中国女性の地位
http://web.cla.kobe-u.ac.jp/staff/yoshioka/ri.htm
※ 今日は、こんなところで…。
『2007年1月17日提出
修士論文
中国女性の地位
指導教官 吉岡政德教授
神戸大学大学院総合人間科学研究科
コミュニケーション学専攻
異文化コミュニケーション論講座
学籍番号・氏名 058F024F 李 瑞雪
目次
はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2
第Ⅰ章 中国で展開されてきたジェンダー論
第1節 中国におけるジェンダー研究・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3
第2節 中国女性地位の概況・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4
第3節 視座・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8
第Ⅱ章 男女の関係に関する歴史的事実
第1節 中国改革開放された前の状況・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・10
第2節 中国改革開放された後の状況・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・12
第3節 婚姻と参政の視点から見る男女関係の歴史状況・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・14
第Ⅲ章 政府やマスコミの現在のジェンダーに関する解釈
第1節 中国政府の発表による現代のジェンダー状況・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・17
第2節 マスコミの報道による現代のジェンダー状況・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・19
第Ⅳ章 政府やマスコミの報道とは異なった現実のジェンダー関係
第1節 婚姻から見る現代女性の状況・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・21
第2節 家庭内から見る現代女性の状況・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・24
第3節 教育、就業から見る現代女性の状況・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・27
第4節 現代女性の新たな状況・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・29
第Ⅴ章 中国におけるジェンダー論の批判的検討と今後の展望
第1節 政府とマスコミの報道とは異なっている実情が存在する原因・・・・・・・・・・・32
第2節 中国におけるジェンダー研究の新たな展開・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・35
第3節 展望・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・36
参照文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・37
中国女性の地位
はじめに
本論は、中国における、ジェンダーの人類学的研究である。本論では、中国の政府やマスコミの報道とは異なったジェンダー関係の姿を記述した上で、そのズレを検討しながら、中国についての新たなジェンダー論を展開することを目的とする。
これまでの文化人類学におけるジェンダー研究では、「男らしさ」「女らしさ」という言葉で指示できる事象が、文化ごとに異なっているという前提に立っていたが、同時に、どの文化においても「女は男より劣る」という非対称的構造を見出してきた。
しかし現在では、こうした前提そのものが批判され、さまざまな角度からジェンダー概念を再考するようになった。
例えば中国の女性の地位について言うと、国外の人々はよく中国女性の地位は高いと言う。外から見れば、中国の女性はほぼ仕事をしているし、家事も男性と分担し、子供を産むこと以外は、男性も子供の世話をすることが当然と認識しているように見える。
では、それだけで、女性の地位が高いといえるのか?実際の中国ではどうなっているのか?中国では、確かに上で述べたような男女平等の状況を見出すことは出来る。
しかしすべてのケースについてそれが該当するわけではない。そうした状況は、育った環境や、教育のレベルや、マスコミなどにより、外国からどれぐらいの知識を中国にはいてくる、また中国の人々は、その知識をどれぐらいうけているかということによって変動する。
そのため、都市によっても、個人によってもかなり差があるといえる。それは、中国だけではなく、他の国でも存在する現象である。
しかし、ここで注目する必要があるのは、中国では、政府やマスコミの報道と異なっている現実が存在しているということである。そのズレを検討しながら、中国についての新たなジェンダー論を展開する。
第Ⅰ章 中国で展開されてきたジェンダー論
第1節 中国におけるジェンダー研究
中国では、建国された当時に、女性の権利を守るいくつかの法律が制定されたが、女性問題に関する研究が始まるまではかなり時間がかかった。
中国の文化大革命が終わったばかりの70年代末から80年代初めは、社会全体がすべてを廃して、新しいものが興るのを待つ状態であった。
中国では最も男尊女卑という伝統的な考えの影響が、この時期、一人子政策が始まり、計画出産政策が強化され、女の赤ん坊を捨てることが多くなったのである。
よって、この時期には、女性の思想解放運動や、人口問題と結婚家庭の問題に関する女性研究が盛んであった。
同時に、国外の文化人類学におけるジェンダー研究についての考えも入り込んできた。
例えば、アメリカの女性人類学者ミードは、「男らしさ」「女らしさ」を主張し、ジェンダーの内容や性役割が生物学的条件によるのではなく、文化ごとに決定されていることを強調した。
中国の女性の思想解放運動は、国外の「男らしさ」「女らしさ」という考え方の影響を受け、「男女平等」の真の意味を「女性が単に男性と同じになるのではなく、女性自身に合う標準を決め、女性自身を守る権利を持つことである」とし、運動を中国で広め、男性の標準は女性の標準となることができないという認識を社会に伝えた。
しかし、この時期に行った運動は、主によりたかい知識をもっている女性の間に起こったことであり、運動が掲げた「男女平等の真実の意味」も言葉だけ広がった。
その後、80年代初めから80年代末まで、前述の人口問題と家庭問題を中心に、中国女性が法律上の権利を要求する意識が高まり、より高い教育を受けている女性を中心に「護権運動(権利を守る運動)」が始まった。
運動を担った女性たちは、都市部における女性の職業問題、女性の社会的地位の問題、女性労働者のリストラ、女性の政治参加、女子大学生の就職などの問題を打ち上げた。さらに彼女たちの力で、女性学の最初の枠組みである『国外社会科学』、『中国婦女』と『婦女研究叢書』が出版された。
中国において初めて女性学という言葉が現れたのは1982年のことである。
1982年に出版された『国外社会科学』という雑誌は、日本の女性学者である白井厚氏の論文「争取女権運動的歴史和女性学」を掲載し、女性学という概念が提起された(蘇 2005:32)。
また、1986年に出版された『中国婦女』という雑誌では、初めて女性学専門分野の理論が提起された。
その後、女性問題に対する多くの異なる意見がしばしばこの雑誌に載せられた。
それから、1988年、第一期の『婦女研究叢書』が出版された。これは中国最初の女性を専門研究の対象とした学術書であり、人文科学の10余の専門分野にわたっている。この『婦女研究叢書』は、中国と欧米、男性と女性の比較研究を行い、中国女性学の専門書となっている。
80年代初めから80年代末までに起こった女性運動は、女性が自ら起こした運動であり、そして、80年代初めから80年代末までに起こった女性運動は、初めて、女性の問題を専門研究として取り上げた。
しかし、この時期の女性運動も主に、より高い教育を受けた女性たちの間で起こった運動であり、彼女らが提起していた女性問題も主に都市部の女性をめぐる問題が中心であった。
中国の人口の70%を占める農村部の女性たちにとっては、彼女らが提起した都市部の問題とは無関係で、あまりにも遠い存在であった。よって、中国の女性解放運動が活発に展開されたといわれる割には、大きな成果を挙げたとはいえないという点が、中国における女性問題の特徴のひとつでもある。
中国は、長い間、「男女平等(単に男性と同じになるのではなく、女性自身に合う標準を決め、女性自分自身を守る権利を持つことである)」という言葉だけが独り歩きした。
男女平等という言葉だけが強調された結果、実際の男女の不平等が隠蔽されることになった。
多くの女性が初めて隠蔽された男女の不平等ということが気づくきっかけとは、上述した、80年代、国外の文化人類学におけるジェンダー研究についての考えが中国に入り込んできたことである。
特に、アメリカの女性人類学者ミードの「男らしさ」「女らしさ」の影響が強かった。
その後、女性が、「男女平等」の真の意味を「女性が単に男性と同じになるのではなく、女性自身に合う標準を決め、女性自身を守る権利を持つことである」とし、自発的、自覚的に守られるべき女性の権利を確認し、保護を訴えるようになった(李 2000:226)。
この時期、女性運動をみるうえで、最も重要なのは、女は男と違う種類の人間(「男女は同じではない」)だと多くの女性が自ら強調することである。この点は、60年代、欧米の女性運動は「女は男と同じ種類の人間(男と女が同じである)」だという背景とは異なっている。
近年、運動の先頭に立つ女性学者は、政治、経済、文化、家庭生活で噴出した新たな女性問題に応じて、女性の権利を要求し、その結果、法律条項が改正され、法律上では、女性の権利がさらに守られるようになった。
しかし、法律が改善される一方で、政府側が望んでいる状況とは異なる現象が存在していることも現実である。たとえば、本人の意思によらない結婚、「男尊女卑」と「男性は外、女性は内」などの現状がいまだに残っている。
よって、建国後、女性の地位が質的に変化し、基本的な社会的地位が同等という前提があるにもかかわらず、現実では、女性の社会的地位の上昇のスピードが、地域や階層によって異なるという問題も現れつつある。
特に、政府やマスコミのよる報道とは異なる現実が中国ではかなり存在している。そのズレに関する女性研究は、現在の中国では、まだ不十分である。よって、そのズレから、新たなジェンダー論の研究を行うべきだ。そのため、女性の社会的地位の変化に影響を与える重要な要素を正確に見出し、解釈する必要がある。
第2節 中国女性地位の概況
本節では、女性の社会的地位の変化に影響を与える重要な基本要素(女性の法的、経済的、政治的、教育的地位、と婚姻また家庭内で持つ地位)から、中国における、女性の社会的地位の現状を詳しく論じる。
周知のとおり、1949年に中国が建国されて以降、中国の女性の社会的地位には大きな変化が生じ、中国女性の社会地位も著しく高まってきたと言われる。
では、女性の社会的地位とは何か。
女性の社会的地位を一つの集合概念として捉えてみるならば、それはいくつかの基本要素によって構成されていると考えられるだろう。例えば、女性の法的地位、経済的地位、政治的地位、教育的地位、婚姻関係や家庭内でもつ地位である。
それらの基本要素が変遷することによって、女性の社会的地位も変化しつつある。以下では、中国の女性地位の概況を紹介する。
まず中国女性の法的地位から紹介する。
女性の法的地位とは、女性が社会関係のなかでもつ位置を、国家が強制的なやり方で確定し、強固なものにしようとするものである。
いわゆる、法律によってそれなりに女性の権利が保障されているにもかかわらず、その裏面では、強制性を持つ法律が、女性の地位を高く押し上げることを強固した。
中国が建国されてから、憲法だけではなく、人権に関する基本法、専門個別法などでも、女性の権利を保障する法律が多く設けられている(台湾省を除く全国の30の省・自治区・直轄市の内、28が、女性の権益保護に関する地方規定を制定している)。
その法律がもつ強制性は、女性の社会的地位の性質を左右する基本的な要素であるだけではなく、女性たちの社会生活の各側面において、その社会的地位をある程度の高さにまで押し上げることを保障している。
