日ASEANの50年、互恵と打算の「過去・現在・未来」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD22DJY0S3A221C2000000/
『友好協力50周年を記念する外交イベントは、内政の混乱に水を差されてしまった感がある。自民党派閥の裏金問題で主要閣僚が更迭される騒ぎのなか、東南アジア諸国連合(ASEAN)を日本に招いて16〜18日に開いた特別首脳会議である。
次の50年に向けた協力の方向性を示す共同声明は、対等な立場で未来を共につくる「共創」の理念を打ち出し、政治・安全保障、経済、人的交流の3本柱に計130もの協力項目を列記した…
この記事は会員限定です。登録すると続きをお読みいただけます。』
『半世紀前、1973年のASEANはどんな時代背景にあったのか。
泥沼化したベトナム戦争の和平協定が1月に成立し、介入していた米軍は3月に「名誉ある撤退」を完了した。
先月、100歳で死去したキッシンジャー元米国務長官は、この年のノーベル平和賞を受賞している。11月には内戦下のカンボジアを取材中だったフリーカメラマンの一ノ瀬泰造氏が「地雷を踏んだらサヨウナラ」と記した友人宛ての手紙を残し、ポル・ポト派が支配するアンコールワットで消息を絶った。
日本製品の輸出洪水による貿易不均衡で、東南アジアに反日感情が広がっていた時期でもある。朝日新聞のバンコク特派員だった村上吉男氏の著書「国際スパイ都市バンコク」は当時の雰囲気を生々しく伝える。同氏が引き合わせた在タイ日本大使館員に、反日運動の学生リーダーがこう言い放つ場面が出てくる。
「日本企業はタイの労働力を安くこき使い、わずかに与える給料でタイ人に自分たちが作らされる日本製品を買わせる。利益はそっくり日本へ送金する。タイ人には何も残らない……援助をするのは、より高度の搾取をするためだ」
それから2カ月後の74年1月には、訪タイした田中角栄首相(当時)の宿舎前にデモ隊が押し寄せ、同氏の似顔絵や日本車の模型を燃やす反日暴動が起きた。
バンコクでは田中角栄首相(当時)の東南アジア歴訪時に反日暴動が起きた(1974年1月)=AP
日本からの輸出品のひとつに安価な合成ゴムがあった。天然ゴム産業が打撃を受けるマレーシアは日本に自粛を求めたが、無視された。そこでこの問題を、発足間もないASEANに持ち込み、団結して圧力をかけた。日本はやむなく「合成ゴムフォーラム」と呼ぶ協議の場を設け、配慮を約束する。いまに至る日ASEAN関係の起点であると同時に、小国が束になって発言力を高めるというASEANの対外交渉の原点となった。
対話開始から4年後の77年、東南アジアを歴訪した福田赳夫首相(同)はマレーシアでASEANと初の首脳会議に臨み、帰途のフィリピンでASEANを「対等なパートナー」と呼ぶ演説を行った。この「福田ドクトリン」は好意的に受け入れられ、対日感情は改善に向かった。
当時の日本にとって、ASEANはどんな存在だったのか。
日本は戦前から資源の供給地、製品の輸出先として中国に依存してきた。
だが1950年に中国が朝鮮戦争に参戦し、米中対立が決定的となる。対中禁輸への同調を迫られた日本は、米国の指南に従い、死活的に重要になった東南アジアとの結合を深めるしかなかった――。国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)の元事務局次長、大海渡桂子氏はこう論じている。
その帰結として生じた日本のオーバープレゼンスに、当初は「経済搾取だ」と反発したASEANの側にも、福田ドクトリンを奇貨とすべき事情があった。
67年に「反共の砦(とりで)」としてタイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポールの5カ国で発足したASEANだったが、情勢は次第に緊迫した。
マレーシアやシンガポールの旧宗主国・英国がスエズ以東から撤収し、ベトナム戦争に敗れた米軍もインドシナ半島を去った。
