竹島記述に抗議 韓国外務省
https://www.jiji.com/jc/article?k=2024041600427&g=int
『2024年04月16日10時40分配信
【ソウル時事】韓国外務省は16日、日本政府が2024年版外交青書で島根県・竹島(韓国名・独島)を「日本固有の領土」と記述したことについて、「不当な領有権主張を繰り返したことに強く抗議し、即時撤回を要求する」と非難する報道官論評を発表した。
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最終更新:2024年04月16日10時40分 』
竹島記述に抗議 韓国外務省
https://www.jiji.com/jc/article?k=2024041600427&g=int
『2024年04月16日10時40分配信
【ソウル時事】韓国外務省は16日、日本政府が2024年版外交青書で島根県・竹島(韓国名・独島)を「日本固有の領土」と記述したことについて、「不当な領有権主張を繰り返したことに強く抗議し、即時撤回を要求する」と非難する報道官論評を発表した。
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最終更新:2024年04月16日10時40分 』
中国 1月~3月のGDP伸び率 前年比 実質プラス5.3%
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240416/k10014423211000.html
『2024年4月16日 12時14分
中国のことし1月から3月までのGDP=国内総生産の伸び率は、去年の同じ時期と比べて実質でプラス5.3%となりました。伸び率は前の3か月からわずかに拡大しましたが、景気回復の勢いを今後持続できるかが焦点となります。
中国の国家統計局が4月16日に発表した、ことし1月から3月までのGDPの伸び率は、物価の変動を除いた実質で、去年の同じ時期と比べてプラス5.3%となりました。
伸び率は、前の3か月のプラス5.2%から、わずかに拡大しました。
また、前の3か月間と比べたGDPの伸び率もプラス1.6%と、回復の勢いが加速しました。
ことし1月から2月にかけて輸出が増え、企業の生産が上向いたことや、旧正月の春節の大型連休で旅行需要が高まり、飲食や宿泊などの業種で好調が続いたことなどが、主な要因です。
ただ、先行きについては、不動産不況や内需の停滞などを背景に不透明感が広がっていて、中国政府は、ことしから1兆元、日本円で20兆円余りの特別国債を発行し、景気を下支えするほか、内需拡大に向けて、家電製品や自動車などの買い替えを促す対策を打ち出しています。
中国政府はことしの経済成長率の目標を、去年と同じ水準の5%前後としていますが、こうした対策を通じて景気回復の勢いを今後持続させることができるかが焦点となります。』
「出来すぎ」の迎撃戦果にちょっと違和感が・・・東京の郊外より
https://holyland.blog.ss-blog.jp/2024-04-15




『緊急速報:「出来すぎ」イラン攻撃への迎撃作戦概要 [安全保障全般]
14日早朝のミサイル130発と無人機150機による攻撃
99%をイスラエル&米英軍で迎撃したと米政府高官
「出来すぎ」の迎撃戦果にちょっと違和感が・・・
Iran attack.jpg4月14日のイスラエル時間未明(日本時間の14日夜明け頃か)、4月1日にイスラエル軍機が行った在シリアのイラン大使館への爆撃に対する報復攻撃をイラン革命防衛隊が遂行し、イランの弾道&巡航ミサイル130発以上と無人機約150機がイスラエルに向け発射されました。
これに対し、イスラエル軍と米英軍が協力して戦闘機と防空ミサイルとイージス艦防空システムで迎撃作戦を行い、米国政府高官はイラン側攻撃の99%を迎撃し、その大半はイスラエル軍の戦闘機やArrow2又は3防空ミサイルにより行われたが、米軍もバイデン大統領が前週に増強派遣を指示した米空軍戦闘機や米海軍イージス艦で迎撃作戦に参加し、スナク英首相も英軍戦闘機が複数の無人機を要撃したと発表しています
冒頭紹介の攻撃概略図を掲載のNYポスト紙記事
→ https://nypost.com/2024/04/13/world-news/iran-launches-attack-on-israel-live-updates/
Iran attack2.jpg
以下では、米国政府高官がメディアに「異常なほどの迅速さ」で語ったイランによる攻撃概要と、この「出来すぎ」感のある迎撃成果について、速報でご紹介いたします。本当に出来すぎで違和感ありありです・・・
14日付米空軍協会web記事によれば
●イラン側の攻撃
・攻撃はイラン、イラク、シリア、イエメン各地から行われ、兵器内訳は
・巡航ミサイル100発以上、
・地上発射弾道ミサイル30発以上
・無人機(自爆突入型か?)150機以上
●米軍による要撃成果
F-15EX Northern Edge3.jpg・イスラエル軍と米英軍間の敵攻撃状況の情報共有や迎撃目標割り当ては、米中央軍が運営する在カタールのCAOC(Combined Air Operations Center)で実施
・F-15E Strike Eaglesで無人機70機以上迎撃
・Patriot防空ミサイル(在イラクのエルビル)で弾道ミサイル1発迎撃
・東地中海配備の米イージス艦で弾道ミサイル4-6発迎撃
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PAC-3 4.jpg
正直な感想を申し上げれば、これだけ大規模な弾道&巡航ミサイルと無人機による「夜間」の「飽和攻撃」を99%迎撃するなど、漫画の世界でも設定困難なレベルの「出来すぎ」成果であり、一部SNS上で有識者も含めてつぶやかれている「米とイランが攻撃シナリオを事前に共有していた」説に共感してしまいます。
即座に「G7首脳によるTV会議が開催」とか、この米政府高官によるイラン攻撃概要や米側戦果公表の「迅速すぎ」感もあります
もちろん、完全にイラン側の飽和攻撃計画を把握していたとしても、戦闘機(なぜStrike Eaglesで?)による夜間要撃も含めた99%の迎撃戦果は「お見事」の一言であり、防空作戦の指揮統制を行った在カタールのCAOC(Combined Air Operations Center)の采配を含め、そのノウハウを日本も是非学ぶべきだと強く思います
イランがロシアに大量売却したイラン製ドローン兵器
「イラン製自爆無人機がウクライナで猛威」→https://holylandtokyo.com/2022/10/20/3787/
応援お願いします!ブログ「東京の郊外より」支援の会
→https://community.camp-fire.jp/projects/view/258997
ブログサポーターご紹介ページ
→https://holylandtokyo.com/2020/04/15/727
タグ:イージス艦 イスラエル イラン Arrow-3 Arrow-2 Patriot F-15E
2024-04-16 05:00 nice!(3) コメント(0) 』
北の国から猫と二人で想う事 livedoor版:イランの報復攻撃経過と今後の懸念
https://nappi11.livedoor.blog/archives/5517694.html



『イランの14日未明の報復攻撃:イランが直接イスラエルを攻撃したのは初めてである。
イランは2024年4月1日の在シリア・イラン領事館でのイラン革命防衛(IRGC)7人死亡に対するミサイル攻撃の報復として、300機以上のドローンと多くのミサイルをイスラエルに向けて発射した。
イラン政府は攻撃開始の72時間前に周辺国に攻撃を通知していたと明らかにしている。写真は、イランの首都テヘランで開かれた反イスラエル集会=14日(ロイター=共同)と、イラン最高指導者ハメネイ師(Ali Khamenei 大統領)
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イスラエル広報:イスラエル国防軍(IDF)はその99%を撃墜したと報告し、米軍、IDF、周辺の同盟国がイランから1000キロ以上離れたイスラエルに向けて発射された兵器のほぼ全てを撃墜したとみられる。
また、イスラエルの防空システム「アイアンドーム」などが撃墜したドローン・ミサイルの破片で死傷者や被害が出たという情報はない。
米ワシントンD.C.ホワイトハウス、バイデン大統領(Getty-Images)米国の対応:ホワイトハウス高官は14日の記者会見で、バイデン(Joe Biden)大統領はネタニヤフ(Benjamin Netanyahu)首相と電話で話し、ネタニヤフ首相に対し、「イランによる同国への初の直接攻撃という前代未聞の行為に対する自軍の対応について、非常に注意深く、戦略的に考えるよう促した」と述べ、米国はイランへの報復攻撃には関与しないと警告したが、イスラエル支援として、約70機のドローンと数発の弾道ミサイルが米軍機や艦艇、あるいはイラク上空の防空部隊によって撃ち落とされたとみられている。
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今後の懸念:今後、ガザ紛争をめぐるイラン、イスラエル両国の対立は湾岸諸国を巻き込む戦争に発展する恐れがある。
ホワイトハウスは、バイデン氏とネタニヤフ氏が事態を沈静化させる方法について議論したと述べているが、「ネタニヤフ氏に全面戦争を避けるよう警告したか」いうメディアの質問に答えず、「イスラエルが必要な措置を取る」とだけ述べた。
カービー(John Kirby)戦略広報調整官は米国内メディアに対し「米国はイスラエルに対し、より広範な紛争を回避するよう強く求めていることを明確にした」と繰り返し、同じメッセージを外交ルートを通じてイランに送ったと述べた。参照記事 参照記事 参照記事 参照記事 参照記事FireShot Webpage Screenshot #908 – ‘【そもそも解説】中東
、、ウクライナ戦争が継続する中、各国は地域紛争で収めたいのが本音で、全面戦争への火種には、早いうちに火消しをする意向で同意しているようだ。
今回を機に、各武装組織への攻撃は更に激化するかもしれない。
左のサヘディ氏は、イラクとシリアで活動する、イラン革命防衛隊の精鋭部隊「コッズ部隊(Quds Force)」の司令官とも言われ、多くの反米、反イスラエル民兵組織(シーア派武装組織:右下)354ec4d3-sの訓練を行う軍事支援組織ともされる。
過去ブログ:2024年4月イスラエルに各国から同時に400~500発のミサイルやドローン飛来:4月中国が親露政策への米の批判や圧力に反発 泥船に乗った?:4月イラン南東部州でスンニ過激派が警官6~10人殺害:4月イスラエル軍のガザ南部撤収は休養と再編成の為:2月シリア,ヨルダン国境の米軍へ親イラン派が攻撃>米軍が報復開始;2021年7月イラクのイラン支援民兵組織の米軍への報復始まる イランは?:2月イラク米軍へロケット攻撃のシーア派乱立に米報復とNATO増強: 』
今後、イランの巡航ミサイルのコースを迷わせるために、イスラエル上空のGPS信号は、…。
https://st2019.site/?p=22022
『『The War Zone』 staff 記者による2024-4-14記事「Iran’s Retaliatory Strikes Have Begun」。
今後、イランの巡航ミサイルのコースを迷わせるために、イスラエル上空のGPS信号は、意図的に攪乱されることがある。これはイスラエル政府の中の人が注意喚起した。
IDFいわく。こんかい飛来したイラン製ドローンは、少なくも1800km、飛んできた。だから着弾までに数時間かかった。
※謎だ。ネゲブ砂漠からイラン領土まで計っても1200km弱しかないはずだ。オマケの600kmは何の為?