現在、女性の法的地位によって、女性の社会的地位を評価することが増加している一方、女性の法的地位が女性の社会的地位に関係する諸要素の中でも、決定的な役割を果たすものだとも考えられる。
国外の人々は、中国の女性の地位について、よく中国女性の地位は高いと言う。それは、確かに中国の女性はほぼ仕事をしていることからの発言と考えられるが、建国された後、女性の権利を守るために、中国では、多くの法律が制定され、女性の法的地位が高まっているからであるとも言える。
例えば、1992年には、女性の権利を保障し、男女平等を促進するため、総合的で、専門的な個別性を持つ基本法として「中華人民共和国女性権益保障法」が正式に公布され、施行された。
これは男女の社会生活の各側面における平等を法律の上で確立しただけではなく、現実の生活においても、男女が平等であるという風潮も生み出してきた。
しかし、中国では、法律の普及の度合いが不充分のため、地域的な偏差が生じており、アンバランスな現状がある。
例えば、ある地域で機能している、男女平等を促進するための法律などは、ある地域では無視され、また拒否されることも多く見られる。また「不平等」に関する考え方は、地域によって、異なっている。よって、政府側は、現実では機能していない状況を把握すべきである。
次に、女性の経済的地位を紹介する。
女性の経済的地位は、社会の基本的な経済制度、また、生産財の占有関係によって決定され、女性の就職、職業の選択などと関わっている。
労働は、労動者が生活を維持するお金を獲得するための主な手段であるばかりではなく、現代の社会において、自己の価値を充分に実現することができるための重要な手段である。
女性は、就職することによって、経済的に独立を果たす。
アメリカの心理学者マズローは、欲求を低いところから高いところまで、順次、五つのレベルに分ける。
すなわち、生理的な欲求、安全への欲求、帰属と愛への欲求、尊重への欲求、自己実現への欲求である(小林 2006)。
この理論から、就職という行為を観察してみると、人々が就職するのは、次のいくつかの欲求があるためということが分かる。
第一に、物質への欲求と安定への欲求である。就職は就職者本人またその家族に、生きてゆくために必要な物質への欲求を満足させ、経済上の安定を確保することである。
第二に、社会的交流と帰属への欲求がある。就職する行為は、就職者を特定の社会団体と結びつけ、交際において感情の確認を獲得することである。
第三に、尊重への欲求である。働くというのは、人の能力を解放する社会システムにおいて、自己表現とそれに適応する価値を得ることができ、また、尊重されることによって、自信が生まれる。
そして第四に、自分の価値を実現することへの欲求である。仕事と交際において、就職者は、自分の能力や特徴を充分に表現し、自分自身の価値を発揮し、仕事が成就することによって、喜びの体験をすることができる。
人々の就職行為における欲求は、生活環境がさまざまであるため、その欲求する程度もさまざまである。
また、文化的・歴史的違いによって、皆の動機や行動もさまざまである。
そのなか、多くの女性は、経済面で男性に頼るということから抜け出し、自信をもって独立で活動することによって、社会的権利を獲得することができると考えられる。
しかし、何千年も続いた儒教の伝統的な「男主外、女主内(男性は外、女性は内)」という考え方は、公的には否定されているものの、一部の女性も含めて社会の中に、相変わらず存在しているも現実である(李 2006:261)。
次に、女性の政治的地位を紹介する。
女性の政治的地位は、女性が、享有する政治的な権利と女性が運用しうる政治的権力によって決定される。
その中では、政治に参加する権利が、女性の政治的地位を認定する第一の条件である。現在の社会において、政治は、個人また集団の経済に重要な影響を与えているため、女性が政治的権力を持つ、また運用することは、女性の社会的地位にも影響する。女性の政治的地位が向上することは、女性の社会的地位の向上も表している。
女性が政治に参加する能力は、女性の社会的地位を評価する際の重要なポイントの一つである。また、女性が政治に対して関心をどのくらい持っているかは、女性の社会活動に参加する割合を反映する。
現在、中国の女性は政治的権利を持つということに対して、男性と比べると意識はまだ低い。
その原因として、中国の伝統的文化「上の言いなりになる」という考え方の影響がかなり強い点が挙げられる。
長期にわたって、このような文化の中に生きてきた中国の人、特に女性は、どんな権利を持つべきなのか、あるいは、自分の努力によって、どんな権利を獲得できるのかについて、意識することは少なかったのである。
建国後も、中国における国民の政治的権利の実現の方式とルートが、人民代表の選挙を含めて、すべて上から下への原則に基づいて行われていたため、国民が自分自身の持つ政治的権利を理解し、自分自身の参加の能力を増強する機会がなかった。
近年、中国の国民が、政治的権利を実現するために、自ら投票することが増えている一方、時間が短く、機会が少ないため、国民の政治参加や、社会活動の参加する能力は、まだ弱いと見られる(李 2006:256~261)。
政治に参加することに対して、女性の態度と男性の態度と比べると、男性には見られない特徴が女性にはある。女性には、自分自身の能力についての認識が欠けている。つまり「自分には能力がないので、政治参加は考えられない」と「絶対政治に参加しない」と考えている女性は、男性より多いである(李 2006:242~244)。
それでは、女性の教育的地位はどうだろうか。
現代社会において、教育はますますより高い地位に到達するための必要な条件となりつつある。
女性は、教育を受ける機会をどのくらいもつのか、および、その受けた教育のレベルの高さが、国家の教育レベルを示す。また、女性の教育的地位は、女性が社会に参加するための能力の基礎として、女性の社会的地位を測定する重要な指標ともなっている(史 劉 2006:106)。
同時に、女性の教育的地位は、女性の社会的地位に関するその他の要素にも重大な影響をもたらしている。女性の教育的地位に関して、入学者数と学歴指数とを研究するだけでなく、教育の性質や内容を検討する必要があると考えられる。
こうすることで、はじめて教育指標の中から、女性が現実に持つ地位、および、その潜在的地位の状況を理解することができる。教育が、女性の地位やそのほかの側面に対して、どのような方向で影響を与えるかも明らかになるのである。女性の教育レベルを高めることは、女性の社会的地位を高めるための必要条件の一つである。
中国全体で見ると、教育を受けることができなかった要因は、男女ともほぼ同じであるが、割合の多い順で言うと「家が貧しかったため」、「自分が行きたくなかったため」、「試験に合格しなかったため」、「両親が行かせてくれなかったため」など、さまざまである。
だが一方で、これらの要因が男性と女性に与える影響の程度は異なっている。
「両親が行かせてくれなかった」ために入学できなかった、または、続けて進学できなかったという要因は、地域問わず、男性に比べて、女性のほうが多いというのが現実である。
もっとも、さまざまな要因が、男性と女性に与える影響の程度は、同じではなく、一般的に言えば、女性が自分の教育を受ける権利を実現しようとする時に出会う困難は、男性に比べて、かなり多いのである(鄧 張 2005:159)。よって、教育を受ける状況は、女性の社会的地位を反映する。
最後に女性が婚姻や家庭内でもつ地位を紹介する。
家庭は、社会の基本単位であり、社会の全体の縮図であるとも言える。
女性が婚姻関係や家庭内で占める地位は、それ自体がすでに女性の社会的地位を反映している。
逆に、家庭は、女性が社会において占めている全体的な地位の縮図でもある。
現在中国の婚姻は、男性と女性問わず、自分の意思にもとづいて行わなければならないと法律で決められている。
しかし、現実では、女性の自分の意志に基づく婚姻は、男性より少ない。同時に、都市と農村の間には、自分の意思に基づく婚姻の普及度について、明らかな差がある(陳 2005:178~189)。
また家庭内では、日常的な事柄を決定することについて、夫婦が共同で行うよう法律で定められている。
しかし、家庭内での日常的な事柄を決定するものの割合は、妻より、夫が中心になって決定する事が多い。
一方で、妻の学歴が高くなるに応じて、夫の家庭内での日常的な事柄についての決定権が弱くなり、それに対応する形で、夫婦が共同で決定するものの割合が上昇している側面もある(陳 2005:178~180)。
それに、婚姻関係や家庭というミクロの領域では、女性の社会的地位の変遷の経緯を知ることだけではなく、婚姻というもっとも基本的な男女関係のなかから、現実の女性の状況を見ることができる。
以上、女性の法的地位、経済的地位、政治的地位、教育的地位、婚姻関係や家庭内での女性の地位という基本要素の側面から、中国における、女性の社会的地位の状況を見てきた。
第3節 視座
現在(2007年)に至って、中国では女性の考え方の変化はとても大きいが、その過程を丹念に分析すると、女性が自分自身の解放のために支払ったものはそれほど多くないことを認めざるを得ない。
中国で、最も早く女性解放を提起したのは男であり、最初に、行われた行動は女学校の開設と纏足廃止であった。いわゆる纏足運動、さらに、「五四運動」は、女性が始めた運動ではなかった。大勢の女性に法律上の「平等」という権利を与えたのは、1949年、中華人民共和国が建国されてからである。
中国のジェンダー研究に先頭に立つ者は、文化人類におけるジェンダー研究の「男らしさ」「女らしさ」という文化ごとに異なる考え方とどの文化においても「女は男より劣る」という考えの影響を受け、中国女性に「男女平等」の真の意味を「女性が単に男性と同じになるのではなく、女性自身に合う標準を決め、女性自身を守る権利を持つことである」として、提唱し続けた。
また、中国のより高い教育を受けている女性が先頭にたち、女性をめぐるジェンダー研究や、法律上の女性の権利要求などが進んだ。その結果、確かに、社会的権利と法律上の権利が保障されるようになった。また、彼女たちの努力によって、政府側も女性を守るために、力を入れるようになった。
しかし、エリート女性だけの力では、不十分であり、女性全体の意識を変えないと、ジェンダーをめぐる現実の諸問題を解決することができない。
中国では政府とマスコミの報道とは異なる現実が存在していることはその証明でもある。現在、中国女性にとっては、社会に対して女性の権利だけを要求し続けるのは不十分である。つまり、根本的に女性問題を解決するには、法律上の権利だけを要求し、従うのではなく、女性全体の意識を変えるべきである。
本研究は、中国の女性をめぐるジェンダー問題を解決するため、現実に存在している政府とマスコミの報道とは異なる中国女性の状況を分析した上で、今までとは異なるジェンダーの研究を試みたい。そのため、まず、次章は中国における、男女の関係に関する歴史的事実を紹介する。
第Ⅱ章 男女の関係に関する歴史的事実
第Ⅱ章は、歴史的にみた中国の封建社会、中華人民共和国が建国された後、また、改革開放後、中国の農村部と都市部における、女性をめぐる教育、結婚、出産、就業、参政といった視点から、中国での男女関係に関する歴史的側面について論じる。
一般的な歴史的流れを簡単に言えば、次のようになる。
「男尊女卑」という思想に基づいた儒教の考え方が、中国の伝統社会を支えてきた論理として知られているが、その論理は、中国人女性の社会的地位を決定づけ、女性の基本的な役割、存在価値などにも深く反映してきた。
「男女平等」と強調されている仏教が一時期盛んにはなったものの、儒教の考えが根強く残っていたため、仏教は、あまり広がらなかった。
しかし、1949年、中華人民共和国が建国されると状況は変わり、女性の賃金は70年代末に男性の8割程度に達するまでになった。
社会に出て精力的に働いている女性は「女強人」と呼ばれ、また、1979年から一人っ子政策が実施された。
改革開放後、経済の発展が進み、人々の生活レベルが向上し、建国当時と比べて、お金の余裕が生まれるとともに、質の高い生活への要求も高まってきた。それに伴い、新たな社会現象も生まれた。例えば、女性の参政、ドメスティック・バイオレンスに対する意識の高まり、また農村部から都市部への出稼ぎ者も増加などである。以下では、以上のような一般的な歴史的流れをより詳しく検証していくことにしよう。
第1節 中国改革開放された前の状況
