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HOSEI UNIVERSITY REPOSITORY
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望
著者 渡部亮
出版者 法政大学経済学部学会
雑誌名 経済志林
巻 86
号 2
ページ 115-189
発行年 2018-10-20
URL http://doi. org/10. 15002/00021369
115
アングロサクソン・モデルの変質(上):
ポスト資本主義の展望
渡部 亮
※ 会社法の体系書なんか読んでると、「バーリ・ミーンズ」の論考というものが、さかんに出てくる…。
※ それが、「米国の法学者アドルフ・バーリと経済学者ガーディナー・ミーンズ」のことであるということを、この文献読んで、初めて知ったよ…。
※ 「ミーンズ」は、経済学者だったんだな…。
※ 彼らの論考は、会社法における「法と現実の乖離」という論点において、さかんに出てくる…。
※ 「会社法」が想定している「会社(特に、株式会社)」像と、「現実の会社の実態」が、「乖離」しているという論点だ…。
※ 例えば、「オーナー個人の100%出資会社」たる「オーナー企業」とかの会社形態だ。「非上場」「ワンマン経営」「全部譲渡制限株式会社」となると、「上場企業」「所有と経営の分離」「公開株式会社」という形態とは、随分違った姿となる…。
※ iPhone15が、22万円もするのは、「車を買えない層」が対象だからなんだな…。
※ 後半の「新しい階級格差」の話しは、歯に衣着せないで、淡々と、冷酷に論述しているんで、読んでて「胸が痛くなる」が、正鵠を射ていると思われる…。


『 序章
第1章・アングロサクソン・モデルの特色
1.米英の法,貨幣,言語
2 .米国における4つのイデオロギー
- ポピュリズムの伝統
- リバータリアニズムの伝統
- レッセフェール思想の影響
- 西欧における右派と左派
- ネオクラシカル対ネオケインジアン
第2章・保守とリベラルの歴史と現状
1.保守とリベラルの起源
2 .コモンローの伝統と衡平法の法理
- 米国憲法にみられる保守主義
- 冷戦時代の米国政治
- 米国の政治サイクル
- 保守とリベラルの衰退
- 市場自由主義と民主主義の劣化
- 富豪階層による寡頭政治
- 新しい階級闘争
- 資本主義の二面性
116
『序章
新世紀は,最初の10数年が過ぎた後に真の姿を現すという。
19世紀はナ
ポレオン戦争を経てウィーン条約(1814〜15年)が締結された後に真の姿
を現したが,それは英国,プロシア,オーストリア,ロシアによる相互抑
止的な分極体制であった。
また20世紀は第一世界大戦を経てベルサイユ条
約(1919年)が締結された後に真の姿を明確にしたが,それは自由民主主
義とファシズムや共産主義といった全体主義との抗争であった。
リーマンショック(2007〜08年)以降の激変をみると,いよいよ21世紀
も真の姿を現したようにみえる。
それは第一に,20世紀後半の世界のリー
ド役であった米英両国が,政治的にも経済的にも混乱し,それに代わって
中国やインドのような新興国が台頭したことである。
新興国の台頭は,18
世紀後半以降およそ250年間にわたって続いた先進工業国と新興国の乖離
(divergence)が解消し,世界経済が収斂(convergence)しつつあること
を意味する。
第二の激変は,情報通信技術の発達であり,第三が地球環境
問題の深刻化である。
そして第四に,上記の三つを受けて資本主義の諸制
度の再構築と自由民主主義の防衛が課題となっている。
本論ではこうした
四つの変化を「21世紀のメガトレンド」と呼ぶことにする。
21世紀のメガトレンドのうち当面の最大の問題は,米英両国の政治的経
済的な混乱である。
両国とも国内政治は分断化され,大袈裟にいえば内戦
の一歩手前の状態にある。
このことは「アングロサクソン・モデル」と呼
ばれる米英の国家統治モデルが変質し劣化したことを窺わせる。
「アングロ
サクソン・モデル」は,市場経済システム(市場自由主義ないし経済自由
主義)と自由民主主義を二大特徴とし,1990年前後に共産主義が崩壊して
以降,優れた国家統治モデルとして賞賛されてきた。
二大特徴のうち市場
経済システムは,多数の売り手と多数の買い手が市場取引に参加し,取引
参加者は価格情報に基づいて自由に売買を行う。
価格メカニズムは透明性
が高く,民間経済部門の自立的秩序に基づく分権的な資源配分システムだ
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望 117
とされた。
単に財貨サービスの取引だけではなく,労働力や金融資産の取
引も競争的市場の価格メカニズムに委ねられた。
同じ資本主義でもドイツ
型モデル(ラインランド・モデル)では,労働力や金融取引は民間経済部
門の自由だけに任せず,労働市場や金融市場には政府当局が積極的に関与
する。
アングロサクソン・モデルの二大特徴のうち自由民主主義は,ボトムア
ップで分権的かつ平等な政治制度と考えられてきた。
米英では,政府,民
間経済,市民社会の三者間に「腕の長さ(arm’s length)の関係」と呼ばれ
る遠隔関係が存在し,三者が相互に干渉することを避けるとともに,民間
経済と市民社会の自立的秩序が民主主義の政治を支えた。
<「歴史の終わり」と「フラット化する世界」の終わり>
今になって振り返れば,1990年代初めのソ連崩壊から2007-08年のリー
マンショックまでの20年弱の期間は,アングロサクソン・モデルの全盛期
であり,平和裏に米英両国の経済が安定成長して,世界経済全体をリード
した時代であった。
経済のグローバリゼーションが,先進工業国と新興国
の双方に恩恵をもたらし,プラスサムの状況を続いた。
2005年に刊行され
たトーマス・フリードマン著『フラット化する世界』(注序ー1)は,こう
したグローバリゼーションの賛歌(paean)であった。
それはGolden arch
theory of conflict prevention (紛争抑止の金のアーチ理論)として礼賛され
た。
Golden archとはハンバーガーのマクドナルド社のロゴマークであり,
世界中の人々がマクドナルドのハンバーガーを食い,スターバックスのコ
ーヒーを飲み,ナイキのスニーカーを履き,インターネットでつながれば,
世界は同質化し紛争は収まると考えられた。
この「フラット化する世界」の前段階では,「歴史の終わり(The End of
History)Jが新思潮として一世を風靡した。
「歴史の終わり」は,1989年に
フランシス・フクヤマが発表した記念碑的論文の題名である。
その当時,
ソ連崩壊という現実が差し迫るなかでフクヤマは「イデオロギー闘争が自
由民主主義の勝利に終わったあとは,消費や余暇が人生の目的となり,退
118
屈かつ平凡な時代が到来する」といった趣旨の楽観的展望を提起した(注
序ー2 )〇
楽観的展望はほかにもあった。
クリス・メイヤーとジュリア•カービー
は,米英型の市場経済システムの柔軟性や適合性を強調した(注序ー3)。
その例として,生産者と消費者のコラボ(協働)による革新的な商品開発
や,企業の社会的責任といった意識改革があげられた。
協働や社会的責任
は,市民社会における企業の新しい使命であり,競争一辺倒だった古い時
代の市場自由主義が想定していなかった理念でもある。
このように市場経
済システムは,構造改革や革新を自然発生的に起こすことによって,あら
たな地球経済環境に適合できると考えられた。
<資本主義の二面性と制度の機能不全>
しかしこうした楽観的展望は,かならずしも21世紀の真の姿ではなかっ
た。
真の姿は先進工業国の大混乱だけでなく,中国やロシアを含む巨大国
家間の対立激化であった。
皮肉なことにこの対立激化は,1990-2000年代
前半とは違った意味で「フラット化する世界」が出現したことを意味する。
ただし今の「フラット化」は,かつてのような相互に互恵的なプラスサム
の関係ではなく,同等の地位にある巨大国家が対立するゼロサムの関係で
ある。
先進工業国の大混乱は,2007〜08年のリーマンショックと2010-12年の
欧州債務危機(本論では二つの危機を合わせて「大金融危機」と呼ぶ)に
よって前面に現れた。
この大金融危機は,フィナンシャリゼーション(経
済の金融化)の行き詰まりを意味するものである。
フィナンシャリゼーシ
ョンとは,金融業が主力産業ないし成長産業となり,銀行などの金融機関
が経済成長を牽引する状況を指す。
フィナンシャリゼーションがなぜ行き
詰まったかというと,金融機関経営の不安定化による金融危機の頻発に加
えて,先進国経済の生産性低迷,所得格差拡大,国家債務肥大化といった
問題(世界経済の三重苦)が噴出したからである。
大金融危機によって米英型資本主義経済を支えてきたさまざまな制度,
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望 119
例えば株式会社制度,銀行制度,租税制度,社会保障制度なども機能不全
を露呈した。
資本主義経済が自己調整力や矯正力を失ったともいえる。
それに伴って自由民主主義の政治も曲がり角の差し掛かり,「民主主義は死に
つつあるか?」とか「民主主義の終わり」といった論調さえみられるよう
になった(注序ー4)。
大金融危機までは,米英型資本主義の繁栄が自由民
主主義の政治的優位を証明していた。
しかし米英型資本主義が金融危機に
直面し経済が混迷するに及んで,ポピュリズムやナショナリズムが政治の
前面に登場した。
特に米英では,日本では考えられないような所得格差や
冨の格差が生まれ,社会の結束や一体感が失われた。
そして英国のEU離脱
や米国のトランプ政権出現にみられるように,政治的には内向きで閉鎖的,
また経済的には保護主義的な潮流が現れた。
なぜこうした変化が起きたのか?
それに対する標準的な答は次のような
ものであろう。
第一に,新興国が台頭するなかで,開放的な米英両国には
人(移民)と物(輸入品)が流入し,政治経済的な不安定性が高まった。
第二に,国家資本主義の中国の台頭によって米英の地位が相対的に低下し,
巨大国家が相互に対立するゼロサム的関係が強まった。
そして第三に,米
英内部では所得格差拡大によって政治的な不安定性が高まった。
こうした
現実は,アングロサクソン・モデルに内在する構造的欠陥のためなのか?
あるいはまた,集権政治と管理経済を組み合わせた国家資本主義のほうが
優れた統治システムなのか?
こうした諸点が現在の論壇の争点である。
本論では,アングロサクソン・モデルが弱体化したのは,特に米国の場
合,保守主義対リベラリズムといった比較的穏健なイデオロギーの対立に
代わって,リバータリアニズム(自由至上主義)とポピュリズム(大衆迎
合主義)という急進的なイデオロギーが台頭した結果ではないかと論じる。
リバータリアニズムもポピュリズムも,19世紀後半以来の米国伝統のイデ
オロギーである。
このうちリバータリアニズムはレッセフェール(自由放
任主義)に近いが,自由放任のもとで所得や富の富豪階層への集中を引き
起こした。
その富豪階層が政治的影響力を行使して,貨幣,会社,所有権,
120
市場といった諸制度を歪めた。
富豪階層への所得や富の集中による所得格
差拡大に対してポピュリズム勢力からの反発が強まり,制度の劣化をます
ます加速している。
もともと資本主義には,多数の人々の生活水準を高めるプラス面と,富
豪階層の行き過ぎた利益追求が資産バブルや所得格差拡大を引き起こすと
いったマイナス面がある。
資本主義にはそうした二面性があるから,なん
らかの公的な規制や所得再分配政策によってマイナス面を補正する必要が
ある。
しかし近年の米英両国では,その所得再分配政策が機能しなくなっ
た。そうした意味で,アングロサクソン・モデルには構造的な欠陥が内在
するといえるかもしれない。
したがって政府が所得再分配も含めて,資本主義の諸制度を修正ないし
再設計することが政策課題なのだが,問題は,特に米国の場合,一方でリ
バータリアニズムが自由放任主義であり,他方でポピュリズムは大衆迎合
主義なので,政治的な合意を形成し一貫した政策によって制度改革するこ
と自体がむずかしい。
さりとてリバータリアニズムやポピュリズムの影響
力を排除するのもむずかしい状況である。
さらにまた現代のように物,金,
人,アイディアが国境を越えて移動する時代には,一国の政府が単独で制
度を再設計するのにも限界がある。
米国,ロシア,中国の相互間だけでな
<,先進工業国間の間でも利害対立が激化しており,G7やG20あるいは
EU (欧州連合)のレベルでさえ国際協調がむずかしい。
アインシュタイン
は,1945年1月の書簡で「第三次世界大戦を避けるためには世界政府が必
要だ」といった趣旨のことを述べたとされる。逆にいえばアインシュタイ
ンは,第三次世界大戦でも起きないかぎり世界政府の実現は無理だと示唆
したのかもしれない。
<ポスト資本主義の可能性>
現代の先進工業国の混乱は19世紀末の状況との類似点が多い。
そのこと
はカール・ポランニー著『大転換』を読むとわかる。
ポランニーの「大転
換」の第一の意味は,19世紀後半における市場自由主義(market liberalism)
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望 121
ないし経済自由主義(economic liberalism)の台頭であり,
第二の意味は,
市場自由主義の自己崩壊の結果としてのファシズム台頭である。
ポランニ
一は「完全に自己調整的な市場を作り上げるには,人間と自然環境を純粋
な商品へと転換させることが必要であり,それは確実に社会と自然環境を
破壊する」と記した(注序ー5)。
19世紀後半から20世紀初めにかけての
時代には,労働(人間),土地(自然環境),資本(貨幣)がコモディティ
と同様にみなされたという。
そうした意味で,ポランニーはそれらを「擬
制商品(fictitious commodity) Jないし「仮想コモディティ」と命名した。
現代では人間と自然環境,貨幣だけでなく技術もコモディティ化している。
この技術(特に情報通信技術)の問題を抜きにして,資本主義の将来を語
り得ない。
貨幣や情報通信技術のコモディティ化によって,金融保護主義やデジタ
ル保護主義の兆候もみられるが,インターネットなどを通じてアイディア
が国境を越えて移動する時代に,資本移動やアイディアの国際間移動を遮
断するのは現実的な対応策でない。
そこでこれ以上に事態を悪化させない
ためには,ポスト資本主義の明るい展望を打ち出す必要がある。
ポスト資
本主義は,まさに情報通信技術(ICT)の発達によって特徴づけられ,従
来の資本主義とはまったく違った世界を示現しつつある。
ICTの発達が資
本主義の諸制度の変化を促しているともいえる。
本来であれば,米英両国
がポスト資本主義のモデルを提起するはずなのだが,今の米英にはそうし
た指導力がない。
皮肉なことに,デフレによって苦しめられてきた日本が,ICTによって
ポスト資本主義の先陣を走っていることを予感させる。
というのは,ICT
が日本のカルチャーにマッチしているからである。
情報通信技術の時代に
は,所有よりもシェア(共同利用),競争よりもケア(いたわり),売買よ
りもアクセス(接続),固定よりもモバイル(携帯),機能分解よりもワン
セット(総合性),分業よりもセルフサービス(自前)といったコンセプト
が重視される。
実は日本のカルチャーはそうしたコンセプトにマッチして
122
おり,アングロサクソン・モデルの国々よりも早くポスト資本主義に移行
する可能性を秘めている。
またポスト資本主義の世界では,GDP (国内総
生産)は経済発展の尺度としては陳腐化する。
日本がいち早くゼロ成長経
済に陥ったのは偶然ではないであろう。
もちろん日本の場合には,言語面
での障壁が大きいし,極度に肥大化した政府債務を削減するといった前代
未聞の難題を抱えているので,安易な楽観は禁物である。
<本論の構成>
本論では,第1章でアングロサクソン・モデルと呼ばれる米英の国家統
治モデルの特色と,アングロサクソン・モデルが形成された米英の思想的
背景を論じる。
第2章では,米国における保守とリベラルという二大思想
の歴史的展開を論じたうえで,近年における富豪階層の台頭が資本主義の
二面性という問題を浮き彫りにしたことを指摘する。
第3章では,金融危
機や所得格差拡大によって露呈したアングロサクソン・モデルの変質の経
済的側面を明らかにする。
そして最後の第4章では,第3章までの考察を
踏まえて,ポスト資本主義の可能性を展望する。
なお参考文献の一覧は,(下)の末尾に掲載する。
<注>
(注序ー1)Friedman, T.L., [2005]
(注序一 2 ) Fukuyama, F.,[1989]
(注序ー3) Meyer, C., & Kirby J., [2012]
(注序ー 4 ) Foreign Affairs, May-June 2018 Vol.97
(注序ー5) Polanyi, K.,[1944]
第1章アングロサクソン・モデルの特色
1.米英の法,貨幣,言語
米英型の国家統治モデル(アングロサクソン・モデル)は,自由民主主
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望 123
義の政治と市場自由主義の経済(経済自由主義)の組み合わせによって構
成される。
その基本原則は,政府,民間経済,市民社会の三者の間に「腕
の長さ(arm’s length)」の距離関係(遠隔関係)があって,政府が民間経
済や市民社会に干渉しないことを建て前としてきた。
政府が干渉しないで
も済んだ理由は,民間経済と市民社会それぞれの内部に自立的秩序があり,
民間主導の自主規制によって秩序を維持することができたからである。
民
間部門は,政府からの干渉を極力回避し,自由を守るために,自主規制を
行ったともいえる。
政治活動•経済活動・社会活動の制度基盤は,法,貨幣,言語である。
ここまではどの国でも同様だが,自立的秩序を重視するアングロサクソン・
モデルの特色は,この法,貨幣,言語といった制度基盤が「事実上の標準
(de-facto standard) Jに依拠していることである。
米英の場合,法はコモ
ンロー(慣習法),貨幣は往年の英ポンド,現代の米ドル,言語は英語だ
が,それらはいずれも明文化された制度ではなく,長年かかって積み上げ
られた事実上の標準である。
このうち貨幣に関していえば,現代の国際金
融取引では米国の法貨ドルが使用されることが多いのだが,ドルを国際通
貨とか準備通貨と定めた協定は存在しない。
それにもかかわらず,ドルを
準備通貨とする事実上のドル本位制が続いてきた。
準備通貨になるための
条件は,一言でいえば準備通貨国の国力であり,事実上のドル本位制が確
立したのも,米国の国力によるものであった。
<米ドル小史>
米ドルの元祖は,米国の独立戦争以前に北米で流通していたスペイン・
ドル銀貨(メキシコ産の銀を使用)とされている。
1ドルは8レアールに
相当した。
レアール(real)はスペインの旧通貨の呼称で,英語のroyal
(君主)と同じ語源を持つ。
サウジの通貨riyalも同じ語源である。
ドルと
いう名称のそもそもの発生地は,ボヘミア(現在のチェコ)であった。
!6
世紀の初頭に,ボヘミア人の伯爵が領地内(チェコ語でJachymov,ドイツ
語でJoachimsthalと呼ばれた町)の谷間で銀の採掘を始め,それをもとに
124
銀貨も鋳造した。
チェコ語で谷を意味するthal(英語のdaleに相当)から
派生して,このボヘミア銀貨をthaler (ターレル)と呼ぶようになった。
その後ボヘミアは,ハプスブルグ家の支配下に入り,ターレルはハプス
ブルグ領内のドイツ,イタリア,スペインなどで流通するようになった。
このうち最も有名なのが,1751年以降発行されたマリアテレジア・ターレ
ルである。
マリアテレジアが崩御した1780年に発行された同銀貨は,欧州
や北アフリカで貿易決済に広く使用され,20世紀中葉までオーストリア国
内でも流通した。
ターレルは,ドイツではターラー(taler),イタリアでは
タレーロ (tallero),オランダではダールダー (daalder),イギリスではダ
ラー (rix dollarないし単にdollar)と呼ぶようになった。
ドルは今では$と略称するが,かっては弗というように,Sの上に二本
の縦線を重ねて書いていた。
これはuとsを重ね合わせたものだという説
