句らしい。能の役割で言えば「予」がワキからの、曽良がワキツレ(脇役の同伴者)からの、戦死者への手向けの句をささげているのである。

歌人であり仏道修行者である西行への追慕

前述3の、語り手「予」を西行の追随者とする趣向は『おくのほそ道』の随所に見いだされる。特にそれが強く打ち出されるのは、次の箇所である。

越前の境、吉崎の入江を舟に棹(さおさ)して、汐越(しおこし)の松を尋ぬ。

終宵(よもすがら)嵐に波をは運ばせて

月を垂れたる汐越(しほごし)の松  西行

この一首にて数景(すけい)尽きたり。もし一弁を加ふるものは、無用の指を立つるがごとし。

(加賀と越前の国境・吉崎の入り江に行き、舟に棹(さお)を差して汐越の松を訪ねた。

夜もすがらの強風のために汐を浴び、雫(しずく)ごとに月が光って月を垂れたように見える、汐越の松。西行の歌

この一首によって汐越の松の数々の景は表し尽くされている。もし一言でも加えるならば、5本の指にもう1本、指を加えるようなものだ)

「終宵」の歌は蓮如上人の詠と伝えられており、作者名を西行としたのは芭蕉の創意であろう。

「真如の月」の成語があるように「月」は悟りの象徴とされる。つまり『おくのほそ道』において芭蕉は、西行の仏道修行の達成を「月」によって示して「予」の西行への賛嘆の心を表すために、この歌を利用したのである。

さらに推敲(すいこう)されたかもしれない未完の作品

芭蕉が1694(元禄7)年に亡くなるまでに直接関与した『おくのほそ道』のテキストには、まず自筆稿本の中尾本(現在の所有者による呼称)がある。

それを忠実に書写したものが曽良本(曽良の家に伝えられたことによる呼称、筆者は未詳)で、書写後さらなる修正・推敲が加えられている。

そして、書家の柏木素龍(そりょう)が芭蕉の依頼によって曽良本を基に清書した本が西村本(所有者による呼称)である。素龍の清書本には柿衞本(かきもりぼん、柿衞文庫蔵)もある。

いずれも写本であって、芭蕉には最後まで『おくのほそ道』を出版しようという意志はなかったと見られる。

芭蕉が同書を写本でのみ残した意味は何か。当時は美しく仕立てられた一点物の写本の方が出版物よりも高級なものと意識されていたが、それも理由の一つかもしれない。

さまざまな見方ができるが、芭蕉にとってそれは未完成の作品であって、さらに推敲を重ねるつもりだったのではないだろうか。

生涯を終える年、芭蕉は西村本を携えて故郷の伊賀に帰り、兄の松尾半左衛門に贈った。
門人の向井去来がそれを譲り受けて、芭蕉が亡くなってから8年後の1702(元禄15)年に京の書肆(しょし)の井筒屋から刊行した。その後『おくのほそ道』は井筒屋版を基に繰り返し刊行された。

そうした経緯で長らく井筒屋版の本文のみが世に知られていたのであるが、1943年に西村本原本が、1951年に曽良本が、1959年に柿衞本が、1996年に中尾本が見つかった。

また、1943年には曽良の旅日記の存在も明らかになった。こうした発見によって、『おくのほそ道』研究は20世紀半ば以降大きく進み、現在もなお深化の途上にある。

バナー写真=与謝蕪村筆《奥の細道画巻より旅立(千住)》。芭蕉を慕った蕪村が『おくのほそ道』の本文に俳画と呼ばれる挿画を描き添えた画巻。紙本淡彩。1778年。重要文化財(公益財団法人阪急文化財団 逸翁美術館蔵)』

【詳しく】100年前の恨み?プーチン大統領演説 全文・分析

【詳しく】100年前の恨み?プーチン大統領演説 全文・分析
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220419/k10013587101000.html

『ロシア軍がウクライナに侵攻して、およそ1か月半。
プーチン大統領はいったい、いつになったら戦闘をやめるのか。
侵攻のねらいはなんなのか?

旧ソビエト時代から長年にわたってロシアを取材してきたNHKの石川一洋解説委員に、プーチン大統領の演説や発言を分析してもらいました。

今回の分析からは
1.100年前の恨み?
2.側近の偏り
というキーワードが浮かび上がってきました。
(演説全文は記事の後半にあります)

今回、注目した演説は?

少しさかのぼりますが、2月21日の緊急安全保障会議の後の国民に向けたテレビ演説です。24日、ウクライナに侵攻する直前のものです。

緊急安全保障会議のあと、プーチン大統領は、ウクライナの東部2州のうち、親ロシア派が事実上支配している地域について、独立国家として一方的に承認する大統領令に署名。
このあとに行われたこの演説ではロシア国民だけでなく、「ウクライナの同胞たち」にも呼びかけるということばで始まりました。

演説では何を?

100年前からのロシアとウクライナの歴史です。

演説の中で、プーチン大統領は、旧ソビエト時代のロシアとウクライナの境界の決め方について、恨み、つらみをぶちまけています。

今のウクライナの国境は、ソビエト共産党の創設者で指導者のレーニンがロシアから本来の領土を取り上げて、作り上げたものだと述べたのです。

今のウクライナの人にとっては言いがかりのようなものですね。

境界の決め方とは?

その前に、少しロシアの歴史についてお話しします。

1917年第1次世界大戦のさなか、2月革命でロシア帝国が崩壊し、社会主義革命、10月革命を経てロシアではレーニン率いるボルシェビキ共産党が権力を握ります。

それから5年後、ちょうど今から100年前の1922年にソビエト社会主義共和国連邦が建国します。

ソビエト連邦と略称で呼ばれた国で、世界で最初の社会主義の国家です。

ソビエト連邦は、ロシアやウクライナという社会主義の国を束ねた連邦国家という形をとっていました。

ロシア、ウクライナ、ベラルーシなどが自由に参加した社会主義の連邦という形を建て前としてとっていました。

ただ実質は、ソビエト共産党と秘密警察KGBが支配する独裁国家でした。

これらのことについて、プーチン大統領は演説の中で次のように話しています。

(プーチン大統領演説より)

「現代のウクライナはすべてロシアによって、正確にはボルシェビキ、共産主義のロシアによって作られたということから始めたい。

このプロセスは、1917年の革命のほぼ直後に始まった。ちなみにレーニンとその仲間たちは、ロシア自身にとってかなり手荒なやり方で、すなわち、ロシアの歴史的領土の一部を分離、切断することによってそれを行った。その土地に住んでいた何百万人もの人々の意見など、当然、誰も何も聞くことはしなかった。

その後、大祖国戦争(※ ナチス・ドイツとの戦い)の前後で、スターリンはすでに、それまでポーランド、ルーマニア、ハンガリーの領土だったいくつかの土地をソビエト連邦に併合し、ウクライナに引き渡した。

その際、スターリンは、一種の補償として、もともとドイツ領だった土地の一部をポーランドに割譲した。1954年にはフルシチョフがなぜかロシアからクリミアを取り上げ、ウクライナに与えた。実のところ、このようにしてソビエトのウクライナ領は形成されたのだ」

恨みつらみとは?

これはつまり、ウクライナは、ロシアの土地をソビエト共産党の創設者で指導者のレーニンが奪い取って、つくられた国だと語っているのです。

そして、ここからが恐ろしい部分です。

(プーチン大統領演説より)

「実際、すでに述べたように、ボルシェビキの政策によって生じたのがソビエトのウクライナであり、現在も『ウラジーミル・イリイチ・レーニンのウクライナ』と呼ばれるにふさわしい。彼はその作者であり設計者である。このことは、ウクライナに文字どおり押し込められたドンバスに対するレーニンの厳しい指令などの古文書によって、完全に裏付けられている。

それなのに今、『恩を感じている子孫たち』はウクライナにあるレーニン像を取り壊した。
彼らはこれを非共産化と呼んでいる。

あなた方は、非共産化を望んでいるのか。
まあ、それもいいだろう。

しかし、よく言われるように、中途半端で終わってはならない。ウクライナにとって真の非共産化が何を意味するのか、あなた方に見せる準備はできている」

どう恐ろしいの?

プーチン大統領の主張はこうです。

ウクライナでは、脱レーニン、非共産化のプロセスが続いているのだろう。
では、われわれが本当の意味での脱レーニンということがどういうことか教えてあげましょう。
と、言っているのです。

つまり、レーニンがあげたものをすべて、われわれに返してくださいねと、この演説では言っているのです。

これを知るためには、ウクライナのロシアへの感情を理解する必要があります。

実はウクライナは共産主義のソビエト体制への恨みが骨の髄までしみこんでいます。

例えばウクライナ西部はナチス・ヒトラーとスターリンの密約によって第2次世界大戦開始直後に、旧ソビエトが占領し、自国領、旧ソビエトの中のウクライナに加えた土地です。

そのソビエト化の中ですさまじい弾圧が行われました。

特にウクライナ西部にあるリビウという街は、歴史的に反ロシアの感情がある地域で、ソビエト体制への反発が強いところです。

私も取材しましたが、ソビエト崩壊直前の1990年4月ごろには、街中のすべてのレーニン像が倒されていました。

ほかにもスターリン時代の富農撲滅・農業集団化に伴う大飢きんなど、さまざまな弾圧があり、プーチン大統領にウクライナは旧ソビエトによってつくられたと言われたら、ウクライナの人たちは反発しかないでしょう。

ウクライナの人たちはどう思う?

これはウクライナの人たちにとってはたまらないですよね。
100年前のことを持ちだされても。

歴史的にどこがロシアでどこがウクライナなのか、それぞれの領土を大陸国家で主張しあったら、至る所で領土紛争が起きてしまいます。

それは止めましょうというのが国際秩序の原則で、それを一方的に破ったのがプーチン大統領です。

しかもプーチン大統領は最近30年間のウクライナとロシアの歴史を完全に無視しています。
歴史を無視とは?

ウクライナとロシアの間では、30年前に、こんな約束が結ばれています。

1991年12月、ロシアのエリツィン大統領とウクライナのクラフチュク大統領そしてベラルーシのシュシケビッチ議長が調印したベロベーシの合意、ソビエト連邦崩壊と独立国家共同体創設の合意です。

その第5条で「加盟国の領土の一体性と国境の不可侵を共同体の枠内で承認し、尊重する」と書いています。

つまりエリツィン・クラフチュク両大統領は、いろいろ不満があっても領土問題を持ち出せば戦争になりかねないという危険性を認識し、ソビエト崩壊の時に「国境線を動かさない」という最も重要な原則で合意したのです。

その時も私は取材をしていましたが、領土問題を持ち出せば戦争になりかねないとの危険を感じていました。
それを避けるための首脳間の英知だったのです。

その後ロシアとウクライナは2国間の条約の形で何度も陸上部分の国境については合意しています。

こうした最近の30年間の歴史をプーチン大統領は無視しているのです。

ほかにも恨みつらみが?

演説では、ソビエト崩壊後も、ロシアがどれほどウクライナを支援してきたのか忘れてはならないということにも触れています。
つまり、ソビエト崩壊後、ロシアがどれだけの善意をウクライナに示し、与えてきたかと強調しています。

(プーチン大統領演説より)

「わが国民は、まさに国民は、ソビエト連邦崩壊後に現れた新しい地政学的現実を受け入れ、新たな独立国家を認めた。認めただけではない。ロシア自身、当時、非常に困難な状況にありながらも、ウクライナを含むCIS諸国のパートナーたちを支援した。こうした国々からは、独立を宣言した直後から、数多くの物資支援の依頼が舞い込んできた。そしてわが国は、ウクライナの尊厳と主権を尊重しながら、そうした支援を実施した。

ロシアがウクライナに提供したエネルギー資源の価格、優遇的な融資、経済・貿易における特恵的な待遇などを算出した専門家らの試算によると、1991年から2013年までにウクライナの国庫が受けた利益の総額は、約2500億ドルだった」

「パートナーシップの代わりに、依存関係がはびこり、それは時としてウクライナ政権側からのまったく厚かましい性格を帯びるようになった。エネルギー輸送分野における絶え間ない恐喝と、いつものガスの盗用を思い出せば十分だ」

プーチン大統領の侵攻のねらいは?

この演説の3日後に、実際にプーチン大統領はウクライナに侵攻します。

私は、この演説を聞くまでは、軍事侵攻の可能性は認識しても、まさかそんな無謀なことはしないだろうと思い、期待していました。
しかしこの演説を聞いた時、軍事侵攻は東部のドンバスだけでなく、おそらくウクライナへの全面侵攻になると確信しました。

プーチン大統領が100年前の歴史までさかのぼり、ウクライナ国家の正統性をロシア目線で否定したからです。

プーチン大統領に異変?

フリーのジャーナリストで、ロシア政治の内情に非常に詳しいミハイル・ズガリ氏は、プーチン大統領は、経済など今のロシアに興味がなく、歴史にしか関心がないと言います。
また、側近の意見も聞かなくなっていると言っています。
私もその考えは間違っていないと思います。

実は、プーチン大統領の側近には、かつては、いろいろなタイプの人たちがいました。経済政策担当には、非常にリベラルな経済学者が多くいました。

プーチン大統領自身、会合で、いろいろな人を集めて、議論して決めるというタイプの人でした。

それが、ウクライナ侵攻直前ごろから、演説でも、非常に偏ったというか、1つの見方に執着するような傾向がみられます。

それが特異な歴史認識で隣国への異常な執着です。

大統領が個人として、そうした歴史認識を持つことはあるでしょうが、その考え方に基づいて隣国との政策を決定する、実際に軍事侵攻までするというのは驚きです。

プーチン大統領は、今は、新型コロナの中で側近との接触も少なくなり、大統領に直言できる側近がいなくなったのかもしれません。

【全文】2月21日 プーチン大統領 テレビ演説

親愛なるロシア国民の皆様、親愛なる友人の皆様。

この演説のテーマは、ウクライナの情勢であり、それがなぜ私たちにとって、ロシアにとって重要なのかということだ。

もちろん、これはウクライナの同胞たちに呼びかけるものでもある。
じっくりと、詳しく話す必要がある。

問題は非常に深刻だ。
ドンバスの情勢は、再び、危機的で深刻になっている。
そしてきょう、あなたがたに直接呼びかけるのは、現状を評価するためだけでなく、どのような決定が下されているのか、この方向性で今後どのような展開になり得るかについて、皆さんにお知らせするためでもある。

改めて強調しておく。

ウクライナは、私たちにとって単なる隣国ではない。
それは、私たちの独自の歴史、文化、精神世界から切り離すことのできない一部分だ。
同僚や友人、かつての戦友だけでなく、親戚、血縁や家族の絆でつながっている人々など、私たちの同志であり、親族でもあるのだ。

歴史的なロシアの土地の南西部に住む人々は、ずっと昔から、自分たちのことをロシア人であり正教徒であると称してきた。
17世紀にこれらの土地の一部がロシア国家に再統合された前も後も、そうだった。

このことは、基本的に皆が知っており、周知の事実であると私たちは思っている。

しかし、現在起きていることを理解し、ロシアの行動の動機と私たちが追求する目標について説明するためには、少なくともこの問題の歴史にひと言触れておく必要がある。

まず、現代のウクライナはすべてロシアによって、正確にはボルシェビキ、共産主義のロシアによって作られたということから始めたい。

このプロセスは、1917年の革命のほぼ直後に始まった。

ちなみにレーニンとその仲間たちは、ロシア自身にとってかなり手荒なやり方で、すなわち、ロシアの歴史的領土の一部を分離、切断することによってそれを行った。
その土地に住んでいた何百万人もの人々の意見など、当然、誰も何も聞くことはしなかった。

その後、大祖国戦争の前後で、スターリンはすでに、それまでポーランド、ルーマニア、ハンガリーの領土だったいくつかの土地をソビエト連邦に併合し、ウクライナに引き渡した。

その際、スターリンは、一種の補償として、もともとドイツ領だった土地の一部をポーランドに割譲した。

1954年にはフルシチョフがなぜかロシアからクリミアを取り上げ、ウクライナに与えた。
実のところ、このようにしてソビエトのウクライナ領は形成されたのだ。

しかし、ここで特に注目したいのは、ソビエト連邦が誕生して間もない時期である。
それは私たちにとって極めて重要であると考える。
いわば、遠回りする必要があるのだ。

1917年の10月革命とそれに続く内戦の後、ボルシェビキが新しい国造りに着手したが、その際、彼らの間にかなりの意見の相違があったことを思い出してほしい。

1922年にロシア共産党中央委員会書記長と民族問題人民委員を兼任したスターリンは、自治の原則に基づく国づくりを提案した。

つまり、将来の行政・領土単位である共和国に対し、統一国家に編入する際に広範な権限を付与するというものだった。

レーニンはこの計画を批判し、彼が当時「無党派層」と呼んでいた民族主義者らに譲歩することを提案した。

まさにこの、本質的に連邦制の国家体制を作るべきというレーニンの構想と、分離までをも含む民族自決の権利についてのスローガンが、ソビエト国家の基盤となった。

まず1922年にソビエト連邦樹立宣言に明記され、その後、レーニンの死後、1924年のソビエト連邦憲法にも明記された。

ここですぐに多くの疑問が生じる。

そのうちの1つ目、実際最も重要なものは、なぜ旧帝国の周辺地域で絶え間なく高まっていく民族主義者たちの野心を満たしてやる必要があったのか、ということである。

しばしば恣意的に形成された新たな行政単位である連邦共和国に、広大で、しばしば何の関係もない領土を譲渡する必要があったのか。

繰り返すが、歴史的なロシアの人口も一緒に引き渡したのだ。

しかも、事実上、これらの行政単位には国民国家の地位と形態が与えられていた。

改めて考えてみると、なぜそのような、最も熱烈な民族主義者たちでさえそれまで夢に見ることもしなかったような気前のよい贈り物をし、しかも統一国家から離脱する権利を共和国に無条件で与える必要があったのだろうか。

一見、これは全く理解不能な、狂気の沙汰のようだ。
しかしそれは一見したところだけの話で、説明はつくのだ。

革命後、ボルシェビキの重要課題は、どんな代償を払ってでも権力に踏みとどまるということだった。
まさにどんな代償を払ってでも。

そのために彼らはなんでもやった。

カイザーのドイツとその同盟国が軍事的にも経済的にも極めて苦しい状況にあり、第一次世界大戦の結果はほぼ決まっていた時期に、ブレスト=リトフスク条約の屈辱的な条件を受け入れたし、国内の民族主義者たちからのあらゆる要求、要望に応えようともしていた。

ロシアの国家と国民の歴史的運命の観点から見れば、国家形成におけるレーニンの原則は、単なる過ちだっただけでなく、俗に言う、過ちよりもはるかに悪かった、ということだ。

1991年にソビエト連邦が崩壊したあと、そのことが完全に明らかになった。

もちろん、過去の出来事を変えることはできない。

しかし、私たちは少なくとも、それについて率直に誠実に、何の条件もつけず、政治色を加えることなく語らなくてはならない。

私から付け加えることができるのは、どんな政治的な考察も、ある時期に、いかにそれが華々しく有利に見えたとしても、それを国家体制の基本的原則の基礎にすることは、どんな状況においてもあってはならないし、ありえない、ということだけだ。

今、誰かを責めようとしているわけではない。
内戦後、そしてその前夜の国内の状況は、信じ難いほどに複雑で危機的だった。

きょう言いたいのは、何もかもがまさにそのような状況だったということだけだ。
それは歴史的事実だ。

実際、すでに述べたように、ボルシェビキの政策によって生じたのがソビエトのウクライナであり、現在も「ウラジーミル・イリイチ・レーニンのウクライナ」と呼ばれるにふさわしい。
彼はその作者であり設計者である。
このことは、ウクライナに文字どおり押し込められたドンバスに対するレーニンの厳しい指令などの古文書によって、完全に裏付けられている。