イスラエル国境からイラン国境までは、最短で1000km弱である。
今回イランは、イスラエルの防空アセットを飽和させるべく、すべてのドローンが同時弾着するように攻撃プランを組んでいた。その発進点を極力拡散するには、余裕の航続距離が必要であった。
この大空襲をうけて、イラク、ヨルダン、レバノン、エジプトは、民航機の自国領空利用を一時、禁止した。もちろんイスラエルとイランの領空も、民航機は飛べない。
こんかい米軍は、SBIRS(宇宙展開赤外線早期探知衛星群)をISRに役立てたことが強く推定される。これは弾道弾発射のブラストの赤外線を探知するのが第一義の用途だが、もっと微かな巡航ミサイルの赤外線も探知できるのだと噂されている。ただし、それがドローンまで及ぶのかは不明。
イランは民間目標を狙っていない。今回は軍事施設に対してのみ、空襲を仕掛けた。
イランは、ディモナにあるイスラエルの核施設も狙った。エイラート港も。
ヒズボラは、ゴラン高原に対して短距離ロケット弾を撃ちかけているという。ただしイランの空襲開始よりも遅く、それを開始した。
イラン国防相は警告した。イスラエル軍機の対イラン空襲のために領空を提供した第三国に対してはイランは断固たる対応を取る、と。
CNNによれば、飛来した70機のドローンと3発の弾道ミサイルは、米軍がインターセプトした。
米軍艦は「SM-3」を初めて実戦で使用した模様。SM-3はもともとABMとして開発された。そのほんらいの目的で、初めて実戦発射された。
イスラエルの発表によると、イラク領内、および、イエメンから発射されたドローンがある。
※だから1800kmか。
対巡航ミサイルと対ドローンの防空には、イスラエル空軍の「F-15 I」が活躍したのではないか。「AIM-7 スパロー」は、イスラエル空軍機が敵のドローンを撃墜するのには、とても使いやすいAAMだという。これを目視の近距離AAMとして用いるのである。もちろん、セミ・アクティヴ・レーダー・ホーミングで当てる。イスラエル空軍は、巡航ミサイルもドローンも領空の外側でことごとく撃墜したと自慢している。
※ストラテジーペイジによれば、イランはレンジ700kmの新型の巡航ミサイルを完成していると。これは走っている車両から発射することができると。またイランは、全長8mのスピードボートから、レンジ30kmのミサイルを1発、発射させることができると。「ファタ110」地対地弾道ミサイルは、自重3.5トンの固体ロケットで、レンジ300kmあり、弾頭重量は500kgだと。なお、ロシアが手にした「シャヘド」特攻機はもうじきトータルで4000機になるだろう、とも。』
英国防省は、未だ試作の段階である地対空レーザー砲「ドラゴンファイア」を、ウクライナ軍に供給することに決めた。
https://st2019.site/?p=22019
『Svetlana Shcherbak 記者による2024-4-13記事「The UK Prepares for Combat Experiment, Plans Transfer of DragonFire Laser Weapon to Ukraine」。
英国防省は、未だ試作の段階である地対空レーザー砲「ドラゴンファイア」を、ウクライナ軍に供給することに決めた。『テレグラフ』紙の報道。
英海軍はこれを2027年に軍艦に搭載する計画である。しかしウクライナ軍にはすぐに使わせる。
グラント・シャップス国防大臣は吼えた。いままでの兵器開発はペースが遅すぎるんだよ。10年がかりで新兵器を開発してたら、この時代には、誰も生き残れん。タイム・フレームに革命を起こせ。兵器開発の世界では、開発の遅さ=巨億の国防予算の無駄 だと自覚せよ。
1.5キロワットのレーザー銃×37個によって空中の1点にフォーカスすることにより、55kwの対空レーザー砲となる。
だいたい50キロワット以上あれば、そのレーザー光の照射で、飛翔体の金属表面を焼き破ることができる。
有効レンジは非公開だが、金属表面が摂氏3000度のプラズマ状態と化し、穴が開く。航空機の胴体も、搭載兵装の外殻も、数秒にして、焼き切られる。
使用する光の波長は、1ミクロンである。赤外線に近いので、人の目では光束は見えない。
これを「1発」発射するのにかかるコストは、10ポンドで済む。
まともな艦対空ミサイルが1発100万ドルするのとは、比較にもならず、安い。
多数の特攻ドローンが一斉に襲来したようなとき、SAMではとうてい、対処はできない。レーザーしかないのである。』
こんかい、IRGC(イラン革命防衛隊)はあきらかに、イスラエルの南部にある「Nevatim」空軍基地をメインのターゲットにしていた。
https://st2019.site/?p=22019
『Emanuel Fabian 記者による2024-4-15記事「How Israel foiled Iran’s ballistic missiles as they headed to an F-35 airbase」。
こんかい、IRGC(イラン革命防衛隊)はあきらかに、イスラエルの南部にある「Nevatim」空軍基地をメインのターゲットにしていた。そこはF-35の常駐飛行場なのである。
IDFによれば、4-14の大空襲で、イランは自爆ドローン×170機、巡航ミサイル×30発、弾道ミサイル×120発を飛ばしたものの、その99%は途中でインターセプトされたという。
※これだけの数量の目立つ兵器をシリアやイラク領内で事前に展開する必要があったから、ハマス奇襲の時のようにはその準備作業を秘匿することは不可能で、各国は、十分に備えることができた。この制約は、おそらくは「台湾有事」の直前でも、あてはまる。ということは、ぎゃくに、中共軍は、空軍とミサイル部隊(火箭軍)を一切動かさないでおいて、開戦奇襲の第一撃を、いきなり「歩兵」だけにやらせたならば、ハマス奇襲のように台湾を攻略してしまえるかもしれないわけだ。
イスラエルの国境外では、米、英、ヨルダン、フランスの部隊も、インターセプトに加勢した。
ドローンは低速なので、イスラエル国内の目標に到達するまでに、えんえんと数時間も飛行する必要があった。
巡航ミサイルでも、最低で1時間も飛翔する必要があった。
弾道弾だけは、発射して10分間でイスラエル領内に達した。
さすがに弾道弾のすべてを迎撃することは、IDFにはできなかったようだ。時刻は現地の日曜日の未明だった。
IDFいわく、弾道ミサイルは120発、飛来した。その多くを、ABMの「アロー3」が、敵弾道弾が大気圏外にある段階で、撃破したという。
※アロー3もしくは敵の弾道ミサイルの弾頭が宇宙空間で爆発した様子を地上から撮影したと思われるビデオがSNSに投稿されている。まるで尺玉の「花火」が開いたように真円が拡がる。
ネゲヴ砂漠では、住民のベドウィンの少女が、降ってきたデブリで負傷した。弾道弾は、迎撃に成功したとしても、その残骸のすべてはイスラエル領土上に降り注ぐのである。だから空襲警報サイレンを鳴らして、住民が戸外でウロウロしないように注意喚起していた。
ネゲヴ砂漠の東部が集中的に狙われた。そこに「Nevatim」空軍基地もあるのだ。
他には、エルサレムと、ヨルダン西岸、そしてゴラン高原が。
Nevatim基地には、少数発の弾道弾が、ABMをかいくぐって、着弾した。しかし損害は軽微で、飛行場は通常通りに機能しているという。
ミサイル空襲が始まる数時間前に、所在のイスラエル空軍機は、離陸してどこかへ去ったという。空中疎開したのだ。だから地上でやられた軍用機は、無い模様。
イランは、ネヴァティム空軍基地の「F-35i」をどうしても破壊したかったのだろう。』
ベルギー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC














『出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ベルギー王国
Koninkrijk België(オランダ語)
Royaume de Belgique(フランス語)
Königreich Belgien(ドイツ語)
ベルギーの国旗 ベルギーの国章
(国旗) (国章)
国の標語:
L’union fait la force(フランス語)
Eendracht maakt macht(オランダ語)
Einigkeit macht stark(ドイツ語)
(日本語訳: 団結は力なり)
国歌:La Brabançonne(フランス語)
De Brabançonne(オランダ語)
Das Lied von Brabant(ドイツ語)
ブラバントの歌
Duration: 1 minute and 4 seconds.1:04
ベルギーの位置
公用語 オランダ語[注釈 1]、フランス語、ドイツ語
首都 ブリュッセル市(憲法上)
ブリュッセル首都圏地域(事実上)
最大の都市 ブリュッセル
政府
国王 フィリップ
首相 アレクサンダー・デ・クロー
面積
総計 30,528km2(136位)
水面積率 0.8%
人口
総計(2020年) 1159万[1]人(78位)
人口密度 382.7[1]人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2020年) 4511億7700万[2]ユーロ (€)
GDP(MER)
合計(2020年) 5149億2000万[2]ドル(25位)
1人あたり 44,688.462[2]ドル
GDP(PPP)
合計(2020年) 5897億1800万[2]ドル(38位)
1人あたり 51,179.999[2]ドル
独立
- 宣言
- 承認 ネーデルラント連合王国より
1830年10月4日
1839年
通貨 ユーロ (€)(EUR)[注釈 2][注釈 3]
時間帯 UTC+1 (DST:+2)
ISO 3166-1 BE / BEL
ccTLD .be
国際電話番号 32
^ a b “UNdata”. 国連. 2021年11月5日閲覧。
^ a b c d e IMF Data and Statistics 2021年11月5日閲覧([1])
ベルギー王国(ベルギーおうこく、蘭: Koninkrijk België、仏: Royaume de Belgique、独: Königreich Belgien)、通称 ベルギーは、西ヨーロッパに位置する連邦立憲君主制国家。
隣国のオランダ、ルクセンブルクと合わせてベネルクスと呼ばれる。
首都ブリュッセル(ブリュッセル首都圏地域)は欧州連合(EU)の主要機関の多くが置かれているため「EUの首都」とも言われており、その通信・金融網はヨーロッパを越えて地球規模である。
憲法上の首都は、19の基礎自治体からなるブリュッセル首都圏の自治体のひとつ、ブリュッセル市である。
概要
ベルギーは19世紀にネーデルラント連合王国から独立した国家で、オランダ語の一種であるフラマン語が公用語の北部フランデレン地域と、フランス語が公用語の南部ワロン地域とにほぼ二分される(このほかにドイツ語が公用語のドイツ語共同体地域もある)。
建国以来、単一国家であったが、オランダ語系住民とフランス語系住民の対立(言語戦争)が続いたため、1993年にフランデレン地域とワロン地域とブリュッセル首都圏の区分を主とする連邦制へ移行した。
国名
正式名称は、
オランダ語: Nl-Koninkrijk België.ogg Koninkrijk België[ヘルプ/ファイル](オランダ語発音: [ˈbɛlxiə][1] コーニンクレイク・ベルヒエ[注釈 4])
フランス語: Royaume de Belgique(フランス語発音: [rwajom də bɛlʒik] ロワイヨーム・ドゥ・ベルジク)
ドイツ語 : Königreich Belgien(ドイツ語発音: [ˈkøːnɪçraɪç ˈbɛlɡiən] ケーニヒライヒ・ベルギエン)
英語表記は、Kingdom of Belgium(英語発音: [kɪ´ŋdəm ɔ´v be´ldʒəm][2] キングダム・オブ・ベルジャム)で形容詞はBelgian(ベルジャン)。ラテン語表記もBelgium(ベルギウム[3])である。
日本語の表記はベルギー王国。通称はベルギー。漢字による当て字で白耳義と表記され、白と略される。
オランダ語の「België(ベルヒエ)」に由来し、江戸時代にオランダ商人が来航した際に伝わったのをそのまま文字読みしたものである。
