アメリカ合衆国憲法第十四修正の意味
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—I「合衆国——州——個人」構造と人権保護——
I序論
ー 第十四修正と日本の法学
二本稿の目的
H第十四修正の成立
ー 「南北戦争修正条項」
ーー 「合衆国—州—個人」という権力構造
三第十四修正の成立過程
m第十四修正の意味
一 時代精神
二 包括的人権保護規定としての第十四修正第一節
! 「合衆国市民の特権または免除」
2 「法の適正な過程」
アメリカ合衆国憲法第十四修正の意味
君 島 東
ー〇ー
彦
早稲田法学会誌第四十三巻(ー九九三) 一 〇二
3 「法の平等な保護」
三人権保護と合衆国の権限
1「合衆国——州—個人」構造の根本的再編
2第十四修正第一節+第五節という形
1Y結語
I序論
ー 第十四修正と日本の法学
アメリカ合衆国憲法第十四修正は次のように規定する。
第一節 合衆国において出生しまたは帰化し、その管轄権に服する人はすべて、合衆国および居住する州の市民である。いか
なる州も合衆国市民の特権または免除を制限する法律を制定しまたは実施してはならない。いかなる州も法の適正な過程によ
らずに何人からも生命、自由または財産を奪ってはならない。またその管轄内にある何人に対しても法の平等な保護を拒否し
てはならない。 、 –
第五節 合衆国議会は適当な立法によって本条の規定を実施する権限を有する。
ー八六八年に成立したこの憲法規定は、その後、アメリカ合衆国憲法の最も重要な規定の一っとして、合衆国議会・
大統領•合衆国裁判所によって様々に解釈・実施されてきており、現在、第十四修正は「合衆国最高裁の仕事のおそ
らく最大の源泉」となっている。
第十四修正の起草者は、第五節において「合衆国議会は適当な立法によって本条の規定を実施する権限を有する」
と述べて、合衆国裁判所の判決ではなくて合衆国議会の制定法によって第十四修正を実施する意図を明らかにしてい
る。それをうけて合衆国議会は、一八六六年から一八七五年にかけて、「第十四修正を実施する」——すなわち、奴
(3)
Sの身分から解放された黒人の権利を侵害行為から保護する——ための一連の人権法(Qv= Rights AS-S)を制定した。
黒人の権利に対する侵害は、フォーマルな州法ないし州公務員の行為によってもなされるが、インフォーマルな私人
の行為(コミュニティの行為といってもよい)によってなされることが少なくないから、これら人権法は州政府のみ
(4)
ならず私人による人種差別をも規制しようとした。しかし一ハ八三年のCiM R芯ずs Casesにおいて、合衆国最高裁
は一八七五年人権法を違憲とした。合衆国最高裁によれば、第十四修正第一節が禁止するのは「州の行為」(s其e acuon)
だけであり、第五節に基づく合衆国議会の実施権限も州の行為の規制にとどまる。合衆国議会はー八七五年人権法の
ように私人による権利侵害を禁止する権限を有しないとする。第十四修正の起草者は、合衆国議会がー八七五年人権
法のような法律を制定・実施することによって、第十四修正の目的を実現することを意図していたのであるが、一ハ
八三年の合衆国最高裁判決によって合衆国議会の実施権限は封じ込められた。ー九五七年人権法が制定されるまで、
四分の三世紀の間、合衆国議会による第十四修正の実施は休眠状態に入る。この間、第十四修正は主に合衆国裁判所
の判決によって実施されることになる。
奴»制を廃止した第十三修正を再確認し、それを更に推し進めるものとして制定された第十四修正は、「人一般の
権利」の保護を徹底させることを目的としており、その目的に応じた言葉遣いをしている。第十四修正第一節は、ま
(5)
ず、黒人が合衆国市民であることを否定した合衆国最高裁のDved SCS.E e. SQ達Maを覆して黒人が合衆国および州の
市民であることを確認する一文で始まり、権利保護を規定する三つの条項が続く。権利の主体は人一般であり、保護
アメリカ合衆国憲法第十四修正の意味 ー〇三
早稲田法学会誌第四十三巻(ー九九三) 一 〇四
される権利は「特権または免除」、「生命、自由、財産」、「法の平等な保護」である。第十四修正第一節は全体として
極めて包括的な人権保護規定といえる。奴tt制下において人権享有主体性を否定されてきた黒人奴^を白人と対等の
権利主体として承認し、その権利を保護することが第十四修正の直接的な目的ではあるが、包括的な人権保護規定と
して権利保護の範囲は当然に拡大していく。
ある研究者によれば、第十四修正第一節の三つの条項のうち、起草者が中心的な権利保護規定と考えていたのは、
「いかなる州も合衆国市民の特権または免除を制限する法律を制定しまたは実施してはならない」と述べる部分(い
(6)
わゆる特権免除条項)であったという。それゆえ、合衆国最高裁が第十四修正を解釈した最初の事件、一八七三年の
7)
skmgsel House Casesにおいて、原告は適正過程条項と平等保護条項も援用したけれども主に特権免除条項に訴えた
のであった。しかし、合衆国最高裁のこの判決によって、特権免除条項は事実上「屠殺」された。
合衆国最高裁は、第十四修正による黒人の権利保護については一定の段階で消極的になり、むしろ、起草者が意図
していた直接的な目的から離れて、第十四修正を別の種類の権利保護に積極的に使うようになる。合衆国最高裁は、
第十四修正第一節の「いかなる州も法の適正な過程によらずに何人からも生命、自由または財産を奪ってはならない」
という部分(いわゆる適正過程条項)の「財産」および「自由」という言葉に注目し、州の社会立法(再配分的立法)
から私有財産をまもるものとして適正過程条項を使った。第十四修正のこの側面は、日本では田中英夫氏によって詳
(8)
細に分析・検討されている。田中氏の研究は、合衆国最高裁がどのようにして適正過程条項を私有財産権の保障規定
として使うようになり、またどのようにしてそのような使い方をやめるに至ったかを、個々の裁判官の思想、裁判官
の交替と関連づけて、克明に追跡したものである。
結論として田中氏はこう指摘する。「ー,due process c一ause,のような一般条項の解釈にあたっては、裁判官の世界観
が特に大きな役割を演ずる。•:…裁判所〔は〕、,due process clause・のような一般条項の解釈にあたって政治的にな
(9)
らざるをえない」。確かに「ー.due process clause<のような一般条項」の解釈においては特に妥当するが、違憲審査に おいては常に、裁判官の世界観が大きな役割を演じ、裁判所は政治的な判断を避けることができない。したがって「一 due processclause-ーのような一般条項」「開かれた規定」においては特に、しかし違憲審査において常に、憲法の言葉に よりかかって(裁判官の主観を持ち込み)法律を違憲無効とする裁判所の行為は民主的正統性を持つのか、という疑 問は消えない。ここから、第十四修正を含めてより広い文脈で、野坂泰司氏、松井茂記氏の研究が視野に入ってくる。 田中氏は第十四修正の適正過程条項を「一般条項」と呼んだが、「一般的(包括的)基本権条項」と呼ぶこともでき よう。第十四修正が包括的基本権条項であることは一般に認められるが、それに加えて、第九修正を包括的基本権条 項として使う可能性を検討したのが、芦部信喜氏である。 第十四修正第一節の、いかなる州も「その管轄内にある何人に対しても法の平等な保護を拒否してはならない」と 述べる部分(いわゆる平等保護条項)は、かつてホームズ裁判官によって(切札ではなくて)「最後の拠り所」と呼 (12) ばれ、一九五〇年代までは単独で使われることは多くなかった。州の行為の合理性、不偏性、適正さを争うとき、切 札として使われたのは適正過程条項であった。しかしー九五〇年代からは、平等保護条項は、適正過程条項に付随す る「最後の拠り所」ではなくて、むしろ「切札」として積極的に使われるようになる。ウォーレン長官時代の合衆国 最高裁は、一ハ六八年に成立した第十四修正平等保護条項が秘めていた可能性を、一世紀の「沈黙」の後に全面的に 解き放った。合衆国最高裁が平等保護条項を解釈・実施するに当たって生み出した法理、審査基準は、日本では戸松 (3) 秀典氏によって包括的に整理・検討されている。また、合衆国最高裁の平等保護条項解釈の一つの側面、「実体的平 (14) 等保護」については、松平光央氏の分析がある。 アメリカ合衆国憲法第十四修正の意味 ー〇五 早稲田法学会誌第四十三巻(ー九九三) 一 〇六 第十四修正第一節の三つの条項はいずれも、「いかなる州も・…:してはならない」と規定している。第十四修正の いう「州」とは、州政府、 州の公務員のみを指すのか、それとも州全体、州内のすべてのacs-rsを指すのか、条文 を読むかぎりでは明らかではない。起草者は——少なくとも一部の起草者は——州==州内のすべてのacs-rsと考え ていた。黒人の権利に対する侵害は、州法ないし州公務員の行為によってもなされるが、私人の行為によってなされ ることが多いから、私人による権利侵害を禁止しなければ第十四修正の目的は達成されえない。奴»制とは私人間の 関係を政府の権力が補強・担保するものであるから、奴»制を廃止する第十三修正が私人間の関係においても効力を (5) 持つことにはまったく異論がない。第十四修正は第十三修正の趣旨を再確認し、それを更に推し進めるものとして制 定されたものであり、第十三修正ないし第十四修正を実施するために合衆国議会が制定した一連の人権法が、私人に よる権利侵害を禁止する規定をもっていたのは、むしろ当然であろう。 しかし合衆国最高裁は、一ハ八三年の?~を注s ciにおいて、第十四修正第一節が禁止するのは「州の行為」 (sfate acHon)北州政府の行為だけであり、私人の行為は規制対象外である、とした。この判決によって、第十四修 正の射程は、起草者の意図に反して、狭められた。けれども、黒人の権利の侵害、黒人差別は、州法、州の公務員の 行為のみならず、私人の行為によってなされることが多いから、合衆国最高裁は一度限定した第十四修正の射程を再 び拡大せざるをえなくなる。それは、「州の行為」(stas-act-on) の概念をゆるめて、私人の行為を様々な擬制によつ て州の行為に「格上げ」するという方法によって行われた。合衆国最高裁は、私人の行為を州の行為に「格上げ」す るための法理を著しく発達させることになる。が、そもそも、合衆国最高裁がci$.~ Rights Casesにおいて、第十四 修正の射程を「州の行為」に限定しなかったならば、その後の憲法法理はまったく違った展開をしていたであろう。 