コソボ・メトヒヤ自治州 Krahina Autonome e Kosovës dhe Metohisë Аутономна Покрајина Косово и Метохиja Autonomna Pokrajina Kosovo i Metohija Kosovo and Metohija in Serbia.svg
セルビア内でのコソボ・メトヒヤ自治州の位置。
Map of Serbia (Kosovo and Metohija).PNG
公用語 アルバニア語、セルビア語
州都 プリシュティナ
州知事 スルジャン・ペトコヴィッチ[4]
自治州・自治体共同体
議長(英語版) Радован Ничић
面積 10,887 km²
人口
(2011年国勢調査) 不明(セルビア[5])
1,739,825人(コソボ共和国[6])
改組
(SAPコソボより) 1990年9月28日
セルビアの統治権排除
(UNMIK開始) 1999年6月10日
コソボ議会が独立宣言 2008年2月17日
ISO 3166-2:RS RS-KM
コソボ共和国[7](コソボきょうわこく、アルバニア語: Republika e Kosovës)は、バルカン半島中部の内陸部に位置する国家。北東をセルビア、南東を北マケドニア、南西をアルバニア、北西をモンテネグロに囲まれている。略称KOS[8]。国際連合(UN)には未加盟であるが、2016年7月時点で113の国連加盟国が国家として承認している。
特にセルビア人の間で、この地域の西部はメトヒヤ(セルビア語: Метохија / Metohija)と呼ばれており、この地域全体を指す呼称としては「コソボとメトヒヤ」(セルビア語: Косово и Метохија / Kosovo i Metohija、コソヴォ・イ・メトヒヤ)が使われている。他方、アルバニア人の間ではメトヒヤの名前は使われず、この地域全体を指してコソヴァと呼ぶ。
2008年2月に独立を宣言した際の憲法上の国名は、アルバニア語でRepublika e Kosovës、セルビア語でРепублика Косово / Republika Kosovoである。その他の言語での表記としては、英語ではRepublic of Kosovo、トルコ語ではKosova Cumhuriyeti、ボスニア語ではRepublika Kosovoである。日本語表記はコソボ共和国、通称コソボである。コソヴォとも表記する。アルバニア語名に沿ったコソバないしコソヴァという表記はあまり使用されていない。
セルビアは、コソボを自国の一部と規定しており、コソボ・メトヒヤ自治州(セルビア語: Аутономна Покрајина Косово и Метохија / Autonomna Pokrajina Kosovo i Metohija)と呼んでいる。コソボの独立を承認していない国々は、コソボを国連の管理下にあるセルビアの一部として取り扱っている。
2008年2月、コソボは独立を宣言した。前述のように、コソボの独立を承認するか否かの対応は国により異なるが、UNMIKの役割は大幅に縮小され、警察・関税・司法の分野における任務をEUのCFSPミッション(European Union Rule of Law Mission in Kosovo、EULEX)が引き継いだ。
チリ共和国 República de Chile チリの国旗 チリの国章 (国旗) (国章) 国の標語:Por la razón o la fuerza (スペイン語:理性によって、または力によって) 国歌:Himno Nacional de Chile(スペイン語) チリの国歌 2:03 チリの位置 公用語 スペイン語(チリスペイン語) 首都 サンティアゴ[注記 1] 最大の都市 サンティアゴ
チリ共和国(チリきょうわこく、スペイン語: República de Chile)、通称チリは、南アメリカ大陸南西部に位置する共和制国家。国土はアンデス山脈西側で南北に細長く、東にアルゼンチン、北東にボリビア、北にペルーと隣接する。西は南太平洋、南はフエゴ島を挟んでドレーク海峡に面している。首都はサンティアゴ。アルゼンチンとともに南アメリカ最南端に位置し、国土の大部分がコーノ・スールの域内に収まる。太平洋上に浮かぶフアン・フェルナンデス諸島や、サン・フェリクス島、サン・アンブロシオ島およびポリネシアのサラ・イ・ゴメス島、パスクア島(イースター島)などの離島も領有しており、さらにアルゼンチンやイギリスなどと同様に「チリ領南極」として125万平方キロメートルにも及ぶ南極の領有権を主張している[3](「南極における領有権主張の一覧」参照)。OECD諸国の中で貧困率と経済格差は最も大きい[4]。
国名
1600年ごろのラ・プラタ地方の地図。「Chili」「Chicas」と表記されている。
正式名称はRepública de Chile(レプブリカ・デ・チレ)。通称 Chile(チーレ [ˈt͡siːle]],或いはシーレ[ʃiːle])。公式の英語表記はRepublic of Chile。通称 Chile(チリ /ˈʧɪl(i)/。
旧番号 日本語表記 スペイン語表記 州都 XV アリカ・イ・パリナコータ州の旗 アリカ・イ・パリナコータ州 Región de Arica y Parinacota アリカ I タラパカ州の旗 タラパカ州 Región de Tarapacá イキケ II アントファガスタ州の旗 アントファガスタ州 Región de Antofagasta アントファガスタ III アタカマ州の旗 アタカマ州 Región de Atacama コピアポ IV コキンボ州の旗 コキンボ州 Región de Coquimbo ラ・セレナ V バルパライソ州の旗 バルパライソ州 Región de Valparaíso バルパライソ RM 首都州(チリ)の旗 首都州 Región Metropolitana de Santiago サンティアゴ・デ・チレ VI リベルタドール・ベルナルド・オイギンス州の旗 