ベルギーという名称は、かつてのガリア北東部の呼称「ベルガエ」、もしくは同地に住んでいたベルガエ人に由来するとされる。
歴史
詳細は「ベルギーの歴史」を参照
古代
ベルギーと称される地域には、旧石器時代ごろより農耕と漁労を主とする人類の定着が見られる[4]。
新石器時代に入り、大西洋の海進によって温暖化が進むと中央ヨーロッパから移住してきた種族が定住を始め、牧畜技術の移入と農耕技術の革新をもたらした[5]。
こうした民族と文化の移入は紀元前1000年ごろまで続き、社会的組織の構築や金・銅・錫の生産、ドルメンといった文化移入の痕跡が見られる[5]。
また、エジプト産のビーズなども発見されていることから、この時代、地中海世界の広い範囲で行われた交易に参加していたとも考えられている[5]。
紀元前6世紀ごろにケルト人がライン川を渡って到来し、移住してくると、彼らによって火葬の文化や鉄器がもたらされた[5]。
紀元前後になるとローマ人との接触が始まり、ガイウス・ユリウス・カエサルが紀元前57年に著した『ガリア戦記第二巻』に、この地に居住する民族について初めて言及がなされた[5][6]。
カエサルは同地に居住するゲルマン人との共通性を持つケルト人の多くを総称してベルガエ族と呼んだ[5]。
ベルガエ族は多数の部族に分かれてベルギー地方で生活していたが、ガリア戦争を経て同地は紀元前51年にガリア・ベルギカとしてローマ帝国の属州となった[6]。
ローマはその版図をライン川まで広げてゲルマニアの征服へと乗り出し、その過程で遠征拠点の都市としてトンゲレン、トゥルネー、アルロンといった植民都市が築かれた[6]。
アウグストゥスの時代にベルギーを含むライン川左岸からフランス東北部にわたる地域がベルギカ州に組み込まれたが、ドミティアヌスは東部国境線を東進させてライン川沿いの地域をベルギカ州から分離させて上下ゲルマニアとし、今日のベルギーを構成する大部分の地域はこのとき下ゲルマニアに組み込まれた[7]。
3世紀に入り、海進によって居住地を失った人々が大規模な移住を始めた。
これによってフランク族がライン川を越えてローマ帝国へ侵入し、ライン川近郊の多数の都市が占拠されていくと、帝国の国境はブローニュとケルンを結ぶ軍用道路線まで後退した[6]。
こうして北部ではゲルマン人の定着に伴うフランデレン語が、南部ではワロン語が浸透していき、その結果生まれた境界線は以降のベルギーにおけるラテン系・ゲルマン系という民族紛争、言語戦争の起源となった[8][9]。
フランク族の侵入によって徐々に弱体化していったローマ帝国のフラウィウス・クラウディウス・ユリアヌスは、358年、サリ族のトクサンドリア定着を認めた。
中世
481年、次第に勢力を強めるサリ族の王に即位したクローヴィス1世はトゥルネーを首都とするメロヴィング朝を建国した[9]。
クロヴィス1世はその後、ローマ帝国ガリア地方の軍司令官シアグリウス、ライン地方のテューリンゲン族(ドイツ語版、英語版)、ルクセンブルク南部のアレマン族、ブルグント王国、西ゴート王国といった勢力を次々と打ち倒し、北海からピレネー山脈に至る広大な領地を獲得した[9]。
しかし、クロヴィス1世没後は王国領土が4人の遺子に分割相続され、内部対立による衰退が進んだ[10]。
7世紀中盤ごろになるとアウストラシアの宮宰としてピピン2世が頭角を現し始めた。
687年、テルトリーの戦いでネウストリアに勝利すると、フランク王国における支配権を確立した。
732年、カール・マルテルの時代にトゥール・ポワティエ間の戦いにおいてウマイヤ朝に勝利、751年にはピピン3世がクーデターを断行し、メロヴィング朝に代わり、カロリング朝が興った。
754年、ランゴバルド王国を討伐して獲得したラヴェンナを教皇に寄進することにより宗教的後ろ盾を得ることとなり、フランク王国は宗教的国家という特色を持つようになった[11]。
カール大帝の時代になるとフランク王国は今日のフランス・ドイツ・イタリアに相当する地域を統一し、東ローマ帝国を凌ぐ大国となった[11]。
800年、サン・ピエトロ大聖堂においてレオ3世より西ローマ帝国の帝冠を授与された(カールの戴冠)。
民族大移動以来、混成していた西ヨーロッパが東ローマから独立した存在としてまとまり、ギリシャ・ローマ的要素、キリスト教的要素、ゲルマン的要素が融合して新しい文化圏を形成した中世ヨーロッパ世界が確立した[12]。
カール大帝が没し、ルートヴィヒ1世の治世が終わった843年、ヴェルダン条約によって王国は東フランク王国、西フランク王国とロタリンギアに分けられた。
さらに870年のメルセン条約によってロタリンギアは東西フランクに分割吸収され、この結果、ベルギー地方はスヘルデ川を境として分裂することとなった[13]。
また、9世紀初頭より始まったノルマン人襲来の脅威から身を守るため、各地で地主や司教たちを中心としてフランドル伯領、ブラバント伯領、リエージュ伯領、エノー伯領、ナミュール伯領、リンブルク伯領、ルクセンブルク伯領といった封建国家が誕生した[13]。
中でもフランドル伯領は、リンネルの交易によって「ヨーロッパの工場」としての地位を築き上げ、ブルッヘやヘントといった都市を中心に繁栄を誇った[14]。
10世紀に入ると城や砦に隣接して誕生した居住地(ブルグス)の住民は共同体を形成するようになり、キヴェスやブルゲンセスといった呼称で統一的に呼ばれるようになった[15]。
特にブルゲンセスは何らかの特権を賦与された住民層を示す語となり、外来者や下層民らと自身を区別する意識を持つようになった。
彼らは土地の所有など一定の条件を満たす者同士で宣誓共同体(コミューン)を結成して法人格を持つグループを構成した[16]。
コミューンを通して領主との双務的契約の締結がなされるようになり、コミューンは金銭の支払いや領主への奉仕を交換条件として税の免除や一定の自治権の取得といった特権を獲得していった[17]。
こうして都市は領主と一部の特権階級者によって支配されるようになり、一般市民との対立を招く結果となった[18]。
14世紀以降
1337年、フランドル伯領の諸都市はイングランド王エドワード3世の支援を受けて反乱を起こした。
一時的に諸都市はイングランドとの通商や種々の特権を獲得することに成功するが、1381年にはフランドル伯の反撃を受け、ブルッヘが征服されてしまう。
この結果、フランドル地域はフランドル伯死後にブルゴーニュ公国に組み入れられることとなった[19]。
フィリップ豪胆公から始まるブルゴーニュ公国は、「飛び地」として獲得した豊かな産業を持つフランドル地方の経済力を背景として版図の拡大を図った[20]。
飛び地の解消を目指してフランス王国へと積極的な介入を見せたが、シャルル突進公の1477年、ナンシーの戦いにおいて敗北を喫すると逆にフランスからの侵略を受けることとなった。
シャルル突進公の戦死を受けて、娘マリーはかねてより婚約していたハプスブルク家のマクシミリアン大公(のちの神聖ローマ皇帝)に救援を要請し、結婚した[21]。
ここにブルゴーニュ公国は終焉を迎え、フランドル地方はハプスブルク家の支配下に組み込まれることとなった。
フランドル地方の統治権はフィリップ美公を経て1506年、カール5世に渡った。
カールは1464年に設置されていたネーデルラント全域を管轄する全国議会を存続させ、1531年にネーデルラントに軍事・立法・財務の各職掌に評議院を設ける[22]など統治に意を用いる一方、この地方の統合を進め、1543年にはゲルデルン公国を併合してこの地方を統一し、1548年には神聖ローマ帝国からこの地方を法的に分離してネーデルラント17州を誕生させた[23]。
この時期アントウェルペンはブリュージュに代わりフランドルの経済の中心となった。
しかしカールが1556年に退位し、ネーデルラントをスペイン王となったフェリペ2世が統治するようになると、強硬な異端取り締まりや自治の制限といった圧政に17州が蜂起し、1568年に八十年戦争が勃発した。
この戦争は当初はスペイン側が優勢に戦いを進め、1576年には大貿易港だったアントウェルペンをスペインが占領・劫掠する一方、17州側はヘントの和約を締結して結束を固めた[24]。
しかしこの和約は北部のカルヴァン派と南部のカトリックとの対立によって崩壊し、北部諸州はユトレヒト同盟を結んで独立の姿勢を鮮明にする一方、南部2州はアラス同盟を結んでスペイン寄りの姿勢を示し[25]、ここを拠点に進撃したスペイン軍が南部10州の支配を固め、ネーデルラントは南北に分離することとなった。
最終的に、北部7州は1648年のヴェストファーレン条約によってネーデルラント連邦共和国として正式に独立を承認されたが、南部諸州はスペイン領南ネーデルラントとしてスペインの支配下に留まった[26]。
18世紀
スペイン・ハプスブルク朝の断絶により生じたスペイン継承戦争(1701年 – 1714年)の結果、ラシュタット条約でスペイン領南ネーデルランドがオーストリアに割譲され、オーストリア領ネーデルラントが成立する。
1740年オーストリア継承戦争ではフランスが再度ベルギーを占領したが、アーヘンの和約によりマリア・テレジアに返された。
1778年にはカール・テオドールが、自身の領国バイエルン選帝侯領をオーストリア領ネーデルラントと交換しようと画策したがバイエルン継承戦争により失敗した。
1789年にハプスブルク=ロートリンゲン家の支配に対してブラバント革命が起こり、1790年には独立国家であるベルギー合衆国が建国されたが、短期間で滅ぼされた[27]。
ベルギーは、オーストリア領ネーデルラントとして再びハプスブルク家の支配下に戻った。
フランス革命戦争勃発後、ジャコバン派がフランス革命国民義勇軍を主導したが、その国民義勇軍の将軍ジュールダンと公安委員カルノーはベルギー戦線で、ロベスピエールの恐怖政治中の1793年10月、オーストリア軍を殲滅した。
翌1794年6月、ジュールダン将軍とベルナドット将軍は再度ベルギー戦線でオーストリア軍を殲滅した。このあと、フランス軍は南ネーデルランドを占領し、1795年にはフランスに併合された[28]。
独立と永世中立国化
ナポレオン戦争の終結後、ベルギーはフランス統治下を離れ、1815年のウィーン議定書によって現在のオランダとともにネーデルラント連合王国として再編された[29]。
しかしプロテスタント・オランダ語話者が多数派を占め経済の低迷する北部ネーデルラントに対し、カトリックが多数派でオランダ語話者とフランス語話者がほぼ同数であり、さらに産業革命の波が到達して経済が活況を呈している南ネーデルラントは反発を強めていき、ネーデルラント国王ウィレム1世の高圧的な姿勢がそれに拍車をかけた[30]。
こうして1830年に南ネーデルラントは独立革命を起こし、同年に独立を宣言する。
1831年にはドイツの領邦君主のザクセン=コーブルク=ゴータ家からレオポルドを初代国王として迎えた[31]。
しかしオランダはこれに反発し、1839年のロンドン条約を締結するまで独立を承認しなかった[32]。
同年に制定された憲法は、主たる納税者であったブルジョワジー(財産家・資本家)男子による二院制と、国王の行政や軍事など最高の国家行為には首相の承認(副署)を要することを規定した。
ベルギー憲法の、その首相副署主義は新しい立憲的制度であった。
これはカトリックのベルギーが、外から迎えるプロテスタントの国王、ザクセン=コーブルク=ゴータ家のレオポルド1世(在位:1831年 – 1865年)に対抗するためのものであった。
19世紀
ベルギーは大陸ヨーロッパでもっとも早く、独立直前の1820年代に産業革命が始まった。
独立後工業化はさらに進展し、1835年にメヘレン・ブリュッセル間の鉄道が建設されたのを皮切りに急速に鉄道建設が進んで、1840年代前半には国内の主要鉄道網が完成した[33]。
次いで1846年にはチャールズ・ホイートストンとウィリアム・クックに電信の敷設を許可したが、1850年頃から政府が回線網の買収と拡大を進めるとともに、1851年には商業利用が認可された[34]。
こうしたインフラの整備を背景に、とくに南部のワロニア地方を中心にリエージュ、シャルルロワなどにおける石炭の産出が増加し、製鉄や機械工業といった重工業や、ソルベイに代表される化学工業が発達した[35]。
