「正確な情報」が「無謀な開戦」につながったという痛恨の逆説――日米開戦80年目の真実

「正確な情報」が「無謀な開戦」につながったという痛恨の逆説――日米開戦80年目の真実
https://www.dailyshincho.jp/article/2021/12060630/?all=1

 ※ 今日は、こんなところで…。

 ※ 「プロスペクト理論」が、そこまで言っているのかは、さておく…。

 ※ しかし、「通説」と違って、日米開戦は、「正確な情報を、認識した上での、行動だった。」とする説は、耳新しい…。

 ※ 『プロスペクト理論では通常の経済学が財の所有量に応じて効用が高まると仮定するのに対し、ある水準(参照点)からの財の変化の量に注目します。簡潔にいうと、人間は現在所有している財が1単位増加する場合と1単位減少する場合とでは、減少する場合の方の価値を高く評価するのです。

 そのため、人間は損失が発生する場合には少しでもその損失を小さくすること望みます(損失回避性)。そうすると、選択肢Aでは確実に3000円を支払わなければなりませんが、選択肢Bでは2割の確率で損失は0になるので、人間は低い確率であっても損失が0になる可能性のあるBの方につい魅力を感じてしまいがちなのです。』

 『さらにプロスペクト理論では客観的な確率がそのまま人間の主観的な確率となるわけではなく、心の中で何らかの重みづけをされると考えます(客観的には2割の確率でも主観的には3割と考えられるかもしれない)。

 客観的な確率と主観的な確率の乖離は実証されており、自然災害などの客観的には滅多に起きない現象は主観的には高い確率として認識される一方、生活習慣病による将来の死といった客観的には高い確率で起きる現象は主観的には低い確率として認識されています(だからこそ「当選確率は極めて低いのに多くの人が宝くじを購入する」「将来ガンになる確率が高いのに多くの人が喫煙する」といった現象が起きるのです)。』

 ※ 『それゆえ、先ほどの選択肢Bで「1円も支払わなくてもよい」という確率が主観的に過大に評価され(例えば3割)、AよりもBの方が望ましいと考えられて選択されることになるのです。』との説は、確かにある程度の説得力を持つ…。

 ※ 『「ジリ貧」よりも「開戦」という判断

 さて、昭和16年8月以降の当時の日本が置かれていた状況は、先ほどの選択肢AおよびBとほとんど同じようなものでした。日本の選ぶべき道は、政策決定者の主観的には2つありました。

A’ 昭和16年8月以降はアメリカの資金凍結・石油禁輸措置により日本の国力は弱っており、開戦しない場合、2~3年後には確実に「ジリ貧」になり、戦わずして屈伏する。

B’ 国力の強大なアメリカを敵に回して戦うことは非常に高い確率で日本の致命的な敗北を招く(ドカ貧)。しかし非常に低い確率ではあるが、もし独ソ戦が短期間で(少なくとも1942年中に)ドイツの勝利に終わり、東方の脅威から解放されソ連の資源と労働力を利用して経済力を強化したドイツが英米間の海上輸送を寸断するか対英上陸作戦を実行し、さらに日本が東南アジアを占領して資源を獲得して国力を強化し、イギリスが屈伏すれば、アメリカの戦争準備は間に合わず抗戦意欲を失って講和に応じるかもしれない。日本も消耗するが講和の結果南方の資源を獲得できれば少なくとも開戦前の国力は維持できる。

 つまり、日米間の国力の巨大な格差を正確に指摘した秋丸機関の報告書を踏まえれば、開戦が無謀であることはわかるのですが、プロスペクト理論に基づけば、それぞれの選択肢が明らかになればなるほど「現状維持よりも開戦した方がまだわずかながら可能性がある」というリスク愛好的な選択へと導かれてしまうのです。

「正しい情報」が「正しい決定」につながるのであれば「開戦回避」という結論になるはずですが、実際は上記の通り、むしろ「正しい情報」ゆえに「開戦」という結論が下されたと考えられるのです。もちろんこれは単純化した説明であり、牧野氏の著書では、他の様々な要素(日本の指導者の長期的なビジョンの欠如、集団心理による強硬論の支持など)も、開戦の意思決定に重要な影響を与えていたことが示されています。

 現代でも「正確な情報があったはずなのに、なぜこのような残念な結果になってしまったのか」と疑問に思うことがしばしば起きています。そうした失敗を繰り返さないためにも、80年前の日米開戦の教訓から学ぶ価値がありそうです。』…。

 ※ まあ、そういう「理論」で、「理屈づけ」することも、できるんだろう…。

 ※ しかし、「敗戦」の結果を考えれば、何が何でも「開戦」すべきでは無かった…。
 ※ 事が終わってから、「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び…」などと言っても、追いつくものでは無い…。

 ※ 「満州」を共同経営する…、「満州」をそっくり進呈する…くらいの、「思い切った策」があるべきだった…。たとえ、「自分の手足を、斬り落とす」ことになっても…。
 ※ それも、海外に人と兵員を駐在させすぎて、日本国内だけでは、「収容しきれない」との判断だったのか…。

 ※ しかし、それでも、原爆2個も落とされたり、東京大空襲で「焼夷弾」で多数の犠牲者出すよりは、マシだった…。

 ※ 戦争とは、「ある国家目的を達成するための、一手段」に過ぎない…。

 ※ 国家の生き残り、国民の平穏な日常生活の確保の方が、上位の価値に立つ…。

 ※ プランとは、AもBもCもDもあってこその、プランだ…。

 ※ 国家の戦略とは、「軍事一辺倒」では無く、「外交一辺倒」でも無く、両者を自在に「混合」させて、硬軟取り混ぜて、遂行して行くものだ…。

 ※ 昨今の情勢を見ると、そういう「痛い教訓」が、あまり汲み取られていないように見受けられることを、危惧する…。

〔移民・難民は、どこでも厄介者…。〕

 ※ 人道主義、理想主義は、「美しく」「耳に心地よい」が、現実の問題を解決する力(ちから)は、ほとんど無い…。

 ※ 「主義(イズム)」に走れば、「現実」との乖離(かいり)がドンドン広がって、問題をさらに悪化させるだけだ…。

移民・難民の命が軽んじられることでは英仏も同じ アメリカでは「メキシコ待機」政策が復活
https://blog.goo.ne.jp/azianokaze

『*****「英仏当局、救助来ず」 遭難事故の生還者が証言 国境付近で沈没**** 

英仏海峡で移民ら27人が死亡した遭難事故で、生還者がクルドメディアの取材に応じ、「英仏両当局に救助要請したが、救助に来ることはなかった」と証言した。

仏海上保安庁は2日、朝日新聞の取材に「遭難を覚知したのは(遺体を発見した)漁船からの通報が初めてだった」としつつ、海上憲兵隊が調査を進めていることを明らかにした。
 
証言したのは、イラクから英国を目指したクルド人男性ムハンマドさん(21)。証言によると、ムハンマドさんは密航業者の手配で、11月23日夜に仏海岸からゴムボートで出発。33人が乗っていたという。
 
3時間半ほどすると、英国とフランスの領海の境界付近で右舷に穴が開き、水をかき出したがボートは沈没した。この間、同乗者が仏当局に電話で位置を知らせて遭難を告げると、「そこは英領海だから救助にいけない。英国に要請を」と指示された。

英国に要請しても、救助に来ることはなかったという。ムハンマドさんは家族の病気の治療費用を稼ごうと、ベラルーシ経由で英国を目指していた。
 
もう一人の生還者のソマリア人男性は、「海で10時間泳いで生き延びた」と同メディアに語った。遭難した移民らは波でフランス側に流された。翌24日午後2時ごろ、移民らの遺体を発見した仏漁船が仏当局に通報し、ムハンマドさんらは救助された。なお行方不明者がいる可能性がある。
 
仏検察は1日、密航業者の特定などに向け、捜査していることを明らかにした。遭難時の状況も調べる方針だ。
 
遭難をめぐっては、ジョンソン英首相が再発防止策として、英仏が共同でフランス沿岸でパトロールすることを提案。AFP通信は2日、フランスのカステックス首相がジョンソン氏に書簡を送り「我々の主権だ」として断ったと報じた。【12月4日 朝日】

『【トランプ前政権の「メキシコ待機」政策復活を余儀なくされるバイデン政権】

押し寄せる移民・難民への対応に政治が苦慮し、その間にも多くの命が失われているのは欧州だけでなく、アメリカも同様です。

“米税関・国境取締局によると、トランプ前政権下の2019会計年度(9月末までの1年間)、米南西部国境での拘束者数は97万7509人だった。それが21年度は173万4686人と、過去最多を記録したことが先月下旬に判明した。9月には政情不安と災害が重なったハイチから1万人以上がデルリオに殺到した。
バイデン政権は、「甘い対応が急増を招いた」などと批判にさらされている。【11月8日 読売】』

『****メキシコから越境図る移民の死亡最多、年間557人 米*****

米税関・国境警備局は30日までに、メキシコから越境を試み死亡した移民は計557人に達し、過去最多になったと報告した。死亡者数は先月に終了した2021会計年度内の記録。

20会計年度は254人、19会計年度は300人だった。越境件数に関する記録収集は過去30年続き、死亡者の場合は1998年から開始した。

同局によると、国境線での移民の死因の大半は熱波に過度にさらされたことで、危険な経路を選んだり、途中で道に迷ったりすることが背景要因となっている。

記録された死亡者数の拡大には複数の要因が絡むが、越境者の増加や税関・国境警備局が他の法執行機関と協力し、越境の試みに関するデータ収集を強化していることも一因。

死亡者のデータ収集は要員が遺体を見つけたり、緊急事態への対応を迫られたりした場合が対象となっている。
把握した死亡者のデータが必ずしも正確とは言えず、同局が関与せずに他の州や地方当局の機関が遺体を収容する事態も考えられ、実際の死者数がより高い可能性もある。

バイデン政権は対メキシコ国境線で不法越境を試みる移民のかつてない増加への対策に苦慮している。収容場所の確保などにも困り、新型コロナウイルスの感染拡大のリスクも抱えている。

2021会計年度内の逮捕件数は約166万件で、会計年度としては過去最多。救出のための出動は1万2854件で、過去の4会計年度の水準をはるかに上回った。この件数は今年6月に急増したが、密航業者が途中の遠く離れた危険な地点に移民を置き去りにする事例が目立ったことが原因でもあった。【10月30日 CNN】
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メキシコから国境を越えて米国に不法入国した難民申請者についてバイデン大統領は、審査期間中にメキシコに移送し待機させるトランプ前政権時代の政策を運用を停止する大統領令を出していましたが、連邦最高裁が8月にこれを認めない判断を下し、バイデン政権はトランプ前政権の政策再開を余儀なくされています。

バイデン政権は移民に寛容な姿勢をアピールしてきましたが、政策後退を迫られた形となっています。』

『****米政府、トランプ政権の移民政策を復活へ バイデン氏に非難****

米政府は2日、ドナルド・トランプ前大統領が導入し、ジョー・バイデン大統領が就任後に撤回した移民政策「メキシコ待機」プログラムを再開すると明らかにした。

この政策は、亡命を希望する移民を、申請手続きを行う間メキシコ側に待機させるもので、治安の悪い環境に移民が置かれることが問題となっていた。

再開をめぐり、バイデン氏を非難する声が上がっている。
移民関連団体は、「メキシコ待機」政策の復活は、国境にある移民キャンプでの犯罪や暴力行為を誘発しかねないと指摘する。

バイデン氏は1月の大統領就任後、この移民政策を「非人道的」だとして撤回する大統領令に署名した。しかし連邦裁判所はこれを認めず、同政策の再開を命じていた。

アメリカとメキシコの両政府は、この政策を再開させることを認めた。

バイデン政権は、トランプ政権時代のもう1つの主要な国境政策「タイトル42」を維持している。これは、公衆衛生上の理由があれば移民を迅速に追放できるというもの。

なぜ「メキシコ待機」が復活するのか

トランプ前大統領は、当時「移民保護プロトコル」と呼ばれていたこのプログラムを導入し、6万人以上の亡命申請者をメキシコに送り返した。メキシコ側で待機する亡命希望者は、時には犯罪組織の餌食になることもあった。

慈善団体ヒューマンライツ・ファーストによると、メキシコに戻された移民に対する誘拐やレイプ、拷問、そのほかの虐待行為の事例が1500件以上報告されている。

バイデン氏はトランプ氏が打ち出した強硬な移民政策を撤回するという選挙公約の一環として、大統領就任後すぐに同プログラムを停止する大統領令に署名。アレハンドロ・マヨルカス国土安全保障長官が6月に終了させた。

ところが連邦裁判所のマシュー・キャズマリク判事は8月、制作が不適切に取り消されたとの判断を下した。同判事はトランプ氏によって任命された。
バイデン政権はこの決定を不服として上訴している。

