カテゴリー: 世界情勢
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『ニュークリア・シェアリング(英語:Nuclear Sharing)または核共有とは、NATOの核抑止政策における概念で、NATOによる核兵器使用のために、自国の核兵器を持たない加盟国が計画的に関与することである。特に、核兵器が使用される場合、その国の軍隊が核兵器の運搬に関与することを定めている。
ニュークリア・シェアリングの一環として、参加国は核兵器政策に関する協議と共通の決定を行い、核兵器使用に必要な技術設備(特に核搭載航空機)を維持し、核兵器を自国の領土に保管する。戦争になった場合、アメリカはNATOの同盟国に対し、NPTの規制から逸脱してしまうことを伝えている[1]。 』
『NATO
NATOの核保有3ヶ国(アメリカ、フランス、イギリス)のうち、ニュークリア・シェアリングのために兵器を提供したことが知られているのはアメリカのみである。2009年11月現在、ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、トルコがNATOのニュークリア・シェアリング政策の一環としてアメリカの核兵器を受け入れている[2] [3]。カナダは1984年まで、ギリシャは2001年まで、NATOではなく北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)の管理下にあった兵器を受け入れていた[4] [5] [6]。イギリスも核兵器国でありながら、1992年までアメリカの核砲弾兵器やランスミサイルなどの戦術核兵器を受け取り、主にドイツに配備していた。
平時には、非核保有国に保管されている核兵器はアメリカ空軍の要員が警備しており、以前は一部の核砲弾・ミサイルシステムがアメリカ陸軍の要員によって警備されていた。武装に必要なパーミッシブアクションリンクコードは今もアメリカの管理下にある。戦争になれば、参加国の軍用機に搭載されることになっている。この兵器は、NATOの主要作戦基地に併設されたアメリカ空軍軍需支援飛行隊の管理下にあり、ホスト国軍と連携している[7]。
オランダ空軍のF-16が運搬する兵器を保管するための、ボルケル基地の米軍核兵器保管システム2021年時点で、ニュークリア・シェアリング協定に基づき、100個の戦術核B61が欧州に配備されているとみられている[8]。兵器は、アメリカ空軍のWS3兵器保管・セキュリティシステムを使用し、地下サイロにある航空機シェルター内の保管庫内に保管されている。使用される運搬用戦闘機はF-16とパナビアトルネードである[9]。
1982年、核武装空対空ミサイル「AIR-2 ジニー」の不活性版を発射するNORAD所属のカナダCF-101B歴史的に見ると、核兵器運搬システムの共有は爆弾に限られたものではない。ギリシャはナイキ・ヘラクレス・ミサイルとA-7コルセアII攻撃機を使用した。カナダは、ボマーク核武装対空ミサイル、オネスト・ジョン地対地ミサイル、AIR-2 ジニー核武装空対空ロケット、CF-104戦闘機用戦術核爆弾を持っていた[10]。PGM-19 ジュピター中距離弾道ミサイルは、イタリア空軍の部隊とトルコの部隊に弾頭を可能にするアメリカのデュアルキーシステムで共有された[11]。PGM-17 ソー中距離弾道ミサイルは、イギリス空軍の乗組員とともにイギリスに前方展開された[12] [13]。核共有の延長線上にあるNATO多国籍軍は、加盟国のNATO水上艦にUGM-27 ポラリスミサイルを装備する計画だったが、結局イギリスがポラリスミサイルを購入して自国の弾頭を使用し、NATO水上艦装備計画は放棄された[14]。ソ連崩壊後、NATO内で共有される核兵器の種類は、DCA(Dual-Capable Aircraf)が配備する戦術核爆弾に縮小された[15]。報道によると、NATOの東欧加盟国は、共有核爆弾の欧州からの撤退が、ロシアから欧州を守るアメリカのコミットメントの弱まりを示すと懸念し、抵抗している[16]。
イタリアでは、ゲディ空軍基地とアヴィアーノ空軍基地にB61核爆弾が保管されている。元大統領のフランチェスコ・コッシガによると、冷戦時代のイタリアの報復計画は、ソ連がNATOに核戦争を仕掛けた場合に備え、チェコスロバキアやハンガリーを核兵器の標的にすることだった[17] [18]。彼はアメリカ軍の核兵器がイタリアにあることを認め、仏英の核兵器がある可能性も推測した[19]。
ドイツの核基地は、ルクセンブルクとの国境に近いビューヒェル空軍基地のみである。同基地には核兵器貯蔵用のWS3保管庫を備えたPAS(防護航空機格納庫)が11基あり、それぞれ最大44個のB61核爆弾を収容できる。JaBoG33飛行隊のドイツ軍PA-200トルネードIDS爆撃機による運搬のために、基地には20個のB61核爆弾が保管されている。2024年までにドイツのトルネードIDSは退役する予定であり、ドイツがニュークリア・シェアリングの役割を果たすとすれば、どのようなものかは不明である[20] [21]。2013年6月10日、元オランダ首相のルード・ルバースは、フォルケル航空基地に22個の共有核爆弾が存在することを確認した[22]。これは2019年6月、NATO議会への公開報告書案がフォルケルのほか、ドイツ、イタリア、ベルギー、トルコのアメリカの核兵器の存在に不用意に言及していることが発覚し、再び確認された。2019年7月11日には、兵器の設置場所に言及しない新バージョンの報告書が発表された[23]。
2017年、アメリカとトルコの関係がますます不安定になっていることから、トルコのインジルリク空軍基地にアメリカの管理下で保管されている50個の戦術核兵器の撤去を検討することが提案された[24] [25] [26] [27] [28] [29] [30]。トルコにおけるアメリカの核兵器の存在は、2019年10月、トルコ軍をきっかけとした両国関係の悪化に伴い、世間の注目を高めた[31] [32] [33] [34] [35]。
歴史
2005年までに480基の核兵器がヨーロッパに展開していたと思われる。また180発のB61戦術核爆弾が、ニュークリア・シェアリングのために提供されたといわれる。
これらの核兵器は、アメリカ空軍が採用している航空機用掩蔽シェルター(WS3システム USAF WS3 Weapon Storage and Security System)の中に備蓄されていた。また投下に用いられる軍用機として当初はF-104Gのような高速戦闘機が、後にはマルチロール化したF-16とパナビア・トーネードが採用されていた。
シェアされた核兵器は爆弾に限定された訳では無い。例えばギリシャはナイキ・ハーキュリーズ地対空ミサイルとA-7攻撃機を保有し、カナダは対空核ミサイル・MGR-1地対地核ロケット弾・AIR-2空対空核ロケット・CF-104戦闘機・CF-104用戦術核兵器を保有していた。また西ドイツもMGM-31パーシングII短距離弾道ミサイルを装備していた。またソ連崩壊以後NATOで共有されていた核兵器は削減されており、現在では旧式化した戦術核爆弾だけが残っている。
ドイツ国内唯一の核基地がルクセンブルク近郊にあるブューヒェル(Büchel)に存在する。基地内にはWS3で装備された11個の航空機用掩蔽シェルターがあり、核兵器備蓄用に使われている(最大備蓄数は44発)20発のB61核爆弾が備蓄され、ドイツ空軍のトーネードIDSを装備する第33戦闘爆撃戦航空団(第33戦術空軍戦隊)が投下任務に当たっている。
NPTをめぐる考察
非加盟国とNATO内の批判として、NATOのニュークリアシェアリングは「核保有国」と「非核保有国」相互での核兵器の直接・間接的な移転及び受け入れの双方を禁じている核拡散防止条約(NPT)第1条と第2条に違反しているとする見解がある(ちなみにNATO加盟国のうちドイツとイタリアが非核保有国である)。これに対してアメリカ政府は、以下のような解釈を取っている。
核爆弾及び核コントロールの移転は許されない ただし許されないのは戦争勃発の時点までであり、戦時にはNPT条約の規制は及ばない したがって、NPTに違反はしない
しかしながら、核兵器を「保有していない」NATO各国のパイロット及び人員はアメリカの核爆弾を投下するために配備されており、技術的な核兵器に関する情報の移転が含まれている。仮にアメリカ側の主張が法的に正しいものとしても、平時におけるそのような作戦は、NPTの精神と目的に反するように思われるとする議論がある。実質的に核戦争の為の準備が非核保有国によって行われていると主張している。
