「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」…。
[1-2.9]オリエントの統一と分裂:アッシリア王国と4王国分立
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『世界史を手軽に学びたい方に向けて授業形式でブログ記事を書いています。復習や予習の際に使いやすい内容になっています。「問い」の設定や記事の最後にはパワーポイントもダウンロードできます!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!※あくまで1例なので、「MQ」や「SQ」、スライド等は自由にアレンジしてください。
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もくじ
はじめに
MQ:なぜアッシリアは史上初のオリエント統一ができたのか?
アッシリア
全オリエント統一
SQ:なぜアッシリアはミタンニから独立して勢力を拡大できたのか?
中央集権体制
SQ:アッシリアは巨大な帝国をどのように管理していたのか?
反乱と滅亡
4王国分立時代
SQ:なぜリディアで世界初の金属貨幣が誕生したのか?
クシュ王国
まとめ
はじめに
グシャケン
前回はこのような内容でした。
グシャケン
いままでオリエントを各地域別にみてきましたが、今回はその全オリエントを統一し「史上初の世界帝国」を築いた国家について授業をします。
それではやっていきましょう!
MQ:なぜアッシリアは史上初のオリエント統一ができたのか?
今回の時代はここです!
出典:『詳説世界史研究』山川出版社
グシャケン
実はメソポタミアの分野ですでに存在していたアッシリアについてです!それではどうぞ!
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アッシリア
アッシリア王国は前2千年紀のはじめ、アッシリア人によって北メソポタミアに築かれました。
前2千年紀・・・前2000年~前1001年の間を指します。「前●千年紀」はハッキリとした年代がわからないときに使われます。
アッシリア
前19世紀には巨大勢力として拡大し、北メソポタミア一円を支配する国家として成長します。
全オリエント統一
ではなぜアッシリアは国家として拡大できたのか?
もともとこの地域には青銅器の原料でもある錫(すず)が豊富で、アッシリアの商人たちはこの原料の交易を独占して中継貿易によって富を築きました。
要は経済力(お金)があって、交易ネットワークができていたからなんです。
だってお金があれば攻守のための軍事力を持つこともできますし、交易によって人が集まりやすい環境ができていたからなんです。
しかし、前15世紀に北メソポタミアのミタンニに服属してしまいます。
だって当時、青銅器は重要な資源で、交易によって経済も活発ですからね。それを狙われてもおかしくないですよね。
ミタンニについてはこちら!
[1-2.2]メソポタミアの統一と周辺民族
はじめに グシャケン 前回の流れは、こんな感じでしたね。
今回は再びメソポタミアを統一し、繁栄を支えたあの人物が登場します。なぜ法典が作られたか、についても解説していきます。 MQ:ハンムラビ法典はなぜ作られたのか? 時代の流れはこんな感じ…
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2023.01.26
ですが、その後は独立を果たし前7世紀には全オリエントを統一してしまうんです!
話が一気に飛びすぎました。(笑)
ではなぜアッシリアは全オリエントを統一できたのか?順番にみていきましょう!
SQ:なぜアッシリアはミタンニから独立して勢力を拡大できたのか?
まず当時の勢力図をご覧ください。
地図をみればわかる通り、服属していたミタンニ王国の北西にヒッタイトがいますね。ここからは復習になります。
まずこのヒッタイトによってミタンニは支配されてしまいます。そしてヒッタイトの覇権時代にあの民族が東地中海からやってくるんですよね?
そう、「海の民」です。
この「海の民」の侵入によってヒッタイトをはじめ、アッシリア付近の勢力が一気に衰退してしまうんです。
ヒッタイト、「海の民」についてはこちら!
[1-2.2]メソポタミアの統一と周辺民族
はじめに グシャケン 前回の流れは、こんな感じでしたね。
今回は再びメソポタミアを統一し、繁栄を支えたあの人物が登場します。なぜ法典が作られたか、についても解説していきます。 MQ:ハンムラビ法典はなぜ作られたのか? 時代の流れはこんな感じ…
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2023.01.26
それにアッシリアが乗じたことで勢力を拡大することができたんですね。
しかもヒッタイトから鉄製の武器や戦車が持ち込まれ、それを利用して軍事力も一気に向上させることができたんです。
SQ:なぜアッシリアはミタンニから独立して勢力を拡大できたのか?
東地中海の民族流入によりアッシリア付近の勢力が衰退し、鉄製の武器や戦車などの軍事力が駆使できたため。
アッシリア王国の拡大
まさに漁夫の利です。(笑)このようにいままで学習してきた歴史がつながってくるところがおもしろいですよね。
前8世紀のサルゴン2世の代には、本格的に遠征をおこない領土を拡大していきました。ユダヤ人のイスラエル王国が滅ぼされるのもこの時代です。
イスラエル王国についてはこちら!
