米政権がこだわる中東安定策の行方 権力者たちの打算
客員編集委員 脇祐三
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD133RT0T10C24A2000000/
『イスラエルのネタニヤフ首相は、イスラム組織ハマスが提示した戦闘停止と人質解放案を拒否し、ガザ地区の最南部ラファで大規模攻撃を実施する考えを示す。攻撃によるガザの住民の新たな犠牲や難民化の懸念が強まる中で、米国は停戦とその後の地域安定化について関係する政権と協議を進めている。だが、その行方は不透明だ。
今回の危機への対応をイスラエル・パレスチナの2国家共存構想の復活などにつなげようとするバイデン政…
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『今回の危機への対応をイスラエル・パレスチナの2国家共存構想の復活などにつなげようとするバイデン政権と、権力の座にとどまるため国内事情を最優先するネタニヤフ政権の隔たりは大きい。米政権がめざす中東安定策の行方は、ガザの人道危機とともに当面の国際政治の焦点になる。
ラファとその周辺には、これまでのイスラエル軍の攻撃に伴ってガザ地区の北部や中部から100万人以上の住民が避難していた。もともとの住民と合わせて140万人もの人が狭い地域に集まっているという。
イスラエル軍の人質救出に伴う攻撃でラファに被害が出た(12日)=AP
バイデン米大統領は11日、3週間ぶりにリモートで話し合ったネタニヤフ首相に対し、パレスチナ住民の安全を確保するための「信頼できる実行可能な計画なしに、ラファでの軍事作戦を進めるべきではない」とくぎを刺した。一方、ネタニヤフ首相は同日に放送された米ABCテレビのインタビューで、そのための「詳細な計画を策定中だ」と説明すると同時に、ラファ攻撃をすべきではないと求める人は「戦争に負けて、ハマスをそこにとどめておけ」と言っているのと同じだと主張した。
人質救出作戦で多数の犠牲者
イスラエル国内ではガザで拘束されている人質の家族などが、人質の無事を願い解放実現を最優先するよう求める集会を繰り返し開く。だが、ハマスとの戦いに勝てば人質が解放されるとするネタニヤフ首相は、ラファを攻撃する構えを変えていない。首相はラファでの軍事作戦をイスラム教で聖なる月とされるラマダン(断食月)が始まる3月10日ごろまでに完了するよう指示した。
2月12日の早朝にはイスラエル軍と国内治安機関、警察の合同による特別作戦で人質2人を救出したが、この際に少なくとも67人が死亡し、数十人が負傷したとガザの保健当局は発表した。国連や欧州諸国などから、人道上の危機を避けるよう求める声がさらに強まり、隣接するエジプトは多数の住民が難民として流入する事態を警戒している。
6日夜にハマスが仲介役のカタールに提示した135日間の戦闘停止と段階的な人質解放の案を、ネタニヤフ首相は「妄想的な要求」と一蹴した。そして「われわれの戦いは絶対的な勝利に向かっており、それ以外に解決策はない」と強調した。
イスラエルのネタニヤフ首相は早期の停戦や長期間の戦闘休止を望んでいない(1月)=ロイター
これについてイスラエル国内では「今後の駆け引きもにらんでハマスへの圧力を強める狙い」という見方も一部にあるが、ネタニヤフ氏はそもそも早期の停戦や長期間の戦闘休止を望んでいない。バイデン大統領は少なくとも6週間の戦闘停止を働きかけているが、イスラエル側では戦闘が止まればすぐに首相が、2023年10月7日のハマスによる奇襲攻撃を防げず、イスラエル側に1200人もの犠牲者を出した責任を厳しく問われるのは確実だからだ。
ネタニヤフ政権のかたくなな姿勢にバイデン大統領は立腹気味だ。8日のホワイトハウスの記者会見で、大統領はイスラエル軍のガザ攻撃を「やりすぎ」(over the top)と批判し、「飢えている罪のない人がたくさんいる」ので攻撃をやめなければならないと強調した。
バイデン大統領はネタニヤフ政権に立腹気味(12日)=AP
米国の政治情報メディアであるポリティコの2月4日の電子版や、12日のNBCテレビの報道によると、バイデン大統領は最近、米政権の意見や助言を聞き入れないネタニヤフ首相について、米国側の内輪の場では「ろくでなし」とか「クソ野郎」と呼んだり、「ぶっ飛ばしてやる」とののしったりしているという。ホワイトハウスのベイツ副報道官は「大統領は、そんなことを言っていない」と否定したが、イスラエルの攻撃が長期化し、ガザの人道危機が深刻になるにつれて、もともとそりが合わなかったネタニヤフ首相との対立は強まっている。
アラブ諸国も「危機後」の協議開始
バイデン政権は、一時的であっても戦闘を止めれば、住民への人道援助を拡大でき、人質解放を促すきっかけになり、今回の危機の後のことを考える空気も広がると考える。ブリンケン国務長官は23年10月に危機が始まってから24年2月まで5回にわたって中東シャトル外交を繰り返し、戦闘収束後のガザの統治体制などについて、イスラエルと周辺のアラブ各国政府、パレスチナ自治政府と話し合いを重ねてきた。当初は「米国は、まず停戦実現を」という要求ばかりだったアラブ各国政府が、年明け後は先々の話もするようになったという。