NPT条約の交渉中にNATOのニュークリア・シェアリング合意は秘密事項であった。これらの議論はいくつかの国々には開示され、ソ連も含まれていた。開示された国との間ではNATOの合意が違反ではない扱いを受けることが交渉されていたが、1968年に締結されたNPTに署名したほとんどの国々が、その時点では合意の存在とその解釈を知る事は無かった。
日本の核共有論とアメリカによる核配備構想日本では旧陸軍で参謀本部作戦課長を務め、戦後は自衛隊の創設にも関与した服部卓四郎元大佐が「小型核兵器」の保有を提唱していた。服部は「防衛という見地からいいますと、小さくても大きくても原爆を持たないような国は防衛にならない」「原爆を持たなければ、国家はある程度の地位を保てない」と指摘し、武力戦を抜きにしても原爆を持つべきだと主張していた。服部はその小型核兵器について、「射程200マイル以内という制限がついている」「日本が仮に小型核兵器を持ったとした場合でも、使う、使わないは全部アメリカが握っている。アメリカとしてもこれを独断でやられて、戦争を拡大するのはこわいから、大親分としては自分の子分が使うことは極力抑える。その点日本が持つ場合でも、まずそういう状態で持つ以外方法がない」としており、小型核兵器は日本の自主開発ではなくアメリカから提供を受けることを想定していた[36]。服部は朝雲新聞社の雑誌『国防』でも「戦術的核装備採用の提唱」との論文を寄稿しており、「戦力と総国力のバランスが必要な現代の戦争形態となれば、米ソの二大超大国が有利である。その間で日本が防衛力を保つには、小粒ながら十分な能力を発揮できる兵器として戦術的核装備が必要」だとしていた[37]。
1958年2月17日付のアメリカ統合参謀本部文書によると、1957年9月24日から28日にかけてキャンプ・ドレイク(現・朝霞駐屯地)で実施された日米共同図上演習「フジ」において自衛隊とアメリカ軍は核兵器の使用を想定しており、演習では自衛隊幹部からアメリカ軍に対して、1.自衛隊に核兵器を貸与する考えはないか、2.日本が核武装を決めた場合、アメリカは支援するか、などの質問がなされた。これに対してアメリカ統合参謀本部は「核兵器に関する支援の提供は日本の要望と能力次第」とした上で、「アメリカは日本が自衛隊に適切な核兵器を導入することを望む。自衛隊は最も近代的な通常兵器と核兵器を備えなくてはならない」との見解を決定し、部内限りとしてアメリカ太平洋軍司令官に伝達したとされる。また、1958年9月17日付のアメリカ統合参謀本部文書では「アメリカはNATO方式で同盟国を核で支援する意向だ。運用能力を構築する日本の意思にかかっている」としていた[38]。
1958年4月18日、ダグラス・マッカーサー2世駐日大使は国務省宛に「いつか日本も(イギリスと同じような条件で)われわれが日本国内で核装置を保有することを認め、日本自身が核兵器(搭載)能力のある防衛的ミサイルを保有する日が来る可能性が確実にあると信じる」との秘密公電を送っていた。当時、アメリカ政府内部では日本がイギリス並みの同盟国になることが期待されていた[39]。
旧陸軍で陸軍大臣秘書官を務め、戦後は服部グループから陸上自衛隊に入隊した井本熊男陸将(陸上幕僚監部第五部長)は、1958年11月にアメリカ軍の施設や訓練法を視察するために訪米した際に、シアトルで「日本は自衛のために原子力兵器が必要である」と発言していた。井本は自衛隊改革の一環として陸自にアメリカ陸軍をモデルにしたペントミック師団(核装備師団)を創設する可能性に言及した上で、「水爆は別として原子兵器を効果的に非合法とすることはできないだろう。自衛隊による原子兵器の使用は政治問題化しているが、日本は恐らく原子兵器を使用する侵略者に対し防衛するため原子兵器を保有しなければならない」とした[40]。
1961年2月にアメリカ空軍の参謀副長であるジョン・ゲルハート空軍中将は中国の核開発への具体的措置をトーマス・ホワイト空軍参謀総長に提言しており、具体的には、中国が核実験に成功するも、運搬手段が未成熟の「第一段階」では、1.「中国の核攻撃の脅威に備えて、選ばれたアジア諸国、たとえば日本やインド、台湾の空軍力整備を促す」、2.「限られた同盟国に防衛目的のための核兵器を供与、独自に核を持とうとする国に技術支援を行う『核共有プログラム』の推進」。中国が相当な核能力を保有するが、アメリカ本土への直接の脅威には至らない「第二段階」では、1.「日本、インド、台湾、そしておそらく韓国、パキスタン、フィリピンにアメリカの攻撃型核ミサイルを供与し核武装を促す」、2.「中国の本格攻勢に対し、核で反撃できるような協調的メカニズムの構築を図る」。中国が核で直接アメリカを攻撃できる「第三段階」では、「欧米の戦略兵力とともに日本、台湾、インド、フィリピンや他のアジア諸国のミサイル基地が共産圏と対峙できる戦略的包囲網を形成する」との内容だった[41]。
1962年にアメリカ空軍の戦略航空軍団(SAC)と太平洋空軍が核戦争時の通信手段をテストするために実施した合同演習に自衛隊が参加していた[42]。また、核開発を行っていた中華人民共和国が1960年に東風1号の発射実験を成功させたことに対してアメリカは危機感を強め、1962年12月にアメリカ国務省極東局は『共産中国の核爆発』と題するメモを作成している。同メモでは日本の核アレルギーに触れつつ、自衛隊がNATO諸国並みにアメリカ軍と核兵器を共同管理することが究極の目的だとして、「NATOタイプのセーフガード(ツー・キー・システム)のもとでの核兵器装備による日本の軍事力強化」を目指していた。同メモでは「著しく拡大する共産中国の軍事力増強は疑いなく、極東での軍事的な均衡勢力を必要とする。日本ができるかぎりその均衡勢力となることが、アメリカの利益にかなう」と記しており、日本を核武装化した中国に対する反共の砦とすることを狙っていた[43]。
沖縄返還が近付いていた1968年、アメリカ国務省は日本に対し、沖縄からの米軍核兵器撤去と引き換えに、日米合同の核戦力海上部隊を設立するよう要求した。この背景には沖縄返還後も、沖縄基地の自由使用や、沖縄の核戦力配置の継続を求めたアメリカ軍の意向があったと言われる[44]。
旧海軍・海上自衛隊OBで構成された海空技術調査会(保科善四郎会長)は、1972年に出版した『海洋国日本の防衛』において、全面核戦争においてはアメリカ軍の戦略核兵力の抑止力に全面依存するとしつつ、アメリカ軍の核戦略兵力に協力するためにSSBN(戦略ミサイル原子力潜水艦)を4隻程度保有する必要があるとした[45]。
2022年、ロシアがウクライナに侵攻したことにより、核共有に関しての議論を進めるように一部の与野党から提言されたことがあるが[46][47]、内閣総理大臣の岸田文雄は同年3月2日に行われた参議院予算委員会において、「非核三原則を堅持している立場や、原子力の平和利用を規定している原子力基本法を基本とする法体系から認めるのは難しい」と答弁した[48]。』
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北朝鮮の核兵器不拡散条約(NPT)脱退問題と米国の対応
https://atomica.jaea.go.jp/data/detail/dat_detail_14-04-01-22.html『<概要>
北朝鮮は1985年に核兵器不拡散条約(NPT)に加入したが、同国が国際原子力機関(IAEA)保障措置協定に署名し、発効したのは1992年4月である。しかし、その後も北朝鮮の核兵器開発に対する国際社会の懸念は払拭されず、IAEAは、未申告施設の特別査察を要求したが、これに対し北朝鮮は、1993年3月にNPT脱退を宣言した。国連安全保障理事会は、北朝鮮に脱退宣言の再考を促す決議を行い、これを受けて米国は数回にわたり北朝鮮と協議を行い、1994年3月、北朝鮮の申告済み施設の通常査察を受け入れさせた。IAEAの査察不十分報告を受け国連安保理は査察を再勧告し、北朝鮮は、IAEAの即時脱退、査察拒否を表明した。再度、米国は北朝鮮と協議し、1994年10月に軽水炉転換を主内容とする核凍結に合意した。その後の合意の具体的詰めで、北朝鮮は韓国型軽水炉の受入れを拒否し、1995年3月現在交渉は中断している。』















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核拡散防止条約(NPT)再検討会議 核保有国の利害調整で議論紛糾 草案は骨抜きされ後退 – 孤帆の遠影碧空に尽き
