カテゴリー: 思考法、関連
-
-
時間泥棒の話・・・「モモ」 : 机上空間
http://blog.livedoor.jp/goldentail/archives/29390985.html『ドイツ人作家のミヒャエル・エンデ氏の書いた「モモ」という児童書を、ご存知だろうか。1973年に発刊され、翌年にドイツ児童文学賞を受賞しています。私が、この本を買ったのは、学生の時でした。「ネバー・エンディング・ストーリー」(原作・はてしない物語)の映画が公開されて、ストーリーは、ともかくとして、その絵本の挿絵のようなビジュアルを、そのまま映像化した、映像としての完成度に当時、やられてしまいまして、その原作者の作品という事で購入しました。書評も高評価で、大人が読んでも面白い作品として紹介されていたのですね。当時は、ハードカバー版しか販売されてなくて、そこそこ高かった記憶があります。
人々から時間を奪う「時間泥棒」というキャラクターを設定して、主人公のモモとの対決を描いた物語で、かなり寓話的な物語です。モモというのは、まるで当時、世界的に流行していた、怒れる若者を代表するような浮浪者の少女です。従来からの価値観や大人の言う事に対して、それが真実なのか、正しいのかという疑問を持つ若者が、アメリカでも、ヨーロッパでも誕生して、彼らはお仕着せの価値観を否定し、いわゆる「ヒッピー」という自由主義者的なライフ・スタイルを啓蒙します。ウーマン・リブとか、フリー・セックスとか、マリファナとか、サイケデリックとか、精神の開放とか、型にはまらないのが新しいスタイルだとして、実際に、そういう生き方をした世代が誕生した時期ですね。
彼女は、今は廃墟と化した円形劇場に住み着いていて、見た目は小学生くらい。生まれてから、一度もクシを通した事も無いような真っ黒な巻き毛で、裸足で歩くせいで、足の裏は真っ黒。服のサイズも、まったく合っておらず、ツギハギだらけという風体です。モモという名前は、自分で付けたと言い、その他の事は、判らず、ただ、ここに住みたいと言います。周囲の住民たちは、相談して、モモの面倒を見る事にしました。
正体不明の風来坊の彼女ですが、モモは人の話を聞く才能に優れていて、心の問題を抱えた人が、彼女と会話をすると、その負担が軽くなるという極めて優れた特性を持っていました。こうして、心の安定でお返しする事で、モモは無くてはならない存在になって行きます。
しかし、そこへ「灰色の男たち」と呼ばれる存在が介入してきます。鉛のような灰色の書類カバンを持ち、灰色の煙の出る葉巻をくゆらせる、紳士のような出で立ちの男たちです。彼らは、人生に不満を抱える人間と会い、いかに時間を無駄にしているかを秒単位で説きます。そして、節約した時間を、彼らの運営する「時間貯蓄銀行」に預ければ、利子を乗せて支払うと営業を仕掛けます。
その話に乗った人々は、一秒たりとも無駄にできないと、イライラしながら働くようになり、それでも、時間はあっという間に経過してしまうので、もっと倹約しなくてはと、怒りっぽくなっていきます。こうして、灰色の男たちは、人々から時間という財産を奪って、世界を侵食していきます。
やがて、モモの元には、人々が寄り付かなくなるようになりました。時間を倹約する事に価値を見出すようになった親達が、モモが、ぐうたらの怠け者で、時間を無駄に浪費させる人間だと、会う事を禁止するようになったのです。やがて、灰色の男の一人が、モモのところにもやってきて、成功する事が大事であり、その他の事は価値が無いし、役に立たないと説得しに来ます。しかし、モモは屈する事無く、反論し、やがて、議論に詰まった灰色の男は、平常心を無くして、自分達が、人間から時間を奪う事を目的にしていて、その正体を秘密にしている事などをバラしてしまいます。
この後も、物語は続いて、時間の国の長老であるマイスター・ホラなど、キャラクターも出てきて、話は、より観念的になり、結構、子供が読むにはハードルが高い展開になっていきます。また、灰色の男たちが、人々から奪った時間は、時間の花を育成する養分になっていて、その花びらを乾燥させて巻いた葉巻が、彼らが普段から吸っているものなのでした。この辺りは、いかにもマリファナ的で、時代を感じさせます。葉巻から出る煙は、死んだ時間で、生きている人間が、この煙を吸うと、やがて灰色の男たちになってしまいます。この病気の名前が、致死的退屈症です。
この物語は、当時の風俗を取り入れながら、資本家と労働者という関係を寓話的に示しています。一般的に、資本家VS労働者というと、賃金の話になりがちですが、実は資本家が買い取っているのは、労働者という契約で縛りを課した他人の時間です。個人が持っている時間は、有限ですが、報酬を支払って、仕事として他人に任せる事で、成果は何百倍にも増やす事ができるのです。規模を大きくすれば、買い取った時間で成し遂げる成果も大きくなりますから、資本家の元には大きな対価が入ってきます。それを効率的に労働者に割り振る事で、更に事業は拡大するわけです。時間というのは、それを増やしたり減らしたりできませんが、他人の時間を報酬と引き換える事で、時間あたりの成果を増やす事はできるのです。
つまり、この物語は、チャップリンの「モダン・タイムス」と同じで、機械的に効率化の進んだ工場労働などの非人間性に対する寓話的な批判です。そして、労働の本質が、賃金の問題ではなく、時間の拘束である事に着目した、初期の作品の一つです。
この作品の時代では、労働集約化と、そこで推進させる極限までの効率化を、余りにも非人間的なモノとして批判しているわけです。しかし、今は、それよりも、たちの悪い形で、「時間泥棒」達は、我々の生活に入り込んでいます。
現在のアメリカは、GDPが世界一の最も豊かな国家のはずです。しかし、アンケート調査によると、世界平均よりも、日々、常に心配事を抱え、多くのストレス持ち、決して幸福とは言えない環境にあります。物質的には豊かになり、多くの作業が自動化されて、開放された代わりに、自分で時間をコントロールできなくなったのです。
資本主義を代表する工場労働を考えてみましょう。確かに、工場で労働している時間、最大の作業効率を求められ、しばしば、その労働は非人間的です。前述の「モモ」が寓話としていたのは、まさに、その時代の労働と時間の関係です。しかし、終業時間になれば、労働から開放され、プライベートと労働の区別は、はっきりと分かれていました。しかし、1950年代と違って、労働の主軸は、よりクリエティブな頭脳労働に移行しています。
製造ラインに、いない時には、労働の事を考える必要が一切無い、工場労働と違って、プロジェクトやマーケティング、クリエイターの仕事は、労働と時間の明確な区切りがありません。今は、スマホやタブレットなど、事務所の外でも仕事をサポートし、成果を送信したり、情報を得るツールが豊富にありますから、どこで何をしていても、仕事ができないという言い訳がたちません。つまり、フリーランスなど、場所や時間に縛られない働き方が増えたのですが、時間を自分でコントロールする事が、生産性の向上という呪文の前では、難しくなったという事です。
時間に縛られないというのは、労働をする時間が決まっていないというだけで、自炊で調理中でも、深夜に目が覚めてしまった時でも、入浴中でも、トレーニング中でも、頭で常に仕事の事を考える事は可能ですし、それをサポートするツールもあります。つまり、取り組んでいる問題を解決できない限り、我々は時間をコントロールするのが難しくなっているのです。まさに、時間泥棒に取り憑かれている状態と言って良いでしょう。