私人の行為を州の行為に「格上げ」するために合衆国最高裁が発達させた法理は、日本ではまず鵜飼信成氏によって (16) (17) 紹介・導入された後、芦部信喜氏の一連の論稿によって精密に整理・検討されている。最近の動向は木下智史氏によつ (8) て追跡・検討されている。 一八七三年のS目g%,HOMS’ Casesにおいて、原告は、第十四修正のいう「合衆国市民の特権または免除」の中 には、合衆国憲法第一修正から第八修正まで(いわゆる権利章典)に規定されている諸権利が含まれ、したがって州 は権利章典に規定された人の諸権利を侵害してはならない、と主張したが、合衆国最高裁はその主張を退けている。 この型の主張、すなわち、第一修正から第八修正までの諸権利は合衆国政府のみならず州政府に対しても向けられて (19) いる、という主張は、権利章典成立後のかなり早い時期からあったが、ー八三三年のBarnn a BaMSOTeにおいて合 衆国最高裁は、そのような主張を拒否して、さしあたりの決着をつけていた。「州に対する禁止」「州権制限」を本質 とする第十四修正が成立した後は、第十四修正の解釈・実施とのかかわりで、権利章典の州への拘束力が再び問題と されるようになり、その最初の事例がslaughsT-House Casesであった。 第十四修正の起草者がおそらく包括的基本権条項としての役割を期待していた特権免除条項をs-CMgse, Hou.se Casesにおいて「屠殺」した後、合衆国最高裁は十九世紀末から、適正過程条項の「自由」の中に様々なものを読み (20) 込んで、適正過程条項を包括的基本権条項として使うようになる。一九二五年のGWrnv a New !において、第一 修正が保障する「言論の自由」を、第十四修正適正過程条項の「自由」の中に組み込んで以来、合衆国最高裁は、第 一修正の他の諸自由、および第四修正、第五修正、第六修正が保障する刑事司法手続の諸要件を、徐々に個別的に適 正過程条項の「自由」の中に組み込み、それによって州の行為に対する合衆国憲法の規範的拘束を強めた。この「権 利章典組み込み」(incorp。rau。n) によって、とりわけ州の刑事司法手続は飛躍的に改善された。合衆国最高裁によ (21) る「権利章典組み込み」の過程は、日本では町井和朗氏によって検討されている。 アメリカ合衆国憲法第十四修正の意味 ー〇七 早稲田法学会誌第四十三巻(ー九九三) ー 〇ハ –本稿の目的 以上に述べたように、日本の研究者は、それぞれの目的を持って、第十四修正を解釈した合衆国最高裁の判決に向 かい、彼らの目的に対応する側面をかなり詳細に分析・検討してきている。これらの研究によって、アメリカ社会に おいて第十四修正が果たしてきた、あるいは現に果たしている「機能」は少なからず明らかになっており、そこから 研究者の目的に応じて日本法への示唆も汲み取られている。本稿は、これまでの日本における第十四修正研究を踏ま えながらも、それらとは異なった観点から第十四修正を考えてみたい。 日本の研究者はこれまで特に注意を払ってこなかったけれども、アメリカ憲法全体、とりわけ第十四修正を検討す る際に欠かすことのできない論点の一つは、「合衆国——州——個人」というアメリカ合衆国の権力構造と人権保護との 間の相互関係である。人権保護との関連で「合衆国——州——個人」構造をどのように規定するか、ということは、アメ リカ合衆国憲法制定時以来の大きな争点であり、第十四修正の成立は、「合衆国——州——個人」構造と人権保護にとって、 アメリカ憲法史における一大転換点Z=分水嶺となるものであった。本稿は「合衆国——州——個人」構造と人権保護の関 連に焦点を当てて、第十四修正を考えてみたい。「合衆国—州—個人」構造と人権保護の関連に特に注意を払いながら、 第十四修正の成立をアメリカ憲法史の中に位置づけ、その意義を探り、第十四修正の成立時における意味を明らかに することが本稿の目的である。言い換えれば、本稿は、「国家—中間団体•部分社会—個人」構造と人権保護の関連 という近代憲法に普遍的な問題を、特にアメリカ合衆国に即して検討しようとするものである。 π第十四修正の成立 ー 「南北戦争修正条項」 第十四修正は一七八七年合衆国憲法に対する修正条項の一つである。「妥協の束」として成立したー七八七年合衆 国憲法は、二つの緊張を内包しており、その「解決」はあえて避けられていた。が、二つの緊張は時間の経過ととも に厳しいものとなり、遠からず何らかの「解決」が避けられない。それが南北戦争であり、その憲法的表現が「南北 戦争修正条項」(rhe Civil War Amendments)と呼ばれる第十三修正、第十四修正、第十五修正である。「解決」を迫 られた二つの緊張、したがって南北戦争の争点は、「合衆国の性格」(連邦か統一国家か)と「奴B制」(人一般の権 利を承認するかどうか)であった。合衆国軍の軍事的物理的勝利、それに伴う思想的理論的勝利が、二つの緊張を「解 決」した。州主権論の否定(連邦の終焉、統一国家としての合衆国)、奴a制の否定(「人一般の権利」の承認・保護) の方向へ、合衆国憲法は根本的に再編される。 まず、一七八七年合衆国憲法は合衆国の性格を「連邦」(federa旨n)と「統一国家」(nan-.on)の両義的なものとし (22) ていた。起草者は、federalという言葉もnan-.onalという言葉も注意深く避けている (unionという言葉はそれらと は使われる文脈が異なる)。元来、Federal Conventionに提出され、合衆国憲法の「原液」となったいわゆるヴァー ジニア案は、州権を極小化して強力なnational government:の樹立を目指すものであった。しかし、Federal conven, エ。nにおいても、州権制限・合衆国への権力集中に反対する勢力は強く、national government派は、合衆国憲法の 成立を期するために、州権派に譲歩せざるをえず、「原液」は希釈された。その結果、合衆国憲法が規定する合衆国 アメリカ合衆国憲法第十四修正の意味 ー〇九 早稲田法学会誌第四十三巻(ー九九三) ーー 〇 の性格は「連邦」と「統一国家」の両義的なものとなった。したがって、どちらの側面を強調するかによって、合衆 国憲法は様々な解釈が可能となる。統一国家と連邦の両極の間に、振幅がある。一方の極、すなわち合衆国を徹底し 23) た統一国家としてみる見方は、おそらく Janies Wilsonによって最も古典的に定式化されており、他方の極、すなわ ち主権を持った州の連邦として合衆国をみる見方H州主権論は、JohnpCalhounによって古典的に定式化されて (24) いる。ここで、本来、人権擁護のための理論であった州権論が、南部セクショナリズム、奴»制擁護の理論に転化し ていったことに留意しなければならない。合衆国の性格をめぐる両義性・緊張は南北戦争によってさしあたり「解決」 された。Carl schmisはこう総括する。 戦争は南部諸州の敗北に終わったので、この理論 (uca一 h。un理論、君島注)もアメリカ合衆国については片がついた。::: 憲法がその性格を変え、連邦そのものが終初りをつげたことを意味する。:•:.憲法の連邦的要素も、もはや:•:・広範な立法上 の自律および自治という組織要素にすぎない。 したがって合衆国憲法は州権制限・合衆国への権力集中の方向へ再編される。 一七八七年合衆国憲法が内包していたもう一つの緊張は、奴»制に対する態度である。「奴»」という言葉は注意 深く避けられているが、第一条第二節および第九節、第四条第二節は奴B制を暗黙のうちに前提とするものである。 「自由人」(free persons)と「他の人」(oeher persons) を区別するJ七八七年合衆国憲法は「すべての人は平等に (26) 造られ、自然権を与えられている」と喝破した一七七六年独立宣言と鋭い緊張を引き起こさざるをえない。この矛盾・ 緊張もまた、南北戦争によって「解決」される。「人一般の権利」を承認・保護する方向へ一七八七年合衆国憲法は (27) 再編されることになる。 — 「合衆国—州—個人」という権力構造 合衆国憲法制定をめぐる争点の一つは、合衆国は小さな共和国==州の連邦であるべきか、それとも統一された大き -28) な共和国であるべきか、というものであった。小さな共和国論H州権論によれば、小さな共和国==州においてのみ、 専制を防ぐことができ、人権は保護される。大きな共和国は不可能であり、強力な合衆国は人権に対する脅威である、 とされた。一七八七年合衆国憲法は、小さな共和国論:=州権論に譲歩しつつも、基本的には大きな共和国:=集権的な national government:を持つ合衆国を目指すものである。このような合衆国憲法を弁証するものとして最も影響力の 大きかったのが、The Fed言をであった。本稿は、The FedemM算の中でも、連邦と封建制の類似性を指摘する部分 に特に注目する。The FedenMst:はこう述べている。 封建制は、厳密に言えば連邦ではないけれども、確かに連邦と同じ種類の結合体であった。……連邦を構成する一つ一つの政 府はちょうど封建領主に相当する。……〔封建制において〕国王の権力はたいていあまりにも弱くて、治安を維持することも 封建領主の抑圧から人民を保護することもできなかった。 そしてThe FedenMst:は、national government:へ権力を集中する必要性を主張するのである。 合衆国憲法成立後、強力な合衆国は人権に対する脅威であり、州によって人権は保護されるとする州権論は、南部 セクショナリズム、南部諸州の奴»制を擁護する理論へと転落していった。むしろ、奴»制を廃止するには合衆国の 権力が必要であった。解放された四〇〇万の黒人の権利を保護するにも合衆国の権力が必要であった。小さな共和国 H州においては、facn-.onによる権力の独占や多数派•強者による少数派•弱者の差別•抑圧が起こりやすく、小さ アメリカ合衆国憲法第十四修正の意味 ーーー 早稲田法学会誌第¢g十三巻(ー九九三) ーーニ (30) な共和国==州は容易に「閉ざされた社会」となるのである。南北戦争・再建の経験は、連邦という構造が人権保護の 大きな障害であり、人権保護のために州権を制限して、合衆国へ権力を集中する必要がある、ということを示してい る。人権保護のために州権を制限し、それを合衆国権力によって担保することが第十四修正の本質である。 アメリカ合衆国の権力構造を観察して気づくことは、州の中間団体性である。州は、それ自身が準国家権力である が、アメリカ合衆国全体の権力構造の中においてみるとき、中間団体というべき性格を示すのである。