一方、内政においては学校教育の主体を巡り、公教育の充実を目指す自由主義派と教会による教育を重視するカトリック派の対立が続いた[36]ほか、工業化に伴う産業構造の変化によって労働運動が台頭し[37]、これに伴って1893年には男子普通選挙制が導入された[38]。
また1860年代以降、当時は独立以来唯一の公用語とされていたフランス語に対する、オランダ語の地位向上を目指すフランデレン運動が盛んになり、以後のベルギー政治を二分する争点となっていった[39]。
この時期、ベルギー政府は植民地獲得にまったく興味を持っていなかった[40]一方、第2代国王レオポルド2世は積極的に植民地獲得を目指しており、彼はアフリカ中部のコンゴ川流域に目をつけ、ヘンリー・スタンリーを派遣して現地の掌握を進めていた。
この動きを警戒した列強によって1884年にアフリカ分割のためのベルリン会議が開かれ、レオポルド2世は個人所有地としてコンゴ川流域の支配権を認められた[41]。
しかしこうして設立されたコンゴ自由国は現地で過酷な搾取を行い、さまざまな蛮行を行ったため列強から強い批判を浴び、1908年にはコンゴの統治権はレオポルドからベルギーへと移管された[42]。
20世紀以降
第一次世界大戦ではドイツ軍によってほぼ全土を占領されたが、国王アルベール1世を中心とする政府は亡命政府を樹立し頑強に抵抗した[43]。
戦後はドイツの脅威に対抗するためフランスと軍事協定を結んだが、1936年にはこれを破棄して中立政策へと回帰した[44]。
しかし1940年5月10日未明、ナチス・ドイツはベルギーと同じく中立を宣言していた隣国のオランダ、ルクセンブルグに侵攻を開始。
交戦状態となり[45]、再びドイツ軍によって国土を占領された。
ロンドンに亡命政権が立てられたが、 同年5月28日に国内に残った国王レオポルド3世は亡命政府の意向を無視してドイツの無条件降伏要求を受諾[46]。
立憲君主制下にある国王の権限を逸脱するものとして戦後に問題視されることとなった[44]。
戦後、レオポルド3世の行為は問題視され、1950年には君主制の是非を巡る国民投票が行われた。
この投票ではかろうじて君主制維持が過半数を占めたものの、とくに南部で批判票が強く、これを受けてレオポルド3世は退位し、ボードゥアン1世が即位した[47]。
1950年代には経済の復興が進む一方、1951年の欧州石炭鉄鋼共同体への参加以来、首相のポール=アンリ・スパークを中心に積極的にヨーロッパ統合の動きを推進し、のちにスパークは欧州連合の父の1人に数えられるようになった[48]。
1958年に成立したガストン・エイスケンス政権は学校教育問題の解決などで大きな成果を上げたが[49]、コンゴ植民地の独立時の対応を誤り、コンゴ動乱を招くこととなった。
1960年代に入ると、ワロン地域の経済低迷とフランデレン地域の経済成長によって両地域の経済的地位が逆転し、これに伴って言語問題が激化していった[50]。
これを解決するためにベルギー政府は分権化を進め、1963年には言語境界線が確定され、1970年には3つの言語共同体と3つの地域が成立し、1980年には言語共同体とブリュッセルを除く2つの地域に政府が設置され、1988年にはブリュッセル地域政府を設置した上で1993年には正式に連邦国家へと移行した[51]。
現在、首都ブリュッセルは欧州委員会などの欧州連合の主要な機関が置かれており、欧州連合の「首都」にあたる性格を帯びている。
ブリュッセルは2014年、ビジネス、人材、文化、政治、識字率などを総合評価した世界都市ランキングにおいて、特に「政治的関与」が高く評価され、世界11位の都市と評価された[52]。
政治
連邦議会議事堂
詳細は「ベルギーの政治(英語版)」を参照
ベルギーは国民的立憲君主制を採用している。
国家元首である国王は、立法権を連邦議会とともに行使し、行政執行権を憲法に基づき行使する。
1990年に妊娠中絶が合法化される際に、当時の国王ボードゥアン1世は自身の信念に基づき中絶法案への署名を拒否したが、一時的に国王を「統治不能」状態として内閣が代行することにより、立憲君主制の原則を守ったという出来事があった。
連邦議会は両院制である。
上院である元老院は、地域議会および言語共同体議会を通じた間接選挙で選出される50議席と、間接選挙議員によって指名される10議席、国王の子女に割り当てられる3議席からなる。
下院である代議院の議席数は150で、比例代表選挙により選出する。いずれも任期は4年で、同日に投票が行われる。
連邦政府の長である首相は、議会の総選挙後に国王から指名された人物が組閣責任者となり、最大15名からなる内閣を組閣する(議院内閣制)。
組閣責任者は必ずしも第1党から選任されるとは限らない。
もしも、このあとに下院の承認を得られない場合は、国王に対して辞表を提出することになる。
1995年3月23日にホロコースト否認を認めないことを公式見解とし、非合法化する法律を制定している。
しかし国内にはVrij Historisch Onderzoek(ドイツ語版) のような否認主義組織も存在する。
政治空白
前回の総選挙は2010年6月に行われ、12の政党が議席を獲得した。
しかし北部のオランダ語圏と南部のフランス語圏の対立を背景とした連立交渉は難航を極め、正式な政権が541日も存在しないという事態となった[53]。
これは正式な政権が存在しない世界最長記録である[54]。
この政治空白の間の首相職は、総選挙で敗退したキリスト教民主フランデレン党のイヴ・ルテルムが引き続き暫定的に務めた。
2011年11月26日、新政権樹立の連立協議で、主要6政党が2012年予算案で合意に達した。
当時の国王アルベール2世は、ワロン系社会党のエリオ・ディルポ党首に組閣を指示[55]。12月5日、ディ・ルポを新首相に任命し[56][57]、政権は12月6日に発足した。
政治的な空白は2018年以降も発生。2018年12月に移民政策をめぐり与党内が対立、連立政権が崩壊すると2019年5月の下院選挙を経ても、どの党も主導的な立場を取ることができず暫定政権が続いた。
2020年3月、新型コロナウイルス感染拡大の緊急対策が求められる状況下で、ようやく小政党出身のソフィー・ウィルメス首相が率いる内閣を各党が容認。
ただし、ウイルス対策以外の政策決定はほとんど認められず暫定政権的な色合いが強く[58]、10月になってようやく7政党によるアレクサンダー・デ・クローを首相とする連立政権が発足した[59]。
主な政党
詳細は「ベルギーの政党」を参照
自由党、社会党、キリスト教民主党、環境政党がオランダ語系(フラマン系)とフランス語系(ワロン系)に分離するなど、地域で政党が分かれているのがベルギーの政党の特徴である。
オランダ語系政党
キリスト教民主フラームス(フラマン系キリスト教民主党)
フラームス自由民主(フラマン系自由党)
フラームス・ベランフ(移民排斥を掲げる極右政党)
社会党・別(フラマン系社会党)
新フラームス同盟
リスト・デデッケル
フルン(フラマン系環境政党)
フランス語系政党
改革運動(ワロン系自由党)
社会党(ワロン系社会党)
民主人道主義中道派(ワロン系キリスト教民主党)
エコロ(ワロン系環境政党)
国民戦線(移民排斥を掲げる極右政党)
国際関係
詳細は「ベルギーの国際関係(英語版)」を参照
「日本とベルギーの関係」も参照
国家安全保障
ベルギー陸上構成部隊
詳細は「ベルギーの軍事」を参照
1949年以降、ベルギーは中立主義を放棄し、北大西洋条約機構に加盟、集団安全保障体制を構築している。
軍は2002年に単一の統合軍に再編成されており、その下に陸上部隊COMOPSLAND(ベルギー陸上構成部隊)・海上部隊COMOPSNAV(ベルギー海洋構成部隊)・航空部隊COMOPSAIR(ベルギー航空構成部隊)・医療部隊COMOPSMED(ベルギー医療構成部隊)の4部隊が編成されている。
冷戦期までは徴兵制が敷かれていたが廃止された。
現在の兵力は現役約4万人、予備役約10万人。
また、ベルギーに駐留しているアメリカ軍(アメリカ合衆国連邦政府)とニュークリア・シェアリングをしており、独自の核戦力は保持していないが核抑止力を持っている。
地理
詳細は「ベルギーの地理」を参照
平野部の干拓地
一般的に北部のフランデレン地域は平野が広がっているのに対し、南部のワロン地域はアルデンヌ高地を中心に丘陵地帯が多い。
北部は豊かな土壌が広がり、野菜や果実などの近郊農業や、農耕飼料を必要とする養豚・養鶏業等が営まれているのに対し、南部はアルデンヌ高地を中心に冷涼な気候で、酸性土壌も多く、肉牛、乳牛などの放牧による畜産業や、ビート栽培などが主流である。
最高地点は東部ドイツ国境付近のボトランジュで、海抜693メートルに達している。
気候
ケッペンの気候区分による温帯(西岸海洋性気候)に属する。
これは暖流の北大西洋海流による。
晴天の続く夏期でも最高気温が30度を上回ることは多くない。
面積の小さな国だが、内陸になるほど大陸性気候の特徴が現れる。すなわち、夏の気温が上がり、冬期は寒くなる。さらに降水量の年変動が大きくなる。
首都ブリュッセル (ブリュッセル首都圏地域内のイクル、北緯50度42分、東経4度21分、標高100メートル)の年平均気温は10.2度[60]、最寒月は1月(平均気温3.1度)、最暖月は7月(同17.9度)。相対湿度の年平均値は81.6%(40年平均値)、もっとも湿潤なのは12月(88.4%)、もっとも乾燥しているのは5月(75.2%)。年平均降水量は823.0ミリ、もっとも雨が多いのは11月(79.5ミリ)、もっとも雨が少ないのは2月(53.1ミリ)である。
地方行政区分
詳細は「ベルギーの地方行政区分」を参照
ベルギーの地図
フラマン語共同体(黄)とフランス語共同体(赤)、ドイツ語共同体(青)
ベルギーは1993年の憲法改正により連邦制に移行した。
連邦は、ブリュッセル首都圏地域、フランデレン地域、ワロン地域の3つの地域と、フラマン語共同体、フランス語共同体、ドイツ語共同体の3つの言語共同体の2層、計6つの組織で構成される。
そして、フランデレン地域とワロン地域の2つの地域は、それぞれ5つの州に分かれている。
ただし、フラマン語共同体とフランデレン地域については、ブリュッセル首都圏を除き領域が完全に重なるため、現行憲法が施行されてまもなく、フラマン語共同体政府がフランデレン地域政府を吸収する形で統合された。
統合された自治体は単にフランデレンと呼ばれている。
つまり、現在のベルギーには連邦構成主体は憲法上は6つ存在するが、実際上は5つしか存在しない。
フランデレン地域とワロン地域の境界線は、国土のほぼ中央を東西に横切っており、言語境界線と呼ばれる。
共同体
フラマン語共同体
フランス語共同体
ドイツ語共同体
地域と州
ブリュッセルの旗 ブリュッセル首都圏地域 -フランス語、オランダ語両言語併用
フランデレン地域の旗 フランデレン地域 -オランダ語圏
アントウェルペン州の旗 アントウェルペン州
ウェスト=フランデレン州の旗 ウェスト=フランデレン州
オースト=フランデレン州の旗 オースト=フランデレン州
フラームス=ブラバント州の旗 フラームス=ブラバント州
リンブルフ州(ベルギー)の旗 リンブルフ州
ワロン地域の旗 ワロン地域 - フランス語圏、一部ドイツ語圏
エノー州の旗 エノー州
ナミュール州の旗 ナミュール州
ブラバン・ワロン州の旗 ブラバン・ワロン州
リエージュ州の旗 リエージュ州
リュクサンブール州の旗 リュクサンブール州
主要都市
詳細は「ベルギーの都市の一覧」を参照
都市 州 人口
1 ブリュッセル 1,004,900
2 アントウェルペン アントウェルペン州 461,496
3 ヘント オースト=フランデレン州 233,120
4 シャルルロワ エノー州 201,456
5 リエージュ リエージュ州 187,086
6 ブルッヘ ウェスト=フランデレン州 117,224
7 ナミュール ナミュール州 107,178
8 モンス エノー州 91,221
9 ルーヴェン フラームス=ブラバント州 90,706
10 メヘレン アントウェルペン州 80,809
経済
首都ブリュッセル
詳細は「ベルギーの経済(英語版)」を参照
概要
2013年のベルギーのGDPは約5,065億ドルであり[61]、日本の九州とほぼ同等の経済規模である[62]。同年の1人あたりのGDPは4万5,383ドルで、世界的に上位に位置する。2016年の1人あたり国民総所得(GNI)は4万1,860ドルで、イギリスに次ぐ世界第18位となっている[63]。
