カテゴリー: 世界情勢
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盧泰愚
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%A7%E6%B3%B0%E6%84%9A『出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
盧泰愚
노태우
Roh Tae-woo – cropped, 1989-Mar-13.jpg
1988年
大韓民国の旗 大韓民国
Seal of the President of the Republic of Korea.svg 第13代 大統領
任期 1988年2月25日 – 1993年2月24日
首相 李賢宰(朝鮮語版)(1988年)
姜英勲(1988年 – 1990年)
盧在鳳(1991年)
鄭元植(朝鮮語版)(1991年 – 1992年)
玄勝鍾(朝鮮語版)(1992年 – 1993年)
出生 1932年12月4日
大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮 慶尚北道達城郡公山面新龍洞
(当時)東区新龍洞
死去 2021年10月26日(88歳没)
大韓民国の旗 韓国 ソウル特別市
政党 民主正義党→民主自由党
出身校 陸軍士官学校
配偶者 金玉淑
署名 Roh Tae-Woo signature.svg
盧泰愚
各種表記
ハングル: 노태우(南)
로태우(北)
漢字: 盧泰愚
発音: ノ・テウ(南)
ロ・テウ(北)
日本語読み: ろ たいぐ
ローマ字: No Tae-u(南、2000年式)
No T’aeu(南、MR式)
Ro Tae-u(北、2000年式)
Ro T’aeu(北、MR式)
英語表記: No Tae-woo(南)Roh Tae-woo(北)
テンプレートを表示盧 泰愚(ノ・テウ、ハングル: 노태우、1932年12月4日 – 2021年10月26日[1])は、大韓民国の軍人、政治家。第13代大統領(在任: 1988年 – 1993年)、同国最後の軍人出身の大統領。第12代国会議員[2]。ハナフェ[3]の一員。本貫は交河盧氏(祖籍は山東省[4])。号は「庸堂」(ヨンダン、용당)。仏教徒[2]。
プロフィール
1932年12月4日、日本統治時代の大邱で生まれた。朝鮮戦争勃発に伴い入隊し、陸軍士官学校で全斗煥(のちに大統領)と同期(11期)[5]。空輸特戦旅団長・第9師団長などを歴任する。この間、全斗煥らとハナフェ(ハナ会・一心会)を結成した。
第9師団長在任中(階級は陸軍少将)の1979年12月12日に、ハナフェのメンバーとともに粛軍クーデターを起こす。
1981年に文民になるため退役。政務第二長官を経て体育相・組織委員長としてソウルオリンピックの実務全般を取り仕切った。
1982年に当時の警察トップである内務部長官に就任した。これは同年発生した禹範坤による大量殺人事件の発生直後に当時の徐廷和内務部長官が辞職した(実際は初動対応の遅さが原因で被害を拡大させたことに絡めて就任間もない劉彰順内閣や全斗煥大統領の政権運営批判に及ぶことを恐れたことによる事実上の解任)ことに伴って急遽就任したものだった。
この人事によって盧は政界への足がかりを掴むことに成功した。1987年、高まりつつある民主化要求に対し、次期大統領候補として「オリンピック終了後、然るべき手段で信を問う用意がある」と声明(6・29民主化宣言)を発表。その直後、1971年大韓民国大統領選挙以来16年ぶりに行われた民主的選挙で民主正義党から立候補し、文民出身候補が金泳三・金大中の2人に別れたため韓国大統領に当選した。選挙のときは親しみやすさと自身の耳の大きさ(韓国では話を聞く人は耳が大きいとされる)を前面に押し出し、朴正煕政権から続いていた軍人出身大統領と異なる印象を国民に持たせることに成功した。翌1988年2月25日に第13代大韓民国大統領に就任した[6][7]。
大統領就任後、前大統領であった全斗煥政権時代の不正容疑を徹底追及する一方で、激しく対立していた金泳三・金鍾泌を与党に取り込むなど国政の安定を図った。
外交面ではマルタ会談での冷戦終結を受けて、「北方外交」を提唱して共産圏との関係改善に乗り出し、1990年にソビエト連邦、1992年には中華人民共和国(中韓国交正常化)と国交を樹立した。なお、中国との国交樹立により韓国は中華民国(台湾)とアジアで最後に断交した国となった。
対日関係では1990年に民主化後の大統領として初めて来日し、当時の皇太子明仁親王や海部俊樹首相と会談した。但しこの際の共同声明の内容に対し、自民党内から批判の声が上がった(詳細は小沢一郎を参照)。また従軍慰安婦問題を対日遡上に乗せた初の大統領である。翌年海部が訪韓し盧泰愚と会談。その席で、懸案であった在日韓国人の指紋押捺廃止を要求し、後に実施された。