もあるが,スペインの古都セルビアを経由してスペイン・ドル(ターレル)
が持ち込まれたため,セルビア(Seville)のSを採ったという説もある。
それによれば,二本線の由来はスペイン・ドル銀貨に記されていた二本柱
で,ジブラルタル海峡から地中海に入る場所にヘラクレスが建てたとされ
る二本柱を象形したものである。そのためスペイン・ドルはpillar dollarと
も呼ばれた(注1—1)。
貨幣の起源に関しては,貨幣商品説と貨幣法制説(貨幣国定説)があり,
特に前者の場合には,自然発生的に貨幣として使用されていた物(財)が,
慣行の積み重ねによって法貨として認知されたケースも多い。
したがって
米ドルだけが事実上の標準というわけではないが,国際通貨ないし準備通
貨としてのドルは,格別の協定を持たないという意味で,事実上の標準と
いえるであろう。
<語彙数の多い英語>
英語は国際言語だが,例えば国連憲章21条「手続規則」では,英語だけ
でなく仏,露,中,スペイン,アラビアの各言語が国連での公用語とされ
ている。
しかし英語は汎用性があるので自然に多用される。
たとえばEU
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望 125
(欧州連合)の会議で,リトアニア語をスロベニア語に通訳するには,まず
1人目の通訳が一度リトアニア語を英語に訳し,次に2人目の通訳がその
英語をスロベニア語に訳すという。
英語にはラテン語,ギリシャ語,ゲルマン語などが入り混じっており,
ほかの言語に比べて語彙数が圧倒的に多い。
これも事実上の標準として英
語が形成されたためである。
研究社刊『新大英和辞典(第六版)』による
と,基本英単語2万語のうちラテン語源の単語が15%,ギリシャ語源の単
語が13%,フランス語源が36%であって,この三者を合計すると,2万語
全体の64%を占める。
なかでもラテン語の影響は大きい。
日常生活で頻繁
に使われるI, you, itのような代名詞,one, two, threeのような数詞,
at, on, inのような前置詞,eatとかdieとか動作を示す動詞,さらには
dogとかstoneのような具象物,農耕・牧畜・漁業関係の単語には,ゲル
マン語源の単語が多い。
しかし,経済や政治の世界で使われる抽象概念に
なると,ラテン語やギリシャ語源の単語が途端に多くなる。
医学用語の語
源は,ほとんどギリシャ語である。
ただしギリシャ時代の西欧に存在しな
かった梅毒(syphilis)とか認知症(dementia)はラテン語源である。
ラテン語系の言葉が多いのは,ノルマン人が11世紀にアングロサクソン
王国を征服して出来た英国の歴史によるものである。
ノルマン人とは,北
部フランス人(north man =北の人)という意味であり,簡単にいえば,北
部フランス人が英国を征服した。
征服後の数世代,イングランド王国の要
職は,フランス語(ラテン語に源流を発するロマンス語系言語)を話すノ
ルマン人によって占められ,ゲルマン系言語は,下層階級の言葉とされた。
なおラテン語はローマ近郊のラツイオで使われた言語だが,それがローマ
帝国崩壊後も,欧州共通の文言として使用された。
今後かりに米英両国が,
かってのローマ帝国のように衰亡したとしても,英語は事実上の世界共通
言語として使用され続けるであろう。
こうした歴史的経緯のため,一つの事象や物事を表すのに,ゲルマン系
単語とラテン系単語の二つが存在する場合が非常に多い。
例えば「美しい」
126
にはprettyとbeautifulが,「短い」にはshortとbriefが,「建てる」には
buildとconstructが,「最後」にはlastとhnalが,「負かす」にはbeatと
defeatがある。いずれも前者がゲルマン語系,後者がラテン語系である。
<コモンロー>
次に法(law)とは,元来道理,秩序,規則を意味するが,英米の場合,
法が慣行(customary rule)に由来する場合が多い。
英国のコモンロー
(common law)は,慣習法と判例法からなる不文法体系であり,成文法で
あるローマ法(大陸法)に対比される。
コモンローとは「イングランド王
国に共通(common)の法」という意味であり,それが米国にも移入され
た。
またローマ法とは「ローマ市民の法」という意味であって,英米人は
ローマ法のことを市民法(civil law)と呼ぶことが多い。
もちろん現代の米英では,法律(act)の制定によって慣行を成文法
(legislation)化しているが,しかしそれでも,例えば米国の証券法にはイ
ンサイダー取引の成文規定がなく,規制監督当局が過去の判例をみて慣習
法的に摘発や規制が行われる。
裁判所も詐欺的行為の禁止規定など別の成
文法の条項を援用して判決を下す。
また国際ビジネスや国際金融の世界で
は,民間の格付け会社の債券格付けや,GAAP (generally accepted
accounting principles)と呼ばれる「一般に受け入れられた会計原則」が事
実上の標準の例である。
米国では,民間の公認会計士協会が設立した企業
会計基準審議会(FASB)がGAAPの細則を決め,政府機関であるSEC
(米国証券取引委員会)が,FASBを会計原則の制定機関として承認した。
政府機関であるSECに企業会計基準の設定権限があるのだが,SECみず
からはあらたに会計基準を設定せず,既に存在する民間の慣行を採用した
のである。
資本主義や市場経済がほかの国に先行して発達した米英では,事実上の
標準(伝統的慣行)によって市場取引のルールを作るしかなかったのであ
ろう。
しかしこうした事実上の標準を重視する制度慣行は,強者の論理を
生み,勝者の驕りに陥りやすい。
そうした驕りが金融危機頻発や所得格差
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望 127
拡大を引き起こし,その結果としてポピュリズムの台頭を許したと考えら
れる。
ポピュリズムは一言でいえば「非リベラル」を意味し,米英のリベラリ
ズムの伝統には反する。
それにもかかわらず,近年ポピュリズムが勃興し
たのはなぜであろうか?
そこで次節ではコンサーバティズム(保守主
義),リベラリズム(自由主義),リバータリアニズム(自由至上主義),ポ
ピユリズム(大衆迎合主義)といったイデオロギーの違いを,米国を例に
とって整理してみよう。
2.米国における4つのイデオロギー
アングロサクソン・モデルは,社会契約説や自然権思想,コモンローや
衡平法の法文化,市場経済システムなどが組み合わさったものであり,元
来は保守主義とリベラリズムを包含する国家統治モデルであった。
市民社
会の秩序は,その社会に固有の伝統や文化に依拠する傾向がある。
「保守」
の原義も「共同体の利益を保全(conserve)する」という意味であった(注
1-2)〇
したがって保守主義には閉鎖的な側面があるが,それと同時に,
保守主義には経済自由主義(economic liberalism)の伝統もあるので,民
間経済への政府関与を忌避する。
ところが市場経済では競争原理が重視さ
れるので,自由かつ開放的(リベラル)でなければならない。
そして市場
での自由な経済活動は,市民社会での個人活動の自由を前提とするので,
市場経済は定義的にリベラルなはずである。
そうした意味で,元来の市場
システムには保守とリベラルが混交していた。
もともと自然権思想や社会
契約説は,保守主義とリベラリズムが混交する形で近代資本主義や自由民
主主義を育んだ。
それが米国において,保守主義とリベラリズムが分離す
るようになったのは,西欧における右派(右翼)と左派(左翼)の分離過
程に似ている(本章6節参照)。
米国の政治経済の思想的潮流(イデオロギー)には,保守主義
(conservatism)とリベラリズム(liberalism)に加えて,リバータリアニ
128
ズム(libertarianism)やポピュリズム(populism)などがある。
こうした
用語や分類に関する理解を助けるのが,図表1—1のマトリックスである。
マトリックスの横の行は,個人生活や個人道徳に政府が積極的に関与す
ることを否定するか,それとも政府関与を肯定するかで分けてある。
また
縦の列は,個人ないし民間の経済活動に政府が積極的に関与することを否
定するか,それとも肯定するかで分けてある。
米国の場合,保守とリベラ
ルとでは肯定と否定の組み合わせが対称的になっている。
米国流リベラリ
ズムは,経済面で政府が積極的に行動することを容認するが,個人道徳へ
の政府関与には反対する。
一方米国流保守主義は民間経済への政府関与に
は否定的だが,個人道徳への政府関与を許容する。
政府,民間経済,市民
社会の三者間の遠隔関係に即していえば,政府と民間経済との間により大
きな距離を置くのが米国の保守主義であり,政府と市民社会との間のほう
により大きな距離を置くのが米国流リベラリズムである。
図表1一14つのイデオロギー
民間経済への政府関与否定: 小さな政府 民間経済への政府関与肯定: 大きな政府
個人道徳への 政府関与否定 Libertarianism (自由至上土義) 経済活動と個人道徳の自由 Liberalism (米国流リベラリズム) 個人道徳の自由
個人道徳への 政府関与肯定 Conservatism (保寸壬義) 経済活動の自由 Populism (大衆迎合主義) 排外的,復古的,個別利益重視
(出所)Maddox,W.S. & Lilie, S.A. [1984] Beyond Liberal and Conservativeをもとに作成
なおここで「政府」というのは,統治主体といった抽象的な概念であり,
国家とか社会とか言い換えてもよいであろう。
この表では現代の米国のイ
デオロギーを理解するために単純化しているが,保守とリベラルには古い
歴史があり,米国と欧州とでも用語法に違いがある。
前述のように,もともと「保守」の原義は「共同体の利益を保全する」
という意味であった。
しかし人間は,生存のために限られた資源を求めて
競争することも運命づけられている。
そこで競争のルールを作るとともに,
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望 129
競争の結果起こり得る紛争や対立を解決するための仕組みが必要となる。
保守派は,紛争や対立を解決する仕組みとして,固有の伝統によって形成
される社会秩序を重視する。
その伝統的な社会秩序とは,過去から現在に
至る過程で試みられた試行錯誤の集積である。
米国では歴史が短い分,社
会的秩序の形成を競争原理や市場メカニズムに委ねる傾向がある。それは
適者生存の原理といってもよいであろう。
ところが個々人の合理的判断に基づく自由競争は,優勝劣敗の結果とし
て所得格差などの問題を生む傾向がある。
そして所得格差のような事態へ
の適応を敗者に強制すると,勝者と敗者との間に対立が生じて,共同体全
体の利益が損なわれやすい。
保守もリベラルも法の支配,国境の防衛,個
人の権利擁護などを優先課題とする点では共通しているが,こうした矛盾
(個人の利益と共同体の利益の相反)を解決するための具体的方策が異な
る。
米国の保守派は,個人の利益追求の自由という意味で,経済合理性の
ほうを強調する。
それに対して米国のリベラル派は,経済合理性という基
準だけでは不十分だとして,市場競争に対する各人の適合性の違いによつ
て生まれる格差を是正する必要性にも配慮する。
以上が分類上の原則論だが,少なくとも最近までの米国では,経済的自
由と道徳重視の組み合わせを体現するのが保守主義であった。
それは伝統
的な共和党支持者の考え方とほぼー致しており,彼らは民間経済の自主運
営を尊重し,政府による市場取引の規制には反対した。
共和党議員のなか
には,伝統的に均衡財政主義者や自由貿易論者が多く,彼らは同時に経済
面の規制緩和論者でもあった。
もともと共和党は,奴線制反対運動を引き
継ぐ形で1854年に結党した。
それ以来共和党は,北東部工業地帯を基盤と
し,小さな政府,夜警国家,均衡財政,対外不干渉などを基本方針として
きた。宗教的にはプロテスタントに傾いた。
一方リベラル派は,民間経済への政府関与を肯定し,社会保障の充実な
ど積極的な所得再分配政策を是認するが,国家政府や地域共同体,宗教団
体などが個人生活や個人道徳へ介入することには反対した。
それは伝統的
130
な民主党支持者の考え方とほぼー致し,ある程度の官僚政治を是認して,
政府による規制の必要性にも同調した。
個人生活や個人道徳の自由といっ
た意味では,移民流入や少数民族の存在にも理解を示した。
また同性婚や
人工中絶などに関しても,リベラル派は概して寛容であった。
民主党は,
伝統的に南部の白人労働者や北東部の移民(いずれも中低所得の労働者階
級)を支持基盤とし,宗教的にはカトリックを包含した。
白人労働者や移
民の子孫たちは,米国の中所得者層を形成し,彼らが民主党の支持基盤で
あった。
3.ポピュリズムの伝統
ポピュリズムは明確なイデオロギーではなく,エリート層に対する反感
を示す風潮やムードにすぎない(注1— 3)。
保守主義やリベラリズムは,
理論の枠組みといった性格を持っていたが,ポピュリズムは理論的思潮では
なく,また統計データや実証分析に基づいているわけでもない。
したがって
保守主義やリベラリズムと同等には比較できないのだが,あえていえば,み
ずからの都合次第で経済活動と個人道徳の双方に政府が関わることを拒否
しない。
そうした意味でポピュリズムを図表1—1のように分類した。
なぜポピュリズムが台頭したのか?
その単純な答えは,グローバリゼー
ションや規制緩和の下で所得格差拡大が顕著になり,職を失ったり時代の
変化に追いついて行けなくなったりした中低所得者層の人々が,個別利益
を保護してくれる帰属主体を求めて声を上げ,小さな共同体や地域社会,
国境の壁復活などを主張するようになったからである。
別の言い方をすれ
ば,従来の保守主義やリベラリズムが,中低所得者が直面する問題を解決
できなくなったからである。
経済自由主義が所得格差拡大を招いた結果,
保守主義への反発が強まり,移民流入や少数民族の存在に寛容なリベラリ
ズムへの反発も強まった。
同時にグローバリゼーションや規制緩和によつ
て利益を享受した高所得者層に対する反発も強まった。
単に経済的な要因
だけでなく,インターネットの交流サイトなどの発達も風潮やムードの拡
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望 131
散を速めた。
こうしたことが排外的で偏狭的なポピュリズムとなって現れたわけだ
が,ポピュリズムが経済活動と道徳生活への政府関与を容認するというこ
とは,それが独裁専制主義(非リベラル)や全体主義の要素を帯びやすい
ことを意味する。
実際に現今の欧米のポピュリズムには,行政府の権力を
チェックする司法府や立法府の機能を弱め,非リベラルの動きを窺わせる
ものがある。
ポピュリズムは一見すると新思潮のようにみえるが,米国では19世紀後
半以来,ポピュリズムの伝統が存在した。
19世紀後半には大陸横断鉄道が
敷設され,広域市場が形成されるとともに,石油産業や電気機械産業が芽
生えた。
その時代は米国経済の第一期黄金期であったが,しかし同時に他
方では中西部の農業地帯が貪窮して,現代と同様に所得格差が拡大した。
また「泥棒男爵(robber barons)Jと呼ばれた悪徳実業家が私的利益を不
正に入手し,その実態を新進気鋭のジャーナリスト(muckraker)たちが
暴露した。
マーク・トウェインはこの時代を「金ぴか時代(Gilded Age) J
と命名した。
その当時は大企業が政治を動かすとともに,都市化や欧州か
らの移民流入で米国の経済や社会が激変した。
19世紀後半は,リンカン大統領が暗殺された1865年から,マッキンレー
大統領が暗殺された1901年までの時代とほぼ重なるが,政治的には暗黒時
代であり,この2人を別とすれば,後世に名を残すような政治家は出現し
なかった。
そうしたなかでポピュリズムの萌芽が生まれた。
その当時のポ
ピュリストは,1891年に農業地帯のネブラスカ州オマハで設立された人民
党(People’s Party)の党員およびその支持者を指し,彼らが反連邦政府,
反金融,反巨大企業の運動を繰り広げた。
人民党党首だったウィリアム•
ジェニングズ・ブライアンは異彩を放つ政治家で,二回にわたって大統領
選挙に出馬したが,当選するまでには至らなかった。
その後人民党は民主
党に吸収され,ブライアンはウィルソン政権の国務長官に起用され,連邦
準備制度の創設協議にも関与した(第2章5節参照)。
132
<パングロシアン>
ポピュリズムにはゼロサムゲームの思考があり,経済成長よりも所得再
配分を重視するが,具体的に実現可能な政策提案があるわけではない。
教育投資やインフラ投資,競争促進政策などによって中長期的に経済成長を
促進するといったプラスサムの発想は欠けている。
復古主義および排外主
義という点では右翼に通じるような指向があるが,それ以外の政策は場当
たり的である。
特定集団の既得権保護や不労所得を求めるだけで,みずか
らの主張の結末を顧慮しない。「そのうちなんとかなる」といった能天気さ
もある。
能天気は,英語でPanglossianというが,このPanglossianは,ヴォルテ
ール作『カンディード』に登場するパングロス博士の名前 ①r. Pangloss)
に由来する。
この博士は,主人公の青年カンディードがどんな苦境や災難
に遭遇しても,次のような常套句を繰り出してカンディードを激励する。
「この世では,すべてのことが事前に連結し調整されており,世の中は可能
な限りで最善の状態にある」。—We live in the best of all possible worlds,
where everything is connected and arranged for the best.-
もともとこうした能天気さは,気候が温暖で収穫にも恵まれた南欧や南
米諸国にみられたが,それが今や米国や西欧にも波及している。
所得格差
の拡大や移民流入によって社会が不安定化し,保守主義やリベラリズムが
弱さを露呈した。
その間隙をポピュリズムが埋めたことになるが,ポピュ
リズムの恐ろしさは,「そのうちなんとかなる」といった能天気さが蔓延す
る点にある。
ポピュリズムの伝統がある南欧諸国や南米諸国が構造改革で
きず,長年にわたってもたれ合いながら延命してきたことは,米国でもポ
ピュリズムの混乱期が半永久的に続く可能性を示唆する。
共和党がポピュリズムの色彩を強めたのは,トランプ大統領の影響とい
うよりも,2008年の大統領選で副大統領候補になったサーラ・ペイリン(元
アラスカ州知事で茶会党グループ)を先駆けとする潮流変化である。
それ
は米国第一主義で,米国生まれの米国人を重視し,移民を排斥するといっ
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望 133
た排外的な性格を帯びていた。
自由民主主義のリーダーだった米国でさえ,
一国主義やナショナリズムの気運を高めたといえる。
現代のナショナリズ
ムは,民族自決といった意味での民主主義的ナショナリズム(liberal
nationalism)ではなく,専制主義的ナショナリズム(authoritarian
nationalism) でめる。
トランプ大統領の非合法移民に対する強硬姿勢も,大きな時代潮流とい
える。
今後は単に非合法移民だけでなく,合法移民に関しても流入を制限
する動きが強まるであろう。
国連統計International Immigrant Stockによ
れば,2015年現在で米国人口の14.5% (約4500万人)が外国生まれの移住
者であり,これは世界全体の一世移民者の20%に及ぶ。
英国では同比率が
13.2%であって,両国とも日本の1.6%をはるかに上回る。
こうした外国人
比率は許容限度を超えた数値ともいえ,すでに外国人学生の米国への留学
者数や観光旅行者数が減少し始めている。移民の流入減は,米国の中長期
的な経済成長を阻害する要因となるであろう。
4.リバータリアニズムの伝統
図表1—1に示したように,経済活動と個人道徳の双方の自由を主張し,
政府の関与に反対するのがリバータリアニズム(自由至上主義)である。
リバータリアニズムは最近の潮流のようにみえるが,これも19世紀後半以
来の歴史がある。
リバータリアニズムは,いわゆるレセフェール思想(後
述)が典型的な形で現れた米国固有のイデオロギーといえる。
というのは,
西欧と違って米国では封建制や貴族制度の歴史が不在であり,なおかつ未