https://blog.goo.ne.jp/azianokaze/e/446a533190336a78ab437394d2804661※ 北朝鮮は、「1993年3月にNPT脱退を宣言」しているんだよね…。
※ そういう話し、踏まえた上で論じているんだろうか…。
※ まあ、真剣に日本国の安全保障問題を、考えているとは思えんな…。

『【核兵器の全廃へ向けた核兵器禁止条約の第1回締約国会議に日本はオブザーバーとしても不参加】
核兵器を「非人道兵器」として、その開発、保有、使用あるいは使用の威嚇を含むあらゆる活動を例外なく禁止し、将来的な核兵器の全廃へ向けた初の国際条約である核兵器禁止条約は1996年4月に起草され、2017年7月に国連総会で賛成多数にて採択され、2020年10月に発効に必要な50か国の批准に達したため、2021年1月22日に発効しました。ただし、核保有国や日本など“核の傘”を安全保障の基本としている国は参加していません。
現在、核兵器を制限する国際的枠組みとしては核不拡散条約(NPT)がありますが、NPT で約束された核軍縮が進まない状況に対する不満が核兵器禁止条約成立を後押ししました。
核兵器禁止条約の第1回締約国会議は6月に開催されました。
****「核なき世界」実現急務と宣言 核兵器禁止条約の締約国会議****
核を非人道兵器として史上初めて違法化した核兵器禁止条約の第1回締約国会議は23日、最終日の議論を行った。高まる核の危機に警鐘を鳴らし、「核なき世界」の実現が急務と呼びかける「ウィーン宣言」と「行動計画」を採択して閉幕した。宣言は「核兵器使用の脅しに危機感を強めている」と指摘、「核兵器の使用や核による脅しは国際法違反だ」と強調。核が二度と使われないことを保証する唯一の手段は廃絶だと訴えた。
核の非人道性を長年訴えてきた被爆者にも言及し「貢献を称賛する」とたたえ、今後も協力していくとした。【6月24日 共同】
*********************唯一の被爆国であり、また、核保有国と非保有国の間の“橋渡し役”を自任している日本ですが、上記の核兵器禁止条約の第1回締約国会議にオブザーバーとしても出席しませんでした。
岸田首相は、核兵器禁止条約に参加しない理由として、核兵器保有国が参加していないとし、「現実を変えるためには、核兵器国の協力が必要だ」と強調しています。また、外務省幹部は「いま核軍縮の機運はない。むしろ抑止を強めようというのが国際的な世論だ」とも。
日本と同様の立場にあるドイツは、条約には参加しないものの、会議にはオブザーバー参加しています。
****ドイツ「核禁止条約加盟できない」 締約国会議にオブザーバー参加****
核兵器禁止条約の締約国会議で22日、NATO(北大西洋条約機構)の加盟国であるドイツなどが演説を行い、条約に加盟はできないとした一方、核軍縮に向けて努力する姿勢を示した。会議にオブザーバー参加しているドイツの政府代表は、「NATOは核同盟であり、核兵器禁止条約には加盟できない」としたうえで、「核の使用を示唆しているロシアと対峙(たいじ)し続ける」と強調した。
一方で、核軍縮は重要だとの認識も示し、核保有国も参加する核拡散防止条約再検討会議で議論する必要があるとした。
また、同じくNATO加盟国であるノルウェーも、「核保有国と非保有国が議論することが重要」としている。(後略)
【6月23日 FNNプライムオンライン】
******************【日本やNATO諸国が主戦場とするNPT再検討会議開催】
日本やNATO諸国は、核保有国も参加する核拡散防止条約(NPT)を現実的枠組みとして重視する立場ですが、核兵器禁止条約の行動計画ではNPTを「補完」するとして、NPTとの共存を目指す方針を表明しています。****核禁条約、廃絶へ行動計画=NPTと共存、被害者救済も―核抑止否定・締約国会議****
ウィーンで開かれていた核兵器禁止条約第1回締約国会議は23日、核廃絶への決意を確認する政治宣言と、具体策を盛り込んだ「ウィーン行動計画」を採択し、閉幕した。行動計画では、核軍縮枠組みの柱である核拡散防止条約(NPT)を「補完」するとして、共存を目指す方針を表明。核保有国が非加盟の現状を打破するための批准国増加への努力や、核兵器や核実験の被害者救済も盛り込んだ。
活動家や被爆者の意見を取り入れて成立した同条約は、理念先行で具体策に欠けるなどの批判があった。行動計画を策定したことで、実効性確保に向け一歩を踏み出した。会議の議長を務めたオーストリア外務省のクメント軍縮局長は「歴史的」と評価した。
8月には、ニューヨークでNPT再検討会議が開かれる。核禁条約の締約国が、どのような行動を取るかに注目が集まりそうだ。
核禁条約は他の枠組みとの関係で、特に米英仏中ロに核保有を許すNPTとの整合性が疑問視されてきた。行動計画は両条約は補完関係だと明言。両条約間での協力分野を検討した上で、橋渡しを担う「ファシリテーター」の任命や、NPT体制下で核査察を担う国際原子力機関(IAEA)との協力などを通し、関係を深めていくことを掲げた。
被害者救済では、国際的な信託基金の設立を検討すると表明。非加盟国の批准を促すため、核廃絶・軍縮にかかわる国連総会決議への賛同国を増やす努力をすることもうたった。【6月24日 時事】
********************現在、上記のように核兵器禁止条約が「補完」「共存」するとしている核拡散防止条約(NPT)再検討会議がニューヨークで開催されています。
核拡散防止条約とは、核兵器非保有国には核兵器の保有を禁じる一方で、保有国にはその縮小を義務付けるものです。
****核抑止力か核軍縮か…NPT再検討会議もまもなく閉幕を迎える中、核兵器を取り巻く世界の現状と課題とは****
(中略)
■まもなくNPT再検討会議が閉幕…何が話し合われているのか
現在、アメリカ・ニューヨークでNPT=核拡散防止条約の再検討会議が開かれていますが、まもなく閉幕を迎えます。ロシアによるウクライナ侵攻で核の脅威が高まり、「核による抑止力が必要だ」との声もあがる一方、「核軍縮をもっと進めるべきだ」との危機感も高く、核兵器のあり方に関心が高まる中での開催となりました。今回の会議では、締約国が一致して核不拡散や核軍縮を目指すことができるのか、そして最終文書を採択することができるのかが、注目されています。
■そもそもNPT再検討会議とは
NPT=核拡散防止条約とは1970年に発効され、核兵器を持つ国を増やさないことを目的としています。条約ができた当時に核兵器を持っていたアメリカ、ソ連、イギリス、フランス、中国の5か国を核保有国として認め、その代わりに3つの柱が設けられました。
1.「核軍縮」への取り組みの義務づけ
2.核を持たない国に核兵器の製造や取得を禁止する「核不拡散」
3.そして原子力発電など「原子力の平和利用」を認めるというものです。現在は191の国と地域が締約しています。締約国は5年に1度、会議を開き、核軍縮や核不拡散に向けどんな取り組みをしてきたかを振り返り、今後の方針を議論してきました。今回の会議は新型コロナによる延期を重ねたため、7年ぶり10回目の開催となりました。
■岸田総理大臣が日本の総理として初めてNPT再検討会議に
岸田総理は英語で演説し、核兵器廃絶に向けた日本の行動計画として「ヒロシマ・アクション・プラン」を打ち出しました。ただ、去年発効した核兵器禁止条約への言及はひと言もなく、唯一の被爆国として日本が核軍縮をリードするという姿勢も見られなかったとして被爆者などからは失望の声も聞かれました。(中略)■世界にある“核兵器”の数
各国が保有する核兵器の数は通常“核弾頭”の数でカウントされていて、ストックホルム国際平和研究所によると、今年1月現在、世界で合計12705発の核弾頭があると推定されています。アメリカとロシアだけで9割以上保有していることになります。その一方で、核弾頭の数の推移は冷戦終結ごろを境に減少に転じています。
NPTなどの核軍縮の取り組みが功を奏している面もある一方で、今年は去年より核弾頭が395個減りましたが、これらは、古くなったものが解体されただけと言われています。また、NPT締約国であるイギリスは去年、保有する核弾頭の数の上限を引き上げることを決め、今後は保有数も公表しないと明言しました。さらに、NPTを締約していない北朝鮮など、核兵器の保有が疑われている国の実態は全くわかっていません。
ストックホルム国際平和研究所は「冷戦後、減少していた世界の核弾頭の数が今後、増加に転じるかもしれない」と警鐘を鳴らしています。
■進まない核軍縮…いったいなぜ?