「力の空白」のなかで、緊張が恐怖に変わったのは75年だ。南ベトナムのサイゴン(現ホーチミン)が陥落し、北ベトナムが全土を統一した。ラオスは愛国戦線が権力を奪って王制を廃止し、カンボジアはポル・ポト派が親米政権を倒した。
インドシナ3国がドミノ倒しのように共産化し、中国やソ連の脅威が間近に迫る。ASEANが周囲を見渡せば、支援を引き出せる相手は日本しか見当たらなかった。
よく言えば互恵、実際には打算で始まった関係は、着実に進展する。
85年のプラザ合意後の円高対応で日本企業の進出が加速し、輸出は徐々に現地生産へ置き換わった。政府開発援助(ODA)と民間投資の両輪が急回転し始めた。
89年に東西冷戦が終わると、ASEANも変質した。
反共に代わる新たな目標となった域内の経済連携に、道しるべを示したのも日本だった。
88年にタイ、マレーシア、フィリピンが合意し、後にインドネシアが加わった自動車部品の相互補完協定「BBC」は日本車メーカーが提案した。4カ国が相互認定した部品は輸入関税を減免し、国産品と同列に扱う画期的な枠組みは、後のASEAN経済共同体(AEC)の原型となった。
日本が提案した域内の部品相互補完協定は後の経済統合の土台となった(タイの日本車工場)=ロイター
振り返れば、福田ドクトリンがわざわざ「対等のパートナー」をうたったのは、国力は日本がはるかに上、という認識の裏返しだったろう。では現在と50年後はどうか。
まずは人口だ。国連によれば、日本は1973年の1億967万人から2023年は1億2362万人に増えたが、2073年には8738万人へ3割も縮む。
対するASEANは、新規加盟が内定している東ティモールを含む11カ国を合算してみると、3億173万人から6億8386万人、7億9224万人と順調に増加する。日本との差は2.8倍から5.5倍、9.1倍へと広がる。
経済規模はどうか。世界銀行によると日本は1973年の4410億ドルが2022年に4兆2300億ドルへ伸びた。50年後はといえば占いの域を出ないだろうが、米ゴールドマン・サックスが昨年公表した世界経済の超長期予測では、2075年は7兆5000億ドル。
一方のASEANはこの間、515億ドルから3兆6290億ドル、27兆8000億ドルとなる。日本は半世紀前にASEANの8.6倍、現在も1.2倍だが、半世紀後は逆に4分の1になっている。
2つを重ね合わせた1人あたり国内総生産(GDP)は日本が4061ドルから3万3823ドル、8万7600ドルと推移するのに対し、ASEANは171ドル、5307ドル、3万5090ドル。日本がリードし続けるものの、彼我の差は24倍から6.4倍、そして2.5倍まで縮まる。
半世紀後も日本の豊かさはまだ2倍余りも上とみるか、ASEANが格差を内包しながらいまの日本の水準を超え、半分近くにまで追い上げるとみるか、評価は分かれそうだ。
筆者が感じるのは、今回の特別首脳会議で掲げた「共創」の行方は、ASEANよりも日本にかかっているのではないか、という点だ。
「課題先進国」の意義を、日本はずいぶん前から唱えてきた。成長の鈍化にせよ、少子高齢化にせよ、社会保障費の増大にせよ、いずれはASEANも直面する。そのときに日本の経験を生かせる、という発想はしかし、課題を克服してこそ説得力を持つ。
翻って日本が経験した「失われた30年」とは、それらの課題を座視してきた年月ではなかったか。
ようやく解禁に向かうライドシェアは最近のあしき典型例だろう。新型コロナウイルス禍で早まった面はあるにせよ、高齢化社会でタクシー業界が運転手不足に陥るのはずいぶん前から明々白々だったはずだ。対照的にASEAN各国では、流しのタクシーの不足、料金の不透明さといった利用者の不満を吸い上げる形で早々にサービス解禁に踏み切り、いまでは有力な選択肢として定着している。
ライドシェアは東南アジア各国で日常の足となっている=小林健撮影