それなのに今、「恩を感じている子孫たち」はウクライナにあるレーニン像を取り壊した。

彼らはこれを非共産化と呼んでいる。
あなた方は、非共産化を望んでいるのか。

まあ、それもいいだろう。
しかし、よく言われるように、中途半端で終わってはならない。
ウクライナにとって真の非共産化が何を意味するのか、あなた方に見せる準備はできている。

この問題の歴史に話を戻すと、繰り返しになるが、1922年、旧ロシア帝国の空間にソビエト連邦が誕生した。

しかしすぐに現実は、これだけ広大で複雑な領土を維持することも、形のない事実上連邦制の原則に基づいて領土を統治することも、とにかく不可能であるということを示した。
現実からも歴史的伝統からも全くかけ離れていたのだ。

赤色テロとスターリンの独裁への急速な移行、共産主義イデオロギーの支配と共産党による権力の独占、国有化と国家計画経済。

これらすべてが、形式的には提唱されたものの機能しない国家の原則を、単なる宣言に変えてしまったのは当然だ。

現実では、連邦共和国には何の主権も生まれることなく、存在すらしなかった。
実際には、極めて中央集権的な、完全なる単一国家が誕生したのだ。

スターリンは、事実、レーニンではなく、自分自身の国家機構についての考えを完全に実践で実現した。

しかし、基本的な文書や憲法に相応の修正を加えることはしなかった。
宣言されたソビエト連邦樹立のレーニンの原則を正式に改訂することもしなかった。

確かに、おそらく、そのような必要はなかったのだろう。
全体主義体制のもとですべてが機能し、外見的には美しく、魅力的で、超民主主義的にさえ見えた。

それにしても残念だ。

革命に触発された忌まわしいユートピア的な空想が、これはまともな国にとって極めて破滅的なものだが、それが、わが国全体の基本的で正式な法的基礎から速やかに一掃されなかったことは、非常に残念だ。

以前からわが国ではよくあったことだが、誰も将来のことを考えなかった。
共産党の指導者たちは、強固な統治体制を形成することができた、自分たちの政策によって民族問題も完全に解決することができたと確信していたようだ。

しかし、改ざん、概念のすり替え、世論の操作、欺まんなどは高くつく。
民族主義者の野心のバチルスが消えてなくなったわけではなかったし、民族主義の感染に対する国家の免疫力を弱めるために埋められていた地雷は、まさに爆発しようとしていた。

繰り返すが、その地雷とは、ソビエト連邦から分離独立する権利だった。
1980年代半ば、社会経済問題が深刻化していき、計画経済が明らかに危機にひんしていた中、民族問題はますます先鋭化していった。

問題の本質は国民の期待や満たされない願望というよりもむしろ、地方のエリートたちの増大する欲求であった。

しかしソビエト共産党の指導部は、状況を深く分析し、まず経済において適切な処置を講じ、また、段階的に熟慮を重ねて計画的に政治体制や国家機構を変革していく代わりに、民族自決のレーニンの原則を復活させるという露骨な言い回しに終始した。

さらに、共産党内で権力闘争が展開される中、対立する各派が支持基盤を拡大しようと、民族主義的な機運を軽率に刺激し助長してそれを利用するようになり、潜在的な支持者らが望むものはなんでも約束するようになった。

民主主義や、市場経済か計画経済を基礎とした輝かしい未来について、うわべだけの大衆迎合的なむだ話が行われる中、その一方で人々が現実の貧困と全体的なモノ不足にあえぐ中、権力者の誰一人として、国にとって悲劇的な結末は避けられないであろうと考えた者はいなかった。

その後、自分たちの党内で育まれた民族主義エリートたちの野心を満足させるという、ソビエト連邦の黎明期に確立された道を行くこととなった。

彼らは、ソビエト共産党の手中には(幸いなことだが)国家テロやスターリンのような独裁者といった、権力および国そのものを維持するための手段がもう無いということを忘れていた。

党の悪名高い指導的役割さえ、まるで朝霧のように跡形もなく目の前から消え去ろうとしていたのに。

そして1989年9月のソビエト共産党中央委員会の総会で、運命的な文書が採択された。
それは、現状における党の民族政策と呼ばれる、ソビエト共産党の綱領だった。

その内容は、引用すると次のようなものだった。
「連邦共和国は、主権的な社会主義国家としての地位に相応するすべての権利を有する」
もう1つはこうだ。
「連邦共和国の最高代表機関は、その領土において、連邦政府の決議や命令を不服とし、その効力を停止することができる」

そして最後にこれだ。
「各連邦共和国は、独自の市民権を有し、その市民権をすべての住民に適用させることができる」

このような考え方や決定が何をもたらすかは、明らかだったのではないだろうか。

今ここは、国の法律や憲法の問題に踏み込んだり、市民権の概念自体を定義したりする時間でも場所でもない。

それにしてもやはり疑問が生じる。
ただでさえ厳しい状況の中で、なぜこれほどまでに国を揺るがす必要があったのだろうか。

しかし事実は事実だ。
ソビエト連邦が崩壊する2年前の時点で、その運命は実質決まっていた。

今、過激派や民族主義者が、どこよりもまずウクライナにいるそうした者たちが、独立を獲得したのは自分たちの手柄だと言っている。

お分かりのように、それは全く違う。
私たちの統一国家が崩壊したのは、ボルシェビキの指導者たち、ソビエト共産党の指導部が、国づくりや経済政策、民族政策において、その時々で歴史的・戦略的な過ちを犯してきたからだ。

ソビエト連邦という歴史的なロシアの崩壊は、彼らの責任である。
あらゆるロシアの不正、欺まん、あからさまな略奪にもかかわらず、わが国民は、まさに国民は、ソビエト連邦崩壊後に現れた新しい地政学的現実を受け入れ、新たな独立国家を認めた。

認めただけではない。

ロシア自身、当時、非常に困難な状況にありながらも、ウクライナを含むCIS諸国のパートナーたちを支援した。
こうした国々からは、独立を宣言した直後から、数多くの物資支援の依頼が舞い込んできた。
そしてわが国は、ウクライナの尊厳と主権を尊重しながら、そうした支援を実施した。

ロシアがウクライナに提供したエネルギー資源の価格、優遇的な融資、経済・貿易における特恵的な待遇などを算出した専門家らの試算によると、1991年から2013年までにウクライナの国庫が受けた利益の総額は、約2500億ドルだった。

しかしそれだけではない。

1991年末には、ソビエト連邦の外国や国際基金に対する債務は、約1000億ドルに達していた。

当初、これらの債務は、すべての旧ソビエト諸国が連帯して、それぞれの経済力に応じて返済することになっていた。

しかし、ロシアはソビエトの債務返済をすべて引き受け、完済した。
2017年にこのプロセスを完了した。

その代わりに、新たに独立した国々は、ソビエトの対外資産を放棄することになった。

ウクライナとは、そのような合意が1994年12月に成立した。
しかしキエフはこの合意を批准せず、あとになって履行することを拒否し、ダイヤモンド基金や金準備金、その他の旧ソビエトの対外資産などを要求した。

よく知られたこれらの問題にもかかわらず、ロシアは常にウクライナとオープンに誠実に、そして繰り返すが、その国益を尊重しながら協力してきた。
私たちの関係は幅広い分野において発展していった。

このようにして2011年には、二国間の貿易高は、500億ドルを超えた。
言っておくが、2019年のウクライナのEU諸国全体との貿易高は、つまりパンデミック以前であっても、この指標には及ばなかった。

それと同時に、ウクライナ政権が、ロシアとの関係においてあらゆる権利と利点を持ちながら、いかなる義務も負わないように行動することを好んだことは特記すべきである。

パートナーシップの代わりに、依存関係がはびこり、それは時としてウクライナ政権側からのまったく厚かましい性格を帯びるようになった。
エネルギー輸送分野における絶え間ない恐喝と、いつものガスの盗用を思い出せば十分だ。

それに加え、キエフはロシアとの対話を、西側との駆け引き材料に使おうとしていた。

モスクワに接近すると脅して優遇措置を求めた。
そうでなければ、ウクライナに対するロシアの影響力が増すと言って。

ウクライナ政権は当初から、ここを強調しておきたいのだが、まさに最初の段階から、私たちを結び付けているあらゆるものを否定することによって自国を築こうとし、ウクライナに住む全世代の数百万人もの人々の意識と歴史的記憶をゆがめようとした。

ウクライナ社会が、攻撃的なロシア恐怖症とネオナチズムという形をとって台頭した極端な民族主義に直面したのは当然の結果だ。

このせいで、ウクライナの民族主義者とネオナチが北コーカサスのテロリスト集団に関与し、ロシアに対して領土を要求する声がさらに強まった。

外部勢力も一翼を担った。
それらはNPOや治安機関の幅広いネットワークを使って、ウクライナで顧客を開拓し、その代表らを権力の座に押し上げた。

ウクライナは、本質的に、真の国家としての確固たる伝統を有したことが一度もない、ということも理解しておく必要がある。

1991年以来、歴史からもウクライナの現実からも切り離された、よそのモデルを機械的に模倣するという道を歩んできた。

国の政治機構は、急速に台頭してきた勢力にとって有利になるよう、彼らの打算的な私利私欲に合わせるよう、常に作り変えられてきた。

それはウクライナ国民の全体的な利益とは何も関係なかった。

ウクライナのオリガルヒ政権がいわゆる親欧米の文明的な選択をした意義は、国民の幸福のためによりよい条件を作り出すことではなく、ロシアの地政学的ライバルに隷属的に便宜を図ることで、オルガルヒがウクライナの人々から盗み取って西側の銀行口座に隠し持っている数十億ドルを守ることにあったし、今もまたそうである。

一部の産業金融グループや、その傘下にある政党や政治家たちは、最初から民族主義者や過激派に依存していた。

また、ロシアとの良好な関係や、文化や言語の多様性を唱え、そのような志向を心から支持する南東部の数百万人の住民を含めた国民からの票を得て、権力の座についた者もいた。

しかし就任したとたん、彼らは有権者を裏切り、みずからの公約を放棄し、実際の政策は過激派の言うとおりに実施し、時にはきのうまでの仲間である、バイリンガル主義やロシアとの協力を支持していた社会団体を弾圧したりもした。

彼らは、自分の支持者たちは、原則として法律を順守し、穏健な立場で、権力を信頼することに慣れており、過激派とは違って攻撃的になることもないし、違法行為に走ることもないということを利用したのだ。

一方、過激派は厚かましくなっていき、年を追うごとに彼らの要求は増大していった。
彼らは、弱い政権に対し、自分たちの意志を繰り返し押しつけることが容易であることを知った。

政権は民族主義と汚職のウイルスに侵されており、国民の真の文化的、経済的、社会的利益や、真のウクライナの主権を、さまざまな民族主義的な思惑や外形的な民族学的属性に、巧みにすり替えた。

ウクライナでは安定した国家が成立したことはなく、政治や選挙の手続きは、さまざまなオリガルヒの間で権力と財産を再分配するためのカモフラージュ、隠れみのにすぎない。
汚職は、疑いようもなく、ロシアを含め、多くの国にとって課題であり問題となっているが、ウクライナではすでに特殊な性質を帯びるようになっている。
それは文字どおり、ウクライナの国家、体制全体、あらゆる権力の枝葉にまで浸透し、むしばんでいる。

過激派は、人々の正当な不満を利用して抗議活動を触発し、2014年にはマイダンをクーデターへと導いた。
その時、彼らは外国から直接援助を受けていた。

入手した情報によると、キエフの独立広場にあったいわゆる抗議キャンプにアメリカ大使館が行った資金面での支援は、1日100万ドルにのぼった。
それに加え、かなりの大金が、反体制派の指導者たちの銀行口座に直接、臆面もなく振り込まれていた。
数千万ドルという額だ。

実際にけがを負った人々、キエフやその他の都市の路上や広場で誘発された衝突で亡くなった人々の遺族は、結局いくら受け取っただろうか。
これについては聞かないほうがいいだろう。

権力を掌握した過激派は、憲法に違反した行動に反対の意を唱えた人々に対し、弾圧、まさに恐怖政治を行った。
政治家、ジャーナリスト、社会活動家らを虐げ、公然と侮辱した。
ウクライナの都市には、集団虐殺と暴力の波が押し寄せ、大胆で野放しの殺人が数多く起きた。

平和的な抗議活動の参加者が残忍に殺害され、労働組合会館で生きたまま焼かれるというオデッサの恐ろしい悲劇の記憶に、戦慄を覚えずにはいられない。

この悪事を働いた犯罪者は罰せられてもいないし、誰も彼らのことを探してもいない。
しかし私たちは彼らの名前を知っており、彼らを罰し、捜し出して裁判にかけるために、できるかぎりのことをやるつもりだ。

マイダンによって、ウクライナが民主主義と進歩に近づくことはなかった。
クーデーターを起こした民族主義者や、彼らを支持した政治勢力は、完全に事態を行き詰まらせ、ウクライナを内戦という奈落に突き落とした。

あれから8年がたち、国は分裂している。

ウクライナは厳しい社会経済危機にある。

国際機関の情報によると、2019年、およそ600万人のウクライナ人が、言っておくがこれは労働人口ではなく、全人口の15%に相当するのだが、そうした人々が職を求めて国外に出ることを余儀なくされた。

しかも、多くの場合、原則として、日雇いの単純労働の仕事だ。

次のような事実も特徴的だ。
すなわち、パンデミックのもと、2020年以降、6万人余りの医師や医療従事者が国を去った。

2014年以降、水道代は3割近く、電気代は数倍、ガス代は数十倍値上がりした。
光熱費を支払うお金のない人々がたくさんいる。
彼らは文字どおり、生き延びることに必死なのだ。

何が起きたのか。
なぜこんなことになったのか。

答えは明白だ。

ソビエト時代だけでなく、ロシア帝国からも受け継いだ遺産を、浪費し、盗んだからだ。
ロシアとの緊密な協力もあったおかげで、人々に安定した収入を与え、国庫に税金をもたらしていた数万、数十万という雇用が失われた。

機械製造、機器製作、電子産業、造船、航空機製造などの分野は、低迷しているか、もしくはすっかり崩壊してしまった。
かつては、ウクライナだけでなく、ソビエト連邦全体の誇りであったのに。

2021年には、エカテリーナ2世の時代に初めて造船所が建設された、ニコラエフの黒海造船所が解体された。

有名なメーカーである「アントノフ」は2016年以降、1機も航空機を生産していないし、ミサイルや宇宙機器の生産に特化した工場「ユジマシュ」は倒産寸前だ。
クレメンチュグ製鋼所もそうだ。
この悲しいリストはまだまだ続けることができる。

ソビエト連邦全土が建設したガス輸送システムについて言えば、運用には大きなリスクを伴い、環境コストがかさんでしまうほどにまで老朽化した。

ここで疑問が生じる。

貧困、窮地、産業・技術力の損失。
これが、何百万人もの人々に楽園を約束しながら、長年にわたって彼らをだましてきた、あの、親欧米の文明的な選択なのだろうかと。

実際は、ウクライナ経済が崩壊したことで国民から臆面もなく略奪する行為が生じ、ウクライナ自体は外部からの管理下に追いやられるという結果になった。

これは、西側諸国からの指示だけでなく、ウクライナに展開する、外国人アドバイザーやNPO、その他の機構などのネットワーク全体を通じて、現地で直接行われている。

彼らは、あらゆる主要な人事決定や、中央から地方まですべての権力の枝葉に、また、「ナフトガズ」「ウクルエネルゴ」、ウクライナ鉄道、「ウクルオボロンプロム」「ウクルポーチタ」、ウクライナ海港管理局などの主要な国営企業や公社にも、直接的な影響力を持っている。

独立した裁判所はウクライナには存在しない。

西側の要求に応じて、ウクライナ政権は、最高司法機関である司法評議会と高等裁判官選考委員会のメンバーを選出する優先権を、国際機関の代表らに与えた。

また、アメリカ大使館は、国家汚職防止庁、国家汚職防止局、汚職防止専門検察庁、汚職防止最高裁判所を、直接支配している。

これはすべて、汚職との戦いをより効果的なものにするためという、もっともらしい口実のもとに行われている。

それはよいとして、その結果はどこにあるのか。
汚職の花は咲き乱れ、今、かつてよりもさらに咲き誇っている。

ウクライナの人々はこのように支配されていることを知っているのだろうか。
自分たちの国が政治的・経済的な保護下にすらなく、傀儡政権による植民地と化してしまっていることに気付いているのだろうか。

国家の私物化によって、「愛国者の力」を自称する政権は、国家としての性格を失い、一貫して完全に主権を失う方向へと向かっている。

非ロシア化、強制的な同化政策が続けられている。
ウクライナ最高議会は絶え間なく新たな差別的法令を生み出している。
いわゆる先住民族に関する法律もすでに施行されている。

自分のことをロシア人だと考え、自分のアイデンティティ、言語、文化を守っていきたいと考えている人々は、ウクライナではよそ者であるということを思い知らされたのだ。

教育法や国語としてのウクライナ語の機能に関する法律により、ロシア語は、学校から一般の商店に至るまで、あらゆる公共の場から追放された。

いわゆる「権力の浄化」に関する法律によって、望ましくない公務員を処分することができるようになった。

ウクライナの治安機関に、表現の自由や異なる見解を厳しく抑えこみ、反体制派を弾圧するための根拠を与えるような法令がどんどん生まれている。

世界では、他国や外国の個人、法人に対して、一方的に非合法な制裁を科すという悲しむべき慣習が広く知られている。

ウクライナは、西側の監督者を出し抜き、自国の国民、企業、テレビ局、その他のメディア、さらには議会議員に対して制裁を科すという手段を考えついた。

キエフは、モスクワ総主教庁系ウクライナ正教会にも制裁を加える準備を続けている。

これは感情的な評価ではなく、具体的な決定と文書が示していることだ。
教会分裂の悲劇を、ウクライナ政権は、皮肉にも政治の道具に変えてしまった。

現在の国の指導部は、聖職者の権利を侵害するような法律を廃止してほしいというウクライナ国民の要望に応えようとしない。
さらに、モスクワ総主教庁系ウクライナ正教会の聖職者や数百万人の信徒に対する新たな法案が最高議会に登録されている。

クリミアについてひと言述べたい。
半島の住民は、自由な選択として、ロシアと共にあることを選んだ。

このはっきりとした明確な人々の意志に、ウクライナ政権は何の意義も唱えることはできない。

だから、攻撃的な行動を起こし、イスラム過激主義組織を含む過激派グループを活性化し、重要インフラにテロ攻撃をしかけたりロシア人を誘拐するための破壊工作グループを投入することに重きを置いているのだ。

このような攻撃的な行動が、外国の特殊部隊の支援を受けて行われていることの直接的な証拠を私たちは持っている。

2021年3月、ウクライナは新たな軍事戦略を採択した。
この文書は実質、全体的にロシアとの対立がテーマとなっており、わが国との対立に外国を引きずり込むことを目標として掲げている。

この戦略は、ロシアのクリミアと、ドンバスの領土で、テロリストの地下組織を作ることを提案している。
また、想定される戦争の輪郭も描いており、今のキエフの戦略家たちは、次のように終結するはずだと考えているようだ。