我々にとって、リラックスして、目標を持たない時間というのは、「幸福な経験・体験」に繋がる重要なものです。実際、幸福というものを、可視化するなら、過去に起きた幸せな体験の記憶であり、それは、多くの場合、自分のコントロール下にある時間において起きた事でもあるはずです。それが、仕切りの無い労働と、それを可能にするツールの発達によって、自分の制御に置けなくなってきています。
つまり、豊かさとは、高価なモノに取り囲まれる事ではなく、自分でコントロールできる時間の多さであり、その環境を作る為には、資産形成が必要だという事なのです。もし、幸福を基準に人生を過ごしたいのであれば、労働を賃金で計るのではなく、自分で時間を制御する為の手段として捉え、何者にも介入されない、自分の思い通りの時間を作る事こそが、精神的な幸せに繋がると認識するのが重要です。そして、労働における搾取とは、自分の時間を、格安で他人に売り渡す事に他ならないのだと認識するのが重要です。』
-
学問のすすめ 福沢諭吉
https://www.aozora.gr.jp/cards/000296/files/47061_29420.html『「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。
されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。
されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。
その次第はなはだ明らかなり。
『実語教』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。
されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。
また世の中にむずかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。
すべて心を用い、心配する仕事はむずかしくして、手足を用うる力役はやすし。
ゆえに医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召し使う大百姓などは、身分重くして貴き者と言うべし。』
※ 中、略。
『学問とは、ただむずかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を言うにあらず。
これらの文学もおのずから人の心を悦ばしめずいぶん調法なるものなれども、古来、世間の儒者・和学者などの申すよう、さまであがめ貴むべきものにあらず。
古来、漢学者に世帯持ちの上手なる者も少なく、和歌をよくして商売に巧者なる町人もまれなり。これがため心ある町人・百姓は、その子の学問に出精するを見て、やがて身代を持ち崩すならんとて親心に心配する者あり。無理ならぬことなり。畢竟その学問の実に遠くして日用の間に合わぬ証拠なり。
されば今、かかる実なき学問はまず次にし、もっぱら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。
譬えば、いろは四十七文字を習い、手紙の文言、帳合いの仕方、算盤の稽古、天秤の取扱い等を心得、なおまた進んで学ぶべき箇条ははなはだ多し。
地理学とは日本国中はもちろん世界万国の風土道案内なり。
究理学とは天地万物の性質を見て、その働きを知る学問なり。
歴史とは年代記のくわしきものにて万国古今の有様を詮索する書物なり。
経済学とは一身一家の世帯より天下の世帯を説きたるものなり。
修身学とは身の行ないを修め、人に交わり、この世を渡るべき天然の道理を述べたるものなり。
これらの学問をするに、いずれも西洋の翻訳書を取り調べ、たいていのことは日本の仮名にて用を便じ、あるいは年少にして文才ある者へは横文字をも読ませ、一科一学も実事を押え、その事につきその物に従い、近く物事の道理を求めて今日の用を達すべきなり。
右は人間普通の実学にて、人たる者は貴賤上下の区別なく、みなことごとくたしなむべき心得なれば、この心得ありて後に、士農工商おのおのその分を尽くし、銘々の家業を営み、身も独立し、家も独立し、天下国家も独立すべきなり。』 -
孫子 6 虚実篇 7/7、軍隊の形は水のようなもの
http://sloughad.la.coocan.jp/novel/master/achaina/sonshi/sonsh067.htm『夫兵形象水、
夫れ兵の形は水にかたどる。
軍隊の形は水のようなものである。
水之形、避高而趨下、兵之形、避實而撃虚、
水の行は高きを避けて下きに趨く。 兵の形は実を避けて虚を撃つ。
水は高い所から低い所に流れていく。 軍隊の形は敵の守りの固い「実」の部分を避けて守りの薄い「虚」の部分を攻撃する。
水因地而制流、兵因敵而制勝、
水は地に因りて行を制し、兵は敵に因りて勝を制す。
水は地形によって流れを決め、軍隊は敵の形によって勝利を制する。
故兵無常勢、水無常形、能因敵變化而取勝者、謂之神、
故に兵に常勢なく、常形なし。 能く敵に因りて変化して勝を取る者、これを神と謂う。
軍隊に決まった勢いというものは無く、決まった形も無い。 敵の出方次第で柔軟に対応し、勝利を得る。これこそ神妙というものだ。故五行無常勝、四時無常位、日有短長、月有死生、
故に五行に常勝なく、四時に常位なく、日に長短あり、月に死生あり。
木火土金水の五行のうち、これだけで勝てるというものはなく、春夏秋冬の四季は絶えず移り変わり、日の長さだって長短があるし、月にも満ち欠けがある。』
-
あふれる「思想なき保守」 宇野重規・東京大学教授
「シン・保守」の時代(中)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD04CUW0U2A700C2000000/『「保守主義」は政治的な立場を論じる際に用いられるが、真意を理解して使われる例は昨今ほとんど見られない。男女平等や外国人との共生に抵抗するネット右翼、古いものを無批判に賛美する精神性とは無縁なのに、それらと同一視する言説が流布している。現代は「曖昧な保守論がインフレした時代」と定義できる。
起源は18世紀半ばまで遡る。欧州で絶対主義や封建主義を打倒する市民革命が起こり、「社会は理想の未来に向けて邁進(まいしん)する」という進歩主義が興隆した。フランス革命が顕著な例で、既存の制度一切を白紙に戻し、望ましい社会をゼロから再構築することを目指した。
模範を過去ではなく未来に求める進歩主義は楽天的で傲慢だとも言える。歴史や伝統には知恵や配慮が込められているし、私たちの理想通りに人類社会が発展するわけでもない。急進的な進歩主義を批判して、自由を守る伝統的な制度や習慣を守り、漸進的な改革を求める立場として保守主義の思想は生まれた。
ある思想に対するブレーキ役となり、20世紀でも価値を持ち続けた。ロシア革命で実現した社会主義や、「大きな政府」の下で福祉国家を目指す米国リベラリズムの対抗軸になり得たからだ。
現代では進歩主義の存在自体が危うくなっている。労働者による革命や計画経済を目指した社会主義や、大きな政府による社会改良を信じたリベラル派が大きく衰退したからだ。理想の社会像を失った結果、保守主義も対抗軸を見失い迷走する事態が起きている。