ホワイトハウスのジェン・サキ大統領報道官は1日、同プログラムによる「不当な人的損失」に関するバイデン氏の考えは、過去の主張と変わっていないと説明。
「ただ、我々は法に従うことにもなる」とした。

「メキシコ待機」政策は、メキシコの懸念に対処するため、亡命申請1件あたりに費やす時間を6カ月に制限するなど内容を修正したうえで、来週からテキサス州とカリフォルニア州の入国地点で再開される。

「暗黒の日」
「メキシコ待機」政策の再開の動きをめぐっては、移民支援団体やバイデン氏率いる与党・民主党の議員から非難の声が上がった。

米国移民評議会は、「メキシコ待機プログラムをより人道的な方法で管理できる」というバイデン政権の主張を一蹴し、「今日はアメリカと法の支配にとって暗黒の日だ」と付け加えた。

同プログラムの対象を西半球からのあらゆる移民(ハイチ人など非スペイン語圏のグループを含む)に拡大することで、バイデン氏は「プログラムをトランプ政権下よりもさらに広範なものにした」と、同評議会は指摘した。

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)もこの動きを非難しており、「メキシコ待機」政策の実施に協力することを拒否した。

米自由人権協会(ACLU)は、この政策の再開は「拷問やレイプ、死を含む恐ろしい虐待」につながるとした。

ヴェロニカ・エスコバル下院議員(民主党、テキサス州)は米政治専門紙「ザ・ヒル」に対し、この政策は「国としての我々の価値観をむしばむ」ものであり、「亡命手続きに反する」ものだと述べた。

エスコバル氏は裁判所の命令に対して積極的に法廷で闘うようホワイトハウスに求めた。また、バイデン氏は大統領就任から1年近くたとうとしているのにこのシステムを修正していないと批判した。

ボブ・メネンデス上院議員(民主党、ニュージャージー州)は、「この外国人嫌悪で反移民的な政策を永久に覆すために、あらゆる努力を行うよう」バイデン氏に求めた。

一方、野党・共和党のケヴィン・マカーシー下院院内総務は同政策の再開を歓迎した。
「バイデン政権にこの常識的な措置を適用させるために、訴訟を起こさざるを得なかったのは残念なことだ」【12月3日 BBC】』

『【バイデン政権に立ちはだかる保守化した司法の壁】

“裁判所の命令に対して積極的に法廷で闘うようホワイトハウスに求めた”とは言っても、最高裁判事がトランプ前大統領によって保守派で固められていますので、結果はあまり期待できないでしょう。

司法によってバイデン政権の政策が押し戻されているのは、アメリカ国論を二分するもうひとつの対立軸である人工中絶についても同様です。

****「妊娠15週以降は中絶禁止」 アメリカ連邦最高裁が認める公算 ****

妊娠15週以降の人工妊娠中絶を禁じる米南部ミシシッピ州法をめぐり、連邦最高裁が1日、審理を開いた。州法を容認する公算は大きくなっており、来年6月までに出される最高裁の判断次第で、米国における中絶の基準が約半世紀ぶりに変わる可能性がある。

米国における中絶をめぐっては、最高裁が1973年、合衆国憲法によって保障された権利だと初めて判断した。胎児が子宮外で生きられるようになる「生存能力」を基準に、その前を中絶可能な時期と規定。現在では「妊娠22〜24週」と考えられ、最高裁は92年にも、別の訴訟でこの基準を再確認している。
 
ミシシッピ州法は2018年に可決され、州内唯一の中絶クリニックが州法は違憲だとして提訴した。最高裁が州法の合憲性を認めれば、73、92年の両判決が骨抜きになり、米国内の20州以上で、従来の中絶基準よりも厳しい法律が有効になることが予想される。
 
最高裁の判事9人のうち、保守派は6人でリベラル派は3人。1日の審理では、リベラル派のソトマイヨール判事が「憲法とその解釈が単なる政治的行為であるという世間の認識をつくる『悪習』に、裁判所は耐えられるか」と述べるなど、3人とも、州法を認めない姿勢を示した。
 
73年判決の維持には、保守派判事6人のうち、少なくとも2人がリベラル派に同調する必要がある。ただ、ロバーツ長官は「(中絶が)選択の問題ならば、なぜ15週では不十分なのか」、カバノー判事は「憲法はこの(中絶)問題について、各州の人びとや議会が民主的なプロセスで解決するよう委ねている」とそれぞれ語るなど、保守派の判事から原告側に有利な意見は出なかった。
 
ジョージワシントン大ロースクールのソニア・サトラー教授は取材に「最低でも73年判決は形骸化する。有名無実になるか、完全に覆されるかだ」と今後の見通しを語る。「中絶が禁止できる時期を各州に任せることになれば、線引きは受胎にどんどん近づき、(多数の州で)事実上の中絶禁止になる」という。
 
最高裁周辺ではこの日、中絶容認派と反対派が計数千人集まり、「女性の権利を守れ」「中絶は暴力だ」などと声を張り上げた。
 
容認派のアリス・ロブソンさん(68)は過去に2度、流産を経験した。審理後は「私の経験も、ミシシッピでは中絶とみなされるかもしれない。若い世代にとっては本当に難しい時代になってしまう」と落ち込んだ様子を見せた。【12月2日 朝日】』

恒大集団、正式に破綻。

恒大集団、正式に破綻。
http://blog.livedoor.jp/goldentail/archives/27625138.html

『12月3日、恒大集団は、正式に香港証券取引所に書類を提出し、債務の返済が不可能であると広告しました。事実上のディフォルトです。これに対して、広東省の政府は、特別チームを派遣し、事態の収集に乗り出します。

恒大集団の場合、中国国内のみならず、海外からも借金していて、本来11日1日が利払いの期限だったのですが、30日猶予ルールで、12月の返済期限のギリギリになってギブアップしたものと思われます。中国国内の借金でしたら、共産党の強権で、どうにかできたのでしょうが、外国からの借金は、そうはいきません。しかも、借金する時に、複数の金融機関から借金していて、そのうち一件でも返済に滞った場合、その時点ですべての返済を一括で行うという特約も付いていました。つまり、期限を迎えた借金の利払いだけでは、済まないのです。

今現在、恒大集団が抱えている建設プロジェクトは、800あって、現在の財務状況だと止まる可能性が高いです。その場合、自動的に不良資産になって、販売も引き渡しもできなくなります。広東省は、恒大集団が広告してから、1時間後に特別チームの派遣の声明を出していて、ある意味予定されていた処置であったと思われます。会長の許家印氏は、広東省政府に呼び出されて、事情聴取を受けているようです。

現在の状況は、当事者である恒大集団が、債務不履行を出して、バンザイしている状態で、これに対して、共産党政府がどうするかで、完全に破綻させるのかどうかが決まります。政府主導の整理という形で、組織としては潰さず、軟着陸の道を探る可能性も考えられます。中央銀行が広東省政府を支持しているので、その可能性が無いわけではありません。

とにかく、確実に言えるのは、もう創業者と会社の問題ではなく、行政の問題に切り替わったという事です。直近の8240万ドルの外国からの借金を返済できないと、まとめて190億ドルの返済が迫られます。また、バランスシートに無い隠れ借金も、相当にあるはずで、ゴールドマン・サックスが予測するところでは、1兆元の借金があると言われています。正規の融資ではないので、利率が20%とかの異常な借金ですね。

恒大集団の事実上の破綻によって、40年続いた中国の成長モデルは終焉を迎える事になります。 』

【点描・永田町】「山口3区の乱」舞台裏の策謀

【点描・永田町】「山口3区の乱」舞台裏の策謀
(2021年11月14日18時30分)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021111000280&g=pol

 ※ なんと、早や(はや)岸田さんは、来年の参院選で勝利したら、任期満了まで衆院を解散せずに」「退任する意向」まで語られている…。

 ※ また、安倍vs.林だけでなく、高村元副総裁の後継者までが参戦し、三つ巴の戦いとなっているらしい…。

 ※ ちゃんと、裏付けがあるんだろうな…。

 ※ いずれにせよ、激しい情報合戦、魑魅魍魎うごめく奇々怪々、一寸先は闇…、というのが「政界情勢」ということのようだ…。

『与野党が激突した10・31衆院選は、自民党が単独で絶対安定多数の261議席を獲得、公明党(32議席)を加えた与党合計でも公示前勢力(305議席)に迫る293議席と、事前の苦戦予想を覆して勝利した。国民の信任を受けた岸田文雄首相は、11月10日召集予定の特別国会冒頭での首相指名を受け、同日中に第2次岸田政権を発足させる。

長州戦争、残る遺恨 党本部裁定、程遠い「円満決着」―山口3区

 そうした中、衆院山口3区では参院からくら替えした自民党の林芳正元文部科学相が圧勝し、「次回以降の総裁選への挑戦権を手に入れた」(自民幹部)として注目された。当初は、くら替え出馬への党内の賛否が入り乱れ、当選10回で現職だった河村建夫元官房長官との激しい公認争いは「山口3区の乱」と呼ばれた。しかし、衆院選公示直前に河村氏が不出馬・政界引退を表明したことで、表向きは“円満決着”の形となった。ただ、対立と迷走を繰り返した公認争いの舞台裏は、党内の権力闘争に加え、次期衆院選やポスト岸田も絡めた「策謀が渦巻く政争」(自民長老)だったのが実態だ。

 そもそも、林氏は岸田派ナンバー2の座長で、河村氏は二階派の会長代行だった。このため、公認争いは「岸田VS二階」の代理戦争となったが、幹事長だった二階俊博氏が総裁選での岸田氏勝利を受けて「自民最高実力者」の座を失ったことで、それまでの「現職優先」方針が覆り、後ろ盾を失った河村氏が涙をのむ結果となった。

 加えて、河村氏の後継者の長男・建一氏は、当選確実な比例中国ブロック単独候補としての上位登載がかなわず、縁もゆかりもない同北関東ブロックでの32位に追いやられ、次点で落選した。しかも、この党本部決定につながったのは、山口県連会長の岸信夫防衛相らが提出した「(建一氏は)県連と何ら関わりのない候補」とする抗議文書。岸氏は安倍晋三元首相の実弟で、党内では「山口のドンの安倍さんが河村家を地元から追い出すための陰謀」との臆測が飛び交う。

◇次期衆院選とポスト岸田で思惑

 というのも、次期衆院選では山口県の小選挙区がこれまでの4から3に減る予定で、現職の安倍(4区)と岸(2区)の両氏、高村正大氏(1区)、林氏のうちの3人が小選挙区公認候補となる。高村氏の父・正彦元副総裁は安倍氏と極めて親しい関係だが、林氏は安倍家と肩を並べる山口の名門政治家一家の4代目。安倍氏の父・晋太郎元外相(故人)と林氏の父・義郎元蔵相(同)は、中選挙区時代に「安倍家VS林家」の激しい覇権争いを展開しただけに、「次は高村氏がはじき出される」とのうわさもささやかれている。

 さらに事情を複雑にしているのは、すでに林氏が岸田派(宏池会)の次期総裁候補として、ポスト岸田での総裁選出馬を目指していることだ。林氏は近い将来、首相の後継者として岸田派を林派に衣替えするとみられている。しかも、来夏の参院選での与党勝利で首相が3年の任期を全うできる状況となれば、「任期満了まで解散せずに退陣する意向」(側近)だとされる。

 もちろん、安倍氏周辺はこうした動きに不快感を隠さない。山口の自民党参院議員を見れば、10月24日の参院山口補選で当選した北村経夫氏や来夏参院選で改選予定の江島潔氏も安倍氏側近で、「林氏の総裁選出馬など許さない雰囲気」(安倍氏側近)とされる。しかし、林氏は10月発売の月刊誌で「次の総理はこの私」と宣言し、首相も今後、同氏を党・内閣の要職に起用する構えだ。このため、3年間は首相を輩出してきた山口県の覇権をめぐる「安倍・林戦争」が激化することは、間違いなさそうだ【政治ジャーナリスト・泉 宏/「地方行政」11月8日号より】。 』

仏大統領選、マクロン対右派3人に 主要候補出そろう

仏大統領選、マクロン対右派3人に 主要候補出そろう
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR042X90U1A201C2000000/

『【パリ=白石透冴】2022年4月のフランス大統領選挙の主要候補がほぼ固まった。中道右派共和党は4日、パリを含む「イルドフランス」地域圏議会のバレリー・ペクレス議長を統一候補として選出。同氏を含む右派3人と中道のマクロン大統領の計4人が支持率で優位に立っている。移民問題などで解決策を示せない左派は埋没している。

「私はたった一つのことに情熱を燃やす。それは『政策の実行』だ」。ペクレス氏は4日、パリ市内で開いた記者会見でこう語った。有力とみられた英国の欧州連合(EU)離脱交渉の元EU首席交渉官だったバルニエ元外相、北部「オードフランス」地域圏議会のベルトラン議長などを下した。