開拓で広大なフロンティアが存在したため,独立と自助の精神が根強かっ
たからである。
ジョン・ロックなどが唱えた自然権思想や,ルソーの社会
契約説が純粋培養的に米国に移植されたともいえる。
そうした意味では,
リバータリアニズムは,保守とリベラルが絡み合っていた時代の古典的リ
ベラリズムに近い。
なお保守とリベラルが相互に絡み合っていた往年の自
由主義を,本論では「古典的リベラリズム」と呼び,現代の米国おけるリ
134
ベラリズム(米国流リベラリズム)とは区別する。
自然権思想によれば,人間には生きる権利,自分の身体を動かす権利,
行動の自由の権利などがあり,それらが自然権とされた。
自分の身体を動
かして(労働によって)獲得した財産の所有権も自然権に含まれる。
人間
社会の便益や安全を保障するためには政府の存在が必要だが,その政府は
人民の合意に基づいてのみ(社会契約によってのみ)存在し得る。
そして
政府の権限は分立したほうが好ましい。
こうした自然権思想や社会契約説
はモンテスキューに受け継がれ,三権分立の思想が生まれた。
それを純粋
培養的に実現したのが米国憲法であり,より具体的に以下の6つの要素に
よって構成される。
それらを全体としてみれば米国に固有のものであり,
現代のリバータリアニズムの原点ともなっている(注1—4)。
第一は個人主義である。
個人はそれぞれに独立した存在であり,社会が
個人を育成するのではなく,独立した個人の集団が社会を構成する。
自己
利益を追求する個人の合理的判断が,社会全体の便益や福利を高める。
西
欧の社会主義は,個人の利益よりも社会全体の便益を重視したという意味
で,共同体主義的であったが,米国は個人主義的である。
第二に,政府は個人の自立を支えるための制度であって,政府の存在自
体が最終目的ではない。
個人は社会契約によって政府を作り,その政府が
個人の自由を保障する。
もちろん個人には責任や義務があるが,それは政
府が個人に押し付けるものではなく,個人相互間の合意によって形成され
る。
第三は,小さな政府ないし夜警国家の考え方である。
国家政府は人民の
安全,人権,所有権を保障するために存在する。
個人の自由は商取引にょ
って促進され,その商取引は所有権を保障する法制度によって担保される。
この第三の点に関連するが,
第四は個人の権利擁護である。
権利のなかに
は所有権だけでなく,表現の自由や信仰の自由,結社の自由が含まれる。
自然な状況において自由が初めから確保されるわけではなく,社会契約に
よって国家政府が形成され,その国家政府が個人の自由を擁護する。
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望 I35
第五は法の下での平等である。
法は規制や制約ではなく,個人の自由や
平等を確保する手段である。
平等とは,世襲による階級や家系,出自にか
かわらない機会の平等を意味し,政府が機会の平等を保障する。
西欧の保
守主義は,世襲や階級を肯定する場合もあるが,米国にはそうした伝統が
なかった。
第六が代表制民主主義であり,それは普通選挙制度や人民の請
願権を意味する。
実際,米国憲法の修正第1条は人民の請願権を守ってい
るが,近年では,その請願権が富豪階層の既得権維持のための請願行為に
及び,高所得者層(富豪階層)の政治力行使が目立つようになった。
もともと米国ではリバータリアニズムが根強い潮流として存在するのだ
が,それに加えて近年は,金融,情報技術,ハイテクといった産業の躍進
によってあらたな高所得者層が形成され,彼らの多くがリバータリアニズ
ムに加担した。
金融,情報技術,ハイテクは,Finance (金融),Technology
(技術),Electronics (電子)の頭文字をとってFTE産業と総称される。
FTE産業の経営者や出資者などの富豪階層は,経済的自由だけではなく,
個人生活や道徳の自由も重視する。こうして伝統的なリバータリアニズム
のイデオロギーが近年さらに強化され,グローバリゼーションと規制緩和
を推進した。
<ネオリベラルとネオコン>
近年のリバータリアニズムは,経済問題だけでなく,政治問題や社会問
題の解決にも市場原理や競争原理を適用するネオリベラリズム(新自由主
義)や公共選択の理論によって理論武装された。
ネオリベラルはフリード
リッヒ•ハイエクを教祖とし,結婚,家族,美術工芸,信義といった制度
ないし価値にまで,個人の選択の自由と市場の競争原理を援用する。
また
公共選択の理論はヴァージニア大学のジェイムス・ブキャナンを教祖とす
る。
こうした理論によれば,福祉国家を運営する官僚や行政機構は,社会
正義(social justice)という名を借りた不労所得稼ぎ(rent seeker)とみ
なされる。
ネオリベラルは2000年代初頭にかけて「ワシントン•コンセン
サス」と呼ばH, IMF (国際通貨機関)やWT0 (世界貿易機構)といった
136
国際機関の基本理念として,アジア諸国を中心とする新興国にも喧伝され,
米国のソフトパワーの一翼を担った
なおネオリベラルは新自由主義と訳されるが,新自由主義は米国流リベ
ラリズムと混同するので,本論では新自由主義やネオリベラルという用語
は極力使用しないことにする。
ネオリベラルは,市場原理や経済的自由を
強調するという意味で,むしろ急進的保守主義のイデオロギーであり,そ
の点でネオリベラルは,リバータリアニズムの隆盛と軌を一にするもので
あった。
経済活動だけでなく,民主主義の政治にもネオリベラルや公共選択の経
済理論を応用する一派は新右翼(new right)と呼ばれたことがある。
新右
翼は保守主義の政治版ともいえるが,それがさらに排外的な色彩を帯びる
とネオコン(neo-conservative)となる。
ネオコン(新保守主義)は,経済
自由主義の要素よりも政治的な排外主義の傾向が色濃く,反イスラム勢力
として目立つようになった。
ネオコンによれば,西欧社会が直面する問題
は,所得分配上の不平等よりも,イスラム急進主義にあるとする。
元来経
済自由主義の伝統があった英国がEU離脱に踏み切ったのも,また米国の卜
ランプ政権による移民の流入制限も,ネオコン的な動きといえるであろう。
トランプ政権の場合には,反イスラムというよりも反ヒスパニックといっ
た色彩が強く,移民の流入が米国固有のカルチャーを侵害するといった被
害者意識があるようだ。
米英でネオコンへの傾斜が急激に起きたのは,これまで両国が移民流入
に対して寛容だったことの反動かもしれない。
ソ連が解体するまでの保守
主義には,共産主義から西欧文明を防衛するという大義があったが,共産
主義が崩壊してからは,イスラム原理主義ないし急進主義から西欧文明を
防衛することが,保守主義のあらたな大義と位置づけられるようになった。
このことは,米英両国が経済自由主義や民主主義だけでは持ちこらえられ
なくなり,多文化主義を見直すべきだという認識が高まったことを意味す
る。それがネオコンの潮流となった。
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望 137
英国の保守派の論客ロジャー ・スクルートンによれば,ネオコンの命名
者はサミュエル・ハンティントンだという(注1— 5)。
ハンティントン
は,英国プロテスタントの流れを受け継ぐ「米国の信義(American Creed) J
を重視した。
それは,プロテスタントの宗教的一体感(アイデンティ)と,
居住地としての米国という領土的一体感を基盤とする。
西欧社会を防衛し
人権とか自然権を擁護するには,自由と寛容の精神だけでは不十分であり,
宗教色のない世俗政権を退けて,プロテスタントの精神を基軸とした一体
感を取り戻す必要があるとする。ネオコンはそうした宗教色を帯びた一体
感を高揚させた。
5.レッセフェール思想の影響
リバータリアニズム(自由至上主義)は,レッセフェール(自由放任)
に近い考え方である。
このレッセフェールは,フランス革命(1789年)前
夜のフランスから,独立直後の米国に持ち込まれ,1776年の建国以来,民
間経済への政府介入の排除や低税率などが米国の経済政策の原則となっ
た。
建国当時の米国では,まだ経済政策手段も確立しておらず,自由な経
済活動が自然な秩序を生むといった考え方が受け入れやすかったのであろ
う。
現代の米国においてリバータリアニズムやネオリベラル(市場ファン
ダメンタリズム)が台頭したのも,そうした歴史的伝統によるかもしれな
い。いわば米国がレッセフェールの実験場となったのだが,このレッセフ
エールも行き過ぎると厄介な問題を引き起こす。
20世紀の経済学者ケインズの評論「自由放任の終焉」によれば,レッセ
フェール(laissez-faire)というフランス語を最初に英語に持ち込んだの
は,ベンジャミン・フランクリンかジェレミー・ベンサムであったという。
laissez-faireは,本来であればlet us doとかallow us to doと英語に訳すべ
きところを,フランスの自由主義の印象があまりにも強烈だったためか,
そのまま英語になってしまったようだ。
フランクリンは米国建国の父の1
人であり,ペンシルバニア大学の建学や米国貨幣制度の整備にも貢献した。
138
「時は金なり」と最初に言ったのもフランクリンとされる。
フランクリンは
大統領にはならなかったが,今でも1〇〇ドル紙幣の肖像画となっている。
さらに遡れば,レッセフェール(laissez-faire)は,ルイ14世時代の財務
総督ジャン・バティスト•コルベールが座談で使った言葉を,1750年代の
地方行政長官ヴァンサント・ドウ・グールネーが広めたとされる。
それが
フランスの経済学者フランソワ•ケネーを始祖とする重農主義の経済学に
も影響を与えた。
もともとは外科医であったケネーは,血液の流れを参考
にして経済循環を解明した。
重農主義(physiocracy)の語源(psysio)は
自然を意味するギリシャ語で,農業の意味はないのだが,重商主義の対語
として重農主義と日本語に訳されたのであろう。
重商主義が,現代の国家
資本主義であるとすれば,重農主義は現代の経済自由主義に相当する。
フランスを旅行中のアダム・スミスが,ケネーに触発されて『国富論』を1776
年に著し,英国における経済自由主義の思想的背景を形成したと考えられ
る。
<スペンサーの影響>
レッセフェールの伝統は,19世紀後半の米国で開花した。
この時代には
カーネギー(鉄鋼王),ロックフェラー(石油王),モルガン(金融王),ヴ
アンダービルト(鉄道王),フォード(自動車王)といった巨頭実業家(産
業の総帥)が台頭した。
彼らのなかには,英国の思想家ハーバート・スペ
ンサーの社会進化論の心酔者が多かった。
スペンサーは,人間が高い認知
能力や分析能力にもとづいて合理的な判断を下すこと,また競争環境のな
かで努力することによって生存と進歩をはたすこと,などの諸点を主張し
た。
こうした主張は,政府の介入よりも民間経済の自主性を重視する米国
のビジネスカルチャー(企業文化)や草の根民主主義によくマッチし,ア
メリカンドリームを追求する19世紀後半の時代思潮をリードした。
スペンサーは1880年代にたびたび渡米し,当時の米国の指導者たちと交
流したが,そのなかでも熱烈な心酔者が鉄鋼王アンドリュー・カーネギー
であった。
かれはスペンサーの米国での講演活動も後援し,『鉄鋼王カーネ
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望 139
ギー自伝』のなかで「スペンサーとダーウィンほど私に大きな影響を与え
た人物はいなかった」と述懐している。
19世紀後半に米国に移植された社
会進化論やレッセフェールの思想が,リバータリアニズムの伝統の源流と
なって,今日の米国でも広く受け継がれている。
アラン・グリーンスパン
FRB元議長が,リバータリアニズムの代表的な後継者であり,2018年8月
13日付けのフィナンシャルタイムズ紙によると,グリーンスパンは,エイ
ドリアン・ウールドリッジとの近刊の共著(Capitalism in America)のな
かで,「社会福祉支出の行き過ぎが経済活力を損なう」といった趣旨の論考
を提起するという。
また米国の主流経済学(ネオクラシカル)も,こうし
た考え方を継承するものであり,市場参加者の総意ないし平均的期待が最
適な解法を与えるとした。
ところで産業の総帥たちは,技術者や科学者であるよりも卓抜した企業
経営者であり,研究開発よりも生産管理や財務管理などの経営手法を磨い
た。
米国の広大な国土には巨大で画一的な消費市場が存在したため,大量
生産よって規模の経済とコスト削減を図ることが特に有効であった。
産業
の総帥たちは,繊維や鉄鋼など既存産業の生産技術を欧州諸国から輸入し,
全米に普及させるとともに,電気機械や化学工業などの新興産業も興した。
1880年代末以降1900年代初めにかけて,米国ではウェスチングハウス,ゼ
ネラルエレクトリック,イーストマンコダック,ユニオンカーバイド,ゼ
ネラルダイナミックス,USスティールなどの大企業が設立された。大陸横
断鉄道が敷設されたのもこの時代であった。
こうした大企業の出現は,二つの異なった形で20世紀の米国経済に大き
な影響を与えた。
第一は,垂直統合された専業メーカーや業者が独占化・
寡占化したことである。
第二は,あたらしい経営管理手法を身につけた専
門経営者の出現によって,19世紀後半の創業者による企業経営が,20世紀
になると専門経営者による企業経営に変質したことである。
1920年代の米
国では,産業企業(非金融事業会社)の組織内部から自立性の高い経営の
専門家が登場し,自己金融力を背景に強力な経営支配権を行使するように
140
なった。
株式が多数の個人株主に分散保有されるとともに,企業内に自己
資本が蓄えられて,経営管理は専門の経営者に任せられた。
しかしそのこ
とは,所有と支配の分離に起因する利益相反問題(コーポレートガバナン
ス問題)を引き起こすようになった。
米国の法学者アドルフ・バーリと経済学者ガーディナー・ミーンズは,
1932年に『近代株式会社と私有財産』という画期的書物を著して,所有(出
資)と支配(経営)とはまったく別物であることを喝破した。
バーリとミ
ーンズの会社観は,所有と支配が一体化していた18〜19世紀の古典的な会
社観とは大きく異なるものであり,すでに1920年代には,株主ではなく経
営者が会社を支配する状況が出現していたことを窺わせる。
バーリとミー
ンズは,株主と経営者の間に存在する情報の非対称性にも注目した。
そう
した指摘がきっかけとなって,株主の権利保護の必要性が認識されるよう
になり,1933年証券法や1934年証券取引所法が制定された。
また,法学者
(バーリ)と経済学者(ミーンズ)の共著という点にも,コーポレートガバ
ナンス問題の学際的な性格があらわれていた。
なお,ここで支配(control)というのは,取締役選任権ないし任免権,
それも突き詰めていえば最高経営責任者(CEO)の任免権を意味する。
そして「経営者による支配」とは,株主ではなく,CEOを筆頭とする経営執
行者自身が,こうした任免権を行使する状況を指す。
なお,1930年代には
CEOや経営執行者(executive)という用語がまだ定着していなかったた
め,バーリとミーンズの著書では,取締役(director)という言葉が経営執
行者と同じ意味で使われた。
株主よりも経営者が絶大な支配権を行使する状況は,ゼネラルモーター
ズ(GM)のアルフレッド・スローンの時代(1920〜30年代)からゼネラ
ルエレクトリック(GE)のジャック・ウェルチの時代(1980〜90年代)ま
で続いた。
スローンを中興の祖とするGMは,大量生産の管理,商品ライ
ンの多様化,業務活動分野別の専門家による経営管理,個別企業ベースで
の退職年金と健康保険といったように,近代米国企業経営のベストプラッ
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望 141
クティス(最良慣行)のモデルとなった。
6.西欧における右派と左派
西欧では保守対リベラルと似たような意味で,右派対左派ないし右翼対
左翼という用語が使われることがある。
これはフランス革命直後の国民議
会で,王党派(君主,貴族,教会)が右側に陣取り,共和派が左側に陣取
ったことに由来する。
その当時の共和派は,フランス国旗(三色旗)に象
徴される自由,平等,博愛を標榜したが,19世紀になり所得格差や貧困が
目立つようになると,生産手段の共有化を主張する社会主義運動へと傾斜
していった。
社会主義は私的財産権と市場経済を否定したため,自由,平
等,博愛のうち経済的自由が左派の主張から抜け落ちた。
その一方で社会
主義に反対する右派は,排外主義や全体主義と同列とみなされるようにな
った。
こうした左右両翼の色分けは第二次世界大戦後も続き,1990年前後
にソ連が崩壊するまで残存した。
しかし1990年代になると,英独仏など西欧主要国では,中道左派勢力が
経済自由主義を取り込んで政権に就いた。
フランス社会党のミッテラン政
権や英国労働党のブレア政権,ドイツ社会民主党のシュレーダー政権がそ
の典型であり,いずれもイデオロギー色は希薄であった。
この中道左派政
権の時代には,個人の自由と国家の秩序維持が両立可能だと考えられた。
つまり強い個人の存在が安定した国家秩序を形成し,逆に安定した国家秩
序の存在が個人の自由を保障すると考えられたのである。
しかしグローバリゼーションや経済自由主義が深化するに伴って,個人
の自由と国家の秩序が相反するようになり,英国労働党,ドイツ社会民主
党,フランス社会党,オランダ労働党などの中道左派勢力は支持率低下に
直面した。
それに代わって極右や極左のポピュリスト政党が乱立するよう
になった。
イタリアがその典型であり,2018年には極右政党の「同盟」と
極左政党の「五つ星運動」が連立してポピュリズム政権を作った。
旧来の
右派と左派を横断する形でポピュリズムが台頭し,対立の構図が従来の保
142
守主義対社会民主主義(欧州版リベラル)から,ポピュリズム対エスタブ
リシュメント(欧州版リバータリアン)に変化した。
米国ではリバータリアニズムが根強い分,右派(右翼)と左派 佐翼)
との間のイデオロギー対立が目立たず,西欧におけるような中道左派勢力
も台頭しなかった。
西欧には昔から右派と左派のイデオロギー対立が存在
したわけが,米国は封建制や貴族制度の歴史がなかったため,西欧におけ
るほどイデオロギー色が強くなく,右派と左派の対立も目立たなかったの
である。
その代りに米国では保守対リベラルの対峙という構図が存在した。
米国人は,所得階層に関わりなく,各階層の人々がそれぞれの信条に基づ
いて,保守かリベラルかどちらかのイデオロギーを信奉した。
個人の信条
とは「人間とは何か」といった哲学的ないし文化人類学的な認識の違いを
反映するものである。
一般的にいえば,保守派は過去からの伝統や位階制
(ヒエラルキー)に基づく社会秩序を重視する。
安全が守られた過去の栄光
に執着するという意味で,保守派は反動的でもある。
一方リベラル派は,
過去は危険で暗かったという認識をもとに,明るい未来に向けての進歩や
変化,改革を指向する。
オバマ大統領が2009年の就任演説で掲げた希望
(hope)と変化(change)という標語がまさにリベラル派の真髄である。
また保守派が個人の経済的自由と社会道徳を重視するのに対して,リベラ
ル派は社会保障などによる所得再配分と個人道徳の自由を重視する。
しかし近年,保守派は所得格差問題を直視せず,またリベラル派は移民
流入問題を直視せず,保守派もリベラル派も退潮が目立つようになった。
それに加えて中所得者層の所得が低迷して低所得者層との区別があいまい
になり,中所得階層が消滅するといった状況が持ち上がった結果,反エス
タブリッシュメントのポピュリズムに傾倒する者が増加した。
2016年の大
統領選挙で共和党候補者のトランプを支持したのは,伝統的な保守主義者
だけでなく,中低所得者層のポピュリストでもあった。
民主党の候補者選
出に際しても,ポピュリズムを代弁するバーニー・サンダース上院議員が,
ヒラリー ・クリントン候補と最後まで競い合った。
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望 143
こうしたポピュリズムの台頭を象徴するのが,2010年代初頭に台頭した
茶会党(Tea Party)グループである。
当初彼らは保守派の急先鋒とみなさ
れ,均衡財政主義の立場から民主党オバマ政権の財政政策に反対し,「財政
の崖」と呼ばれる予算執行停止の事態を引き起こした。