朝鮮統一問題では、1991年9月17日には朝鮮民主主義人民共和国との国際連合南北同時加盟を実現し、同1991年12月13日に南北基本合意書を締結している。
1993年2月24日の大統領退任後、1995年に政治資金隠匿が発覚し拘束された。一審で無期懲役の判決を受け1995年11月16日にソウル拘置所に収監された[8][9]。控訴審では懲役15年、2628億ウォンの追徴金を言い渡された。その後粛軍クーデター・光州事件でも再捜査を求める世論が起こり、金泳三大統領は後粛軍クーデターと光州事件の再捜査を指示した。1996年から捜査が行われ、1997年4月17日にそれらを含めた公判で最高裁判所は懲役17年、追徴金2688億ウォンを宣告した[10][11]。1997年12月22日に特赦された[12][13]。
2012年6月、大統領在任中に作った秘密政治資金の一部を、長男の妻の父親に預けたとして、検察に捜査を依頼した[14]。
2012年12月12日、不正蓄財や追徴金未納などに不満を抱いた男(2007年三田渡碑に落書きをした男と同一人物)によって大邱市内の生家が放火された。シンナー2リットルを撒いてライターで火を付けられたが、床やテレビ、ドアの一部を焼いただけで直ぐに鎮火した。後に逮捕された男には懲役1年6ヶ月、執行猶予3年の判決が言い渡された。
2013年9月、未納となっていた追徴金230億ウォンについて、親族が代納すると発表した。この後、同じく追徴金の未納があった全斗煥元大統領側も、完済を発表した。
2021年10月26日、入院先のソウル特別市内の病院にて88歳で死去[15][16][17][18][19]。10月27日、韓国政府は葬儀を国葬として営むと決めた[20]。韓国で国葬に処されるのは史上4人目である。一方で、光州事件への関与を巡って世論の評価は分かれており、光州広域市など一部自治体は、弔旗掲揚を拒否した。
2021年10月30日、国葬に当たる国家葬がソウル市・松坡区のオリンピック公園の平和の広場で行われた[21]。告別式終了後にソウル追悼公園で火葬され、臨時安置された後に京畿道坡州にある統一東山に埋葬が予定されている[22]。
経歴
内閣総理大臣宮澤喜一と会談(1992年1月)
大邱にて出生。 大邱公立工業学校(朝鮮語版)に入学後、4年時に慶北高校に転校[23]。 陸軍士官学校入学(11期) 1956年 - 歩兵小隊長 1960年 - 軍事情報大学 英語翻訳将校 1961年 - 防諜部隊 情報将校 1967年 - 歩兵大隊長、ベトナム戦争へ派遣され武功勲章を受ける 1971年 - 歩兵連隊長 1974年 - 空輸特戦旅団長 1978年 - 大統領警護室 作戦次長補 1979年 - 首都警備司令官 1979年 - 第9師団長 1980年 - 陸軍中将、保安司令官 1981年 - 予備役編入(大将)、政務第2長官 1982年 - 初代体育部 長官、南北韓高位会談 首席代表、内務長官 1983年 - ソウルオリンピック組織委員会 (SLOOC) 委員長、ソウルアジア競技大会組織委員会 (SAGOC) 委員長 1984年 - 大韓体育会長 兼 大韓オリンピック委員会 委員長 1985年 - 第12代 国会議員(全国区、民正党)、民正党 代表委員 1987年 - 民正党 大統領候補、民正党 総裁、1987年大韓民国大統領選挙に勝利 1988年 - 第13代大統領就任 1990年 - 大韓航空機爆破事件実行犯の金賢姫死刑囚に対し、特赦の決定を下す 1993年 - 第13代大統領退任 1995年 - 大統領在任中の不正蓄財とかつての粛軍クーデター・光州事件の追及を受け懲役刑 1997年 - 特赦を受ける 2021年 - 88歳にて死去 』
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大賢は愚なるが如し
https://kotowaza-dictionary.jp/k0447/※ 「大賢は、大愚に似たり。」で、覚えていた…。
※ これと関連して、名づけられていたと思われるのが、韓国の第13代大統領の「盧泰愚」氏だ…。
『読み方
たいけんはぐなるがごとし
大賢は愚なるが如しの意味・解説大賢は愚なるが如しとは、非常に賢い人は、自分の知恵をひけらかすようなことをしないから、一見愚かに見えるということ。
由来などの解説
「大賢」とは、非常に賢い人のこと。
例文
彼はいつもヘラヘラ笑っているからそう見えないが、大賢は愚なるが如しで、実は相当に頭の回転が速く物知りである。
英語のことわざ
Extremes meet.(両極端は一致する)
And he is oft the wisest man who is not wise at all.(愚者はしばしば大賢者のように見える)大賢は愚なるが如しの類語・対義語
