「新しい戦前」に求められる思考 多面的で柔軟な外交を

「新しい戦前」に求められる思考 多面的で柔軟な外交を
デンシバSpotlight
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK241E10U3A920C2000000/

 ※ なるほど…。

 ※ 「先の大戦」とか、一括りにして言われるが、「戦場」は、実は4つもあったのか…。

 ※ まあ、いずれにしろ、「国力」から見て、「手を広げすぎ」だったな…。

『ロシアのウクライナ侵攻が続き、台湾統一を掲げる中国の動向は不透明感を増しています。「新しい戦前」ともいわれるなかで、日本は防衛力の増強を急ぎますが、同時に外交努力も必要だとされます。どのような外交が求められるのか、先の大戦の経験から考えるのが一つの道です。

筑波大学名誉教授で国立公文書館アジア歴史資料センター長の波多野澄雄さんは「先の大戦は4つの異なる戦争が重なったものだ」とみています。

まず日…

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『まず日中戦争です。1937年から45年まで戦った一番長い戦争です。2つ目は日米戦争で、太平洋を舞台に多くの犠牲者を出しました。3つ目が東南アジアでの日英戦争です。フランスやオランダを入れてもよいでしょうが、東南アジアの独立に影響を及ぼしました。最後が45年8月から1カ月弱の日ソ戦争です。

先の大戦は、多大な犠牲を払い、あらゆる人に影響を与えました。その教訓も多岐にわたり、理解するのは容易ではありません。このように戦争を4つに分けて考えれば、それぞれの戦争の目的や被害、残した負の遺産などを考えやすくなるでしょう。戦争を多面的にみることができるようになるかもしれません。

中国やロシアは先の大戦で日本が戦った国です。しかし、日本人にとって大戦の記憶といえば、最も激しく犠牲も大きかった日米戦争という印象が強いといえます。これに対して日中戦争は、最も長い戦争だったにもかかわらず、現地で戦った人々の証言が少ないこともあり、記憶が薄れてしまっています。

台湾情勢が緊迫した場合、中国は日本をけん制するため、かつての歴史問題を持ち出してくるかもしれません。そこで歴史的事実に基づいて対処するためにも、日本はなぜ中国と戦ったのか、中国にどのような負の遺産を残したのか、戦後どのように償ってきたのか、などを改めて考えておくべきでしょう。

波多野さんは中国やロシアについて「『普通でない国』が同居する国際秩序が到来している」と指摘します。そのうえで「国益に従って行動するだけでは戦争は避けられない。武力行使はしないという日本の立場は重要で、『普通でない国』の存在感が増しているからこそ、武力を行使しないために、どのような国際秩序が望ましいかを提案すべきだ」といいます。

そこで大事だとするのが、多面的な視点にもとづく柔軟な外交です。日米戦争に突入したのは、泥沼に陥った日中戦争の解決を米国に頼んだためで、英国と組んでうまく中国と向き合うことができれば、結果は変わっていたかもしれないと波多野さんは考えます。

歴史に「もし」はありません。しかし、外交の視野が狭まり、柔軟さを失った結果として、戦争に至った例は少なくありません。大切にしたい教訓です。

◇   ◇   ◇

筑波大学名誉教授の波多野澄雄氏「日本は新たな秩序の提案を」

日本の戦争経験を踏まえて、ウクライナ戦争や米中対立をどう考えればよいか、歴史問題に詳しい筑波大学名誉教授で国立公文書館アジア歴史資料センター長の波多野澄雄さんに聞きました。

――先の大戦をどう考えますか。

「日中戦争、日米戦争、日英戦争、日ソ戦争の4つの戦場がありますが、4つの戦場は作戦上もつながりに欠け、行き来した兵士はほとんどいません。先の大戦というとき、まず思い浮かべるのは、一番激しかった日米戦争です。日中戦争はあれだけ長く戦ったのに、あまり日本人の記憶に残っていません。中国から帰還した兵士がほとんど話さなかったこともあり、戦後の日本社会で日中戦争は忘れ去られてしまいました」