以下、引用する。

「国際社会の協力のもと、ウクライナに有利な条件で」

さらに、現在キエフでどのように表現されているか、これについても引用するので、よく注意して聞いてほしい。

「ロシア連邦との地政学的対立において国際社会からの軍事的支援を受けて」

要するに、これは、わが国ロシアに対する軍事行動に向けた準備にほかならない。

われわれはまた、ウクライナが独自の核兵器を製造しようとしているとの声明がすでに出ていることを知っている。
それは虚勢ではない。

実際、ウクライナはソビエトの核技術とその運搬手段をまだ保有している。
航空機や、ソビエトの設計による射程距離100キロを超える戦術ミサイル「トーチカU」などだ。

しかしそれよりもっと多くのものを作るだろう。

これは時間の問題だ。
ソビエト時代からの下地があるのだ。

このように、ウクライナにとって戦術核兵器を持つことは、どこの国かここで名指しはしないが、そのような開発を進めているほかのいくつかの国よりもはるかに容易であろう。
特に外国からの技術的支援があった場合は。

私たちはこのようなことも排除すべきではない。
ウクライナに大量破壊兵器が現れるようなことになれば、世界、ヨーロッパ、特に私たちロシアにとって、状況は激変するだろう。

この真の危険に対応しないわけにはいかない。
とりわけ西側の後援者たちが、わが国に対する新たな脅威を作り出すために、ウクライナにそのような兵器が出現するのを助長する可能性があるのだから。

ウクライナ政権の武器供与が執ように進められていることを私たちは知っている。
アメリカだけでも、2014年以降、武器や装備の調達、専門家の養成などに数十億ドルを費やしている。

ここ数か月間で、西側の兵器が次々と、これみよがしに世界中の人々の目に触れる形で、ウクライナへと送り込まれている。
ウクライナの軍と特殊部隊の活動は、外国のアドバイザーが指揮している。

私たちはそのことをよく知っている。

ここ数年、演習という口実のもとに、ウクライナ国内にはほぼ常時、NATO軍の部隊が駐留してきた。

ウクライナ軍の指揮統制システムはすでにNATOのそれに統合されている。
それはつまり、ウクライナ軍は個々の部隊や支隊であっても、NATO本部から直接指令を受けることができるということだ。

アメリカとNATOは、起こりうる軍事活動の舞台としてウクライナ領土を厚かましく開発し始めた。

定期的な合同演習は、明らかに反ロシア的なものだ。

去年だけで、2万3000人余りの軍人と1000を越える兵器が演習に参加した。
2022年、多国間演習に参加するため他国の軍がウクライナに入国することを認める法律が採択されている。

それが主にNATO軍のことを示しているのは分かりきったことだ。
そしてことしは、少なくとも合同演習が10回予定されている。
このようなイベントが、NATO軍の部隊を素早くウクライナ国内で増強するためのカモフラージュになっていることは明らかだ。

しかも、アメリカの援助によって近代化された、ボリスポリ、イワノ・フランコフスク、チュグエフ、オデッサなどの各空港のネットワークは、最短期間で部隊を移動させることを可能にしている。

ウクライナの領空は、アメリカの戦略偵察用航空機やロシア領土を監視するために使われるドローンの飛行に開放されている。

さらに言っておくが、アメリカによって設立されたオチャコフの海上作戦センターは、高精度の武器をロシア黒海艦隊や黒海沿岸のインフラに対して使用するといったNATO艦船の活動を可能にしている。

アメリカは一時期、同様の施設をクリミアにも作ろうとしていた。
しかし、クリミアとセバストポリの人々はこの計画を阻止した。
私たちはこのことをずっと覚えている。

繰り返すが、現在、このようなセンターは展開されており、すでにオチャコフに配置されている。

18世紀、アレクサンドル・スヴォーロフの兵士たちがこの都市のために戦ったことを思い出してほしい。
彼らの勇敢さのおかげで、この都市はロシアの一部となった。

18世紀当時、オスマン帝国との戦いの結果、ロシアに編入された黒海沿岸の土地は、ノヴォロシアと呼ばれた。
今、この歴史の重要な節目が、ロシア帝国の軍人の名前とともに忘れ去られようとしている。

彼らの働きなくしては、現代のウクライナの主要都市の多く、また黒海へのアクセスさえ存在し得なかっただろうに。
最近、ポルタワで、アレクサンドル・スヴォーロフの像が撤去された。

それで何を言いたいのか。
あなたたちは自身の過去を否定するのか。

ロシア帝国のいわゆる植民地時代の遺産を?
それならば筋を通してほしい。

次に行こう。

ウクライナ憲法第17条は、外国の軍事基地の自国領土への配備を認めていないということを指摘しておきたい。

しかし、これは簡単に回避できる慣習にすぎないことが判明した。
ウクライナでは、NATO諸国の養成訓練ミッションが展開している。
これは、実質、外国の軍事基地である。
単に基地のことをミッションと呼んでごまかしているだけだ。

キエフでは以前からNATOの加盟を目指す戦略的方針を打ち出している。
確かに、当然ながら、どの国にも、自分の安全保障体制を選択し、軍事同盟を結ぶ権利がある。

1つの「しかし」を除けば、まさにそうであるように思われる。

国際文書には対等かつ不可分の安全保障の原則が明記されている。
そこには、よく知られているように、他国の安全保障を犠牲にして自国の安全保障を強化しないという義務が含まれている。
これについて、1999年にイスタンブールで採択された欧州安全保障憲章や、2010年のOSCEアスタナ宣言を例に挙げることができる。

言いかえれば、安全保障の手段の選択が、他国にとっての脅威を作り出してはならないということだ。

ウクライナのNATO加盟は、ロシアの安全保障にとって直接的な脅威である。

2008年4月、NATOのブカレストサミットで、アメリカが、ウクライナを、ちなみにグルジアも、NATOのメンバーにするという決定を強く推したことを思い出してほしい。
ヨーロッパの同盟国の多くは、当時すでに、そのような見通しに伴うあらゆるリスクについて承知していた。

しかし、彼らはシニアパートナーの意思を受け入れざるを得なかった。
アメリカは、明確な反ロシア政策を推し進めるために、彼らをただ利用したのだ。
NATO加盟国には、ウクライナの加盟にまだ懐疑的な国も少なくない。

同時に、こうしたヨーロッパ諸国から、私たちは「何を懸念しているのか。文字どおり明日に起きるというわけではない」というシグナルを受け取っている。

実は、アメリカも同じようなことを言っている。

それに対し私たちはこう答える。
「いいだろう。明日でなければ、あさってだ。歴史的に見てそれで何か変わるのか。実質、何も変わらない」と。

さらに、もしウクライナがNATOの基準を満たし、汚職問題を克服することができれば、ウクライナ東部における活発な戦闘行為は、この国のNATO加盟の可能性を排除するものではないという、アメリカ指導部の立場や発言も私たちは承知している。

しかし彼らは、NATOは平和的で純粋に防衛的な同盟であると、私たちを何度も説得しようとしてきた。

ロシアに対する脅威などないと言いながら。

ここでもまた、ことばを信じろと言うのだ。
しかし、そのようなことばの本当の価値を私たちはよく知っている。

1990年、ドイツ統一の問題が議論されたとき、ソビエトの指導部に対しアメリカ側は、NATOの管轄や軍事的プレゼンスを1インチも東へ拡大しないと約束した。
そして、ドイツの統一は、NATOの東方拡大にはつながらないと。

これは引用だ。
さんざんしゃべり、口約束を繰り返したが、すべては無に帰した。

のちに、中・東欧諸国のNATO加盟は、モスクワとの関係を改善し、これらの国々を重苦しい歴史的遺産の恐怖から解放し、ロシアに友好的な国々のベルト地帯を作ることになると、ロシアを説得するようになっていった。

すべては全く逆の状況になった。

いくつかの東欧諸国の政権は、ロシア恐怖症を駆け引きに使いながら、自分たちの劣等感やロシアの脅威に関するステレオタイプをNATOに持ち込み、主にロシアに対して展開されるべき集団的防衛力を増強すべきだと主張した。

ちなみにこれは、私たちの開放性と好意のおかげで、ロシアと西側の関係が最も高いレベルにあった1990年代から2000年代初頭にかけて起きたことだ。

ロシアは自分の義務はすべて果たした。
ドイツや中・東欧諸国から部隊を撤退させ、冷戦の遺産を克服するために多大な貢献をした。

私たちは一貫して、ロシア・NATO理事会やOSCEの枠組みなどを含む、さまざまな協力のあり方を提案した。

さらにここで、これまで一度も公に言ったことのないことを言っておきたい。
初めて述べることだ。

2000年、退任するアメリカのビル・クリントン大統領がモスクワを訪問した際、私は彼にこう尋ねた。
「NATOがロシアを受け入れることについて、アメリカはどう思うだろうか」と。

この会話の詳細を明かすことはしないが、私の質問に対する反応は、外面的には、言ってみればかなり抑制されたものだった。

しかし、この可能性についてアメリカが本当のところどう思ったかは、わが国に対して彼らが実際にとった行動を見ればほぼ分かることだ。

それは北コーカサスのテロリストへの公然たる支援、NATO拡大における安全保障上の私たちの要求と懸念に対する無関心、ABM条約からの脱退などだ。

こう問いかけたくなる。
「なぜなのか。これらすべては一体何のためなのか」と。

私たちを友人や同盟国として見たくないのはまだいいとしても、なぜ敵に回す必要があるのか。

答えはたった一つ。

私たちの政治体制がどうのこうのという問題ではない。
ロシアのような自立した大国が必要ないだけなのだ。

すべての質問の答えはここにある。

これこそがアメリカの伝統的な対ロシア政策の源流だ。
安全保障分野における私たちのあらゆる提案への対応もここから来ている。

現在、NATOを東方に拡大させないとの約束を西側諸国がいかに「守ってきた」かは、地図を一目見るだけで分かる。

あっさりとだましたのだ。

私たちは、次から次へとNATO拡大の波を5回も受けてきた。
1999年、ポーランド、チェコ、ハンガリーがNATOに加盟した。
2004年にはブルガリア、エストニア、ラトビア、リトアニア、ルーマニア、スロバキア、スロベニア、2009年にはアルバニアとクロアチア、2017年にはモンテネグロ、2020年には北マケドニアだ。
その結果、同盟とその軍事インフラは、じかにロシア国境にまで進出してくることとなった。

これこそが、ヨーロッパ安全保障の危機の主要な原因の1つとなり、国際関係のシステム全体に非常に悪い影響を及ぼし、相互信頼の喪失をもたらした。

状況は、戦略的分野においても悪化し続けている。
ルーマニアとポーランドでは、世界的なミサイル防衛システムを作ろうとするアメリカのプロジェクトの一環として、迎撃ミサイル設備の配備が進んでいる。
そこにある発射装置から、攻撃システムである巡航ミサイル「トマホーク」を使用できるということは広く知られている。

また、アメリカでは、万能型ミサイル「スタンダード6」の開発も行われている。
防空・ミサイル防衛に加え、地上や洋上のターゲットを破壊することもできるものだ。
つまり、防御的であるはずのアメリカのミサイル防衛システムが拡大し、新たな攻撃力が生まれているのだ。

私たちが得た情報は、ウクライナのNATO加盟と、それに伴うウクライナ国内へのNATOの設備展開はすでに決まったことであり、時間の問題だと考える根拠を十分に示している。
そのように事が進めば、ロシアに対する軍事脅威のレベルは何倍にも飛躍的に高まるであろうことを、私たちはよく理解している。

わが国への奇襲攻撃の危険性が何倍にも増すであろうことに特に注意してほしい。

はっきりさせておくが、アメリカの戦略計画の文書には、敵のミサイル施設へのいわゆる先制攻撃の可能性が明記されている。

そして、アメリカとNATOの主要敵国が誰なのかも、私たちは知っている。

それはロシアだ。

NATOの文書には、わが国は、ヨーロッパ大西洋地域の安全保障に対する主要な脅威であると公式に書かれている。
そしてそのような攻撃の拠点となるのがウクライナだ。

もし私たちの祖先がこれを聞いたら、おそらく彼らは信じないだろう。
今の私たちも信じたくはないが、事実そうなのだ。

このことをロシアでもウクライナでも理解してほしい。

多くのウクライナの空港が、わが国の国境の近くにある。

そこに配備されたNATOの戦術機、それには高精度な兵器の運搬手段も含まれるが、それらはわが国の領土の奥深く、ボルゴグラード、カザン、サマラ、アストラハンを結ぶ範囲まで攻撃することができる。
ウクライナ国内にレーダー偵察設備を展開することで、NATOはロシアのウラルまでの領空をきっちりと管理することができるようになる。

そして最後に、アメリカが中距離核戦力全廃条約を破棄したあと、ペンタゴンはすでに、多くの地上配備型兵器の開発を公然と進めている。
その中には、最大射程距離5500キロの巡航ミサイルも含まれている。
このようなシステムがウクライナに配備されれば、彼らは、ロシアのヨーロッパ地域全体の標的を、そしてウラルを超えた向こうにあるものまでも、破壊することができるようになる。

巡航ミサイル「トマホーク」のモスクワまでの飛行時間は35秒弱だ。
ハリコフからの弾道ミサイルは7-8分、極超音速兵器であれば4-5分だ。
これはまさに、いわゆる「のど元にナイフを突きつけられている」状態だ。

そして、彼らはその計画を実現しようとしていると、私は確信している。
過去に何度もNATOを東方へ拡大し、軍事インフラと兵器をロシア国境へと押し出し、私たちの懸念、抗議、警告を完全に無視してきたように。

それらに唾を吐き、自分のやりたいこと、必要だと思うことをやってきた。
そしてもちろん、「犬はほえるが、キャラバンは進む」という有名なことわざにあるように、今後も同じように行動するつもりなのだ。

断っておくが、私たちはそれに同意しなかったし、今後同意することも決していない。
ロシアは常に、最も困難な問題を政治的、外交的手段で、交渉のテーブルについて解決すべきだと言ってきたし、今もそう言っている。

私たちには、地域および世界の安定に対する大きな責任があることをよく理解している。
2008年、ロシアは欧州安全保障条約を締結するためのイニシアチブを提唱した。

その主旨は、ヨーロッパ大西洋地域にあるどんな国も、どんな国際機関も、みずからの安全保障を強化するために他者の安全保障を犠牲にしてはならない、ということだった。
しかし、ロシアがNATOの活動を制限することは許されないと言われ、私たちの提案は門前払いされた。

さらに、法的拘束力のある安全保障を得ることができるのはNATO加盟国だけだと、はっきり言われた。

去年12月、私たちは、ロシアとアメリカの安全保障に関する条約案と、ロシアとNATO加盟国との安全保障措置に関する協定案を、西側のパートナーたちに渡した。

アメリカとNATOからの回答の多くはありきたりな内容だった。

合理的な箇所も少しばかりあったが、それらはすべて副次的な事案に関するもので、話をそらそうとしているように見えた。

私たちは相応の対応をし、交渉の準備はできているが、すべての問題を、ロシアの基本的な提案事項から切り離すことなく、一括で検討することが条件であると強調した。

そこには3つの重要なポイントがある。

一つ目は、NATOのさらなる拡大を阻止すること。

二つ目は、NATOがロシア国境に攻撃兵器を配備するのをやめること。

そして最後は、NATOの軍事力とインフラを、ロシア・NATO基本議定書が署名された1997年当時の状態にまで戻すことだ。

まさにこうした私たちの基本的な提案は無視された。

西側のパートーナーたちは、またもや、どんな国も、自国の安全保障の手段を自由に選ぶ権利と、いかなる軍事連合や同盟にも加盟する権利を有しているという紋切り型の答えを繰り返した。

つまり、彼らの立場は何も変わらず、NATOの悪名高い「門戸開放」政策を引用しただけだった。

さらに私たちを再び脅そうとしている。
制裁によって再び脅かしている。

ちなみにこれらの制裁は、ロシアの主権が強まり、わが国の軍事力が増していくに従って、いずれにせよ導入されるのだ。

次の制裁攻撃の口実は、どんな時も見つかるし、簡単にでっちあげることもできる。
しかもウクライナ情勢とは関係なく。

目的は1つ、ロシアの発展を妨げることだ。

彼らは、これまでもそうしてきたように、形式的な口実すらなくても今後もそれを実施するだろう。

私たちがみずからの主権、国益、自国の価値観を決して譲らないというだけの理由で。

はっきりと言っておきたい。

原則的な問題について対等な対話を求める私たちの提案が、事実上アメリカとNATOから無視され、わが国に対する脅威のレベルが顕著に高まっている状況下では、ロシアには自国の安全を確保するために対抗措置を取る権利がある。

そして、まさにそうするつもりだ。

ドンバスの情勢については、ウクライナ政権は、紛争解決のためのミンスク合意を履行する意思はなく、平和的解決には興味がないということを常に公言している。

それどころか、2014年と2015年にやったように、ドンバスで再び電撃戦をやろうとしている。
こうした冒険的行為がどのような結末を迎えたか、私たちは覚えている。

現在、実際、1日たりともドンバスの住宅地で銃撃が鳴りやむことはない。
大規模な部隊が絶え間なく攻撃ドローンや大型兵器、ミサイル、大砲、ロケット砲などを使っている。
民間人の殺害、封鎖、子どもや女性、高齢者らへの虐待は今も止まることがない。
俗に言う、終わりの見えない状況だ。

いわゆる文明世界、その唯一の代表者であると西側諸国は自称しているが、その世界はこれに気付かないふりをしている。

まるで、この悪夢、400万人もの人々が受けているジェノサイドなど存在しないかのように。

これらの人々が、2014年に西側が支援したウクライナのクーデターに賛同せず、原始的で攻撃的な民族主義やネオナチズムへと向かっていく国家の高揚感に異議を唱えたというだけの理由で。

彼らは、自分たちの土地に暮らし、自分たちの言語を話すという基本的な権利のため、自分たちの文化と伝統を守るために戦っている。

この悲劇はいつまで続くのだろうか。

あとどれくらい我慢できるだろうか。

ロシアは、ウクライナの領土保全のために、あらゆることをやってきた。
ドンバス情勢を解決するための2015年2月12日のミンスク合意について明記した、2015年2月17日の国連安保理決議2202を履行するために、この数年間ずっと、粘り強く忍耐強く戦ってきた。

すべてはむだに終わった。

大統領や議員が変わっても、ウクライナの権力を掌握している体制自身の攻撃的で民族主義的な性質の本質は変わらない。

これは完全に、2014年のクーデターの産物であり、当時、暴力、流血、無法の道を歩んだ者たちは、ドンバス問題を軍事的な方法以外で解決することを認めなかったし、今も認めないだろう。

これを鑑み、長い間待たれていた決定を下す必要があると考える。
それは速やかにドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国の独立と主権を認めることだ。

ロシア連邦議会には、この決定を支持してほしい。
そしてその後、両共和国との友好および相互援助に関する条約を批准してほしい。
この2つの文書は、速やかに作成し、署名するつもりだ。

キエフで権力を掌握し維持しようとしている者たちには、直ちに戦闘行為をやめるよう求める。

さもなければ、継続して起こりうる流血に対するすべての責任は、完全に、ウクライナを統治する政権の良心にかかることになる。

本日の決定を発表するにあたり、ロシア国民、および、すべての愛国的な勢力から支持を得られると確信している。

ご清聴に感謝する。』

【橋下徹研究①】橋下徹と中国資本との長い歴史|山口敬之【永田町インサイド WEB第1回】

【橋下徹研究①】橋下徹と中国資本との長い歴史|山口敬之【永田町インサイド WEB第1回】
https://hanada-plus.jp/articles/993

『維新とロシア大使館との不自然な関係

かつて維新に所属していた元議員はこう断言する。
「橋下徹は、自分が愚かだと見なされても達成したい、『別の目的』がある」
この人物が指摘したのが、維新とロシア大使館との不自然な関係だ。