保守主義は日本に存在したのか。戦後を代表する2人の知識人、丸山真男と福田恆存は、1960年の安保闘争の頃にはすでに「保守主義の不在」を指摘していた。
丸山は、現行の政治体制を自覚的に守る立場は現れなかったという。欧米から新しい思想や制度を輸入することにあくせくする日本の伝統は、保守主義を何かと関連付けることもなく受容した。その結果、ズルズルとなし崩し的に現状維持を好む「思想なき保守」ばかりが目立つようになった。
福田は、日本における2つの断絶を指摘した。江戸時代以前の制度や慣習を捨て欧米化に走った明治維新と、事実上の征服を経験させられた第2次世界大戦での敗戦だ。過去との連続性が絶たれた社会では、何が自分たちに大切かを共有できず、保守主義を確立させるのは難しいといえる。
デジタル空間も議論の場に
現代の日本で以前のように保守と進歩を対比して語ることが有用かは分からない。政治家や政党の間ですら保守主義は誤用されるし、かつて進歩主義が唱えた社会の展望は全く見えないからだ。
だが、今後も保守主義に意味を持たせ続けるには、一人ひとりが「本当に大切なもの」「保守したいもの」を自発的に問い直し、他者と共有して行動することが必要だ。地域社会に目を向ければ、祭りや芸能、自然と密着した暮らしが受け継がれている。こうした財産が、守るべき歴史や伝統だと考えることもできる。
若者の政治離れも指摘されるが、政治や社会との関わり方は古典的な選挙運動やデモ活動に限定しない方がよい。SNS(交流サイト)などのデジタル空間を活用し、「守りたいもの」を共有する他者と関わり、それに向けて議論することも一つの社会参加ではないか。
今後はオタク文化や特定の商品や人物に熱狂した人同士の集団(ファンダム)を取り込むことが保守にとっても重要になりそうだ。現代的な通信手段を前提に「保守」をよりダイナミックに捉えることが求められている。(聞き手は渡部泰成)
うの・しげき 1967年生まれ。専門は政治思想史。著書に「トクヴィル 平等と不平等の理論家」(サントリー学芸賞)、「保守主義とは何か」、「民主主義とは何か」など。
【「シン・保守」の時代】
(上)「愛国」への誤解乗り越える 将基面貴巳オタゴ大学教授 』
-
「不惑」の意味は年齢のこと?孔子の論語との関係や使い方も解説
https://biz.trans-suite.jp/19048『「不惑」は日常的によく見聞きする言葉で、年齢を話題にした会話にもしばしば登場します。また、有名な孔子の『論語』とも深い関係があるようです。この記事では「不惑」の意味をはじめ、孔子の『論語』との関係や、熟語の使い方が理解できる例文なども解説しています。
目次 [非表示]
1 「不惑」の意味や由来とは? 1.1 「不惑」の意味①”心が乱れたりすることがない” 1.2 「不惑」の意味②”数え年の40歳” 1.3 「不惑」の由来は孔子の『論語』 2 「不惑」と孔子の論語との関係 2.1 孔子の教えは「生涯成長すべし」 2.2 「不惑」以外にもある年齢の異称 2.3 孔子とは程遠い現代人の「不惑」以降 3 「不惑」の使い方や例文とは? 3.1 「不惑」は40歳のことを指して使うのが一般的 3.2 「不惑」を使った例文 4 まとめ「不惑」の意味や由来とは?
「不惑」の意味①”心が乱れたりすることがない”
「不惑」の意味は、“心が乱れたりすることがない・超然とした悟りの境地”です。「ふわく」と読み、熟語を読み下した「惑わず」がそのまま意味となっています。この世に生きていると、さまざまな煩悩に心を乱されます。欲しいものは手に入らず、人間関係にも疲れ果て、悩みは尽きません。
「不惑」は心が乱れたり悩んだりするようなことがない、超然とした悟りの境地のことですが、凡人がそのような境地に至ることは大変困難です。
「不惑」の意味②”数え年の40歳”
「不惑」のもうひとつの意味は、“数え年で40歳のこと”です。数え年とは、現在の満年齢とは異なる年齢の数え方で、生まれた年を1歳として新年を迎えるごとに1歳年をとるという方法です。つまり数え年では、大晦日に生まれた子供は翌日になると2歳になってしまう計算です。
ちなみに40歳には「不惑」以外にも異称があり、四十路(よそじ)のほか、最近ではアラウンドフォーティを略したアラフォーという言葉も登場しています。「初老(しょろう)」も数え年40歳のことを指した言葉で、長寿祝の最初の年齢です。
また「不惑」と同じように、異称を持つ年齢があります。現在でもよく知られている「還暦」は数え年で61歳、「白寿」は数え年で99歳のことを指していますが、趣のある呼び名です。
「不惑」の由来は孔子の『論語』「不惑」は、儒家の始祖である孔子(紀元前551年 – 紀元前479年)の『論語』が由来です。『論語』は孔子の言行録のような書物で、孔子の教えがよく理解できる一書であり、現代人にとっても学びの多い必読書となっています。
「不惑」は、『論語』の「為政篇」のなかの「子曰 吾十有五而志乎学 三十而立 四十而不惑 五十而知天命 六十而耳順 七十而従心所欲不踰矩」にあります。
現代語に直すと「子曰く、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う(したがう)。七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず(こえず) 。」です。
「不惑」と孔子の論語との関係
孔子の教えは「生涯成長すべし」
孔子は自身について、「15歳で学問を志して30歳で独立、40歳で迷うことがなくなり、50歳で天から授かった使命に目覚めた。60歳で人の意見を素直に受け入れられるようになり、70歳で自分の思い通りに行動しても人の道から外れることはなくなった」と語っています。
つまり孔子ほどの偉人であっても、人間が完成するまでには長い年月が必要だったということです。
孔子の教えから分かるのは、人間は年齢を重ねならが成長していかなければならず、短期間で完成するようなものではないということと、節目ごとに成長のステップがあり、そのひとつひとつを順に完成させていくことが人間形成への道筋だということです。
「不惑」以外にもある年齢の異称
『論語』の「為政篇」で登場したのは「不惑」の40歳だけではありません。15歳から70歳までの間に6つの区切りを設け、以下のようにそれぞれの年代での努力目標としての目指すべき姿が、年齢をなぞらえる呼称となっています。
15歳:志学(しがく) 30歳:而立(じりつ) 40歳:不惑(ふわく) 50歳:知命(ちめい) 60歳:耳順(じじゅん) 70歳:従心(じゅうしん)
孔子とは程遠い現代人の「不惑」以降
現代でも、高校受験を迎える15歳頃には自分の進路を真剣に考え始めます。また、30歳頃になると社会人として自立できるようになります。
けれども孔子の時代より社会が複雑になったためでしょうか、40歳でも迷いが多く、50歳でも目の前の仕事に追われ天命に気づくゆとりはなく、60歳になっても我が強く、70歳で思い通りに行動して警察のお世話になるというありさまです。
また超高齢社会の到来により寿命は100歳近くまで延びましたが、80歳・90歳・100歳についての孔子の教えはありません。現代人は30歳からの生き方を、もっと真剣に考える必要がありそうです。
「不惑」の使い方や例文とは?