NPT再検討会議にも参加している一橋大学の秋山信将教授は、「大国間の信頼関係が欠如していることが大きな要因だ」と指摘しています。自分の国が核兵器を減らしたら相手も減らしてくれるという信頼関係がないと、核軍縮は進みませんが、いま核大国のロシアは核の使用をちらつかせていて、アメリカなど核保有国との間に信頼関係を築くのは難しい状況ですよね。
■まもなくNPT再検討会議閉幕…今回こそ最終文書はまとまるのか
秋山教授によると、やはり悲観的な見方が増えているそうなんです。ただ、秋山教授は「たとえ最終文書を採択できなかったとしても、核兵器保有国と非保有国が集まり、共通認識を醸成する場としてのNPTの価値を再認識すること、枠組みを維持していくこと自体も重要な意味がある」と強調しています。核軍縮をめぐる世界情勢は厳しさを増していますが、どんなに地道でも議論を放棄することなく、目標を掲げ行動し続ける、あきらめない粘り強さが大切です。【8月26日 日テレNEWS】
*****************【核保有国の利害調整で紛糾する議論】
会議では対立が目立ちますが、今回特に議論になったのはウクライナのザポリージャ原子力発電所の問題。
ウクライナのゼレンスキー大統領は8月25日、ロシアが掌握するウクライナ南部のザポリージャ原子力発電所について、ロシアの攻撃にさらされており、ウクライナ側の危機回避対応によって世界は辛うじて原子力事故を回避したという認識を示しています。****NPT再検討会議 ウクライナ情勢めぐり対立のまま最終日へ****
世界の核軍縮の方向性を協議するNPT=核拡散防止条約の再検討会議は、会期の最終日を迎えましたが、ウクライナ情勢をめぐる各国の対立が続いています。議長がまとめた「最終文書」の草案は、ロシア軍が掌握するザポリージャ原子力発電所について、ウクライナ当局が管理する重要性を指摘していますが、ロシアは強く反発しており、最終的に合意できるのか予断を許さない情勢です。
4週間にわたってニューヨークの国連本部で開かれてきたNPTの再検討会議は25日、スラウビネン議長が全会一致での合意を目指す「最終文書」の草案を改めて示しました。(中略)
NPT再検討会議は、前回7年前に最終文書を採択できず、今回も合意できなければ世界の核軍縮がさらに停滞するのは避けられないだけに、交渉の行方が注目されます。
ザポリージャ原発めぐり「最終文書」表現修正も
NPTの再検討会議では、ロシア軍が掌握するヨーロッパ最大規模のザポリージャ原子力発電所について、「最終文書」にどのような文言を盛り込むかをめぐり各国の対立が続いています。ヨーロッパ各国などからは、原発の安全に強い懸念を示しロシアを非難する声が相次ぎ、このうちウクライナの代表は「現在起きているロシアの侵略による深刻な挑戦と脅威、原発を違法に掌握し攻撃し続けていることも草案に反映させるべきだ」と述べていました。
こうした意見を受けて草案は一度は表現が強められ、今月21日の草案では、原発周辺でのロシアによる軍事活動に重大な懸念を示し、ロシアの管理からウクライナ当局の管理下に戻すよう求めました。
しかしロシアは、こうした表現について猛烈に反発。「断じて受け入れられない」と主張してきました。
「この文書で推進しようとしているのは一部の国の意見だけロシアにとって受け入れがたいものだ」。その結果、修正草案では、ロシアを名指しする下りは削除され、「ウクライナ当局による管理の重要性を確認する」という表現に弱められました。
しかし、外交筋によりますと、この修正草案に対してもロシアはなお反発しているうえ、ウクライナやヨーロッパの一部の国は表現が弱められたことに逆に不満を示していて、会期が残り一日となっても対立が続いています。
「核の先制不使用」の文言は
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻で核の脅威が高まる中、核兵器が使用されるリスクを減らす措置の一つとして、核保有国が核攻撃への反撃を除いて核兵器を使わない「核の先制不使用」の方針が「最終文書」に盛り込まれるかどうかが注目されていました。国連のグテーレス事務総長もさまざまな機会で「先制不使用」について言及してきました。
再検討会議が終盤を迎えた今月22日には、国連安全保障理事会の会合で「核保有国は『核の先制不使用』を約束しなければならない。核の非保有国に対して、核兵器の使用や威嚇をしないと保証し、核の透明性を確保しなければならない」と訴えました。
再検討会議の議長が示した当初の草案には、核保有国に対して「先制不使用」の政策をとるよう求める内容が盛り込まれました。これに対して、核保有国などが核抑止力が弱まることに懸念を表明したということです。
その結果、修正草案では、「核の先制不使用」の文言は削除されました。
一方、核兵器の非保有国からは、核兵器が使用されるリスクを減らす措置とともに、NPTが本来目指してきた核軍縮への取り組みが不十分だという指摘もあがっています。
先週の段階でオーストリアの代表は「核軍縮の進展が急務であるにもかかわらず、草案には明確な危機感も示されず、具体的な約束もスケジュールも目標も定められていない」と、強い不満を示しています。(後略)【8月26日 NHK】
*********************一方、中国が核兵器用核分裂性物質(FM)生産のモラトリアム(一時停止)を求める項目に反対して削除されるなど、核保有国の新たな制約を受けたくないとの姿勢によって草案は後退を続け、議論は紛糾しています。
****NPT最終文書再改訂案 中国反発で大きく後退****
国連本部で開催中の核拡散防止条約(NPT)再検討会議は25日夜、最終文書の再改訂案を加盟国に配布した。濃縮ウランやプルトニウムなど核兵器用核分裂性物質(FM)生産のモラトリアム(一時停止)を求める項目を削除し、大きく後退した。軍縮筋によると、中国が同日の非公開会合で強く反発したという。中国は、NPTが定める核保有5カ国の中で唯一、FM生産の一時停止を宣言していない。当初案は、表明済みの米英仏露に一時停止の維持、未表明の中国に宣言を求める内容だった。採択されれば、中国の大幅な核戦力の増強とそれに伴う世界の核兵器数の増加を抑える効果が期待された。
軍縮筋によると、再改訂案には、中国やロシアを中心に不満が解消されていない項目が残っている。
25日の非公開会合で、中国は、オーストラリアの原子力潜水艦導入に「懸念の表明」をすべきだと主張したという。しかし、再改訂案には反映されなかった。また、ロシアは、ウクライナの核放棄と引き換えに同国の安全をロシアと米英が保障した1994年の「ブダペスト覚書」に言及した項目に不満を示したという。ロシアが約束を反故(ほご)にしてウクライナを侵略したことを念頭に置いた項目で、再改訂案は表現を維持、ロシアの不満は反映しなかった。ウクライナは名指しでのロシア非難を求めたという。
ロシアとフランスは、昨年1月発効した核兵器禁止条約について一切言及しないよう要求した。再改訂案は条約の発効時期など事実経過を記す表現を維持している。【8月26日 産経】
******************まあ、交渉というものはそういうものなのでしょうが、核保有国は既得権益を一歩も譲ろうとせず、新たな制約を拒否し、自分に都合のいいものを押し込もうとしている・・・そんな印象。
****「このパズルは解けるのか」 交渉紛糾のNPT再検討会議、カギは中露****
核拡散防止条約(NPT)再検討会議は26日、最終日を迎える。ロシアのウクライナ侵攻をめぐる対立や中国の強硬姿勢、核軍縮をめぐる核保有国と非核保有国の溝は解消されず、交渉は紛糾している。25日夜には最終文書案が再び改定されたが、核軍縮を中心に内容が乏しくなった。全会一致での採択を目指して交渉が続くが、成否の結論は26日夜(日本時間27日朝)の土壇場までもつれ込むとの見方が出ている。
「どの国も破談だけは避けたいと思っているが、このパズルが解けるのか分からない」。アフリカの外交官は25日、そう語った。前回2015年の再検討会議は「中東非核地帯構想」をめぐる対立で最終文書を採択できなかった。2回連続で決裂すれば、世界の核軍縮や核不拡散などの礎であるNPT体制は大きく揺らぐ。
だが、妥協を探るあまり、最終文書案からは「野心的な要素がどんどんなくなっている」(軍縮外交筋)。(後略)【8月26日 毎日】
********************日本が現実的核軍縮枠組みとするNPTが核保有国の利害調整で実質的に中身が無くなり、機能が麻痺している状態が明らかになるとすれば、改めて核保有国に核廃絶を求める核兵器禁止条約の意義を考慮する必要性が出てきます。』
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エルサルバドル
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%89%E3%83%AB※ 今日は、こんなところで…。









『エルサルバドル共和国(エルサルバドルきょうわこく、スペイン語: República de El Salvador)、通称エルサルバドルは、中央アメリカ中部に位置するラテンアメリカの共和制国家である。北西にグアテマラ、北と東にホンジュラスと国境を接しており、南と西は太平洋に面している[5]。中央アメリカ5か国のうち唯一、カリブ海に面していない[5]。首都はサンサルバドル[1]。
カリブ海の島国を除く米州大陸部全体で最小の国家であるが、歴史的に国土の開発が進んでいたこともあり、人口密度では米州最高である。 』
『国名
正式名称はスペイン語で、República de El Salvador (発音 [reˈpuβlika ðe el salβaˈðor] レプブリカ・デ・エル・サルバドル)。通称、El Salvador。エルナン・コルテスの部下として1524年にやってきたペドロ・デ・アルバラードによって「救世主」を意味するエル・サルバドールと名付けられた[5]。