そして2010年の中
間選挙では,茶会党グループの勢力が高まり,共和党が下院の過半数を奪
回し,さらにトランプ政権が発足した2017年以降は,共和党が上下両院で
与党となった。
しかしトランプ政権の大規模減税による財政赤字拡大にも
かかわらず,茶会党グループは表立った反対運動を起こしていない。
この
ことは茶会党グループのポピュリスト的性格を示すものであろう。
別の見
方をすれば,米国ではもはや財政赤字削減が政治問題ではなくなったとも
いえる。
特にトランプ政権下では,財政赤字削減への意識は低く,民主党
も,緊縮財政をスローガンにして選挙に臨めば,政権の座に就くことがで
きないことを承知している。
要するに,欧州における右派と左派も,また米国における保守とリベラ
ルも,新興国の躍進と先進工業国の低迷,情報通信技術の発達,地球環境
問題の深刻化といった21世紀のメガトレンド(時代潮流)に対応できなく
なった。
地球環境問題は緊急の対応策を必要としているし,万人が情報通
信技術にキャッチアップするためには生涯学習を続ける必要がある。
また
新興国の台頭は,世界経済の相互依存関係がますます高まったことを意味
する。
しかし右派も左派も,保守もリベラルも,従来の伝統的な政策理念
ではメガトレンドに対応できない。
こうしたことは,イデオロギー対立の構図が,従来の保守対リベラルか
ら,ポピュリズム対リバータリアニズムへと変化したことを意味する。
そ
れは右派と左派の対立から,上(高所得者層)と下(中低所得者層)の対
立へと政治の軸が移動したことを意味する。
リバータリアニズムは,開放
的な市場での自由な経済活動を可能にするために道徳の制約を打ち捨てた
が,その結果,リーマンショックを契機として,金融危機や所得格差拡大
という問題に直面し,彼ら自身が一種の自己矛盾に陥った。
ポピュリズム
144
(下)の台頭は,リバータリアニズム(上)に対する反動といえるであろ
う。
もちろん共和党と民主党の二大政党は存続しているが,両党はそれぞれ
保守政党とリベラル政党という違いよりも,共和党は男性,高齢者,白人
の利益を代弁し,民主党は女性,若者,少数民族を代弁する政党といった
色彩を濃くしている。
リバータリアニズムもポピュリズムも,19世紀以来
の米国の伝統的イデオロギーだが,両者が強まると,アングロサクソン・
モデルはバランスを損なう危険性がある。
7.ネオクラシカル対ネオケインジアン
米国における保守対リベラルの構図は,経済学の分野におけるネオクラ
シカル(新古典派)対ネオケインジアンの対峙に該当する。
シカゴ大学な
ど内陸部の五大湖周辺を拠点とするネオクラシカルは「淡水経済学派」と
呼ばれ,自己調整的な市場メカニズムの有効性を強調する。
市場には自動
調整機能が存在するので,政府は市場に介入しないほうがよい。
政府が余
計な介入をすると,かえって市場の調整機能が阻害される。
競争原理を信
奉し政府の関与を排除するという意味で,ネオクラシカルは保守主義の流
れを受け継ぐ。
ネオクラシカルは,ファイナンス論の分野で合理的期待形成論や効率的
市場仮説などを提唱した。
市場参加者は,金融資産の価値を合理的に評価
し売買するので,価格にはすべての価値情報が反映されており,価格と価
値の乖離は即座に調整される。
金融政策も,当局者が裁量的に政策判断を
加えるのではなく,マネーストック(貨幣量)の増加率を一定に保っとか,
景気にとって中立的な利子率に沿って政策金利を設定するといったルール
に基づいて運営すべきである。
こうした考え方が特に1990年代になり流行
したのだが,その背景には,それまでの国家間のマクロ経済競争の時代か
ら,国境を越えたグローバル市場における企業間のミクロ経済競争の時代
に移行するといった事情があった。
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望 145
しかし大金融危機(2007〜08年のリーマンショックと2010-12年の欧州
債務危機)を経て,ネオクラシカルや市場原理主義(淡水派)は問題点が
多いとされるようになった。
端的にいって,ルールに基づく金融政策は大
金融危機の発生を予防できなかった。
そもそも淡水派の経済学は,金融危
機を想定していなかった。
市場経済には自浄作用があるので,淡水派の立
場からすれば,金融危機の発生(市場経済システムの破綻)は,論理矛盾
ないし自家撞着(oxymoron)であった。
金融危機を予見できなかったことに加えて,淡水派は,危機発生以前の
時代における米英経済の繁栄が,中国を始めとする新興国の国家資本主義
によって支えられていたことを軽視した。
というのも,リーマンショック
が起きるまでの米英経済は,経常収支の大幅赤字(過剰消費と過少貯蓄)
のうえに成り立っており,その経常赤字のファイナンスを新興国や日独に
依存していたからである。
中国のような新興国の国家統治モデルは,市場
自由主義や経済自由主義とは対極の国家資本主義であり,日独経済にもそ
うした側面があった。
中国や日独への資金依存は,淡水派にとっては論理
矛盾であり,このことも,ネオクラシカル経済学の限界を示すものであっ
た(注1—6 )。
ネオクラシカルが保守派の経済学であるとすれば,ネオケインジアンは
リベラル派の経済学である。
ネオクラシカルが「政府の失敗」を強調する
のに対して,ネオケインジアンは「市場の失敗」に配慮する。
後者は,ハ
ーバード大学やカリフォルニア大学など,東西両岸の海に面した都市を拠
点とするので,「塩水経済学派」と呼ばれる(注1— 7)。
ネオケインジア
ンはその名のとおり,ケインズ経済学の影響を受けている。
塩水派は市場
経済システムの機能やメリットを一応は認めるが,市場経済の硬直性に起
因する機能不全にも留意する。
市場経済の硬直性とは,短期と長期におけ
る調整速度の違い,情報の非対称性や隠された情報の存在,独占や寡占の
弊害,外部不経済性などの問題を指す。
ネオケインジアンによれば,こう
した市場経済の硬直性を政府が是正する必要がある。金融危機は是正策を
146
講じなかったために起きたと論ずる。
その点においてネオケインジアンは
「市場の失敗」説である。
逆にいえば,政府が市場機能の改善策を講じれば
危機は防げたというのである。そうした意味で,ネオケインジアンはリベ
ラル派と気脈を通じる。
おおまかな時代区分でいえば,1970年代までが塩水派経済学の時代であ
り,1980年代以降,大金融危機が起きるまでの期間が淡水派経済学の時代
であった。
この点に関連して,米国の独占禁止法制の変遷をあげることが
できる。
米国の独占禁止法にはカルテル行為を禁止するシャーマン反トラ
スト法(1890年制定)と,大規模化自体を問題視するクレイトン反トラス
卜法(1914年制定)がある。
両法は19世紀末から20世紀初めにかけての進
歩主義ないし革新主義(progressivism)の時代に制定された。
この進歩主
義ないし革新主義は,リベラリズムとポピュリズムが合流したイデオロギ
ーでもあった。
しかし1980年代以降の保守主義の時代になると,クレイトン法は,ネオ
クラシカルの経済学の影響を受けて次第に形骸化した。
その契機となった
のは,シカゴ大学の法学者ロバート・ボーク(ニクソン政権の司法長官お
よびワシントンDCの連邦控訴審の判事)が1978年に提唱した「反トラスト
法の逆説」と呼ばれる法理論であった。
ボークの法理論によれば,消費者
利益が守られるかぎり,企業がいかに大きな利益をあげたとしても,独占
禁止法を適用すべきではなく,むしろ大企業は消費者にとって好ましい存
在だという逆説が成立する。
こうした法理論が1980年代以降広範に受け入
れられた結果,独占禁止法の適用基準が変わってしまい,そうした状況が,
情報通信技術の分野でグーグルやフェイスブックといった巨大企業が登場
した現在まで続いている。
経済学は新しい学問であり,産業革命後の重化学工業全盛期に発達した
ので,ネットワーク取引や情報通信技術(ICT)の発達がもたらす経済の
構造変化にまだ追いついていないのかもしれない。
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望 147
<注>
(注1—1)本論のドルに関する記述は,主としてWeatherford, J. M.,[1997],
Goodwin, J., [2003], Cohen, B.J., [1998], William,J.M., et al. (ed.) [1997]
を参照した。
(注1—2 ) Scruton, R., [2017]
(注1—3) Muller, J. W., [2016]
(注1—4) Maddox, W.S. & Lilie, S.A., [1984]
(注1—5) Scruton, R., [2017]は Huntington, S.,[1996]を引用している。
(注1—6 ) Mason, P., [2015]
(注1—7) Skidelsky, R., [2009]によれば「淡水経済学派」と「塩水経済学派」
の命名者は,ロバート・ウォルドマン(ローマ大学教授)とされる。また
Hodgson, G.M., [2015]によればネオクラシカルの命名者はソースタイン・
ヴェブレンとされ,それは限界効用の極大化や一般均衡を理論の要とする。
第2章・保守とリベラルの歴史と現状
1.保守とリベラルの起源
グローバリゼーションや経済自由主義の弊害や退潮が目立ち始め,ポピ
ユリズムが台頭した現在,なぜ保守主義やリベラリズムが退潮したのかを
探るために,あらためて保守とリベラルの起源に関して欧米を通観した歴
史的経緯を振り返ってみよう(注2 -1)0
現代の米国では,保守とリベラルは対立関係で捉えられる場合が多いが,
元来両者は相互に絡み合う補完的関係にあった。
16世紀以降の啓蒙思想な
いし啓蒙主義の時代を経て,人権といった意味での個人の自由が主張され
るようになったが,それが確立したのは,17世紀の英国でジョン・ロック
などが唱えた自然権思想が原点であった。
「リベラル」の原義は「人権を解
放する」といった意味であり,liberalとlibertyという単語は,いずれも自
由を意味するラテン語liberを語源としている。
保守とリベラルが相互に絡み合っていた往年の自由主義を,本論では「古
148
典的リベラリズム」と呼び,現代の米国おけるリベラリズム(米国流リベ
ラリズム)とは区別する。
古典的リベラリズムは,ロックの自然権思想の
ように,個人が生まれながらにして持つ自由の権利を強調する。
それは君
主政権への対抗を意味する。
一方現代の米国流リベラリズムは,所得再分
配政策などによる平等の実現を重視するが,これは19世紀後半から台頭し
た社会主義の影響を受けたものであろう。
フランス革命時の共和派が標榜
した自由と平等との間に相反する要因が潜んでいたため,社会主義者は自
由よりも平等を重視し,その影響が米国流リベラリズムにも及んだと考え
られる。
保守とリベラルが相互に絡み合っていたという意味では,経済自由主義
(economic liberalism)の元祖アダム・スミスの論考が一つの象徴的な例で
ある。
スミスは『道徳感情論』のなかで,正義への共感や指導者の道義的
責任の重要性を指摘した。
スミスにとって正義とは市場経済システムが機
能するための必要条件であり,それは信用とか道徳,社会的伝統,精神的
連帯といった価値観に通じるものであった。
スミスのいわゆる「神の手」
にも「偏りのない観察者(impartial spectator)の正義」といった意味があ
るのであろう。
こうした点に留意したスミスは,図表1—1の分類に従え
ば保守主義者であったともいえる。
スミスは,政府の力よりも市場の自立的調整力を,また科学者の知識よ
りも生産現場の職工の知恵を重視した。
その意味で,スミスはボトムアッ
プの経済自由主義的な発想をした。
市場の存在が,分業による専門化を通
じて生産現場の技術革新や生産性向上を促進し,それが結果的に学問的知
識や科学の進歩をもたらすと考えたのである。
スミスの時代には,イング
ランドのオックスフォード大学やケンブリッジ大学が研究と教育の両面で
停滞し,大学教員の職や地位は,英国国教会の牧師に昇進する前の踏み石
に過ぎなかった。
スミスも,スコットランドのグラスゴー大学からオック
スフォード大学に移ったが,モラルの低さに失望し,フランスにわたって
ケネーなどの経済自由主義(重農主義)に接した。
こうしたこともスミス
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望 149
の現場指向と市場指向を高めたようである。
もっとも英国で経済自由主義が定着したのは,スミスが『国富論』(1776
年)を著してから二世代以上経過した1840年代以降のことであった。
それを象徴するのが1846年の穀物法改正であり,それは保守党のピール政権
が,自党内の抵抗勢力を押し切って実行した貿易自由化政策であった。
穀物法改正は自由貿易の原点だとされる。
元来英国の保守党は,貴族階級や
地主など現状維持勢力を支持基盤としていたが,19世紀央までには,資本
家や経営者といったブルジョア階級が台頭し,彼らの同調が得られる経済
自由主義が,保守党の政策運営にも影響を与えるようになった。
つまり,新しい経済勢力の出現に対して,政治も柔軟に対応せざるを得なかったの
である。
こうした時代背景のもと,経済自由主義の論調を掲げる英国の経済誌エ
コノミスト(The Economist)が1843年9月に創刊された。
そして1844年
には共同出資会社法が制定され,政府の特許を得なくても,自由に株式会
社を設立できるようになった。
同法は,①株主とは別の独立した法人格,
②株式の譲渡可能性,③株主の有限責任,この三つを法的構成要素とする
株式会社の起源となった。
この大英帝国の全盛期に,首相および蔵相とし
て経済自由主義や自由貿易を推進したのが,ホイッグ党(後の自由党)の
ウィリアム・グラッドストーンであった。
その後古典的リベラリズムは,特に米国では個人の経済活動の自由を重
視する方向と,個人生活や道徳の自由を重視する方向とに分岐した。
前者
が米国の保守主義の源流であり,後者が米国流リベラリズムの源流となっ
た。
保守主義は,個人の経済活動の自由を重視する一方で,道徳の自由に
制限を課す方向に向かった。
米国では独立戦争後に,自由が行き過ぎるこ
とへの懸念が生まれ,道徳や秩序の重視が保守主義の流れを形成した。
それが現在の共和党の政策にも反映している。
<ハミルトンとジェファソン>
米国のイデオロギー形成の歴史的経緯を遡ると,スミスが『国富論』を
150
著した1776年に米国が独立したのだが,その当時の米国では市場自由主義
の理解は乏しかったようだ。
建国の父たちは,私有財産制度に基づく立憲
共和制(constitutional republic)を目指したのだが,政府による民間経済
の統御や産業育成の必要性を認めるという点では重商主義的な傾向が残っ
ていた。
そうしたなかで,商人や銀行,製造業者の利益を擁護し,そのた
めに連邦政府の指導力を重視するアレグザンダー・ハミルトン(初代財務
長官)と,プランテーション経営者や農民の利益を擁護し,連邦政府より
も州政府の権限を重視するトマス•ジェファソン(第二代大統領)の意見
の相違がみられた。
私的な経済利益を重視する点で両者は共通していたが,ハミルトンが連
邦政府による私的利益の擁護を重視したのに対して,ジェファソンは連邦
政府の中央集権的な権限には不信感を抱いていた。
現代的な表現を使えば,
前者が都市在住のエリート層の代表であり,後者が地方在住の草の根派と
いえる。
ジェファソンは自由が行き過ぎることへの懸念を抱き,共同体内
の慣行や道徳を重視した。
ジェファソンは道徳や秩序を重視するという意
味での保守主義者であり,ハミルトンは経済的自由を重視するという意味
での保守主義者であった。
まだこの当時は,保守とリベラルは分岐してお
らず,また共和党も民主党も存在しなかったが,もし存在していたとすれ
ばジェファソンは共和党,ハミルトンは民主党に所属したであろう。
米国独立後ハミルトンは,英国のイングランド銀行に倣って,米国中央
銀行を設立することを主張した。
独立戦争時の植民地代表者会議ないし大
陸会議(Continental Congress,後の合衆国政府)は,continental currency
ないしcontinentalsと呼ばれる紙幣の発行によって兵士の給料などを賄っ
た。
独立後ハミルトンは,連邦政府の信用に基づき中央銀行券(新ドル)
を発行し,それによって独立戦争時の債務(continentals)を借り換えるこ
とを目論んだが,ジェファソンは,ハミルトンの案に反対した。
ジェファソンの反対理由は,新ドルへの切り替えを当て込んで,戦時債務
(continentals)を買い込んでいた投機家(主に東部の金融業者)を利する
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望 151
というものであった。
ジェファソンは農業を重視する人物で,「銀行は軍隊
よりも危険な存在だ」と言ったと伝えられる(注2 — 2)。
そうした観点から,ジェファソンは発券機能(中央銀行の負債をベースとした貨幣発行機
能)を持つ中央銀行の設立には反対したのである。
しかし結局ハミルトン
の案が採択され,「投機家(東部の金融業者)」は利益を得たのだが,その
ことがかえって私的財産権(所有権)の認知として評価され,米国資本市
場の発展に貢献したという。
security transfer (資産の安全な受け渡し)と
いう概念もこのとき以来定着した。
2.コモンローの伝統と衡平法の法理
独立当時の米国では,市場自由主義や経済自由主義の理解はまだ乏しか
ったが,民衆が政治的自由を希求する点では進歩的であった。
人民は生ま
れながらにして自由を追求する権利を持ち,その人民によって選ばれた政
府は,人権を保障する責任を負っていると考えられた。
米国では憲法制定
によって連邦レベルでの立法•行政•司法の三権を定めた後に,権利の章
典と呼ばれるio箇条の修正条項が起草採択され,それによって人権擁護が
図られた。
この権利の章典は,例えば修正第1条にあるように「連邦議会
は(中略)国民の権利を剥奪する法律を制定してはならない」といった形
の否定文で記されている。
ちなみに修正第2条では「規律ある民兵は自由
な国家の安全保障にとって必要不可欠であるから,国民が武器を保有する
権利を侵してはならない」とされ,銃の所有を正当化している。
この権利の章典は,英国のコモンローや衡平法(equity)に由来するの
であろう。
コモンローは英国に固有の帰納法的な法体系であり,長い時間
をかけて試行錯誤の繰り返しによって形成された。
英国で正義とは「悪いことはしない」あるいは「不公平なことは認めない」という否定形式で概念規定された。
しかし「悪いことはしない」ことを保障するためには,法
や秩序が必要となる。
この場合の「法」や「秩序」は,英国では法律や法
文(legal rule)というよりも,道理に基づく慣習的規則(customary rule)
152
を意味する場合が多い。
それは強制的な規制ではなく,黙示的な経験則な
いし良き慣行であって,社会の構成員が共有する社会的伝統を基盤とする。
こうした意味での「法」の上部には,「偏りのない観察者」として観念上の
神が存在する。
つまり英国では啓蒙思想とは別に,コモンローの法文化が個人の自由や
人権の思想を育んだ。
民主主義や資本主義が最初に発達した英国では,伝
統的慣行によって人権擁護や取引ルールを作るしかなかったのであろう。
そうした慣行が時代の変化に合わなくなったり,不公平な状況を引き起こ
したりしたときに,それを是正したり修正したりする法体系として衡平法
が生まれた。
衡平法(エクイティ)は,英国に固有の土地信託から派生した法であり,
受託者に対する委託者の権利を擁護し,コモンローの不備を補完した。
英国ではその昔,土地や財産の信託関係において,地主など原所有者(委託
者)の権利を保護し救済する必要が生まれ,それが次第に衡平法という法
体系となった。
衡平法の法理は,土地以外の財産問題にたいしても援用さ
れるようになり,それが1844年の共同出資会社法によって,株主(出資者)
の権利救済といった形で利用されたのである。
ひとつには,株式を所有し
ていた当時の投資家層が地主でもあったため,土地所有や土地信託に関わ
る信託法理からの類推によって,株主資本にも衡平法の法理を応用するこ
とが素直に受け入れたのかもしれない。
現代でも株式のことをエクイティ