2019年5月11日、維新の所属議員だった丸山穂高前衆議院議員が北方領土のビザなし交流日本側訪問団に同行した際、旧島民に対して、
「戦争でこの島を取り返すのは賛成ですか、反対ですか」と質問した上で、
「戦争しないとどうしようもなくないですか」と発言したことが問題となった。

この時、日本維新の会の代表で大阪市長を務めている松井一郎氏は、
「党として一切そういう考えはない」「武力で領土を取り返す解決はない」とコメントした上で、丸山穂高議員を厳重注意。さらにその他のスキャンダルとも併せて丸山氏を除名とした。

ここまでは所属議員がスキャンダルを起こした際の政党のよくある対応だった。世間を驚かしたのが、問題発覚の6日後の5月17日、日本維新の会の片山虎之助共同代表と馬場伸幸幹事長が東京・港区のロシア大使館を訪れ、ミハイル・ガルージン大使に面会して直接謝罪したことだった。

国政政党の代表が除名した議員の発言について大使館にまで行って謝罪するのは、極めて異例の行為だ。

この1か月後にはロシアとの深い関係で知られる鈴木宗男衆議院議員が日本維新の会に入党したこともあり、永田町では、「維新とロシアの間には、世間では知られていない深い関係があるのではないか」と噂された。』

『 意識しているのはロシアではなく中国か
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しかし仮に維新とロシアの間に公表されていない深い関係があったとしても、橋下氏の「ウクライナ降伏論」はロシアを利するという意味では婉曲に過ぎる。

すでに始まってしまった戦争について、日本にいるウクライナ人に日本語で降伏を勧めたとしても、橋下氏の発言を聞いて降伏を選択するウクライナ国内の人は皆無と言っていいだろう。こんな発言ではロシアが喜ぶはずがないことは、橋下氏なら重々承知だろう。

そもそもロシアが日本を侵略する可能性は限りなくゼロに近いのだから、「侵略時に降伏すべき」と主張してもほとんど意味はない。

しかし、橋下氏が仮に中国を念頭に発言していたとすれば、俄然意味が深くなってくる。

中国は日本をターゲットとした核ミサイルを千基以上実践配備している国であり、尖閣などの沖縄海域で挑発行為を繰り返している。

昨年7月1日、習近平国家主席は中国共産党創建100周年記念式典で1時間にも及ぶ長演説でこう叫んだ。 
「台湾問題を解決して祖国の完全統一を実現することは、中国共産党の不変の歴史的任務であり、中華民族全体の願いだ」

台湾有事となればわずか170キロメートルしか離れていない日本の無人島である尖閣諸島が無傷で済むはずがない。

中国の日本侵略は「あるかないか」ではなく「いつ」「どの位の規模か」が問われているのである。』

『「ありがたい」発言のオンパレード

ここで、もう一度、橋下氏のウクライナ発言を読み直してみる。
「祖国防衛で命を落とす、それしかないんだって状況にみんななってしまうと国外退避することが恥ずかしいことだ、やっちゃいけないことなんだ、売国奴なんだっていう批判を恐れてしまう」

「政治的妥結をすべき」

こうした「降伏論」に類する橋下氏の発言の文脈を整理すると、日本を侵略しようと考えている外国の指導者にとっては実に「ありがたい」発言のオンパレードだったことがわかる。

日本人はあまり自覚していないが、世界では「日本人を怒らせると怖い」「本気になった日本人は手がつけられない」という認識が広く浸透している。

記者として住んだイギリスやアメリカには多くの知人友人がいるが、「カミカゼ」「ハラキリ」という言葉を知らない者はひとりもいない。

国家のために死を覚悟して飛び立って行った特攻隊の精神は、「日本を侵略したら、カミカゼの母国の日本民族が徹底抗戦する」という侵略者側の恐怖心となり、目に見えない抑止力として現代日本を守っている。

裏を返せば、橋下氏の発言はそうした「国に殉じる」という日本精神を過去のものにしたい侵略者の意向に、ピッタリと寄り添っているとも言えるのである。』

『 上海電力とカジノプロジェクト

大阪湾の人工島「咲洲」(さきしま)のコスモスクウェア地区では、上海電力株式会社によるメガソーラー事業が始まっている。

大阪市は、「おおさか環境ビジョン」等に基づき、平成32年度までに太陽光発電18万キロワットの導入を目標とした巨大メガソーラー事業を展開中だが、それを始めたのが2011年から大阪市長を務めた橋下氏だ。

そしてその主たる事業者が「上海電力日本株式会社」。資本関係から言って中国共産党に直結する「中国国営の企業グループ」なのだ。

中国のメガソーラー事業が進行している咲洲の北隣の「夢洲」(ゆめしま)では、カジノプロジェクトが進行中だ。

橋下氏の「降伏論」が大炎上していた3月29日、大阪市議会は大阪府と市が誘致を目指すカジノを含む統合型リゾート(IR)の区域整備計画を大阪維新の会と公明党市議団の賛成多数で可決した。

府議会は計画を24日に賛成多数で可決している。両議会での同意を得られたことで、府・市は申請期限の4月末までに国へ認定を申請する。

IRでは他に和歌山県と長崎県が誘致を目指しているが、議会の同意を得られたのは3地域で初だ。ただ市議会では自民党市議団が計画に反対。市が液状化防止など人工島・夢洲にある予定地の環境対策費に約788億円を負担することを問題視している。

大阪のカジノ構想は、アメリカのMGMリゾーツ・インターナショナルに関西企業など20社の共同グループからなる「大阪IR株式会社」が運営し、2029年秋~冬の開業を目指している。初期投資額は約1兆800億円、年間の売上高は約5200億円を見込む大阪府最大の巨大事業だ。

そして、カジノの運営などIR関連プロジェクトについても、中国系企業の様々な形での関与が取り沙汰されている。

このカジノ構想を2008年の大阪維新の会発足時から強力に推進してきたのが橋下氏本人なのだ。
「維新」の創立者であり、しかも3月末まで有償で法律顧問を務めていた橋下氏。

橋下氏は、テレビ番組のレギュラーコメンテーターとして、維新とは無関係との立場を強調する一方で、自分が関与した事業の環境整備や利益誘導に繋がるような発言をしていないか。

この疑惑は、橋下氏個人とテレビ局の倫理の問題に止まらない。

野党第一党に躍り出ようかという日本維新の会という国政政党がどのような権力構造のなかでどのように運営されているのかを解明する、重要な視点でもある。

現在、私の元には、維新の様々な関係者から多くの情報が寄せられている。この「Hanadaプラス」と、私のメールマガジンを中心に、橋下徹氏に関する取材成果を逐次公表していくつもりである。』

【限定公開】元NATO軍最高司令官に聞く 世界の行方と日本の役割

【限定公開】元NATO軍最高司令官に聞く 世界の行方と日本の役割
プーチンによる戦争に世界は決して屈しない

ジェイムズ・スタヴリディス (元NATO欧州連合軍 最高司令官)
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/26408

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 「Wedge」2022年5月号に掲載されている特集「プーチンによる戦争に世界は決して屈しない」記事の内容を一部、限定公開いたします。全文は、末尾のリンク先(Wedge Online Premium)にてご購入ください。


プーチンによる暴挙は決して許されるものではない。今回の事態をどう見るべきか。元NATO欧州連合軍最高司令官のジェイムズ・スタヴリディス氏に聞いた。
文・ジェイムズ・スタヴリディス
取材協力・宮川眞喜雄
構成・編集部 大城慶吾、鈴木賢太郎
ジェイムズ・スタヴリディス(James Stavridis)
元NATO欧州連合軍 最高司令官
1955年生まれ。アナポリス海軍兵学校を卒業後、米海軍に入隊。複数の駆逐艦や空母打撃群の指揮を執り、7年にわたり海軍大将を務める。2009年から13年まで、北大西洋条約機構(NATO)欧州連合軍最高司令官。その後、5年間米タフツ大学フレッチャー・スクール学長。近著に『2034 米中戦争』(二見文庫)。

編集部(以下、──) なぜ、プーチン大統領はこのような暴挙に出たと思うか。

ジェイムズ・スタヴリディス(以下、JS) プーチン氏は戦術家としては優れているが、戦略家としては無能だ。アフガニスタンで西側諸国の対応が崩壊し、コロナ禍で世界が混乱し、米国の内政が激しく分断されているのを好機と見たのだ。しかし、勇敢なウクライナ人の抵抗の強さも、米国をはじめ西側全体の決意の固さも、双方を見誤った。

 今回ロシアは軍事的に四つの深刻な失敗を犯した。第一はプーチン氏の配下の将軍たちが効果的な戦闘計画を立てることができなかったことだ。彼らはあまりに多くの方向に一度に攻撃をしかけ、力を分散し、ウクライナ軍を陵駕できなかった。第二は兵站(ロジスティックス)の拙劣さだ。極寒の中で主要部隊は食糧も、燃料も、防寒着もない貧相な準備だった。第三は、徴兵や予備役が多すぎて、戦闘任務を明確に認識している戦闘員が僅かだったことだ。 最後は腐敗だ。プーチン氏は弾薬や装備の不足について報告されていなかった。おそらく、さまざまなレベルで軍資金が「かすめ取られて」いたのだろう。

NATOはこれまで勢力圏を拡大してきたが……
(出所)外務省欧州局政策課の資料を基にウェッジ作成
(注)地図上は省略されているが、アメリカとカナダも1949年の原加盟国である 写真を拡大

 この侵略を北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大のせいにするのは、絵空事だ。プーチン氏にとって、攻撃対象はロシアの西方にある脆弱な国ならどの国でもよかったのだろう。運よくNATOに加盟していた国々の守りは固かったが、NATOの加盟国でないウクライナは脆弱だった。ただそれだけのことだ。』

『最前線でロシアと対峙する
NATOが果たす役割とは?

──日本の読者に改めてNATOの存在意義を示してほしい。また、NATO加盟国やパートナーは、それぞれどのような役割や機能、責務を果たし、ロシアの脅威に対応しているのか。

JS NATOは純粋に防衛のための同盟であり、近隣諸国を攻撃したことはない。私は最高司令官として、NATOのあらゆる戦争計画を見て、研究して、許可を与えたが、それらの戦争計画は100%防衛的性質であった。

 NATOは非常に強固な経済基盤を有し、ロシアとの比較では、軍事費で10対1、兵員数で4対1、戦闘機数で5対1、軍艦隻数で4対1の割合であり、全てにおいてロシアを圧倒している。

 いかなる同盟でも、その本質は加盟諸国が直面する課題や負担をその諸国間で共有することにある。個別の国が対応するより加盟国全員で対処する方がはるかに大きな力になる。

 例えば、ルーマニアは情報の処理と発信に高い技量を発揮する。ドイツはディーゼル潜水艦の運用において異例の能力を有し、英国とフランスは……

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山東省に新たな日本&韓国方面向きMD大型レーダー

山東省に新たな日本&韓国方面向きMD大型レーダー
https://holyland.blog.ss-blog.jp/2022-04-19

『標高750mに2019年11月以降に建設か?
同敷地には台湾方面監視レーダーが既に存在
日本全域を監視範囲に収め、宇宙状況把握にも使用可能か
日本は弾道ミサイルを保有していませんが・・・

Large Phased Array3.jpg4月18日付Defense-Newsが、商用衛星で2022年2月に撮影された写真を用い、山東省(山東半島やチンタオがある)中心部の標高750m付近に大型の弾道ミサイル監視レーダーが新設されていると報じ(上写真左が2018年6月、右が2022年2月撮影)、台湾方向を向く既存同型レーダーと共に監視体制を強化していると紹介しています

Shandong Province.jpg記事は当該弾道ミサイル探知追尾用レーダーを「LPAR:Large Phased Array Radar」と呼び、性能の細部は不明ながら、同形状で同規模の米軍AN/FPS-115はレーダー正面120度範囲を3000nm(5600㎞)監視できると紹介しています

Shandong Province2.jpgちなみに新レーダーのある山東省中心部から、ソウルが約800㎞、福岡市と台北市が共に約1100㎞、東京やフィリピンのルソン島北部までが2000㎞で、朝鮮半島と日本列島4島全域を物理法則からするとカバーできることになります

また米軍AN/FPS-115レーダーと同程度の傾きを持って設置されていることから、宇宙監視にも応用可能だろうと記事は推測しています

Heilongjiang Province.jpg新レーダーと同じ場所に隣接設置されてる既存の台湾方面向きレーダーは2013-2014年に建設されており、その他にも同種レーダーが、北朝鮮北方でロシアに接する黒竜江省(上の図)に朝鮮半島と日本方面向きに、台湾北方の浙江省にも台湾向きに設置済だそうです。更に新疆ウイグル自治区には、インド向きで同種レーダーが存在しているとか

確か中国は、米軍が韓国にTHAAD用レーダーを配備しようとした際、中国本土が監視範囲に入って許せないと韓国に嫌がらせしていますが、中国自身もしっかりやることをやっております

それにしても、日本は弾道ミサイルを保有していないのに、中国はいろいろ考えているのでしょうか?

Large Phased Array2.jpgちなみに、台湾でも米国の援助を受け、AN/FPS-115レーダーを発展させた「世界最強」級のミサイル監視レーダーが2013年頃には稼働し始めています。台湾の「Hsinchu」近郊「Leshan Mountain」に設置されたレーダーで、目標の大きさにもよりますが、巡航ミサイルや弾道ミサイルを3000km遠方から探知できるとの米軍需産業関係者の話が当時報道されています

山東省中央部に設置の新レーダーは、「北緯36°01′30″」「東経118°05′31″」で標高2300フィートに所在しているとのこと、ご興味のなる方は、ぜひ公開情報で現物をご確認ください

AN/FPS-115発展型の台湾「世界最強」級ミサイル監視レーダー
「台湾の巨大な中国監視レーダー」→https://holyland.blog.ss-blog.jp/2013-11-28

アラスカに2021年末に設置で試験中の巨大BMDレーダー
「BMD用の巨大新型レーダーLRDR完成」→https://holyland.blog.ss-blog.jp/2021-12-08

応援お願いします!ブログ「東京の郊外より」支援の会
https://community.camp-fire.jp/projects/view/258997

ブログサポーターご紹介ページ
https://holyland.blog.ss-blog.jp/2020-04-16-1 』

【独自】“150人追放”FSB元諜報員が語る異変

【独自】“150人追放”FSB元諜報員が語る異変
https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000251789.html

『時折、笑顔を見せながら、私たちの単独取材に答える男性。
彼はロシアの情報機関FSBの元諜報員です。プーチン大統領が職員150人を追放したと報じられたFSB。

内部で今、何が起きているのでしょうか?

▽独自 FSB元諜報員語る“内部の異変”

(FSBの元諜報員 ミハイル・トレパシキン氏)「私はソ連のKGBだった時からプーチン大統領のことを見てきました。KGBを継いだFSBは、今でもロシア社会に大きな影響力を持っています。プーチンはそれをすべて知った上でFSBを自分の配下に置き、友人たちとともに自分の個人的な目的のために利用しているのです。」

旧ソ連の諜報機関KGBそして、FSB=ロシア連邦保安局の諜報員だったミハイル・トレパシキン氏。政権内部やFSBの内情を詳しく知る人物です。

11日、プーチン大統領に虚偽の報告をしたとしてFSBの職員150人が追放されたと報じられました。一体、何が起きているのでしょうか?

(ミハイル・トレパシキン氏)「不確かな情報を提供したことで(FSBの職員が)追放されたというのは本当です。彼は自分にとって心地よい情報が好きなのです。そのため(FSBは)彼をいら立たせないような情報を提供していたのです。」

プーチン大統領は側近をKGBやFSBの出身者で固めています。FSBの影響力は「軍」よりも上とされ政治や企業など様々なところに及んでいるといいます。

1998年、FSB長官の座についたプーチン氏。虚偽報告が起きる原因を作ったのはプーチン氏自身だと指摘します。

(ミハイル・トレパシキン氏)「90年代後半からそのようなこと(虚偽報告)が始まったと思います。当時FSBには多くの別の組織から職員が入ってくるようになりました。つまりFSBの組織の中で下から出世したのではない人たちです。プーチンは自分に近い人間を配置し、国のためにきちんと働く職員は出ていきました。」

そしてFSBには不正や腐敗が蔓延。トレパシキン氏はその実態を、当時のエリツィン大統領に告発したといいます。

(ミハイル・トレパシキン氏)「わたしは、組織ぐるみの不正と隠蔽、偽情報などについてエリツィン大統領に手紙を書きました。しかし適切な措置は講じられませんでした。残念ながら残ったのは、不確かな情報を提供したり、状況を誇張したりする職員でした。そして、それが現在にも影響を与えています」

▽“過去の爆破事件”に侵攻読み解くカギ?

FSBを辞め、弁護士としてプーチン政権の不正を追及してきたトレパシキン氏。今回のウクライナ侵攻を読み解くカギは、90年代後半に起きた“ある事件”にあると話します。それが…

(1999年 モスクワ 武隈喜一 記者)「アパートの真ん中が高さ30m幅30mに渡って完全に崩れ落ちています。」

1999年に起きたアパート連続爆破事件。モスクワなど3都市で発生し住民ら300人以上が死亡、1700人以上が負傷しました。

当時、首相になったばかりのプーチン氏は、チェチェン独立派のテロだと断定。
「テロリストはどこまでも追いつめます。便所にいたら便所でぶちのめします」
「対テロ戦争」の名のもと、すぐさま、チェチェンへと侵攻したのです。

こうしたプーチン氏の強硬姿勢は、国民から絶大な支持を集め、翌年、大統領に就任します。しかし…

(ミハイル・トレパシキン氏)「アパート爆破事件はFSBの秘密諜報員によって実施されました。というのも、すべての痕跡が彼らにつながるものだったからです。指示を出せるのはただ一人、リーダーだけです。彼がすべてをコントロールしているからです。」

アパート爆破事件は、プーチン氏の指示による“FSBの自作自演”だというのです。これが事実なら、チェチェン侵攻の口実作りのために多くの国民が殺害されたことになります。
当時、遺族側の弁護士としてこの事件を調査していたトレパシキン氏によれば…
不発に終わった爆弾からFSBが厳しく管理していたはずの軍用爆薬とみられる「白い粉」が発見されています。すると当時のFSB長官は突然、「あれは訓練で、爆薬ではなく砂糖だった」と言い出したのです。現在でもこれがロシア政府の公式見解となっています。

▽関係者“不審死”も…爆破事件めぐる懸念

(ミハイル・トレパシキン氏)「調査しようとした人たちのほとんどがこの世を去りました。調べようとすると攻撃されたり 殺されたり、毒を盛られるなどして消されてしまいます。」

(FSBの元諜報員 アレクサンドル・リトビネンコ氏)「ロシアのFSBがアパート爆破を画策したという証拠があります」

FSBの犯行だと告発したリトビネンコ氏は、亡命先のロンドンで毒を盛られて死亡。

さらに野党議員のシェコチーヒン氏やユシェンコフ氏、ジャーナリストのポリトコフスカヤ氏など真相を追っていた人物が次々と不審な死を遂げていったのです。

トレパシキン氏も機密情報の漏洩や武器の不法所持など身に覚えのない罪で逮捕、収監されました。

(ロシア国営放送)「民家の敷地で炎が上がっています。明らかに狙った攻撃です。
ロシアは15日、ウクライナ軍のヘリによる攻撃で、妊婦を含む8人がケガをしたと主張しましたが、ウクライナ政府は、国内で反ウクライナ感情を高めるための“ロシアの自作自演”だとして否定しました。

アメリカは首都モスクワなどの主要都市で多くの人が集まる場所が攻撃対象になる可能性を警告しています。

▽プーチン氏“原点”はチェチェン侵攻?