類義語
大賢は愚に近し/大智は愚の如し/大智は愚なるが如し/大智は愚に異ならず/大知は知ならず/大才は愚の如し/大巧は拙なるが若し/大巧は巧術なし/能ある鷹は爪を隠す』
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邯鄲の夢
https://kotobank.jp/word/%E9%82%AF%E9%84%B2%E3%81%AE%E5%A4%A2-470760※ こっちの方で、記憶してたな…。
※ しかも、「トウモロコシが、まだ茹であがっていなかった」という話しとして、記憶していた…。
※ 正確には、「コウリャン粥」なのか…。
※ 大体、トウモロコシがアジアに伝わったのは、16世紀のことらしい…。
※ こういう風に、いい加減なものだ…。
※ しかし、映画「マトリックス」は、この話しが元(もと)なんじゃないのか、と思っている…。(ちょっと調べたが、そういう説は無いようだ…。オレが、言ってるだけ…。)
『人の世の栄枯盛衰のはかないことのたとえ。「一炊(いっすい)の夢」「邯鄲夢の枕(まくら)」「盧生(ろせい)の夢」などともいう。
中国唐の開元年間(713~741)、盧生という貧乏な青年が、趙(ちょう)の都邯鄲で道士呂翁(りょおう)と会い、呂翁が懐中していた、栄華が思いのままになるという不思議な枕を借り、うたた寝をする間に、50余年の富貴を極めた一生の夢をみることができたが、夢から覚めてみると、宿の亭主が先ほどから炊いていた黄粱(こうりゃん)(粟(あわ))がまだできあがっていなかった、という李泌(りひつ)作の『枕中記(ちんちゅうき)』の故事による。
[田所義行]』
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邯鄲の枕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%AF%E9%84%B2%E3%81%AE%E6%9E%95『邯鄲の枕(かんたんのまくら)は、唐の沈既済の小説『枕中記』(ちんちゅうき)の故事の一つ。多くの派生語や、文化的影響を生んだ。黄粱の一炊、邯鄲の夢など多数の呼び方がある。
由来と同義語
「盧生」という若者が人生の目標も定まらぬまま故郷を離れ、趙の都の邯鄲に赴く。盧生はそこで呂翁という道士に出会い、延々と僅かな田畑を持つだけの自らの身の不平を語った。するとその道士は夢が叶うという枕を盧生に授ける。そして盧生はその枕を使ってみると、みるみる出世し嫁も貰い、時には冤罪で投獄され、名声を求めたことを後悔して自殺しようとしたり、運よく処罰を免れたり、冤罪が晴らされ信義を取り戻したりしながら栄旺栄華を極め、国王にも就き賢臣の誉れを恣にするに至る。
子や孫にも恵まれ、幸福な生活を送った。しかし年齢には勝てず、多くの人々に惜しまれながら眠るように死んだ。ふと目覚めると、寝る前に火に掛けた粟粥がまだ煮上がってさえいなかった。全ては夢であり束の間の出来事であったのである。盧生は枕元に居た呂翁に「人生の栄枯盛衰全てを見ました。先生は私の欲を払ってくださった」と丁寧に礼を言い、故郷へ帰っていった。
中国においては粟のことを「黄粱」といい、盧生が粟粥を煮ている間の物語であることから『黄粱の一炊』としても知られる。いわゆる、日本の落語や小説・漫画でいうところの夢オチの代表的な古典作品としても知られる。
同義の日本の言葉としては「邯鄲夢の枕」、「邯鄲の夢」、「一炊の夢」、「黄粱の夢」など枚挙に暇がないが、一つの物語から多くの言い回しが派生、発生したことからは、日本の文化や価値観に長い間影響を与えたことが窺い知れる。現在ではほとんどの言葉が使われることがなくなっているが、「邯鄲の夢」は人の栄枯盛衰は所詮夢に過ぎないと、その儚さを表す言葉として知られている。
能『邯鄲』
能『邯鄲』は、『邯鄲の枕』の故事を元に作られた能の演目である。しかし道士・呂翁にあたる役が、宿屋の女主人であり、夢の内容も『枕中記』とは異なり、『太平記』巻25などに見えるような日本に入ってから変化した『邯鄲の枕』の系譜上に位置づけられると言えよう。舞台上に設えられた簡素な「宮」が、最初は宿屋の寝台を表すが、盧生が舞台を一巡すると今度は宮殿の玉座を表したりと、能舞台の特性を上手く利用した佳作である。
なお、盧生の性格や描写から憂いを持つ気品ある男の表情を象った「邯鄲男」と呼ばれる能面が存在し、能『邯鄲』の盧生役のほか、能『高砂』の住吉明神などの若い男神の役でも使用される。芥川龍之介は能『邯鄲』をモチーフにして『黄粱夢』という作品を書いた。また三島由紀夫は『近代能楽集』の中に能『邯鄲』を現代風の戯曲に翻案した作品を書いている。また古井由吉も『邯鄲の夢』をモチーフに『邯鄲の』という作品を書いている。
邯鄲師
