日鉄が挑むアイコン買収の壁 保護主義と地政学の間で

日鉄が挑むアイコン買収の壁 保護主義と地政学の間で
本社コメンテーター 中山淳史
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD1323J0T10C24A3000000/

『米テキサス州は今やカリフォルニア州、ニューヨーク州と並んで大手企業が本社機能を置きたいと思う場所だ。米企業ではテスラ、日本企業ではトヨタ自動車がここ数年で移転してきた。税金や人材確保で州政府が熱心に協力しているのが理由だ。

USスチール向けに脱炭素の計

米USスチールの買収を表明した日本製鉄も2021年、メキシコ湾を臨むヒューストンに北米本社を置いた。石油産業の集積地で、油井管のビジネスが大きい

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『米USスチールの買収を表明した日本製鉄も2021年、メキシコ湾を臨むヒューストンに北米本社を置いた。石油産業の集積地で、油井管のビジネスが大きいようだが、同社がもう一つ力を入れているのが二酸化炭素(CO2)を閉じ込めるための特殊鋼管だ。

天然ガスの採掘で出るCO2をCCS(地下貯留)と呼ばれる技術で回収し、採掘で空いた地下の空洞に鋼管ごと埋めてしまう。管に大変な圧力がかかり、腐食もしやすい。これを製鉄から一貫生産できるのは世界で日鉄だけだ。

鋼管の引き合いは増えている。バイデン政権がインフレ抑制法(IRA)の一環でCO2貯留への補助金を1トンあたり85ドルに引き上げ、スタートアップが多いこの分野の事業化は容易になった。』

『日鉄はUSスチール買収でも米国の環境政策に貢献できると主張している。USスチールは現在、8基ある高炉の2基を休止し、CO2の排出が少ない電炉を増やす途上にあるが、日鉄はどちらかというと悪者扱いされがちな「高炉に投資したい」としている。

具体的には、水素還元法という開発中の技術をUSスチールに提供し、高炉をクリーンな製鉄法としてよみがえらせる計画だ。水素還元製鉄は実験段階では、コークスを使う従来法よりCO2排出量を33%減らせる。将来は半減も可能だとしており、日本と同じく50年の脱炭素を表明した米政策にも沿える可能性がある。』

『米国で政治問題化

もっとも、歴史ある「アイコン(象徴)企業」の買収で浮上しやすいのが国民感情に訴えかける動きだ。日鉄に対しても全米鉄鋼労働組合(USW)が反対し、理由の一つが雇用だ。USWは「電炉への切り替えを日鉄が加速し、(雇用者数がより多い)高炉での人員削減が進みかねない」と疑念を隠さない。

地元ペンシルベニア州選出議員やトランプ前大統領がそれに同調し、買収の差し止めをバイデン政権に求めている。バイデン氏は14日、差し止めこそ表明しなかったが「米国で所有を」とした。』

『3月5日のスーパーチューズデーでは、全米に広がりを見せるような兆候はなかった。秋の大統領選が近づくにつれ、一段と政治問題に発展する可能性はあるが、日鉄も最近、ロープス・アンド・グレイという弁護士事務所、エーキン・アンド・ハンプスというロビイスト会社と契約し、首都ワシントンなどで理解活動を始めたばかりだ。

グローバル企業、あるいは鉄鋼世界一を目指すうえで、日鉄には世界の荒波を知るいい機会かもしれない。最大手のアルセロール・ミタル(ルクセンブルク)などと対照的に、同社は海外での大型買収が意外にも初めてだ。』

『輝いていた過去ゆえの「アイコン」

決着の可能性がなくなったわけではない。前トランプ政権で商務長官だったウィルバー・ロス氏はトランプ氏の動きを「ゼノフォビア(外国人嫌悪)だ」と米紙で批判した。日米関係は三菱地所がロックフェラーセンタービルを買収した「1980年代と違い、対中国で同盟関係が強固だ」とする。米世論は1つではない一方、日鉄に代わって米大手が名乗りをあげても独禁法上、買収が難しい。

いわゆるアイコン企業というのは米ソ冷戦のさなか、「まだアメリカが輝いていた時」のイメージにつながる。具体的には60年代に輝いたゼネラル・モーターズ(GM)、USスチールなど「総合」「米国」を冠した企業がアイコンと呼ばれる傾向が強い。』

『テキサス州にあるサザンメソジスト大学の武内宏樹准教授(政治学)は「外国生まれで米国籍を取った人が米国で最も少なかった年は1970年(全人口の約5%)で、それがトランプ氏をして『強いアメリカ=移民の少ないアメリカ』という連想を生んでいる」と指摘する。この年はUSスチール、GM、ゼネラル・エレクトリック(GE)が米国での雇用主トップスリーだった。

だが、米鉄鋼産業の衰退は著しい。米国は60年代から日本製品などに対する保護政策を続けてきた。世界と戦わなくなった米国での鉄鋼価格は現在、アジアに比べて30%以上高いといわれ、自動車など需要家企業の国際競争力を損ねる結果になっている。』

『日米補完へ「理」を尽くせ
USスチールも過去の繁栄の面影はなく、現在の序列は米3位だ。電炉のニューコアなどの後塵(こうじん)を拝する。「巨人(タイタン)」といわれた創業者アンドリュー・カーネギーの時代は英国から覇権を奪い、世界最大の鉄鋼メーカーとして君臨したが、もはや神話といえるような時代の出来事だ。

一方、日鉄にとって米国市場は重要だ。中国市場の政治リスクを考えれば、持続的に大きな成長が期待できる主要市場は米国だけだ。同様に米国に期待する日本企業は多く、日鉄の試みと結果が他社に与える影響も大きい。

面倒な投資先だが、手順を踏むしかあるまい。半導体では日本勢の再興へ米IBMによる技術供与が進む。鉄鋼では日鉄の技術で米業界の再生に資する関係に持っていける可能性がある。相互の補完関係もにらみ、今はアイコン買収に向けて理を尽くす時だろう。』