ロシアはウクライナとの国境線に沿って、縦深60kmの幅でのECM濃密帯を形成して、ウクライナ側からの特攻UAVの浸透をその帯の中で阻止しようと図っている。
https://st2019.site/?p=21415
『それでもUAVの4割は透過に成功するという。
※ラーンチから最初の60kmのあいだはGPSを受信しないようにするだけでいいんじゃね? 』
ロシアはウクライナとの国境線に沿って、縦深60kmの幅でのECM濃密帯を形成して、ウクライナ側からの特攻UAVの浸透をその帯の中で阻止しようと図っている。
https://st2019.site/?p=21415
『それでもUAVの4割は透過に成功するという。
※ラーンチから最初の60kmのあいだはGPSを受信しないようにするだけでいいんじゃね? 』
ICC加盟国訪問なら逮捕も プーチン氏、外遊に制限―ロシア
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023031900157&g=int
※ だんだん、「世界の鼻つまみ者」になって、身動き取れなくなって来たな…。
※ プリゴジン墜落死の記憶も、「生々しい」…。
『2023年03月19日13時31分
ロシアのプーチン大統領は、国際刑事裁判所(ICC)から逮捕状を出されたことで、外遊を制限されそうだ。ウクライナ侵攻後、制裁を強化した西側諸国を「非友好国」と見なして距離を置いていた。ただ「友好国」でもICC加盟国なら理論上、逮捕に踏み切る可能性があり、プーチン氏は新たな包囲網を敷かれた。
プーチン大統領は法廷に立つのか◆どう裁く戦争犯罪、国際刑事法の今【時事ドットコム取材班】
「タジキスタンにも行けなくなる」。ロシアの独立系メディアは旧ソ連構成国を例示し、逮捕状の発付はロシアにとって衝撃だと伝えた。
タジクは中央アジア最貧国で、ロシアへの出稼ぎ労働などに経済を依存している。ロシア軍が駐留しているのに、その最高司令官であるプーチン氏は訪問をためらう事態に。旧知のラフモン大統領が国を治め、侵攻開始後初となる昨年6月のプーチン氏の外遊先がタジクだっただけに、影響の大きさを浮かび上がらせている。
ICC加盟国という心理的障壁が新たに立ちはだかる友好国は、新興5カ国(BRICS)の枠組みで協調してきたブラジルや南アフリカも同じ。「反米」の価値観を共有してきたベネズエラでさえ、訪問しづらくなる。
一方で、微妙な位置に立つのが、ウクライナ侵攻後も一定の中立を保つ伝統的友好国インド。BRICSの一員だが、ICCにはそもそも加盟していない。9月に議長国として開くニューデリーでの20カ国・地域首脳会議(G20サミット)に、プーチン氏は参加できなくもなさそうだが、国際社会の厳しい視線をモディ印政権がどう受け止めるかは不透明だ。
今月20日から3日間の日程で習近平国家主席が訪ロする中国もICC非加盟。逮捕状を出されたスーダンのバシル前大統領が現職時に訪中した例もあり、プーチン氏は習氏に招待されれば、安心して受諾できそうだ。21日の中ロ首脳会談で制裁に加え、ロシアも非加盟のICC逮捕状に一緒に反発する可能性もある。
しかし、仮にウクライナ侵攻をやめれば緩和・解除される見込みのある対ロ制裁とは異なり、逮捕状の元となった戦争犯罪が消えることはない。大統領の座から降りても罪が帳消しになるわけではなく、プーチン氏が生涯にわたって極めて重い責任を背負ったことは間違いない。 』
プーチン氏、G20首脳会議欠席へ ロシア外相が代理参加
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB2909D0Z20C23A8000000/
※ ちなみに、インドは、ICCに加盟していない。
『【ニューデリー=共同】インド政府は28日、9月に首都ニューデリーで開かれる20カ国・地域(G20)首脳会議にロシアのプーチン大統領は出席せず、代理でラブロフ外相が参加すると発表した。プーチン氏とインドのモディ首相が同日電話会談し、G20首脳会議について意見交換していた。
プーチン氏欠席の理由は印ロ双方とも明らかにしていない。ウクライナ侵攻が続く中、プーチン氏は激しく対立する欧米首脳らとの接触を避けた可能性がある。
ロシア側発表によると、プーチン氏とモディ氏は24日まで南アフリカで開かれた新興5カ国(BRICS)首脳会議で、6カ国を新たな加盟国として認めたことを評価。来年1月からBRICS議長国となるロシアと、インドが密接に協力していくことで一致した。
プーチン氏はインドの無人月探査機が月の南極付近への軟着陸に成功したことに祝意を表明。宇宙開発での協力拡大の用意も伝えた。
【関連記事】
・米大統領、G20で9月インド訪問 ASEAN会合は副大統領
・習主席とモディ首相が立ち話 係争地の平和維持で一致 』
米軍無人機にロシアが緊急発進 黒海上空、2日連続
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB2909H0Z20C23A8000000/
『ロシア国防省は28日、実効支配するクリミア半島が面する黒海の上空で、米軍の無人機MQ9リーパーとグローバルホークそれぞれ1機ずつがロシア国境に接近したためロシア軍の戦闘機2機が緊急発進(スクランブル)したと発表した。偵察活動をしていたとみられる無人機2機は方向を変え、領空の侵犯などはなかったとしている。
ロシア国防省は27日にも、黒海上空に飛来した米軍のMQ9リーパーにスホイ30戦闘機が緊急発進したと発表しており、2日連続となった。
黒海ではウクライナ産穀物を貨物船で輸出するためのトルコ、国連仲介の4者合意からロシアが7月中旬に離脱して以来、ウクライナの港に入港する船をロシア軍が臨検するなど緊張が高まっている。クリミアにはウクライナ軍による無人機などの攻撃も相次いでいる。
一方、ウクライナ国防省情報総局によると、ロシア占領下の南部ザポロジエ州エネルゴダールで28日、ロシア側部隊の建物で爆発があり、負傷者が出た。地元抵抗勢力の作戦にウクライナ当局が協力したという。ウクライナメディアは、無人機が使われたと伝えた。エネルゴダールには欧州最大のザポロジエ原発がある。(共同) 』
ロシア軍艦、中国艦艇との1万3000キロの太平洋哨戒から帰還
https://www.aljazeera.com/news/2023/8/27/russian-ships-return-from-joint-pacific-patrolling-with-chinese-ships-2
※ 今日は、こんな所で…。
『(※ 翻訳は、Google翻訳)
ロシア太平洋艦隊最大の軍艦が米国に接近した合同海軍演習に参加した。
海軍の日
ロシア太平洋艦隊の軍艦 [ファイル: Pavel Korolyov/AFP]
2023 年 8 月 27 日発行2023 年 8 月 27 日
ロシア海軍の艦艇は、中国軍艦との3週間以上にわたる太平洋での共同哨戒、つまり米国西海岸に接近した演習から帰還した。
ロシア太平洋艦隊の軍艦が中国海軍艦艇分遣隊とともに、日本海、オホーツク海、ベーリング海、太平洋を通って7,000海里(13,000キロ)以上を航行したとインタファクス通信が報じた。日曜日。
読み続けます
4つのアイテムのリスト
リスト 1/4
ロシアはワーグナー帝国を取り戻すために奮闘するだろう
リスト 2/4
オーストラリアとフィリピンが軍事演習を実施、南シナ海の哨戒を計画
リスト 3/4
「同志国家建設者」:中国は米国でのドナルド・トランプの起訴をどう見ているか
リスト 4/4
フィリピン、中国の脅威にもかかわらず座礁した南シナ海の船舶に供給
リストの終わり
哨戒中、ロシアと中国の分遣隊は日本の北部である北海道を通過した。この地域はロシアでは千島列島、日本では北方領土として知られており、近隣諸国間の数十年にわたる緊張の中心となっている。
ロシアと中国の軍艦はアリューシャン列島の一部も周回した。アリューシャン列島の大部分は米国アラスカ州に属していますが、カムチャツカ半島近くのコマンダー諸島はロシアの一部です。
ウォール・ストリート・ジャーナルは8月初旬、ロシアと中国の船11隻がアリューシャン列島付近を航行し、米国沿岸に接近した船団としては最大規模とみられると報じた。
同紙が米当局者の話として報じたところによると、船舶は米国の領海に侵入したことはなかった。
インタファクス通信によると、ロシア太平洋艦隊の最大規模の軍艦の一部が演習に参加した。
「哨戒中、合同対潜・対空演習が実施された。双方からヘリコプターや海軍航空機を使用して模擬敵の潜水艦の捜索が行われた。模擬ミサイル発射は模擬敵船の分遣隊に対して行われた」と通信社は述べた。
9月、中国はロシアとの大規模な共同演習に参加するため、軍用車両300機、戦闘機21機、軍艦3隻とともに2000人以上の兵力を派遣した。
ロシア国防省によると、ボストーク2022(東部2022)演習はロシア極東と日本海のさまざまな場所で実施され、5万人以上の兵力と5000の兵器部隊(航空機140機と軍艦60隻を含む)が参加した。
アルジャジーラに登録する
中東の一週間
この地域に関する当社の報道内容をすべて 1 か所で確認できます。
メールをチェックして購読を確認してください
サインアップすると、当社のプライバシー ポリシーに同意したものとみなされます
This is a modal window.
An unanticipated problem was encountered, check back soon and try again
Error Code: MEDIA_ERR_UNKNOWN
Session ID: 2023-08-28:1d1eb16be26e4d1b368a2700 Player Element ID: vjs_video_3
出典:通信社
アルジャジーラ メディア ネットワークのロゴ
c 2023 アルジャジーラ メディア ネットワーク 』
BRICSが加盟国拡大で合意、「BRICSプラス」は11ヶ国の大所帯に
https://www.dlri.co.jp/report/macro/273663.html


『要旨
足下の世界を巡っては、主要先進国の存在感が低下するなかで新興国の存在感が高まる一方、新興国を含む世界的な連帯を模索する場と期待されたG20は呉越同舟感が強く、機能不全状態に陥る。
米中対立やロシアのウクライナ侵攻を機に世界では欧米などと中ロとの分断が広がるなか、両陣営はグローバルサウスと呼ばれる新興国を自陣営に引き込むべく綱引きを展開している。
また、「新興国の雄」であるBRICSも枠組拡大による影響力向上を目指す動きをみせてきた。
南アで21~24日の日程で開催されたBRICS首脳会議では、来年1月から6ヶ国が新たに加盟することで合意に至り、BRICSは11ヶ国の大所帯となる。
直接的な経済面でのインパクトは限定的だが、貿易・決済面での連携強化などを通じて欧米を中心とする既存秩序への対抗姿勢を強めるとみられる。
新興国が自らの意見を表明する場が増えることは望ましい一方、秩序なきルールが描く新たな世界が孕むリスクにもきちんと目を向ける必要性があると捉えられる。
世界経済を巡っては、長きに亘って経済成長を主導してきたG7(主要7ヶ国)にEU(欧州連合)を加えた主要先進国の割合が5割を切るなど、存在感の低下が顕著になるとともに、国際政治の場においてもその影響力が低下する傾向が強まっている。こうしたなか、世界金融危機後に構築された主要先進国に加え、中国をはじめとする新興国を加えた枠組のG20(主要20ヶ国・地域)は、幅広い国々が参加することで意見集約のすそ野が広がることが期待されたものの、現実には加盟国の多さゆえに『呉越同舟』感が露わになる状況が続いている。さらに、ここ数年は米中摩擦の激化に加え、昨年来のロシアによるウクライナ侵攻をきっかけに、世界的には欧米などと中ロとの『分断』の動きが進んでおり、足下の世界は気候変動問題対応など全世界的な連帯が必要な問題が山積しているにも拘らず、G20は空中分解こそ免れているが、空転状態が続くなど機能不全状態に陥ってきた。他方、新興国を巡っては、今年のG20議長国であるインドがグローバルサウスの声サミットを開催したことを機に『グローバルサウス』という言葉がにわかに注目を集めており、欧米などと中ロの双方が自陣営に新興国を取り込むべく綱引きをする動きもみられる。この背景には、ロシアによるウクライナ侵攻を巡って、インドをはじめとするグローバルサウスの国々の大宗が欧米などにも中ロにも与しない、いわゆる『中間派』の立場を採っていることも影響している。
図1 世界経済に占めるGDP比率の推移
このようにグローバルサウスが注目を集める背後では、いわゆる『新興国の雄』であるBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)も新興国に触手を伸ばす動きをみせてきた(注1)。BRICSは共同出資により開発金融機関の新開発銀行(BRICS銀行)を設立しており、同行にはすでに5ヶ国以外にも加盟国を拡大させる動きが出ており、この背景には、世界銀行やIMF(国際通貨基金)をはじめとする既存の国際金融機関が融資実行を巡って財政健全化や汚職対策、温暖化対策をはじめとする環境負荷の軽減を求めており、被支援国である新興国が『重荷』と感じていることも影響している。さらに、昨年来の国際金融市場における米ドル高を受けて新興国の債務問題が注目されたなか、新開発銀行をデリスキング(リスク低減)の手段にすべく、ハードカレンシーを代替する通貨での取引拡大を目指して被支援国通貨建てでの融資実施の可能性を探る動きをみせており、通貨安に苦しむ新興国にとって魅力的に映っている可能性がある。こうした環境変化に加え、上述のように欧米などと中ロが新興国を巡って綱引きをするなかで中国とロシアを中心に新興国に対してBRICSへの参加を呼び掛ける動きを活発化させており、多くの新興国が正式、ないし非正式にBRICSへの加盟申請を行っている。南アフリカにおいて21~24日の日程で開催されたBRICS首脳会議では、これらの国々の加盟の可否が協議された。首脳会議の最終日には50を超える国々の首脳が参加する拡大会合が開催されるなど、多くの新興国が主要先進国を中心とする既存秩序の枠組に反発している様子もうかがえた。
ただし、上述のように中ロがBRICSへの参加を呼び掛ける動きを活発化させる一方、BRICS5ヶ国のうち様々な場面で中国と鍔迫り合いする動きをみせるインドとの間では『温度差』が生じており、その行方に注目が集まった。というのも、中ロは欧米などへの対抗軸として多極的な世界秩序の構築を目標にBRICSの拡大を目指しているほか、ブラジルもルラ現政権の下で反米姿勢を隠さない一方で欧米との対立を回避したいとの思惑を有するほか、インドは伝統的に『全方位外交』を国是としていずれの陣営にも与しない姿勢をみせるなどBRICSが反欧米の色合いを強めることを警戒してきた。こうしたなか、BRICS拡大に関する協議はその規模とペースを巡る条件で意見調整がなされた模様であり、最終的にアルゼンチン、エジプト、イラン、エチオピア、サウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)の6ヶ国を来年1月に加盟させることで合意に至った。なお、6ヶ国のうちUAEとエジプトはすでに新開発銀行に加盟しているため、そのハードルは低かったものと捉えられる。また、資金力のあるサウジがBRICSに加わり、新開発銀行に加盟することは同行の融資能力の向上に資するほか、エジプトとエチオピアはともに人口が1億人を上回るなど地域大国として一定の存在感を有する。核開発を巡って欧米と対立するイランの加盟には様々な議論があった可能性はある一方、中国が仲介する形でサウジとイランが国交回復に至ったことが影響したと考えられる。そして、アルゼンチンについては隣国ブラジルによる猛プッシュがあったのは間違いない。議長を務めた南アのラマポーザ大統領は、今回の決定について『第一段階』と説明するなど、さらなる枠組拡大の可能性に含みを持たせる姿勢をみせたが、今回の決定に至る各国間の詰めの協議が難航したことを勘案すれば、そのハードルは決して低くない。さらに、来年以降は新たに加わった6ヶ国を含む計11ヶ国による全会一致が必要となることを勘案すれば、そのハードルは反って上がったと捉えられる。また、今回加わる6ヶ国のGDPを併せても、5ヶ国のなかで2番目に大きいインドにも満たないことを勘案すれば、今回の枠組拡大が与える直接的な影響は限定的と捉えられる。さらに、主要先進国や既存の国際金融機関への拒否感から、対抗を目指すものと捉えられる動きもみられるが、足下における新興国の債務問題の一端は、中国によるいわゆる『債務の罠』といったガバナンスを無視した動きが影響した面は否定出来ない(注2、注3)。新興国が自らの意見を表明する場が増えることそのものは良い動きと捉えられる一方、ルールを無視した新たな秩序が向かう先は明るいものばかりではなく、その背後に新たな問題を生むリスクにもきちんと目を向ける必要があると考えられる。
図2 世界経済に占めるBRICSのGDP比率の推移
以 上
注1 6月15日付レポート「グローバルサウスが注目を集める背後で「膨張」しつつあるBRICS」
注2 5月25日付レポート「新興国を巡る「債務問題」はどうなったのか?」
注3 2022年7月29日付レポート「「債務の罠」を巡る議論をあらためて冷静にみてみると」
西濵 徹