トレパシキン氏は、プーチン大統領の原点にはチェチェン侵攻の成功があり、ウクライナでも同じことを実現しようとしたとみています。

(ミハイル・トレパシキン氏)「ウクライナをチェチェンと同様にロシアの領土に出来ると思っていたのです。現在、ロシア連邦に属するチェチェン共和国のカディロフ首長は、プーチン大統領の忠実な配下として、激戦が続くマリウポリに自身の部隊を送り込んでいます。

▽プーチン政権“クーデター”の可能性は?

150人に上るFSB職員を追放したプーチン大統領。FSBによるクーデターもささやかれていますが、トレパシキン氏はクーデターは起きないと話します。

(ミハイル・トレパシキン氏)
「クーデターの要因は見当たりません。要因というよりは、むしろクーデターを行う力が見当たりません。それは周囲に忠実な者だけを置いているからです下々に至るまで、自分の居場所を失うことを恐れています。一度失えば(金や権力など)二度と手にいれることができないことを知っているから、プーチンを離れようとしないのです。」

4月17日『サンデーステーション』より

(C) CABLE NEWS NETWORK 2022

▶「サンデーステーション」公式ホームページ 
https://www.tv-asahi.co.jp/sun-st/feature/ 』

「ロシアが地下貫通弾を使用」

「ロシアが地下貫通弾を使用」
ウクライナ高官が非難
https://nordot.app/889293918485987328?c=39546741839462401

『ウクライナでロシア側との停戦交渉団を率いるポドリャク大統領府長官顧問は19日、東部ドネツク州の要衝マリウポリへの攻勢を強めているロシア軍が地下の軍事施設への直接攻撃が可能な特殊貫通弾(バンカーバスター)を使用していると述べ「子どもたちへの殺人行為だ」と非難した。ツイッターに投稿した。

 ポドリャク氏は、ウクライナ側部隊が立てこもって抵抗を続けるマリウポリの製鉄所アゾフスターリの構内にロシア軍が強力なバンカーバスターの投下を続けていると指摘した。各国の政治指導者や宗教界の指導者らが市民の避難を実現させなければ「彼らの手も血で汚れることになる」と訴えた。』

ブチャ殺害疑惑の部隊に名誉称号

ブチャ殺害疑惑の部隊に名誉称号
プーチン大統領「英雄的行為」
https://nordot.app/889335211438014464?c=39546741839462401

『ロシアのプーチン大統領は20日までに、ウクライナが首都キーウ(キエフ)近郊ブチャで多数の民間人殺害に関与したと非難しているロシア軍部隊、第64独立自動車化狙撃旅団に「親衛隊」の名誉称号を付与した。18日付。プーチン氏は「軍事紛争で祖国と国益を守るため英雄的行為と勇気を示した」と称賛した。

 ロシア軍がキーウ近郊から撤退した後、ブチャでは約400人の遺体が路上や集団墓地で見つかった。ウクライナ検察はロシア軍が拷問や暴力の痕跡を消そうと遺体焼却を試みたと主張し、国際人道法違反だと訴えている。プーチン氏は「フェイクだ」と否定している。(共同)』

ウクライナ緊迫、穀物相場に火種小麦・トウモロコシ高値圏、急騰なら中東不安定化も

ウクライナ緊迫、穀物相場に火種
小麦・トウモロコシ高値圏、急騰なら中東不安定化も
2022年2月12日 2:00
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO80089900R10C22A2EA3000/

『緊迫するウクライナ情勢が農産物相場高騰の火種となっている。ロシアは世界最大の小麦輸出国、ウクライナは小麦やトウモロコシなどの幅広い農産物を供給する。有事となれば、両国からの農作物の供給が減る懸念がある。相場が跳ね上がれば、両国産の穀物に依存する中東の政情不安や、一段のインフレ圧力に見舞われる恐れがある。(1面参照)

国際指標の米シカゴ商品取引所のトウモロコシ先物(期近)は1ブッシェル6.2ドル前後と前年比で1割強ほどの高値圏にある。小麦先物(同)は1ブッシェル7.6ドル前後と前年比2割高い。1月下旬に一時8.3ドル台まで急騰、2021年11月につけた9年ぶり高値の8.6ドル台に迫るなど、穀物相場は神経質な動きが続く。

市場関係者が注視するのは、穀倉地帯を揺るがしかねないウクライナ情勢だ。約10万人のロシア軍がウクライナと国境付近に展開中とされ、侵攻を防ぎたい米欧とロシアのけん制が続いている。

世界の小麦生産シェアをみるとロシアは1割、輸出シェアは2割を持つ最大輸出国だ。ウクライナは小麦で1割と世界5位。トウモロコシでも1割強を占める。食用に使われるひまわり油や、主に飼料用に使われる大麦でも高いシェアを誇る。

世界最大の小麦輸入国であるエジプトはロシアから6割、ウクライナから3割弱を調達。中東・北アフリカは小麦の世界最大の需要地域だ。水資源に乏しいため、穀物は輸入に頼る。ウクライナのトウモロコシの輸出先は中国が3割を占める。両国は世界の食糧安全保障に重要な役割を担う。

ロシアの産地は、ウクライナとの国境に近い南西部に集中している。ウクライナは全土に肥沃な黒土が広がり、中央部や南部で小麦やトウモロコシなどを生産している。

有事となれば、農作物の産地への被害や黒海沿岸の港から世界への穀物輸送にも影響が及ぶ恐れがある。米欧の制裁はロシアからの穀物輸出を制限しかねない。

世界の小麦市場は人口増加や所得向上による生活水準の上昇から、需要拡大が続く。主要生産国のカナダや米国は高温乾燥で21~22年度の生産量が前年度に比べて減る見込みだ。世界の小麦の同年度の期末在庫は3年ぶりの低水準になる見通し。ウクライナ情勢の悪化が重なれば、一段と需給が逼迫する事態となる。

トウモロコシも需給が引き締まりやすい。世界2位の輸出国ブラジルは高温乾燥に見舞われ、21~22年度の生産量見通しの下方修正が続く。ウクライナ情勢は市場関係者にとって「不安要因」(グリーン・カウンティの大本尚之代表)という。

世界最大の養豚国の中国は、最大のトウモロコシ輸入国だ。主に家畜の餌として使っている。輸入量の約3割をウクライナに依存。農林中金総合研究所の阮蔚理事研究員は「ウクライナ産は遺伝子非組み換えで、比較的価格が安い」という。

ウクライナからの供給が急減すれば、中国は最大の輸入先の米国から調達を増やすとみられる。中国が家畜伝染病のアフリカ豚熱(ASF)で減った豚の増産を目指して米国産の輸入を増やした20年から、トウモロコシの国際相場は上昇した。

市場では「ロシア、ウクライナの穀物の輸出量は膨大で、紛争となれば価格が急騰する可能性がある」との声も出ている。ロシアのプーチン大統領が14年3月にウクライナのクリミア半島を併合すると表明するまでの2カ月ほどで、小麦の国際相場は20%強上昇した。

食料インフレは家計を直撃する。特に途上国には打撃だ。国連食糧農業機関(FAO)が3日発表した1月の世界の食料価格指数(14~16年=100)は135.7と21年12月に比べ約1%上昇。パン高騰などに怒った民衆が独裁政権を打倒した「アラブの春」が起きていた11年2月の最高値137.6に迫る。穀物高は中東地域を不安定化させかねない。

足元の原油価格の高止まりに食料高が加われば、インフレ圧力は一段と強まる。世界の主要中央銀行が金融引き締めを強めれば、新型コロナウイルス禍からの回復途上にある脆弱な世界景気を腰折れさせる恐れがある。

(皆上晃一、黒瀬幸葉)』

[FT]ウクライナ侵攻で小麦減産へ 穴埋め狙う南米の農家

[FT]ウクライナ侵攻で小麦減産へ 穴埋め狙う南米の農家
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB192YF0Z10C22A4000000/

『ブラジル・サンパウロ州内陸部リベイラン・プレート近郊でサトウキビと大豆を栽培するホセ・オディロン・デ・リマ・ネトさんは、2022年は別の作物を初めて栽培しようと考えている。
ブラジルは小麦の「純輸出国」に転じる可能性を秘める=ロイター

「ウクライナとロシアで夏の作付けが難しくなるため、小麦を作ってみるチャンスかもしれない」

ロシアのウクライナ侵攻以降、小麦の国際価格は高騰している。世界で取引される小麦の約30%を占める両国からの輸入に依存する多くの国への供給が滞るとの懸念が生じているためだ。

国連の食料価格指数は記録的な高さに達しており、軍事侵攻で国連食糧農業機関(FAO)が「破滅的な飢餓」と呼ぶ状況がさらに悪化している。
ロシアのウクライナ侵攻が広げた波紋

(ウクライナから)数千マイル離れた南米に位置し、大豆、牛肉、トウモロコシからオレンジまであらゆる農畜産物を生産する主要農業地帯のブラジルやアルゼンチンでは、食糧危機の兆しが波紋を広げている。

南米の農業関連企業は食料価格高騰によって収入を増やそうとしており、デ・リマ・ネトさんのように増産したり新たな分野に移行したりする動きもある。

だが同時にコストの上昇や燃料、肥料や家畜の飼料など農業に不可欠な物資の不足が懸念されており、世界の食糧安全保障に十分な役割を果たせない可能性もある。

ロシアのウクライナ侵攻は、ラテンアメリカの夏の作付けやブラジルのトウモロコシの二期作の計画が決まった後で始まった。そのため生産者は即座に対応することが難しかったと、コンサルティング会社ストーンXのアナリスト、ビトール・アンドリオリ氏は話す。

「紛争が長期化し商品価格が高止まりするならば、南米大陸で穀物や油糧種子の増産を後押しするだろう」と同氏は述べた。

国土の多くが熱帯気候であるブラジルでは小麦の生産は限られるが、22年に入ってからの小麦の輸出は21年通年の輸出を超えた。栽培技術の進歩で、伝統的に小麦の純輸入国だったブラジルが将来は小麦を自給可能できるようになるだけではなく、純輸出国に転じる可能性すらあると専門家は見ている。
増産しても輸出先はどこに

ブラジル・アグリビジネス協会(ABAG)のカイオ・カルバリョ会長は、短期的には農業セクター全体で生産を大幅に増やす可能性は低いと話す。ウクライナ侵攻がいつまで続くのか、また増産した農産物をどこに輸出するのかはっきりしないためだという。

「商品を販売する市場という保証がなければ、生産者は冒険をしてまで供給を増やすことはできない」と同氏は指摘した。ブラジルは中国、中東やロシアに農産物を輸出しているが、多くの先進国市場への門戸は閉ざされたままだという。

南米最大の経済大国であるブラジルは、当面トウモロコシの供給減を補う役割を果たせる。米農務省の最近の報告では、ロシアの侵攻前にウクライナはトウモロコシの輸出でブラジルをわずかに上回り世界3位になると予想されていた。

大豆と同様、トウモロコシは大半が家畜の飼料となる。ブラジルは米国と中国に続いて世界3位の生産国で、ブラジル国家食糧供給公社(CONAB)は22年のトウモロコシの輸出が前年比75%増加すると予測している。

「大きな商機だ」とトウモロコシ生産者協会のセザリオ・ラマーリョ会長は話す。「ブラジルでの生産拡大のために、非常に魅力的な価格になっている」

一方、アルゼンチンの肥沃なパンパ地域の農家は、ひまわり油の供給の混乱を受けて栽培量を増やしている。ひまわりは乾燥した土地でも育ち、肥料も少なくてすむ。化成肥料の価格が上昇しており、今年は雨が少ないとの予報も農家にとっては追加のインセンティブ(誘因)となっている。
アルゼンチンでの増産には多くの課題も

だが、アルゼンチン政府に批判的な人々は、国家の介入や50%を超えるインフレが農業セクターでの新たな動きを妨げていると指摘する。

また、輸出品への最大33%の関税やパンなど一部品目への価格統制といった厳しい保護主義的政策や外国為替相場の混乱で、農家が国内の状況が落ち着くまで様子を見る可能性もあると主張している。

「増産の合図が生産者に届かないリスクがある。これはアルゼンチンだけでなく誰にとっても良いことではない」と国内最大の農業経営グループ、ロス・グロボを率いるグスタボ・グロボコパテル氏は話した。「アルゼンチンの農業生産は現在の水準より40%高くあるべきだ」

さらにアルゼンチンではディーゼル燃料不足でトラック運転手がストを決行した。収穫作業や輸送への影響も懸念されている。

南米は世界有数の肥沃な地帯だが、農業生産の伸びの鈍化や経済的打撃をもたらした深刻な干ばつからの回復途上にある。

ブラジルではウクライナ侵攻開始前から価格が上昇していた肥料が特に懸念材料となっている。国内で消費する肥料の85%を輸入に頼っており、その約4分の1はロシアから購入している。

「9月の作付け時期に肥料が手に入るかが大きな問題となる。不足すれば生産性の低下につながりかねない」。ABAGのカルバリョ氏は「深く懸念している」と言う。
畜産業者は国内消費の落ち込みで苦境に

耕作農家を潤す商品価格の高騰は、一方で穀物を飼料として使う畜産業者を厳しい状況に置く。

世界最大の牛肉と鶏肉の輸出国であるブラジルは、ウクライナ侵攻で失われた供給を補完できるとアナリストは指摘した。

だが、食肉の一部では、海外需要が増えても、生産コストの上昇と国内の購買力低下を相殺できないのが現状だ。インフレ率が2桁に達するなか、低所得層は生活必需品を買い控えている。

ブラジル中西部のゴイアス州で養豚業を営むエウクリデス・コステナロさんは供給過剰と売却価格の低下に苦しんでいる。同業者と同様、飼育頭数を5000頭から3800頭に削減した。

「どの生産者も1頭転売するたびに200〜350レアル(約5500円〜9600円)の損失を出している。これほど深刻な影響はこれまで経験したことがない」

エスピリトサント州で3000頭の牛を飼育するナビ・アミン・エル・アワールさんのような牧場経営者も困難に直面している。

「輸出は増えたが、国内消費の落ち込みを完全に補うほどではない」

By Michael Pooler, Bryan Harris and Lucinda Elliott

(2022年4月18日付 英フィナンシャル・タイムズ電子版 https://www.ft.com/)

(c) The Financial Times Limited 2022. All Rights Reserved. The Nikkei Inc. is solely responsible for providing this translated content and The Financial Times Limited does not accept any liability for the accuracy or quality of the translation. 』

ロシア旗艦沈没に焦る習近平氏、台湾統一戦略に影響

ロシア旗艦沈没に焦る習近平氏、台湾統一戦略に影響
編集委員 中沢克二
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK18BHY0Y2A410C2000000/

『「私は破壊の激しい前部の小口径砲塔へ向かった。そこは見るも無残なありさまで、砲座という砲座はすべて修復不能なまで粉砕され……」

帝政ロシア・バルチック艦隊の旗艦スヴォロフに乗り組んでいた参謀、ウラジミール・セミョーノフは、1905年5月27~28日の日本海海戦で生き残ったものの使命として、壮絶な戦闘と海底に沈む旗艦の最期を克明にづづっている。日本側による日露戦争の記録も引用した回想録「THE BATTLE OF TSUSHIMA(英語版)」(邦訳は「壊滅!!バルチック艦隊―日本海海戦の回想」)である。

対馬の高台には、ロシア・バルチック艦隊旗艦スヴォロフに乗っていた司令長官、ロジェストヴェンスキーを入院先だった佐世保の海軍病院に見舞う連合艦隊司令長官、東郷平八郎の姿を描く巨大レリーフが立つ

日露戦争の日本海海戦後、ロシアの傷兵が上陸した対馬に立つ記念碑

海戦が終わった5月28日、惨敗したバルチック艦隊の傷兵143人がボートで漂着した対馬で島民に救助され、民家に分宿のうえ医師の手当てを受けたエピソードが残っている。

対馬の高台には、日露両軍の将を描いた巨大なレリーフが立つ。撃沈された旗艦スヴォロフからバルチック艦隊を指揮した司令長官、ロジェストヴェンスキーは重傷を負いながらも生き残り、佐世保の海軍病院に入院する。レリーフには、ロジェストヴェンスキーを丁重に見舞う連合艦隊司令長官、東郷平八郎の姿がある。

中国の海軍力は「張り子の虎」か

ロシア国防省は14日、黒海艦隊の旗艦だった大型巡洋艦モスクワが沈没したと発表した。火災の後、オデッサ沖をえい航中だったという。ロシア艦隊の旗艦が戦時に沈没したのは、冒頭で紹介した対馬海峡沖でのスヴォロフの最期以来である。歴史を知るロシアの知識人らにとっては衝撃的だ。

ロシア黒海艦隊旗艦モスクワだとされる艦艇(ウクライナのゲラシチェンコ内相顧問のテレグラムから)=共同

しかもその艦船は、首都モスクワの名を冠していたのだから心理的なダメージも大きい。第2次大戦後の戦史をひもといても、似た事件は、1982年のフォークランド戦争でのアルゼンチン海軍巡洋艦ヘネラル・ベルグラノ沈没があるぐらいだ。

注目すべきは、この戦史に残る黒海での大事件が、中国の安全保障関係者にも極めて大きな衝撃を与えた事実である。ロシア側は触れたがらないが、ウクライナ軍の新鋭国産地対艦ミサイル、ネプチューン2発の命中が引き起こしたのは確かなようだ。米国防総省高官も断定している。

「それが事実なら中国が誇る海軍力も『張り子の虎』にすぎない、ということになってしまう――」。中国の関係者の頭をよぎる不安の原因はどこにあるのか。その物語は、バルチック艦隊の旗艦スヴォロフの沈没後、ちょうど100年目だった2005年、中国東北部の遼寧省大連市の造船所で、残骸にみえる艦船を中国初の空母に変身させる大胆な改修工事が確認されたことから始まる。

空母「遼寧」と旗艦モスクワは同郷

残骸にみえる艦船とは、1985年に当時、ソ連だったウクライナ南部の都市ミコライウにある著名な黒海造船工場で起工した空母ワリャーグだった。ミコライウは、今回のロシアによるウクライナ侵攻でも両軍が対峙した大都市だ。沈没した旗艦モスクワもミコライウの別の造船所で建造された。歴史は場所を変えながらつながっている。

ソ連崩壊で空母ワリャーグの建造は中断した。管轄権を持つウクライナが後に各種機器を外した「スクラップ」として、中国軍人が関わるペーパーカンパニーに売却し、最終的に大連にえい航された。

ウクライナから購入した旧ソ連製の空母ワリャ-グを改修した中国初の空母「遼寧」=ロイター

ちなみに旧ソ連の船を改修することになった大連=Dalianの街の名は、ロシア語に由来する。日清戦争後の三国干渉で清国から大連がある遼東半島先端部の租借権を得たロシアが、当地の寒村をロシア語で遠方を意味する「ダルニー」と名付けた。

中国は、旧ソ連製の空母、キエフとミンスクも似た枠組みで研究用に購入した。空母キエフは、空母ワリャーグと同じようにミコライウで建造され、最後は中国・天津のアミューズメントパークで一般公開された。

現地で実際に中に入った印象は、ヘリコプター搭載が主の小さめの旧型軽空母という感じだった。関係者によれば、旧ソ連の空母を時間をかけて地道に研究した結果、経験がなかった中国の関連技術も徐々に向上したという。