合衆国が個人 に対して権力を行使するとき、州はバリケードの役割を果たすが、同時に州は合衆国が試みる改革をサボタ—ジユす る反動の碧ともなる。保守主義法律家団体たるThe Federa=ssocis-yはその「設立の趣旨」の中でニューディール・ リベラリズムを批判してこう述べている。 連邦政府権力の拡大は、個人が自分の運命をコントロールする能力を犠牲にして、また政府の支配力から人々を保護してきた 家族、教会、財産、州などの中間団体 (insrmeds-ee insuruuons)を犠牲にしてなされてきた。 「合衆国——州——個人」構造に対する見方と政治的な立場が深い相関関係にあることは容易に理解されよう。ー九八〇 年代九〇年代における位相を示せば、合衆国への権力集中H中間団体の排除を主張するのが進歩派であり、合衆国の (32) 連邦性n中間団体の擁護を主張するのが保守派である。ー九八〇年代に保守主義法律家団体がThe Federalist socie, 11y H「連邦派」と名乗ることは、以上のような背景に照らしたとき、よく理解できるはずである。 三第十四修正の成立過程 (33) 南北戦争後の政治的再編、戦後改革をアメリカ史学は「再建」(Ree。nmucu。n)と呼んでいる。この再建の過程の 中から第十四修正が生み出された。ここでごくおおづかみに第十四修正が成立するまでの政治過程をみておくことに Sる。 南北戦争中の早い時期から戦後処理・戦後改革をめぐって大統領•合衆国議会は議論を始めており、合衆国議会の 34) 多数を占めた共和党の中でも意見の対立があった。リンカン大統領およびその後を襲ったジョンソン大統領の態度は 保守的現状維持的であり、南部社会の変革に介入する意図を持たなかった。共和党急進派を中心とする合衆国議会は、 大統領の微温的な態度を不満とし、南部の政治変革•社会変革に向かおうとする勢いを見せた。戦時措置たるリンカ ン大統領の奴»解放宣言を合衆国憲法に取り込むための憲法修正案が、一八六三年十二月、合衆国議会に提出された。 この憲法修正案は、「許しがたい州権侵害•合衆国への権力集中であり、合衆国の連邦としての性格を破壊する」と いう反対論を乗り越えて、一八六五年一月合衆国議会を通過し、必要とされる四分の三の州の承認を得て、一八六五 年十二月、第十三修正として発効した。第十三修正はこう規定する。 第一節奴^制または意に反する苦役は、犯罪に対する刑罰として当事者が適正に有罪とされた場合を除いて、合衆国または その管轄に属するいずれの地域においても存在してはならない。 第二節 合衆国議会は適当な立法によって本条の規定を実施する権限を有する。 第十三修正第二節によって与えられた権限に基づいて、合衆国議会は「奴B制の廃止」を実施する—解放された黒人 の権利を保護するU「人一般の権利」を保護するための措置をとった。それが第二次解放民局法 (Freedmen-S 35) Bureau αգ)と人権法 (civ=sghcsAa) である。解放民局とは、戦争終結時より一年間の時限立法として一八六五 年三月に成立した解放民局法に基づいて、陸軍省の一部局として設立された合衆国執行府の機関であり、解放された アメリカ合衆国憲法第十四修正の意味 ーー三 早稲田法学会®第四十三巻(ー九九三) ーー四 黒人や白人難民を保護するために極めて広汎な権限を与えられていた。第二次解放民局法は合衆国議会の授権を更新 拡大するものであった。「人一般の権利」の保護、権利保護の一般化普遍化を更に推し進めるものとして、第二次解 放民局法とともに(戦後処理にとどまらない永続的一般的な)人権法が提案された。これらーーつの法律の特徴は、合 衆国が解放民局と合衆国裁判所を通じて直接に州内の人民を保護する点にある。そして、州政府による差別にとどま らず、州の不作為(私人による迫害から保護しないこと)をも問題にする。合衆国がこれほど州内に介入することは 前例がなかったから、合衆国議会の審議においてこれら二つの法律の合憲性が厳しく問われた。第十三修正の実施と して、合衆国議会はこれほど広汎•包括的•州内介入的な立法権限を行使しうるのかどうか。第二次解放民局法と人 権法はどちらもジョンソン大統領の拒否権を乗り越えて成立した。が、違憲の疑いを取り除き、同時に後の合衆国議 会によって廃止されないように、これらの法律を憲法の中に取り込み、いわば「憲法化」するための憲法修正案が合 (36) 衆国議会に提出された。この目的の憲法修正案は、一八六五年十二月から共和党下院議員スティーヴンスおよびビン (37) ガムによって何度か提出され、その中から最終的な憲法修正のかたちがととのい、一八六六年六月に合衆国議会を通 (38) 過する。ビンガムが提出した案が最終的に第十四修正第一節となった。この憲法修正に対する州の承認は難航した。 ジョンソン大統領と南部旧支配層の強い抵抗を克服して再建を推し進めるため、共和党急進派が主導する合衆国議会 は、ジョンソン大統領の拒否権を乗り越えて再建法を制定した。再建法は南部を合衆国の軍政下におき、黒人への選 挙権付与、新州憲法の制定、第十四修正の承認を合衆国復帰の条件とした。一八六八年七月、承認した州の数は四分 の三に達し、第十四修正は成立した。 皿第十四修正の意味 一 時代精神 第十四修正の意味の具体的な検討に入る前に、ここで、第十四修正を成立させた「時代精神」について考えてみる 41) ことが有益である。巨視的にみるならば、第十四修正は、奴»制廃止運動の到達点•帰結であり、その成果を定着さ せたものとみることができる。第十四修正第一節を起草したのは共和党下院議員ビンガムであるが、ビンガムの憲法 思想・理論を形成したのは、オハイオ州における大学教育(ー八三〇年代)および法律家としての実践(一八四〇年 代五〇年代)であった。ビンガムが、大学および実務において、オハイオ州を拠点とする奴»制廃止論者の憲法概念・ (2) 理論から大きな影響を受けたことは確認されている。第十四修正第一節を起草したビンガムの憲法概念・理論は、奴 43) »制廃止論者の憲法概念・理論の圧倒的な影響の下に形成されたものであった。ビンガムのみならず合衆国議会を主 導した共和党急進派は、総じて奴«制廃止論者の大きな影響を受けていた。 奴»制廃止運動は、当初、道徳的説得により奴»所有者の改心==自発的な奴^解放を期待するものであったが、ー (44) 八三〇年代初頭、政治闘争へと性格を変えた。そして、南部の奴^制擁護の憲法理論と対決しながら、みずからの憲 法理論をつくりあげていった。第十四修正の背後にある考え方、第十四修正が前提とする思想は、オハイオ州西部保 留地を活動拠点とするグループの憲法理論に起源を持つ。理論の完成度は別にしても、彼らの憲法理論を構成する基 本的な要素はすべてー八三〇年代、特にー八三五—三八年のうちに現われている。一八四〇年代五〇年代は、理論の 洗練、調整、再構成、そして伝播普及の時期である。四〇年代五〇年代の諸政党の綱領を通じて奴»制廃止論者の憲 アメリカ合衆国憲法第十四修正の意味 ーー五 早稲田法学会誌第四十三巻(ー九九三) ーー六 法理論が広まり、南北戦争前の世代の共有財産になった。奴»制廃止運動を中核とする諸勢力は共和党を生み出し、 南北戦争勃発後、合衆国議会を支配する。共和党急進派が主導する合衆国議会が、ジョンソン大統領の拒否権を乗り 越えながら、合衆国憲法第十三修正、解放民局法、人権法、第十四修正を次々と成立させて、奴«制廃止運動の総仕 上げを行ったのである。 それゆえ第十四修正の意味は、奴»制廃止運動の目的と性格に照らしたとき、最も的確•整合的に理解できるもの となる。すなわち、人I奴»であれ自由人であれ、黒人であれ白人であれ、要するに人!Iの自然権の回復•保護 という運動の目的(「人一般の権利」の承認・保護)、運動のnacr.ona 一 2cな性格(州内への介入性、合衆国全域にお ける権利保護の普遍性の追求)に照らしたとき、第十四修正は、人の自然権を、完全かつ平等に、連邦制の制約を乗 (45) り越えて、合衆国憲法および合衆国政府によって保護するもの、と理解される。 二 包括的人権保護規定としての第十四修正第一節 1「合衆国市民の特権または免除」 第十四修正第一節は、まず、「合衆国において出生しまたは帰化し、その管轄権に服する人はすべて、合衆国およ び居住する州の市民である」と述べる。これは、黒人が合衆国市民であることを否定した合衆国最高裁のDr& SW «) e・sandfdを覆して、黒人が合衆国および州の市民であることを確認するものである。この一文に、権利保護を規 定する三つの条項I特権免除条項、適正過程条項、平等保護条項—Iが続く。 47) 第十四修正第一節の特権免除条項!「いかなる州も合衆国市民の特権または免除を制限する法律を制定しまたは 実施してはならない」——は、合衆国憲法第四条第二節のいわゆる礼譲条項——「各州の市民は、他州においても、 その州の市民がもっすべての特権および免除を享有する権利を有する」——————–の趣旨を繰り返したものとみなされる。 ここで保護される合衆国市民の特権・免除とは、人の自然権および自然権を確保・維持するのに必要な付随的権利で ある。第十四修正の特権免除条項によって保護される権利のカタログは、奴B制から解放された四〇〇万の黒人の生 活を想起するとき、直ちに具体化されるであろう。 保護される権利のカタログに少なくとも含まれるのは、第十四修正が合衆国議会を通過する直前に成立したー八六 六年人権法の第一節に列挙された諸権利である。第十四修正の目的の一つは、極めて広汎•包括的•州内介入的なー 八六六年人権法を憲法の中に取り込み、いわば「憲法化」することによって、同法の違憲の疑いを取り除き、後の合 衆国議会によって廃止されないようにすることであった。したがって、一八六六年人権法第一節が列挙する諸権利は、 第十四修正が保護する権利のカタログに取り込まれている。一ハ六六年人権法第一節は次のように規定する。 あらゆる人種およびあらゆる皮膚の色の住民は、過去における奴S状態あるいは意に反する苦役にかかわりなく、犯罪に対す る刑罰として当事者が適正に有罪とされた場合を除いて、白人と同等に、契約を締結し・その履行を請求する権利、訴えを提 起し・訴訟当事者となり•法廷において証言する権利、不動産および動産を相続・購入•賃貸•売却•所有•譲渡する権利を 有し、身体および財産の安全のためにすべての法および訴訟手続の完全かつ平等な利益を享受する権利を有する。また、いか なる法、制定法、条例、規則、慣習があっても、白人と同じ刑罰に服し、他のいかなる刑罰にも服さない。 