本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘等を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針等と常に整合的であるとは限りません。
ツイート
西濵 徹
にしはま とおる
経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析
詳細を見る
執筆者の最新レポート
台湾・輸出受注に底打ちの兆しがうかがえる(Asia Weekly(8/21~8/25)) ~中国をはじめとする世界経済の減速懸念がアジア太平洋地域の輸出の重石となる動きは続く~
アジア経済
西濵 徹
トルコ中銀の「本気」をどう捉えるべきか ~新体制は正統的な政策運営を着実に進める意向、あとはエルドアン大統領の「堪忍袋の緒」次第か~
アジア経済
西濵 徹
インドネシア中銀、7会合連続で金利据え置き、当面は外部環境が左右 ~中銀はルピア安定へ介入継続も、外貨準備は国際金融市場の動揺への耐性は充分とは言えず~
アジア経済
西濵 徹
韓国中銀、再拡大に転じた家計債務を警戒も、金融政策は「米国次第」 ~家計債務の動きを警戒しつつ、景気減速懸念が高まるも物価抑制に注力する難しい対応が続く~
アジア経済
西濵 徹
タイ・タクシン派政権発足も、親軍派がタクシン氏を「人質」に実権を握るか ~金融市場は政治空白の解消を好感も、政治・経済両面で同国が抱える課題は極めて大きい~
アジア経済
西濵 徹
関連レポート
ロシア中銀、止まらぬルーブル安に堪らず緊急大幅利上げを決定 ~ルーブル相場の構造的変化を勘案すれば効果は限定的、中銀の苦悩が一段と広がることは不可避~
新興国経済
西濵 徹
アルゼンチン中銀、「予備選ショック」に対抗して大幅利上げとペソ切り下げ実施 ~「ミレイショック」に対抗して政策金利は118%に、当面の金融市場は一段の悪化が避けられない懸念~
新興国経済
西濵 徹
アルゼンチン大統領予備選は「第3の候補」がトップの予想外の結果に ~極右のリバタリアンがトップに立つ異例の事態、経済も政治も見通しが立ちにくい状況が続く~
新興国経済
西濵 徹
ロシア景気は想定以上の速さで底入れも、中銀は物価高とルーブル安に苦慮 ~ウクライナ情勢は見通しが立たないなか、テクノクラートは「板挟み」状態に追い込まれる展開が続く~
新興国経済
西濵 徹
ブラジル中銀は一転してハト派姿勢を強める形で3年ぶりの利下げ実施 ~今後数回は大幅利下げに動く可能性を示唆、レアル相場を取り巻く環境が変化する可能性も~
新興国経済
西濵 徹 』
BRICs
https://ja.wikipedia.org/wiki/BRICs
※ 中国の首相が、「李克強」となっていることからも分かる通り、2007年くらいの予測情報のようだ…。
※ まあ、この頃は、「そうも、言われていた。」くらいで…。
※ Rに関しては、2014年のクリミア侵攻、2022年のウクライナ侵攻のおかげで、「制裁」喰らって、「世界情勢」激変となっていることは、ご存知の通りだ…。
※ その「盟友」である、Cに関しても、ゼロコロナ失策、不動産バブル効果の剝げ落ち、Aの「対中制裁」の三重苦で、絶賛大不況に突入していることも、ご存知の通りだ…。












『出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
このページの名前に関して「BRICS」への改名が提案されています。
議論はこのページのノートを参照してください。(2023年8月)
BRICs
Location of BRICs
指導者
BRICs(ブリックス、英語 Brazil, Russia, India, China から)は、元々は2000年代以降に著しい経済発展を遂げた4か国(ブラジル、ロシア、インド、中国)の総称[1]として、2001年に経済分析のなかで呼称されたものが始まりである。
その後、2009年から、BRICs4か国が首脳会議を開催し、2011年に南アフリカ共和国 (South Africa)が首脳会議参加した後は、5カ国についてBRICS と総称される[2][3]ようになった。
2023年の首脳会議において、2024年1月にはアルゼンチン、エジプト、エチオピア、イラン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦が会議参加国に正式加盟し、11カ国体制となることを承認[4]した。
11カ国体制になってもBRICSと呼称される見込みである[5]。
上記のように近年はBRICSの表記が一般的であるが、かつてはBRIC(ブリック)とも呼ばれた[6]。投資銀行ゴールドマン・サックスの経済学者であるジム・オニールによって書かれた2001年11月30日の投資家向けレポート『Building Better Global Economic BRICs』[7] で初めて用いられ、世界中に広まった[8][† 1]。
概要
基軸メンバー(濃い青)、2024年1月以降の新規メンバー(薄い青)、正式に加盟を申請している国(橙色)、加盟に興味を示している国(黄色)
BRICsは経済的な括りであり、同盟や連合ではない。2009年以降首脳会談が行われているが、非干渉、平等、相互利益を基本としている[9]。
BRICs4か国は、2009年6月16日にロシアのエカテリンブルクで初めての首脳会議を開催した[10]。2011年4月13日に中国の三亜で行われた首脳会議には南アフリカ共和国が初めて参加し、首脳会議の正式名称をBRICS首脳会議(英語版)に変更した[11]。
以降、BRICS首脳会議への参加を目指す国は増加しており、2022年の第14回首脳会議にはイランやアルゼンチンなど13カ国も参加し[12]、またイランとアルゼンチンはBRICsへの加盟も申請している[13]。
こうした動きからBRICSを多国間協力の組織体と捉え直し、拡大版BRICSはBRICS+とも表現され、G7への対抗軸としても注目されている[14][15]。
2023年8月に南アフリカで行われたBRICS5カ国(当時)間の首脳会議で、アルゼンチン、エジプト、エチオピア、イラン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)の6カ国が2024年1月1日付で正式に会議加盟国となることが発表された[16]。
BRICsの潜在能力
2014年のBRICS各国首脳。左から、プーチン、モディ、ルセフ、習及びズマ。
国ごとに大きな差がありBRICSの名前が登場してから20年経過した2020年時点で目覚ましい発展が出来ているのは中国とインドであり他の国は経済成長が失速した[1]。
規模の大きさ
BRICsが世界に占める割合をみると、2006年の時点で国土面積で29.2%、人口では42.7%となっており、世界の中で圧倒的な比重を占めている[17]。
世界経済に占める地位
GDPの割合を購買力平価で換算すると2014年の時点で30.2%[† 2][18] と大きく上昇し、EU (16.6%) [18]、アメリカ (15.9%)[18] を既に上回っている。
国 人口 GDP
(名目) HFCE (2009) 政府支出 輸出 輸入 一人当りGDP (PPP) 識字率 平均寿命 HDI(2016)
ブラジルの旗 ブラジル 201,046,886 $2,242.8 $1,266.3 $846.6 $256.0 $238.8 $13,623 93.5% 75.5 0.754 (高い)
ロシアの旗 ロシア 143,451,702 $2,118.0 $671.6 $414.0 $542.5 $358.1 $17,708 99.6% 67.68 0.804(最高)
インドの旗 インド 1,210,193,422 $1,870.6 $737.9 $281.0 $309.1 $500.3 $3,829 74.04% 64.19 0.624(中)
中華人民共和国の旗 中国 1,354,040,000 $9,181.4 $1,835.3 $2,031.0 $2,021.0 $1,780.0 $9,161 95.1% 72.71 0.738 (高い)
南アフリカ共和国の旗 南アフリカ 51,770,560 $350.8 $173.8 $95.27 $101.2 $106.8 $11,375 93% 51.2 0.666 (中)
共通点
インドが7位、南アフリカが24位。面積でいえば5か国合計で世界の約32%を占めている。また、それに伴い天然資源にも富んでいる。中国やインドは1人あたりの資源量は決して多くはないものの、5か国とも資源大国である。資源としては石炭・鉄鉱石・天然ガスが4か国に共通しており、原油・ボーキサイトなどもほとんどの国で産出されている。
人口大国である。2000年代初頭の人口は、中国が約13億人(世界1位)、インドが約11億人(世界2位)、ブラジルが約1億7,000万人(世界5位)、ロシアが約1億4,000万人(世界7位)、南アフリカが約4,900万人(世界25位)となっており、5か国合計で27億人以上、世界の人口の約45%を占めている。今後もロシアを除く4か国では人口が増加し、2050年には32億6,000万人にまで膨れ上がるとされている。ただし、ブラジルとインドおよび南アフリカでは将来的にも人口が増え続ける一方で、ロシアは特に21世紀に入って以降、人口が急激に減少する傾向にあり[19]、人口が多いため一人っ子政策を廃止した中国でも人口は伸び悩んでおり、将来的には人口が減少すると予測されている。
政治・軍事において、地域における覇権を握っている。
ロシア・中国・インドの3か国は衛星測位システム・航空母艦・核兵器・ICBM・SLBM・SSBN・ASAT保有国である。
ロシア・中国・インドは火星探査機を火星周回軌道への投入に成功させた。
ロシア・中国はミサイル巡洋艦・戦略爆撃機・第5世代ジェット戦闘機の保有国である。また有人宇宙飛行・火星着陸・月面でのサンプル採取を成功させた。またインドを含む3カ国は月面着陸に成功している。
ロシア・中国は国連安保理常任理事国で、ブラジルとインドも新たに常任理事国入りする可能性がある。
2005年2月にロンドンで開かれたG7財務相・中央銀行総裁会議では従来のG8(G7+ロシア)に加えて、他のBRICs3か国も初めて参加した。
経済改革を行っている。1970年代後半の中国やブラジル・ロシア・インド・南アフリカの1990年代初頭の経済政策の転換はいずれも、対外開放による海外からの投資・市場経済化を推進するものであった。
現時点での貧富の格差が大きい。ブラジルとインドおよび南アフリカでは元来大きかった格差が解消されておらず、ロシアと中国では、市場経済導入による経済の自由化に伴って格差が拡大した。また、これらの国々では経済の地域格差も大きい。
多民族国家で多人種社会であり、共通語的役割がある言語または公用語とされる言語以外にも、多くの言語が国内で使用される。
相違点
ブラジルはラテンアメリカ文化圏、ロシアは正教会文化圏、インドはヒンドゥー教文化圏、中国は儒教文化圏、南アフリカはブラックアフリカ文化圏に属する。
歴史的に中国やロシアは統一国家として存在してきた。インドが1つの国家として纏まったことはイギリスの統治による部分が大きい。ブラジルはポルトガルの植民地、南アフリカはイギリスの植民地として形作られた。
ブラジルはポルトガル語圏、ロシアはロシア語圏、インドはヒンディー語圏、中国は中国語圏、南アフリカは英語圏に属する。
ブラジルは南アメリカ、ロシアはヨーロッパ、インドは南アジア、中国は東アジア、南アフリカはアフリカに属する。
その他
ロシアと中国、中国とインドは国境を接している。領土問題は解決しているが中国の勢いが増しており極東の一部に対し中国の領土だという声もある[20]。
中国からロシアのシベリアへの移民が増えつつある(特に沿海地方を含む東シベリア)。シベリアは人口が希薄なので、将来的に中国人がシベリアの一部で住人の多数を占める可能性がある。そうなった場合、中国からロシアに割譲された沿海地方で領土問題が再燃する可能性もある(ただし、2004年に両国間の国境問題は解決し、国境線は画定されている)。また経済の面でもロシアと中国の逆転現象が起こることが考えられる。
ロシアを除く4か国は、首都と最大の都市が異なる。インドはニューデリーよりムンバイ(旧ボンベイ)が、中国は北京より上海が、ブラジルはブラジリアよりサンパウロが、南アフリカはプレトリアよりヨハネスブルグの方が大きい。
ブラジルとインドおよび南アフリカは、植民地以前から、資本主義を導入していた。中国とロシアは、旧共産主義で、市場経済制導入後、資本主義となった。
中国以外は、大統領制を導入している。
冷戦時代、ロシア・中国は東側陣営にあったが対立していた。
ブラジルと南アフリカは、南半球に属する。
インドと南アフリカは、非同盟運動の参加国である(中国とブラジルもオブザーバー)。
ブラジル
ブラジルでは、2050年にはGDPが6兆740億ドルで世界でも5位という高い経済水準にあると予測されている。地域大国として南アメリカ大陸に強い影響力を持ち、ブラジルのフォルタレザでBRICS首脳会議が開かれた際も南米諸国連合が共同主催した[21]。
政治的変遷
2000年代のブラジルの経済成長の基礎は、1990年に就任したフェルナンド・コロール・デ・メロ大統領によって築かれたと言える。1970年代に急速な工業化を遂げた後、1980年代から1990年代前半は累積債務や高いインフレ率に悩まされ、その成長は鈍化していた。そのためコロール政権は、戦前の大恐慌後から続いた輸入代替政策を転換し、輸入制限の撤廃や国営企業の民営化、周辺国とメルコスールの創設の準備など、市場メカニズム導入と対外経済開放による発展に道を開いた。
また1992年に就任したイタマル・フランコ政権は、年に数千パーセントというハイパー・インフレへの対応として、1994年に旧通貨クロゼイロ・レアルから米ドルに緩やかにペッグ(連動)させた新通貨レアルへの切り替えを行った。1995年から8年間に及ぶカルドーゾ政権は、財政責任法と財政罰則法の制定によって、プライマリーバランスを黒字化させた。財政の健全化が進むと同時にブラジルの国際的信用は高まり、途上国では中国に次ぐ直接投資の受け入れ国家となるまでになった。2002年の大統領選挙では左翼のルーラ候補が支持を集めていたことから、経済政策転換への懸念により通貨急落と株価低迷を招いた。しかし、2003年1月に就任したルーラ新大統領は前政権の政策を踏襲し、金融市場に安心感を与えた。
経済の現状
ブラジル経済はラテンアメリカ最大の経済であり、貿易が成長の鍵を握っていると指摘される。貿易依存度については、1994年が15%未満であったのに対し2003年には約25%へと、わずか10年で急激に高まった。特に輸出の拡大が顕著であり、これはブラジル政府が輸出の拡大に加え多様化や高付加価値化などを推し進め、同時に外資系企業の参入、穀物や鉱物資源といった一次産品の価格の高騰がそれを後押しする形となった。2004年にはブラジルの貿易収支は336億9,600万ドルと、これまでで最高となる貿易黒字を計上した。
ブラジルの貿易を根幹から支えるものは、南米大陸の約半分を占める広大な大地からの恵みであり、鉱物資源や農畜産物、熱帯雨林に生息する多種多様な生物資源などが挙げられる。2004年の貿易収支に関して言えば、その要因として、輸出量の減少にもかかわらず需要増加に伴う国際取引価格の急騰により金額ベースでは輸出増加という結果になった大豆や、鋼板・建材の生産活動が活発でかつ国内供給能力が不足するなど鉄鉱石の世界最大輸入国となっている中国において、その輸入額が前年比162%増と急伸したことにより過去最高水準となった鉄鉱石の伸びが大きく貢献する形となった。特に鉄鉱石は、中国が鉄鉱石の輸入の約30%をブラジルへ依存しており、世界2位の鉄鉱石輸入国である日本もその20%以上をブラジルに依存するなど、ブラジルは世界的な鉄鉱石輸出国となっている。
また伝統的に重工業、中でも航空機産業が盛んで、1969年に設立された国策会社のエンブラエルは小型ジェット機市場の半分近いシェアを誇るなど、欧米諸国をはじめとする世界各国へ輸出されており、その他にも自動車や金属製品が主な輸出製品となっている。
これら外需の増加に追い風となるとされているのが、メルコスール圏および 自由貿易協定 (FTA) による自由貿易圏の拡大である。メルコスール圏の拡大により約1.3倍の輸出金額押し上げ効果のあったブラジルでは、メルコスールと他の地域協定との間で関税が撤廃されれば更なる恩恵を受けるものと予想されている。アフリカ関税同盟やインドと特恵貿易協定を締結したのを皮切りに、今後もEU・中米統合機構・カリブ共同体ともFTA実現に向けた交渉を継続しており、実現すれば今後の経済成長に大きな影響を与えるものと考えられている。
課題
今後の経済成長に関し、とりわけ問題視されているのが財政赤字と通貨膨張(インフレ)である。
債務問題については、プライマリーバランスが黒字化したとはいえ、2003年末時点の公的債務残高はGDPの約59%に達しており、中長期的な経済成長の達成を阻む要因となりかねない。2005年2月時点での債務残高は3,505億ドルに上るなど南米最大の債務国になっており、また過去の債務に対する利払い負担もGDP比で7%を超えている。今後はプライマリーバランスの更なる改善が必要で、公的債務の削減と利払い負担の軽減が急務となっている。