「不惑」は40歳のことを指して使うのが一般的
「不惑」には迷いがないという意味と40歳という意味がありますが、40歳のことを指して使うことが一般的です。ここでは40歳の異称という意味での「不惑」を用いた例文を提示し、熟語の使い方への理解を深めます。
「不惑」を使った例文
「不惑」を使った例文をいくつかご紹介しましょう。
四十路を迎え「不惑」と言われると面映く感じるが、初老と言われると面白くない。 人生50年時代の「不惑」は、まだ折り返し点にも達していない現代とは全く別モノだっただろう。 40歳はまだ迷いが多い年代だからこそ、自戒を込めて「不惑」と呼ぶようになったのかもしれない。 「不惑」に入ってにわかに英語熱が再燃し、TOEICを受験してみることにした。
まとめ
「不惑」の意味のほか、孔子の『論語』との関係や使い方が分かる例文などを解説しました。平均寿命が50歳に満たない頃には、15歳で一人前の大人として扱われていました。一方、現代の15歳はまだ義務教育を終えたばかりで、長い人だとあと10年近くも学生時代が続きます。
社会人としてのスタートが遅くなり寿命も長くなった現在、「不惑」となる年齢はどんどん先送りになりそうです。
日本語表現
ABOUT US
小倉あずき
長い社会人歴と数多い転職歴で培った、汎用性の高さが取り柄です。
NEW POST日本語表現 2022.07.15 「穢れ」の意味とは?「汚れ」との違いや神道との関係も紹介 日本語表現 2022.07.14 「音読み」と「訓読み」の違いとは?見分け方や読み方の由来も 業務知識 2022.07.13 「テレワーク」の意味とは?リモートワークや在宅勤務との違いも 日本語表現 2022.07.08 「けったい」の意味とは?けったいな人や方言・医療用語の使い方も
検索:
最近の投稿目標・スローガンになる四字熟語は?前向きで 』
-
投資の世界で、答えは「過去」に存在しない。 : 机上空間
http://blog.livedoor.jp/goldentail/archives/29195955.html※ 『私達は、テストで学力を計られるのに慣れているので、問題には答えが用意されていると思いがちです。こういう聞き方をすれば、「そんな事は無い事ぐらい知っているよ」と答える方が大方でしょうが、習慣というのは恐ろしいもので、「正しい答えと点数」で評価される事に慣れていると、全てにそれがあると無意識に考えてしまうのです。』…。
※ ここは、よくよく傾聴しておいた方が、いい…。
※ さらに付け加えれば、オレらは「教科書」と「先生」で「勉強する」ことに、慣れすぎているので、あらゆることにそういう「教科書」みたいなものがあると、無意識に思い込んでいるところがある…。
※ また、あらゆることに、「解決方法や、勉強のやり方」みたいなものを、「伝授」してくれる「先生」みたいなものがあると、無意識に思い込んでいるところがある…。
※ そういう「便利なもの」は、無い…。
※ そういう「便利なもの」は、存在しないんだ…。
※ 何を読んだら、どういうものから「情報取ったら」、自分の「目的」が達成できるのか…。そういう「踏み出すべき第一歩」を考えることから、始めないとならないものなんだ…。
『このブログで、既に何回も述べているので、耳タコな方も多いと思いますが、「他の大概のスキルと違って、金融の世界では、経験の蓄積や技術の研鑽が成功を保証しません」もちろん、まったく関係が無いと言いませんし、金融の世界においても経験や研鑽は大事です。しかし、結果として、それが成功を保証するかと言えば、それは無いのです。そこが、他とは違う特異な点です。
大概のスキルというのは、1000時間も費やせば、仕事として成立するくらいの安定した技術が身につきます。その程度で凡庸であるか、職人レベルであるかは別にして、技術としては身につきます。しかし、世の中の出来事が全てがチャートに織り込まれる金融の世界では、どんなに過去のデータを揃えたところで、どんなに経験を積んだところで、どんなに分析を繰り返しても、安定した成功は保証されません。
投資初心者の方のは、ここを間違えがちです。何かしらの努力で克服できると考えてしまうのです。他のスキルが、そうだからです。なので、うまくいかないのは努力が足りないからだと考えてしまいます。しかし、「この世界では、前例のない出来事が常に起きている」のです。冷戦時代に、誰がソ連の崩壊を予見できたでしょうか。東西のドイツが再統一される事も、武漢肺炎のような世界的なパンデミックが発生する事も、ロシアがウクライナに侵攻する事も、それが起きる事を完全に予想できた人などいません。しかし、起きた事で市場は動きます。つまり、過去に答えがあると考える事自体が誤りなのです。
私達が過去から学べるのは、似たケースでの対処法だけです。もしかしたら、それを知っている事で、傷を致命傷にせずに済むかも知れないし、大躍進する機会を掴むかも知れません。しかし、それは、期待値の高い方へ賭けるというだけの話で、確実な答えは、どこにも無いのです。この事を、市場に参加する前に「理解」しておく事が大事です。私達は、テストで学力を計られるのに慣れているので、問題には答えが用意されていると思いがちです。こういう聞き方をすれば、「そんな事は無い事ぐらい知っているよ」と答える方が大方でしょうが、習慣というのは恐ろしいもので、「正しい答えと点数」で評価される事に慣れていると、全てにそれがあると無意識に考えてしまうのです。
こうした不確定な未来の事変に加えて、市場を形成している人間の感情も、とても遷ろう存在です。お金に対して人間を、もっとも強く突き動かす、人々が信じているストーリーや、モノやサービスに対する嗜好も、永遠に変化しないわけではありません。文化や世代によっても変化しますし、今後も常に変化し続けるものです。つまり、答えを求める事が、いかに無意味かという事です。