ペクレス氏は高等教育・研究相、予算・公共収支・国家改革相などを務めた。小さな政府を志向して約20万人の公務員削減を掲げるほか、移民数の上限設定やイスラム過激派の国外追放なども主張する。学生時代に日本語を学び、来日経験もある。

中道右派の統一候補が決まったことで、仏大統領選の主要な顔ぶれは4人に絞られた。仏テレビBFMによると、11月下旬時点で支持率10%以上を集める候補はマクロン氏(25%)、極右国民連合のルペン党首(18%)、極右評論家ゼムール氏(15%)、それにペクレス氏(10%)だ。いずれも中道・右派に固まり、左派の存在感は薄い。

隣国のドイツやスペインなどでは環境、格差などへの関心の高まりから左派が政権を握っている。第2次大戦後のフランスは米国のように中道右派(現共和党)と中道左派(社会党)が交互に政権を取り、仏政治のバランスを取ってきた。それだけに、ここまで左派が埋没するのは異例だ。

背景の一つが、散発するテロ事件や移民問題だ。今年4月にはパリ郊外の警察署でイスラム過激思想に染まった男が女性職員の喉を切りつけて死亡させるテロ事件が発生。15年には風刺週刊紙シャルリエブドへの襲撃テロ、130人が死亡したパリ同時テロという2つの大規模テロも起きている。

その後もテロが絶えないことから、同国では治安対策やイスラム系移民の流入規制を求める声が高まっている。警察権力の拡大に懐疑的で、移民に融和的な立場を取る左派は現実を見ていないと受け止める有権者が少なくない。

左派で大統領選に名のりをあげたのは中道左派社会党のイダルゴ・パリ市長、環境政党欧州エコロジー・緑の党(EELV)のジャド党首、急進左派「不服従のフランス」のメランション党首などだ。3人合わせた支持率は約22%で共闘すれば右派に対抗できそうだが、互いに自己主張するばかりで共闘する兆しはない。

仏大統領選は2回投票制で実施。1回目で勝ち上がった2人による決選投票で勝者を決める。前回17年選挙ではマクロン氏が史上最年少の39歳で勝ち、今回も再出馬が確実視されている。仏経済誌シャランジュが報じた世論調査によると、今回も決選投票にマクロン氏が進んだ場合、どの候補者と戦っても勝つとの予想だ。』

米台、急接近も中国の壁 蔡氏はサミット「参加できず」

米台、急接近も中国の壁 蔡氏はサミット「参加できず」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM038A00T01C21A2000000/

『【台北=中村裕】バイデン米政権は、9~10日に開く「民主主義サミット」に台湾を招待した。台湾にとっては世界約110の国・地域の首脳らが集まる国際会議の場に「台湾」の名称で参加する異例の機会で、昨年来の米台接近の象徴的な動きだ。ただ中国への配慮から、蔡英文(ツァイ・インウェン)総統の出席という「一線」は越えられなかった。

同サミットは、米政府が主催し、民主主義国家の結束を促すのが狙い。中国やロシアは招待せず、中国の王毅(ワン・イー)国務委員兼外相は「分裂と対立を作り出すものだ」と強く非難した。

招待を受けた台湾の外交部(外務省)は11月24日、「バイデン大統領に感謝したい」との声明を発表した。台湾にとって、同サミットに参加できる意義は大きい。

台湾は1971年に国連から追放されて以来、国際社会で孤立した。台湾が現在、国際的な枠組みに参加が可能な主なものは、アジア太平洋経済協力会議(APEC)、世界貿易機関(WTO)、アジア開発銀行(ADB)、五輪などに限られる。

しかも、中国の反対などで「台湾」の名称使用はいずれも不可だ。APEC、五輪は「中華台北(チャイニーズタイペイ)」、WTOは「台湾・澎湖・金門・馬祖独立関税地域」の名を使うのが参加条件となる。その意味からも米側が今回、台湾を各国首脳が集まる国際会議に招待しただけでなく「『台湾』の名称使用を許した点は意味深い」(台湾の専門家)。
これに対し、中国外務省の趙立堅副報道局長は11月24日の記者会見で「台湾の独立勢力と一緒に火遊びをすれば自らの身を滅ぼすことになる」と述べ、米国を強く批判した。

一方、米台はやはり、一線を越えられなかった。台湾の参加者は、駐米大使に相当する蕭美琴駐米代表と、デジタル担当相のオードリー・タン氏。蔡総統でもなく、外交トップの呉釗燮・外交部長(外相)でもなかった。

外交部は、理由を明らかにしなかったが、米中情勢に詳しい台湾の王智盛・中華亜太菁英交流協会秘書長は「会議がオンライン形式の開催とはいえ、蔡総統が参加すれば、中国のレッドラインに触れ、(軍事的な)激しい反発の行動は避けられなかった」と指摘した。
1995年には、李登輝・元総統が米コーネル大学での講演を理由に、現職の台湾トップでは異例の訪米を成し遂げた。だが、中国は直後に弾道ミサイルを発射し、その後の米中による「台湾海峡危機」へと発展した。

その歴史から「米中にはまだ暗黙の了解がある」と、王氏は指摘する。「米側はあえて中国が主張する『一つの中国』に挑戦することはしない。だが従来、中国に大きく配慮して自主規制をしていた時代に比べれば、今回のサミット招待は、蔡氏を招待しない妥協案とはいえ、大きな突破口を開いた」と評価した。

昨年来、正式な外交関係がない米台の接近が続く。11月には米議員団が今年3回目の訪台を実現させ、蔡総統と会談した。ただ交流は議員レベルが多く、台湾からの訪米には、いまだ多くの障害があるのも現実だ。

9月には台湾外交トップの呉外相の訪米が英フィナンシャル・タイムズ(FT)の取材で明らかになった。だがワシントンには入れず、隣接するメリーランド州で米政府関係者と面会するにとどまった。台湾外交部も訪米のコメントを控えた。

今回のサミット概要が発表される直前の11月の米中首脳会談では、中国の習近平(シー・ジンピン)国家主席が「台湾独立勢力がレッドラインを突破すれば断固とした措置を取る」と改めて警告した。

こうした姿勢からも、今後の米台関係について台湾師範大学の范世平教授は、「米中が台湾問題で協議の余地がどんどん狭まっている。そのため米台は中国への挑発は避け(サミットなどで)実質的な関係強化の道をさらに進めていく形になるだろう」と指摘する。

【関連記事】

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柯 隆
東京財団政策研究所 主席研究員
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分析・考察

政治はパフォーマンス。バイデン政権は経済的に中国に依存している現実を考えれば、これ以上、北京を刺激したくない。ただし、外交上の失点から国内に対して強硬姿勢を示す必要があり、このような選択をなされたのだろう。

これから中間選挙を迎えるバイデン政権は外交的にどのようなパフォーマンスをみせるか。それは東アジアの安全保障に大きな影響を及ぼすことになる
2021年12月6日 8:09 』

民主陣営連携、中ロに誇示 9~10日に米主導サミット

民主陣営連携、中ロに誇示 9~10日に米主導サミット
日本・台湾など110カ国・地域招く
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN010EM0R01C21A2000000/

『米政府は9~10日、日本や台湾など110カ国・地域を招待した「民主主義サミット」をオンライン形式で開く。価値観を共有する同盟国や友好国と協調し、権威主義と位置づける中国やロシアに対抗する姿勢を明確にする。招かれなかった中ロは「イデオロギー対立をあおる」などと強く反発している。

ブリンケン米国務長官は2日の記者会見で「いま民主主義が試されている時代なのは事実だ。独裁国家はより有効だと示そうとしているが、それは根本的に間違っている」と力説。サミットに関し「民主主義の素晴らしさと強靱(きょうじん)さは自ら修正できる点にある。世界の民主主義を強化するための協力を検討する」と訴えた。

サミットは2020年米大統領選でバイデン大統領が掲げた公約のひとつ。①権威主義からの防衛②腐敗との戦い③人権の尊重の推進――がテーマになる。政府や民間企業、市民団体なども参加する。22年は対面形式の開催を探る。

米政府は中国の人権弾圧に抗議する姿勢を示すため、22年2月の北京冬季五輪に選手団以外の外交使節団を派遣しない「外交的ボイコット」を検討中だ。国際社会と連携して中国に圧力をかける狙いもあるとみられる。

招待国・地域には日米欧の先進7カ国(G7)やインド、韓国、台湾のほか、台湾と関係を強化するリトアニアも入った。台湾の外交部(外務省)によると、蔡英文(ツァイ・インウェン)総統でなく、デジタル担当相のオードリー・タン(唐鳳)氏が出る。

米国は中国本土と台湾は不可分だという中国の立場に異を唱えない一方、台湾の安全保障に関与する「一つの中国」政策を堅持する。8月に台湾への武器売却を決め、10月には蔡氏が台湾に米軍が駐留していると認めた。米国は国際機関への台湾の参加も訴える。

中国とロシアは批判を強める。中国の秦剛、ロシアのアナトリー・アントノフ両駐米大使は米誌ナショナル・インタレスト(電子版)に連名で寄稿し「冷戦時代の思考の産物であり、イデオロギー対立と世界の分裂をあおり新たな分断を生み出す」と批判。「この動きを断固として拒否する」と強調した。

新型コロナウイルス対策に触れ「グローバルな課題に直面している各国が協調と協力を強化するのが急務だ」と記した。「分断と対立を誘発する価値観外交をやめ、社会システムやイデオロギーなどが異なる国家による調和のとれた共存を呼びかける」とも唱えた。

中国共産党と政府は4日、白書を発表し、中国が「自国の事情に沿った民主制度を実施している」と指摘した。民主主義は一部の国が判断するものではないとの姿勢を強調し、米国を念頭に「説教は受けない」と不快感を示した。

中国の王毅(ワン・イー)国務委員兼外相は招待されなかった国と相次いで協議し、サミットを「内政干渉」と非難した。王氏は11月24日、米国と対立するイランのアブドラヒアン外相とオンラインで協議し「サミットは世界の分裂を策動し、他の国に米国式改造を進めるためだ」と語った。25日には強権姿勢を加速し欧州連合(EU)との溝が深まるハンガリーのシーヤールトー外相とも協議した。

このほか、ロシア製ミサイルの導入や人権問題で米国との緊張が続くトルコを外した。イスラム主義組織タリバンが暫定政権を発足させたアフガニスタン、独裁政権の北朝鮮も不参加だ。

もっとも、国際社会には新型コロナや気候変動など、サミット不参加国とも協力が欠かせない課題が山積する。理念と現実の溝を乗り越える手腕が米政権に問われている。(ワシントン=坂口幸裕、北京=羽田野主)』

トランプ氏系メディア、1120億円調達へ SPAC上場計画

トランプ氏系メディア、1120億円調達へ SPAC上場計画
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN050F60V01C21A2000000/

 ※ 首尾よく、プラットフォーマーになれるのか…。

 ※ それにしても、1120億円調達とは、凄いな…。

 ※ まだまだ、「金主(かねぬし)」を握っていると見える…。

『【ニューヨーク=宮本岳則】トランプ前米大統領が率いる新興メディア企業、トランプ・メディア・アンド・テクノロジー・グループ(TMTG)は4日、複数の機関投資家から10億ドル(約1120億円)を調達すると発表した。同社は特別買収目的会社(SPAC)との合併を通じて株式上場を目指すが、サービスはまだ始まっていない。事業化の行方に注目が集まっている。

【関連記事】[FT・Lex]トランプ氏、メディア会社をSPACで上場

トランプ氏は10月、新しいSNS(交流サイト)サービス「Truth Social(トゥルース・ソーシャル)」の立ち上げを発表した。TMTGが新サービスの運営を担う。1月6日の米連邦議会議事堂への襲撃事件を受けて、トランプ氏はツイッターの利用を禁じられ、9000万人近いフォロワーに直接語りかける手段を失った。フェイスブックやユーチューブからも排除された。

TMTG会長のトランプ氏は4日の声明で「10億ドルは検閲や政治的差別を終わらせるべきだ、という重要なメッセージをビッグテックに伝えるもの」と指摘した。さらに財務体質の強化で「ビッグテックの暴政に対抗する」と述べ、シリコンバレーへの敵意をむき出しにした。

TMTGは、米ナスダック市場に上場するSPAC「デジタル・ワールド・アクイジション」との合併を計画している。SPACとは有力企業の買収のみを目的とした「空箱」のような会社だ。合併後はTMTGが存続会社となり、株式市場で売買できるようになる。デジタル・ワールドは10月の合併発表時に、TMTGの企業価値を8億7500万ドルと評価した。

デジタル・ワールドの株価は合併計画の発表を受けて急騰した。足元でも上場時の価格(1株10ドル)を大きく上回る50ドル台で取引されている。個人投資家とみられる買いが株価を大きく押し上げている。