(equity)というのはその名残りである。
英国で,そもそも信託や衡平法の考え方が生まれた起源は,封建制下で
の弱者の権利救済にあったのだから,封建制の終焉とともに衡平法による
救済制度も終了するはずであった。
ところが,封建制が瓦解するころまで
には,コモンロー上の所有権(支配権)と衡平法上の所有権(受益権)と
いう,二つの異なった性格の権利を区別する考え方が,英国の法制度のな
かに根深く浸透し,信託法ないし衡平法の法理を婚姻法や共同出資会社法
などへ応用する可能性が認識されるようになっていた。
ともあれ信託とい
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望 153
う法制度は,イングランド土地法から生じたものであるが,次第に一般的
な法制度として形成され,生活に関わる法の全領域にわたり実際的意義を
持つようになった。
フレデリック・メイトランド著『信託と法人』による
と,オーストリアの法学者ジョセフ・レートリヒは,「信託という法制度
は,もともとイングランドの土地法の必要から生じたものであるが,次第
に一般的な法制度として形成され,そして生活に関わる法の全領域にわた
り,実際的意義と非常に洗練された法的創造を獲得した」としている(注
2-3)
なおコモンローと衡平法は,1873-75年の裁判所法(Judicature
Acts)によって統合され,その後は統一の裁判所で運用されるようになっ
た。
前述のように,共同出資会社法の制定(1844年)によって衡平法の法理
が法人としての株式会社の株主の権利擁護につながった。
会社は結社の一
形態であり,政府の勅許(特許)を受けずに自由に会社を設立できるとい
う意味で,共同出資会社法は結社の自由を実現するものであった。
英米に
おいて株主の所有権は,この衡平法の法理によって救済ないし保護される。
すなわちコモンロー的観点からすれば,経営執行にあたる企業経営者の支
配権が優越するのだが,それでは出資者としての株主に不利だということ
で,衡平法の法理によって株主の所有権が救済されるのである。
株式会社と株主の関係を規定するこうした会社法制度と,それによって成り立つ資
本市場の存在が,英米両国の躍進の基盤となった。
衡平法でいう委託者を人民,受託者を為政者(政府)とみなせば,これ
は「法の支配」の考え方につながる。
「法の支配(rule of law)」は「法に
よる支配(rule by law)Jとは違う。
為政者(君主)でさえ法に従うという
のが「法の支配」の考え方だが,「法による支配」は為政者が法律によって
人民を支配する権威主義的統治論である。
法の支配の考え方は自然権思想
に通じる。
つまり最初に人権や自由が存在し,自由な個人が法的秩序を作
ると考えるのである。
自由を勝ち取った人民が統治権を為政者に委譲し,
その為政者も人民同様に法の支配に服すといった意味である。
「法」は「偏
154
りのない観察者」による柔軟な対応を可能にするが,法律(成文法)はひ
とたび制定されると固定化し,かえって抜け道を作る。抜け道をすべて塞
げば自由な経済活動や人権が阻害される。
トランプ大統領は,再三にわたって大統領令は発令し,みずからは訴追
を免れるために司法に圧力を掛けているようにみえる。
これは「法の支配」
が「法による支配」に変質しつつあることを窺わせるものである。
3.米国憲法にみられる保守主義
独立当初に制定された米国憲法は,法の支配という統治理念を具現化す
るために,連邦政府の権限を立法,行政,司法の三権を分離し,相互に説
明責任を負わせた。
ただしその連邦政府の権限は,憲法の規定の範囲内に
限定され,憲法に規定されないほかの広範な分野の権限は,州地方政府の
権限とされた。
憲法修正第io条は「この憲法が連邦に委任していない権限,
および州に対して禁止していない権限は,各々の州または国民に留保され
る」となっている。
これは連邦派(Federalist)が州権擁護派(Anti-
Federalist) に妥協した結果であり,連邦主義(Federalism)という米国の
国家形態のもとで,連邦政府と州政府の両者が同等の権限を有することに
なった。
そもそも米国憲法は,各州を連邦国家として統合して連邦政府を作り,
それを運営するための法である。
憲法第1条8節は連邦議会の立法権を国
防,国債発行,貨幣鋳造,外国通商など18項目に限定した。
そして具体的
な行政は,地元の市民社会の伝統や既往の慣行を重視して行われてきた。
それは市民社会の自治権や結社の自由を重視するボトムアップの政体であ
り,中央集権(連邦)政府の権力に対する警戒感が根幹にあった。
米国の
独立当時,欧州にはまだ絶対王政が存在したので,権力の集中を警戒する
とともに,市民社会の自主的秩序を希求する気運が高かったのであろう。
米国の政体が立憲共和制の形態をとったのは,絶対王政やローマカトリッ
ク教会に対するアンチテーゼとして米国が独立したからである。
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望 155
もともと連邦国家である米国では州の自治権が強く,州および地方レベ
ルでの社会的伝統を重視するから,保守主義の伝統が自然な形で存在する〇
都市に関する考え方に関しても,都市を生産や交易の場とみなす一方で,
緑の多い平穏な居住地としての安定を求める。
ちなみに欧州でstateというと国家を意味するが,米国ではstateは文字
通り州を意味する。
州が合衆国の母体であるというのが,連邦国家として
のUnited States of Americaである。
その米国では,保守主義者が「反動
的右派=排外主義=国粋主義」といったレッテルが貼られないで済む,世
界でも稀な国であった。
これも州の自治権が強い伝統に起因するのであろ
う。
もっとも時代を追うにつれて連邦政府の権限が強化され,最近では卜
ランプ政権の誕生によって,法の支配の理念も含め,米国政治が大きく変
わった。
トランプ政権の共和党は,フランスの国民連合(Front National,
旧国民戦線)に近く,右派色を強めているといえる。
それは交流サイトの
ようなデジタルメディアが過激な情報を発信するようになったためでもあ
る。
<米国の選挙制度>
ここで米国憲法に関連して,連邦議会議員の選挙制度の特徴をみてみよ
う。
米国連邦議会議員の選挙制度は,憲法起草時(1787年)に,各州間で
の妥協工作の結果として生まれたものであり,それは現代に至り寡頭制が
出来上がった要因のひとつでもある。
妥協工作の結果生まれた選挙制度と
は次のようなものである。
第一に,ロードアイランド州のような北東部の
小さな州の合意を得るために,上院議員数を州の人口数の多寡にかかわら
ず,各州一律に2名とした。
第二に,奴線制が残っていた南部諸州の合意
を得るために,下院議員数は各州の人口の多寡に応じて割り当てた。
奴線
には参政権がなかったが,下院の議席数を各州別に割り当てるうえでは,
奴線1人当たり5分の3人と計算されて,白人人口(非奴!t)数に加算さ
れた。
つまり奴謀5人で3人の人口と計算されたわけである。
この選挙制度(下院議員数を各州の人口数に応じて割り当てる制度)に
156
加えて,Gerrymanderと呼ばれる選挙区改変制度が実施され,奴京東制廃止
後現在に至るまで,少数の高所得者層が政治を支配する寡頭制を温存して
きた。
具体的には,共和党,民主党ともに自党が圧倒的に優勢なときに,
自党に有利な形で選挙区の区割りを変更することができる。
各州内の下院
議員の選挙区は小選挙区(1人区)なのだが,その小選挙区の区割りは州
議会の決定によって改変できる。
そのため各党が連邦下院議会を牛耳るた
めには,その党の支持者が州議会議員に献金したりロビー活動したりする
ことが有効である。
共和党の場合には,政治団体のAmerican Legislative
Exchange Council (ALEC)が,州議会や市町村議会への影響力を行使し
た。
このGerrymander制度があるため,下院議員の選挙区のほとんどが無風
区であり,2年に一回行われる下院議員選挙で,共和党候補者と民主党候
補者のどちらが当選するかは,選挙前からなかば自明である。
つまり下院
議員として当選するためには,11月の本選挙での勝利よりも,各党の候補
者を一本化するために行われる事前の予備選挙で,自党の候補者に選ばれ
るかどうかが決定的に重要である。
そして予備選挙で勝利して共和党の候
補者になろうとすれば,共和党色(保守化傾向)をより鮮明にしたほうが
有利となる。
Gerrymanderの仮設例として,下院議員選挙においてある州に5つの選
挙区があると仮定する。
5つの選挙区を全体としてみれば,民主党を支持
する有権者が過半数(全有権者数25人中15人)を占めている。
現状では,
図表1—2のような単純な区割りだと仮定すると,5つの選挙区のすべて
で民主党支持者数が過半数(5人中3人)を占めるので,5人の民主党候
補者が全員当選することになる。
しかしあらたに図表1—3のように区割
りを変更すれば,5つの選挙区のうち3つの選挙区で共和党支持者が過半
数を占めることになり,共和党候補者が3人当選する。
5つの選挙区全体
としては,民主党支持者が過半数(25人中15人)を占めるにもかかわらず,
民主党の候補者は5人中2人しか当選しない。
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望 157
図表1一3共和党3議席,民主党2議席
共 共 民 民 民
共 共 民 民 民
共 共 民 民 民
共 共 民 民 民
共 共 民 民 民
そこで例えば,共和党が連邦議会下院で過半数の議席を獲得するために
は,事前に州議会議員に献金したりロビー活動したりすることが有効であ
る。
実際州地方政府レベルでは,共和党系の政治団体が州議会や市町村議
会への影響力を強めた。
1980年代以降に共和党が南部諸州で躍進したの
は,こうした選挙戦術が奏功したためであった。
2012年の連邦下院議員選
挙でも,得票数では民主党が共和党を140万票も上回ったにもかかわらず,
議席数では共和党234議席,民主党201議席で,共和党が過半数を制する結
果となった。
そもそも選挙結果は,投票者の平均的な意見を反映するものではなく,
政治団体や業界団体のように資金力がある団体の偏った意見を色濃く反映
する。
個々の選挙民には,複雑な政治経済問題に関する情報を収集し,そ
れを克明に分析する時間や資金がないので,選挙結果は,マスメディアや
デジタルメディアを媒体とする政治団体の意見広告や広報宣伝活動によっ
て影響される。
また低所得者層は選挙での投票率が低いし,政治に対する影響力も弱い。
ちなみに大統領選挙の投票率が56%であるのに対して,中間選挙(大統領
選挙が行われない偶数年の連邦議会選挙)の投票率は38%である(1976年
から2008年までの平均値)。
これは,ひとつには投票日が火曜日なので,
就労時間を拘束され自由に日程調整ができないような低所得者層は,投票
所に行く時間的余裕がないためでもある。
火曜日が投票日という慣行は19
世紀以来のものである。
農業が主要産業であったその当時,馬車で投票所
まで往復するには長時間を要し,週末の安息日と水曜日の農産物市場開催
158
日を避けようとすると,投票日としては火曜日しか選択できなかったから
である(注2 — 4)。
4.冷戦時代の米国政治
イデオロギー色が弱かった米国でも,共産主義やファシズムの脅威が高
まった1930年代から米ソ冷戦が続いた1980年代までの間は,リベラリズム
は左傾化し保守主義は右傾化して,両派間の対立が激化した。
まず米国流リベラリズムが1930年代以降のニューディール政策によっ
て時代潮流になったのだが,その背後には1920年代の経済自由主義が大恐
慌を招いたという反省があった。
1930年代の大不況が凄まじかったため,
市場経済システムの賛美は下火になり,私的財産権や契約の自由よりも,
集団的福祉が重視されるようになった。
ニューディール政策は,資本主義
にメリットがあることを強調するために,社会福祉や庶民の持ち家促進な
どによる所得再分配政策を取り入れた。
それは修正資本主義ともいえるも
ので,この段階で米国流リベラリズムは左傾化した。
私的財産権は経済活
動に関わる次元の低い権利とみなされ,社会福祉の受益権が次元の高い権
利として位置付けられた。
言論・移動•教育•職業選択の自由を政府が制
限することはできないが,私的財産権は公益のためにある程度制限できる
ことが暗黙の了解とされた。
個人の経済的権利が公益の前に制限されるようになったのである。
ニューディール政策は,19世紀末から20世紀初めにかけて開花した革新
主義ないし進歩主義の延長線上に位置づけることができる。
例えば1910年
代に,憲法修正第16条によって所得税が導入されたのだが,その当時は,
所得税が私的財産権の侵害に当たるという理由で,所得税導入には反対論
も根強かった。
しかし導入後には,最高限界所得税率が1930年代に70%台,
また第二世界大戦中は一時期90%台に高まり,所得再分配政策としての役
割を担った。
また労働条件も大幅に改善され,1938年には週5日(週40時
間)労働が法制化された。
その後1954年には共和党のアイゼンハウアー政
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望 159
権の副大統領であったリチャード•ニクソンでさえ,週4日労働を提唱す
るほどであった(注2 — 5)。
しかし修正資本主義は,1970年代にかけて
高インフレや労働組合運動の激化によってその弊害が目立つようになり,
その反動で1980年代のレーガン政権に代表されるような保守主義が台頭
した。
保守派の論客ケヴィン・フィリップスが指摘したように,こうした急進
的な保守主義は1964年の大統領選挙に出馬したバリー •ゴールドウォータ
一(元上院議員)や,1968年の大統領選挙に第三政党(米国独立党)の候
補者として出馬したジョージ・ワラス(元アラバマ州知事)を先駆けとす
る(注2 — 6)。
レーガン大統領が「政府は我々の問題に対する解決にはな
らない。政府こそ問題である。」と述べたとき,彼のいう「政府」とは,独
裁政権や非効率な政府ではなく,普通の標準的な政府を念頭に置いていた。
つまり普通の政府が民間経済へ関与すること自体を否定したのである。
それと同時に1980年の大統領選挙でレーガンを支持した人々のなかには,宗
教,文化,道徳上の諸問題に対する意識の高い人々が大勢入っていた。
実際レーガン政権は,個人道徳の分野で,妊娠中絶や同性婚へ反対するとと
もに,教会での礼拝や学校での国旗掲揚を奨励した。
「レーガン連合」と呼ばれた支持者たちは,
①経済自由主義,②伝統的な社会道徳の重視,③安全保障上の強硬姿勢(タカ派外交)
を三本柱として結集した。
このうち②は保護主義や排外主義の色彩を帯び,「小さな政府」
といったレトリックとは裏腹に,高齢者医療など社会福祉には寛容であっ
た。
また③も軍備増強という意味で財政赤字拡大をもたらした。
そうした
意味では,レーガン政権の保守主義は,東部エスタブリッシュメントを中
心とした伝統的な保守主義ではなく,南部に軸足を移した反エリート,反
エスタブリッシュメントの急進的な保守主義であり,そこにはすでにポピ
ユリズムの萌芽が芽生えていた。
現在でもポピュリズムに賛同する反エリート層(中低所得者や地方在住
者)からすれば,金融機関やマスメディアの関係者がエリートとみなされ,
160
そうしたエリートの行動に規制や制限を加えようとする。
エリートにはりバータリアンが多く,そのリバータリアンが政治経済を動かすことに対し
てポピュリストは反対する。
「偽ニュース(fake news)Jというレッテル
も,正統派マスメディアに対するポピュリストの反感の表れかもしれない。
リバータリアニズムとポピュリズムは対極に位置するわけで,現在の米国
社会を分断する状況を生み出した。この二つのイデオロギーが現在の米国
では際立っており,保守とリベラルに代わる新たな対立軸となっている。
5.米国の政治サイクル
第1章で述べたように,米国には19世紀の段階からポピュリズムとリバ
ータリアニズムの萌芽があり,それが21世紀に入って開花したとみること
ができる。
その間20世紀には,共産主義の脅威もあって,穏健な保守主義
とリベラリズムといった建国当時の伝統が政治の表舞台を支配し,ポピュ
リズムとリバータリアニズムは影を潜めていた。
そして保守主義とリベラ
リズムは,概ね30年間程度のサイクルで循環的に交代していた。
これはア
ーサー・シュレジンガーJr・が指摘して点で,より正確にいえば,米国には
社会全体の利益(公益)を優先する立場と,個人的な経済利益(私益)を
優先する立場とがあり,前者が米国流リベラリズムで,後者が保守主義で
ある。そして両者がほぼ30年周期で交代した(注2 — 7)。
景気循環において内在的メカニズムが駆動するのと同様に,政治循環も
世代交代によって内在的に駆動する。
「内在的」という意味は,私益を重視
しすぎると市場の失敗が起き,反対に公益を重視しすぎると政府の失敗が
起きるから,両方の方向にいわば振り子のように自動的に揺れ動くという
ことである。
市場が失敗するとリベラル派が政治の主導権を握り,明るい
未来の実現を政府に託す。
逆に政府が失敗すると保守派が政治の主導権を
握り,市場が繁栄を保障していた過去を再現しようとする。
こうした米国政治の長期循環を19世紀後半まで遡ると,保守とリベラル
に加えて,ポピュリズムとリバータリアニズムが絡み合ってくる。
現代の
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望 161
米国の所得格差とそれに起因する政治的混乱は,鉄鋼,鉄道,石油などの
産業でトラスト(企業合同)と呼ばれる巨大企業が台頭した19世紀末の状
況との類似点が多い。それはリバータリアニズムとポピュリズムとの抗争
の時代であった。
<米国のトラスト>
19世紀後半から20世紀初頭にかけて米国の産業界では,トラストと呼ば
れる企業組織が企業統合を推進した。トラストは日本語では「企業合同」
と訳されるが,一種の持株会社組織である。
トラストみずからは事業経営
を行わず,各州に分散する事業会社を傘下におさめて利益を吸い上げた。
最初のトラストは,1879年に設立されたスタンダードオイル(現在のエク
ソンモービルやシェブロンの前身)だが,その直後に鉄鋼のUSスティー
ル,金融のJPモルガンなどもトラストを形成した。
ほかにも砂糖トラス
卜,ウィスキートラストなどが続々と形成され,「産業の総帥(captain of
industry)Jと呼ばれる資本家が,トラストの受託者となった。
1900年代初
頭には全米で約300のトラストが存在して,米国製造業資本の40%を占め
るまでに増大した。
もともと米国では,政府の民間経済への介入を避ける意識が強く,うっ
かり法人企業組織の株式会社にしてしまうと,政府の介入によって解散さ
せられたり資産を没収されたりするおそれもあった。
そこで,英国の「法
人格なき会社」のアイディアが,19世紀後半の米国で盛んに利用されるよ
うになった。
英国の「法人格なき会社」は信託法を根拠法にして設立され
たが,それに因み,米国では「法人格なき会社」をトラストと呼ぶように
なった。
ひとつには,英語のtrust (信託)の中に「受託者の管理下に移管
された地所」といった意味があり,それが米国では,地所の代わりに株式
が委託され,委託先の企業組織をトラストと呼ぶようになった。
フレデリック・メイトランド著『信託と法人』によると,米国における
トラストの発生は,信託と会社を結びつける出来事であった。
トラスト発
生の一因は,州の経済自治権が強かったことによる。というのはこの当時,
162
ある州の州法によって設立された株式会社が,別の州の法人の株式を保有
することが禁じられていたからである。
そこで他州の法人を買収するため
に,買収者側はトラストを作り,他州法人(被買収会社)の株主にたいし
て信託証書(受益権証券)を交付し,その信託証書との交換で被買収会社
の議決権株を供託させる方法がとられた。
トラストの当初の目的は,規模の経済効果を達成することにあったが,
次第に競争制限が目的となった。
トラストが信託本来の機能を超え,競争
制限的な資本結合を行う独占企業体となったのである。
投資家から資金を
集め,受託者を中心とする企業組織を形成し,傘下の事業会社(州法人)
から生まれる利益を巨大な資本として集積する,そういった企業組織形態
がトラストであった。