中国・天津のテーマパークで一般公開された旧ソ連製の空母キエフ

とはいえ、2012年、中国初の空母「遼寧」として就役したワリャーグの装甲が、旧ソ連の基準であるなら、旗艦モスクワのように新鋭ミサイルの攻撃で簡単に沈む恐れがある。

空母遼寧は台湾海峡を含む周辺部を航行するなど中国海軍の重要な駒だった。だが仮に国家主席で中央軍事委員会主席の習近平(シー・ジンピン)が台湾への武力行使を決断した場合でも、実戦に容易に投入できない脆弱な艦船とみられてしまう。

もちろん、その後に就役した改良型の 中国国産空母、山東では防御性能が増強された可能性はある。建造中の3隻目の空母も進水が近いとされる。それでも中国空母が台湾付近や、太平洋へ出ようとすれば対艦ミサイルなどの射程に入る。台湾側の増強も進んでいる。
台湾統一狙う習主席が得た教訓

武力による台湾統一を排除しない中国にとって今回、ショックだったのは装備、兵力、資金などあらゆる面でウクライナ軍を圧倒しているはずのロシア軍の意外なもろさである。同じように甘い見立てで武力行使に踏み切ってもロシア大統領、プーチンの轍(てつ)を踏みかねない。

海を隔てた台湾を瞬時に攻略するのは、ウクライナよりもさらに難しい。島の中心部に険峻(けんしゅん)な高山が多い台湾は、守りに適した天然の要害でもある。緒戦でもたつけば米軍など援軍が到着。西側各国が連携した厳しい対中制裁や海上封鎖も始まってしまう。エネルギーや食料を海外に頼る巨大な貿易立国、中国が受ける打撃は、ロシアとは比べものにならない。

2月4日、北京で会談する中国の習近平主席㊨とロシアのプーチン大統領=AP

中国が旧ソ連の軍事技術を様々な形で導入してきたのは事実だ。中にはロシアが中国に譲ろうとしなかった兵器の技術を、ウクライナを通じて入手したものさえある。中国の戦闘機「殲15」は、ウクライナが保有していた「スホイ33」の試作機から艦上機に関する技術を取得し、開発に成功したとされる。

今、死力をつくして戦っているウクライナ、そしてロシアは共に中国へ兵器や軍事技術を供与してきた。3国の因縁は深く複雑だ。ロシアとウクライナの危うい関係は、中国と台湾に似た面もある。ウクライナでの激戦の最終決着の形は、遠く離れた極東の中台関係にも波及しうる。日本海海戦から117年を隔てたロシア旗艦沈没の衝撃は、必ずその最終決着の形に何らかの影響を与えるだろう。(敬称略)

【関連記事】中国、台湾攻略のシナリオ練り直し ウクライナ長期化で

中沢克二(なかざわ・かつじ)

1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。』

ミャンマー、給油所に長蛇の列 外貨管理強化で混乱

ミャンマー、給油所に長蛇の列 外貨管理強化で混乱
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM196O60Z10C22A4000000/

『【ヤンゴン=新田裕一】ミャンマーの各都市で19日、ガソリンスタンドで給油を待つ長蛇の列ができた。18日に一部報道機関がガソリンの供給不安を報じ、市民らが給油に殺到した。業界関係者は、全権を掌握する国軍が外貨の管理を厳格化し、輸入業者が外貨を入手しにくくなったことが背景にあるとみている。

最大都市ヤンゴンでは19日朝から各所のガソリンスタンドに、それぞれ数十台の給油待ちの車が列を作った。ほぼ半分のスタンドは午前中に品切れとなり営業を終えた。1台あたりの給油量に上限を設けるケースもあった。首都ネピドーや第2の都市マンダレーでも同様な状態だったもようだ。

複数の業界関係者は、中央銀行が3日付で出した外貨の管理を強化する通達が影響しているとの見方を示した。輸入業者の場合、決済に必要な外貨を入手するために商業省の許可が必要になる。エネルギー業界に詳しい会社経営者は「唐突な中銀の通達に加え、ミャンマー暦新年の連休が続いたため、輸入許可の手続きが滞った」ことが、ガソリンの供給を巡る混乱を招いたと解説した。

国軍のゾーミントゥン報道官は19日、ガソリンの在庫は十分だと保証したうえで「一部のスタンドが当局の定める為替レートに基づく価格で売ることを渋ったため混乱が起きた」と非難した。「20日以降、ガソリンの輸入業者に(十分な)外貨を供給する」とも述べた。

世界的な原油価格の上昇とミャンマー通貨チャットの対ドル相場下落で、ヤンゴンのガソリン価格は1リットル1980チャット(約135円)と、クーデター前の約2.5倍に値上がりした。国軍による支配が続き、外貨流入は細る見通しで「当局主導で安価な燃油を調達するなどの対策が必要になる」との指摘もある。

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中国、台湾攻略のシナリオ練り直し ウクライナ長期化で

中国、台湾攻略のシナリオ練り直し ウクライナ長期化で
「台北の短期制圧は困難」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM113VY0R10C22A4000000/

『中国の習近平(シー・ジンピン)指導部が台湾攻略のシナリオ練り直しを迫られている。ロシアによるウクライナ侵攻の長期化を受け、従来の想定よりも中心都市台北の制圧は困難との認識が広がっているためだ。当面は台湾の「独立派」を封じ込め、米軍の介入を抑止するための核戦力増強に注力することになりそうだ。

「仰ぎ見てきたロシア軍が苦戦している現状は党内にも大きな衝撃を与えている」。ベテラン共産党員は打ち明ける。

ロシア軍は2月24日、隣国ウクライナに北部、南部、東部の3方面から侵攻した。ロシアのプーチン大統領は情報機関の楽観シナリオを信じ、数日間で首都キーウ(キエフ)を制圧、ゼレンスキー政権を転覆させる短期決着を思い描いていたとされる。

実際にはウクライナ側は各地で激しく抵抗し、北部ではキーウへの進軍を図ったロシア軍を押し戻すことに成功した。ロシア軍は東部・南部の制圧へと作戦の切り替えを余儀なくされている。

中国の軍事関係筋の話や日本の安全保障の専門家の分析をまとめると、中国の台湾侵攻計画もまた短期決着を想定して練り上げられてきた。

まずサイバー攻撃で通信インフラなどを機能不全にし、短距離弾道ミサイルや巡航ミサイルで防空システムや空軍基地を破壊し無力化を狙う。制空権を確保したうえで海と空から兵員や戦略物資を大量に送り込むというものだ。

台湾から約600キロメートル離れた沖縄本島には在日米軍が駐留する。中国の軍事関係筋は、侵攻時に米国が国内手続きを終えて軍を台湾に送るまでに必要な期間を「7日間程度」と見積もる。米軍到着前に台北を落とすことが作戦の成否を握る。

ところが、中国人民解放軍OBによると、ロシアによるウクライナ侵攻の長期化でこのシナリオに「黄信号」がともっているという。

軍内の認識が特に新たになったのが、台北攻略の難しさだ。台北市の人口は約260万人とキーウ(約290万人)とほぼ同規模だ。しかし、台北市の人口密度はキーウの3倍近い。

そのうえ台北市をドーナツ状に取り囲む新北市には約400万人が暮らす。上陸作戦がうまくいったとしても、台北市内への進軍で相当数の民間人が巻き添えとなるのは避けられない。

民間人の犠牲を抑えようと、慎重に攻撃を進めれば米軍の到着を許してしまう。台湾軍や市民の抵抗を排除しながら蔡英文(ツァイ・インウェン)総統を捕らえる「斬首作戦」の実行はさらに難しい。

台湾海峡は幅にして百数十キロメートルもあるうえに、潮流が速い。海峡を渡って上陸する作戦に適した時期は4、10月などの2、3カ月しかない。台湾軍も巡航ミサイルや地対空誘導弾パトリオットミサイル(PAC3)などの配備を急ピッチで進めている。ウクライナ危機を契機に「海峡を越える難しさが改めて認識されるようになった」(解放軍OB)。

3月5日に公表した政府活動報告で習指導部は「新時代の台湾問題解決の総合的な方策を貫徹する」と初めて書き込んだ。平和統一を軸にしながらも武力行使の可能性を排除しないと示唆したと受け止められている。

習氏は2022年秋の共産党大会で党トップとして異例の3期目入りが確実視されている。その任期が切れる27年までの台湾侵攻決断がかねて危険視されてきた。表向きの強硬姿勢は維持するが、シナリオの練り直しを迫られた。今後はどのような選択肢があるのか。

中国の安全保障問題に詳しい東大の松田康博教授は「台湾の武力統一のハードルが上がっただけに中国は核による軍拡スピードを加速させる」と予想する。巨大な核戦力を構築して米国の介入を退け「独立派」を封じ込めるとの見立てだ。

防衛研究所地域研究部長の門間理良氏は「台湾本島の攻撃を見込みにくくなった習指導部が実績づくりのため、(台湾の南西に位置し、台湾が実効支配している)東沙諸島の奪還に動くシナリオも捨てきれない」と警鐘を鳴らす。

(北京=羽田野主)

【関連記事】

・中国、ソロモンと安保協定調印 南太平洋で影響拡大
・台湾・蔡総統、米議員団と会談 対中連携訴え
・中国、もう一つの地政学リスクの火薬庫

この記事の英文をNikkei Asiaで読む
Nikkei Asia https://asia.nikkei.com/Politics/Ukraine-war/Russia-s-woes-make-China-search-for-Plan-B-on-Taiwan?n_cid=DSBNNAR 』

米中、南太平洋で勢力争い激化 中国・ソロモン安保協定

米中、南太平洋で勢力争い激化 中国・ソロモン安保協定
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM19B1T0Z10C22A4000000/

『【ワシントン=中村亮、シドニー=松本史】南太平洋をめぐる米国と中国の覇権争いがいっそう激しくなってきた。中国は19日、ソロモン諸島と安全保障協定に署名したと発表した。米国は中国軍がソロモンに軍事拠点を設けて活動範囲を南太平洋の全域に広げると懸念し、ソロモンに翻意を促す。

米国家安全保障会議(NSC)の報道担当者は19日、中国とソロモンの安保協定について「透明性の欠如や協定の曖昧な本質を懸念している」と強調した。両国は3月末、協定に基本合意していた。内容は明らかでないが、3月下旬にSNS(交流サイト)に流出した草案ではソロモンへの中国軍派遣や中国艦船の寄港を認める内容が盛り込まれていた。

NSCのカート・キャンベル・インド太平洋調整官が率いる米国の外交団は週内にソロモンを訪れる。NSCは「ソロモン諸島政府ではなく中国から協定の報道があったことを踏まえると、中国がこれを一方的に発表したようだ」と指摘した。中国が協定の既成事実化を急いだとの見方を示すものだ。

現地関係者も「(署名は)5月に入ってからだと思っていた」と語り、このタイミングでの署名発表に驚きを隠さなかった。ソロモン政府のホームページでは20日早朝時点で協定署名について発表していない。

ソロモンはオーストラリアの北東約2000キロメートルに位置する要衝で、米豪の海上交通路(シーレーン)上にある。ソロモンの首都ホニアラのあるガダルカナル島は太平洋戦争で日米が激戦を繰り広げた。米海兵隊のバーガー総司令官は4月中旬、訪問先の豪州でのイベントで「ソロモンは当時もいまも重要だ」と訴えた。

中国がソロモンに軍事拠点を確保すれば、米軍や豪州軍の活動に影響を及ぼす。豪州は米英から技術供与を受けて配備する原子力潜水艦の拠点港湾を豪州の東海岸につくる計画を検討している。米英の潜水艦の寄港も想定する。中国はソロモンから哨戒機を飛ばすことで、米英豪の潜水艦の動向を監視しやすくなる。

米軍は中国が小笠原諸島や米領グアムを経由してパプアニューギニアに至る「第2列島線」の内側に米国や同盟国の部隊をなるべく近づかせない戦略をとっているとみている。第2列島線の近くに位置するソロモンに軍事拠点を設ければ、有事の際に豪州に展開する米軍や豪州軍の介入を防ぐ能力が高まる。

ソロモンのソガバレ首相は中国による軍事基地の建設の可能性を否定しているが、米太平洋軍(現・インド太平洋軍)司令官の特別補佐官を務めたエリック・セイヤー氏は安保協定について「太平洋やインド洋にわたる重要地域にアクセスを増やす中国の忍耐戦略の一環だ」と分析する。

これは軍事拠点を突然設けると国際社会から批判を浴びるため、時間をかけて拠点を確保しようとしているとの見方だ。中国は南シナ海の軍事拠点化を否定しながら、人工島の造設などを通じて軍事拠点化をゆっくりと進めていった経緯がある。

ソロモン国内では親中姿勢を強める現政権に対する不満が高まっている。2021年11月には政権に抗議するデモ隊が暴徒化し、中国系住民が多く住む地域で死者が出た。これを受けてソロモンは12月、中国から警察関係者を受け入れることを決めた。これが今回の安保協定の布石になったとの見方もある。

バイデン米政権は太平洋諸国との関係強化を急ぐ。焦点になるのが、マーシャル諸島やミクロネシア連邦、パラオの3カ国と結ぶ「コンパクト(自由連合協定)」の更新交渉だ。米国は3カ国への財政支援や安全保障を担う。マーシャル諸島には米国のミサイル実験基地もあり、米軍のインド太平洋戦略を支える。

バイデン米政権は3月、コンパクトの交渉役として北朝鮮担当特別代表を務めたベテラン外交官のジョセフ・ユン氏を起用した。ロイター通信によると、マーシャル諸島とミクロネシア連邦との交渉期限が23年、パラオが24年に迫っている。バイデン政権は今回の人事をきっかけに、滞っているとの見方が多いコンパクトの交渉を加速したい考えだ。』

『ソロモン諸島は、祖先からの繋がりのある台湾と断交し、中国と国交を樹立しました。』
https://4travel.jp/travelogue/11544791

「ミームの戦争」

「ミームの戦争」:何故に、「Zの戦争」は、平和裡に終わらないであろうのか?
https://st2019.site/?p=19184

Kamil Galeev 記者による2022-4-19記事「War of memes: why Z-war won’t end with peace」

『ミームとは、脳内に保存され、他の脳へ複製可能な情報。社会的な物語。(ネットでは、文字を付け加えた画像の意味だが)。

 ロシア人たちの文化的な「思い込み」(memes)は、ウクライナを、フェイクで劣った存在だと確信している。

国家として、少しも認めてはいない。それゆえ、今やっていることは、「侵略」ではなく「解放」だと信じている。

これはロシアの文化エリートたちも、心の底からそのように思っているのである。騙されるな。この戦争はプーチン独りが続行させているわけじゃない。全ロシアの有権者が支持して続行させているのだ。ゆえに、この戦争は、ある段階で平和的に終わったりはしない。ウクライナ軍がロシア軍を根こそぎに滅ぼすまでは、平和は来ないのだと思いなさい。
 異常な深い思い込みから抜けることはない普通のロシア人たちにとって、今次戦争はフェイクを本来の姿に立ち戻らせる「人道作戦」と同義であった。だから、ウクライナ人が本気で反撃してきたことが、まったく信じられないのである。普通のロシア人には。

 私〔Kamil Galeev〕は、来る5月9日(対独戦勝記念日)より前に、露軍がウクライナの複数の都市を核攻撃したと聞かされても、すこしも驚かぬ。

 ※いま、気付いた。なぜ米国が、MRAPのサープラスではなくて、M113を送ることにしたのか。NBCフィルターが付いてないんだよ、MRAPには! 「ペントミック師団」の「大隊」版移植が、急がれているのだと思う。

 ロシア人はマリウポリの破壊の状況をメディアを通じて承知しており、それはとても良いことであると、全員思っている。すべてのウクライナの都市がああなるべきだと思っている。だからロシア国内にはもう、核の敷居は無いも同然。全有権者が、ウクライナの都市を徹底破壊することを、熱烈に支持しているのだ。

 1987ノーベル文学賞受賞者のヨシフ・ブロツキー(1940~1996、ユダヤ系)は、ロシア文学の正統を受け継いだ最後の詩人だった。

 彼は1972にソ連政府により国外追放されて以後、米国で受け入れられた(1980に米市民権獲得)。

 ブロツキーは米国で自由を得てから、「ウクライナの独立」をニュースで聞いて、詩を作っている。

 ブロツキーは概略、こう表現している。

 ――ウクライナ人よ、くたばれ。おまえたち屑はポーランド人とドイツ人に輪姦されるんだ。ドニエプル河に唾を吐いて逆流させることができると思うのなら、やってみろ。

 これが、ロシアの生んだ最高の文化人が抱いた、そして黙っていることができなかった、赤裸々な本音である。心の叫びである。他のロシア人が何を思っているのかについては、ここから推し量れるだろう。

 ブロツキーはこうも詠じている。
 ――おまえたちウクライナ人が苦しみながら死ぬときに引用する詩は、ロシアのプーシキン(アレクサンデル)であって、くそったれのシェフチェンコ(タラス)ではない。

 ここはものすごく重要なところである。
 非ロシア人には、その機微は、さっぱりわからないであろう。だから、以下、長文によって説明を申し上げる。

 西洋人は、広く翻訳されているロシアの文学(トルストイ、ドストエフスキー、チェホフ……etc.)しか知らない。じつはロシアには、他国言語には翻訳されていない作家や作品が、ゴマンと存在する。

 レーニンが贔屓にしていた、サルティコフ-シェドリンの詩作も、他国語訳は無いはずだ。

 というのは、読む者の側に、ロシアの歴史についての知識がないと、その訳文に長大な訳注を付けないことには、外国人はとうてい、その意味を取れない場合が多いのである。小説なら訳注だらけでも味わえようが、韻文は困る。だから、訳されない。

 ロシア文学の神髄は詩である。小説ではない。
 ロシア文学の神聖な正統は、詩の中に保持される。そしてそれは、西欧言語へは翻訳困難なのだ。

 過去、ロシア人に最も大きな影響を与えているロシア人作家は、誰か? プーシキン(1799~1837)である。
 プーシキンの言葉遣いが、正しい近代ロシア語の権威ある基準にされている。プーシキン以前のものは、「古文」の扱いなのである。じっさい、ロシア人はそれを読解できない。

 ロシアの小学校では「プーシキンがロシア語をつくりました」と教わる。

 ここで、ベネディクト・アンダーソン(コーネル大の政治学者で2015没。1983の『想像の共同体――ナショナリズムの起源と流行』で有名)の解説を借りたい。

 アンダーソンいわく。近代社会が成立する以前の世界では、言語は、「口語」と「神聖文」の二本建てであった。神聖文は、西欧であれば、ラテン語が該当した。ラテン語で会話する者はいなかったけれども、聖職者はラテン語を読んだり書いたりすることはできたわけである。

 そして、英語だろうとスペイン語だろうとフランス語だろうと、「土語」には方言が多彩で、地方が違うと、もうその言葉が通じなかったりしたものであった。近代以前には。

 近代以前の世界は、言語においても「多様」だったのである。

 欧州には、ロマンス系、ゲルマニック系、スラヴィック系の三大土語圏があり、その内部では多様をきわめていた。神聖文語としてはラテン語がひとつだけ、存在した。

 共通文語は、国際コミュニティを可能にした。ラテン語の上には欧州圏が。コーランのアラビア語の上にはイスラム圏が。漢字の上には中夏圏が成立可能であった。

 ハンチントンは宗教に着目して世界をいくつかの文明圏に分けたものだが、彼の切り分け方は、かなりテキトーなものだと思う。

 アンダーソン式に世界を捉えるなら、「神聖文語」(教会の聖職者たちが使う正式な文章)によって世界を切り分け直すことができよう。

 神聖文語で書かれている神聖なテキストを、現代の土語・口語に訳すことは、神聖を穢す冒涜だと考えられていた時代もあった。それもあって、庶民は神聖文語を読めないのが普通だったのである。