家とは「ひとつの経済的な家族、いいかえれば血縁、結婚、または養子縁組によって結ばれた成員たちで構成され、財産を共有する統一体」(クリステヴァ 1981:116)である。
中国の家は、単に血のつながりによって結ばれているわけではない。
中国の伝統社会を支えてきた儒教の理論では、家は女性に、一定の身分や社会的地位を与えたが、女性の基本的な役割や存在の価値は、子供を生み育てることに過ぎなかった。
言い換えれば、家の中で、最も上の世代の女性が一番権利を握っているようなケースもあったが、女性の基本的な役割は家業を受け継ぎ、家を守り男児を生み育てることであった(関西中国女性史研究会2004:ⅰ)。
たとえば、封建的な家庭では、命令権は父に属しているので、家庭内では、父が主権者である。
女は子供を生み、育て、その子供の母としてしか認められない。父がなくなり、父の代わりに母親が家の主権者となることもある。そのような家庭では、一番権利を握っているのが母親であるが、これはまだ幼い子供がその家を継ぐ者のための措置であった(クリステヴァ 1981:116-119,122 )。
儒教の理論が中国の伝統社会を支えてきた一方、仏教の理論が中国の女性の間で広がった時期もあった。
その要因は、仏教が儒教と違って、少なくとも理論的には、男女の平等を認めていると捉えられていた点にある。
たとえば、中国で唯一の女帝である、武則天(日本では、よく則天武后と呼ばれている)は自身の権力を強化するため、儒教の歴史家たちの意見を無視し、仏教の理論を全国で広め、仏教の権威を利用して自分の権力を固めたと考えられる。
武則天が権力を強化するに伴い、仏教は男女平等を認めていることから、何千年も続いた儒教の教育を受けている一般女性たちにとって、心なかの支えであるとも言える(クリステヴァ 1981:143)。
1949年以降、全国各地に学習教室がつくられ、女性に識字教育を実施したが、10年間の文化革命のため、貧困地域の識字率は向上しなかった。
1982年の調査によると、中国では約2億3000万人の非識字者が存在し、その70%が農村に住む女性である。
また2003年の調査によれば、北京と上海の大学進学率は50%を超えたが、中国の人口の70%を占める農村を出身とする大学生は、全国学生の35%に過ぎなかった(関西中国女性史研究会 2005:48-49,52-53)。
昔からの、女性は男児を産むための存在であるという考え方があったが、今の中国では、結婚している都市部の女性は、子供に費やす費用や時間を考え、自ら子供を一人しか生まないことを選択したり、場合によっては、出産適齢期になったにもかかわらず、仕事面での自分の将来を考え、子供を生まない女性もかなり増えつつある。
それに対して、農村では、昔からの考え方――女性の最大の役割が家を守り、また家産を継ぐ男児を産むこと、という考え方――が今でも残っている。
よって、農村部では、男児を生むことが結婚している女性にとって、一番欠かせない役割と捉えられている。
1979年から実施された一人っ子政策は、女性に大きな負担を与えたと考えられる。70年代末~80年代の初め、中国では一人っ子政策の強化によって、男児を産まない女性への虐待や、女の子の赤ん坊を捨てたり殺したりする男性を重んじ、女性を軽んずることが相次いだ(関西中国女性史研究会 2005:24)。
しかし、この時期、外国からは中国女性の地位が高いと言われていた。
それは女性の賃金が70年代末に男性の8割程度に達していたことが、主な原因と見られている。
女性賃金上昇は、中華人民共和国が建国された時、中国共産党が女性の社会的労働への参加や、経済的自立を奨励する方針を打ち出したことに端を発する。
1949年に中華人民共和国が建国されてから改革開放政策を打ち出した1978年までは、政府が強い主導権を握っていたので、男女問わず労働力を平均的に分配していた。それは、平均主義的分配と呼ばれていた。
1953年以降、民間企業は国営企業となり、1953~1957年に労働者の統一、平均的分配制度を導入、確立した。
就職先はすべて政府が決めたため、労働者は、男女とも職業選択などの自由がなかったが、男女平等に賃金が分配された。
選択自由がなかった反面、原則的に失業が存在しない完全な雇用制度が実現された。
またこれらの国営企業では、男女の賃金差も少なかったので、女性労働者がかなり増加し、女性の賃金も男性の8割に追いつく結果となった。
さらに、「男の同志にできることは、女の同志もできる」(毛沢東)というような 平均主義的分配が行われ、出産や育児を理由に女性が離職するケースがなかったとも言われる(関西中国女性史研究会 2005:94-96)。
第2節 中国改革開放された後の状況
80年代以降、改革開放政策が進展し、市場経済化が進むと、仕事場の競争が激しくなった。
以前のような終身雇用制や、個人差に関係なく同じ仕事をし、同じ賃金をもらえることがなくなっていった。
また、会社側が募集や採用する際に、性別や年齢を限定することが増え、中高年層の女性のリストラも行われた。
さらに、経済が発展するに伴い、残業も当たり前になった。特に、工場で働く人の仕事量が増え、より複雑な難しい仕事を課せられるようになり、労働時間もより長くなっていた。
平均主義的分配がなくなり、出産や育児を理由に女性の賃金が下がりつつあった。賃金低下が原因で、離職することもやむ得ない場合もあった。
それと同時により体力を持っている男性は家事をすることが減り、家事や、育児などは、主に女性に任されるようになった。
それによって、女性を採用する条件や職場などが限定され、賃金も男性の7割程度に低下した。
リストラをされた女性たちは、臨時雇用制度のもとパートとして、飲食店や、高齢者の世話や販売などのサービス業に勤めることが多くなった。
これらのサービス業は特に賃金が低く、安定していない職業である(関西中国女性史研究会 2005: 96-97)。
したがって、80年代初め~80年代中期、中国では、女性の仕事、家庭、結婚などに対する考え方が著しく変化した。学校で勉強を続ける女性が増え、企業の最先端で働いている女性の間では、男性と同じような仕事ができるように、結婚もせず、子供も産まないという傾向が増加した。
当時から、男性と同じように厳しく、難しい仕事をし、結婚しているかどうかは関係なく会社のトップにいる女性は「女強人」と呼ばれていた。
先述のように中国の伝統社会を支えてきたのは儒教の理論であったため、男性は外、女性は内という観念がかなり浸透していた。
1949年に中華人民共和国が建国された後、男女平等や平均主義などの政府の方針によって、男性は外、女性は内という観念は変わりつつあった。
しかしながら、中国社会の伝統的な女性観から、社会に出て精力的に働いている女性、特に男性より一生懸命頑張っている結婚もしていない女性は、世間に理解されず、強すぎる女「女強人」と呼ばれることが少なくない。
彼女たちは、世間のルール「男性は外、女性は内」を乗り越えるため、普通の男性以上に仕事に専念し、頑張っている。
しかし、彼女らは、強すぎる女「女強人」と呼ばれるに過ぎなかった。
また、結婚している女性のなかには結婚と仕事を両立させるため二重労働など行う人も少なくない。それをめぐって「女性の自我意識の問題、女性管理職の結婚と仕事両立の問題、職業女性の過重な二重役割負担の問題、高年齢の未婚女性の問題、男らしい男の追及や感情的な欠落感の問題」(李 2000:203-213)なども増えつつある。
1986~1989年にかけて、中国の改革開放が拡大する中、全国の人々が貧困から抜け出すため、中国では生産力の発展がすべての課題となった。
生産力を高めるため、より高い技術が必要となり、それと同時に、高い技術をもつ人も要求された。
そのため、中国社会全体の教育程度や、生活や仕事に対する考え方なども高まりつつあった。
それに応じて、女性も物事に対する意識を変えつつあった。女性たちは仕事する上で、より多くの仕事を任されるため、もう一度学校に入って、勉強しながら仕事を続けることもあったが、多くの企業では、「男性は外、女性は内」という古い考え方が残っていたため、逆に女性社員の失業、女子大学生の就職しにくい状況を招いた。
それによって、女性は入学や、就職など様々な面において、不利になった。1990~1993年の間、女性の就職、職業選択などの権利を守るため、各階層の女性による女性の権利保護組織、営利団体や、サービス組織が設立され、多くの女性が政治活動に参加するようになった(李 2000:203-213)。
中国では、約70%の人口は農村部に居住しているため、改革開放する前は、農業を発展させることが主な目標であった。
しかし、生産力を引き上げるには、まずは技術を修得させるべきとの理由から、1986~1989年、中国の改革開放が拡大するなか、全国の人々が貧困から抜け出すために、高い技術を修得させ、生産力を高めることが、全事業の中心となった。
中国の工場などは、ほぼ都市部に集中しているため、改革開放の後、生産力が増加する一方で、農村の代わりに都市部での生産力発展が中心となり、都市部と農村部の収入格差も年々拡大しつつある。
そのため、農村部から都市部への出稼ぎ者が増加し、2000年第5回人口センサスによれば、安定した仕事をしていない、いわゆる流動人口の1億2000万人のうち、約7割が農村からの出稼ぎ者であった。
そのため、数の多かった出稼ぎ労働者は、都市部の労働者を失業させる要因でもあった。このため、政府は、出稼ぎ者の数を抑えるため、いくつかの規制を実施した。
たとえば、各村で一年あたりの出稼ぎ者の数を制限し、農村部の戸籍をもつ人は必ず出身地で暮らすことを定めた。規制強化にともない、出稼ぎのために離農することが困難となった。
また、伝統的な儒教の理論「男性は外、女性は内」が農村部ではかなり浸透していたため、農村部の女性が、出稼ぎのために離農することが困難となった。
特に既婚女性は、出稼ぎ者の数が制限されている上、家の家事や、子供の世話によって、より不利になり、離農することがさらに難しかった。その一方、都市部では、生産力が増加するに伴って、以前のように、体力があれば誰でも雇用するのではなく、より教育されている人を雇用するようになった。
農村部では、男尊女卑という考え方が根強く残っており、男性が女性より教育を受けているのが現状である。
そのため、農村部では男性の雇用率が女性を上回り、賃金も女性より高いのである。
女性の約7割近くが、小学校卒業以下の教育レベルであるため、1990~2000年の10年間で、中国の農村では、女性の賃金が男性の59.6%に急落し、1990年と比べても女性賃金は19.4ポイント低下した。
2000年の調査資料によれば、農村では8割強の女性が純農業に従事していた。都市に出稼ぎ労働者として赴くのは農村女性の20~30%にとどまり、しかも既婚女性は、家事や、子供の世話のため、出身地から離れて働くことが難しいので、出稼ぎ女性の半分以上は若い未婚女性であった。
ところで農村部の女性は都市部の男性と結婚しても、戸籍の所属地を農村から都市に変えることができないため、都市部の住民を対象とした社会保険の権利や、住宅支援制度を受ける権利がない。
さらに現在の戸籍法では、産まれた子供は母親と同じ農村戸籍になるため、産まれた子供が社会保険を享受できない、都市部で教育を受けられないなど、様々なマイナス面がある。
このため、都市部の男性が農村部の女性と結婚するケースが少ない(関西中国女性史研究会 2005:100-101)。よって、都市に出稼ぎにいく農村部の女性は、若いうちに都市で働いて、農村での結婚適齢期をむかえると地元に戻されるケースが多いと見られる。
第3節 婚姻と参政の視点から見る男女関係の歴史状況
中国の婚姻法は、1949年中華人民共和国が建国された後の、1950年に制定された。
それ以前、中国では、結婚は、本人の意思によるものでなく、決定権を握っている親によって決められた。婚約者同士であっても、未婚の男女が会って言葉を交わす機会もほとんどなかった。家同士の関係について言えば、結婚がいったん決まれば、解消することはほぼ不可能で、もし、婚約を解消すれば、それは社会的に許されないことと見なされた。
1950年の婚姻法によって、本人の意思によらない結婚はすべて禁じられた。それに、結納金や、結婚を名目にしたお金の受け取りなども厳しく禁じられた。
しかし、都市からかなり離れている農村では、昔のように男の家が女の家にお金を支払い、結婚するケースも存在している。
それには、法律が十分周知されなかったこともあったが、男尊女卑という観念が強いため、お金を払って結婚するのは、女を買うという意味もあると考えられる。
改革開放後、生活のレベルが建国時より向上し、出稼ぎ者が稼いだお金のおかげで、生活に余裕が生まれた。