ここに列挙されている権利は、生命、自由、財産という基本的権利、およびそれら基本的権利を確保・維持するのに 必要な付随的権利である。少なくともこれらの諸権利は第十四修正の権利のカタログを構成する。 一ハ六六年人権法第一節は、南部諸州が旧奴»法を引き継いで制定した黒人法(解放された黒人に対する差別•抑 圧立法)に対する応答である。一八六六年人権法第一節の権利のカタログは、黒人法が否定しようとした権利のカタ アメリカ合衆国憲法第十四修正の意味 ー一七 早稲田法学会誌第四十三巻(ー九九三) ーーハ ログに対応している。したがって、黒人市民に対する州の差別•抑圧の態様に応じて、特権・免除のカタログは変容・ 50) 拡大していくであろう。そのような意味で、特権免除条項は包括的な実体的権利保護規定である。 2「法の適正な過程」 第十四修正第一節の適正過程条項^^「いかなる州も法の適正な過程によらずに何人からも生命、自由または財産 を奪ってはならない」——は、もちろん、第五修正の適正過程条項——「何人も、法の適正な過程によらずに、生命、 自由または財産を奪われることはない」——を繰り返したものである。それゆえ、第十四修正が成立する以前の、第 五修正・適正過程条項の解釈は、第十四修正・適正過程条項にも影響を与えるであろう。 南北戦争前、奴»制をめぐって、第五修正・適正過程条項の解釈は重要な争点であった。奴»制廃止論者にとって、 「法の適正な過程」は、「法の平等な保護」と同様に、政府の行為に制約を課するものであると同時に、政府に一定 の行為(==法の適正な過程を提供すること)を要求するものでもあった。既に提供されている法の過程が適正でない ことは適正過程条項違反であるが、人の生命、自由、財産が私人によって侵害されているのに政府が法の過程(==保 護)を提供しないことも、適正過程条項違反であると主張された。適正過程条項は一定の手続を保障するものとして 理解されていたが、同時にかなり早い時期から実体的な保障を要求する規定としても発展してきた。早い時期から南 訂) 部は、奴®という財産を保障する規定として第五修正の適正過程条項を使った。南部の理論によれば、もし合衆国議 会が奴»制を制約する法律を制定するならば、それは法の適正な過程によらずに財産H奴»を奪^-ものである。その 後直ちに、奴»制廃止論者も、奴®制を支える立法を攻撃するときに同じ理論を使った。すなわち、合衆国議会が奴 »制を容認する法律を制定するとき、合衆国議会は法の適正な過程によらずに自由H奴»の人としての自由を奪うも のである。奴S制擁護論者にとっても奴S制廃止論者にとっても、実体的適正過程理論は彼らの憲法理論の基本的な 要素であった。 南北戦争前の第五修正・適正過程条項の解釈が、第十四修正の適正過程条項にも流れ込んでいるとみるならば、第 十四修正の適正過程条項は、手続のみならず実体的権利をも保障するものとなり、州の行為に対する制約であると同 時に州の行為(H法の適正な過程を提供すること)を要求するものとなる。適正過程条項もまた、州の不作為と作為 -52) を要求する包括的な手続的実体的権利保護規定である。 3「法の平等な保護」 第十四条修正第一節の平等保護条項!1「いかなる州もその管轄内にある何人に対しても法の平等な保護を拒否し てはならない」——の直接の起源は、一八六六年人権法第一節の「あらゆる人種およびあらゆる皮膚の色の住民は… •••身体および財産の安全のためにすべての法および訴訟手続の完全かつ平等な利益を享受する権利を有する」という 部分にあると考えられるが、「法の平等な保護」の概念は、奴»制廃止運動を経由して、一七七六年独立宣言にまで 遡りうるものである。 「法の平等な保護」の概念こそ、奴»制廃止運動の憲法理論において最も重要な概念であった。すべて人は神によつ て平等に造られ、平等に自然権が与えられているとする自然権論、それにロックの社会契約説などに依りながら、奴 »制廃止論者は、政府は生命、自由、財産という人の自然権を保護するために樹立されたこと、そして政府が人に保 護を与えるときの基準は平等であることを揺るぎない公理として認める。奴»制廃止運動の目的は、奴»、自由黒人、 53) 、 、 そして廃止論者自身という三つの集団の人々の自然権に法の保護を獲得することであった。あらゆる人は法の保護へ アメリカ合衆国憲法第十四修正の意味 ーー九 早稲田法学会誌第四十三巻(一九九三) ニー〇 の権利を持っている。法の保護こそ政府が樹立された目的であり、人が人であるということに基づいて当然に政府か ら法の保護をもとめる権利を持っている。奴»も、自由黒人も、廃止論者も、他の人と同じように、彼らの自然権に ついて法の保護を受け得るべきである。そして、法の平等な保護は、州政府の差別的な行為によってのみならず、私 人の権利侵害行為を州政府が見逃すこと==州政府の不作為によっても破られる。ある人々には法の保護が与えられる が、他の人々には法の保護が与えられないとき、法の平等な保護は与えられていないのである。州政府は州内の人民 を保護することが義務づけられている。そして州が人民を保護するとき、平等に保護することが義務づけられる。合 衆国議会はこの要件を実施する権限を与えられている。すなわち、州が保護を与えないときに、合衆国が保護を与え、 また、州が平等に保護しないとき、合衆国がそれを矯正する。奴»制廃止論者は、南北戦争前、第十四修正が成立す る以前に、独立宣言、合衆国憲法の諸規定に依りながら、こう主張した。 以上のような奴»制廃止論者の憲法理論を前提にすると、第十四修正・平等保護条項の意味は次のように理解され るであろう。まず第十四修正の平等保護条項は、実体的な権利保護規定と理解される。「法の平等な保護」の概念は、 第十三修正の基礎にある基本的な概念であり(奴»でなく市民であるということは、平等に法の保護を受けるという ことである)、解放民局法および人権法の中核であり、第十四修正の諸案の中に共通に現われた要素であり、第十四 修正第一節の最終案の中核であった。これらを通じて、法案の賛成者も反対者もそれを実体的な意味に理解していた。 人の基本的権利あるいは自然権の保護が平等保護条項の基本的な観念であり、平等はそれを限定する条件であった。 平等保護条項は、人の自然権を保護する政府の能動的な義務に確認的に言及したものである。「平等な」という言葉 が使われているので比較形のようにみえるけれども、この条項は絶対的実体的なものとして理解される。保護の平等 な否定、つまり保護の欠如は、したがって、平等な保護の否定である。法の平等な保護の要件は、法の保護が与えら れないかぎり、充たされない。そして、人の自然権に法の保護を与えることが、政府の樹立された唯一の目的である。 したがって、「いかなる州も……拒否してはならない」という表現は、「各州は提供しなければならない」という命令 になる。そして、平等保護条項の全体は次のような意味と理解される。「各州は人の自然権に法の保護を与えなけれ ばならず、その保護はすべての人に常に平等でなければならない」。平等保護条項も、包括的な実体的権利保護規定 (54) である。 以上のように、第十四修正第一節の三つの条項——特権免除条項、適正過程条項、平等保護条項—Iの意味を検討 0 して明らかになることは、これら三つの条項の重複性である。三つの条項とも、すべての人の自然権を平等に保護す ることを目的とする、包括的な実体的権利保護規定である。 =ー人権保護と合衆国の権限 1「合衆国——州——個人」構造の根本的再編 第十四修正第一節の三つの条項はいずれも包括的な人権保護規定であるが、三つの条項とも「いかなる州も:::し てはならない」と規定していることに注意しなければならない。第十四修正の本質は、「合衆国——州—個人」構造に おいて中間団体・部分社会たる性格を示す州の内部へ合衆国が徹底的に介入すること(H合衆国による州権制限)に よって、人権を保護することである。 ー七八七年合衆国憲法の「合衆国——州——個人」構造は、第十三修正および第十四修正によって根本的革命的に再編 されたが(州権制限・合衆国への権力集中)、これを先取りしていたのが、やはり一八三〇年代以来の奴B制廃止論 者の憲法理論であった。奴®制廃止運動の初期、道徳的説得によって奴α所有者個人の改心を期待していた時期には、 アメリカ合衆国憲法第十四修正の意味 ニニ 早稲田法学会誌第四十三巻(ー九九三) ニーニ 合衆国の連邦制に由来する問題はまったく自覚されなかった。しかし奴®制廃止運動が政治闘争へと方針を転換した 後は、連邦制の問題は直ちに前面に立ち現われ、連邦制の壁を破らなければ目的は達成できないことが自覚された。 そして連邦制の制約を乗り越えるための理論構成が試みられた。例えば、最も介入的・拡大的な理論は次のようなも のとなる。 独立宣言、州憲法、合衆国憲法前文によってアメリカ体制の基礎におかれているのは、人の自然権を法によって平 等に保護することが政府の最高の目的であり義務である、という観念である。更にその本質からして、保護は政府の 不作為によっては達成されえない。それは政府による能動的な権限の行使を要求する。この政府の保護の観念を合衆 国憲法の諸条項!I合衆国市民権(第四条第二節)、法の適正な過程(第五修正)、人身保護令状(第一条第九節)、 (7) 共和政体の保障(第四条第四節)、一般福祉条項(第一条第ハ節)——と結び付けることによって、州政府の不作為・ 妨害を乗り越えて合衆国全域に法の保護をもたらす合衆国議会の権限が主張されることになる。 論者によってはもっと穏健な理論構成がとられたが、いずれにしても最終的には連邦制を乗り越えて合衆国議会の 州内への介入が主張された。人権を保護するために州内へ介入していく合衆国議会の権限は、南北戦争後、第十三修 (58) 正第二節および第十四修正第五節として明文化される。 2第十四修正第一節+第五節という形 最終的に成立した第十四修正は、南北戦争の戦後処理としての性格を持つ第二、三、四節を除くと、「いかなる州 も••••:してはならない」と述べる第一節と「合衆国議会は適当な立法によって本条の規定を実施する権限を有する」 と述べる第五節とから成っている。第十四修正第一節+第五節の原型というべきものは、ビンガムが一八六六年二月 三日に提出した憲法修正案である。二月三日ビンガム案はこう規定する。 合衆国議会は、各州の市民に、他州の市民が持つ特権および免除のすべてを確保するために、また、いかなる州においてであ れすべての人に、生命、自由および財産の権利の平等な保護を確保するために、必要かつ適当なすべての法律を制定する権限 を有する。 