公式の英語表記は、Republic of El Salvador。通称、El Salvador。
日本語の表記は「エルサルバドル共和国」で、通称は「エルサルバドル」。「エル・サルバドル」「エル・サルバドール」とも表記される。漢字表記は、救世主国(もしくは薩爾瓦多)。 』
『歴史
詳細は「エルサルバドルの歴史」を参照
先コロンブス期
詳細は「マヤ文明」を参照紀元前のこの地にはモンゴロイド系の先住民、すなわちインディヘナ(インディオ)が暮らしていた。先古典期中期には、オルメカ文明の影響を受け、チャルチュアパ(スペイン語版、英語版)などに祭祀センターが築かれた。1世紀にイロパンゴ火山の噴火にともない、先住民はグアテマラのペテン低地など低地マヤ地域に避難したと考えられている。先古典期後期のウスルタン式土器や石碑を刻む伝統も伝播した。6世紀末、ロマ・カルデラ火山の噴火に伴い埋まった集落ホヤ・デ・セレンは保存状態が良好であったため、世界遺産に登録されている。
10世紀頃には小王国がいくつか成立し、そのうちピピル人はクスカトラン(スペイン語版、英語版)を首都にして16世紀までに統一王国「クスカトラン王国(スペイン語版、英語版)」(ピピル語: Tajtzinkayu Kuskatan, 1200年ごろ – 1528年)を建設しつつあった[5]。
スペイン植民地時代
征服者の一人ペドロ・デ・アルバラード
「スペインによるアメリカ大陸の植民地化」も参照1524年にスペイン人エルナン・コルテスの部下ペドロ・デ・アルバラードがクスカトラン王国を征服しようとした[5](アカフトラの戦い(スペイン語版、英語版))。インディヘナは一度スペイン人を打ち負かし、グアテマラに撤退させるが、1525年に再びやって来たアルバラードの攻撃により、ベルムーダ市はサンサルバドル(聖救世主)市と改称された。その後、1528年にはエルサルバドルのほぼ全域が征服された。
スペインの支配に入った後の1560年以降はグアテマラ総督領の一部として管理下に置かれ、農業や牧畜業、藍の生産などが営まれたが[5]、中央アメリカの中ではグアテマラと並び開発された地域だった。
独立と中央アメリカ連邦の崩壊
「近代における世界の一体化#ラテンアメリカ諸国の独立」および「中米連邦」も参照
中米連邦の擁護者だったフランシスコ・モラサン。19世紀前半にはインディアス植民地各地のクリオージョたちの間で独立の気運が高まった[5]。1789年のフランス革命以来のヨーロッパの政治的混乱のなか、ナポレオン戦争によりフランスに支配されたスペイン本国では、1808年からナポレオン支配に対するスペイン独立戦争が勃発した。フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトがボルボン朝のフェルナンド7世を退位させ、兄のジョゼフをスペイン王ホセ1世に据えると、インディアス植民地は偽王への忠誠を拒否した。1811年から独立闘争が本格化し、1821年9月15日にグアテマラ総督領が独立すると、エルサルバドルもスペイン支配から解放された[5]。
1821年9月16日に独立したアグスティン・デ・イトゥルビデ皇帝の第一次メキシコ帝国に他の中央アメリカ諸国とともに併合されるが、1823年のメキシコ帝国の崩壊に伴い旧グアテマラ総督領の五州は中央アメリカ連合州として独立し、1824年には中央アメリカ連邦に加盟した[5]。エル・サルバドル出身のホセ・アルセが初代大統領となるが、独立後の自由主義者のフランシスコ・モラサンをはじめとするエル・サルバドル派と、保守主義者のラファエル・カレーラをはじめとするグアテマラ派の内戦のなかで1838年に中央アメリカ連邦は崩壊し、1841年には中米連邦の瓦解に伴い「エルサルバドル」として暫定的に独立を果たした[6]。このときにアメリカ合衆国への併合を求めたが断られている。
その後すぐに連邦再建を求めての内乱やグアテマラとの戦争が発生したが、1857年には中米連合軍の一員としてアメリカ人の傭兵ウィリアム・ウォーカー率いるニカラグア軍と戦った。その後は軍事独裁政権が相次いで成立し、その間に対外戦争や独裁打倒運動が行われた。また、この時期にコーヒーをはじめとする換金作物のプランテーションが多数設立された。1872年から1898年の間エル・サルバドルは連邦再結成派の旗手となり、1896年にはエルサルバドルを中心にしてホンジュラス、ニカラグアとともに中央アメリカ大共和国が設立するが、1898年には崩壊した。
独裁と不安定
ファラブンド・マルティ(右から二人目)。
20世紀に入り、1907年からメレンデス一族の独裁が始まると、一時的に国内は安定を取り戻したが、世界恐慌で主要産業のコーヒーが打撃を受け世情は再び不安定となった[7]。
経済危機の混乱のなか、1931年にマクシミリアーノ・エルナンデス・マルティネスがクーデターでメレンデス一族から政権を掌握し、専制体制を敷いた[7]。その間に激しい言論弾圧が行われ、「ラ・マタンサ(スペイン語版、英語版)(La Matanza、「虐殺」の意)」により、反独裁運動を始めようとしていたファラブンド・マルティをはじめとする共産党員や、西部のピピル族などおよそ3万人が虐殺された[7]。
1934年、日本が主導して建国した満州国を1934年に承認。1935年、堀義貴初代駐エルサルバドル日本公使が着任し、正式に日本との間で外交関係が成立した[8]。
第二次世界大戦では親米派として連合国の一員に加わるが、1944年にはクーデターが起き、マルティネス独裁体制は崩壊した[7]。しかし、その後も政情は不安定でクーデターによる政権交代が相次いだ。
そうしたなかで1951年には『サン・サルバドル憲章』が中米5か国によって採択された[7]。エル・サルバドルは1960年に発足した中米共同市場により最も恩恵を受けた国となり、域内での有力国となった。こうして1966年にようやく大統領選挙によってエルナンデス政権が発足するなどの安定を見せたが、1969年には、サン・サルバドル憲章以後も国境紛争や農業移民・経済摩擦など多くの問題を抱えて不和だったホンジュラスとの間で、サッカーの試合をきっかけとしたサッカー戦争が勃発した[7]。
サッカー戦争以降
オスカル・ロメロ。聖職者としてエルサルバドル人のために尽力したが、1980年、凶弾に倒れた。2018年に列聖されている。
エルサルバドルでの虐殺を描いた壁画
ホンジュラスとの戦争後、30万人にものぼるエルサルバドル移民がホンジュラスから送還されたことなどにより、経済、政治ともに一気に不安定化した。1973年の選挙結果の捏造以降、軍部や警察をはじめとする極右勢力のテロが吹き荒れ、「汚い戦争」が公然と行われるなかで、それまで中米一の工業国だったエルサルバドルは没落していくことになる。 1977年には人民解放戦線を名乗る左翼ゲリラに政府観光局長、外相が相次いで誘拐されるなど、治安の悪化は顕著なものとなった[9]。
1979年にニカラグアでサンディニスタ革命が起きるのと時期を同じくしてロメロ政権が軍事クーデターで倒され、革命評議会による暫定政府が発足した[7]。しかし、極右勢力のテロは続き、1980年にはサンサルバドル大司教オスカル・ロメロをはじめとする聖職者までもが次々と殺害されていく状況に耐えられなくなった左翼ゲリラ組織ファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN)が抵抗運動を起こし、1992年までの長きにわたって続くこととなり、7万5,000人を超える犠牲者を出したエルサルバドル内戦が勃発した[7][10]。
事態の収拾のために暫定政府はアメリカ合衆国の支援を要請し、「エル・サルバドル死守」を外交の命題に掲げたロナルド・レーガン合衆国大統領は中米紛争に強圧策を持って臨み、軍や極右民兵に大幅なてこ入れを重ねた。1982年には政府と革命勢力の連立政権が成立したが、これも極右勢力の妨害によってすぐに破綻した。こうして、ニカラグアの革命政権からの援助を受けてゲリラ活動を展開するFMLNと政府軍との内戦は泥沼化の様相を呈した。1984年にはナポレオン・ドゥアルテ(スペイン語版、英語版)大統領(民族主義共和同盟、略称ARENA。右派)が政権を担い、FMLNとの首脳会談を実現した。しかし、この間政府軍・ゲリラ双方による、弾圧・虐殺・暴行が横行した。特に政府軍のそれは半ば公然と行われたが、アメリカ政府はそれを恣意的に無視して政府軍を支援し続けた。
1989年にはクリスティアーニが大統領に選出されたが内戦は収まらなかった。1992年にようやく国際連合の仲介で和平が実現し1,000人からなるPKO(国際連合エルサルバドル監視団、略称ONUSAL)の派遣が決定・実施され、7万5,000人にも及ぶ死者を出したエルサルバドル内戦は終結した。FMLNは合法政党として再出発し、1994年には総選挙が実施され、ARENAの候補であるカルデロン大統領が選出される一方、FMLNが第2党になった。
2001年にドル化政策(Dolarización)が実施され、それまでの通貨「コロン」に代わり、「米ドル」を自国の通貨として流通させるようにした[4]。ドルとコロンの間は1ドル=8.75コロンの固定レートにより取引されていた。現在、旧通貨コロンはほとんど流通していない。また、2003年には親米政策からイラクへ派兵し、2008年末まで駐留し続け、ラテンアメリカでイラク派兵を行った唯一の国となった。
2009年3月15日、大統領選挙でARENAのロドリゴ・アビラ(スペイン語版、英語版)を破ってFMLNのマウリシオ・フネスが勝利し、20年間続けてきた新自由主義路線の与党ARENAからの初の政権奪取を実現し、左傾化が進むラテンアメリカ諸国に新たな左派政権が誕生した[10]。18日にエルサルバドル中央選挙管理委員会が大統領選挙の最終結果を発表したところによると、左派のファラブンド・マルティ民族解放戦線党(FMLN)のマウリシオ・フネス候補は51.32パーセント(135万4,000票)、右派の民族主義共和同盟(ARENA)のロドリゴ・アビラ候補は48.68パーセント(128万4,588票)であった[11]。 』