波多野澄雄・筑波大学名誉教授(国立公文書館アジア歴史資料センター長)
――日中戦争はどのような戦争だったと考えられますか。

「日中戦争が始まって、日本は世界の戦史でもまれにみる大量動員を始めました。日本本土だけでなく、当時、植民地だった朝鮮、台湾、それに中国の占領地からも動員したのです。戦前は日本の人口、領土の3分の1は植民地です。そこからも動員したので、徴用工などが戦後、問題になりました」

「これは日本がある意味、多民族国家として戦った経験といえます。どのような人たちと一緒に戦ったのかを考えると、日中戦争は多面的で複雑な戦争です。この経験は日本が戦争を多面的にとらえ、柔軟な外交を展開する素地になったはずですが、そうした経験、記憶は次第に薄らいでしまいました」

「中国との戦争は、政治的な要素も入って非常に複雑な戦いになりました。日本は中国に宣戦布告をしていません。日本が戦った当時の中国で政権を握っていたのは国民党です。戦後の共産党が支配した中国と、日本が戦った中国は違います。戦後、中国共産党によって塗り替えられた戦争観が日本に大きな影響を与え、日本は戦争の歴史的事実に向き合いにくくなりました」

「その一方、日本人は米国との戦争を通して日本の戦争を語るようになりました。沖縄戦や太平洋戦線における玉砕、さらに戦争末期の米軍機による本土空襲の被害経験も加わって、対米戦で大きな犠牲を払ったというのが日本人にとっての先の大戦でしょう」

――戦争を多面的に考え、柔軟な外交を展開すれば、日米戦争を防ぐことはできたのでしょうか。

「なぜ米国と戦争したかと言えば、日中戦争が行き詰まり、解決の仲介を米国に頼ったためです。米国は仲介役として中国からの撤兵などを要求してきました。結局、日米交渉は決裂し、日米は戦争に突入します。日中戦争を米国に頼らず、日中の間で収拾していれば日米戦争は起こらなかったかもしれません」

「日中戦争の解決に英国の力を借りる考え方もありました。明治、大正期の日本外交は交渉方法などで英国から学んだものが多くあります。しかし、日本はドイツと接近したこともあり、原理・原則よりも実利を重視する英国流の伸縮性に富んだ外交術を、列国や中国との付き合い方に生かせませんでした。外交の柔軟性が失われていったのです」

戦前の日本外交は次第に柔軟さを失っていった(アジア歴史資料センターのサイトから)
――先の大戦での経験を今の中国やロシアとの対立に生かせますか。

「ロシアや中国の動きは、リベラルな国際秩序を守るという私たちの普遍的な歴史認識をゆるがしています。そこには帝国と国民国家がせめぎ合う構図がみえ、『普通でない国』が同居する国際秩序が到来していると思わないといけません。以前のように、みな穏健で対等な国家同士が法の支配の下に仲良くする世界はもう来ないかもしれません。この対立を交渉や話し合いを通じて根本的に打開することは難しいでしょう」

「ただ、それだからといって単に国益に従って行動するだけでは戦争は避けられません。武力行使はしないという日本の立場は重要で、『普通でない国』の存在感が増しているからこそ、武力を行使しないために、どのような国際秩序が望ましいかを提案すべきです。世界史でもまれな武力不行使という国是は、日米戦争だけでなく、戦争の多面性の経験から生まれたのです。ここに日本が独自の役割を果たすべき理由があります」

「私がセンター長を務めるアジア歴史資料センターは、外務省の外交史料館、防衛省の防衛研究所、国立公文書館の所蔵する歴史資料をデジタル・データの形で提供を受け、内外に広く公開しています。最近は戦後の外交史料や行政資料も公開しています。これを多面的で柔軟な外交に生かしてほしいと思います」

(編集委員 斉藤徹弥)』