このビンガム案は、四月二十一日にスティ}ヴンスが提出した全五節からなるオムニバス憲法修正案(その第五節が 「合衆国議会は適当な立法によって本条の規定を実施する権限を有する」というものであった)の中へ第一節として 挿入されることになり、「いかなる州も……してはならない」という第一節と「合衆国議会は適当な立法によって本 条の規定を実施する権限を有する」という第五節に分離する。このようにして第十四修正第一節と第五節が生まれた。 二月三日ビンガム案、四月二十一日スティーヴンス案を含めて諸憲法修正案を検討して明らかになるのは、細部の 変更にもかかわらずそれらの目的•本質は一貫しており変化がないこと、その目的•本質は「人の自然権に対する法 の平等な保護」であること、この「人の自然権に対する法の平等な保護」の概念がいろいろな異なった言葉で表現さ れたこと、そして州の不作為・妨害を乗り越えて法の平等な保護を提供する合衆国議会の役割が強調されたこと、で ある。合衆国議会における審議を検討してみると、二月三日ビンガム案が「州に対する禁止」と「合衆国議会の権限」 に分離する前後で、起草者の意図に変化は認められない。審議において一貫して強調されたことは、人権は州法およ び州の公務員によって侵害されることが多いが、私人による侵害も少なくないこと、したがって私人による侵害から 人権を保護する必要があること、である。第十四修正は、州の不作為を乗り越えて人の自然権を能動的に保護する広 汎・包括的な権限を合衆国議会に与えるものである。「第十四修正は連邦制を破壊して強力な統一国家をつくるもの アメリカ合衆国憲法第十四修正の意味 ー二三 早稲田法学会誌第四十三巻(ー九九三) ニー四 である」という民主党議員の批判は、第十四修正の意味を裏面から照らし出している。 W結語 人権保護との関連で「合衆国——州——個人」構造をどのように規定するか、ということは、アメリカ革命以来の大き な争点であった。合衆国憲法制定当時においては、州の自律を保持することによって専制は防ぐことができ、人権は 保護されるとする州権論がむしろ強かったであろう。しかし現実には、専制・人権侵害は自律的な州において生じた。 州は「閉ざされた社会」となつた。合衆国が州内に介入して、奴a制を廃止し、解放された四〇〇万の黒人の権利を 保護した。南北戦争・再建の経験は、州の自律が人権保護の大きな障害であることを示している。第十四修正は、合 衆国が州権を制限し、州内に介入することによって、人権を保護しようとするものである。第十四修正の成立によつ て、一七八七年合衆国憲法の「合衆国——州——個人」構造は根本的に再編された。The F&enMsf:は権力が分散してい る連邦構造を封建制になぞらえているが、第十四修正の成立によって権力の一元的集中==政治的統一がすすみ、同時 に「人一般の権利」が承認されたのである。 ー八六八年に成立して以来、第十四修正はアメリカ合衆国憲法の最も重要な規定の一つとなり、現在「合衆国最高 (61) 裁の仕事のおそらく最大の源泉」となっている。とりわけウォーレン長官時代の合衆国最高裁は、第十四修正を縦横 に使い、州内に介入して人権保護•社会変革を推し進めた。他方で、John c・Calhoun以来一貫して、州権論(「州の 自律」論)はアメリカ保守主義のメルクマールである。Calhounの州権論は、階層的秩序の擁護、合理主義に対する (62) 嫌悪でもある。現在においても、例えば、黒人隔離教育について、女性の妊娠中絶について、州の刑事司法手続につ いて、合衆国の不介入・州の自律は、人権保護の後退を意味する。ー九九〇年代に、「合衆国——州——個人」構造と人 権保護がどのような展開をみせるか、注目されるところである。 (第十四修正が成立して百二十四年が経過したー九九二年七月二十八日) (1) 第十四修正第二、三、四節は、南北戦争の戦後処理であり、本稿の目的とは本質的な関連を持たないので、本稿では触れない。 (2) Raoul BergerGoeerm 蚤 by Jwilcw-ly』The TTansforfns.ion 0f fke Fou-rteenfk Awtendm誓r-af 1(1977) • (3) civ二righfsという言葉は多義的である。「市民的権利」ないし「公民権」とい、つ日本語訳は、いずれも意味を絞り込み過ぎているとおも、つ。 アメリカ人はこの言葉を多義的なものとして、あえて意味を開いたままにして使っている。CM- righfsとい、つ言葉にいちばん近い使われ方をし ている日本語は、おそらく「人権」であろう。私はQV二Righfs αգを「人権法」と訳すことにしている。 アメリカ人が1コghtsという言葉をどう使うかについて、ここで二つだけ例を挙げておきたい。①ー九四六年にGHQによつて起草された 日本の憲法草案(いわゆるマッカーサー草案)の草稿は、人の権利を列挙した部分を、ーonMRlght<と題していた。列挙された権利の中には、 参政権はもちろん、いわゆる社会権も含まれている。②ー九六〇年代に合衆国および各州でQVーー Rights AS-が制定されたが、例えばイリノイ州 のように、Civil Rights Aaに代えてHuman Rights Acr-hという法律名を採用した州もある。法律名がclv-1 Rights αգとHuman Righ-S A2-のど ちらであっても、保護される権利の範囲に基本的な違いはない。イリノイ州のHuman Rights αգについて、Ak-hlko Kimijima, Discriminatory Empoymenrt-AdverHS 一 nお早稲田大学大学院『法研論集』四十七号ー頁(ー九八八年)。なお田中英夫編集代表『英米法辞典』一四八頁(ー九九 一年)参照。 (4) 109 US 3 (1883), (5) 60 US (19 How・)393 (1857). (6) Raoul Berger- by JKdtcsTy. The TIUnsfoぎ 昌 on of frFowfeenm 4 ざ通 dwnf、a20(1977) • (7) 83 US (16 war) 36 (1873) • (8) 田中英夫「私有財産権の保障規定としてのDue Process Clauseの成立(一—七)——法の発展において裁判所の果す役割についての一考察 —!」『国家学会雑誌』六九巻一 •二号ー頁、七〇巻三•四号六六頁、十一 ・十二号四四頁、七一巻六号ニー頁、七二巻三号ー頁、七号ー頁、ハ 号一頁(ー九五五—五八年)。 アメリカ合衆国憲法第十四修正の意味 ーニ五 早稲田法学会誌第四十三巻(ー九九三) ニー六 (9) 前掲注(8)田中論文、七二巻八号二八—二九頁(一九五八年)。 (10) 野坂泰司「『司法審査と民主制』の一考察(ーー四)」『国家学会雑誌』九五巻七•八号ー頁、九六巻九•一〇号ーー六頁、九七巻五•六号六 八頁、九• 一〇号七〇頁(ー九八ニー八四年)。野坂泰司「最近の合衆国における『憲法解釈』論争のー断面——R •バーガの問題提起に即して —!」『現代国家と憲法の原理』ー二三頁(ー九八三年)。松井茂記『司法審査と民主主義』(ー九九一年)。 (11) 芦部信喜「包括的基本権条項の裁判規範性——アメリカ憲法修正九条について!!」『法学協会百周年記念論文集•第二巻』五五頁(ー九八 三年)。 (12) Buck α B冬 274 U • S • 200 (一927). (13) 戸松秀典「平等保護と司法審査(ーー四)|合衆国憲法の平等保護条項に関する司法の役割の研究!」『国家学会雑誌』九〇巻七・ハ号 ー頁、九一巻一 •二号ー頁、九一巻三•四号ー頁、九一巻七•八号二七頁(ー九七七—七八年)。 (14) 松平光央「平等保護条項と経済的不平等の是正!I実体的平等保護の司法理論を中心に!!」『アメリカ憲法の現代的展開I人権』二四三頁 (ー九七八年)。 (15) Gerald Gumher- consAまE 一 evens Edluon- art-924 (一985). (16) 鵜飼信成『憲法』(岩波全書)八二頁(ー九五六年)。鵜飼信成「人権保障の私人間における効力^平等権をめぐって|」『司法審査と人 権の法理』ー八三頁(ー九八四年)。 (17) 芦部信喜『現代人権論』三—九二頁(ー九七四年)。芦部信喜『憲法訴訟の現代的展開』三六ーー四一五頁(一九八一年)。 (18) 木下智史「私人間における人権保障と裁判所!ステート•アクション論に関する覚書—!」『神戸学院法学』ー八巻一 •二号七九頁(ー九 八七年)。 (19) 7 per243 (1833). 26) 268 US 652 (1925)’ (21) 町井和朗「米連邦権利章典と修正第一四条適法手続条項(ー ー四)」『大東法学』創刊号、二号、三号、四号(ー九七四—七七年)。 (22) 一七八七年合衆国憲法の成立過程については、斎藤真『アメリカ革命史研究^^自由と統合^Tとりわけ二三三!二八八頁、四三九—四 八一頁(ー九九二年)。 (23) 前掲注(22)斎藤、二四六—五六頁。また、Garry w=s- James W二 son’s New Meaning for sovereignty” in Cぎ遂ge . D-sqw.§ on Go為MW* (一851)•その邦訳として、中谷義和訳『政治論』(一九七七年)。 (25) カール・シュミット著阿部照哉・村上義弘訳『憲法論』四ーー七頁(原著一九二八年)。 (26) 奴^制を黙示的に容認するー七八七年合衆国憲法が、それを解釈•実施する裁判官に課した鋭い緊張について、Robert M・coverwsミe 4へ, CMS§ 車をM3 and frMd§£.process (一975). (27) George Anass-pl?Slavery andfhe conso-s-cron Explorations “ 20 Teas Tech L. Reu. 677 (一989)参照。 (28) 合衆国憲法制定をめぐる争いについては、前掲注 (22) 斎藤、二三三—二八八頁、四三九—四八一頁。 (29) The Federa-IM No•一7- aC121422 (CHns-n Rosmer ed・)•斎藤真•武則忠見訳『ザ・フェデラリスト』ハー ー八二頁(ー九九一年)。ただし、 本稿の訳は私自身の訳である。 (30) The Federal£ N0.10・at 77—84 (clms-n RossMer ed)・斎藤真.武則忠見訳『ザ・フェデラリスト』四三—四九頁(ー九九一年)。ハンナ・ アレント著志水速雄訳『革命について』二六ーー頁(原著一九六三年)。 (31) 君島東彦「現代アメリカの保守主義憲法理論!Iボーク判事指名問題を契機に考える!」『早稲田法学会誌』第四十一巻ニー四頁(ー九九 一年oThe FederaHsfSociefyについては、この君島論文を参照。 (32) 例えば、アメリカ憲法史の古典、 Alfred H・ Kelly- Winfred>Harbison’ and Herman Be5The consMUMOn” Hs and Dete~op.