また、通貨膨張抑制に関する為替レート変動も懸念されている。これまでは対外債務削減策に対する信頼を背景として対ドル為替レートがレアル高傾向で推移してきたため、国際商品市況の高騰によるインフレ圧力は抑制されていた。しかし今後、連邦準備銀制度理事会が通貨膨張への懸念により政策金利を急ピッチで引き上げるような事態になればレアルが下落傾向に転じ輸入物価が急騰するといった事態が予想されており、そうなれば、金融政策による通貨膨張制御は困難を極めることになると指摘されている。
高齢化も始まっており経済の失速により年金制度の不安が出ている[22]。
ロシア
地域大国として旧ソ連圏に強い影響力を持ち、ユーラシア経済連合によって巨大な経済圏の創出を目指しており、ロシアのウファで開かれたBRICS首脳会議もユーラシア経済連合が共同主催した。クリミアの不法占拠によって経済制裁を受けており経済成長は失速した[23]。さらに2022年には同国によるウクライナ侵攻が勃発したことで、これを受けて欧米諸国によるロシアへの経済制裁が拡大した影響でロシア経済に大きく波及し、さらにロシア以外の世界経済にもその影響が波及するなど危機を招来している(2022年ロシアのウクライナ侵攻による経済的影響も参照)。
政治的変遷
1990年代、ソビエト連邦崩壊後のロシアではハイパーインフレが襲い、鉱工業生産が落ち込むなど、経済・政治・社会などの面で大きな混乱が続いた。そうした中で、市場経済化に向けて急進的な経済改革を推し進めたのがロシア連邦の初代大統領ボリス・エリツィンである。エリツィン政権が抜本的な構造改革を断行し、市場経済に基づく民主的な新生ロシアの礎を築いたことにより、今日まで続くロシアの経済発展があったとされる。
ウラジーミル・プーチンは1999年12月、エリツィンの突然の辞任を受けて首相から大統領代行に就任し、翌2000年3月の大統領選挙に勝利、ロシア連邦の2代目大統領に就任した。2005年3月の大統領選挙では得票率71%で再選を果たしたのち、2008年5月に大統領の座をドミートリー・メドヴェージェフに譲り、首相に就任した以降も国民からの人気が高く、政治的な影響力を保持した。2012年5月にはプーチンが第4代大統領に就任した。プーチンの経済政策の特徴は、エリツィン同様に市場経済重視の自由主義政策を推進する一方で、エリツィン時代に政治力を強めた新興財閥(オリガルヒ)を弾圧するといった、強権的な側面も併せ持っている。
経済の現状
資源依存型の経済であり2018年時点でGDPの38.9%が石油・天然ガスによるものである[24]。経済制裁もあり経済は停滞している[25]。
課題
ロシアの経済成長を妨げている要因として、大きく4つの問題が指摘される。
エネルギー資源依存型の経済構造
2004年の輸出に占めるエネルギー資源の割合は約55%に上るなど、ロシア経済はエネルギー部門への依存度が高いモノカルチャー的性格を帯びており、その反面、旧国有企業を中心とした電機、自動車などの製造業は生産性や技術水準が低く、欧米企業と比較すると国際競争力が低い。このように、ロシアではエネルギー部門以外に景気を牽引しうる有力な産業が育っていないため、原油市況が低下に転じれば景気後退に陥るというリスクが大きい。
大都市周辺と内陸部などの地方における所得格差の拡大
好調な経済の恩恵を受ける大都市周辺では中産階級が着実に増加している反面、経済的に立ち遅れている内陸部や極東地域との格差が年々広がりつつある(国の所得格差順リストを参照)。こうした所得格差の拡大は、政治体制に対する不満の高まりなどから社会的混乱を招く可能性があり、安定的な成長を揺るがす要因となりかねない。
税制や官僚機構など
旧くからロシアでは複雑で分かりにくい税制や裁量色が強く公正さに乏しい行政など、法令運用の不透明性が外国企業の自由な経済活動を阻害する要因として指摘されてきた。それらが他国からロシアでの事業活動を進める上での問題点として認識されれば、外国企業による対ロシア直接投資の減少にもつながりかねないという危険を孕んでいる。2020年になってもこの問題は残っている[24]。
少子高齢化と人口減少
減少する人口を補うため、モスクワなどの大都市圏および、シベリアや極東地域において移民や出稼ぎ労働者の受入れが積極的に行われているが、それが災いして外国人排斥運動やアジア系への人種差別事件も引き起こされている。移民の呼び寄せ、出産の奨励、クリミアの併合もあり一時的に人口は増加したが2018年から再度減少に転じた[26]。
インド
2021年時点でインドは世界で5番目の経済大国であり[27]、PwCによると購買力平価GDPで2050年までにアメリカを抜き、中国に次ぐ世界で2番目の経済大国となり[28]、世界経済の16%を占めると予測されている[29]。
政治的変遷
1991年に誕生した国民会議派のナラシマ・ラオ政権は、1947年の建国以来続いていた混合経済体制と呼ばれるインド独自の社会主義的な経済運営の結果として現れた外貨準備高の減少や経済低迷といった現象を受けて180度の政策転換を行い、資本の自由化・各種の規制緩和・貿易と為替の自由化・公営企業の民営化・金融制度の改革等を取り入れた。また1996年以降も、政権政党の交代にもかかわらずラオ政権が推進してきた経済の自由化政策は継承されていった。
2005年の4-5月に行われた総選挙では、政権交代によって経済改革路線の継続が危ぶまれたことから一時的に株価が急落したが、ラオ政権で経済改革を主導したマンモハン・シン元財務相が新しい首相に選出されたことから、新政権に対する金融市場の警戒は薄らいだ。
経済の現状
1991年以降、経済改革に取り組み、特に2003年以降は概ね年間7-9%の経済成長を達成し、2010年度も8.5%の高い経済成長率を達成するなど、成長著しいBRICsの一員として注目を浴びている。
農業をはじめとする第一次産業は、世界第2位の規模を誇り、植物育種や灌漑設備の整備、農薬の普及といった「緑の革命」を実施し、独立後60年あまりで人口が12億人にまで増えたにもかかわらず、自給自足達成国となった[30]。世界で最も成功した米生産国の一つである。2006年には450万トンを輸出する主要な米輸出国である。インドの農地面積は1億7990万ヘクタールあり、農業は労働人口の52%が従事し、GDPの16%を占めるインド経済の中心である。また農業部門がGDP成長率に及ぼす影響では、一部の例外を除き農業部門が不振であった年は成長率が4%台に押し下げられている。こうした背景には、インド国内の灌漑施設がまだ不十分であり、農作物の生産高がモンスーンによる降水量に大きく依存していることなどが挙げられる。
インドは世界第14位の工業生産国であり、2007年において工業でGDPの27.6%、労働力の17%を占める。経済改革は外国との競争をもたらし、公的部門を民営化しこれまでの公的部門に代わる産業を拡大させ、消費財の生産の急速な拡大を引きおこした[31]。
経済改革後、これまで寡占状態で家族経営が常態化し、政府との結びつきが続いていたインドの民間部門は外国との競争、とりわけ、中国製の安価な輸入品との競争に曝されることとなった。コストの削減・経営体制の刷新・新製品の開発・低コストの労働力と技術に依拠することにより、民間部門は変化を乗りきろうとしている[32]。
近年の高成長は主に情報通信技術部門の成長がもたらしている。インドは先進国企業の情報技術導入が進むなかで、コンピューターソフトウェアの開発及び販売・欧米企業の情報技術関連業務のアウトソーシングの受注を拡大させている。ITソフトウェア産業は1990年代を通じて年率50%近い成長を遂げ、IT不況を迎えた21世紀に入っても 20%台の順調な成長を続けており、2003年時点では国内GDPの2.6%を占めるまでに至っている。工科系の大学を中心として毎年30万人を超える情報技術者を輩出していることや、労働コストが低廉であること、「0」の発見に象徴されるように伝統的に理数的思考を得意とする民族であること、準公用語に英語が含まれていることなどがそれらの要因となっている。さらに、インド工科大学やインド科学大学大学院といった優れた教育機関を卒業後、待遇面の良さなどを背景にアメリカのシリコンバレーなどに移住するインド人技術者は増加傾向にあり、その結果ソフトウェアの輸出と在外居住者からの本国向け送金は、インドの国際収支を支える重要な外貨獲得源となっている。事実、2001年以降はこれにより経常収支は黒字で推移した。
IT産業以外の分野でも、自動車部品・電機・輸送機器といった分野が伸びており、加えて産業規模は小さいもののバイオテクノロジー・医薬品といった産業の発展にインド政府は力を注いでいる。
また、インド経済の成長を支える原動力として、労働力も挙げられる。一国の経済成長を左右する大きな要素の一つである労働力人口に関して言えば、インドの労働力人口は2050年にかけて毎年約1%ずつ増加していくと見込まれており、その豊富な労働力が成長の礎となることが予想されている。また、それらの人口は将来的に実質的な購買力を備えた消費者層(=中間層)となり、有望な消費市場をもたらすものと考えられている。
課題
インドは、対GDP比で10%近くに達しているにもかかわらず縮小する兆しが見られない財政赤字など、取り組むべき課題が多数指摘されている。
まず、成長の基盤となるインフラ水準が著しく低い点もが挙げられる。電力の供給能力が経済成長に追いついておらず日常的に停電が発生する事や、インドの経済成長の主軸とされるIT産業にとって不可欠な通信設備の普及が立ち遅れている事などがその例である。
農業をはじめとする第1次産業は、2020年代の現在もインド経済の中心を担っている。農業部門の就業人口は全体の約50%を占めているという事実に象徴される。インド農業は他の産業よりも収入が低いことや成長率が低いことはインド国内の灌漑施設の整備が進んでおらず、農作物の生産高がモンスーンによる降水量に大きく依存していること、小規模農家中心などが挙げられる[33]。
直接投資の少なさに起因する工業化の遅れが課題とされる。1947年の建国以来、民間企業の活動や外国企業による投資などを規制し、公的部門を温存する政策を維持してきた結果、工業化の進展が中国などと比べても大幅に遅れている。よって製造業によるGDPの押し上げ効果が進展しておらず、また対内直接投資額も少ない。また、インドは建国以来敷いてきた各種産業への外資規制が原因となり外資導入の点でもかなり遅れている。
また、インドの衛生管理は極めて劣悪な状態にある。インドでは上水道と下水道が併走していることが多く、そのどちらもが破損しており、下水が水道水に混入し、感染症にかかる事例がしばしば報告され、感染症の宝庫などとされている。日本の外務省もインド渡航者に対して、厳重な衛生面での注意と渡航前のさまざまな予防接種を推奨している[34]。
2000年以降ではニューデリーなどの都市部に加え地方における大気汚染も激しさを増している。2013年以降の調査ではインドの大気汚染レベルは世界最悪となっている[35]
その他、教育も大きな課題である。中等教育への進学率が半分以下で識字率が7割程度にとどまるなど[36]、他のBRICs諸国と比較しても際立って低い水準にある。教育が人材開発にとって最も重要な手段であり、また学校教育がその後の応用的なあらゆる教育の基礎となる点を考慮し、教育水準の低さが今後の経済成長にとって足枷になると警笛を鳴らす学者も少なくない。
NPT未加盟の核開発
インドと南アフリカは核拡散防止条約 (NPT) に加盟せずに核開発を行った国である。南アフリカは1993年に核を全廃した。原子力供給国グループ (NSG) はインドの核燃料、核技術の輸出入を無条件で例外扱いとして認める採択を行っている。
これに対し、NSG加盟国である日本やヨーロッパ諸国は、インドが核実験を行った場合は例外扱いを取り消すべきだという立場をとっている。
中国
2010年に日本を抜いた世界で2番目の経済大国であり[37]、2028年には世界最大のアメリカを抜き[38]、2050年には世界の購買力平価GDPの20%を占めると予想されている[39]。
国際通貨基金・世界銀行・CIAワールド・ファクトブックによれば、2014年に購買力平価で世界最大の経済大国となった[40][41][42]。
政治的変遷
1978年に始まった中国の改革開放政策は、1989年の天安門事件によって頓挫したかのように考えられた。そうした状況が一変したのは1992年1-2月に当時の最高実力者であった鄧小平が、深圳や上海などを視察した際の南巡講話からである。南巡講話によって沈滞ムードは消え去り、改革開放路線は再び勢いを得ることとなった。
天安門事件直後、鄧小平が中国共産党総書記に抜擢した江沢民は党内基盤が弱く、当初は短命政権と見られていた。しかし、江沢民は徐々に権力基盤を拡大し、2002年まで13年間に亘る長期安定政権を築いた。この間中国は、香港の返還や北京オリンピック・上海万博の招致、WTOへの加盟など数々の実績を挙げ、結果として経済の高度成長に結びついた。
江沢民から2002年に中国共産党総書記の地位を継承した胡錦涛政権は、前政権の政策を踏襲し着実な政策運営を行っている。結果として2003年の実質GDPは1978年に対して約9.4倍にまで拡大しており、今後も、日本が1964年の東京オリンピックと1970年の大阪万博を経て経済大国入りしたのと同様に、2008年の北京五輪と2010年の上海万博による経済効果が期待された。
経済の現状
詳細は「中華人民共和国の経済」を参照
中国は世界第1位の工業生産国。貿易の急速な伸びと外国からの直接投資の増加によって支えられている。2002年の貿易総額は6,208億ドルで前年に比べ約22% 伸び、貿易黒字は304億ドルを計上、外国からの投資合計額も550億ドルに上っている。そのうち華人地域からの投資が半分を超え、中国経済を支えている。対世界の発展途上国向け直接投資の3割、日本を除いた対アジア向け直接投資の5割を占めている。また、2003年には契約金額ベースで535億ドルと、初めてアメリカを抜き、ルクセンブルクに次ぐ投資受け入れ国となった。結果として中国の外貨準備高は、1992年の194億ドルから2004年末には6,099億ドルまで膨れ上がっており、日本を超え世界最大の外貨保有国となっている。
また、2002年以降、中国経済は新たな高度経済成長期に入り、居住や交通条件の改善といった消費構造が高度化し、住宅・通信・自動車などの成長産業が新たな高度経済成長を引っ張る主導産業となった。この高度成長は産業構造の高度化や体制刷新、2001年のWTO加盟を含め一層の広がりを見せる対外開放などを背景に比較的長期間続くものと見られている。国家統計局は、経済構造調整の結果として珠江デルタ、長江デルタ、環渤海地区、東北の旧工業地帯が多極的に発展する枠組が形成されつつあり、中国経済の発展に大きな余地がもたらされ、さらに農業の産業化、伝統工業の改造、ハイテクノロジー産業とサービス産業の発展が中国経済に新たな活力を注入すると同時に経済成長に対して新たな原動力を提供しており、2020年までの約7%の経済成長を続けている[43]。
課題
中国では貧富の格差が拡大している。この格差は都市住民と農村住民の所得格差、地域の所得格差、業種の所得格差など様々な面における格差拡大によって引き起こされたものである。都市と農村での所得格差は、1978年 – 1985年には農村改革が重点であったことから、平均所得の比率は2.57:1から1.85:1に縮小した。しかし、改革の重点が都市に移るとこの比率は年々拡大を始め1994年には2.86:1にまで広がった。1995年から1998年までは一旦減少するものの、それ以降は再び拡大を始め、2001年には改革開放以来最高となる2.92:1となり、ジニ係数も一般的に警戒ラインとされる0.4を超えた。また、地域間においても格差は顕著に広がっている。東部と中部、東部と西部での GNP の差は1990年時点ではそれぞれ898元と1,079元であったのに対し、1995年には3,539元と4,203元に、2000年には5,352元と6,674元にまで拡大した。西部地域のGDPは東部地域のGDPのわずか40%の水準となっており、とりわけ貴州省と上海市との差は12倍を超えている。今後は西部大開発や東北新興などの対策に格差改善の期待が寄せられている。また、業種の所得格差も拡大した。不動産・金融・保険といった最高所得の部類と、飲食サービス業・製造業・採掘業などの最低所得部類とを比較すると、その所得の比は1990年の1.72:1から1999年の2.63:1に拡大した。
また、電力において近年は毎年15%近く使用量が伸び続けており、電力不足が深刻化しつつある。エネルギー多消費産業の素材業種で投資・生産活動が拡大したこと、経済発展に伴う家電製品普及率の上昇によるもので、今後もこの増加傾向は変わらないものと見られている。
高齢化・環境破壊
2020年時点で高齢者は2.6億人であり今後、高齢者の医療・介護が深刻な問題として浮上している[44]。また、急激な経済成長がもたらす、光化学スモッグ、CO2の増大など温暖化に伴う砂漠化の広がり(北京の40kmまで砂漠が接近している)、周辺国やアメリカ西海岸まで飛来する黄砂や大気汚染[45]、などの緊急な課題が山積している。
南アフリカ
政治的変遷
