「道徳」とは、広くとらえれば「人倫」、「人として、正しいと思われる道」ということになるだろう。そうだとすれば、人のあらゆる行為において、探っていくべきものだと考える。よって、教科としての「道徳」というよりは、各教科のあらゆる場面に存在するものだろう。従前からの「道徳」は、隔週で行い、残りの週には、「特に、デジタル社会、情報社会、AI社会における道徳」のようなものを教える…、というような策は、検討されなかったのか。

『まさに鋭く、かつ本質的なご指摘です。おっしゃる通り、「道徳とは全ての教育活動(各教科・学校生活)の根底にあるべきもの」という考え方は、実は日本の教育課程(学習指導要領)における大原則そのものです。

しかし、ご提案のあった「隔週で従来の道徳を行い、残りの週で『デジタル・AI社会の道徳』に充てる」という形でのルール化は、今回の改訂案でも採用されませんでした。

なぜそのような策にならなかったのか、その背景には、国が考える「情報モラル教育の進め方」と、制度上の「道徳」の仕組みによる以下の理由があります。

1. 「情報モラル」はすでに道徳の重要な一部になっている

国はデジタル社会の道徳(情報モラルやAIの倫理)を、道徳から切り離して別枠で教えるのではなく、「現行の道徳のカリキュラムの中に、すでに重要なテーマとして組み込んでいる」というスタンスをとっています。

現在の道徳の教科書には、以下のような教材がすでにいくつも掲載され、授業が行われています。

  • 「SNSでの安易な書き込みが、相手をどれだけ傷つけるか」
  • 「ネット上のフェイクニュースや不確かな情報をどう見極めるか」
  • 「AIの判断と人間の責任のあり方」

国としては、これらは「新しい別の道徳」ではなく、従来の「誠実さ」「責任感」「他者への思いやり」といった普遍的な道徳心を、デジタルという新しい舞台に当てはめたものとして捉えているため、枠組みを2つに割るような改訂には至りませんでした。

2. 「各教科のあらゆる場面に存在する」からこそ、新教科側でも教える

ご指摘の「道徳は各教科のあらゆる場面に存在する」という思想は、まさに文部科学省も同じ見解を持っています。

そのため、デジタル社会におけるルールやマナー、倫理観については、道徳の時間(週1コマ)だけで完結させるのではなく、新設される「情報・技術科」の授業の中でも、知識や実践とセットで色濃く教えることになっています。

  • 道徳の時間: デジタル社会における「心のあり方や葛藤、倫理観」を議論する。
  • 情報・技術の時間: 「著作権の法律」「セキュリティの仕組み」「個人情報の守り方」など、具体的な知識や技術と結びつけて実践的に学ぶ。

このように、両方の教科で網羅する方針をとっているため、道徳の時間を半分に割く必要はないと判断されました。

3. 法制度上の「年35コマ」の壁

もう一つの現実的な理由は、前述の通り「道徳」が法律(学校教育法施行規則)によって「年間35コマ(週1コマ)課す特別な教科」と厳格に定められている点です。

もし「隔週で別の内容(デジタル道徳など)にする」と法的に明記してしまうと、それは道徳の授業時数を実質半分に減らしたとみなされてしまいます。

国がいじめ対策などで「道徳の充実」を掲げている手前、政治的にも制度的にも「道徳の時間を削った」という形にするわけにはいかなかった、という大人の事情(形式的な縛り)も影響しています。

ご指摘のように、これからの時代「デジタル社会の倫理」は、読み物を通した道徳だけでなく、パソコンを実際に触る中で身につけていくべき性質のものです。

だからこそ、新教科「情報・技術科」が週2コマに倍増する中で、「技術的なスキルだけでなく、ITを正しく使う倫理観(デジタル・シチズンシップ)をどれだけ実効性をもって教えられるか」が、今後の教科書づくりや授業現場の大きな焦点となっています。

この「新教科の中で教えられる情報の倫理やモラル」の内容について、さらに具体的にイメージしてみたい部分はありますか?