その一方で、一時期消滅した結納金の風習が、農村を中心に復活し、その額もさらに増加した。結納金は、娘を嫁として引き取ることに対する損害賠償みたいなものとみなされている。
よって、生活レベルが向上するに伴い、結納金額も上がったと考えられる。
それゆえ、貧困地域で生まれる女性たちはより豊かな地域に多く嫁ぎ、貧困地域では、嫁が来ないことや、嫁不足による女性の人身売買もあると言われている。
さらに、一部の農村や少数民族が居住する地域では、その村、また地域のルールを守るという理由から、婚姻登記(中国の婚姻法によって、結婚する男女は、自ら結婚登記機関に赴き、結婚登記を行う必要がある)をせずに、旧来の結婚儀式を持って結婚成立とみなすこともある。
たとえば、雲南省にあるプミ族社会は、いまでも母系社会であり、結婚、離婚の際も特別な儀式を行わない。さらに、結婚後、妻が数日、また長ければ10年、夫と別々に生活していることも少なくない(関西中国女性史研究会 2005:1-27)。
1950年に婚姻法が制定された際、妻や嫁に対する虐待がすでに問題となっていた。
また婚姻法が制定される前に結婚した女性、つまり自分の意思によらない結婚をした女性は、再婚を求め、夫婦間のトラブルが増加した。
同時に、相手に離婚を求める時の暴力、傷害、殺害事件などが起こり緊急問題となった。
しかし、当時、そうした家族成員に対するドメスティック・バイオレンスは、たとえば、暴力が日常的で連続的なものでなければならないなどの理由で、一般に禁止されるものではなく、一時期放置された。
その後1979年に初めて刑法が定められたときに、虐待罪が設けられたが、この虐待罪は他人に対する暴力の場合を指すため、家族成員に対する暴力は罪の対象にはならなかった。そのため、ドメスティック・バイオレンスを防ぐには、あまり意味がなかった。
また、中国の旧来の考え方では、家の中のことは外に出すべきではないという規範意識が強かったため、ドメスティック・バイオレンスがあっても、家庭の私事と考えている人が一般的であった。
90年代になると、特に95年に開催された北京世界女性会議以降、メディアなどで、ドメスティック・バイオレンスが正面から取り上げられるようになった。
改革開放後、経済の発展が進む一方、人々の生活レベルが向上し、建国当時と比べて、お金の余裕が生まれるとともに、質の高い生活への要求も高まってきた。
また、この2、30年の間に、海外の考え方や、マスコミなどの影響により、人の考え方もかなり変わった。以前は、外に出すべきではないと認識されていた夫婦喧嘩や、婚外の恋愛、ドメスティック・バイオレンスなどが、普通の会話にも出るようになった。このような問題に応じて、2001年に婚姻法が改正された際には、中華全国婦女連合会の建議により、婚姻法が改正された。
2001年、改正された婚姻法は、初めて家庭内のドメスティック・バイオレンスが禁止されることになり、またそれは、離婚条件のひとつにもなった。ドメスティック・バイオレンスや、配偶者以外の異性と同居することに対しての損害賠償責任などが明記され、さらに別居後2年たつと、離婚許可の十分条件として認められた。
しかし、改正された婚姻法は、まだ、原則的な規定を定めているにすぎず、法律的には身体的暴力としか解釈されていないため、精神的、性的暴力は含まれていないのが現状とも言える。
大都市では、ドメスティック・バイオレンスの防止策が周知されており、一部の省では、ドメスティック・バイオレンスを防止するため、地域によって、ドメスティック・バイオレンスに関する通報センターなども開設されている。
しかし、大都市から離れている小さい都市や、農村では、いまだに、夫の妻に対する暴力は、家庭の私事と見られることも少なくない。
その結果、離婚件数は都市部を中心に増加した。離婚理由は、性格が合わない、婚外の恋愛、ドメスティック・バイオレンスによるケースが多くなった(関西中国女性史研究会 2005:14-15)。
政治面では、伝統的な女性像により、中国女性はまず、第一に「良妻賢母」でなければならない。
また、「男性は外、女性は内」という旧来の考え方が残っているため、「男性は外」は当たり前で、男性は仕事が忙しいときに家事をしなくても責められない、妻の協力を得るのも当然とされている。
その一方、女性のほうは、家庭では「相夫教子(夫の仕事に協力し、子供に教育させること)」、「良妻賢母」に努力し、そのうえ、参政能力を示し、男性に負けない業績であれば、初めて成功したと評価される。
政界で成功しても、「良妻賢母」でなければ、成功した女性と認めないのが世間の考えであった。
中華人民共和国が建国される以前から、「女性は参政しても意味がない」「参政は男性の仕事だ」という考え方をもつ人が多く、それが社会の主流意識となっていた。
建国後、マルクスおよび毛沢東の女性理論を基礎として、中国の社会全体を発展させるためのジェンダー・アイデンティティ理論が確立された。
社会全体のジェンダーに対する認識が高まり、政治を男だけのものではなく、女性の参政も必要であるという認識が広がった(蘇 2005:96、101)。その後、女性が「知政、議政、参政、執政」[1]できる環境を整え、社会全体で女性参政を支持する気運が高まった。
しかし、旧来の「男性は外、女性は内」という考え方が根強いため、女性参政の状況はまだ改善する必要がある。2000年度の統計によると、全国の女性幹部が約8%で、1990年度と比べ1.8%上昇したが、全国の中国共産党村委員会の中で女性幹部を持たない農村は、全体の24.1%を占めている。また、国連の統計では、国会委員の中で女性委員の占める割合を他国と比較すると、中国は1994年の世界第12位から2003年に第38位に後退した(関西中国女性史研究会 2005:180-181)。
陳力は「今日女性にとって最大の難問は仕事と家庭の両立でも、個人と社会の両立でもなく、男女がいかにお互いの立場を認め合い受け入れあっていけるかなのだ」(関西中国女性史研究会 2005:366-367)と指摘した。言い換えると、男女平等を達成するには、お互いの立場を認めし合うことが、現代のジェンダーにおける重要な問題であると述べた。
第Ⅲ章 政府やマスコミの現在のジェンダーに関する解釈
第Ⅲ章は、中国政府の発表とマスコミの報道、二つの角度から、現代のジェンダー状況の捉え方を紹介する。
第1節 中国政府の発表による現代のジェンダー状況
近年、女性の権利を守るための法律がいくつか修正され、政府や、マスコミも女性の地位が高まっていると評価している。
中国の「憲法」、「義務教育法」「女性権益保障法」などの法律では、女性が男性と同じく教育を受ける権利があると明確に制定されている。
中国教育部の統計によると、2004年、小学校への入学率は98.95%になり、女子生徒の入学率は98.93%となった。
高校では、2003年の女子生徒数は1995年の女子生徒数より、5.1%高くなっている(国家統計局 2005)。
さらに、中華人民共和国が建国される前、女児童の小学校入学率は20%未満であったが、55年の間、急上昇し、2004年まで、女児童の入学率は、98.93%にも上ってきた。
しかも、国家統計局の資料によると、1995年中国女性平均教育年数は6.1年だったが、2003年には7.4年に上った。女性の教育年数は、同じ年の男性平均教育年数よりただ1年少ないだけだった(史 劉 2006:106-115)。以上の統計から見ると、確かに女児童の入学率が高まり、男女の教育を受ける年数の差も縮小されたと言える。
中華人民共和国が建国された当時、女性の権利を守る法律は、「婚姻法」と「憲法」だけであったが、現在、「刑法」、「民法通則」、「婦女権益保障法」、「母嬰保健法」などが施行された。
また、1950年に制定された「婚姻法」と1992年に施行された「婦女権益保障法」が、それぞれ1980、2001年、2005に改定され、より現代の社会状況に応じる条項が追加された。
確かに、法律では、女性の権利は様々の角度から保障されているのである。たとえば、1950年に制定され、1980年と2001年に改定された「婚姻法」では、重婚、配偶者をもつ者との同棲、家庭内暴力などが禁止されているのである。
また、同法では、無効婚姻制度を設け、夫婦財産制度を完備させ、離婚損害賠償制度を設立し、婚姻と家庭を破壊する行為に対する罰則を強化させ、法律面で現代女性の婚姻と家庭における地位を支えているという。
新「婦女権益保障法」では、女性と男性が等しく教育を受けられる権利や、就職する際、男女平等に採用すること、離婚女性や寡婦の生活補助、既婚女性の家庭内権利など、以前の「婦女権益保障法」と比べて、より女性の権利を保障する法律となっていると言われている。
さらに、新「婦女権益保障法」では、とくに貧困女性の出産、育児などについて新たな法案が追加された。同法では、女性の結婚、妊娠、育児休暇などを理由に、女性の賃金を下げることや、退職させることなどが禁じられているのである。
また、1990年代の半ばから、中国政府は、5年計画で『中国婦女発展網要』を実施した(1995~2000年)。
その後、10年計画で新たな『中国婦女発展網要』を公布した(2001~2010年)。
二つの『中国婦女発展網要』には、法的に女性の権利を広い範囲で保護し、女性の権利向上を促すように社会環境を整備することとし、女性の社会進出を全面的に促進すると書かれているのである。さらに、女性の権利を男性と対等に保障することは、国の基本政策の重要な一部分として実施することも明示されているのである。
この二つの『中国婦女発展網要』を実行するには、各地方の協力が重要であり、「中華全国婦女連合会」という組織の役割も欠かせないと政府側は強調している。「中華全国婦女連合会」は1949年3月に設立され、元は「中華全国民主婦女連合会」という。1957年に「中華人民共和国婦女連合会」に改名、1978年に現在の「中華全国婦女連合会」と改名された。同会の規則によると、目的は、「各民族の女性と結束し、各民族の女性を経済発展と社会発展に参与させ、女性を代表するとともに、男女平等を促進すること」である(中華人民共和国中央人民政府 2005)。
中国政府機関の公表によると、現在、中国政府と女性を仲介する組織は25以上にのぼる。そのなかで、政府の一つ部門として最も中心的な役割を果たしているのが「中華全国婦女連合会」である。中華全国婦女連合会は、中国共産党、中国政府と女性をつなぎ、女性を代表して、政治、社会活動など様々な分野での女性の権利を獲得するため、政府に働きかける組織であるという(中華人民共和国中央人民政府 2005)。
また、政府機関の公表によると、「中華人民共和国婦女連合会」が主催する全国婦女代表大会は、5年に1度開催される。会議では、主に5年間の事業報告とそれから先5年間の事業計画が制定される。
また、5年の間に明らかになった問題点や新たな状況などを政府に報告し、解決を求める。
さらに、中国婦女連合会は様々な立場の女性を代表し、女性の権利にかかわる法律の制定と改正、およびその実施に関する監督にも参与している。しかも、政府の関係部門は婦女連合会の意見や、提起された問題点などを真剣に聞き取り、政策と企画に婦女連合会の提案を取り入れように気を配っていると言われている(中華人民共和国中央人民政府 2005)。確かに、政府の一つ部門としての中華全国婦女連合会が、全国の女性と政府との重要なパイプ役を果たし、女性が政治や社会活動に参加することを促し、女性の地位向上を促進することにも力を入れている。しかし、同会は機能する範囲が広くても、すべての女性とかかわることが不可能であるのも事実である。
2006年8月29日、北京で開催された国連第4回世界婦女大会10周年の記念会に、中国の胡錦濤主席が出席し、10年前の国連第4回世界婦女大会で制定された「北京宣言」と「行動綱領」を引き続き執行すると明言した。世界平和を守り、人類共通の発展を促進する過程において、各国女性の能力が不可欠であり、女性は天の半分を支えることも強調した。
10年前北京で開催された同大会以降も、中国の発展、中華民族の発展には、中国婦女からの積極的な参与が不可欠であると胡錦濤主席は明言した。
さらに、中国政府は従来とは異なり、政治、経済、文化、社会生活面での女性の役割を重視すること、男女平等を一貫させるとし、女性の権利保障を社会の発展と進歩を評価する重要なシンボルでもあると強調した。
これまでは、女性が起業することと、社会経済の発展は相容れないものとされてきた。
しかし、女性が事業を興すことは経済発展には不可欠であるという考えのもと、今後も「男女平等」を一貫した政策として固め、女性の起業を促進する社会環境を整えると述べた。また、胡錦濤主席は、最後に、女性の地位を高めることは、中国の社会発展を実現させるためにも、重要な課題の一つであり、国の政治、経済、文化の進歩の度合いも反映していると繰り返し強調した(新華網 2006)。