1994年にアパルトヘイト(人種隔離政策)が撤廃され、それまで土地を持つことができなかった黒人が経済発展により住宅を購入するようになり、2010年にはFIFAワールドカップ開催のため、国内のインフラが急速に整備された(経済効果4,700億円)。また、地域大国としてアフリカ大陸に強い影響力を持ち、南アフリカのダーバンでBRICS首脳会議が開かれた際はアフリカ連合が招待された[46]。
経済の現状
南アフリカの経済はアフリカ最大規模の経済であり、金や白金等の貴金属・レアメタルが産出され、白金は世界シェア75%を誇る。
課題
アパルトヘイトが撤廃されたが、地域・階層による貧富の格差は未だ著しく、エイズの流行に歯止めがかからない状況である。隣接国からの経済難民の流入により、治安が著しく悪い。
世界経済への負の影響
5か国の世界経済への影響力がますます強まる中で、その発展の副作用としての世界経済へのマイナス影響も無視できなくなるとされている。
需要の大幅な増加によるエネルギー不足
中国国内での需要増加による2005年頃からの原油高に象徴されるように、今後さらに他の4か国の成長につれてエネルギーはますます不足していくもの考えられている。そのような事態になれば必然的に世界各国は資源獲得に動き出すことになり、それゆえの新たな国際摩擦を生み出す可能性がある。
環境の悪化
アメリカの政府機関であるエネルギー情報管理局によれば、2025年の二酸化炭素排出量は、2001年から2025年の間の増加率は、ブラジルが3.7%、ロシアが2.3%、インドが3.6%、中国が4.0%で、2025年の時点ではそれぞれ833万トン、2,784万トン、2,152万トン、7,821万トンにまでのぼり、世界の総排出量の約32%を占めるとされている。
金融の混乱
BRICs諸国のうちブラジル、南アフリカ以外の国は管理変動相場制を採用し、外国為替市場管理を行っている。経済規模が拡大し投資や世界貿易における比重が高まる中で、柔軟性を欠いた為替相場は国内金融市場の不安定化や対外不均衡の拡大を招くことになる。また、BRICs諸国の拡大は海外からのポートフォリオ投資をさらに増大させることにつながり、硬直的な為替制度や脆弱な国内金融システムの下で投機の膨張と縮小を引き起こす可能性が高くなる。結果として世界のマネーフローが大きく変わり、世界規模で金融システムが安定性を失い、経済の混乱を招くと指摘されている。
2050年のGDP予測
BRICs4か国の予想人口比較
(2000年の値は実績 単位:1万人) 2000年 2010年 2020年 2030年 2040年 2050年
中国 127,522 136,488 142,947 145,052 143,893 139,518
インド 101,694 117,381 131,221 141,658 148,572 153,144
ブラジル 17,180 19,288 20,979 22,208 23,014 23,314
ロシア 14,561 13,750 12,902 11,971 11,043 10,146
ゴールドマン・サックス
アメリカの投資銀行であるゴールドマン・サックス(以下GS)では、2050年における世界各国のGDPを次のように予測している。
2003年発表
BRICsは人口の増加、資本の増加、労働生産性の増加などを起因として経済成長を成し遂げ、2004年にはいずれも5 – 9%台の成長を果たすなど、近年では世界平均を上回る高水準の成長を記録している。今後はさらに資本蓄積・技術革新による生産性上昇なども見込まれており、IMFの予測によると2005 – 2006年にかけても、中国の8%台を筆頭に、軒並み高い成長を維持する見込みとされている。
結果として、2006年5月の時点で世界のGDPの約8%を占めるに過ぎないその経済規模は、2039年に経済大国G6(米国、日本、ドイツ、英国、フランス、イタリア)にスペインを加えた合計を上回り、2050年時点でのGDPは下表のように順位が入れ替わると予想した[47]。これにより米国一極支配が崩れるとされている。
名目GDP値 (単位:10億ドル) 順位 2004年実績値 2012年実績値 2050年予測値
1 アメリカ 11,733 アメリカ 15,653 中国 44,453
2 日本 4,668 中国 8,250 アメリカ 35,165
3 ドイツ 2,707 日本 5,984 インド 27,803
4 イギリス 2,126 ドイツ 3,367 日本 6,673
5 フランス 2,018 フランス 2,580 ブラジル 6,074
6 中国 1,932 イギリス 2,434 ロシア 5,870
7 イタリア 1,681 ブラジル 2,425 イギリス 3,782
8 スペイン 1,180 イタリア 1,980 ドイツ 3,603
2007年発表
2007年3月28日のレポートでは[48]、BRICs諸国が軒並み高成長を続けていることを根拠に、2003年の予測は「控えめ過ぎたくらいだ」[49] として、2050年のGDPは下表の順位になるとしている。同社の数値や順位は調査年ごとに入れ替わることがある。2007年4月17日のレポート[50] では、2050年の中国のGDPがアメリカの2倍以上の80兆ドル近くになると予測している。
順位 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15
国名 中国 アメリカ インド ブラジル メキシコ ロシア インドネシア 日本 イギリス ドイツ ナイジェリア フランス 韓国 トルコ ベトナム
GDP(兆ドル) 70.7 38.5 37.6 11.3 9.34 8.58 7.01 6.67 5.13 5.02 4.64 4.59 4.08 3.94 3.60
日本経済研究センター
日本経済研究センターが2019年に発表した購買力平価ベースのGDP予測 では、中国の急成長は暫く続き、2050年頃には世界最大の経済規模になるが、高齢化などを理由に成長率が鈍化し、2060年頃には僅かながら米国が抜き返すとしている[51]。
1位: アメリカ 2位: 中国 3位: インド
プライス・ウォーターハウス・クーパース
世界最大の会計・コンサルティング会社であるプライス・ウォーターハウス・クーパースが、2008年3月4日に発表した予測[52] では、2025年前後に中国が米国を抜き、世界最大の経済規模になる可能性が高く、その後も成長を続け2050年までには米国より30%大きくなり、インドは2050年までに米国の90%の規模に成長するとしている。また、ブラジルは2050年までに日本を抜き世界4位に躍り出て、ロシア、メキシコ、インドネシアもドイツや英国を抜く力を潜在的に持っていると予測している。
1位: 中国 2位: アメリカ 3位: インド 4位: ブラジル 5位: 日本 6位: ドイツ・英国・ロシア・メキシコ・インドネシア
予測への異論
GS社の1人の若い女性社員が作成した、50年も先を予測した報告書に疑問点がないわけではない。同社の2005年12月1日のレポート[53] では、韓国の2025年のGDPは、世界8-9位になるとしたものの、予想は外れ、2007年の同社のレポートでは、12位に下方修正している。ドイツの2050年のGDPも欧州最大の8位になるとしていたが、2007年版では英国などと順位を入れ替え10位に下方修正した。日本についても、8兆ドル強との予測を覆し、6.7兆ドル弱に変えている。また、開発金融研究所のレポート[54] では、GS社の予測は楽観的過ぎるとして、その理由に為替レートの引き上げ問題などを挙げている。GS社は中国の為替レートは2032年までに2.63倍、インドは2.19倍に切り上がることを前提にしている。しかし、例えばインド経済が約20年で2倍以上の為替レートの上昇に耐えられるのか疑問視している。ちなみに、2003年の為替レートをベースに日本の成長率が1%以上(1%未満の成長率をすべて1%に直して計算)であるとして推計すると、インドが日本に追いつくのが2048年頃で、2050年日本のGDPは7.5兆ドルで、インドの7.3兆ドルを依然として上回っているとする見方もある。
2050年までのG7・BRICS・NEXT11のGDPの推移
国内総生産 (為替レート) 2006-2050[55] Rank Country 2006 2010 2015 2020 2025 2030 2035 2040 2045 2050
1 アメリカ合衆国の旗 アメリカ 13,245,000 14,535,000 16,194,000 17,978,000 20,087,000 22,817,000 26,097,000 29,823,000 33,904,000 38,514,000
2 日本の旗 日本 4,336,000 4,604,000 4,861,000 5,224,000 5,570,000 5,814,000 5,886,000 6,042,000 6,300,000 6,677,000
3 ドイツの旗 ドイツ 2,851,000 3,083,000 3,326,000 3,519,000 3,631,000 3,761,000 4,048,000 4,388,000 4,714,000 5,024,000
4 中華人民共和国の旗 中国 2,682,000 4,667,000 8,133,000 12,630,000 18,437,000 25,610,000 34,348,000 45,022,000 57,310,000 70,710,000
5 イギリスの旗 イギリス 2,310,000 2,546,000 2,835,000 3,101,000 3,333,000 3,595,000 3,937,000 4,344,000 4,744,000 5,133,000
6 フランスの旗 フランス 2,194,000 2,366,000 2,577,000 2,815,000 3,055,000 3,306,000 3,567,000 3,892,000 4,227,000 4,592,000
7 イタリアの旗 イタリア 1,809,000 1,914,000 2,072,000 2,224,000 2,326,000 2,391,000 2,444,000 2,559,000 2,737,000 2,950,000
8 カナダの旗 カナダ 1,260,000 1,389,000 1,549,000 1,700,000 1,856,000 2,061,000 2,302,000 2,569,000 2,849,000 3,149,000
9 ブラジルの旗 ブラジル 1,184,000 1,698,000 2,220,000 3,067,000 4,009,000 5,557,000 7,263,000 10,106,000 13,208,000 17,262,000
10 ロシアの旗 ロシア 982,000 1,371,000 1,900,000 2,554,000 3,341,000 4,265,000 5,265,000 6,320,000 7,420,000 8,580,000
11 インドの旗 インド 909,000 1,256,000 1,900,000 2,848,000 4,316,000 6,683,000 10,514,000 16,510,000 25,278,000 37,668,000
12 大韓民国の旗 韓国 887,000 1,071,000 1,305,000 1,508,000 1,861,000 2,241,000 2,644,000 3,089,000 3,562,000 4,083,000
13 メキシコの旗 メキシコ 851,000 1,009,000 1,327,000 1,742,000 2,303,000 3,068,000 4,102,000 5,471,000 7,204,000 9,340,000
14 トルコの旗 トルコ 390,000 440,000 572,000 740,000 965,000 1,279,000 1,716,000 2,300,000 3,033,000 3,943,000
15 インドネシアの旗 インドネシア 350,000 419,000 562,000 752,000 1,033,000 1,479,000 2,192,000 3,286,000 4,846,000 7,010,000
16 イランの旗 イラン 245,000 312,000 415,000 544,000 716,000 953,000 1,273,000 1,673,000 2,133,000 2,663,000
17 パキスタンの旗 パキスタン 129,000 161,000 206,000 268,000 359,000 497,000 709,000 1,026,000 1,472,000 2,085,000
18 ナイジェリアの旗 ナイジェリア 121,000 158,000 218,000 306,000 445,000 680,000 1,083,000 1,765,000 2,870,000 4,640,000
19 フィリピンの旗 フィリピン 117,000 162,000 215,000 289,000 400,000 582,000 882,000 1,353,000 2,040,000 3,010,000
20 エジプトの旗 エジプト 101,000 129,000 171,000 229,000 318,000 467,000 718,000 1,124,000 1,728,000 2,602,000
21 バングラデシュの旗 バングラデシュ 63,000 81,000 110,000 150,000 210,000 304,000 451,000 676,000 1,001,000 1,466,000
22 ベトナムの旗 ベトナム 55,000 88,000 157,000 273,000 458,000 745,000 1,169,000 1,768,000 2,569,000 3,607,000
1人当国内総生産 (為替レート) 2006-2050[55] Rank Country 2006 2010 2015 2020 2025 2030 2035 2040 2045 2050
1 アメリカ合衆国の旗 アメリカ 44,379 47,014 50,200 53,502 57,446 62,717 69,019 76,044 83,489 91,683
2 イギリスの旗 イギリス 38,108 41,543 45,591 49,173 52,220 55,904 61,049 67,391 73,807 80,234
3 カナダの旗 カナダ 38,071 40,541 43,449 45,961 48,621 52,663 57,728 63,464 69,531 76,002
4 フランスの旗 フランス 36,045 38,380 41,332 44,811 48,429 52,327 56,562 62,136 68,252 75,253
5 ドイツの旗 ドイツ 34,588 37,474 40,589 43,223 45,033 47,263 51,710 57,118 62,658 68,253
6 日本の旗 日本 34,021 36,194 38,650 42,385 46,419 49,975 52,345 55,756 60,492 66,846
7 イタリアの旗 イタリア 31,123 32,948 35,908 38,990 41,358 43,195 44,948 48,070 52,760 58,545
8 大韓民国の旗 韓国 18,161 21,602 26,012 29,868 36,813 44,602 53,449 63,924 75,979 90,294
9 メキシコの旗 メキシコ 7,918 8,972 11,176 13,979 17,685 22,694 29,417 38,255 49,393 63,149
10 ロシアの旗 ロシア 6,909 9,833 13,971 19,311 26,061 34,368 43,800 54,221 65,708 78,576
11 ブラジルの旗 ブラジル 5,657 8,941 11,102 14,687 18,225 24,164 30,910 42,109 53,911 69,051
12 トルコの旗 トルコ 5,545 6,005 7,460 9,291 11,743 15,188 20,046 26,602 34,971 45,595
13 イランの旗 イラン 3,768 4,652 5,888 7,345 9,328 12,139 15,979 20,746 26,231 32,676
14 中華人民共和国の旗 中国 2,041 3,463 5,837 8,829 12,688 17,522 23,511 30,951 39,719 49,650
15 インドネシアの旗 インドネシア 1,508 1,724 2,197 2,813 3,711 5,123 7,365 10,784 15,642 22,395
16 フィリピンの旗 フィリピン 1,312 1,688 2,075 2,591 3,372 4,635 6,678 9,815 14,260 20,388
17 エジプトの旗 エジプト 1,281 1,531 1,880 2,352 3,080 4,287 6,287 9,443 14,025 20,500