menr. Sixth Edition (一983)は、 アメリカ憲法に対する態度を、ー一the liberal nac-.onaH% reform tradition-とほhe decenLra=s2aisseztfa-re Lrads-一OIT
の二つに分類している。
(33) アメリカ史学は「再建」をどうみるか、三つの例として、ドン・E•フェーレンバッハ「連邦の崩壊と再建」ジョン・ハイアム編同志社大
学アメリカ研究所訳『アメリカ史像の再構成』ーー九頁(ー九七〇年)、ジェームズ• M •マクファソン「奴^制反対の遺産!!『再建』時代か
ら全米黒人向上協会まで」B – J •バーンスタイン編琉球大学アメリカ研究所訳『ニュー ・レフトのアメリカ史像』ー〇五頁(ー九七二年)、エ
リック・マソキトリック「再建——超保守革命」C • V «ウッドワード編『アメリカ史の新観点(上)』一七五頁(ー九七六年〇
(34) 再建期の合衆国議会における共和党の派閥(超急進派、スティーヴンス急進派、独立急進派、穏健派、保守派)について、 Dav& Dga戸
The PoMics 0f ReconsWucMon 186311867 (1965) *
(35) 解放民局(まe Freedmen-S Bureau件)について、辻内鏡人「『奴^主—黒人奴a』関係の再編過程—I解放民局の労働政策の展開(」本田
創造編『アメリカ社会史の世界』五十六頁(ー九八九年)。
(36) Thaddeus SLevens について、Fawn M・ Brodle~ Thaddeas sfeeens. Scourge of frSo ミZ一 (1959) •
(37) John A・ Bingham について、Erv-ng E・ Beauregard, Bmgham of Ehe Hi二s” Po~•一Wa-n and Dlo 菖 f E注 Taoyd§ary (1989)•合衆国最高裁のブラッ
ク裁判官は、第十四修正第一節を起草したビンガムを、よhe Madison of1:he Fourteenth Amendmentsと呼んだ。ddRKSOn u Ca~ぎmia、322 U.S・
アメリカ合衆国憲法第十四修正の意味 ーニ七
早稲田法学会誌第四十三巻(ー九九三) ー二ハ
46 • 74 (一947).
(38) 南北戦争後の合衆国議会は、ジョンソン大統領の保守的な再建政策に対抗して、より急進的な再建を推し進めていったが、その中心となっ
たのは一八六五年十二月に合衆国議会内に設けられた再建合同委員会であった。この委員会は、下院議員九人、上院議員六人の合計十五人で構
成された。第十四修正もこの委員会が起草して上下両院本会議に提案したものである。スティーヴンスもビンガムもこの委員会の有力な委員で
あった。
ここで再建合同委員会および合衆国議会に提出された憲法修正の諸案を掲げておく。提出された日付と提案者名を付した。これらを追跡する
ことによって、第十四修正の目的•意味はより明確になるであろう。これらは、Jacobus tenBroerEqをD云§如&• 205—207 (一965) から引用
した。
ー八六五年十二月五日、スティーヴンス案
「すべての合衆国法および州法はあらゆる市民に平等に適用されなければならず、人種および皮膚の色にもとづく差別がなされてはならない。」
ー八六五年十二月六日、ビンガム案
合衆国議会に「合衆国のあらゆる州のすべての人に、権利、生命、自由および財産の平等な保護を確保するために、 必要かつ適当なすべての法
律を制定する」権限を与える。
ーハ六六年一月十二日、スティーヴンス案
「すべての法律は、州法であれ合衆国法であれ、人種および皮膚の色にかかわりなくすべての人に公平かつ平等に作用する。」
ーハ六六年一月十二日、ビンガム案
「合衆国議会は、合衆国内のあらゆる州のすべての人に、生命、自由および財産の権利の平等な保護を確保するために、必要かつ適当なすべて
の法律を制定する権限を有する。」
ーハ六六年一月一ー〇日、再建合同委員会小委員会案
「合衆国議会は、すべての合衆国市民に、あらゆる州において、等しい政治的権利および特権を確保するために、また、あらゆる州のすべての
人に、生命、自由および財産の享有の平等な保護を確保するために、必要かつ適当なすべての法律を制定する権限を有する。」
ーハ六六年一月二十七日、再建合同委員会小委員会案
「合衆国議会は、あらゆる州のすべての人に、生命、自由および財産の享有の平等な保護を確保するために、また、あらゆる州のすべての合衆
国市民に、等しい免除と平等な政治的権利および特権を確保するために、必要かつ適当なすべての法律を制定する権限を有する。」
ー八六六年二月三日、ビンガム案
「合衆国議会は、各州の市民に、他州の市民が持つ特権および免除のすべてを確保するために、また、いかなる州においてであれすべての人に、
生命、自由および財産の権利の平等な保護を確保するために、必要かつ適当なすべての法律を制定する権限を有する。」
ーハ六六年四月二十一日、スティーヴンス案
「第一節 州または合衆国により、人の権利 (CW二rights) に関して、人種、皮膚の色、または以前に奴^であったことを理由として、いかなる
差別もなされてはならない。
第五節合衆国議会は適当な立法によって本条の規定を実施する権限を有する。」
ーハ六六年四月二十一日、スティーヴンス案の第一節に次の文章を追加することをビンガムが提案
「第一節:::いかなる州も、その管轄内にある何人に対しても、法の平等な保護を拒否してはならず、また正当な補償なしに私有財産を公共
の用のために徴収してはならない。」
ーハ六六年四月二十一日、前述の追加案が拒否されたあとで、次の規定をスティーヴンス案に追加することをビンガムが提案
「いかなる州も合衆国市民の特権または免除を制限する法律を制定しまたは執行してはならない。いかなる州も法の適正な過程によらずに何人
からも生命、自由または財産を奪ってはならない。またその管轄内にある何人に対しても法の平等な保護を拒否してはならない。」
ーハ六六年四月三〇日、再建合同委員会が上下両院の本会議に提出した案
「第一節いかなる州も合衆国市民の特権または免除を制限する法律を制定しまたは執行してはならない。いかなる州も法の適正な過程によら
ずに何人からも生命、自由または財産を奪つてはならない。またその管轄内にある何人に対しても法の平等な保護を拒否してはならない。
第五節 合衆国議会は適当な立法によって本条の規定を実施する権限を有する。」
ー八六六年六月十三日、合衆国議会を通過した案(後に第十四修正として確定)
「第一節 合衆国において出生しまたは帰化し、その管轄権に服する人はすべて、合衆国および居住する州の市民である。いかなる州も合衆国
市民の特権または免除を制限する法律を制定しまたは執行してはならない。いかなる州も法の適正な過程によらずに何人からも生命、自由また
は財産を奪ってはならない。またその管轄内にある何人に対しても法の平等な保護を拒否してはならない。
第五節合衆国議会は適当な立法によって本条の規定を実施する権限を有する。」
(39) ここで、これまでの第十四修正成立史研究について、概観•整理しておきたい。第十四修正成立史研究は、これまで歴史家、政治学者、法
律家によって精力的になされてきており、その蓄積はかなりのものとなっているが、それらは大きく二つに分類できると私は考える。分類の基
準は、合衆国憲法が内包していた二つの緊張==南北戦争の争点である。第一の系列の研究は、南北戦争•再建の革命性を強調し、したがって第
十四修正の意図を、州主権論の否定==合衆国への権力集中、「人一般の権利」の保護の徹底とみる。第二の系列の研究は、南北戦争•再建の保守
アメリカ合衆国憲法第十四修正の意味 ーニ九
早稲田法学会誌第四十三巻(ー九九三) 二一ー〇
性微温性を強調し、したがって第十四修正の意図を、州主権論の維持、限定的な権利保護とみる。
第一の系列の研究で重要なものは、Horace Edgar FlacrTr※ d-g-Hon of 一rFOWTMMh 4 法胃 (1908)” Howard Jay Graham, The Early
Anffs 一 avery Background ofEhe Fourreenr-t-h Amendments and II”1950 演s.>Ree. 479) 610 – Howard Jay Graham” Our -Declaratory- Fourteenth
Amendmenr-7 sfaM. L. Rさ 3(1954) •これらは後に Howard Jay Graham- Ee3Cons 芸ぎfiow (一968)にまとめられた。Jacobus fenBroerTr
4為Esぎw £gins〇二ke FOMtee£h ミ(1951)•これは後に本文は変わらないまま史料が追加されてJacobus CenBroek • E誓£.ugdeT Law
(1965)として再刊された。Grahamと!L告8^^1{の研究は共同研究ではないが、互いに相手の研究を意識しながらなされたものであり、第十四修
正成立史に対する基本的な認識枠組は同じである。Alfred H・ Kelly- The Fouseemh Amendmenr+Reconsldered” The SegregaHon Question- 54
wch. L. Ret.1049 (一956) •
第二の系列の研究で重要なものは、Charles FalrmaF Does -he Fourfeenfh Amendmen 二 ncorporate Che B=of Rights7・ The Original
understanding, 2 sfan. L. Re? 5 (1949) • A 一 exander M・ Bickel) The Original Understanding and Che Segregation Decision- 69 Hare・rRee・一
(一955) • Joseph B・ Jame?srFwwwig of frFo 堂eewfk awt 胃 d買ぎ(1956) • Joseph B・ James” TTie RaMtahow of Me Fouys-e 翌^4 ざ渋 w* (1984).