邯鄲とは古くは、宿泊して目覚めたら就寝中に盗難の被害にあっていたという状況を指す。また宿泊施設で宿泊客の就寝中に盗みを働く者を邯鄲師(かんたんし)といい泥棒の一種であり、また枕探しとも言う。
古くから日本では宿屋(旅館)の客室に鍵はなく、また相部屋も多かった。そして習慣として枕の下に金品を隠すことが多く、泥棒も安易に盗みを働くことができた。ゆえにそれを専門とする者を「枕探し」といったのであるが、湯につかりご馳走を食べ極楽気分で床(とこ)に就いて目覚めたら不幸のどん底に落とされるという体験と正式な題名である「邯鄲の枕」の枕を掛けて邯鄲にあったといい、それを行う者を邯鄲師といった。
曲芸「邯鄲夢の枕」
邯鄲夢の枕(かんたんゆめのまくら)とは、軽業師や曲芸師の技の一種。演芸場や見世物小屋などで見られた。「邯鄲は夢の手枕」、「邯鄲の夢」や「邯鄲の手枕」などと呼ばれ、ただ単に邯鄲ともいわれた。
涅槃仏のように肘を突いて手を頭に添え横臥体勢を取り、この状態のまま空中浮遊をするという技である。今は観ることはできないが夏目漱石の『吾輩は猫である』や上方落語の『軽業』の一節に描かれている。(現在この技を伝承する者がいるのかは定かでない)そして手枕をすることが、この曲芸の種の一部であり、枕と寝る姿勢をとることや軽業師の他の芸と比べると軽業より手品に近いこともこの技の命名に一役かっている。 』
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胡蝶の夢
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%A1%E8%9D%B6%E3%81%AE%E5%A4%A2『胡蝶の夢(こちょうのゆめ)は、中国の戦国時代の宋の蒙(現在の河南省商丘市民権県)生まれの思想家の荘子(荘周)による、夢の中の自分が現実か、現実のほうが夢なのかといった説話である。荘子の考えが顕著に表れている説話として、またその代表作として一般的にもよく知られている。
概要
夢の中で胡蝶(蝶のこと)としてひらひらと飛んでいた所、目が覚めたが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも実は夢でみた蝶こそが本来の自分であって今の自分は蝶が見ている夢なのか、という説話である。この説話は「無為自然」「一切斉同」の荘子の考え方がよく現れているものとして有名である。「無為自然」を荘子の言葉でいえば「逍遥遊」となり、それは目的意識に縛られない自由な境地のことであり、その境地に達すれば自然と融和して自由な生き方ができると荘子は説く。
荘子が他の説話において提出してきた「是と非、生と死、大と小、美と醜、貴と賤」などの現実に相対しているかに見えるものは、人間の「知」が生み出した結果であり、荘子はそれを「ただの見せかけに過ぎない」という。
荘子はそれを次の3つの説話で示した。
朝三暮四 猿回しが『朝は3つで夜は4つだ』と猿に団栗を与えようとしたが、猿はこれに怒った。『では朝は4つで夜は3つだ』というと猿は喜んだ、という説話である。結局は1日7個の団栗を食べているということで、どちらも同じで、相対するものを考える人間も同じようなものだと荘子は説く。 「吾が生や涯てありて、知や涯てなし」 人の一生に限りがあるのに、知にはその限りがない。限りのあるものの中で限りないものを追いかけてもただ疲れるだけだ、ということを説く。 「大知は閑閑たり、小知は間間たり」 立派な知恵は悠々としているが、つまらない知恵に惑わされる人間はせこせこしている、ということである。これら3つが意図する「その程度の小知ならば捨ててしまえ」という思想を端的に表したのが、この「胡蝶の夢」である。ここでは夢と現実との対立が提出されており、どちらが真実の姿か、それは問題ではなく、胡蝶であるときは栩栩然として胡蝶になり、荘周であるときは荘周となっている。そのいずれも真実であり、己であることに変わりはなく、どちらが真の世界であるかを論ずるよりも、いずれをも肯定して受け容れ、それぞれの場で満足して生きればよいのである。「夢が現実か、現実が夢なのか?しかし、そんなことはどちらでもよいことだ」と荘子は言っているのだ。
「知」には何ら確かな判断はないのだから、考えたところで仕方がない。知の判断から離れてみれば、差異や区別を超えた世界が見えてくる。これこそが、荘子の言う「逍遥遊」の世界である。これが万物斉同の世界で遊ぶことであり、荘子が胡蝶の夢を通して訴えていることであると言える。
物の変化とは表面に現れた現象面での変化に過ぎない。胡蝶と荘周が形の上においては大きな違いを持ちながら、共に己であることに変わりはない。万物は絶えざる変化を遂げるが、その実、本質においては何ら変わりのないことを述べているのである。
原文『荘子』斉物論第二
原文
昔者莊周夢爲胡蝶。栩栩然胡蝶也。
自喩適志與。不知周也。俄然覺、則蘧蘧然周也。