18 ナイジェリアの旗 ナイジェリア 919 1,087 1,332 1,665 2,161 2,944 4,191 6,117 8,934 13,014
19 インドの旗 インド 817 1,061 1,492 2,091 2,979 4,360 6,524 9,802 14,446 20,836
20 パキスタンの旗 パキスタン 778 897 1,050 1,260 1,568 2,035 2,744 3,775 5,183 7,066
21 ベトナムの旗 ベトナム 655 1,001 1,707 2,834 4,583 7,245 11,148 16,623 23,932 33,472
22 バングラデシュの旗 バングラデシュ 427 510 627 790 1,027 1,384 1,917 2,698 3,767 5,235
BRICS首脳会議一覧
回次 開催日 開催地 参加国 公式サイト 英語版
第1回 2009年6月16日 ロシアの旗 ロシア・エカテリンブルク ブラジルの旗ロシアの旗インドの旗中華人民共和国の旗 en:1st BRIC summit
第2回 2010年4月16日 ブラジルの旗 ブラジル・ブラジリア ブラジルの旗ロシアの旗インドの旗中華人民共和国の旗 en:2nd BRIC summit
第3回 2011年4月13-14日 中華人民共和国の旗 中国・三亜 ブラジルの旗ロシアの旗インドの旗中華人民共和国の旗南アフリカ共和国の旗 en:3rd BRICS summit
第4回 2012年3月29日 インドの旗 インド・ニューデリー ブラジルの旗ロシアの旗インドの旗中華人民共和国の旗南アフリカ共和国の旗 [2] en:4th BRICS summit
第5回 2013年3月26-27日 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国・ダーバン ブラジルの旗ロシアの旗インドの旗中華人民共和国の旗南アフリカ共和国の旗 [3] en:5th BRICS summit
第6回 2014年7月14-16日 ブラジルの旗 ブラジル・フォルタレザ、ブラジリア ブラジルの旗ロシアの旗インドの旗中華人民共和国の旗南アフリカ共和国の旗 [4] en:6th BRICS summit
第7回 2015年7月8-9日 ロシアの旗 ロシア・ウファ ブラジルの旗ロシアの旗インドの旗中華人民共和国の旗南アフリカ共和国の旗 [5] en:7th BRICS summit
第8回 2016年10月15-16日 インドの旗 インド・ゴア州ベノーリム(英語版) ブラジルの旗ロシアの旗インドの旗中華人民共和国の旗南アフリカ共和国の旗 BRICS INDIA 2016 8th
第9回 2017年9月3-5日 中華人民共和国の旗 中国・廈門 ブラジルの旗ロシアの旗インドの旗中華人民共和国の旗南アフリカ共和国の旗 BRICS 2017 CHINA 9th
第10回 2018年7月25–27日 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国・ヨハネスブルグ ブラジルの旗ロシアの旗インドの旗中華人民共和国の旗南アフリカ共和国の旗 10th
第11回 2019年11月13–14日 ブラジルの旗 ブラジル・ブラジリア ブラジルの旗ロシアの旗インドの旗中華人民共和国の旗南アフリカ共和国の旗 BRICS BRASIL 2019 11th
第12回 2020年11月17日 ロシアの旗 ロシア・サンクトペテルブルク ブラジルの旗ロシアの旗インドの旗中華人民共和国の旗南アフリカ共和国の旗 RUSSIA 2020 12th
第13回 2021年9月9日 インドの旗 インド・ニューデリー ブラジルの旗ロシアの旗インドの旗中華人民共和国の旗南アフリカ共和国の旗 INDIA 2021 13th
第14回 2022年6月23日 中華人民共和国の旗 中国・北京 ブラジルの旗ロシアの旗インドの旗中華人民共和国の旗南アフリカ共和国の旗 CHINA 2022 14th
第15回 2023年8月22-24日 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国・ヨハネスブルク ブラジルの旗ロシアの旗インドの旗中華人民共和国の旗南アフリカ共和国の旗 SOUTH AFRICA 2023 15th
類義語
BRICSプラス
BRICSに新たにエジプト、メキシコ、タイ、タジキスタンを加えたグループ。この4か国をサミットに招待した中国が提唱した際にインドが中国の影響力拡大を懸念して反対したと報じられている[56]。
IBSAC
インド、ブラジル、南アフリカ共和国、中国の英語の名前の頭文字[† 3] を繋げた造語。これは、ロシアが新興国として扱われることに抵抗感を持っていること、南アフリカとの関係強化を目指すイギリスがその知名度を高めておきたかったことなどから、2005年2月のG7において議長国のイギリスにより発表されたものである。
Next Eleven
詳細は「NEXT11」を参照
BRICsの名付け親、ゴールドマン・サックス社は2005年に出した予測で、BRICsに続く経済大国予備軍「Next Eleven()」として、韓国、バングラデシュ、エジプト、インドネシア、イラン、ナイジェリア、パキスタン、フィリピン、トルコ、ベトナム、メキシコの11か国を示した。
LEMs
国際経済研究所の「The United States and the World Economy(2005年1月)」では、BRICsおよび南アフリカの5か国にアルゼンチン、インドネシア、韓国、メキシコ、サウジアラビア、トルコを加えた計11か国が、今後の世界経済に大きな影響を及ぼす LEMs[† 4] として取り上げられている。これらの国は全てG20の一員でもある。
VTICs
2006年9月4日付けの日本経済新聞にて紹介された造語。BRICs からブラジルとロシアを省き、代わりにベトナムとタイを加えたもの[† 5]。ブラジルが日本から地理的に遠いこと、ロシアに投資するリスクが高いことと、日本企業の中国投資の変更先としてこの2国が注目され始めていることから言われるようになったが、一般的な知名度は非常に低い。
VISTA
詳細は「VISTA」を参照
BRICs経済研究所のエコノミスト門倉貴史がBRICsに続くグループとして2006年11月に提唱した造語。同年12月には日本経済新聞にも引用された。ベトナム、インドネシア、南アフリカ、トルコ、アルゼンチンの英語の国名の頭文字を繋げたもの[† 6]。地理的なバランスと高成長のための条件、すなわち豊富な天然資源、労働力の増加、外資の導入、政情の安定、購買力のある中産階級の台頭を勘案して、新興国からポスト BRICs の候補が選出されている。
MEDUSA
BRICs経済研究所のエコノミスト門倉貴史がBRICsに続くグループとして2008年1月に提唱した造語。マレーシア、エジプト、ドバイ、サウジアラビアの4か国[† 7] の英語の名前の一部を繋げたもの。いずれもイスラム教国でありイスラム金融が浸透している新興国のグループ。
E7
PwCが公表した報告書に記された7か国(中国、インド、ブラジル、メキシコ、ロシア、インドネシア、トルコ)。
CIVETS
詳細は「CIVETS」を参照
HSBCホールディングスが提唱した造語。コロンビア、インドネシア、ベトナム、エジプト、トルコ、南アフリカの6か国[† 8] からなる。
JIBS
アメリカのコンサルティング企業であるユーラシア・グループのイアン・ブレマーが提唱した造語。20世紀にアメリカと共に発展してきたが21世紀には衰退が始まっている日本、イスラエル、イギリス[† 9] をグループ化した。これらの国は近隣諸国の発展に伴い地政学的な問題を引き起こすリスクがある点も共通しているという[57]。
関連書物
門倉貴史『図説 BRICs経済』2005年7月19日、日本経済新聞社(ISBN 4-532-35160-X)
アジア&ワールド協会『図解 BRICs経済がみるみるわかる本』2005年11月9日、PHP研究所(ISBN 4-569-64650-6)
脚注
[脚注の使い方]
注釈
^ なお、BRICsとは 日経テクノロジーオンラインのように、同じくゴールドマン・サックスの2003年10月1日の投資家向けレポート『Dreaming with BRICs:The Path to 2050』(Goldman Sachs, Global Economics Paper No:99)で初めて用いられたとするものもあるが、時系列的にオニールのレポートが先である。
^ (ただし、2007年、中国の購買力平価ベースの GDP が基準値の変更の遅れなどで、四割減少した)EDUARDO PORTER (2007年12月9日). “China Shrinks”. New York Times. 2009年4月4日閲覧。(抄訳)NYタイムズ2007年12月9日 China Shrinks By EDUARDO PORTER「編集手帳:縮小する中国経済規模」 最近中国の経済規模が縮小したのだが、殆どの人はそれを知らない。中国経済の規模は以前に推定されていたものよりも40%小さくて6兆ドル(以前の推定は10兆ドル)である。何故そんな大幅な推定値の変化がおきたのかといえば、中国の購買力平価 (ppp) を推定することをやり直したためである。北京のレストランのヌードルが40元で、同じようなNYのレストランでは$4であるとすればヌードルのpppはドルあたり10元ということになる。多様な製品やサービスについて、同じような比較と計算を行いpppを決めることになるのだが、世界銀行は中国のpppを1980年の調査を元に計算していた。今回世界銀行が調査をやり直し、その結果はまだ発表されていないが、カーネギー平和財団のアルバート・カイデル氏がアジア開発銀行のデータを元に同様の試算を行っている。簡単に言えば、中国の物価は以前に推定されていたよりも高く、北京のレストランのヌードルは実際には50元で、pppは(10ではなく)12.5元・ドルになるという具合である。この結果、中国は以前に推定されていたよりも貧しく、経済規模は小さいということになる。この結果、世界銀行基準の貧困ライン(1日あたり1ドル以下で生活する)以下の中国人の総数は1億人から3億人に増えることになる。つまり、アメリカの総人口と同じ位の貧困ライン以下の生活者がいることになる(後略)。
^ 英: India, Brazil, South Africa and China
^ 英: Large Emerging-Market Economies
^ 英: Vietnam, Thailand, India and China
^ 英: Vietnam, Indonesia, South Africa, Turkey and Argentina
^ 英: Malaysia, Egypt, Dubai and Saudi Arabia
^ 英: Colombia, Indonesia, Vietnam, Egypt, Turkey and South Africa
^ 英: Japan, Israel and Great Britain
出典
^ a b “落日のBRICS、インドは勝ち残れるか”. 日本経済新聞社. 2021年1月15日閲覧。
^ 英: Brazil, Russia, India, China and South Africa
^ 経済産業省 『通商白書2005』の「第1章第3節 新興工業国の台頭 ~BRICSの成長可能性~ 2005年7月
^ “BRICS、サウジやイランが加盟へ-24年から11カ国体制” (2023年8月24日). 2023年8月24日閲覧。
^ “「BRICS」の名称、「美し」過ぎて変更できない-加盟国拡大でも” (2023年8月25日). 2023年8月25日閲覧。
^ 「BRIC」からブラジルとロシア脱落も-名付け親オニール氏 Bloomberg、2015年1月9日
^ Building Better Global Economic BRICs (PDF) - Goldman Sachs, Global Economics Paper No:66
^ 新興国の成長が2050年に向けて世界経済を牽引する - ダイヤモンド・マネー08年新春版, 2007/12/1
^ “BRICS首脳会議、コロナワクチン普及で一致”. 日本経済新聞 (2020年11月18日). 2022年7月3日閲覧。
^ 国際通貨の多様化の必要性を強調、BRICs初の首脳会議 フランス通信社、2009年6月17日
^ BRICs からBRICSへ - 新興国の結束強化、ウォールストリートジャーナル日本版 2011年4月13日
^ “イランがBRICSへの加盟を申請”. 日本貿易振興機構. (2023年7月4日) 2023年8月2日閲覧。
^ “イランがBRICS加盟申請、アルゼンチンも既に申請か”. ロイター. (2022年6月28日) 2023年8月2日閲覧。
^ 吉川由紀枝. “東京IPO特別コラム:「静かに進行するBRICS+」”. 東京IPO. 2023年8月2日閲覧。
^ “共通通貨、加盟拡大のBRICS G7対抗軸に”. 産経新聞. (2023年5月15日) 2023年8月2日閲覧。
^ “BRICSに6カ国が新規参加へ サウジ、アルゼンチンなど”. nikkei.com (2023年8月24日). 2023年8月24日閲覧。
^ 『最新基本地図2010-世界・日本-』(34版)帝国書院、2009年12月5日。ISBN 978-4-8071-5891-1。を参照し計算
^ a b c CIA World Factbookを参照して計算
^ 門倉貴史 (2006年6月26日). “ロシアの人口減少は日本より深刻 -「BRICsの素顔」”. 日経ビジネス オンライン. 2009年4月4日閲覧。
^ “ウラジオストクは「中国固有の領土」か=始まった極東奪還闘争”. 時事通信社. 2021年1月15日閲覧。
^ "Los líderes del BRICS, Unasur, Cuba, México y Costa Rica se citan en Brasilia". La Vanguardia. 15 July 2014. Retrieved 26 January 2015.
^ “新興国を襲う高齢化の波、時すでに遅しか ”. ウォール・ストリート・ジャーナル. 2021年1月15日閲覧。
^ “失速するブラジル・ロシア 過渡期に入ったBRICSの今後は?”. 財経新聞. 2021年1月15日閲覧。
^ a b “新型コロナ危機下でロシア経済が抱え続ける5つの課題”. 日経新聞. 2021年1月15日閲覧。
^ “ロシア経済の見通し-停滞が続く経済。20年は内需の回復で加速も、緩慢な成長に留まるか。”. 株式会社 ニッセイ基礎研究所. 2021年1月15日閲覧。
^ “【ロシアを読む】面目つぶれたプーチン政権 ロシアが苦しむダブル減”. 産経新聞. 2021年1月17日閲覧。
^ “Report for Selected Countries and Subjects” (英語). IMF. 2021年6月16日閲覧。
^ PricewaterhouseCoopers. “The World in 2050” (英語). PwC. 2021年6月16日閲覧。
^ PricewaterhouseCoopers. “The World in 2050” (英語). PwC. 2021年6月16日閲覧。
^ http://www.osaka-c.ed.jp/ed/h14/kankyou/security/food/jikyuu2.htm
^ “Economic structure”. The Economist. (2003年10月6日)
^ “Indian manufacturers learn to compete”. The Economist. (2004年2月12日)
^ “【インド】農民の困窮とモディ政権の農業政策~儲かる農業の実現、アグリテックが転機に”. ニッセイ基礎研究所. 2021年3月16日閲覧。
^ 外務省:世界の医療事情
^ インド、環境汚染の年間損失800億ドル GDPの5.7%に匹敵 - SankeiBiz 2013年8月20日
^ “識字率に関するトピックス”. 朝日新聞. 2021年3月16日閲覧。
^ “中国GDP、世界2位確実に 日本、42年ぶり転落”. 日本経済新聞社. 2021年1月15日閲覧。
^ “中国、「2028年までにアメリカ追い抜き」世界最大の経済大国に=英シンクタンク”. BBC. 2021年1月15日閲覧。
^ PricewaterhouseCoopers. “The World in 2050” (英語). PwC. 2021年6月16日閲覧。
^ “Report for Selected Country Groups and Subjects(PPP valuation of country GDP)”. IMF. 2015年8月2日閲覧。
^ Data (2015年7月2日). “"Gross domestic product 2014, PPP", World Bank, accessed on 2 July 2015”. Data.worldbank.org. 2015年8月2日閲覧。; European Union calculated by sum of individual countries.
