鵜飼
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『鵜飼
弟会
前
ワキ 旅僧
ワキヅレ従伴僧
シテ 鵜つかひの翁
後
シテ 閻魔王
地は 甲斐
季は 夏
江波左衛門作
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ワキ詞「是は安房の清澄より出でたる僧にて候。我いまだ
甲斐の国を見ず候ふ程に。此度甲斐の国行脚と志
して候。
サシ「行末いっと白波の。安房の清澄立ちいで、。六浦の
わたり鎌倉山。
歌「やつれはてぬる旅姿。^^。捨つる身なれば恥ぢ
られず。一夜仮»の草”延。鐘を枕の上に聞く。都
留の郡の朝立つも。日たけて越ゆる山道を。過ぎ
て石和に着きにけり。^^。
シテー声「鵜舟に燈す篝火の。後の闇路を如何にせん。
シテサシ「実にや世の中を。うしと思はゞ捨っべきに。其心
更に夏河に。鵜使ふ事のおもしろさに。殺生をす
るはかなさよ。
詞「伝へ聞く遊子伯陽は。月に誓って契りをなし。夫
婦ーーつの星となる。今の雲の上人も。月なき夜半
をこそ悲しみ給ふに。我はそれには引きかへ。月
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の夜頃をいとひ。闇になる夜をよろこべば。
下歌「鵜舟に燈す篝火の。消えて闇こそ悲しけれ。
上歌「ったなかりける身の業と。^^。今は先非を悔ゆ
れども。かひも波間に鵜舟漕ぐ。是程惜しめど
も。叶はぬ命つがんとて。いとなむ業の物うさよ。
/\ 〇
シテ詞「いつもの如く御堂に上り鵜を休めうずるにて候。
や。是は往来の人の御入り候ふよ。
ワキ詞「さん候往来の僧にて候ふが。里にて宿を借り候へ
ば。禁制の由申し候ふ程に。さて此御堂に泊りて
候。
シテ「実に^^里にて御宿参らせうずる者は覚えず候。
ワキ「さて御身は如何なる人にて渡り候ぞ。
シテ「さん候是は鵜使にて候ふが。いつも月の程は此御
堂に休らひ。月入りて鵜を使ひ候。
ワキ「さては苦しからぬ人にて候ふぞや。見申せば早抜
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群に年たけ給ひて候ふが。か、る殺生の業勿体な
く候。あはれ此業を御とまりあって。余の業にて
身命を御つぎ候へかし。
シテ「仰せ尤にて候へども。若年より此業にて身命を助
かり候ふ程に。今更止まつ、べうもなく候。
ワキヅレ「如何に申し候。此人を見て思ひ出だしたる事の候。
此ーー三箇年先に。此河下岩落と申す所を通り候ひ
しに。かやうの鵜使に行き逢ひ候ふ程に。科の中
の殺生の由を申して候へば。実にもとや思ひけん。
我屋に連れて帰り。一夜けしからず摂して候ひし
よ。
シテ「さては其時の御僧にて渡り候ふか。
ワキヅレ「さん候其時の僧にて候。
シテ「なふ其鵜使こそ空しくなりて候へ。
ワキ「それは何故空しくなりて候ふぞ。
シテ「恥かしながら此業にて空しくなりて候。其時の有
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様語って聞かせ申し候ふべI。跡を弔うて御やり
候へ。
ワキ「心得申し候。
シテ「抑此石和川と申すは。上下三里が間は堅く殺生禁
断の所なり。今おほせ候ふ岩落辺に鵜つかひは多
し。夜な^^此所に忍び上って鵜を使ふ。悪き者
のしわざかな。彼を見顕はさんとたくみしに。そ
れをば夢にも知らずして。又或る夜忍び上って鵜
を使ふ。ねらふ人々ばっとより。一殺多生の理に
まかせ。彼を殺せと言ひあへり。其時左右の手を
合はせ。か、る殺生禁断の所とも知らず候。向後
の事をこそ心得候ふべけれとて。手を合はせ歎き
悲しめども。助くる人も波の底に。ふしづけにし
給へば。叫べど声が出でばこそ。
詞「其鵜使の亡者にて候。
ワキ詞「言語道断の事にて候。さらば罪障懺悔に。業力の
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鵜を使うて御見せ候へ。跡をば懇に弔ひ申一候ふ
べし。
1 -あら有難や候さらば業力の鵜を使うて御目にかけ
候ふべし。跡を弔うて賜はり候 へ。
ワキ丁心得申し候。
”三「既に此夜も更け過ぎて。鵜使ふ頃にも為りしかば。
いざ業力の鵜を使はん。
ワキー是は他国の物語。死したる人の業により。かく苦
しみの憂き業を。今見る事の不思議さよ。
とテーしめる松明ふり立て、。
ワキー藤の衣の玉だすき。
ンテー鵜籠を開き取り出だし。
ワキ-島つ巣おろし荒鵜ども。
ンテー此河波にばっと放せば。
地 -おもしろの有様や。底にも見ゆる篝火に。驚く
魚を追ひまはし。かづき上げすくひあげ。隙な
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く魚を食ふ時は。罪も報いも後の世も。忘れはて、
おもしろや。漲る水の淀ならば。生簀の鯉やのぼ
らん。玉島川にあらねども。小鮎さばしるせゞ
らぎに。かだみて魚はよもためじ。不思議やな
篝火の。燃えても影の暗くなるは。思ひ出でたり。
月になりぬる悲しさよ。鵜舟のかゞり影消えて。
闇路に帰る此身の。名残をしさを如何にせん。
<。(中入)
ワキ歌「河瀬の石を拾ひ上げ。^^。妙なる法の御経を。
一石に一字書きつけて。波間に沈め弔はゞ。などか
は浮まざるべき。^^。
後ジテ「夫れ地獄遠きにあらず。眼前の境界。悪鬼外にな
し°抑彼者。若年の昔より。江河に漁って其罪お
びたゝし。されば鉄札数を尽し。金紙をよごす事
もなく。無間の底に堕罪すべかつしを。ー僧一宿の
功力に引かれ。急ぎ仏所に送らんと。悪鬼心を和
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らげて。鵜舟を弘誓の船に為し。法華の御法の助
舟。篝火も浮ぶけしきかな。
地「迷ひの多き浮雲も。
シテ「実相の風あらく吹いて。
地「千里が外も雲はれて。真如の月や出でぬらん。
ロンギ地「有難の御事や。那落に沈む悪人を。仏所に送り給
ふなる。其瑞相のあらたさよ。
シテ「法華は利益深き故。魔道に沈む群類を。救はん為
めに来りたり。
地「実に有難き誓ひかな。妙の一字はさて如何に。
シテ「それは褒美の言葉にて。妙なる法と説かれたり。
地「経とはなどや名づくらん。
シテ「夫れ聖教の都名にて。
地「ーーつもなく。
シテ「三つもなく。
地「唯一乗の徳によりて。那落に沈みはて、。浮びがた
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き悪人の。仏果を得ん事は。此経のカならずや。
地ー是を見彼を聞く時は。^^。たとひ悪人なりとて
も。慈悲の心を先として。僧会を供養するならば。
其結縁に引かれつ、。仏果菩提に至るべし。実に
往来の利益こそ。他を助くべき力なれ。<。
底本:国立国会図書館デデジタルコレクション
『謡曲評釈 第四輯』大和田建樹 著 』
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