米CBインサイツによれば、10月時点のユニコーン(企業価値10億ドル以上の未上場企業)は、日本の7社に対してASEANは31社。社会課題に商機を見いだすのがスタートアップだとしたら、課題解決で先を行くのはむしろASEANの方ではないのか。
「反面教師」になってしまっては、共創のパートナーとしていずれ物足りなくなる。身も蓋もない言い方をすれば、カネの切れ目は縁の切れ目だ。
半世紀前と同じく米中の新たな対立が激化するなか、日本にとってASEANは死活的に重要な存在であり続ける。逆にASEANが支援を引き出せる相手は、この地域に戦略回帰した米欧、かつては「敵」だった中国、さらに台頭する韓国やインド、中東諸国など多士済々だ。
日本が半世紀後も選ばれる国であり続けるには、停滞を成熟と言い換えるのではなく、再成長への貪欲さを呼び起こすことが必要だ。物価と賃金の上昇に好循環の兆しがみられ、成長率の見通しが上向く年の瀬だからこそ、明るい未来を展望したい。
=随時掲載
高橋徹(たかはし・とおる) 1992年日本経済新聞社入社。自動車や通信、ゼネコン・不動産、エネルギー、商社、電機などの産業取材を担当した後、2010年から15年はバンコク支局長、19年から22年3月まではアジア総局長としてタイに計8年間駐在した。論説委員を兼務している。著書「タイ 混迷からの脱出」で16年度の大平正芳記念特別賞受賞。
【関連記事】
・[社説]日本はASEANと対等な未来築け
・日本とASEAN、支援から対等な関係へ 脱炭素などで協力
・自立のASEAN、日本に変革迫る EV・供給網は中国先行
・日本・ASEAN、データでみる現在地 友好50年で首脳会議
多様な観点からニュースを考える
※掲載される投稿は投稿者個人の見解であり、日本経済新聞社の見解ではありません。
白井さゆりのアバター
白井さゆり
慶應義塾大学総合政策学部 教授
コメントメニュー
ひとこと解説 東南アジア諸国の方とお話しする機会がありますが、各国はいろんな固有の問題をかかえつつもダイナミックに成長していますし、人口が若いこともあり元気な人が多いです。デジタル普及では日本よりも進んでいます。アセアンは経済発展水準に大きな差があり、宗教・人種・歴史でも違いがあり、EUと比べても多様性が大きいです。それだけにアセアンとしてまとまっていくのは大変ですが、私が見ている限り団結力が強まっておりその流れは今後も崩れないと思います。この地域は中国からの直接投資が圧倒的に多く中国経済の影響力が最も大きいですが、西側や他の国とも良好な関係を保ちアセアンとしてともに成長しようという意識をもっているようです
2023年12月26日 7:38いいね
5
慎泰俊のアバター
慎泰俊
五常・アンド・カンパニー株式会社 代表取締役
コメントメニュー
分析・考察 そもそも、日本はアメリカとほぼ同じくらいの水準で世界第二位のASEAN投資家です。ASEAN諸国には欧米的な価値観を偽善と感じている人も多いという感触があり、かといって中国への過度の依存にも注意を払っているところから、日本がASEANとの関係をさらに強化するのは今が最高のときだと思います。お金をもっているものの、年老いていき人口が減っていく国の活路は基本的に投資活動にあると思います。
2023年12月26日 8:09いいね
3
柯 隆のアバター
柯 隆
東京財団政策研究所 主席研究員
コメントメニュー
分析・考察 これまでの30年間を振り返れば、日本外交の最大の失敗はアセアンとの距離が予想以上に遠くなったことであろう。
2001年、中国はWTO加盟をきっかけにアセアンに農産物と果物のマーケットの開放を約束した。アセアンと中国との距離は一気に縮まった。たまたま日中関係が悪化していたため、また日本は農産物市場を開放しておらず、日本とアセアンとの距離は遠くなってしまった。それまでのODA供与で培ってきた良好な関係は壊れてしまった。
今となって、日本の政界とアセアンの政治家とのパイプは完全に切れてしまった。それを修復するのに、首相一人で奔走しても力不足である
2023年12月26日 7:25いいね
7 』