製造業を中心に豊かな資本力を誇るものの、小国であるため貿易への依存傾向が強く、経済が安定しているとまでは言い切れない。1990年代は、上昇傾向にあったが、21世紀に入って停滞状態になった。物価は低水準安定。また、景気に左右されず、失業率は概して高い。
日本では、チョコレートやベルギーワッフルなど加工菓子の産地として知られているが、ルーヴェンにある世界最大のビール会社であるアンハイザー・ブッシュ・インベブや化学会社のソルベー、製薬会社のヤンセン ファーマなども有名である。
日本との関係
松方正義はベルギー国立銀行をモデルとして日本銀行を立ち上げた。
明治憲法はプロイセン憲法を原案としているが、そのプロイセン憲法はベルギー憲法の貧弱な国王大権を拡大したものであった。
ブリュッセル金融網の発展に伴い、ベルギー憲法は断続的に改正された。
日本との経済的関係は、地理的問題(2001年から2015年まで空路の直行便がなかった[注釈 5]など)や、文化的交流が少ないなどの理由により、その存在は日本では一部企業を除きそれほど注目されておらず、特に銀行はバブル崩壊によりその多くが撤退した。
ただし、確かな技術力を持つ企業が多いこと、またコーディネーションセンターに代表される外国企業に対する優遇税制措置が設けられていること、物流拠点としても立地が最適であること、かつ英独仏の主要国に近いこと、EUの本部所在地であることなどから大手自動車メーカーなどが欧州統括本社などを置いており、2015年10月時点で240 – 250社がベルギーに進出している[64]。
在留届を提出している邦人は6,000人近くに達し、在留日本人の総数は欧州の中でも上位に位置する。
工業
色と面積で示したベルギーの輸出品目(2009年)
ベルギーは人口規模・面積ともに小さい国(世界人口の0.1%、陸地面積の0.02%)であるが、中世に起源を持つ繊維産業や石炭の採炭と関連して長くヨーロッパ域内でもっとも工業の進んだ地域であった。
第二次世界大戦以前から鉄鋼業、機械工業、石油化学工業がよく発達していた。
しかしながら、石炭産業の斜陽化に従い、1980年代前半まで長期的な低迷傾向が見られた。
その後、EC域内貿易の発展や財政再建によって再び工業が興隆し、石油化学工業、非鉄金属工業、自動車、食品工業を中心とした発展が見られる。
ベルギー工業は輸入原料を加工し、半製品、製品として輸出する加工工業が中核となっている。
貿易依存度は輸出87.1%、輸入81.1%[65]に達し、ヨーロッパ域内でもっとも貿易に依存した経済であるといえる。
おもな工業都市は、アントウェルペン(石油化学工業、工業用ダイヤモンド製造業)、シャルルロワ、リエージュ(製鉄業)、テムス(造船業)、クルトレ、ブルッヘ、ブリュッセル、ヴェルヴィエ、ヘント、メヘレン(繊維業)、ヴァルサンランベール(クリスタルガラス工業)である。
世界シェアの高い工業製品は、世界第7位のプラスチック(670万トン、世界シェア3.3%)、同第8位のスズ(8,900トン、2.9%)である。
世界シェア1%を超える品目を一覧すると、石油化学、非鉄金属、自動車、繊維、食品といったさまざまな分野においてバランスの取れた発展を見せていることが分かる。
石油化学 軽油(1,246万トン、世界シェア1.2%)、重油(760万トン、1.3%)、ナフサ(205万トン、1.1%)
非鉄金属 亜鉛(26万トン、2.6%)、銅(38万トン、2.4%)
自動車製造業 自動車(90万台、1.4%)
繊維 毛糸(1.3万トン、1.3%)
食品 バター(12万トン、1.5%)、ビール(17億リットル、1.1%)、豚肉(101万トン、1.0%)
その他 苛性ソーダ(水酸化ナトリウム、54万トン、1.2%)
鉱業
石炭採掘の歴史は古く、すでに12世紀から採掘が始まっていた。
現在でも石炭は埋蔵されているが、品質面で国外の石炭と競争できないため、生産が急速に落ち込んでいる。1973年の採掘量は880万トンだったが、2002年時には17万トンまで下がっている。
南北の経済格差
工業・サービス業が発達した北部のフランデレン地域と、石炭・鉄鋼業が衰退した南部のワロン地域では失業率に2倍以上の開きがある(後者の方が失業率が高い)。
労働者の需給にギャップが生じても、ワロン地域はフランス語以外話せない住民が多数であるため、ワロン人がフランデレン地域で就労することが困難であり、失業率の格差が縮まらない一因となっている。
またブリュッセルは移民が多く、低技能労働者が多いことから、失業率はやはり高い。
また、南北の経済格差も深刻で、フラマン系の裕福な北部と、比較的貧しい南部という図式が定着している[66]。
ベルギー建国時はこの図式は逆であり、南部のフランス語圏が工業地帯として発展しており裕福で、北部が貧しかった。
しかし、今や北部のフラマン地域が裕福であり、北部が南部を見下している状態にある[67]。
交通
詳細は「ベルギーの交通(英語版)」を参照
「ベルギーの鉄道」および「ベルギーの空港の一覧」も参照
国民
詳細は「ベルギーの人口統計(英語版)」を参照
民族
住民はフラマン語を話すフラマン人が58%、フランス語を話すワロン人が31%、その他混血などが11%である。
近年、特に首都ブリュッセルは中東系を中心とした移民が多く、近年ではアラブ系の「Mohammed」がブリュッセルで生まれる男子でもっとも多く名付けられる名前となっている。
「ベルギー人」も参照
言語
「オランダ語連合」も参照
言語話者(ベルギー)
フラマン語
58%
フランス語
31%
その他
11%
ベルギーの国土は、憲法により使用言語別で主に3つの地域に分かれており、それぞれに地方公用語がある。
北部のフランデレン地域はフラマン語共同体に属し、フラマン語が公用語である。
同語は「オランダ語の一方言」と例えられることもあるが、実際にはベルギーという国家内における社会言語学的な呼称であり、ほとんど差異はない。
また、フローネン、ネーメン、コミーヌなどはフランス語地域である。
当地域では、老若男女を問わずフランス語とのバイリンガルが多い。また、英語やドイツ語等も話す人も多い。
フランデレン地域にはアントウェルペン、ヘント、ブルッヘ、ルーヴェン、メヘレン等の都市が立地している。
南部のワロン地域は大部分がフランス語共同体に属し、フランス語が公用語であるが、実際には一方言であるワロン語が主として話される。
ワロン語は発音・語彙に若干の特徴があるが、標準フランス語と大きな差はない。
ほかにピカルディ語、シャンパーニュ語、ロレーヌ語などのオイル語系諸方言が西部のフランス国境地域で話されている。
また、南東部のルクセンブルク国境地域では、ルクセンブルク語が少数話されている。
フランデレン地域と比べて、フラマン語や英語などの第二言語を習得している者は非常に少ない。ワロン地域にはシャルルロワ、リエージュ、ナミュール、モンス等の都市が立地している。
ワロン地域の北東ごく一部のドイツ国境地域(オイペン、ザンクト・フィート付近)はドイツ語共同体に属し、ドイツ語が公用語である。
ブリュッセル首都圏地域は公式に二言語地域とされており、フラマン語共同体とフランス語共同体の双方が自治権を持っている。
だが、元々はフランデレン地域に位置するフラマン語圏であったが、19世紀にワロン地域やフランスからの移民を中心として都市が拡大しフランス語圏へと変化していきフランス語話者が8割以上を占める言語的な孤島状態となっている。
同国最大の首都で国際都市であることから移民の受け入れも多いがたいていはフランス語に同化されていく等フランス語化がさらに進みつつある。
郊外のフラマン語圏に住みフランス語圏のブリュッセル市内へと通勤通学するフラマン人も多く、周囲に住むフラマン人にとってフランス語とのバイリンガルであることが求められてきた。
フランデレン地域の人々とワロン地域の人々の間には「言語戦争」と呼ばれるほどの文化的な対立が存在し、連邦制が施行されて以降も、対立意識は完全に無くなってはいないと言われる。
例として、2006年12月13日に公共放送RTBFが「フランデレン地域が独立を宣言して、前国王アルベール2世がコンゴ民主共和国(旧ベルギー植民地)に亡命した」というフェイクニュースを流したところ、一時国内が混乱に陥り、地域間の溝の存在を露呈する結果となった(のちに、議論を喚起する目的があったと釈明した)。
婚姻
婚姻の際に姓が変わることはなく、夫婦別姓である[68][69]。
また、同性同士の結婚(同性婚)も2003年より可能となった。
宗教
詳細は「ベルギーの宗教(英語版)」を参照
ベルギー国民が信仰する宗教は、ローマ・カトリックが75%、プロテスタントが25%である。
1994年の統計では、イスラム教が3%となっている。このほか、ユダヤ教などを信仰する者もいる。
「ベルギーにおける信教の自由(英語版)」も参照
日本でも西日本を中心に布教活動をしているカトリック修道会の淳心会は、ベルギー・ブリュッセル郊外のスクートで設立された(スクート会とも呼ばれる)。
教育
詳細は「ベルギーの教育(英語版)」を参照
保健
詳細は「ベルギーの医療」を参照
治安
詳細は「ベルギーにおける犯罪(英語版)」を参照
ベルギーは日本に比べると治安が悪いと言われることが多いものの、近年では同王国内及びブリュッセル市内の犯罪認知件数が減少傾向にある。
しかし、若年層を中心に麻薬類の使用事犯が増加している問題点をはじめ、スリや置き引きやひったくり(主に邦人の被害率が高い)、偽警官による詐欺等の犯罪が依然として後を絶たない点が目立ち、強盗や侵入犯罪の被害に遭うケースも見受けられている。
加えて、運転マナーの悪い運転手が多く、同市内では法定速度を遥かに超えて走行する車両が多いことから事故も多発している現状が続いている[70]。
人権
「ベルギーにおける人権(英語版)」を参照
マスコミ
詳細は「ベルギーのメディア(英語版)」を参照
「ベルギーの通信(英語版)」および「ベルギーの新聞の一覧(英語版)」も参照
文化
詳細は「ベルギーの文化(英語版)」を参照
食文化
ベルギー製が有名なお菓子ワッフル
「ベルギー料理」を参照
ベルギービール
ベルギーチョコレート
文学
「ベルギー文学」を参照
音楽
「ベルギーの音楽(英語版)」を参照
15世紀後半から16世紀にかけてのルネサンス音楽の時代には、フランドル楽派が栄えた。18世紀、ベートーヴェンの祖父で同名の音楽家であったルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン (1712-1773)はメヘレン出身であったといわれ、ルーヴェンやリエージュで活動した後、孫の生地であるボンへ移住した。19世紀には作曲家セザール・フランクを輩出しているが、活躍地であるフランスの音楽史の中で語られることが多い。ちなみにフランクの家系はドイツ系であり、ドイツ音楽の強い影響をフランス音楽に持ち込んだ一派の指導的存在とみなされている。
ブリュッセル音楽院では特にヴァイオリン奏者を多く輩出しており、シャルル=オーギュスト・ド・ベリオとその門下であるアンリ・ヴュータンやウジェーヌ・イザイなどフランス語圏ベルギー人作曲家が「フランコベルギー楽派」と呼ばれる作風および演奏様式を確立した。20世紀の大指揮者の一人アンドレ・クリュイタンスも、やはりフランスの指揮者として語られることが多いが、ドイツ音楽とフランス音楽の両方で高い評価を受けた。その他、ヨス・ファン・インマゼール、フィリップ・ヘレヴェッヘ、クイケン兄弟、ルネ・ヤーコプスなど古楽系演奏家を多く輩出している。
20世紀後半の作曲家では、トータル・セリエリズムへの道を開いたカレル・フイヴェールツ、前衛的な作風で電子音楽の分野でも活躍したアンリ・プッスールが知られる。なお、ポピュラー音楽においては、ジャンゴ・ラインハルトやルネ・トーマ、ジャック・ブレルなどが挙げられる。
映画
「ベルギーの映画」を参照
美術
「ベルギーの芸術(英語版)」を参照
ベルギーには長い芸術的伝統があり、その歴史は中世にまで遡る。中でも絵画においては、多数の画家を輩出して来た歴史を持つ国であり、フーベルト・ファン・エイク、ヤン・ファン・エイク、ハンス・メムリンク、ヒエロニムス・ボス、ピーテル・ブリューゲル、ピーテル・パウル・ルーベンス、フロリス・ファン・ダイク、アンソニー・ヴァン・ダイク、ヤーコブ・ヨルダーンス、ポール・デルヴォー、ルネ・マグリット、フェルナン・クノップフなどが挙げられる。
