「釣魚島が全てではない」 中国、搦め手の対日軍事外交
編集委員 中沢克二
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFE041E40U3A600C2000000/

『対外的な説明の少なさから強硬とみられがちな中国の「軍事外交」が、対日関係の文脈でにわかに注目されている。目をひくのは、沖縄県の尖閣諸島について、中国が自らの主張をする際の呼び名である釣魚島に関わる発言だ。
「釣魚島問題は、中国と日本の関係の全てではありません。双方が長期的、大局的な視点からこの問題をとらえるべきです」
中国の国務委員兼国防相の李尚福が、シンガポールで初めて対面で会談した防衛相の浜…
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『中国の国務委員兼国防相の李尚福が、シンガポールで初めて対面で会談した防衛相の浜田靖一に述べた冒頭の言葉である。長く日中両国のやりとりを観察していれば、違和感があるはずだ。何かが違うと。話し手は、硬直的な強硬さが目立っていた中国軍事外交の担い手。しかも、これは日本など多くの海外メディアも前にした公開発言だ。
確かにこの発言の前後には「台湾問題に手を出さないように」「日本側が中国に歩み寄り、摩擦や衝突を避けるよう希望する」という強い言葉がある。日本にクギを刺し、けん制しているのは変わらない。
中国外務省を飛び越えた伝達
ただし、尖閣問題が両国関係の全てではないのだと明言したうえで、双方が長期的な視点からこの問題をとらえるべきだと続けたのは、これまでより、相当程度、踏み込んでいる。見逃すべきではない。
もちろん、日本政府の立場は「日中間に領土問題は一切、存在しない」というものだ。この視点からみると、李尚福の言葉は、正面攻撃ではなく、裏の搦め手(からめて)から攻める奇手にもみえる。領土問題の存在と、尖閣の日本領海に中国公船が常時侵入している現状を暗に認めさせ、それを台湾問題にまで結びつける巧妙な手法だ。
本来、中国で対日外交を専管的に担うのは、中国外務省である。それにもかかわらず、軍事外交だけを担う閣僚が、その領域を飛び越えるかのように、あえてこういう発言をするのは異例だ。当然、それなりの意味と背景がある。
そもそも、中国側でかつて「尖閣問題は対日関係の全てではない」と強調していたのは、どういう勢力なのか。それを考えるには、11年前、在中国の日本企業も破壊対象になってしまった激しい反日デモ前後数年の日中関係の歴史を振り返る必要がある。
「日本を中国の一つの省(地方)として領土化せよ」という過激なスローガンまで掲げられた中国の反日デモ(2012年9月、北京で)
2012年9月、突然、反日デモが勃発する前のことだ。「中国の改革・開放政策を進めるためには、安定した国際環境の維持が必要条件で、これが中国外交に課された責務である」――。そう考える中国外交の主流派が、焦点になってきた尖閣問題について「これは対日関係の全てではない」と唱えていたのである。
鄧小平時代からの外交路線を重視する勢力は、中国外務省傘下のシンクタンクなどでも主流を占めていた。ただ、中国経済の驚くべき急成長に伴い自信がついたことで、「中国は『軟弱外交』を排して、対外交渉にもっと(軍事的な)力量を使うべきだ」という勢力も台頭してきていた。
軍絡む強硬派が尖閣を主テーマに
中国の軍、安全保障を担当する部門の対日強硬派が、東シナ海や尖閣諸島を巡る問題を対日関係のメインテーマであるかのように押し上げていく発端は、遡れば08年にある。
当時の中国国家主席、胡錦濤(フー・ジンタオ)と、首相だった福田康夫が主導した東シナ海の日中ガス田合意。尖閣と同じ東シナ海に関わる合意が、軍を含む対日強硬派の圧力を受けて潰れ、実行されなかったのである。
「もし、この合意が履行されていれば、中日関係はここまで悪化しなかっただろう」。これは、かつて中国側の内部事情を知る関係者が漏らした意味ある一言である。
そこから事態は悪化の一途をたどる。10年の尖閣での漁船衝突事件、12年の日本政府による「尖閣国有化」に端を発する大規模反日デモにつながっていく。これ以降、尖閣問題が日中間の外交・安全保障のメインテーマ、しかも、その全てであるかのように動いてきたのは、まさに中国側である。これが、日本側が抱く率直な感覚だ。
