暗号解読組織に制された大戦 日本が学ぶべき歴史の教訓
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/31866

『前回、米国が日本の外交暗号を解読していたことに触れたが、日本側も一方的に暗号を解読されていたわけではない。日本陸海軍、そして外務省の暗号解読組織も、欧米諸国の使用していた外交・軍事暗号を傍受、解読していたのである。
ドイツのエニグマ暗号を攻略する機械も運用していた、米国の「コード・ガールズ」(SHUTTERSTOCK/AFLO)
日本が暗号解読の重要性を認識したのは、1923年にポーランド参謀本部のヤン・コワレフスキー大尉を日本陸軍に招聘して、ソ連暗号の解読講習を行ったのがきっかけであった。その後、陸軍参謀本部内に暗号解読班が設置されることで、ソ連や欧米諸国の使用する暗号が解読されていく。陸軍の暗号解読組織は、海軍や外務省よりもかなり高い能力を持っており、米国務省が使っていた最高レベルのストリップ暗号も解いていた。
さらに陸軍は英国や中国、ソ連の外交・軍事暗号のかなりの部分を解いており、陸軍に限っていえばその能力は世界屈指のものであったといえる。日本軍はこのような暗号解読情報を基に戦略的判断を行うこともあり、40年9月の北部仏印進駐の際には、日本軍が進駐を行っても米英は介入しない、という情報を得てから計画を実行した。このように太平洋戦争開戦までに、日本軍の暗号解読能力はかなりの実力を示していたが、その後、戦争が始まると暗号戦において劣勢に追い込まれることになる。
海戦を通じ露呈した再発防ぐ意識の欠如
42年6月のミッドウェー海戦の直前、米軍の暗号解読組織の貢献によって、米海軍は日本側の狙いがミッドウェー島にあることを知り、待ち伏せによって日本海軍の空母部隊を撃滅したことはよく知られている。当時の日本海軍の暗号は5数字暗号と呼ばれるもので、日本語の単語を5桁の数字に置き換え、それに5桁の乱数を加算することで組み立てられるかなり高度なものであった。ただし暗号が複雑になればなるほど、それを組み立てる側のミスも生じるようになる。米海軍の暗号解読者たちは、日本海軍の通信の中に生じるミスに着目し、それが何を意味するのかを推察しながら暗号を理論的に解読していった。
ただミッドウェー作戦の直前に問題となったのは、解読された日本海軍の指令の中に地点を表す「AF」という略語が現れたことであった。ハワイにある暗号解読班は、既に「AF」がミッドウェー島を指すことを察知していたが、ワシントンの解読班は「AF」をミッドウェー島ではなく、そこから1000キロメートル離れたジョンストン島だと予測し、組織内で意見が分かれたのである。
そこでハワイ班は一計を案じ、ミッドウェー島の守備隊に、「真水が残り少ないので至急送られたし」の電報をハワイに打つように命じた。ミッドウェー島の守備隊が命じられた通りに電報を打つと、ミッドウェー方面に注意を払っていた日本海軍はこの電信を見逃さなかった。
同通信は、埼玉県と東京都にまたがり編成されていた海軍大和田通信隊に傍受されており、情報を得ると同通信隊は日本海軍の各部隊に対して「AFには真水が残されていないもよう」という情報を通達した。そしてハワイ班がこの日本海軍の通信を傍受することで、「AF=ミッドウェー島」が証明されることになり、米海軍は日本海軍によるミッドウェー作戦を確信することになった。こうして6月5日に戦端が開かれると、米海軍は大勝利を収めたのである。』
『他方、日本海軍内では敗因についての検討が行われたが、驚くべきことに暗号が解読されたことにはほとんど注意が払われていない。このような日本海軍のセキュリティー意識の低さは、その後も山本五十六連合艦隊司令長官搭乗機撃墜事件(海軍甲事件)や、日本海軍の暗号書が米軍に鹵獲された海軍乙事件、といった不祥事の原因にもなっていく。
日本は資源を割かず
未完の体制は現代にも
このように開戦までは高い暗号解読能力と強固な暗号を誇った日本陸海軍であったが、戦争中になると連合国に後れを取るケースが目立ち始める。最も強固だとされた陸軍の作戦暗号についても、43年4月以降、徐々に解読されるようになる。その理由は、日本軍の上層部が暗号の重要性を認識せず、そこに予算や人員をあまり投入しなかったことが大きいだろう。暗号書の変更も定期的に行われなければならなかったが、広大な戦域の隅々までそれを配布するには膨大な労力が必要となるので、古い暗号をそのまま使い続けた結果、米側に解読されている。
開戦当初、日米英の暗号解読組織の規模はそれほど変わらなかったが、米英は戦争中に暗号解読の重要性を認識し、そこに資源を積極的に投入することになる。その結果、終戦までに米国の暗号解読組織は2万人近く、英国も1万人近くに膨れ上がったが、日本の組織は戦前からそれほど拡大せず、陸海軍合わせても数千人の規模にとどまったのである。
さらに米英は女性を含む、民間人を暗号解読官として採用していた。ライザ・マンディの『コード・ガールズ』(みすず書房)によると、米軍の暗号解読組織は大学出身の女性を活用していた。日本の各種暗号を解読できたのは、実はこれら女性の暗号解読官の能力によるところが大きい。ミッドウェーで日本海軍の作戦暗号を解読したジョセフ・ロシュフォート海軍中佐も、かつてアグネス・ドリスコールという女性解読官に教えを受けていた。
42年に米国政府が女性の軍隊への参加を公式に認めると、最終的に7000人もの女性が軍の暗号解読に従事することになった。規模では劣るものの、英国の暗号解読組織においても同様に女性が活躍していたことが知られている。それに対して日本陸海軍では、女性どころか、数学者や言語学者など、外部の有識者が暗号解読に関わることすら検討されなかった。日本側に欠けていたのは、暗号戦への理解と、運用の柔軟性だったといえる。
ただこの話は過去のものではない。暗号戦をサイバー・セキュリティーに置き換えると、日本は今も同種の問題を抱えていることが見えてくる。現在、自衛隊のサイバー防衛隊は600人規模だが、これは米軍のサイバー軍の6200人、中国人民解放軍のサイバー部隊の3万人と比べるといかにも少ない。現代においてもなお、日本の政治家や官僚の間ではサイバー・セキュリティーの重要性が十分に認識されていないのではないだろうか。』