また、ファッションにおいてはマルタン・マルジェラ、ドリス・ヴァン・ノッテン、アン・ドゥムルメステール、デルヴォー、キプリングなどが知られる。
建築
「ベルギーにおける新古典主義建築(英語版)」を参照
世界遺産
詳細は「ベルギーの世界遺産」を参照
ベルギー国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が9件ある。
祝祭日
「ベルギーの祝日(英語版)」を参照
備考欄の※は、祝日ではないが官庁や公共機関、学校などの施設は休みとなる日。祝祭日が土曜または日曜と重なった場合、翌月曜日が振替休日となる。
日付 日本語表記 オランダ語表記 フランス語表記 ドイツ語表記 備考
1月1日 正月 nl:Nieuwjaar fr:Nouvel An de:Neujahr
移動祝日 復活祭 nl:Pasen fr:Pâques de:Ostern
移動祝日 復活祭の翌日の月曜日 nl:Paasmaandag fr:Lundi de Pâques de:Ostermontag
5月1日 メーデー nl:Dag van de arbeid fr:Fête du Travail de:Tag der Arbeit
移動祝日 キリスト昇天祭 nl:Onze Lieve Heer hemelvaart fr:Ascension de:Christi Himmelfahrt 復活祭39日後
移動祝日 聖霊降臨祭 nl:Pinksteren fr:Pentecôte de:Pfingsten 復活祭50日後
移動祝日 聖霊降臨祭の翌日の月曜日 nl:Pinkstermaandag fr:Lundi de Pentecôte de:Pfingstmontag
7月11日 フラマン語共同体の祝日 nl:Feest van de Vlaamse Gemeenschap Fête de la Communauté néerlandophone de Belgique ※
フラマン語圏のみ
7月21日 建国記念日 nl:Nationale feestdag fr:Fête nationale de:Nationalfeiertag
8月15日 聖母被昇天祭 nl:Onze Lieve Vrouw hemelvaart fr:Assomption de:Mariä Himmelfahrt
9月27日 フランス語共同体の祝日 fr:Fête de la Communauté française de Belgique ※
フランス語圏のみ
11月1日 万聖節 nl:Allerheiligen fr:Toussaint de:Allerheiligen
11月11日 休戦記念日 nl:Wapenstilstand fr:Jour de l’armistice de:Waffenstillstand 第一次世界大戦終結の祝祭日
11月15日 ドイツ語共同体の祝日 Fête de la Communauté germanophone de Belgique de:Tag der Deutschsprachigen Gemeinschaft Belgiens ※
ドイツ語圏のみ
12月25日 クリスマス nl:Kerstmis fr:Noël de:Weihnacht
スポーツ
詳細は「ベルギーのスポーツ」を参照
「オリンピックのベルギー選手団」も参照
サッカー
詳細は「ベルギーのサッカー(英語版)」を参照
ベルギーでは絶大な人気を誇るエデン・アザール
ベルギー国内ではサッカーが圧倒的に1番人気のスポーツである[71]。今から120年以上前の1895年に、サッカーリーグの「ベルギー・ファースト・ディビジョンA」が創設されている。同国では2010年代に入って以降、ビッグクラブで活躍する世界的に有名なサッカー選手が数多く出現しており、ヴァンサン・コンパニ、トーマス・フェルマーレン、マルアン・フェライニ、エデン・アザール、ロメル・ルカク、ケヴィン・デ・ブライネ、ティボ・クルトゥワなどが挙げられる。
ベルギーサッカー協会(KBVB)によって構成されるサッカーベルギー代表は、これまでFIFAワールドカップには13度出場しており、3大会ぶりの出場となった2014年大会ではベスト8に進出した。そして、続く2018年大会では過去最高位となる3位に輝いている。UEFA欧州選手権には6度出場しており、2016年大会と続く2021年大会では2大会連続でベスト8の成績を収めた。さらに2018年に新設されたUEFAネーションズリーグでは、2020-21シーズンに4位となっている。
自転車競技
ロンド・ファン・フラーンデレン
ベルギーで自転車競技はサッカーの次に人気のスポーツとなっており、国技として挙げられることもある[72]。主要なレースとして、ロンド・ファン・フラーンデレンやリエージュ〜バストーニュ〜リエージュがある。同国の著名なロードレース選手としては、エディ・メルクス、ヨハン・ムセウ、トム・ボーネン、フィリップ・ジルベールが知られている。
著名な出身者
詳細は「ベルギー人の一覧」を参照
脚注
[脚注の使い方]
注釈
^ ベルギーで用いられるオランダ語はフラマン語とも呼ばれる。
^ 1999年までの通貨はベルギー・フラン。
^ ベルギーのユーロ硬貨も参照。
^ Wikipedia:外来語表記法/オランダ語#原音を重視した表記例に従った場合の表記例。
^ かつてはサベナ・ベルギー航空が直行便を運航していたが、2001年に同社が倒産してしまったために廃止されてしまった。なお、2015年10月にANAが直行便を開設している。成田=ブリュッセル線の開設について(2015年6月1日 ANAプレスリリース)
出典
^ Duden Das Aussprachewörterbuch (6 ed.). Dudenverlag. p. 193. ISBN 978-3-411-04066-7
^ ライトハウス英和辞典 研究社、1984年。ISBN 4-7674-1510-1
^ ラテン語の発音 - 山下太郎のラテン語入門
^ ベルギー観光局、1.古代とケルト人 - ローマ人・4世紀頃。
^ a b c d e f 森田1998、p.169。
^ a b c d 小川2009、p.38。
^ 森田1998、p.172。
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^ a b 小川2009、p.41。
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^ 「物語 オランダの歴史」p4-5 桜田美津夫 中公新書 2017年5月25日発行
^ 『図説 オランダの歴史』p.35 佐藤弘幸 河出書房新社〈ふくろうの本〉、2012年
^ 「物語 オランダの歴史」p30-31 桜田美津夫 中公新書 2017年5月25日発行
^ 「物語 オランダの歴史」p33-34 桜田美津夫 中公新書 2017年5月25日発行
^ 「物語 ベルギーの歴史」p20 松尾秀哉 中公新書 2014年8月25日発行
^ 「物語 ベルギーの歴史」p26 松尾秀哉 中公新書 2014年8月25日発行
^ 「物語 ベルギーの歴史」p27 松尾秀哉 中公新書 2014年8月25日発行
^ 「物語 オランダの歴史」p172 桜田美津夫 中公新書 2017年5月25日発行
^ 「物語 ベルギーの歴史」p31-32 松尾秀哉 中公新書 2014年8月25日発行
^ 「物語 ベルギーの歴史」p39-40 松尾秀哉 中公新書 2014年8月25日発行
^ 「物語 ベルギーの歴史」p42-43 松尾秀哉 中公新書 2014年8月25日発行
^ 『スイス・ベネルクス史』p386-387 森田安一編 山川出版社 1998年4月20日1版1刷発行
^ 西岡洋子 国際電気通信連合成立前史にみる国際的電気通信制度の形成過程に関する検討 p.34.
^ 『スイス・ベネルクス史』p388-390 森田安一編 山川出版社 1998年4月20日1版1刷発行
^ 「物語 ベルギーの歴史」p60-63 松尾秀哉 中公新書 2014年8月25日発行
^ 「物語 ベルギーの歴史」p64-65 松尾秀哉 中公新書 2014年8月25日発行
^ 「物語 ベルギーの歴史」p73 松尾秀哉 中公新書 2014年8月25日発行
^ 『スイス・ベネルクス史』p398-400 森田安一編 山川出版社 1998年4月20日1版1刷発行
^ 「物語 ベルギーの歴史」p78 松尾秀哉 中公新書 2014年8月25日発行
^ 「物語 ベルギーの歴史」p77-78 松尾秀哉 中公新書 2014年8月25日発行
^ 「物語 ベルギーの歴史」p81 松尾秀哉 中公新書 2014年8月25日発行
^ 「物語 ベルギーの歴史」p92-93 松尾秀哉 中公新書 2014年8月25日発行
^ a b 『スイス・ベネルクス史』p424 森田安一編 山川出版社 1998年4月20日1版1刷発行
^ オランダ各地に独落下傘部隊降下(『東京日日新聞』昭和15年5月11日夕刊)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p367
^ ベルギー国王、降伏を受諾(『東京日日新聞』昭和15年5月29日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p370
^ 「物語 ベルギーの歴史」p124-125 松尾秀哉 中公新書 2014年8月25日発行
^ 「物語 ベルギーの歴史」p130-132 松尾秀哉 中公新書 2014年8月25日発行
^ 「物語 ベルギーの歴史」p128 松尾秀哉 中公新書 2014年8月25日発行
^ 「物語 ベルギーの歴史」p144-147 松尾秀哉 中公新書 2014年8月25日発行
^ 『スイス・ベネルクス史』p434-436 森田安一編 山川出版社 1998年4月20日1版1刷発行
^ 2014 Global Cities Index and Emerging Cities Outlook (2014年4月公表)
^ “ベルギー政治空白541日で幕…連立政権発足”. 読売新聞. (2011年12月6日) 2011年12月7日閲覧。
^ “内閣不在249日、ベルギーが世界最長記録を達成”. AFPBB News (フランス通信社). (2011年2月18日) 2011年12月6日閲覧。
^ 算案で合意のベルギー、1週間以内に組閣=政党党首 朝日新聞 2011年11月28日
^ 「世界最長」政治空白に終止符=新首相任命-ベルギー 時事ドットコム 2011年12月6日
^ ベルギーで新政権発足へ、総選挙から1年半ぶり ロイター 2011年 12月 6日
^ 「ベルギー連立交渉難航 本格政権不在600日」
^ ベルギーの新内閣は男女同数 性的少数派も起用、1日発足 東京新聞 2020年10月2日配信 2020年10月2日閲覧
^ 以下は、世界気象機関による1971年から2000年までの30年平均値。出典は、「理科年表 平成19年」、東京天文台編、丸善、ISBN 4-621-07763-5
^ IMFによるGDP
^ 内閣府による県民経済計算 (PDF)
^ 「1.2 名目GDP(国内総生産)及び一人当たりGNI(国民総所得)順位」外務省
^ ANA、成田~ブリュッセル線の就航記念式典(トラベル Watch 2015年10月25日 2015年10月29日閲覧)
^ 以下の工業統計値は、United Nations Statisstical Yearbook 2004、「世界国勢図会 2005/06」、矢野恒太記念会、ISBN 4-87549-435-1 による。
^ Claire ROSEMBERG (2013年7月4日). “ベルギー国王が退位を表明、21日に皇太子に譲位”. AFPBB News 2013年7月23日閲覧。
^ Claire ROSEMBERG; Philippe SIUBERSKI (2013年7月22日). “ベルギー新国王を迎える政治的時限爆弾”. AFPBB News 2013年7月23日閲覧。
^ Giving a name
^ Here Are Places Women Can't Take Their Husband's Name When They Get Married, Time, June 25, 2015.