不知、周之夢爲胡蝶與、胡蝶之夢爲周與。
周與胡蝶、則必有分矣。此之謂物化。書き下し文
昔者荘周夢に胡蝶と為る。栩々然として胡蝶なり。
自ら喩しみて志に適へるかな。周たるを知らざるなり。 俄然として覚むれば、則ち蘧々然として周なり。
知らず、周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるかを。
周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん。此を之れ物化と謂う。訳文
以前のこと、わたし荘周は夢の中で胡蝶となった。喜々として胡蝶になりきっていた。
自分でも楽しくて心ゆくばかりにひらひらと舞っていた。荘周であることは全く念頭になかった。はっと目が覚めると、これはしたり、荘周ではないか。
ところで、荘周である私が夢の中で胡蝶となったのか、自分は実は胡蝶であって、いま夢を見て荘周となっているのか、いずれが本当か私にはわからない。
荘周と胡蝶とには確かに、形の上では区別があるはずだ。しかし主体としての自分には変わりは無く、これが物の変化というものである。』 -
英トラス前首相の悔恨 「知らなかった」財政のリスク
加藤晶也
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA110NV0R10C23A4000000/※ 財政出動は困難…、となれば、残りは「金融政策」のみとなる…。
※ それで、「非伝統的緩和政策(異次元緩和、とも言う)」を採れば、日銀の国債保有の増大化、日銀のETF保有の増大化となる…。
※ 前者は、「実質上の、日銀の国債引き受けだ!」と言われ、後者は、「実質上の、日銀による日本株の買い入れだ!」と言われることになる…。
※ 事程左様に、世の中、「こちら立てれば、あちらが立たず。」だ…。
※ さらに残るは、「構造改革」だ…。
※ これとて、「デジタル革命!」「DXの推進だ!」と囃し立てたが、進捗はどんなものだったか…。
※ 「コロナ直撃!」にもかかわらず、せいぜいが「ハンコの廃止」くらいのものじゃないのか…。
※ それでも、「マイナカード」の取得割合は、80%くらいにはなってるようだが…。
『少し、話しにくそうだった。2月に来日した英国のトラス前首相にインタビューした時のことだ。最初は「自由な世界は中国からの深刻な挑戦に直面している」と対中政策を立て板に水のごとく話していた。
首相在任時の経済・財政運営から日本や世界が学ぶべき教訓は何か。話題を変えると天井をいったん見上げて言葉を選びながら答えた。「英国固有の状況に直面した。必ずしも他の国に当てはまるものではない」
トラス氏は今から半…
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『トラス氏は今から半年前、英国史上最短で首相の座から退いた。わずか49日、経済・財政運営を巡る混乱が原因だった。
保守党の党首選で経済成長を最優先に取り組む姿勢を繰り返してきた。就任後、大規模減税や規制緩和を組み合わせた経済政策を公表すると、英国債利回りが急上昇(債券価格は下落)した。財政赤字拡大への懸念から国債が売られたためだ。
英政府は所得税の最高税率引き下げの撤回を表明するなど事態の収拾に動いたが時すでに遅し。保守党内からも辞任論が噴出し退陣に追い込まれた。
トラス氏が言う「英国固有」の状況とは何か。
年金基金が国債などを担保にレバレッジ(てこ)をかける「ライアビリティー・ドリブン・インベストメント(LDI=債務主導投資)」という運用戦略をとっていたことだ。
金利が上昇し大きな損失を出し、取引相手方の金融機関からマージンコール(追加担保の差し入れ要求)を突きつけられた。支払いの現金を捻出するために国債などを売却せざるを得なくなり、売りの連鎖が発生した。
本当に英国だけの事情なのか。混乱のきっかけが財政規律の緩みを見透かされたことという点では日本も対岸の火事とはいえない。日本の国内総生産(GDP)と比べた債務残高の比率は英国よりはるかに大きい。
市場関係者は警鐘を鳴らす。「必ずしも日本ですぐ起きることではないが、市場が群集心理で反応することは常にありうる。財政規律のタガが外れている現状を修正し、財政赤字を減らす努力をしなければいけない」(りそなアセットマネジメントの黒瀬浩一氏)
驚いたのはトラス氏がこの年金基金の運用手法による市場の脆弱さを「知らなかった」と答えたことだ。財務省やイングランド銀行(中央銀行)との間で「明らかなコミュニケーションの問題があった」とも話した。
トラス氏は就任した直後に財務次官を解任したり、イングランド銀行の「役割を見直す」などと言及したりした。互いに不信感が広がっていた。
国のトップと中央銀行、財政当局との信頼関係なくして安定した経済運営は成り立たない。英国から学ぶ点はここにもある。