発生史的にいえば,英国の「法人格なき会社」は,東インド会社のよう
な特許主義の公的独占企業として設立されたのだが,それが米国に渡って,
英国とは逆に国家介入を排除する目的で私的独占企業へと変質した。
また
英国の産業革命は分業による生産性向上をもたらしたが,米国では分業が
さらに専業へと変化し,専業企業が独占や寡占を形成するようになった。
広大な市場が存在する米国では,企業統合によって規模の経済効果を最大
限に発揮できたから,産業の総帥たちが競ってトラストを形成した。それ
がさらには価格支配力も強める独占や寡占にもつながった。
こうした状況を受けて進歩主義ないし革新主義(progressivism)の政治
潮流が高まった。
共和党のウィリアム・マッキンレー大統領とセオドア・
ルーズベルト大統領の政権下(1897年から1907年まで),政治,経済,社
会の各分野で革新的な政策が実行された。
例えば所得税制(憲法修正第16
条)や反トラスト法と呼ばれる独占禁止法制が実施された。
女性の参政権
(憲法修正第19条)も確立した。
こうした革新的政策は,19世紀後半から
台頭したポピュリズムや西欧の社会主義の影響を受けたものであり,自由
(私益)よりも平等(公益)のほうに力点が置かれるようになった。
1913年の連邦準備法により設立された連邦準備制度(米国中央銀行)に
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望 163
も,この革新主義運動の一環という側面があった。
同制度の設立原案は,
北東部の銀行業界の支援によってオルドリッチ=ヴリーランド法(1908年
制定)として打ち出されたが,その原案では,民間銀行家を役員とする全
国準備協議会(National Reserve Association)を設置し,その傘下に貨幣
発行と商業手形の再割引を主業務とする支店を置く予定だった。
しかし貨
幣発行権を銀行家が独占することに対して,ブライアン(元人民党党首で
連邦準備制度創設当時の国務長官)を筆頭とするポピュリストたちが強硬
に反対し,連邦政府の債務(国家債務)とすることを要求した。
結局,紙
幣を連邦準備銀行の負債(連銀券)とすることで妥協が成立したが,政府
の貨幣制度への関与を示すため,形式的にドル紙幣の表面に財務長官の署
名が記入された。
ちなみに連邦準備銀行が設立されるまでの米国では,国
法銀行が国債を資産として保有し,その見返りに発行する国法銀行券(現
金通貨)と,州法銀行が要求払い預金を見合いとして発行する小切手(預
金通貨)が貨幣として流通した。
<大恐慌,偉大な社会>
その後1920年代の繁栄期には,ハーディング,クーリッジ,フーバーと
三代にわたって共和党政権が続いた。
クーリッジ大統領はuThe chief
business of the American people is business** (米国人の主7こる仕事は民間
企業の経営だ)と述べて民間経済を礼賛した。
しかし1929年のニューヨー
ク株価大暴落を境として,1930年代以降,主として民主党政権下で社会福
祉政策や累進所得税制が実施され,政府による所得再分配が行われた。
これに関しては,1930年代以降共産主義やファシズムの脅威が高まり,資本
主義を修正して対応する必要が生じたという事情もある。この間下院では
一貫して民主党が過半数の議席を占めていた。
しかし1960—70年代になると,ヴェトナム戦争と「偉大な社会」や「貧
困との闘い」といった経済政策が財政赤字とインフレをもたらし,米国製
造業が弱体化した。
その時代には南部在住の黒人労働者が北東部工業地帯
へと大移動(Great Migration)し,白人労働者と黒人労働者の不和を引き
164
起こした。
また北東部工業地帯の都市の一角がスラム化した。
こうした事情を背景に,ニクソン大統領が指名したルイス・パウェル最
高裁判事が「企業よ,武器を持て」(1971年)と述べ,ニューディール政
策を撤回する動きが高まった。
1973年にニクソン政権が打ち出した麻薬撲
滅運動(War on Drug)によって多数の麻薬常習者が収監されたが,当然
その中には北東部工業地帯に移住した黒人労働者も含まれた。
ちょうどそ
のころヘリテージ財団やケイトー研究所といった保守系シンクタンクがワ
シントンに相次いで設立され,高所得者層の人々がそうしたシンクタンク
の活動を財政的に支援した。
保守系シンクタンクは,個人の自由(individual
freedom)尊重といった理念を担ぎ出し,労働組合の集団交渉カの弱体化
を画策した。
高所得者層が政治的広報宣伝活動に資金を投資し,それが
1980年代のレーガン政権の誕生にも多大の影響を与えた。
1980年代以降,
それまでのリベラリズムの政策に対する保守派の反発が高まり,それがさ
らに1990年代以降になると,市場原理主義という意味でのネオリベラルの
経済思想となって突出した。
なお米国の政治循環は,私益を重視する保守主義の時代には共和党政権
が多く出現し,また公益を重視するリベラリズムの時代には民主党政権が
多いといった傾向を生むが,いくつかの例外もある。
例えばリベラリズム
の末期に当たる60年代後半から70年代前半にかけて,当時のニクソン政権
は共和党であったが,多くの社会政策を実施した。
また賃金物価統制とい
った形で民間経済にも介入した。
逆に保守的な経済政策の勃興期であった
70年代後半に登場したカーター政権は民主党であったが,規制緩和や均衡
財政など保守主義への傾斜をみせていた。
1980年代以降の保守化傾向は司法制度にも影響を与えた。
保守主義が台
頭するなかで司法(裁判所)も保守化した。
1970年代のニクソン政権下で
最高裁判事となったウィリアム・レンキストが代表的な保守派の裁判官で
ある。
レンキストは,稀に見る接戦となった2000年の大統領選挙で,フ口
リダ州の投票結果の再集計を求める民主党側の訴えを却下したことで知ら
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望 165
れる。
レンキストと並ぶ保守派の判事はアントニン・スカリアであり,2016
年初めスカリアの死後,当時のオバマ大統領がメリック・ガーランドとい
うリベラル派の判事を指名したが,共和党が多数を占める上院がその承認
を拒否し,保守派が最高裁判事の過半を占める状況が続くことになった。
6.保守とリベラルの衰退
シュレジンガーJr・が提起した米国の政治循環からすれば,1980年代以降
30年以上にわたって続いた保守主義の時代は終わり,2010年代以降はリベ
ラリズムの時代に移行してもよいはずだが,現実にはポピュリズムが台頭
し,リベラリズムや保守主義は後退している。
前述のように,ポピユリズ
ムは独裁専制国家の要素を帯びやすい。
この点はシュレジンガーJr・も論及
しており,公的利益の代弁者と私的利益の代弁者の双方が腐敗したり失敗
したりしたときに,国粋的な独裁専制政権が誕生する可能性があることを
指摘していた。
ポピュリズムの傾向が強いトランプ大統領の登場も,この点に関連して
いる。
1990年代から2000年代にかけて,フィナンシャリゼーションとグロ
ーバリゼーションが米国の経済政策の二本柱となり,それが破綻してリー
マンショックが起きた。
この金融危機の収拾に当たったのが2008年の大統
領選挙で当選した民主党オバマ政権であった。
オバマ大統領は就任当初,
財政政策によって金融危機に対応したが,2010年以降に共和党の急進派
(茶会党のグループ)が財政赤字拡大に強硬に反対したため,財政政策に代
わって量的金融緩和政策が前面に打ち出された。
量的金融緩和政策によっ
て金融危機は一応収束したが,その副作用として資産価格が上昇し,資産
保有者(高所得者層)と低所得者層の所得格差が拡大した。
財政支出抑制
のため社会保障費は制約を受け,財政による所得再分配がむずかしくなり,
低所得者層が困窮するなかで,高所得者層が巨額のボーナスを得るといっ
た状況が生まれた。
その結果,低所得者層の不満が高まって,2016年の大
統領選挙でトランプ大統領が登場した。
古今東西を問わず,既存の政治勢
166
力が崩壊すると,しばらくの間混乱期が続き,その後に独裁専制政治への
回帰が起きるのが通例である。
ソ連崩壊後のロシアの混乱は,プーチンと
いう剛腕政治家の登場によってある種の秩序回復が可能になった。
この点に関しては,インドのカースト制の循環が参考になるかもしれな
い。
1993年のイグノーベル賞受賞者のラヴィ・バトラは,インドの思想家
プラブハット・ランジャン•サーカーのカースト制度に基づく階級交代論
を紹介している(注2 — 8)。
なおイグノーベル(Ig Nobel)賞は「不名誉
な」ないし「下品な」を意味する英語ignobleをもじった,なかば皮肉の
賞である。
サーカーによると,世の中は武士や王侯(クシャトリア),僧侶
や司祭者(バラモン),農業,牧畜,商業に従事する庶民(バイシャ),
属階級(スードラ)によって構成される。
現代の僧侶には学者や知識人が
含まれ,商人には銀行家やハイテク企業の経営者が含まれ,線属階級には
低所得者層が含まれると考えればよい。そして独裁専制政権の指導者たち
は武士や王侯に相当する。
人類の歴史は,武士や王侯による平定期,僧侶や司祭者による安定期,
商人による繁栄期,款属階級の反乱による混乱期の繰り返しであった。
第二次世界大戦後ブレトンウッズ体制のもとで為替管理や金融規制が行われ
ていた時代は安定期だった。
その後のグローバリゼーションやフィナンシ
ャリゼーションの時代は,まさに商人階級の繁栄期であり,それが2008年
から2012年にかけての大金融危機によって混乱期へと移行した。
ポピユリ
ズムは現代版混乱期の兆候といえる。サーカー流にいえば,この混乱期の
後には,クシャトリア(武士や王侯)による平定期が待っているかもしれ
ない。
<リバータリアニズム対ポピュリズム>
米国流リベラリズムの衰退は,その存立基盤が空洞化したためである。
米国流リベラリズムの指導理念は,所得階層間の上下移動,社会構成員相
互間の連帯,市民としての義務といったものであった。
1960年代から70年
代にかけての「貧困との闘い」や「偉大な社会」といったスローガン,公
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望 167
民権運動などもリベラリズムの一環であった。
それが1980年代に入り個人
の経済的自由や小さな政府を指導理念とする保守主義に取って代わられ
た。
そうしたなかでリベラリズムは,個人の経済的自由に代わる理念ない
し国民的ヴィジョンを打ち出せないでいる(注2 – 9)〇
民主党リベラル派
は,象牙の塔に閉じこもった形で一般大衆から遊離し,広範な市民の支持
を結集できない。
リベラル派が独自の存在理由を打ち出そうとしても,そ
れは個人主義の壁に阻まれてしまう。
数十年後にはラテン系やアフリカ系
の米国人が人口の過半数を占め,リベラル派への支持が高まるといった希
望的観測もあるが,「待てば海路の日和あり」といった消極的スタンスでは
再生は困難であろう。
オバマ大統領の「希望と変化」というスローガンに
もそうした希望的観測が込められていた。
1980年代以降に隆盛した保守主義も長続きせず,今では保守主義も劣勢
である。
1980年代以降保守主義が優勢であった時代の米国では,石油開発
やハイテク産業が勃興し,米国南西部サンベルトへと人口大移動が起きた。
親族や地域社会との絆を断ち切って新天地を求め南西部に移動した人々
は,未知との遭遇によって個人の経済的自立を迫られた。
自動車や家電の
高機能化による利便性向上も個人の自立を助けたし,少子化で家族の絆も
薄くなった。
南西部に移動した人々は,あらたに共和党支持者となって保
守主義を助長した。
しかし彼らは反エリート,反エスタブリッシュメント
の急進的保守主義者であり,ポピュリストに近い存在でもあった。
加えて
金融,技術,エレクトロ二クス産業(前述のFTE産業)が台頭し,そう
した産業に従事する人々の多くがリバータリアニズムの方向へ傾斜して,
旧来の保守派が持っていた伝統的な道徳観が一掃された。
すでに述べたように,ポピュリズムは一貫した思想体系ではないので,
その主張は常に揺れ動く。
こうしたことは共和党も一貫した主義主張を持
たない大衆迎合的な政党になったことを意味する。
特に国民の公僕である
はずの連邦議会議員は,トランプ大統領の独断専行に歯止めを掛けられず,
むしろ大統領を支援する取り巻きの加担者になった感がある。米国の変質
168
に関する共和党の責任は大きいであろう。
元来「小さな政府」を標榜した
共和党が,「大きな政府」を体現するようになったともいえる。
現代では保守とリベラルがともに劣勢となり,高所得者はリバータリア
二ズムへ,また中低所得者はポピュリズムへと傾斜した。
イデオロギーの
対立軸は,従来の保守対リベラルからリバータリアニズム対ポピュリズム
になった。
リベラル派があたらしい指導理念を打ち出すとしたら,それは
民主党が左傾化し,付加価値の創造とその分配方法(所得再分配),労働者
の権利保護や自然環境の破壊防止などの政策を提案する場合であろう。
ミレニアル世代(概ね1980年代から90年代央にかけて生まれた世代)が社会
の中核を形成する時代になれば,こうした政策課題に対する理解が深まる
かもしれない。
実際若者の間では「資本主義」という言葉には富の集中と
いった語感があり,嫌悪感を抱き社会主義運動に共鳴する者もいるようだ。
シュレジンガー Jr・が提起した政治循環が,社会主義への傾斜といった形で
蘇る可能性もある。
労働者による支配や共有財産制までに行かなくとも,
新しい階級意識が高まっているのも事実である。
それはリバータリアンの
驕りや特権階級意識,自己陶酔などに対する反発でもある。
英国でも社会
主義を標榜するジェレミー・コービンが労働党党首になっている。
7.市場自由主義と民主主義の劣化
米英型の国家統治モデル(アングロサクソン・モデル)は,市場自由主
義の経済(経済自由主義)と自由民主主義の政治との組み合わせによって
成功をおさめ,世界全体に適用可能な標準的統治モデルとみなされてきた。
アングロサクソン・モデルが世界的に魅力を持っていたのは,両国が富や
国力をバックに経済的に繁栄し,経済成長と所得再分配によって自由民主
主義の政治が保全されてきたからであった。
また全体主義の独裁専制国家
が経済的な繁栄をもたらさないという過去の経験も,自由民主主義の持続
可能性への確信を高めてきた。
しかし近年におけるポピュリズムの高まり
は,民主主義と市場自由主義の組み合わせに対する不信感の表明であり,
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望 169
第二次世界大戦後の国際秩序の基盤に対する挑戦といった意味でも大問題
を提起している。
これまでのアングロサクソン・モデルの成功は,国家政府,市場経済,
市民社会の三者間の微妙なバランスの上に成り立っていた。
保守とリベラ
ルが対立を続けながらも,法の支配と個人の自由の尊重という点では折り
合って妥協し,市場自由主義と民主主義の政治とのバランスを維持した。
しかし今やそのバランスが失われ,アングロサクソン・モデルが劣化しっ
っある。
政府,民間経済,市民社会のそれぞれが培ってきた内部秩序や規
律が,行き過ぎた自由の追求の結果として失われた。
古典的リベラリズムは,人権の解放という意味での自由を提唱したが,
その自由は,内部管理や自己規律によって癒着や腐敗を排除することを前
提としていた。
しかし現代のリバータリアニズムは,際限のない自己利益
や欲望の追求を意味するようになり,所得格差が拡大し,その反動でポピ
ユリズムが強まった。
ポピュリズムを代弁する政権が登場し,対外的には
保護主義的傾向を強め,自由市場経済を阻害するようになった。
自由民主主義は事前に想定された使命を全うし終末期に入ったのかもし
れない。
実際,現在の米国はローマ帝国の末期を思い出させる(注2 —
10)〇
もちろんロシアやトルコのような独裁専制国家が順調に経済発展を
遂げているわけではないが,1990年代から2000年代初頭にかけて,米国や
英国が市場自由主義と自由民主主義の明るい未来を提起した状況とは様相
が異なるのも事実である。
旧ソ連崩壊後,市場自由主義と自由民主主義と
は相互に融和的な秩序を形成し,世界標準のモデルを築いたが,もはや米
国は民主主義と市場経済を標榜する国家として,普遍性のある理念を提示
できない。
現在の米国は,所得階層別,地域別,世代別に分断化され,ひ
とつの思想的テーマや普遍性のある理念によって国民の意思を結集するこ
とができないからである。トランプ大統領の登場によってそのことがいっ
そう明確になった。
170
<トランプ政権の特質>
第二次世界大戦以後の米国の対外政策は,国際協定を重視する多国間主
義であり,①同盟国との集団安全保障,②多国間貿易を軸とする経済的利
益の共有,この二点が基本理念であった。
しかしトランプ政権は,米国の
利益を優先する一国主義を標榜し,集団安全保障と多国間貿易に基づく経
済的利益とを分離し始めた。
TPP (環太平洋経済連携協定)やパリ協定か
らの離脱を始め,経常収支の黒字国に対する防衛費負担増の要求がすぐに
想起される。
2018年7月のNATO (北大西洋条約機構)の加盟国会議にお
いて,トランプはドイツの防衛費負担増を求めたが,経常収支黒字国(ド
イッ)との安全保障協定は,黒字国に対する米国の補助金とみなしている
ようだ。
外国との対外関係を遮断すれば,国家統治は相当に簡単になるであろう。
遮断までしなくても,多国間協調よりも二国間交渉のほうが容易であろう。
政治経験のないトランプ大統領が保護主義や排外主義に偏るのは,そうし
た計算(統治や交渉の容易さ)が働いたからかもしれない。
実際,米国の
利益と主権意識をむき出しにして,国際協調を踏みにじるトランプ政権の
対外戦略は,きわめて簡明である。
トランプ政権の外交政策のひとつの特
色は,米国,中国,ロシアなど少数の巨大国家による寡頭国家体制の構築
である。
これは米国内の富豪階層による寡頭制の国際版ともいえる。
多数
の国家との協調よりも,少数の巨大国家との交渉のほうが容易だとみなし
ているのかもしれない。
実際,2018年7月ヘルシンキでのトランプ・プー
チン首脳会談の前日,トランプはスコットランドにある自己所有のゴルフ
コースでプレーを楽しんだという。事前の準備や参謀によるブリーフィン
グなしで会談に臨めたのも,複雑な戦術や手続きが不要だったからであろ
う。
トランプ大統領は,自由や平等といった普遍的価値には固執しないので,
中国やロシアの反西欧的な文化価値や歴史観も拒否しない。
また南シナ海
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望 171
地域での中国の勢力拡大や,旧東欧圏でのロシアの勢力拡大にも拘泥しな
いようにみえる。
大統領政権(行政府)が強い権限を持つ国家政府,自国
固有の伝統的文化の重視,国外からの移民の流入制限,自由貿易や資本移
動の制限,こうした政策は19世紀の列強体制への回帰を想起させる。
米国
が独裁専制の方向に傾斜することは,中国やロシアにとっても大歓迎であ
ろう。
両国とも,米国と軍事的に衝突することは望まないであろうが,自
由で開放的な欧米の思想が中国やロシアに浸透することは,習近平政権や
プーチン政権にとっては避けたいであろう。
国際版の寡頭支配体制は,両
国の望むところであろう。
第3章で述べるように,先進国経済は低成長,高債務,所得格差といっ
た三重苦に陥っているが,その三重苦の最大の犠牲者は,米国内の中低所
得の白人労働者階層である。
トランプは彼らの間でポピュリズムを煽るこ
とによって当選したが,大統領就任後の政策(減税や保護貿易)をみると,
逆に中低所得者層の人々を苦しめることになるであろう。
実際大統領選挙において,白人労働者階層の支持を取り付ける手つ取り
早い方法は,減税や保護貿易の必要性を訴えることであった。
減税は所得
の増加をもたらすようにみえるし,保護貿易は国内産業を育成するように
みえる。
しかし減税をしても恩恵に浴すのは高所得者層であり,低所得の
白人労働者は,減税に伴う財政赤字拡大によってむしろ悪影響を受ける。
金利上昇や歳出削減などによって生活を圧迫されるからである。
また国内
産業保護のための高輸入関税は,安価な輸入製品の減少によって物価上昇
をもたらす。
したがってポピュリズム的政策によって被害を受けるのは,
低所得層の白人労働者のほうである。
そのため高所得者層やエスタブリッ