TMTGは今回の資金調達で普通株に転換可能な優先株を発行する。引受先の投資家名は明らかにしなかった。資金は合併完了時に払い込まれる。デジタル・ワールドがナスダック上場時に調達した分を含めて、合計約12億5000万ドルを「トゥルース・ソーシャル」の立ち上げなどに充てるという。

TMTGは「トゥルース・ソーシャル」の詳細な事業計画を公表していない。10月のプレスリリースでは、政治的イデオロギーによる差別のない会話を可能にする、と説明した。11月にベータ版アプリの提供を始めるとしていたが、米テレビCNBCによると、12月1日時点でまだ利用できるようになっていない。

上場計画を審査する米証券取引委員会(SEC)の判断にも注目が集まる。米民主党のウォーレン上院議員はSECのゲンスラー委員長に書簡を送り、トランプ氏とデジタル・ワールドの取引に法令違反の疑いがあるとして調査を求めた。』

米、北京五輪の外交ボイコット週内発表へ CNN報道

米、北京五輪の外交ボイコット週内発表へ CNN報道
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN061OL0W1A201C2000000/

 ※ 日本としては、困ったな…。

 ※ いや、もう「根回し」or 「談合」済みなのか…。

 ※ 日本側の反応で、ある程度は分かるだろう…。

『【ワシントン=坂口幸裕】米CNNは5日、バイデン米政権が週内に2022年2月の北京冬季五輪に選手団以外の外交使節団を派遣しない「外交的ボイコット」を発表する見通しだと報じた。米政府が懸念する新疆ウイグル自治区などでの中国の人権弾圧に抗議する狙いがある。

バイデン米大統領は11月中旬に北京冬季五輪をめぐり外交的ボイコットを検討していると明らかにしていた。選手団は通常通りに派遣される見通しだ。バイデン政権は日本や欧州などの同盟国・友好国に同調を求めず、各国が個別に判断すべきだとの立場だ。国際社会がどこまで追随するかが焦点になる。

米欧は中国によるウイグルやチベットでの人権侵害、香港での民主化勢力の弾圧などを問題視してきた。バイデン氏は11月15日に中国の習近平(シー・ジンピン)国家主席とオンライン形式で協議した際にも中国の人権侵害について懸念を伝えた。

過去の五輪では、東西冷戦時代の1980年に米国や日本など一部の西側諸国がモスクワ夏季五輪に選手団も派遣しない全面的なボイコットに発展した。当時のカーター米政権がこの前年にあった旧ソ連のアフガニスタン侵攻を批判し、不参加を呼びかけた。

【関連記事】

・中国「北京五輪、予定通り開催」 開幕まで2カ月
・北京五輪「外交的ボイコット」提言へ 自民保守系 』

「How the RAN can get eight nuclear submarines by 2038」

Bradley Perrett 記者による2021-12-1記事「How the RAN can get eight nuclear submarines by 2038」
https://st2019.site/?p=18061

『この記事を書いているのは豪州人だが、アデレードの造船所でこれから原潜を建造するなどというのは夢物語であり、2040まで1隻も仕上がらないことは確実だとする。

となれば次善オプションは何か。米国か英国に建造を頼むしかない。そして、年に2隻のSSNを量産できている米国の方が、まちがいなく英国よりも供給力に弾撥性があるとする。

 ※この具体的な数字に満ちた論評記事を読むと、いったい英国政府は豪州政府に何をさせたかったのだろうかという、ふりだしの疑問にまた戻ってしまう。

ひとつだけ確かに思えるのは、英政府は仏政府とは将来の機微情報の共有はできないとハッキリ見通している。

だから仏原潜を豪海軍が買えばいいというオプションは排除された。

そしておそらく、大型の非核動力潜水艦であっても、情報系艤装と兵装制御系艤装に仏系機材が使われて行けば、やがて、(戦略級)防衛機微情報の米英豪間コントロールという点でどうしてもまずいことになると予想したのだろう。

つまり2040以前の短期の課題――たとえば中共を監視し実戦で亡ぼすこと――よりも、むしろその先の一層長期の《世界経営》の方を重視したいのだろう。

このことは、英政府としては中共体制がまもなく自滅に逢着することはもはや未来史の必然にすぎないと見切っていることも意味するのかもしれない。』

「Updated B61 nuclear warhead enters production」

Aaron Mehta 記者による2021-12-3記事「Updated B61 nuclear warhead enters production」
https://st2019.site/?p=18045

 ※ 硬軟取り混ぜて、圧迫してきたな…。

『米国原子力安全委員会NNSAは、投下水爆の最新型である「B61-12」の量産に入ったと声明した。木曜日に。

 NNSAは、米エネルギー省の中にある。核兵器の開発を総合監督するのは国防総省なのだが、核弾頭の製造はNNSAの直轄になっている。

 「B61」投下水爆には「-3」「-4」「-7」「-11」というバージョンがあった。このたびの「B61-12」は、それら古い4バージョンをすべて更新するものである。コアも新型だし、爆弾全体のデザインも新しい。
 正確さが増し、出力は加減して抑制することが可能になっている。

 「B61-12」は、F-15戦闘機、F-16戦闘機、そしてB-2爆撃機から投下できる。NATOの同盟国も、ロシアが核攻撃してきたら、米国から「B61」を供給されて、それを自軍の戦闘機によってモスクワに落とすことができる。

 FY2025からは、巡航ミサイル用の改良核弾頭である「W80-4」の量産が始まる。FY2030からはICBM用の改良核弾頭である「W87-1」の量産も始まる予定。

 ※オーストラリアよりもGDPが小さくなりそうな趨勢のロシアが何ゆえに米国に対していつまでも虚勢を張っていられるのかというと、「対米戦略核パリティ」と「戦術核の脅し」。

これがある限り、米国大統領は、ロシアが何をしようが黙認するしかないのである。そしてロシアの独裁政権は、プロスペクト理論の内政への応用によって、半永久に安泰でいられる。

習近平は、このプーチンの真似をするのが一番いいと決心した。米国は、せいぜい「B61」の宣伝をすることで、抑止を図るしかない。』

中国「質の高い民主主義を実践」主張 米バイデン政権に対抗か

中国「質の高い民主主義を実践」主張 米バイデン政権に対抗か
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211204/k10013374721000.html

 ※ 方や、110か国を招待してのオンライン会議…。

 ※ 方や、「中国の民主」と題する「白書」の公表…。

 ※ インパクトが、全然違う…。

 ※ 中国側も、オンライン会議の招集が、できなかったのか…。

 ※ 「真の民主サミット」とかなんとかと称してな…。根回しが、間に合わんかったのか…。

『中国政府は、中国は質の高い民主主義を実践してきたなどと主張する新たな白書を公表しました。

アメリカのバイデン政権が今月、友好国などを招いて「民主主義サミット」を開くのを前に、独自の主張でこれに対抗するねらいがあるとみられます。
中国政府は4日、記者会見を開き「中国の民主」と題する白書を公表しました。

白書では「中国の近代化では、西洋の民主主義モデルをそのまま模倣するのではなく中国式民主主義を創造した」としたうえで、中国は独自に質の高い民主主義を実践してきたと主張しています。
そのうえで「民主主義は多様なものであり、国によって形態が異なるのは必然だ」として「国が民主的かどうかは、その国の国民が判断することで、外部が口を挟むことではない」などと主張しています。

記者会見で、中国政府で対外宣伝を担う国務院新聞弁公室の徐麟主任は「民主主義は少数の国家の専売特許ではない」と強調し「アメリカは民主主義のリーダーだと自慢しているが、実際は民主主義を掲げて、社会制度や発展モデルが異なる国々を抑圧している」と非難しました。

アメリカのバイデン政権は、中国を「専制主義国家」と位置づけて批判を強める中、今月9日から2日間の日程で友好国などおよそ110の国や地域の首脳などを招いて「民主主義サミット」を開催する予定です。

中国としては、これを前に中国には中国の「民主主義」があると独自の主張を強め、アメリカに対抗するねらいがあるとみられます。』

中国、米の民主主義批判 サミット前に「自省せよ」

中国、米の民主主義批判 サミット前に「自省せよ」
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021120500375&g=int

※ 相当、追いつめられている印象だな…。

『【北京時事】中国外務省は5日、「米国民主主義の状況」と題する文章を発表した。米国内の人種差別や新型コロナウイルスのまん延などを根拠に「米国は民主主義の優等生ではなく、自省する必要がある」などと批判。中国政府は米国が9、10の両日に開く「民主主義サミット」に神経をとがらせ、対米批判を強めている。

中国、独自の「民主」強調 白書公表、米けん制

 文章は、米国の選挙は多額の資金が必要で、「1人1票」を唱えながら実際は「少数エリートによる統治」だと指摘。米国は民主的価値を旗印に世界中で「内政干渉や政権転覆、親米政権への支援」を行い、各地で混乱や衝突、戦争を引き起こしていると非難した。民主主義をめぐる「グループ政治や陣営対立」にも反対した。 』

中国、独自の「民主」強調 白書公表、米けん制

中国、独自の「民主」強調 白書公表、米けん制
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021120400386&g=int

『【北京時事】中国政府は4日、「中国の民主」と題した白書を公表した。共産党主導の「中国式民主主義」の特色と成果を強調する内容で、米国主催で近く開かれる「民主主義サミット」を意識したとみられる。

中国女子テニス選手、消息絶つ

 白書は2万字超から成り、「民主主義は全人類共通の価値観で、党と国民が一貫して守ってきた重要な概念だ」と主張。民主主義には国の歴史・文化に根差したさまざまな形態があるとした上で、党の指導による民主主義追求の歴史や、人民代表大会制度の有効性などを説明している。 』

中国、外交ボイコット論に予防線「招待していない」

中国、外交ボイコット論に予防線「招待していない」
https://www.sankei.com/article/20211204-FX6BBLSLCBNHTCD3ATMDVOH6MI/

『【北京=三塚聖平】北京冬季五輪開幕まで4日で2カ月となった。新型コロナウイルスの新変異株「オミクロン株」の世界的な流行が懸念される中、中国当局は感染防止対策を五輪成功の鍵と位置付けて警戒を強めている。米欧諸国の一部が首脳や政府使節団を送らない「外交的ボイコット」を検討していることに対しては、コロナ対策を理由に「外国の賓客の招待は制限している」と予防線を張るような動きも見せている。

11月末、北京市内の国家体育場(通称・鳥の巣)周辺を訪れると、柵が置かれるなどして封鎖されていた。来年2月4日に開幕する冬季五輪の開閉会式の会場となるが、11月25日から来年3月20日まで一般市民の立ち入りが禁じられた。中国当局は「準備作業のため」と説明するが、コロナ対策の強化も狙いとみられている。

中国各地では10月からインド由来の変異株「デルタ株」の感染が広がり、北京市は11月中旬から市内に入る全ての人を対象に、48時間以内に受けたPCR検査の陰性証明の提示を義務付けた。国家の威信をかけた五輪開催を控え、わずかな感染拡大も許さない「ゼロコロナ」政策を堅持する姿勢を強めている。

注視するのはオミクロン株の流行状況だ。中国本土では4日午後の時点で感染報告はないが、北京冬季五輪組織委員会の趙衛東新聞宣伝部長は3日、「防疫面での安全がなければ五輪成功はない」と強調。オミクロン株について「重大な注意を払い、北京五輪に与える影響を評価しているところだ」と述べた。

観客は中国本土在住者に限ることが決まったが、チケットの販売方法などはまだ明らかにされていない。

習近平政権が神経をとがらせているのがボイコット論だ。米国や英国などは、中国の新疆(しんきょう)ウイグル自治区の人権問題などを理由に外交的ボイコットを検討する。

共産党機関紙、人民日報系の環球時報は11月30日付で、北京冬季五輪に関して「もともと、米国の政治屋を招待していないし、外国の賓客を大掛かりに招く計画もない」とする大会関係者の話を伝えた。コロナ対策を理由とするが、それを口実として米欧の外交的ボイコットが実現した際に備える狙いもうかがえる。

一方、中国は外務省のホームページで、中国外交トップの楊潔篪(よう・けつち)共産党政治局員と2日に会談した韓国の徐薫(ソ・フン)国家安保室長が、北京五輪の成功に向けて支持を表明したと伝えた。』

仏ゼムール氏、襲われ負傷 極右の大統領選候補、集会で

仏ゼムール氏、襲われ負傷 極右の大統領選候補、集会で
https://www.sankei.com/article/20211206-UZNBODALOJITZNZZUVJAZOZ7QI/?ownedutm_source=owned%20site&ownedutm_medium=referral&ownedutm_campaign=ranking&ownedutm_content=%E4%BB%8F%E3%82%BC%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%AB%E6%B0%8F%E3%80%81%E8%A5%B2%E3%82%8F%E3%82%8C%E8%B2%A0%E5%82%B7%20%E6%A5%B5%E5%8F%B3%E3%81%AE%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98%E9%81%B8%E5%80%99%E8%A3%9C%E3%80%81%E9%9B%86%E4%BC%9A%E3%81%A7