第2節 マスコミの報道による現代のジェンダー状況
それに応じて、最近のマスコミ報道は、よく女性?着半?天(女性は天の半分を支える)と強調し、中国人女性の実状が様々な分野や側面でも、良い方向に改善されていることを報道するようになっている。
中国の政治の根幹を支えるのが、人民代表大会制度である。
メディア報道によると、政府は、女性が各人民代表大会(県、市、省人民代表大会)で重要な役割を果たすのを重視しているという。国家統計局の統計によると、1993~2003年の間、全国人民代表者として参加した女性が、全国の常務委員になったのは、1993年の9.3%から、1998年の15.5%に上昇し、さらに2003年の16.8%に上昇した(国家統計局人口和社会科技統計司 2004)。
現代中国人女性の状況をウェブサイトでは、次のように紹介している。
「2002年末の段階で、中国では女性の人口は6.2億人に達し、総人口の48.5%を占めている。中国政府は男女平等を国家と社会発展の基本政策として強く提唱し、女性の発展と進歩に力を入れている。政府は、国のマクロ政策を制定する際、男女とも平等に政策の制定に参与し、共に発展し、共に利益を獲得することを原則として、女性の進歩と発展を法律上、保障している。中国政府や、社会の各団体の努力によって、中国女性の地位がはるかに上昇し、女性の社会進出の意識が改善され、女性をめぐる社会状況は新たな展開を迎えている」(CHINA ABC 2005)。
また、2000年に全国婦女連合会と国家統計局が共同で行った女性の社会地位についてのアンケート調査によると、93.2%の都市部女性が婚姻と家庭に「非常に満足している」、「比較的に満足している」と答えているという。また、2005年のある報道によると、中国全土の3.5億世帯のほとんどは恋愛による自主的かつ合法的な婚姻で成立している。家庭関係は平等、かつ仲がよく、女性は充分な人的、また財産の権利を有しているという(CHINA ABC 2005)。
さらに、『中国婦女』2001年第4号に掲載された中国婦女雑誌社女性調査センターのアンケート調査「私が見る女性参政」によると、女性の参政イコール「社会の物事に対して意見を述べること」という回答が14.3%、「役人になること」という回答は5.3%、「引き立て役になること」という回答は0.9%、「社会活動に参加、また社会をコントロールすること」という回答は80.8%であるという。
『中国婦女』に掲載されたこのアンケート調査に対して、ある記者は次のように指摘した。
女性の参政イコール「引き立て役になること」という回答が0.9%に対して、「社会管理参与する(社会活動に参加、また社会をコントロールすること)」という回答が80.8%であることは、女性の8割以上が政治に参加することの本質的意義を理解しており、単に管理、監督のポストに就くことが参政であるというような単純かつ表面的な認識は少ないことを示している。また、このアンケート調査の結果によると、多くの人が、女性参政についての概念・意義に対する認識を深めており、女性参政の社会基盤ができていることも意味している(中国婦女 2001)。
また、『北京日報』によると、北京市が全国から市の副局長クラスの幹部を30名公募した結果、合格者のうち女性は9名で、合格者の30%を占めている。北京日報は、トップに立つ中国の女性の数も年々増加する傾向があると報道している(北京日報2001)。
2005年8月29日付の『新華網』ニュースによると、現在中国では、女性の起業家が21%を占め、その割合は男性とほぼ同じである。中国全国婦女連合会の黄副主席によると、80年代以降、自ら創業家になった女性は年々増加し、現在の女性起業家の数が起業家総数の20%に上ったという。また、黄副主席は、1998年以降、各地方の婦女連合会は失業した女性のため、約580万人に再就職できるよう、育成訓練し、その結果、約半分の女性は、再就職ができたと述べた。
以上のアンケート調査の結果からみれば、中国政府は男女平等を謳い、法律上、女性の進歩と発展を約束し、家庭生活に不満はなく、女性が政治に参加することの本質的意義もほぼ理解しており、女性参政についての概念・意義に対する認識も深めていると言う事になる。
しかし、現実には、そうではない。実際には、男女平等が実現されていない点を次章で論じる。
第Ⅳ章 政府やマスコミの報道とは異なった現実のジェンダー関係
第Ⅳ章は、第Ⅲ章で述べた政府やマスコミの報道とは異なる女性の実状について論じる。
確かに、現代の中国の法律は、女性の権利を保障している。
特に「婚姻法」や、「婦女権益保障法」などは、現代の中国人女性の政治、経済、文化、家庭生活の新たな現状に応じて、条項が追加され、より広い範囲で女性の権利保護を謳っている。第Ⅲ章で述べたように、女児童の入学率が高まり、男女の教育を受ける年数の差も縮小され、女性の教育年数は、同じ年の男性平均教育年数よりただ1年少ない(史 劉 2006:106-115)。
しかし、それにもかかわらず、女性の教育を受ける年数は男性より短いのも事実である。
また、農村部において、小学校で教育を終えた女性の割合は、男性より21.9ポイントも高くなっている。
女性の中卒率は、男性より20.8ポイントも低くなっている。
現在、中国政府は、貧困地域、また少数民族の地域での、女児の就学を援助するため、「春蕾計画(春のつぼみプロジェクト)」を実施し、「春蕾班」を設けている。
しかし、教育を受けるようになった女児の数が増えているにもかかわらず、毎年中国全土で、学校を中退する学生のうち、女子児童の数は約7割をしめている。
また、政府とマスコミは、婚姻、家庭、参政などに関する女性の状況は改善されたと報道しているものの、婚姻法で定められたもっとも重要な原則である「婚姻自由」は、いまだに完全に達成されていないのが現状である。
1990年第一期に行われた女性の地位に関する統計によると、本人の意思によらない、また親が一切をとりしきっている結婚は、都市部では20.1%、農村部では36.5%を占めている。
また、全国の約3分の1の女性は、家庭内では、重大な決め事に対して、意見を出す権利がない。さらに参政する女性は、家事との両立を期待されるため、男性以上の負担やストレスを負っている現実もある。
本章では、婚姻、就業、家庭内の主導権、教育、家庭内暴力の5つの角度から、現代女性の状況について述べる。
さらに、現在の中国では国営企業が解体し、競争に基づく本格的な経済論理が導入されているとともに、文化の開放、社会の変化、生活水準の向上によって、人々の視野や交際範囲が拡大し、以前と異なった新たな社会状況が生まれている点について論じる。
第1節 婚姻から見る現代女性の状況
中国人女性の政治、経済、文化、家庭生活の変化にともない表面化してきた問題点に応じて、1950年に制定された「婚姻法」は、1980年と2001年の二回にわたって改定された。
法律では、女性の権利はより広い範囲で守られている。
今の中国では、「憲法」と「婚姻法」だけではなく、「刑法」、「民法通則」、「婦女権益保障法」、「母嬰保健法」によって、女性の権利が法律上、保障されている。
「婚姻法」のなかでも、最も重要な条項である女性の「婚姻自由(本人の意思によらない結婚はすべて禁じる)」は、婚姻法が施行される以前の親が婚姻の一切をとりしきる慣習を大きく改善させた。
しかし、1990年第一期に行われた女性の地位に関する統計によると、都市部では20.1%、農村部では36.5%の女性の結婚を、いまだに親が一切をとりしきっている(全国婦連、国家統計局 2001)。
また、1994年には、親がとりしきる結婚の割合は、都市部では4.98%に下がったが、農村部では、いまだに28.98%にのぼる(沙吉才1995:79)。
2001年第二期に行われた女性の地位に関する統計によると、農村部では16.1%の女性は自分の意思で結婚できない(全国婦連、国家統計局 2001)。
よって、婚姻法で定められたもっとも重要な原則である「婚姻自由」は、完全には達成されていないのが現状である。「婚姻自由」は、中国人女性の結婚に関する権利を保障したと評価される一方で、依然として本人の意思によらない結婚で苦しんでいる女性も存在している。
現在の中国では、市場競争が激しくなるとともに、それぞれの人が持つ価値観や結婚に求めるものが変わりつつある。また、文化の開放、社会の変化、生活水準の上昇によって、人々の視野や交際範囲が拡大し、それに従い結婚に対する意識、考え方、行動方式も変化しつつある。恋愛や結婚に、より高い質を求め、選択の自由と多様化がさらに進んでいる。よって、婚姻関係の質を高め、安定な生活を得るため、新たな「婚姻自由」観が生まれてきた。
1996年から2000年までの統計によれば、全国で女性の就職率が減少しているのが現状である(国家統計局社会統計司 1987)。
大学では、「干得好,不如嫁得好(いい仕事を見つけるよりは、いいお嫁に行くことだ)」という考え方がかなり流行し、婚姻相談所にお見合い結婚を求めている大学3、4年の女子学生や両親が増加している(経済参考報 2006)。
彼女たちが求めているお見合い相手は必ず「有房,有?,事?有成(家、車、いい仕事を持つこと)」という条件を満たす者である。
山西省にある大学の4年生は、3回お見合いをし、お見合い相手はすべてその条件に合う人であった。「条件がすべて合う人の中から結婚の相手を選びます」と彼女は言う(経済参考報 2006)。
彼女のクラスメートによると、彼女のように卒業後すぐ結婚したい同級生がかなり多く、同じ寮に住んでいるルームメートで、お見合いをしたことがある友人が三人もいる。
そのうちの一人は、大学3年生から5回のお見合いをした。大学では「嫁个好老公,少?斗20年(いいパートナーを見つけたら、20年努力しなくてもいい)」や、「男靠家,女靠嫁(男性の成功は家柄により、女性はどんな家の嫁になるのかが勝負だ)」という考え方をもつ人が増加する傾向にある。
この傾向は山西省だけではなく、浙江省などもある。これは自由が認められた社会での個人の選択といわれるが、女性の権利が法律上だけではなく、完全に守られていないと考えられる。
また、お見合いで結婚している多くの女性はお金しか目に入らないため、お見合い婚姻の不安定性など、隠されている危機(喧嘩、家庭暴力、離婚など)が大きいと推察できる。よって、「婚姻自由」は、理念とは異なる形で受容されていると考えられる。
中国では、毎年海外に留学する人の数が増加している。
中国教育部の2005年の中国から海外への留学生総数の統計によると、1978~2005年末までの間、国費と私費を合わせた海外留学生数は、93.34万に上った(段躍中日報 2006)。
日本への留学生数も毎年増加し、平成17年5月1日現在8.06万人に上る(独立行政法人日本学生支援機構JASSO 2006)。
中国旧来の考え方では、成人になった子供が、親のそばに戻って親孝行をするのは義務である。しかし、帰国した人の数は、23.29万人しかいなかった(段躍中日報 2006)。
1982年に一人子政策を実施したことによって、現在25歳以下の青年は大抵一人子であるため、中国では、留学した子供を自分のそばに戻らせようとしている親が確実に存在している。
よって、自分の娘や息子を将来帰国させるため、息子や娘の代わりに親が見合い相手を選び、一時帰国している間、お見合いをさせることが筆者の周りに数多く存在している。親孝行とはいえ、不本意な結婚をし、苦しんでいるカップルの数も少なくない。
「婚姻法」が制定されてから56年が経ち、本人の意思によらない結婚はすべて禁じられている一方、生活の変化、生活水準によって、さまざまな状況が生まれてきた。「婚姻自由」も、以上のような形で受容され、完全に達成されているといいがたい。
改革開放後、経済が急速的に発展する一方、人々の考え方や、価値観なども変化しつつある。旧来の「嫁鶏随鶏、嫁狗随狗(鶏に嫁いだら鶏に従い、犬に嫁いだら犬に従う。すなわちいったん結婚したら、一生その人に従うべきだ)」というような婚姻観も崩れていく傾向にある。
夫婦生活がうまくいかないなら、離婚してそれぞれ新たな道を歩み、自分の新しい人生を求める人が増えつつある。
このような価値観の変化に伴い、特に80年代以降、離婚率が増加している。離婚率は1979年の4.7%から、1992年の8.9%に上り、さらに2000年に19.0%まで増加した。20年間で、約4倍に増加したことになる。(熊 2005:189-198)。
新たな「婚姻法」には、夫婦財産制度と離婚損害賠償制度が設けられている。