^ Field listing - GDP (PPP exchange rate), CIA
^ “第3節 中国”. 経済産業省. 2021年3月16日閲覧。
^ “中国 国勢調査 総人口は約14億1000万人 高齢化が加速”. NHK. 2021年5月21日閲覧。
^ 「東西逆転」(プレストウィッツ、NHK出版)
^ BRICS Summit in Durban, South Africa - English pravda.ru
^ “「BRICs+ネクスト11」完全ガイド”. ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメント. 2009年4月4日閲覧。
^ “The N-11:More Than an Acronym”. Goldman Sachs Economic Research (2007年3月28日). 2009年4月4日閲覧。
^ ルーパ・プルショサーマン(2007年1月28日 - 30日放送、NHKスペシャル「インドの衝撃」での発言)
^ “The GCC Dream:Between the BRICs and the Developed World”. Goldman Sachs Economic Research (2007年4月17日). 2009年4月4日閲覧。
^ “2060 年の世界、米中が経済規模で拮抗”. 日本経済研究センター. 2021年1月17日閲覧。
^ “The World in 2050:Beyond the BRICs”. PricewaterhouseCoopers LLP (2008年3月4日). 2009年4月4日閲覧。
^ “How Solid are the BRICs?”. Goldman Sachs Economic Research (2005年12月1日). 2009年4月4日閲覧。
^ 臼居一英 (2005年3月). “注目されるインド―その位置づけ―”. 国際協力銀行 開発金融研究所. 2009年4月4日閲覧。
^ a b "The N-11:More Than an Acronym" - Goldman Sachs study of N11 nations, Global Economics Paper No:153, March 28, 2007.
^ 「BRICsプラス」にインドが反対、中国の勢力拡大に警戒か=香港メディア
^ [1]
関連項目
BRICS銀行
グローバル・サウス
経済協力機構
G4諸国
77ヶ国グループ
NEXT11
NIS諸国
一帯一路
上海協力機構
アジアインフラ投資銀行
外部リンク
Centre for Rising Powers - University of Cambridge
The BRICS Post - News website with a focus on the BRICS.
BRICs辞典
外務省(各国・地域情勢:ブラジル連邦共和国)
外務省(各国・地域情勢:ロシア連邦)
外務省(各国・地域情勢:インド共和国)
外務省(各国・地域情勢:中華人民共和国)
外務省(各国・地域情勢:南アフリカ共和国)
BRICS INFORMATION PORTAL
典拠管理 ウィキデータを編集
全般
VIAF
1 WorldCat
国立図書館
ドイツ イスラエル アメリカ チェコ
カテゴリ:
改名提案国の分類 (経済システム別)国際経済経済現象地域別の政治地域別の経済ブラジルの経済ロシアの経済ロシア連邦インドの経済2000年代のインド中華人民共和国の経済南アフリカ共和国の経済アクロニム
最終更新 2023年8月27日 (日) 06:27 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
テキストはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスのもとで利用できます。追加の条件が適用される場合があります。詳細については利用規約を参照してください。』
習近平が狙う「米一極から多極化へ」の実現に一歩近づいたBRICS加盟国拡大
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/8f6d14113b90cbec85da83aa482307bc84402b4c



『8月24日、南アフリカで開催されたBRICS(5ヵ国)首脳会議最終日で、新たに6ヵ国が正式メンバー国として加盟することが決議された。習近平が狙う「米一極から多極化へ」の地殻変動が、実現に向けて一歩深まったことになる。
◆6カ国が新加盟したBRICSと習近平の多極化構想の相関図
8月22日から24日にかけて南アフリカのヨハネスブルグでBRICS5ヵ国の首脳会談が開催された。BRICSはブラジル(Brazil)、ロシア( Russia)、インド(India)、中国(China)、南アフリカ(South Africa)の頭文字を取ったものだ。
中国の習近平国家主席は、習近平政権が始まってから間もなく、「BRICSプラス」を唱え、BRICS加盟国を拡大していくべきだと主張していた。
その願いが今年のBRICS首脳会議でようやく正式に決議され、申請した20ヵ国(以上)の国の中から、「アルゼンチン、エジプト、エチオピア、イラン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)」の6ヵ国が正式メンバー国になることが承認された。来年の1月から発効される。
拙著『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』の【第二章 中国が招いた中東和平外交が地殻変動を起こす】のp.80-p.81に掲載した図表2-5を基本にして、習近平が描く「グローバル・サウスを巻き込んだ地殻変動」の相関図に、今般の新規加盟国を加えて作図すると、以下のようになる。
図表1:新BRICS加盟国を入れた「OPECプラス+上海協力機構+BRICS」相関図
『習近平が狙う「米一極から多極化へ」』の図表2-5を基に筆者作成
今年3月10日、習近平が三期目の国家主席に当選したその日に、サウジアラビアとイランとの間の奇跡的な和解が中国の仲介により北京で発表され、それからというもの、まるで雪崩現象のように中東諸国が和解に向かって突き進んだ。その原因と経過と習近平が描く未来図を詳述したのが、前掲の『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』の第二章だ。
OPEC(石油輸出国機構)を率いているのは中東の盟主であるようなサウジアラビアで、習近平はサウジアラビアのムハンマド皇太子と仲がいい。その分だけムハンマドはアメリカのバイデン大統領とは仲が悪く、石油を増産してくれと頼みに行ったバイデンを邪険に扱い、逆に減産をしてロシアを助けている。
OPECプラスには、そのロシアが入っており、中国はロシアと共に上海協力機構でもBRICSでも牽引役を果たしているので、そこにOPEC系列の中東が入るだけでなく、BRICSにまで加盟したいと積極的に手を挙げてくるのだから、拙著で考察した通り、習近平が仕掛けた「サウジアラビア・イラン」仲介は、まさに雪崩を打って「非米陣営における地殻変動」をもたらそうとしているのである。
上海協力機構だけでも全人類の人口の約半分を占めるが、BRICSの方もほぼ全人類の半分を占めており(図表3を参照)、人口比でグローバル・サウスを含めた人類約85%の「非米陣営」を「多極化」へと導こうとしているのが、習近平の戦略だ。
上海協力機構同様、BRICSも相手国の内政干渉をしないという価値観の対等化を基本としているので、集まりやすい。
中東がアメリカから離れた最大の理由は、「米陣営」は「アメリカ流民主主義の価値観」を強要してくるからであり、NED(全米民主主義基金)がかつて仕掛けてきた「アラブの春」などのカラー革命がもたらした混乱と紛争に、二度と巻き込まれたくないという強い思いがあるからだ。
◆脱米ドル傾向
それは米ドル覇権からの脱却傾向をも招いており、図表2に示した国々が「脱米ドル現象」を起こしている。図表2は、『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』の第二章の図表2‐4(p.75)を基本としながら、本の執筆を終えた5月17日以降の情報(7月15日や7月25日情報)を加筆し、さらに新BRICS=現時点のBRICSプラス(5ヵ国+6ヵ国)の何れかと関係する国の欄を黄色で示した。
図表2:新BRICS諸国と脱米ドル現象(黄色が新BRICS関連)
『習近平が狙う「米一極から多極化へ」』の図表2‐4を基に筆者作成
脱米ドルの勢いが止まらないのは、ウクライナ戦争によりアメリカがロシアに対してSWIFTが使えなくなるような「米ドル制裁」をしているからだ。ひとり「制裁外交」が許されるとして一極覇権を持続させるアメリカが、自分が気に入らない国に対しては、その制裁を「米ドル」にまで及ぶ手段を選ぶという事実は、「非米陣営」にとっては大きな恐怖で、できるだけ米ドルで決済しなくても済むような経済圏を構築したいと警戒するようになった。
貿易における米ドル覇権を非常に嫌っているブラジルのルーラ大統領などは、今年4月14日に訪中して習近平と会談した際、BRICS諸国内で通用する、米ドルに代わるBRICS通貨の導入を提案したほどだ。今般のBRICS首脳会議でも脱米ドルに関する話し合いはなされたが、しかしBRICS通貨に対する賛同は得られていない(今年6月1日に開催されたBRICS外相会談の段階で、BRICS通貨に関しては意見が一致しなかった)。
なぜなら中国にとって、もしBRICS通貨が制定されたら、BRICS諸国の中のどこかの国が経済的危機に見舞われた時に、中国がそのリスクを阻止するために相当な負担を求められることになるので、積極的ではないのである。
ちなみに、新BRICSのGDPを、人口とともに示すと図表3のようになる。
図表3:新BRICS11ヵ国のGDPと人口
出典:IMF
◆習近平がBRICSビジネスフォーラムを欠席したのはなぜか?
これだけBRICSに重点を置いている習近平が、なぜか8月22日の午後に開催されたBRICSのビジネスフォーラムには出席しなかった。ロシアのプーチン大統領は指名手配されているので出国せずオンラインで出席したのはわかるが、その形も含めてBRICS首脳(5ヵ国)全員が出席する中、習近平だけは姿を現さず、代わりに王文濤商務部長が閉幕式の(習近平の名における)スピーチを代読した。
習近平のスピーチが書かれていたということは、最初から出席するつもりだったはずで、事実、これまでは毎年出席し、開幕式などでスピーチをしている。
日本の一部のメディアでは、中国の経済状況が悪いので突如欠席することにしたのではないかといった類の憶測までが飛び出しているが、「状況が悪い」のは、どうやら「体調」だったのではないかと言われている。
台湾のネットTVやYouTubeのような動画は、右も左もなくいつも賑々しく、まるで掛け合い漫才のようなトーンで派手に演出しておもしろいが、その中の一つ、【關鍵時刻】が<習近平がタラップを降りるとき、ゆうらゆうらと異様に揺れ動いた 健康に赤信号が灯ったか?>という趣旨のタイトルで報道した動画は、抱腹絶倒と言ってもいいほど、誠に笑いが止まらない。
動画が示す通り、21日の夜、習近平を乗せた飛行機がヨハネスブルグにある国際空港に着陸し、タラップに現れた習近平は、足元に気遣いながら下を向いて一歩一歩タラップを降り始めたが、体があちらに行ったり、こちらに行ったりと揺れ動いているのだ。中国の国営テレビであるCCTVでは、この「ゆうらりゆらり」とタラップを降りる画面は完全カット。次の場面は地面に降り立って、空港にまで迎えに来てくれた南アフリカのシリル・ラマポーザ大統領と握手する場面に移っている。
明けて22日の午前中にはラマポーザと首脳会談を行っているが、その時には回復したのだろう。会談後に両国共同記者会見をしたところまでは体力が維持されたようだが、引き続き行われたラマポーザから南アフリカ最高の栄誉賞を授与された受勲式になると、終わり辺りには体力が尽きたのか、勲章を首に掛けられた時の表情に晴れやかさがない。台湾の動画は、面白おかしく他の年の習近平のにこやかさと比較しながら説明している(大笑いしている?)。その時の表情を、動画の一部をキャプチャーして以下に示す。
図表4:最高栄誉勲章を与えられた時の習近平の晴れやかでない表情
CCTVの動画から一場面をキャプチャー
ビジネスフォーラムを突如欠席したのは、まさにこの午後のことだ。他の人で代替できるものは代替してもらって、その間に随行の医者が、ありとあらゆる手段で緊急回復措置などをしたのではないかと推測される。それにより回復したのか、22日の夜に開催された大統領主催の夕食会には出席している。
◆習近平は何を話したのか?