『地理
エル・サルバドルの地図
エル・サルバドルの地形図
詳細は「エルサルバドルの地理(英語版)」を参照エルサルバドルは中央アメリカに位置し、国土面積は2万1,040平方キロメートルと 四国(1万8803.87平方キロメートル)よりやや大きい程度であり、これは米州大陸部全体でもっとも小さい。また、中央アメリカで唯一太平洋のみに面し、カリブ海と面さない国家である。
グアテマラと203キロメートル、ホンジュラスと342キロメートルにわたって国境を接している。
エルサルバドルの国土の約10パーセントが森林地帯となっているが、そのうち80パーセントが植林により再生したものであり、自然林はほとんど残っていない。
山
エルサルバドルには20以上の火山があり、代表的な火山としては特にイサルコ火山(1,910メートル)が挙げられる。その他にはサンタ・アナ火山(2,286メートル)などがある。国内最高峰はエル・ピタル山(2,730メートル)である。
気候
エルサルバドルははっきりとした雨季と乾季に分かれる熱帯気候であり、気候は主に高度によって変化するが、多少は季節の変化によっても変化する。太平洋側の低地は一様に暑く、中央高原と山地は快適な気候になっている。雨季は5月から10月までであり、年間の降雨量のほとんどはこの時期に集中し、首都のサンサルバドルでは年間平均雨量が1,700ミリ、南部の丘陵地帯では年2,000ミリにも達する。乾季は11月から4月までである。
保護地域と中央高原はこれよりも少ないが、それでも量は多い。この時期の雨はおもに太平洋からの低気圧により発生し、午後の雷雨となって降雨することが多い。ときどきハリケーンが太平洋から飛来するが、ハリケーン・ミッチのような例外を除いてほとんどエル・サルバドルには影響しない。
自然災害
環太平洋火山帯の上にあるアメリカ大陸の太平洋側の常として地震の多い土地であり、2001年の2月に2度にわたり大地震が起こり、それぞれ800人、250人が死亡している(エルサルバドル地震)。』
『国民
詳細は「エルサルバドルの人口統計(英語版)」を参照
エルサルバドル系のモデルクリスティー・ターリントン
1961年から2003年までのエルサルバドルの人口動態グラフ
「エルサルバドル人(英語版)」も参照エルサルバドルは2013年現在634万人の人口を擁し[20]、住民の90パーセントを メスティーソが占める。白人が9パーセントであり、白人のほとんどはスペイン系であるが、少ないながらもフランス系やドイツ系、スイス系、イタリア系の家系もある。先住民のインディヘナは1パーセント程度で、ほとんどはピピル族とレンカ族が占める。先住民は土着の文化、伝統を保っていたが、特に1932年のラ・マタンサ(虐殺)などにより最大4万人がエルサルバドル軍によって殺害されたと見積もられる。
エルサルバドルは大西洋(に接続するカリブ海)に面していなかったため中央アメリカで唯一黒人が見られない国であり、加えてマキシミリアーノ・エルナンデス・マルティネス将軍は1930年に人種法を制定して黒人の入国を禁止した。この法律は1980年代に改定され、失効した。しかしながら、首都サン・サルバドルと港町ラ・ウニオン(英語版)には黒人の血を引くエルサルバドル人がまとまった数存在する。
パレスチナのキリスト教徒が少ないながら移民としてやってきており、数は少ないながらも強力な経済力を持っている。アントニオ・サカ大統領もその一人である。
アメリカ中央情報局による『CIA The World Factbook』(2015年版)によると、エルサルバドルの平均寿命は男性で71.14歳、女性で77.86歳である。
人口
首都サンサルバドル都市圏には210万人が居住しており、エルサルバドルの人口の約42パーセントが農村人口だと推測されている。エルサルバドルでは都市化は1960年以来驚異的な速度で進み、数百万人を都市に駆り立てて都市問題を国内のいたるところで生みだした。
2004年の時点で、約320万人のサルバドル人が国外に住んでおり、その中のいくらかはアメリカ合衆国への不法移民である。ただし多くのサルバドル系アメリカ人は合法移民であり、1986年の新移民法を通して合衆国市民か住民となっている。アメリカは伝統的に成功の機会を求めるサルバドル人の目的地となっている。
サルバドル人は近隣のグアテマラ、ホンジュラス、ニカラグアにも住む。国籍離脱者は1980年代の内戦の間、政治的、経済的および社会的な状況の中から生まれたものが大部分である。
言語
公用語はスペイン語であり、先住民を除いてほぼ全ての国民によって話されているが、英語教育もなされている。
宗教
詳細は「エルサルバドルの宗教(英語版)」を参照
宗教は伝統的にローマ・カトリックが主である。57パーセントがローマカトリックであるが、近年急速にプロテスタントが流行しており、様々な宗派のプロテスタント教徒を合わせると人口の33パーセントを超える。多くはエバンヘリコと呼ばれる 福音派プロテスタントであり、年々エバンヘリコが増加している。
教育
詳細は「エルサルバドルの教育(英語版)」を参照
2001年のセンサスによれば、15歳以上の国民の識字率は80パーセントである[21]。
おもな高等教育機関としてはエルサルバドル大学(1841年創立。国内唯一の国立大学)などが挙げられる。』
※ その他は、省略。
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[FT]中米エルサルバドル、4万人収容の巨大刑務所を建設
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB255O00V20C22A8000000/『エルサルバドルのブケレ大統領は、この「テロリズム監禁センター」の工事を60日以内に終わらせるよう現場作業員に命じた。エルサルバドルが独裁へ一層進むことを何よりも鮮明に示す動きだ。
同国南東部の農村地帯、緑の草原が広がる緩やかな丘陵地帯に立地する「メガ刑務所」は、37の監視塔と8棟の獄舎を備え、ブケレ氏が「脱獄不可能」とする高い塀で囲まれる。
「わずか数年前に世界で最も危険な国だったエルサルバドルは今、中南米で最も安全な国に向かって進んでいる」とブケレ氏は7月に述べた。同氏はツイッターへの投稿で、新しい刑務所は「4万人のテロリストを収監でき、外部との連絡は完全に断たれる」としている。
国内的には「犯罪に厳しい大統領」人権団体は、恣意的な拘束や拘留中の死、家族が連絡を取れなくなることに警鐘を鳴らしているが、長年の流血にうんざりしている国民は「ギャングとの戦争」を旗印に掲げるブケレ氏の弾圧を支持している。
エルサルバドルは3月27日、人口650万人にすぎない国内で週末の一日にギャングの暴力により62人の死者が出た事態を受けて、非常事態を宣言した。
警察は貧困地区でギャングのメンバーとされる数千人を拘束した。報道写真は、白い下着姿で後ろ手に縛られて連行される容疑者たちの姿を捉えている。ブケレ氏は「神に誓って一粒の米も与えない」とし、拘留中の食事を大幅に減らした。
暗号資産(仮想通貨)への投資に動き、その代表格のビットコインを法定通貨に採用したブケレ氏は、時代の先端を行く革新的な大統領として国際的にアピールしている。だが、国内的には「犯罪に厳しい大統領」というイメージで、巨大刑務所の建設はその実績につながる。
ホセ・シメオン・カーニャス中米大学(UCA)が5月に実施した世論調査では、回答者の40%は憲法上の権利が停止されていることを知らなかったが、ほぼ85%の人が非常事態宣言を支持すると回答した。また、ほぼ80%の人が非常事態宣言で犯罪が減ったとした。
「この国はギャングを憎んでいる」と話すのは、独立系報道機関エルファロのオスカル・マルティネス論説委員だ。「この国は、誰かが問題の解決を約束してくれる限り、市民の権利を大きく犠牲にすることもいとわない」
長引く非常事態宣言延長エルサルバドルの議会は17日、非常事態宣言の5度目の延長を決めた。ビジャトロ司法・公共治安相は5万人を拘束したと報告し、殺人件数ゼロの日が77日あったとしている。
人権擁護の活動に長年携わるセリア・メドラノ氏は、「これは恒久的な非常事態宣言であることがより明確になってきている」と言う。
非常事態宣言が出された3月、米格付け会社ムーディーズ・インベスターズ・サービスによると、ブケレ氏が1億600万ドル(145億円)の公的資金を投じて購入したビットコインは約5700万ドルの含み損を抱えていた。同氏はビットコイン債の発行と戦略都市「ビットコインシティー」の建設計画を打ち出したが、ともに遅れが出ている。
シンクタンク、国際危機グループ(ICG)の中米アナリスト、ティツィアーノ・ブレダ氏はギャングの暴力事件について「大統領のイメージを傷つける象徴的な事件だった」と説明する。「ビットコイン信奉者に大統領自らが投資を呼びかける国にふさわしくない現実の姿を見せつけた」
エルファロの報道によると、2022年に入ってからのギャングの暴力は、21年の議会選挙への協力と金銭的な取り計らい、刑務所内での処遇改善と引き換えに暴力を控えるというギャング側と政府との密約が火種となった。
ブケレ氏は密約について否定したが、その後に米財務省が密約の交渉に関わったとしてブケレ政権の高官2人を制裁対象とした。ブケレ氏がツイッター上でバイデン米政権を非難し、両国関係はこじれた。
人権団体クリストサルの報告によると、非常事態宣言の発出以降、恣意的な拘束の訴えは2700件近くに上り、69人が拘束後に死亡している。札付きのギャングのメンバーと同じ監房に入れられた容疑者もいるという。拘束後の居場所について家族が情報を得られないことも少なくないと、同団体で反腐敗部門を率いるルース・ロペス氏は話す。
拘束された容疑者たちの家族を代表するオットー・フローレス弁護士は、「捜査や証拠の収集に基づかずに拘束している」と語る。「何もかもが場当たり的だ」