Raoul Berger- Goeemmenf be Judwialy: The TTansformafwn of ~he 勺〇ミ』0急^4§0達呂§~(1977)・ Raou 一 Berger” The Fotwte小ミh 47MAMd 昔 0a~he
BM~ 0ヽ Rights (1989)-
これらの研究のうち、第一の系列の第十四修正観を古典的に定式化したのはfenBroekであり、第二の系列の第十四修正観を古典的に定式化し
たのはBergerであると私は考える。私自身は、CenBroekが第十四修正の意味•可能性を最も的確に見透していると考えるので、以下の第十四修
正の意味の検討において一enBroekに最も依存している。
また、Raou- Berger- Go忌、nmeW bejud-cuwy TrTTansformas of EM F日ミ蚤h ミ(一977) について、野坂泰司「最近の合衆国におけ
る『憲法解釈』論争のー断面!R •バーガの問題提起に即して!—」『現代国家と憲法の原理』ー二三頁(ー九八三年)、松井茂記『司法審査
と民主主義』一九三頁(一九九一年)。
40) 前掲注 (39) で挙げたGraham” benBroerKeMy- Bickelらの研究と、・own。BoaM〇f E貿cazwn. 347 US 483 (1954)との関係は知っておい
たほうがよい(この事件の詳細は後掲君島論文「ブラウン判決の生誕」に譲る)。ブラウン事件では原告NAACPの行動も周到であったが、合
衆国最高裁の態度も慎重であった。合衆国最高裁はー九五二年十二月に当事者の口頭弁論を聴いたが、結論を出さず(出せず)、当事者に再弁論
を命じている。当事者は、とりわけ、①第十四修正平等保護条項の原意(第十四修正は公立学校における人種隔離を許容する趣旨であったかど
うか)、②人種隔離を第十四修正違反とした場合の救済のあり方について、準備書面を提出し、弁論することが求められた。再弁論の設定は合衆
国最高裁の側の時間かせぎの性格が強いが、NAACPは直ちに第十四修正平等保護条項の原意の探求を始めた。すぐにグレイアムの論文とテ
ンブレックの研究書が目に止まり、NAACPは二人に協力を依頼した。テンブレックはまったく目が見えないとい、つ障害ゆえに協力が難しかっ
た。グレイアムは耳が聞こえなかったけれども、協力を惜しまなかった。NAACPはグレイアムに加えて、アメリカ憲法史の好著(ー九四ハ
年刊)で知られていたケリーの協力も得、陣容を強化した。グレイアム、テンブレックの歴史認識を大きな枠組とし、第十四修正を起草した合
衆国議会の議事録を周到適切に再構成して、第十四修正平等保護条項の原意に関する準備書面がまとめられた。NAACPのこの準備書面は、
Phi ーーp B‘ Kurland and Gerhard Casper’ eds: Landmark Briefs and A.Tgwnent:s Rfr須pre 鳶 CouM 0f 苔 e U喜M ss-s-s.. consfzs-fs-言 ~ Law. vol.49-
481(1975)に収められている。
最初の口頭弁論が行われたー九五二年開廷期にフランクファータ裁判官のロー ・クラークであったのが、ビツケルである。フランクファータ
裁判官は、ブラウン事件の参考にするため、ビツケルに第十四修正の原意を調べる仕事を与えていた。第十四修正の原意に関するビッケルのメ
モランダムは、ー九五三年十二月に行われた再弁論の前に他の裁判官にも配布され、合衆国最高裁の共通の認識となった。合衆国最高裁は、第
十四修正の原意について、最終的に一九五四年五月の判決の中でこう述べる。「この議論(==再弁論での議論、君島注)およびわれわれ自身の調
査から得られる結論は、これらの史料はいくぶん参考にはなるが、われわれが直面している問題を解決するには充分ではない、ということである。
それらは決定的ではない」。そして、第十四修正の原意に依拠せずに、公立学校における人種隔離を第十四修正違反とした。判決が下された後、
ビツケルはフランクファータ裁判官に提出したメモランダムに手を加えて論文として発表した。ケリーはNAACPの準備書面に結実させた歴
史認識を再検討し、論文を書いた。Graham LenBroerKelly- Bickelの第十四修正研究はこのようにブラウン事件とかかわつている。ブラウン
事件について、R 一chard K 一 uge?JUSMCe・ The Ihstory 0f Bwwn e. Boavd 0f EdwcMonpnd Black America’s smuggle fo-r EqsiaHW (1975) – Mark <• TushnerThe NAACP’S Lega~ swas-gy against; SegTeg 算ed Educafton 1925-1950 (1987) • Mark V・ TushnerWMh Kafya Lezin” WhafRea ーー y Hap- pened -n B70 wn e. Boa-rd qEdぎαぎさ91cohtm. L. Rev1867 (1991)•君島東彦「ブラウン判決の生誕」『法の科学』十七号一七二頁(ー九八九年)。 この注 (40) の記述はKhlger一豊615—655による。 (41) 奴B制廃止運動という言葉については注意を要する。南北戦争前のアメリカでは早くから奴a制反対運動 (anus 一 avery movements) があり、 奴^を徐々に解放して(漸次主義)アフリカのリベリアなどへ入植させること(植民主義)などが主張されていたが、ー八三〇年代に奴^制反 対運動の先鋭化した一形態として、奴aの即時・全面的解放を主張する人々が現われ、特にabola.on 一 s〔と呼ばれた。ancr.slavery movements諸潮 流の中の 一 っとしてabolaomsmがあるわけである。したがってantis 一 averyとabomo-nisrは厳密に区別されるべきであるが、aboUHonist:が anc-.s 一 avery movementsを決定的に規定したことを重視してか、ann-slavery movements全体をも無差別にabom-onlsm “ abolsonist:と呼び、an? slaveryとabo 一&-on 一 sbを互換的に使う研究者も少なくない。第十四修正に影響を与えたのは言葉の本来の意味でのabolMon 一 zであるから、本稿 は「奴^制廃止運動」あるいは「奴^制廃止論者」という日本語を使う。奴該制廃止運動について、宮井勢都子「奴^の即時解放を求めて!— アメリカ合衆国憲法第十四修正の意味 ニーニ 早稲田法学会誌第四十三巻(ー九九三) 一三二 ー八三〇年代のアボリショニストの奴^制認識^」本田創造編『アメリカ社会史の世界』二十七頁(ー九八九年)。 (42) 前掲注(37) Beauregard- at:95—109・ (43) 奴^制廃止論者の憲法理論について、t1enBroerEgヾ m ¢/nd; u&、ar-t-33111?1(1965),William M, Wiecerrrsvanscewarrがニュージャージー州最高裁判所で展開し
た法解釈について、Daniel R・ ErnsrLegal positivism “ Abo 一?.on isf Ls-lgacron” ande+he New Jersey Slave Case of 1845-4 Z0£ 灯 Hz%. Ree. 337
(1986) •よく読まれた奴a制廃止論者の憲法論の一っとして、wBlam GoodeF§
ss。ミーSecond Edla-on (first: published 1845 – reprinted 1971)•
様々な奴a制廃止論者の中から、ー九七〇年代八〇年代のアメリカが「再発見」したのは、Lysander Spooner (180811887)である。とりわけ、
現代における無政府資本主義の主唱者、Murray N・Rothbardが、個人主義的無政府主義の先駆として、Spoonerの政治思想を「再発見」し、現
代の読者の前に提示した。Murray N・ Rs-hbard- Fot a New L-bertw The Lzbertanaw Mamfesfo一 rev・ ed・(一978) • Lysander Spooner の著作集として、
The CoUecW wbs.sA^s Co爲ざミ§ぎD0a¥ TrconsM?ぎ!!,M&、emd Equa善§ rr
CMn~ W07 Em (1975).