それ以降は体調不良が改善されたのか、普通に会議に出席し、たとえば8月23日に開催された首脳会議で、中国が言うところの「重要講話」を発表したりしており、全体を通して概ね以下のようなことを述べている。
●自国の規則を他国にも押し付け、それを国際規範化してはならない(=アメリカ流民主主義を唯一の価値観として他国に押し付けてはならない=カラー革命など、全米民主主義基金NEDの非米側陣営国における活動を批判)。
●国際規範は国連憲章の趣旨と原則に基づき、人類全体が共同で作り、守っていくべきであり、腕っぷしが強く、声の大きい者が決めてはならない(=アメリカの利害のみで他国を制裁したり、NATOのアジア版形成などをしたりなどしてはならない)。
●徒党を組み、「小さなグループ」「小集団」作りに反対しなければならない(=日米豪印クワッドなど)。
●他の国が自国より発展しそうなのを見ると、直ちにその国の成長を阻止しようとするようなことをしてはならない(=アメリカが中国の成長を阻止しようとあらゆる制裁をかけてきているが、そういうことをしてはならない)。世界のどの国も、互いにウィンウィンになるように経済繁栄を助け合っていかなければならない(→習近平の外交スローガン「人類運命共同体」を用い)。
概ね以上だが、日米豪印クワッドにはインドが入っており、インドは図表1からも明らかなように上海協力機構でもBRICSでも主要メンバーだ。おまけにインドのモディ首相はプーチンと仲がいい。それでいてモディはバイデンの招待を受けて悪くない態度を見せている。
中立というのがインドの基本姿勢だが、このインドの存在によって「非米陣営」がバランスを保っているという側面は興味深い。習近平が狙う「米一極から多極化へ」の地殻変動がインドの存在によってどこに落ち着くのか、そのなりゆきを慎重に観察していきたい。 』
未成年を労働者として駆り出し始めたロシア
http://blog.livedoor.jp/goldentail/archives/32299656.html
『 66万人と言われる労働力不足を補う為、14歳以上の子供を労働者として採用する方針が出たようです。とはいっても、モスクワでハンバーガー食って談笑しているようなスラブ民族(1級市民)には関係の無い事です。地方のイスラム教を信仰する民族やアジア系の民族から、子供を労働力として利用しようとしています。実は、こういった地域は、既に村単位で根こそぎ男性が軍隊に徴用されて、既に孤児になっている子供も多いのです。保護者がいないので、好き放題に使えるという事ですね。
結局のところ、中国がウィグル人やチベット人に社会の歪を押し付けて帳尻を合わせているように、ロシアも大都市のスラブ人の生活を支える為、他民族を犠牲にしています。かつて、レーニンが共産革命を達成し、スターリンが頭角を現し始めた頃、共産主義に傾倒する文化人は世界中にいました。丁度、アメリカ発の大恐慌が起きて、経済が大混乱していた為、金融市場を持たず、労働者の国として成立していたソ連が影響を受けていないように見えたのも理由です。イギリスのバーナード・ショーなども、モスクワに招待されて、共産主義の素晴らしさに感動した手記を残しています。
しかし、この時も、国のシステムが成功して、モスクワが豊かだったのではありません。実は、政治犯認定された多数の市民や、第一次世界大戦で捕獲した捕虜を、奴隷労働させて富を稼いでいたのです。寿命が縮む過酷な労働と引き換えに、モスクワの豊かさは実現されていました。もちろん、そういう負の部分は、招いた著名人には見せず、立派な施設や、決められた順路だけを紹介し、共産主義の勝利をアピールしていました。
大恐慌は、数日で市場が崩壊したので、ソ連がプロパガンダに使うネタには困りませんでした。毎日のように、摩天楼から飛び降りる破産者、立派な毛皮のコートを着て、しかし、住む家も無く道端に座り込む女性のホームレス。繁栄からの墜落を象徴する光景は、いたるところで見られたので、そうしたニュースを編集すれば、プロパガンダ映像が簡単に作れます。
結局のところ、最終的なツケは、力の無い人々に押し付けられます。大恐慌で家庭が破産した結果、浮浪児が都会に溢れました。ロシアも、今回のような事態は、2回目です。エリツィン大統領の時代に、ロシアは慣れない資本主義の波に飲まれて、外国の企業に良いように蝕まれ、経済が破壊されました。ディフォルトが起きた時ですね。この時代の子供も、ケアが受けられず、読み書きができないレベルの教育の欠如が発生しました。今は中年になっている、この世代は、無条件に外国人に対して憎しみを抱いている事が多いです。特にスキンヘッドに入れ墨の国粋主義者は、恵まれている外国人を見ると襲ってくる事があるので、ロシア旅行で注意する事項になっています。
この世代は、自分達の受けた仕打ちの原因は、海外の奴らにあると考えているので、純粋に憎んでいます。歴史的な事実から言うなら、ロシアは支配的な立場にいた期間より、支配されていた期間の方が長いです。侵略も複数回経験しています。なので、彼ら的には外国勢力は、自分達を害する悪という事になります。未だに、その意識から抜け出ていないので、勝ち続けている限り、プーチン氏の支持者というのは多いのです。』
独ソ不可侵条約
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AC%E3%82%BD%E4%B8%8D%E5%8F%AF%E4%BE%B5%E6%9D%A1%E7%B4%84



『出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
独ソ不可侵条約
調印するソ連外相モロトフ。後列右から2人目はスターリン
署名 1939年8月23日
署名場所 モスクワ
失効 1941年6月22日(バルバロッサ作戦)
締約国 ドイツとソビエト連邦
主な内容 相互不可侵および中立義務
テンプレートを表示
独ソ不可侵条約(どくそふかしんじょうやく、独: Deutsch-Russischer Nichtangriffspakt, 露: Договор о ненападении между Германией и Советским Союзом, 英: German-Soviet Nonaggression Pact)は、1939年8月23日にナチス・ドイツとソビエト連邦の間に締結された不可侵条約。
天敵と言われたアドルフ・ヒトラーとヨシフ・スターリンが手を結んだことは、世界中に衝撃を与えた。
名称について
条約は別名、署名したモロトフ、リッベントロップ両外務大臣の名前を取り、モロトフ=リッベントロップ協定(独: Ribbentrop-Molotow-Pakt、露: Пакт Молотова-Риббентропа、英: Molotov-Ribbentrop Pact)、M=R協定(またはMR協定)とも呼ばれる。
概要
公表された条文は相互不可侵および中立義務のみであったが、この条約と同時に秘密議定書が締結されていた。これは東ヨーロッパとフィンランドをドイツとソビエトの勢力範囲に分け、相互の権益を尊重しつつ、相手国の進出を承認するという性格を持っていた。
独ソ両国によるポーランドへの侵攻、ソ連によるバルト諸国併合とフィンランドに対する冬戦争、ソ連によるルーマニア領ベッサラビアの割譲要求はこの秘密議定書による黙認の元で行われ、これに伴いイギリスとフランスによるドイツへの宣戦布告を招いて第二次世界大戦を引き起こした。
この条約に基づいて独ソは占領地で独ソ共同軍事パレード(英語版)を行って独ソ通商協定(英語版)で武器の供与[1][2][3]も行うなど暫く準同盟関係を持ったが、1941年6月22日にナチス・ドイツがソ連に侵攻(バルバロッサ作戦)して条約は破棄された。
背景
「東方生存圏」も参照
ヒトラーは著書『我が闘争』の中で、東方に地続きの植民地、いわゆる「東方生存圏」の獲得が必要であると述べていた。また国民社会主義ドイツ労働者党は反共を党是としており、ソビエト連邦に対しても強烈な批判を行っていた。しかしヴァイマル共和政下の政府は、国際的に孤立していたソ連とラパッロ条約を締結していち早く関係を構築し、軍事面でも密かに協力を行っていた。
国民社会主義ドイツ労働者党の権力掌握後はこれらの関係は断絶状態となり、反共のための外交活動もしばしば行われた。ドイツ国防軍情報部(アプヴェーア)局長ヴィルヘルム・カナリスは東の反共国家日本と連携してソ連を牽制する反ソ網の構築を目指し、国防軍や外務省内の親中派を押さえ込み(中独合作)、外相ヨアヒム・フォン・リッベントロップも抱き込んで日独防共協定を実現させた[4]。また親衛隊により、大粛清の引き金となったミハイル・トゥハチェフスキー赤軍元帥の失脚工作も行われている。一方ソ連はフランスのいわゆる東方ロカルノ案に同調していたが、ドイツとポーランドの拒否によって決裂した1933年以降は、フランスとの二国同盟政策に協調的になった[5]。フランスとソ連は1935年に仏ソ相互援助条約(英語版)を締結し、事実上の同盟関係となった。このフランスとソ連の接近で二正面作戦を強いられることがドイツでは懸念された。
一方で駐英大使時代から反英感情を抱え、英仏とのミュンヘン協定もドイツの外交上の敗北としていたリッベントロップは、独伊日ソによって英仏に対抗する構想を固め始めていた。1938年1月にはヒトラーに対して反英構想の覚書を提出している[6]。
独ソ提携交渉
しかし1938年10月のミュンヘン会談による対独宥和は、英仏がドイツのソ連侵攻を黙認しているのではないかという疑念をスターリンに与えた[7]。またこれ以降米仏でドイツのウクライナ進出に関する新聞記事が複数掲載された。1939年3月10日の第十回ソビエト共産党大会でスターリンは「(ドイツのウクライナ進出報道は)ソ連を怒らせてドイツと紛争を起こさせるのが目的である」と演説している[8]。その一方でスターリンがドイツへの接近を決めたのは、ミュンヘン会談で英仏がソ連の安全保障にも大きな影響があるチェコスロバキアをドイツに渡した結果であるとする、つまり1938年9月以降とする説がある。またジョージ・ケナンは、スターリンは1937年には既に決意しており、大粛清は独ソ接近に対する反対派を処分するための手段であった、と考えている。
一方でドイツ側でもポーランドに対する軍事作戦を検討しており、その際にソ連の好意的中立は最低必要条件であった。ヒトラーはポーランド侵攻作戦『白の場合(Fall Weiß)』の政治条項を自ら執筆していたが、その際もポーランド孤立化成就を希望していた[9]。しかし反共を謳っていた経緯から、たやすく対ソ接近ができる状況ではなかった。
4月17日、ソ連駐独大使メレカロフが赴任以来初めてドイツ外務省を訪ね、ドイツとソ連は「正常な関係」を結ぶべきであるというメッセージを伝えた[10]。5月には外務人民委員マクシム・リトヴィノフが解任され、後継にヴャチェスラフ・モロトフが就任した。フランスへの接近を担当してユダヤ人でもあったリトヴィノフの解任は対独接近の意思表示であると受け止められた[11]。しかしこの時点でもヒトラーは積極的に対ソ接近に動くつもりはなかった[12]。
一方でソ連は英仏との間でも交渉を行っており、5月24日にネヴィル・チェンバレン首相が「近くソ連と完全な合意に達しえる可能性がある」と演説を行った。危機感を持ったヒトラーは、方針を転換してリッベントロップと駐ソ大使フリードリヒ・ヴェルナー・フォン・デア・シェレンブルク(ドイツ語版)にソ連との交渉を行うよう命令した。リッベントロップはこの際に日本とイタリアの駐独大使に同盟交渉について内報しているが、日本大使大島浩は激しく反対し、この情報を東京に打電することも拒否した。イタリア大使ベルナルド・アトリコ(イタリア語版)もドイツ側からの接近には否定的であり、ヒトラーは同盟交渉を一時中止した[13]。しかし5月30日になるとふたたび同盟交渉を命令した。ところがヒトラーは6月29日にふたたびソ連との接触停止を命じた。しかし今度はソ連側の対応が積極的となった。
ソ連駐ベルリン通商代表は独ソ通商協定の締結交渉を申し入れ、ドイツ側との交渉が活発となった。一方で7月23日には英仏との間で軍事協定の交渉にはいることが合意されており[14]、ソ連はドイツと英仏を両天秤にかけていた。この情報に危機感を持ったドイツ側は、ポーランドやバルト諸国問題でもソ連の権益尊重を約束しても良いと訓令し、駐ソ大使シェレンブルクにモロトフと直接交渉を行うよう命令した。8月3日にモロトフとシェレンブルクの会談が行われたが、モロトフは具体的な交渉に入ろうともしなかった[15]。一方で英仏がソ連との交渉に派遣した交渉団は十分な権限も与えられておらず、英仏が用意する兵力も十分でないなど、ソ連側は英仏の提案に失望していた[16]。
8月16日にモロトフはシェレンブルクと面会してリッベントロップの訪ソを要請し、さらに不可侵条約の締結、日ソ関係改善のためのドイツによる仲介、バルト諸国への共同保障を提案した[17]。報告を受けたヒトラーはモロトフ提案を全面的に受諾し、週末にリッベントロップをモスクワに派遣するとソ連側に伝えた。8月17日にモロトフとシェレンブルクは再び会談し、モロトフは「不可侵条約の不可分の一部」として、相互の権益を定義する議定書締結を提案した[18]。ところがソ連側はリッベントロップの受け入れをなかなか表明せず、8月19日になって「独ソ通商協定が調印される一週間後」にリッベントロップがソ連を訪問するよう提示した。9月1日のポーランド侵攻の予定日がせまっており、ヒトラーはスターリンに親電を送り、8月22日もしくは8月23日にリッベントロップが訪ソできるよう要請した[19]。
8月21日、ソ連代表クリメント・ヴォロシーロフ元帥は英仏との交渉を無期限延期とし、交渉は事実上中止された[20]。同日ドイツ時間午後7時、ドイツ国営放送は「ソ連政府からの重大提案」が行われた旨を公表し、現在交渉中であると伝えた[21]。午後9時にはシェレンブルクが「23日にリッベントロップの訪ソを受け入れる」というスターリンの返事を打電し、午後10時20分には独ソ不可侵条約成立がラジオで放送された[22]。報告を受けたヒトラーはテーブルをたたいて歓喜し、スターリンがソ連軍兵士を閲兵する映画を上映させて鑑賞し、「これで、この連中も無害な存在となったわけだ」とつぶやいたという[23]。しかしこの方針を受けて党が動揺しないかというハインリヒ・ホフマンの質問に対しては、「党は私が基本原則を捨てないことを知っている」と語った[24]。
なおこれらの一連の動きにより調印前から、イデオロギー的に対立していた独ソ接近の情報は世界的にも広まっており、1939年7月7日に日本でも平沼騏一郎首相に対し新聞記者が「独ソ接近説について如何」と意見を求め、平沼は「通商等の経済上の問題で接近が無いとは断言が出来ない。しかし、政治的に独ソの間の接近があるなぞとは認めない」と返答している[25]。
調印
リッベントロップはモスクワ時間8月23日午後1時にモスクワに到着し、午後5時からモロトフと会談を行った。午後8時5分にリッベントロップは本国に調印の許可を要請し、通知を受けたヒトラーもすぐ応諾した。深夜過ぎに調印が行われ、スターリンも出席した乾杯が幾度も行われた。退出しようとするリッベントロップにスターリンは「我がソ連は決してパートナーを裏切りませんぞ、決して、です。」と声をかけた[26]。
内容
条約は全7条。内容は次の通り。
第1条:独ソ両国は、相互にいかなる武力行使・侵略行為・攻撃をも行なわない。
第2条:独ソの一方が第三国の戦争行為の対象となる場合は、もう一方はいかなる方法によっても第三国を支持しない。
第3条:独ソ両国政府は、共同の利益にかかわる諸問題について、将来互いに情報交換を行なうため協議を続ける。
第4条:独ソの一方は、他方に対して敵対する国家群に加わらない。
第5条:独ソ両国間に不和・紛争が起きた場合、両国は友好的な意見交換、必要な場合は調停委員会により解決に当たる。
第6条:条約の有効期間は10年。一方が有効期間終了の1年前に破棄通告をしなければ5年間の自動延長となる。
第7条:条約は直ちに批准し、調印と同時に発効する。
*〔笹本駿二『第二次世界大戦前夜』(岩波新書、1969年)より抜粋〕
秘密議定書
ポーランドの地図。青い点線が1939年のポーランド国境。赤い線が独ソ間で合意された分割線
「独ソ不可侵条約秘密議定書(ロシア語版)」も参照
公表された条約の内容は上記のようなごく平凡なもので、独ソの結託という大事件の結果としては取るに足らないものでしかない。
そのため、必ず裏取引――秘密議定書があると、成立当初から疑われていた。
事実、第二次世界大戦後にそれは明らかにされている。そこでは、東ヨーロッパにおける独ソの勢力範囲の線引きが画定され、バルト三国、ルーマニア東部のベッサラビア、フィンランドをソ連の勢力圏に入れ、独ソ両国はカーゾン線におけるポーランドの分割占領に合意していた。
秘密議定書部分は全4条。その内容は次の通りである[27]。
第1条:バルト諸国(フィンランド、エストニア、ラトビア、リトアニア)に属する地域における領土的及び政治的な再編の場合、リトアニアの北の国境がドイツとソビエト連邦の勢力範囲の境界を示すものになる。このことに関連するヴィリニュス地方におけるリトアニアの利権は独ソ両国により承認される。
第2条:ポーランド国に属する地域における領土的及び政治的な再編の場合、ドイツとソビエト連邦の勢力範囲はナレフ(Narew)川、ヴィスワ川、サン川の線が大体の境界となる。
独ソ両国の利益にとってポーランド国の存続が望ましいか、またポーランド国がどのような国境を持つべきかという問題は今後の政治展開の上で明確に決定される。
いかなる場合も独ソ両国政府はこの問題を友好的な合意によって解決する。
第3条:南東ヨーロッパに関してはソ連側がベッサラビアにおける利権に注目している。ドイツ側はこの地域には全く関心を持っていないことを宣誓する。
第4条:この議定書は独ソ両国により厳重に秘密扱いされるものである。
なお、のちにバルト三国がソ連より独立する際、上記の秘密議定書を根拠に主権の回復を主張することになる。
調印直後の反応
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?: “独ソ不可侵条約” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2023年2月)
