苦境の「共青団派」李首相が突如復権、経済失速で出番

苦境の「共青団派」李首相が突如復権、経済失速で出番
編集委員 中沢克二
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK13CIH0T10C22A5000000/

 ※ ははあ…。

 ※ こういうウクライナ事態 → ロシアの苦戦 → フィンランド、スウェーデンのNATOへの加盟申請 → 国際情勢の激変…、なんかも影響しているわけだ…。

 ※ 中国共産党内の、「権力闘争」にも、影響を与えているわけだ…。

 ※ それで、すわ「習近平氏を押し込める、クーデターが発生か!」とか言ってる人も出て来てるわけだな…。

『中国共産党内で首相の李克強(リー・クォーチャン)がここにきて突如、「復権」したことが大きな話題になっている。この9年余り、国家主席の習近平(シー・ジンピン)は自らに権力を集中し、国務院(政府)のトップに立つ李が担うべきマクロ経済政策を巡る権限も有名無実化してきた。だが、この1カ月で様相が一変している。

多くの党員らが目を見張ったのが、5月14日に共産党機関紙、人民日報が第2面のほぼすべてを割いて掲載した李の演説全文である。1万字近い文章は、4月25日の「国務院第5回廉政(クリーンな政治)工作会議」での演説内容だ。3週間近く前の演説内容がなぜ、今になって大々的に載ったのか。

「これは明らかな変化への糸口だ」「中身よりも重要な意味を持つのは、驚くほど大きい演説の扱いである」「習主席の強い権力とのバランスをとる動きだろう」。党内のざわつき方は半端でない。

会議のテーマであるクリーンな政治は、腐敗撲滅という習の大方針に沿うもので、習のメンツを十分、立てる工夫がなされている。だが内容をつぶさにみると、ほぼ全編にわたり、経済立て直し策、市場重視、税負担軽減、民間の中小零細企業支援、就職の促進などに関して事細かに述べている。

経済失速のなか党風にも言及

さほど関連性に乏しいクリーンな政治や反腐敗は、枕ことばになっているだけ。習政権の発足直後に「リコノミクス」と騒がれた「李克強ワールド」が全開の様相なのだ。
4月25日の李克強首相の演説は、5月14 日付の人民日報が全文を掲載した(国営中国中央テレビの映像から)

注意すべきは、李が強調した次の一節である。「経済工作は、(共産)党として国を治めるガバナンスの中心に置くべき仕事である。経済社会発展の推進は各レベルの政府の基本的な職責で、クリーンな政治という党風建設の必然的な要求だ」

これは習が事実上主導してきた経済政策執行の不調を暗に批判しているようにもみえる。政治闘争色の強い「反腐敗運動」をひたすら上位に置き、経済建設をないがしろにしていると言わんばかりだ。「政策執行の際、ただスローガンを叫ぶ」「喜ばしい成果だけ上に報告して問題含みの内容は報告しない」「(政治)運動式で進めようとする」――こうした輩(やから)を厳しくたしなめる言葉も目立つ。

4月の中国経済統計は衝撃的な悪さだった。工業生産、小売売上高とも前年同月比マイナスに落ち込んだ。これには新型コロナウイルスの感染拡大を徹底的に抑え込む「ゼロコロナ」政策だけでなく、習主導で相次ぎ打ち出したIT(情報技術)企業、不動産関連企業、学習塾などへの圧力もかなり影響している。

李はトップである習の専権事項だったはずの党の仕事や党風建設にまで言及した。演説をみる限り、別格の地位を指す「核心」で総書記の習の権威は以前ほどでなく、集団指導制の下、あるべきナンバー2の役割を李が果たし始めている。

もうひとつの注目点は、先の党政治局常務委員会で確認したはずのゼロコロナ政策にほぼ触れていない点だ。習がこだわるこの政策に李が触れる機会は従来から少なかった。

共青団設立100周年大会で演説する中国の習近平国家主席(10日、北京の人民大会堂)=新華社・共同

一連の動きを政治的に分析すると、中国経済の失速があらわになった4月以降、党内で何らかの重要な変化があったと考えるのが自然だ。その証拠が、人民日報の李演説の大々的な扱いである。

少なくとも崖っぷちの経済運営の実務、政策づくりは習主導から李主導に移行する。そんな合意が形成されつつある。今後、政策調整がより具体化するとみてよい。苦境に際し、お鉢が李に回ってきたという見方もできる。