日本では植田和男氏が9日に新たな日銀総裁に就任し、翌日の10日にはさっそく岸田文雄首相の元を訪れた。鈴木俊一財務相も立ち会い協調を確認した。
インタビューの終盤、トラス氏が発した言葉が耳に残る。
「もし、もう一度時間があったら違った行動を取っていたかもしれない」
財政支出を拡大しつづけても日本では金利は急騰しないか。財政規律の緩みを放置すれば英国のような事態が起きうるのか。財政を巡る議論は国内でも百家争鳴だ。
ただ一つだけ言えることがある。経済・財政運営のやり直しはできない。英国から学ぶ最大の教訓だ。
【関連記事】
・史上最短首相のトラス氏、再始動 英財政の慣習に批判も
・トラスノミクスの失敗、「震源」は大減税よりもエネ対策
ニュースレター登録多様な観点からニュースを考える
※掲載される投稿は投稿者個人の見解であり、日本経済新聞社の見解ではありません。深川由起子のアバター
深川由起子
早稲田大学政治経済学術院 教授
コメントメニュー分析・考察 (まだ)国際金融市場を擁する国の首相が年金運用の脆弱性を「知らなかった」と言えることを民主主義国家の強みとみるのか、脆弱さとみるのか、と言われれば今は後者が大でしょう。日本でも前政権下で財務省と官邸の関係に問題があったことは首相の回顧録が示すとおり。市場の群衆行動は不安になるとポジよりネガに激しく反応し、潜在的地政学リスクの相手から揺さぶりが来ることも考えられると思います。ばらまき懸念は常に存在するので、リスク情報の共有はしっかりやってもらわないと。
2023年4月17日 8:16いいね
37中空麻奈のアバター
中空麻奈
BNPパリバ証券 グローバルマーケット統括本部 副会長
コメントメニューひとこと解説 人の噂も75日とはよく言ったもので、トラス政権の失敗を他山の石にしようとする意識が薄れ、日本の財政は防衛、子ども、グリーンに向かい拡大が目される。財政規律を取り戻した上での支出ならまだしも、心配は尽きない。また、トラス政権での失敗の一つに、政府と中央銀行との間のコミュニケーションが指摘されると、日本の政府と日銀間のアコードの存在に意義が見出せるということなのかもしれない。金利が低い間に慣れてしまった財政の弛緩は大問題だと認識を改めたい。6月に向けてアメリカの債務上限問題の浮上を含め、過剰債務問題が中心のリスクになりえることに再度注意である。
2023年4月17日 10:10いいね
25白井さゆりのアバター
白井さゆり
慶應義塾大学総合政策学部 教授
コメントメニューひとこと解説 昨年9月末から10月初めにおきた英国の国債市場の不安定化は、年金基金の投資戦略にあった。問題は年金基金だけでなくファンドを含むノンバンクの存在が大きくなっておりかならずしも十分規制が適用されていないのに、投資実態が十分わかっていないことだ。銀行はリーマンショック以降金融規制が強化されているが、ノンバンクとの連関も高まっており危機が発生するとどのように銀行に波及するかも十分わかっていない。このような認識があるにもかかわらず、世界の金融当局はまだ十分対応しきれていない。英国ではイングランド銀行の介入で混乱が収まった。3月の米国の地域銀行の破綻も原因は異なるが、金利上昇に関連するものだった。
2023年4月17日 8:15いいね
18永浜利広のアバター
永浜利広
第一生命経済研究所 首席エコノミスト
コメントメニューひとこと解説 当時の英国では、インフレ率が既に+10%台に到達しており、需給ひっ迫によりインフレ率が目標の+2%を大きく超えてしまっていました。
実際、IMFのGDPギャップで比較すると、英国では2022年時点で需要超過になっており、需要超過によりインフレ率が加速していました。
さらに、各国国債の信認を左右するとされる4指標についてG7で比較しても、英国は政府純債務/GDPと政府債務対外債務比率はG7中3番目に低かったものの、基軸通貨国米国に次ぐ経常赤字/GDPが大きい国である上、米国とフランスに次ぐ対外純債務/GDPが高いことからすれば、財政出動は限界だったと言えるでしょう。
2023年4月17日 8:13 』 -
紙幣を受託製造している最大手が経営難に。
http://blog.livedoor.jp/goldentail/archives/31305631.html『印刷技術が向上している今、偽札を作るのが難しい紙幣を作るのは、どこの国でもできる仕事ではありません。自前で、そういう技術を持たない国は、技術のある国へ紙幣の製造を発注します。日本の場合、人間国宝並の加工技術を持つ技師が、原版を作るので、偽札造りのメッカである北朝鮮でも、完全にはコピーできず、偽札を摘発されています。その分野で、世界最大の規模を持つのが、イギリスのデ・ラ・ルー社です。今、この会社の株が下落していて、最盛期の1/5になっています。