しかし現実には、離婚により、女性は住む場所がなくなり、慰謝料がもらえないことなどによる訴訟が増加しつつある。
1998~1999年8月まで、家の権利による訴訟が277件で、離婚による訴訟件数の48.3パーセントを占める(田 1999)。
また、2001年5月~2002年12月にかけて、女性の離婚による経済補助を求める訴訟が、76件で、全訴訟の90.8パーセント占める。
訴訟の結果、63件に補助金が認められたが、補助金額がわずかであった(巫 2004:41-49)。
よって、法律で女性の権利を守られているが、実際は、女性に対する社会保障がまだ不完全であるといえる。
また離婚後、自殺する農村部の女性が増加している。
その中で、最も自殺が多い年齢層は15~39歳の間である。
1990~1994年に行われた調査によると、女性の自殺による死亡人数は17万3,230人である。
農村部女性の自殺率は、都市部男女の自殺率、農村部男性の自殺率をはるかに上回っている。
さらに、農村部女性の自殺死亡率は全国平均より高い。自殺した農村部女性260人のうち、離婚後の生活苦が原因で自殺した人は86.29%を占めているのである(謝 1999:6-13)。
「婦女権益保障法」には、離婚女性と寡婦への生活補助や、既婚女性の家庭内権利などが保障されているにもかかわらず、現実には、法に書かれている原則を実現するのは、まだ大きな隔たりがあるといえる。
確かに、中国では、女性は男性と平等の権利が法で保障されている。
しかし、現実では、男児を産むべきであるという風潮が依然として残っているのである。
また、子供を産むことの責任は、女性がとるべきであるという考え方が一般的である。
国家統計局の調査によると、約80パーセントの被調査者が避妊の責任は女性にあると答えた(国家統計局人口和社会科技統計司 2004:29)。
さらに、1979年、中国では「一人っ子政策」を実施することによって、男の子がほしいという願望も特に強くなっている。
毎年実施される中絶手術に関する統計からみると、1976年に人工流産を行う女性の数は474万人であったが、1985年には1093万人に増加した(中華人民共和国衛生部 2005:203-204)。
女性のなかには、望まない妊娠から中絶することもあるが、多くの場合は、男子を産むために中絶が行われた。
男子を産むために、胎児の性別が女子と判明した時点で、中絶や、間引きをし、男子が生まれるまで繰り返すケースも少なくない。
また、一時期中国では「超生遊撃隊(制限外の出産をするため、一時期的にほかの地域に移り、その身を隠して出産する)」という言葉が流行し、そういった現象も多く見られる。
世界の新生児男女比は、男女の割合(女子100人に対する男子比)が男:女=103~107:100の間であるが、1982年と2000年の中国での調査結果によると、新生児性別比(女子100人に対する男子比)は、1982年の第三回全国人口調査における108.5から、2000年第5回全国人口調査時には116.9に上昇した(国家統計局人口和社会科技統計司 2004:17)。
中国では、この18年の間、新生児性別比は、男性の割合が急増し、世界の新生児男女比の平均範囲を10ポイントも上回っている。
よって、法律が整備されているにもかかわらず、新世紀を迎えた現代の中国では、男尊女卑という考え方が、いまだに残っていると言えよう。
第2節 家庭内から見る現代女性の状況
1949年中華人民共和国が建国された後、中国政府は男女平等の権利を確保するために、さまざまな法律や原則を公布し、女性は法律で男性と同じ権利を持ち、同じ地位であるとされている。
たとえば、「婚姻法」には、「家庭での夫婦の地位は平等である」と書かれている。
現在家庭の中では、家の売買や投資など女性が重要なことを決定する権利は、旧来の中国、中華人民共和国が建国される前と比べると改善されている。
しかし、その背後には、家庭内で女性が重要な事を決める主導権を持たないという側面も存在している。婚姻法によって女性の立場がよくなったが、それでもなお、まだまだ改善されるべきところは多いのである。
家庭における重大事の女性決定権の調査(サンプルを抽出する調査)によると、「盖房、買房」(住宅の新築や購入)の側面では、女性決定権比率は1990年の65.5%から、2000年の70.7%にのぼり、10年間の間で5.1%あがった。
また、女性は「家庭投資或貸款」(家庭投資やローン)の側面では、決定権比率が1990年の50.5%から、2000年の60.7%にのぼり、10年間の間10.2%も上昇した(蘇 2005:111)。
このデータから見ると、確かに、女性は家を購入することや家庭投資やローンの決定する権利が、向上し、女性は家庭内で家を購入することや家庭投資やローンの物事を決める主導権を持っている。
しかし、全国婦女連合会、国家統計局が行った全国の家庭内女性の状況における調査では、女性のみが決定権を持つ割合と夫婦一緒に物事を決める割合の合計は1990年の50.1%から、2001年の67.4%にとどまった(全国婦連、国家統計局 2001)。
このデータから見れば、女性は家を購入することや家庭投資やローンの決定以外では、女性の決定率が落ちる。
さらに、女性のみが決定権を持つ割合と夫婦一緒に物事を決める割合の合計は、2001年の67.4%に増加したということにより、女性だけの決定率は家を購入することやローンの場合と比べるとかなり低くなる。よって、ただたんに統計上の数字が増加したことをもって、女性は家庭内で「平等」になったとはいいがたいのである。
また、「夫婦は家庭での地位が平等である」と政府側は強調する一方、旧来の家庭内では、夫の収入は妻より高いことが常識とされている。「第二期中国婦女社会抽様調査」によると、1990~1999年の約10年間で就業女性の年収は大幅に増加したにもかかわらず、男性の収入との格差が拡大している。1999年、就業女性の平均年間収入は7409.7元、男性の70.1%で、1990年より格差が7.4ポイントも拡大したという。
支出の面においては、まず、農村部では、都市部の月給制や、男女共働きの方式とは異なるため、家庭内の状況も異なっている。
都市部では、男性と女性両方とも企業、政府機関などに勤め、月給をもらうが、人口の70%の占めている農村部では、企業や政府機関などに勤める人の数が少なく、ほとんどの人が農業を行っている。
先述したように2000年までは、出稼ぎ者の数を制限していないため、女性より多くの男性が離農し、農作業や家事を全部女性に任せたケースもあった。
また、実際、女性の体力は男性よりやや低いため、出稼ぎに出られなかった男性の家庭でも、女性が農業の手伝いよりも、家事することが多いのである。
農家では、男性も女性も農業を営んでいるが、女性の働く方式はやや家事中心となるのも現状である。
いまだに、機械に頼れず、自ら農業を行うことが多いなか、主に男性が農業し、女性が農業を手伝い、家事をするという働く方式でも平等であると思われる。
しかし、農村を対象とした、支出のさいの決定権に関する調査によるとお金の使い道を決めるのはほぼ男性であることが示された。さらに、その統計によると、農村部の男性の支出率が女性より大きく、その差は10%もあるという(熊 郁 2005:196-197)。
よって、人口の70%の占めている農村でも、男女平等にお金の使い方を決定できているとは言い難い。「家庭での夫婦の地位は平等である」と言われる一方、支出の際に、決定権を持たず、意見さえ出せない女性が数多く存在する現状から、家庭内では、男女平等の考え方が根付いていないといえる。
「婚姻法」の男女平等という規則に従って、男女平等に家計を維持するため、男女共働きや、家事を分担することも表向きは当然とされている。
しかし、それは表面的なことであり、その内実は、そうではない。
各家庭の状況も考慮しながら行われた調査によると、2000年の段階で、女性が、毎日家事に費やす時間は4.01時間で、男性より2.71時間も多いのである。つまり、毎日の掃除、洗濯、炊飯などほとんどが女性の仕事となっていると考えられる。(陳 2005:178-182)。
都市部の女性は家事をする時間がやや少なくなっているのが現状である。
ただし、夫婦共働きのため、家政婦を雇用し、代わりに家事を任せることが多い。
女性たちは、メイドや使用人や家事ヘルパーなどさまざまな名称で家事労働者として働いている。それは、家事が女性の伝統的な役割であるからと考えられてきたからである。
よって、伝統的な考え方、「女は内(家事をするのは女性の使命だ)」は、まだ根本的に強く存在しているといえる。家庭内では、男女平等とは言いがたい。
第Ⅱ章で述べたように、確かに、大都市では、ドメスティック・バイオレンスの防止策が周知されており、一部の省では、ドメスティック・バイオレンスを防止するため、地域によって、ドメスティック・バイオレンスに関する通報センターなども開設されている。
しかし、大都市から離れている小さい都市や、農村では、いまだに、夫の妻に対する暴力は、家庭の私事と見られることも少なくない。
2000年12月10日付けの『中国婦女報』の記事によると、中国の2.7億世帯のうち、30%の家庭にドメスティック・バイオレンスが発生しており、しかもドメスティック・バイオレンスの8割は夫によるものであり、妻が主たる被害者となっている。
また、2002年、中国婦女連合会が全国の13省101地域で行った「全国家庭道徳状況問巻調査」によると、都市部も農村部もドメスティック・バイオレンス事件の発生率は低くないという。
暴力を伴う夫婦喧嘩をよくするのは7.9%、たまにするのは38.7%である。よって、約半数近くの家庭では暴力が発生したことになる。また、2004年のドメスティック・バイオレンスに関する調査によると、ドメスティック・バイオレンスが確認されている家庭は全家庭の34.6パーセント、3分の1以上に上る。その上、被害者はほとんど女性である(張、劉 2004:111)。
中国旧来の考え方では、男性は自分の妻に暴力を振るのが当然であり、民間にある諺、「娶来的??買来的馬,任我?来,任我打(嫁は私が買った馬とおなじく、乗っても、殴っても私の自由だ)」のように、嫁は馬のような扱いをうけ、暴力を振るわれるのも当たり前だと考えられている。
例えば、2000年にドメスティック・バイオレンスの実態調査が行われた北京のある農村部では、「ドメスティック・バイオレンスがあるか」との質問に、「うちの村ではないわよ!」という答えが返ってきた。しかし、「自分の妻に暴力を振るうことがないのか」との質問には、「それは当然ありますよ!」とほぼ全員答えた。このように、中国では、妻に暴力を振るのが法律違反と認識しない人がまだ多いといえる。
よって、法律では、さまざまな側面で女性は守られ、中国の国民教育や生活レベルなどを向上させることが求められているのにもかかわらず、ドメスティック・バイオレンスがまだ減少していないのが現実である。
第3節 教育、就業から見る現代女性の状況
法律上では、女性の入学、進学、卒業、学位授受など、教育のすべての面において、男女平等の権利が保障されている。
上述したように、2004年の統計資料によると、女児童の入学率や、女性平均教育年数は、確かに改善されたといえる。
しかし、現実では、女性の周りの環境や、「男尊女卑」という考え方がまだ根強いため、不平等は依然存在し、女性の教育を受ける権利が完全に保障されているとはいえないのである。
農村部では、女子が充分な教育を受けさせてもえないことが多くあり、当初地方が指導したとおり女児を小学校に入学させても、途中で「女性なのに勉強なんかしなくていい」という理由で親が中退させるケースが多い。
このため、女性の識字率は男性より低く、女性の教育を受ける年数は男性より短いのである。
中国の「第二期中国女性社会地位抽様調査」によると、30歳以下の女性の教育を受ける平均年数は、都市部では10.4年(男性と比べて-0.3年である)であるが、農村部は7.0年(男性と比べて-0.9年である)である。
また、まったく学校に通ったことがない農村部女性の非識字率は13.6%であり、男性より9.6ポイント高い。
しかも、上述したように、農村部における女性は、小学校のみで教育を終えた人は男性より21.9ポイントも高くなっている。
また、中学に進学し、卒業した女性の数は男性より20.8ポイントも低くなっている。
さらに、この「第二期中国女性社会地位抽様調査」によると、農村部では、中学校に進学できなかった女児のうち、両親の意思によるものは36.8%を占め、男児より8.9ポイント高い。
親が子供を進学させなかった理由は、主に進学を無意味だというもので、男児に対してそう考えているのは3.5%であるのに対し、女児に対してそう考えているのは9.1%にものぼり、倍以上である。