寂しい共青団100年と団員急減

一方、習サイドも反撃を忘れていない。習の最側近のひとり、何立峰がトップを務める国家発展改革委員会は4月29日に雑誌「習近平経済思想研究」を創刊した。思想という言葉を冠したより大きな枠組みで習が仕切る新時代の経済工作を浸透させようとする政治的な布石だ。

共青団90周年大会に出席した当時の胡錦濤前国家主席(2012年5月、中国国営中央テレビの映像から)

もう一つ、注目すべき動きあった。李が基盤とする党の青年組織、共産主義青年団(共青団)の設立100周年記念大会への圧力である。共青団出身の前国家主席、胡錦濤(フー・ジンタオ)の時代、日の出の勢いだった共青団は、習がトップに立つと一転、不遇の時代を迎える。その象徴が5月10日、北京の人民大会堂で行われた共青団100周年大会が醸し出した寂しい雰囲気だ。

共青団の全盛期だった12年5月の90周年記念大会は、胡錦濤を迎えて全国人民代表大会(全人代)の開会式などを開く大講堂で大々的に挙行された。司会を務めたのは当時、国家副主席だった習自身だ。

2012年5月、北京・人民大会堂大講堂で挙行された共青団設立90周年記念大会(中国国営中央テレビの映像から)

今回はまるで違った。数千人を収容できるメインの大講堂ではなく、宴会場を使った。参加人数も大幅に絞られた。新型コロナ対策だとの説明はできるが、それだけでは辻つまが合わない。100周年の節目なのに90周年より格を落としたのは、政治判断があったとみてよい。

「共産党がなければ共青団もない」。習は演説で若者らに「闘争」の重要性を訴えた。共青団トップである第1書記の賀軍科は「習近平総書記が舵(かじ)を握って航路を進めば、中華民族の偉大な復興が足を止めることはない」と歯の浮くような賛辞を送った。その言葉遣いは、毛沢東への崇拝を思い起こさせる。

共青団の衰退は数字上も明らかだ。胡錦濤時代まで順調に増えた共青団員数は急減している。12年末には8990万人と、本体の共産党員数(8512万人)をしのいでいたが、21年末になると7371万人にまで減った。この間、共産党員数は1000万人余り増えた。

10日、北京・人民大会堂の宴会場で開かれた共青団設立100周年記念大会=新華社・AP

28歳になると幹部以外は退団という規定を厳格に運用したのが主因である。これまで一部では30歳を大幅に超えても共青団にとどまる例も多かった。とはいえ9年で1600万人も減ったのは異常だ。組織の影響力低下も著しい。「トップの共青団への厳しい姿勢が影響している」という見方は的を射ている。

習指導部は、16年に発表した苛烈な共青団中央の改革案で「機関化、行政化、貴族化、娯楽化」という4大問題を指弾した。特に貴族化、娯楽化という指摘には多くの人が驚いた。党の下部組織として体をなさず、遊びほうけているという批判である。

党大会後の次期政権でも重責か

胡錦濤ばかりではく、首相の李、後に副首相となる胡春華(フー・チュンホア)ら共青団出身者はメンツを潰された。革命時代の高級幹部を父母に持つ「紅二代」の習にとって、巨大な共青団は政治力を備えたライバルなのだ。

 胡春華副首相=共同

その後、17年の共産党大会では、共青団派の有力者で国家副主席だった李源潮が、慣例の引退年齢68歳に達していないのに更迭された。李源潮は胡錦濤時代、ルールにのっとった昇進システムづくりに励んだが、習時代に入って業績は全て覆された。

共青団派である李克強の突然の復権と、共青団100年大会が醸し出した寂しさ。対照的な出来事は、秋の党大会に向けた政治的なつばぜりあいの始まりを意味する。

李克強は憲法の任期制限規定によって来春、首相ポストから降りる。ただ復権した李が今後も党内で力を維持し、さらに存在感を増すなら、今期限りでの完全引退はなくなる。党大会後の5年を担う次期政権でも相当な重責を担う可能性が強まるのだ。

向かうところ敵なしだった習としては一大事である。夏にかけての正念場で力学が変われば、仮に総書記として続投できても力のない名目だけのトップに成り下がる恐れさえある。今後も「1強」として君臨するには、政治的な戦いで完勝し、ライバル勢力をたたきのめすしかない。何か大変なことが必ず起きる。それが5年に1度の党大会前の恒例である。(敬称略)

中沢克二(なかざわ・かつじ)

1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。』