 印刷出版物の普及と、中央集権国家の登場が、古い世界(庶民の口語によるコミュニティ統一はぜったい不可能な多様世界)を一変させた。

 広い地域の全住民を統一して統治したいと思ったら、為政者の言語を全住民に強制するのが、便利であった。
 フランス王朝は、パリで話されていたフランス語だけが正しい言葉遣いであると決めて、仏国内に押し付けた。

 それはラテン語のように神聖ではなかったが、地上の権力を代表した。

 標準語でないテキストは、出版されなかった。印刷されなかった方言は、自然に消滅に向かった。

 中央集権国諸国が、それぞれの標準語を制定したことにより、それまで存在した、ラテン語による統一世界は、また分断された。

 近代国家が一国内を言語的に統一しようと、初等学校の一律教育によって統治圏の隅々にまで「ミーム」を押し付ける。その教材を提供してくれたのが「国民詩人」だったと言える。ロシアでは。すなわち、プーシキン。

 プーシキンの作品が文芸としてすぐれていたかは誰も問うところではない。19世紀のロシア国家がプーシキンの言葉遣いで国内の言語を統一しようとしたことで、プーシキンがロシア文学にとっての永遠の北極星の座を与えられた。

 ところで東欧において、かつて「神聖文語」だったのは何か? それは「古代教会スラヴ語(Old Church Slavonic)」である。

 OCSは、もともとブルガリアで話されていたスラブ語だったが、聖書のスラブ語訳に使われたことから、今日のルーマニア、モルドヴァ、ベラルーシ、ロシアの教会の間で通用するようになった。
 いわば、ロシア世界の出発点は、ブルガリアにあったのだ。

 そのあたりはスラブ語とロマンス語がまざりあっていて、口語では互いに話が通じない地域だった。

 モスクワあたりは、中世には「Zalesye」と言った。「森の後背地」という意味だった。ブルガリア周辺よりもはるかに後になって、森林帯の中に植民されたコミュニティだったことをこの名が示唆する。

 ※モンゴル騎兵は森林を敬遠した。キエフは草原なので占領されたが、モスクワは防衛できた。

 ロシア人にとって、「ロシア世界」とは、民族とも庶民語とも関係はない。教会がOCSを使っていたなら、そこは「ロシア圏」なのだ。だから、ロマンス語を話すルーマニアも、ロシア人は、ロシア世界だと看做すのである。リトアニアがロシア圏だと彼らが信ずる理由も、そこの教会がOCSを使っていたから。

 ウクライナやベラルーシの住民は、民族的にはロシア人ではない。しかし教会がOCSを使っていた。だから中世の西欧人は、ウクライナやベラルーシの住民のことも「ロシア人」と呼んだのである。

 現代ロシア人は、過去に教会がOCSを使っていた地域ならば、そこはすべてロシア領土だとマジで考えている。民族や口語言語など、いっさい、関係がないのだ。

 エカチェリーナ2世(~1876没)の時代にウクライナとベラルーシはロシアによって統治され、統一行政言語が押し付けられた。すなわち、プーシキンの言葉遣いが、押し付けられている。

 今のロシア語には、フランス語の文法の影響が強い。これも、プーシキンがフランス文化の強い影響を受けており、彼自身が仏語を流暢に話せたことに由来する。

 ロシア語の正しい綴りを決めたのも、プーシキンだった。OCSには未だ一定の決まりはなかった。

 詩人のタラス・シェフチェンコは、ウクライナ統一国家にとっての「プーシキン」となり得るわけである。シェフチェンコの遺した詩が、近代ウクライナ語の「標準原基」になり得るわけである。それが定着すれば、ウクライナはロシアではないということになる。だからロシア人はシェフチェンコを許容できない。

 プーシキンはウルトラ鷹派だった。1830にポーランドで反露叛乱がおきた。そのときプーシキンは、やつらを全滅させねばならないと書いている。

 コーカサス戦争に関しても、ジェノサイドを讃える詩を、プーシキンは書いている。

 ロシア人にとってはプーシキンが唯一絶対であり、トルストイやドストエフスキーなどは、霞んだ添え物でしかない。

 2017にプーチンの腹心のキリレンコはいみじくもこう言った。「ロシア国家は条約の上には存在していない」と。ロシアのツァーリは、それを破れる力を手にしたなら、まっさきに破るのである。

 伝統的にウクライナの教会は、司教を選挙によって任命した。ロシア本国ではそんなことは考えられなかった。宗教人も、すべてツァーリの任命というのが、ロシア流なのである。
 シェフチェンコは、反露であった。すなわち反政府詩人であった。
 この文化の違いは、埋められない。

 ウクライナには、何世紀も、「選挙」の伝統があるのだ。そしてロシアにはそれは皆無なのである。

 プーシキンの詩の一節。「然り、余は奴隷である。ただし、《世界のツァーリ様》のしもべなのだ!」

 こんな詩人が絶対化されているロシア外交と、いかなる平和的妥協など、あり得ようか? 』

サンクトペテルブルク

サンクトペテルブルク
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%9A%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF

『サンクトペテルブルク(露: Санкт-Петербург,サンクトピチルブールク, IPA:[sankt pʲɪtʲɪrˈburk] Ru-Sankt Peterburg Leningrad Petrograd Piter.ogg 発音[ヘルプ/ファイル])は、ロシア西部のネヴァ川河口デルタに位置する都市で、レニングラード州の州都。人口は約540万人で、首都モスクワに次ぎロシア第2の都市である。1917年までロシア帝国の首都だった。』

『名前の変遷

青銅の騎士像。市の建設者ピョートル1世を記念した像である

都市の名は「聖ペテロの街」を意味する。これはサンクトペテルブルクの建設を命じたピョートル1世が自分と同名の聖人ペテロの名にちなんで付けたもので、隣国のフィンランドではサンクトペテルブルクをペテロのフィンランド語名そのままにピエタリ (Pietari) の名で呼んでいる。

当初はオランダ語風にサンクト・ピーテルブールフ (Санкт-Питер-Бурх) と呼ばれていたが、後にドイツ語風にサンクト・ペテルブルク (Санкт-Петербург) と呼ばれるようになった。ドイツ語では Sankt Petersburg であり、古典的発音の場合はザンクト・ペーテルスブルク、現在の口語発音ではザンクト・ペータスブアクと呼ばれる。最初の音が濁らず、「ブルク」の前に「ス」の入らない Санкт-Петербург (Sankt-Peterburg) は、ドイツ語名がロシア語化したもの。なお、単にペテルブルクと呼ばれることも多い[1]。ロシア帝国の首都として長く定着していた。また、語末のgは、ドイツ語でも濁らないが、ロシア語でも語尾の有声子音は無声化されるため、ロシア人は「ペテルブルク」と発音する。このため日本のカタカナ表記でも「ペテルブルク」が「ペテルブルグ」よりも多く用いられる。

1914年、第一次世界大戦が始まり、ロシア帝国がドイツ帝国と交戦状態に入ると、ドイツ語風のサンクトペテルブルクが避けられ、ロシア語風のペトログラード (Петроград)と改められた。これはドイツ語風の「ブルク」を、ロシア語風(厳密には古代教会スラヴ語風)の「グラード」に差し替えたものであり、意味は同じである。

さらにロシア革命によりソビエト連邦が成立すると、1924年よりソ連建国の父ウラジーミル・レーニンにちなんで「レーニンの街」の意であるレニングラード (Ленинград, リニングラート)と改称され、この名称がソ連崩壊まで半世紀以上用いられた。

しかし、1991年のソ連崩壊の後、住民投票によってロシア帝国時代の現在の名称に再び戻った。ロシア人の間ではピーテル (Питер, ピーチェル) の愛称で呼ばれる[2]。州名は従来どおりレニングラード州となっている。 』

『地理

バルト海東部のフィンランド湾最奥部に位置し、隣国との国境線に近く、フィンランドの首都ヘルシンキ、エストニアの首都タリンとの距離は、それぞれ300km、350kmである[3]。

一方、首都のモスクワとは直線距離で600km以上離れている。(東京~函館、東京~広島間の距離に相当)

行政上はモスクワおよびセヴァストーポリとともに単独で連邦市を形成しており、前述の二都市と同じく都市単独で連邦構成主体となっている。世界の100万都市の中では世界で最も北に位置する。

市街はネヴァ川河口デルタの島々を結ぶ運河網が発達しており、ネヴァ川は運河や河川などにより、白海、ドニエプル川、ヴォルガ川と結ばれているため、この都市はカスピ海やウラル、ヴォルガからの船舶のバルト海への出口となっている。

港は冬季となる11月から4月に凍結するが、厳寒期を除き常に砕氷船がこれらの航路を維持している。 』

『歴史

前史

ネヴァ川河口域は、古くはバルト海からヴォルガ川、ドニエプル川といった内陸水路を通じて黒海へと向かう「ヴァリャーグからギリシアへの道」と呼ばれた重要な交易ルートに位置し、ルーシの北辺に位置していた。

キエフ大公国分裂後の1136年、北方にノヴゴロド公国が建国された。

首都ノヴゴロドはネヴァ川水路でバルト海と繋がっており、ハンザ同盟の4大商館のひとつが置かれ、商業の中心地として繁栄した。

また、ネヴァ川河口はフィンランドを支配下に置くスウェーデンとの国境地帯ともなっていた。

1240年には両国の間にネヴァ河畔の戦いが起こり、この戦いはノヴゴロド公アレクサンドルの活躍によりノヴゴロド公国側が勝利し、その後アレクサンドルは自らの名に「ネヴァ川の勝利者」という意味を持つ「ネフスキー」という名を加え、アレクサンドル・ネフスキーを名乗るようになった。

その後はモスクワ公国領となっていたが、1617年、ストルボヴァの和約によりにスウェーデンがここを支配下に置いた。ほどなくスウェーデンは三十年戦争を通じて、バルト海南岸に領土を拡大し、バルト海沿岸の交易を独占する大帝国となった(バルト帝国)。

ロシア帝国時代

1700年に始まった大北方戦争でスウェーデンの要塞を陥落させ、ネヴァ川河口を占領したピョートル1世は、1703年5月27日(当時ロシアで使われていたユリウス暦では5月13日)にペトロパヴロフスク要塞の建設を開始した。これがサンクトペテルブルクの歴史の始まりとされ、現在では5月27日は建都記念日として市の祝日となっている[4]。

当時、この地域はイングリアと呼ばれ、荒れ果てた沼地であったが、ピョートル1世は、内陸のノヴゴロドに代わるロシアの新しい貿易拠点となる都市を夢見ていた。建設は戦争と同時進行であったため労働条件は過酷で、1万人ともいわれる人命が失われたという。

建設費用と戦費は借款によって賄い、後に貿易によって生じる利益で返済する計画だったため、経済面においてこの都市にかかる期待は非常に大きかった。

1713年、ポルタヴァの戦いに勝利後、この地が首都と定められた。1721年、大北方戦争が終結し、ロシアと同盟国側の勝利となり、戦後のニスタット条約によりフィンランド湾沿岸のスウェーデン領が正式にロシアに編入された。

1725年に皇帝エカチェリーナ1世がサンクトペテルブルクに科学アカデミーを創設した。

同年、人口が10万人を超えた[5]。

翌年ロシアがウィーン同盟に加盟したため、ロシアの仮想敵国はプロイセンだけとなった。

1728年イスタンブールに印刷所が開設され、オスマン帝国の情報が黒海経由で科学アカデミーに集積され、ライン川へ送られた。

1734年、英露通商条約[6]。ロシアはオーストリア・ロシア・トルコ戦争 (1735年-1739年)でブルクハルト・クリストフ・フォン・ミュンニヒに軍政を委ね、アゾフ海とクリミア半島の奪取に成功した。

歴代ロシア皇帝は帝都サンクトペテルブルクの整備を続け、1754年には皇帝が冬の時期を過ごす宮殿として冬宮が完成し、ネフスキー大通りが整備され、冬宮を中心とした放射状の街並みが作られた。

1757年には演劇アカデミーが創設された。エカチェリーナ2世の時代の1762年には冬宮の一角に後のエルミタージュ美術館の元となる展示室が開設された。

1766年、再び英露通商条約を締結[6]。

1768年に貨幣改革をして、翌年1月にロシア初の紙幣であるアシグナツィアを流通させた[7]。この年アムステルダムでロシア初の外債も発行した[7]。このため市章はラバルムをモチーフとした。1779年、アシグナト銀行が設立された。ペテルブルクで銀行業務を行いながら、地方都市に割引事務所を開設した[7]。1787年、仏露通商条約[6]。

1800年、サンクトペテルブルクの人口が22万人に達する[5]。

フランス皇帝ナポレオン1世の侵攻による1812年の祖国戦争において第2の都市モスクワが壊滅したがサンクトペテルブルクは戦火には見舞われず、1817年、アシグナト銀行本体と割引事務所が母体となり、国立商業銀行が誕生した[7]。

1819年にはサンクトペテルブルク大学が創設された。

1825年にはデカブリストの乱が起きたもののすぐに鎮圧された。1837年にはペテルブルクとツァールスコエ・セローとの間にロシア初の鉄道が建設された。この鉄道事業には、ベアリングス銀行とホープ商会が投資していた[7]。1851年にはモスクワとサンクトペテルブルクを結ぶ鉄道が完成した[8]。

1860年、政府は国立商業銀行などを統合して、国立銀行を設置した。このときロスチャイルドのロシア投資を仲介するアレクサンドル・スティグリッツが初代総裁となった[7]。

1869年、人口は67万人になった[5]。1873年当時のサンクトペテルブルクの様子は日本の岩倉使節団の記録である『米欧回覧実記』に詳しく記されている[9]。

1910年時点におけるサンクトペテルブルクの地図

ロシア革命時、冬宮前に押し寄せる民衆

1894年、ロシアがドイツ帝国と通商条約を結んだ。

1897年、国立銀行が中央銀行となる。

1898年6月、国立銀行が露清銀行の新株を全部引き受けて、パリバの支配に対抗した。

19世紀末には聖イサアク大聖堂や血の上の救世主教会など、現在でもサンクトペテルブルクの名所となっている建築物の多くはこの時期に建設された。

また、サンクトペテルブルク市民の経済力も向上したため、ネフスキー大通りを中心に豪奢な建築物が立ち並ぶようになった。

1905年10月、サンクトペテルブルクでソビエトがゼネストを起こす。

1907年、英露協商。

1910年には人口は190万人に達していた[5]。同年、露亜銀行が誕生した。この頃、株式商業銀行を含めたサンクトペテルブルクの銀行群がロシアの金融界で支配力を急速に増した[7]。これらは露仏同盟などをきっかけに都市開発が進んだ結果である。

1912-14年、ロシアの大銀行がパリ・ロンドンなどの国際金融市場へ支店・持株会社を設立した[7]。1913年にもサンクトペテルブルクでゼネストが起きていた。

ソビエト連邦時代

スモーリヌイ修道院 ソビエト政権独立宣言がここで行われ、首都がモスクワに移されるまでソビエト政府の中枢であった

ロシア革命では二月革命・十月革命の2つの革命の中心地となり、武装蜂起によるボリシェヴィキの政権奪取やレーニンによる憲法制定会議の解散が起こった。

その後、ソヴィエト政権は外国からの干渉軍の派遣を恐れ、首都を国境地帯に近いペトログラード(サンクトペテルブルク)からモスクワに移転。

1922年にモスクワが正式に首都と定められたことで、サンクトペテルブルクは首都の地位を失った。

1924年にロシア革命の指導者ウラジーミル・レーニンが死去すると、その功績を称えペトログラードは「レーニンの街」の意であるレニングラードに改名された。

レニングラードはフィンランドとの国境地帯に近いため、有事の際はフィンランド軍によって占領される危険性があった。

そこでヨシフ・スターリンはフィンランドに対してレニングラード周辺のフィンランド領の割譲を要求したが、フィンランド政府がこの要求を断固拒否したため、1939年に冬戦争が勃発。

当時のソ連軍とフィンランド軍の戦力差は絶望的であり、当初はソ連の圧勝かと思われたが、フィンランドは善戦し、ソ連軍は多大な犠牲を払うこととなった。

しかし結局翌1940年にはレニングラード周辺地域の割譲をもって講和がなされ(モスクワ講和条約)、この戦争が中立的であったフィンランドの枢軸陣営への参加を招いた。

第二次世界大戦中は、フィンランドとドイツ軍による約900日、足掛け4年にもわたる包囲攻撃を受けた(レニングラード包囲戦)。

枢軸軍はレニングラード市民の戦意を挫くため街と外部の連絡を徹底的に絶ち、物資が途絶えた市中では飢餓により市民・軍人に多数の死者が発生したが、ソ連側はこの苦境を耐え抜き、最後までにレニングラードがドイツ・フィンランド軍の占領を受けることはなかった。その功績により、レニングラードは英雄都市の称号を与えられた。

戦後もレニングラードはソ連第二の都市として大きな存在感を持っており、その歴史的経緯や地理的要因から首都であり最大都市のモスクワとは違った文化や風土を維持した。

また、レニングラードの共産党第一書記になることはソビエトの政治体制の中で重要な位置を占めることと同義であり、クレムリンでの権力闘争でも大きな影響力を持つことになった。

なお、ロシア革命以降でレニングラード(サンクトペテルブルク)出身者がロシアのトップに登り詰めたのはソ連崩壊後の2000年にロシア大統領に選ばれたウラジーミル・プーチンが初めてである。

ロシア連邦成立後

1998年に周辺の8市17町(ツァールスコエ・セローがあるプーシキン市やクロンシュタット等)を編入し、市域が拡大した。

2008年5月に首都モスクワから憲法裁判所が移転し、サンクトペテルブルクはロシアの首都機能の一部を担うこととなった。2006年には第32回主要国首脳会議(G8サミット)、2013年にG20が開かれている。会場はストレルナ(ロシア語版)のコンスタンチン宮殿(ロシア語版)[10]。

2013年よりラフタ・センターという高層ビルが市の郊外に建設され2019年の完成を予定している。高さ463mを予定しており、完成すればロシア及びヨーロッパでもっとも高いビルとなる。

2019年10月1日より、電子査証によるサンクトペテルブルクおよびレニングラード州への訪問が可能となった[11][12]。

詳細は「ロシアの査証政策」を参照』

『気候

ケッペンの気候区分では亜寒帯の湿潤大陸性気候 (Dfb) に属する。

北緯60度と非常に高緯度にあるため、5月半ばから7月半ばの2ヶ月間は昼が長く、日の入り後、日の出前も薄明の時間が長い。

その一方で、冬の日照時間は非常に短い。

冬の寒さは暖流の影響でロシア内陸部やモスクワよりは温和であるが、-25度前後の日々が一週間程度続くことも珍しくない。

年間降雪量は297cmほどと欧州の都市のなかでは多い。

高緯度に位置するため、可照時間が増えてくる2月が最寒月である。過去最低気温は1883年の−35.9度、過去最高気温は2010年8月の37.1度である。』

『行政(※ 省略)』

『経済

旧サンクトペテルブルク証券取引所(現在は中央海軍博物館)

サンクトペテルブルクはロシアを代表する大港湾都市、大工業都市である。

造船業を初めとして、電気機器、工作機械・工具類、農業機械、化学工業、製紙、家具、繊維・衣類、食品加工、タバコ、皮革など多くの工業が発達している。

大規模なコンテナ埠頭があり、クルーズ船用の旅客ターミナルも備えている。

サンクトペテルブルクは1703年に都市建設を開始して以来、外国資本を積極的に受け入れて街を発展させてきた歴史があり、帝政ロシア時代にはドイツやオランダの商人が拠点を置き、貿易を行っていた。