何かに失敗した時、何か過ちを犯した時、人は「もう二度と同じ過ちを繰り返さない」と、心に誓います。世の中の大概のケースにおいて、こうした真摯な反省というのは、尊いものですし、必ず糧になります。しかし、投資の世界では、そうではありません。投資で失敗した時に得る教訓は一つだけです。「世界で起きる事を予測するのは難しい」それだけです。同じ過ちを繰り返さないという行動は、問題と答えが紐づいている場合にのみ有効です。そうではない投資の世界では、そもそも同じに見える問題が発生した時に、結果として正解だった行動自体が変化します。問題を定量化できないのです。あくまでも、結果として正解なだけで、それが永遠不変の定理には、なりえません。
つまり、得られる教訓は、「予想外の事は、常に起きる。その時に、致命傷を負わないように、市場から退場しないように、常に誤りを許容する余裕を確保しておこう」という事だけです。我々が市場に対して、できる対策は、実はこれだけなのです。市場に対して、正しい行動と安定して得られる結果があると考えているうちは、貴方は市場を理解していません。今まで、どれだけの天才トレーダーと言われた人が、市場から退場していったかを見れば解ります。それは、その人の手法が、市場のある時期に抜群に機能していたという事でしかありません。市場の変化を見誤れば、一回の取引で数十年の実績が水疱に帰すのです。
史上屈指の投資家との呼び声も高く、「賢明なる投資家-割安株の見つけ方とバリュー投資を成功させる方法」という名著を表したベンジャミン・グレアム氏のエピソードを紹介します。この本、曖昧な投資理論ではなく、具体的な計算式で株で成功する方法を解説した、ある意味勇気のある一冊です。しかし、現在では、この通りに実践して、勝つ事は不可能です。
現在の複雑化した企業運営の世界では、グレアム氏の最初の著書で説明された計算式で、当てはまる企業を見つけるのが、まず至難のワザです。そして、ピッタリの企業を見つけて、投資をしても、おそらくは成功しません。
しかし、この本の著者のグレアム氏は、投資家として大成功を収めています。では、彼は嘘を書いたのでしょうか。それは、違うのです。グレアム氏は、市場が一定の法則で動いているものではなく、手法というのは、必ず陳腐化するのを理解していました。グレアム氏は、1934年、1949年、1954年、1965年と、4回の改訂版を出版していますが、書かれている内容は、違う本かと思うくらい変化しています。これを持って「主張に一貫性が無い」と考えるのが、一般人ですが、そもそも市場というのは、一貫性の無いものです。グレアム氏は、その時々で、有効に機能すると思われる具体的な手法を紹介しただけなので、内容が変化するのは、当たり前なのです。
グレアム氏は、既に他界しておられますが、生前のインタビューで、彼が好んで用いていた個別銘柄の詳細な分析方法について、今でも活用しているかと聞かれて、こう答えています。
「全般としては、もう好んでいない。私はもう、価値ある機会を見つけるための入念な証券分析の実践は提唱していない。これは、今から40年前、私達の投資の教科書が出版された頃には、価値のある方法だった。だか、その後、状況は大きく変わったのだ」この「状況は大きく変わった」というのは、投資先の企業のあり方だけではありません。投資に参加する敷居は下がりましたし、プレイヤーの層も拡大しました。テクノロジーの進化によって、金を払って得ていた情報が、変わらないスピードで一般にも周知されます。つまり、環境も変わっているのです。変化した投資環境では、それなりの新しい対峙の仕方が必要で、古い考え方が、いつまでも通用しない事は、自明の理です。そして、投資本を書いているグレアム氏は、自身が、それを理解していて、古いやり方を次々と捨てて、新しい方法を見つける事を当たり前にしていたので、偉大な投資家として、生涯を全うできたのです。
では、経験や研鑽が、投資において、最も役立ち、決して疎かにして良い事ではない理由は何か? それは、「一般論」を知るのに必須だからです。何が起きるかは予想できません。しかし、何かが起きた時に、「一般的に、どういう行動が起きるか」は、学ぶ事ができます。これは、答えを知る事ではなく、期待値の高い、より確実な未来に賭ける為に、必要な判断ができる為に役立つという事です。あくまでも、答えではありません。
市場では、経験則を無視した、突発的な変化も「良く起きます」。そうした時に、損をしたり、勝負に負けるのは、避けられません。その後で、どう行動すれば、傷を浅くして、挽回のチャンスを掴む事ができるのか。それを知る為には、経験の蓄積と、技術の研鑽が必要なのです。また、チャンスが来た時に、取り逃さずに掴む為にも、それは必要です。ただし、「答え」知る為ではありません。ここを理解して、分けて考えて市場に立ち向かうかどうかで、投資の成功確率は大きく違います。』
-
事異なれば則ち備え変ず。
https://shisokuyubi.com/bousai-kakugen/index-783『韓非子(BC280頃~BC234頃 / 中国・戦国末の思想家 諸子百家)の著書「五蠹(ごと)」より備えについての名言(中国古典・故事成語) [今週の防災格言622]
『 事異なれば則ち備え変ず。 』
” 事異則備変。”
韓非子(BC280頃~BC234頃 / 中国・戦国末の思想家 諸子百家)
曰く―――。
世異なれば則ち事異なり、(世異則事異)
事異なれば則ち備え変ず。(事異則備変)世の中が変わってくれば、物事も異なってくる。
物事の状況が違ってくれば、その準備も変えなければならない。
かつての最上の方法も、現在では通用しないこともある。
状況の変化に応じて、それらに対処する方法も常に変えていく必要がある、の意。格言は韓非子『五蠹(ごと)』より。
韓非子(かんぴし / 韓非)は、古代中国、戦国時代末期の韓の思想家。法家の代表的人物。
性悪説を唱えた儒家・荀子(じゅんし)の弟子で、申不害(しんふがい)、慎到(しんとう)、商鞅(しょうおう)らの法家思想を大成させた。