『来年4月のフランス大統領選への出馬を表明した極右評論家エリック・ゼムール氏が5日、パリ近郊ビルパントで開いた選挙集会で男に飛びかかられ、手首を捻挫した。男は当局に拘束された。会場では抗議行動をした反人種差別団体のメンバーがゼムール氏の支持者らに暴行を受け、5人が負傷した。

反移民や反イスラム教の主張を唱えるゼムール氏は11月30日に出馬を表明し、今回が初の正式な選挙集会だった。会場で支持者らの間を通って登壇した際、途中で男に飛びかかられた。

一方、市民団体「SOSラシズム」のメンバーがゼムール氏の演説が始まった際に、会場の後方で「人種差別反対」と訴える抗議行動を実施。これに対しゼムール氏の支持者らが殴ったり、いすを投げ付けたりした。ゼムール氏は状況を把握していたかは不明だが、そのまま演説を続けた。

顔面が血にまみれた女性メンバーはテレビの取材に「平和的な行動だった」と暴力を非難。ゼムール氏の陣営は「挑発しに集会へ来るべきではない」と主張した。(共同)

自分は優れていると信じ込んだ人は、「専門家の意見より自分の考えの方が正しい」と考えたりする…。

自分は優れていると信じ込んだ人は、「専門家の意見より自分の考えの方が正しい」と考えたりする…。

「人がワクチン接種を拒否するのは一体なぜ?」を心理学者が解説 – GIGAZINE
https://gigazine.net/news/20211205-delay-vaccinated-denial-covid/

『ワクチンの接種を受けることをためったり拒否したりする「ワクチン忌避」は、新型コロナウイルス感染症の発生前からWHOによって「世界的な健康に対する脅威」のトップ10の1つに指定されているほど、公衆衛生の重大な課題となっています。そこで、人がワクチン接種をためらう理由について、心理学の専門家が解説しました。

Why do some people delay getting vaccinated or pretend COVID doesn’t exist? Paradoxically, denial of death
https://theconversation.com/why-do-some-people-delay-getting-vaccinated-or-pretend-covid-doesnt-exist-paradoxically-denial-of-death-168485

オーストラリアで行われた調査の結果、「ワクチンの接種を受ける可能性はない」もしくは「可能性は低い」と回答したオーストラリア人はわずか9%だったことから、同国のメディアは「ワクチンに対して恐怖を覚える人は記録的な少なさとなった」と報じました。
しかし、オーストラリアのシドニー工科大学で心理学を教えているロス・メンジーズ教授と、同校の臨床心理士であるレイチェル・メンジーズ氏によると、オーストラリアでは医療従事者をはじめ教師や建設労働者など幅広い職業でワクチン接種が義務づけられているため、前述のアンケートでは「ワクチンの接種に忌避感を覚える人が少なくなった」とは言えないとのこと。

またオーストラリアでは、ワクチンの接種が済んでいない人がジム・プール・小売店・美容院・ネイルサロン・パブ・動物園・映画館・劇場・美術館・ギャラリーなどに立ち入ることが禁止されています。こうした厳しい制限措置は、そこまでしなければオーストラリアでワクチンの接種者が増えないことの裏返しだと、メンジーズ氏らは指摘しています。
WHOは、ワクチン忌避が発生する原因の1つは「現状に対する満足感」であるとしています。2021年11月の時点で、新型コロナウイルス感染症により世界で500万人が命を落としているという現状は、とても満足できるようなものではないように思えますが、この矛盾は「恐怖管理理論(Terror management theory)」という理論で説明がつくとのこと。

「恐怖管理理論」とは、死という耐えがたい恐怖から逃れようとしている人は、「自分は正しくて優れている特別な存在だ」と考えるという理論です。例えば、恐怖管理理論について検証した164件の論文をメタアナリシスにより分析した2010年の研究では、死について考えた人は自分の自由や文化的・宗教的信念を守ろうとする防衛反応を見せることが分かっています。

自分は優れていると信じ込んだ人は、「専門家の意見より自分の考えの方が正しい」と考えたり、「他人は死ぬかもしれないが自分はきっと死なないはず」と思ったりします。実際に、新型コロナウイルス感染症の被害が最も大きいアメリカで実施された調査により、何らかの宗教を信じているアメリカ人の55%が、程度の差はあるものの「神がウイルスから自分を守ってくれる」と考える傾向を持っていることが判明しました。

死への恐怖を紛らわせるために自分の正しさや特別さに固執した結果、その人はワクチン接種の重要性を説く科学者の意見が受け入れられなくなり、死のリスクを低減させるはずのワクチンに対しても拒否感を覚えるようになります。このことからメンジーズ氏らは、「人々が自分自身の本当の姿を見ようとしない限り、ワクチン接種へのためらいは公衆衛生上の問題であり続けるでしょう」と結論づけました。』

孔鉉佑

孔鉉佑
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%94%E9%89%89%E4%BD%91

『孔 鉉佑(こう げんゆう、簡体字: 孔铉佑、発音:コン・シュエンヨウ[1]、朝鮮語: 공현우、発音:コン・ヒョヌ、1959年7月 – )は、中華人民共和国の朝鮮族出身の外交官。中華人民共和国外交部副部長兼朝鮮半島事務特別代表、中国人民政治協商会議委員を経て、第12代駐日中華人民共和国特命全権大使として日本に駐在する[2]。』

『人物・経歴

黒竜江省出身[1]。黒竜江省林業勘察設計局勤務を経て、上海外国語大学日本語科で日本語を専攻し、1983年に卒業後[3]、外交学院入学。中国外務省に入り外交官の道を歩む。日本での勤務経験も10年を超える[4]。

1985年在大阪中華人民共和国総領事館職員。外交部アジア局三等書記官、駐日中華人民共和国大使館二等書記官、駐日中華人民共和国大使館一等書記官等を経て、1999年外交部アジア局一等書記官。2000年開封市長助理。2002年外交部政策研究室参事官。2003年外交部アジア局副局長。2005年駐日中華人民共和国大使館公使参事官。2006年駐日中華人民共和国大使館公使。2011年駐ベトナム特命全権大使。2014年外交部アジア局長[1]。2015年、外交部長助理に昇格。2017年8月、朝鮮半島問題特別代表に武大偉の後任として就任。同年12月13日には、国賓として来訪した文在寅大韓民国大統領を空港で出迎える役を担ったが、「大臣ではなく外務次官補が出迎えたのは冷遇である」として韓国内で議論となった[5]。

2018年1月2日、外交部副部長に昇格。同月中国人民政治協商会議委員に選出[6]。 』

『駐日大使として

2019年5月30日、程永華の後任として日本へ赴き、駐日中華人民共和国大使に就任[2]。同年6月7日、皇居で信任状を捧呈した[7]。同年10月22日、皇居正殿松の間で今上陛下の即位礼正殿の儀が執り行われ[8]、王岐山国家副主席と共に参列[9]。

2020年1月8日、安倍晋三内閣総理大臣が日本語を話す駐日各国大使18名および次期駐日大使1名を総理公邸に招いて昼食会を主催したが、孔大使も参加した各国大使のうちの一人であった[10]。

2020年5月28日、第13期全国人民代表大会第3回会議において香港の民主派への取り締まりを可能にする香港特別行政区が国家安全を守るための法律制度と執行メカニズムの確立・健全化に関する全国人民代表大会の決定(香港国家安全法制)が賛成票99.7%で採択されたことにより、これまで一国二制度のもと2047年までの期限付き(中国語版)で担保されていた香港における言論の自由や高度な自治の有名無実化が不可避となった[11]。

これを受けて同日、秋葉剛男外務事務次官が孔大使を呼び出し、香港における自治権の事実上の剥奪や香港情勢に対する憂慮を表明した上で、従来の通り自由で開かれた一国二制度を維持することを重視する姿勢が日本の一貫した方針であると伝達した[12]。

秋葉外務次官が挙げた懸念に対して孔大使は、同決定はあくまでも中華人民共和国憲法と香港基本法に則った正当な審議を経て採択されたものであり、中国がいかなる外部勢力からの干渉にも反対する立場であることを断言した上で、日本に対して香港の件で客観的かつ公正な立場を取り、国家の安全を守る中国の努力を尊重、支持することを強く求めた[13]。 』

朝鮮族

朝鮮族
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%97%8F

『朝鮮族(ちょうせんぞく、조선족)は、中華人民共和国(以下、中国)の民族識別工作にて定義される中国の少数民族の一つ。』

『概要

中国の国籍を所有し、かつ中国戸籍法に基づく戸籍上の民族欄に“朝鮮”と記載(登記)されていることが朝鮮族と見なす条件である。したがって、中国に居住する朝鮮民族で、永住権を所有していても中国の国籍を持っていない者、あるいは戸籍上の民族欄に“朝鮮”と記載されていない者は朝鮮族とは定義されない。

中国以外の国や地域では、朝鮮民族でありながら中国国籍所有者であることを明確にするために、朝鮮族は中国朝鮮族もしくは朝鮮系中国人(조선계 중국인)と呼ばれ、朝僑と呼ばれる北朝鮮国籍を放棄して中国国籍を取得した朝鮮族も存在する[2][3]。

中国では、地方政府の戸籍資料、公式メディア、学術論文等に使用される民族の称呼に関して、非正規表現の一文字略称を用いることが実務的に許可される。その場合、「維」でウイグル(維吾爾)族、「蒙」でモンゴル(蒙古)族を表すように、「鮮」で朝鮮族を表現する。 』

『分布と現状

中国朝鮮族の総数は、第5次(2000年)人口調査によると約192万人で、第6次(2010年)人口調査によると約183万人と減少した。中国56民族の中に、人口絶対数が減少した民族は朝鮮族と満州族だけである。現在の人口減少傾向が続くと、30年で半減する可能性がある[4][1]。特に朝鮮族の民族自治地域である延辺朝鮮族自治州の少子高齢化・人口流出・農村の過疎化などの問題が深刻である[5]。

朝鮮族の人口は約230万の韓国系アメリカ人よりは少ないが、朝鮮半島以外では二番目の朝鮮民族コミュニティーといえる。中国国内での分布は中国東北部(旧満洲)に集中し、中でも吉林省に約120万人が居住し、吉林省南部の延辺朝鮮族自治州(首府延吉市)に約80万人が集中している。延吉市には、中国語と朝鮮語で教育を行う延辺大学も設置されている。

このほか、黒竜江省に約45万人、遼寧省に約25万人、内モンゴル自治区に約2万人が分布し、関内(山海関以内)の北京、天津、青島、上海などの大都市にも進出している。各地の朝鮮族集住地区には、行政的に朝鮮族自治県(吉林省長白朝鮮族自治県)や、多くの朝鮮族郷・鎮が設置されている(リンク参照)。これら東北三省の首府には、朝鮮族の学校や放送局、新聞社、出版社などが設置されて、朝鮮語の普及を図っている。

脱北者を売り飛ばすためにブローカーしている者や、中華人民共和国に従って、脱北同胞を保護しないなど、他の外国籍朝鮮民族より、自己の利益や自国(中華人民共和国民)を優先する傾向がかなり強い。サッカーの応援でも中華人民共和国を応援することに韓国や北朝鮮では批判がある[6]。また、サッカー選手の例を見れば、朝鮮族の選手は延辺のチームに所属する以外なら他の中国のクラブに所属する選手が多く、韓国のKリーグのクラブに所属する選手は少ないと同時に、一般人でも延辺を中心とした東北三省か中国の大都市で働く者が多く、韓国で働く者は少ない。

2020年10月、アメリカの大学に進学する全世界の学生が使用するSATとAPの教科書が、歴史上ほとんどの期間、朝鮮は中国の植民地だったと記述していることがJTBCニュースルームの取材で明らかになったが[7]、JTBCニュースルームによると、百度が運営する百度百科でも、尹東柱や尹奉吉や安重根や金九が朝鮮族と表記されており、尹東柱は国籍も中国籍になっている[7]。朝鮮族が中国籍を取得したのが1954年であることを勘案すれば、事実関係が間違っており、これらの独立活動家が満洲、上海、吉林省に居住して独立活動を行っていたためとみられるが、この場合、朝鮮の抗日運動が中国の抗日運動の歴史に編入されることになる[7]。