この会社の受け持つ紙幣は、世界150カ国に達していて、自前の造幣局を持たない国の殆どをカバーしています。この原因なのですが、それだけ貨幣の電子決済が進んで、紙幣の需要が落ちているという事があげられます。何も、仮想通貨の例を挙げる事もなく、日本も含めて、貨幣の電子化を推進する国が、増えています。これは、プリペイド・カードやデビッド・カード、クレジット・カードなどの電子決済も含みます。貨幣を電子化すると、殆ど野放し状態になっている商行為が記録として残る為、税金の徴収が自己申告ではなく、客観的なデータに基いて可能になるという利点があります。それと、十分に電子化が進むと、紙幣発行という、物凄く莫大な経費がかかる作業をする必要が無くなります。
紙幣や貨幣の発行というのは、めちゃくちゃ金のかかる作業で、しかも流通の管理もしないといけません。つまり、銀行などの金融機関を通じて、古い紙幣や貨幣は、集めて確実に破棄して、新しいものと交換する必要があるのですね。実に面倒です。こうした事にかかる費用というのは、馬鹿にならない金額になるので、国にとって通貨の発行というのは、金ばかりかかる、やっかいな作業なのです。
フィンテック企業など、新たなサービスと結びついた、従来の金融機関とは異なるネット系の金融サービスは、電子決済を取り入れる事で、とても便利である為、発展途上国も含めて、紙幣の需要というのは、右肩下がりで減っています。これが、デ・ラ・ルー社の株価が下落している原因です。つまり、望む望まないに関わらず、紙幣というものの役割が減っているのです。この辺りを狙って、ドイツで先進企業として展開していたワイヤーカード社のドイツ金融史上最大の不祥事と言われた不正会計問題を扱ったYoutube動画を作成中です。Part1は公開済みですので、よかったら、前記事のリンクからどうぞ。
この問題、かなり深刻で、顧客である国からすると、自国の紙幣の製造を依頼しているのですから、経営が悪化して潰れたりしたら、即、通貨の発行が行き詰まる事になります。切り替えると言っても、特殊印刷という極秘技術の塊みたいな分野ですから、簡単に他所の会社に依頼できません。電力という資源が、どの国でも足りなくなってきているので、全面的に電子化すれば、安心という問題でも無く、単にアナログからデジタルへの切り替えの過度期と片付けてしまえる問題でもありません。停電したら、使えませんでは、通貨は済まないからです。この問題、かなりセンシティブで、簡単には解決しない問題です。
そして、以下に通貨の発行というのが、いかに国にとって負担かという事を、この会社の母国であるイギリスの財政事情が示しています。イギリスは、先日、エリザベス女王が逝去され、チャールズ皇太子が国王に就任したので、当然ながら紙幣のデザインが変わります。今は、エリザベス女王が紙幣に印刷されていますが、これがチャールズ国王になるわけですね。ところが、新紙幣の発行は予定されているのですが、現在流通している紙幣を交換するとなると、その費用が捻出できず、今の紙幣も当分の間は、平行して利用できるように決めました。チャールズ国王の印刷された紙幣は、流通量が著しく減った時の補填か、極めて限定された量しか発行されない事が、既に決まっています。
イギリスは、国の規模に合わない手厚い福祉と社会保障で、国家財政がボロボロでして、しかも経済の調子もEUを離脱した影響で良くありません。特に、ポンドが国際決済通貨である事から、欧州の金融の中心はロンドンのシティーであり、絶対的な影響力を持っていたのですが、EU離脱で資金の流通に手続きや費用がかかるようになった事で、欧州各国に分散し始めています。既に、その座の切り崩しは、かなり急テンポで進んでいて、虎視眈々と金融センターの座を奪うべく狙われています。
今のイギリス経済は、四面楚歌状態な上、思想的に強迫観念でも持っているのかと思うくらい、CO2排出規制に振れて、石炭火力発電所を廃して、風力発電などの自然エネルギーへ転換した為、恒常的に電力不足な上、電力料金がバカ高くなっています。今年の冬は、電気代が家賃と同額になるくらい、料金の負担が増えました。それでも、電力会社は赤字だったりします。つまり、国を運営する費用が割高な上、権利ばかり見て持続性を検証しない高度な福祉行政で、常に金が無い状態が、今のイギリスという国家です。欧州に散らばっている難民が、最終的にイギリスを目指すのも、何も持っていなくても、最低限の生活が保証されるからです。もちろん、費用は、全てイギリス政府の持ち出しです。