韓非の生国である「韓(かん)」は、戦国末期、秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓の「戦国七雄」のうち最弱国で、隣国の秦に怯え、いつ併呑されるか時間の問題でもあった。そんな滅びゆく祖国の弱体に発奮して、自らの思想を形とするため『韓非子』といわれる著作を残した。
その著作『五蠹(ごと)』を読んだ秦王政(後の始皇帝)は、いたく感激し、韓非を秦に招こうとした。ところが、荀子のもとで共に学んだ秦の重臣・奇斯(りし)に妬まれた韓非は毒殺されてしまう。韓非の遺したその思想は秦の始皇帝の中国統一の礎となったという。』
-
知の難きに非ず、知に処するは則ち難し
https://ats5396.xsrv.jp/2494/『知の難きに非ず、知に処するは則ち難し
ー非知之難也、処知則難也ー 韓非子 説難第一二
(韓非子:二十巻五十五編。戦国時代の韓非の選。先秦時代の法家の学を集大成し、
それに韓非の考えを加えたもの。はじめは「韓子」と称したが、宋以降、
唐の韓愈と区別するため、「非」の字を加えた。){原文}
宋有富人。天雨牆壊。
其子曰、
「不築、必将有盗。」
其隣人之父亦云。
暮而果大亡其財。
其家甚智其子、而疑隣人之父。此二人者、説皆当矣。
厚者為戮、薄者見疑。
則非知之難也、処知則難也。{書き下し文}
宋に富人あり。天雨ふり牆壊る。
其の子曰はく、
「築かざれば、必ず将に盗有らんとす。」と。
其の隣人の父も亦云ふ。
暮れて果して大いに其の財を亡ふ。
其の家甚だ其の子を智とし、而るに隣人の父を疑ふ。此の二人は、説は皆当たる。
厚き者は戮され、薄き者は疑はる。
則ち知の難きに非ず、知を処するは則ち難きなり。{意解}
知ることは難しくない、
知ったあとでどう対処するかが難しいのだという。情報収集よりも情報管理(情報処理)のほうが難しいということである。
例として「韓非子 説難第一二」を揚げている。宋の国に金持ちの家があった。
ある日、大雨で塀が壊れたのを見て、息子が語った。
「塀を修理しないと、必ず泥棒に入られてしまう」
隣家の主人も同じことを言ってきた。その晩に、やはり、泥棒にはいられて、
ごっそり盗まれてしまった。
金持ちは、息子の賢さに感心したが、
同じことを言った隣家の主人に対しては、
「あの男が、犯人ではないか」と、疑った。親切に教えてやったのに、あらぬ疑いまでかけられるとは、
これほど割に合わない話はない。
私たちの周りにも、結構これに類する話が転がっている。「韓非子」によれば、それはみな「知に処する」道を
誤ったことに起因するのだという。あらぬ誤解を招かぬためにも、
言葉には気をつけたいものである。*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。関連
人主の逆鱗に嬰るるなくんば則ち幾し|中国古典 名言に学ぶ
2020年10月3日人と接するための心得
天道是か非か|中国古典 名言に学ぶ
2020年9月21日社会を考える
朱子家訓
2022年7月7日自己を高める
ナオン について(※ このブログの作者)美容業界での長年のマネージメント能力を活かし、 人生の選択時により善い選択(決断)の一助になればと、 中国古典の「意解」に取り組んでます。 古希を目前にして振り返れば、 その折々により善い選択(決断)が出来なかった事、 心ならずも人の心を傷つけてしまった事に、 後悔の思いは数知れず、走馬灯のように過ります。 私のように後悔先に立たずという思いは 読者には少しでも避けてほしいとの思いで ”中国古典 名言に学ぶ 総集編”を作成しました。
ナオン の投稿をすべて表示 →
カテゴリー: 着実に生きる タグ: 処知, 原文、書き下し文、意解、画像, 情報処理は慎重に, 知に処する, 知の難きに非ず、知に処するは則ち難し, 非知之難也、処知則難也, 韓非子 説難第一二 パーマリンク 』
-
韓非
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E9%9D%9E『韓 非(かん ぴ、?音: Han F?i、紀元前280年? – 紀元前233年)は、中国戦国時代の思想家。『韓非子』の著者。法家の代表的人物。韓非子とも呼ばれる。元来は単に韓子と呼ばれていたが、唐代の詩人韓愈を韓子と呼ぶようになると韓非子と呼ぶことが一般化した。
生涯韓非の生涯は司馬遷の『史記』「老子韓非子列伝第三」および「李斯伝」などによって伝えられているが、非常に簡略に記されているに過ぎない。『史記』によれば、出自は韓の公子であり、後に秦の宰相となった李斯とともに荀子に学んだとされ、これが通説となっている。なお、『韓非子』において荀子への言及がきわめて少ないこと、一方の『荀子』においても韓非への言及が見られないことから、貝塚茂樹は韓非を荀子の弟子とする『史記』の記述の事実性を疑う見解を示しているが、いずれにしろ、その著作である『韓非子』にも『戦国策』にも生涯に関する記述がほとんどないため、詳しいことはわかっていない。
韓非は、生まれつき重度の吃音であり、幼少時代は王安や横陽君成も含む異母兄弟から「吃非」と呼ばれて見下され続けていたが、非常に文才に長け、書を認める事で、自分の考えを説明するようになった。この事が、後の『韓非子』の作成に繋がったものと思われる。
荀子のもとを去った後、故郷の韓に帰り、韓王にしばしば建言するも容れられず鬱々として過ごさねばならなかったようだ。たびたびの建言は韓が非常な弱小国であったことに起因する。戦国時代末期になると春秋時代の群小の国は淘汰され、七国が生き残る状態となり「戦国七雄」と呼ばれたが、その中でも秦が最も強大であった。とくに紀元前260年の長平の戦い以降その傾向は決定的になっており、中国統一は時間の問題であった。韓非の生国韓はこの秦の隣国であり、かつ「戦国七雄」中、最弱の国であった。「さらに韓は秦に入朝して秦に貢物や労役を献上することは、郡県と全く変わらない(“且夫韓入貢職、与郡県無異也”)」といった状況であった[1]。