[1-2.7]ヘブライ人とユダヤ教
はじめに グシャケン 前回はこのような流れでした。
シリア・パレスチナで主に活動した民族は以下の3つでしたね。
●アラム人 ●フェニキア人 ●ヘブライ人 グシャケン 今回は最後の民族「ヘブライ人」についてやっていきます。 このヘブライ人は別…
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2023.02.28
そして、その息子の代で首都をニネヴェに定めます。
ここは帝国各地の情報を集めるために、世界初の図書館がつくられたことで有名ですね。粘土板が多数発掘されています。
世界初の図書館・・・建設されたのは後に登場するアッシュルバニパルの時代
そして前7世紀前半にはエジプトのクシュ王国を南へ後退させたことで、史上初の全オリエント統一を成し遂げました。
アッシリア王国
ちなみにこのクシュ王国はエジプト新王国の滅亡後に、史上最古の黒人王国として繁栄し、ファラオも名乗っていた王国です。詳しくは後半でお話します。
アッシリアは全オリエントを統一した時代が絶頂期で、その時の王はアッシュルバニパル王です。
アッシュルバニパル王の狩猟 出典:『詳説世界史探究』山川出版社
すごい勇敢で強そうな印象ですね。
中央集権体制
でもこれだけ王国が巨大化すると管理が大変そうですよね。
SQ:アッシリアは巨大な帝国をどのように管理していたのか?
これから説明するシステムによってアッシリアは王国を拡大・維持できたといっていいでしょう。
それはズバリ中央集権的な官僚制です。簡単にいうと王の命令が行き届くように役人を配置したということです。
アッシリア王
この領土を一人で管理・運営は無理じゃ。
なので、まずは国内を州にわけて各地に総督をおいて王の代わりに統治させました。
統治で大事なのは、政策が全国にしっかり浸透していることです。なので王や総督の政策や命令を各地にいち早く知らせなければいけません。
現在であればSNSやメールを使えば一瞬で伝わりますが昔にそんな便利なものはありません。当時、一番早い情報伝達手段は「馬」でした。
でも馬も生き物です。走り続けると当然疲れます。なので考えられたのが駅伝制というものです。
これは各地に一定距離で馬を常駐させている宿舎を設け、馬を交代しながら目的地に最短で到着できる制度です。
州の設置と駅伝制
これによって王国各地に迅速に政策や命令を浸透させることができたんですね。
SQ:アッシリアは巨大な帝国をどのように管理していたのか?
国内を州にわけて総督に統治させ、駅伝制によって命令を迅速に伝えることで中央集権的な官僚制を可能にしたため。
反乱と滅亡
しかし。それでも国に対して反抗的な民族はいるものです。軍事力で支配した王国ですから良く思わない人たちがいても当然ですよね。
王国はそうした反抗的な服属民がクーデタをおこして国を転覆させるのを恐れたため、別の土地に強制移住させる強制捕囚政策をとって反乱の芽を摘んだのです。
それらを可能にしたのは圧倒的な軍事力です。
威圧・制圧でアッシリアは支配を維持していました。
逸話ではアッシリアは支配した際に、征服した王の首を切ってそれを並べて服従させたといいます。
アッシリア王
我に盾突けば同じ痛い目にあうぞ。
まさに恐怖政治ですね。
アッシリアの統治
しかし、軍事力による圧政は次第に苦しくなっていきます。どんな問題が起こったか?
最大の問題は「お金」です。
反乱を防ぐには圧倒的な軍事力が必要です。その軍を維持するためには大量のお金が必要となり、王国では軍事費を賄うために重税が課せられていました。
アッシリア王国はその軍事費の増大によって、次第に財政難になっていき反乱の鎮圧が難しくなっていきました。加えて重税によって民衆の不満も高まっていきます。
そんな中で各地の有力勢力が台頭・独立し、前612年にアッシリア王国は滅亡してしまいました。
アッシリアの滅亡
全オリエントを統一し、官僚制を整え繁栄したアッシリアですが、その過酷な維持システムによって崩壊してしまったんです。オリエント統一から滅亡まではわずか約50年でした。
しかしこの後の分立時代後に、このアッシリアの反省を活かして長期政権を維持する大帝国が現れます。それもまた今後扱っていきましょう!
歴史法則
分裂期を統一した国家は短命であり、その後に成立する国家は長期で繁栄する。
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4王国分立時代
アッシリア王国が滅びた後は、新しく台頭した4つの王国によって分立されます。4王国は以下の通りです。
4王国
●オリエント:エジプト(第26王朝)
●アナトリア:リディア
●メソポタミア:新バビロニア(カルデア) ← メディアと連合してアッシリアを滅ぼす。
●イラン高原:メディア ← 新バビロニアと連合してアッシリアを滅ぼす。
アッシリアと4王国の領域 出典:『詳説世界史探究』山川出版社
新バビロニアはネブガドネザル2世の時代にヘブライ人のユダ王国を滅ぼし、バビロン捕囚を行った国でしたね。
ユダ王国、バビロン捕囚についてはこちら!