韓国における根深い差別問題

韓国には朝鮮族全体を「韓国人に混じって、いつ中国政府が追求する国家的プロパガンダに同調するか分からないエージェント」とみなす風潮がある。『ハンギョレ』は中国びいきの韓国人に朝鮮族疑惑が湧くことに「韓国社会の根深い人種差別が反映された結果」と報道している[8]。中国と大韓民国(韓国)の国交樹立以来、韓国人との接触が増え、韓国に出稼ぎに行く朝鮮族も多い。韓国では、中国の朝鮮族に好意的な者は在中同胞(재중동포)と呼び、彼らは在韓中国朝鮮族は中国同胞(중국동포)や中国僑胞(중국교포)と呼ぶ。韓国に留学する朝鮮族も多く、2か国語を話せることを武器にしている[9]。少子化晩婚化や流入する漢民族との同化などにより、21世紀に入ってから2010年までに延辺では7割超も朝鮮族の教育機関と生徒は激減している[10]。韓国など積極的な外国への移住により、朝鮮族は約180万人の人口のうち100万人も海外に流出している[11]。ただし、韓国で出稼ぎしてから中国の自治区に帰る者も少なくない。これは朝鮮族への韓国人の差別が根深く過酷なために、韓国は金銭だけ稼ぐ場所と認識されており、自治区の方が住みやすいと広く理解されているからである[12]。』

『歴史

朝鮮族の住居室内

朝鮮民族は古くから満州の開拓・発展に深く関わってきた歴史を持つが、中国が定義する朝鮮族の範疇は、あくまで民族識別工作の結果によるものであって、必ずしも朝鮮民族が満州にて活躍してきた長い歴史的経緯を反映していない。朝鮮族の歴史は満州(今は中国領)に発生した朝鮮民族の歴史の一部に過ぎないが、文化的・血統的な見地からでなく、朝鮮族が明確な法的・政治的定義を持つ集団であるという立場から、朝鮮族の歴史を語るべきである。

日本で良く知られる豊臣秀吉の朝鮮派兵(文禄・慶長の役)の際に明軍を率いて日本軍を迎撃した李如松、その父にあたる満州の実質上統治者-明朝の遼東総兵こと李成梁について、中国鉄嶺市政府が李氏一族を朝鮮半島からの移民という見地から、朝鮮族や朝鮮族の末裔と見なしている[13]。李成梁の出自(世家)を“李成梁是朝鲜族后裔。他在朝鲜的先祖可查四代”と公式見解を示している。

朝鮮語の雑誌「延辺文芸」の表紙

清朝の初期に、多くの朝鮮人(戦争捕虜、連行された民間人、移民)が満州族の八旗組織に取り組まれたため、満州族の苗字の中に少なくとも45個の朝鮮苗字が存在する[14]。朝鮮出身の高級官僚・地方役人が清朝の中枢(上3旗、内務府3旗)に集中し、牛録(ニル、清朝の軍事・行政共同体単位)を指揮管理する朝鮮(高麗)佐領が多数いた。また、朝鮮人だけで組織される牛録が、正黄旗満州旗に2つ、正紅旗満州旗に4つ、計6つもあり、軍勢の数は数万人に上った[15]。

1744年に編纂された「八旗満州氏族通譜」に既に43個の朝鮮苗字(氏族)が記載されている。清の初期に満州に取り込まれた(来帰)朝鮮人は、人材が輩出する名門・貴族となり、満州民族社会の運営のみならず、清国の拡張に関わる重要な戦役に大きな功績を残した[16]。特に遼西攻略、蒙古南部制圧、李自成撃滅、陝西、四川、浙江、福建省の征伐、並びに台湾征伐(鄭成功の海軍撃破)において輝かしい戦績を残し、満州族の中国支配に貢献した[17][18]。

朝鮮半島の出自が清朝の公式文献に明記されたにも関わらず、これら朝鮮人の末裔は、朝鮮民族の言語をうまく使えないことから、ほとんどが満州族や漢族に識別・認定された。しかし、満州族から朝鮮族へ、または漢族から朝鮮族へ、族籍を改めるケースもある。

新羅時代に遡る朴という姓をもつ通称「朴氏朝鮮族」は、明の末(清の初)の捕虜や拉致被害者として清国に住み続けてきた。清朝の時は満州族、中華民国の時は漢族と見なされたが、50年代に族籍改正を申し出た後、中国の民族識別工作により、1982年にやっと朝鮮族として認定された。河北省青竜県、遼寧省蓋県、本渓県から合わせて2000名足らずの朝鮮人の末裔が、3世紀半の歳月を経て朝鮮民族に復帰したというエピソードがある[19]。強い民族意識や、農耕文化、氏族の絆と内向的吸引力、逆境において起こる抵抗心理等が民族を守ったと分析される[20]。

中国政府に正式に認定された朝鮮族に限っても、朝鮮族の歴史は明末清初に遡り、少なくとも400年という上限が成立し、決して“清朝末期から100年余り”のような短いものではない。

満州に居住する朝鮮人を中国の一つの少数民族と見なした最初の公式文献は、1928年中国共産党第6回全国代表大会に可決された議案「民族問題に関する決議」[21]である。決議の中に少数民族を“北部之蒙古、回族、満州之高麗人、、、”の順で定義している。

清代初期に、満洲人が中国を征服すると、彼らは大挙して中国本土に移住し、また清朝は満洲を祖先の地として漢民族の移民を禁止したので、清代を通じて満洲は人口希薄地帯となった。一方、この時代の朝鮮では農村が疲弊して逃散する農民が多く、これらの窮乏農民が次第に豆満江(中国では図們江)を越えて満洲に入り込み、焼畑などを行うとともに、野生の朝鮮人参の採集などに従事した。その数は時代が下るにつれて増加し、清朝と朝鮮の国境紛争も発生した。朝鮮では、豆満江を越えた朝鮮人居住地を間島(カンド)と呼び、鴨緑江を越えた朝鮮人居住地を西間島(ソカンド)と呼んだ。清領への朝鮮人の流入は、特に1860年代に朝鮮半島北部で起こった大凶作と、1885年の満洲への移民禁止の撤廃をきっかけに、爆発的に増加した(闖関東)。

近代になって、李氏朝鮮(大韓帝国)が日本に併合(韓国併合)されると、日本の武力を背景として朝鮮農民がさらに満洲に流入した。1932年に日本の影響下で満洲国が成立すると、日本の移民政策もあって、新天地を求めて満洲国に渡る朝鮮人がまたもや激増した。この時は間島地区だけに限らず、満洲全域に様々な職業の朝鮮人が拡散した。

満洲国の朝鮮人人口は一説に300万人とも言われるが、満州帝国国務院総務庁統計処「現住戸口統計」等の公式資料を引用した「満州国人口統計の推計」「各年度民族別人口」[22]を参照すると、1942年に満州にいた朝鮮人の人口は約160万であった。(当時の統計手法は台湾人を朝鮮人と分類していたので、160万人の中には台湾人も含まれる。)

満洲国の崩壊と朝鮮の独立並びに朝鮮戦争の勃発によって多くの朝鮮人が帰国したが、約100万人が中国内に残留し、これが今日の朝鮮族の起源の一つとなった。多くの朝鮮族は日本統治下から中国へ移住したというルーツを持つ。

第2次世界大戦終結後の1年間で約100万人前後が朝鮮に帰国した[23]。しかし延辺の居住者のほとんどは満州事変以前に移住し、すでに定着したため朝鮮に引き揚げることは少なかった[23]。また朝鮮に戻っても財産も生活の場も無い、経済的な理由、徴兵された息子を待ち続けるため等の事情から東北部に残る人も多かった[24]。

国民党との対立や内戦で弱い立場に置かれ、東北地区居住朝鮮人の支持を必要としていた中国共産党は、中国東北部に留まる朝鮮人に定住を勧めた[25]。戻れない朝鮮人にたいしては「帰農運動」を展開し、土地を分配するなど積極的な定住条件を創出した[25]。また朝鮮人と中国人の民族矛盾に対し、中国共産党は両民族にお互いに偏見を解消して団結するように絶えず工作を行った[26]。

中国共産党の発表によれば、国共内戦期に中国共産党軍に参加した朝鮮人は6万4942人であり、戦死者は3943人であった[27]。その他に、担架隊、運輸隊に参加した者は延辺だけでも30万2300人に達した[27]。1947年5月当時、第4野戦軍の15~20パーセントは朝鮮人が占めていた[27]。延安幹部は「民族関係を改善するため、まず、東北地区居住朝鮮人大衆に頼った。当時延辺の人口のなかで朝鮮人が8割以上を占め、彼らの革命精神は非常に強かった。それ(朝鮮人の支持)に頼って、政権を強固にし、武装を拡大したのは正しかった。事実上朝鮮人の武装は比較的安定し、新政権の柱の役割を果たした」と評価した[26]。一方で、建軍の初期から軍隊内部の民族傾向が強いと批判されている[28]。

朝鮮戦争以降

朝鮮戦争が勃発すると、延辺では戦場に行くことを希望して入隊を申請した男女が1万9394人に達した[29]。入隊志願者のほとんどは中国人民志願軍に従軍し、合計2万余人が参戦した[29]。ちなみに中国の朝鮮戦争への参戦とともに開始された抗米援朝運動において、 吉林省延辺朝鮮自治州の朝鮮族だけでも青年4万6000人が参戦している。これらは韓国でも知られており、中華人民共和国のために韓国滅亡に共助したことで朝鮮族全体が憎悪される根深い差別の原因となっている[30]。2021年時点でも韓国国内ではいつ中国政府側に立って、韓国を裏切るか疑わしい集団とみなされている[8]。

彼らの多くは朝鮮の地理と言語に詳しかったため、各中隊に連絡員として配属された[29]。彼らは朝鮮戦場における道先案内、宿営地調達、敵情偵察、対民衆宣伝、交渉などにあたり、これによって中国軍の偵察力、兵站の充実、夜間戦闘の卓越および追撃速度を高めた[29]。

1949年1月21日、民族工作座談会が開催された[31]。延辺専員公署専員を務めていた林春秋を代表とする側は、延辺を北朝鮮に帰属させ、東北地区居住朝鮮人問題を根本的に解決しようと主張した[31]。ソ連から帰還した林民鎬を代表とする側は、朝鮮人が中国で血を流し命を捧げた事実とソ連の実例を挙げながら、延辺にソ連式の加盟共和国を成立させることを主張した[31]。民族事務所長の朱徳海は「東北地区居住朝鮮人は100年前から中国に定着して中国人および他民族とともに荒蕪地を開拓し、共同して日本と戦ってきた。中国共産党が指導する自治を実施してこそ、東北地区居住朝鮮人は隆盛し発展することができる」と述べ、中国の領内における自治を提案した[31]。会議はまとまらず、半月も続けられたが、朱徳海の提案は中共吉林省委の支持を得て中共中央も高い関心を寄せ、中国共産党と中央人民政府の指導下に充分な民族自治権利を享受することでようやく一致し、民族工作座談会は閉幕した[32]。

中華人民共和国が成立すると、中国共産党は1952年、民族区域自治実施要綱を発表し、55の国内少数民族に自治権を付与した。これに伴い、吉林省南部に延辺朝鮮族自治区が誕生し、1955年には延辺朝鮮族自治州と改名され、自治州の州長には朝鮮族が就任している。首府・延吉には、朝鮮族のための高等教育機関である延辺大学も設置されている。

1990年代の中韓国交樹立以降、韓国へ移住または出稼ぎに行った朝鮮族は急増したため、朝鮮族村の高齢化・過疎化が目立ちになった。また、特に延辺朝鮮族自治州での朝鮮族の出生率は急落しているため、朝鮮族の人口が減少傾向を示しつつある[5]。

朝鮮族の出身地

20世紀初頭には、満洲地区の朝鮮人はほぼ10万人いたと推定される。日本が朝鮮を併合して、満洲を勢力下に置き、五族協和を押し進めた20世紀の前半に、朝鮮総督府の政策で、朝鮮半島の北部の朝鮮八道でいう咸鏡道・平安道の朝鮮人を現在の中国の吉林省へ送り、南東部の慶尚道の朝鮮人を黒龍江省へ、南西部の全羅道の朝鮮人を遼寧省へ送り、それぞれの地域で約20万人、合計で約60万人の朝鮮人が移住したといわれている[33]。在満洲朝鮮人の大部分は水田開拓・稲作に従事したが、製鉄所・炭坑などで働く人たちもいた。

朝鮮の独立とともに多くは帰国したが、満洲に残留した者も多く、その子孫が現在の中国東北部の朝鮮族の主体となっている。現在も朝鮮族が多く住む黒竜江省のハルビン市、チチハル市、ジャムス市、吉林省も延辺朝鮮族自治州、吉林市、遼寧省の瀋陽市、鞍山市など、各地での朝鮮族の朝鮮語方言(中国朝鮮語)や食習慣・日常習慣は上の述べた朝鮮半島の出身地の方言・習慣を色濃く反映している。

中国朝鮮族の教育

朝鮮族は居住地や家族環境によって主に使う言語が異なるが、基本的には中国語・朝鮮語両方を学んでいる。中国朝鮮族の教育レベルは中国平均より高く[34]、漢族を含む人口100万人以上の各民族の中でも屈指である[35][36]。