故郷が秦にやがて併呑されそうな勢いでありながら、用いられない我が身を嘆き、自らの思想を形にして残そうとしたのが現在『韓非子』といわれる著作である。
韓非の生涯で転機となったのは、隣国秦への使者となったことであった。秦で、属国でありながら面従腹背常ならぬ韓を郡県化すべしという議論が李斯の上奏によって起こり、韓非はその弁明のために韓から派遣されたのである。以前に韓非の文章(おそらく「五蠹」編と「孤憤」編)を読んで敬服するところのあった秦王はこのとき、韓非を登用しようと考えたが、李斯は韓非の才能が自分の地位を脅かすことを恐れて王に讒言した。このため韓非は牢につながれ、獄中、李斯が毒薬を届けて自殺を促し、韓非はこれに従ったという。この背景には当時、既に最強国となっていた秦の動向を探るための各国密偵の暗躍、外国人の立身出世に対する秦国民の反感など、秦国内で外国人に対する警戒心、排斥心が高まり「逐客令(外国人追放令)」が発令されたため、韓非は「外国人の大物」としてスケープゴートにされたという経緯がある。以上が『史記』の伝えるところである。他方、韓非が姚賈という秦の重臣への讒言をしたために誅殺されたという異聞もある[2]。
韓非はすぐれた才能があり、後世に残る著作を記したが、そのために同門の李斯のねたみを買い、事実無根の汚名を着せられ自殺に追い込まれた。司馬遷は『史記』の韓非子伝を、「説難篇を著して、君主に説くのがいかに難しいかをいいながら、自分自身は秦王に説きに行って、その難しさから脱却できなかったのを悲しむ」と、結んでいる。
思想韓非の思想は著作の『韓非子』によって知られる。金谷治によれば、韓非の著作として確実と考えられるのはまず『史記』に言及されている「五蠹」編と「孤憤」編で、さらに「説難」編・「顕学」編である。その中心思想は政治思想で、法実証主義の傾向が見られる。
荀子の影響韓非が明らかに荀子に影響を受けていると思われるのが、
功利的な人間観 「後王」思想 迷信の排撃
などであり、荀子の隠括も好んで使う。
ただし韓非の思想への荀子の影響については諸家において見解がやや分かれる。
貝塚茂樹は韓非と荀子の間に思想的なつながりは認められなくはないが、商鞅や申不害らからの継承面の方が大きく、荀子の影響が軸となっているとの見解ではない。 金谷治も荀子の弟子という通説を否定はしないが、あまり重視せず、やはり先行する法術思想からの継承面を重視する。 それに対し、内山俊彦は荀子の性悪説や天人の分、「後王」思想を韓非が受け継いでおり、韓非思想で決定的役割をもっているといい、その思想上の繋がりは明らかだとしている。したがって内山は荀子の弟子であるという説を積極的に支持している。
なお「後王」とは「先王」に対応する言葉で、ここでは内山俊彦の解釈に従って「後世の王」という意味であるとする。一般に儒教は周の政治を理想とするから、「先王」の道を重んじ自然と復古主義的な思想傾向になる。これに対し、荀子は「後王」すなわち後世の王も「先王」の政治を継承し尊重すべきであるが、時代の変化とともに政治の形態も変わるということを論じて、ただ「先王」の道を実践するのではなく、「後王」には後世にふさわしい政治行動があるという考え方である。
功利的な人間観
韓非の人間観は原理上は孔子と共通の観点を取っているが、厳密には荀子の性悪説に近い。
功利主義の分かりやすい例に堯舜についての禅譲である。この禅譲に対して
「堯が天下の王だった時は、質素な宮廷で、粗末な食事を食べ、貧しい衣服を着ていた。今の世の門番が貧しいとはいえ、これよりはましである。これらのことから言えば、かの古の時代の天下譲るということは、門番の貧しい生活を捨てたり、奴隷の労役から離れるということだ。だから天下を譲るといっても、たいしたことではないしかし今の県令ですら、その死後に子孫は末長く馬車を乗り回して暮らせるほど豊かである。だから人はその地位を重く思う。よって人が地位を譲るということは、古代は天子の地位を譲ることを軽んじ、現代は県令の職を離れ難いと思うのは、その実利が違うからである」。人が少なかった頃は闘争はなかった[3]という一種の自然状態仮説を提示し、外的環境と物的状況の変化が人間性に影響を与えるという議論を展開する[4]。韓非によれば、物資が多くて人が少なければ人々は平和的で、逆に物資が少なくて人が多いと闘争的になる。韓非が生きた時代のような、人が増えた闘争的な社会では、平和的な環境にあった法や罰は意味が無く、時代に合わせて法も罰も変えなければいけない。ただ罰の軽重だけを見て、罰が少なければ慈愛であるといい、罰が厳しければ残酷だという人がいるが、罰は世間の動向に合わせるものであるから、この批判は当たらないという。
実証主義
儒家と墨家の思想が客観的に真実であるかどうか検証不可能であることを指摘して、政治の基準にはならないと批判している[5]。法律とその適用を厳格にしさえすれば、客観的に政治は安定する。儒家の言葉はあやふやでその真理として掲げている「知」や「賢」といった道徳的に優れた行為や言葉は誰でも取りうるものではなく知りうるものでもないという[4]。よってこのような道徳性を臣下に期待するのは的はずれで、君主は法を定め、それに基づいて賞罰を厳正におこなえば、臣下はひとりでに君主のために精一杯働くようになるという。
政治の基準は万人に明らかであるべき[6]で、それは制定法という形で君主により定められるべきものである。また法の運用・適用に関する一切は君主が取り仕切り、これを臣下に任せてはならない。
歴史思想
韓非の歴史思想については、「五蠹」編に述べられているところに依拠して説明する。
古の時代は今とは異なって未開な状態であり、古の聖人の事跡も当時としては素晴らしかったが、今日から見ると大したことはない。したがってそれが今の世の中の政治にそのまま適用できると考えている者(具体的には儒者を指す)は本質を見誤っている。時代は必然的に変遷するのであり、それに合わせて政治も変わるのである。ここには過去から未来へと変化するという直線的な歴史観、さらに古より当今のほうが複雑な社会構成をしているという認識、進歩史的な歴史観を見ることができる。