シュメントに対する反感が強まり,ますます社会的な不安定が増長する可
能性がある。
<2017年の税制改革の影響>
トランプはポピュリストの支持を得て大統領選挙で当選したが,就任後
には大規模減税や金融規制緩和を実施して,リバータリアンの要請にも応
172
えようとした。
もちろん同時に,保護主義的な貿易政策でポピュリストの
支持に応えようとしているが,この両者をともに満足させようとすれば,
財政赤字と貿易収支赤字の双方が拡大して,米国の経済力は低下するであ
ろう。
トランプ政権と共和党議員の主導で実現した2017年税制改革法(Tax
Cuts and Jobs Act of 2017)によって,高所得者層および富豪階層の優遇が
いっそう色濃くなった。
この税制改革では,一種の外形標準課税である代
替最少税(Alternative Minimum Tax)の税率引き下げや,パススルー (Pass
Through)と呼ばれる法人格のない事業体(パートナーシップ,REIT,個
人営業主など)向けの減税が行われたが,これらは高所得者層を優遇する
ものである。
また2017年税制改革法では,税収確保の一環として,負債利
子の損金算入に上限(所得控除の限度を借入額75万ドル相当額の利息支払
いに限定)を設けたが,この損金算入の上限規定は,商業用不動産購入の
ための借り入れには適用されない。
これは不動産業者の政治的影響力によ
るものであろう。
また連邦所得税の計算上,州地方税の支払い額は,連邦
所得税の課税対象所得から控除できるが,この制度に1万ドルの控除限度
額を設定した。
これはニューヨーク州やカリフォルニア州のように州地方
税率が高い州の居住者の間では不評だが,両州は民主党の地盤だから,共
和党政権としては痛手が少ない。
また米国の社会保障税(payroll tax)は,年収127,200ドル以上の高額所
得にはかからないし,相続税の課税最低限も極端に高く,日本円換算で約
11億円以下の相続財産は非課税である。
こうした制度の存在は,高所得者
層が政治的な影響力を行使した可能性を窺わせる。
産業構造の変化に伴う
競争激化の衝撃を吸収する所得再分配政策が機能不全に陥ったのである。
2017年税制改革法による減税は歳出削減に拍車をかけ,所得格差を拡大さ
せているともいえる。
高所得者層は,法人税減税と高所得者優遇税制を推
進する一方で,税収減による財政赤字拡大を阻止するため,一般歳出だけ
でなく社会保障費など義務的歳出の削減も求める。
減税によって財政赤字
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望 173
が肥大化すると,将来増税が必要になり,高所得者層の税負担が増加する
おそれがあるからである。
<対立構造の複層化>
米国では,冷戦時代の宿敵ソ連が崩壊してから,国内政治面で,まず民
主党と共和党の対立が激化し,次いでポピュリストとリバータリアンの対
立が生まれ,融和的な政治的合意や建設的な公共政策の決定ができなくな
った。
これは,論争と対決によって問題解決を図ろうとする米英流の民主
主義の弱点を露呈するものであり,社会システムの変革も妨げられるよう
になった。
80年代のレーガン政権時代までは,南部の保守的な民主党議員
と北部の穏健な共和党議員が妥協して,数多くの超党派法案を成立させた。
しかし最近では,両党の支持基盤と議会勢力が左右両翼だけでなく,上下
の所得階層に分かれて対立し,越党派の妥協成立の余地がない状況に至っ
た。
南部で急増するヒスパニック(スペイン系)やアジア系住民は,革新的
な民主党議員を支持するが,同じ南部でも特定地区の白人層は,共和党の
強硬な保守派議員を支持する。
南部在住の白人のなかには,従来北部に在
住した穏健な共和党支持者が,退職後にフロリダ州など気候温暖な南部に
移住して強硬な保守派に転じた人々なども含まれる。
彼らは現状維持に固
執する。
中高年の退職者は,議会で予算審議が紛糾し歳出執行が停止して
も,彼らが受給する年金など社会保障費は個別の制定法によって守られて
いる。
歳出執行停止の影響を直接受けるのは,リバータリアンを含む現役
世代の若年層だから,世代間の政治抗争に発展する可能性を秘めている。
もともと財政政策は歳出と歳入の両面で所得再分配の要素を持ってい
る。
歳入面に関していえば,所得税は,主として現役の労働者世代が負担
する。
国債発行による財政資金調達の債務負担(利払と満期償還)は,将
来この労働者世代が退職したあとの新労働者世代に持ち越し,新世代が旧
世代を支えることになる。
また歳出面では,高齢者向けの社会保障費など
の経常支出が嵩むと,道路や橋など社会インフラ投資(公共投資)への資
174
金配分が削減されて,将来の経済成長を妨げる。
したがって歳出歳入の両
面でバランスをとる必要があるのだが,例えば資産課税といった形で豊か
な高齢者層から若年者層へ所得を移転するのは政治的に困難である。
トラ
ンプ政権内では,譲渡資本所得(キャピタルゲイン)の課税軽減を目論む
動きさえある。
財政赤字や政府債務の削減は,米国だけではなく日本を始
めとして膨大な政府債務残高を抱える国々に共通の問題だが,米国の場合
には所得格差が大きい分,富裕層の政治的影響力が強く,所得再分配政策
の実施がむずかしい。
8.富豪階層による寡頭政治
もともと古典的リベラリズムは,「人権を解放する」といった意味で,自
由民主主義と市場自由主義の組み合わせを実現しようとした。
これがアン
グロサクソン・モデルと呼ばれる国家統治モデルの土台であり,それを米
英両国が250年以上の期間にわたって維持してきた。
その間共産主義やフ
アシズムなど全体主義のイデオロギーは,自由民主主義や市場自由主義の
前に破綻した。
特に米国の統治モデルはイデオロギー色が薄く,特定の考
え方に偏ることがないことが特徴であった。
気楽に自由が確保され,人々
の気紛れを許し,富の蓄積と享楽にいざなう。
それはパソコンのos (才
ペレーション・ソフト)のように,突然ダウンするまではその機能の優秀
さを感じさせない。人間にとって空気が命であることを感じさせないのと
似ている。
しかしアングロサクソン・モデルも最近では変質し,自由民主主義も市
場自由主義も終末期に入ったといえるかもしれない。
人権と自由を保障す
るはずの国家政府は,特定の利益集団や富豪階層の影響力に屈し,政府は
人民の合意によって成立するという立憲共和制の前提自体が狂ってしまっ
た。
特に代表制民主主義の碧であった立法府が弱体化し,代わりに行政府
の権力が強まった。
米国における所得格差拡大は,富豪階層による政治の利権化をもたらし,
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望 175
強者の論理の行き過ぎが目立つようになった。
少数の富豪階層が政治献金
やロビー活動を通じて政治と経済を動かす寡頭制(plutocracy)が出来上
がった。
米国では,憲法修正第1条によって,人民の請願権が守られてき
たが,いまでは富豪階層がみずからの既得権を守る目的で政治に働きかけ
るといった類の請願行為が目立つようになり,それが行き過ぎた感がある。
政治献金やロビー活動は,連邦政府レベルにとどまらず,州地方政府レ
ベルにも及んだ。
というのは,連邦議会の下院議員の選挙区の区割りは,
州議会の決定によって変更できるので,共和党も民主党も,自党が圧倒的
な勢力を持つときに州議会議員に働きかけて,自党に有利な形で選挙区の
区割りを変更する。これがGerrymander (選挙区改変)と呼ばれる制度慣
行である(第2章3節参照)。
政治団体が地方政治に資金を投下するといった動きが定着したもうひと
つの理由は,1970年代にニクソン政権が打ち出した「新連邦主義(New
Federalism)Jというスローガンであった。
これは地方自治重視ともいえる
もので,連邦政府から州地方政府に補助金(grant)を与えて,行政の実務
は地方自治体に任せた。
連邦政府固有の行政は,国防(対外安全保障),国
内の治安維持,連邦準備制度による貨幣管理などに限定された。
しかし1980年代以降レーガンおよびブッシュ(父)の共和党政権時代に
なると,連邦政府の財政赤字削減のため,補助金(州地方政府への交付金)
が削減されて州地方財政が窮迫し,特に貧困地域の疲弊が始まった。
1987
年度版の大統領予算教書に添付された資料を参考にすると,連邦政府から
州地方政府への補助金は,1980年から89年までの間に,実質ベースで28%
減少した(注2 —11)。
これを連邦政府の総歳出に占める補助金の比率とし
て計算すると,1980年の!5.5%が89年には9.4%に低下し,GDPJこ対する比
率では3.4%から1.9%に低下した。
なお2010年の計数では,州政府歳入の
35%が連邦政府から移転収入,地方政府(郡や市)の歳入の40%が州政府
からの移転収入であった。
また2010年の州政府の歳入予算(全米50州の総
計)の内訳は,7000億ドルが税収を中心とした州の一般財源,5000億ドル
176
が連邦政府からの補助金(交付金),4500億ドルが社会保険料収入,その
他が3000億ドルであった(注2 —12)。
こうした州地方政府の財政悪化の極みが,往年の自動車ブームに沸き立
ったミシガン州デトロイト市である。
米国の自動車産業が衰退するなかで,
デトロイトの人口は1950年の180万人が2010年には60万人に急減した。
財政が窮迫すると,そのしわ寄せは,①増税といった形で納税者に及ぶか,
②公共サービスの劣化という形で地域住民に及ぶか,③給与削減や年金削
減という形で地方自治体の公務員(労働組合)に及ぶか,④地方債を保有
する債権者(投資家)に及ぶかである。
通常は前二者が最初に負担を強い
られるが,デトロイト市のように財政が破綻すると,最後は切羽詰まって
デフォルト(債務不履行)となり債権者(州地方債の投資家)にも負担が
及ぶ。
そうなると資本市場における新規資金調達の道が閉ざされて,究極
的には連邦破産法の適用申請の羽目に陥り,現役の公務員や退職者(年金
生活者)にも打撃が及ぶ。
またミシガン州フリント市の公立学校では,古
い鉛製の水道管を使用していたため鉛害が発生した。
これは公立学校を運
営するための地方政府レベルでの教育支出が削減された結果でもある。
教育支出削減は現在に至るまで続き,連邦政府レベルの減税政策の財政的負
担が,交付金の削減といった形で,州地方政府レベルの教育支出削減に及
んでいることを窺わせる。
実際ミシガン州だけでなく,カリフォルニア州を始めとするいくつかの
州内の郡(county)のなかには,連邦破産法9条による更正手続きを行う
群が出現した。
1994年末にカリフォルニア州のオレンジ郡が,デリバティ
ブズ取引の失敗で財政破綻したが,そのころは州財政にまだ余裕があった
ので,カリフォルニア州政府が救済に乗り出して,債務不履行を免れた。
しかしもはや州政府にも財政的余裕がないので,連邦破産法9条による更
正手続きに訴えざるを得ない。
そうなるとそれまで聖域とされた州職員の
給与や年金給付の削減にも手を付けざるを得なくなる。
国家間の人口移動
と違って,住民の国内移動は比較的容易だから,地方自治体の公共サービ
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望 177
スが低下したり地方税の増税が実施されたりすると,住民は大挙して流出
する。
その分税収が激減して,州地方財政の窮状がいっそう深刻化する。
そして債務不履行や破産法の適用申請になれば,給与や年金も切り捨てざ
るをえない。米国の郡や地方都市の一部では,そうした事態が現実問題と
なっている(注2 —13)〇
<共和党の南部戦略>
新連邦主義に加えて,1970年代から80年代にかけて,米国の産業構造が
変化したことも米国内政治に地政学的影響を与えた。
それは製造業の弱体
化とエネルギー産業やハイテク産業の勃興である。
白人富裕層のなかには,
南西部(サンベルト)地帯へと移住する者が増え,その影響で北東部工業
地帯の都市がスラム化した。
もちろん共和党の支持者がすべて南西部に移
住したということではないが,製造業の中心地であった北東部では,白人
富裕層(高所得者層)の多くが郊外に移住した。
こうしたことの結果,北
東部の中心都市の財政が税収減によって悪化し,都市のスラム化が進行し
て治安維持もむずかしくなった。
こうした事情を背景として,共和党は南部戦略(Southern Strategy)を
展開し,自党の支持基盤を,従来の北東部から南西部へと移動させた。
北東部でも郊外や大都市内の高級住宅街には高所得者層が婿集するようにな
った。
大都市内の居住区を線引きして,低所得者層を一定区画に隔離した
り(segregation),追い出したりした(gentrification) 〇
このようにして奴
線制度以来の米国の伝統であった寡頭制(oligarchy)が蘇生した。
米国は
多民族国家であり,先住のアメリカインディアンや欧州系の白人に加えて,
アフリカ系,ヒスパニック系,アジア系などが入り混じっている。
これら
の多民族を分断統治しているのが,現在の寡頭政治の実情であろう。
往年
の英国は,インドなどの旧植民地を階層別に分断統治したが,米国の寡頭
制は自国を同様な形で分断統治している(注2 —14)。
政府,民間経済,市民社会の三者間に一定の距離関係が存在すると考え
られていた米国でも,民間企業がその資金力を活かして立法府や行政府に
178
影響力を行使する状況(一種の利権政治)が生じたのである。
税制改革や
規制緩和は,富豪階層の政治的影響力を反映するものであり,政府,民間
経済,市民社会の三者の間に腕の長さの遠隔関係ないし距離関係があると
いうアングロサクソン・モデルの前提が崩れたことになる。
アングロサク
ソン・モデルは,諸制度の修正ないし再設計が求められているのだが,富
豪階層の寡頭政治とリバータリアニズムの自由放任主義が制度変更を困難
にしている。
リバータリアニズムだけでなく,ポピュリズムの影響力を排
除するのもむずかしい。
9.新しい階級闘争
中世までの欧州では,地域社会や教会が祭祀や冠婚葬祭を通じた社会的
つながりの場であり,そこでは血縁関係の家族(個人)と地縁関係の隣人
(社会)が共存していた。
しかし近世になり広域市場を包含する国民国家が
形成され,世俗政権が政治を担当するようになると,地域的つながりや宗
教的絆が薄れ,それに伴って個人と社会の共存共栄がむずかしくなった。
政治の世界では法の支配が統治の原則となり,民間社会における理性や合
理性に基づく判断が,法制度の基盤となった。
しかし集団的な意思決定に
おいては,理性や合理性だけでは万人が適応できないような状況も生まれ
る。
各個人は合理的に判断し競争的に行動するが,それが社会全体にとつ
ては最適解を導かない状況が発生したのである。
ましてグローバル化が進み,経済圏が国境を越えて広域化した現代では,
個人間の競争が国境を越えてさらに激化し,小さな地域社会に在住する
人々にとっては適応できない状況がますます多くなった。
商取引や人口移
動が国境を越えて拡大した結果,内国民の自由を保障するはずであった国
家政府の存在も軽量化した。
広域の社会福祉(国境を越えた相互扶助)へ
の理解は得にくく,個人と社会の共存はよりいっそう困難になった。
その
反動で,主権強化を求める人々の排外主義やポピュリズムが高まった。
主権という言葉は,一般選挙民には響きがよく聞こえるからである。
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望 I79
このことはいち早く広域市場化した欧州において顕著な形で現れたが,
中世を経ずにいきなり近世から始まった米国でも同じであった。
特に1980
年代以降の米国では,連邦政府レベルでの所得税減税の影響で,州地方政
府への交付金が削減され,州地方財政が悪化した。
そのため機会の平等を
実現するはずであった教育支出も大幅に削減され,地域社会の秩序や家族
といった価値も希薄化した。
そこで保守派は,理性や合理性以外の価値基準として,社会的伝統や宗
教の要素を政治に持ち込もうとした。キリスト教原理主義がその典型であ
る。
しかし社会的伝統や宗教には縛られたくないというリバータリアニズ
ムの台頭で,伝統的な保守派への支持は低下した。
一方リベラル派は,社
会的伝統や宗教的価値観よりも理性や道理の優位を主張したが,それには
納得できないポピュリストが台頭して,リベラル派への支持も低下した。
ポピュリストは,閉鎖的かつ保護主義的な主張を前面に打ち出して既得権
を主張する。
それに対してリバータリアンは,競争原理を極端な形で前面
に押し出す。
リバータリアニズムとポピュリズムとの間のこうした対立は,
階級闘争の色彩も帯びている。
これは国境を越えて自由に移動することが
可能な移住派(高所得者層)と,移動が不可能な定住派(中低所得者層)
の対立でもある。
<移住派と定住派に二極化>
米国の二極構造経済は,所得階層上下間での移動性ないし流動性を低め,
社会が停滞する原因となっている。
中低所得者層のグループの人々のなか
には,現状維持に執着するだけで,もはや自己改革も自己投資もできない
血行停止(stasis)の状態にある者が多い。
自宅周辺の景観を激変させるよ
うな公共投資プロジェクトを拒否し,社会インフラの劣化に対する危機感
も欠如している。
身体を動かさずに,自分に合ったスピードで指を使って
スマホを操作し,仮想現実に没頭する。
身体を動かし汗をかくのは,スポ
ーッジムの中だけというわけだ。
このことは自動車文化の終焉にもつなが
り,18歳の免許取得率は50% (1968年は69%)に低下した。
車を買えない
180
若者は都市に住み,車ではなく自分のスマホの機種を自慢する(注2 —15)。
二極構造経済はAnywhere族(移住派)とSomewhere族(定住派)と
いう二種類のグループの人々を生み出した(注2 —16)。
前者のAnywhere
族の多くは人口が増加する大都市に在住し,なおかつ世界中のどこにでも
自由に移り住むことができるが,後者のSomewhere族の多くは人口が減
少する地方の小都市に在住し,ある特定の居住地域から逃れることができ
ない。
前者のAnywhere族は主としてFTE産業に従事し,資本移動とと
もに世界中を駆け回るグローバル市民である。
彼らは,都市在住のリバー
タリアンでもあり,経済的かつ道徳的な自由を主張し,オープンな市場経
済を謳歌する。彼らは自分たちの利益を高めるために効率と成長を重視す
る。
国別の生産要素(労働や資本)の賦存度の違いに応じた比較優位に基づ
き生産物別の国際分業が行われ,そうした生産物の貿易によって経済成長
が促進されるという時代は過去のものとなった。
グローバリゼーションが
生産物(財)の貿易取引からアイディアや技能の取引の段階に移行し,今
やアイディアや技能を持った人材が国境を越えて移動するようになってい
る。
生産要素自体が移動しない時代から,個人別の比較優位によって人材
(生産要素)そのものが移動する時代になった。
それに伴って人材が豊富な
国や都市に,例えばシリコンバレーのような産業クラスター(産業集積)
が形成されるようになった。
それはちょうどサッカーのプレイヤーが,国
境を越えて別の国のクラブチームに所属し活躍するのと似ている。
選手だ
けでなく指導力のあるコーチも,国境を越えて別の国のクラブチームにス
カウトされる(注2 —17)。
有力なプレイヤーやコーチが集まれば,その国
のサッカーリーグは世界的な人気を呼ぶ。
しかし国境を越えて容易に移動
できる人と移動できない人が存在するので,クラスター地域と過疎地域と
の間の所得格差が拡大した。
Anywhere族は都市在住の高所得者層であり,それに対してSomewhere
族は地方在住の中低所得者層である。
EU離脱を問う2016年6月の英国の
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望 181
国民投票で,離脱反対派はロンドンなど都市部の住民であり,離脱賛成派
は主として地方在住者であった。
またトランプ大統領は,2016年の大統領
選挙でポピュリストを支持母体として当選したが,支持者の大半は地方在
住者であった。ニューヨークやロサンジェルスなど大都市の住民の多くは,
クリントン候補を支持した。
FTE産業に従事する人々(Anywhere族)は,みずからの人的資本に資
金を投下することによって,その地位を保全しようとする。
人的資本への
投資とは,人的ネットワーク形成のための支出(社交費用)を意味する。
高所得者層が虫胃集する都市(金融であればニューヨーク,ハイテクであれ