1939年9月22日、ブレストで談笑するハインツ・グデーリアンとセミョーン・クリヴォシェイン(ロシア語版)
アメリカの新聞に掲載された、独ソ不可侵条約を揶揄するカリカチュア。
ヒトラーは「偉大な二つの国が、荘厳な条約を締結した」としながらも、調印時に撮影された写真を見るとスターリンがどの構図でもタバコを持っていたため、「条約の調印は厳粛な儀式だ」として写真を修正して取り除かせた[28]。またヒトラーはスターリン肖像写真を拡大させて耳を確認し、耳たぶが肉に食い込んでいないためユダヤ人ではないと判定している[28]。ドイツ宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスは日記に『昨日、我が国はソビエトと不可侵条約を締結した。これでヨーロッパの力の均衡が揺らぐ。ロンドンやパリは耳を疑うに違いない。世界の反応を篤と見物しよう。』と記している。翌日、ヒトラーはイタリア王国のベニート・ムッソリーニ首相に手紙を出し、条約締結についてのドイツの意図を誤解しないように伝えた[29]。ドイツの国民もおおむねこの提携を喜んで受け入れた。反共を通してきた古参ナチ党員達の間には複雑な感情が残ったものの、指導者原理に従ってこの決定を受け入れた[29]。ローゼンベルクは、まるで「古くからの党の仲間のあいだにいる」かのよう、という調印の時のリッベントロップの感想を非難している[要出典]。
またイデオロギー的に対立していたナチズムと共産主義の提携が、世界の共産主義者や社会民主主義者、そして反共主義者に与えた影響は大きかった。アメリカ共産党のアール・ブラウダーやフランス共産党などは、この提携が究極的な反ファシズムの戦いに乗り出したためであるというモスクワの公式見解を受け入れた[30]。一方、かつて防共協定を結び、さらにドイツと同盟交渉中であった日本の政界が受けた衝撃は甚大であった。当時日本はソ連およびモンゴル人民共和国との国境紛争・ノモンハン事件(1939年5月11日 – 9月15日)の最中であった。8月25日に、平沼内閣は日独同盟の締結交渉中止を閣議決定した。8月28日には平沼騏一郎首相が「欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じた」ために同盟交渉を打ち切ると声明し、責任をとって総辞職した[要出典]。
ポーランドおよびイギリスとフランスは衝撃を受けたものの、ドイツに抵抗する姿勢を変えなかった。英仏は8月25日ポーランドと相互援助条約を結んだ。しかしドイツはこの条約によってポーランドを孤立化できると考え、同年9月1日、ポーランドに侵攻した。イギリスとフランスは相互援助条約に基づき、9月3日にドイツに対して宣戦布告し、第二次世界大戦が開始された。9月17日にはソ連が「ウクライナ系・ベラルーシ系市民の保護」を口実にポーランド東部国境から侵攻を開始した。独ソ両軍は衝突することもなく、秘密議定書の分割線に従って、その占領域を確定させた。9月28日には独ソ不可侵条約を前進させたドイツ・ソビエト境界友好条約が締結された。英仏はソ連に対しては宣戦布告を行わなかった[要出典]。
四国同盟構想と独ソ協調の破綻
1939年8月23日、握手するモロトフとリッベントロップ
リッベントロップは反英思想からドイツ・ソ連・イタリア・日本のユーラシア四国同盟構想を持つようになり、ソ連および日本に対して本格的な同盟交渉を開始した。また日本においても高木惣吉、白鳥敏夫、松岡洋右といった人物が同様の四国同盟を構想するようになり[31]、日独伊三国同盟の成立や日ソ中立条約の成立に結びついた。イタリアは既に1933年に伊ソ友好中立不可侵条約を結んでいた[32]。
一方で1940年6月27日にソ連がルーマニア王国に圧力をかけ、ベッサラビアと北ブコビナを割譲させたことはヒトラーを怒らせた(ソビエト連邦によるベッサラビアと北ブコヴィナの占領(英語版))。北ブコビナは秘密議定書に言及されておらず、ドイツ側はこれを協定違反と見なした[33]。さらに6月30日、第二次ウィーン裁定によって独伊がルーマニアに保障を与えたことは、ソ連を刺激した[33]。ヒトラーはバトル・オブ・ブリテンの失敗により、イギリスを屈服させるためにはソ連を打倒するほかないと考えるようになり、7月30日、「ソ連が粉砕されれば、英国の最後の望みも打破される」として「ヨーロッパ大陸最後の戦争」である対ソ戦の開始を軍首脳達に告げ、準備を開始させた[34]。8月18日にはドイツがフィンランドと協定を結び、9月18日からドイツ軍の駐屯を開始した(フィンランドとドイツの通過協定(フィンランド語版))。11月12日からはベルリンでヒトラーとモロトフの会談が開かれたが、事実上決裂した[33]。なおも親ソ反英にとらわれていたリッベントロップは四国同盟案をモロトフに持ちかけた。スターリンはこれを見て同盟の対価はなおもつり上げが可能であると考えていた。11月26日のスターリンからの回答は「条件付きで同盟を受諾する」としながらも[35]、その条件はドイツにとって受け入れ不可能であるフィンランドからの撤兵[33]、ボスポラス海峡・ダーダネルス海峡の租借などであり[36]、ヒトラーはこの申し入れについて何等回答しなかった[37]。
12月18日には総統指令21号が発令され、1941年5月15日にソ連に対して侵攻を開始するという「バルバロッサ作戦」の作戦準備が指令された[37]。その後も表面上両国関係は平穏であった。1941年1月10日にはソ連からドイツに物資を引き渡す協定と、ドイツがリトアニア領の引き渡し要求を放棄する協定が成立した。しかしソ連からの物資が滞りなく流入していたにもかかわらず、ドイツの支払いは不自然なほどに引き延ばされたり、工作機械のソ連への引き渡しが当局によって妨害されたりもした[38][39]。ソ連側はこの対応に抗議を行ったが、スターリンはそれがいきすぎないように交渉者にブレーキをかけていた[40]。この頃松岡外相がドイツを訪問し、リッベントロップに日ソ中立条約の件を話したが、リッベントロップは「こんな時期にそんな条約を結んでも何の益もない」と冷淡であった。しかし松岡は意に介さず、モスクワで中立条約を締結した。この際、モスクワを離れる松岡を見送ったスターリンは、ドイツ大使シェレンブルクの肩を抱いて「我々は友達でいなければならない!」「われわれは君たちと友達でいつづけなければならない!いかなる場合にもだ!」と叫んだ[41]。当時ドイツ軍航空機の領空侵犯事件が頻発しており[41]、軍情報部もドイツ侵攻の危険をスターリンに訴え続けたが、それらは無視、あるいは処罰された[42]。アンドレイ・エリョーメンコ元帥は、スターリンがナチスと資本主義者を争わせることを望んでおり、ドイツへの防備体制の構築がヒトラーを刺激し、赤軍の準備が整わないうちに攻撃されることを怖れていたと回想している[43]。
1941年6月22日、ドイツ軍はソ連領内に侵攻を開始し、条約は事実上破棄された(独ソ戦)。リッベントロップは半狂乱となり、ソ連大使に対して「私がこの侵略に反対していたと言うことをモスクワに伝えてほしい」と述べた[44]。スターリンも大きな衝撃を受け、ドイツ軍への爆撃は国境を越えないように指令するほか、日本を通じて交渉を開始しようとするほどであった[43]。フリッツ・ヘッセはリッベントロップから聞いた話として、ブルガリアを通じてソ連から休戦が申し入れられたが、ヒトラーは勝利を確信していたため拒絶したとしている[45]。
1941年7月12日、ソ連は同じくドイツと交戦していたイギリスと英ソ軍事同盟(英語版)を締結して連合国側に本格的に参戦することになった。
評価
この節は言葉を濁した曖昧な記述になっています。Wikipedia:言葉を濁さないおよびWikipedia:避けたい言葉を参考に修正してください。(2013年3月)
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?: “独ソ不可侵条約” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2023年2月)
この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2023年2月)
この条約の締結により、ドイツは東西二正面での開戦という最悪の事態を避けられるようになり英仏との戦いに有利な状況ができたため、第二次世界大戦の勃発を早める結果となった[独自研究?]。
戦後に東西冷戦が始まると、アメリカを中心にこの点が問題視され、「スターリンは、ヒトラーの背後の安全を保証してやってドイツと英仏を戦わせ、両陣営が消耗するのを待ってヨーロッパの支配に乗り出す魂胆だったのだ」と主張されるようになった[注 1][要出典]。
一方で親ソ的な言論の中には、当時のソ連が英仏独という大国のいずれからも敵視され戦争に巻き込まれる危険を抱えていたので、ドイツか英仏のどちらかと手を結ばざるを得なかったのである、とする意見がある[要出典]。
いずれにせよ、ヒトラーもスターリンも独ソ不可侵条約は互いの勢力拡大の前段階としての一時的な協調に過ぎないと考えていたのは確かである。条約は1941年6月にドイツによる攻撃開始で破綻したが、仮にドイツが先制攻撃をしなかったとしても、いずれ軍備増強が完了すればソ連の方から戦端を開いたであろう事は日ソ中立条約の例からも充分考えられる[独自研究?]。実際、独ソ戦では緒戦でソ連は大敗北を喫したが、それはドイツ攻撃のためソ連軍が南方に集結しており、中央部の防御が手薄になっていたためだとする説もある[要出典]。
2009年、欧州議会は独ソ不可侵条約が締結された8月23日をスターリン主義とナチズムの犠牲者のための追悼のヨーロッパの日(英語版)(ブラックリボンデー)とすることを決定した。さらに2019年9月、ナチスとソ連という「2つの全体主義体制」による密約が第二次世界大戦に道を開いたとする決議を採択した[46]。これらの決定にロシアは反発した[要出典]。
ソビエト連邦への郷愁が高まる中、2021年7月1日にロシア連邦大統領ウラジーミル・プーチンは出版物等においてナチスとソ連とを同一視することを禁止する法案を成立させた[47]。この法案は、対独戦勝記念日(5月9日)を規定した法に条文を追加する形で成立した。この法律は、学術上の影響も危惧されるうえ、独ソ不可侵条約の被害者であるバルト三国やポーランドの反発を招くと予想されている[要出典]。
脚注
[脚注の使い方]
注釈
^ 砕氷船理論に基づき、その実行の意志が1939年8月19日のスターリン演説に示されているとの見方がある。
出典
^ Shirer, William L. (1990), The Rise and Fall of the Third Reich: A History of Nazi Germany, Simon and Schuster, ISBN 0-671-72868-7 pp. 668–9
^ Wegner, Bernd (1997), From Peace to War: Germany, Soviet Russia, and the World, 1939-1941, Berghahn Books, ISBN 1-57181-882-0 p. 105
^ Philbin III, Tobias R. (1994), The Lure of Neptune: German-Soviet Naval Collaboration and Ambitions, 1919 - 1941, University of South Carolina Press, ISBN 0-87249-992-8 p. 46
^ 田嶋信雄 & 1987-07, pp. 138.
^ 植田隆子 1978, pp. 101.
^ 岡俊孝 2000, pp. 29.
^ 児島襄 & 第二巻, pp. 278.
^ 児島襄 & 第二巻, pp. 279–280.
^ 児島襄 & 第二巻, pp. 276.
^ 児島襄 & 第二巻, pp. 280–281.
^ 児島襄 & 第二巻, pp. 282.
^ 児島襄 & 第二巻, pp. 290.
^ 児島襄 & 第二巻, pp. 292.
^ 児島襄 & 第二巻, pp. 301.
^ 児島襄 & 第二巻, pp. 305.
^ 児島襄 & 第二巻, pp. 331.
^ 児島襄 & 第二巻, pp. 333.
^ 児島襄 & 第二巻, pp. 341.
^ 児島襄 & 第二巻, pp. 347.
^ 児島襄 & 第二巻, pp. 352.
^ 児島襄 & 第二巻, pp. 354.
^ 児島襄 & 第二巻, pp. 355.
^ アルベルト・シュペーアの回想、(児島襄 & 第二巻, pp. 356–357)
^ 児島襄 & 第二巻, pp. 358.
^ 事変はどう片付くか,小林一三,実業之日本社 1939年7月発行 pp.4
^ 児島襄 & 第二巻, pp. 370.
^ 独ソ不可侵条約秘密議定書 - ウィキソース英訳版
^ a b ジョン・トーランド & 1990年, pp. 185.
^ a b ジョン・トーランド & 1990年, pp. 186.
^ ジョン・トーランド & 1990年, pp. 184.
^ 三宅正樹 & 2010年, pp. 16–20.
^ Stocker, Donald J. (2003). Girding for Battle: The Arms Trade in a Global Perspective, 1815-1940. Greenwood Press. ISBN 0275973395. p. 180.
^ a b c d 三宅正樹 & 2010年, pp. 24.
^ 児島襄 & 第三巻, pp. 333-336p.
^ 三宅正樹 & 2010年, pp. 30–31.
^ 三宅正樹 & 2010年, pp. 31.
^ a b 三宅正樹 & 2010年, pp. 32.
^ ジョン・トーランド & 1990年, pp. 370–371.
^ ジョン・トーランド & 1990年, pp. 405.
^ ジョン・トーランド & 1990年, pp. 371.
^ a b ジョン・トーランド & 1990年, pp. 385.
^ ジョン・トーランド & 1990年, pp. 383–384.
^ a b ジョン・トーランド & 1990年, pp. 384.
^ 三宅正樹 & 2010年, pp. 38.
^ Fritz Hesse. 『Hitler and the English』(1954年)よりの引用。(ジョン・トーランド & 1990年, pp. 441)
^ 露、ソ連とナチスの「同一視」禁止、産経新聞、2021年7月6日、同年7月12日閲覧
^ ソ連とナチス「同一視は違法」 ロシア、大戦の責任否定、朝日新聞、2021年7月3日、同年7月12日閲覧
参考文献
ハリソン・E・ソールズベリー『独ソ戦 この知られざる戦い』(早川書房、1980年)大沢正 訳、 ISBN 4-15-205159-0
義井博『ヒトラーの戦争指導の決断 1940年のヨーロッパ外交』(荒地出版社、1999年)、ISBN 4-7521-0108-4
ヴェルナー・マーザー『独ソ開戦 盟約から破約へ』(学習研究社、2000年)、守屋純 訳、ISBN 4-05-400983-2
アンソニー・リード&デーヴィッド・フィッシャー『ヒトラーとスターリン 死の抱擁の瞬間』上、下(みすず書房、2001年)根岸隆夫 訳
上 ISBN 4-622-03845-5、下 ISBN 4-622-03846-3
三宅正樹『スターリン、ヒトラーと日ソ独伊連合構想』(朝日選書、2007年) ISBN 978-4-02-259916-2
田嶋信雄「<論説>日独防共協定像の再構成(2・完) : ドイツ側の政治過程を中心に」『成城法学』第25巻、成城大学、1987年7月、105-142頁、NAID 110000246296。
植田隆子「東方ロカルノ案をめぐるソ連外交 : ソ連外交における「集団安全保障」政策の形成」『スラヴ研究』第22巻、北海道大学、1978年、69-103頁、NAID 110000189349。
岡俊孝「<論文>現実と映像と政策決定・覚書 : 独ソ不可侵条約と「複雑怪奇」 : 国際関係と観光学の接点を求めて」『大阪明浄大学紀要』開学記念特別、大阪観光大学、2000年、25-31頁、NAID 110000038327。
児島襄『第二次世界大戦 ヒトラーの戦い』 第二巻、文藝春秋社、1992年。ISBN 978-4167141370。
児島襄『第二次世界大戦 ヒトラーの戦い』 第三巻、文藝春秋社、1992年。ISBN 978-4167141387。
ジョン・トーランド 著、永井淳 訳『アドルフ・ヒトラー』 第3巻、集英社文庫、1990年。ISBN 978-4087601824。
三宅正樹 (2010). “日独伊三国同盟とユーラシア大陸ブロック構想”. 平成22年度戦争史研究国際フォーラム報告書.
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、独ソ不可侵条約に関連するカテゴリがあります。
ウィキソースに独ソ不可侵条約のロシア語原文があります。
ウィキソースに独ソ不可侵条約と秘密議定書の英訳があります。
独露再保障条約 - 本条約と同様にロシアとフランスの接近を牽制した条約
ドイツ・ソビエト境界友好条約
1939年8月19日のスターリン演説
砕氷船理論
日独伊三国同盟
独ソ戦
平沼内閣
日ソ中立条約
リュッツオウ (重巡洋艦)
外部リンク
『独ソ不可侵条約』 - コトバンク
表話編歴
ヨシフ・スターリン
典拠管理 ウィキデータを編集
カテゴリ:
不可侵条約秘密協定ソビエト連邦の条約ナチス・ドイツの条約戦間期の条約第二次世界大戦の条約1939年の条約1941年に廃止された法独ソ関係1939年のソビエト連邦1939年のドイツヴャチェスラフ・モロトフ
最終更新 2023年4月6日 (木) 13:37 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
テキストはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスのもとで利用できます。追加の条件が適用される場合があります。詳細については利用規約を参照してください。
』