この思想は荀子の「後王」思想を継承しているもので、古の「先王」の時代と「後王」の時代は異なるものであるから、政治も異なるべきという考えを述べているものを踏襲していると見られる。
重農主義
韓非は「五蠹」編において、商工業者を非難している。
韓非によれば、農業を保護し商工業者や放浪者は身分的に抑圧すべきである[7]。ところが韓非の時代においては、金で官職が買え、商工業者が金銭によって身分上昇が可能であり、収入も農業より多いので、農民が圧迫されているために国の乱れとなっているという。
「勢」の思想韓非思想にとって、「法」「術」と並ぶ中心概念が「勢」である。「勢」の発想自体は慎子の思想の影響を受けている。ここでは「難勢」編に依拠して説明する。
「勢」とは単なる自然の移り変わり、つまり趨勢のことではなく、人為的に形成される権勢のことであるという[8]。韓非は権勢が政治において重要性を持つと主張し、反対論者を批判する。反対論者は「賢者の『勢』も桀紂のような暴君も『勢』を持っているという点で共通であるから、もし『勢』が政治において重要性を持つのならば、なぜ賢者の時にはよく治まり、桀紂の時にはよく治まらないのか」と言うが、賢者の「勢」は自然の意味で権勢ではなく、このような論理は問題にならないという。賢者の治政が優れているのはなるほど道理だが、もし賢愚の区別だけが政治的に意味があるなら、賢人などというのは千代の間に一人いるかいないかであるから、これを待っているだけでは政治がうまくいくとは思われないという。法によって定まった権勢に従えば、政治は賢人の治政ほどではないだろうが、暴君の乱政に備えることはできると説いている。
「勢」とは、このような人為的な権勢であり、それは法的に根拠付けられた君主の地位である[9]。これは上下の秩序を生み出す淵源である。もし君主の権勢より臣下の権勢のほうがすぐれていれば、ほかの臣下は権勢ある臣下を第一に考えるようになり、君主を軽んじるようになって、政治の乱れが生じる。したがって韓非の理想とする法秩序において、君主は権勢を手放してはならない。
著作
※以下は現行での主な訳注。韓非子も参照 金谷治訳注『韓非子』 岩波文庫(全4巻)、1994年 町田三郎訳注『韓非子』 中公文庫(上下)、1992年、原文はなし 竹内照夫訳注『韓非子』 明治書院〈新釈漢文大系11・12〉、1960-64年 『韓非子』 明治書院「新書漢文大系13」、2002年。抜粋訳脚注
^ 『韓非子』「存韓」編。韓王を弁護するために秦に赴いた韓非が上表したとされる文章と李斯の反駁文、さらにそれに対する韓非の反駁文で成り立つ。ただしこの編はおそらく韓非自身の著作ではないと考えられている。太田方は「初見秦」編とともにこれを『韓非子』の本編から外す。金谷治もおそらく韓非その人の著作ではないとしている。 ^ 『戦国策』「秦策」 ^ 「古者丈夫不耕、草木之實足食也。婦人不織、禽獸之皮足衣也。不事力而養足、人民少而財有餘、故民不爭。」"昔は男でも耕作せず、草木の実で十分食が足りた。女は機織りせず、禽獣の毛皮で衣服が足りた。労力を使わずとも十分生きていけたので、人々は少ないため財は余りがあって、そのため民衆は争うことがなかった。" ^ a b 「五蠹」編 ^ 「顕学」編 ^ 「且世之所謂賢者、貞信之行、所謂智者、微妙之言也。微妙之言、上智之所難知也。今為衆人法、而以上智之難知、則民無従識之矣」"また世にいう「賢」というのは誠実な行いのことで、「知」というのは繊細な機微に基づく言葉である。このような微妙な言葉は優れた知者にさえ難解である。一般の人々のための法にこのような難解な言葉を使えば、一般の人々がその内容を理解できるはずもない。"(「五蠹」編) ^ 「夫明王治國之政、使其商工游食之民少而名卑、以寡舎本務而趨末作。」"名君の治政においては、商工業者や放浪者を少なくして身分を卑しくし、農民が本業を捨てて商工業にはしるのを少なくするのである。"(「五蠹」編) ^ 「勢必於自然、則無為言於勢矣。吾所為言勢者、言人之所設也。」"勢が自然についてに限られるのであれば、勢について語ることは何もない。私が勢と呼ぶのは、人の設ける勢のことである。"(「難勢」編) ^ 韓非は実定法的正当性である「勢」と超実定法的正当性である「義」を対置して捉え(「且民者固服於勢、寡能懐於義。」"また民は「勢」には自然と服するが、「義」に従うことができる者は少ない。"、「五蠹」編)、さらに「義」より「勢」を重く見ている。このことは現代社会のような、外面的な法秩序と内面的な道徳秩序の共存を認める立場ではなく、むしろ法によって内面的な道徳秩序さえも排除しようという主張につながる。「故有道之主、遠仁義、去智能、服之以法。」"道をわきまえた君主は、仁義を遠ざけ、知能に頼らず、法にしたがうのである。"(「説疑」編)
参考文献
『韓非子翼毳』 太田方注、服部宇之吉校訂、冨山房、1911年、新装版1984年 東京大学中国哲学研究室編『中国思想史』 東京大学出版会、1952年、新版1983年 金谷治『中国思想を考える』 中公新書、1993年 貝塚茂樹『韓非』 講談社学術文庫、2003年 冨谷至『韓非子』 中公新書、2003年 西野広祥ほか訳『中国の思想 1 韓非子』 徳間書店のち徳間文庫 長尾龍一『古代中国思想ノート』 信山社、1999年 狩野直禎『「韓非子」の知恵』 講談社現代新書、1987年
荀子に関して
内山俊彦 『荀子』講談社学術文庫、1999年 重澤俊郎 『周漢思想研究』大空社、1998年 金谷治訳注 『荀子』 岩波文庫(上下)
外部リンク
ウィキクォートに韓非子に関する引用句集があります。韓非子(中文) 韓非-韓非子の著者』















