リベルタドール・ベルナルド・オイギンス州 Región del Libertador General Bernardo O’Higgins ランカグア VII マウレ州の旗 マウレ州 Región del Maule タルカ XVI ニュブレ州 Región de Ñuble チヤン VIII ビオビオ州の旗 ビオビオ州 Región del Biobío コンセプシオン IX ラ・アラウカニア州の旗 ラ・アラウカニア州 Región de la Araucanía テムコ XIV ロス・リオス州の旗 ロス・リオス州 Región de Los Ríos バルディビア X ロス・ラゴス州の旗 ロス・ラゴス州 Región de Los Lagos プエルト・モント XI アイセン・デル・ヘネラル・カルロス・イバニェス・デル・カンポ州の旗 アイセン・デル・ヘネラル・カルロス・イバニェス・デル・カンポ州 Región Aisén del General Carlos Ibáñez del Campo コイアイケ XII マガジャネス・イ・デ・ラ・アンタルティカ・チレーナ州の旗 マガジャネス・イ・デ・ラ・アンタルティカ・チレーナ州 Región de Magallanes y de la Antártica Chilena プンタ・アレーナス 主要都市 詳細は「チリの都市の一覧」を参照
祝祭日 詳細は「チリの祝日(英語版)」を参照 日付 日本語表記 現地語表記 備考 1月1日 新年(元日) Año Nuevo 3月〜4月 聖金曜日 Viernes Santo 移動祝日、復活祭前の金曜日 3月〜4月 聖土曜日 Sábado Santo 移動祝日、復活祭前の土曜日 3月〜4月 復活祭 Pascua de Resurrección 移動祝日 5月1日 メーデー Día del Trabajador 5月21日 海軍記念日 Combate Naval de Iquique 6月 聖体の祭日 Corpus Christi 移動祝日 6月29日 教皇ヨハネ・パウロ2世表敬記念日 San Pedro y San Pablo 8月15日 聖母被昇天祭 Asunción de la Virgen 9月18日 独立記念日 Primera Junta Nacional de Gobierno 9月19日 陸軍記念日 Día de las Glorias del Ejército 10月12日 アメリカ大陸発見の日(コロンの日) Descubrimiento de América 11月1日 諸聖人の日 Día de todos los Santos 12月8日 無原罪の聖母 Inmaculada Concepción 12月25日 クリスマス Navidad, Pascua スポーツ 詳細は「チリのスポーツ(英語版)」を参照 「オリンピックのチリ選手団」も参照 サッカー 詳細は「チリのサッカー(英語版)」を参照 サッカーチリ代表のアルトゥーロ・ビダル (2017年)
スウェーデンのヴァイキングは、しばしばスヴェア人と呼ばれる。北方ドイツやフィンランド、東スラヴ地域へも進出した。東スラヴの地へ初期の進出は、8世紀後半から9世紀半ばにかけてあったとされる都市国家群のルーシ・カガン国の建国であった(国家群の民族構成には、ノース人の他、バルト人、スラヴ人、フィン人、テュルク系民族も含まれている)。彼らはフランク王国の「サンベルタン年代記」などでノース人、あるいはスウェーデン人であったと伝えられている。このルーシ・カガン国が最期、発展してキエフ・ルーシとなったのか、あるいは単にキエフ・ルーシに吸収されたのかは不明である。また、リューリクがノヴゴロド公国で新しい公朝を立てたといわれているが、この論争はゲルマニスト・スラヴィスト間の対立として知られ、とくに『ルーシ年代記』にみられる「ルーシ」の同定、さらに「ルーシ」が国家形成で果たした役割をどう評価するかが論点となっている。ただし、現代では反ノルマン説は根拠に乏しいとして否定されている(反ノルマン説を提起するのは、多数の東欧の歴史家である。この問題は、史実的な問題というよりも政治的な問題である)。また、ノルマン人がルーシ国家の創設に深く関わっていたのは事実である。さらに、リガ湾やフィンランド湾に流れ込む河川を遡り、9世紀にはバルト海と黒海を結ぶ陸上ルートを支配するようになった。彼らは東ローマ帝国の都コンスタンティノープルにまで姿を現している(839年頃)。このルートは直接イスラム世界へとつながるものであり、フランク王国経由ルートにかわりこのバルト海ルートが一時スカンディナヴィアと東方世界とをつないでいた[13]。伝説的な要素も含む『原初年代記』によれば、882年にはドニエプル川を南下し、リューリクの息子イーゴリが、オレグを後見人にキエフ大公国を建国。彼らはヴァリャーグと呼ばれる。またサガ(スノッリ・ストゥルルソン「ヘイムスクリングラ」)やリンベルトによる聖人伝「聖アンスガールの生涯」によると、9世紀のスウェーデンのエリク王(族王)の時代には、エストニアとクールラント(今のラトヴィアの一部)を支配していたが、それを失ったらしい。なお、スウェーデン・ヴァイキングには、フィン人も参加していたとフィンランドでは主張されているが、史実的な裏付けはない。 フリースラント 詳細は「:en:Viking raids in the Rhineland」を参照
The Fury of the Norsemen: Micro history 4 - メーカーMetagaming、デザイナーK. Hendryxの1980年のゲーム。10 - 11世紀前後に活発に活動した、北欧のヴァイキングたちが蛮族として登場する戦略級 - 作戦級のウォーゲームは色々とあるが、非常に珍しい(おそらく唯一の)ヴァイキングのその襲撃行動そのものをシミュレートした作品。
アサシン クリード ヴァルハラ - ヴァイキングの侵攻が活発だった9世紀ヨーロッパを舞台としたゲーム。主人公のエイヴォルが属する戦士団がヴァイキングである他、ゲーム内でヴァイキングの装備、文化や建築が再現されている。