^ “ベルギー 安全対策基礎データ「犯罪発生状況、防犯対策」”. 外務省. 2021年10月4日閲覧。
^ ベルギーという国 - 日本・ベルギー友好150周年 - 外務省ホームページ 2016年2月1日
^ 自転車王国ベルギーを訪ねる - cyclowired.jp 2013/06/25
参考文献
書籍
小川秀樹『ベルギー - ヨーロッパが見える国』新潮選書、1994年。ISBN 4106004542。
小川秀樹編『ベルギーを知るための52章』明石書店、2009年。ISBN 9784750329246。
栗原福也編『オランダ・ベルギー』新潮社、1995年。ISBN 4106018411。
長坂寿久編『オランダを知るための60章』明石書店、2007年。ISBN 9784750325187。
森田安一編『スイス・ベネルクス史』山川出版社、1998年。ISBN 4634414406。
外部リンク
小島健(2004年). “ベネルクス関税同盟の設立”. 2010年1月19日閲覧。
小島健(2005年). “ベルギーにおける連邦制の成立過程”. 2010年1月19日閲覧。
正躰朝香(2006年). “ベルギーの連邦化改革をめぐる国内政治過程(1) - 言語問題の政治化と国家再編への緒”. 2010年1月19日閲覧。
正躰朝香(2006年). “ベルギーの連邦化改革をめぐる国内政治過程(2) - 二種類の連邦構成主体の創出と連邦制への移行”. 2010年1月19日閲覧。
若林広(2007年). “ベルギー国家の再編 - 政党政治の変容期における最近の展開”. 2010年1月19日閲覧。
ベルギー観光局 ワロン・ブリュッセル. “ベルギーの基本情報 - 歴史”. 2010年1月20日閲覧。
関連項目
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ベルギーの画家
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』
『出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ベルギー海洋構成部隊(ベルギーかいようこうせいぶたい、オランダ語: Marinecomponent、フランス語: Composante Maritime)は、ベルギーの海軍組織。
概要
2007年時点で現役1,605人[1]。
2002年に海軍から海洋構成部隊に改編している。任務は通常の海軍としての軍事活動のみならず、捜索救難、海洋調査、税関や警察の支援、漁業管理、海洋汚染対策など多岐にわたる。
歴史
19世紀
1831年に王立海軍として設立される。
これ以降ベルギーの歴史に連動しつつ様々な局面で活躍した。
1830年のベルギー独立革命後にオランダ艦隊はスヘルデ川三角江を封鎖しようとした。
この脅威に対抗するためベルギー議会はブリガンティンを2隻を建造するように命じた。
この2隻は「コングレ(Congrès)」と「レ・カトル・ジョルネー(Les Quatre Journées)」と命名される。
1832年にエティエンヌ・モーリス・ジェラール陸軍元帥(en:Étienne Maurice Gérard)が率いるフランス軍がアントワープの砦を占領した後にオランダの砲艦はベルギー軍により排除された。
1840年に政府はスクーナー「ルイーズ=マリー(Louise-Marie)」を、1845年にはブリッグ「デュク・ド・ブラバント(Duc de Brabant)」を購入した。
しかし、1865年に政府は海軍を廃止し最小限度の海軍政策を追求した。
このため第一次世界大戦時にはベルギーに海軍は存在しなかった。
20世紀
第一次世界大戦により政府は従来の政策を変更することになる。
1917年になり駆逐艦と水兵を整備した。
再興されたベルギー海軍は要員をフランスの掃海艇に乗艇させたり、砲兵要員を自国籍商船に提供した。
ヴェルサイユ条約調印後、海軍は魚雷艇11隻と掃海艇26隻が割り当てられた。
しかし、予算上の問題のため再び海軍は廃止される。
1939年に第二次世界大戦が勃発し、迫り来るナチス・ドイツに脅威に対抗するため、新たに海軍部隊(Naval Corps)として復活させた。
新生海軍の整備は1940年5月のドイツ軍侵攻に辛うじて間に合った。
海軍部隊の将兵の多くは漁民や商船員と共にイギリスに脱出し、ドイツ占領軍と戦うための準備をする。
イギリス海軍はこの機会にベルギー人船員達を別々のグループに分けて徴募した。
1940年から1946年までイギリス海軍ベルギー部隊を編成し2隻のコルベット「バターカップ(Buttercup)」、「ゴデチア(Godetia)」と、3隻の掃海艇「プロンティス(Phrontis)」、「エレクトラ(Electra)」、「カーノット(Kernot)」に乗り込ませた。
戦後の1946年にイギリスは再建されるベルギー海軍基幹の為に艦艇を乗員と共に無償供与した。
「バターカップ(Buttercup)」
「バターカップ(Buttercup)」
「ゴデチア(Godetia)」
「ゴデチア(Godetia)」
冷戦終結後の1990年代初めにベルギー政府は新たなる脅威に対応するためにベルギー軍の再編成を始めた。
これは軍の削減を伴い、海軍ではウィーリンゲン級フリゲート1隻の削減と、トリパルタイト型機雷掃討艇3隻がフランスに売却される事になる。
21世紀
2002年、単一の統合軍として再編成されることになり海軍は海洋構成部隊(COMOPSNAV)に改編された。
2005年7月20日にベルギー政府は、残り2隻となっていたウィーリンゲン級フリゲートを更新するためオランダ海軍からカレル・ドールマン級フリゲート2隻の購入を決定する。
2隻は12月21日に約250万ユーロで売買され、「レオポルド1世」と「ルイーズ=マリー」と命名された。一方、2隻のウィーリンゲン級フリゲートは10月にブルガリア海軍に掃海艇1隻とともに正式に引き渡された。
組織
海洋構成部隊司令官の下で以下のような組織がある。
海洋構成部隊司令部
人事部
情報部
作戦部
役務部
広報部
海洋管理局
高圧センター
国際部門
ベルギー=オランダ共同機関
ベネルクス海軍本部(ABNL)
ベルギー=オランダ作戦学校(NL-BE Opsschool)
ベルギー=オランダ海軍機雷戦学校(EGUERMIN)
ベルギー=オランダ供給専門技術支援センター(CC Sp Dept Catering BENL)
ダメージコントロール・センター(DCC)
機雷戦艦艇運用訓練部(Most)
北大西洋条約機構
第1常設NATO海洋グループ(SNMG1)
第1常設NATO対機雷グループ(SNMCMG1)
第2常設NATO対機雷グループ(SNMCMG2)
航空部隊
航空構成部隊所属
海洋ヘリコプター飛行隊
特定非営利団体
以下は海軍が支援する特定非営利団体(ASBL)。
海軍機関誌「ネプテューヌス(Neptunus)」
海軍共済組合
王立軍事史館海軍課
海軍退役者全国協会
ベルギー海洋画家会
海軍および海兵隊年金親善会
ベルギー海軍後援者ラジオ協会
海軍士官候補生対象「一つの人生経験」事業
ブリュッセル王立歴史芸術博物館所有帆船「メルカトル(Mercator)」
階級
日本語 オランダ語 フランス語 NATO階級符号
士官
海軍大将 Admiraal Amiral OF-9
海軍中将 Vice-admiraal Vice-amiral OF-8
海軍少将 Divisieadmiraal Amiral de division OF-7
海軍代将 Flottieljeadmiraal Amiral de flottille OF-6
海軍大佐 Kapitein-ter-zee Capitaine de vaisseau OF-5
海軍中佐 Fregatkapitein Capitaine de frégate OF-4
海軍少佐 Korvetkapitein Capitaine de corvette OF-3
海軍上級大尉 Luitenant-ter-zee 1ste klasse Lieutenant de vaisseau de 1ère classe OF-3
海軍大尉 Luitenant-ter-zee Lieutenant de vaisseau OF-2
海軍中尉 Vaandrig-ter-zee Enseigne de vaisseau OF-1
海軍少尉 Vaandrig-ter-zee 2de klasse Enseigne de vaisseau de 2e classe OF-1
准士官および下士官
海軍最先任准尉長 Oppermeester-chef Maître-principal-chef OR-9
海軍准尉長 Oppermeester Maître-principal OR-9
海軍准尉 1ste Meester-chef 1e Maître-chef OR-8
海軍上級兵曹長 1ste Meester 1e Maître OR-7
海軍兵曹長 Meester-chef Maître-chef OR-6
海軍一等兵曹 Meester Maître OR-6
海軍二等兵曹 2de Meester 2e Maître OR-5
兵卒
海軍先任上級水兵長 1ste Kwartiermeester-chef 1er Quartier-maître-chef OR-4
海軍上級水兵長 Kwartiermeester-chef Quartier-maître-chef OR-4
海軍水兵長 Kwartiermeester Quartier-maître OR-3
海軍一等水兵 1ste Matroos 1er Matelot OR-2
海軍二等水兵 Matroos Matelot OR-1
主要基地・施設
海洋構成部隊司令部。ブリュッセルに所在。
ゼーブルッヘ分遣基地。ゼーブルッヘ(nl:Zeebrugge)に所在。作戦部の下にある主要軍港。
シント=クライス=ブルッヘ分遣基地。ブルッヘに所在。海洋管理局。
オーステンデ分遣基地。オーステンデに所在。ベルギー=オランダ海軍機雷戦学校(EGUERMIN)。
アントワープ分遣基地。アントワープに所在。アントワープ分遣隊。
デン・ヘルダー分遣基地、オランダのデン・ヘルダー(nl:Den Helder)に所在。ベネルクス海軍本部(ABNL)と作戦学校がある。
装備
艦艇
2011年6月現在。『Jane’s Fighting Ships 2011-2012』より。
過去に就役した艦艇については「ベルギー海軍艦艇一覧」を参照。
フリゲート
カレル・ドールマン級×2隻
レオポルド1世(F930 Leopold I) - 2007年再就役
ルイーズ=マリー(F931 Louise-Marie) - 2008年再就役
河川哨戒艇
リベラシオン(P902 Liberation)[2] - 1954年
機雷掃討艇
トリパルタイト級×6隻
アステール(M915 Aster) - 1985年
ベリス(M916 Bellis) - 1986年
クロキュス(M917 Crocus) - 1987年
ロベリア(M921 Lobelia) - 1989年
ナルシス(M923 Narcis) - 1990年
プリミュラ(M924 Primula) - 1991年
水路調査艦
ベルギカ(A962 Belgica) - 1984年
練習帆船
ゼノブ・グラム(A958 Zenobe Gramme) - 1961年
指揮後方支援艦
ゴデチア(A960 Godetia) - 1966年
支援艦
シュテルン(A963 Stern) - 1980年
航洋曳船
ヴァルケ(A950 Valcke) - 1960年
アルバトロス(A996 Albatros) - 1967年
港内曳船
各種×3隻
(A952 Wesp)、(A954 Zeemeeuw)、(A955 Mier)
ホバークラフト
バーバラ(A999 Barbara)
航空機
2011年6月現在。『Jane’s Fighting Ships 2011-2012』より。海洋活動向けの機体も航空構成部隊の所属となっている。
回転翼機
シュド・アビアシオン SA 316B汎用ヘリコプター × 3機
NHインダストリー NH90汎用ヘリコプター × 10機
ウェストランド シーキング Mk.48捜索救難ヘリコプター × 4機
脚注
[脚注の使い方]
出典
^ Military Balance 2007
^ 広報目的のため夏季のみ使用される。
参考文献
Christopher Langton, Military Balance 2007, Routledge
Jane's Fighting Ships 2011-2012
外部リンク
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(フランス語)/(オランダ語) Marinecomponent 海洋構成部隊