ブケレ氏は人権団体や非政府組織(NGO)の活動を軽視し、テロリストを守っていると非難する。メディアにも矛先を向け、主要な報道機関に対する統制を固めた。
20年2月には軍の兵士を議会に乗り込ませて自ら議長席に陣取り、治安装備調達のための借り入れを承認するよう要求した。
NGOにも規制、協力に消極的に21年の議会選挙で3分の2の議席を獲得したブケレ氏の新思想党は、憲法法廷と司法システムを骨抜きにした。新たな法律により、NGOに対する会計検査と非常事態宣言下での報道統制も強化された。
「NGOという言葉は以前のような人気はない」と語るのはオランダ多党民主主義研究所のエルサルバドル部長、フアン・メレンデス氏だ。同研究所に協力する人たちが「政治的な迫害を受けることになると思うようになったため」、協力を控えることが多くなっているという。
エクアドル大統領府はコメントの要請に応じなかった。
専門家は、非常事態宣言によって少なくとも一時的にギャングは弱体化したとみるが、押収されている武器はごく一部分にすぎないと指摘する。
これまでギャング側はもたらす被害者の多さを大統領に対する「交渉カード」に使い、「ブケレも反応してくると考えていた」とエルファロのマルティネス氏は言う。「しかし、ブケレはただの指導者ではない。全権を握る指導者だ」
By David Agren
(2022年8月24日付 英フィナンシャル・タイムズ電子版 https://www.ft.com/)
(c) The Financial Times Limited 2022. All Rights Reserved. The Nikkei Inc. is solely responsible for providing this translated content and The Financial Times Limited does not accept any liability for the accuracy or quality of the translation.』
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ロヒンギャ新たな困難 ミャンマー国軍「掃討作戦」5年
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM22C0R0S2A820C2000000/
※ なにしろ、「地理の力」がこれだからな…。

※ 「アラカン軍」の名称は、この「アラカン山脈」から名付けられたものだろう…。


『【ヤンゴン=新田裕一】イスラム系少数民族ロヒンギャの70万人を超す難民が発生するきっかけとなったミャンマー国軍による「掃討作戦」が始まって25日で5年となる。ロヒンギャの居住地があった西部ラカイン州で新たな紛争が発生するなど、難民の帰還が一段と困難となる一方、取り残された人々の苦境も深まっている。
ラカイン州で衝突するのは、仏教徒の少数民族武装勢力「アラカン軍」と国軍部隊だ。「(ミャンマーに残った)ロヒンギャは難しい状況に置かれている」と州都シットウェに住むロヒンギャ男性は話す。同州にはいまも50万人を超すロヒンギャの人々が正式に国籍を認められないまま暮らしている。「(戦闘によって)人々は村から避難を強いられ(国軍などの)検問所が置かれて自由に移動できなくなった」
アラカン軍の声明や現地報道によると、13日にラカイン州北部など4カ所でアラカン軍と国軍部隊が衝突した。その後、国軍は増援の部隊や軍用ヘリを送り、戦闘が各地に飛び火している。アラカン軍は23日、「過去数週間で戦闘が増え、危険は日に日に高まっている」と警戒を呼びかけた。国軍が交通を遮断し、村が食料不足に陥っているとの報道もある。
アラカン軍は約3万人の兵力を持つとされる、18世紀にビルマ王朝に征服されるまで自らの王国を持っていた仏教徒ラカイン族の武装勢力だ。数年前までは小規模な武装勢力だったが、2018年12月から約2年間続いた国軍との大規模な戦闘で住民の支持を集め、ラカイン州北部からチン州南部にかけて勢力圏を確立した。
20年11月、国軍と暫定的に停戦した後は独自の司法や行政、徴税制度の構築を進めた。アラカン軍のトゥンミャナイン司令官は「ロヒンギャの人権や市民的権利を認める」と公言している。統治下のロヒンギャを取り込むための方策で、国軍統治下で制限されていた移動の自由が一部認められるようになった。
だが21年2月のクーデターで国軍が全権を掌握すると、アラカン軍と国軍の停戦は次第に崩れ、緊張が高まった。アラカン軍は、武力抵抗を始めた市民グループに武器や訓練を提供し、22年5月には国軍と敵対する民主派の挙国一致政府(NUG)と接触したことを公にした。
自らの武装勢力を持たないロヒンギャは「国軍であろうとアラカン軍であろうと、支配者に従うほかない」(ロヒンギャ男性)。アラカン軍の影響力が弱い地域で国軍はこれに対抗する自警団を結成するようロヒンギャに要求するなど、「紛争の道具」として動員されている面がある。
17年の国軍による「掃討作戦」は、ロヒンギャ系武装集団が治安施設30カ所を襲撃したことがきっかけ。国連の報告書などによると、ロヒンギャの居住地だった400カ所近くが焼失し、77万人以上が国境を越えて隣国バングラデシュに逃れた。
衛星写真で当時と現在の状況を比較すると、ロヒンギャの村があった地区の多くが焼き払われたことが分かる。耕作地だった場所は草木に覆われて原野に戻り、村の跡地に政府や軍が新たな施設を設けた。年月の経過とともに、ロヒンギャが住んでいた痕跡が失われつつある。
バングラデシュ南東部にあるロヒンギャの難民キャンプでは17年以前に逃れた難民を合わせて90万人超が生活する。支援活動を続ける日本の非政府組織(NGO)「難民を助ける会」によると住居や通路は改善したものの、敷地周囲にフェンスが設けられるなど「バングラデシュ政府による監視が厳しくなっている」。バングラデシュ政府は難民の定住化を阻止するため、教育や就労を制限している。
ミャンマー国内のクーデターや武力紛争で難民の帰還が見通せないなか、いかに難民の生活を支えていくのか、国際社会が抱える大きな課題となっている。』
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ミャンマー国軍、現地在住の元イギリス大使を拘束
「当局に無断で転居」した入国管理法違反の容疑で
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM257R20V20C22A8000000/『【ヤンゴン=新田裕一】元駐ミャンマー英国大使のビッキー・ボウマン氏が24日、ミャンマーの治安当局に拘束された。複数の関係者が25日明らかにした。ミャンマー国軍は容疑が入国管理法違反だと発表した。
ボウマン氏は同国在住で、企業の透明性向上や人権尊重を進める民間団体「責任あるビジネスのためのミャンマー・センター(MCRB)」の代表。報道によると、夫のミャンマー人芸術家と共に最大都市ヤンゴンのインセイン刑務所で拘束されている。
ミャンマー国軍報道官室はボウマン氏が居住地を届け出た場所から別のところに当局に無断で移ったため入国管理法違反に問われていると明らかにした。夫は、それをほう助した疑い。
在ミャンマー英国大使館は25日、日本経済新聞に「英国籍女性の拘束を憂慮している。ミャンマー当局と連絡し、領事支援を提供している」と電子メールで回答した。
ボウマン氏らが拘束されているとされるインセイン刑務所(2019年1月、ヤンゴン)=ロイター英政府は25日、多数のイスラム系少数民族ロヒンギャが国外に逃れる主因となった国軍の「掃討作戦」から5年の節目に合わせ、国軍と関係のあるミャンマーの企業3社を制裁対象に加えたと発表した。
ボウマン氏は2002年から06年に駐ミャンマー大使。21年2月のクーデターで国軍が全権を掌握した後、進出企業に呼びかけて「法の支配や人権尊重は安定したビジネス環境の基礎だ」という内容の共同声明をまとめた。
ミャンマーでは7月末、映像ジャーナリストの久保田徹さんがヤンゴンで国軍への抗議デモを取材中に逮捕され、勾留が続いている。
ミャンミャンマー国軍は2021年2月1日、全土に非常事態を宣言し、国家の全権を掌握したと表明しました。 アウン・サン・スー・チー国家顧問率いる政権を転覆したクーデターを巡る最新ニュースはこちら。
https://www.nikkei.com/theme/?dw=21020402 』 -
タイ首相職務停止、今後の3つのシナリオ
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGS24CEQ0U2A820C2000000/
『【バンコク=村松洋兵】タイの憲法裁判所が24日にプラユット首相の任期問題を巡って首相の職務停止を命じたことで政局が不透明になった。憲法裁は軍政の流れをくむ現政権の影響下にあり、最終的にはプラユット氏の続投を認めるとの見方があるが、任期切れと判断すれば国会で新首相を選出する流れとなる。
【関連記事】タイ首相の職務一時停止 任期問題で憲法裁が命令
軍事クーデターを経て2014年8月に暫定首相となったプラユット氏は、19年の正式就任以降も含めて在任期間が8年を超えた。野党は「首相任期を通算8年までとする憲法に違反する」として辞任を要求し、憲法裁に訴えを出していた。政権側はプラユット氏の任期は17年の現憲法制定時、あるいは19年の正式就任から起算するとの見解をとる。
憲法裁はプラユット氏の反論や専門家の意見を聞き、1~2カ月程度で首相の任期について判断を示す見通しだ。今後想定されるシナリオは3つある。
第1はプラユット氏の任期は切れていないと判断し、首相続投を認めるものだ。憲法裁の9人の裁判官は全員が軍政時代から職務を継続しており、過去には民主派野党に解散命令を出すなど政権寄りの判決を繰り返してきた。今回はプラユット氏の職務停止を命じたものの、最終的には政権の意向をくんだ判断を出すとの見方が多い。