かつて、中国で外交的な穏健派が唱えていた「尖閣問題は対日関係の全てではない」という、まともにみえる主張を、今回、軍が公開の席でするに至ったのは、なぜなのか。
まず、制服軍人から抜てきされた李尚福が、中国軍の最高意思決定機関である中央軍事委員会の7人しかいないメンバーのひとりである点を考える必要がある。その中央軍事委のトップは、中国共産党総書記兼国家主席の習近平(シー・ジンピン)だ。
習近平が、中央軍事委主席に就いて以来、尖閣での動きは加速する。中国公船を指揮する海上法執行機関、中国海警局は18年、中央軍事委の指揮下にある人民武装警察部隊(武警)に編入された。
21年には武器使用を認める海警法を施行。海警トップには、海軍出身者が就いている。そして、尖閣周辺の日本領海への中国公船の侵入は、既に常態化してしまった。その公船を操っているのは、まぎれもなく中央軍事委=軍なのである。
中国を巡る国際情勢の悪化と関係
つまり、新任の軍事外交の担い手、李尚福は、暗に中央軍事委から発言権を付与されているとみてよい。そうであれば、中国外務省が発している「対日強硬」ばかりにじむ画一的なメッセージより、軍当局からの直接の声の方が、実態をよく表しており、はるかに重要という理屈になる。習指導部は特に軍重視、国家安全重視を宣言しているのだから。
3日、シンガポールで会談前に中国の李尚福国務委員兼国防相(左)と握手する浜田防衛相=共同
一連の動きは、シンガポールで中国が味わっていた孤独感と関係する。盟友、ロシアの国防相はいない。李尚福は、米国防長官のオースティンと現場で握手だけはしたが、会談は敢然と拒否した。個人への米国の制裁が解除されないことが理由だ。中国が自任する大国としての体面を優先したのである。
とはいえ、李尚福は、日韓両国の防衛、国防担当閣僚とは会談した。中国は、一段のウクライナ支援に踏み出した日韓の動きに気をもんでいたのである。原因はもうひとつあった。悪化していた日韓関係が一気に雪解けに進んだのも大いに気になっていた。
中国が日韓との会談まで避ければ孤立感が一層強まる。それを巧みに回避したのである。中国は、日本との間で不測の事態を回避する「海空連絡メカニズム」が始動し、李尚福自身が浜田とホットラインで通話もしていた。ここは大きな変化である。
一方、李尚福は最後にウクライナ国防相のレズニコフと会談した。ただし、ウクライナ側は「まずはロシアが軍を撤退させなければならない」とクギを刺した。ロシアとの仲介に意欲を示す中国に、いますぐの交渉は必要ないとの意志を明確に伝えたのだ。
中国の対米強硬の裏側
シンガポールで目立った米中の対峙だが、そこには隠れた裏もある。米中国防相の直接会談はなかったが、その下のレベルでの意思疎通を含めて全くなかったわけではない。「(衝突回避に向けて)現地で一定の接触はあったと考えてよい」。これが米中関係筋の見方である。続いて5日には、北京でも米中高官の会談があった。
会談を避けた李尚福国務委員兼国防相(左)と、オースティン米国防長官=AP
台湾を巡って中国は決して譲歩はできない。だが、米日韓とこれ以上、摩擦が強まれば、中国が置かれている総合的な安全保障環境が悪化し、軍事外交の余地も狭まる。これは、最終的に中国の「安全」を左右する中国経済にまで響いてくる。
中国は今、軍事外交という手段も駆使しながら、安保環境のこれ以上の悪化を防ごうとしている。中国にとって最大の問題は、もちろん米国だが、その範囲のなかに日本も入っていることを忘れてはならない。
日本にとっても「防衛外交」は思った以上に重みがある。ただ、中国の「軍事外交」に微妙な変化があるからといって、尖閣周辺で、中央軍事委が究極的な指揮権を握る中国公船の挑戦的な行動が根本的に改まるはずもない。今後も中国の動きを注意深く観察していくしかない。(敬称略)
中沢克二(なかざわ・かつじ)
1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。
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