上述したように、現在、一部の貧困地域、また少数民族の地域では、学校に通えない女子児童を援助するという目的で「春蕾計画(春のつぼみプロジェクト)」を実施し、「春蕾班」を設けている。「春蕾班」への入学が認められた女児には、卒業までに教科書代や、文具費用などを援助している。
「春蕾計画」が実施されて以降、再び教育を受けるようになった女児の数が増えているにもかかわらず、毎年中国全体で学校を中退する学生のうち、女児の数は約7割をしめている。
よって、法律に定められているとおり女性の教育をうける機会を確保しても、現実には、女の子が学校に通い続けることは依然厳しいのである。
中華人民共和国が建国される前では、女性が就職する機会は非常に少なかった。
いまでは、女性は法によって男性と平等の労働、就職の権利を享有するとともに、同一労働、同一報酬および特殊労働の保護を受ける権利を享有しているという。
1949年、全国の女性労働者、職員は60万人で、労働者、職員総数の7.5%を占めるにすぎなかったが、1998年には、女性就業者は3億4,067万人となり、社会の就業者総数の48.7%を占めている。
この割合は世界平均の34.5%より高い。
中国の4億5,000万人の農村労働力のうち、農業生産に携わる者は3億2,000万人で、71.0%を占め、そのうち女性は2億1,000万人で、65.6%を占めている。
70年代末、世界で、女性の賃金が男性の8割程度に達している国は五つしかなかった。中国の女性の収入も男性の収入の80.4%に相当するといわれる。
上述の統計から見れば、1949年と比べ、1998年の女性就業者の人数は上昇している。また1995年まで、女性の就職率も上がっている(国家統計局社会統計司 1987)。
しかし、一方で、リストラされた女性の数は1990年には181.43万人、1996年には、289.1万人、1997年には303.1万人と年々増加する傾向にあることも事実である。(蘇 2005:71)。よって、女性の就職率は比較的高いが、女性の退職率も高いので、全体として就職率を下げているのである。
確かに、法律面では既婚、未婚を問わず女性の就職する権利は守られている。
例えば、女性勤労者は月経期、妊娠期、出産期、授乳期に特別の手当を受け、女性労働者、職員は出産後三カ月の有給休暇がもらえると中国の『人民日報』に掲載されている(国務院新聞弁公室 2003)。
1992年に施行され、2005に改定された新「婦女権益保障法」には、とくに貧困女性の出産、育児などについて新たな法案が追加された。同法では、女性の結婚、妊娠、育児休暇などを理由に、女性の賃金を下げることや、退職させることなどが禁じられているという。
しかし、実際には多くの女性の就職は低収入業に集中し、仕事の内容も、職務レベルも男性より低い。
また、企業側は、生産力を高めるために、高い技術を持ってない女性をやめさせるしかないと強調した。
しかし、女性を退職させる主な原因と見られたのは、社会の急激な変化である。
改革開放政策が進んだ後、市場経済化が進む一方、仕事場の競争も激しくなった。それに伴い、平均主義的分配がなくなり、能力主義という制度が増えつつある。
社会環境が変化しても、女性は出産や育児休暇を取るため、会社側は、同じ賃金でより成長性がある、若い男性を採用する傾向にある。
法律では、女性の結婚、妊娠、育児休暇などを理由に、女性の賃金を下げることや、退職させることなどが禁じられているため、企業は女性を退職させる理由を女性社員が低い技術しか持ってないことと強調するのである。よって、全国女性の失業率が上昇したことは、法律が完全に遵守されていないことを意味している。
女性が離職することが多い一方、男性と同じように仕事ができる女性も増えつつある。90年代、中国には、海外からの投資で、外資系企業や私有企業が多く誕生し、国際市場へ進出することにより、能力を重視し、女性より男性の労働力を選ぶことが多かった。
うまくこの市場経済の波にのった女性は、外資系企業や、金融関係などの会社で働くことができ、さらに高収入を得るため、より条件のよい職場へ頻繁に転職することもすくなくない。
女性が高等教育を受ける機会が増えることによって、女性の就職先のレベルや、昇進率も上昇してきたという。都市部で就業する女性のうち、管理職や、リーダーとして働いている女性の数が1990年には2.9%を占めていたが、2000年の調査によると、6.1%に増加した。これに対して、男性管理職の割合は、2000年には16.7%を占めていたが、その割合が、1990年と比べて、1.5ポイントしか増加していなかったのである(蘇 2005:69)。
会社の管理職に就いている女性の割合は男性と比べて、わずかな数であるが、中国旧来の考え方「男性は外、女性は内」がまだ残っているため、女性の上司をもつ部下(男性)や、失業した男性から見れば、管理職に就いている女性はあまりにも目立つのである。
また、男性の失業率は女性の失業率と比べて低いが、年々増加する傾向にある。よって、女性を会社から追い出すと男性の失業率が必ず下がるだろうという風潮が社会に広まった。
男性の失業者は、数多くの女性が社会に入り、伝統的な思想を変えようとしているため、男性の失業率が増えると考え、再び旧来の「男性は外、女性は内」という伝統的な考え方を提唱し、さらに、「婦女回家(女性は家に戻れ)」を主張した。
第4節 現代女性の新たな状況
現在、中国では国営企業が解体し、競争に基づく本格的な経済論理が導入されている。
それを伴い、社会で新たな状況が生まれつつある。
社会に出て精力的に仕事をするキャリアウーマンは「女強人」と呼ばれている。
「女強人」は、会社では、ほぼ男性と同じように働き、また普通の男性より、高いポストにつき、働いている女性を指す。
彼女たちは、未婚の女性が多いが、結婚しているにもかかわらず、男性と同じように残業や、出張し、男性以上に頑張っている人が多いようだ。
しかしそれに対して、彼女たちと同じように仕事をしている男性は「男強人」と呼ばれることがなく、さらにその「強人」という言葉も一般的ではない。
「女強人」という言葉は、あまり好意的なニュアンスを含まず、逆に、本来は家庭にいるはずの女性が男性に対抗して無理をしているという偏見に満ちた意味があると考えられる。
また、都市部では「白領(ホワイトカラー)」というカテゴリーが一般化しているが、男性を「男白領」と呼ばずに、女性だけが、特別に「女白領」と呼ばれている。
改革開放前は、「白領(ホワイトカラー)」という言葉がなく、90年代から、外資企業で生まれた言葉であり、よくきれいなオフィスで仕事をし、普通の企業より高い賃金をもらえる人を指す。女は家にいて、家事をし、外で働かない、という文きり方の見方があるからこそ、男性にとって憧れの仕事であるホワイトカラーに女性もなった、ということで、特別に「女白領」と呼ばれていると考えられる。
最近、大都市では、仕事にいそしむ一方で、多様な文化が入り込むことによって、新たな価値観が生まれ、新しい家庭形態も増えつつある。
そのひとつが、「丁克(ディンクス)」[2]という家庭組織である。
「丁克(ディンクス)」とは、夫婦とも一般より高いポストにつき、仕事が忙しいため、子供を産まないと決めた家庭を指す。
儒教に基づく男性は外、女性は内、男尊女卑などの考え方を支えてきた中国の伝統社会が急に変化しているように見えるが、この「丁克(ディンクス)」という家族形態は、大都市でしか存在しないのが現状である。
この「丁克(ディンクス)」という家族形態は、政府側が正式に認めているものではなく、人々の間で広まっている家族形態である。
「丁克(ディンクス)」という家庭組織が出ることによって、一見すると、中国の女性は自ら出産するかしないかを決めることができ、女性の地位もさらに高くなったように見える。
実際には、「丁克(ディンクス)」という家庭のすべてが子供を産みたくないのではなく、社会の制限(昇進できないことや、子供を産むと仕事をやめなければならないことなど)によって、仕方なく「丁克(ディンクス)」という家庭組織を選択することも少なくない。
また、この4年近く、就職が難しい状況に応じて、大学院レベルの高学歴を求める女性も増えつつある。そのなかでも博士号をもつ女性は特別に「女博士」と呼ばれている。
この「女博士」という言葉は、実は、男でも女でもない「第三類人」の意味である。(関西中国女性史研究会 2005:108-109)。
この「女博士」の隠された意味(「第三類人」)はいまでも話題になっている。
中国の旧来の考え方では、結婚する相手を選ぶとき、まず男性の学歴を見る。
男性は女性より学歴が高いのが当然であって、女性の学歴が低くても良い。
逆に女性が男性より学歴が高い場合、親族側、またその男性自身もあまり賛成しないことが多い。
大都市で働いている人々は、すべてその都市の人ではなく、また親と離れて住んでいるため、親族側は反対しても仕方がないので結婚を認めている場合もある。
しかし、普通の都市部や、農村部に住んでいる人なら、高学歴の女性に対する反発がかなり激しい。
学歴が高い女性と結婚すると男性の面子がなくなり、一生その女性の言うとおりにしなければならないという声も多い。
大学で、博士まで勉強を続けようとしいている女学生たちが、親からよく言われるのが「もう勉強をやめて、早く結婚しなさい。これ以上勉強すると、一生結婚できないじゃない」という一言である。
それは、単に農村部にいる親たちの声ではなく、都市部の親たちも同じである。
だが、農村では、女性結婚の平均年齢は18~20歳(80年の婚姻法によって、女性の結婚年齢は20歳以上であるが、実際は早い)である(中国人口科学 1996:4期)ため、農村部の親は都市部の親より、反対の声がより強くて、激しい。
親は、娘の代わりに婚姻相談所に申し込むことも少なくない。
学校にいる女博士たちの周りは博士である男性や、女性も多いから、「女博士」というのが、高学歴以外、どんな意味を持つのがあまり気づかないことが多い。
しかし、卒業した女博士たちにとって、結婚難が一番問題となっているのが現状である。それは、「男高、女低」(男性は女性より高い)が中国旧来の結婚に対する考え方であるためだと考えられる。
出身地に関わらず、大都市で高いポストにつく女博士たちは、高学歴、高賃金など、すべてを備えている一方、結婚ができないのも現実のである。この「女博士」という言葉には単なる男尊女卑ではなく、女は「女博士」であるが故に、結婚が難しい、また結婚できないという意味もあると考えられる。
以上のように、現在中国では、法律上、様々な面で女性の権利が守られており、外国から見れば、女性の地位は高まっているように見える。しかし実際は、不平等で苦しんでいる女性の数はかなり存在しており、今後、女性の権利向上にむけた改革を行うべきだ。
第Ⅴ章 中国におけるジェンダー論の批判的検討と今後の展望
第Ⅴ章では、現実に存在しているジェンダーの状況と政府やマスコミの報道によるジェンダーの状況のズレを考察しながら、新たなジェンダー論を展開する。
第1節 政府とマスコミの報道とは異なっている実情が存在する原因
第Ⅲ章で述べたように、現在の中国では、外国から見れば、女性の地位は高まっているように見える。法律に限って言えば、様々な面で女性の権利が守られている。しかし第Ⅳ章で論じたように、現実では、中国の政府や、マスコミの報道とは異なる実情がかなり存在し、不平等で苦しんでいる女性の数もかなり存在しているので、今後も、女性の権利向上にむける改革を行うべきだ。
では、なぜ、中国の政府や、マスコミの報道とは異なっている実情が存在しているのか?その原因を3つにまとめた。
原因1 歴史の影響
まず、歴史の影響が強かった。
第Ⅱ章で述べたように、数千年にわたった儒教の思想が中国の基本思想として、中国社会に根付いている。
「男尊女卑」という儒教の思想が、中国の伝統社会の論理として、中国人女性の社会的地位を決定づけ、女性の基本的な役割、存在価値などにも深く反映してきた。
それに基づいて、中国は完全に男性が家庭の主人、社会をコントロールする人となり、男尊女卑の社会を作り出した。
また、何千年も続いた女性に対しての「三網五常(三綱とは人間として、君臣、父子、夫婦の秩序を守るべきという要綱であり、五常とは仁、義、礼、智、信である)」と「三従四徳(三従とは、女性は生家では父に従い、嫁にいっては夫に従い、夫の死後は子に従う。四徳とは、婦人の道として、婦徳(貞節)、婦言(言葉)、婦功(家事)、婦容(身なり)を指す)」という教育が、女性を男性に依存させ、完全に女性を従属的な地位に追いやった。