背景にあるのがタイが22年の議長国を務めるアジア太平洋経済協力会議(APEC)だ。11月にバンコクで首脳会議を予定しており、政権は会議の成功を最重要課題の一つに位置づける。外交関係者は「憲法裁からプラユット氏の任期に問題がないとのお墨付きをもらい、国際社会に政権の正統性をアピールする狙いがある」とみる。
憲法裁がプラユット氏の任期が切れたと判断した場合は、首相は即時失職となり内閣総辞職を迫られる。その後、国会の上下両院議員の投票によって新首相を選出する。連立与党は公選制の下院(定数500)で過半数を占める。軍政下で任命された上院(同250)も与党側につくのが確実で、親軍政権が継続する見通しだ。
新首相は19年の民政移管に向けて実施した下院総選挙で、各党が首相候補として選挙管理委員会に登録した人物の中から選出するのが原則だ。約20党からなる連立与党から該当者を選ぶのが第2のシナリオとなる。
最大与党である親軍政党「国民国家の力党」はプラユット氏以外に首相候補として登録した人物がおらず、与党第2党「タイの誇り党」のアヌティン党首が有力候補となる。大手建設会社の創業一族で、タイ東北部に地盤を持つ有力政治家だ。現政権では副首相兼保健相を務め、大麻の栽培や使用に関する規制緩和を推進した。
国軍が影響力の及びにくい政治家に首相の座を渡すのを嫌い、国軍関係者や国軍の意向をくむ人物を選ぶのが第3のシナリオだ。首相指名選挙で19年総選挙の首相候補者の中から過半数を得る人物が出ない場合は、上下両院議員の3分の2以上の賛成があれば、ほかの人物から選出が可能になる。
その場合、プラユット氏の首相職務を代行するプラウィット副首相が有力候補になるとみられている。国軍の事実上のトップである陸軍司令官の経験者で、プラユット氏の元上官に当たる。国民国家の力党の党首も務め、現政権で最も影響力があるとされる。
国軍関係者が新首相になれば、野党や学生を中心とするデモ隊から「国軍による権力継承」との批判が強まるのは必至だ。下院は23年3月に任期満了を控えており、憲法の規定で遅くとも同年5月までに総選挙の実施が予定されている。早期の解散・総選挙を求める声が強まる可能性がある。
【関連記事】タイ野党系、退陣求めデモ「プラユット首相は任期満了」
多様な観点からニュースを考える
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高橋徹のアバター 高橋徹 日本経済新聞社 編集委員・論説委員 コメントメニュー
ひとこと解説
タイの憲法裁判所は「最も民主的」といわれた1997年憲法で創設された独立機関です。権力のチェック・アンド・バランスを担うはずでしたが、その後の2度のクーデターと新憲法制定の過程で事実上骨抜きにされ、タクシン元首相派など革新勢力を追い落とすための「司法クーデター」のツール、と揶揄されてきました。今回の一時職務停止の命令は意外でしたが、常識的に考えれば、最終的にプラユット首相に不利な判断を下す可能性は低いと思われます。万が一、そうした事態が起きたら、それはタイ保守勢力の権力構造に重大な変化が生じていることを意味します。
2022年8月26日 12:20 (2022年8月26日 12:39更新) 』 -
分断の世界、岐路に立つアフリカ支援
TICAD27日開幕(日経・FT共同特集)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODE15AHV0V10C22A8000000/※ 『農家は自給自足の生活をなかなか抜け出せない。種子、肥料、収穫増の技術に関する知識が足りないからだ。』…。
※ そうは言うが、そもそも、「気候」(気温、降水量)というものがある…。
※ それが、何万年、何千年と積み重なって、「土壌」に反映されるんだ…。
※ そういう「自然のありよう」を、たかだか「数十年」の「農業技術」で、「変革」しようとするのは、難しい…。


『【関連記事】
・「最後の市場」アフリカ、成長の条件を探る ・課題の宝庫アフリカ 医療や脱炭素、新技術で挑む
農業の生産性、向上急務
マダガスカル南部の農家、モンジャ氏は、カラカラに乾いた畑から痩せたサツマイモを引き抜くと「もっと雨が降ればよく育つのに」とため息をついた。ほとんど育っていないトウモロコシにはもはや期待していない。
アフリカの大半の小農と同じく、モンジャ氏は農業用水を降雨に頼る。妻や2人の子どもと暮らす同氏の家計は逼迫している。マダガスカル南部は厳しい干ばつに襲われている。飢えが広がり、モンジャ氏の一家も牛のえさだったサボテンの葉を食べるようになった。
アフリカには耕作面積が2ヘクタール以下の小農が数千万人いる。「アフリカの角」と呼ばれる大陸東端やサハラ砂漠南部も深刻な食料難に陥っている。干ばつがマダガスカルの農家を苦しめる=FT
農家は自給自足の生活をなかなか抜け出せない。種子、肥料、収穫増の技術に関する知識が足りないからだ。
知識があっても余分に生産しようとしない農家は多い。輸出は言うに及ばず、国内都市への出荷に必要なしっかりとした輸送路や公正な価格決定の仕組みすらも存在しないためだ。
耕作規模が小さいので、融資を受けても機械化や灌漑(かんがい)は検討できない。気まぐれな雨に農業用水を頼る。降雨パターンは一段と予想が難しくなっていると、専門家は指摘する。
結果として生産性は向上しない。人口1人あたりの農業従事者がほかの大陸より多いのに、食料は輸入が輸出を上回る。食料価格の高騰で輸入金額はさらに膨らみそうだ。農家が貧しいままなので、国の成長も困難だ。
エコノミストらは、1960年代以降の日本などアジア諸国の高い成長の基盤には農業の生産性向上があったと考える。
アジア諸国の成長要因を分析したジョー・スタッドウェル氏は、自家消費を超える量の作物を生産したことが発展につながったと指摘する。
輸出に回せば農家も外貨を稼げる。銀行に預金すれば、ほかの産業への融資に回る。この好循環はアフリカ諸国の大半で機能していない。
アフリカ各国は一貫性のある農業政策をなかなか策定できない。いくつかの国は政治面で影響力の低い農家の生活向上よりも、不安定になりがちな都市住民をなだめるため食料への補助金を維持する。多くの国の政府は農家の種子や肥料確保、農村での道路建設などへの資金拠出に消極的だ。
こうした長期の課題に加え、小麦を輸入に依存する国では目先、ロシアのウクライナ侵攻に伴う食料危機をいかに克服するかに関心が向く。ナイジェリアでは7月、パン職人がストライキを起こした。ケニアでは、食料価格の高騰の話題でもちきりだ。
アフリカ輸出入銀行のチーフエコノミスト、ヒポライト・フォーファック氏は、今回の危機が農業の改善を促す可能性を指摘する。「西アフリカではキビ、キャッサバなどを小麦の代わりに活用する。こうした代替作物の収穫量は短期間で大きく増やせる」
同氏は肥料も国内調達を増やせると話す。ナイジェリアでは2022年、天然ガスから最大で年300万トンの尿素やアンモニアを生産する新工場が稼働を始めたという。
(デイビッド・ピリング)
ODA、対中ロで重み増す
政府開発援助(ODA)をはじめ日本のアフリカ支援が新たな局面に差し掛かっている。日本は世界に先駆けてアフリカ開発会議(TICAD)を創設し、インフラなどの整備を手助けしてきた。ウクライナ侵攻を受けて中国やロシアとの競争という役割の重みが増してきた。
4月に開かれた国連の特別会合。ロシアの人権理事会の理事国の資格を停止する採決にあたり、日本の外務省の担当者は目を疑った。
ロシアの資格停止を巡って93カ国が賛成したものの24カ国が反対し、58カ国が棄権に回った。このうち反対9と棄権24はアフリカだった。
会合に参加しなかった11カ国を加えると54カ国のうち44カ国が決議の賛成を見送った。
当時、日米欧は相次いでロシアへの経済制裁に踏み切り、世界に「ロシア包囲網」を形成しようと動いていた。
それでも中国やインドは制裁の網をかいくぐってロシアの原油を買い支える。アフリカでもロシアと結びつきが強い点が浮き彫りとなり、日本政府は衝撃を受けた。
その背後には中国の存在があった。中国は2013年から18年に「アフリカ地域へ年平均でおよそ30億ドルの援助をした」との推計がある。同じ時期の日本のアフリカ向けODAの2倍ほどに相当する規模だ。
1993年から紡いできたアフリカ戦略をどうすべきか。ODAの効果は乏しいのか。
日本政府はTICAD8を前に戦略の再検討を迫られ、アフリカ向けの新たな融資のしくみの検討に入った。
熟慮の末に出した解は、いわゆる「債務のワナ」に陥りかねない国に手を差し出すことだ。中国からの融資を再検討することを条件に資金を供与し、中国の影響力の切り崩しを狙う。
中国は2018年末時点で世界51カ国で最大の資金の貸し手になった。圧倒的な影響力を持つように思えるが、サブサハラ地域の実情をみると中国への不信はむしろ高まりつつある。
8月のケニア大統領選でも中国の債務問題が争点の一つになった。ここ数十年の時間軸でみれば日本はアフリカ支援のフロントランナーともいえる。93年に首脳級の枠組みとしてTICADを立ち上げた。
中国と欧州連合(EU)は追随した側だ。2000年にそれぞれが中国・アフリカ協力フォーラム、いまのEU・AUサミットをつくった。米国とロシアも14年と19年に支援の会合を設けた。
日本にはこの間、ODAを通じて道路や港湾の整備のほか巡視船の供与などの案件を積み重ねた実績がある。足元では伸び悩みに直面しているものの企業進出にも一定の結果が出ている。
創設から30年近くがたったいま、環境の変化に応じて戦略も変わる。
TICAD創設時には日本が外交目標に掲げていた国連常任理事国入りの手段という意味合いが大きかった。豊富な資源や市場の将来性に着目していた面もあった。
ウクライナ侵攻後の世界で目立つのは米欧側でも中ロ側でもない「中間国」だ。実利重視の国々をどう引き寄せるか。支援の形も変革を迫られている。
(重田俊介)』



