アメリカやイギリスの支配層、つまりウォール街やシティの住人はナチスを手先と考えていた。ナチスの戦争犯罪を研究しているアメリカン大学のクリストファー・シンプソンによると、1920年代後半にアメリカからドイツへ融資、あるいは投資という形で多額の資金が流れている。ヨーロッパ大陸全域でアメリカの投資額が激減している中、1929年から40年の間に約48.5%増えているのだ。(Christopher Simpson, “The Splendid Blond Beast”, Common Courage, 1995)
ウォール街の住人はドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」の戦術を参考にしていた。クロワ・ド・フのような50万名規模の組織を編成して政府を威圧、「スーパー長官」のようなものを新たに設置して大統領の重責を引き継ぐとしていた。こうした計画を聞き出した上でバトラーはカウンタークーデターを宣言、議会で告発している。(Public Hearings before the Special Committee on Un-American Activities, House of Representatives, 73rd Congress, 2nd Session)
バトラーはその一方、信頼していたフィラデルフィア・レコードの編集者トム・オニールに相談、オニールはポール・コムリー・フレンチを確認のために派遣する。フレンチは1934年9月にウォール街のメンバーを取材、コミュニストから国を守るためにファシスト政権をアメリカに樹立させる必要があるという話を引き出した。(Jules Archer, “The Plot to Seize the White House,” Skyhorse, 2007)
それ以前に、異なるプログラムとして駆逐艦・基地協定(Destroyers for Bases Agreement)が1940年に実施されていた。これは、アメリカにカリブ海とニューファンドランド島の基地使用権を認めることと引き換えに、アメリカ海軍の50隻の駆逐艦をイギリス海軍とカナダ海軍に提供するものである[注 1]。12月28日にはルーズベルト大統領が炉辺談話で「民主主義の兵器廠」(en:Arsenal of Democracy)発言を行い、連合国への支援意図を強調した。
フランクリン・ルーズベルトは、1941年にレンドリース管理局(the Office of Lend-Lease Administration)を設置し、製鉄企業のトップであったエドワード・ステティニアスを長官に指名した。ステティニアスは1943年9月に国務次官に就任し、銀行家のレオ・T・クローリー(Leo T. Crowley)が管理局長に就任し、続いてクローリーが長官を務める外国経済局(Foreign Economic Administration)の一部となった。
ヨーロッパおよび太平洋におけるアメリカ軍が勢ぞろいし始めた1943年から1944年以降であっても、レンドリースは継続された。この時期になると、主要な交戦国は前線で使われる戦闘機や戦車のような兵器についてはかなりの部分自給できていたが、このような直接戦闘用の兵器に関してもレンドリースは有用な支援をし、さらにレンドリースによる兵站支援、トラック、ジープ、上陸用舟艇、そして特にダグラスC-47輸送機[要出典]は大きな貢献をした。アイゼンハワーは「二次大戦の勝利に貢献した四つの兵器はバズーカ、ジープ、原子爆弾、C-47である(Four things won the Second World War—the bazooka, the Jeep, the atom bomb, and the C–47 Gooney Bird.)」と評した。