第Ⅱ章で述べたように何千年にもわたる儒教教育を受けている中国では、男尊女卑の女性観は、家父長制の封権社会を支え、近代に至るまで、男尊女卑に基づいた女性観がいまだに残っている。
アヘン戦争後、中国の主権はイギリス、フランス、ドイツ、日本、アメリカ、ロシアに奪われた。
そこで男性の力のみでは難しいので、中国全体の力で国を救うために、女性も国を救うことに参加させたら、役に立つだろうという風潮が社会に広がった。
女性も男性とともに国を守るために、いち早く女性を伝統的な女性観から解放する必要に迫られ、それまで無視されていた女性の力が重視されるようになり、女性解放運動が始まった。
当時、中国の女性解放運動は、女性が自ら権利を要求するわけではなく、西洋諸国で行われた女性運動で主張された「男女同権」、「女性参政権運動」のように、女性の社会的、政治的、経済的地位の向上と性差別のない社会を実現するというフェミニズム運動とは異なっていた。
中国女性の解放運動は、女性を伝統的な理論と封建的な家制度から解放するのでなく、中華民族全体の解放を求めるなか、植民地主義の支配を打ち破り、民族を救い、独立した国家を建設することと連動していた。
つまり、中国で初めての女性解放運動は、西洋諸国のような女性の経済的自立を主張し、教育や就職するなどの機会を均等化し、女性の参政権を要求するという目的をもっていたのではなく、ただ、国家を守る革命とともに、進められたのである。
よって、中国での初めての女性解放運動は、女性が自ら社会の論理に抵抗したものではなく、ただ国家の革命手段として発生した。
要するに、女性の解放が社会を変革するために不可欠な要素とみなした国家が、女性解放運動を開始したのである。
これは中国における女性運動の特徴のひとつとも言える。
アヘン戦争後行われた女性解放運動は、数千年にもわたって社会の最低層に置かれている女性を社会活動などに参加させたが、結局、家庭や、社会における女性の地位を根本的に変えることはできなかったのである。
女性解放運動が国家建設の道具として用いられたという要因ともに、何千年も続いた儒教の教育が、社会に深く浸透していたため、一時期の運動だけで儒教の思想を変えることは難しかったのである。
また、女性が自発的に開始したフェミニズム運動ではないため、儒教の考えを変えることがさらに困難であったといえる。
西洋諸国の女性解放運動は、女性が主体的に起こした行動であるため、中国のフェミニズム運動とは、まず、その背景が異なる。
このため、中国では西洋のフェミニズム運動の理論をそのまま引用し、実行することが難しいのである。
それに、5千年の長い歴史を持っている中国の場合、儒教の教育がかなり浸透しているため、中国全体で、特に女性の考え方が変わらないと、女性解放運動を行う際、単に言葉だけで、封建的な家制度から解放し、女性の教育や就職する権利を訴えても不十分である。
よって、マスコミや政府がいくら女性に権利を与えても、歴史の影響で女性の意識が完全に解放されてないため、マスコミや政府の報道と異なる事実が存在しているのである。
原因2 政府主導の女性解放運動
中国女性解放運動は、女性自らが権利を求めるものではなく、政府に指示されたとおりに実施されることが多いのである。
中国の女性解放運動の流れを見ると、アヘン戦争後の女性解放運動や、「五四運動」に伴う女性解放運動や、中国が建国された後の男女平等や平均主義的分配などの政府の方針は、すべて、女性が自ら要求して、行ったものではない。アヘン戦争後の女性解放運動は、中国の主権を守るための革命とともに進められた運動である。
「五四運動」に伴う女性解放運動では、初めて「婚姻自由」、「社交自由」、「大学での男女共学」などを主張し、家での女性の地位の向上、社会的地位の向上および高等教育を受ける権利などを強く要求した。
「五四運動」に伴う女性解放運動は、中国におけるフェミニズム運動の新たな起点であったとも言われる。しかし、この時期の女性解放運動も、女性の解放より、国家、民族を守るという愛国運動のほうがメインであった。
中国が建国された後、男女平等や平均主義という政府の方針に従って、女性が社会活動に参加し、中国社会の伝統的な「男性は外、女性は内」という女性観も変わりつつあった。
しかし、女性を社会活動に参加させることは、おもに政府の方針であり、女性自らの要求ではなかった。
よって、女性には、自ら社会活動に参加する権利を要求するという意識がなかった。
また、中国女性の解放運動は、主に国家による革命運動が行われた地域だけで、行われた。
よって、中国の女性解放運動は地域差があり、解放運動に参加している女性も、政府によって決められたことを唱えることが多かった。革命運動は、主に大都市を中心に行われたため、解放運動に参加する女性も大都市の女性に限られ、その数もわずかであった。
中国のフェミニズム運動は、女性が自ら要求し、行動を行うより、政府からの指示に従い、誘導されていることが特徴のひとつである。よって、運動が広く浸透するということにはならなかった。
原因3 法律上で女性の権利を追求しすぎる傾向
女性の権利の保護は、主に法律上にとどまっているのである。
第Ⅲ章で述べたように、中国が建国された後、毛沢東は「婦女能頂半辺天(女性は世界の半分を支える力をもつ)」、「時代不同了、男女都一様(時代は変わったので、男女はすべて同じである)」と強調し、中国政府は、女性の社会における教育を受ける権利、就職する権利、政治に参加する権利などを法律で保障している。
女性は「文化、政治、経済、社会および家庭、あらゆる生活方面において、男性と平等の権利を享有する」ことが法律により定められているのである。
例えば、婚姻法では、夫婦が各自の氏名を使う権利を有する。いわゆる夫婦別姓の権利を享有している。
夫婦別姓と定められた後、妻が自分の姓の前にさらに夫の姓を名乗るという従来の風習がなくなった。
また、新婚姻法では「子供が父の姓を名乗っても、母の姓を名乗ってもかまわない」と、家庭において夫婦が平等の地位であることを示している。
さらに、第Ⅱ章で述べたように、新憲法では、「国家が婦女の権利を保護し、平均主義的分配を実施し、女性の幹部を養成する」ことも加えた。
中国が建国されてから現在(2007年)に至る約57年の間、中国社会の発展と共に、女性に関する法律の改定と制定が繰り返し行われ、女性の法律上での地位が確立されてきている。
中国の女性学者である李小江が『性別与中国』で述べているように「国家の支えがあるからこそ、中国婦女が本当に立ち上がった。彼女たちは解放を獲得した。これは奇跡であり、歴史上の事実でもある。これこそ現代中国女性解放運動を知る上での新たな出発点(李 1994:6)」なのである。
確かに中国女性解放運動は国家の強力なサポートのもと、法律上で女性の権利が広い範囲で守られ、女性の生活状況も改善されているといえる。
しかし、その背後には、法律上だけで女性の権利を追求し過ぎる傾向があり、現実に存在する男尊女卑、つまり政府やマスコミの報道とは異なる現実が、依然として存在しているのである。
よって、中国の長い歴史の影響、常に政府の指示に従うこと、また法律上の権利を追求しすぎる傾向が、中国政府や、マスコミの報道とは異なっている実情にもたらしているのである。
第2節 中国におけるジェンダー研究の新たな展開
上述したように、中国女性の現状に影響を与える最も重要な原因は、中国の長い歴史の影響、常に政府の指示に従うこと、また法律上の権利を追求しすぎる傾向である。
数千年にわたった儒教の「男尊女卑」という思想、何千年も続いた女性に対しての「三網五常」と「三従四徳」という教育に基づいて、中国では完全に男尊女卑の社会が形成された。
中国の社会では女性を男性に依存させ、完全に女性を従属的な地位に追いやった。いまだに存在している男尊女卑の状況を改善するには、女性の意識を変えることで、社会全体の意識改革を促す必要がある。
中国における女性解放には、中国共産党が大きな役割を果たしたことは確かである。
共産党がなければ、今日の女性の地位の「驚くべき変化」はあり得なかったであろう。憲法には、「中華人民共和国のすべての権力は、人民に属する」と定められている。
しかし、蘇は「女性の参政権は法律で保障されているが、法律上の平等は実生活での平等も保障しているわけではない。われわれにとっては、女性労働者が法律のうえだけでなく、実生活でも、男性労働者との平等をかちとることが必要である。このためには、女性労働者が国営企業の管理や国家の統治にもっと多く参与することが必要である」(蘇 2005:84)と指摘している。
また、李小江も以下のように主張している。「女性の解放は、社会革命の中に解消されるものではなく、女性自身の自立した運動が必要だ」(李 2005:264)。彼女の中国の現状分析によると、革命によって先取り的に与えられた政治的社会的権利に、女性自身の意識が追いつかないところに現在の中国女性の矛盾がある。女性解放運動の目標と個々の女性の意識を統一させることが重要なのである。
このように、女性がもっと自ら、多くの社会活働に参加し、女性自身の意識を変えることは、今中国女性の解放に最も重要な点である。女性が自らの意識を変えることと自ら社会活動に参加することが、中国政府や、マスコミの報道とは異なっている現状を打破するために必要であると考えられる。
また、上述の原因2(常に政府の指示に従うこと)で指摘したように、中国女性の解放運動に参加する女性は、より教育を受けている大都市の女性にとどまった。女性が主体となって女性解放運動の状況を改善するには、女性だけではなく中国全体的の考え方を変えるべきである。
さらに、中国女性の権利は、主に法律上の保護にとどまっている現実がある。この現状を打破しようと、これまで、解放運動の先頭に立つ中国の女性学者たちは、女性の権利を獲得するために、全力で取り組んでいるように見える。
しかし、先頭に立つ女性だけの力で、ジェンダー問題の改革を前に進めるのは、不十分である。中国の政府とマスコミの報道とは異なる現実が存在していることは、その不十分さを証明している。よって、法律上の理念と実生活のギャップを埋めるには、女性だけではなく、中国全体の意識の転換が必要とされる。
3つの問題点を解決することによって、中国におけるジェンダー研究が新たな展開を迎えると筆者は信じている。
政府や、マスコミの報道とは異なっている実情が存在する原因は、女性自分自身の意識が根本的に変わらず、政府に従い解放運動を行った点にある。
よって、特に中国では、すべての女性の意識を高めることが最も重要な課題である。すべての女性の意識を高めることによって、女性の考え方が変わることはもちろん、政府に従っていればよいという風潮まで根本的に変わると考えられる。すべての女性、さらに中国全体の意識を高めることは中国のジェンダー状況の改善には欠かせない条件なのである。運動の指導者だけではなく、女性全体の意識の底上げを図る視点こそ、これまでのジェンダー研究には欠けていた視点なのである。
第3節 展望
以上、本論では、中国の女性をめぐるジェンダー問題を解決するため、現実に存在している政府とマスコミの報道とは異なる中国女性の状況を分析した上で、ジェンダー研究の新たな展開の可能性を指摘した。最後に、本研究に残された課題について述べる。
(1)中国のすべての女性、さらに中国全体の意識を高めるという視点は中国を対象としたジェンダー研究の進歩には欠かせない条件であると述べた。しかし、意識を変えることは簡単なことではない。それは、周りの環境や、教育レベル、さらに伝統的な道徳規範などとも深くかかわっているからである。女性を中心として中国全体の意識を高め、変えるための新たな試みが望まれる。そのうちの一つ、教育レベルを高めることは、意識をレベルアップすることにも繋がることから、均衡な教育を普及させることが重要と考えられる。ただし、具体的にどのような教育が望ましく、どのような具体的な効果をもたらすのかは、今後の課題としたい。
(2)本論では、中国での改革開放前後の状況を歴史的に記述し、中国政府やマスコミの報道による現代のジェンダー状況と、それとは異なる現実に存在するジェンダー状況を記述した。本論はすべて、女性の立場から女性の状況を記述した。今後、男性および社会全体の立場から検証していく必要がある。
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[1]女性参政には、4つの段階分けられている「知政」(政治を知る)、「議政」(政治を語る)、「参政」(政治に参加する)、「執政」(自ら政治する)。
[2] 「丁克」は英語Double Income No Kids の略スラングDINK から出てきた。
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