カテゴリ:
ベルギーの軍事各国の海軍
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『出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
RIM-7 Sea Sparrow
種類 個艦防空ミサイル
製造国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
設計 ジェネラル・ダイナミクス
製造 レイセオン
性能諸元
ミサイルの要目は諸元表を参照
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RIM-7 シースパロー(英語: Sea Sparrow)は、空対空ミサイルであるスパローを元に開発された個艦防衛用の艦対空ミサイル。
順次に改良が重ねられており、最新発展型の発展型シースパロー(ESSM: Evolved Sea Sparrow Missile; RIM-162)では僚艦防空・近接防御が可能なまでになった。
またシステムとしても、もっとも初期に配備された応急的なBPDMS(Basic Point Defense Missile System)、改良型のIBPDMS(Improved BPDMS)がある。
旧西側諸国でもっとも一般的な個艦防空ミサイル・システムであり、アメリカ海軍を始め、NATOなど複数の西側諸国で採用され、海上自衛隊や韓国海軍でも運用されている。
BPDMS
来歴
1940年代後期より顕著になったジェット機の発達により、艦隊の防空は重大な危機に直面することとなった。
これに対しアメリカ海軍はRIM-2 テリア、RIM-8 タロス、RIM-24 ターターの3Tファミリーと通称される艦対空ミサイル・システムを開発したが、近距離での防空は3インチ・5インチ速射砲に頼らざるをえない状況であった[1]。
一方、アメリカ陸軍も同様の問題に直面しており、1959年よりイギリス陸軍と共同で、新型の前線エリア防空システム(FAAD)として、短射程地対空ミサイルXMIM-46モーラーの開発を開始していた。
アメリカ海軍もその開発に参加することとし、その派生型であるRIM-46Aシーモーラーを基本個艦防空システム(Basic Point Defense Missile System :BPDMS)として採用する予定であった。
海軍はシーモーラーに多大な期待を寄せており、このとき整備計画が進んでいたノックス級護衛駆逐艦は、シーモーラーの搭載スペースを確保した状態で就役していた。
しかし、モーラー計画は技術的な困難に直面して遅延しており、暫定的な施策が必要となった。
これに応じて、AIM-7スパロー空対空ミサイルを艦載化して開発されたのがシースパローである。計画名は、シーモーラー時代のBPDMSが継続的に用いられることとなった[1]。
構成
シースパローBPDMSは、その経緯のために、応急的なシステムとなった。
発射機は、アスロック用のMk.16 GMLSで使われていた8連装ミサイル発射機Mk.112を76mm連装砲のマウントに組み込んだMk.25 GMLSを使用する[2]。
ここから発射されるのはRIM-7Eミサイルで、これは事実上、空対空型のAIM-7Eスパローそのものであった。
また、イルミネーターとしては手動式のMk.115が使用されるが、これはF-4艦上戦闘機の火器管制システムを人力操作・目視照準の簡易方位盤に設置したものである[1]。
Mk.115イルミネーター
Mk.115イルミネーター
Mk.25 GMLSからの発射シーン。奥にはMk.115イルミネーターが見える
Mk.25 GMLSからの発射シーン。奥にはMk.115イルミネーターが見える
運用
シースパローBPDMSは、まず1967年よりガーシア級フリゲートの「ブラッドレイ」に搭載されて試験された。
試験開始直後にエイラート事件が発生し、対艦ミサイル防御(ASMD)の必要性が強く印象付けられたこともあり、1971年から1975年にかけてノックス級護衛駆逐艦(のちフリゲート)のうち31隻(DE-1052~1083、DE-1070を除く)へ搭載されたほか、航空母艦や揚陸艦にも搭載された[1]。
これは、アメリカの護衛駆逐艦としては初めての艦対空ミサイル装備であった。
ただしノックス級以前の護衛駆逐艦へのバックフィットは行われず、「ブラッドレイ」の搭載システムも撤去されて空母「フォレスタル」に移設された[3]。
ただし本システムは、本開発のIBPDMSが1975年に実用化されるまでの、あくまで応急的な施策に留まった[1]。
このためもあり、ノックス級の一部の艦は、後に20mmファランクスCIWSに換装した[3]。
IBPDMS (NSSMS)
来歴
1968年、デンマーク、イタリア、ノルウェーの各国は、個艦防空システムとしてシースパローBPDMSの改良型を採用することで合意した。
数年後、NATOの諸国は、NATOシースパロー・プロジェクト・オフィス(NSPO)を立ち上げた。
この計画のもと、改良型BPDMS(IBPDMS)の開発が開始された。
この時点で、従来のBPDMSの配備はなお進行中であったが、その限界点も既に明らかになっていたためである。
この計画に基づいて開発されたIBPDMSは、1973年にNATOシー・スパロー・ミサイル・システム(NSSMS)Mk.57として制式化された。
構成
ミサイル
Mk.95イルミネーター
Mk.29 GMLSからの発射シーン
SAMの前翼は展張前である
初期のブロック0では、BPDMSで用いられていたRIM-7Eを元に前翼を折り畳み式としたRIM-7Hが用いられていた。
AIM-7Eのアップデートに伴ってRIM-7Hも順次にアップデートされ、ブロックIではRIM-7H-5に更新された[4]。
またその後、AAM版がAIM-7Fに更新されるのに伴い、SAM版もRIM-7Fに更新された。
これは半導体素子化することで誘導システムを軽量化し、その分だけロケット・モーターを改良(加速用と巡航用の二重推進式)して射程を延伸、弾頭も大型化したものである[5]。
1978年から配備されたブロックIIでは、新型のミサイルであるRIM-7Mに対応した。
これは新型のモノ・パルス・シーカーを採用し、迎撃可能範囲が大幅に拡大している[5]。
またその後、本家スパローがAIM-7Pに発展するのに伴い、1990年には低空要撃性能を強化するなどの改良(Product Improvement Program, PIP)を施したRIM-7Pが生産に入った[4]。
また、シースパローに推力偏向装置(Jet-Vane Control unit, JVC)を装備し、VLSに対応する改修も行われた。
試作機は1981年に試射を行っており、1985年にはRIM-7Mの垂直発射版の試射が行われた[4]。
RIM-7Pの後継機としてRIM-7Tの開発が行われていたが、これは抜本的に設計変更したESSMに発展した。
またESSM実用化までの暫定版としてRIM-7Rの開発も行われていたが、これは配備されなかった[4]。
GMLS・GMFCS
発射機は、ミサイルの前翼を折り畳み式としたことに対応してキャニスターの対角線長を小型化するとともに、追随性・整備性に優れたMk.29が用いられた[5]。
イルミネーターとしては自動化されたMk.95が開発され、これは後にMk.91 ミサイル射撃指揮装置(GMFCS)に発展した。
またRIM-7Mの採用に伴い、アメリカ海軍では、Mk.91 GMFCSの性能強化策として、TAS (Target Acquisition System) Mk.23を導入した。
これは、Mk.91にシステム固有の捕捉レーダーおよび敵味方識別装置を組み込むもので、Mk.91の交戦能力を大きく向上させた[4]。
採用国
オーストラリアの旗 オーストラリア
ベルギーの旗 ベルギー
ブルガリア
カナダの旗 カナダ
チリ
デンマーク
ドイツの旗 ドイツ
ギリシャの旗 ギリシャ
イタリアの旗 イタリア
日本の旗 日本
大韓民国の旗 韓国
メキシコの旗 メキシコ
オランダの旗 オランダ
ニュージーランドの旗 ニュージーランド
ノルウェー
ポルトガルの旗 ポルトガル
スペインの旗 スペイン
トルコの旗 トルコ
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
中華民国の旗 中華民国
諸元表
RIM-7H RIM-7F RIM-7M
全長 3.66 m
直径 0.203 m
発射重量 197 kg 231 kg
弾頭 Mk.38 (30 kg) Mk.71 (39 kg) WDU-27B (40 kg)
推進装置 Mk.38/52
固体燃料ロケット
(単一推力) Mk.58
固体燃料ロケット
(二重推力)
有効射程 8 km 18 km
飛翔速度 最大550 m/s
平均350 m/s 最大850 m/s
平均420 m/s
誘導方式 セミアクティブ・レーダー・ホーミング
登場作品
映画
『亡国のイージス』
架空のむらさめ型護衛艦「うらかぜ」の搭載兵器としてRIM-7M(PIP)が登場。反乱を起こした架空のイージス護衛艦「いそかぜ」から発射されたハープーンの迎撃に使用されるが命中しなかった。
原作の「うらかぜ」はたちかぜ型護衛艦であり、同様の場面ではSM-1MRを使用している。
アニメ・漫画
『ジオブリーダーズ』
『ジパング』
漫画・アニメ版で第二次世界大戦時へタイムスリップした架空のイージス護衛艦「みらい」の搭載兵器として登場。発射された大和型戦艦「大和」の主砲弾や、襲来するSBD ドーントレスなどの迎撃に使用される。
漫画版ではESSMと呼称されることもあるが、アニメ版ではRIM-7Fと設定されている。そのため、アニメ版においてはイルミネーターレーダーの制約で一度に誘導できるミサイルが2発までとなっているため、戦術に制約が生まれる場面がある。
小説
『大逆転!ミッドウェー海戦』
ミッドウェー海戦勃発直前の時代へタイムスリップした、しらね型護衛艦「しらね」に搭載されたRIM-7Eが、襲来するアメリカ海軍機に対して使用される。
『日本北朝鮮戦争 竹島沖大空海戦』
こんごう型護衛艦[注 1]「こんごう」「みょうこう」の搭載兵器として登場。「みょうこう」に搭載されたものは、北朝鮮のノドンIIを迎撃するために使用され、「こんごう」に搭載されたものは、北朝鮮空軍のMiG-21を迎撃するために使用される。
ゲーム
『Wargame Red Dragon』
NATO陣営で使用可能な駆逐艦「はつゆき」の武装としてRIM-7Mが登場。
『戦闘国家シリーズ』
艦艇ユニットの対空兵器として登場。
『大戦略シリーズ』
西側諸国の艦艇ユニットの対空装備として登場。
脚注
[脚注の使い方]
注釈
^ 実際のこんごう型はシースパローを搭載していない。
出典
^ a b c d e 香田 2015, pp. 124–129.
^ 多田 2015, p. 58.
^ a b Friedman 2004, p. 361.
^ a b c d e Friedman 1997, pp. 413–414.
^ a b c 香田 2015, pp. 170–179.
参考文献
Friedman, Norman (1997), The Naval Institute Guide to World Naval Weapon Systems 1997-1998, Naval Institute Press, ISBN 9781557502681
Friedman, Norman (2004), U.S. Destroyers: An Illustrated Design History (Revised ed.), Naval Institute Press, ISBN 978-1557504425
香田洋二「国産護衛艦建造の歩み」『世界の艦船』第827号、海人社、2015年12月。 NAID 40020655404。
多田智彦「世界の艦載兵器」『世界の艦船』第811号、海人社、2015年1月。 NAID 40020297435。
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、RIM-7 シースパローに関連するメディアがあります。
AIM-7 スパロー
ESSM
RIM-66/67 スタンダード・ミサイル
アメリカ合衆国のミサイル一覧
カテゴリ:
アメリカ合衆国の艦対空ミサイル海上自衛隊の装備品ジェネラル・ダイナミクスのミサイルレイセオンのミサイル
最終更新 2023年10月25日 (水) 04:52 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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