高度な福祉行政と言っても、先日の記事で書いたように、救急車の出動回数を減らす為に、救急車要請の電話が入ると、担当医が病状を聞いて、緊急性が無いと判断すると、断るなんて事をしています。つまり、制度として高度な医療体制は維持されているのですが、金が無いから適用するのに制限をかけているのです。また、こうした緊急性を要さない患者というのは、診察まで待機状態にさせられるのですが、これが常に十万人単位で詰まっている状態で、いつ医療を受けられるのか、患者が判らない状態になっています。ただし、制度としては、確かに欧州でも最も手厚い医療制度になっています。機能していないだけで。実際、素人の患者が、うまく病状を電話で説明できるはずもなく、救急搬送を断わられて、自宅で病死した人も出ています。制度だけ見て、素晴らしいなんて言っているのは、実に愚かだという事が判ります。運用まで含めて見ないと、法律なんていうのは、魂の入ってない仏みたいなものです。条文では、いくらでも良い事が書けますからね。実行が伴ってこその法律です。
なんで、何か国内で問題が発生すると、欧州に外遊しに行って、「欧州は素晴らしい。それに較べて日本は・・・」とか言ってる政治家は、それだけで信用に足りません。恐らく、上っ面しか見てないからです。議論上での「あるべき論」とか、現実社会では、クソの役にも立たない事が多いのです。結局、イギリスは廃止する予定の原子力発電所の運転を継続し、更に新設する計画まで復活させざるを得なくなりした。もちろん、抜け目なく、原発をクリーンエネルギーに含めるという操作を先にやっています。クリーンエネルギーなら、頼っても良いという、実に都合の良い論理です。
私は、EVも行き詰まった時点で、これをやってくると見ています。欧州の掌返しは、今に始まった事ではなく、180度逆の事を平気で言い始めます。そもそも、EVの前は、「ディーゼル・エンジンこそ、環境問題の答えだ」とか言ってましたからね。そして、フォルクスワーゲンのCO2排出データ捏造事件ですよ。旗色が悪くなると、あっさり捨てて、EVに切り替えましたね。なので、基本的に信用しちゃいかんのです。そういう地域だと思って付き合わないと、振り回されて終わりです。』
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フィンランド 世界最大級の新型原発 営業運転へ
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230315/k10014009171000.html


『2023年3月15日 19時04分
ウクライナ情勢などを受けて原発を活用しようとする動きがヨーロッパで広がる中、世界最大級の新型の原発が来月、フィンランドで営業運転を始めるのを前に、その内部がメディアに公開されました。ヨーロッパで新たな原発が稼働するのはおよそ15年ぶりとなります。
来月、営業運転を始めるのは、フィンランド南西部にあるオルキルオト原発3号機で、14日は試運転が続く巨大な発電用のタービンが公開されました。
3号機はフランス企業などが手がける、ヨーロッパ加圧水型原子炉と呼ばれる新型炉です。最大出力は160万キロワットと世界最大級で、フィンランドの電力需要の14%を担えるということです。
独立した4つの緊急冷却装置や、溶け落ちた核燃料を冷却する「コアキャッチャー」と呼ばれる設備など、最新の安全対策が取られているとしています。
この原発は2005年に建設を始めたあと、原子炉の基幹部品に不具合が見つかるなどトラブルが相次ぎ、2009年に予定していた運転開始が10年以上遅れていて、地元メディアによりますと、建設費は110億ユーロ以上と、当初の見積もりの3倍以上に膨れあがっているということです。
ヨーロッパで新たな原発が稼働するのはおよそ15年ぶりで、運営会社の担当者は「安全性は向上させている。大きな責任と誇りを感じる」と話していました。ヨーロッパでは、フランスが新たに6基の原発を建設する方針を打ち出しているほか、イギリスやポーランドなども複数の原発の建設を計画するなど、ウクライナ情勢などを受けて、原発を活用しようとする動きが広がっていますが、原発の安全性の確保に加えて建設期間の長期化やコストの増大などのリスクが課題となっています。』
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欧州最大級原発新たに稼働 フィンランド、40年ぶり
https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2023041600680
『【ロンドン共同】フィンランド南西部のオルキルオト原発で16日、欧州最大級となる3号機(出力160万キロワット)が本格稼働した。原発の運営会社が発表した。ロシアのウクライナ侵攻の影響でロシアからの電力やガスの供給が停止する中、エネルギー供給の安定化と価格高騰への対策となることが期待される。
国際原子力機関(IAEA)によると、フィンランドで新たに原発が本格稼働するのは40年以上ぶり。
原発稼働を巡りドイツが事故リスクや放射性廃棄物問題を重視して原発利用を終了したのに対し、英国やスウェーデンでは新たな建設計画が進んでおり、欧州でも対応が分かれている。』