[1-2.7]ヘブライ人とユダヤ教
はじめに グシャケン 前回はこのような流れでした。 シリア・パレスチナで主に活動した民族は以下の3つでしたね。 ●アラム人 ●フェニキア人 ●ヘブライ人 グシャケン 今回は最後の民族「ヘブライ人」についてやっていきます。 このヘブライ人は別…
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2023.02.28
そしてリディアでは、世界史上初の金属貨幣(金と銀の合金)がつくられました。
リディアの金属貨幣 出典:『詳説世界史B』山川出版社
SQ:なぜリディアで世界初の金属貨幣が誕生したのか?
なぜリディアというよくわからない国なの?
みなさんこう思いそうですよね。(笑)
なぜリディアなのか?それには「交易」が関係してきます。
まずリディアはエーゲ海に面していてギリシア人との交易で発展した国です。
そしてリディアは現在のトルコに位置していますよね。ここは今でも「金」の産地として知られています。
なのでリディアではこの金を使って交易をおこなっていました。貴重な金がとれて交易も盛んなので、人が自然と集まって商業がとても発展していたんですね。
リディアの中継貿易
ですがここで問題がおきます。取引には金が使われていましたが、それは純粋な金ではなく「金に銀が混じった鉱石」をそのまま使う重量貨幣でした。当時は純金をつくる技術がまだなかったんです。
これでは鉱石によって金がどれくらい含まれているのかわりません。重さを測るのに時間もかかります。
これはあくまで予想ですが、これを利用した詐欺が横行したことでしょうね。それに対応するために、取引は慎重にやらざるを得なかったのでしょう。
商人
金と銀の含有量が一定のものがあれば、もっと取引を安心してスムーズにおこなえるのに・・・
こんな声が聞こえてきそうですね。
そこで立ち上がったのが当時のリディア王クロイソスです。
クロイソス
金と銀の含有量が一定の合金を造り、国がそれを証明すれば商人たちは安心して交易できる。どうにかならんのか。
これによって当時の最新の技術による試行錯誤のすえ、金と銀の含有量を一定にし、国が鋳造したことを証明するライオンの刻印がおされた合金が完成されたのです。
これが世界初の金属貨幣の誕生です!
これによって従来の重量貨幣から数量貨幣へと変わっていきました。
商人
国が造っているものだから安心できるし、もう重さを測らずに数えるだけでいいから取引がスムーズにできるね!みんなこれ使おうぜ!最高!
金属貨幣
商人たちはさぞかし嬉しかったでしょうね。(笑)
SQ:なぜリディアで世界初の金属貨幣が誕生したのか?
交易が盛んで金が産出する地域でもあったため、さらに取引が迅速に行えるよう重量貨幣から数量貨幣への転換が行われたため。
「これは便利だ!」ということでリディア以外でもこの金属貨幣が使われるようになります。
そこでクロイソスは人々が金属貨幣に交換しに来た際に、交換手数料を請求しました。ドルなどの外貨と交換する際の手数料と同じですね。
これによってクロイソスは通貨流通とともに巨万の富を築きます。
金属貨幣
これから英語で「rich as Croesus.(クロイソスのように大金持ちだ。)」という、ことわざができました。相当儲かったのでしょうね。(笑)
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クシュ王国
アッシリアの頃にエジプト南方に退いたクシュ王国は、4王国分立時代にメロエに都を移して製鉄によって高度な鉄器文化を築きました。(ここからメロエ王国とも呼ばれます。)
クシュ王国 出典:『詳説世界史探究』山川出版社
エジプトやローマ帝国とも交易を活発におこない、アフリカ内陸部の文化にも影響をあたえたそうです。
文字はヒエログリフを独自に工夫した未解読のメロエ文字を使っていました。
古代エジプト文化にも影響されて、メロエには大小さまざまなピラミッドの遺跡が残っています。
メロエのピラミッド 出典:『詳説世界史探究』山川出版社
このクシュ王国は、のち4世紀にエチオピアのアクスム王国によって滅ぼされました。
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まとめ
MQ:なぜアッシリアは史上初のオリエント統一ができたのか?
A:服属時代に持ち込まれた鉄製武器と戦車・騎兵隊などを用いた強力な軍事力でオリエントを支配した。
そこで駅伝制などの中央主権的な官僚制を整備したことで世界帝国として統一、維持することができた。
今回のまとめはこちらです。
4王国分立時代のあとは、強大なアケメネス朝ペルシアによって再び統一されます。この国家はギリシア世界に進出するなど勢力を拡大していき、その後の王朝も中国と交易するなど世界史がさらにグローバルになっていきます。
次回はオリエントから離れて新しい項目である「南アジアの古代文明」についてやっていきます。
古代オリエントの時代、南アジア(主にインド)では何が起こっていたのでしょう?次回もお楽しみに!
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
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