ばサンフランシスコやシアトル)では,人的ネットワークが産業クラスタ
ーを形成する。
そこではビジネスマンだけでなく,エンジニア,美術工芸
デザイナー,大脳生理学者,哲学者といった雑多な集団が情報交換し,相
互間の信用に基づいて知的スキルを利用し合う。
そうした意味で都市のア
メニティ(居住環境の快適性)は高い。
人的資本への投資は子弟教育の充
実も含み,特に科学,技術,工学,数学(science, technology, engineering,
mathematicsの頭文字をとってSTEMと略す)の教育が重視される。
産業
クラスターが存在する地域では学校教育も充実している。
過去の米国には,
みずからの努力で地位を獲得するというカルチャーがあったが,現代では
親の地位を引き継ぐ形での生得地位が,支配的なカルチャーとなっている。
そこには所得格差に起因する教育格差が存在する。
Somewhere族はFTE以外の産業に従事し,特定の地域にとどまってコ
モディティとしての労働力を提供する。
彼らの多くは国境を越えて容易に
は移動できないので,閉鎖的な帰属社会(地域共同体)の利益を重視し,
高齢者医療保険(Medicare)の削減などには反対する。
そうした意味で,
Somewhere族はポピュリズムに傾斜する現状維持派であり,大きな政府の
支持者ともいえる。
スキル度や教育水準が低い白人労働者階級(White
Working Class)もこのグループに含まれる。彼らは,日々の生活にいかに
対処し,身の回りの商品の買い物で憂さを晴らし,なかにはアルコールや
182
薬物中毒になる者も多い。
米英の政治構造は,従来の右派と左派の対立から上(高所得者層)と下
(中低所得者層)の対立に移行した。
所得格差に地域間格差や世代間格差な
どが絡み合って,複雑な対立構造になっている。
今後地方在住の中低所得
者層の政治力が強まり,ポピュリズムへの傾斜が加速すると,都市在住の
リバータリアンの利益が圧迫され,両者間で内戦の様相を帯びてくるかも
しれない。
すでにイタリアなどではそうした動きがみられるし,英国のEU
離脱を巡る対立にも似たような色彩がある。
民主政治が衆愚化してポピュ
リズムが強まると,都市在住の高所得者層は民主主義政治をあきらめて,
軍事政権による粛清を求めるようになるかもしれない。
10.資本主義の二面性
資本主義は多数の人々の生活水準を高める半面,富豪階層の行き過ぎた
利益追求が資産バブルや所得格差拡大を引き起こす。
資本主義にはそうし
た二面性がある(注2 —18)。
特に金融サービス業において行き過ぎた利益
追求が行われると,資本主義経済が自己調整力や矯正力を失い,資産バブ
ルおよびその崩壊によって,経済全体に甚大な打撃が及ぶ。
したがって,
政府当局が金融規制監督や所得再分配政策によって資本主義の弱点を補正
しないと,行き過ぎた利益追求の結果に対する反動として,中低所得者層
の間でポピュリズムや一国主義のナショナリズムが強まり,資本主義の経
済だけでなく民主主義の政治も弱体化する。
もともと資本主義と民主主義とは,お互いに共存共栄の関係にはなかっ
た。
なぜなら,資本主義は富と権力の集中を招きやすい制度であるのに対
して,民主主義は富と権力を分散する制度だからである。
18世紀央を境と
して,集権国家による重商主義が分権的な経済自由主義に移行したのだが,
その移行過程で,ジョン・ロックやディヴィッド・ヒュームといった思想
家が自然権や所有権などの概念を提唱し,次第に君主政権(王権)や教会
による民間経済への介入が排除されるようになった。
それは民間人の個人
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望 183
的利益を重視する経済自由主義と民主主義への移行を意味した。
しかし個人的利益の追求は所得格差や貧困問題を生むようになり,ジャ
ン=ジャック・ルソー(「人間不平等起源論」の著者)などが平等や利他的
行動を主張するようになった。
元来経済自由主義や自由貿易の信奉者であ
ったモンテスキューが,三権分立といった政治制度(政権ないし行政府の
独走を牽制する制度)を主張したのも,権力集中を回避する仕組みが必要
だと判断したためであろう。
こうしたなかで利己主義的な資本主義と利他主義的な民主主義の共存を
理念上可能にしたのが,アダム・スミスやディヴィッド・リカードを始め
とする古典派経済学者であった。
古典派経済学者は,個人の自由と社会全
体の福利向上という,二つの目的を統合する役割をはたした。
つまり,市
場経済取引によって自由と平等が同時に達成されることを経済学者が論証
し,各人が自由に自己の利益を追求すれば,それが社会全体の利益につな
がると考えられるようになった。
そこにダーウィンの進化論が重なり,19
世紀後半には私的目的(私益)と公的目的(公益)の自然調和が受け入れ
られるようになった。
その後19世紀末から20世紀初頭にかけて,資本主義のマイナス面(行き
過ぎた利益追求)が再び目立つようになった。
それに対して労働者階級か
らの反発が強まり,さらにロシア革命も起きて,資本主義と民主主義が共
倒れになりかけた。
特に1930年代の大不況期には,西欧や米国でもソ連の
共産主義の脅威が高まった。
そこで労働者の共産主義化を恐れた大企業の
経営者や資本家が,社会福祉や労働者の持ち家制度にも理解を示すように
なった。
また労働者の方でも,市場経済と私有財産制度がみずからの自由
と安定を保障すること(資本主義のプラス面)を理解して,再び資本主義
と民主主義の共存共栄関係が出来上がった。
それが第二世界大戦後には欧
米先進工業国の指導理念ともなった。
1990年前後にソ連および東欧の共産
圏の社会主義経済が崩壊した後も,資本主義と民主主義の共存共栄関係は,
2007-08年のリーマンショックまで曲がりなりにも持続した。
184
元来資本主義と民主主義とが共存共栄の関係を維持するには,なんらか
の制度や方法による所得再配分が必要である。
たとえば,生産要素の賦存
度に応じた国別の比較優位に基づく国際分業によって自由貿易が促進され
ると,貿易に携わる国がともに豊かになるとされる。
しかし北米自由貿易
協定(NAFTA)は,米国側でメキシコ側でも不評である。
というのは,メ
キシコからの安価な工業製品の輸入によって米国の製造業者が痛手を被
り,逆にメキシコの農家は米国からの安価な農作物の輸入によって痛手を
被る。
痛手を被った業者は,自由貿易協定反対の声をあげるが,安価な輸
入品によって利益を受ける家計や消費者が自由貿易協定支持の声をあげる
ことは少ない。
資本主義同様にグローバリゼーションにも,便益(gain)
と痛み(pain)の二面性がある。
この矛盾を解決するには,痛手を被った
業者に対して業種転換の助成などの形で貿易利益の一部を還元し,両者が
便益を分かち合う仕組みが必要である。
換言すれば,資本主義の二面性のうちマイナス面を是正するような方策
を講じないと,民主主義が危機に瀕する。
実際現在の米英両国では所得再
分配は機能しなくなり,自由民主主義が世界全体をリードする状況は終わ
りつっある。
ブラジル,インド,南アフリカのように,従来は自由民主主
義の「予備軍」とみなされてきた国々が,ロシアのクリミア半島併合に対
する国連での非難決議を棄権したり,ロシアに対する経済制裁に反対した
りするといった行動も起きた。
「民主主義の世紀の終わり」といった題名の
論文も目立つようになった(注2 —19)。
そこで所得再分配が機能停止に陥
った経緯を,次節で詳しく振り返ってみる。
<所得再分配政策の破綻>
英米型資本主義が自己修正力を失い民主主義との間に亀裂が生じたこと
に関して,ドイツの社会学者が,所得再分配政策の破綻といった観点から
鋭い指摘をしている。
そこでそうした社会学者の旗頭ともいえるウォルフ
ガング・シュトリークの論考を紹介しよう(注2—20)。
逆説的な見方をすれば,20世紀の欧米諸国で資本主義と民主主義の共存
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望 185
共栄が可能になったのは,東西冷戦下での共産主義の脅威のためだったと
いえる。
共産主義の脅威が資本主義の側で所得再分配政策の必要性に関す
る理解度を高め,市場自由主義ないし市場経済システムの弱点を補完した。
たとえばニューディール政策が米国での所得再分配政策の代表例であり,
社会保障制度や累進所得税制によって所得再分配が行われた。
第二世界大戦後から1970年代までの時期には,労使の集団交渉や財政政
策(ケインズ流の有効需要政策)によって所得再分配が可能となった。
当時はインフレ率も高く,累進所得税率のおかげで政府の税収も増えた。
いわゆるbracket creepと呼ばれる現象(所得の増加に伴って適用される税率
が高まり税収が自然に増加する現象)である。
またインフレ率が高いと,
金融資産の実質価値が目減りし,債務者の負担が軽減される。そうした形
の所得再分配メカニズムも働いた。
しかし70年代後半になると高率のインフレが耐えがたくなり,ケインズ
政策の雇用促進効果も薄れたので,80年代初頭には強度の金融引締政策が
実施された。
その結果インフレ率は低下したのだが,その分インフレに代
わるあらたな所得再分配政策が必要になった。
そこでレーガン政権時代の
米国では,政府が赤字国債(負債)を発行して調達した資金を,減税や社
会保障など経常支出に配分した。
つまり1980年代以降のディスインフレ期
には,1970年代とはやや違った形で政府財政が所得再分配政策の担い手と
なった。
シュトリークの表現を借りれば,「租税国家(tax state)」が「負
債国家(debt state) Jへと変質したのである。
インフレ時には労働組合が賃金引上げを要求したが,ディスインフレ期
には,労働組合に代わって中低所得層の選挙民が財政支出の拡大を政府に
促した。
政府は,減税と経常的な財政支出増によって,資本主義経済と民
主主義政治との整合性を維持しようとしたが,税収が増えないなかで社会
保障などの義務的経費が増大したので,財政赤字は急拡大した。
折から進
行した経済のグローバル化のもとで各国が競争して減税を行い,それによ
って資本と労働を盛んに誘致したから,財政赤字削減のために一国だけが
186
単独で増税をすることは無理であった。
それでも歳出は極力削減され,
1990年代のクリントン政権時代には一時的にせよ財政黒字を実現した。
その後「負債国家」の減税政策に代わって所得再分配の役割を担ったの
は,フィナンシャリゼーションである。
第3章で詳述するように,フィナ
ンシャリゼーションとは,銀行業を始めとする金融サービス業が主力産業
となり,その収益が一国の経済成長を牽引する状況を指す。
銀行の積極的
融資によって,家計は消費者ローンや住宅ローンを借り入れ,消費景気を
謳歌した。
ユーロ圏の南欧諸国の場合には,政府が借り手となって所得再
分配を行った。
その結果,家計や政府の負債が増加したが,リーマンショ
ックまでの間は,こうした仕組み(フィナンシャリゼーション)によって
資本主義と民主主義の共存共栄が可能になった。
しかし2007-08年のリーマンショックから2010-12年の欧州債務危機
に至る過程で負債増は限界に達し,金融危機後の不況によって資本主義と
民主主義との間の亀裂が表面化した。
フィナンシャリゼーションによって
負債を負った債務者(中低所得者層や政府)は負債の返済に窮し,その対
極に位置する債権者(高所得者層や銀行)の力が強まった。
債権者はみず
からの権利(債権の保全)を主張し,米ソ冷戦時代にあったような所得再
分配に関する理解も薄れた。
今や民間経済の自主規制も効かくなり,米国ではトランプ大統領を頂点
とする寡頭支配者が利権確保に奔走し,市場経済の円滑な運営にとって不
可欠な信用も消滅しかけている。
資本が国境を超えて容易に移動する現代
の資本主義経済は,住民が国境を超えて容易には移動できない民主主義政
治をなかば蹂躍した。
大金融危機以降は,所得再分配のメカニズムが機能
不全に陥り,資本主義と民主主義の間の亀裂がいっそう深まっている。
<フロンティアの消滅>
民主主義だけではなく資本主義も曲がり角に来ている。
経済活動のフ口
ンティアは消滅し,企業家のアニマル・スピリット(血気)も減退した。
先進工業国にとってのフロンティアとは,
第一に民間企業による新規事業
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望 187
の創出や新興国への業務拡大,
第二に金融業の発展,
第三に教育水準向上
による技能習得,そして
第四に政府の公共事業拡大だった。
ところが,こ
れらの4つのフロンティアは,すでに喰いつぶされて限界に達し,明るい
将来展望を持てない状況にある。
第一の新興国への業務拡大に関しては,現在では新興国企業の台頭によ
って先進工業国の企業収益が圧迫される状況に転じている。
そのため先進
工業国の側が保護主義化して,新興国での業務拡大を制限するようになっ
た。
第二の金融業の発展に関しては,フィナンシャリゼーションによって
フロンティアが刈り尽くされたうえ,現在では逆に負債削減が必要な状況
にある。
また今後はAI (人工知能)が金融サービス業の多くを代替するで
あろう。
第三の教育水準向上による技能習得に関しても,中低所得層の学
カ低下で限界に直面した。
従来の高等教育は「労働者予備軍」を労働市場
から吸収する役割を担っていたが,教育費の増大と平均所得の低下によっ
て進学率が頭打ちになり,高等教育は「雇用吸収力」を失った。
そして第
四の公共事業や社会インフラ投資も,国家政府の財政収支悪化で困難な状
況にある。
こうしたことの結果,企業家が資本主義の未来に魅力を感じなくなり,
アニマル・スピリットが減退した。
同時に環境保全,インフラ投資,規制
遵守,社員研修などのコストが高まり,将来を見据えた積極的な実物投資
に逆風が吹く。人々の移動性(モビリティ)は低下し,現状維持に執着す
るようになっている。
資本主義は生成•発展•消滅といったライフサイクルを描きながら,学
習によって生態変化する有機体と考えられてきた。
所得分配の不平等や格
差問題も存在するが,資本家が金銭欲で行動すると経済全体が繁栄すると
考えられた。
中国も,国家資本主義の側面は残るが,1980年代以降,改革
開放路線によって貧困から解放された。
資本主義の過去の生態変化は,コ
ンドラチエフ循環を形成してきた。
それは,新しい資源や動力の発見発明,
新技術,新興国の勃興,銀行信用の増加などを原動力とする長期波動であ
188
った。
そしておおまかな時代区分でいえば,21世紀の最初の四半世紀は,
コンドラチェフ循環の上昇波動期にあたるはずなのだが,金融危機の頻発
や政府債務の肥大化,所得格差拡大などによってコンドラチェフ循環が消
滅したようにみえる。
現代は創造的破壊のモデルが不在の空位期間にある。
<注>
(注2-1)本章の保守主義に関する記述は,Scruton, R., [2017]を参照した。
(注 2-2) Plender, J., [2015]
(注 2-3) Maitland, F.W., [1936]
(注 2-4) Temin, P., [2017]
(注 2 — 5 ) Bregman, R., [2017]
(注 2-6) Phillips, K.P., [1982]
(注 2 — 7 ) Schlesinger Jr., A., [1986]
(注 2-8) Batra, R.,[1988]
(注2 -9)リベラリズムの衰退に関してはLilia, M. , [2017]およびD eneen,
P.J., [2017]を参照した。
(注 2 —10)Deneen, P.J., [2017]
(注 2 —11) Peteson, P. E,, Rabe,.B.G,, & Wong, K. K,,[1986]
(注 2 -12)Whitney, M., [2013]
(注 2 -13)Whitney, M., [2013]
(注 2 -14)Chua, A., [2018]
(注 2 -15)Cowen, T., [2017]
(注 2 -16)Goodhart, D., [2017]
(注 2 -17)Baldwin, R., E. [2016]
(注 2 -18)Plender, J., [2015]
(注 2 —19)Mounk, Y., & Foa, R. S., [2018]
(注 2 —20) Streeck, W., [2016]
アングロサクソン・モデルの変質(上):ポスト資本主義の展望 189
The Metamorphosis of the Anglo-Saxon Model (Part 1)
Ryo WATABE
«Abstract}
Capitalism has always been an inherently unstable system, full of
conflicts and contradiction. It has dual aspects in the way it works: things
that are beneficial for the society become damaging when taken to excess.
On one hand, capitalism has lifted millions of people out of poverty, but on
the other, it has tended to cause income inequality and financial crises.
When the latter is the case as has been recently, it subverts the sense of
communal solidarity and would destruct democracy.
Among various types of capitalism, the Anglo-Saxon model was
characterized by both market liberalism and democratic polity whereby
civil society, private business, and government were supposed to be
separate and detached, keeping each other uat arm’s length . Civil society
and private industry were open and universal, and common rules were
applied to all participants. These rules were customarily formulated by the
participants rather than stipulated by legislations. Also, the Anglo-Saxon
model was characterized by system-oriented and individualistic cultures.
The Anglo-Saxon Model worked well up till the great financial crises of
2007-08. More recently, however, as financial, technology, and electronic
industries have amassed political as well as economic powers, particularly
in the US, public policy of the government has become influenced by these
industries. Arguably, the Anglo-Saxon model has morphed to a plutocratic
regime, where a group of wealthy people and their interests are protected
and enhanced. Now that the Anglo-Saxon economies have been run by the
rich for the rich, resultant income inequality has given rise to populistic
reaction, threatening democracy.