著名な朝鮮族

政治・教育関連

朱徳海
孔鉉佑

朱徳海(1911年3月 - 1972年7月3日) - 延辺朝鮮族自治州初代州長
林民鎬(1904年1月3日 - 1970年7月14日)- 政治家、教育家。延辺大学の設立者の一人で、初代副校長(実質的な校長)として民族教育の発展に努めたが文革時に拷問を受け死去。
鄭判龍(1931年10月2日 - 2001年10月7日)- 作家、知識人、教育家。延辺大学教授・副校長。
李徳洙(1943年11月- ) - 国家民族事務委員会主任(閣僚)
孔鉉佑(1959年7月- )- 外交官。黒龍江省出身。上海外国語学院日本語学科卒。2015年12月から外務次官補。2017年から朝鮮半島問題特別代表を兼務。2018年1月から外務次官[37]。
張留成 元・中国共産党対外連絡部南北担当部長。2010年6月23日、スパイ容疑で極秘に処刑されたとの情報が香港の中国政情誌『外参』で報じられる。

文学関連

尹東柱

金学鉄(1916年11月4日 - 2001年9月25日)- 朝鮮の独立運動家、中国朝鮮族を代表する作家。「朝鮮義勇隊最後の分隊長」と呼ばれた。
尹東柱(1917年12月30日 - 1945年2月16日) - 日本統治時代の朝鮮の詩人。後に立教大学や同志社大学に在学しながら活動した。間島出身。

音楽・芸術関連

崔健

鄭律成(1918年8月13日 - 1976年12月7日) - 軍歌作曲家、韓国光州広域市生まれ、本名は鄭富恩である。
    1933年南京に渡り、義烈団に入り、抗日活動に従事。1937年より延安に赴いて中国共産党に入党、魯迅芸術学院等で音楽を学習する。
    第二次世界大戦後は朝鮮に帰国、朝鮮人民軍交響楽団団長や平壌音楽大学作曲部部長を歴任。
    1950年の朝鮮戦争勃発を機に周恩来の要請で中国に定住、音楽活動に精魂を傾ける。
    「延安頌」、「延水謡」、「八路軍軍歌」、「八路軍進行曲(中国人民解放軍進行曲)」、「朝鮮人民軍行進曲」などを作曲した。
金正平(1929年 - ) - 黄海道信川郡生まれ、国家一級指揮者、作曲家。中国朝鮮族音楽研究会名誉会長。
    南京中央大学音楽家卒。中央歌劇舞劇院、中央電影楽団で指揮者として活躍。
崔健(1961年 - ) - 北京市生まれ、中国最初のロック歌手。
張千一(1959年-) - 作曲家。瀋陽出身。中国人民解放軍総政治部歌舞団団長
張律(1962年 -) - 映画監督。韓国在住。
金星(1967年 - ) - 遼寧省瀋陽市生まれ、舞踊家、バレリーナ、芸能人。「上海金星舞導団」のオーナー。トランスジェンダー。
金海心(1978年10月30日 -) - 女性歌手。吉林省出身。
金美児(1984年3月27日-) - 歌手。延吉出身。中国人民解放軍空政文工団所属
白青剛(1989年2月19日 -) - 歌手。琿春市出身。
金龍国(1996年3月2日 -) - 歌手。和龍市出身。
黄仁俊 (2000年3月23日 -) - 歌手。韓国の男性アイドルグループNCTのメンバー。吉林省出身。

軍関連

崔海龍(1928年9月 - 1996年4月19日)-軍人。文革期に中共延辺朝鮮族自治州委書記などを務め、延辺州の指導者として権勢をふるったが文革終了とともに失脚、1985年に党籍剥奪。
趙南起(1927年4月 - ) - 軍人、政治家。吉林省永吉県出身(1927年4月20日、韓国忠清北道清源郡で生まれたと言う説もある)
    1978年 - 1985年:中共延辺朝鮮族自治州委第一書記→吉林省副省長→中共吉林省委書紀
    1987年 - 1992年:解放軍総後勤部部長、中央軍事委員会委員
    1988年:上将に進級(日本語における大将に相当)
    1992年 - 1995年:解放軍軍事科学院院長
    1998年 - 2003年:全国政治協商会議副主席
李永泰(1928年 - )- 空軍軍人。吉林省通化出身。
    1951年、朝鮮戦争にて、大隊長として、米軍F-86を4機撃墜。
    1975年、武漢軍区空軍司令官に就く。
    1982年、中国人民解放軍空軍副司令官に就く。
    1988年、空軍中将に進級。

学術関連

李相哲(1959年 - ) - 黒竜江省生まれ、龍谷大学社会学部教授。
金文学(1962年 - ) - 遼寧省瀋陽市生まれ、福山大学人間文化学部人間文化学科講師、放送大学客員教授。
姜景山(1932年 - )- 吉林省龍井市生まれ、中国科学院宇宙空間研究センター所長。
金熙徳 - 元・中国社会科学院日本研究所副所長。延辺大学で修士課程を終えた後日本に留学し、1994年に東京大学で国際政治学の博士号を取得。2006年に中国社会科学院の日本研究所副所長に就任。2009年1月9日、国家安全部の捜査員に連行され拘束[38]、
李敦球 - 世界発展研究所朝鮮半島研究センター主任。
洪延姫 - 人民解放軍装備指揮技術学院教授。
張景子 - 日中韓研究家。

経済関連

羅永浩

石山麟(1945年-) - 企業家。吉林省出身。北京市昌寧集団総裁
羅永浩(1972年7月9日- ) - 企業家。和龍県出身。BullogおよびSmartisan会長。
全哲洙 中華全国工商業連合会副首席兼書記。共産主義青年団出身。
李明星 中国企業連合会副理事長、中国経済発展戦略理論家

スポーツ関連

サッカー選手

南勇(1962年6月16日-)元・中国サッカー協会副主席。
高仲勲(1965年1月4日-)元サッカー中国代表。
高万国(1984年6月17日-)
朴成(1989年1月27日-)龍井市出身。サッカー中国代表。
金泰延(1989年8月21日-)延吉市出身。サッカー中国代表。
池忠国(1989年10月26日-)延吉市出身。サッカー中国代表。
金敬道(1992年1月18日 -)延吉市出身。サッカー中国代表。
白子健(1992年10月16日-)瀋陽出身。
金波(1993年1月20日ー)龍井市出身。
池文一(1988年2月18日-)延吉市出身。
朴世豪(1991年7月9日-)
姜洪権(1987年1月21日-)
楊世元(1994年3月11日-)
裴育文(1985年7月4日-)
呉永春(1989年3月30日-)
崔民(1989年7月6日-)汪清県出身。
尹昌吉(1995年3月17日-)
孫君(1993年4月29日-)
韓光徽(1990年1月24日-)
金成俊(1997年1月17日-)
崔仁(1989年1月19日-)延吉市出身。
元敏誠(1995年8月8日-)延吉市出身。
高准翼(1995年8月21日ー)延吉市出身。朝鮮族初のJリーガー。現在は中国スーパーリーグの広州恒大淘宝所属。サッカー中国代表。
南松(1997年6月21日ー)

野球選手

朱権(1995年5月31日-)吉林省出身。韓国籍。韓国プロ野球チーム・KTウィズ所属。

その他のスポーツ選手

羅致煥(中国語: 罗致焕) (1940年-) - スピードスケート選手。
宋容慧(1992年7月25日 -) - 囲碁棋士。黒竜江省ハルビン市出身。
朴文尭(1988年4月25日 -) - 囲碁棋士。黒竜江省出身

その他

鄭守一(1934年11月 - )- 朝鮮労働党対外情報調査部のスパイ、韓国檀国大学校教授。
蘇春熙(朝鮮語: 소춘희) (1963年4月25日 -) - 1988年版2角人民元紙幣に登場する朝鮮族女性のモデルなった人物。吉林省延辺朝鲜族自治州出身。
黄西(1970年4月20日 -) - Joe Wong。米国籍コメディアン。吉林省白山市出身。

関連項目

中国の少数民族
朝鮮民族
朝鮮戦争:中国軍である人民解放軍による韓国侵略の先駆けとなったため、根深い差別が発生している[30]。
朝鮮民主主義人民共和国
白頭山(長白山)
朝鮮語の方言
中国朝鮮語
在韓中国朝鮮族 』

高麗人

高麗人
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%BA%97%E4%BA%BA

『高麗人(こうらいじん、Корё сарам、고려인 (高麗人) / 고려사람 (高麗사람)/ コリョ・サラム)は、ソビエト連邦崩壊後の独立国家共同体(CIS)諸国の国籍を持つ朝鮮民族。』

『概要

高麗とは朝鮮半島に10世紀から14世紀まで存在した国家で、非漢字圏では朝鮮民族のことを英語ではコリアン (Korean) 、ロシア語ではカリェーエツ (Корейцы (Koreyts’)) というように、朝鮮民族の呼称として“高麗人”にあたる語が広く用いられている。旧ソ連地域の高麗人は、その他称としての「高麗人」が自称に転化したものであり、「コリョ・サラム」と読む。

現在の主な居住地は、ロシアをはじめとしてウズベキスタン、カザフスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、キルギス、ウクライナなどである。約50万名の高麗人が中央アジアを中心に居住しており、ロシア南部のヴォルゴグラード近郊やカフカース、ウクライナ南部にも高麗人コミュニティが形成されている。これらのコミュニティは、19世紀後半まで朝鮮と境を接した沿海州(現在の沿海地方)に居住していたが、1930年代後半から第二次世界大戦中にかけて中央アジアに追放された高麗人によって形成されたものである。

樺太にも、ロシア本土とは別に在樺コリアンが居住している。19世紀後半から20世紀初頭にかけてロシア本土へ移住した者達とは異なり、樺太における朝鮮人は、主に1930年代から1940年代にかけて主に慶尚道と全羅道から移住した者達と戦後に北朝鮮から労働者として渡っていった者達である。前者は、第二次世界大戦期の労動力不足を補うために、南樺太へ出稼ぎや徴用によって移住していた[2]。 』

『歴史
極東ロシアとシベリア移住

19世紀の李氏朝鮮は、国政が混乱して少数の両班達が大部分の土地を独占するようになった。現在の高麗人の祖先達は、中国の朝鮮族と同様に故郷を離れ、李氏朝鮮北部からロシアを目指したが、清の領地がそれを阻む形となった。それでも、朝鮮人移民第1期となった761家族5,310人は、当時清の領土だったシベリアに移住した。同地は1860年の北京条約によってロシアに割譲されることとなった。帝政ロシアは人口の少ない沿海地域を入植地として開放した。朝鮮半島北部はもともと農業には厳しい気候であった上、ひとたび飢饉が起こると農村は疲弊した。厳しい生活から逃れるために、窮乏農民が北へと流入した[3]。

その後も、多くの農民達がシベリアに移住するようになり、19世紀末にはその数が急増し、1869年には朝鮮人が沿海州における人口の 20%を占めるようになった。シベリア鉄道が完成するより前に、極東ロシアにおける朝鮮人の人口はロシア人より多くなり、地方官吏達は彼らに帰化を推奨した。1897年のロシア帝国の人口調査によれば、ロシア全体で朝鮮語を話す人口が26,005人(男性:16,225、女性:9,780)という結果が出ており[4]、この頃には多くの都市に高麗人村や高麗人農場ができるようになった。

20世紀初頭に、ロシアは日本と朝鮮半島における権益を巡って対立するようになり、1904年には日露戦争が勃発し、戦争は日本の勝利に終わった。1907年に、ロシアでは日本の干渉によって朝鮮人を排斥する法律が制定され、朝鮮人の農場主は土地を没収され、朝鮮人労動者達は職を失うこととなった[5]。同時に、ロシアは朝鮮独立運動の為のシェルターとなり、朝鮮人の民族主義者達と共産主義者達はシベリアや沿海州、満州に亡命した。1917年10月の十月革命と東アジアでの共産主義の台頭とともに、シベリアは在ソ連朝鮮人の日本に対抗する為の独立軍養成の基盤になった。1919年に、ウラジオストクの新韓村(高麗人街)に集まった朝鮮のリーダーたちが三・一運動を支援した。この村は、軍隊の物資補給を含めた民族主義者達の足場となったが、1920年4月4日には日本軍の総攻撃によって、100人以上が死亡した[5]。

ウラジオストクに移住した朝鮮人達は、キリスト教を受け入れるなど積極的にロシア文化に順応するようになった。何よりも、日本の影に怯えることなく働くことが出来るということが、移住の最大の理由だった。

1922年に、ロシアで共産主義を掲げるソビエト連邦が成立すると、日本は共産主義革命の波及を恐れて朝鮮半島北部で国境を接するソ連と激しく対立するようになった。一方で、ソ連国内における高麗人の人口は、1923年に106,817人にまで増加し、翌1924年からソ連政府によって国内の高麗人の人口を抑制する為の対策が取られるようになったこともあって、1931年にかつては比較的出入りの緩やかであった朝鮮と沿海州の国境は閉鎖されることとなった。
強制移住