地域安定化の話を進めていくためにも、バイデン政権はできるだけ早く戦闘を止めたい。戦闘停止と人質解放に関するハマスの案についてブリンケン長官は、イスラエル訪問中の7日夜、「ハマスの対応には明らかにいくつか見込みのない部分がある」としつつも、「合意に達する余地は生まれると考えている。そこにたどり着くまで粘り強く取り組む」と説明した。しかし、ネタニヤフ首相は「ハマスを根絶やしにする」ことを軍事作戦の目標に掲げ、目標達成まで戦い続けると強調する。戦争遂行内閣のトップを続けるほうが、自らの政治的な延命には都合がいいと考えている節もある。
米国では11月の大統領選挙でトランプ前大統領が勝利し、政権に復帰する展開が現実味を帯び始めてきた。他の国々も前任の政権の政策を全面的に否定するトランプ政権が復活する可能性を視野に入れ、国際政治の舞台でバイデン大統領のレームダック(死に体)化が前倒しで始まりつつある。
11月の米大統領選挙でトランプ前大統領が勝利し、政権に復帰する展開が現実味を帯び始めてきた(10日)=ロイター
トランプ氏は前政権時代に在イスラエル米国大使館をエルサレムに移し、ヨルダン川西岸地区へのユダヤ人入植運動の支援者を駐イスラエル大使に任命するなど、イスラエルへの肩入れとパレスチナへの冷たい姿勢に終始した。ネタニヤフ首相および連立を組む極右勢力には、バイデン政権の停戦誘導外交や2国家共存構想推進の動きに抵抗しつつ、トランプ政権復活まで粘ろうとする思惑もありそうだ。
生き残りの手がかり探るハマス
バイデン政権は、危機後のガザでイスラエルが占領を続けるのは認められないとし、いまヨルダン川西岸地区に事実上限定されているパレスチナ自治政府にガザの統治も委ねるべきだとの考えだ。しかし、アッバス自治政府議長への支持率は極めて低い。
このため、人質解放問題などで仲介役になっているカタールは、超党派のパレスチナ人で構成し、西岸とガザの双方を統治する「パレスチナ政府」の樹立案などをつくり、タミム首長が11日にカタールを訪問したアッバス議長と複数のシナリオについて話し合ったと報じられている。ハマスはイスラム組織だが、リーダーたちは玉砕して「殉教者」になるよりも組織のサバイバルを優先しており、超党派によるパレスチナの統治組織というアイデアに、自らの生き残りの手がかりを見つけようとしている。
一方、ネタニヤフ政権にとって、ハマスの生き残りは論外、2国家共存構想は受け入れず、イスラエルの安全が保障されない限りパレスチナ人によるガザ統治もノーだ。そういう状況の中で、10月の危機勃発後に凍結されたはずのサウジアラビアとイスラエルの正常化をめぐる駆け引きがまた始まっている。
安保条約、原発などの見返り要求
危機勃発の直前まで、司法の独立に抵触するような制度改革が猛反対を浴びていたネタニヤフ首相は、サウジとの正常化実現を生き残りのテコにしようとしていた。サウジのムハンマド皇太子はイスラエルとの正常化を急いではいなかった。だが、23年3月の中国の仲介によるサウジとイランの関係正常化にあせったバイデン政権が、自らの外交の成果をつくろうとして熱心に働きかけたので、サウジ側はサウジ防衛への米国の関与を明確にする安全保障条約や、米国の協力によるサウジ国内の原子力発電所建設など大きな見返りを米国に要求した。そして協議は米国とサウジの間でもっぱら進められていた。
危機前の協議ではパレスチナ問題は最重要テーマではなかったが、今はこの問題でイスラエル側の譲歩が明確でないとサウジも正常化に踏み出しにくい。米国内では特にバイデン政権の与党・民主党から、民主主義国ではないサウジとの安保条約や核不拡散の観点で疑問も残る原子力協力の取り決めに強い異論が出ていた。英王立国際問題研究所(チャタムハウス)など欧米のシンクタンクや外交問題専門家から、功を急ぐバイデン政権への批判も相次いでいた。
独立国家への道筋明確化がカギ
だが、米国が安保条約や原発を実現してくれるのなら、サウジにとっての利益はきわめて大きい。このため、サウジはイスラエルが2国家共存に向けた道筋を明確にするなら正常化に応じてもいいとシグナルを送った。その一方でサウジは、正常化の条件として欧米諸国がパレスチナを国家承認するよう強く求め始めてもいる。この点については、ムハンマド皇太子がパレスチナの独立国家への道を開いたという名声が得られるからだ、という見方もある。
2月5日のブリンケン国務長官とムハンマド皇太子の会談では、イスラエルとの正常化問題も議題になった。ホワイトハウスのカービー戦略広報調整官は「ポジティブなフィードバックがあった」と説明したが、会談の2日後のサウジ外務省の声明は、現段階で正常化の可能性を過大評価しないよう米国に注意を促すような内容だった。パレスチナ問題での明確な譲歩を求めて、サウジが米国とイスラエルにプレッシャーをかける構図である。
サウジアラビアのムハンマド皇太子㊨と会談するブリンケン米国務長官(5日、リヤド)=ロイター
危機前のイスラエルでは、サウジとの正常化はネタニヤフ首相のサバイバル戦略に合致したが、今回の危機でパレスチナ問題が再び中心的なテーマになり、状況は変わった。パレスチナ独立国家への道筋の明確化を求められると、今のネタニヤフ首相は対応が難しい。
バイデン政権は、サウジとの正常化は大きな功績になるとネタニヤフ首相を促す。ネタニヤフ氏も、米国でバイデン政権が前のめりになっている間に話を進めたいという考えは以前からある。だが、パレスチナ問題での譲歩は極右勢力の連立政権からの離脱、政権崩壊に直結するリスクが大きい。「10月7日」の責任を問われるネタニヤフ氏と与党にとって、出直し総選挙になる展開は不利で、権力を失う可能性が大きい。バイデン政権がこだわる中東安定策の行方には、米国、サウジ、イスラエル、それぞれの権力者の打算と思惑も濃密にからむ。 』