ソビエト時代には停滞したが、近年は外資の進出が盛んであり、トヨタの自動車工場が建設された。

ドイツの影響で、ロシア随一のビールの生産地となっている。 』

 ※ 以下、省略。

モスクワ

モスクワ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AF

『モスクワ(ロシア語: Москва mɐˈskva マスクヴァ)は、ロシア連邦の首都。連邦市として市単独で連邦を構成する83の連邦構成主体のひとつとなっており、周囲を占めるモスクワ州の州都でもある。ただし州とは区別され「モスクワ市(Город Москва)」となる。

人口約1,268万人の世界都市である。英語で発音した場合には、アメリカではマスカウ、イギリスではモスコウ(Moscow, アメリカ英語発音: [mάskaʊ] イギリス英語発音: [mɒskoʊ])のようになる。漢字による当て字は莫斯科。 』

『地理

北緯55度45分、東経37度37分に位置する。市の中心をモスクワ川が蛇行しながら流れる。市域面積は2,511平方キロメートルに達する。植生的には北の針葉樹林帯と南の混合樹林帯との接点に位置する。土壌はポドゾルが主で、肥沃ではない[1]。』

『人口

市域人口は1250万6468人(2018年)。2016年の近郊を含む都市圏人口は1657万であり、世界第15位[2]。』

『民族

2010年の調査によると定住人口の中ではロシア人91.65パーセント、ウクライナ人1.42パーセント、タタール人1.38パーセントの順となっているが、これらには移民や不法滞在者は含まれておらず、おもに中央アジアから100万人を超える移民が在住しているとされる。』

『気候

ケッペンの気候区分では亜寒帯湿潤気候(Dfb)に属する。

年間降水量は707ミリメートルで、6月から8月にかけての夏季にもっとも降水量が多くなるが、一方で5月から8月にかけては晴天も多くなり、日照時間ももっとも多くなる。

冬季には降水量は少なくなるものの曇天が続き、日照時間は非常に少なくなる。

近年の冬季は気候変動と都市化による影響で以前に比較して平均気温が上昇しており、1981年から2010年の現平年値では、1961年から1990年の旧平年値より1月の平均気温で2.8度、2月が1.0度も上昇した。

なお、1990年の1月の平均気温は-12.0度であったことを踏まえると約5度も上昇している。

しかしながら2000年代以降でも、2006年、2010年、2011年、2012年、2013年には強い寒波の影響を受け零下30度前後まで冷え込んだことがある。

また、ヒートアイランド現象により都市部と郊外では冬の冷え込みが大きく異なり、10度前後の差になることもある。夏季は比較的暑くなり、30度を超えることも珍しくない。

過去最高気温は2010年7月29日の38.2度、過去最低気温は1940年1月の−42.2度である。

モスクワの気象観測は中心部から10キロほど離れた郊外のオスタンキノ公園に隣接する全ロシア博覧センター(通称ВВЦ,VCC)で行われており、緑豊かな場所にある。

モスクワ  (VVC) 1961–1990年平均の気候

2010年7月29日、気温が38.2度に達した。130年前に開始された観測史上最高を記録。これまでの最高は1920年の36.8度である。

2010年8月10日、モスクワ市登録局は、7月のモスクワ市内の死亡者が1万4340人で、前年同月の死亡者9516人の1.5倍にあがったことを明らかにした。記録的な猛暑や森林・泥炭火災のスモッグによる健康被害が影響していると見られている。

ドイツ・オーストラリア・カナダなどがモスクワにある大使館の外交官や家族を一時退去させるなどの影響が出た。非常事態省は、同国では500か所以上で森林・泥炭火災が続き、火災面積は17万4000ヘクタールに拡大しているとしている。』

『経済

新都心「モスクワ・シティ」
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2011年のモスクワ市の予算規模は、世界中の都市の中でニューヨーク市に次いで第2位であった。ニューヨーク市の予算は人口818万人に対し659億9100万ドルで、モスクワ市の予算は人口1151万人に対し508億ドルであった[8]。

2014年のモスクワ都市圏の総生産は7944億ドルで、世界10位の経済規模であった[9]。ヨーロッパではロンドン都市圏、パリ都市圏に次ぐ3位であった。

2016年、アメリカの経済誌『フォーブス』が公表した統計によると、10億ドル以上の個人資産をもつ大富豪は60人で、ニューヨーク、香港に次いで3番目に多い都市となった[10]。 』

『歴史

詳細は「モスクワの歴史」を参照
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聖ワシリイ大聖堂

1147年にキエフ大公国のユーリー・ドルゴルーキー(手長公)が会合を行った場所として言及されるのが最古の記録である。1156年に砦が築かれて以降、徐々に小都市化していった。1237年から1238年にかけてはモンゴル帝国軍によって灰燼と帰した(モスクワ包囲戦)。

1271年、ウラジーミル大公アレクサンドル・ネフスキーの末子であるダニール・アレクサンドロヴィチが遺領としてモスクワを獲得し、モスクワ公国が成立した。

3代目モスクワ公のイヴァン1世の代にジョチ・ウルスにとりいってルーシ諸公からの徴税権を得たことから力をつけ、モスクワ大公国となった。

1382年にはジョチ・ウルスのトクタミシュ・ハンによって占領されることなどはあったが、1480年、イヴァン3世がタタールのくびきを完全に終わらせることで、モスクワはロシア最大勢力の都となった。

彼はウスペンスキー大聖堂やブラゴヴェシチェンスキー大聖堂やアルハンゲリスキー大聖堂を建設・再建し、クレムリンを壮麗なものとした。クレムリンの前に赤の広場が建設されたのもこの時代である。

1534年から1538年にはクレムリン北東のキタイ・ゴロドをクレムリンと同じ城壁で囲み、以後この地域は商工業地域として発展した。

モスクワの歴史:赤色(クレムリン)、黄色(キタイ・ゴロド)、白色(白い町)、茶色(土の町)

1561年にはイヴァン4世によって聖ワシリイ大聖堂が建設された。

1590年ごろにはクレムリンとキタイ・ゴロドの外側に城壁が築かれ、さらにその外側には土塁が築かれ、モスクワの町は大幅に拡張された。

新しい城壁の内側はベールイ・ゴロド(白い町)、土塁と城壁の間はゼムリャノイ・ゴロド(土の町)と呼ばれた[11]。

16世紀末には動乱時代となり、1610年には偽ドミトリー2世を擁したポーランド・リトアニア共和国軍がロシア・ポーランド戦争を起こしてモスクワを占領したが、商人のクジマ・ミーニンと公爵ドミトリー・ポジャルスキーを中心として組織された国民軍が1612年にモスクワを奪回し、翌1613年にはミハイル・ロマノフがツァーリに選出されてロマノフ朝が成立した。

フョードル・アレクセーエフの描いた赤の広場(1802年)

ロマノフ朝時代は国土の拡張にともないモスクワも成長を続けたが、ピョートル1世が1712年にロシア北西端のネヴァ川河口にサンクトペテルブルクを建設したことで首都の座を譲った。

しかしそれ以後も副首都の座を保ち続け、歴代のロシア皇帝はモスクワにて戴冠式を行うことを常とした。

古い貴族階級は遷都以後もモスクワに居住する者が多く、西欧の思想を取り入れる窓口となったサンクトペテルブルクに対し、モスクワは古いスラブ主義の思想の中心地となっていった。

1755年にはロシア最初の大学であるモスクワ大学が開校した。

このころ、ベールイ・ゴロドの城壁が撤去され、その跡地にプリヴァール環状道路が建設された。

1812年にはナポレオンのモスクワ侵攻(祖国戦争)を受け、街は灰燼に帰したが、その後すぐに復興された。

19世紀にはゼムリャノイ・ゴロドの土塁も撤去され、その跡地はサドーヴォエ環状道路となった。

1851年にはサンクトペテルブルクとの間に鉄道が開通し、その後も1862年にはニージニー・ノヴゴロド、1864年にはリャザン、1868年にはクルスク、1870年にはヤロスラヴリへの鉄道が相次いで開業し[12]、ロシア中央部の商工業の中心としての地位は揺るぐことなく、農奴解放による労働力の流入や軽工業の発展もあいまって、19世紀末には人口は100万人を突破した。

ソビエトによって1918年に首都機能が移転され、ソビエト連邦とロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(現在のロシア連邦)の首都となった。

大祖国戦争時には市の北西40キロの地点にまでドイツ軍が進出したものの、軍民一丸となった抵抗により陥落しなかった。

かつては冷戦による対立関係があったアメリカのワシントンD.C.とともに、モスクワは超大国の首都として二分し、スターリンはニューヨークの高層ビルに対抗意識を持ち、スターリン様式という建物を多く建築した。

ソ連崩壊後のロシア連邦においても引き続き首都であり、現在では人口1000万を超えるロシアの政治経済の中心である。 』

モスクワ市、外国企業撤退で20万人失職も=市長

モスクワ市、外国企業撤退で20万人失職も=市長
https://news.yahoo.co.jp/articles/978c333cbccf6b95391bf2379952b1536273b38c

『[18日 ロイター] – ロシアの首都モスクワのソビャニン市長は18日、外国企業の操業停止や撤退により、同市で約20万人が職を失う恐れがあるとの認識を示した。

モスクワ市は、職業訓練のほか、社会的に重要な臨時の職を提供することで失業者を支援すると述べた。ブログで明らかにした。』

勢い増すロビー活動 不都合な政策に企業が拒否権

勢い増すロビー活動 不都合な政策に企業が拒否権
アメリカン・デモクラシー③漂うマネー・惑う票
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN114NA0R10C22A2000000/

 ※ 『首都ワシントンの弁護士事務所に所属する別のロビイストは「トランプ政権は部外者が多く、我々の意見はあまり聞き入れられなかった。バイデン政権下でワシントンは平時に戻った」と証言する。「政権内部はエスタブリッシュメント(主流派)で構成され、ロビイストが接触しやすい」という。』…。

 ※ こういうところに、「政権の性格」が如実に出ているな…。

 ※ 「民主主義国」と一口に言うが、「政権回しているテクノラート(官僚)」層は、「毛並みのいい」「裕福な階級」出身者が殆どだ…。

 ※ しかし、時々、「そうでもない階級出身者」が大統領になったり、首相になったりする…。

 ※ それで、「既存の既得権益」にとらわれない「政策」を実施して、「成果を挙げる」ことがある…。

 ※ 日本じゃ、「田中角栄氏」が有名だ…。当時は、「今太閤」とか呼ばれて、もてはやされた…。

 ※ しかし、一族郎党の面倒をみたり、「蓄財」を目指したりして、「我欲」が出るもんだから、ムリして破綻してしまうことも多い…。

 ※ 逆に、「上流階級」出身者は、そういうムリは、しないで済むが、今度は「一般庶民の暮らし」に疎いから、打ち出す「政策」が「現実離れ」してたりする…。

 ※ 難しいもんだ…。

 ※ トランプ氏は、確かに「富豪」ではあるが、必ずしも「エスタブリッシュメント出身」というわけでは無かった…。

 ※ 2024年の大統領選挙は、どうなるんだろうか…。

 ※ 本人は、やる気まんまんという感じだが…。「税務調査」が入ってたりして、大変のようだ…。

 ※ 米国大統領選の行方は、「世界情勢」にも影響するんで、目が離せんな…。

『3月、米アップルは動画や電子書籍などのアプリから利用者を外部サイトに誘導できるよう規約を改定した。利用者は同社の決済システムを使わずにサービス提供企業から直接コンテンツを購入したり、サブスクリプション(継続課金)契約を結んだりしやすくなる。

アップルは「iPhone」上で配信する有料のアプリやコンテンツから原則15~30%の手数料を徴収している。アプリ開発企業からの「手数料が高すぎる」との批判を受け、各国の独禁当局が調査に動いていた。アップルは自主的に規約を見直すことで、批判の高まりをかわす狙いがある。

布石はあった。1月、米上院の司法委員会は「米国イノベーション・選択オンライン法案」を可決した。アップルやグーグルなどIT(情報技術)大手がプラットフォーム企業の立場を利用して自社の製品やサービスを優遇することを禁じる内容で、アプリ配信の囲い込みも規制対象となる可能性がある。

法案に賛成票を投じた共和党の重鎮クルーズ議員は委員会で「採決前にアップルのティム・クック最高経営責任者(CEO)から直接電話を受けた」と明らかにした。クック氏は40分間にわたってセキュリティーの懸念などを訴えたが、クルーズ氏は「考えを変えることはない」とはねつけた。

IT規制派のクロブシャー議員(民主)が提出した同法案は超党派が支持し、委員会では16対6の賛成多数で可決された。

危機感を強めるIT大手は有力議員の元スタッフらを動員して大規模なロビー活動を展開し、本会議で廃案に持ち込もうとしている。メタ(旧フェイスブック)はクロブシャー氏の元スタッフをロビイストに起用した。民主党と共和党が拮抗する上院本会議では法案の大幅修正を求める議員が多く、下院でも成立のメドが立っていない。

ロビー活動は企業の趨勢と産業政策の焦点を映す。かつてはゼネラル・エレクトリックやボーイング、エクソンモービルなどの製造・防衛大手や石油企業が中心を担った。西海岸のIT勢は政治と距離を置いてきたが、ここ数年、首都ワシントンでの存在感は急速に高まっている。米国のロビー活動費は2021年に20年比6%増の37億3000万ドル(約4700億円)と過去最高。支出額上位には米商工会議所などの業界団体に続き、メタやアマゾン・ドット・コムが挙がる。

労働者や消費者保護を掲げるバイデン政権の発足は大企業に逆風とみられてきた。だが、政権公約に掲げた法人増税や最低賃金の引き上げは経済界の圧力で棚上げされ、目玉政策だった石油・天然ガスの開発抑制も膠着したままだ。

バイデン大統領は21年8月に電気自動車(EV)の普及に関する大統領令に署名した。30年にEV比率5割という目標は意欲的に見えるが、一部の自動車メーカーが主張したプラグインハイブリッド車(PHV)がEVとして認められ、「大手の自主計画をなぞった内容」(自動車業界のロビイスト)だ。

首都ワシントンの弁護士事務所に所属する別のロビイストは「トランプ政権は部外者が多く、我々の意見はあまり聞き入れられなかった。バイデン政権下でワシントンは平時に戻った」と証言する。「政権内部はエスタブリッシュメント(主流派)で構成され、ロビイストが接触しやすい」という。

与野党が上院の50議席を分け合う数的バランスの中でロビー活動は勢いを増し、不都合な政策に対する企業の拒否権はかつてないほど強まっている。政策決定のキーマンとなった民主党のマンチン議員には、かねて関係が近かったエネルギー企業に加え、ITや自動車など各分野の大手が接触している。

米国では企業や団体がロビー活動を通じて規制当局や政策立案者と課題を共有し、市場の育成や規制のあり方について意見を交わしてきた。実情に即した制度設計が米経済の推進力となった一方、中国やロシアからは「合法の汚職」という批判もある。

消費者や投資家はロビー活動の目的を明確にし、資金使途を詳細に開示するよう求めている。不安定な政治バランスにつけ込んだ時間稼ぎが続くようなら、政治と企業の双方が信頼を失う。

(中山修志)

【関連記事】
・米「物言うCEO」の苦悩 政治と世論の圧力増す
・インフレ責任論、大企業に矛先 政権支持率低迷に焦り 』

[FT]世界経済はスタグフレーションへ ウクライナ侵攻で

[FT]世界経済はスタグフレーションへ ウクライナ侵攻で
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB190T90Z10C22A4000000/

『ロシアのウクライナ侵攻でコロナ後の景気回復が腰折れし、2022年の世界経済は成長鈍化と高インフレの二重苦、すなわちスタグフレーションにさいなまれるという見通しが、フィナンシャル・タイムズ(FT)の調査で明らかになった。

米シアトルの港湾。米国では消費の好調が続き、インフレの制御が難しくなっている=ロイター

米ブルッキングス研究所とFTが共同で算出する「世界経済回復トラッキング指数(TIGER)」によると、物価上昇圧力の高まり、生産の伸び減速、景況感の悪化が、大半の国々で経済のマイナス要因になりつつある。

ブルッキングス研究所の上級フェロー、エスワー・プラサド氏は、各国の政策担当者が「難局」に直面すると見込む。

国際通貨基金(IMF)は近く、大半の国々の経済成長予測を下方修正する見通し。18~24日にはIMF・世界銀行の春季総会が開かれ、悪化する経済見通しへの対応策を話し合う。

各国の政策担当者は、急速なインフレに対策を講じ、債務水準が高い中での金利上昇リスクに対応することを迫られる。

IMFのゲオルギエバ専務理事は14日、ウクライナ戦争は世界経済にとって「大きな挫折」を意味すると発言した。

プラサド氏は22年について、「インフレ圧力が高まり、政策対応の余地が限られる状況下で、地政学的な勢力図の再編、根強い供給問題、金融市場の急変動にさらされ、緊迫感の強い時期」になる可能性があると指摘する。

TIGERは、世界全体と各国の実体経済活動、金融市場、景況感の指標をそれぞれの過去の平均と比較して算出し、足元のデータが平常時に比べてどれほど良いか、または悪いかを把握するのに用いられる。

半年ごとに集計されるTIGERは今回、先進国と新興国で21年終盤から成長が著しく鈍化したことを示した。景況感もピークから下がり、やがて金融市場も軟調に転じた。

米欧中の経済が難局に

プラサド氏は、世界の3大経済圏がそろって重大な困難に直面しているとみる。米国では消費が引き続き好調で、労働市場がコロナ前の状態に戻ったとはいえ、連邦準備理事会(FRB)にとって、インフレ圧力が高まるなかで物価安定という使命の遂行がきわめて難しくなっている。3月の米消費者物価指数(CPI)は前年同月比で8.5%上昇し、40年ぶりの高い伸びとなった。

「FRBはインフレをコントロールできなくなる現実的なリスクに直面しており、これまでの説明より積極的な引き締めを余儀なくされる可能性がある。23年の成長が大きく下押しされる可能性が高まっている」とプラサド氏は語った。

中国は、感染力の比較的高い変異型「オミクロン型」の流行後も「ゼロコロナ」政策に固執したことから、さまざまな問題が派生している。上海での厳しい外出制限に代表されるロックダウン(都市封鎖)が消費や投資、生産を妨げていると同時に、将来的な金融政策の再緩和で金融市場が中長期的に不安定状態に陥るリスクも高まっている。

中国の22年1~3月の国内総生産(GDP)は18日に発表される。中国政府は今年、5.5%の経済成長を目指しているが、目標達成の難しさが浮き彫りとなりそうだ(編集注、18日に発表された1~3月の実質国内総生産(GDP)は前年同期比で4.8%増だった)。

欧州は、ほとんどの国が、ウクライナ戦争の影響を最も大きく受けながら、ロシア産エネルギーへの依存解消に苦戦するなかで、景況感が急速に悪化した。

プラサド氏は、政策による簡単な解決の道がない状況にあり、行動を起こす意思も不足していると指摘し、以下のように語った。

「世界経済を適切な成長軌道に保つためには、新型コロナのパンデミック(世界的大流行)による供給混乱を抑える方策や、地政学的な緊張を和らげる措置のほか、短期的な需要喚起策にとどまらず長期的に生産性を向上させるインフラへに支出するなど、根本的な問題に対処する協調行動が必要だ」

By Chris Giles

(2022年4月18日付 英フィナンシャル・タイムズ電子版 https://www.ft.com/)

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