日本軍によるシベリア出兵以来、日ソ両国は互いを仮想敵国とみなしていたが、満州事変以降、ソ連の指導者ヨシフ・スターリンは、沿海州に居住する高麗人住民が日本のためにスパイ活動を行なっていると考えるようになった。実際、満ソ間の国境不確定地帯において、長年にわたり日ソ双方によりスパイ戦が行われていた[6]。また、満州において抗日戦を展開しようとしていた中国共産党との協力体制を構築するためにも、自国内にスパイ活動の恐れのある民族を留まらせておくわけには行かなかったとも言われる。スターリンの下で大粛清が開始されると、高麗人のスパイ活動への関与の疑いが高まり、高麗人のほとんどは日本側の活動とは無関係であったにもかかわらず、ニコライ・エジョフの報告によると1937年10月25日までに沿海州に居住していた36,442家族171,781人の高麗人が、対日協力の疑いで中央アジアに集団追放されたと記録されている[7]。

強制移住先の中央アジアの乾燥地帯は、農耕には不向きな土地で、ソ連政府によって保障されていたはずの資金援助は受けることができなかったことに加え、移住させられた者のほとんどが稲作農家や漁師だったこともあって、乾燥地帯への適応に困難を伴った[3]。1938年までに少なくとも4万人の高麗人が死亡している[7]。しかし、他の場所から強制連行されてきたドイツ人、チェチェン人、トルコ人らと協力し合いながら、灌漑施設を設置するなどの工夫を重ねたうえで稲作を始め、移住から3年後には不毛の大地を一大農業地帯に変えることに成功した。その姿勢が評価され、ソ連共産党から模範的社会主義者(労働英雄)として表彰される者もあった。

独ソ戦には372人が参加し、そのうち195人が死亡または行方不明となった[8]。

戦後も、軍事的な要地である沿海州に高麗人が戻って来ることによって、不安定要素が生ずることを望まないソ連当局の意向によって、高麗人は沿海州や朝鮮に帰還する権利を認められず、その後も多くの高麗人がそのまま中央アジアに住み続けた。スターリンの死後、法的には移動の自由が認められたが、一般のソ連人と同様、実際に移動の許可を得るにまでに多大な労力を要し、また、高麗人の現地への定着が進んでいたため、沿海州に帰還する者はほとんどなかった。また、グラスノスチが始まるまでは、強制移住に対して発言することは許されなかった。

ソ連崩壊以降

ロシア

居住地への帰還を認める「ロシアの高麗人の名誉回復に関する法」が1993年に成立したが具体的な手続きはなく帰還の手助けとはならなかった[9]。

2002年の人口調査では、148,556人の高麗人がロシアに居住し、男性が75,835人、女性が 72,721人だった。そのうち、25%はシベリアと極東ロシアに居住している。同地の高麗人達はその移住経路が多様で、1937年の強制移住から帰って来たCIS諸国の国籍を保持した 33,000人以外にも、約4,000から12,000人の北朝鮮からの移住者も確認されている。大韓民国や中国少数民族出身の高麗人も定住し、投資を行うなど国境貿易に参加している。

ウクライナ

2001年の人口調査では、高麗人を自称する者が12,711人存在しているという結果が出たが、これは1989年の8,669人より大幅に増加している。特に人口が多い都市はハルキウ、キエフ、オデッサ、ムィコラーイウ、チェルカースィ、リヴィウ、ルハーンシク、ドネツィク、ドニプロペトロウシク、ザポリージャ、クリミア半島などである。ウクライナで一番規模が大きい高麗人コミュニティは、ハルキウにあり、約150人の高麗人家族が居住している。最初の朝鮮語学校が、1996年に開校している。

中央アジア

ソ連崩壊後、50年を経て生活基盤が中央アジアに完全に定着してしまった高麗人の多くは、そのまま中央アジアに住み続けているが、中央アジア諸国は、いずれも民族主義的志向が強く、ロシアに流出する傾向にある。例えば、ソ連時代、モスクワの高麗人の人口は数千人に過ぎなかったが、1990年代末には1万5000人にまで達している。

同地域における高麗人は、その多くがウズベキスタンとカザフスタンに居住している。カザフスタンにおける高麗人文化はかつての首都だったアルマトイを中心に発信されており、同都市では中央アジアでは唯一の朝鮮語新聞である『高麗日報』と朝鮮語劇場が運営されている。カザフスタンの人口調査では、1939年には96,500人、1959年には74,000人、1970年には81,600人、1989年には100,700人、1999年には99,700人の高麗人がそれぞれ記録されている。

ウズベキスタンのサマルカンドにある高麗人墓地

ウズベキスタンの高麗人たちは、農村地域に広く散らばっている。同国では、高麗人たちが公用語であるウズベク語ではなくロシア語を常用しており、言葉の壁にぶつかるケースが続発することとなった。ウズベキスタンの独立後、多くの高麗人たちがウズベク語を話すことができないために、失業の憂き目に遭うこととなった。その一部は、極東ロシアに移住したが、そこでも生活の困難に直面することとなった。2017年現在ウズベキスタンでは18万人が居住し、約6万人が首都タシケントに集まっている[10]。強制移住から80年の節目である2017年、タシケントにあるソウル公園で記念碑が建てられた。この式典にはソウル市市長も参加した[10]。

タジキスタンにも小規模ながら高麗人コミュニティがある。ウズベキスタンとカザフスタン以外の地域への移動を禁じる規制が緩和された1950年代後半から1960年代前半にかけて、高麗人たちの同地への大規模な移住が始まった。移住の引き金となったのは、豊富な天然資源と温暖な気候だった。同国における高麗人の人口は1959年に2,400人、1979年に11,000人 、1989年に13,000人にまで増加し、そのほとんどが首都のドゥシャンベに住み、少数ながらクルガン・テッパとホジェンドにも居住する者もいた。他の中央アジア諸国の高麗人と同様に、タジキスタンの高麗人たちも他の民族より高い平均収入を誇る傾向があった。しかし、1992年5月に勃発したタジキスタン内戦により、多くの高麗人たちは同国を離れることとなり、その人口は1996年までに7年前の半分以下となる6,300人にまで減少した。内戦終了後の2000年にも、イスラム解放党のメンバーがドゥシャンベにある高麗人のキリスト教教会で爆弾テロ事件を起こし、9人が死亡、30人が重軽傷を負う事態となった。現在も同国に残っている高麗人のほとんどは、農業と小売業に従事している。

無国籍となった高麗人

ソビエト連邦の崩壊以降、一部の高麗人達は無国籍となった。ソ連時代に連邦だった国々が、ロシア国籍を認めなかったために、それぞれの国籍を再度申請しなければならなかった。これを知らなかった、書類の紛失、住民登録の失念、経済的な余裕の有無、パスポートの再申請の不可などの理由により無国籍者が存在している。この背景には、生まれ育った家庭が貧困だったため、教育など社会生活を送るうえで必要な情報を得られなかったという事情があり、このような不利益は彼らの子孫にまでそのまま受け継がれてしまっている。CISには現在、高麗人全体の10%にあたる約5万人の無国籍者がいることが推測されている。

こうした事態に対して、韓国政府は2007年から現地の国籍を取得させる為の外交活動と法的支援といった無国籍高麗人支援事業を開始し、ウクライナでは移民局が、「ウクライナ国籍がない高麗人の身分を、韓国大使館が証明すれば国籍回復手続きを手助けできる」という意向を明らかにしたものの、各国の法律や文化的な障壁に阻まれ、成果を上げるには至っていない[11][12]。

朝鮮半島に帰還した高麗人

ソウル特別市中区光熙洞にある高麗人を対象としたキリスト教教会。同じ建物の1階には、キルギス料理店が見られる。

第二次世界大戦前後に、小規模ながら高麗人の朝鮮半島への帰還移動があった。主なグループとしては

・日本統治下における諜報活動を行うために派遣された者。
・大戦後の1945年から1946年にかけて到着した赤軍兵士
・1946年から1948年にかけて北朝鮮に到着した各方面の指導者。
・一身上の都合でソ連から北朝鮮に渡った一般人。

に分類される。

前述した通り、中央アジアにおける高麗人の品行方正ぶりが評価されたことにより、第二次世界大戦末期から対日戦争をにらんで、ソ連当局は一部の高麗人を軍・共産党に受け入れ始めた。彼らは終戦後、北朝鮮の経済再建や朝鮮人民軍の創設に大きく貢献したが、ほぼ全員が粛清されることとなった。

後に、大規模な韓国への労働移住が展開されることとなった。 2005年の時点で、10,000人ものウズベキスタン人が韓国での労働に従事しており、その大部分が高麗人である。 韓国からウズベキスタンへの送金は、毎年1億ドルを超えると見積もられている[13]。韓国では1945年の政府発足時点に国籍を有した高麗人の韓国での帰還を認めているが祖父母が韓国籍と定められ四世は成人になると出国する必要がある[14]。

文化

中央アジアへの移住以降の高麗人達は、稲作農家として暮らしていた以外にも、周辺の遊牧民とはほとんど交流せず、教育に重点を置いた現地人とは異なる様式の生活を送ることとなった。また服装に関しても、この頃から韓服の着用を止め、中央アジアで着られているスタイルのものより、西洋式の洋服を着る生活を送るようになった。著名な食文化としては、ニンジンで作ったキムチであるマルコフチャが挙げられる。

高麗人コミュニティにおける生活風習は、様々な変化がもたらされることとなった。 結婚に関してはロシア式のスタイルが取り入れられることとなった一方で、葬式に関しては朝鮮における伝統的な方法が受け継がれることとなった。また名前に関しては、すでに亡くなった世代の者の場合、伝統に則って漢字で表記されているが、現在存命している者の場合、スターリン時代の影響もあって、漢字を解する者はほとんどいないため、ハングル文字のみで表記されている。一方で、1歳の誕生日(トルチャンチ)と還甲の儀式は、葬式と同様に伝統的な方式が受け継がれることとなった。

大戦後に生まれた高麗人は、ソビエト連邦という多民族国家で育った影響から、異民族との交流を盛んに持つようになり、韓国・朝鮮人が単一民族国家意識が強いのとは正反対である。

無宗教者が多かったが、ソ連崩壊前後の時代からキリスト教が増えた。韓国からの宣教師の影響もあるが、イスラム教徒が多い中央アジアで新しいアイデンティティを探していることも関係している[15]。

高麗人には、オガイ(Огай)、ノガイ(Ногай)、ユガイ(Югай)、ヘガイ(Хегай)など、「ガイ」(гай)のつく姓がよくみられる。呉(オ、오)、盧(ノ、노)、柳(ユ、유)、許(ホ、허)などといった朝鮮の姓が変形したもので、それらはたいていの場合、ハングルでいうパッチムのつかない単音節の姓である。なぜ「ガイ」(гай)がついたのかは定かではないが、ロシア人の入国管理官に姓を尋ねられた際、朝鮮語で「~家です」(~ガイムニダ、~가입니다)と答えたところ、朝鮮語に明るくない管理官に「ガイ」(가이)の部分まで姓の一部だと誤解されたのだという説はよく知られている[16]。

言語状況

スターリン時代、高麗人は、公式の場で朝鮮語を使用することを禁止され、学校の授業もすべてロシア語で行われた。スターリンの死後、これらの制限は撤廃されたが、ソ連社会に同化した高麗人は、進学や社会的栄達に有利なロシア語を母語としていた。子供を持つ高麗人の両親の中には、朝鮮語をもはや不要なものと考え、朝鮮語の授業の廃止を要請する者もいた。しかし、インターナショナリズムを標榜するソ連当局は、これら一部の高麗人の両親達の訴えを退けた。フルシチョフ及びブレジネフ時代、朝鮮語紙「レーニンの旗幟」(1938年 – 1989年発行)が発行され、朝鮮語で上演される朝鮮劇場が中央アジア各地を巡業した。よって、スターリン時代を除けば、ソ連で朝鮮語が弾圧されたというのは事実に反する。ただし、社会的な圧力があったことは否定できない。

ペレストロイカとグラスノスチの訪れと共に、短期間の朝鮮民族復興運動が始まった。ソ連の各共和国には、朝鮮民族協会が設立され、朝鮮語を学ぶ高麗人の若者が一時的に増加した。高麗人の知識人層の中では、沿海州への帰還運動も起こったが、実際に沿海州に再移住したのは数千人に過ぎなかった。なお、彼等の話す朝鮮語は、ロシア語の影響を極めて強く受けた高麗語と呼ばれるものであり、本国の朝鮮語との乖離は特に日常の話し言葉において甚大である。韓国・北朝鮮・延辺朝鮮族自治州で話される中国朝鮮語はどれもほとんど問題なく互いの意思疎通が出来るが、高麗語や在日朝鮮語の場合は、意思疎通は無理ではないにしろ、かなりの困難を伴う。 』

(※ 以下、省略)