(44) 後掲注(51)参照。
(45) 奴M制廃止論者の憲法理論と第十四修正を結び付ける見方は、前掲注(39)に挙げたGrahamと』enBroekの研究において定式化されている。
(46) 60 U.S.(一9 How・)393 (1857) •
(47) 「特権」(privilege)および「免除」(一mmunを)という概念は、一七七七年連合規約第四条に現われており、一七八七年合衆国憲法第四条第
二節に引き継がれ、更に一八六六年の第十四修正でも使われた。「特権•免除」という概念が中世のコモン・ ローに起源を持つことは直ちに気づ
くことである。合理主義的な人権・自然権ではなくて、中世以来歴史的に積み重ねられてきた特権・免除という概念が使われているという事実
は軽視できない。アメリカ革命と合衆国憲法の特徴を示すものである。
(48) 14 srar27,この規定は現行法の 42 use・coo«xl198r1982 に引き継がれている。Gerald Gunrher- ConsM葺toncU Lw- E 一 even&Ed&on- at:
857—859 (1985)参照。
(49) 黒人法について、本田創造『アメリカ社会と黒人—!黒人問題の歴史的省察』五十二頁(ー九七二年)、辻内鏡人「南北戦争後の解放黒人を
めぐる法!!労働法体系としてのブラック・コード」『桜美林論集』十五号(ー九八八年)。南部諸州の奴^法について、Kennefh M・ss-mpp-
The PeMiaT Ins3葺§. spuely § fhe AnielBe~~wn sou^. a<-t-192—236 (1956)•ケネス・ M ・スタンプ著疋田三良訳『アメリカ南部の奴a制』一八 六頁(ー九八八年)、Mark V, TushnerThe wlewc§ Law of S~aee1y 1810—1860. cows&070s-ons & 77a 達 TWwsf (一981)•タシュネットの この研究は、Eugene D・Genoveseの分析枠組に大きく依存している。Genoveseの歴史観が明確に示されているものとして、ユージン• D ・ジェ ノヴィーズ「奴^制南部についてのマルキシズム的解釈」B • J •バーンスタイン編琉球大学アメリカ研究所訳『ニュー ・レフトのアメリカ史像』 七十四頁(一九七二年)。 (50) 以上、特権免除条項の意味について、renBroerEqual, UndeT Law- al:1221123 – 2361237“ (1965.Berger” Go§言蚤^>宇s-eaf20l51 (1977). (51) 南部の奴a制擁護の憲法理論は、多くの点で、奴a制廃止論者の憲法理論と一致した。奴a制擁護の憲法理論も、その理論的基礎をロック、 社会契約、人の自然権、人の自然権を保護する政府の任務におき、保護の平等性を特に合衆国政府に対する要件として主張した。人の自然権の 保護は、合衆国憲法前文、第五修正の適正過程条項、および他の憲法修正に規定されているとする。奴^制廃止論も奴a制擁護論も一致して、 合衆国議会は人の自然権を侵害することはできないのであり、むしろ、人の自然権を支持し、促進する能動的な義務を負っている、と主張する。 奴^制廃止論と奴a制擁護論の違いは、奴^を財産とみるか人とみるかの一点に集約される。保護されるべき「人の自然権」とは、奴^制擁護 論にとっては「奴^所有者の財産・奴^」であるが、奴a制廃止論にとっては「奴^を含むすべての人の自由」である。<-t-enBr。ek-Egg~s7 E度13?131(一965) •南部の奴:t制擁護の憲法理論は、例えばD官SC。須・SMfd. 60 U.S・(一9 How.) 393 (一857)の法廷意見に示されてい る。奴|t制廃止論者の憲法理論と奴M制擁護論者の憲法理論を比較検討して第十四修正の意味を明らかにしようとする研究として、EarlM・ Ma 片z- Fourteenth Amendment: conceHsinche AnfebeHum Era~ 32 Am- J Lega~ H-isf. 305 (一988) • (52) 以上、適正過程条項の意味について、s-nBroerEgMa~ Undev L§-S-ーー9-122“ 2371238“ (1965),Berger- GaveTnwnE by Judtciaiy. art-1931220 (1977) • (53) 奴M制廃止運動は、アメリカ史を通じてみられる道徳主義的な社会運動の一つでもある(George Anass-po, The Moral Major目おThe New Abolitionisms’ m 4ms.cdm Mo70ksrron La&、Emics. and GoeeTmnenL ar-t-327 (1992)参照oこのような運動は、世論を鋭く二分し、厳しい対 決を招き、暴動に至ることもある。奴M制廃止運動もそれに対する強硬な反対派を生み、奴B制廃止論者が暴徒に襲われることが少なくなかった。 アメリカ合衆国憲法第十四修正の意味 ニ二三 早稲田法学会誌第四十三巻(ー九九三) 一三四 ー 八三七年には、廃止論者のラヴジョイがイリノイ州で暴徒に殺されている。Berger” Goumwn胃f>口 acll(1977)•それゆえ奴^制廃止
論者は自分たち自身に対する法の保護を要求したのである。
(54) 以上、平等保護条項の意味について、〔enBroerEqual Under Law、at:ーー71119″ 237 (一965) – Berger” Goeemm 蚤 by JwhciaTy- afl661192 (1977) •
テンブレックは、ー九五一年に第十四修正の原意として平等保護条項の実体的権利保護性を主張したが、その二年前の一九四九年、タスマンと
の共著の論文の中で「実体的平等保護」という概念を打ち出している(ー九四九年の論文とー九五一年の研究書は多くの点で共鳴し、互いに補
強し合う関係にある〇テンブレックのこれらの研究がいわばウォーレン・コートの平等保護条項解釈を先導し、それに理論的な根拠を与えたと
もいえる。Joseph Tussman and Jacobus fenBroerThe Equal prg-ecHon of die Laws- 37 cal.L. Reu 341(1949)•実体的平等保護について、松平
光央「平等保護条項と経済的不平等の是正!I実体的平等保護の司法理論を中心に——」『アメリカ憲法の現代的展開I人権』二四三頁(ー九七
八年)。
(55) tenBroerEgぎ~妥学 レ0&“ a-239 (1965),Berger” G〇uemmen~ by Judicial at:18 (1977),
(56) 一 enBroerEqua~ usdeT Lag- af 1291130 (1965)・
(57) 一七八七年合衆国憲法第一条第八節は、合衆国議会は「合衆国の一般の福祉のために」課税する権限を有する、と述べる。これは、合衆国
憲法前文の「われら合衆国の人民は・:••• 一般の福祉を促進するために:::この憲法を制定する」という部分を、つけたものであり、「一般の福祉」
(.genera 一 welfare.)という概念•言葉は、一七七七年連合規約第三条に由来するものである。「一般の福祉」とは「合衆国全体の福祉」という
意味であり、合衆国憲法第一条第八節の一般福祉条項および前文は、連邦制の制約を乗り越えて州内に介入する合衆国議会の権限を示唆している。
合衆国を離脱した南部諸州がー八六一年に制定したconsfls-ff.on of Che confederate Sfafes of Americaは、基本的に一七八七年合衆国憲法のコ
ピーであるが、合衆国の連邦性を極限にまで押し進めたもので、合衆国憲法が持っている統一国家的な要素、統一国家を示唆する概念•言葉を
完全に抹消•排除している。それゆえ.一 general we 一 fare:とい、つ言葉も消えている。両憲法典の比較は、合衆国憲法の統一国家性と連邦性の振幅
を知る、つえで有益である。George Anass-p?Amendments5-fhe constis-n-.on ofr-t-he UnMed ss-tes・ A commentary” 23 L 遂。 ミ u. CM L, J. 631
(一992)参照。
(58) 第十三修正第二節と第十四修正第五節が合衆国議会に明示的に権限を与えた、という点に注意しなければならない。仮に第十四修正第五節
のような、合衆国議会に明示的に権限を与える規定がなくても、例えば合衆国憲法第一条第八節の必要適当条項(合衆国議会は憲法によって与
えられた権限を実施するために必要かつ適当なすべての法律を制定する権限を有する)などの趣旨からいって、合衆国議会は憲法上の権利を保
護するための権限を黙示的に与えられているとみるべきである。P3g a Pernis旨員α. 41GS・(一6 per) 539 (1842),A b星さ• BOOM. 62 u・
s. (21How・)506 (1858)はそのことを確認する。このような背景に照らして、第十三修正第二節および第十四修正第五節があえて明示的に合衆
国議会に実施権限を与えたことの意味を考えなければならない。
(59) renBroerEqua~ at: 205 (1965)・
(60) 以上、第十四修正第一節+第五節の意味について、<-f-enBroerMR u§ LW. * 209—233 (1965.憲法修正の諸案について、前掲注(38) 参照。 (61) Raoul Berger” Goi>0170§息~ 言 Judtcialy」The TTansfoKnaflon 0f the Foweesrh at:1(1977) •
(62) Aklh_ko Klmljlma” Fe_al Experimentation Bam A Hiscory”早稲田大学大学院『法研論集』四九号一頁(ー九八九年)参照。
Ifhank Professor George Anass-poof Loyola unlverss-y Chicago and -he University of Chicago who _n various ways helped me with this arご2.e・
アメリカ合衆国憲法第十四修正の意味
一三五